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鍵盤楽器・オルガン・リュート・ビウエラによる音楽の歴史

KFアーカイブは、前世代の様式や技法が、次世代に解釈され意義を変容させ、一貫して継承された軌跡を考察します。一つの様式の発展、一つの技法の誕生、一つの伝統の継承を系譜で追跡して、音楽の構造を把握して意義が理解できます。前回は教会音楽における多声音楽の歴史を大まかに辿りましたが、今回は世俗音楽における器楽作品、次回は管弦楽曲の形成にまで到ります。すると、西洋音楽を大成したバッハが取り組んだ楽曲を網羅して、西洋音楽の構造を概観できます。

系譜の構築は、事実を積み上げて、先人の考えを汲み取ります。更に音楽のみならず、科学・哲学・文学・美術でも、同様に当時の第一資料に向き合いながら、自ら捉えていくことから、物事の真意が見えてきます。創造性を切り拓いて、発展性を見つけ出せる天才を育てる方法になります。

先ずは系譜の概略を考察してこそ、楽譜をどのように解釈して、楽譜からどのように音楽を引き出すかを詳説できます。先人の音源を聴くことを通じて、解釈の違いをお伝えすることにより、音楽から感情を汲み取れるようになります。ある作曲家やある作品を分析したり、ある様式やある楽器を取り上げたり、多角的にトピックを用意することも可能です。

西洋音楽を味わい尽くす壮大な計画ですが、一つ一つ積み上げて、前提知識を要しないように致しますから、今後ともよろしくお付き合いお願い申し上げます。

鍵盤音楽は即興演奏や多声音楽の編曲から発展しました。

13世紀頃にイタリア南部で三拍子の陽気なサルタレッロが盛んでした。飛び跳ねるsaltare・鳴り響くestampirに由来します。14世紀のトスカーナで作製されたロンドン写本には、トレチェント音楽と様式化された器楽舞曲サルタレッロエスタンピエが譜面化され、アラビア音楽の影響が認められます。音高がハ音記号(C)で指定され、反復記号「◎」「✥」「☞」で区切られた五部構成です。

14世紀中頃にイギリスのロバートブリッジ写本はヴィトリーのフォヴェール物語のモテットを編曲、15世紀初期に北イタリアのファエンツァ写本はフランスとイタリアの世俗曲を奏法譜で記載しました。中頃からリュートやビウエラなど器楽の即興が奏法譜で出版されました。声楽曲(モテット・シャンソン・フロットラ・マドリガル)の最上声が独唱部、また下声部が伴奏譜になり、多声音楽が器楽になりました。

Saltarello 4[London, British Library, Add MS 29987,63v]

15世紀にブルゴーニュの固執低音による舞曲basse danceやイタリアの宮廷舞踏balloが、フランスに移入してballetに洗練して、声楽に基づかない舞踏曲が様式化されて純器楽曲に発展しました。器楽舞曲は二拍子の緩徐な楽章と三拍子の急速な楽章の組になり、フランスのパヴァーヌとガイヤルド、イタリアのパッサメッツォとサルタレッロになりました。スペイン語の孔雀pavon、イタリア語の快活gagliarda・跳躍saltare・一歩半pass'e mezzoに由来します。

16世紀にリュート音楽、ゴルツァニスのパッサメッツォなどに発展しました。17世紀に鍵盤楽曲、ピッキのサルタレッロなどに発展して、イングランドのヴァージナリストやネーデルランド鍵盤楽派のスウェーリンクに継承されました。1599年にホルボーンが『パヴァン集、ガリアード集、アルメーン集ならびにエア集』で出版したパヴァンガイヤルドはリュートや鍵盤楽器でも演奏可能です。

Basses danses dites de Marguerite d'Autriche(1501年)
[Bruxelles, Bibliothèque royale Albert Ier, 9085]

ルネサンス期の鍵盤楽曲には、リュートやビウエラなど撥弦楽器の音楽語法がみられます。ツィター族の楽器は、古代ギリシアのプサルテリオンψαλτήριονが、ペルシアのサントゥールسنتور、東欧のツィンバロムcimbalomとなり、1397年にウィーンのヘルマン・ポルが、弦を指で弾く機構を鍵盤に連動させて、鍵盤附きツィンバロムclavicymbalumに発展しました。鍵盤を押し下げると縦に長い棒(ジャック)を持ち上げ爪(プレクトラム)が弦を弾いて音を出します。

1323年にムリスのヨハネが『音楽の鑑』、1434年にパルマのアンセルミが『音楽論』で一弦琴monocordumに鍵盤を取り付けた楽器、クラヴィコードclavichordiumを記述しました。鍵盤を押し下げると金属片のタンジェントが弦に下から当たり振動します。1700年頃にパドヴァのクリストフォリは、チェンバロの筐体にクラヴィコードの機構を搭載して、ピアノフォルテ(弱く強く響くアルピチェンバロarpicembalo ch fa' il piano e il forte)を開発しました。

Henri Arnaut de Zwolle, Compositio Clavicordi(1466年)
[Paris, Bibliothèque nationale, ms. lat. 7295, 129]

16世紀中頃に中庸二拍子形の舞曲、アルマンドとクーラントが追加され、リューティストのダウランドやジョンソン、ヴァージナリストのファーナビーやギボンス、ローマ楽派のフレスコバルディやレグレンツィ、北ドイツ・オルガン楽派のシャイトやシャイデマン、フランス・クラヴサン楽派のシャンボニエールやルイ・クープランらに受容されました。16世紀後半にドイツで急速なサルタレッロが二拍子型の穏やかな舞曲tanz、三拍子の早い舞曲nachtanzとなり、器楽舞曲は同じ調で構成されました。1614-21年にプレトリウスが『音楽大全』で出版しました。

17世紀にスペインのフォリアやセギディーリャ、イタリアのロマネスカやベルガマスカなどの旋律を固執低音basso ostinatoに配置する即興曲型式、上声に優雅で穏やかな旋律を配置するパッサメッツォや変奏曲形式Aria variataなどが一般になり、パッサカリアやシャコンヌに様式化されました。コレルリのフォリア(Opus 5/12)やパスクィーニのベルガマスカ、フレスコバルディのパッサカリアアリアと変奏、バッハのアリアと変奏(BWV 989)になりました。

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Orlando Gibbons
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Bernardo Pasquini

ヴァイマール時代のパッサカリア(BWV 582)はブクステフーデ(BuxWV 161)に倣い、低音主題から変奏を展開します。レゾン『オルガン曲集』第1巻(1688年)で出版されたオルガン・ミサのパッサカリアの低音主題のリズムや和声を細分化し対旋律を構成して壮麗に展開されます。聖トーマス教会カントルのシュトラウベの門人ノワコウスキーによる演奏は、正しい音栓の選択で静謐さが際だちます。

Messe du Deuziesme ton, Christé [Trio en passacaille]
Messe du Sixiesme ton, Christé [Trio en chaconne]
André Raison, Livre d'orgue(1688年)

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ(BWV 1004)の最終楽章がシャコンヌです。無伴奏曲の形式でビーバー・ヴァルター・ウエストホッフ・ジェミニアーニの伝統によります。ヴィヴァルディ門下のピセンデルと親交して作曲され、高度な技巧を要求する作品です。無伴奏ですが疑似的に多声を暗示させ、聞き手に譜にない隠された線を埋めさせて重音奏法と相まって立体的に聴こえます。通奏低音による書法を前提として、無伴奏曲の旋律に対して低音声部が暗黙の了解として存在したからこそ、旋律を奏でるだけではない深みのある音楽として成立できました。

Johann Sebastian Bach, Partita 2 für Violine solo, BWV 1004,5 Ciaccona(1720年)[Berlin, Preuzische Staatsbibliothek, Mus. Ms. Bach P 967]

リュート・ビウエラ・オルガン・鍵盤楽器による
前奏曲・即興曲・幻想曲・変奏曲の成立

1507年にスピナッキノはリチェルカーレ、1561年にゴルツァニスはソナタの奏法譜を出版、1584年にマスケラが厳格様式の管弦合奏カンツォーナ・ダ・ソナーレ、1597年にガブリエリが二重合唱モテット形式の使用楽器や強弱記号を伴う強と弱のソナタ(C. 175)を出版、モンテヴェルディもソナタ(SV 206/11)を「聖母マリアの夕べの祈り」で出版、パスクィーニは鍵盤楽曲、フレスコバルディは室内楽曲のカンツォーナを作曲、ドイツでエルレバッハ、ハスラー、シャイデマン、フローベルガー、ヴェックマン、ブクステフーデ(BuxWV 166-73)らの鍵盤楽曲に継承されました。バッハのカンツォーナ(BWV 588)は、フレスコバルディの『音楽の精華』第4カンツォーナを厳格様式で構成します。

Giovanni Gabrieli, Sacrae Symphoniae: Sonata pian' e forte(1597年)

スペインのビウエラは復絃構造から多声音楽を演奏できました。イタリアのリュート奏法譜が導入され、ビウエラ奏法が数字譜cifraで指示されました。ミランのビウエラ曲集「エル・マエストロ」(1536年)で華麗なファンタジアや端正なテントとして即興曲を出版して、スペインのビリャンシコやロマンセ、イタリアのパヴァナやソネットも収録しました。ビリャンシコはラテン語の村人villanusに由来して、フランスのvirelai、ガリシアのcosaute、モサラベのzejelの詩形が混淆して成立しました。

Luis de Milán, Libro de música de vihuela de mano
intitulado El Maestro(1536年)

テューダー朝イングランドで鍵盤楽派が形成され、スペインやイタリアの幻想曲fantasiaはファンシーfancyになり、アシュトンの変奏曲ground、レッドフォードのファバードンfabourdon、バードブルファーナビーギボンスらの作品が『パーセニア』(1611年)や「フィッツウィリアム写本」(1625年頃)に収録されます。スペインやイギリスの鍵盤音楽は、ネーデルランド鍵盤楽派のスウェーリンクに影響して、北ドイツ・オルガン楽派のプレトリウス・シャイト・シャイデマン・シュトルンクに発展しました。イタリアでスウェーリンクの友人ルッツァスキの門下フレスコバルディを経由して、スカルラッティツィポリに継承されました。

William Byrd, Pavian 'Sir William Petre', T 488[Parthenia](1611年)

ナルバエスのビウエラ曲集「デルフィン」(1538年)で主題から変奏を展開する変奏曲diferenciasが登場、フランスのモテットやシャンソンの編曲も収録され、カベソンのティエントディファレンシアスは没後に出版され、ポルトガルのオルガン奏者コエリョ、ナポリ鍵盤楽派のトラバチらに継承されました。スペイン語で試みるtentarに由来するtientoは、イタリア語で触れるtoccareに由来する即興曲toccataとなりました。楽器に触れ試し弾きして即興したからです。

Antonio de Cabezón, Obras, 53. Tiento del primer sono(1578年)

トッカータが欧州全域に普及して、スウェーリンク(SwWV 282-98)、ルッツァスキ(第四旋法)、フレスコバルディ(第三旋法)、フローベルガー(第2番・FbWV 102)、ヴェックマン(第2番)、ブクステフーデ(BuxWV 155-65)らが作曲しました。バッハのトッカータとフーガ(BWV 540)のヴァイマールで作曲された前半は、保持低音上のカノン、ケーテンで作曲された後半は二重フーガです。聖トーマス教会カントルのギュンター・ラミンの演奏です。トッカータ(BWV 564)はシュヴァイツァの滑らかな演奏でイタリア様式、ヴァルヒャの輝かしい演奏で北ドイツ楽派を感じさせます。鍵盤楽曲のトッカータ(BWV 912)にも継承されました。

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Jan Pieterszoon Sweelinck
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Girolamo Frescobaldi

後期ルネサンスから初期バロック音楽の通奏低音によるモノディ形式

ルネサンス期には人文主義の影響から、声部が均整のとれた和声により、音楽性や論理性が格段に向上しました。旋法から音階へ変容して、教会音楽と世俗音楽が接近、歌曲の伴奏の器楽も記譜され、後期には半音階法や不協和音を多用、通奏低音やモノディ様式を導入、調和した構造や厳格な規則を打破しました。

ブクステフーデはアンドレア・ガブリエリのintonazioneを発展させ、クラウディオ・メルロは冒頭・間奏・終結を様式化したtoccataにしました。ルネサンス様式の全声が対等な書法、バロック様式の特定声部が和声を構成する即興が交替して、間奏にricercareを挿入、旋律を持続和音で開始して徐々に加速して、持続低音で走句を伴奏して、補助音から始めるトリルで終止しました。イタリアのフレスコバルディはガブリエリ型、オランダのスウェーリンクはメルロ型を継承しました。

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Andrea Gabrieli
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Claudio Meluro

カノンはある声部から他の声部を規則canonにより導出して、基本形の反行形・逆行形・拡大形・縮小形などで模倣します。「夏は来たりぬ」(1250年頃)や「モンセラートの朱い本」(1399年)のカッチャにみられます。ルネサンス期に旋律をずらして歌い継ぐフーガfuga ligataになりました。逃げるfugere に由来します。

ニュルンベルクのロエやウルムのシュタイグレーダーは、豊かに装飾された主題によるカンツォーナとカプリッチョに対応して、大きな音価の声楽的主題によるリチェルカーレやファンタジアをフーガとしました。バッハのフゲッタ(BWV 700)は五声フーガ、カノン(BWV 769)は五つの変奏でコラール「高き天よりわれは来れりVom Himmel hoch, da komm ich her」を展開します。前者は上の四声がフーガ、ペダルが定旋律を演奏します。後者は対位カノン(八度・五度・七度)、拡大カノン(二倍音価のバス)、反行カノン(六度・三度・二度・九度)で構成します。

Sumer Is Icumen In[London, British Library, Harley 978, 11v]

音楽は旋律の組み方、究極は音の高さと長さと並び方に帰着します。対位法は、カノンとフーガに分類され、対位法の技法は、正置・転回、正像・鏡像、反行・逆行、単純・多重、拡大・縮小、ストレット・ゼクエンツによります。旋律の構成は、音階・旋法、音律・調性、和声の機能は、トニカ・ドミナント、サブドミナント・ドッペルドミナント、終止の形式は、二重導音終止・ランディーニ終止、正格終止・変格終止、完全終止・不完全終止、偽終始・半終止、音型の装飾は、経過音・補助音、先取音・繋留音、倚音・逸音、順次進行・跳躍進行などにより、音楽が構築されます。

ブルゴーニュ=フランドル=ローマ楽派が蓄積してきた対位法が理論化されてツァルリーノ「和声論」(1558年)やスウェーリンク「作曲の規則」(1573年)が出版されました。ニコローシ「古典純粋対位法」(1997年)では実作から詳説されます。バッハはパレストリーナのミサ曲、フックスの『パルナス山への階段』(1725年)により、古様式stile anticoの厳格対位法を研究して、音楽の捧げもの(BWV 1079)やフーガの技法(BWV 1080)で音符の配置や旋律の操作を抽象化しました。バッハは多彩な表現が可能である古風な厳格対位法を重視しました。

Johann Sebastian Bach, Das Musikalische Opfer: Ricercar à 6, BWV 1079(1747年)[Berlin, Preuzische Staatsbibliothek, Mus. Ms. Bach P 226]

ブクスハイム・オルガン曲集(1473年)で前奏曲praeambulumが登場しました。ブクステフーデの前奏曲PräludiumやトッカータToccataは、保続低音上で発展する激情的な即興部と順次声部を導入するリチェルカーレ型フーガが交代する五部形式―前奏曲・フーガ・間奏曲・フーガ・後奏曲―を確立しました。

バッハの前奏曲とフーガ(BWV 531)は、リューネブルクでスウェーリンク、シャイデマン、ラインケンと伝承する系譜によるベームに師事していた青年期に書かれました。北派ブクステフーデと南派パッフェルベルを統合した曲想です。シュヴァイツァの朴訥で温かみのある演奏で円やかさが加わりますが、前衛的で壮大さと峻厳さを激情の中に感じさせます。足鍵盤が激しく動いてごつごつした音型で幕を開けて、手鍵盤で模倣されて対位法により幻想曲のように発展します。

前奏曲とフーガ「聖アン」(BWV 552)は『クラヴィーア練習曲集』第3部(1739年)に収録されます。明るい曲調で符点リズムやシンコペーションが多用されます。バッハはフランスのレゾン・クープラン・グリニー・デュマージュらによるオルガン曲集を研究しました。マルセル・デュプレの演奏では、流麗な旋律と符点リズムがサラバンドのよう荘厳に引き延ばされます。ブゾーニによるピアノ編曲を演奏する門人エゴン・ペトリは跳躍リズムを強調しました。

Buxheimer-Orgelbuch 53. Praeambulum super G(1473年)
[Hamburg, Staatsbibliothek München, Cim. 352b]

スウェーリンクやフレスコバルディが、単一主題フーガの冒頭主題を保持するオブリガート対旋句に新しい主題を導入して冒頭主題が拡大・縮小・転回するストレッタとなりました。ドイツ系門人、ダンツィヒのジーフェルト、ハレのシャイト、ハノーヴァーのシルド、ハンブルクのシャイデマンらが発展させ、1624年にシャイトが『新譜表』でコラール変奏曲partitaが確立しました。バッハの初期作パルティータ(BWV 767)は最大六声でコラールの全九節を変奏します。

ウィーンのフローベルガーやリューベックのトゥンダーが、主題をフーガにより大きな楽曲に展開するコラール幻想曲に発展させました。二段足鍵盤で独立した旋律を演奏しました。バッハは1720年にハンブルクの聖ヤコブ教会で幻想曲とフーガ(BWV 542)を演奏して、シャイデマン門下ラインケンから絶賛されました。幻想様式stylus fantasticusにより半音階進行を多用、スウェーリンクを思わせるオランダ民謡の主題が厳格対位法により一貫して展開されます。

バッハは主題音型反復repercussioによりフーガを構成しました。半音階的な幻想曲とフーガ(BWV 903)はトッカータや分散和音を多用されて古風に聴こえます。幻想曲とフーガ(BWV 906)はソナタ形式により斬新に感じられます。当時はペダル・チェンバロと足鍵盤附きオルガンを融通しておりました。

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Heinrich Scheidemann
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Johann Adam Reincken

今回は鍵盤楽器・オルガン・リュート・ビウエラの歴史を記しました。

次回は調律法の確立や舞曲の器楽化と組曲の様式化などを叙述します。

KFアーカイブを今後ともよろしくお願い申し上げます。

長文にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

平成28年3月25日

特定非営利活動法人 KFアーカイブ会長 中西 泰裕

古典音楽を無償公開するデジタルアーカイブを充実させたい!2016/03/25

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