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ユニークな探究人シリーズ(Homo explorans)で探究の探究をしてまいりたいと思いましたら、フルトヴェングラーを語ってしまいました。

ユニークな探究人シリーズ(Homo explorans)で探究の探究をしてまいりたいと思いましたら、フルトヴェングラーを語ってしまいました。本年もユニークな視点から人生がワンダフル、ディライトフル、グレイスフルになるシリーズを続いてまいりますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。

2022年1月28日

皆さま、こんにちは!

KF-Scholaではしばらく、長らく、ご無沙汰しておりましたけれども。

本年はKF-Scholaのチャンネルにユニークな探究の探究、探究シリーズをして参りたいということで、かなり久しぶりに戻ってまいりました!

でも、その間にKF-Ars Sinicaの方でもやってましたしね。

かなり、色んな頭の中での動き、喜び、叫び、言いたい事などがいっぱいありまして、

今年はもう系譜スコラでドカーンとやりたいということでして、

やはり、探究人というhomo exploransという、 アイディアに到達いたしまして、

まあ、裏話をしちゃいましたら、

研究人というhomo investigansという発想もあったんですけれども。

やはり、でも、homo exploransの方が、

どこか行っちゃいたいっていう感じがするんですよね。

探検、探究という感じが出ていましたので、

じゃあ、もう、homo exploransシリーズ、探究の探究人シリーズということで行ってゆこうということになりました。

やはり、アイディアマンとしての役割が、

人類の文化や社会には大切でして、

新しい発想や発見は、そうしたユニークな人たちがなしてきたじゃないかと、

それを探究人(homo explorans)と言ってるわけですけれども、

アイディアマンは、どの分野にもおりまして、

探究はパッションとエレガンス、

ウィットとユーモアを伴いまして、

ジョークから始まる探究だってあるわけですよね。

そうした脳の叫びと喜びを受け止めながら、

時々の解明をしていきたいという、

人類の色んな地球上の土地や時代や分野や対象ありますけれども、

それらを色んな角度から見ていきたいと、

人類を知りたい人類であるということでありますね。

事実を探究する(實時求是)というのは、

実はものすごく面白い!

まあ、最初から小説とかは、フィクションっていうものは、

フィクションだと分かっているから、

意外と燃えないところあるけれども、

事実というのは、やはり、すごいですよ!

本当にそういうことがあったという、

それで、しかも、われわれに伝わっていんだっていうようなアイデンティティーに関係してうくるわけですから、

面白いじゃないかと思って、

どんどん知りたい、攻めたいっていう感じでやってまいりたいと思いますけれども。

物事を見たときにこうして欲しいという、

やはり、決め付けをしない、

何かを知りたいときにそれに関係する様々な発想とか、

資料というものがあるわけですけれども、

それはどんどんいっぱい蓄えていくわけですよ。

それでそうしていくうちに、その一つの世界っていうことがババーンと見えてくるんですよね。

向こうから事実を教えてくれるという、

そうした、やはり、着想を得る瞬間が訪れるまで、たくさん事実を伝えてくれる資料を集めて集めまくって、向き合いながら続けて参りたいと思うんですよ。

特に私が何か探求しようとしたとき、

一次資料(primary source)は、やはり、大事ですよ!

探究するときに先人たちの驚きとか喜びがビンビン来る!

そう言う、アイディアの連なり、煌きというものを受け取ることができんじゃないかと!

そうした発想とか、知見のバトンリレーが、人類の歴史じゃないかという、

まぁ、そこで系譜ということになるわけですけれども。

やはり、そうした人間的な交流によりまして、

ハートフルでチャーミング、ヒューマンな探究ができるんじゃないか!

やはり、探究というのは、アートなんじゃないかと、

今年は最初から、もう、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886-1954)の(第二次世界大)戦中のマグネットフォン(Magnetophon)と言いますけれども、

今から80年近くの前に磁気テープ(Tonbandgerät)で録音したベルリン・フィル(Berliner Philharmoniker)やウィーン・フィル(Wiener Philharmoniker)の往年のオーケストラの録音した久しぶりに聴きまして、

もう、ダイナミックレンジが広くて、

絶叫するほど生々しさでゾクゾクしておりましたけれども、

もう、頭にピカンときちゃった!

探究はオーケストラなんじゃないかと!

やはり、あることをするにしても、演奏もそうですね。探究もそうですけれども。

総合的、総体的、全体的、俯瞰的に物事を見ながら、

個別的、極小的、専門的、微細的な、

両方の極大と極小の一致でそれがあるんじゃないかと(ニコラウス・クザーヌスNicolaus Cusanus, 1401-1464の《知ある無知(De docta ignorantia)》を思わせます)!

私はフルトヴェングラーの もう指揮ぶり、完全に同じ音が頭の中で鳴るぐらい聴きましたけれども!

もう今でも、頭の中で流れてきちゃった(笑)

もう、ベートーヴェンの交響曲などは最高ですよ!

ウィーンフィルの3番の「ウラニアのエロイカ」と言われますけれども(ベートーヴェンの交響曲第3番 変ホ長調「英雄」を1944年12月19日にウィーンのムジークフェラインザール(Musikvereinssaal)で演奏した戦中マグネットフォン録音) 。

もう最初の炸裂からぶっとんでいる!

もう、ドゥワーン、ドゥワーン(変ホ長調の主和音の炸裂)という所から、

もう、きゃうんですよね!

しかも、ベルリンフィルを指揮した、もう(ベートーヴェンの交響曲)第四番なんかも、

ヒューンときて、最初のところ(Adagio)はどんよりしている所から(Allegro vivaceになり)炸裂する!

まぁ、大体三分くらいの所でしたよね!

もう来ちゃうんですよね!

やっぱり!すごい!

それはどうしてなんだと!?こんな演奏になっちゃうんだと言いましたら。

やはり、フルトヴェングラーも言ってましたけれども(《音と言葉(Ton und Wort: 198-204)》〈ハインリヒ・シェンカー(Heinrich Schenker: Ein zeitgemäßes Problem)〉(1947年)「Was Schenker in den Mittelpunkt aller seiner Be trachtungen stellt, ist der Begriff des Fernhörens in der Musik.」)、

遠聴(das Fernhören)といいますけれども、「遠くに聴く」と書きますけれども、

やはり、音楽作品もそうなんですけれども、

西洋音楽とは、かなり論理的な構造を持ってますよね。

それを理解をしようとした時は、

やはり、全体にの大きなところから見る。

そして、部分の小さいところも見るという、

その両方のマッチ!

ピシャッと来る感じがあるんじゃないかと!

全ての要素は、もうそこにきちんとそうなきゃおかしいというフィット感。

もう、ジャスト・ミット感があって、

それでそれが演奏の中に表現できちゃってるっていう!

これ、なかなか難しいことなんですよね。

やはり、どこか演奏を聴くと、ここは、ちょっと変なんじゃないか、

こうするのはちょっとおかしいんじゃないかというようなことが、結構色んな演奏を聴くとあるんですよ。

でも、フルトヴェングラーの場合は、

全部、ピシャっと来てくれるという、

突っ込みどころがないぐらい、すごいんですよね!

これは探究と似てるんじゃないかと!?

何かの事実などを見たときに、

そのある部分では、その発想が考え方で解釈をできても、

やはり、別の所が見ると、やはりダメだみたいな、

そういうのだと、変なんですよね。ちぐはぐですから。

だけれども、全体でも抑えちゃう!

それで個別でも抑えちゃう!

そのフィット感!

それがピカンときてるという!

これ非常に似てるわけですよ!

それでしかもですよ!

それでフルトヴェングラーの指揮はドライブ感がある!

非常にもう色んなことが音楽作品の中で起きるわけですけれども。

作曲者が中に仕込んであるわけですけれども、

そのかなり先に起きることまで、

全部そこまでブワーンといくわけですよ!

つまり、来たからドンと入って行くんじゃなくて、

もう、かなり前のところから用意されていて、いくというね!

それでしかも、ドライヴ感でブーンと行く感じがして、すごいことですね!

まあ、ウィーン・フィルの(ベートーヴェンの交響曲)第三番(1944年12月19日録音)はウラニアという(アメリカの)レコード会社から出しちゃったっていうことで(裁判にまで発展しまして、)

「ウラニアのエロイカ」(Urania URLP 7095)とか、

ベルリン・フィルの第4番(1943年6月27-30日録音)の方は、

これはソ連軍がモスクワまで(オリジナルのマグネトフォン録音テープを)持っいっちゃったら、

それでメロディアというソ連の国営企業のレコード会社が出しちゃったので、

メロディア盤(Μелодия Д-09083-84)とよく言いまして、ものすごく貴重なんですけれども。

第四番には、アメリカのヴァオックスという会社の、メンデルスゾーンの子孫が作ったレコード会社でも出されたりして、

結構ジャケットのデザインは綺麗なんですよね(Vox PL-7210)。

まあ、そういった裏話があったりして、

まぁ、本題に戻りましたら、

フルトヴェングラーは、かなり音楽の構造を直感的かつ論理的に捉えておりまして、

感性と知性の調和がなされているんじゃないかと!

これでフルトヴェングラー自身の《遺稿集(Vermächtnis: Nachgelassene Schriften)》、

日本語では《音楽ノート》として出ていますけれども。

その中(1944年「芸術においても、人生においても、究極では、一切が―まさに一切が―、知性と感性の適切な調和に帰着する」)でも、感性と知性の調和についてメモが書いてありまして、

実際に彼が指揮をしたオーケストラから同じことがビンビン感じられまして、

それも、ものすごく感動しましたけれども。

実はフルトヴェングラーの父も子も考古学者で学者の家系でして、

そうした環境で生きていましたし、

知性はかなり鋭かったんですよね。

ちなみにフルトヴェングラーのおじさんのフィリップ・フルトヴェングラーは、ウィーン大学の数学教授でクルト・ゲーデルを教えていたりしましたり、

フルトヴェングラーが第二次世界大戦末期にスイスに亡命した時に助けた指揮者のエルネスト・アンセルメ、

なかなか指揮ぶりがグレイスフルでパッションもあり好きなんですけれども、

アンセルメも元々は、ローザンヌ大学の数学教授だったんですよね。

やはり、オーケストラの指揮者には、論理的な人が多くて、

やはり、探究はオーケストラじゃないかというテーゼをばばんと提示しましたけれども、

指揮者は様々なパートを融合する仕事ですから、

かなり計画性や論理性が必要ですけれども、

直感と論理、感性と知性の融合が大事なんじゃないか!

探究においても、ある事実を知りたいとき、

関係するあらゆる視点、知見、事実などなど、

それは学問の領域や資料ですけれども、

直感と論理を融合させて、探究を遂行するんですよね。

そして、更に高いレベルで感性や知性を調査せてゆくという、

スーパーヴァイジングが大切なんじゃないかと!

これはやはり、人間の脳の構造に由来しておりまして、

音楽でも、芸術でも、科学でも、学問でも、

いかなる分野におきましても、

表現の対象と方法が異なるだけでして、

まあ、実質的には同じなんじゃないかと確信
しております。

そして、また、もう皆が研究をし尽くしたと思っている分野において、

思いもよらない所から、

新しいヴィジョンを見つけ出してきて、

語り出してしまうというところも似ているんじゃないかと!

音楽においてもだいたいクラシックだから、

古典音楽だから、もうみんな演奏し尽くしている所に、

えっ、こんな一面があるんだっていうところを見せてくれちゃうという、

そういう古いところに新しさを見い出していきたいという話になってまいりますけれども。

まあ、物事は量子場理論における繰り込み群に似ておりまして、

そうしたスケーリングによって、

大きく見たり、小さく見たり、

拡大と縮小をしても、

物事の結びつきには、フラクタルな構造があるんじゃないかということで、

部分を積み上げていって全体が見い出されるようにという、

そうした指向があるわけなんですね。

更に直感と論理、

感性と知性の融合をビジョンやイメージを人に伝えるときにも、

話し方についても、

細かい部分と全体の部分のその波ですよね。

そのバランス!

それが大事なんじゃないか!

やはり、語りの芸術を目指したい!

KF-Schola!

今年やってみたいと思うんですよ!

やはり、落語と同じように古典のみんなが知ってるような音シンプルなお話でも、

こういう側面があるのかっていう、

意外性!

こういうところがすごいですよね!

やはり、そうしたワクワク感があるということでして、

そうしたセンシティブな機知により、

人生はワンダフル、ディライトフル、グレイスフルになるんじゃないかということ、

それが本当にピカンと来ておりますよ!

ということで、多くの方とKF-Scholaにおいても、共有してまいりたいと考えております。

KF-Scholaでは、年の初めから、ふっとている感じがするしますけれども。

色んな話題がもう混じり合って、

頭の中で融合して、

そして、また新しい化学反応により、

新しい側面や新しい発見、

創造性につながるという、

そういう探究の面白さ、脳の喜び、ワクワク感を伝えたいという、

ユニークなチャンネルになるんじゃないかと!

もう、ワクワクしたチャンネルになるんじゃないかと感じて予感しております!

本年もこんな感じで、

人類の知を結晶化して、深化、

進化(エボリューション)じゃなくて、

深めて行きたいと言う方の深化ですけれどもね。

今後とも、色んな発想、アイディアをチャレンジしていきたいということで、

KF-Scholaを何とぞ宜しくお願い申し上げます。

ありがとうございました

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