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ベートーヴェンのピアノソナタ

ごぶさたしておりました。お元気にお過ごしですか。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの誕生日が近く、〈ピアノソナタ 第28番〉(1816年・Opus 101)のマリア・ユーディナ(Мария Вениаминовна Юдина, 1899-1970)による録音(1959年・Мелодия Д-05134-35)です。

前期には古典派様式や多感様式が多く、中期には精神状態を反映して複雑かつ錯綜とした実験的かつ前衛的な作品が多いですが、後期の作品番号100を越える当たりから、和声が透明になり、ポリフォニーにリズム動機を埋め込むことに成功して、透徹した作風になりました。

当作品もクーラントらしい優雅な流れにバッハの四声を主体とする舞曲のようなポリフォニーの構成に時どきホモフォニーの要素が現れます。リズムが明瞭さと旋律の流れを対比させ、内声を巧みに配置して、同じ動機が四声にちりばめられ、懐古するように何度も問い掛けをしながら、ゼクエンツを構成して立体感を与え、最後は旋律的(ポリフォニック)な部分と和声的(ホモフォニック)な部分が混ざりあいながら進みます。第二楽章はジーグのような行進曲風の符点リズムの連続で流れを生み、色んな音の高さから始まる数本の旋律がもつれ合いながら進みます。

中間部でカノンを構成するとき、細分化されたリズムに長音価による和声の暗示をして、バッハらしく係留音が多用され、声楽的な趣きを与えながらクライマックスを迎えると臨時記号が増え、遠隔調をさまよい、突如として主調に戻り、最後は半ば強引に急き立てたように終わります。

第三楽章はモーツァルトの後期に端を発し、シューベルトが好んだパラフレーズを散りばめ、和音を重ね、余韻に浸り、揺らぎを生む手法により、バロック時代の緩徐楽章のように冒頭主題を再現する最終楽章へ橋渡しされ、楽句が矢継ぎ早に繰り出されてゆきスケルツォのようです。

リュリに端を発するフランス風序曲に連なるフゲッタのような快速にゆるい四声の中で十六分音符が旋律を紡ぎながら流してゆく構造を持ちます。全体として遠い調へおもしろい転調をしながら進み、バスが活発に半音進行や順次進行をして、バロック音楽に近い発想を借りています。

ベートーヴェンは古典派のシンプルな構成にバロック音楽の通奏低音や器楽対位法の発想を再導入して、複雑な情感の陰影や独自の世界観を描くことに成功して、新しい表現を見つけ、ロマン派音楽に踏み込み、シューマンやブラームスたちに影響を与えた音楽家と思わされます。

西洋音楽は基本として、縦には根音に三度ずつ積み上げ、横には全音階や半音階、跳躍音型などで旋律を作り、和声は順次進行や完全五度(ドミナント)を中心に移ろいますが、ベートーヴェンの音楽にもそれらが見られ、長い歴史や伝統の上に作られていることが感じられます。

また、鍵盤ソナタの歴史も面白く、ベートーヴェンはハイドンやモーツァルトらのピアノソナタに連続しますが、更に遡るとナポリ楽派のフランチェスコ・ドゥランテやドメニコ・スカルラッティらに端を発していることが分かります。太陽が降り注ぐ南の音楽だけあり、陽気で楽しげな鍵盤音楽でした。

ハイドンの時代までイタリアではディヴェルティメント(気晴らしの音楽)、フランスでは組曲やより自由なパルティータやオルドルの形式を借り、名前もそう言われていましたが、初めは二楽章制でした。ウィーン古典派において完成されるソナタ形式の展開が徐々に様式化されてゆきました。

ヴェネツィアのガルッピやフランスのバリエールらの鍵盤ソナタは三楽章制となりました。ハッセの〈鍵盤ソナタ〉(1758年・Opus 7/3・Fatte per la Real Delfina di Francia)は好例です。独奏楽器(例えばヴァイオリンやフルートなど)と通奏低音のソナタを鍵盤で実現したような構造です。

例えばロココ風のモンドンヴィルの鍵盤ソナタやパリに滞在した8歳の頃にモーツァルトが書いたヴァイオリンソナタ群は、ヴァイオリンによるオブリガート付きとされ、ヴァイオリンを外しても鍵盤ソナタとして成立しますから、通奏低音から鍵盤独奏への過渡の様式であるとも考えられます。

後期バロック・前期古典派(多感様式・ロココ様式)・ウィーン古典派・ロマン派音楽は連続して様々な流儀が交錯しながら変遷しており、例えばベートーヴェンの〈ピアノソナタ 第22番〉の第二楽章(1804年・Opus 54)はスカルラッティの後期ソナタと以外にも似ておりまして驚きました。

ベートーヴェンの優美さや柔かさは、ハイドンやモーツァルトらのウィーン古典派から、強靭さや骨の太さは、バッハやヘンデルなど彼が知ることができたバロック音楽により、独自の感性で再構成して、ロマン派音楽で使われる和声や転調などを開拓して、音楽の表現を豊かにしました。

晩年は時代遅れとされたバッハらの対位法に凝り、流行に取り残されたように見えながら、やはり確信を得て、自らの創作に活かし、後世に語り継がれる業績を残したことは面白いですね。特にピアノソナタと弦楽四重奏曲は師ハイドンから引き継ぎ続けられた創作の軌跡が分かります。

また、西洋音楽の特徴は、(リュートやオルガンなど)ある楽器の弾き方を示す奏法譜より、音の高さと長さやリズムを書き記す抽象的な記譜法を発達させたことから、声楽も器楽も関係なく、多種の楽器が合奏でき、音程や和声、濃密や緩急など、音楽の構造が明瞭になりました。

楽器を弾くとき、楽譜に書かれた通り、音楽に移すのではなく、音の連なりのパターンから、どうしてそう書かれているか把握する知性とその結果を適切に選択して音楽で表現する感性が調和することから、創造力・洞察力・構成力・表現力など、演奏する人の個性が感じられます。

音楽の作り方に作者の意図や時代の趣向を見ぬき、瞬時にある楽句がどのような役割を全体で果たすかを汲みながら、どのような音楽で表現するかを導き出してゆき、着想に溢れながら、自然に流れて聴いた人が感銘できるような音楽を生み出せるように進めてゆけるからです。

先人の作品を参照して取捨選択して創作して次の道を見つけてきた事実の連続が歴史ですから、ある時代の作品やある楽器の演奏だけを深掘りするより、先ずは古代から現代まであらゆる地域の音楽の流れを捉え、細かい流れを確めてゆくと地道ながら本質に近づけると思います。

実際に楽譜など一級の資料に作曲者の知性に触れたり、音源など当時の記録に演奏者の感性に触れられる体験を重ねてゆくと、名品を体験すると創作や演奏につながることを歴史が教えてくれる気がします。探求をするにも手掛かりが必要で事実から始めると確かになります。

古代ギリシア音楽からモダンジャズに到るまで、様々な楽譜に目を通し、音型や構造をイメージで捉えながら、頭の中で響きとつなげ、演奏を聴き進めると、音楽の構成や作者の意志が明瞭になり、思わぬ関わりが見つかるなど、伝統の継承と創造の瞬間が感じられて面白いです。

マリア・ユーディナは1899年にロシア帝国ネヴェリに生まれ、レニングラード音楽院でニコラーエフに学び、ソフロニツキーの姉弟子です。ニコラ―エフ門下は独特の緩急や強弱の波があり、柔軟なリズムに漂う和声感覚が絶妙で楽句の対比が鋭くめりはりがあり構成が際だちます。

ロシア・ピアニズムは帝政ロシア末期から旧ソビエト連邦の難しい時代を生きた音楽家たちが、その環境で持ち前の洞察力・構成力・表現力を活かしきり、音楽の世界に生きがいを見いだした気骨が音が感じられ、音楽性の豊かさが群を抜いており、演奏芸術の極致が感じられます。

ロシアピアニズムの系譜は、特にゴリデンヴェイゼルと門人フェインベルク・イグムノフ・ネイガウスの流派、またそれに属さない珍しい伝統(特にレニングラードのブリューメンフェルト・ニコラーエフ・ハリフィン門下やアルメニアやリトアニアのピアニストたち)が、素晴らしい着想に溢れております。

長文になってしまいましたが、面白そうな色んな名品や発想に多く触れるだけでなく、自ら考えて試してみると実感が深まりますます楽しいですね。探究心と好奇心を満たしてくれます。お読みいただきまして、ありがとうございました。これから、寒くなりますが、皆さまも良い年の瀬をお過ごし下さい。

Мелодия Д-05135

Klaviersonate Nr. 31 As-Dur, Opus 110 (1821)

Klaviersonate Nr. 6 F-Dur, Opus 10/2 (1798)

アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(Александр Борисович Гольденвейзер, 1875-1961)によるベートーヴェンのピアノソナタ第6番です。1872年にモルドバで生まれ、モスクワ音楽院でアレクサンドル・ジロティとパヴェル・パプスト、作曲をタネーエフ・アレンスキー・イッポリトフ=イヴァーノフに学びました。1922-24年、1939-42年にモスクワ音楽院長になりました。

2016年8月27日

おはようございます。コンスタンチン・イグムノフ(Константин Николаевич Игумнов, 1873-1948)によるベートーヴェンのピアノソナタ第7番です。晩年の演奏で円やかな音色で弾むようなリズム感があり、真珠を転がすような美しい奏法(jeu perlé)も聞き取れます。ピアノを慈しむよう弾いたとメルジャノフは証言しました。フランス文化が移植され、優美さと剛健さを特質とする帝政ロシアの遺風をソビエトでも守り抜いた大御所です。重量奏法過多になる以前のロシアピアニズムには気品があります。1947年の演奏会を光学式で録音されました。レコードはΜелодия М10-42483-86です。С10-05519-26は抜粋です。

1873年に生まれ、ニコライ・ズヴェーレフに親しく学び、モスクワ音楽院でパプストとジロティに学び、1924-29年にモスクワ音楽院の院長となり、ベクマン=シチェルビナ、ヤコフ・フリエール、レフ・オボーリン、マリヤ・グリンベルク、ベラ・ダヴィドヴィチらを教えました。

Μелодия С10-05519-26

Klaviersonate Nr. 7 D-Dur, Opus 10/3 (1798)

Klaviersonate Nr. 11 B-Dur, Opus 22 (1800)

サムイル・フェインベルク(Самуил Евгеньевич Фейнберг, 1890-1962)によるベートーヴェンのピアノソナタ第11番です。1890年にウクライナに生まれ、モスクワ音楽院でゴリデンヴェイゼルに師事しました。師譲りの朗らかながらしなやかに流れるような音楽性を受け継ぎました。バッハの権威としてしられますが、ベートーヴェンやスクリャービンでも、清廉な感性を発揮しました。自身が作曲家でありまして、門下に多くの名ピアニストを輩出しました。

Мелодия С10-16359-60・16861-62・16863-64・М10-20431-32・20433-34・45519-20

Klaviersonate Nr. 14 D-Dur, Opus 14/2 (1799)

ヴィクトル・メルジャーノフ(Виктор Карпович Мержанов, 1919-2012)によるベートーヴェンのピアノソナタ第14番です。1919年に生まれ、1936年にモスクワ音楽院でサムイル・フェインベルクにピアノ、アレクサンドル・ゲディケにオルガンを学び、1947年よりモスクワ音楽院の教授になりました。パブスト・ジロティ→ゴリデンヴェイゼル→フェインベルク→メルジャーノフと継承されたロシアピアニズムの生き証人です。原田英代『ロシア・ピアニズムの贈り物』(2014年・みすず書房)に詳しいです。

Мелодия Д-2376

Klaviersonate Nr. 16 G-Dur, Opus 31/1(1801)

マリア・ユーディナ(Мария Вениаминовна Юдина, 1899-1970)によるベートーヴェンのピアノソナタ第16番です。1899年にネヴェリで生まれ、レオニード・ニコラーエフに師事して、ショスタコーヴィチやソフロニツキーと同門になり、バッハ・モーツァルト・シューベルト・ベートーヴェンなどドイツ古典からベルグやヒンデミットなど現代曲まで幅広いレパートリーを弾きました。特に彫の深く激情と静謐が入り混じる独特のピアニストでした。

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Мелодия М10-40025-26

Klaviersonate Nr. 17 d-moll, Opus 31/2 „Der Sturm“ (1802)

ゲンリフ・ネイガウス(Генрих Густавович Нейгауз, 1888-1964)によるベートーヴェンのピアノソナタ第17番です。1888年に生まれ、叔父のフェリックス・ブルーメンフェルトやアレクサンドル・ミハウォフスキーやゴドフスキーらに師事して、モスクワ音楽院で名ピアニストを育てました。ドイツ古典を優美な音色で得意としました。

Мелодия Д-019583-84

Klaviersonate Nr. 21 C-Dur, Opus 53 „Waldstein“ (1803)

ヨゼフ・ホフマン(Josef Casimir Hofmann, 1876-1957)によるベートーヴェンのピアノソナタ第21番「ワルドシュタイン」(Opus 53・1803年)です。1876年にクラクフで生まれ、モスクワで弟子をほとんど取らなかったアントン・ルビンシテインに見込まれて師事して、アメリカに移住してカーティス音楽学校で多くのピアニストとを教えました。スケールが大きく、超絶技巧を誇りました。78回転の商業録音があり、戦中のアセテートや戦後のテープにより演奏会が録音されました。

Desmar 5007/8/Casimir Hall Recital(1938年4月7日)

Klaviersonate Nr. 21 C-Dur, Opus 53 „Waldstein“ (1804)

アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(Александр Борисович Гольденвейзер, 1875-1961)によるベートーヴェンのピアノソナタ第53番「ワルドシュタイン」です。

Мелодия М10-37527-34

Klaviersonate Nr. 24 Fis-Dur, Opus 78 (1809)

ゲンリフ・ネイガウス(Генрих Густавович Нейгауз, 1888-1964)によるベートーヴェンのピアノソナタ第24番です。

Μелодия М-45765-74

Klaviersonate Nr. 26 Es-Dur, Opus 81a „Das Lebewohl“ (1810)

ベルタ・マランツ(Берта Соломоновна Маранц, 1907-1998)によるベートーヴェンのピアノソナタ第26番「告別」です。1907年にウクライナのプロス​​クロフ(フメリニツキー)で生まれ、ゲンリフ・ネイガウスに師事して、ベートーベンとショパンを得意としました。ストリヤルスキー門下のヴァイオリニストたちのオイストラフ、ボリス・ゴールドシュタイン、ミハイル・フィフテンゴルツなどの伴奏者としても知られます。

Мелодия С10 21281 003

Klaviersonate Nr. 30 E-Dur, Opus 109 (1820)

サムイル・フェインベルク(Самуил Евгеньевич Фейнберг, 1890-1962)によるベートーヴェンのピアノソナタ第30番です。

Мелодия Д-2810-11 (1953)

Klaviersonate Nr. 31 As-Dur, Opus 110 (1821)

ゲンリフ・ネイガウス(Генрих Густавович Нейгауз, 1888-1964)によるベートーヴェンのピアノソナタ第31番です。

Мелодия Д-020759-60

Klaviersonate Nr. 32 c-moll, Opus 111 (1822)

ウラディミール・ソフロニツキー(Владимир Владимирович Софроницкий, 1901-1961)によるベートーヴェンのピアノソナタ第32番です。1901年にサンクトペテルブルクで生まれ、ショパンの孫弟子のアレクサンデル・ミハウォフスキ、レオニード・ニコラーエフ、ニコライ・メトネルに師事しました。スクリャービンの長女エレナ・スクリャービナと結婚しました。ソ連でどのピアニストも最高と言わしめた名ピアニストでしたが、ステレオ録音が普及する前に亡くなりました。

Мелодия Д--016163-64

Klaviersonate Nr. 20 G-Dur, Opus 49/2

マリア・グリンベルク(Mария Израилевна Гринберг, 1908-1978)によるベートーヴェンのピアノソナタ第20番です。1908年に生まれ、フェリックス・ブルーメンフェルトに師事して、ホロヴィッツと同門になりました。モスクワ音楽院でコンスタンチン・イグムノフに師事して、ドイツ古典を弾むようなリズムと包むような音色で演奏しました。メロディア社にソビエト時代に唯一となるベートーヴェンのピアノソナタに全集録音を残しました。

Мелодия С10-05573-98

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