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中世吟遊詩人の文芸から、バッハのカンタータまで

前回は多声音楽の構造と発展を軸として西洋音楽の歴史と構造を述べました。

今回は逆の観点で世俗音楽から教会音楽への影響につきましてお話しします。

古代から現代まで文化は人間を結ぶ役割を果たしました。

系譜の発想で音楽史の変遷を辿ることは、本物の作品を味わいながら、芸術の源流を把えることであり、芸術の本質を追究する美学からも重要です。デュファイは「中世の秋」にルネサンス音楽の源流を構築した偉大な芸術家となりました。西欧の都市に独自に発達した書法が統一されました。探求心を有する貴族がカメラータを組織して、哲学・文学・演劇・美術・彫刻・建築など、芸術文化は軸を一としました。

Fra' Angelico, L'Annunciazione del corridoio Nord(1450年頃)

美意識の観点から絵画と音楽は同期します。フラ・アンジェリコの宗教美、レオナルドの写実美、ラファエロの均整美をミケランジェロが打破してバロック絵画になり、ブルゴーニュ=フランドル楽派から初期バロック音楽へと徐々に変遷するデュファイ、ジョスカン、パレストリーナ、モンテヴェルディに対応します。

レオナルドの絵画のぼかし技法スフマートは、ジョスカンによる和声のぼかしに対応します。レオナルドの遠近法は、ジョスカンの和声法による立体感に対応します。人間の感情を単純に線引きせず曖昧さを残し、声部の重厚さや軽妙さにより音楽に奥行きを生み、多彩かつ自然な表現になりました。中世に蓄積した技法を基礎として、人間の感情を表現しようとする思考の転換がみられます。

Leonardo da Vinci, L'Ultima Cena(1498年)

吟遊詩人の文芸から、世俗音楽が発達しました。

ダンテやペトラルカら人文主義者Umanistaは、中世南欧の吟遊詩人Troubadourの系譜によります。オック語の作者trobaire・見つけるtrobar[ラテン語のtropāre]、アラビア語の歌うṭaraba・心が動かされるtariba(طرب)とされます。

10世紀頃、南フランスのアキテーヌ・リムーザン・プロヴァンス、北スペインのカタルーニャ・アラゴン・ガリシアにイスラム文化が流入して、11世紀末、ビザンツのコンスタンティノープル、シチリアのパレルモ、カタルーニャのリポール、カスティーリャのトレドなどで学芸の書物が大量に翻訳されました。

キンディは『旋律の構成(رسالة في خبر صناعة التّأليف)』で古代ギリシアの音楽理論により、音高・音程・旋法・移高を記述、ファーラービーは『音楽大全(كتاب الموسيقى الكبير)』で古典アラビアの音楽理論を大成しました。

ハイサム、ビールーニー、イブン=スィーナー、イブン=ルシュドらは、人類史上、最高の知性で洗練された発想と思考により、科学や医学の基礎を構築しました。

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Cantiga 120[バルドサ]
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170[リュートとレベッカ]

Alfonso X El Sabio, Cantigas de Santa Maria[E写本]

9世紀にバグダッドの法官イブン=ダーウードの『花の書(كتاب الزهرة)』で記録されたアラビア半島のウドラ族(عُذْرَة)の甘美な純愛を歌い上げる伝統から、10世紀にアル=アンダルスの宮廷文化が花開きました。

11世紀にイブン=クズマーンが『詩集(ديوان)』で古典詩(الشعر)を節に分けて韻を踏むムワッシャハ(موشح)の締めにロマンス語のハルチャ(خرجة)を置きました。

12世紀にジャウフレ・リュデル、ベルナルト・デ・ヴェンタドルン、ギラウト・デ・ボルネーユ、アルナウト・ダニエルらの文芸[騎士の恋愛cançó・道徳や風刺sirventès・追悼の挽歌planh・後朝の恋愛alba・田園の恋愛pastorel·la・民衆の舞踏balada・聖母の頌歌dansa・対話の形式tençó]となり、イタリアで民謡canzone、牧歌pastorella、抒情歌ballata、舞踏曲danzaになりました。

聖歌の註釈tropusとjarchaが結合して、ガリシアでcantigaやカスティーリャでvillancicoとなり、13世紀にプロヴァンスでrondell、14世紀にアヴィニョンでrondeauになり、また、descortは北フランスで八音詩句virelaiになりました。

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Jaufré Rudel
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Bernart de Ventadorn
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Guiraut de Bornelh
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Arnaut Danièl

[Paris, Bibliothèque nationale fr. 854, 121v; 12473, 15v, 4r, 50r]

12世紀にドイツ語圏[ウィーンやバイエルン]でフォーゲルヴァイデロイエンタールら、抒情詩人Minnesängerが活躍しました。13世紀に北フランスのガス・ブリュレやアダン・ド・ラ・アルら吟遊詩人trouvèreが継承しました。14世紀にペトルス・デ・クルーチェやフィリップ・ド・ヴィトリらが、多声書法でモテットを作曲して、アルス・ノーヴァに変容して、マショーのイソリズムやホケトゥスの技法をソラージュらが複雑に多用して、アルス・スブティオールになりました。

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Walther von der Vogelweide[Weingartner Liederhandschrift, 139r]
Guillaume de Machaut[Paris, Bibliothèque nationale, fr. 1584, 197r]

アルス・アンティクヮとされたノートルダム楽派のクラウズラは、長く延ばされた低音部に上声部が類似進行しましたが、最上声に美しい旋律のモテトゥス声部を置くとケルンのフランコ式モテットとなり、最上声が話すように動き、低声が聖歌による一定のリズムになるペトルス式モテットが生まれ、異なる歌を一つに歌いました。完全一度・五度・八度の協和音程と二度や七度など不協和音程も用いました。モテットmotetusはフランス語の言葉motを語源とします。

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Francesco Landini [Squarcialupi Codex, 121v]
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Adrian Willaert[Ferdinand van Tirol画](1576年)

14世紀に北イタリアではトレチェント音楽が隆盛して、ヤコポ・ダ・ボローニャジョヴァンニ・ダ・カッシャゲラルデッロ・ダ・フィレンツェランディーニらが活躍、15世紀にフロットラが隆盛して、ストランボット、ソネット、オーダ、ヴィロッタ、カンツォーナに分化、16世紀にフランドルのヴィラールトやヴェルドロらがマドリガルを開拓、ラッソやマレンツィオらが歌詞内容を活写する音画技法を完成、テューダー朝イングランドのダウランドやギボンスらは穏当な歌曲にしました。

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Orlando di Lasso
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Luca Marenzio

マドリガルでは、自由な歌詞に感情を表現できたことから、音楽の書法を開拓しました。音域が拡大され、音価の長短が区別され、リズムが付与され、ポリフォニー書法とホモフォニー書法が交替して、和声進行が多彩になり、半音進行が増加して、旋法音楽から調性音楽へ移行しました。バロックの音楽語法が形成されて、カッチーニモンテヴェルディらの伴奏で和声を構成して感情を表現するモノディ様式となり、ガブリエリフレスコバルディらは器楽と融合させました。

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Giovanni Gabrieli
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Claudio Monteverdi

抒情詩人の文化が、職匠歌人の伝統になり、合唱や歌曲が形成しました。

10世紀のアル=アンダルスの宮廷詩人による純愛文化fin'amorは、11世紀に吟遊詩人Troubadour、12世紀に抒情詩人Minnesängerの伝統になり、13世紀にニュルンベルクで職匠歌人Meistersingerの組合[ギルド]をなして、14世紀にヴォルケンシュタインが活躍しました。イスラム文化の宮廷愛が、中世宮廷文化の騎士道やキリスト教会の隣人愛に定着して、ドイツの教会歌曲Kirchenliederがコラール、世俗歌曲Volksliederがリートに発展しました。

パウマンの鍵盤音楽を伝承する「ロッカム歌集」(1453年)に単声と多声の教会リートが収録されました。イザークフィンク・ホフハイマー・ゼンフルらによるラテン語モテットやドイツ語リートが、ニュルンベルクで出版されました。ライプツィヒのラウは、ルターの宗教改革に応じて既存旋律を歌詞変更contrafactumして多声コラールを作りました。ハスラー・プレトリウス・シュッツ・シャインらは、主旋律を最上声部に配置したカンツィオナール書法kantionalsatzを発展させました。バッハの教会リート(BWV 439-507)やコラール(BWV 253-438)に継承されました。バッハの四声コラールはモテット様式も応用して、和声法が緊密で内声や低声が流麗です。また、オルガン用にも編曲されました。

Hans Leo Haßler
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Heinrich Schütz

コラール「人よ、汝の罪の大きさを嘆けO Mensch, bewein dein Sünde groß」(BWV 622)はヴァイマール時代の『オルガン小曲集Orgelbüchlein』に記載されます。「音楽史における最大の出来事」と絶賛したシュヴァイツァ本人によるゆったりしたオルガン、デュプレの彫りの深いオルガン、フリスキンによるピアノ編曲を聴けます。『四声コラール』に収録される旋律(BWV 402)を生かしながら、簡素な対旋律で装飾されて展開されます。

コラール「汝の御座の前に われは今進み出でVor deinen Thron tret' ich」(BWV 668)は高弟アルトニコルが口述筆記しバッハが最後に作曲しました。定旋律はBACHの数14やJ. S. BACHの数41の音符で構成されます。『四声コラール』に収録される旋律(BWV 431)を装飾した『オルガン小曲集』に収録される原曲(BWV 641)を簡素化して、厳格な対位法で旋律を浮き立たせます。ヴァルヒャは旋律を浮き立たせて、シュヴァイツァは慈しみを込めて演奏します。

Joh. Seb. Bach, Choral: O Mensch, bewein dein Sünde groß, BWV 622
[Berlin, Preuzische Staatsbibliothek, Mus. Ms. Bach P 283]

カンタータは田舎風歌劇から、礼拝用音楽に発展しました。

イタリアのカンタータは通奏低音伴奏による叙唱resitativo・独唱aria・重唱duettoによります。1589年にシエナで『田舎風カンタータCantata paotorale』が出版されました。17世紀にガブリエリ門下グランディやナポリのロッシが単一の楽章arietta cortaや独唱と叙唱arietta di più partiで作曲して、有節変奏形式・モノディ様式を導入しました。

ローマでオラトリオを作曲したカリッシミと門人チェスティは複数楽曲として、オペラより小規模な田舎風の歴史物語として洗練させました。ストラデッラは叙唱から独唱を独立させて、ステッファーニは重唱やトリオ・ソナタ形式を導入しました。ナポリ楽派のアレッサンドロ・スカルラッティは遠隔調・減七和音を導入して表現の幅を拡げました。

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Giacomo Carissimi
Alessandro Scarlatti

フランスのシャルパンティエはローマでカリッシミに師事しました。イタリア様式で宗教オラトリオを作曲しました。ヴェルサイユ楽派のドラランドらが開拓した仏語朗唱法や管弦楽書法を導入して、優雅な抑揚や繊細な装飾の旋律を伴う叙唱と独唱が交替する六楽章形式の独唱曲となり、カンプラやクレランボーらに継承され、モテットと共に隆盛しました。

Marc-Antoine Charpentier
Michel-Richard Delalande

ドイツでは、モンテヴェルディの宗教マドリガルやカリッシミの宗教オラトリオにより、シュッツが教会コンツェルト福音モテットを確立しました。声楽と器楽が対等のコンチェルト形式で独唱にコラールを導入した宗教コンチェルトgeistliches konzertが、「小宗教コンチェルト」(SWV 282-337[Opus 8-9])に結実しました。

シュッツ門下ヴェックマン、フレスコバルディ門下トゥンダーが発展させ、リューベックのブクステフーデが変奏形式、ダルムシュタットのブリーゲルが有節形式独唱とコラール編曲を導入して教会カンタータを確立しました。ハンブルクのクリーガーは管弦伴奏と反復楽句を導入、叙唱と独唱による複楽章形式が定着しました。

Dieterich Buxtehude
Wolfgang Carl Briegel

ルードルシュタットのエルレバッハ、ドレスデンのシュミット、ケーテンのハイニヒェン、ゴータのシュテルツェル、ハンブルクのテレマンやグラウプナー、ライプツィヒのクーナウやファッシュ、ハレのツァッホウやヘンデルらが手がけました。

Georg Philipp Telemann
Georg Friedrich Händel

バッハは教会カンタータ(BWV 1-200)と世俗カンタータ(BWV 201-214)を作曲しました。音楽の形式は大きく変わらず旧作が融通されました。1784-87年に次男エマヌエールと門人キルンベルガーが「四声コラール」(BWV 253-438)をカンタータから抜粋して出版したり、バッハ自身も器楽協奏曲を転用したり、オルガン曲に編曲したり、ミサ曲 ロ短調(BWV 232)やマルコ受難曲(BWV 247)を旧作のパロディで構成しました。降誕節オラトリオ(BWV 248)は六曲のカンタータから構成され、復活節オラトリオ(BWV 249)はカンタータを拡大した作品です。

ミュールハウゼン時代(1708年)のカンタータ「神はいにしえよりわが王なりGott ist mein König」(BWV 71)は、市参事会員交代式で披露されました。北ドイツ楽派の巨匠ブクステフーデらの影響から、厳格なフーガや通奏低音などによるしっとりとした構成です。バッハが最後に着任した聖トーマス教会カントルに就任したクルト・トーマスの指揮です。

ヴァイマール時代(1714年)のカンタータ「罪に手むかうべしWiderstehe doch der Sünde」(BWV 54)は、減七和音や不協和音による大胆ながら小規模な構成です。通奏低音で罪の誘惑を表現して、バス声部が人の意志を表象して、両者が音楽で対話しながら克己される様子が抉り出されます。古楽復興に寄与した学者サーストン・ダートの指揮です。

ライプツィヒ時代(1725年)のカンタータ「イエスよ、今ぞたたえられんJesu, nun sei gepreiset」(BWV 41)は、新年を祝うために作曲され、喜びに満ちた器楽合奏とコラール合唱によります。聖トーマス教会カントルのギュンター・ラミン指揮で聴けます。バッハが最晩年に過ごした教会に脈絡と続いた伝統が感じられる味わい深い演奏です。バッハの音楽が日常に息づいております。

ライプツィヒ時代(1726年)カンタータ「神にのみわが心を献げんGott soll allein mein Herze haben」(BWV 169)は、冒頭からクラヴィーア協奏曲(BWV 1053)がオルガンで演奏され、一貫してオルガンのオブリガート声部が特徴です。アントン・ファン・デル・ホルストの指揮です。節度ある演奏でしっとりさを美しく際立たせます。毎年オランダのナールデンではキリスト受難の金曜日にマタイ受難曲(BWV 244)を演奏して実況録音がなされて、独特の風格がある名盤です。

年代順にカンタータを聴くと、バッハの研鑽により、北ドイツの峻厳さや異様な不協和音を主体にした音楽から、円熟して包み込むような温かみのある音楽へと変遷していく過程を把握できます。大きな歴史の流れにも、小さな人生の流れにも、古い考えが少しづつ変えながら、人類が新しい文化を生み出してきたことが分かります。

Johann Sebastian Bach, Kantate: Gott soll allein mein Herze haben, BWV 169
[Berlin, Preuzische Staatsbibliothek, Mus. Ms. Bach P 93]

今回は中世吟遊詩人の文芸から、バッハのカンタータを記しました。

次回は受難曲と四声コラールから弦楽四重奏曲まで叙述いたします。

KFアーカイブを今後ともよろしくお願い申し上げます。

長文にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

平成28年3月11日

特定非営利活動法人 KFアーカイブ会長 中西 泰裕

古典音楽を無償公開するデジタルアーカイブを充実させたい!2016/03/11

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