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干支を甲骨文まで遡りました。そこからいつもの色んな疑問が生まれてゆきます。謹賀新年 2021 辛丑 The Chinese Calendar

皆さま、明けましておめでとうございます。昨年末にデヴューいたしましてから、温かいお言葉かけなど応援下さりまして、ありがとうございます。本年に感謝の気持ちを込めまして、三賀日の特集をご用意しております。お楽しみくださりましたら幸いです。素敵な一年となりますようにお祈り申し上げます。本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。

※日本語の字幕を表示するスクリプトをご用意しました。
 専門用語や細かい訂正などは字幕でご確認下さいませ。

2021年1月1日

皆さま、新年明けましておめでとうございます。

今年は初めて、これもうYouTubeにアップしてから、年越しになりますけれど、

まあ年越しと言っても、十二月から始まってますからね。

本当にもう直前から始まってるわけですけれども、

たまたまラッキーでして、今年皆様に 1月1日ご挨拶できて喜ばしく思っております。

それで右の上に謹賀新年と書いておりまして、

下はこれもうKF-Ars Sinicaだから、しょうがないと、ラテン語でもちゃんと書いてきましたということでですね。

これも結局、これは喜び(Feliz)、何とかであるように(sit)、年(annus)が新しい(novus)年ですから、謹賀新年、明けましておめでとう、新年おめでとうと意味で書きまして、

一番最初、年の初めから、もう私、毎回何を見ても、結局なんでこれはこうなっているんだと、そういう興味から始まってしまいまして、

一緒に皆さまと何か折角一月一日だから、

何かおもしろい話を考えてましたら、もうしょうがない、干支やるしかないとなりましてね。

ここにも大きく、もう皆様いきなり干支が沢山漢字で並んでおりますけれども。 先ずこれからもうお話しをしようと、もう一番最初ですから、今年はもう皆様に感謝の気持ちを込めて、もう出血サービスでもう全部やりましょうと始めていきましょう。

もう皆さま、画面をご覧になって、お気づきと思いますけど、今年の干支が十個も並んでおりますけれども、これはどういう意味かと言いますと、この一番最初のこの文字が、我々がずーっと言ってきました。

篆刻でもありました、篆書は小篆、小さい篆刻と書きますが、

秦の始皇帝が、もう今まで伝わってた文字を全部整理して、中国を統一した時に文字をもう全てこれ使おうということで統一しまして、それでもうそういった理由から、

我々が使う全ての漢字は、これに行き着く、極めて大事な我々の漢字の祖先でして、

これは《説文解字》という、紀元後、少し経ったぐらいの許慎さnという学者が編纂した字書に載っていますが、

もうその時の秦の時代の小篆は、もう本当に少ないですが、それがもう基礎となっておりまして、

(《説文解字》はもう)少し後ですが、一番最初に持ってきたのは、書体的に一番もこれは基礎でして、持って来ましたということで、それで次を見ますと秦の時代に実際に書いていた、その当時の人が書いていた文字ですが、

それでもう少し時代が経って、前漢ですから、紀元前のこのあたりは三世紀、二、一ときて、ここあたりで西暦で言うと紀元ですけれども、

それからここらは、二、三世紀。この辺は四、五、六世紀、このあたりまでですね。北魏はその辺りで最後は唐の二つが並びますが、

これは、今から1300年くらい前、西暦の世紀で六、七、八あたりまで来て、まとめてしまえば、千年間、まあ間は抜けておりますが、

その資料があるないの関係で1000年間の大体の流れが見えていますが、

これちょっと見てみますと、例えば「丑」の篆書を見ると、皆さん街歩いてる方に読んで下さいと、もう篆書を習ったことがない人が見たら、分かるものもありますが、これなどは結構厳しいんじゃないかと、

クイズしてみたら、まあ10%いくかどうかわからないというぐらい、もう本当に難しい!でも、ここを見るとも大体想像つき、これは殆ど同じ形や構造でして、ここを見てると、

例えば、この足が尻尾が少しずつ短くなって、それで退化しちゃったというぐらいでして、

この当時は何が起きたのかというと、結局秦の始皇帝が全国統一した時に、もう沢山の行政文章を書きまくらなければならなくなったときにですね。

もうみんな筆でいっぱい書いた!そうするとどんどん速く書きたくて筆に合うような文字にとどんどん急速にこうなったことが分かったり、

こういった変遷を見るのも、非常に面白くて、それで今までは実は言ってみれば、この小篆より前の時代、もう紀元前よりずーっと前の時代の文字がどうかを色々と見てきたり、

漢印はまあ紀元前後ぐらいですが、基本的に言えば。これ以前の文字の事について、色々お話をしてきたりしていましたが、

もう今年はこういった書の古典など、

もう最後なんかはこれも皆さんも大好きな王羲之とか、

もう唐の時代の欧陽詢とか、顔真卿とか、虞世南とか、褚遂良とか、

もう沢山もう素晴らしい書家がおりまして、

もう鄭道昭とか、書の古典もちょっと興味がありますので、特集していきたいなと思いまして、

こうした動画を用意してみまして、

もうこう見てみますと、もう本当に面白くて、文字自体が変わっていくと、

そういったタイムラインで物事を楽しく見ていけるような、

もうここなんかちょっとサービスしちゃいますと、

こうなんかは、もうこの足が少しシッポが短くなっていくから、

もう、例えば、動物の尻尾から始まって、お猿さんから、人間の尾骶骨になっちゃう変化が文字にもあったりして、

言ってみれば、この当たりなんて、もう例えば、恐竜の化石が出てきて、例えば鳥、鳥類は恐竜からきたという説があったりして、

今まで昔の人たちは、このこういった肉筆の資料がなかなか手に入らなくて当時、ここを石に刻まれた文字は伝わってきて、

《説文解字》も伝わってきて、でもこの間は分からなかったけれども、

沢山の資料が今ざくざくと出てますので、そういった最新の資料を用いて、これからもやっていきたいと思いましてね。

この辺りはもう始祖鳥みたいな進化、もう文化の進化ですね!それが系譜ですから。

やってまいりたいと思います。

今年もこういった感じで、もうパッション全開でいきますのでよろしくお願い致します。

それでは皆さん、いきなり、ここから、一番最初の漢字の状態、どんなになっちゃってるのかを見てみましょう!

こちらが出てきたのですけれども、我々が今年の「辛丑」ですね。

ここに甲骨文字の時代にもう既にちゃんと干支の表があったんだと!

六十の干支がもう全てある中にちゃんとここにあるんだということが見えるんですね。

しかも、すごいことにこの甲骨文では、占いをするときに、必ず「辛丑]」に占ったと、

まあここに書いてあるんですけども、必ずこれは今みたいに年の意味としてではなくて、日付としてですが、この同じ干支を使ってたんですけども。

ちゃんともうあるんだと!これきちっと、この形で見つけられまして、今もう新年ですから、もう今回、特別編で三本立てで考えてるんですけど、

先ず一つ、これ見たときに私はこう思うんですよ。

この甲骨文の時代には、もう既にこの干支、我々が干支(えと)と呼んでるものは、日本語でも干支(かんし)ち言いますけれども。

この干支が60で構成されている!

これは皆さんご存知の還暦という言葉がありまして、

これはもう60歳で「還」は戻ると、「(暦が)還る」わけですね。

ですから、「甲子」から始まり、ずーっと60リストアップされ、最後の年までいき、

そうすると61歳にこうへ戻り、これは60で構成されていると!

私は一つ思いまして、これはどうして、中国で六十進法ですよね!中国語の「六十進制」は、日本語の「六十進法」を言うのですけれども、

六十進法はどうして、干支は60なんだと!漢字は皆さんご存知ですけれども 、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十で十進法でして、十一、十二ですよね。

だけれども、何で六十なんだと!私、思っちゃったと!

それについても、ちょっと考えてみようと、

なんでなんだということを見ていこうということでして、

もう一つこういうことを思ったわけです。

そもそもこの漢字を先ほど見ましたけれども、

この漢字、我々が使ってるこの漢字の形が、

これ一番原始的な、もう一番古い、先の小篆より、もうずっと前の、今から3000年以上前の、この甲骨文字には、既にこの文字あるんですけど、

これはそもそもこれ何の形だったかと!これ字源、文字の源ですね。

この何を象ったんだということも、3日目にちょっとやってみたいなと、ちょっと予告しておきましたけれども。

それでもう一つ、疑問がありまして、

我々はこの干支を言う時には、来年は丑年だと、「子」「丑」「寅」と動物で干支を呼んでおりますよね。

それでそもそも皆さんを多分もう当たり前になり過ぎて、ビックリしちゃうかもしれませんけれども。

元々この十二支は動物とは関係なかったわけですよ。

それを結びつけたのは、結局やはり覚えやすいこは、一つあるんですけどね。

そうすると何年親しみが湧くという、

非常にこれ十二支は、十二の概念があるけれども、

それが具体的にイメージしにくいですよね。

年とかそういうものとか、あと日付とか、まあもともとこの干支は、年ではなく、日付を表すのに使われてましたね。

ここでもそうだったんですけども。

でも、もっと親しみを込めて、こういった動物になったと言えるんですけども。

今までは、この漢の時代の王充さんが書いた《論衡》という書物の「物勢篇」という章にちゃんとその時は、もう既にこの干支が、これはこれだと、今年は丑や牛ですと、丑とは丑年ですね。 丑と書いてあるわけなんですね。

そうでしたが、実はここでちょっとびっくりしちゃうかもしれないですけれども、急展開なんですよね。

最近にもう沢山秦簡、秦の時代の始皇帝の二世皇帝の時代、もう漢より前この前の王充さんより、もうもっと前の竹簡とか、木簡が沢山、中国でもう発掘ラッシュで出たんだと!

しかも、驚くことに、これは地名なんですよね。 放馬灘、睡虎地とか、たまたま「馬」と「虎」ですが、両方とも遠いところでして、放馬灘は、今で言う甘粛省、もう中國のにもう西の方、もう砂漠地帯ですから、こういうものが腐らないで、(簡牘が)結構残りやすいんですね。

それで睡虎地は、今度は逆の意味で湿っぽい所で湖北省ですから、逆にお墓の中なんかもう水浸しになり、もう本当に腐りにくく、もう酸素がもう入らないが故に、密封状態で水びだしになって、こういったものが見つかると、こちらはもう干からびて見つかるぐらい、 気候も全然違う。中国はものすごく広いんですけれども。

面白いことにこの《日書》は占いの書なんですけれども、同じ《日書》は全然違う地域、こちらはもう南の方、こちらはもう西の方なのに、殆ど内容的にも似た書が出て来てくると、

これは先ほど申し上げたような、文字が統一され、もう全国がかなり均一に、中国の今の領土の中が、均一性が高くて、とお互いに非常に文化的につながりがあったことも言えて、これは一つ驚きですが、

その中でも同じそのように書かれていますから、こういった動物に当てられたとは、

かなりその元々こういったものは、日付を表していたものですから、干支は、そういったこの日は、良い日なのか、悪い日なのか、占いで使っていたと、その中で動物の喩えられたりとか、

もう少し前の時代にも、結構《詩経》とか、《春秋》という、《詩経》はもっと古い時代の詩の中でで動物に例えられていたり、歴史書、《春秋》という歴史書でも、いくつか例えられていたんですけども。

非常にこういった形で最近でできた、この資料によって、占いと関係して、それでその日付を表すときにも、動物で呼び始め、初めてこういった形で少しでよく見ると、今の干支と子丑寅はこれ鼠ですから、牛もいいですが、虎もいいですが、

卯、辰、巳、これ兎、それで辰は不思議な事に欠文と書いてないんですよ。

不思議なことに。それで巳はこれ蛇で、これ虫は、当時はこれ蛇みたいなものでくねくねしたものを意味していましたから、

それで午、未、申、酉、戌、亥ですよね。我々いいますけどね。

でも、いきなりこれ鹿があり、それでここで馬が出て、それでこれは、猿が音も通じていると猿と考えられ、

それで全然やっぱりこういうところで少し老いた山羊になっているし、

でも、実はちょっと違った。ちょっとだけ違った部分がありますが、でも我々の使ってる「子丑寅」のきちっと完全に一致するものは、この王充《論衡》できちんと決まってたけれども、その前hあ結構ばらつきもあり、

それで今抜かしてましたけど、これ何で辰が欠文になって抜けているかと言うと、実は「子丑寅」とよく考えると全部動物としては、

十二支のうち十一は、空想上の動物ではなく、実際に実に生きている動物ですが、

この辰は、龍なんですよね。何故か。

だから、これは空想上の動物なんだ。何で辰のところだけ、空想上の動物なんだと

不思議なことに、ここだけは抜けてる。書いてないということですね。

多分、後の人がもういいかと、もう「蛇がいたら龍」と加えちゃっかは知れないけれども、

こういった不思議な色んな資料が出てくることによって、今まで我々が常識だと思ってたことが、以外とこの前の時代には全然ちょっと、完全には違わなくはないけれども、結構は八割くらい当たってますけど、

違うのもあったりして、ういう面白いものが、今いっぱい出てきてまして、

それでこういった最近出てきた資料も本当に面白くて「出土文献」、出土してきた文献ということで、こういうのも、もうたくさん活用して、色々見ていきたいなと、最新の考古学でそういったこともを申し上げたいなと思っております。

というわけで、今回私たちの始まりました年の干支が甲骨文の上でも発見されているとも分かりましたし、十二支がちょっと違ったということも分かりましたね。

もうお正月の三が日の大特集ですから、もう私いっぱい本当にいっぱい喋りたいことがあるんですけれども、

もうそれはやっぱりちょっと整理して考えてみますと。

先ずここの表にあるように、既に甲骨文の使われた殷の時代、三千年前には、既に六十の干支がありまして、

この六十という数字はどういう意味なんだということですね。

まあ、この中では今見てみ ますと、これここにちょっと書いてますけども、

10字で6行で書いてありますね。

ですから、まあこのところは十とは一行目は十、二行目は十で、十という数字も出てるし、

それでここに並んでいて、六つ並んで六十になってますけれども、

じゃあ十とか、まあ基本的に普通に考えれば、

十進法を我々も使ってるし、十だと!

じゃあ何で六十なんだということ。

それでもう一個なんでこの十二なんだということですね。

それをちょっと明日お話してみたいなと思いまして、

本当にこれからこういった面白い興味を持った小さなことでも、小さなことから始まっていき、もうどんどんたくさん調べると、もう一杯に色々見つけていきますので、

それれを上手く私の頭の中で整理しまして、

それを皆さんに楽しくお話できるような動画をたくさん作ってまいりたいと思いますので、

どうか今後とも宜しくお願い致します。

とにかく明日よろしくお願い致します。

ありがとうございました。

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