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モーツァルトと交流した音楽家たち

モーツァルト一家[Louis Carrogis, dit de Carmontelle](1763年)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは記録されるだけでも、多くの都市を旅行して、多くの音楽家と交流して、多くの書法を経験して、自作に取り入れました。モーツァルトが接した音楽家とその音楽性と照らして、モーツァルトが継承した伝統と創造した個性が明らかになります。

1756年にザルツブルクで生まれ、1759年の《ナンネルの楽譜帳》にはアグレル、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、ヴァーゲンザイル、レオポルド・モーツアルトの作品が記されます。

父の同僚であるエーベルリーンやミヒャエル・ハイドンと関わり、1762年にウィーンでヴァーゲンザイルやラウパッハに会い、1763年にルートヴィッヒスブルクでナポリ楽派のヨンメッリ、シュヴェッツィンゲンでマンハイム楽派のフランツ・クサヴァー・リヒター、パリのコンセール・スピリチュエルでギャラント様式のヨハン・ショーベルト、エッカルト、ホーナウアー、ロンドンでロココ様式のヨハン・クリスティアン・バッハとカール・フリードリヒ・アーベル、1767年にウィーンでナポリ=ヴェネツィア楽派のハッセ、1770年にミラノでジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニと会い、ボローニャでマルティーニ神父に対位法を学び、ミスリヴェチェク、フィレンツェでナルディーニ、ローマでアレグリを知り、1771年にトリノでプニャーニやヴェネツィアでガルッピやルケージと会いました。1777年にミュンヘンでミスリヴェチェクと再会、アウクスブルクでエーデルマンを知り、マンハイムでカンナビヒ、1778年にパリでゴセックと会い、ヒュスマンデルを知り、サン・ジェルマンでヨハン・クリスティアン・バッハと再会、ストラスブールでマンハイム楽派のフランツ・クサヴァー・リヒターやカール・シュターミッツと会い、1781年にウィーンでクレメンティと共演、ヨーゼフ・ハイドン、フェルスター、サリエリ、レオポルト・コジェルフ、1782年にヴァン・スヴィーテン男爵と会い、大バッハ、ヘンデル、キルンベルガーを知り、1782年にサルティ、1784年にパイジェルロと会い、ハイドン、ディッタースドルフ、ヴァンハルと室内楽を楽しみました。

1786年にギロヴェッツ、1787年にプラハでフランツ・クサーヴァー・ドゥセック、1789年にドレスデンでシュースター、ライプツィヒでドーレスと会い、大バッハの二重合唱モテット〈主に向かいて新しき歌を歌え(Singet dem Herrn ein neues Lied)〉(BWV 225)に感激しました。ベルリンでフンメルに会い、1790年にフランクフルトへサリエリと楽旅、ミュンヘンでカンナビヒと再会しました。

Johan Agrell [1701-1765]: Sinfonia für streicher und b.c. D-dur(Opus 1/1・VI. Sinfonie a quattro)
Georg Christoph Wagenseil [1715-1777]: Sinfonia D-dur(1746年・Opus 3/1・WV 374, D10)
Niccolò Jommelli [1714-1774]: Veni Creator Spiritus
Johann Schobert [c. 1720-1767]: Klavierkonzert Nr. 3 G-Dur(1765年・Opus13)
Johann Gottfried Eckard [1735-1793]: Sonate E-dur
Carl Friedrich Abel [1723-1787]: Sinfonia Es-dur(1765年・Opus 7/6 [attrb. Mozart KV 18])
Giovanni Battista Sammartini [1698-1775]: Sinfonia (Sonata) Nr. 11 in F-dur(J​-C 37)
Giovanni Battista Martini [1706-1784]: Te Deum D-dur
Pietro Nardini [1722-1793]: Concerti per violino(1765年・Opus 1・Amsterdam: J. J. Hummel)
Gaetano Pugnani [1731-1798]: Sinfonia/Overture a piu stromenti B-dur(Opus 9/5)
Baldassare Galuppi [1706-1785]: Sonata per clavicembalo Nr. 5 C-dur(1756年・Opus 1/5)Andrea Luchesi [1741-1801]: Concerto per cembalo F-dur(1773年)
François-Joseph Gossec [1734-1772]: Symphonie concertante D-dur
Emanuel Aloys Förster [1748-1823]: Streichquartett C-dur(Opus 21/1)
Giuseppe Sarti [1729-1802]: Sonata in re magg. per clavicembalo e violino o flauto concertante(S. I:01)
Giovanni Paisiello [1740-1816]: Concerto n.7 in la magg. per clavicembalo e orchestra(R 8.19)
Carl Ditters von Dittersdorf [1739-1799]: Sinfonia concertante D-dur(1774年・Kr.127)
Johann Baptist Vanhal [1739-1813]: Sonaten für Klarinette und Hammerklavier C-dur
František Xaver Dušek [1731-1799]: Sinfonia A-dur(Altner A3)
Joseph Schuster [1748-1812]: Quartetto Padovano Nr. 4 in A-dur(1780年・KV C 20.03/Anh. 212)

ヨゼフ・ミスリヴェチェクは宮廷に仕えず、音楽を生業として自由に作曲しました。《六つの序曲[交響曲]》(1772年)で「モーツァルトらしさ」とされる旋律や拍感を生んだことが明らかです。モーツァルトを「唯一無二」とせず、系譜をたどり、歴史の事実を重ね、正当な評価を下しやすくなります。

1737年にプラハで生まれ、1761年にチェルノホルスキ門下ゼゲル、1763年にヴェネツィアでロッティ門下ペシェッティに学び、1767年にプラハに帰り、1770年にボローニャでモーツァルトと会い、1773年にウィーンを訪れ、1777年にミュンヘンでモーツァルトと会い、1781年にローマで亡くなりました。

1760年代後半にマルティーニ神父に学び、1771年にアカデミア・フィラルモニカに入りました。生涯の大半をイタリアで過ごした以外には、モーツァルトと似たような環境で生きていました。両者の交友関係も深く、影響を与え合いました。

ミスリヴェチェクとモーツァルトはあらゆる楽曲で同じ旋律・和声・拍感を用いました。ミスリヴェチェクの序曲はナポリ楽派による三楽章制、モーツァルトの後期交響曲はマンハイム楽派がメヌエットを加えた四楽章制を主としていました。

Ouvertüren / Symphonien Nr. 1, 10:C7; Nr. 2, 10:A2; Nr. 3, 10:F6; Nr. 4, 10:D14; Nr. 5, 10:Bb3; Nr. 6, 10:G5
• Daniel E. Freeman (2009). Josef Mysliveček "Il Boemo", Sterling Heights: Harmonie Park Press.

Streichquartett in C-dur(1768年・Opus 3/6・Quartetto III)
Oktet Nr. 2 in Es-dur(1777-78年・Otetto III・EvaM 8:​Eb2)
Sonate für zwei Celli Nr. 4 in F-dur
Flötenkonzert in D-dur
Violinkonzert in D-dur(1769年・EvaM 9a:E1)
Concertino Nr. 1(1777-78年)
Duetten: Tre Notturni
Arie „Quod est in igne calor“ in Dis-dur

Jaroslav Čeleda (1946). Josef Mysliveček. Tvůrce pražského nářečí hudebního rokoka tereziánského, Praha: Josef Svoboda.

2018年11月23日

いつもありがとうございます。天才音楽家のミスリヴェチェク(Josef Mysliveček, 1737-1781)です。初めて超個性的な音楽を聞いたとき、椅子から転げ落ちるほど驚きました!!十六分休符や前打音やタイの使い方が独特で面白く、リズムが鮮やかでソニー・ロリンズのソロのよう拍に対して先乗りや後乗りして旋律と伴奏の関係が自然で絶妙な間合いがあります。

ミスリヴェチェクの音楽はハイテンションでチャーミングであり、シンフォニアもオペラアリアも通奏低音をリズムセクションとして下からずんずん推して、ドライブ感が抜群でイタリア人をしびれさせた一方、味わい深いデュエットやイタリア語歌曲なども作曲しました。死後に「神々しきボヘミア人(Il divino Boemo)」というニックネームまで付けられました。

弦楽器と管楽器が絶妙に合わさり、管弦楽法は洗練されていて完璧です。意表を突くような転調や休止もグラウプナーを髣髴とさせます。マンハイムのスターミッツやカンナビヒ、ドレスデンのゼレンカやハッセ、ナポリのスカルラッティやペルゴレージ、ヴェネツィアのロッティやペシェッティの長所を取り入れ完全に個性に同化させているようにすら感じられます。

ミスリヴェチェクの作品から、彼が何倍もの美しい旋律や楽しいリズムなどの構想を持ち、容易に組み合わせて、作曲したことが分かります。和声法の定石をばりばり打ち破りながらも不自然さがなく熟達しています。オペラやアリア、カンタータやオラトリオ、交響曲や協奏曲、弦楽四重奏曲や独奏ソナタ、管楽器作品や鍵盤ソナタなど、総てにおいて超独創的です。

ハイドンからモーツァルトの間の世代でミスリヴェチェク、ディッタースドルフ、ヴァンハル、コジェルフなどが傑出しており、ウィーンにはボヘミア出身の音楽家が多く、独特なリズム語法や転調感覚を持ちます。ミスリヴェチェクはプラハでヨセフ・セゲル(Josef Ferdinand Norbert Seger, 1716-1782)に師事しました。セゲル門下はリズム語法が面白いです。

モーツァルトと同じくボローニャのマルティーニ神父の下で対位法や和声法を学んだことから、声や管の入り方や絡み方が面白いです。導音の使い方がモーツァルトと似ていて、半音下から解決して快感とチャーミングさを与えています。「モーツァルトらしさ」の90%はミスリヴェチェクにより、モーツァルト作としても疑うことなく受け入れられるほど似ています。

ケッヘル番号まで与えられた歌曲〈静けさはほほえみつつ(Ridente la calma)〉(KV 152 [210a])は、ミスリヴェチェックのオペラ〈アルミーダ(Armida)〉(1779年12月29日・Teatro alla Scala, Milano)のアリア(Il caro mio bene)の編曲と明らかになり、モーツァルト愛好家は残念がるかもしれませんが、ミスリヴェチェックの作品が増えて喜ばしいです。

ミスリヴェチェクの人生は音楽と同様に破天荒でした。モーツァルトは1770年にボローニャのマルティーニ神父の下でミスリヴェチェクと出会い愛すべき性格にひかれて、1778年にナポリでオペラ上演が不首尾に終わるまでハイドンと同じく友として師として家族ぐるみで文通して付き合いました。そして、特にミスリヴェチェクの音楽的表現の殆どを借用しました。

ミスリヴェチェクの作品は、イングランドのロンドン、フランスのパリ、イタリア半島のボローニャ、ジェノヴァ、ヴェネツィア、パドヴァ、ローマ、モデナ、ペルージャ、モンテカッシーノ、神聖ローマ帝国のミュンスター、ミュンヘン、ジクマリンゲン、ウィーン、ランバッハ、ヴロツワフ、プラハ、ブルノなど、ヨーロッパ全土に印刷譜や手稿譜で伝わりました。

作品はAngela Evans; Robert Dearling (1999). Josef Mysliveček (1737-1781): A Thematic Catalogue of his Instrumental and Orchestral Works, Musikwissenschaftliche Schriften Band 35, Munich: Emil Katzbichler.で分類され、伝記はDaniel E. Freeman (2009). Josef Mysliveček 'Il Boemo', Sterling Heights: Harmonie Park Press.で出版されています。

三つのノットルーノはチェンバロの通奏低音にオブリガート声部の弦楽器を膨らませたオーケストラ伴奏の上で二声が美しく織りなされてどれほど聴いても新鮮です。楽譜はJan Racek; Vratislav Bělský (1972). Josef Mysliveček. Tre notturni, Musica antiqua Bohemica II/7で出版されています。本来は6曲ありますが、第2・3・5曲が抜粋されて収録されます。

歌詞の典拠はメタスタージオの〈ヘスペリデスの庭園(Gli orti esperidi)〉(1721年)です。ポルポラのカンタータの台本として、スペイン王フェルナンド六世の命名記念日を祝うため、オーストリア大公のマリア・テレジア皇后のために書かれました。政治的にはナポリはスペイン継承戦争により、オーストリアの支配下に入り、スペイン王国と緊張関係にありました。

Nottruno II. Dimmi che vaga sei, Dimmi ch'ai fido il core. Ma non parlar d'amore, Ch'io non t'ascolterò. Sol cacciator son' io, Le fiere attendo al varco, fuorchè gli strali e l'arco, altro piacer non hò.

Nottruno III. Ad altro baccio, vedere in braccio, in un momento, la dolce amica, se sia tormento, per melodica, chi lo provò. Rendi à quel core la suacatena, tiranto amore, che in tante pena viver non sò.

Nottruno V. Se il morir fosse mia pena, a colei, che m'in catena, offrire l'alma ferita, e la vita permecè. Ma se allor che per te moro, son felice ò morte, non è prezo alla tua fè, dolce sorte a me la morte.

オペラ「ベレロフォンテ(Il bellerofonte)」(1767年1月20日・Teatro San Carlo, Napoli・EvaM 10:C4)よりアリア(Splende cosi talora)

オペラ「ロモロとエルシリア(Romolo ed Ersilia)」(1773年8月13日・Teatro Argentina, Roma・EvaM 10:G6)よりアリア(Basta cosi vincesti)

オペラ「オリンピアード(L'Olimpiade)」(1778年11月4日・Teatro San Carlo, Napoli・EvaM 10:C12)よりアリア(Superbo di me stesso)

オペラ「メドンテ(Il Medonte)」(1780年1月26日・Teatro Argentina, Roma)よりアリア(Luci belle, se piangete)

2016年12月10日

クリスティアン・カンナビヒの〈交響曲 変ロ長調(Sinfonia à 12 in B-dur)〉(1778年・WolC.72)はマンハイム様式(Mannheimer Manieren)です。第一楽章 第二楽章 第三楽章

フーゴ・リーマンが《音楽事典(Musiklexikon)》(1882年)で名づけました。プファルツ選帝侯宮廷の音楽家たち、マンハイム楽派は、デュナーミク(強弱法)やアゴーギク(緩急法)をオーケストラやクラヴィーアに導入しました。

「マンハイムの~(Mannheimer ~)」とされる特徴
• ロケット(Rakete):急激な分散和音による広い音域を跳躍する上昇音型
• スパーク(Funken):フォルテの連打や突然の無音
• ローラー(Walze):固執低音上の上昇音型における過剰なクレッシェンド
• さえずり(Vögelchen):器楽独奏における鳥のさえずりの模倣
• ため息(Seufzer):シュライファー音型(二度下降の係留)
• トレモロ(Bebung):クラヴィコードで鍵盤を指で揺らす音の震え

Franz Xaver Richter [1709-1789]: Sinfonia Nr. 53 „Trompeten” in D-dur
Franz Xaver Richter [1709-1789]: Konzerte in F-dur für Oboe und Orchester
Ignaz Jakob Holzbauer [1711-1783]: Sinfonia in Es-dur, Opus 3/1
Ignaz Jakob Holzbauer [1711-1783]: Konzerte in D-dur für Flöte und Orchester
Christian Cannabich [1731-1798]: Konzerte in C-dur für Flöte, Oboe, Fagott und Orchester
Karl Joseph Toeschi [1731-1788]: Sinfonia in D-dur
Anton Filtz [1733-1760]: Symphonie in g-moll, DDT2, Flg. III, 1, G-moll:1
Franz Ignaz Beck [1734-1809]: Symphonie in B-dur, Opus 3/2, Callen 36
Ignaz Fränzl [1736-1811]: Symphonie Nr. 5 in C-dur
Carl Stamitz [1745-1801]: Sinfonia concertante in D-dur
Carl Stamitz [1745-1801]: Konzerte in F-dur für Klavier und Orchester

Georg Joseph Vogler [1749-1814]: Symphonie in d-moll
Peter Winter [1754-1825]: Sinfonia concertante in B-dur
Peter Winter [1754-1825]: Konzerte in Es-dur für Klarinett und Orchester

Mozart's Quartet Party(Decca SXL-6331・Weller Quartet・1967年)

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