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ミサ曲にみる西洋音楽の音楽芸術の伝統と系譜

ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut, c.1300-1377)の〈ノートルダムのミサ(Messe de Nostre Dame à 4)〉(1364年)の美しい写本(1370-72年・US-KCferrell MS 1 (Machaut Vg), 283v-296r)です。中世フランス語で「此処よりノートルダムのミサが始まる('Ci commence la Messe de Nostre Dame')」と書かれています。マショーが晩年に自分の詩作や音楽を数冊の写本に編纂させた一本で一級資料です。美しい飾り文字(K)から、Kyrie eleysonの四声:最上声部(Triplum)・モテット声部(Motetus)・テノール声部(Tenor)・最低声部(Contratenor)はスコアのように黒色定量記譜法で書かれています。マショーの四声ロンドーやバラードなど世俗多声音楽では、四声:最上声部(Triplum)・モテット声部(Cantus)・コントラテノール声部(Contratenor)・最低声部(Tenor)という構造を持つものもあります(Rondeau à 4: Rose, liz, printemps, verdure)。

こんばんは。長らくごぶさたしておりましたにもかかわらず、温かいお言葉かけを下さり、ありがとうございました。皆さまに感謝の気持ちを込めまして、クリスマスプレゼントとして、西洋音楽史にみる変遷ついて書き溜めてきました。

昨年にミサ曲を題材として、西洋音楽の変遷をアンブロジオ聖歌からウィーン古典派のモーツァルトやベートーヴェンまでたどり続けましたのでインデックスを附しまして、また、最後に音楽史シリーズやクリスマス特集も附しました。

ミサ曲の変遷を一つずつ辿りましたが、それらをまとめますとそのままそっくり、古代(アンブロジウス)から近代(ベートーヴェン)までの西洋音楽の系譜と変遷が分かります。偉大な音楽家たちの多くはミサ曲を作曲したからです。

教会音楽を扱うにしても、信教の問題とは切り離して、当時の文献や楽譜の資料を精査しながら、音楽の構造や技法を見つけることができます。実際に協会音楽と世俗音楽は同じ記譜や技法で作られ融通していました。

私も無宗教ですが、印度哲学・イスラム哲学・西欧中世のスコラ哲学やパレオロゴス朝の哲学などは、研究の担い手が知識人が修道士という環境によるだけであり、論理的緻密さは、現代の科学的思考の先駆と言えます。音楽にしても中世は聖職者(教会)と統治者(領主)が政治や文化などの担い手でしたため、教会音楽が多く、世俗音楽は少しだけ記譜され伝えられましたが、音楽の技法はルネサンス・バロックへとそのまま継承されました。

ミサ曲は中世で最大の音楽にして、固有文の歌詞が一定しており、作曲家の独創性・時代性・地域性を比較しやすく、様式や技法の変遷をたどりやすく、ルネサンス期からは多声音楽の白眉となり、作曲法の標本箱です。デュファイの作品として、モテット(Motetus)・ミサ曲(Missarum)・続唱(Sequentia)・賛歌(Hymnis)・頌歌(Magnificat)・交唱(Antiphona)・多声世俗歌曲(Chanson)が伝えられますが、ミサ曲が最大規模です。

モテットや多声世俗歌曲は自由な対位法により、ルネサンスの息吹を感じさせ、続唱・賛歌・交唱などはディスカントゥス様式で多声化され古風でおもしろいですが、ミサ曲にはそれぞれの詞章に対応して全てが見られます。ミサ通常文聖歌は最古の音楽の一つであり、Kyrie・Gloria・Credo・Sanctus・Agnusは別の起源から徐々に取り入れられ、14世紀までバルセロナやトゥルネーのミサ曲集などでは写本のそれぞれの場所に記されました。

中世後期に聖歌ミサ(Kyriale)が発達しました。Kyrieは古典ギリシア語の主(κύριος)の呼格(κύριε)により、5世紀にヨハネス・クリュソストモス(Ἰωάννης ὁ Χρυσόστομος, 347-407)が連鋳を創始したと伝わります。Gloriaは東方教会の大栄頌に当たり、《ルカ福音書》2章8-21節により、教皇シンマクス(Symmachus, c.460-514)が導入したと伝わり、華々しい内容から死者のためのミサ(Missa pro defunctis)では省略されます。

Sanctusは東方Sanctusは東方教会の聖三祝文に当たり、《イザヤ書》第6章3節と《詩篇》117第25-26節による6世紀成立の連鋳Sanctus、《マタイ福音書》第21章9節による7世紀成立の賛歌Benedictus qui venitに分かれます。Agnusは《ヨハネ福音書》第1章29節により、教皇セルギウス一世(Sergius I, c.650-701)が導入しました。〈死者のためのミサ〉でdona nobis pacemがdona eis requiemになります。Sanctusに似た音楽が付きます。

Credoはニケア公会議(325年)とコンスタンティノープル公会議(381年)で確認されたアタナシウス派の教義の列挙ですが、1014年に教皇ベネディクトゥス八世(Benedictus VIII, c.980-1024年)がミサ曲に導入しました。9世紀に生まれたフィリオクェ(filioque)の追加を初めとして、カトリックとギリシア正教の相違が徐々に大きくなり、1054年に決裂しました。初期の聖歌は記譜法や音構造も類似がありましたが独自の伝統や発展をしました。

中世の写本はCredoを別に扱いましたが、14世紀に固有文に入りました。マショー(Guillaume de Machaut, c. 1300-1377)が固有文を通して多声化してノートルダムのミサ(Messe de Nostre Dame)を作曲しました。中世末期にザッカーラ(Antonio Zacara da Teramo, c. 1350-1413)らが組ミサ(Gloria―Credo)、パワー(Leonel Power, c.1370-1445)らが定旋律を用い五つの詞章を同じ動機で統一した循環ミサを通作しました。

多声音楽の起源の一つとして、ビザンツ聖歌の持続低音や聖歌に対して音程を付け、即興で歌う技術があり、《音楽提要(Musica enchiriadis)》(895年)や《提要解題(Scolica enchiriadis)》(900年頃)に記されます。平行オルガヌムは定旋律(vox principalis)にオクターブ・完全五度・完全四度で対旋律(vox organalis)を歌い、対位法contrapuctusの語源通り、「音符(punctus)に対して(contra)」音を配置して記されました。

グイド(Guido Aretinus, 991-1050)の《音楽小論(Micrologus)》(1026年)には、同音から四度まで開き、平行で移りゆき、同音に閉じてゆく、斜行オルガヌムが記されます。聖歌の旋律から対旋律が独立しだしました。ヨハネス(Johannes Afflighemensis, 1053-1121)の《オルガヌム作法(Ad organum faciendum)》(1100年頃)には斜行・反行・交差が使われる自由オルガヌムが記されます。対旋律は音程関係に従い付されました。

アキテーヌ様式(サン・マルシャル楽派)のメリスマ・オルガヌムでは、下声部(tenor)に聖歌を長く伸ばした持続低音の一音に対して、上声部(duplum)が数音が応じてて、定旋律が引き延ばされ、対旋律が華麗に動きます。ノートルダム楽派のレオニヌス(Leoninus, c.1125-1201)が二声(Duplum)や三声(Triplum)、ペロティヌス(Perotinus, c.1160-1238)は四声(Quadruplum)に拡張して、定旋律が伸ばされ、最低声に置かれました。

声部が増え垂直の音程が大切になり、リズムの統御が必要になり、リズムを分類して配列するモーダル記譜法を生み、一対一(discantus)は行列歌(conductus)、一対多(melisma)はクラウズラ(clausula)となりました。アルス・ノーヴァに進みながら、ケルンのフランコ(Franco Coloniensis, c. 1240-c. 1300)は定量記譜法を構想して、完全分割か不完全分割して短い音を作り、音を高さと長さで絶対的に記譜する方法を完成させました。

ペトルス(Petrus de Cruce, c. 1270-1347)やヴィトリー(Philippe de Vitry, 1291-1361)はラテン語の聖歌を引き延ばして低い声部(Tenor)に定旋律として、高い声部(Triplum)に快活な旋律を同時に歌いました。すると、長く緩やかなラテン語の聖歌の最高声部と細かく速いフランス語の歌曲の最低声部が別れて聴こえてしまうため、間に中間声部(Motetus)を入れたところ、上手く響きがまとまり、多声楽曲のモテットが生まれました。

アルス・スブティリオルにマショー(Guillaume de Machaut, c. 1300-1377)が四声の多声楽曲を作曲して、最上声部(Triplum)・モテット声部(Motetus)・テノール声部(Tenor)・最低声部(Contratenor)となりました。新しい声部(contratenor)が生まれました。アヴィニョン楽派のトレボール(Jean Robert, c.1350-1409)やソラージュ(Jean Solage, c.1350-1403)らは、四声バラードやヴィルレーでリズムを複雑にして半音階も用いました。

また、イタリア半島のトレチェント音楽でも、ランディーニ(Francesco Landini, c. 1325-1397)が三声でバッラータやマドリガルを作り、ザッカーラ(Antonio Zacara da Teramo, c. 1350-1413)が同様に四声で作りました。チコニア(Johannes Ciconia, 1373-1412)は、最低声部(tenor)の上に協和音程を積み上げ、自由に動く最高声部(cantus)の間に対旋律(contratenor)を置き、根音に音程を積み上げる和音が意識されだしました。

イングランドではディスカントゥスが規則化され、定旋律を中間声部(mean)で歌い、完全四度上に最高声部(treble)、中間声部の三度上を移る仮想声部(sight)の完全五度下に最低声部(faburden)を歌いました。すると、三度下にフラットが多く付いた最低声部が生まれ、中間声部と最低声部に半音の食い違い対斜が生じやすく、ルネサンスのイングランド音楽の特長となり、バード(William Byrd, 1543-1623)にまで影響しました。

ダンスタブル(John Dunstable, c.1390-1453)は三度音程や転回形などを好み、ホモフォニックな書法を取り、ディスカントゥスの伝統によりました。三度音程や転回形は音楽をやわらかくまろやかにして、甘美な響きにします。デュファイは1430年代に偽低音(fauxbourdon)を用いだし、最高声部(superinus)の定旋律(cantus firmus)に対して、完全四度下に中間声部(contratenor)を、六度下に最低声部(tenor)を歌い三声化しました。

縦に根音から音程を積み上げ、横に低音が流れて和音が移り変わる和声に気づき、最高声部(superinus)・高い対旋律(contratenor altus)・定旋律(tenor)・低い低旋律(contratenor bassus)で四声化されました。定旋律に束縛されずにバスの流れを対旋律で作るようになり、大陸の完全五度・四度を中心に主音から属音・下属音へ移り、中間声部にイングランドの三度・六度を充填して、主和音・属和音・下属和音が出そろいました。

中世音楽の音程関係から、ルネサンス期に和声進行に拡張され、パラメーターが飛躍的に増加したため、音楽の展開がより自由に複雑かつ多様になりました。バロック期に順次解決や七度音程が一般化すると全て揃います。ルネサンス期に記譜にリズムや小節線が現れ、鍵盤・フレット楽器が普及すると調律法が発達して、全音階に半音階が加わり、旋律が細分化されて緩急法や強弱法を伴う、幻想様式(stylus fantasticus)が生まれました。

多声音楽は旋律を装飾する一対一のディスカントゥスから初まり、徐々に旋律が独立して動くようになり、華麗な旋律を伴うようになり、声楽が器楽に編曲され装飾され、華麗対位法(contrapunctus floridus)にもなりました。ルネサンス時代に対位法の実践から和声法を発見してリズムを導入して、バロック時代には声楽や器楽を問わず、旋律を増やすには、同じ旋律を平行になぞる、違う旋律を任意に加える、旋律群をまとめる方法が考えられます。

デュファイ(Guillaume Dufay, 1397-1474)は最高声部が細かな音で動き、テノールにゆるやかな定旋律を置き、フォーブルドンで声部をなぞり、カノンやフーガなどで声部をずらして、最低声部により和声の流れを生みました。オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410-1497)は既存の多声音楽を分解して声部に旋律を散りばめるパラフレーズを始め、メンスーラ記号の比率(prolatio)を変え、拡大・縮小カノンを用い、高度な対位法を用いました。

ジョスカン(Josquin Desprez, c. 1450-1521)は、短い句を追いかけるカノンに加え、任意の長い旋律をずらして歌い、四声を同じ素材で組むことに成功して、テノールの定旋律から自由になり、通模倣様式を完成させました。北方フランドルのオブレヒト(Jacob Obrecht, 1457-1505)やラリュ(Pierre de la Rue, 1452-1518)らは、トゥルネーのミサのような深みのある低音にカノンの転回や逆行、拡大や縮小など高度な対位法の技法を好みました。

定旋律を分解して素材として用いるため、旋律の断片や母音から定旋律を作る遊び(soggetto cavato)や任意の六つの音(Hexachordon)など、限られた要素からでも、ミサ曲のような長大な作品を構成するとができました。ルネサンス盛期にはイザーク(Heinrich Isaac, c.1450-1517)などが、聖歌や民謡を各声部に散りばめたパラフレーズミサ、既存の多声楽曲(モテット・シャンソン・マドリガル・バスダンスなど)を転用した模倣ミサが多く生みました。

ヴェネツィア楽派ヴィラールト(Adrian Willaert, c.1490-1562)らは分割合唱(cori spezzati)を初め、複数の群でステレオ効果を生み、器楽で協奏様式(stile concertato)に応用されて、管弦楽法の基礎となりました。ルネサンス末期には分割合唱に通奏低音が金管楽器やオルガンなど、世俗歌曲では合唱や旋律にリュートやヴィオールなどで伴奏されながら、低音の流れが和声の構造を決めるようになり、通奏低音の発想が生まれました。

また、ビウエラ・リュート・ヴィオール・鍵盤楽器など、純粋な器楽でも、声楽を編曲するとき、ある旋律のある音から初め、低弦は長い音価、上声は短い音価で変奏(diminution)して、声部を増やして、和声を豊かにしました。フィレンツェのカメラータを代表するカッチーニ(Giulio Caccini, c.1545-1618)やダウランド(John Dowland, 1563-1626)のリュート歌曲は、最上声の声楽による旋律に下三声が三和音にシステム化されたモノディ様式です。

ヴェネツィア楽派を代表するガブリエリ(Giovanni Gabrieli, 1554-1612)らは、合唱と調和した管弦楽法を発展させ、バロック音楽の基礎を形成して、アリアと合唱や舞曲を配置して、オペラなど大規模の作品が生まれました。中世末期に低音主題によるバスダンスが生まれ、声楽の通模倣様式を取り入れ、ルネサンス期にリズムが組み込まれ、舞曲となりグラウンド・ロマネスカ・パッサカーユ・シャコンヌなど変奏手法も通奏低音の発展に寄与しました。

西洋音楽は根音・三度・五度・七度の音程を用い、リズムやバスを保つ低声に三和音を変形して和声を構成する四声を基礎として、交響曲も四声に還元でき、四声を旋律に組み込んだ鍵盤楽曲や独奏楽曲も作られました。ルネサンス期に平行和声(Gymel)や重音奏法で声部の音量が増強され、旋律が装飾されました。バロック時代の通奏低音から助奏声部(obbligato)をなし充填して和声を与え、対位法を構成する手法に引き継がれました。

分割合唱(cori spezzati)の方法は、大編成(ripieno)と小編成(concertino)、合奏(tutti)と独奏(solo)の対比技法やエコー技法(Sequenz)などに引き継がれ、管楽器と弦楽器などパートの交換や応答になりました。初期バロックのモノディ様式は、声楽を器楽に置き換え器楽ソナタになり、通奏低音から助奏声部(obbligato)を内声を生み出しトリオソナタになり、対旋律を当てがい四重奏になり、声部のパートに振り分け交響曲になります。

横に旋律が流れながら、縦に通奏低音の上に和声が流れていましたが、後期に縦のホモフォニックな響きやリズム音型が独立して、通奏低音を必要としなくなり、声部間で旋律を交換したり、和声外音で旋律を円滑にしました。前期古典派に近づくと実際にそうした編成の拡大が見られ、同じ旋律を弦楽器と管楽器に分けたり、ディヴィジ(Divisi)で声部を増やした結果、マンハイム楽派・ウィーン古典派・ロマン派音楽の交響曲にまで引き継がれました。

西洋音楽の根幹となる記譜法は中世、対位法はルネサンス、和声法はバロック、管弦楽法は古典派音楽で発達しました。古楽の豊富なコレクションにアクセスして、実作から作曲法の規則に従わない多くの実例が知られます。対位法の極致として、北方フランドルの低音重視による安定した渋い響き、バロック時代にルネサンスの多声音楽を追究し続けたポルトガルのエヴォラ大聖堂楽派の緻密で流麗な高度な技法などが見られて実際は多彩でした。

対位法の規則には、厳格(同度の主題応答)、自由(旋律の音程変化)、変格(跳躍の音程変化)、反行(上行下行の反転)、拡大(音価の長倍変更)、縮小(音価の短倍変更)など模倣の種類や係留の技法がありますが、多声音楽が極致に到達したルネサンス音楽は、対位法の教科書に書かれている規則で書かれている作品が実はほとんどなく、音楽家は自分が知り得た色んな作品を研究して、職人の経験により自由に書いたことが分かります。

記譜法は音の長さと高さをどう表すか、対位法は旋律をどう組むか、和声法は響いている音が次にどう移るか、管弦楽法は声部や楽想のどうまとめるが大切で面白い音楽は常に和声・拍感・音量・音色など変化が感じられます。バロック音楽の通奏低音や数字付き低音は、長短三度を伴う三和音を同主調や平行調に変形して、根音と音程の関係を基礎として、調性・音程・転回だけでシンプルに表現して、和声進行をシステム化した緻密な記譜です。

機能和声はドミナントに支配された調性音楽でしか通用しませんが、実際には中世・ルネサンスの調性が意識される以前の旋法音楽やドメニコ・スカルラッティの絶妙な遠い調への転調など機能和声を逆手にとる作品が多いです。特にフランスのリュートやクラヴサン音楽や大バッハは係留を好み、或る音を残して次の響きに移り、連続的に和声が進んでゆきますことは、和声法がルネサンスの多声音楽に使われた対位法の中で育ちました名残りともいえます。

大バッハは《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》(1722年)の表紙に全音(Tone)と半音(Semitonia)、長三度[ド―ミ](tertiam majorem)と短三度[レ―ファ](tertiam minorem)を全て用いた前奏曲とフーガと書き記しました。スカルラッティが好んだ数小節だけ短調になり長調に戻り、遠隔調に進むことは、機能和声の臨時記号を伴う規則より、主和音の三度の音程に着目して長調や短調を行き来して、根音に着目して自然に転調したことを示します。

長音階がドから始まるイオニア旋法、短音階がラから始まるエオリア旋法とされたルネサンス期から、根音と三度の距離が音階を決定することが知られ、転調に際して臨時記号の数より、音程関係を主としたことが実情に近いです。長音階や短音階は五度毎に上下すると音の列を保ち、臨時記号を増やし、属調や下属調へ転調でき便利でした。コルトレーンは(John Coltrane, 1926-1967)長三度毎に上下する転調から、新しい調性空間をなしました。

また、古典派音楽はホモフォニーの書法とされますが、実際はルネサンス・バロック音楽と経て、横の流れから縦の響きに徐々に移行する中で対位法を和声法で再解釈しており、ポリフォニーの構造が和声に織り込まれています。実際にマンハイム楽派や初期ウィーン古典派の交響曲や弦楽四重奏曲は伝統的にSinfonia à 4と書かれており、四つの楽器ではなく四つの声部と指定されます。実際の演奏でも声部の受け渡しの円滑な流れが感じられます。

ルネサンス期に声楽で培われたカノンなどが、器楽の旋律の模倣となり、エコー効果など調や音の高さを変えた繰り返しを生みました。ブラームスは模続進行(Sequenz)が単調に陥らないような工夫が肝要であると考えていました。例えば、ロシアのピアニストのウラディミール・ソフロニツキーは緩急や強弱を巧みに変え、モダンジャズでソニー・ロリンスが同じフレーズを即興で繰り出すとき、リズムに早乗りまたは遅乗りして、絶妙な速度感・和声感で処理しました。

音楽は楽譜に書かれた音のみならず、前に発せられた音が漂い、次に発せられる音と混ざり遠近が生まれます。例えば、単旋律聖歌は反響で荘厳になり、チェンバロの音が発せられる瞬間の立ち上がりの響きも味わい深いです。和声を構成する核音と装飾する外音は強拍と弱拍の関係に対応して、通常は拍の繰り返しの中で一致します。三拍子がまとまり大きな二拍子に聴こえるヘミオラ、拍をずらしたシンコペーションなどは特殊なリズムによる手法です。

音楽は言語と同じく、和声核音(根音・三度・五度・七度)は母音、和声外音(先取音や前打音)は子音に対応して、音楽にも和声を成すまでの立ち上がりがあり、旋律の音程関係に絶妙な陰影が生じて、情感が深まります。西洋言語は母音に対して子音が強く、南のロマンス語派より北のゲルマン語派の方が強いため、強拍と弱拍の関係が切り立つ音楽表現が好まれ、北ドイツオルガン楽派で半音進行や幻想様式による峻厳な作が生まれました。

中世の定量記譜法で色(color)が付いた音符が短い音価(音の長さ)で弾かれたことに由来する北方のコロリストたちが声楽をオルガンで装飾して演奏しましたが、ルネサンス期に和声を旋律に埋め込む発想に受け継がれました。バロック期には、器楽が声楽に影響して発声などの技巧が増して、コロラトゥーラ歌手が生まれましたが、跳躍音型を用いることにより、旋律が一本でも三度や五度を補いながら、疑似的に多声部が聴こえ、遠近感が深まりました。

楽譜では垂直に一致してホモフォニックに書かれていても、実際には和声を構成する音の入り方や強さなど微妙にずれが生じて複雑な和声となり多彩になることから、楽譜に書かれた音ではなく、実演されて初めて音楽になります。例えば、リュートやチェンバロの和声を砕いたブリゼ奏法(style brisé)や音を不均一して揺らぎと経過和声を与えるイネガル奏法(notes inégales)やアーティキュレーションなども、言語の発音が音楽の表現に直結する好例です。

対位法の規則や和声法の種類を列挙するのではなく、構造主義・公理主義・形式主義のように限られた操作を公理として、数多くの定理を導き、色んな和声を生み出すような発想が、実際の作曲でも演奏でも役に立ちます。記譜されたあらゆる地域や時代の音楽に共通する基礎、即ち、縦に積み上げる音の関係(もしくは楽器同士の関係や和音的音程)、また、旋律を生んだり重ねる関係(もしくは時間推移の関係や旋律的音程)に帰着できます。

また、音楽は絶対的な音の長さや高さではなく、相対的な関わりや並べ方に意義があります。人間は前と今と後の差を感じて生きておりますから、人間の思考に沿い、音楽の変位を追うことで音楽の構成が自然に感じられます。また、歴史も徐々に移行しながら蓄積され、ある瞬間に新しい観点で再解釈され相転移して革新されてきました。音楽を絶対的に分析するではなく、相対的に追跡して、微分的で積分すると部分と全体を同時に把握できます。

西洋音楽は感性で創造した着想の蓄積を知性で観察して高度に構成して洗練しされてきた総体ですから、記譜法・構成法・対位法・和声法の規則になり、論理を突きつめてゆくことが、感性を高めてゆくことになるといえます。大バッハの偉大さは限られた音符や休符の分割(音の長さ)、音階や音程の関係(音の高さ)、和音や和声、旋律や音型、緩急法・強弱法などを高度に抽象的な操作で構成できることを実作を通じて後世に残したからです。

カンタータ群は管弦楽法、ミサ曲ロ短調は構成法、コラール群は声楽対位法、 平均律クラヴィーア曲集は和声法、 ゴルトベルク変奏曲は低音変奏、無伴奏作品は器楽対位法、フーガの技法は純粋対位法などを示します。対位法から和声法が生まれた音楽の変遷に従い、構造を一つずつ積み上げ、実作を大量に調べてゆくと、作曲や演奏で応用が利き、瞬時に音楽の構造のまとまりが見え、意味のつながりを見つけられるように応用が利きます。

文章と同じく、語単位(音符)、複語単位(音型)、文単位(旋律)、段落単位(楽句)、章単位(楽章)、書籍単位(作品)で捉えると、作者・地域・時代により特有の書き癖や訛りが感じられ自然なニュアンスが分かります。西洋音楽は西洋言語とにており、先ずは主題を提示してから、修飾や変奏などを重ねて意味をより明瞭にしてゆき、様々な調性や音型を使い、クライマックスを生み、最後には帰結に入ると主題に戻るような構造が多いです。

特に異なる文化を扱うとき、知らずのうちに自らの思考が干渉するきらいがありますが、実例を大量に集め、自分で法則を見つけ、楽曲や和声の構造を歴史で追跡することにより、自然と感性がオリジナルに近づいてゆけます。また、大量の資料や事実に関係性を見つけ、師弟の関係、技法の継承、様式の変遷など、点と点を結びながら、線と線が絡みながら、事実をマッピングすると、系譜を構築することにより、文化の伝統を効率よく把握できます。

西洋音楽に以上の系譜学的な発想を適用すると、究極では、古代から現代まで緻密に世代ごとに音楽の構造や書法を追跡して検証して微小変化を確認してゆき、西洋音楽という伝統を積分して総体として構成できます。以下の通り、例えばミサ曲など特定の楽曲と中世のオルガヌムやモテット、ルネサンスの多声世俗音楽や器楽演奏、バロック時代のアリアや管弦楽曲などとの関連を確認することにより、音楽全体の構造を感じることができます。

ミサ曲にみる楽曲構造や作曲技法の変遷

・古ローマ聖歌・モザラベ聖歌・アンブロジオ聖歌・アンブロジオ聖歌など、朗唱やメリスマが長く、東方聖歌に近い聖歌(10世紀以前)やグレゴリオ聖歌の固有文を集合したミサ詞章(10-11世紀・Kyriale)

・ウィンチェスター・トロープス集(1043年・Winchester Troper)、アキテーヌ地方のメリスマ・オルガヌム(12世紀)など、初期多声音楽の平行・斜行・自由・メリスマ・オルガヌムで多声化されたミサ詞章

・ノートルダム楽派のレオニヌス(Leoninus, c.1125-1201)、ペロティヌス(Perotinus, c.1160-1238)など、メリスマ・オルガヌムにモード・リズムの導入して声部や規模を拡大して多声化されたミサ詞章

・アルス・ノーヴァに多声書法が西欧各地へ広まり、スペインのラス・ウエルガス写本(1319-33年)の定量記譜への過渡やイングランドのウースター断片(1310年頃)のディスカントゥス様式などによるミサ詞章

・ゴシック時代のトゥルネーのミサ(1349年・Missa Tornacensis)、バルセロナのミサ、トゥールズのミサ(14世紀中頃)など、複雑化したリズムを取り入れ多声化して写本群で個別に記録されたミサ詞章

・マショー(1364年・Messe de Nostre Dame)のアルス・スブティリオル期における二重導音終止・アイソリズム・ホケトゥス・カノンなどの作曲技法を集大成して、固有文を多声化した史上初の通作ミサ曲

・ザッカーラ(Gloria ''Micinella''・Credo "Du Vilage")、チコニア(Gloria: Spiritus et alme)、イングランドのオールドホール写本(1412-21年)など、カノンやディスカントゥス様式で多声化した組ミサ

・パワー(1430年頃・Missa Alma redemptoris mater)、ダンスタブル(1430年頃・Missa Rex seculorum)の冒頭動機(motto)を一致させ、定旋律をテノールに配置して通作した循環ミサ曲

・ランタン(1440年頃・Missa O pulcherrima)、フライ(1468年・Missa Flos Regalis)など、アルス・スブティリオル、トリチェント音楽、英国様式(contenance angloise)などの融合を試みたミサ曲

・デュファイ(1451年・Missa Se la face ay pale)、ビュノワ(1474年・Missa O Crux lignum triumphale)など、任意の旋律を定旋律(cantus firmus)をテノールに配置したブルゴーニュ楽派の定旋律ミサ曲

・ロイゼ・コンペール(1484年・Missa Galeazescha)など、フランドル楽派のフランスのシャンソンやイタリアのフロットーラなど、世俗歌曲を転用してクォドリベッドや自由モテットを固有文に対応させたミサ曲

・オケゲム(1487年・Missa cuiusvis toni)、ジョスカン(1502年・Missa La sol fa re mi)など、母音から作る旋律(soggetto cavato)や音階(Hexachord)など任意の素材を構成した自由ミサ曲

・バルビロー(1490年頃・Missa Faulx perverse)、ピプラール(1500年・Missa l'Homme Armé)、ラリュー(1503年・Missa de septem doloribus)など低音を重視した北方フランドル地方のミサ曲

・アグリコラ(1492年頃・Missa Je ne demande)、ルドフォード(1520年頃・Missa Videte Miraculum)など、平行和声(Fauxbourdon)や模続進行(Sequenz)など、和声的書法で多声化したミサ曲

・オブレヒト(1503年・Missa Malheur me bat)など、既存の旋律を断片化してカノンで構築したり、イザーク(1500年・Missa de Apostolis)など長い聖歌や民謡を各声に散りばめたパラフレーズ・ミサ曲

・ジョスカン(1515年頃・Missa Pange lingua)、ゴンベール(1530年・Missa Sur tous regretz)など、限られた素材と高度なカノンやフーガなど純粋な対位法の技法で多声化された通模倣様式のミサ曲

・ブリュメル(1516年・Missa En l'ombre d'un buissonet)、モラーレス(1535年・Missa Mille Regretz)など、モテットやシャンソンなど既存の多声音楽の構造を転用また拡大して構築した模倣ミサ曲

・タヴァーナー(1528年頃・Missa Gloria tibi trinitas)、バード(1591年・Mass for three voices)など、平行和声(Gymel)により対斜などの効果により、ホモフォニーに多声化されたテューダー朝のミサ曲

・ヴィラールト(1536年・Missa Christus Resurgens)、ローレ(1555年頃・Missa Praeter rerum seriem)など、ヴェネツィア楽派の分割合唱(cori spezzati)で声部の群を構築する発想によるミサ曲

・カーヴァー(1546年頃・Missa Dum sacrum mysterium)、タリス(1554年・Missa Puer natus est nobis)など、旋律をパラフレーズして四声を作り、声部の群をパラフレーズして声部を増やしたミサ曲

・ペニャローサ(1510年頃・ Missa Nunca fué pena mayor)、カベソン(Antonio de Cabezón, 1510-1566)など、スペイン黄金時代の金管楽器・鍵盤楽器・ビウエラ・リュートなど器楽編曲されたミサ曲

・パレストリーナ(1590年・Missa Æterna Christi munera)、アレグリ(1640年頃・Missa Vidi turbam magnam)など、和声進行に注意を払い、不協和音を避けた透明な和声によるローマ楽派のミサ曲

・ビクトリア(1592年・Missa O Magnum Mysterium)、アロンソ・ロボ(1602年・Missa simile est regnum)など、対位法の禁則を破り、調性音楽に傾き、不協和音や分割合唱などを取り入れたミサ曲

・ラッソ(1583年・Missa Bell' Amfitrit' Altera)、マレンツィオ(1596年・Missa super iniquos odio habui)など、世俗音楽のマドリガルなどを研究した音画技法・半音進行など劇的な技法によるミサ曲

・ストリッジョ(1567年・Missa sopra Ecco sì beato giorno)、ベネヴォリ(1656年・Missa Azzolina)など、分割合唱に器楽伴奏を伴う協奏様式(concertato)によるフィレンツェやヴェネツィアのミサ曲

・ローボ(1639年・Missa Vox clamantis)、カルドーゾ(1625年・Missa Miserere mihi Domine)、マガリャアエス(1639年・Missa O Soberana Luz)など、エボラ大聖堂楽派の精緻な技法のミサ曲

・モンテヴェルディ(1610年・Missa In Illo Tempore)、フレスコバルディ(1630年頃・Missa sopra l'aria di Fiorenza)などバロック音楽(第二作法)の音楽家がルネサンス様式(第一作法)で書いたミサ曲

・アッバティーニ(1627年・Missa sexdecim vocibus concinenda)、ベルターリ(1660年頃・Missa Redemptoris)など、初期バロックの音楽家が協奏様式で分割合唱に通奏低音を融合したミサ曲

・カリッシミ(1653年・Missa Sciolto havean dall'alte sponde)の大編成(ripieno)と小編成(concertino)の対比、レグレンツィ(1654年・Messa)の助奏(obbligato)などバロック音楽を完成させたミサ曲

・ブクステフーデ(1675年頃・BuxWV 114・Missa brevis à 5)・カンプラ(1699年・Missa Ad majorem Dei gloriam)など、北ドイツ楽派のヴェルサイユ楽派と盛期バロック期に厳格様式で書かれたミサ曲

・シャルパンティエ(1702年・H.11・Missa Assumpta est Maria)・ムファット(1678年・Missa in labore requies)など、フランスとイタリアの語法を融合して増減音程や掛留で経過和声を豊かにしたミサ曲

・ビーバー(1682年・C App. 101・Missa Salisburgensis)など大規模で壮麗な、フックス(1713年・Missa Corporis Christi)など四声体に助奏や通奏低音の静謐で対照的なハプスブルク宮廷のミサ曲

・バッサーニ(1709年・Missa alla Fuga)など厳格対位法による合唱を器楽の伴奏で模倣する劇的な、ロッティ(1718年・Missa sexti toni)など古様式による透明な和声など対照的なヴェネツィアのミサ曲

・アレッサンドロ・スカルラッティ(1720年・Messa di Santa Cecilia)、カルダーラ(1729年・Missa Laetare)など、管楽器と弦楽器を対比させ楽器群を統御した古典派音楽の礎となる管弦楽法によるミサ曲

・ルベーグ(1678年・Livre d'orgue II)、レゾン(1688年・Livre d'orgue)、クープラン(1690年・Messe pour les couvents)、グリニー(1699年・Livre d'orgue)など、フランスのオルガン楽派によるミサ曲

・ヴィヴァルディ(1716-20年頃・RV 587・Kyrie、RV 589・Gloria、RV 591・Credo)、ヘンデル(1706年・Gloria) など、北イタリアで発達した前期古典派音楽に近い音型や和声による管弦楽付きアリアや合唱によるミサ曲

・ゼレンカ(1740年・Missa Dei Patris)、ハイニヒェン(1726年・SeiH 5・Missa Nr. 9)など、ドレスデン宮廷で発達したウィーン古典派を予感させるリズム語法や緩急法や強弱法による管弦楽法のミサ曲

・テレマン(1700年頃・TWV 9:14・Missa brevis)、ペルゴレージ(1734年・P.47・Messa di Sant' Emidio)など、前期古典派のギャラント様式のゼクエンツや同じリズム音型を繰り出して転調しながら展開してゆくミサ曲

・大バッハ(1749年・BWV 232・Messe in h-moll)の作曲技法を集大成した壮麗な、ドメニコ・スカルラッティ(1754年・Missa quatuor vocum)の厳格対位法を礎にしたシンプルで静謐な対照的なミサ曲

・ファッシュ(1730年頃・Fwv G:B1・Missa brevis)、ハッセ(1783年・Missa ultima)など、オペラやアリアなど世俗音楽の豪快で壮麗な管弦楽法や感情を高揚させる声楽を多分に用いたホモフォニー書法によるミサ曲

・シュターミッツ(1755年・Missa solemnis)、ブリクシ(1760年頃・Missa Pastoralis)など、マンハイム楽派やボヘミアで流行した強弱法や遠近法、ため息音型や分散和音の上昇など装飾が豊かなミサ曲

・ハイドン(1799年・Hob XXII:12・Theresienmesse)、モーツァルト(1780年・KV 337・Missa solemnis)など、音色を活かした多彩な管弦楽法で優雅な伴奏で書かれたウィーン古典派様式のミサ曲

・サリエリ(1788年・Hofkapellmeistermesse)など、前期ロマン派のベートーヴェン(1823年・Missa solemnis)やシューベルト(1822年・D 678・Messe Nr. 5)に継承される完成された管弦楽法のミサ曲

※古代から近代で時代が降るごとに小さな変遷を重ね、大きな転換を迎え、様式を変えながら、歴史を重ねたことが分かります。実作で系譜や伝統の変遷を追い、あらゆる手法や様式を感じることが可能です。

2016年10月9日

古ローマ聖歌(Cantus Romanum)
Kyrie(1071年・CH-CObodmer 74, 116r)

古ローマ聖歌の〈キリエ(Kyrie)〉は、6世紀のグレゴリオ1世の典礼に遡り、1071年の写本(CH-CObodmer 74, 116r)で伝わります。

382年にダマスス1世はローマ会議でローマ典礼を基礎づけ、東方教会典礼(シリア聖歌やビザンツ聖歌)を導入しました。簡素で周期的な旋律が、ビザンツ式低音と絡みながら、独特な陶酔を生み出して、東方典礼の地中海的性格を多分に感じさせます。イタリア半島に東方典礼を導入した北部のアンブロジオ聖歌(386年)や南部のベネヴェント聖歌(607-1058年)とも相関します。

• Bruno Stäblein (1970). Die Gesange des altromischen Graduale Vat. lat. 5319, Kassel: Bärenreiter.
• Thomas Forrest Kelly (1989). The Beneventan Chant, Cambridge: Cambridge University Press.
• David Hiley (1995). Western Plainchant: A Handbook. Oxford: Clarendon Press.

CH-CObodmer 74, 116r

モザラベ聖歌(Cantus Mozarabicus)
Gloria(1060年頃・E-L MS. 8, 297v)

モザラベ聖歌の〈グローリア(Gloria)〉は、1060年頃の写本(E-L MS. 8, 297v)で伝わります。589年に西ゴート王レカルド1世がアタナシウス派になり、633年に第四トレド会議で聖イルデフォンソらが典礼を整備しました。

7世紀にトレドで使用された《聖務日課用聖歌集(Antifonarium)》に由来する簡素な旋律で静謐な雰囲気が生まれ素晴らしいです。711年からウマイヤ朝下でも存続しましたが、1085年にカスティーリャ王国に編入され、ローマ典礼が主になり姿を消しました。

• José Alvarez Miranda (1928). Antiphonarium Mozarabicum de la Catedral de León, Burgos: imprenta Aldecca.

E-L MS. 8, 297v

アンブロジオ聖歌(Cantus Ambrosianus)
Kyrie(Antiphonale Missarum 629・GB-Lbl Add. MS 34209)

アンブロジオ聖歌の〈キリエ(Kyrie)〉(Antiphonale Missarum 629)は12世紀の交唱集(GB-Lbl Add. MS 34209)によります。313年にローマ帝国のミラノ勅令でキリスト教が公認され、386年頃に聖アンブロジウスがシリア聖歌の交唱(antiphona)を導入しました。

聖アウグスティヌスは《告白(Confessiones)》第9巻7章15節に東方教会の流儀により、賛美歌と詩篇を歌うと定めたことを記しました。キリエはアンティオキアの聖ヨハネス・クリュソストモスの連鋳に由来して、旋律の動きが少なく、祈祷が音楽になる初めの形です。

アンブロジオ聖歌(Cantus Ambrosianus)
Gloria(Antiphonale Missarum 604・Graduale Romanum 793)

アンブロジオ聖歌の〈グローリア(Gloria)〉(Antiphonale Missarum 604)はグレゴリオ聖歌(Graduale Romanum 793)によります。メリスマで節の終わりの母音を延ばした素朴な旋律が、東方聖歌を偲ばせます。バシリカ様式に適した交唱型式により構成されます。

聖アンブロジウスの権威により伝承されまして、グレゴリオ聖歌が欧州全体に普及してからも、ミラノの大聖堂で歌い継がれました。現存するアンブロジオ聖歌の旋律は、グレゴリオ聖歌に構造や記譜まで影響され、中世の窓を通して覗くほどですが貴重な遺産です。

Gregorio Maria Suñol (1935). Antiphonale missarum juxta ritum sanctae ecclesiae mediolanensis, Roma: Typis Soc. S. Joannis Evangelistae, Desclée et Socii.

グレゴリオ聖歌(Cantus Gregorianus)
Kyriale VI(10-11世紀・Kyrie rex genitor・I-BV 34, 274-288v)
Credo I(11世紀・F-RSm Ms 264, 105r)

Kyrieは第7旋法です。10世紀からボヘミアなど東欧で伝えられました。

753年にカロリング朝ピピン3世がメッス司教クロデガングがローマに派遣して典礼を研究して、ガリア・ケルト聖歌を加味して整備しました。

789年にハドリアヌス1世からシャルルマーニュが典礼を受け、スコットランド修道士がヴァイキングの襲来で移住してケルト聖歌も入りました。ヨークのアルクィン、メッスのアマラリウス、ザンクトガレンのノートカー、ランのオゲルス、クリュニーのオドらが、聖歌を整備しました。

シャルトルのフュルベール(Fulbertus Carnotensis, 952-1028)がトロープス(tropus)を作りました(Kyrie, rex genitor ingenite, vera essentia eleison. Kyrie, qui nos tuae imaginis signasti specie eleison.)。ベネヴェント写本(11-12世紀・I-BV 34, 274-288v)で伝わります。

Gloria(10世紀)は第8旋法です。ミクソリディア旋法(第7・8旋法)は明るいです。教会旋法はフクバルド(Hucbaldus Elnonensis):《音楽教程(De harmonica institutione)》(880年頃)、グイド(Guido Aretinus, 991-1050):《音楽小論(Micrologus)》(1026年)によります。

終止音(finalis:D. protus・E. deuterus・F. tritus・G. tetrardus)と音域(ambitus:正格 authenticus・変格 plagalis)で分けました。ソレム唱法では、自由リズムにより、無限に旋律が流れるようネウマ譜を解釈して、刺激(ictus)により感興が上昇と下降を繰り返して進みます。

Sanctus(11世紀)は第3旋法です。フリギア旋法(第3・4旋法)は浮遊するような感覚が独特です。6世紀に前半(Sanctus:《イザヤ書》第6章3節・《詩篇》第117章25-26節)、7世紀に後半(Benedictus:《マタイ福音書》第21章9節)が成立しました。

ドリア旋法(第1・2旋法)は厳粛で平穏、Fに#が付き短調、リディア旋法(第5・6旋法)は流麗で快活、Hに♭が付き長調になります。雅楽の律旋はドリア旋法(黄鐘調 A・盤渉調 H・平調 E)、呂旋はミクソリディア旋法(壱越調 D・太食調 E・双調 G)に対応します。

Agnus Dei(11世紀)は第8旋法です。7世紀にローマ教皇セルギウス1世(Sergius I, c.650-701)が《ヨハネ福音書》第1章29節から導入しました。Sanctusと旋律の要素を共有して連続することが多いですが、Agnusは簡素な旋律の動きが少なく、瞑想的な雰囲気を湛えております。

また、初期の聖歌には旋法に即しますが、後期の聖歌には調性が強くなりました。グレゴリオ聖歌は時代や地域により多様になりました。9-14世紀に単旋律聖歌は拡張されて、中世にトロープスやセクエンツィアから多声化が進みまして、オルガヌムやモテットが生まれました。

I-BV 34, 285v-286r

グレゴリオ聖歌の〈クレド第1番(Credo I)〉(11世紀)は第4旋法です。Credoはニカイア公会議(325年)とコンスタンティノープル公会議(381年)で確認した古い教義の一覧ですが、ミサ通常文への導入は遅く、写本でも別の場所に書かれております。ランス写本(13世紀・F-RSm MS 264, 105r)で伝わります。

6世紀にローマ教皇シンマクス(Symmachus, c.450-514)がGloriaを導入しました。1014年にベネディクトゥス8世(Benedictus VIII, c.980-1024)がCredoを導入して、14世紀にミサに組み入れられました。Credoは朗唱により信条を確認することが重要で使徒書や福音書の朗読と同じように節を付けて歌われます。

ニカイア信条とコンスタンティノポリス信条は、《ヨハネ福音書》第15章26節により、ギリシア語で書かれました。9世紀にラテン語の翻訳で「出て行く(ἐκπορεύομαι)」に「子より出て(Filioque procedit)」と加えたため、神学的に対立して、1054年にローマとビザンツの東西教会が分裂する契機にもなりました。

ローマ教皇は北方のフランク王国(カール大帝)と関係を深め、東方のビザンツ帝国やコンスタンティノープル総主教と関係が薄れてゆき、典礼も異なりゆきました。共通言語も東西でギリシア語とラテン語で異なりました。

Kyriale
• Jean de Valois (1953). Chant grégorien, Paris: Presses universitaires de France.
 水嶋良雄:《グレゴリオ聖歌》(東京:白水社,1999年)
• Jan W. A.Vollaerts (1958). Rhythmic proportions in early Medieval ecclesiastical chant, Leiden: E. J. Brill.
• Gregory Murray (1963). Gregorian Chant according to the Manuscripts, London: L. J. Cary.
• Eugène Cardine (1970). Sémiologie grégorienne, Solesmes: Abbaye Saint-Pierre.
 水嶋良雄:《グレゴリオ聖歌セミオロジ》(東京:音楽之友社,1979年)

Rylands Greek Papyrus 6(6世紀・最古のパピルス写本)
F-RSm MS 264, 105r

2016年10月10日

グイド・ダレッツォ(Guido d'Arezzo, 991-1050)
聖ヨハネ賛歌 Ut queant laxis(1033年・Epistola de ignoto cantu directa)

グイドの賛歌〈汝の僕が(Ut queant laxis)〉(第2旋法)です。パウルス・ディアコヌスの詩をソルミゼーションしました。ヘクサコルド(C - D - E - F - G - A)による言葉の先頭からut, re, mi, fa, sol, la、聖ヨハネ(Sancte Iohanes)からsiになりました。

グイドが修道士ミカエルに宛てた書簡《知らない聖歌の歌い方(Epistola de ignoto cantu directa)》(1033年)が初出です。イタリアでは1536年にピエトロ・ダレッツォが主音(dominus:do)に代えましたが、フランスでは音名(ut)が今でも使われます。

F-Pnm Latin 7211, 99v

宮崎晴代:〈中世のソルミゼーションにおける 《Ut queant laxis》と《Trinum et unum》〉(《武蔵野音楽大学研究紀要》50: 117-136,2019)

グイドの手(1271年・Practica artis musice)
アメルス(Amerus):《音楽芸術実践(Practica artis musice)》(1271年)に初出する聖歌を暗記する方法です。

I-MC 318, 291r(Abbazia Benedettina di Montecassino, Biblioteca Abbaziale)

2016年9月26日

現存最古の多声音楽実例 Sancte Bonifati martyr(910年頃・GB-Lbl Harley 3019, 56v)

現存最古(910年頃)の多声音楽実例〈殉教者聖ボニファティウス(Sancte Bonifati martyr)〉(GB-Lbl Harley 3019, 56v)です。グレゴリオ聖歌(アンティフォナ)が示され、54秒から多声化されて歌われます。主旋律(Vox principalis:聖歌)に対旋律(Vox organalis:装飾)を一対一で配します。

対位法(contrapunctus)の語源は、ラテン語「点対点(punctus contra punctum)」です。中世音楽理論書《音楽提要(Musica enchiriadis)》(895年)の平行(主旋律と同じ動きでなぞる対旋律)とグイドの《音楽小論(Micrologus)》(1026年)の斜行(主旋律の動きに対し、同音程を保ち進む対旋律)が併用されますが、反行(主旋律の動きと逆に動く対旋律)はまだ見られないです。

GB-Lbl Harley 3019, 56v


ウィンチェスター・トロープス集 Winchester Troper(1043年・GB-Cccc MS 473, 164v)
〈アレルヤ、我らが過越の子羊(Alleluia. Pascha nostrum)〉は、《シャルトル写本(Manuscrit de Chartres)》(11世紀)の同曲(F-CHRm 130, 50v)より、メリスマ装飾が多く、旋律がより複雑です。

GB-Cccc MS 473, 164v

アキテーヌ地方(12世紀)
Jubilemus, exultemus(F-Pnm Latin 1139, 41r)

アキテーヌ地方(12世紀)のメリスマ型オルガヌム〈喜ぼう、祝おう(Jubilemus, exultemus)〉(F-Pnm Latin 1139, 41r)です。シャルトルでプラトン研究が進み、中世スコラ学の基礎をなし、多声音楽がより発達しました。

自由オルガヌムは《オルガヌム作法(Ad organum faciendum)》(1100年頃)では、平行・斜行・反行を複合して説明され、一対一の自由オルガヌムに一対多のメリスマ装飾を施し、対旋律が独立して動くようになりました。

欧州全土にスペイン北西(ガリシア地方)のサンティアゴ・デ・コンポステラへ巡礼路が発達して、フランスから《カリクストゥス写本(Codex Calixtinus)》が運ばれ、メリスマ型オルガヌム〈全能なる創り主(Cunctipotens genitor Deus)〉が知られます。

F-Pnm Latin 1139, 41r

アルベルトゥス(Albertus Stampensis, 1116-1177)
Congaudeant catholici à 3(1137年・E-SC s.s. (Codex Calixtinus), 214r)

アルベルトゥスの三声コンドゥクトゥス〈皆で喜ぼう、カトリック信者たちよ(Congaudeant catholici)〉(1137年・E-SC s.s., 214r)は史上初の三声作品です。

ノートルダム大聖堂のアルベルトゥスはレオニヌスの前任者とされます。音程の変化が少なく古風です。細かな装飾が抑えられ、和声が静謐に響きます。

E-SC s.s. (Codex Calixtinus), 214r

2016年10月10日

アキテーヌ様式のオルガヌム
Kyrie: Cunctipotens genitor Deus à 2(1137年・E-SC s.s. (Codex Calixtinus), 219r)

Kyrie: Cunctipotens genitor Deus à 2F-Pnm Latin 1112, 257r06:00

ノートルダム様式のオルガヌム
Graduel: Viderunt Omnes à 2(I-Fl MS Pluteus 29.1, 99r-100v)
08:15

Alleluia: Dies Sanctificatus à 2(I-Fl MS Pluteus 29.1, 100v-101r)16:00

Sanctus: Sanctorum exultatio à 2D-W Cod. Guelf. 628 Helmst., 20v37:05

Gloria: Redemptori meo à 2(D-W Cod. Guelf. 628 Helmst., 95v-96v、I-Fl MS Pluteus 29.1, 341r-342v、E-​Mn 20486, 92r-94r)

リモージュのアキテーヌ様式(12世紀)とパリのノートルダム様式(13世紀)のメリスマ・オルガヌムで多声化されたクリスマスのミサです。

聖歌の旋律を即興する技術が蓄積して、低音で旋律を長く伸ばして、高音を細かく装飾して多声化され、リズムがモードで組織化されました。

レオニヌス(Leoninus, c.1125-1201)とペロティヌス(Perotinus, c.1160-1238)が《オルガヌム大全(Magnus Liber Organi)》をまとめました。

• Theodore Karp (1992). Polyphony of Saint Martial and Santiago de Compostela, Oxford: Clarendon Press.
○ Edward H. Roesner (1993-2009). Magnus Liber Organi (Volume 1-7), Monaco: L’Oiseau-Lyre.
The Organa and Clausulae of MS I-Fl Pluteus 29.1

D-W Cod. Guelf. 628 Helmst., 95v

ラス・ウエルガス写本(Codex Las Huelgas)
Sanctus & Agnus à 3(1319-33年・E-BUlh s/n, 16v & 18r)

13世紀後半に定旋律の聖歌に対旋律で装飾したクラウズラから、自由に音楽の素材を組み合わせるモテットへと移行しました。《ラス・ウェルガス写本》のSanctus(E-BUlh s/n, 16v)です。ノートルダム楽派のモード・リズムで装飾したオルガヌムから発展しました。

教会音楽の聖歌と世俗音楽の旋律が導入され、最上声が快活に動き、中声部が穏やかに動くフランコ型モテットになり、最上声が細かい動きで「語り(mot)」のように動くモテット(motette)、低音部の聖歌がリズム型を繰り返すペトルス型モテットも生まれました。

○ Gordon Athol Anderson (1982-84). The Las Huelgas Manuscript (Volume 1-2), Corpus mensurabilis musicae 79, Neuhausen-Stuttgart: American Institute of Musicology.

《ラス・ウェルガス写本(Codex Las Huelgas)》のAgnus Dei(1319-33年・E-BUlh s/n, 18r)です。ブルゴスのシトー会女子修道院長マリア・ゴンザレス・デ・アグエロ(María González de Agüero)が編纂しました。

ウースター断片(Worcester Fragment)
Kyrie: fons pietatis / Kyrie: pater venerande à 3
Gloria à 3(1310年頃・GB-Ob MS. Lat. liturg. d. 20, 16v、GB-WO Add. 68 fr. xix, 4v-5r)
透き通る響きが美しいです。ウィンチカムのウィリアム(William of Winchcombe)らが、ミサ曲を多声化しました。

○ Denis Stevens (1981). The Worcester fragments, New York: A. Broude.

GB-WO Add. 68 fr. xix, 4v

2016年10月11日

トゥルネーのミサ Missa Tornacensis à 3とSanctus à 3(1349年・B-Tc 476, 32v)

《トゥルネーのミサ》は通常文の詞章を三声で多声化した部分です。Kyrie(3:35)・Gloria(6:00)・Credo(28:51)・Sanctus(41:04)・Agnus(43:54)・Ite, Missa est(50:48)からです。

カノン型式によるSanctus(B-Tc 476, 32v) 導音が強烈で脳裏に焼き付きます。

《トゥルネーのミサ》(1349年・B-Tc 476)は現存最古の多声化されたミサ曲です。正しくはミサ詞章の組から選んで組みました。アルス・ノーヴァの計量記譜法による写本で伝わり、ホケトゥスの掛け合いも多いです。

ブルゴーニュ公国(現・ベルギー)のトゥルネーはイングランドと近く、即興で分厚い響きを付ける影響がみられます。南部のモテットは中声部が穏やかに動き、明るい響きですが、北部では下声部の旋律が動き、渋い響きが好まれました。

○ Charles Van den Borren (1957). Missa Tornacensis, Corpus mensurabilis musicæ 13, Roma: American Institute of Musicology.

B-Tc 476, 32v

バルセロナのミサ Missa Barcinonensis à 3(1360年頃・E-Bbc MS 971)

アラゴン連合王国の商業都市として、アヴィニョンを中心に南欧と活発に交流しました。南フランスのアプト写本(F-APT Trésor 16 bis (Codex Apt))や北イタリアのイヴレア写本(I-IV MS CXV (115) (Codex Ivrea))とも相関します。

Kyrie(1r)はノートルダム楽派のモード・リズムによるオルガヌムのようです。Gloria(1v-3v)は最上声が快活に動きモテットのようです。Credo(3v-6r)は音価が長く穏やかに進みます。Sanctus(6v-7r)は上二声が別の歌詞です。Agnus(7v-8r)はホケトゥスで同じリズムで掛け合います。

○ María del Carmen Gómez Muntané (1986). El Manuscrito M 971 de la Biblioteca de Catalunya (Misa de Barcelona), Barcelona: Biblioteca de Catalunya.

E-Bbc MS 971, 1r

トゥールズのミサ Missa Tolosensis à 3(1370年頃・F-TLm 94) Sanctus

《トゥールズのミサ》(1370年頃・F-TLm 94)は教皇が在住したアヴィニョンで作成の写本で伝わります。

Kyrie(F-TLm 94, 145v-147v)は、中世人の強いエネルギーが二重導音終止に感じられます。Sanctus(F-TLm 94, 225v-226r)は、三声モテットを改作して高音部(contratenor)と定旋律(cantus)によります。

Agnus(F-TLm 94, 226v)は、バルセロナ断片(E-Bbc MS BM 853b, 10v-11v)・ジローナ断片(E-G frag. 33/II, 3v)と共有します。Ite, missa estは、四声モテットから三声に改作された痕跡を留めております。

Credo(F-TLm 94, 1r)は、ソルテス(Nicholas Sortes)作でバルセロナ写本(E-Bbc MS 971, 3v-6r)・イヴレア写本(I-IV MS CXV (115), 47v-48r)・アプト写本(F-APT Trésor 16 bis, 40r-41r)にもあります。

Sanctus(F-TLm 94, 225v-226r)は、声部間の独特な掛け合いが見事で強烈な響きが頭に残ります。

○ Hanna Stäblein-Harder (1962). Fourteenth-Century Mass Music in France, Corpus Mensurabilis Musicæ 29, Roma: American Institute of Musicology.

F-TLm 94, 225v–226r

ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut, c.1300-1377)
ノートルダムのミサ Messe de Nostre Dame à 4(1364年・US-KCferrell MS 1 (Machaut Vg), 283v-296r)
Kyrie(4:07)・Gloria(11:52)・Credo(34:06)・Sanctus(34:06)・Agnus Dei(38:28)・Ite, Missa est(44:33)

ギヨーム・ド・マショーの《ノートルダムのミサ》(1364年・US-KCferrell MS 1 [Machaut Vg], 283v-296r)は、現存最古の四声の通作ミサ曲です。

Kyrie(283v-296r)はグレゴリオ聖歌の第4番が基礎ですが、導音になり#が付き、半音上がり独特です。上二声の旋律が交錯して複雑に響き合います。

Gloria(285v-288r)やCredo(288v-292r)では《トゥルネーのミサ》の渋い響きに揺れを加えて多彩になり、アイソリズムでリズム型を反復します。

Sanctus(292v-294r)やAgnus(294v-295v)は第17番が基礎ですが、ホケトゥスや模倣などの技法により、四声に拡張して重厚な響きを得ました。

F-Pnm Français 1584 (A); 1585 (B); 9221 (E); 22546 (G) 
○Leo Schrade (1958). Guillaume de Machaut: Works (Volume 1-2), Monaco: L'Oiseau-Lyre.

US-KCferrell MS 1 [Machaut Vg], 283v-284r

2016年10月12日

フランチェスコ・ランディーニ(Francesco Landini, c.1325-1372)
Kyrie(三声バッラータ〈愛よ、この乙女(Questa fanciull', Amor, fallami pia)〉の転用(contrafactum)・F-Sm 222 C. 22, 18r)

1410年頃の《レイナ写本(Codex Reina)》(F-Pnm NAF 6771, 85v)や1419年頃の《スクアルチャルーピ写本(Codex Squarcialupi)》(F-Pnm NAI-Fl MS Mediceo Palatino 87, 138r)などで伝わります。

ザッカーラ・ダ・テーラモ(Zacara da Teramo, c.1350-1413)
Gloria ''Micinella'' à 4(
1380年代・I-GR Kript. Lat. 224, 4v、I-AT Frammento 17)
Credo "Du Vilage" à 4(1380年代・I-GR Kript. Lat. 224, 7v-8v、I-TRbc MS 1563)

1350年代に生まれて、1413年にローマで亡くなりました。教会大分裂により、フランスでマショーの二重導音終止、イタリアでランディーニの下三度終止が好まれました。記譜法も音符の分割が三位一体に由来するフランス式の三分割ではなく、イタリア式の二分割へと異なりました。

ザッカーラは歌謡を基礎としたトレチェント音楽、またアルス・スブティリオールの複雑なリズムも用いました。イスラム宮廷文化に触発された南欧の吟遊詩人トルバドゥールたちの流れを汲む、トレチェント音楽らしく耽美的な作風です。ペトラルカの詩が好まれ、音楽が付けられました。

○ Nino Pirrotta (1954-98). Music of Fourteenth-Century Italy (Volume 1-5), Corpus Mensurabilis Musicæ 8, Roma: American Institute of Musicology.

Zacara da Teramo, Gloria ''Micinella'' à 4(I-Bc Q.15, 18v–19r)

ヨハンネス・チコニア(Johannes Ciconia, 1373-1412)
Gloria [BH1] à 3(1390年代・I-Bc Q.15, 91v-92r、I-TRbc MS 1374 (Trento 87), 52v-53r)

三声モテット〈おお、美しき星パドヴァよ(O Padua, sidus praeclarum)〉(I-Bc Q.15, 286v-287r)

ヨハンネス・チコニアのGloria [BH1] à 3(1390年代・I-Bc Q.15, 91v)です。1373年にブルゴーニュ公国のリエージュで生まれ、北イタリアのトレチェント音楽をザッカーラから、南フランスのアルス・スブティリオル期の音楽をカゼルタから学びました。

1412年の逝去までパドヴァの聖アントニオ大聖堂に勤務しました。フランスのヴィルレーやイタリアのバッラータと多様です。特にラテン語の教会音楽では模倣書法に優れ、低音を活かして縦横の調和を取り、美しい響きを生み出せるようになりました。

○ Margaret Bent; Anne Hallmark; Michael J. Connolly (1985). The Works of Johannes Ciconia, Monaco: L'Oiseau-Lyre.

Johannes Ciconia, Gloria [BH1] à 3(I-Bc Q.15, 91v–92r)

ピカード(Jehan Pycard alias Vaux, c.1370-c.1450)
Sanctus à 4(1415-21年・GB-Lbl Add. MS 57950 (Old Hall Manuscript), 100v)

GB-Lbl Add. MS 57950 [Old Hall Manuscript], 100v

リオネル・パワー(Leonel Power, c.1370-1445)
Missa Alma redemptoris mater à 2/3(1430年頃・I-TRbc MS 1374 (Trento 87), 3v-8v、I-AO 15 (Aosta), 219v-226r)

定旋律(cantus firmus)のアンティフォナ〈救い主の麗しき母(Alma redemptoris mater)〉

最古の循環ミサです。定旋律に聖歌を一貫して配置して、ミサ全体を調和しました。1370年頃にイングランドのケントに生まれ、1445年にカンタベリーで没しました。

ノートルダム楽派(13世紀)のコンドゥクトゥス(conductus)からイングランドで発展した《ウースター断片(Worcester Fragments)》(14世紀)のディスカント様式(discantus)では、固執低音(pes)で和声装飾を一対一でしましたが、パワーらは係留音で和声進行を考慮したシャンソン型式も多用しました。

○ Charles Hamm (1969). Lionel Power: Complete Works, Corpus Mensurabilis Musicæ 50, Roma: American Institute of Musicology.

ジョン・ダンスタブル(John Dunstable, c.1390-1453)
Gloria à 5(1430年頃・EV-TALtm ETMM M8:2/1-1)

ジョン・ダンスタブルのGloria à 5(1430年頃・EV-TALtm ETMM M8:2/1-1)のカノン(rota/round)です。Missa Rex seculorum à 3も作りました。1390年頃にベッドフォードシャーで生まれ、ノルマンディ地方に滞在して、1453年に百年戦争の終結直後にロンドンで没しました。

ブルゴーニュに「イギリスの装い(contenance angloise)」(3/6度の協和音程)、甘美な響き(三和音と第一転回形)を伝えました。和声即興(faburden)が、1426年頃にブルゴーニュで平行和声(fauxbourdon)、1430年頃にイングランドで三声即興(gymel)に発展しました。

Presens cantus quatuor in se continent triplices, quorum unus semper post alium, quatuor temporibus tantum omissis, eodem modo secundus versus octo temporibus tamen omissis, et cetera. Quod Dunstaple.

提示される上声部の中に四声が含まれ、その内の一つは別の後[を追いかけ]、ただ四つの二全音符だけ[休んで]進む。第二部も同様に八つの二全音符を休んで進むなど、ダンスタブルは話した。

ダンスタブルの三声モテット〈あなたは何にもまして美しい(Quam pulchra es et quam decora)〉(I-MOe MS α.X.1.11 [Modena B], 83v–84r; I-TRbc MS 1379 [Trent 92], 110v–111r; I-AO 15 [Aosta], 188v–189; I-Bc Q.15, 313v–314r)
三和音が甘美に響き続け、第一転回形が終りに見られ、ルネサンス音楽に近いです。

○ Margaret Bent (1980). Dunstable, Oxford Studies of Composers 17, London: Oxford University Press.
• Margaret Bent (1996). A new canonic Gloria and the changing profile of Dunstaple, Plainsong and Medieval Music 5: 45–67.

I-MOe MS α.X.1.11 [Modena B], 83v–84r

2016年10月13日

アルノルド・ド・ランタン(Arnold de Lantins, c.1390-1432)
Missa O pulcherrima [Verbum incarnatum] à 3(1440年頃・I-Bc Q.15, 172v-177r)

デュファイの初期作Missa sine nomine(1426年・I-Bc Q.15, 10v-17r)やMissa Sancti Jacobi(1428年・I-Bc Q.15, 144v-153r)と共に伝えられます。

ブルゴーニュ楽派の特徴として、高音に到達し保たれ、旋律の伸びが良くなり、和声の衝突を避けて、響きが明るくなりました。二重導音終止やランディーニ終止からルネサンスの完全終止に近づき、トニック(主音)やドミナント(属音)が意識されました。

ヨハンネス・タピシエ(Johannes Tapissier, c.1370-1410)
Credo à 3(1400年頃・F-APT Trésor 16 bis, 34v-36r)

アルス・スブティリオルとブルゴーニュ楽派の過渡期でフランスのイソリズムやイングランドのディスカントゥスにより古風です。

• Jean Widaman (1988). The Mass Ordinary Settings of Arnold de Lantins: A Case Study in the Transmission of Early Fifteenth-Century Music (Volume 1-2), Waltham: Brandeis University.

F-APT Trésor 16 bis, 34v-35r

ジル・バンショワ(Gilles de Binchois, c.1400-1460)
Missa ferialis à 3(1444年頃・I-TRbc MS 1379 (Trento 92))

中世的な二重導音やランディーニ終止が多く現れる組ミサです。1400年頃モンスで生まれ、イングランドのサフォーク伯、ブルゴーニュのフィリップ3世に仕え、1460年にソワニーで亡くなりました。

1434年にシャンベリでサヴォイア公ルドヴィーコとキプロス王女アンナの結婚式に参列して、ギヨーム・デュファイと対面しました。ブルゴーニュ宮廷でシャンソンが愛されたよう、ミサ曲でも明るい旋律が親しみやすく、カノンや掛け合いにより華やかな作風です。

Magnificat tertii toni(1440-48年・K.618・I-MOe MS α.X.1.11 (Modena B), 45r-46r)

• Andrew Kirkman; ‎Dennis Slavin (2000). Binchois Studies, Oxford: Oxford University Press.

ロクヴィール(Richard Loqueville, c. 1375-1418])はカンブレでデュファイを指導しました。ブルゴーニュ型シャンソンの元祖です。中世仏語 Je vous pri que j'aie un baysier/近代仏語 Je vous pris que j'ai un baiser(1420-36年・GB-Ob MS. Canon. Misc. 213, 91v-92r)は宮廷愛の歌です。

イスラム宮廷文化に触発された12世紀南欧のトルバドゥール(troubadour)、13世紀北仏のトルヴェール(trouvères)、14世紀のランスのマショー、15世紀のブルゴーニュのバンショアと継承され、16世紀にフランドルの大家に影響しました。

2016年9月24日

ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay, 1397-1474)
Gloria ad modum tubae à 3(1423年頃・I-AO 15 (Aosta), 95v-96r、I-Bc Q.15, 180v-181r、I-TRbc MS 1377 (Trent 90), 131v-132r、I-TRcap MS BL (Trento 93), 161v-162r)

デュファイのミサ曲断章〈トランペット風のグローリア(Gloria ad modum tubae)〉(1423年頃)です。旋法より調性に近く、溌剌としたリズムがチャーミングでモダンです。

I-AO 15 (Aosta), 95v-96r

2016年10月13日

ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay, 1397-1474)
Missa Se la face ay pale à 4(1451年・I-TRbc MS 1375 (Trento 88), 97v-105v)

ギヨーム・デュファイのMissa Se la face ay pale à 4(1451年)は世俗曲を定旋律に採用した画期的な循環ミサ曲です。シャンソン〈顔が蒼ざめているのは〉が定旋律に用いられます。フランスのルイ11世とサヴォワのシャルロットの結婚式で披露されました。

デュファイは西洋音楽史上で最重要の巨匠です。フランスのアイソリズム、イタリアの美しい旋律、イギリスの豊かな響きを兼ね、ルネサンス音楽の種をブルゴーニュやフランドルに蒔きました。初期には中世的なアイソリズムやランディーニ終止も用いました。

トレント88写本(1456-60年・I-TRbc MS 1375 (Trento 88), 97v-105v)やバチカン写本(1472-81年・V-CVbav MS Capp. Sist. 14, 27v-38r)で伝わります。

定旋律 デュファイのバラード〈顔が蒼ざめているのは(Se la face ay pale)〉(1430年頃)
世俗音楽は教会音楽より進歩的でイオニア旋法(ハ長調)に近く、デュファイは定旋律に据え、全体が明るくなりました。冒頭動機を一致した循環ミサです。

Kyrieに続いてGloriaでは、定旋律が3:2:1の速さで流れ、アイソリズムやホケトゥスも用います。
Credoでは二声で始まり残響により疑似的に三和音が聴こえ、和声の感覚が現れております。
Sanctusでは甘美な響きに漂うような感覚になり、フォーブルドンからホモフォニーに接近します。
Agnusでは最上声の美しい旋律が駆け上がりデュファイらしく、定旋律が時に消えて自由です。

2016年10月14日

ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay, 1397-1474)
Missa L'Homme Armé à 4(1461年・I-La MS 238 (Codex Strohm), 39r-39v)

前作に続き、定旋律ミサ曲です。ブルゴーニュのシャルル突進公を風刺した民謡〈武装した人〉が定旋律に用いられます。旋法から調性へ過渡にある旋律で安定した和声をなし、定旋律として明瞭に聴こえます。

デュファイが定旋律をフォーブルドンで多声化して、四声を主体とする循環ミサ曲を定着させました。レギス、フォーゲ、ビュノワ、オケゲム、オブレヒト、ジョスカン、コンペール、ブリューメル、ラリュー、モラレス、ゲレーロ、パレストリーナなど巨匠たちが続きました。

ルッカ写本(1463-64年・I-La MS 238 (Codex Strohm), 39r-39v)、バチカン写本(1492-1504年・V-CVbav MS Capp. Sist. 49, 36v-55r)、スコーン聖務曲集(1501-46年・GB-En MS Adv. 5.I.15 (Carver Choirbook), 26v-42r)で伝わります。

定旋律 ビュノワのシャンソン〈武装した人(L'Homme Armé)〉(1454年頃)
ドリア旋法またはミキソリディア旋法ですが、♭が付きエオリア旋法(ト短調)としても扱われます。
Kyrieに続いてGloriaでは、三和音や係留音で完全終止に近いです。ヘミオラも活かされます。
Credoではジョスカンの模倣書法フーガを思わせ、係留音により多彩な和声変化を生みました。
Sanctusでは定旋律と最下声がカノンを思わせ、アイソリズムやランディーニ終止もあり古風です。
Agnusでは三和音の第三音が抜けた空虚五度で終止しますが、完全終止に接近しています。

I-La MS 238 (Codex Strohm), 39r-39v

2016年10月15日

ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay, 1397-1474)
Missa Ecce ancilla Domini à 4(1464年・V-CVbav MS Capp. Sist. 14, 76v-86r)

ギヨーム・デュファイのMissa Ecce ancilla Domini à 4(1464年)は次世代のオケゲムを感じさせる深い響きになりました。シャンソン型式の軽快で外向的な音楽から一転して、フランドル楽派に継がれてゆく深淵で内省的な瞑想をしました。

デュファイは中世のモテトゥス声部ではなく、フォーブルドンでtenorの上にcontratenor altusと下にbassusを加えました。特にバス声部に今でいう和声の根音を持たせ、深く美しい響きを生みました。バロック時代の通奏低音の源流となりました。

バチカン写本(1472-81年・V-CVbav MS Capp. Sist. 14, 76v-86r)やブリュッセル写本(1480年頃・B-Br MS 5557, 50v-61r)で伝わります。デュファイの秘書を務めたヨハネス・レジスの同名のミサ曲が両者とも同じ写本で伝えられます。

デュファイとオケゲムによるミサの比較
Kyle Gann, A Comparison of the Missae "Ecce ancilla Domini" of Dufay and Ockeghem

定旋律 《ルカ福音書》第1章38節の受胎告知により、マニフィカートと歌われるアンティフォナ〈見よ主のはしためを(Ecce ancilla Domini)〉(前半)と〈祝福されし、マリアよ(Beata es, Maria)〉(後半)

ヨハネス・オケゲム Missa Ecce ancilla Domini à 4(1464年・V-CVbav MS Chigi C.VIII.234, 19v)

1464年2月15日から3月15日まで滞在を受けたデュファイが返礼に作曲したと推測されます。デュファイが静謐なミサ曲を作曲した背景に接することは大切です。

V-CVbav MS Capp. Sist. 14, 76v-77r

2016年9月21日

ギヨーム・デュファイ(Guillaume Dufay, 1397-1474)
Missa Ave regina caelorum à 4(1472年・V-CVbav MS S. Pietro B.80, 9v-25r)

定旋律 アンティフォナ〈幸いなるかな天の女王(Ave Regina caelorum)〉
四声モテット〈幸いなるかな天の女王(Ave Regina caelorum)〉(1463年)

ギヨーム・デュファイのMissa Ave regina caelorum à 4(1472年)は、自由に四声が動いて、調和また衝突して、自然に進むようになりました。多様な経過和音が生じて、絶妙な感情変化が音楽で表現されております。ジョスカンの通作模倣様式を先取りしたフーガを用い、またイオニア旋法(長調)やエオリア旋法(短調)により近代和声に接近して、ルネサンス音楽に到達した、畢生の大作です。

デュファイは、今日でいうバスの上に和声を組み立てる方法を発見して、快速な流れが作り出し、和声の動きを生み出しました。そこから、横の旋律と縦の和声を兼ねる書法となり、音楽の展開で人間の感情を語れるようになり、音楽を芸術に昇華しました。

バチカン写本(1474-75年・V-CVbav MS S. Pietro B.80, 9v-25r)、ブリュッセル写本(1480年頃・B-Br MS 5557, 110v-120v)、モデナ写本(1481年・I-MOe MS α.M.1.13, 159v-176r)で伝わります。

B-Br MS 5557, 110v

2016年10月19日

ギヨーム・フォーゲ(Guillaume Faugues, c.1410-c.1475)
Missa Vinus vina vinum à 4(1473年・V-CVbav MS Capp. Sist. 14, 138v-149r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

冒頭動機を一致したシャンソン型式の循環ミサです。上昇して保持して下降するチャーミングな旋律はデュファイらしく、高音の伸びを低音の動きで支え、厚みが出ております。和声の中から旋律が湧き出すように聞こえて面白いです。

フランス中部ロワール地方ブールジュの司祭でして、オケゲムとも交流がありました。ブルゴーニュ公国で流行したバスダンスやデュファイやビュノワの影響から、四声ミサ曲〈武装した人(Missa L'Homme Armé)〉(1472-81年・V-CVbav MS Capp. Sist. 14, 138v-149r、I-MOe MS α.M.1.13 (Modena D), 176v-192r)も作りました。

○ George C. Schuetze (1960). Guillaume Faugues: Opera omnia, Publications of mediaeval musical manuscripts 7, Brooklyn: Institute of Mediaeval Music.
• Francesco Rocco Rossi (2008). Guillaume Faugues: sulle tracce di un musicista franco-fiammingo del Quattrocento, Genova: San Marco dei Giustiniani.

V-CVbav MS Capp. Sist. 14, 138v-139r

ウォルター・フライ(Walter Frye, c.1410-1474)
Missa Flos Regalis à 4(1468年・B-Br MS 5557, 30v-38r)
GloriaAgnus Dei

ウォルター・フライのMissa Flos Regalis à 4(1468-71年・B-Br MS 5557, 30v-38r)は、ブルゴーニュ公シャルルとイングランド王妹の成婚記念写本で伝えられます。1443年にイーリー大聖堂で奉職、1456年にロンドンに異動して、1474年にカンタベリーで遺書を認めました。ブルゴーニュ宮廷とも関係しました。

ディスカントゥスから発展したファバードンや平行三度唱法(gymel)で三和音の柔らかい響きに漂います。フライのミサ曲はビュノワやオブレヒトにも知られました。リオネル・パワーやダンスタブルなどイギリスの流れを汲み、ミサの詩句を分けて、デュファイと同じく楽節ごとに声部や様式を変えて構成しました。

• Sylvia W. Kenney (1952). Origins and Chronology of the Brussels Manuscript 5557 in the Bibliothèque Royale de Belgique, Revue Belge de Musicologie 6, 75-100.
• Sylvia W. Kenney (1964). Walter Frye and the Contenance angloise, New Haven: Yale University Press.

2017年2月7日

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410-1497)
Missa Caput à 4(1456年頃・ I-TRbc MS 1375 (Trento 88), 286v-295r)
KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei
Guillaume Dufay[?]: Missa Caput à 4
Jacob Obrecht: Missa Caput à 4

ヨハネス・オケゲムのMissa Caput à 4(1455年頃)は、定旋律はソールズベリー聖歌かガリア聖歌のアンティフォナVenit ad Petrumにより、「頭(caput)」が長いメリスマです。トレント88写本(1456-60年・I-TRbc MS 1375 (Trento 88), 286v-295r)やチヒ写本(1498-1503年・V-CVbav MS Chigi C.VIII.234, 64v-75r)で伝わります。

デュファイに帰せられたイングランドの循環ミサMissa Caput à 4(1445年頃)がトレント写本群(I-TRbc MS 1376 (Trento 89), 246r-256r)に記されますが、キリエのトロープスを多声化した部分のみが真作と考えられます。ブルゴーニュ公国はイングランド王室と親密な関係にありましたため、ダンスタブルやフライらが知られていました。

• Manfred Bukofzer (1950). Caput: A Liturgico-Musical Study, Studies in Medieval and Renaissance Music, New York: W. W. Norton.
○ Alejandro Enrique Planchart (1964). Missae Caput. [Three Caput masses by] Guillaume Dufay, Johannes Ockeghem [and] Jacob Obrecht, Collegium musicum 5, New Haven: Yale University, Depertment of Music.

V-CVbav MS Chigi C.VIII.234, 64v-65r

2016年10月8日

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410-1497)
種々の比率のミサ曲 Missa Prolationum à 4(1460年頃・A-Wn Cod. 11883 Han, 208r)

二つのカノンが同度から八度まで徐々に音程を上げます。オケゲムは交流したデュファイと同じく模倣は少なく、声部が異なる動きをしますが、声域が拡げまして、暗めの響きを好みました。

ウィーン写本(1460年頃・A-Wn Cod. 11883 Han, 208r-221r)やバチカン写本(1498-1503年・V-CVbav MS Chigi C.VIII.234, 106v-114r)で伝わります。

当時カノンを「フーガ」と呼びました。異なる音価(mensula)で速度の比率(prolatio)が異なり、拡大・縮小に当たります。オケゲムのカノンは旋律がなめらかで声楽的でして、バッハのカノンは符点リズムを含みまして器楽的ですが、その原型となりました。

オケゲムが好んで用いたカノンの技法は、古くから使われておりました。 中世イングランドの〈夏は来たりぬ(Sumer is icumen in)〉(1261-64年頃・GB-Lbl Harley 978, 11v) は、中英語で四声はカノン(rota)・二声は固執低音(pes)から構成されます。

A-Wn Cod. 11883 Han, 208r-221v

2017年2月8日

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410-1497)
Missa Mi mi à 4(1475年・V-CVbav MS Capp. Sist. 63, 18v-28r)
Johannes Ockeghem: Presque transi à 3
KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

バチカン写本(1480-1507年・V-CVbav MS Capp. Sist. 63, 18v-28r、1498-1503年・V-CVbav MS Chigi C.VIII.234, 3v-18r)で伝わり、三声ベルグレット〈殆んど死んだように傷ついた私は(Presque trainsi)〉の旋律断片がパラフレーズされます。

ブルゴーニュの歌曲は、優雅な旋律で宮廷愛に関する情感の陰影をチャーミングに歌いました。バンショワ・デュファイ・オケゲム・ビュノワが優れました。Chansonnier Laborde(1463-71年・US-Wc M2.1.L25 Case, 81v-83r)やChansonnier Dijon(1465-69年・F-Dm MS 517, 55v-57r)で伝わります。

2016年10月20日

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410-1497)
Missa Au travail suis à 4(1482年頃・V-CVbav MS Capp. Sist. 63, 12v-18r)

定旋律 ピエール・バルビガンの三声ロンドー〈私が悩んでいることを(Au travail suis)〉

バチカン写本(1480-1507年・V-CVbav MS Capp. Sist. 63, 12v-18r)、チヒ写本(1498-1503年・V-CVbav MS Chigi C.VIII.234, 89v-96r)、バルセロナ写本(1500-35年・E-Bbc M 454, 30v-37r)で伝わります。旋律の動きが少なく、低音から安定して静謐な趣きになります。

1420年頃にサン・ギスランで生まれ、1443年にアントウェルペン大聖堂に勤め、1446年にムーランでブルボン公シャルル1世に仕え、1453年にパリでフランス王シャルル7世に仕えました。

1459年にトゥールでサン・マルタン修道院の財務官、1461年にルイ11世に仕え、1463年にパリでノートルダム大聖堂の参事会員、1470年にスペインを王室顧問として訪れ、1497年にトゥールで亡くなりました。

• Ernst Křenek (1953). Johannes Ockeghem, New York: Sheed & Ward.
• Fabrice Fitch (1997). Johannes Ockeghem: Masses and Models, Paris: Honoré Champion.

ヨハネス・オケゲム(Johannes Ockeghem, c.1410-1497)
全ての旋法のミサ曲 Missa cuiusvis toni à 4(1487年頃・V-CVbav MS Capp. Sist. 35, 12v-21r)

Kyrie in E & Gloria in FCredo in GSanctus in FAgnus Dei in D

バチカン写本(1487-90年・V-CVbav MS Capp. Sist. 35, 12v-21r)やチヒ写本(1498-1503年・V-CVbav MS Chigi C.VIII.234, 96v-106r)で伝わります。四つの正格旋法:フリギア旋法(E)・ミクソリディア旋法(G)・リディア旋法(F)・ドリア旋法(D)で歌えるよう、変格終止を用いました。

オケゲムは晩年に任意の旋法(cuiusvis toni)や比率(prolationum)によるミサ曲を作りまして、新たな作曲技法の開拓に勤しみました。任意の旋法によるミサ曲は、定旋律を使用せず、旋律が極端に上下したり急激に休止せず、和声を考慮して声域を拡大しました。

Ockeghem’s Missa Cuiusvis toni and fa-clefs

V-CVbav Chigi C.VIII.234, 106v-107r

2016年10月21日

アントワーヌ・ビュノワ(Antoine Busnois, c.1430-1492)
Missa O Crux lignum triumphale à 4(1474年頃・V-CVbav MS Capp. Sist. 51, 104v-113r)

バチカン写本(1472-91年・V-CVbav MS Capp. Sist. 51, 104v-113r)で伝わります。1430年頃にベテューヌで生まれ、1461年にトゥールで僧侶、1465年に助祭になり、ポワティエに移り、翌年にブルゴーニュに移りました。

1430年頃にベテューヌで生まれ、1461年にトゥールで僧侶、1465年に助祭になり、ポワティエに移り、翌年にブルゴーニュに移りました。1467年にブルゴーニュ宮廷に仕え、1468年にデュファイを訪れ、1475年のノイス包囲、1477年のナンシーの戦いを生き、1482年に去り、1492年にブルージュで亡くなりました。ビュノワの典雅な作風は、デュファイやオケゲムに近く、オブレヒトやジョスカンに伝わりました。

• Paula Marie Higgins (1999). Antoine Busnoys: Method, Meaning, and Context in Late Medieval Music, Oxford: Clarendon Press.

ヨハネス・ティンクトーリス(Johannes Tinctoris, c.1435-1511)
Missa L'Homme armé à 4(1489年・V-CVbav MS Capp. Sist. 35, 85v-104r)

KyrieGloriaCredo SanctusAgnus Dei

バチカン写本(1487-90年・V-CVbav MS Capp. Sist. 35, 85v-104r)で伝わります。ビュノワ・デュファイ・オケゲム・レジスらの影響を受けながら、低音が太くて複雑な動きやシンコペーションを伴います。

1435年頃にブレン・ラルーで生まれ、1458年にオルレアンで働き、1460年にデュファイを訪れ、1472年にナポリに住み、1479年にフェラーラ、1487年にリエージュやブリュッヘを訪れて、1492年にローマに移り、1493年にブダを訪れて、1511年2月9日にローマで亡くなりました。

Complete Theoretical Works
• William Melin (1973). The Music of Johannes Tinctoris, Columbus: Ohio State University.

2016年10月22日

ロイゼ・コンペール(Loÿset Compère, c.1445-1518)
Missa Galeazescha [Missa de Beata Maria Virgine] à 5(1484年・I-Mfd MS 2267 (Librone 3), 125v-135r)

ロイゼ・コンペールのMissa Galeazescha [Missa de Beata Maria Virgine] à 5(1484年)は、ミラノ写本(1500年頃・I-Mfd MS 2267 (Librone 3), 125v-135r)で伝わります。フランス語のシャンソンやイタリア語のフロットーラなど小品の様式で書かれた聖母マリアを讃える自由モテットが通常文に対応されます。

1445年頃にアラスで生まれ、1470年代にミラノでスフォルツァ家、1476年頃にフランス宮廷に仕え、1494年のシャルル8世のイタリア進軍に随い、1495年にローマにおり、1498年にカンブレ、1500年にドゥエー、1504年にサン・カンタン、1518年8月16日に亡くなりました。

• Ludwig Finscher (1964). Loyset Compère: Life and Works, Roma: American Institute of Musicology.

アレクサンダー・アグリコラ(Alexander Agricola, 1446-1506)
Missa Je ne demande à 4(1492年頃・V-CVbav MS Capp. Sist. 23, 28v-45r)

定旋律 ビュノワの四声シャンソン〈私は他の地位を求めない(Je ne demande aultre degré)〉

優雅な旋律と透明な和声によります。オケゲムの複雑なリズムや響きのポリフォニーから、ジョスカンの通模倣書法やホモフォニーな響きに近づきました。

1446年にゲントで生まれ、1471年にミラノのスフォルツァ家、1474年にフィレンツェのメディチ家に仕え、1476年にカンブレを訪れ、フランス王室に勤め、1500年にブルゴーニュ公フィリップ4世(カスティーリャ王フェリペ1世)に仕え、1506年8月15日にバリャドリッドで亡くなりました。

2016年10月23日

ジョスカン・デ・プレ[ルブロワット](Josquin Desprez dit Lebloitte, c. 1450-1521)
Missa Gaudeamus à 4(1501年・A-Wn Cod. 11778 Han, 41v-62r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

ジョスカン・デ・プレ(ルブロワット)のMissa Gaudeamus à 4(1501年)です。デュファイは和音を積み上げ、オケゲムは模倣書法を深め、ジョスカンになると旋律を積み上げ、和声を組み立てる通模倣書法になりました。対位法と和声法が調和して、高度に洗練されました。

1450年頃にフランドル王国領内プレで生まれ、1477年にアンジュー家の礼拝堂、1481年にフランス王ルイ11世の宮廷礼拝堂に仕え、オケゲムと同僚になり、1484年にブルージュ大聖堂の司祭になり、また、ミラノでスフォルツァ家、1489年にローマで教皇庁に仕えました。

1502年にヴェネツィアでOttaviano Petrucciから出版(Missarum Josquin liber primus)されました。ウィーン写本(1518-20年・A-Wn Cod. 11778 Han, 41v-62r)、イエーナ写本(1520年・D-Ju MS 32, 200v-219r)でも伝わります。

ジョスカン・デ・プレ[ルブロワット](Josquin Desprez dit Lebloitte, c. 1450-1521)
Missa La sol fa re mi à 4(1502年・Venezia: Ottaviano Petrucci)

ジョスカン・デ・プレ(ルブロワット)のMissa La sol fa re mi à 4(1502年)は、Missa Hercules Dux Ferrariae(1503年)と同じく、Lascia fare mi(私を放っといて)の母音(a-o-a-e-i)から定旋律(la sol fa re mi)を作る遊び(soggetto cavato)で組み立てられます。

1500年にルイ12世に仕え、イタリア語のフロットラとフランス語のシャンソンを作り、1503年にフェラーラでエステ家に仕えました。1504年にコンデで神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ公女マルグリットの宮廷に仕え、1521年8月27日に亡くなりました。

1502年にヴェネツィアでOttaviano Petrucciから出版(Missarum Josquin liber primus)されました。イエーナ写本(1500-20年・D-Ju MS 32, 21v-39r)、ベルリン州立図書館写本(1516年・D-B MS Mus. 40091, 138v-157r)、ウィーン写本(1518-20年・A-Wn Cod. 11778 Han, 83v-107r)でも伝わります。

Missarum Josquin liber primus

2016年10月24日

ジョスカン・デ・プレ[ルブロワット](Josquin Desprez dit Lebloitte, c. 1450-1521)
Missa Beata Virgine à 5(1514年・Venezia: Ottaviano Petrucci)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

ジョスカン・デ・プレ(ルブロワット)のMissa de Beata Virgine à 5(1514年)は晩年の傑作です。オケゲムのよう深みある響きです。バスを主体として旋律が区切られ速度や音色を対比させ進行します。Kyrieが静謐、Gloriaが快活になり、楽章の対比もなされます。

ジョスカンは、ラテン語のモテット、フランス語のシャンソン、イタリア語のフロットラにおいて、イタリアのファルソブルドーネの発想から、ホモフォニーを開拓して、ポリフォニーに取り込み、トーンクラスターなど和声の範疇を越え、現代音楽に近い技法も用いました。

1514年にヴェネツィアでOttaviano Petrucciから出版(Missarum Josquin liber tertius)されました。バチカン写本(1511-14年・V-CVbav MS Capp. Sist. 45, 1v-15r)、ウプサラ写本(1515年・S-Uu Vokalmusik i Handskrift 76b, 97v-108r)、イェーナ写本(1516年・D-Ju MS 7, 61v-77r)、ウィーン写本(1518-20年・A-Wn Cod. 4809 Han, 23v-46r)、ヴォルフェンビュッテル写本(1519-20年・D-W Cod. Guelf. A Aug. 2°, 1v-27r)、カンブレ写本(1520年頃・F-CA MS 18 (20), 200r-218r)、トレド写本(1520-35年頃・E-Tc Reservado 23, 23v-45r)、ミュンヘン写本(1543-44年・D-Mbs Mus. MS C, 41v-71r)でも伝わります。

• Richard Sherr (2000). The Josquin Companion, London: Oxford University Press.

バイエルン州立図書館蔵写本(1543-44年・D-Mbs Mus. MS C, 41v)

モテット O virgo prudentissima à 6(1538-50年・V-CVbav MS Capp. Sist. 24, 18v-23r)

2016年10月8日・10月24日

ジョスカン・デ・プレ[ルブロワット](Josquin Desprez dit Lebloitte, c. 1450-1521)
Missa Pange lingua à 5(1515年頃・V-CVbav MS Capp. Sist. 16, 36v-46r)

ジョスカン・デ・プレ(ルブロワット)のMissa Pange lingua à 5(1515年頃)は最後のミサ曲です。通模倣様式で完全五度のカノンをなし、定旋律の賛歌を詞句で分割して、六つの楽句として固執低音として利用して、ブルゴーニュとフランドルの技法を融合しております。

縦の旋律を積み上げ、横の和声を組み立て、協和音と不協和音、弱拍と脅迫の対比など、多角的に考慮して、シンプルに構成されます。全声部が対等に扱われ、ポリフォニーとホモフォニーが調和して、パレストリーナらローマ楽派に継承されるルネサンス様式が確立しました。

賛歌〈舌もて語らしめよ〉を基礎に展開されます。 通模倣様式を確立して、全ての声部が対等に動きながら、均整の取れた構造となり、現在の意味でフーガの元祖となりました。

フーガ主題が定旋律(cantus firmus)を置いたテノールに示され、完全五度の上下にバス・ソプラノ・アルトが現れて追いかけます。ジョスカンは縦の旋律の流れと横の和声の響きを感覚で組みましたが、バッハは対位法の禁則を時に破り、転調を含めました。

バチカン写本(1512-17年・V-CVbav MS Capp. Sist. 16, 36v-46r)、ミュンヘン写本(1513-19年・D-Mbs Mus. MS 510, 42v-63r)、ウィーン写本(1518-20年・A-Wn Cod. 4809 Han, 1v-22r)、イエーナ写本(1521-25年・D-Ju MS 21, 1v-18r)、オッコ写本(1525-34年・B-Br MS IV.922, 28v-41r)でも伝わります。1539年にニュルンベルクでHans Ottから出版(Missae tredecim quatuor vocum)されました。

• Edward E. Lowinsky (1976). Josquin des Prez, London: Oxford University Press.
• Sydney Robinson Charles (1983). Josquin des Prez: A Guide to Research, New York: Gerland.
• Richard Sherr (2000). The Josquin Companion, London: Oxford University Press.
• David Fallows (2009). Josquin: Epitome Musical, Turnhout: Brepols.

ジョスカンが父を亡くした1466年頃に叔父がGille Lebloitte dit Desprezと遺産相続文書に記録されます。「des Prés(平原から)」は通称でして、専門書では「ジョスカン」と書かれます。

• Lora Matthews; Paul Merkley (1998). Iudochus de Picardia and Jossequin Lebloitte dit Desprez: The Names of the Singer(s), The Journal of Musicology 16(2): 200-226.

A-Wn Cod. 4809 Han, 1v-2r

2016年10月25日

ハインリヒ・イザーク(Heinrich Isaac, c.1450-1517)
Missa de Apostolis à 6(1510年頃・D-Mbs Mus. MS 31, 104v-141r)

ミュンヘン写本(1510年頃・D-Mbs Mus. MS 31, 104v-141r)で伝わります。定旋律が各声部に登場して、通模倣様式に近いですが、全体で調和を取るジョスカンの書法ではなく、低音を重視して、下から安定します。

1450年頃にブラバントに生まれ、1484年にインスブルックのオーストリア大公ジークムント、1485年にフィレンツェのメディチ家に仕え、1492年に教皇アレクサンドル6世の即位式で歌い、1497年にウィーンの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に仕え、1517年に亡くなりました。

• Martin Picker (1991). Henricus Isaac: A Guide to Research , New York: Garland.

D-Mbs Mus. MS 31, 104v-105r

マッテウス・ピプラール(Matthaeus Pipelare, c.1450-c.1515)
Missa l'Homme Armé à 5(1500年頃・V-CVbav MS Capp. Sist. 41, 15v-26r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

低音が利き、和音に漂いながら、旋律が聴こえてきます。バチカン写本(1482-1507年・V-CVbav MS Capp. Sist. 41, 15v-26r)やイェーナ大学写本(1500年頃・D-Ju MS 22, 116v-128r)で伝わります。

1455年頃にルーヴェンに生まれ、アントウェルペンで働き、1491年までバルビロー、1497年までオブレヒトと交流したとされます。1498年にスヘルトーヘンボスの聖母信徒会に勤め、1500年にメヘレンとブリュッセルのハプスブルク宮廷に仕え、1515年頃に亡くなりました。

• Ronald Cross (1963). The Life and Works of Matthaeus Pipelare, Musica Disciplina 17: 97-114.

D-Ju MS 22, 116v-117r

2016年10月26日

ジャック・バルビロー(Jacques Barbireau, 1455-1491)
Missa Faulx perverse à 4(1490年頃・A-Wn Cod. 11883 Han, 133v-144r)

ウィーン写本(1475-1540年・A-Wn Cod. 11883 Han, 133v-144r)で伝わります。安定した低音の上に豊かな和声展開やリズム変化が現れます。機能和声に近く、終止も安定して名作です。

1455年頃にアントウェルペンで生まれ、1484年にアントウェルペン大聖堂の楽長になり、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世にも知られ、1490年にハンガリーのブダにウラースロー2世が即位した頃に訪れて、1491年にアントウェルペンで亡くなりました。

○ Bernhard Meier (1954). Jacobus Barbireau: Opera omnia, Corpus Mensurabilis Musicae 7.

A-Wn Cod. 11883 Han, 133v-134r

ヤーコプ・オブレヒト(Jacob Obrecht, 1457-1505)
Missa Malheur me bat à 4(1503年・Venezia: Ottaviano Petrucci)

定旋律 オケゲムの三声シャンソン〈不幸が私を襲い(Malheur me bat)〉
KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

定旋律を分解して順行や逆行、音価を変える拡大や縮小を活用してカノンに構築しました。ベルリン写本(1485-1500年頃・D-B MS Mus. 40021, 186r-192v)で伝わります。1503年にヴェネツィアでOttaviano Petrucciから出版(Misse Obrecht)されました。

1457年にヘントで生まれ、ブルゴーニュ宮廷のビュノワに学び、ナポリのティンクトリスに知られ、1487年にフェラーラでエルコレ1世に仕え、半年でフランドルに戻り、1504年にフェラーラの宮廷に仕えられず、1505年にペストで亡くなりました。

• Martin Picker (1988). Johannes Ockeghem and Jacob Obrecht: A Guide to Research, New York: Garland.
• Rob C. Wegman (1994). Born for the Muses: The Life and Masses of Jacob Obrecht, Oxford: Clarendon Press.

Jacob Obrecht (1503). Misse Obrecht, Venezia: Ottaviano Petrucci.

2016年10月27日

ピエール・ド・ラリュ(Pierre de la Rue, 1452-1518)
Missa L'Homme Armé à 5(1500年頃・D-Ju MS 22, 30v-42r)

ピエール・ド・ラリュー(Pierre de la Rue, 1452-1518)
Missa de Septem doloribus à 5(1503年・B-Br MS 215-216, 1v-20r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

ブリュッセル写本(1503-18年・B-Br MS 215-216, 1v-20r)、イェーナ大学写本(1512-19年・D-Ju MS 4, 42v-53r)、バチカン写本(1513-21年・V-CVbav MS Capp. Sist. 36, 16r-33r)で伝わります。

フランドル楽派である低音域の重視により、静謐な印象ですが、半音進行や不協和音もさりげなく用いました。オケゲムのようカノンを好み、ジョスカンのよう各声部が際だちますが、旋律を複雑に組み合わせ、突如としておもしろい響きが現れます。

ラリューはブリュッセルの宮廷におり、フランドルの音楽家に大きな影響を与えました。カスティーリャの宮廷に滞在して、アグリコラらと同じく、多声音楽を伝えました。

D-Ju MS 4, 42v-43r

ピエール・ド・ラリュ(Pierre de la Rue, 1452-1518)
Missa Ave Maria à 4(1511年・V-CVbav MS Capp. Sist. 45, 16v-30r)

定旋律 奉献唱〈恵みあふれる聖マリア(Ave Maria)〉
KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

静謐で均整の取れた名作です。バチカン写本(1511-14年・V-CVbav MS Capp. Sist. 45, 16v-30r)、メヘレン写本(1515-16年・B-MEa s.s., 49v-62r)、カザーレ・モンフェッラート写本(1515-18年・I-CMac FM 1, 69v-80r)、ウィーン写本(1515-16年・A-Wn Mus.Hs. 15496, 36v-50r)、モンセラート写本(1516-34年・E-MO MS 773, 30v-44r)、イェーナ写本(1518-20年・D-Ju MS 12, 18r-32r)、カンブレ写本(1520年頃・F-CA MS 18 (20), 168v-183r)、スビアーコ写本(1521-34年・I-SUb 248, 56v-75v)で伝わります。1516年にローマでAndrea Anticoから出版(Liber quindecim missarum)されました。

ラリューは1452年にトゥルネーに生まれ、1469年にブリュッセル、1471年にヘント、1472年にニゥーポルト、1478年にカンブレ、1480年代にケルン、1492年にスヘルトーヘンボスで働きました。1493年にブリュッセルで神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に仕え、1506年にドーバー海峡で船が難破しイングランドのヘンリー7世の下におり、カスティーリャに到り、ブルゴスでフアナ女王に仕え、1508年にメヘレンにおり、1516年にクルトレーに移り、1518年に亡くなりました。

Magnificat quinti toni(1515年頃・D-Ju MS 20, 60v)

• Jozef Robijns (1954). Pierre de la Rue, circa 1460–1518. Een bio-bibliographische studie, Gembloux: J. Duculot.
• Honey Meconi (2003). Pierre de la Rue and Musical Life at the Habsburg-Burgundian Court, New York: Oxford University Press.

B-MEa s.s., 49v-50r

2016年10月28日

ジャン・ムートン(Jean Mouton, 1459-1522)
Missa Dites-moi toutes vos pensées à 5(1513年・D-Mbs Mus. MS 510, 87v-113r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

通模倣様式のポリフォニーとホモフォニー書法を活用します。定旋律はアグリコラの三声シャンソン Dites-moi toutes vos penséesによります。ミュンヘン写本(1513-19年・D-Mbs Mus. MS 510, 87v-113r)やバチカン写本(1513-23年・V-CVbav MS Pal. lat. 1982, 57v-64r)で伝わります。1516年にローマでAndrea Anticoから出版(Liber quindecim missarum)されました。

1459年頃にオー=ヴィギューに生まれ、1477年にネールの司教座教会に仕え、1483年に聖歌隊長になり、1500年にアミアン大聖堂で勤め、1501年にグルノーブルに移り、1502年にフランス王妃アンヌに仕え、1509年にグルノーブルに移り、1513年の教皇レオ10世の選出を祝い演奏、1515年にボローニャで教皇に謁見して、1517年にグラレアヌスと会い、1522年にサンカンタンで亡くなりました。

• Andrew C Minor (1950). The Masses of Jean Mouton, Ann Arbor: University of Michigan.
• Josephine M. Shine (1953). The Motets of Jean Mouton, New York: New York University.

アントワーヌ・ブリュメル(Antoine Brumel, c. 1460-1513)
Missa En l'ombre d'un buissonet à 4(1516年・Roma: Andrea Antico)

定旋律 ジョスカンの三声シャンソン〈暑い日の陰(A l'ombre d'ung buissonet)〉(1490年頃)
Kyrie – Gloria – CredoSanctus – Agnus Dei

三声シャンソンの多声構造を応用した模倣ミサです。二重ストレッタやカノンなど、自由な書法により、和声進行が自然です。1516年にローマでAndrea Anticoから出版(Liber quindecim missarum)されました。プラハ写本(1520-40年・CZ-Pu MS 59 R 5117, 152v-162r)やヘルトリンゲン写本(1445-50年頃・D-HRD 9820, 15r-38r)でも伝わります。

1460年頃にブリュネルに生まれ、1483年にシャルトルの大聖堂、1486年にジュネーヴの聖ピエール聖堂、1492年にラン、1498年にパリのノートルダム大聖堂で勤め、1506年にフェラーラ公アルフォンソ1世にオブレヒトを継いで仕え、1513年に亡くなりました。

• Immanuel Ott (2015). Model-based Canonic Writing in Brumel’s Missa A l’ombre d’ung buissonet, Journal of the Alamire Foundation 7: 50-71.

Antoine Brumel (1516). Missa En l'ombre d'un buissonet, Liber quindecim missarum, Roma: Andrea Antico.

2016年10月29日

ロバート・フェアファックス(Robert Fayrfax, 1464-1521)
Missa O quam glorifica à 5(1511年・ GB-Cgc MS 667/760 (Caius Choirbook), 96r-111r、GB-Llp MS 1 (Lambeth Choirbook), 8v-16r)

模倣書法と平行和声(gymel)による安定した響きです。カイウス合唱曲集(GB-Cgc MS 667/760 (Caius Choirbook), 96r-111r)とアランデル合唱曲集(GB-Llp MS 1 (Lambeth Choirbook), 8v-16r)で伝わります。

1464年にリンカンシャーで生まれ、1497年に王室礼拝堂に仕え、1498年に聖アルヴァン修道院に移り、1502年に修道者になり、1504年にケンブリッジ大学、1511年にオックスフォード大学で音楽博士になり、1516年から王室に作品を書き、1520年に金襴の陣に同行、1521年に亡くなりました。

イングランドのセーラム典礼では、Kyrieにトロープス付きで歌われたことから、Gloriaから多声化されたミサ曲が始まります。

• John Caldwell (1998). The Oxford History of English Music (Volume 1), Oxford: Oxford University Press.

GB-Llp MS 1 (Lambeth Choirbook), 8v-9r

フランシスコ・デ・ペニャローサ(Francisco de Peñalosa, c.1470-1528)
Missa Nunca fué pena mayor à 4(1510年頃・E-TZ Archivo Ms. 2/3, 142v-150r)

フアン・デ・ウレーデ 三声ビジャンシーコ Nunca fué pena mayor / Numquam fuit pena magior
KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

フランシスコ・デ・ペニャローサのMissa Nunca fué pena mayor à 4(1510年頃)は、タラソナ大聖堂写本(E-TZ Archivo Ms. 2/3, 142v-150r)で伝わります。カスティーリャ女王フアナがブルゴーニュ公フィリップと結婚して、フランドルの音楽家アグリコラやラリューが、ブルゴスの宮廷に招かれ、北方の音楽文化が伝わりました。

1470年頃にトレド県タラベラ・デ・ラ・レイナで生まれ、セビリアで楽長となり、ブルゴスの宮廷も訪ねました。1518-21年にローマの教皇庁礼拝堂に勤め、1528年にセビリアで亡くなりました。オケゲムのカノンなど、古風な対位法技法により、独特の表情を織り成します。

ミサ曲が器楽で模倣されてから、声楽で歌われます。厳格な対位法と和声法により、音楽の構造が通用することが、西洋音楽の大きな特徴です。西洋音楽の基本構造の様式化と多様化を追跡するため、音楽家の技法が注ぎ込まれたミサ曲の系譜をたどりゆく特集をしております。

教会音楽と世俗音楽も問わず、ラテン語のモテット、イタリア語のフロットラ、フランス語のシャンソン、スペイン語のビジャンシーコ、ドイツ語のコラール、英語のアンセムなど、言語も問わず、声楽や器楽(ヴィオール・トランペット・オルガン・鍵盤楽器・ビウエラ・リュート)も問わず、音楽は音の高さと長さにより規定されます。

フアン・デ・ウレーデの三声ビジャンシーコ Nunca fué pena mayor / Numquam fuit pena magior(1440年頃・CH-SGS MS 463 (Tschudi Liederbuch), 58r、1480-84年・F-Pnm Français 15123 (Chansonnier Pixérécourt), 99v-100r、1500-03年・E-SE Ms. s. s. (Cancionero del Alcázar), 209r、1505-20年・E-Mp 1335 (Cancionero de Palacio), 10v-11r)

ウレーデはフランドルのブルージュからスペインのサラマンカに移住しました。ラテン語モテットのカスティーリャ語ビジャンシーコへの転用(contrafactum)です。

E-Mp 1335 (Cancionero de Palacio), 10v-11r

2016年11月1日

ジャン・リシャフォール(Jean Richafort, c.1480-1547)
Missa Veni Sponsa Christi à 6(1532年・Lyon: Jacques Moderne)

ジャン・リシャフォールのMissa Veni Sponsa Christi à 6(1532年)は、ジョスカンの通模倣様式により、透明な響きが殊に美しく、特に跳躍進行が少ない優美な旋律と穏やかな和声進行により、ローマ楽派に近づいております。パレストリーナにも同名のミサ曲がございます。

1480年頃にエノーで生まれ、ジョスカンに学んだとされ、1507-09年にメヘレンで聖ロンボルト大聖堂、1542年にブルッヘの聖ジル教会の聖歌隊長になり、1547年に亡くなりました。フランス王室でルイ12世、1531年にブリュッセルでハンガリー王妃マリアに仕えたとされます。

Jacques Moderne (1532) Liber decem missarum, Lyon.
○ Harry Elzinga (1979). Johannes Richafort: Opera omnia, Corpus mensurabilis musicae 81.

Jacques Moderne (1532) Liber decem missarum a praeclaris musicis contextus nunquam antehac in lucem editus, Lyon.

ニコラス・ルドフォード(Nicholas Ludford, c.1485-1557)
Missa Videte Miraculum à 6(1520年頃・GB-Cgc MS 667/760 (Caius Choirbook), 32r-47r)

カイウス合唱曲集(GB-Cgc MS 667/760 (Caius Choirbook), 32r-47r)で伝わります。低音域を重視して、華麗な装飾を伴う複雑な対位法を構成して、テューダー朝のタヴェナーやモーリーに影響を与えました。

1485年頃に生まれ、1517年にウエストミンスター修道院で勤め、1521年に音楽家ギルド(Fraternity of St Nicholas)に入り、1522年に聖ステファン王室教会に勤め、1527年に聖堂番になり、1533年に聖マーガレット教会から合唱曲集に対する禄を受け、1557年に亡くなりました。

• Hugh Baillie (1958). Nicholas Ludford (c. 1485–c. 1557), Musical Quarterly 44: 196-208.
• Fiona Kisby (1995). Music and Musicians of Early Tudor Westminster, Early Music 23: 223-240.

GB-Cgc MS 667.760 (Caius Choirbook), 32r-3v

ロバート・カーヴァー(Robert Carver [Arnot], c.1485-c.1570)
Missa Dum sacrum mysterium à 10(1546年頃・GB-En MS Adv. 5.1.15 (Carver Choirbook), 70v-96r)

楽節による対比が強く、旋律が交錯して、音の塊が降り注ぐような感覚になります。カーヴァー合唱曲集(1501-46年・GB-En MS Adv. 5.1.15 (Carver Choirbook), 70v-96r)で伝わります。

1485年にスコットランドで生まれ、1508年にパースシャーのスコーン修道院に入り、1559年に宗教改革で破壊されるまで住み、1570年頃に亡くなりました。生涯には不明な点が多いですが、デュファイやフェアファックスが記される曲集にまとめて作品が伝えられました。

• D. James Ross (1993). Musick Fyne: Robert Carver and the Art of Music in Sixteenth Century Scotland, Edinburgh: Mercat Press.
○ Kenneth Elliott (1996). The Complete Works of Robert Carver & Two anonymous Masses, Glasgow: University of Glasgow Music Department.

GB-En MS Adv. 5.1.15 (Carver Choirbook), 70v-71r

ジョン・タヴァーナー(John Taverner, c.1490-1545)
Missa Gloria tibi trinitas à 6(1528年頃・GB-Ob MS. Mus. Sch. e. 376-381 (Forrest-Heather Partbooks))

オックスフォード大学に勤めていた頃の作です。通模倣様式により均整の取れた定旋律ミサです。平行和声(gymel)により透明な響きに加えて、ホケトゥス(hoquetus)や面白い拍感を伴い愉快です。

ボドリアン写本(1528-30年頃・GB-Ob MS. Mus. Sch. e. 376-381 (Forrest-Heather Partbooks))、タンブリー写本(1575年頃・GB-Ob MS. Tenbury 1464, 39r-46r)、ボールドウィン合唱曲集(1575-81年・GB-Och Mus. 979-983 (Baldwin Partbooks))で伝わります。

1490年頃にリンカンシャーで生まれ、1520年代に当地タターシャルの教会で勤め、1526年にオックスフォード大学カーディナルズ学寮の楽長になり、1528年にルター派の宗教改革による混乱に巻き込まれ、1520年にボストンの聖ボドルフ教会に勤め、1545年に亡くなりました。

• Hugh Benham (2003). John Taverner: His Life and Music, Aldershot: Ashgate.

GB-Ob MS. Mus. Sch. e. 376 (Forrest-Heather Partbooks), 5r

2016年11月2日

アドリアン・ヴィラールト(Adrian Willaert, c.1490-1562)
Missa Christus Resurgens à 4(1536年・Venezia: Francesco Marcolini)

ヴェネツィアでFrancesco Marcoliniから出版(Liber quinque missarum)されました。カンブレ写本(1542年・F-CA 125-128, 65v-69r)でも伝わります。声部の均整が取れ、優美な名作となりました。ジョスカンの通模倣様式、ヴェネツィアの合唱を分割した交唱様式、オルガンや器楽でリチェルカーレを発展させました。

1490年頃にルーセラーレ近郊で生まれ、パリでムートンに学び、1515年頃にフェラーラでエステ家に仕え、1517年にハンガリー、1520年にフェラーラに戻り、1525年にミラノのスフォルツァ家に仕え、1527年からヴェネツィアの聖マルコ大聖堂の楽長になり、1562年に亡くなりました。

• Ignace Bossuyt (1985). Adriaan Willaert: leven en werk, stijl en genres, Leuven: Universitaire Pers Leuven.
• David Kidger (2005). Adrian Willaert: A Guide to Research, New York: Routledge.

ニコラ・ゴンベール(Nicolas Gombert, c.1495-c.1560)
Missa Sur tous regretz à 5(1530年・Antonio Gardano)

Chanson à 6KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

カール5世の戴冠式で披露され、1547年にヴェネツィアでAntonio Gardanoから出版(Quinque missarum)されました。ジョスカンの通模倣書法を継承して、緻密な厳格対位法を徹底して、不協和音の劇的展開を好み、スペインの音楽家に影響を与えました。

1495年頃に生まれ、1515-21年頃にコンデでジョスカンに学び、1526年にヘントで神聖ローマ皇帝カール5世に仕え、1529年に王室教会に勤め、1534年にトゥルネーの聖歌隊長になりましたが、1540年頃に不貞で記録から消されてしまい、1547年に恩赦を受けて、1561年に亡くなりました。

• Joseph Schmidt-Görg (1938). Nicolas Gombert. Kapellmeister Kaiser Karls V. Leben und Werk, Bonn: Röhrscheid.

2016年11月3日

クリストバル・デ・モラーレス(Cristóbal de Morales, c.1500-1553)
Missa Mille Regretz à 6(1535年・V-CVbav MS Capp. Sist. 17, 97v-118r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

ジョスカンの四声シャンソン〈千々の悲しみ〉による模倣ミサです。ローマを訪問した神聖ローマ皇帝カール5世に献呈されました。機能和声に接近した進行や三対四のポリリズムも用いられ新鮮な響きです。

1544年にローマのValerio Doricoから出版(Missarum Liber primus)されました。バチカン写本(1535-37年・V-CVbav MS Capp. Sist. 17, 97v-118r)、ウィーン写本(1540年・A-Wn Mus.Hs. 15499, 196v-242r)、ブルノ写本(1550年・CZ-Bam fond V 2 Svatojakubská knihovna, sign. 15/4 (Bam. 1), 238v-256r)でも伝わります。

1512年にセビリアで生まれ、1526年にアビラ大聖堂、1527年にプラセンシア大聖堂楽長となり、1531年にナポリに移り、1535年にローマで教皇庁に勤め、1545年にトレド大聖堂、1548年マルチェナ宮廷楽長、1551年にマラガ大聖堂楽長、1553年にマルチェナで亡くなりました。

○ Higinio Anglés (1984). Cristóbal de Morales: Opera omnia, Madrid: Consejo Superior de Investigaciones Científicas.

Cristóbal de Morales (1544). Missarum Liber primus, Roma: Valerio Dorico.

ジョスカンの四声シャンソン〈千々の悲しみ(Mille regretz)〉

神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が愛好して、天正遣欧使節が帰国後(天正19年・1591年)に豊臣秀吉の御前で披露したとされる名曲です。

Mille regretz de vous habandonner 千々の悲しみ、あなたを諦めること
Et d'eslonger, vostre fache amoureuse, あなたの愛らしい顔を背にして去ること、
J'ay si grand dueil et paine douloureuse, 私の大きな嘆き、心の痛みにより、
Qu'on me verra brief mes jours deffiner. もはや私の命は尽き、消えてしまうだろう。

クリストバル・デ・モラーレス(Cristóbal de Morales, c.1500-1553)
Missa de Beata Virgine à 5(1534年・I-REsp s.s., 117r-128v)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

模倣書法が徹底され、均整の取れた声部です。ジョスカンにも同名のミサ曲がありますが、和声展開がより劇的であり、低音域の充実が意図されております。

1540年にヴェネツィアでGirolamo Scottoから出版(Quinque Missae)されました。レッジオ・エミリア写本(1534-37年・I-REsp s.s., 117r-128v)、バチカン写本(1535-37年・V-CVbav MS Capp. Sist. 19, 66v-87r)、シュトゥットガルト写本(1540-45年・D-Sl MS Musica folio I 28, 1v-66r)、パドヴァ写本(1541-50年・I-Pc MS D.27, 133v-146r)、トレド写本(1550年・E-Tc Ms. 27, 1v-24r)でも伝わります。

四度・五度進行(ドミナント・サブドミナント進行)を好み、結果として、機能和声のカデンツ[トニック(I)→サブドミナント(IV)→ドミナント(V)→トニック(I)]となり、借用和音を好み、結果として転調して、門人ゲレーロに伝わりました。

○ G. Edward Bruner (1980), Editions and Analysis of Five Missa Beata Virgine Maria by the Spanish Composers: Morales, Guerrero, Victoria, Vivanco, and Esquivel, Ann Arbor: University of Illinois.

Cristóbal de Morales (1540). Quinque Missae Moralis Hispani ac Jacheti, Venetia: Girolamo Scotto.

2016年11月4日

ジャック・アルカデルト(Jacques Arcadelt, 1504-1568)
Missa Noe, noe à 6(1557年・Paris: Adrian Le Roy & Robert Ballard)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei IAgnus Dei II

フランス語「クリスマス(Noël)」がラテン語化されます。シャンソンやマドリガルで培われた劇的な表現と清冽で見通しの利いた和声進行です。1557年にパリでAdrian Le Roy & Robert Ballardから出版(Misse tres)されました。

1507年にナミュールに生まれ、1520年代にフィレンツェに移り、ヴェルデロ―に学び、マドリガーレを作り、1538年にローマの教皇庁に入り、1539年にジュリア礼拝堂に勤め、システィーナ礼拝堂に移り、少年聖歌隊長になり、1553年にフランス王室に仕え、1568年にパリで亡くなりました。

• Paul Moret (1993). Jacques Arcadelt, musicien namurois (1507–1568), Bulletin de la Société liégeoise de musicologie 83: 12-16.

Jacques Arcadelt (1557). Missae tres Iacobo Arcadet, Paris: Adrian Le Roy & Robert Ballard.

クリストファー・タイ(Christopher Tye, c.1505-1572)
Missa Euge serve bone à 6(1545年・GB-Ob MS. Mus. Sch. e. 376-381 (Forrest-Heyther Partbooks))

平行和声の安定した響きで音量に変化が付けられます。ケンブリッジ大学に提出して音楽博士となりました。ボードリアン写本(1553-58年・GB-Ob MS. Mus. Sch. e. 376-381 (Forrest-Heyther Partbooks))で伝わります。

1505年頃にケンブリッジで生まれ、1536年にケンブリッジ大学で音楽修士となりました。1537年にキングス学寮で歌手になり、1543年にイーリー大聖堂の聖歌隊長、1545年に音楽博士となり、1561年に聖歌隊長を辞めてから、エドワード6世に音楽教師として仕え、1572年頃に亡くなりました。

• Judith H. Blezzard (1973). Christopher Tye: A Quartercentenary Note, The Musical Times 114, no. 1568: 1051-1053.

GB-Ob MS. Mus. Sch. e. 376 (Forrest-Heyther Partbooks), 120v-121r

トマス・タリス(Thomas Tallis, c.1505-1585)
Mass for four voices(1540年頃・GB-Lbl Add. MS 17802-05 (Gyffard Partbooks))

跳躍を抑えた優雅な旋律を組み合わせ、和声衝突を避け、平行和声を操り、音量に対比が付けられ、面白い響きの瞬間を生み出します。ジファード合唱曲集(1570-85年・GB-Lbl Add. MS 17802-05 (Gyffard Partbooks))で伝わります。

1505年頃に生まれ、1532年にドーバーに移り、1538年にロンドンのウォルサム修道院、1540年頃にカンタベリー大聖堂に勤め、1543年にテューダー朝の音楽家を代表して、ウィリアム・バードと共に王室礼拝堂のオルガニストになり、1585年にグリニッチのストックウェル街で亡くなりました。

GB-Lbl Add. MS 17802 (Gyffard Partbooks), 72v-73r

トマス・タリス(Thomas Tallis, c.1505-1585)
Missa Puer natus est nobis à 7(1554年・GB-Ob MS. Tenbury 341-344, 60v)

Lamentations of Jeremiah I

クリスマスの第三ミサにより、女王メアリー1世のために作られました。声部が多く、透明な和音が響きわたり、和声が移ろいゆき、静謐で流麗な印象です。ボードリアン写本(1600年頃・GB-Ob MS. Tenbury 341-44)で伝わります。

タリスはオルガンやヴァージナルなど、鍵盤奏者としても卓越しており、1545-70年頃にMulliner Bookを編纂して、ヴァージナル楽派の礎となりました。1548-49年にスペインのカベソンがイングランドを訪れたとき、前奏曲(tiento)や変奏曲(diferencias)など、華麗な鍵盤楽曲を伝えたからです。

• Suzanne Cole (2008). Thomas Tallis and his Music in Victorian England, Woodbridge: Boydell.
• John Harley (2015). Thomas Tallis, London: Routledge.

GB-Ob MS. Tenbury 341, 60v-61r

2016年11月5日

フランチェスコ・チェッラヴェーニア(Francesco Cellavenia, c. 1510-1563)
Missa Laetare nova Sion à 4(1538年頃・I-CMac N(H), 107v-118r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

緻密な和声進行により流麗です。カザーレ・モンフェッラート写本(1515-45年・I-CMac N(H), 107v-118r)で伝わります。ムートン・リシャフォール・ヴィラールト・モラーレスらの影響を受けています。

リシャフォールやアンドレアス・ダ・シルヴァから定旋律書法、ムートンやヴィラールトから通模倣様式、ジャケットやモラーレスから経過和声を受けました。1510年頃にピエモントのパヴィア近郊チラヴェーニャに生まれ、カザーレ・モンフェッラート大聖堂に勤め、1563年に亡くなりました。

○ David Crawford (1978). Francesco Cellavenia: Collected Works, Corpus mensurabilis musicae 80.

ピエール・ド・マンシクール(Pierre de Manchicourt, c.1510-1564)
Missa Veni Sancte Spiritus à 6(1560年頃・E-MO MS 772, 18v-34r)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

モンセラート写本(1560年頃・E-MO MS 772, 18v-34r)で伝わります。オケゲムの対位法書法、ジョスカンの通模倣書法、ゴンベールの緻密な模倣などを継承して、モテットを創作して、ミサ曲に転用しました。

係留を利用することにより、鋭敏な拍感と緻密な和声の進行を可能にして、横の穏やかな旋律と縦の細やかな調和を成しました。1510年頃にベテュヌで生まれ、1525年にアラスにおあり、トゥールやトゥルネー、スペイン王国のフェリペ2世の宮廷に仕え、1564年にマドリッドで亡くなりました。

○ John D. Wicks; Lavern Wagner (1971). Pierre de Manchicourt: Opera omnia, Corpus Mensurabilis Musicae 55.

2016年11月7日

ヤコープ・クレメンス・ノン・パパ(Jacob Clemens non Papa, c.1515-1556)
Missa Pastores quidnam vidistis à 5(1559年出版・Missa cum quinque vocibus Tomus VIII)

MotetusKyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

ルーヴェンでPierre Phalèseから没後に出版(Missa cum quinque vocibus Tomus VIII)されました。自作の五声モテット〈羊飼いたちよ、地上で何を見たのか〉による模倣ミサで低音域重視です。

1510年頃にゼーラントのミデルブルフで生まれ、1530年終りにパリでアテニャンがシャンソンを出版して、1544年にブルージュ大聖堂で勤め、1545年にアントウェルペンに移り、クロイ家のフィリップ2世に仕え、1550年にスヘルトーヘンボスの聖母信徒会に勤め、1556年頃に亡くなりました。

○ Clemens non Papa (1559). Missa cum quinque vocibus, ad imitationem moduli Pastores quidnam vidistis, Leuven: Pierre Phalèse.
○ Karel Philippus; Bernet Kempers (1954). Jacobus Clemens non Papa: Opera omnia, Corpus Mensurabilis Musicae 4.

チプリアーノ・デ・ローレ(Cypriano de Rore, 1516-1565)
Missa Praeter rerum seriem à 7(1555年頃・D-Mbs Mus. MS 46, 137r-189r)

ジョスカン 五声モテット Praeter rerum seriem

ジョスカンの五声モテット〈自然の摂理に逆らい〉による模倣ミサです。ミュンヘン写本(1555-63年・D-Mbs Mus. MS 46, 137r-189r)で伝わります。マドリガーレの語感の良さや濃厚な響き、半音進行や音画技法などを教会音楽で応用しました。

1515年頃にロンセで生まれ、アントウェルペンで学び、1533年にパルマ公妃マルゲリータに随いナポリ、1542年にブレーシャに移り、1546年にフェラーラのエステ家でエルコーレ2世に仕え、1560年にパルマに移り、1563年にヴェネツィアの聖マルコ大聖堂楽長をヴィラールトから引き継ぎました。

• Josef Musiol (1933). Cyprian de Rore, ein Meister der venezianischen Schule, Breslau: Eduard Klinz.
○ Bernhard Meier (1956). Cipriano da Rore: Opera omnia, Corpus Mensurabilis Musicae 14.

D-Mbs Mus. MS 46, 137r-138r

2016年11月8日

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525-1594)
Missa Æterna Christi munera à 4 [Agnus à 5](1590年・Missarum liber quintus)
KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei
Lamentationes Ieremiae III. Sabbato Sancto à 6(1588年)

賛歌〈永遠のキリストの恵み〉を定旋律に置き、旋律を変えて、音が濁らないよう細心の注意が払い、美しい響きを保ちました。《ミサ曲集》第5巻で出版されました。

1588年にヴェネツィアでRiccardo Amadiniが出版(Missarum liber quintus, quatuor, quinque, ac sex vocibus concinendarum)しましたが、1590年にローマでFrancesco Coattino、1591年にヴェネツィアでGirolamo Scotto、1599年にローマでNicolo Mutiiが再版して伝わります。

1525年頃にローマ近郊パレストリーナで生まれ、1537年にローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂の聖歌隊員となり、1544年にパレストリーナの聖アガーピト教会で勤め、1550年に司教が教皇ジュリウス3世に即位して、1551年にローマ教皇庁のジュリア礼拝堂楽長になりました。

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525-1594)
Missa Ad cœnam Agni providi à 5(1554年・Missarum liber primus)

Ad cœnam agni providi(1589年・Hymnus In Dominicis Tempore Paschali

賛歌〈子羊の宴を整え〉による通模倣ミサです。フリギア旋法(第3旋法)をイオニア旋法(長音階)にして、近代の機能和声に近づきました。《ミサ曲集》第1巻で出版されました。

1554年にローマでValerio & Aloysio Doricoが出版(Missarum liber primus)して教皇に献呈されましたが、1572年にローマでValerio Dorico、1581年にブレシアでTomaso Bozzola、1591年にローマでAlessandro Gardano、1596にヴェネツィアでAngelo Gardanoが再版して伝わります。

1555年1月にシスティーナ礼拝堂聖歌隊に入りましたが、3月に教皇が亡くなり、5月にマルチェルス2世も即位直後に亡くなり、パウルス4世が就任すると既婚者が解任され、10月にラッススの後任としてサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂楽長になり、1560年6月まで奉職しました。

Giovanni Pierluigi da Palestrina (1554/72). Missarum liber primus, Roma: Valerio Dorico.

2016年11月9日

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525-1594)
Missa Benedicta es à 6(1555年頃・D-Mbs Mus. MS 46, 1v-72r

バイエルン公アルブレヒト5世に献呈され、ミュンヘン写本(1555-63年・D-Mbs Mus. MS 46, 1v-72r)で伝わり、《ミサ曲集》第15巻に収録されます。

1561年にサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂楽長になり、1570年にハプスブルグ家のスペイン国王フェリペ2世に《ミサ曲集》第3巻を献呈して、1559年に教皇ピウス4世が即位して年金が増額されました。1564年にエステ家に仕え、1566年から教皇ピウス5世の命でセミナリオ・ロマーノ(Seminario Romano)で教えました。

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525-1594)
Missa Assumpta est Maria à 6(1579年・V-CVbav MS Capp. Sist. 76, 4v-24r)

MotetKyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

自作の六声モテット〈マリアは昇天せり〉による模倣ミサです。美しい響きに満たされます。

バチカン写本(1579-99年・V-CVbav MS Capp. Sist. 76, 4v-24r、1600年・V-CVbav MS Ottob. lat. 3391, 44r-72r、1602年・V-CVbav MS Capp. Giulia XVI, 15, 131v-162r)で伝わります。

1571年にジュリア礼拝堂楽長になり、1578年に教皇グレゴリオ13世の命でグレゴリオ聖歌の改訂しました。1572-80年に家族をペストで失い、1581年に裕福な未亡人と再婚して、1584年に音楽家ギルドに入り、1594年にローマで亡くなりました。

V-CVbav MS Ottob. lat. 3391, 44r-45r

2016年11月11日

フランシスコ・ゲレーロ(Francisco Guerrero, 1528-1599)
Missa Dormendo un giorno à 7(1565/66年・Paris: Nicolas du Chemin)

ヴェルデロの五声マドリガル〈寝ていた一日〉による模倣ミサです。スペイン黄金期の伝統を汲み、激情と静謐が入り混じり、色彩が豊かです。パリでNicolas du Cheminから出版(Liber primus missarum)されました。

1528年にセビリャで生まれ、1546年にハエン聖堂楽長となり、1549年にセビリャ大聖堂に移り、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン2世に仕え、1581-82年にイタリアを訪れました。1588-89年にパレスチナの巡礼して海賊の襲撃に遭いながらも何とか帰還でき、1599年にセビリアで亡くなりました。

• Robert Stevenson (1992). La música en las catedrales españolas del Siglo de Oro, Madrid: Alianza Editorial.
○ Vicente García Julbe; Miguel Querol Gavaldá (1955). Francisco Guerrero: Opera omnia, Barcelona: Instituto Español de Musicología.

Francisco Guerrero (1565/66). Liber primus missarum, Paris: Nicolas du Chemin.

ヤコブス・デ・ケルレ(Jacobus de Kerle, 1532-1591)
Missa Regina Coeli à 4(1582/83年・Christophe Plantin)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

伝統的なフランドルの技法で多素材で対位法をタペストリーのように構成して、古風な味わいがございます。アントワープでChristophe Plantinから出版(Quatuor Missae suavissimis modulationibus refertae)されました。

1531年にイーペルで生まれ、カンブレやオルヴィエートで働き、1562年にトレント公会議にPreces Specialesを作り、1565年にイーペル、1568年にアウグスブルク、1579年にカンブレ、モンス、ケルン、アウグルブルク、ウィーンに移り、1583年にプラハに到り、1591年に亡くなりました。

• Christian Thomas Leitmei (2009). Jacobus de Kerle (1531/32-1591): Komponieren im Brennpunkt von Kirche und Kunst, Turnhout: Brepols.

2016年11月12日

オルランド・ディ・ラッソ[ローラン・ドゥラットル](Orlando di Lasso, 1532-1594)
Missa Bell' Amfitrit' Altera à 8(1583年・LV 1146)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

先進的なマドリガーレの半音進行や音画技法などを応用しましたが、ミサ曲は優雅な旋律と豊かな情感を湛えております。1610年にミュンヘンでNikolaus Heinrichから出版(Missae posthumae)されました。

1532年にモンスで生まれ、1544年にマントヴァでゴンサーガ家に仕え、1547年にミラノでホスタ・ダ・レッジョに学び、1550年頃にナポリに移り、ローマでフィレンツェ公に仕え、1553年に聖ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂楽長になり、1554年にフランスとイングランドを訪れました。

1555年にアントウェルペン、1556年にミュンヘンでバイエルン公アルブレヒト5世に仕え、1570年には神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン2世から貴族、1571年には教皇グレゴリオ13世より騎士に叙せられ、1571年にフランス王シャルル9世を訪れ、1594年にミュンヘンで亡くなりました。

• James Erb (1990). Orlando di Lasso: A Guide to Research, New York: Garland.

Orlande de Lassus (1610). Missae posthumae, München: Nikolaus Heinrich.

クラウディオ・メールロ(Claudio Merulo, 1533-1604)
Missa Susanne un giour à 5(1573年・Venezia: Antonio Gardano)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

ヴェネツィア楽派らしく、マドリガルで開拓された表現を駆使して、豊かな感情を表出しました。オルガンや金管楽器の音楽も作りました。ヴェネツィアのAntonio Gardanoから出版(Missarum quinque vocum)されました。

1533年にコッレッジョで生まれ、1555年にはヴェネツィアでツァルリーノに学び、コスタンツォ・ポルタと親しみ、1556年にブレシア聖堂、1557年にヴェネツィアの聖マルコ大聖堂に勤め、1579年に特使としてトスカーナ大公の結婚式に参加、1584年にパルマに移り、1604年に亡くなりました。

○ James Bastian (1970) Claudio Merulo: Opera Omnia I, Neuhausen-Stuttgart: Hänssler.
• Giuseppe Martini (2005). Claudio Merulo. Parma: Ordine Costantiniano di S. Giorgio.

Claudio Merulo (1573). Missarum quinque vocum. Liber primus, Venezia: Antonio Gardano.

2016年11月13日

ジャケス・デ・ヴェルト(Giaches de Wert, c.1535-1596)
Missa Dominicalis à 5(1592年・Milano: Michele Tino)

バスを通奏低音らしくなり、ホモフォニーとポリフォニーが交替したり、声部が応答するコンチェルタート様式も模索されて、表現力がとても豊かです。ミラノでMichele Tinoから出版(Missae dominicales quinis vocibus diversorum auctorum)されました。

1535年頃にアントウェルペン近郊ヴェールトで生まれ、幼くしてイタリアに行き、ナポリのマリア・ディ・カルドナ礼拝堂の聖歌隊に入りました。1550年頃にフェラーラでチプリアーノ・デ・ローレに学び、1565年にマントヴァでゴンザーガ家に仕えて、聖バルバラ礼拝堂の聖歌隊長になり、1596年に亡くなりました。

• Alfred Einstein (1949). The Italian Madrigal, Princeton: Princeton University Press.

Giulio Pellinio (1592). Missae dominicales quinis vocibus diversorum auctorum, Milano: Michele Tino.

アレッサンドロ・ストリッジョ(Alessandro Striggio, 1540-1592)
Missa sopra Ecco sì beato giorno à 40 & 60(1567年・F-Pn Rés. Vmd. ms 52)

壮麗な器楽と多声の合唱でフィレンツェの栄華を伝えます。40声モテット〈見よ、祝福されたる光が(Ecce beatam lucem)〉(1561年)は、タリスの〈御身よりほかに希望はなし(Spem in alium)〉(1570年頃)に影響を与えました。

1540年にマントヴァで生まれ、1559年にフィレンツェでメディチ家に劇音楽を作り、1567年にイングランドを訪れ、マドリガーレを伝え、1570年代にミュンヘンのバイエルン宮廷を訪れ、フィレンツェのカメラータで活動、1580年代にフェッラーラのエステ家に仕え、1592年に亡くなりました。

• Davitt Moroney (2007). Alessandro Striggio’s Mass in Forty and Sixty Parts, Journal of the American Musicological Society 60(1): 1-69.

ヤコポ・ペーリはフィレンツェのカメラータで活躍して、最古のオペラ〈ダフネ(Dafne)〉(1597年)を上演、現存最古のオペラ〈エウリディーチェ(L'Euridice)〉(1600年)を作曲しました。カッチーニやペーリの管弦楽法に影響が見られますが、ストリッジョは後期ルネサンスの様式により、バロック音楽のモノディ様式は見られません。

• Claude V. Palisca (1989). The Florentine Camerata: Documentary Studies and Translations, New Haven: Yale University Press.

F-Pn Rés. Vmd. ms 52

2016年11月14日

ウィリアム・バード(William Byrd, 1543-1623)
Mass for three voices(1591年・London: Thomas East)

ウィリアム・バードのMass for three voices(1591年)は、平行和声(gymel)に由来する書法により、美しい和音が常に響き渡り、タヴァーナーやタリスの様式により、気品にあふれた優美な音楽になりました。セーラム典礼では作られないキリエもリタニアの様式で多声化されます。

1543年にロンドンで生まれ、王室礼拝堂の少年聖歌隊に入り、タリスに学び、1563年にリンカン主教座聖堂に勤め、1572年に王室礼拝堂のオルガニストとしてエリザベス1世に仕え、1570年代にハーリントンに移り、1580年代にエセックスでピーター卿に仕え、1623年に亡くなりました。

ウィリアム・バード(William Byrd, 1543-1623)
Mass for five voices(1593年・London: Thomas East)

ウィリアム・バードのMass for five voices(1593年)は、イングランドの美しく響かせる即興技法の平行和声(gymel)とフランドルから伝来した通模倣様式を融合しました。同時代のローマ楽派(パレストリーナ様式)に近く、音量や速度により対比が生まれ、表現が多彩になるよう工夫されます。

My Ladye Nevells Booke(1591年)やFitzwilliam Virginal Book(1619年)にはヴァージナル曲が、Parthenia(1611年)でも出版され、ヴィオール合奏(コンソート)のファンタジアなど器楽も作り、ダウランドに近い歌曲、モーリーに近いマドリガーレも作り、あらゆる様式で作曲しました。

• Richard Turbet (1987). William Byrd, A Guide to Research, New York: Garland.
• Kerry McCarthy (2013). Byrd, Oxford: Oxford University Press.

William Byrd: Ave verum corpus à 4(1605年)

William Byrd (1591). Mass for three voices, London: Thomas East.

2016年11月15日

トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomás Luis de Victoria, 1548-1611)
Missa Salve Regina à 4(1592年・Roma: Francesco Coattino)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

聖歌を定旋律にしたミサ曲です。禁則(長六度上行や減四度音程)も用い、静謐かつ激情が融合した緊密さがあります。パレストリーナの清冽な響きに対して、ビクトリアは色彩にくすみも含んだステンドグラスのような趣きです。

1548年にアビラ近郊で生まれ、1558年に大聖堂でベルナルディーノ・デ・リベラに学び、1560年以前にカベゾンに接したとも、セゴビア大聖堂でモラーレスの門人エスコベドに学んだともされ、1565年にスペイン王フェリペ2世より奨学金を下賜され、ローマのコレギウム・ゲルマニクムに留学しました。

トマス・ルイス・デ・ビクトリア(Tomás Luis de Victoria, 1548-1611)
Missa O Magnum Mysterium à 4(1592年・Roma: Francesco Coattino)

四声モテット O Magnum Mysterium

自作のモテットによる模倣ミサです。フランドル楽派の通模倣様式やローマ楽派の美しい響き、スペイン音楽黄金期の先進的な和声進行、イタリアのマドリガルの音画技法、ヴェネツィア楽派の複合唱様式を融合しました。

ミサ曲は、1592年にローマでFrancesco Coattinoから出版(Missae quatuor, quinque, sex et octo vocibus concinendae, una cum antiphonis Asperges et Vidi aquam totius anni, liber secundus)されました。モテットは、1572年にヴェネツィアのAntonio Gardanoから出版(Motecta)されました。

1566年からパレストリーナに学んだとされ、1573年にコレギウム・ゲルマニクム楽長になり、1575年にオラトリオ信心会に入り、1578年にサン・ジロラモ・デラ・カリタ教会の司祭、1587年にマドリードのラス・デカルサス・レアレス修道院のマリア皇太后に仕える司祭になり、1611年に亡くなりました。

• Ferreol Hernández (1960). Tomás Luis de Victoria “El Abulense”, Ávila: Diputación Provincial.
• Eugene Casjen Cramer (1998). Tomás Luis de Victoria: A Guide to Research, New York: Garland.

ブルゴス大聖堂の薔薇窓

2016年11月16日

ヤコブス・ガルス(Jacobus Gallus Carniolus [Jacob Handl], 1550-1591)
Missa super Sancta Maria à 6(1590年・Praha: Georg Nigrin)

ヤコブス・ガルスのMissa super Sancta Maria à 6(1590年)は、ヴェルドロのモテットによる模倣ミサです。マドリガーレの半音進行や音画技法、フランドルの通模倣様式とヴェネツィアの複合唱様式を融合しました。プラハでGeorg Nigrinから出版(Missarum quatuor vocum, liber primus)されました。

1550年頃に神聖ローマ帝国(カルニオラ公国)のライフニッツで生まれ、1564年から低地オーストリア、1566年からボヘミア、モラビア、シレジアを巡り、オーストリアのメルク修道院に入り、1579年にモラビアのオロモウツ司教宮廷楽長、1585年にプラハの洗礼者ヨハネ教会に勤め、1591年に亡くなりました。

• Edo Škulj (1991). Gallusovi predgovori in drugi dokumenti, Ljubljana: Družina-Cerkveni glasbenik.

ルカ・マレンツィオ(Luca Marenzio, 1553-1599)
Missa super Iniquos odio habui à 8(1596年・PL-GD 4006, 54. 3)

MotetusMissa

自作の八声モテットによる模倣ミサです。マドリガーレで半音進行や音画技法を開拓して、大胆な不協和音や転調による効果を実験しました。イタリア語の快活な語感や安定したバスにより豊かな表現が生まれます。

マレンツィオがポーランドに滞在した晩年に作曲されて、グダニスク写本(PL-GD MS 4006, Nr. 48、PL-GD MS 4012, Nr. 108)でKyrieとGloriaが伝わります。ベルリン写本(D-B Sammlung Bohn Mus. MS 96, Nr. 11)やブルノ写本(CZ-Bu MS Mus. 4 577.948)で全体が伝わります。

1553年にブレーシャ近郊で生まれ、1568年にマントヴァのゴンザーガ家、ローマでマドルッツォ枢機卿、1578年にエステ枢機卿に仕え、1587年にフィレンツェを訪れ、1589年にローマに戻り、1595年にダウランドと会い、1596-98年にポーランドを訪れ、1599年にローマで亡くなりました。

○ Barbara Przybyszewska-Jarmińska (2016). Luca Marenzio. Missa super Iniquos odio habui, Warszawa: Liber Pro Arte.
• James Chater (1981). Luca Marenzio and the Italian Madrigal, 1577–1593, Ann Arbor: UMI Research Press.
• Roland Jackson (1999). Marenzio, Poland and the Late Polychoral Sacred Style, Early Music 27: 622-631.
Barbara Przybyszewska-Jarmińska (2004). Missa super Iniquos odio habui - warszawska msza w formie echa Luki Marenzia?, Muzyka 49(3): 3-39.
• Marco Bizzarini (2017). Luca Marenzio: The Career of a Musician Between the Renaissance and the Counter-Reformation, London: Taylor & Francis.

PL-GD MS 4006, 76v-77r

2016年11月17日

アロンソ・ロボ(Alonso Lobo, c.1555-1617)
Missa simile est regnum à 4(1602年・Madrid: Joannem Flandrum)

Francisco Guerrero. Motetus. Simile est regnum caelorum à 4(1570年)

ゲレーロの四声モテット(1570年)による模倣ミサです。ビクトリアも同名のミサ曲(1576年)を作りました。フランドル楽派の通模倣様式に代理和声やポリリズム、ヴェネツィア楽派の分割合唱や器楽伴奏を取り入れました。

1555年頃にオスナで生まれ、セビーリャ大聖堂の少年聖歌隊に入り、オスナ大学で学位を取り、司教座聖堂参次会員を勤めました。1591年にセビーリャ大聖堂でゲレーロの助手になり、楽長に進みました。1593年にトレド大聖堂の楽長になり、1604年にセビーリャに戻り、1617年で亡くなりました。

• Maldonado Abarca; José Rafael (2005). Acercamiento a la elaboración paródica en la Misa Simile est Regnum de Alonso Lobo de Borja (1555-1617), Revista de la Sociedad Venezolana de Musicología 8:3-20.

Alonso Lobo (1602). Liber primus missarum, Madrid: Ex Typographia Regia.

ジョヴァンニ・クローチェ(Giovanni Croce, 1557-1609)
Missa sopra la battaglia à 8(1596年・Venezia: Giacomo Vincenti)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei
Motetus. O sacrum convivium à 4(1596年) 

ジャヌカンの四声シャンソンLa bataille de Mariganによる模倣ミサで分割合唱によります。ヴェネツィアのGiacomo Vincentiから出版(Messe a otto voci)されました。ゲレーロもMissa de la batalla escoutezを作りました。

1557年にキオッジャで生まれ、1565年頃にキオッジャ大聖堂でジョゼッフォ・ツァルリーノに見い出され、ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂に学び、1585年に叙階、1590年にバルダッサーレ・ドナートの助手、1603年に聖マルコ大聖堂の楽長になり、1609年にヴェネツィアで亡くなりました。

• Denis Arnold (1979). Giovanni Gabrieli and the Music of the Venetian High Renaissance, London: Oxford University Press.

Giovanni Croce (1596). Messe a otto voci

2016年11月18日

ハンス・レオ・ハスラー(Hans Leo Haßler, 1562-1612)
Missa super Dixit Maria à 4(1599年・Nürnberg: Paul Kaufmann)

Motetus. Dixit Maria

四声モテットによる模倣ミサです。ニュルンベルクでPaul Kaufmannから出版(Missae quaternis, V. VI. et VIII. vocibus)されました。古風な模倣技法や穏当な和声処理です。最新の複合唱様式や半音階技法をドイツに紹介しました。

1562年にニュルンベルクで生まれ、1584年にヴェネツィアでガブリエーリに学び、1585年にアウクスブルクでオクタヴィアン2世に仕え、1602年にニュルンベルク、1604年にウルムに移り、1608年にドレスデン宮廷オルガニストになり、1612年にフランクフルト・アム・マインで亡くなりました。

• Hannelore Müller; Heinz Zirnbauer (1964). Hans Leo Hassler: Leben und Werk, Nürnberg : Stadtbibliothek.

ドゥアルテ・ローボ(Duarte Lôbo, 1565-1646)
Missa Vox clamantis à 6(1639年・Antwerpen: Christophe Plantin)

アントワープでChristophe Plantinから出版(Liber secundus Missarum)されました。ポルトガル国王ジョアン4世は音楽を愛して、エヴォラ大聖堂に合唱伝習所(Colégio dos Moços do Coro)を設けて楽派をなしました。

1565年頃にアルサソヴァスで生まれ、エヴォラ大聖堂でマヌエル・メンデスに学び、1589年頃にエヴォラ大聖堂楽長、1591年にリスボン大聖堂楽長、コレジオ(Claustra da Sé)やセミナリオ(São Bartolomeu)の音楽監督となり、1639年に楽長を辞して、1646年に亡くなりました。

• José Augusto Alegria (1984). Polifonistas Portugueses: Duarte Lôbo, Filipe Magalhães, Francisco Martins, Lisboa: Instituto de Cultura e Língua Portuguesa.

2016年11月19日

マヌエル・カルドーゾ(Manuel Cardoso, 1566-1650)
Missa Miserere mihi Domine à 6(1625年・Lisboa: Pedro Craesbeeck)
KyrieGloriaCredoSanctusAgnus DeiSitivit anima mea

定旋律ミサです。リスボンでPedro Craesbeeckから出版(Liber primus missarum)されました。古風な厳格対位法に複合唱様式を取り入れながら、斬新な和声法でイベリア半島に独特な叙情を湛えて深遠に響きます。

1566年にポルトアレグレ近郊フロンテイラで生まれ、エヴォラ大聖堂でメンデスとデルガーデらに学び、1588年にカルメル会修道院に入り、1589年に請願を立て、1620年代にヴィラ・ヴィソーサ大公家に仕え、ポルトガル国王ジョアン4世と親しくなり、1650年にリスボンで亡くなりました。

• José Augusto Alegria (1983). Frei Manuel Cardoso: compositor portugûes (1566–1650), Lisboa: Instituto de Cultura e Língua Portuguesa.

クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi, 1567-1643)
Missa In illo tempore à 6(1610年・Venezia: Ricciardo Amadino)

ヴェネツィアでRicciardo Amadinoから出版(Sanctissimae Virgini missa senis vocibus)されました。1605年に厳格な第一作法(prima pratica)と自由な第二作法(seconda pratica)を区別して、独唱と通奏低音、アリアとレチタティーヴォを確立しました。

1567年にクレモナに生まれ、インジェニェーリに学びました。1590年にマントヴァのゴンザーガ家に仕え、1602年に宮廷楽長になり、1607年にオペラ〈オルフェオ(L'Orfeo)〉を初演しました。1613年にヴェネツィアの聖マルコ大聖堂の楽長になり、1628年にシュッツと会いました。1632年に司祭に叙階され、1643年に亡くなりました。

• John Whenham; Richard Wistreich (2007). The Cambridge Companion to Monteverdi, New York: Cambridge University Press.

Claudio Monteverdi (1610). Sanctissimae Virgini missa senis vocibus, Venezia: Ricciardo Amadino.

2016年11月21日

ミヒャエル・プレトリウス[シュルトハイス](Michael Praetorius, 1571-1621)
Missa à 8(1607年・Nürnberg: Abraham Wagenmann)

ニュルンベルクでAbraham Wagenmannから出版(Musarum Sioniarum)されました。複合唱様式により二手の合唱が掛け合いながら転調します。シュッツやシャイトらと共に教会コンチェルト(Geistliches Konzert)を確立しました。

1571年にクロイツブルクに生まれ、トルガウやフランクフルト(オーダー)で学び、当地で勤めました。1604年からヴォルフェンビュッテル宮廷のオルガニスト、1604年に楽長になり、1613年にドレスデンのザクセン宮廷に仕え、1614年からシュッツの同僚になり、1621年に亡くなりました。

• Siegfried Vogelsänger (2008). Michael Praetorius, Wolfenbüttel: Möseler.

Michael Praetorius (1607). Musarum Sioniarum, Nürnberg: Abraham Wagenmann.

フィリップ・ド・マガリャアエス(Filipe de Magalhães, 1571-1652)
Missa O Soberana Luz à 5(1639年・Lisboa: Lourenço Craesbeeck)

フィリップ・ド・マガリャアエスのMissa O Soberana Luz à 5(1639年)は緻密なポリフォニーの極致です。このミサ曲集はポルトガル国王フィリペ2世(スペイン国王フェリペ3世)に献呈されました。ジョアン4世が収集した作品は、1755年のリスボン大地震で焼失してしまいました。

1571年にアゼイタンで生まれ、エヴォラ大聖堂でマヌエル・メンデスにローボやカルドーゾと学び、1589年にエヴォラ大聖堂、1602年にリスボンの王室礼拝堂に勤め、1614年に《教会合唱曲集(Cantus Ecclesiasticus)》を出版、1623年から1641年まで楽長を務め、1652年に亡くなりました。

• Robert Stevenson (1967). Portugaliae musica: A Bibliographical Essay, Lima: Pacific Press.

Filipe de Magalhães (1639). Liber Missarum, Lisboa: Lourenço Craesbeeck.

2016年11月22日

グレゴリオ・アレグリ(Gregorio Allegri, 1582-1652)
Missa Vidi turbam magnam à 6(1640年頃・V-CVbav MS Capp. Sist. 71, 37v-59r)

グレゴリオ・アレグリのMissa Vidi turbam magnam à 6(1640年頃)は、緻密な対位法による模倣ミサです。バチカン写本(V-CVbav MS Capp. Sist. 71, 37v-59r)で伝わります。1650年に〈四声のシンフォニア(Sinfonia à 4)〉がキルヒャーにより出版され、弦楽四重奏曲の源流になりました。

1582年にローマで生まれ、1591年に聖ルイジ・デイ・フランチェージ教会聖歌隊長ジョヴァンニ・ベルナルディーノ・ナニーノ(パレストリーナ門下)に学び、1619年にフェルモ大聖堂に勤め、1629年に教皇ウルバヌス8世の命でシスティーナ礼拝堂聖歌隊に入り、1652年にローマで亡くなりました。

• Kerstin Helfricht (2004). Gregorio Allegri: Biographie, Werkverzeichnis, Edition und Untersuchungen zu den geringstimmig-konzertierenden Motetten mit Basso continuo, Tutzing: Schneider.

V-CVbav MS Capp. Sist. 71, 37v-38r

Miserere mei, Deus à 9(1638年)は、バチカン写本(1661年・V-CVbav MS Capp. Sist. 205-206)で伝わります。システィーナ礼拝堂で門外不出の秘曲でしたが、1770年4月11日にイタリア旅行の途上でローマを訪問したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが楽譜を作製したことを父がザルツブルクに報告しました。教皇クレメンス14世は黄金拍車勲章を授与しました。

V-CVbav MS Capp. Sist. 205
Charles Burney (1771). La musica che si canta annualmente nelle funzioni della Settimana Santa, London: Robert Bremner: 35-42.

ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi, 1583-1643)
Missa sopra l'aria di Fiorenza à 4(1630年頃・F 1.02)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

フィレンツェのアリアによる定旋律ミサです。ローマ写本(I-Rsg Mazzo XI n. 8)でMissa sopra l’aria della Monaca(F 1.01)と共に伝わり、通奏低音のオルガン(Bassus ad Organum)のパートに「G.F.di」と書かれることから帰せられました。

通奏低音のパートを演奏しましたが、作曲者は異なる可能性が高いと考えられます。フレスコバルディは《音楽の花束(Fiori musicali)》(1635年)でオルガンミサを出版しました。鍵盤楽曲(トッカータ、カプリッチョ、ファンタジア、カンツォーナ、リチェルカーレ、パルティータ、変奏曲)を開拓して、定量記譜法に小節線を導入しました。

1583年にフェラーラで生まれ、ルッツァスキに学び、1607年にローマでトラステヴェレ地区教会に勤め、教皇庁大使ベンティヴォーリョとブリュッセルに旅をしました。1608年にローマで聖ピエトロ大聖堂に勤め、高名なオルガニストとして知られ、1628年にフィレンツェでメディチ家に仕え、1634年にローマに戻り、1642年に亡くなりました。

• Frederick Hammond (1983). Girolamo Frescobaldi. Cambridge: Harvard University Press.

アントニオ・マリア・アッバティーニ(Antonio Maria Abbatini, 1595-1679)
Missa sexdecim vocibus concinenda à 16(1627年・Roma: Paolo Masotti)

ルネサンス期の厳格な対位法による声楽と初期バロックの過渡にあり、マドリガーレで開発された劇的な表現を主体として、独唱と合唱が交替しながら進行して、器楽と合唱が協奏するミサ曲です。

1595年にチッタ・ディ・カステッロで生まれ、1626年にローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂楽長、1629年にチッタ・ディ・カステッロ大聖堂、1633年にオルベイト大聖堂、1640-77年にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂と関わりまして、1679年にローマで亡くなりました。

ローマでPaolo Masottiから出版(Missa sexdecim vocibus concinenda)されました。

• Karin Andrae (1986). Ein römischer Kapellmeister im 17. Jahrhundert: Antonio Maria Abbatini, Herzberg: Bautz.

オラツィオ・ベネヴォリ(Orazio Benevoli, 1605-1672)
Missa Azzolina à 10(1656年・Trento: Societas Universalis Sanctae Ceciliae)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

初期バロックを代表する大作です。多声部で分割合唱や対位処理を駆使して、ソプラノ声部と通奏低音を重視して、「七の和音」なども導入して、複雑な声部関係と伴奏書法により、劇的な和声展開で表現が豊かになりました。

1605年にローマに生まれ、1617年に聖ルイジ・デイ・フランチェージ教会の聖歌隊、1624年にトラステヴェレ地区の聖マリア聖堂、1630年にサッシア、1638年に生地に移り、1644年にウィーンを訪れ、1646年にローマで聖マリア・マッジョーレ大聖堂に勤め、1672年に亡くなりました。

1971年にトレントでSocietas Universalis Sanctae Ceciliaeから出版(Opera omnia 5)されました。

• Flavio Testi (1970). La musica italiana nel Seicento, Milano: Bramante.

アントニオ・ベルターリ(Antonio Bertali, 1605-1669)
Missa Redemptoris à 21(1660年頃・CS-KRa B I 234)

2016年11月24日

ジャコモ・カリッシミ(Giacomo Carissimi, 1605-1674)
Missa Sciolto havean dall'alte sponde à 5(1653年・GB-Lcm MS 1177)

ジャコモ・カリッシミのMissa Sciolto havean dall'alte sponde à 5(1653年)は五声合唱に通奏低音を伴います。モンテヴェルディのレチタティーヴォを定着させ、ヴェネツィアのグランディやナポリのルイージ・ロッシらの室内カンタータを多楽章に発展させ、オラトリオを確立しました。

1604年頃にローマ近郊マリーニで生まれ、1623年にティボリ大聖堂に勤め、1628年にアッシジ大聖堂楽長、1628年にローマのコレギウム・ゲルマニクムの聖アポリナリス教会楽長になり、1637年に叙階され、1667年頃にシャルパンティエを教えたとされ、1674年にローマで亡くなりました。

英国王立音楽大学図書館写本(GB-Lcm MS 1177)や大英図書館写本(GB-Lbl Add. 17835)で伝わります。

• Ugo Onorati (2005). Giacomo Carissimi: genio musicale d'Europa, gloria di Marino, Marino: R. Paolozzi.

GB-Lcm MS 1177

ジョヴァンニ・レグレンツィ(Giovanni Legrenzi, 1626-1690)
Messa à 4 voci e doi violini(1654年・Opus 1)

KyrieGloriaCredo

五声合唱に通奏低音を伴います。真作か議論があります。レチタティーヴォを定着させ、オラトリオを確立して、ヴェネツィアのグランディやナポリのルイージ・ロッシらの室内カンタータを多楽章に発展させました。

1604年頃にローマ近郊マリーニで生まれ、1623年にティボリ大聖堂に勤め、1628年にアッシジ大聖堂楽長、1628年にローマのコレギウム・ゲルマニクムの聖アポリナリス教会楽長になり、1637年に叙階されました。1667年頃にシャルパンティエを教えたとされ、1674年にローマで亡くなりました。

ヴェネツィアでAlessandro Vincentiから出版(Concerti musicali per uso di chiesa, Opus 1)されました。

Sonata a tre [per due violini e basso continuo] in sol maggiore "La Raspona"(1655年・Opus 2/6)

バッハの〈二重フーガ〉(1708年・BWV 574)の「荘厳な主題(Thema Legrenzianum)」は、レグレンツィの〈トリオソナタ(La Mont'Albana)〉(1655年・Opus 2/11)から取られています。

• Piero Fogaccia (1954). Giovanni Legrenzi, Bergamo: Orobiche.

2016年11月25日

ディートリヒ・ブクステフーデ(Dieterich Buxtehude, 1637-1707)
Missa brevis à 5(1675年頃・BuxWV 114)

デューベン手稿(Düben-Sammlung vmhs 006:016)で伝わります。コペンハーゲンでカリッシミ門下フェルスターと会い、ラインケン、タイレ、ベルンハルト、ヴェックマン、パッヘルベルと関わり、マッテゾン、ヘンデル、バッハに影響を与えました。

1637年にヘルシンボリで生まれ、1658年に父の跡を継いでヘルシンボリの聖マリア教会に勤め、1660年ヘルセンゲアの聖マリア教会のオルガニストになり、1666年にコペンハーゲンを訪れ、1668年にリューベックの聖マリア教会に移り、夕べの音楽(Abendmusiken)を催し、1687年にハンブルクに旅をして、1707年に亡くなりました。

ウプサラ大学のデューベン手稿(S-Uu Instituts für Musikwissenschaft, Düben-Sammlung vmhs 006:016)で伝えられます。1928年にカッセルでBärenreiter(Wilibald Gurlitt)から出版(BA 265)されました。

The Düben Collection Database Catalogue
• Kerala Snyder (1987). Dietrich Buxtehude, New York: Schirmer.

Wilibald Gurlitt (1928). Dieterich Buxtehude.Missa brevis, Kassel: Bärenreiter.

ブクステフーデの〈前奏曲 ホ短調〉(BuxWV 142)

幻想様式(stylus fantasticus)により、保持低音上の半音階進行や同音型反復をして、遠隔調に飛びます。斬新な作風がブルーンスらに受け継がれ、1706年にリューベックを訪れたバッハの〈前奏曲とフーガ ホ短調〉(1709年・BWV 533)など、前衛的な作風に影響を与えました。

マティアス・ヴェックマンの〈幻想曲 二短調(Fantasia: ex. D)〉

主題を厳格に模倣しています。アルプ・シュニットガー・オルガンによります。

マルカントワーヌ・シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier, 1643-1704)
Missa Assumpta est Maria(1702年・H.11)

マルカントワーヌ・シャルパンティエのMissa Assumpta est Maria(1702年・H.11)は、増減音程や掛留が多く、経過和声が温雅です。カンタータやオラトリオでは、アリア(air)と叙唱(récitatif)が互いに現れ、また、フランスの序曲(ouverture)、イタリアの間奏(intermèdes)を用いました。

1643年にパリで生まれ、1667年にローマでカリッシミに学び、1669年にギーズ公爵夫人マリーに仕えました。1672年にモリエールと共作しました。1680年代にイエズス会のサン・ルイ教会楽長、シャルトル公フィリップの音楽教師、1698年にサント・シャペル楽長となり、1704年に亡くなりました。

• Catherine Cessac (1988). Marc-Antoine Charpentier, Paris: Fayard.

Sonate à huit(1685年・H.548)
Motet pour Saint Bernard « Gaudete Fideles »(1670年・H. 160)
Psalmus 8. Domine Dominus Noster(1676年・H. 163)

F‑Pn Vm1 942, 1r

2016年11月26日

ハインリヒ・イグナツ・フランツ・ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber, 1644-1704)
Missa Salisburgensis à 53 [54](1682年・C App. 101)

Plaudite tympana à 53[54](1682年)と同構成

初めオラツィオ・ベネヴォリの作(1628年)とされ、1629年にバイエルンのライヘンハルで生まれ、ザルツブルク宮廷で同僚でしたアンドレアス・ホーファーの作ともされます。

1644年にボヘミアのヴァルテンベルクで生まれ、1668年にグラーツのクロムニェジーシュ城で勤め、1670年にザルツブルクの宮廷楽団に入り、1677年に皇帝レオポルド1世の御前で演奏して、1690年に貴族von Bibernに叙せられ、1692年に大司教の執事になり、1704年に亡くなりました。

1903年にウィーンでÖsterreichischer Bundesverlagから出版(Denkmäler der Tonkunst in Österreich Band 20)されました。

Guido Adler (1903). Denkmäler der Tonkunst in Österreich Band 20, Wien: Österreichischer Bundesverlag.

ハインリヒ・イグナツ・フランツ・ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber, 1644-1704)
Missa Bruxellensis à 23(1696年・C App. 100)

ザルツブルクで書かれて、ブリュッセル王立図書館(1704年・B‑Br MS II 3862)で見つかりました。ウィーンのハプスブルク宮廷におけるクリストフ・シュトラウスやヨハン・ハインリヒ・シュメルツァーらの絢爛な様式を発展させました。

《ロザリオのソナタ集(Rosenkranz‐Sonaten)》(1674年・C 90-105)

特殊な調弦(スコルダトゥーラ)により、聖母マリアの15の秘跡を描き、荘厳なパッサカリアで終わるヴァイオリンの独奏ソナタです。ローゼンミュラーの《室内ソナタ(Sonate da Camera)》(1667年・Venezia: Alessandro Vincenti)に影響を受けました。

• Ernst Hintermaier (1975). The Missa Salisburgensis, Musical Times 116: 965-966.
• Randolf Jeschek (2014). Der Mann fürs 'pizare': Leben und Werk des Heinrich Ignaz Franz Biber, Regensburg: ConBrio Verlagsgesellschaft.

D-Mbs Mus. ms.4123

ゲオルグ・ムファット(Georg Muffat, 1653-1704)
Missa in labore requies à 24(1678年・H-Bn MS mus. IV. 521)

2016年11月28日

ジョヴァンニ・バッティスタ・バッサーニ(Giovanni Battista Bassani, 1657-1716)
Missa alla Fuga à 8(1709年・Augsburg: Johann Christoph Wagner)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

厳格対位法で合唱を器楽の伴奏で模倣して、速度の対比で緩急が生まれて劇的です。大バッハは1735年頃にアウグスブルクで出版されたバッサーニの《合唱と器楽によるミサ曲集(Acroama missale)》を筆写して研究しました。

1657年にパドヴァで生まれ、ヴェネツィアでレグレンツィに学び、1677年にフェラーラでアカデミア・デラ・モルテに勤め、1680年にモデナの礼拝堂楽長になり、1683年にシンフォニアを出版しました。1688年にフェラーラ大聖堂楽長になり、1712年にベルガモ大聖堂楽長になり、1716年に亡くなりました。

ルネサンス期(ガブリエリやメルロ)のコンチェルタートが、モンテヴェルディ→ロヴェッタ→レグレンツィ→バッサーニと器楽に応用され、《コンチェルタート詩編集(Salmi concertati)》や《教会ソナタ(Sonata da chiesa)》となり、また、ヴェネツィア―ボローニャ―ローマは交流をして独自に発達して興味深いです。ヴェネツィア楽派の伝統でリピエーノとコンチェルティーノの対比でドラマティックで半音階ぎみな旋律がおもしろく、レジタティーヴォは安定した通奏低音で感激が増してゆき、和声感覚が豊かです。

アウグスブルクでJohann Christoph Wagnerから出版(Acroama missale)されました。

Giovanni Battista Bassani: Oratorio. La Tromba della Divina Misericordia(1676年)
Sonata da chiesa(Sinfonie a 2 e 3 strumenti col basso continuo, Opus 5/3・1683年)

• Anne Schnoebelen (1999). Masses by Pietro Degli Antonii and Giovanni Battista Bassani, New York: Garland.

Giovanni Battist Bassani (1709). Acroama missale, Augsburg Johann Christoph Wagner.

アレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti, 1660-1725)
Messa di Santa Cecilia à 5(1720年・I-Rc MS 2257)

聖セシリアの祝日にアクアヴィーヴァ枢機卿に献呈されました。ナポリ楽派の序曲(シンフォニア)らしく始まり、気品ある流麗な旋律と前期古典派に近い明朗な内声など、ドゥランテやペルゴレージに受け継がれました。

1660年にシチリアで生まれ、ローマでカリッシミに学び、1679年にスウェーデン宮廷、1684年にナポリ総督宮廷、1702年にフィレンツェのトスカーナ大公に仕え、1703年にローマの聖マリア・マッジョーレ大聖堂で勤め、1707年にヴェネツィアとウルビーノを訪れ、1725年にナポリで亡くなりました。

ローマのカサナテンセ図書館(Biblioteca Casanatense)に自筆譜が伝えられます。

• Carole Franklin Vidali (1993). Alessandro and Domenico Scarlatti: A Guide to Research, London: Taylor & Francis.
• Roberto Pagano; Lino Bianchi; Giancarlo Rostirolla (1972). Alessandro Scarlatti, Torino: RAI.

2016年11月29日

アンドレ・カンプラ(André Campra, 1660-1744)
Missa Ad majorem Dei gloriam à 4(1699年・Paris: Christophe Ballard)

古風な無伴奏合唱によるミサ曲です。旋律が円やかで経過和声が豊かです。臨時記号が控えめに用いられて半音上下なされます。ヴェルサイユ楽派の華麗な様式により、ドラランドやジャン・ジルらと器楽合奏もなしました。

1660年にエクス=アン=プロヴァンスで生まれ、1674年に聖ソヴール大聖堂、1678年に司祭に叙階されて、アルルやトゥールーズで楽長、1694年にパリのノートルダム大聖堂の楽長、1697年にコンティ公の宮廷楽長、1730年にオペラ座の指揮者になり、1744年にヴェルサイユで亡くなりました。

パリでChristophe Ballardから出版(Missa quatuor vocibus, cui titulus Ad majorem Dei gloriam)されました。

• Maurice Barthélémy (1995). André Campra 1660-1744, Arles: Actes Sud.

André Campra (1699). Missa quatuor vocibus, cui titulus Ad majorem Dei gloriam, Paris: Christophe Ballard.

ヨハン・ヨーゼフ・フックス(Johann Joseph Fux, 1660-1741)
Missa Corporis Christi à 4(1713年・K. 10)

KyrieGloriaCredoSanctusAgnus Dei

古様式(stile antico)の多声書法と新様式(stile barocco)の管弦書法を備えており、通奏低音から安定して温雅です。対位法の解説書《パルナッソス山(Gradus ad Parnassum)》(1725年)を著しました。

1660年頃にヒルテンフェルトに生まれ、1680年にグラーツ大学で学び、1690年にウィーンのスコットランド教会、1698年に皇帝レオポルト1世宮廷、1705年にシュテファン大聖堂に勤め、1711年に皇帝カール6世宮廷楽長、1715年にシュテファン大聖堂楽長になり、1741年に亡くなりました。

○ Hellmut Federhofer (1959). Johann Joseph Fux: Missa Corporis Christi (K 10), Kassel: Bärenreiter.
• Rudolf Flotzinger (2015). Johann Joseph Fux: zu Leben und Werk des österreichischen Barockkomponisten, Graz: Akademische Druck- u. Verlagsanstalt.

F-Pn Rés. F 1058

2016年11月30日

アントニオ・ロッティ(Antonio Lotti, 1667-1740)
Messa del ottavo tuono à 4(1720年頃・D-Mbs Mus. MS 593 (Nr. 2))

パレストリーナのモテットSacerdotes Dominiによる模倣ミサで優雅な旋律が美しいです。1665-79年に父がドレスデンのハノーファー選帝侯宮廷楽長となりました。大バッハも1732/35年にロッティのミサ曲を筆写して、古様式を熱心に研究しました。

1667年にヴェネツィアで生まれ、1683年に聖マルコ大聖堂でレグレンツィに学び、1697年にオスペダーレの楽長になり、1717年にドレスデンでハノーファー選帝侯に仕え、ゼレンカと親交しました。1719年にヴェネツィアに戻り、1733年に聖マルコ大聖堂臨時楽長、1736年に終身楽長になり、1740年に亡くなりました。

手稿では第六旋法(sesto tuono)とされますが、実際は第七旋法(settimo tuono)でヘ長調に近いです。しかも、移高された第八旋法(ottavo tuono)でト長調に近く混乱しております。楽譜を精査すると〈第八旋法のミサ(Messa del ottavo tuono)に一致します。ミュンヘン写本(1828年・D-Mbs Mus. MS 593 (Nr. 2)、1849年・D-Mbs Mus. MS 3870)やヴロツワツ写本(PL-WRu MS 5098)で伝わります。

Arnold Schering (1930). Antonio Lotti: Missa VI, Denkmäler Deutscher Tonkunst Band 60, Leipzig: Breitkopf & Härtel: 87-102.
Ben Byram-Wigfield (2007). Antonio Lotti: Missa del sesto tuono, London: Ancient Groove Music.
• Charlotte Spitz (1918). Antonio Lotti in seiner bedeutung als opernkomponist, Borna-Leipzig: Druck von R. Noske.

Sonata Echo à 4(1717-19年・D-HRD Fü 3683a)

Arnold Schering (1930). Antonio Lotti: Missa VI, Denkmäler Deutscher Tonkunst Band 60, Leipzig: Breitkopf & Härtel: 87-102.

フランソワ・クープラン(François Couperin, 1668-1733)
Messe pour les couvents(1689/90年・Versailles: André Danican Philidor)

ヴェルサイユでAndré Danican Philidorから出版(Pièces d'orgue)されたオルガンミサです。ルベーグ、ニヴェル、レゾン、ボワヴァン、ド・グリニー、デュマージュらが声楽をオルガンで模倣しました。大クープランはドラランドに学びました。

1668年にパリで生まれ、1685年に叔父ルイも勤めたサン=ジェルヴェ教会、1693年にヴェルサイユ宮殿礼拝堂のオルガン奏者になり、1713年に出版勅許を得て、1716年に《クラヴサン奏法(L'art de toucher le clavecin)》を出版、1717年にダングルベールを継ぎ宮廷クラヴサン奏者になり、1733年に亡くなりました。

• Philippe Beaussant (1980). François Couperin, Paris: Fayard.

アンドレ・レゾン(André Raison, c.1640-1719)
Messe en 6e ton(1688年・Livre d'Orgue)

Messe du Deuxième Ton(1688年・Livre d'Orgue)

ニコラ・ド・グリニー(Nicolas de Grigny, 1672-1703)
La messe(1699年・Livre d'Orgue)

François Couperin (1689-90). Pièces d'orgue, Versailles: André Danican Philidor.

2016年12月1日

アントニオ・カルダーラ(Antonio Caldara, 1670-1736)
Missa Laetare(1729年・A-Wn 15902)

声楽と同等に器楽が旋律を模倣や助奏して華麗です。オペラやマドリガーレ、カンタータやオラトリオにおいて実践された最新書法を教会音楽に適用しました。大バッハはカルダーラの作品を筆写して洗練された書法を研究しました。

1670年にヴェネツィアで生まれ、聖マルコ大聖堂でレグレンツィに学び、1699年にマントヴァ公ゴンザーガ家の宮廷楽長、1707年にローマでルスポリ大公の宮廷楽長になり、1715年に神聖ローマ皇帝カール6世に嘆願して、1716年にウィーンの宮廷副楽長になり、1736年に亡くなりました。

• Ursula Kirkendale (1994). Antonio Caldara: sein Leben und seine venezianisch-römischen Oratorien, Graz: Böhlau.

バッハのSanctus(1738-41年・BWV 239)は、カルダーラのMissa Providentiae(1728年)の第4曲Gloriaの最初の筆写と判明しました。

バッハのSuscepit Israel puerum suum(1739-42年・BWV 1082)は、カルダーラのMagnificat in do maggiore(1724年)の第3曲モテットに二つのオブリガートを加えた編曲です。

ヨハン・フーゴ・フォン・ヴィルデラー(Johann Hugo von Wilderer, 1671-1724)
Missa brevis ト短調(1720年頃・D-B Mus.ms. 23116/10)

バッハの〈ミサ曲 ロ短調〉のChriste(1733年・BWV 232/2)に影響しました。

1698年にステッファーニと同僚になり、1710/11年にヘンデルに会い、マンハイム楽派のシュターミッツやカンナビヒらに継がれました。1670/71年にバイエルンで生まれ、ヴェネツィアでレグレンツィに学び、1687年にデュッセルドルフのプファルツ選帝侯宮廷のオルガニスト、1696年に副楽長、1703年に楽長になり、1704年に貴族に叙せられ、1718年にインスブルックに移り、1720年にマンハイムに移り、1724年に亡くなりました。

Johann Sebastian Bach: Christe eleison(1733年・BWV 232/2)

• Gerhard Steffen (1960). Johann Hugo von Wilderer: Kapellmeister am kurpfälzischen Hofe zu Düsseldorf und Mannheim, Köln: A. Volk.

D-B Mus.ms. 23116/10

2016年12月2日

ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ(Johann Ludwig Bach, 1677-1731)
Missa sopra Allein Gott in der Höh sei Ehr ト長調(1716年・BWV Anh. III 166/JLB 38)

声楽と器楽のバランスが良く、声部や楽器が掛け合いエコー効果をなします。1726年にヨハン・ゼバスティアン・バッハは、一族のカンタータを大量に写譜して収集しました。

1677年にアイゼナハ近郊タールでヨハン・ヤーコプの下に生まれ、1688年にゴータのギムナジウムで学び、1699年にマイニンゲンに移り、1699年からマイニンゲン宮廷音楽家、1703年にカントル、1711年から宮廷楽長になり、1731年に亡くなりました。ヨハン・ゼバスティアン・バッハは一族が作曲した作品を大量に写譜して収集して演奏しました。

○ Klaus Hofmann (1976). Johann Nikolaus Bach. Missa brevis: Allein Gott in der Höh sei Ehr, Holzgerlingen: Hänssler-Verlag.
• Konrad Küster (1989). Die Frankfurter und Leipziger Überlieferung der Kantaten Johann Ludwig Bachs, Bach-Jahrbuch. 75: 65-106.
Chorale Melodies used in Bach's Vocal Works "Allein Gott in der Höh sei Her"

Johann Christoph Bach: Der Gerechte, ob er gleich zeitlich stirbt

バッハ一族のモテットやカンタータに惹きつけられ、ヨハン・クリストフの鍵盤楽曲、ヨハン・ミヒャエルのコラール、ヨハン・ベルンハルトの序曲、ヨハン・ルードヴィヒのミサに特色を感じました。ヨハン・クリストフの前奏曲とフーガはフローベルガー様式でおもしろいです。

D-LEb Breitkopf Mus. ms. 8a (Depositum im Bach-Archiv)

アントーニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678-1741)
Kyrie ト短調(1720年頃・RV 587)
Gloria ト長調(1716年・RV 589)Credo ホ短調(1717年・RV 591)

通作ミサ Messa breve ロ長調(RV Anh. 113)はグラツィオーリの作品とされ偽作です。ヴェネツィアでピセンデル、マントヴァでハイニヒェンやシュトルツェルを教えました。

1678年にヴェネツィアで生まれ、聖マルコ大聖堂でレグレンツィに学び、1688年に聖ジミニャーノ教会付属学校に入り、1703年に叙階されて、慈善院付属音楽院に勤め、1716年に協奏曲長になり、1718年にマントヴァ宮廷楽長、1723年にローマに旅して、1740年にウィーンで亡くなりました。

Kyrie ト短調(RV 587)はトリノ王立図書館写本(1741年・I-Tn Foà 40, 10r-25r)、Gloria ト長調(RV 589)はトリノ王立図書館写本(1741年・I-Tn Giordano 32, 90v-129r)、Credo ホ短調(RV 591)はトリノ王立図書館写本(1741年・I-Tn Foà 40, 98r-105v)でまとめて伝わります。

• Micky White (2013). Antonio Vivaldi: A Life in Documents, Studi di musica veneta, Quaderni vivaldiani 17, Firenze: Olschki.

Kyrie, RV 587 (I-Tn Foà 40, 10r-25r)
Gloria, RV 539 (I-Tn Giordano 32, 90v-129r)
Credo, RV 591 (I-Tn Foà 40, 98r-105v)

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685-1759)
Gloria 変ロ長調(1706年・HWV deest・GB-Lam MS 139, 111-122)

2016年12月3日

ヤン・ディスマス・ゼレンカ(Jan Dismas Zelenka, 1679-1745)
Missa Dei Patris(1740年・ZWV 19)

〈最後のミサ(Missae Ultimae)〉の初曲です。Missa Sanctissimae Trinitatis(1736年・ZWV 17)など、一時間超の大曲を連作して、バッハの〈ミサ曲 ロ短調〉(1749年・BWV 232)の構想に甚大な影響を与えました。

1679年にプラハ近郊ロウニョヴィツェに生まれ、1709年、プラハのハルティヒ男爵、1710年にドレスデンのザクセン選帝侯に仕え、1715年にイタリアを旅して、1716年にウィーンでフックスに学び、1719年にドレスデンに戻り、1721年に副楽長、1735年に宮廷作曲家、1745年に亡くなりました。

〈室内ソナタ 変ロ長調〉(1722年・ZWV 181/3)
《9つのカノン ハ長調》(1721年・ZWV 191)

Collectaneorum Musicorum(1717-19年)

• Janice B. Stockigt (2000). Jan Dismas Zelenka: A Bohemian musician at the court of Dresden, Oxford: Oxford University Press.

D-Dl Mus.2358-D-11

ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann, 1681-1767)
Missa brevis ロ短調(1700年頃・TWV 9:14)

ゲオルク・フィリップ・テレマンのMissa brevis ロ短調(1700年頃・TWV 9:14)です。ドイツ=イタリア音楽(ローゼンミュラー・コレルリ・ステファーニ・カルダーラ)、フランス宮廷音楽(リュリ・カンプラ)を研究して、ヘンデルやバッハ、ロッティやヴェラチーニ、フォルクレーやブラヴェと親交しました。

1681年にマグデブルクで生まれ、1701年にライプツィヒ大学に入り、コレギウム・ムジクムを結成、1704年にプロミニッツ伯爵の宮廷楽長、1708年にアイゼナハの宮廷秘書、1712年にフランクフルトの音楽監督、1721年にハンブルクの音楽監督になり、1737年にパリに旅し、1767年に亡くなりました。

〈室内ソナタ ニ長調〉(1735年・TWV 42:D8)
6 Sonates corellisantes(1735年・Hamburg: G.P. Telemann)

〈リコーダー・ソナタ ハ長調〉(1739年・《音楽の練習帳(Essercizii Musici)》・TWV 41:C5)

○ Klaus Hofmann; Paul Horn (1996). Telemann: Missa brevis TWV 9:14 für Alt (Baß) solo, zwei Violinen und Basso continuo, Stuttgart: Carus.
• Richard Petzoldt (1967). Georg Philipp Telemann: Leben und Werk, Leipzig: Deutscher Verlag für Musik.

ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン(Johann David Heinichen, 1683-1729)
Missa 第9番 ト長調(1726年・SeiH 5)

ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェンのMissa 第9番 ト長調(1726年・SeiH 5)です。1683年にヴァイセンフェルス近郊クレスルンで生まれ、ライプツィヒでクーナウにグラウプナーと学び、1702年にライプツィヒ大学でテレマンと学び、1709年までヴァイセンフェルスに移り、1711年に著書を出版、1712年にヴェネツィアでロッティ・アルビノーニ・マルチェッロ・ヴィヴァルディらに学び、1717年にアンハルト=ケーテン侯レオポルトの宮廷でバッハの同僚となり、1719年にドレスデンでザクセン選帝侯の宮廷楽長になり、ゼレンカと同僚となり、ピゼンデルを教え、1729年に亡くなりました。

Anweisung zu vollkommener Erlernung des General-Basses(1711年)
• George J. Buelow (1992). Thorough-Bass Accompaniment According to Johann David Heinichen, Berkeley: University of California Press.

D-Dl Mus.2398-D-6

五度圏 Musicalischer Circul(Johann David Heinichen (1711). Neu erfundenen und Gründlichen Anweisung zu vollkommener Erlernung des General-Basses, Hamburg: B. Schillers: 261.)

フランチェスコ・ドゥランテ(Francesco Durante, 1684-1755)
Missa in afflictionis tempore ヘ長調(1749年・GB-Lbl Add. MS 14106)

フランチェスコ・ドゥランテのMissa in afflictionis tempore ヘ長調(1749年)です。バッハは〈ミサ曲 ハ短調〉(BWV Anh.26)を筆写(1727/32年・D-LEb Breitkopf Mus. ms. 10)しました。グラウンやベンダらを介して、ベルリン楽派の多感様式になり、ヨンメッリやパイジエッロを介して、モーツァルトに影響しました。

1684年にシチリア王国フラッタマッジョーレに生まれ、ナポリのポヴェリ音楽院でガエターノ・グレコに学び、サントノフリオ音楽院でスカルラッティに学び、1725年に教授になりペルゴレージ、ヨンメッリ、ピッチンニ、パイジエッロを教え、1742年に楽長になり、1755年に亡くなりました。

○ Francesco Durante (1732). Sonate per cembalo, divise in Studii e Divertimenti, Napoli: Philippus de Grado.
○ Guido Pannain (1915). Francesco Durante. Toccate indite per cembalo, Milano: Ricordi.
○ Alceo Toni (1920). Francesco Durante. Composizioni per cembalo, Milano: Società Anonina Notari La Santa.
○ Alberto Iesuè (1983). Francesco Durante. Le quattro stagioni dell'anno: sonata per cembalo, Roma: Boccaccini & Spada.
○ Thomas J. Martino (2006). Francesco Durante: Missa in F (Missa in afflictionis tempore), New York: Mannheim Editions.
• Sosio Capasso (1985/98). Magnificat. Vita e opere di Francesco Durante, Frattamaggiore: Istituto di Studi Atellani.
• Pinuccia Carrer (2002). Francesco Durante maestro di musica (1684-1755), Genova: San Marco dei Giustiniani.

ドゥランテにナポリ人の痛快さを感じられ、鍵盤楽曲はスカルラッティ親子と近いです。ミゼレーレやエレミアの哀歌は美しく、ベアトゥスはかなり先進的な作風です。

Toccata "sul glissando" in do maggiore
Toccata "sugli arpeggi" in do maggiore

Alceo Toni (1920). Francesco Durante. Composizioni per cembalo. Toccate, Milano: Società Anonina Notari La Santa: 1-4.
Guido Pannain (1915). Francesco Durante. Toccate indite per cembalo, Milano: Ricordi: 21-22.

Sonata per cembalo in re maggiore(1732年)

Francesco Durante (1732). Sonate per cembalo, divise in Studii e Divertimenti, Napoli: Philippus de Grado; (1986). Genève: Editions Minkoff.

Sonata per Cembalo "Le Quattro Stagioni dell'Anno"
I. PrimaveraII. EstateIII. AutunnoIV. Inverno

Miserere in do minore(1754年)
Beatus Vir a 4 voci in Do maggiore

2016年12月6日

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)
〈ミサ曲 ヘ長調(Messe in F-Dur)〉(1738年・BWV 233)

ヴァイマール時代のKyrieを改訂、ライプツィヒでGloriaを新作しました。Domine Deusはカンタータ Froher Tag(1732年・BWV Anh.18)、Cum Sanctusはカンタータ(1723年・BWV 40)の転用です。

1685年にアイゼナハで生まれ、1695年に両親を失いオールドルフに移り、1700年にリューネブルクでベームに学び、1701年にハンブルクでラインケンと会い、1703年にヴァイマールでヨハン・エルンスト公子に仕え、アルンシュタットに移り、1705年にリュベックにブクステフーデを訪ねました。

1707年にミュールハウゼンに移り、1708年にヴァイマールでザクセン=ヴァイマール大公の宮廷音楽家になり、1713年にハレの聖母教会の転職を辞退して、1714年にヴァイマールで宮廷楽師長に昇進して、1716年にハレでオルガンを試奏して、1717年にドレスデン選帝候の宮廷を訪ねました。

• Christoph Wolff (1968). Der stile antico in der Musik Johann Sebastian Bachs. Studien zu Bachs Spätwerk, Erlangen-Nürnberg: Steiner.

D-B Mus.ms. Bach P 15

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)
〈ミサ曲 ロ短調(Messe in h-moll)〉(1749年・BWV 232)

第1部 小ミサ曲[初稿](1733年)、第2部 ニカイア信条 (1749年)、第3部 ザンクトゥス(1724年)、第4部 終結部(1749年)からなる大作です。ドレスデンでゼレンカの大ミサに影響を受けたとされます。

1717年にアンハルト=ケーテン侯レオポルドの宮廷に移り、1720年に妻が亡くなり、宮廷歌手アンナ・マグダレーナと再婚、1723年にライプツィヒのトマス教会カントルに転職して、1729年にヴァイセンフェルス公の誕生祝賀で宮廷楽長になり、1731年にドレスデン宮廷でゼレンカやハッセらと会い、1733年にドレスデン選帝候に小ミサを献呈、1736年にザクセン選帝候宮廷音楽家の称号を得て、1741年に次男カール・フィリップ・エマヌエルをベルリンの宮廷に訪ね、1747年に長男フリーデマンとベルリンとポツダムを訪ね、フリードリヒ大王の御前で演奏、1750年にライプツィヒで亡くなりました。

• Christoph Wolff (2009). Johann Sebastian Bach, Messe in h-Moll, Kassel: Bärenreiter.

D-B Mus.ms. Bach P 180

2016年12月8日

ドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti, 1685-1757)
〈小ミサ曲 イ短調(Messa breve "La Stella")〉(1712年・I-Rlib s.s.)

ドメニコ・スカルラッティの〈小ミサ曲 イ短調(Messa breve "La Stella")〉《星》(1712年)は、ローマ時代の作品で四声とオルガン伴奏による実用的なミサ曲です。公現祭(東方3博士のベツレヘム来訪を祝う日)のためです。ロッティやカルダーラらの様式、古様式の合唱に通奏低音の伴奏が付きます。

1685年にナポリで生まれ、1701年にナポリ王室礼拝堂オルガニストになり、1705年にヴェネツィアでガスパリーニに学び、1709年にローマでポーランド王妃マリア・カジミェラの礼拝堂楽長、1713年にヴァチカンのジュリア礼拝堂の副楽長、1714年に楽長、ポルトガル大使の礼拝堂楽長になりました。

• Hans-Jörg Jans; Mathias Siedel (1988). Domenico Scarlatti: Messa breve "La stella", Stuttgart: Carus.

ドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti, 1685-1757)
〈四声ミサ曲 ト短調(Missa quatuor vocum "Madrid")〉(1754年・E-Mp MS Capilla 102, 103v-138r)

ドメニコ・スカルラッティの〈四声ミサ曲 ト短調(Missa quatuor vocum "Madrid")〉(1754年)は、晩年の作でスペイン王室礼拝堂合唱曲集に記されました。古様式の無伴奏合唱曲ですが、静謐な中に感情の起伏に合わせ劇的に転調して陰影が付けられ、先駆者モラーレスやビクトリアを思わせます。

1719年にリスボンでポルトガル国王ジョアン五世の宮廷礼拝堂楽長、王女マリア・バルバラやセイシャスも教え、1729年にスペイン王室に嫁いだ王女とセビリア、1735年にマドリッドに移り、1738にポルトガル国王からサンディアゴ騎士勲章を授けられ、1757年にマドリッドで亡くなりました。

2016年12月12日

ヨハン・フリードリヒ・ファッシュ(Johann Friedrich Fasch, 1688-1758)
Missa brevis in B-dur(1730年頃・Fwv G:B1)

バロック音楽と古典派音楽の過渡の作風でホモフォニーによる和声書法や反復音型がシンフォニアで顕著です。カンタータやアリアの書法をラインハルト・カイザーやクリストフ・グラウプナーらから継承しました。

1688年にブッテルシュテットで生まれ、1700年にゲーテヴィッツに移り、ヴァイセンフェルスで聖歌隊に入り、ライプツィヒでクーナウに学びました。1708年にコレギウム・ムジクムでテレマンと関わり、1714年にバイロイトに移り、1722年にツェルプストの宮廷楽長になり、1758年に亡くなりました。

• Raymond Dittrich (1992) Die Messen von Johann Friedrich Fasch (1688-1758), Frankfurt am Main: Peter Lang.
• Rüdiger Pfeiffer (1994). Johann Friedrich Fasch (1688-1758): Leben und Werk, Wilhelmshaven: Noetzel.

シャリュモー(オーボエ)協奏曲 変ロ長調(1735年頃・FWV L:B1)

シャリュモー(ショーム)は葦(calamus)を語源とする管楽器でバスーン(ドゥルシアン)とも構造が似ており、篳篥(ひちりき)も高槻の鵜殿の廬舌(リード)を使いました。

アムステルダムのハカ(Richard Haka, 1646-1705)が改良したオーボエやニュルンベルクのデンナー(Johann Christoph Denner, 1655-1707)が改良したクラリネットの先祖です。

ヨハン・アドルフ・ハッセ(Johann Adolph Hasse, 1699-1783)
Missa ultima g-moll(1783年・
D-Dl Mus.2477-D-504

最晩年の作品です。ナポリ楽派のスカルラッティらから優雅な旋律、デュランテから多感様式、ドレスデンでロッティの和声様式を継承して、カンタータとオペラで一家をなしました。

1767年にウィーンでモーツァルトと面会しました。1699年にベルゲドルフで生まれ、1718年にハンブルク歌劇場に入り、1719年にブラウンシュヴァイクでオペラ上演、1722年にナポリでスカルラッティに学び、1727年にヴェネツィア、1730年にドレスデン宮廷楽長、1764年にウィーン、 1773年にヴェネツィアに移り、1783年に亡くなりました。

• Raffaele Mellace (2004). Johann Adolf Hasse, Palermo: L'Epos.

オペラ〈クレオフィーデ(Cleofide)〉(1731年9月11日・ドレスデン)の序曲(メタスタージオ=ボッカルディの台本)

〈鍵盤ソナタ ヘ長調〉(1758年・Opus 7/3・Fatte per la Real Delfina di Francia)
〈サルヴェ・レジーナ ト長調〉(1744年)

ハッセの〈チェロ協奏曲 ニ長調〉
レオの〈チェロ協奏曲 第2番 ニ長調〉(1737年・L.10)

D-Dl Mus.2477-D-504

2016年12月13日

ヨハン・エルンスト・エーベルリーン(Johann Ernst Eberlin, 1702-1762)
Missa a due chori für zwei vierstimmige Vokalchöre, zwei Solistenquartette in C-dur(1741年頃)

マルプルクや同郷のレオポルド・モーツァルトらに評価され、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作風と似て取り違えられております。

1702年にアウグスブルクで生まれ、1712年にイエズス会のギムナジウム、1721年にザルツブルクでベネディクト会の大学で学び、1723年に辞め、1727年にザルツブルク大司教宮廷でオルガニスト、1743年からレオポルド・モーツアルトと同僚、1749年に楽長になり、1762年に亡くなりました。

モーツアルト作と取り違えられたJustum deduxit Dominus in C-dur, KV 326 (93d)

• Heinz Josef Herbort (1961). Die Messen des Johann Ernst Eberlin, Münster: Selbstverlag.
○ Jochen Reutter (1998). Johann Ernst Eberlin: Missa a due chori, Stuttgart: Carus.

ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ[ドラーギ](Giovanni Battista Pergolesi, 1710-1736)
Messa di Sant' Emidio (Missa Romana) ヘ長調(1734年・P.47)

前期古典派の充実した内声により、楽節毎に目まぐるしく転調して、エコー効果や短かい旋律と細かい拍感が変化などにより、自然な流れをなして情感が豊かです。

1710年にアンコーナ近郊イェージに生まれ、1725年にナポリ音楽院でスカルラッティ門下グレコやドゥランテ、ファーゴ門下フェオに学び、1733年に幕間劇「奥様女中」を上演、1735年にローマでオペラを上演、1736年にナポリ近郊ポッツオーリの聖フランチェスコ修道院で亡くなりました。

• Francesco Degrada (1986). Pergolesi Studies: Studi Pergolesiani, Scandicci (Firenze): La Nuova Italia.

D-Dl Mus.3005-D-18

〈ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調〉(1730年頃)
〈鍵盤ソナタ ト長調〉(フォルテピアノ)
〈サルヴェ・レジーナ ハ短調〉
〈スターバト・マーテル へ短調〉 

2016年12月14日

ヨハン・ヴェンツェル・シュターミッツ(Johann Wenzel Stamitz, 1717-1757)
Missa solemnis D-dur(1755年)

ナポリ楽派の三楽章(急緩急)の序曲(sinfonia)にメヌエットを入れて四楽章の交響曲(Symphonie)にして、デュナミック(強弱法)やエコー(遠近法)、二度下降の掛留(ため息音型)、分散和音の上昇(打ち上げ花火)を使いました。

1717年にマリボルで生まれ、1734年にプラハ大学で学び、1741年にマンハイムに移り、1743年に宮廷楽団に入り、1745年に宮廷楽長になり、マンハイム楽派の黄金期をリヒターやホルツバウアーらとなし、1754年にパリを訪れ、1757年にマンハイムで亡くなり、楽長はカンナビヒに受け継がれました。

Sinfonia Pastorale in D-dur(1740年・Opus 4/2)
Flötenkonzert in G-dur(1753年頃)
Sinfonia in Es-dur(1754年・Opus 11/3)
Klarinettenkonzert in B-dur(1755年頃)

○ Eduard Schmitt (1980). Johann Stamitz: Missa solemnis, Wiesbaden : Breitkopf & Härtel.
• Peter Gradenwitz (1984). Johann Stamitz: Leben - Umwelt - Werke, Wilhelmshaven: Heinrichshofen.

2016年12月14日

フランティシェク・クサヴェル・ブリクシ(František Xaver Brixi, 1732-1771)
Missa Pastoralis D-Dur(1760年頃・CZ-Pu MS 59 R 1237)

高音のヴァイオリンのスタッカート音型やオルガンの連打音型など、ヴァンハル、ディッタースドルフと共通した特徴がみられます。ハイドンやモーツァルトらウィーン楽派はボヘミアの音楽家と交流しました。

1732年にプラハで生まれ、コスモノスイでヴァーツラフ・カロウシュに学び、1749年にプラハに戻り、1759年に聖ヴィトゥス大聖堂の教会楽長になり、1771年に亡くなりました。ゼレンカ、チェルノホルスキー、ベンダ兄弟、ミスリヴェチェク、ミーチャ、コジェルフらも、ボヘミアの巨匠です。

○ Rudolf Walter (1977). František Xaver Brixi: Missa pastoralis D-Dur, für 4 Soli, vierstimmigen gemischten Chor, 2 Violinen, 2 Clarinen, Pauken und Generalbass, Zürich: Edition Eulenburg.

CZ‑Pu MS 59 R 1236

2016年12月15日

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732-1809)
Missa Cellensis C-dur „Mariazellermesse”(1782年・Hob XXII:8)

〈弦楽四重奏曲 第63番 変ロ長調〉《日の出》(1797年・Opus 76/4・Hob. III. 78)のようにクレッシェンドで加速して始まり、音型の上昇で和声が変化させクライマックスを生みます。

1732年にローラウで生まれ、1740年にウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊でロイターに学び、1749年から弦楽四重奏曲・交響曲・協奏曲・オペラなどを作り始め、1759年にボヘミアのモルツィン伯の宮廷楽長、1761年にハンガリーのエステルハージ家の副楽長、1766年に楽長に進みました。

〈弦楽四重奏曲 第63番(エルデーディ四重奏曲 第4曲)変ロ長調〉《日の出》(1790年・Opus 76-4・Hob.III:78)〈バリトン二重奏曲〉(1770年頃・Hob XII:1)にもハイドンらしさが出ています。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732-1809)
Missa B-dur „Theresienmesse”(1799年・Hob XXII:12)

神聖ローマ皇帝フランツ2世の妃マリア・テレジアのために書かれた最晩年のミサ曲です。バッハのミサ曲から対位法や和声法に影響を受けました。強烈なフォルティッシモやクレッシェンドも見られます。

1781年にウィーンでモーツァルトと会い、1785年に弦楽四重奏曲の献呈を受け、1790年にエステルハージ家のニコラウス侯爵が亡くなり楽長を辞め、1791・94年にイギリスをザロモンと訪れ、1796年にエステルハージ家の楽長になり、1802年に作曲を止めて、1809年にウィーンで亡くなりました。

Duo für Violine und Viola in C-Dur(1769年・1775年出版・Hob VI:6)
溌剌とした第一楽章で始まり、沈静な緩徐楽章を過ぎ、優雅なメヌエットで閉じます。
Klaviersonate Nr. 55 in B-Dur(1783年・1784年出版・Hob. XVI:41)
マリー・エステルハージ侯爵夫人(リヒテンシュタイン公女)の結婚を祝して献呈された愛らしいクラヴィーア・ソナタです。主題が変化しながら愛嬌を振りまきます。

• Howard Chandler Robbins Lando (1976-80). Haydn: Chronicle and Works, Bloomington: Indiana University Press.
• Ludwig Finscher (2000). Joseph Haydn und seine Zeit, Laaber: Laaber-Verlag.

A-Wn Mus.Hs.16479 Mus

2016年12月16日

ヨハン・ミヒャエル・ハイドン(Johann Michael Haydn, 1737-1806)
Missa Hispanica a due cori C-Dur(1786年・MH 422・KL I:17)

分割合唱、声楽独唱、管楽器、弦楽器、打楽器、通奏低音により華やかです。1792年にクレムスミュンスター、1796年にザルツブルクで初演されました。スペインからの注文によるとされます。

1737年はローラウで生まれ、1745年にウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊でロイターに学び、1757年にグロースヴァルダインの司教に仕え、1762年にウィーンに移り、1763年にザルツブルク大司教宮廷楽長をエベルリンから引き継ぎ、1777年にザルツブルクの聖三位一体教会に勤めました。

Hornkonzert in D-dur(MH 134/P. 134)
Quartetto für Violine, Englischhorn, Violoncello und Baß in C-Dur(MH 600/P. 115)

○ Charles H. Sherman (1966). Michael Haydn: Missa Hispanica a due cori, soli ed orchestra, Salzburg: Haydn-Mozart Presse.
• Otto Schmid (1906). Johann Michael Haydn: Sein Leben und Wirken, Langensalza: Hermann Beyer & Söhne.

ヨハン・ミヒャエル・ハイドン(Johann Michael Haydn, 1737-1806)
Missa sub titulo Sancti Leopoldi in festo Innocentium G-Dur(1805年・MH 837・KL I:24)

最晩年のミサ曲で透明な合唱と独唱に弦楽器を主体とした落ち付いた趣きです。オーストリアの守護聖人である聖レオポルドの祝日(11月15日)のために書かれました。

1782年にザルツブルク大聖堂オルガニストにヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの後任となり、1800年にアイゼンシュタットに兄を訪ね、1804年にスウェーデン王立音楽アカデミーに入り、1790年頃にディアベッリ、1798年にウェーバーらを教え、1806年にザルツブルクで亡くなりました。

Quintetto per archi in C-dur "Notturno"(MH 187/P. 108)
Klavierstück in Es-Dur(MH 468)

○ Armin Kircher; Paul Horn (2006). Michael Haydn: Missa sub titulo Sancti Leopoldi MH 837, Stuttgart: Carus.
• Hans Jancik (1952). Michael Haydn: Ein vergessener Meister, Zürich: Amalthea-Verlag.

2016年12月17日

ヤン・アントニーン・コジェルフ(Jan Antonín Koželuh, 1738-1814)
Missa Pastoralis D-Dur(1780年頃)

ヴェネツィア・ドレスデン・マンハイム・ウィーンと書法を共有して、管弦や合唱のホモフォニーとポリフォニーが交替して、ハッセ・シュターミッツ・ハイドン・モーツァルトと近いです。また、従兄レオポルト・コジェルフを教えました。

1738年にボヘミアのヴェルヴァリで生まれ、ブジェーズニツェに移り、プラハのチェルノホルスキー門下セゲルにミスリヴェチェクと学び、ウィーンでグルックとガスマンに学び、プラハ宮廷楽長、ストラホフ修道院のオルガニスト、1784年に聖ヴィトゥス聖堂楽長になり、1814年に亡くなりました。

〈バスーン協奏曲 ハ長調〉

• Gracián Černušák; Bohumír Štědroň; Zdenko Nováček (1963). Československý hudební slovník osob a institucí, Praha: Státní hudební vydavatelství.

アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri, 1750-1825)
Missa solemnis D-Dur „Hofkapellmeistermesse (Kaisermesse)”(1788年)

神聖ローマ皇帝レオポルト2世の戴冠式で演奏され、四声合唱と器楽伴奏により優雅です。ベートーヴェン、ゼヒター、ツェルニー、モシュレス、シューベルト、リストなど、大家たちを育てました。

1750年にレニャーゴで生まれ、1766年にヴェネツィアでロッティ門下ペスチェッティに学び、1766年にウィーンで皇帝ヨーゼフ2世に仕え、マルティーニ門下ガスマンに学び、1774年に宮廷作曲家、1788年には宮廷楽長になり、1817年には楽友協会音楽院で教え、1825年にウィーンで亡くなりました。

サリエリとモーツァルトがロレンツォ・ダ・ポンテの詞に順に作りましたカンタータ〈オフィーリアの健康快復のために(Per la ricuperata salute di Ofelia)〉(1785年・KV 477a / Anh. 11a) サリエリは優雅に進み、モーツァルトは高音へ駆け上がり、二度下がり親しげに語りかけ、個性が現れております。

• Rudolph Angermüller (1971-74), Antonio Salieri, München: Emil Katzbichler.
• Rupert Ridgewell (2015). A newly identified Viennese Mozart edition, Mozart Studies 2: 110-112.

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)
Messe D-Dur „Missa solemnis”(1823年・Opus 123)

フランツ・シューベルト(Franz Schubert, 1797-1828)
Messe Nr. 5 As-Dur „Missa solemnis”(1822年・D 678)

2016年12月18日

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)
Missa in honorem SSmae Trinitatis(1773年・KV 167)

6月5日(聖三位一体の祝日)にザルツブルクで初演されました。簡素な構成で独唱やヴィオラがなく45分以内で終わるミサ曲(Missa brevis)です。CredoとGloriaで対位法(フーガ)が使われます。

1756年にザルツブルクで生まれ、1762年にウィーン、1763年にパリやロンドン、1767年にウィーン、1769年にイタリアを訪れ、1770年にローマで黄金拍車勲章を受け、ボローニャのアカデミア・フィラルモニカに入り、1773年にウィーン、1777年にマンハイムを訪れ、1778年にパリで母を亡くした。

Sonate für Fagott und Violoncello B-dur(1775年・KV 292 (196c))
Quartett für Oboe und Streicher F-dur(1781年・KV 370/368b)

Mus.ms.autogr. Mozart, W. A. 167

2016年12月19日

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)
Missa solemnis(1780年・KV 337)

3月20日(枝のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのMissa solemnis(1780年・KV 337)は、1780年3月20日(枝の主日)に初演され、1790年10月9日に皇帝の戴冠式で演奏されました。イ短調のBenedictusは不協和音で始まり、厳格対位法によります。ウィーンでは一つ(1783年・KV 427)だけ作りました。

1779年にザルツブルク大聖堂オルガニスト、1781年にウィーンで大司教と決裂して、1783年に宮廷作曲家になり、1789年にドレスデンやライプツィヒを訪れ、1790年にフランクフルトの戴冠式に参加、1791年にシュテファン大聖堂副楽長、プラハのボヘミア王戴冠式に参加、ウィーンで亡くなりました。

Sonate für zwei Klaviere D-dur(1781年・KV 448 (375a))
Divertimento di sei pezzi Es-dur(1788年・KV 563)

• Wilhelm A. Bauer; Otto Erich Deutsch (1962). Mozart Briefe und Aufzeichnungen, Kassel: Bärenreiter.
• Peter Dimond (1997). A Mozart Diary: A Chronological Reconstruction of the Composer's Life, 1761-1791, Westport: Greenwood Press.

A-Wn Mus.Hs.18975/2

2017年12月24日

• Franck Thomas Arnold (1931). The Art of Accompaniment from a Thorough-Bass as Practised in the XVIIth & XVIIIth Centuries, Oxford: Oxford University Press.
• Edna Richolson Sollitt (1933). Dufay to Sweelinck: Netherlands Masters of Music, New York: Washburn.
• Knud Jeppesen; Glen Haydon (1939). Counterpoint: The Polyphonic vocal style of the Sixteenth century, Englewood Cliffs: Prentice Hall.
• Carl Parrish (1957). The Notation of Medieval Music, London: Faber & Faber.
• Frank Llewellyn Harrison (1958). Music in Medieval Britain, London: Routledge.
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