Press "Enter" to skip to content

モーツァルト 五歳の最初の作品 KV 1a

モーツァルトの最初の作品 アンダンテ Andante in C-Dur, KV 1a(1761年1-2月)について少し詳しくお話ししました。演奏付きです😄


KF-Schola / 探究の探究では、頻繁に新作を更新する予定ですので登録下さいませ!
https://www.youtube.com/channel/UCFO5Akv8rd0CO4lahUGn6jg

最近Twitterで編集の裏話や新作の動画の告知を始めました。フォロー下さいませ! https://twitter.com/KF_ArSin


姉妹チャンネル KF-Ars Sinica / 系譜でたどる中華文化 もエキサイティングです! https://www.youtube.com/channel/UCVcCcF62H09v8Yk3mkU8ojg

2021年2月3日

皆さま、前回はモーツァルトの誕生日に急遽ビデオを作りまして、

もう、いきなりビデオを出してしまいましたが、そのとき思ったんですよね!

音源がなかったものですから、盛り上がりに欠けるんじゃないかということで、

もう、著作権の問題もありますから、音源を使っていいのかと思って、ちょっと出すことができませんでしたが、しょうがないと、そういうことだったら、もう作っちゃおうと、自分で弾いて、演奏しちゃおうということで少しやりましたので、

それと一緒にこの曲自体が、どういう構造を持ってるのかについて、それから、もうこの間はお誕生日でしたから、まあ難しいところは置いておいて話していませんでしたから、それをちょっと今日やってみようと思って、ビデオ作ってみました。

ということで、この間に見ましたが、モーツァルトが一番最初に作った、今伝わっている中で作品がございまして、この作品はすごいと、もう感激しておりましたけど。

では、何故すごいかについて、まだ、お話してなかったですから、ビデオ作りました!

じゃあ、先ず折角だから、こちらの楽譜の方が綺麗に書いてありますから、折角だから聞いてみようと、まあ私の時間でピアノで勝手に弾いて録りましたから、そんなに上手くないけれども、まあ、ご愛嬌ということで聞いて頂ければと思います。

という感じだったんですけれども、この曲がこの間お話したようにですね。

先ず1段目と2段目で全然違う拍子が違うこと、それと雰囲気も全然違いますね。それが2つ合わさると、これほど短いのにもうたったの数十秒なのに、これほど多彩な曲が出来ると、これはやはりすごいことですよ。

結局このモーツァルトのお姉さんが、音楽を学ぶために作ったノートでしたが、そこに書いてある沢山の曲がありますが、

他の曲を見てみますと、まあ基本的に音楽を本当に基礎的なものを教えるためにメヌエットなどが沢山書かれていますが、その曲たちは皆、非常に規範的typicalです。

ですが、この曲はものすごく、何と言いますか。すごい創造性に溢れていまして、じゃあそれはどうしてかといったら、

この間お話したようにmすごい短い中にものすごいmその動きというか、その変化があることですが、そこで見た時に、先ず一段目と二段目が、全然違うもので、これと全然違う要素が組み合わさり、ボーンと新しい表現ができるという、

「音楽の化学反応」が起きてるということで、私はとても注目しているんですけどね。 そこで見てみますと、

先ず、こういう音楽を見るときには、基本的に西洋音楽とは、声部(vox)、声の部と言いますが、それは声楽から元々きてたから、そうですけれども。

基本的にこの上のラインと下のラインと、まあピアノで言えば、勿論、鍵盤楽器、当時のチェンバロとクラヴィコードなども、右と左、右手と左手で弾きますからね。

つまり、二つのパートを同時に弾くことができますね。鍵盤楽器の上では。そうするとこの二本の旋律が動いているということが分かると思います。

必ず二本、上と下であるということは、ここで一つ見ると、二本あるということは、必ずその音が常にこの間には音程差、音程の距離が生まれますね。

それでその音程の距離が一つ一つ変わってゆきますね。それで距離を作っていくんですけれども、これで大体じゃあ遠目で見てみますと、まあこの音がソがずっとソ~と鳴っているんです。

ここでリズムを作っていますが、先ずこの一つ目のこのリズムのモチーフがタータタという、タータタ。 これがありますよね!それでこれが面白いことに、二つの全然違う(曲想)と言いましたが、 それをじゃあ一つの作品としてunite、結合させるためには、

全然違う要素のものを結合させるには、同じこの要素がここのタータタが、ここにも出てきて、ここにも、ここにも、ここにも出てきて、しかも、これは逆転していあmす。タタターになってくると。

しかも、この四分音符を四個に分割している。基本的にこういうものを見たときは、西洋音楽の記譜、記譜法と言いますが、その音楽を書く方法からすれば、この四分音符を四個に分割することにより、更に細かい動きが生まれているということは、最初のこの音とこの音が元々の音だった。その間にこことここの音の間に音が埋められているということで考えてゆきますが、

ここのモチーフをじゃあ、この三十二分音符が四つくっ付いているようなタイプ、ここにも上と下であるということでして、

先ずは、別々だと思うような要素を結びつけ、言ってみれば、 その一つのunit、まとまりがあるわけですね。それによって作品の統一性が図られていると考えられます。

これはすごいことですよ!結局このモチーフも何回も繰り返され、それでしかもここに小さく書いてあります。

本当は私が弾いた時にはこのファ、ミ、レ、ドと、そのまま三十二分音符を四つ並べた、つまり、これと同じような形で弾いてしまいましたが、本当はタタとなっていました。(更に旋律の流れを重んじて、トリルはモルデントと結合したタイプで演奏しました。)

これは前打音で(イタリア語で)acciaccaturaといますが、これ結局ここにより、これは元々声楽から来た技法でして、タタ、タタ、タタと声で旋律を作ってゆくときは、この音に入る前に1個余分にあることにより、その旋律に律動が生まれるんですね。

要するに、旋律が流れていくと非常にリズミカルになり、音楽を推してくれるんですよね。そうした形で前打音acciaccaturaが使われ、それともう一つの考え方は、このモチーフがあると、

でも、実際問題はこれと同じように四分音符を(三十二分音符)四つで弾いてしまっているけれども、あまりここを強調したら、少し不自然で逆に気持ち悪いという感じであまり強調しませんですけども、

そういった形になってるし、それで見てみますと、ここでずーっとこの音がビーと鳴っていて、それをリズムを付けるために細かい動きが付けられていることも考えられたり、

それとここはずっとですから、滑らかにそんなに上下差の動きはないですよね。まあ、リズムを与えるため、ここはありますが、しかし、ここ見るとこうきてこうきて少し下がっていく、下降していくんですよね。

それでどんどんどんどんいくここまでいき、最後に低くなり、どうなるのかなと一緒になり、それで音程差が少し多いと二つの旋律に聞こえてしまいますが、ここでずーっと上は、ピアノでは右手ですよね。 ずっと下がってくると、左手とどんどん近づいてくると、音が結合して一つのまとまりになり、聴こえやすくする工夫もあります。

ここの部分とここの部分で、大分また変化が生まれていまして、それとすごいのが、西洋音楽とは、基本的に最初に何かを提示するんですよね。この時にモチーフを提示して、それが少し発展して、この辺でオッと来て、最後に結論に行くんですけれども、言ってみれば、

起承転結で音楽ができていて、結局そうじゃないと変化がないとつまわらないです。最初から最後まで、ずっと一緒だと眠くなりますから、こんなに短いのにもう目まぐるしく5秒ぐらいずつで起承転結があり、もう一つの作品として、ものすごく一つの統一性が取れていまして、これはすごいですよ!

モーツァルトのお姉さんのナンネルの楽譜帖といますが、その曲集には一杯作品が書きこまれていますが、もうこの曲はちょっと面白い、ものすごく変わってると、非常にユニークということですね。

ですから、それをまた別の観点から、じゃあ今度見てみますと、先ほど二つの旋律の間にある音程差ということをお話しましたよね。それをちょっと見てみたいと思うんですよ。

次に私このようにちょっと書いてみたんです。そういうのがすごいのは、しかも、この曲は一番最初にこのP5とは、perfect fifthですが、完全五度音程と言いますが。

ものすごい完全五度の音程は、やはり綺麗なんですよ。綺麗な音程で、しかもそこから始まっています。それで基本的にこれはハ長調で書かれているから、最初の音と最後の音は、基本的にC、ハの音、ドの音です。

だから、結局そうですが、この最後の音は終止音、それをfinalisとラテン語で言いますが、結局一番大事なのは、この終止音でして、これからやはり始まっていますが。

その上に完全五度で音が置かれていると、しかも、その次のところは、ここのところは、これを括弧で書いたのは、基本的にここは実際には短六度ですけれども、これはじゃあ一番上に行きましたこの音が、ドですから、これを下に持ってくると、このドとミの音程は長三度(major 3rd)です。

だから、M3と書いてありますが、それで次の音は一緒でしょ!ここは完全四度(Perfect 4th)です。それでしかも、次のここのところは、ここはすごい刺激的です。刺激的とは、ぶつかる音ですよね。不協和音です。

じゃあ、どうしてかといったら、この音、先ほど話したように括弧のところは、これはちょっと難しい言葉を使うと、転回形と言いますが、下にあった音が上にキュンとひっくり返ってきて、inversion と英語で言いますが、それはひっくり返る、転回というのはひっくり返るという意味ですね。

だから、上にきちゃってる。なぜひっくり返っているかと言うと、ひっくり返らないで、こことここだとファとソが近くでグッと鳴ると、もうすごいきついため、上に持ってくると意外と和らぐと。まあ、でも、だから、ファとソだと、ここは長二度ですから結構、不協和音です。ぶつかる音。

でも、上に来てるから、ここは上にきちゃうとオクターブが長二度に対して、こちら側、もう一つ側の距離一番上の高い所までは、これは短七度ですから、その音程になっていますが、これだと少し和らぎます。

いやでも、結構ここはスパイスみたいに刺激的です。それでまたこれが二回繰り返されていまして、

まあ、基本的には私はそう(演奏)しませんでしたが、あまり変に味付けすると変かなと思って。

西洋音楽は、二回、同じモチーフが繰り返されてきまして、これどうしてかと言いますと、結局一回目と二回目でエコー(こだま)みたいに一回目は強く、二回目はちょっと弱くなど、そうした変化をつけて演奏する場合が、結構多いんですけれども。

それで次の部分も二回繰り返していますが、ここの所はミ、ファ、ファ#、ソと上がり、それでミからソに上がりますが、その間を chromaticaと書いてあり、これは半音階進行といい、半音ずつ上がってるんですよ。これもすごいことなんです!

ここからここまでミからソまでなめらかにつながっていて、これは今垂直にこうして音程差を見てきて言いましたけれども。

次には今度はこのある旋律の中で、次の音どこまで行くのか、吹っ飛ぶのかですね。それでそれもすごい音程差も重要でして、

だから、少し後で見たいと思うんですけども、ここは結局ここはドからミだから、長三度。それでここは反対にして、先ほどのように転回させているから、括弧がついてますけど、長三度。それでここも先ほどと同じですね。 長二度が転回しているということで、まあ、ここについては、短七度と考えてもいいですけれども。

それでしかもトリルが付いてるから、これやはり刺激的だという、ここのところは、すごいぶつかります。ぶつかると、今度は解決したくなると、そうした今度これが来るわけですよね。

だから、結局ぶつかったら、今度解決する更に綺麗な音、ぶつかったときたら、綺麗な響きを聴きたいんだよということで、綺麗に出てくる。おお!ということで、先の所もいいませんでしたが、ここぶつかったら、今度はここは完全五度ですから、ここは繰り返しだから、私書かなかったですけれども。

中々これも凄いことですよね。しかも、ここから後半部分、起承ときて、転結の転のところまできましたけれども。

このacciaccaturaと書いてありね。タタン、前打音、そうすると今度は下の方にどんどんどんどん入っていく、その推進力を与えていると、それでしかもこの音程差は長三度。それでここは完全四度。

それでこの音は、経過音と言いますが、経過過音とは、パッセージの中でバーッと過ぎて行ってしまう。

だから、私はこの音程差を書きましたけど、ここは書きませんでした。経過音だと考えられるから、このacciaccaturaもそうです。ですから、音楽には、だいたい拍がありますよね。拍が一拍がこれが一拍、二拍、三拍で3/4だから。一拍、二拍、三拍、一拍、二拍、三拍(という繰り返し)

だから、拍の場所は、この音程を作るその間は経過的な、つまり装飾的な音(ornament)です。それでここが音程ができて、結局こっちも同じで2/4だから、

これが一拍、二拍ですよね。それで更にそれを半分ずつに分割していますね。二で分割して四にしてありますけれども。

だから、結局ここと、ここと、ここと、ここの音程差、ここが長六度、完全四度ということで綺麗に合っていて、それでここはもうオクターブで一番低いところに左がガーンてきてますよね。

ですから、いきなりここで低いところへ、これをペダル低音とよく言いますが、これはどういう意味かと言うと、オルガンでいえば、足鍵盤みたいな低い所に低音があることによって、非常に音楽ががっしり聞こえるんです。

ということで、すごいそうした配慮もなされていて、この音は動いていますが、まあ、基本的にはこれはハ長調だから、ドのところでずーっと鳴ってますよね。ここにね。ウンウンと。

まあ、これはペダルとは、足と言う意味ですが、元々ラテン語でpesと言い、pesというのは足という意味ですけどね。

まあ、一番人の身体の中で足が下にあるから、一番下にある音ということでして、西洋音楽とは、結局一部の下の音から積み重ねて音程を考えて曲を構築するんです。基本的に。先ほど言った転回とは、逆にいえば異例でして、下にあるはずの音が、その上に来ちゃうわけです。

ですから、基本的にこの低音がきっちりしてると、ここはものすごく強く聞こえて、がっしり聞こえて、そういったことにもなっていって、どんどんなります。

そして、すごいことにここでハ長調を(強く)思わせたと思ったら、いきなりここで何だと!ここにフラット(♭)が付いていて、しかもシ♭ですよね。これはここでハッキリしてきますが、ここでちょっと先取りしていますが、ここのところから、シ♭とファとレとシ♭、これは何だと言ったらですね。変ロ長調か!

これは B-flat major(変ロ長調か)の(主)和音が鳴っているわけです。だから、いきなりここで転調してるんですよね。

転調と言うほどの激しくそこにずぶずぶ入り込んでいきませんが、瞬間的にここで変ロ長調みたいになっています。

もう、こんな短い曲なのに転調まで起こしていまして、しかも、ここでここからの距離を私書きましたけれども、これずーっとハ長調の主音であるCが、ドの音が鳴っていると。

それでこれに対して、短七度(minor 7th)ですよね。いきなりボンと出てきて、それでここからこの音からすれば、ここは四度、まあこういう風に書きましたけれども、基本的にこれは今申し上げたような変ロ長調の主音から逆にアルペジオという分散的に四個の音が鳴っている。

しかも、ここが休符で空いているんですね。先ほど聴いて頂いたようにここにふっと開いていて、ちょっと驚きがあるという。

つまり、普通の拍の一番最初は、何か音があり、拍をぱっとはっきりさせるのにないと人間は、オッと言う感じで驚いて、この瞬間に転調を起こしていると、(五歳の)モーツァルトは、ここでものすごいことをしていますと、びっくりしてるわけですよ!これで最後のところで、もう下のもう低い所まで行ってですね。

低いミまでいって、ファでソで少しずつ上がっていくんですけどね。

それでこの点は、ここからここへ落りて、しかも最後に上がり、上はこっちに下がるような形でずーっとこの上から下がるのと、下から上がるのでVみたいな感じで、最後にこのドのところまで駆け上がり、本当にもうこの曲は見事にできています。

しかもm最後のところはmものすごいきちっと(オクターブを重ねて)ガッシリして終わっていましてということで、この曲ちょっと見ただけでも、本当に様々なことが起きていて、もうビックリだとお分かりいただけると思うんですよね。これだけでも、こんなに短いのに、ものすごい盛り沢山だということです。

しかも、音の数も少ないのに盛り込まれている内容が物凄い深いということですね。それで今私申し上げたように、何でこういう風に二つの音、旋律と言ったら、少しあれですけれども。こっち側は旋律でこっち側は低音と言うんですけども。西洋音楽というのは基本的にこの音程差がすごい大事だというのは、

私がすごい興味を持っているのが中世から、ルネサンス、バロックを通り、モーツァルトは古典派の時代だと言われますけれども、それでずっと一貫しているものは、 西洋音楽とは、基本的にこうして記譜されて、実際に楽譜の譜面上に書かれた音楽ですから、

非常に設計をする形で音楽を作ることができました。そうしたときに最初にこの多声音楽(polyphony)と言いますが、違う旋律が二本(以上)同時に流れるといったとき、一番最初の形をちょっとちらっと見てみたいと思うんですけどね。

こうした形でこれは《音楽提要(Musica enchiriadis)》という、もう895年頃ですから、モーツァルトからもう約1000年も前の音楽の理論書ですが、そこに書いてあるのは、どのようにして、グレゴリオ聖歌があり、続唱Secuentiaと書いてありますが、

聖歌を装飾的に歌うのかといったとき、こうした音程差を生じさせながら、二つの流れが動いていますね。それで少しずつ少しずつ音程差が変わりながら動いていき、最後にきれいに終止で終わると。

だから、モーツァルトの音楽とこれを単純に比較してしまうと、もう千年も差があるから、怒られちゃうかもしれませんけども。

でも、逆に私はこれを見た時に思ったのは、千年経ったとしても、ずっと西洋音楽の遺伝子として、ずっと引き継がれてきたものは、この横の旋律の動き方とこの縦の音程差が必ず常に変化しながら、時間と共に音楽が流れていく構造、基本構造がきちんと見られると、これはもうすごいことだと思ってるんですよね。

それでしかも、モーツァルト、このナンネルの楽譜帖(Notenbuch für Nannerl)、お姉さんの楽譜帖ですが、そこにはこの作品、今我々がみましたKV 1aやKV 1b, 1c, 1dが書かれてる本当にすぐ近くには、きちんと(父)レオポルド・モーツァルトが、音程とは、どういうものかと教えた、こうした説明がついてるんです。

ということは、こういった音程とは、非常に重要で、こうしたものをきちんと意識して書いているということですね。

それでしかも、少しこれに戻ってみますと、二つの今度は見方ができ、これ下側はこれ一本の旋律で書いてありまして、

それで私が先ほど今、中世の《音楽提要》を出しましたけども、それが少し乱暴だと思ったのは、

実はこの下の旋律は、通奏低音(ドイツ語 Generalbaß、イタリア語Basso continuo)と言いますが、この下の一方の旋律に見えますが、実はこれは一番下のルート(root)といいまして、

先ほど申し上げたように、一番下の音から、更に音程を積み重ね、西洋音楽が作られていると、この上に協和音程を積み重ねた音が、実は内在されていると、このところに、というと難しいから、

どういうことかと、少し見てみたいと思いますが、基本的にモーツァルトは、もう本当にバロック音楽の一番最後の方、もう古典派音楽が始まるくらい、その過渡期に生まれましたから、彼の時代には、実際に音楽を書くときには、この通奏低音も方法があり、

その下の今見たみたいに同じようにこちらが、主旋律があったとすると、こちらは歌になっていますね。基本的に西洋音楽とは、歌から来ている、声楽から来ていまして、それを器楽でもやってるから、同じ音楽の構造を持っていますけれども、

これ見てみますと、下の方に同じように書いてあり、上に合わせて動いてると、この上には本当は三度とか五度とか、6と書かれているのは、46(の和音)とか、そうした協和音程を積み重ねて、中にはきちっと埋まってるんだと。

でも、それを本当に短縮して書くために、下のルートの音、根音、もう根っこの音だけを書いて、もう書けば分かるでしょうと、上にちゃんと即興的に演奏してくれということでね。

結局これは圧縮されている。コンピューターのzipファイルみたいに圧縮されて、また解凍しなければいけない。realizationと言いますが、これはバロック音楽などを演奏する時には、必ずここにはそういう、これを見た瞬間には、これの上の旋律に合うような和音をきちんと組み込まなければならないと、

それを実際モーツァルトのお父さんも同じ楽譜帖の中に、この通奏低音について書いてあります。ですから、この音上に三度と五度をね。こことここにちゃんと弾きなさいとか、四度と六度とか、きちっとこの練習が書いてありまして、見て取れたと思うんですよ。

それでこちらに戻ってみますと、この音の中には、更にこの上には、きちんとした通奏低音として見れば、あるということで、非常にこの実はバスラインの方が大事です。

皆すごいこの旋律の方がやはりすごく魅力的でもあるし、すごくよく動くから、目立ちやすいですが、実は土台がしっかりしないと建築が上手くいかないよう、この下の土台となるバスラインですね。

これも見事だということでして、今度はこの動き方も、つまり旋律の中の動き方自身もすごく重要でこのソの音からドの音まで、完全四度で上がっているし、それでまた下がって、順次下降で一つ下がってるという形をとって、ここは先ほど申し上げましたように半音進行で入り、それで最後に一つ下がり、これでここは滑らかに順次とは、一つ一つ次の音にずっと落ちてくるとか。

それで動き方が、非常に中々エレガントと言えて、この低音もきちんと沿って動いてますよね。

だから、この作品は、本当にどの角度から見ても完璧だと、本当に驚いておりますという話なってまいりました!

ということで、こういった私がいつも、ものを見たときには、実は音楽もそうですが、言語もそうですが、今申し上げたことは、楽典とよく言いますが、音楽の仕組み、この言語でいえば、文法みたいなものを、モーツァルトは、これ本当にもうインプロヴィゼーションで、もう即興的にパッと弾いたんでしょうけれども、

実はこうして一つ一つ分析すると、今色々な発想があると認識することはすごい大事でして、即興的に行われているけれども、結局我々も言語を使う時に日本語も、英語も、フランス語も、ドイツ語も、結局母国語を話す人は、文法を考えないけれども、(言語を反すことができますよう、)昔の人はこういった本当の作品を書いたり、作ってみたり、もしくは良い作品いっぱい聴いたりして、

その中でその音の動き方とか、その音の使い方というものをアイディアとして、どんどん摂取していくと、それは小さい子供がお母さんとかが話してる会話を聞いて、そこから文法なんて学ばなくても、自然にいろいろ身につけると同じことですよね。

そうした形で音楽を皆、昔の人は学んでいました、ですから、楽典の本を勉強するより、本当の実例で学んでいましたが、基本的にきちんと言われれば、今みたいに全てのことを何が起きていることを説明できるくらい理解することは大事でして、音楽を演奏するときに解釈しなければならないです。

かつ、その音楽を作曲するときにも、きちんと、そうしたことを認識してないと書けないですから、すごいこれは大事なことで見てこれだと思います。

それともう一つ音楽と言語が面白いのは、先ほど見たようにこの作品から発展していき、中世の音楽の理論書までいったり、これはグレゴリオ聖歌を即興的に歌うと、ここから多声音楽といって、ポリフォニーの音楽は始まって、もう本当に一番最初の形から見たり、

それから先ほど言いませんでしたが、これはバロック音楽ができた頃にカッチーニたち、本当にその人たちがどう書いていたか、通奏低音という方法が、どうして生まれてきたのかを示していますが、

これモーツァルトが生まれるより、ずっと前に起きた音楽の構造なり、その音楽の仕組み、そういったものをモーツァルトがきちんと、それらを踏まえて、お父さんがこうした形などを教えて、きちんと理解して曲を書いてたんですよね。

ですから、音楽でも、言語でも、古い言語を調べると、その我々が今使ってる言語は、なぜこういう単語はこうか、なぜこういう文法かと説明するためには、古い時代に起きたことを理解すると説明できるというのと同じでして、この1個の本当にシンプルな作品を見たときにも、そうした音楽の構造なりを総動員して考えてみると、色んな方向からものを考えていくことができて、面白いということ。

これは単にこんな簡単な作品は何て片付けられないくらい、色んな発見に満ち溢れ、やはり何かをものを知るためには、その観点とか、着眼点が大事で、それを沢山で仕入れて、普段から興味を持って知っていれば、一個のものを見たときには、色んな角度からアプローチしてできるという話しまで広がってしまいました。

ですから、これからKF-Scholaでは、まあ音楽史もやらなければならないかと、ただモーツァルトだけ話している問題ではないということでして、一つのまたそうした系譜で見ていく、その音楽の構造も取り上げてみたいと思います。

今日もどうもありがとうございました。こんな形で普段の気づきをまた皆様とシェアして参りたいと思いますので、どうか御贔屓くださいませということでチャンネル登録(Subscribe)をして下さいますと幸いです。どうもありがとうございました。

Follow me!

PAGE TOP