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ユニークさとは何だ!?0 獨特性是什麽 On uniqueness / L'unicité / La unicidad

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2021年1月31日

ユニークさについて(On uniqueness)

ユニークな人には特徴があって、非常に面白い事ことを発見したのは、もうその大量の「ユニーク事例」を集めまして、もう本当にもう地球のユーラシア大陸全体を集めてみると思ったことは、

やはり、大体ユニークな人間とは、その前にユニークな人間を何かしらのことで知ってることが多いんですね。

それで面白いことに思考回路の独特性において、非常に感じてきたのは、一般人の思考回路とは、やっぱり要するに安定志向でいく。

それで安定志向でいくとは、どういうことかと言うと、前に大多数の人間がしていることは正しい、と直ぐに認識します。

ところが、ユニークな人間は、要するによくブラックボックスみたいにして、ユニークで片付けられますけれども、ユニーク自体を探求していく、明らかに一つの指針、その一つのユニークさである人の生き様も、勿論そうだし、その発想の根源があり、それは最終的には強い何かを見た時とかの判断をする基準がはっきりしてると分かりました。

例えばmモーツァルトとかの例で言えば、 皆が分かるような音楽でパカパカンと簡単にヒョコヒョコ音楽を書いたら受けたかもしれないけれども、彼は自分の音楽作品の中に色んなことを盛り込むんですよ。

それで表現をしたいという、ユニークな人たちの特徴は、やはり表現の炸裂というか、その自分自身がこうやりたいという、その根源的な欲求がものすごく強く、それが世間の評価とか、その世間の人の基準とか関係ないですよ。何故関係ないかというと、本人が表現したいわけだから。

その結果生まれてくるものが、この間(KF-Scholaのデヴュー動画で)見たアリストテレスの著作で言えば、あの人著作の中には、もう一杯の概念が出てきて、 それが本人の頭の中で連結された楽しみというか。

そうした部品を一杯色んなものを体験したものをユニークな人は、自分の中で独特な関係性の結びつけをして配置していくと。

だから、出来たものがユニークなものになるということを感じました。

そこには一般人がこう書けば喜ぶではとか、 一般人がこう作れば分かりやすいではとか、それはもう関係ないのです。ユニークな人の中では、

何でかと言ったら、自分がこう思ったという、非常に一個のその強烈な、何て言いますか、もう別に世間体なんて関係ないという強烈な一つの感情的な、感情ではない。これは、更に根源的なその欲求、欲求でもないか。

もうimpulse、よく言われる「噴火」、「衝動」ね。うん。自分の中から出てくる根源的な、何というかな。これは表現が難しい!単語がないよ!もう炸裂すると、とにかくドカーンと、これをしてみようと、啓示に近い、啓示といったら危険か、危ないか(笑)まあ、インスピレーションというかな。

突き動かされる何かということだよね。論理的な問題とか、後天的に誰かさんから学んだとか、そうした誰かさんからこうしなさいと言われたから、こうしているとか、そういうことではなく、もう生得的な、もうそれ本人も分かっていない。多分それは結局自分でも。

だけれども、とにかく表現したいという、そういう何というのか、パーンとくるわけですよ!それを表現してゆこうということにしたとき、上手く表現できた人たちが歴史に残りましたが、

だから、そうなってくると、今度は私が何でそういう歴史を興味を持ち、その調べていったかというと、結局もうバーンとそういう湧き上がる情念が、そういうものがある人間が沢山いて、それでそういう人たちが社会の中でどう生きてきたかですよね。

結局は最終的には一人だけで盛り上がっているより、周りの人間を巻き込んできたから、歴史に名前残ったわけですね。

だから、その巻き込み方なども興味があり、やはり、結局元々の動機がユニークですね!

普通な人間は、結局、他の人と比較して生きています。結局それ比較して生きているとは、どういうことかというと、世間的にこういうことをすれば、皆に受けるだろうとか。

こういうことをすれば、会社で出世できるだろうとか、こういうことをすれば、お金持ちになるだろうとか、全てお金持ちになるとか、地位とか、そういうものに対しての執着から始まって行動を起こします。

ところが、ユニークな人間は、もう絶対的なものであって、その生得的な炸裂、パッションの炸裂と、まあ、よく今までの言葉を使うと「パッションの炸裂」ですね!もう私よく使ってきましたが、これは本当にある人間とない人間は、その結果だけ見れば、同じ論文を書いてるし、同じ本を書くし、同じ音楽を作る。

そうしたアウトプットされたものを見れば、似たようなのかもしれない!モーツァルト風の音楽もいっぱいありましたり、もう超一流のすごい科学者だって沢山(論文や著書を)書いていますが、超一流を超えてきたような歴史でも、何百年に一人みたいな人は、もうそもそも、たまたま物理学をしか、たまたま音楽をしたかという、

そうした環境は後の要因ですが、でも、本人自身のそのモーツァルトが音楽家であるとか、アリストテレスが哲学者であるとか、ディラックが物理学者だったとかなどを、更に超えて見てみると、

その炸裂があったということです!それでたまたまその分野において、その人たちはフィットしたと!結局そういう見方になってきますね。だからそういう意味でそうしたユニークな人たちの研究が始まってきてまして、

いつ頃から始まったの?いつ頃とは?その探求?ユニークな?うん。

それはやはり結局、昔から小さい頃から、何かやはり、自分は、周りの人たちと生きてる基準が違うと気づくわけですよね。

要するに、周りの人たちが色々行動しているのをやはり、私のいつもの分析(analysis)するわけですよ。周りの人たちが何でこの行動を起こすのか、すると、自分とは動機が違うかに気づいてくる。

ところが、他の人たちは、皆その動機で同じように、例えば動機で動いてるから、皆は価値観を共有しやすいですよね。だけれども、やはり(自分とは)ズレていると同じことやってもですね。

例えば、私が言語学に興味がいき、ガンガンガンといき、ラテン語やギリシア語やチベット語、サンスクリットといきますが、それで沢山、サンスクリットをやっている研究者も、ギリシア語の研究者だっているけれども、

でも、何かその人たちと私の求めているものが違う、同じ言語をしても違うと気づいてきたわけですよね。

そうして見てみると、例えばその最初にインド=ヨーロッパ語族という、サンスクリットに触れたときにパンパンパンと来ちゃった学者は、よくその最初はその人がすごい、よく思いついたなということに気づいたわけですね。

それは、まあ、中学生ぐらいになると、色んな本に触れることができ、小学生ぐらいからでも、色々とありましたが、それでどんどんその私の中でも調査、すごい情報を集めてくると言いますが、それは結果的に私の中では情報を集めるのが、何と言うかな、先ほどヴァイオリンの話もしたけれども、(ティボーとクライスラーが同じヴァイオリンを演奏しながら、全く異なる芸をなしており、両方ともユニークだから比較できないという流れから、)

音楽は要するに自分が制御するように訓練して練習をすると言っていましたが、それと同じで普通の人は、何かを考えていこうとするときに情報を集めるということが必要だから、どしたらいいかと一生懸命考えて、それを磨いていこうと考えるけれども。

もっと私の中では根源的にそういう仲間を探したいというか、その同じように考えた人間が、拓沙m歴史上にもいたということ!

それに何か気付いていくと、ここにもいる、ここにもいるとなり、しかも、面白いことに、ある分野で何でその横断的に色んな学問に興味を持ったかというと、その学問自体に興味を持ったこともあるけれども、

でも、結果的には、この間も話したけれども、KF-Scholaで学問とは、結局、人間がいるから生じているんですね。芸術も、最終的には、殆どユニークな人間が、その分野でも、その業績の内容も、もう一つめちゃくちゃぶっ飛んでいて、

例えば、一つ面白い例としては、ディラックはディラック方程式が大事で彼の最高の業績であったことは間違いないと思いますけれども、私が興味持ったのは、アインシュタインにしても、一般相対性理論が、一般的には、教科書的には、彼の最大の業績ですが、「ダメ論文」が沢山あるんですよね。

「ダメ論文」と言いまがす、面白いことに、要するにアイディアとしては、めちゃくちゃ吹っ飛んでて面白いけれども、中々ちょっと、その当時の時点では論証ができなかったことも、彼らはバンバン出していまして、(ディラックのAdS/CFT対応の予想など)。

うん、実は! アインシュタインが出した論文、ディラックが出した八割ぐらいは、そうしたことが沢山ありまして、

それが面白いということに気づいてきて、結局普通の人たちは、要するに評価された世間的に受けた論文ばかり研究しますが、ダメになっちゃった論文が結構面白かったりして(即ち、ユニークさとは、間違えがあるかないかという基準ではなく、アイディアそのものが面白いかそうでないかという別の基準ということでして、世間一般の基準とは大きく異なることです)、

だから、そうしたユニークさを探求していったとき、「アイデアのきらめき」で、それ自体がすごい何か価値観を覚えてるという、勿論そういう人たちは、元々そういう普通とは違う価値観で、普通とは違う価値観イコール、

更にそれを探究してみると、その言葉の裏の意味は、 結局は普通の尺度とは、結局常識的な物理学においても、言語学においても、常識的なこれはこうだという、皆、普通に知っているような内容と全然相反するような内容がパンと出てくることに快感を覚えたり、

むしろ、その(マイナーな部分に真実がありますが、)そうすると、マニアックだと人がよく言いますが、 私の中ではマニアックにディラックとか、そういうものを極めてゆこうとしているわけではなく、

更に捨てられちゃったものの方が、意外と面白いアイディアがありまして、そのアイデア自体が面白いから求めてゆき、まあ、私の場合は、中学や高校とかぐらいから、独自路線に行っちゃいましたね。それからですね。

ということで、普通の考え方、普通の生き方に興味を持たなかった理由は、こういうことなんです。結局。普通の生き方とか、普通の考え方は、もう殆ど結果は分かってしまうんです。

分かってきちゃいます。もうその後どうなるか、大体10年後はどうなってくるか、20年後はどうなるのかは、大量の例があるから分かってしまいます。

だけれども、ユニークとは、結局将来の不確定性の中にスリルを感じるわけでして、結局どうなっちゃうかと分かんないこと、普通に安定志向でいったら、普通の人はまあこういうことを思いますね。最近そのユニークさにも関係してきますが、

人類には二つのパターンがありますと!私は、大体それはどちらが良いとか悪いと言ってるんじゃないんですよ。

要するに、今で言うユニークが人間と、一般的に普通に生きている人間、どっちが良いとか悪いとかではなく、そもそも違う、言ってみれば、もう人種より、更に根源的に生き方とか、その価値観とかも違い、文化的な差異も超え、もっとそもそも人間には二パターンあるんだと気づきました。それはどういうことかと言ったら、

八割から九割ぐらい人は、これ遺伝子的な発現とか、遺伝子自身のその内容か発現、遺伝子から、蛋白質を作られるからか、どうか知らないですが、九割ぐらいの人たちは安定志向です。しかしながら、一割ぐらいの人は、どの地域やどの時代にも、必ず外に行きたい人がいるんです!

要するに、九割の人間は、その人間が生きているフィールドがあったら、そこから、その村からは出ないけれども、一割は必ずそういう人が出てきて、そういうことで人類もどんどん拡散していったんですね。

住んでる地域が増えていったと!「(DNAの)核酸だけに拡散する」わけでして、(日本語の「かくさん」の音にかけた冗談) うん。そうそうそう、そうなんですよ!だから、インド=ヨーロッパ語族も、元々大きな母集団からずれていき、

だから、ユニークをどんどん追求していくと、人類の結局、九割五分か更にかもしれない、九割八分ぐらい。更にかもしれない、もう本当に99%は、今ある生活とか、今ある思考とか、今ある価値観とかを重要視するんですよ。

だけれども、人類が生きてきたすごいところは、要するに、それはこの間も話したけど、九割五分、九割九分の人間が同じ事をしていたら、もしその考え方とか、そのフィールドが、何かしらの大きな災害なり、何か大きな変動が起き、そこに経済、今はもう経済かも 、疫病かも、洪水かも、地震かも分かりませんけど、

それはいろんな理由がありますが、一割の人間がポーンと外に出て行ったことにより、要するにそっちが生き残って大丈夫みたいな。それと一緒でやはり、必ずもうこれはもう後天的に勉強をして、そうなるとか、後天的に訓練して、そうなるではなく、必ず本当に0.01%ぐらいは、そういう人が出てきて、それは社会にとっては、ものすごく重要であると!

何故なら、殆どの人が皆同じことを考えていたら、その方法や考え方がダメに(成り立たなく)なると、皆で集団自殺みたいに潰れてしまいますが、

でも、少しでも(別の方向に)行ったことにより、人類が生き延びてきたのと一緒でして、そうした(根源的な好奇心や探究心に突き動かされて行動をする)人間がやはりどの時代にも必ずいて、その人たちは分かるわけでね。

普通の人たちは、結局モーツァルトに対しても、ディラックに対しても、その評価をする時にある程度の世間的な評価をしますが、

そのユニーク同士だと、今度はそのユニークさの、そこのところの観点が違いますから、ピピピと来ると、歴史上にそういう仲間を見つけたような感覚になりますね!

それで結局それを探究してゆくと、この人はこうやって生きたのかと分かってくるということにより、

それで何か新しい一つの同じ地球earthにいるけど、結局全然が違う、そうして発想したのかとか、生き様の人たちが一杯いたということでして、

KF-Scholaとか、KF-Ars Sinicaでも、そういう人を発掘していきたいと思っていて、今は私(が興味がある)音楽史の中でも色々いまして、スカルラッティ(Domenico Scarlatti)は間違いなく、そういうタイプでしたし、

彼の人生を研究すると面白いこと一つ分かったことは、彼はもうお父さんもアレッサンドロ・スカルラッティ(Alessandro Scarlatti)で、ものすごいナポリの重鎮でして、それで彼自身も能力が高かったからバチカンでも、最高の音楽家になり、それでそこでずっと続けたら、彼のソナタは生まれなかったと、何故か知らないですが、ポルトガル(やスペイン)に行っちゃった所から(創造の快進撃が)始まって、

それから(ユニークさや創造性が)炸裂したというのと一緒で、その人が、社会において、フィットするかどうかですね。ですから、歴史上に残った人は、かなりの数の人はユニークな人もいたはずですが、フィットしない場合は不遇であったりして、ダメなんですけど。フィットしちゃったケース、

じゃあ、何故フィットしちゃったのかと、それでもしかしたら、じゃあ、もっとフィットする方法が、方向性はあるじゃないかと、今回我々が今やろうとしているKF-Ars Sinica、KF-Scholaも、そうですが、

そういうことをしていきたいとき、その社会にそのユニークさ(独創性、uniqueness)を連結(joint)して、適合(fit)して、調整(adjust)するとは、どうしたらいいのかも、 もう300年前とか、1000年前とか、 2000年前の事例で分かってくるということでして、

まあ、そういう話すぎましたけれども、そういうことが見えてくるという、ユニークを語りだしたら、もう八時間ぐらい、更に色んな理由を喋るかもしれないです。すいません!大丈夫ですか?一人でしゃべり過ぎちゃって!いや、あの~今度付き合うからまたやってくれ(笑)

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