「新年特集動画」の続編です。三連作をご覧くださいませ。
辛丑の字源を探求いたします。来週に干支そのものの起源につきまして、急遽公開することになりました。是非ともご期待ください!
皆さま、明けましておめでとうございます。昨年末にデヴューいたしましてから、温かいお言葉かけなど応援下さりまして、ありがとうございます。本年に感謝の気持ちを込めまして、三賀日の特集をご用意しております。お楽しみくださりましたら幸いです。素敵な一年となりますようにお祈り申し上げます。本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。
※日本語の字幕を表示するスクリプトをご用意しました。
専門用語や細かい訂正などは字幕でご確認下さいませ。
2021年1月3日
皆さん、こんにちは。今年の特集。
新年が明けましてから、続いておりますけれども、今日3日目になりました。お付き合い下さりまして、誠にありがとうございます。
前回は、六十進法について、何で干支が六十かについて、さらっといきましたけれども。
今回はお約束しておりました。この辛丑がどうしてこういう字形の形をしているか、特にこの最初の篆書のところまで、
ここからは、我々の字になりますから、ここで見えますが、これが何故こうした形になったのかをやってまいりたいと思います。
先ずこの字源ですが、この文字が、何を象っていたかを知るために一番良い方法は、最もその文字が持っていた始めの形、一番もう遡れる限りの一番古い形まで遡り、それでそこで考える必要があるわけです。
どうしてかといいますと、要するに漢字は、ずっと使っていく内に少しずつ少しずつ書きやすいように、もしくは使いやすいようにどんどん字形が少しずつ訛っていってしまうんですね。
一番最初のこの形を手がかりに一番象形文字としての象形、何を象ったのかが一番表れてる形から進んでいくよう、少しお話しておきます。
それで、その字源を探索するために、これだけの文字資料、特に私がこれを集めてくる時に留意したこと、気にしたことは、出来る限り、一番古い形の漢字を集めたいということでして、
それでこの干支は、殷の時代にはもう既にもう普通に使われていた文字ですから、
かなりの字形の数が多く残っておりまして、もう甲骨文字と金文の両方に残っていますが、
それで全てを見ますと、中国で「商」とは「殷」を言いますから、殷時代のものが、全部集めてこられて、今回は十分にまかなえて、まあ少し、西周初期、まあ周に入ってからでも、初期もう一番殷に近いところ、
今から3000年とちょっと前ぐらい、紀元前1000年ぐらいの文字を全部集めてまいりまして、
これで沢山の逆に集まり過ぎちゃったから、困っちゃったということですね。
皆さまにお見せしようと思ったのは、同じ字形は、全部私はきれいに残っているものを集めて取捨選択してまいりました。
ですから、逆に言えば、あらゆる字形のバラエティ、もうちょっと違うところが、今見てゆこうと、それらを全て網羅する形で見る!
これがやはりものすごく大事なことでして、当時は、実は我々は漢字だと思ってるから、もう書き方とか、もう決まっちゃって、字形の形が決まってしまっているけれども、
当時は何を象ってたか分かっていたため、逆に言えば、そうやってバラエティーが生じやすいんです。
漢字は不思議なことに、このものを象る時に、どこかを強調して大きく書いたりしてゆきますが、
その強調のし方が微妙に違うと、逆にそれを沢山集めてくれば、字源を何を象っていたかを考えていくには有利ですね。
このような方針において集めてまいりました。
そして、これから先ず、一つ一つの漢字について、考えていきたいと思うんですけれども。
この「丑」の形は、もう前からずっと連呼しておりますね!印の紐だ、紐だ、紐だと、「つまみ」を紐と言いましたよね。
これ(紐 *nuʔ, *nuʔ > ɳɨuX, 女久切 > niǔ, nau5)は、糸偏にこの「丑」*n̥ʰuʔ, *[n̥]ruʔを書いてます。
やはり同じ部品がありまして、その漢字は、何らかの音か、もしくは意味かを継いでいると言えるわけですね。
要するにどうしてかと言いますと、偏と旁で漢字(形声字)と言いますけれども、
元々は、最初は、もうこういう形だったところに、ある言葉に関しての意味があまりにも多くなり過ぎて、「これはつまみですよ」というとき、つまみには糸がついてるから、糸偏をつけて意味を限定するため、意符(意味の符)をつけて、もしくは義符、義は意味や意義の「義」ですから、
やはり、意味ですが、意味を限定するマークをつけて、それで音符(声符)とは、音ですね。
「丑(ちゅう、*n̥ʰuʔ, *[n̥]ruʔ > ʈʰɨuX, 敕久切 > chǒu, cau2)」という音がありますが、
本当は、漢字の発展史から、逆にいいますと、
要するに、最初にシンプルなこの形があった上、更に沢山、意味が増えちゃったから、
もう意味を限定するためにつけた、逆と逆転の意味で説明がつくということで見てみますと、この「丑」という字は、これは小篆で我々が使う漢字でして、小篆ともう殆ど甲骨文字、そんなに大きく変わってはいないですけれども。
これを見ると、手で物をつかむ形ですよね。というのは、「又」*ɢʷɯs, *[ɢ]ʷəʔ-sという漢字は、本当に手ですよね。手が横から(見えて)、ここらが腕につながる部分で、ここらで手が分かれて、横からこれを見ている形でありますね。
これも見て分かるように、親指がここからぐるんとなっていて、この指がよく見える!
これもそうでここは、肘の方まで書いているんじゃないかな、肘の筋肉がちょっと書いてあると、ちょっと肥えてると、
まあ、これは手の部分だけを見て、ものすごい拡大しておりますけれども。
まあ、そういった形で甲骨文字とは、結局あまり太さの違いはないですが、どうしてかと言いますと、骨に刻んだものだから、あんまり太さは付かないですよね。
でも、金文ですと、こうやって作るため、西周の中期ぐらいから取ってきましたが、
そうみますと、ここに関して、これと文字と、これを比較すれば、明らかにこれは何か 掴んでいるような形を象っていることが分かりますね。
それで意味の方から、結局(《説文解字》「丑,紐也」は、)「丑(*n̥ʰuʔ, *[n̥]ruʔ > ʈʰɨuX, 敕久切)」は、「紐(*nuʔ, *nuʔ > ɳɨuX, 女久切))」と書いてあると(語源は手を意味する漢蔵祖語 *syəwで白語ʂi³³ 、克倫*cùh、漢語「手」*hnjɯwʔ, *n̥uʔと関係する可能性があり)、それで「つまみ」の意味でして、
これはもう、明らかに《説文解字》という、後漢の時代の許慎が書いた本でかなり後ですが、
彼はちゃんと手の形を象ったと当ててますね(「象手之形」)。それでちゃんとこれは説明が正しい説明していまして、
それで《淮南子·說林》「龜紐之璽,賢者以為佩。」には、「亀紐の璽」だから、これはもう印の「つまみ」を意味して使い、《文選·孔稚珪·北山移文》「至其紐金章」のこの文章の中に「金章」、章は印章の章だから、やはり、これも印の紐を意味して、
それで印の紐という「つまみ」という、「つまみ」は「つかむもの」という意味でちゃんと意味を継いでいて、
それでしかもで、もっと言えるのは、この「又」に点々があるような、このような形(㕚)、このような形(叉)、ここにあるんですよね。
これは「爪(*ʔsruːʔ, *[ts]ˤuʔ > t͡ʃˠauX 側絞切)」という字の古い形で(語源も同じで)字形もかなり近い形(㕚)でして、よく見ると、まあ(丑と)ある程度は区別ついていますが、
これなどを見ると、殆どこの「丑」と同じ形をしてると、「爪」という字も、元々はこれ(㕚)とほぼ同じで、元々は同じ漢字から別れて、「爪」という形になったか、それで「丑」という字に分かれて行ったかですね。
元々同じ起源(語源と字源)がスプリット(分化)して、分かれていってしまうような、
字形自体も変わっていっちゃこともありまして、まあこれだけの材料を集めれば間違えなく、これはものを掴んでる、もしくは「爪」とか、「つまみ」とか、手で何らかを掴むという意味であったと分かるんですね。それでもう「丑」の部分は説明がついてしまいますが、
ところが、こっちの今度のこの「辛」は、、今までの話の様々な学者が考えているんですけども、もう結構色んな説があって一定しないということですから、
ここをかなり重点的に見てまいりたいと思うんですよね。
この「辛」という文字、これはもう本当に大変で沢山集めてはまいりまして、これはもういっぱい、いっぱい、いっぱい、いっぱい!
それでこのような漢字の字源は、まあできる限り、その干支で使われる漢字は、この「丑」という字と「辛」という字に限らず、大体は初文と言うんですけど、要するに先ほど申し上げたような、初は初めての文と書きますが、
最もその漢字が象られた形に近い形で残されていて、逆にこの干支にこの辛という字、辛いという字が使われてしまったが故にもっと他の部品を分かりやすく付け加え、先ほどの「丑」という字に対して、糸をつけ、つまみなどを意味したようにですね。
この意符という、意味を限定するような、更に意味をはっきり明確に分からせる部品を付けて、漢字(形声字)がより複雑な構造があるんですけれども。
それで見たとき、こういう風に考えます!
この「辛」という字は、また何かの他の文字に関しても、この部品を持っているものを考えるわけですね。
そうすると、私はもう並列運転で大量に色んな所から集めてくるわけです。
そうすると、まあ、答えはもう書いてありますが、「新」という字、「親」という字、「壁」「辟」「辥」に関しては、少し後でちょっと違うということですが、似ているものとしては、「新」や「親」などがあり、同じ部品「亲」がここにあるわけですよね。
これで「新」に参りますと、この「辛」が「新」という文字になったとき、何が違っているかと言うと、ここに何かくっついてますよね。右についている場合と左についている場合がありますけれども、これ最初からパンともう結論を言いますと、
この文字自体が、何らかのアームが付いてるんですよ。
それでそう考えた時にこのアームか、もしくは木という文字の、その文字のここに何かしら何か何かついてると、これ何だと!?
今度はこっちをちょっと考えてみるということで、次の画面を用意しましたので、ちょっと見てまいりましょう。
これは何も意味するかと言いますと、先ほど「新」という字の甲骨文、もしくは金文には、右か左かには、何らかの小さい、道具が付いてたと!
その道具の形は何だ!?ということで、実はこうしたことを私は字源を考えるとき、一個のことだけではなくて、もう沢山の甲骨や金文の形が、頭の中にいっぱい入ってまして、もうその中で何か文字を見たときに反応するわけです💡
画像の検索エンジンのように、ある文字のちっこい部品だけを見ただけでも、ああ、これと同じようなものが、甲骨文字や金文にはどこにあったか、 もう頭が字書が入っているみたいですから、パッパッパとき来るわけなんです!それはどういうことが来るかって言うとですね。
このように今、挙げているこの一つ目は「戌」*smid, *s.mi[t]という字です!
二つ目は「戊」*mus, *m(r)uʔ-sもまた干支で使われる文字ですね(戊戌で両方出てきます!)。
これで次は「成」*djeŋ, *[d]eŋ, m-[d]eŋ/という字ですね。
それで次は「咸」*ɡrɯːm, *[ɡ]ˤr[ə]mという字ですね。
それで次は「戉」*ɢʷad, *[ɢ]ʷatは棒にこの右側にあるような刃が付いた道具を意味していますが、
それでそういった武器のようなものを意味していると、
この「戚」*sʰlɯːwɢ, *s.tʰˤiwkは、これもちょっと違うんだけども、似てるものだということ。
これは「戈」*koːl, *kʷˤajという字ですよね。
それでこれが「わたくし」、「われ」、「わたしたち」、「われわれ」というときに使う、「我」*ŋaːlʔ, *ŋˤajʔという字もそうですけれども、
これ全部を見ます、これは、もう今ここに2つ出ていますが、この玉戚とはちょっと違うんですけど、鉞(まさかり)ですが、
それで見ますと、ここにちょっとギザギザがありますが、こっちないんです!しかも、ここ刃がこうなってる。
これは、もう結構長方形でこうしたものが出てくると、本当にこの玉戚の「戚」は、これ同じ形してると!ギザギザもちゃんと象形できちっと残してくれるということですね!
それでこういった考古学的な資料で本当に発掘された玉や青銅のものと関係させて考えていきたいと思うんですけども。
そう考えると、一番その新という字の新しいという字に近い、これに当たるんですけれども。
やはり、これはここに棒をつけて、実際これもう腐って、もう無くなってしまいましたが、斧で木を切り倒したりするような斧ですよね!本当にそれは、そのままではないかと考えたわけなんですね。
ちなみにここでありますけれども、結構、この文字は、皆、元は同じで全部これらと殆ど変わらないんですよ!
この文字の形を見ると、みんなちょっとこれ刃が付いてるが、鋸みたいだ、「我」*ŋaːlʔ, *ŋˤajʔという字は鋸「錡」*ɡral, ɡralʔ, ŋɡralʔ, *C.ɢ(r)aj, m.ɢ(r)ajʔから来ていると言われてますけど、これかかなり鋸「錡」の歯がハッキリしています!
これ「戈」には、まあ武器がついていて、これはある意味、兵器だと!
この辺り(最初の四つ)とは、殆ど斧みたいな形をしていて、皆変わらないんですよ。
こちら「戌」は刃が大きく強調されて、こっち側に、今楷書とこれ見比べれば面白い!篆書でも、この刃の部分が大きく強調され、度アップになってますけれども。
まあ、殆ど変わらないですね。でも、当時は中国人は、これだけの(上古)音で、全部の道具を微妙に使い分けてた!
私そんなに農業に詳しくないから、もう細かい違いは分かんないけれども。
斧でも、いっぱい種類があったらしいですね!それは全部ちょっとずつ違うけど、
それでちなみにこの「百越」、もしくは、今でも広東語のことを粤語と言いますが、
「越(粤)」、「呉越同舟」の「越(𫑛、戉)」もそうだったし。
昔、中国の南の方には、これ実は、語源を今度調べていくと、今度面白くて、ちょっと話が逸れちゃうから、サラッといきますけどもね。
マレーポリネシア語(オーストロネシア語族、南島語族)といい、南の方の漢語とは違う言語を話していた!今で言うと南洋諸島の方にばーと行ってしまい、広がった人たちが使ってた言葉から、
昔の中国人が外来語みたいに取り入れたと、それでこの字形を見ると、これだけはちょっと木の柄に石器みたいな物が付いているんですね!
こっちは刃でしょ!これも刃、これも刃で結構、青銅とかこういうもので精巧に作られているのに対して、石器みたいだから、
私が思ったのは、中国人たちが南に住んでいた人たちを越族(百越)とか、「粤」とかこれ両方とも「エツ」と読むんですけれども、「越(𫑛、戉)」「粤(雩、于)」。
それでしかもこの下のここは、やっぱり、こういった釿(ちょうな)という道具でこういった斧みたいな形らしく、
これも金文は今出ておりませんけれども、その形でして、民俗学的にも*ɢʷadという、この(上古漢語の)音は、このマレー・ポリネシア語(南島語系*wasay、もしくはオーストロアジア語、南亜語系 *wac)から来て、
彼らが使ってたから、それを使ってた人たちを「越(粤)」と呼んだとまで分かってきて(もしくは「粤」*ɢʷad, *[ɢ]ʷatから、「雨」*ɢʷaʔ, *C.ɢʷ(r)aʔから来た可能性もあり)、そういうことも面白いですけれども。
そして、先ほどですね。沢山斧のようなものを見せられて、皆さん、何でこれ、「辛」の話をしていたのに、あなた少し違う斧の話をしてるじゃないかと、何でなのかと怒られちゃうかもしれませんから、
これ、ちょっと種明かしをしたいと思うんですけれども。
これ、先ほどの「辛」「新」という字をもう一回ここに転載してまいり、「新」という字はそうだと申し上げましたね。
この部分、ちっちゃい部品、右左にある、左にある場合もある。
そうすると、この「新」という文字は、何を意味してたのかを考えていく上で、
先ほどその斧、釿(ちょうな)、もしくは鉞(まさかり)という、これこういうものですけれども、
それでそれが繋がってくるんです!実はその王様の「王」という字も、この鉞を象っていて、これは殆ど刃がきちっと見えているし、
どうしてかと言いますと、昔の王権の象徴として、この鉞が考えられていて、ある人によれば、例えば、これは軍隊における武器で統帥権を意味してるから、そこから王権とか、そういう権力に行ったんじゃないかとか、色んな考え方があるんですけども。とにかくこれが、やはり、王権とか、士族とか、
実は武士の「士」という字も、これに近い形をしていて、この上の1本がない形で、もうこれ「王」から分かれた字でしたが、そういったものがありますけど、
ここで一つ面白いことを考えてみたわけです。一つ一つをこれが正しくこの文字を象ったな形でみんな少しバラエティがありますけれども。
頭を柔らかくして、逆転の発想で行きますね!
これをもう完全にこれは上下を反対にひっくり返した文字、上をそうするとこういう形してるわけですよね。
特にこの辺りの甲骨文などは、 この「辛」という字が(「王」という字の)上の部分に近いですよね。
これ近い、皆近い、じゃあどうなんだと!私これを考えていく上で一番重視しているのは、
文字の言ってみれば、形について、非常に考えてきてるんですよね。
そこで一つ、ちょっと今度は、この新しいという字が持っている意味をちょっと考えてみたいと思うんですよ。
この画面においては、「辛」という字、もしくは「新」という字、もしくは「薪」という字、これら三つの意味がどう使われているのか分析していきますが、「辛」という字には、この異体字では、この上の部分と、この部分と下に木が付いている部分、
先ほどあまり強調して言わなかったんですけど、甲骨文字の中には、木が付いているいるものもありまして、
まあ、後でもう一回みてまいりたいですが、それを見た時に、この「新」はこの「辛」という字、もしくはこういう形とこの左側の部分、
それでこっちの右側の部分は斧「斤」ですよね。先ほど見てきましたよね。
それでしかも「艸(草)」を伴い、「新」でこの「薪」ができるとは、どうなんだと見ていきますと、
一つここで字義を分析すると書いたんですが、もう一ち面白いことがありまして、
日本語でも、これらは全て、シン、「辛」「新」「薪」と読むんですよね。
それで鄭張尚芳さんと潘悟雲さんたちが、古い中国語の先ほど昔の中国語では言ってしまったんですが、
それは言語学者で沢山の(漢語方言や漢蔵語族の)言語を集めてきて、昔の中国語(上古漢語)はどういう音をしていたのかと再構してきて、
そう言うと*siŋという音が再構されて、それで中古音、大体隋とか、唐とか、やっと日本と中国がすごい密に関わるようになったぐらい、
今から1300年くらい前の音は、やっぱりsiɪn(息鄰切)、今でも中国語(北方官話、普通話)はxīn、広東語、粤語ですとsan1と言うんですよ!
これは一つ面白いことがあって、またBaxter-Sagartという別の学者が、色々また違う発想やルートで、昔の音を復元していくことをやっていたところ、
この「辛」「薪」という字は*[s]i[n]となり、この「新」は*s.tsʰi[n]で(最後のŋがnとなり、)ちょっと違う!
でも、この鄭張尚芳は、この三つは同じ音(*siŋ)をしているといったんですね。
それでそれを考えると、一つ考えられるのは、この辛いと干支の「辛」と「薪」は、音も相当似て同じだったという風にも考えられている。
そう見てみますとmここにも「辛」、《爾雅》という義書では同義語で同じ漢字の意味のものを並べて説明されますが、この「辛」は「新」と言っているし、
それで《説文解字》を見ますと、この字書で「辛」は、「味が辛い」とか、「痛い」などの意味が書いてあり、そこから派生したのが、「罪」という字でして(これは後の理由で誤りの可能性がありますが)、元々こういう形「辠」で、《説文解字》に書いてあることで言うと、秦の始皇帝が、皇帝の「皇」と「辠」の字が似ているから嫌だと、
我々が使っている「罪」という字に代えさせちゃい、上の四という字「罒」は網ですが、犯人「非」を捕まえからでしょうけど、「罪」という意味もあるんですよね。
それと後はこの「辛」、これはもう「辛い味」という意味で使われ、それで《周禮·瘍醫》という古典の中では、「痛い」などの意味で使っていますね。今でもこれは「辛い」、「痛い」、それで《素問·氣厥論》という医書においては、ここ「膽移熱於腦,則辛額鼻淵」もやはり「痛くて鼻から鼻水が出る」という意味で使っていると!
これで今度は、今ここでブレイクいれましたけれども!
今度は「新」という字は、《説文解字》に木を採ると書いてありまして、これもやはり最近と言っても、数十年前に発掘された、貴重な文献(《馬王堆帛書·黃帝四經》「百姓斬木艾新而各取富焉」)の中でも、「百姓が木を切り、薪を取って来る」と書いてある!
だから、これは、新旧の「新」という意味もあり、元々は「薪」という意味を示していたと!
それで《詩經·采芑》「於彼新田」を見ると、もう「新しい」という意味で使われてるんですよね。
これで《禮記·月令》「農乃登穀,天子嘗新」を見ると、やはり「薪」という意味で使ってるんですよね。
それで更にこの《詩經·齊風·南山》「析薪如之何。匪斧不克。」や《詩經·大雅·棫樸》「薪之槱之」などを見ると、今度はやはりこれも「薪」という意味で「新」、これはもう先ほど話した「艸(草)」を伴い、「新」が付いてるんですよ。
元々「薪」はだからこの「薪」という字は、我々が薪水とかいう、江戸幕府が異国船が来た時に「薪水給与令」を出しましたけれども。
「薪水(xīnshuǐ)」とは、薪と水と書いてあるのは、これ今の中国語でも、「給料」とかそういう意味があって、サラリーの場合は、ラテン語で塩 salがですから、塩をあげてたから給料という意味になって、
でも、この中国の場合は、薪と水が生活必需品だから、給料という意味になって、今でもこの言葉はお給料という意味を持ってますけれども、
「皆がこの薪を得る」と書いてあり、これでこれは「析」*seːɡ, *[s]ˤekという字は、「木」にこれこそ、「斤(斧)」がぶち当たってる形をして、透析とかの「析」、分析とかの「析」は分けるという意味ですよね。分析の「析」、透析の「析」は分けるという意味を持っています!
ですから、これは、「新」という字は「薪」を意味して、
それで斧(斤)という字を伴い、先ほど見たように、これは「斧」だった、斧の形だった。
そこから導き出されるのは、
元々この「新」という字は、「薪」、
要するに「木」にドーンと「斧」をぶち入れてパカーンと、
要するに割って「薪」などを得ることを意味してたと考えられるんですよね。
それでところでこの先ほど見たように、この「辛」*siŋ, *si[n]という字と、「新しい」という意味での「新」*siŋ, *s.tsʰi[n]という字は、少し音が違ていて、私が思うには、新しい概念、これは非常に抽象的な概念ですから、非常に象形文字で表すのは難しいから、
音が近かったから、「薪」を借りてきちゃったんじゃないかなと、「新しい」という詞にこの「新」という字が使われたが故に、この「艸(草)」を付けて、「薪」という意味をちゃんと固定したんだと考えられるんですね。
そこで、今そういう「薪」だと、この「辛」という字から、どんどん「薪」に行ってしまったんですけども、
皆さんから突っ込まれかもしれません!我々はこの干支で使う「辛」という字をよく、「辛い」とか、「辛苦」という意味で、この「辛苦」、「辛い」、「苦しい」、「きつい」とか、
これ今でも、中国語でもお疲れ様というときにも、「太辛苦了(tài xīn kǔ le)」というから、苦労とか、そういう意味を持っています。
日本語でも、「辛苦」は「苦労」という意味を持ってますよね。
だから、結局、何でしょう、この「辛い」とか、「痛い」とかになってしまったのかと言うと、
ある人は、(《説文解字》の許慎さんも「辠」を「言辠人蹙鼻苦辛之憂」と書いていますから、)この「辛」という字は、元々刑具を意味して、刑をするときに鼻、自分の「自」は鼻の形だったんですよね(「自」*ɦljids, *s.[b]i[t]-sは「鼻」*blids, *m-bi[t]-s, Cə-bi[t]-sから仮借され、鼻の語源は漢蔵祖語*bi, *s-brit、漢数字の「四」*hljids, *s.li[j]-sを仮借した元の鼻水「泗」*hljids, *s.li[j]-sとも関係します)。
「自(鼻)」にこれが付いてるから、鼻削ぎの刑「劓」を意味して、「刑」から「辛い」へ言ったという考え方もあるんですよ。
ところが、私が見たところ、この甲骨文字や金文、ちょっとこれは同じ部品を持ってるけれども、もっと古い段階では、ちょっと字形が違うんですよ!
この「辛」という字は、薪を得るときに木にバーンと斧をパカーンと入れて、木の破片が吹っ飛ぶわけですね。
ということは、この辛という字から始まって、斬首とよく言う、首を落とす刑。首を斧でパコンと落とす斬首から、刑という字(意味)にいったかと、
それでそこから、「痛い」とか、「辛(つら)い」とか、「辛(から)い」とか、「きつい」とか、そういう意味が生まれたことは考えられるんですよね。(更に調べましたら、漢蔵祖語 *m-sin、藏語མཆིན, mchin、緬語သည်း, sany:、彝語ꌌ, si²¹などは「肝臓」や「苦い」を意味して、漢蔵祖語 *s-ra、藏語སྲ་བ་, sra ba、彝語ꎮ, ʂa²¹、傈僳sha¹、彝緬*ʔ/s-ra²、もしくは、漢蔵祖語 *s-run、景頗rùn、獨龍ɹɯt⁵⁵などは「苦難」を意味して、「辠/罪」や「辥」も別語源のため、即ち「薪」の初文の「辛」から仮借された可能性が高いです。)
とにかく、この「辛」「新」は、古い文献において、どちらかと言ったら、「薪」という方によく使われ、私は半分に分け、二通りありまして、じゃあ、それを全て合理的に解釈するためにはどうしたらいいか、ちょっと最後にまた字形に戻って見てみたいと思うんですよ。
そして、先ほど意味の方を見てから、最終的にまた字形に戻ってまいりましたけれども。
この部分はやはり、ここに刃がパーンと来て、更にこの木の棒、斧で言うと柄の部分で甲骨文を見ますと、「木」があって、ここにパコーンで入ってるから、この刃が入ってるから、ああ、そうなんだな!と考えられるし、
今度、斧の部分、「斤」という字ですけど、この斧の部分を見ると、この同じ部分にも柄があり、こういう形してると見てこれて、もう一つ私は先ほど「辥(罪)」という字とは、ちょっと違うとは、これが付いていて、この下にこれが付いているんですね。
このところの形が、ちょっと違うんですね。でも、私はこれを見たときには、ああ、何か物をぶった切るさまから来ている可能性が高いんじゃないかと考え、この上の部分と下の部分のこの釿の柄の部分が合体したような形「䇂」をしていますよね。(裘錫圭は「乂」*ŋads, *ŋa[t]-sの初文で鐮刀の象形と考えました。《説文解字》に「辥」*sŋed, *s.ŋatは「从辛,𡴎聲」とありますが、実際は「从𡴎,䇂聲」、即ち、「𡴎」ではなく、「䇂」が声符で*-s suffixが付いた形です。)
ということで、この辛を見てまいりましたけれども、もう一つ私はこれを調べていく中ですごい面白いことがありまして、
この(辛という字の)中で、今度は字形のバラエティは、先ほどあまり言いませんでしたが、よく見ると、この上に一本棒があるタイプと、後はこの手が挙がり、下が真っ直ぐになっているタイプと、肥えているタイプと、
あとは下が短くなり、ここが切れているタイプと、あとはこれがかなり短い、それで中が中抜きになるなど、これは金文で全部みていくと、少しずつ私が集めてきただけあり、一つ一つ強調されている部分は違うんですよ。
この上の一本棒がポーンと出てるのは、何かと見るとこの辛という字を見ると、
こういう木の所に、この刃物が斧が当たって、パーンといって、上から何かものがポーンと飛んでいくように切れてるんですね。切れたものが飛んでいく形と考えられて、だからあってもなくても、字形として成立していて、ここでも刻している場合とない場合がありますよね。棒が一本ある場合とない場合は、そうした解釈が見て取られますね。
この辺りにあるのは、これは楚簡といってよく言う、竹簡、木簡と言ってまいりましたけど、
その楚簡は大体やはり見つかっているものは、今ここにある殷とか周とは紀元前1000年ですから、今から3000年ぐらい前ですけど、
それから、6, 700年経った後でも、結構ちゃんと字の形が残っていて、ちょっと見ていきたいと思うんですよ。
これでこのような形で見ていったときには、郭店楚簡《老子》とか、貴重な書物が出てきましたが、
その中で見てみますと、ここで「新」という字を使われていて、これは親しい字と、これも「親」*sʰin, *[tsʰ]i[n]という字も「新」*siŋ, *s.tsʰi[n]と読まれ、音が近いから(音を借りて)使われますが、「名と身と孰が親しき」と、新しいて意味じゃない、親しいという意味で使われてるんですけども。
これ見ると木が上のほうに行っていて、これ(辛)があって、ここに斧(斤)がありますから、
だから、木が上に行く場合もあるし、やはり、木にこれ「辛」がついていて、先ほど見た、ここが肥えてるバージョンがあり、ここは1本棒のバージョンもあり、それでこちらでは同じように「親しい」字で使われますが、「新しい」字が、こういうバージョン。
それでここが一本なくて、ここ肥えてるバージョンもあって、これとあとはこの中でも、やっぱり「親しい」という字で皆「親しい」という字で仮借(かしゃく、かしゃ)と言い、字の音が似てるから、他の漢字を使って、「新」という字が使われているんですけれども。
ここ横に一本棒があるような形になり、今度これは上海博物館の楚簡を見ますと、 この上に「木」があり、これは今の我々の「辛」という字に本当に近い、干支の字「辛」に近いような形でこっちが斧でして、それとあとこれ(《君子爲禮》)は「新しい」という意味で使われていますね。
「吾は新しく聞く夫子(天子と読み間違えました)に言を聞く」、だから「孔(夫)子の言葉を新たに聞いた」という意味じゃないかな。これ「然」は「はい」という意味ですけれども。だから、そういった「新しい」という字で使っていますし、
こちら(《曹泳之陳》)ではやはり「親しい」という字で「新」という字が使われ、 ここが肥えているタイプと、それでこれもここに横に一本棒で、これはもうやはり「親しい」という字ですね。
「大国これに親しむ」と読めるからですが、ここの文字ですが、これでこちら(左端)を見ると、
こちらは「親」という字で使われて、それで(辛が)こっち(右)に来ていますけれども。それでこっちが少し下でこうなってるけれども。
やはり同じ字形が保たれていてすごいですね!
びっくりした!私はこれを見ていてびっくりしたことは、もう6, 700年後のこの楚簡においても、この殷の時代や周の初めの時代の「異体」、違う形をしてた少し字の字形が違うような形はちゃんとそっくり、形を保持したまま、伝わっていて、面白いなと思ってご紹介いたしました。
このように、皆さまとこの「辛」という字、もしくは「新」という字ですね。
この意味がどうかとか、形がどうかと、細かいことを見てまいれましたけれども。
最終的にまとめてみますと、この「辛」という字は、元々ここにあったように甲骨文字では、「木」があって、この上に刃物が刺さり、
しかも、ここに斧「斤」がついていて、これは「木」に斧「斤」を当てて「薪」を得ると、 もしくはその「薪」を意味してた文字でしたと(即ち、「辛」は「薪」の初文でした)、
そこから首を落とす斬首みたいな意味から、刑もしくは、そこから「辛(から)い」とか、「辛(つら)い」などの意味が生じてきたということですね。(《説文解字》に鼻削ぎの刑「劓」が痛いことから、「辛い」とあり、そう説明しましたが、更に漢蔵祖語の方から調べましたら、「肝臓」や「苦い」を意味する*m-sin、「苦難」を意味する*s-ra, s-runが語源として考えられ、「薪」の初文の「辛」を仮借した可能性が高く、「辠(罪)」は「遭罪」を意味する漢蔵祖語*tsa-t ⪤ *dza-tが語源で、「自」「辛」と音韻上の関係がないため会意字、「辥」は懲罰を意味する*s-nya-s ⪤ *s-nyanが語源で「䇂/乂」*ŋads, *ŋa[t]-sを声符とする形声字の可能性が高いです。)
我々がこの字源とか、その字義を考えていくときには、基本的には漢字は、象形文字から始まって、意味が転用されて、(もしくは発音を仮借して、)要するに抽象概念にどんどん行くんですよね。
だから、「薪」とかそういう木を切り倒すという行為は、非常に文字、要するに絵にしやすいけれども、「辥(罪)」とか、もしくは「辛(から)い」とか、「辛(つら)い」とか、そういう概念は、非常に抽象的だから、(象形するのが、)難しいということで、
意味で転じさせる(引伸)か、もしくは音で転じさせる(仮借)か、この「新」という字は、元々「薪」ですから、この「新しい」という字を我々は使うなsyが、「新しい」もやはり象形文字で絵で表すには難しいため、これは先ほど見てまいりましたように、音が近いため、仮借(かしゃ、かしゃく)と言いますが、仮りて、借りることですね。
「薪」という字を借りて、新しい概念を我々は今もう使ってる漢字だから、もうこれがもう「新しい」という字に使われちゃったから、もう困ったということで、上に「艸」冠をつけて、これは「柴」とか、「薪」という意味に固定したんだとなってくるんですね。
これでそういう風に見てまいりますと、この文字を見たとき、字源を知りたい、元々の意味を知りたかったというときには、
今回を伝えてきたことは、最も古い甲骨と金文という、殷とか、周の最初の時代にあった文字を沢山集めて、細かいその線の流れとか違いを分析すると、頭の中焼き付けていく、考えてゆく、
例えば、少し上がっているような、手を挙げているような、可愛らしい、これは何だったのか見てみますと、
このあたりで見ますと、「辛」という字は、元々「新」の中には残ってるんですけど、
この「木」が下にあったと、これも木で「新」という字の下、「親」という字の下には、「木」がありますよね。「立」の下に「木」が、「立」の部分はこの部分になってますけど、
上の部分ですけども、これ「立つ」という、スタンドという意味の「立」という字とは、元々字源が違った!後の時代に(隷書になるとき、隷変して)同じになっちゃいましたけど、こういう形をしていて、篆書(小篆)でも違ったわけです。
その後に一緒になっちゃったということで、そういった意味で見てみますと、こういった古い時代のものを細かいこの手のちっちゃい部品も加えて考えていくことから、もう本当の意味が見えてくるんじゃないかということ、
もう一つは、音、字の音から、その新しいということがなったのかとも推察できてくる。
今度はあと意味、字の意味から、この「辛(から)い」とか、「辛(つら)い」などの字、もしくは「辥(つみ)」という字の意味が出てきた(漢蔵語族の観点から、語源が元々異なる言葉が、文字ができたとき、仮借を激しくして、同じ文字に吸収されたのが、実情と考えられます)。
その漢字には三つありますと、この字の形(字形)、意味(字義)、音(字音)を全部、総合的に考えていけたと、綺麗にまとまったと思います。
そして、もう一つ面白くびっくりしたことは、冒頭の一番最初に出てきた、この「辛」はこういう形でこういう意味と分かりましたけれども。
これをみんな見ると、皆、棒がこう、今の楷書とそんなに大きく違わないし、 行書、行草にそうなっても、大体この形を引き継いでいると言えるんですけれども。
これ、これだけ、「親」もしくは「新」という字の片割れみたいな形をしている!何だったのかと思ってしまうんですけど。
これはよく、北魏という時代は異民族が建てた王朝だから、漢字を上手く使いこなせなかったから、(もしくは石工が無学で正しい字を誤って刻み付けたから、)変な字がいっぱいできたという説もよく言われてるんですけど。
実は我々が字源を見ていったら、これはすごい字源に即してたと!むしろこの「辛」という字、「辛(かのと)」で使っているときは、ここは消えちゃったけれども、
もしくは、逆の言い方をすれば、無いバージョンが引き継がれて、小篆までいきましたけれども、
こうあるのも合理性があるんだということで感激しておりました、とも言えるわけなんですね。
それで大体この「辛丑」に関しては、情報を全てまとめておりましたことを披露できたと思うんですよ。
それでよく考えたら、この辛丑とかこう言う、「60(進法)」も見てこれたし、「干支」という概念もあり、その中で「十二支」は動物とは元々は関係なかったというお話をしてまいりましたけれども。
そもそも「十干十二支」、どうして「干支(えと、かんし)」、こういう概念が生じたのかについては、お話してなかったことに気づいてしまいまして、
それで急遽、来週やろうということになってしまいまして、
今回、三賀日の大特集ということで、三日までお付き合い頂きまして、もう大変感謝しておりますけれども。
また続編が出ますので、どうかご期待を下されば、大変嬉しいです。
ということで、今後ともこういった形で、もう本当に興味を持ったことをどんどん皆様とこういった資料を全部集めてまとめて共有してまいりたいと思いますので。
どうかチャンネル登録を下さると、本当に嬉しいです。今年もどうかお付き合い下さいということでお願い致します。
本当に今回も貴重な新年のお時間ありがとうございました。どうか良い一年をお過ごし下されば幸いです。ありがとうございました。
新年の特別編を三作ご覧下さりまして、ありがとうございました!
干支(十干十二支)につきまして番外編を近々に公開いたします。
興味のおもむくままに書画・篆刻・文芸など中華文化につきまして、皆さまとこれからも動画をたくさん共有してまいりたいと思います。
KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)チャンネルを今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。