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干支の六十はどこから? 人類がどう数えたかという話まで膨らんでゆきました!謹賀新年 2021 辛丑 The Chinese Calendar

干支について話しすぎてしまい、動画が長くなりすぎご紹介できませんでした「漢数字の成り立ち」や「古くから伝わる二進数」について、今月末に急遽公開することになりました。是非ともご期待ください!

皆さま、明けましておめでとうございます。昨年末にデヴューいたしましてから、温かいお言葉かけなど応援下さりまして、ありがとうございます。本年に感謝の気持ちを込めまして、三賀日の特集をご用意しております。お楽しみくださりましたら幸いです。素敵な一年となりますようにお祈り申し上げます。本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。

※日本語の字幕を表示するスクリプトをご用意しました。
 専門用語や細かい訂正などは字幕でご確認下さいませ。

2021年1月2日

皆さま、もう本当にもうこの二日も大変、お騒がせしております。

本当にもうお正月のゆっくりされていらっしゃると思いますけれども開けて下さって、今日もありがとうございます。

それでもう一つ今日はこの干支が60とは、何でかという事を昨日色々お話した思うんですけども、

ちょっといくつか面白いことがありまして、資料にまとめておりましたので見ていきたいと思うんですよ。

それで一つ重要なことは、もうこの甲骨文字の段階、もう漢字の一番もうこれ以上遡れない、

今のところ発見されている中では、もう一番の古い状態ですね。

もうこの状態ではもう既にこれだけのもう60の干支がもうきちんと、今と同じその順番もなってまして、文字は違いますけども、ちゃんと「甲子」から始まって、60ちゃんとあるということで昨日お話ししたみたいに、この十二支については、動物についてちょっと一つ、お話を忘れちゃったんですけども。

「生肖」とまあ皆さんご存知だからもう既に良いのですが、この「生」とは、生き物で「肖」は肖像の「肖」などから、

言ってみれば、イメージですよね!一言で言うとアイコンとかそういう意味ですね。

ですから、その生き物でそのイメージをですね。その十二支のイメージができたと、

これは意外とこれらの資料は、もう秦の時代とか、漢の時代で、まぁ戦国時代ぐらいからは、色々とあるのは状況証拠から分かってはいるんですけれども。

意外とそのぐらいだと、それより前の時代にはこうした形は使われていたけれども、

そもそも60はどこから来たんだと、今回はちょっと見て行きたいと思いますので宜しくお願い致します。

それでは、皆さん60どういうことか、次見てみましょう。

これですけれども、結局こう考えましたと、最初に人類がどうやって数を数えたか、そこから考えてみようと思ったんですよね。

そうすると本当にここの真ん中にどかんと出ているこれは何だと。

この穴が空いてると、これはメソポタミア文明と、これ今のもう本当にイラクとか、シリアとか、

もうあちらですが、中国から全然関係ないじゃないかと怒られちゃうかもしれませんけど。

そこで出た粘土に穴が空いてる不思議なものだと。

これはもう本当に私もびっくりしちゃった!何でびっくりしちゃったかというと、最初に例えば何か、私本当に興味あったのは、文字がどう発展してきたのか、

どうしてそういうアイデアを達したのか、原始的に考えれば、一番原始的な形といえば、

数を数えたことなんですよね。しかもこれ見てびっくりすることは、何といいますか、

もう手の跡が、陶芸家みたいに見えちゃってると。

この粘土に、これはもう4500年ほど前の人が、

もう手でグニュっと粘土に跡をつけ、数を数えたではないかと考えられているんですね。

これどうしたかと言いますと、いきなりこれが遺跡からボンと出てきたら、どうやって解釈していいのか、

これはもう非常に難しい問題ですけれども、ちょっと考えてみますとね。

実はメソポタミア文明においては、この最初にこのシュメール人たちが、

一番原始的な漢字と同じで、甲骨文より前の時代の漢字は分からないけれども。

物を象って、そこからピクトグラムですが、

物を象って、絵なのか、文字なのか、その間の過渡期みたいな状態から始まっているんですけども、

そう見たときに、もう少し後の時代になってきますと、

このメソポタミア文明においては、こういった粘土板に木の尖った端でグニュと痕をつけて刻んで記録をしたことですよね。

そういった時にこういった楔形文字には、必ずもうどの言語でも、どの文字でもそうですが、数を表す文字がありますよね。それを見てみますと、

この穴の開けた痕をきちっとそれを写してくれていて、

それでしかも、それが驚いたことに、楔形文字の中においては、60進法でものを書くと、しかも、10進法も一緒に使っていたと!

10と60をハイブリッドみたいな形で彼らは数を計量していて、しかも、その文字から推測すると、こういった穴ぼこが開いていたり、これだけ今出してきちゃってしまっておりますが、

沢山の色んな絵とこれが一緒に組み合わさりました形とか、

沢山出てきたものを見ていくと、全部をまとめていくと言ってみれば、もう親指か人さし指でこの粘土をギュッとこう風に痕をつけた形ですね。また、もう粘土に指を突き刺しちゃうと、こういう風にしたものが、

これは10だと、これはしかも1だと、それでしかも大きいこの形でも大きく付けられて、これは60だと。

何故かといったら、楔形文字とこう全部完全に対応していて、こういう解釈ができますと、結局それらをまとめますと、

このシュメール人たちが、一番最初に数を考えた時には、この60、一個60がある。

それでしかもこれ5個並んで位取りが上がると捉えられるんじゃないかと考えられましたり、

そうすると10が2列に並んで10個ある。それで最後に1が3個あり、163を意味してメモしたと考えられるものが見つかっておりまして、

それでそう考えていくと、結局じゃあ既にもうメソポタミア文明において、シュメール人たちは60という数字を使ってものを数えていた。

何でじゃあ60、10じゃないのか!?我々が使ってる10、10進法じゃないかと考えますと。

まあ、我々が使ってる10進法は、結局手が左右に5本ずつありますから、

失礼しました。指が5本って、手が5本あったら、大変でした(笑)失礼しました!指ですね。5本ずつありますね。

そうすると右左で数えれば、ちょうど10になるんですね。ですから一番10は説明がつく合理的だと。

それで今度は、例えば1年、ああ、ここで一番大事なことがありまして、ここにちょっと書いてあるんですけども、

暦法など、結局ものを数えるときには、何を数えるか、

やはり農業もそうですが、このメソポタミアから始まってるんですよね。

だから、やはり暦(こよみ)は、いつ種蒔きしたらいいかとか考えるときには、ちゃんと周期は人類がきちっと認識しておかないと変な時期に種を蒔いちゃったら駄目なんですよ。枯れちゃうんですよね。

これは大変な死活問題だということで、

やはりそういったことで見ていきますと、もう天文学の知識がないにしても、私も体感的に1年は月の満ち欠けが12あり、12という数も、やはり、月の満ち欠けから、何月という概念を今でも使ってますけれども、

それをもうどの国にも地球上であれば、そういった周期があることは分かるし。

それで12という数も見えてくるんですよね。

ところがやはり60は、どうしても、やはり見つからないということでして、

それはどう考えたかというと、当時の人はものを例えば収穫したものとかを分配しようとしたとき、

10、10で考えると、やはり3人に分けるのは、非常に難しいんですよね。

でも、この60という数は、数学的に高合成数(Highly Composite Number)と言いまして、これはどういう意味かといったら、

これはどの1, 2, 3, 4, 5, 6まで、どの数でもきれいに割り切れるということですね。

例えば、10だと3人に分けようとしたときには、3、3、3で1個余っちゃうから、余りが出ちゃうと、もう文句が出てきちゃうということで、

この数を数える時に一番も根本とする単位を考えたとき、60という数字はすごく使いやすかったと!2人に分ける時もいいし、3人来てもみんなハッピーだし、その4人でもきれいに15 ずついき、

そういうことが、 やはりそもそも数を数えたことは、結局みんなにものを分配するとか、

そうした理由があり、数が見つかって来て、更に進んでいくと、

このシュメール人たちと、このバビロニア人たち、同じ地区に住んでましたけれども、

全然、言語系統が違って。このシュメール人たちは、言語系統が分からない。しかも、かなり古い、もうそれ以上だっても記録だってない。

もう、彼らが文字を見つけて発明したようなものですから、しかも、バビロニア人は、セム系でまた違う、近くにいた違う言語(アッカド語)の集団ですが、

彼らはこの楔形文字の体系をもうシュメール人から学び、それで使っていたんですけれども。

これを見ると、楔形文字で書かれた粘土板を見ると、ちゃんとこの同じように、

このシュメール人から引き継いだ、楔形文字の数字の書き方で書いてありますね。

それで今のように訳しますと、ここに下にこれだとちょっと見にくいので、綺麗に訳してあるんですけれども、

これ、1と 24と51と10ということ、まあ、これをみなさんがのご覧いただければ、ここに書いてあることをお読みになれるかと思いますけれども、この数字がどういう意味してるんだといった時に、

結局これ申し上げたように、60進法でちゃんと数学を彼らは全部やっておりまして、

そうすると、ちゃんとこの1/60、この位は言ってみれば、我々でいうと小数点以下と言いますけど、

そうすると、1/10、1/100、1/1000、10000/1ということで、どんどんちっちゃい位になってきますね。

それで上も1, 10, 100, 1000といきますけれど、それは10進法で我々は使ってますけど、

彼らは60、60の二乗だから、もう3600と!また60を掛けたと、もうちょっともう72…、もうすごい数(216000)になっちゃいますけれども。そういう位取りをとりまして、それを計算すると、

1.414213とこれ「ひとよひとよにひとみごろ」なんですよ!これは10進法に直すと√2ということですから、彼らはもう平方根を計算していた(30をかけて正方形の対角線の長さを計算していた)と分かり、非常に面白いんですけど、

彼らは全部数学を60で計算をして、考えてたと(また幾何学γεωμετρία, geometriaはこのように土地γῆの測量-μετρίαから誕生しました。)

しかし、我々日本人がもう使ってる漢字という体系は10進法なんですよ!

もう、本当にそうです!一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二ですね!

位が違う、しかも漢字を並べて、十と書いて、一と書く、十と書いて二と書く、もう間違いない中国人は十進法で考えていた。

でも、干支は60!これどうやって考えると、ものすごくこれは異物というと変ですが、もう非常に違和感があり、こう思うんですよね。

この60という概念で数を計量するのは、中国人が伝統的にもっと前から、もう基本的な考えで古代エジプトもそうでしたが、

古代エジプトの数の概念は十進法でもう間違いない。人間の腕は10本あると、ああ失礼しました。指が10本あるということ。

ですから、それはもう合理的に考えて、まあそれと中国とエジプトは離れてるけど、エジプト人が教えてあげたか、中国人もしくは、逆っていうのは(ありえなくて)、これはもう偶発的に両方ともいきました。

でも、60はものすごく不自然な数ですよね。一つもう一つ良い例がありまして、青銅器を殷の人たちは、みんな使ってましたけども、

その青銅器を作るには銅と錫を混ぜなきゃいけなくて、その技術も実はメソポタミアで発展した見つけた、

最初に火の中に鉱石を入れ込んだら、何か銅が出てきたとか、そういう偶発的かかもしれませんけれども。

でも、この技術は非常に複雑でして、いきなりこれを見つけることは、なかなか難しいと。

でも、それがちゃんと、殷でも使われていたことは、メソポタミアで発明されたものが、どんどん東に行き、殷の人まで伝わったという考え方を取るのが、非常に自然という人が多くて、

そう考えれば、こういう数字の数の概念も、一緒に伝わってもおかしくないんじゃないかということですね。

漢字はやはり10進法ですが、もうはっきり、次に見てゆこうと、メソポタミア文明はお別れしたいと思います。

最後まで動画をご覧下さりましてありがとうございました!

漢数字は十進法からなり、また二進法の外面も古くからありまして、これらも撮影しましたので続編として、近日中に公開いたします。

明日は三賀日の特別編の最終回として、「辛丑」の字形や字義についてお話しします。

興味のおもむくままに書画・篆刻・文芸など中華文化につきまして、皆さまとこれからも動画をたくさん共有してまいりたいと思います。

KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)チャンネルを今後とも何とぞ宜しくお願い申し上げます。

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