Press "Enter" to skip to content

漢数字の起源にせまりました!普段よく用いている漢数字を掘り下げてみました!謹賀新年 2021 辛丑 The Chinese Calendar

漢数字の字源や十進法の仕組につきまして探究いたします。再来週に二進法の仕組につきまして、急遽公開することになりました。是非ともご期待ください!

皆さま、明けましておめでとうございます。昨年末にデヴューいたしましてから、温かいお言葉かけなど応援下さりまして、ありがとうございます。本年に感謝の気持ちを込めまして、三賀日の特集+アルファを四作とも無事に投稿できました。お楽しみくださりましたら幸いです。素敵な一年となりますようにお祈り申し上げます。本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。

※日本語の字幕を表示するスクリプトをご用意しました。
 専門用語や細かい訂正などは字幕でご確認下さいませ。

2021年1月15日

【謹賀新年 2021 辛丑】の大特集において、 干支が六十で構成されるという六十進法、その起源についてお話をしました。

今回は十進法のシステムである漢数字、それぞれの字の成り立ち(字源)について、初めの甲骨文や金文にまでさかのぼり、詳しく見てまいります。お楽しみください。

遂にですね。もう先ほどはもうちょっと中近東に行ってきましたけれども。中国に帰ってきましたということでですね。

もう何でああいうことをお話ししたかと言いますね。まあ文化というのを、私はすごく面白ろがるのが、もっと人類的なね。

もっと昔の人はもうユーラシア大陸を自由に歩いていける所だったら、結構歩いて色んな人が関わり合って、意外と古代の人も一つの文明だけというか、

今度は最近はトランスと言いますね。その間の関係がもう結構色々ね。面白いんじゃないかと、あるんじゃないかと思いまして、

例えばメソポタミアとインダス文明な関係とか、そういうのも あったという関係ですね。もうしょうがないと、中国の文明もですね。もう世界的に考えてなきゃいけなきゃならないということですね。一つの面白い例としていきましたけども。

遂にこの我々が使っている漢字、数を表す方法ですね。もう、これなんか見ると、もう、はっきりこれ全部こちらは甲骨文字ですね。

こちらが金文と言いますね。青銅器に鋳込まれたもの、こっちは骨に刻まれたものですけれども、

それを良い例を綺麗なものをとってきたんですけれども、結構、当時のもう3000年くらい前でして、商とは殷ですから、西周の初期ですから、

ちょうど殷から周になった時は紀元前、ちょうど3000年くらい前ですよ。 色んなちょっと学者によっては、細かい年はあるんですけれども。

ちょうど3000年くらい前の文字の状態を見てみますと、

「一」、これははっきり分かって、一本あると!

「二」も分かると、二本あると!

「三」、三本ありますと!もう間違いないと!もうこれは説明不要だということですね。

「四」も、実はこれはちょっと後で説明したいですけれども、当時は四本「亖」で書いてくれていると。

まあ、これはもう「一」、「二」、「三」、「四」は、もう間違えないと、もう説明不要ということで見て頂ければということで、

ところが、これは我々が使っている「五」、何でこれ「五」はこんななのだと!?デパートのマークみたい、何でこんななんだということで、

それでしかも、「六」も何だと。こっちは我々が使っている形と、「六」これですね。小篆だとこれですね。小篆だとこれだと。

「七」も、まあこれこうぴゅってすれば、「七」ですね。分かると。

「八」もこうだと、でも元々「一」、「二」、「三」、「四」できたなら、何で五本書かないんだとおかしいじゃないかと言われるかもしれません。

まあ、一つの考え方としては、もう、「五」、「六」、「七」とかになっちゃうと、もう本数がやはりで見た瞬間にパッと分からないと、数を認識できないということ。

それでこれは昔から色んな学者が、この文字は、何でこの形なんだろうかだなんて、もう家の形じゃないかとか、色々言ってる人がいる。色々考えた。

でも、私が考えるには、先ほど(二日目の動画で)見ておりましたように数を人間は数えるということは、そんなに難しくないことです。

一番大事なことで、文字の始まりとは、大体ものを数える。それをメモしておきたいところから始まっている。

だから、これそもそも漢字は何かを象ったという、(エジプトのヒエログリフやシュメールの楔形文字の元祖などの)象形文字もそうですが、そういう概念以前の問題だと、私は思ったわけですね。

「五」とは、結局元々バッテン(×)だったと!もともと「六」とは、この逆v字みたいなマークだったと、これで「七」も十字だと、こちらは掛ける×ですね。今で言えば、

二本増やしたのは多分、「五」と「七」の区別がつきにくくなり、もうちょっとこうなっただけで、十字(+)かこっち(×)か、もう分からなくなり、この二本を加えたんじゃないかと。

それで「八」もこういうマークで、当時結局ものを数えて、その「八」で概念を表したかった時に、簡単な記号で土器になり、筆なりで書いたと思ったわけですよね。それでそこで私ちょっと思ったんですよ。

このマークは不思議な事に卦画と書いてあるんですけれども、これは中国で当時の占いに関係する《易経》がありますが、その占いをするときに数字がやはり表記しなきゃいけないんですけれども、

その時に書かれた数の書き方は、「六」とかこういう風になってるし、それで「七」、「八」、ああ、「六」、「八」がこうなっていたり、確かなかもともとあった字書(《新金文編》)は、これが逆になって間違ってたけれども、私がこれ見ると訂正して、これは「七」と「六」と「八」が逆だったと思うんですよ。私が訂正してこうして置きましたけれども。

この形を見れば、「八」があるし、ここに「六」があるし、ここに「七」があるわけですから、結局これはもう本当に原始的な時代の時に、何かしらの占いをした時に「易」という、《易経》と後につながりますが、

これは全部、青銅器、殷の時代の青銅器、もう甲骨文字と同じ時代のもう遡れるまで、一番古い状態から、もうこうした数の書き方はありまして、

こちらを見てみますと、少し面白いのが、さっき言ったように、私がバッテン(×)だったんじゃないかと、この結局最後はバッテン(×)になって、 それでちょっと増えているということですね。

これよく八卦と言いますけど、易でいいます八卦の卦ですけれども、画という字ですけれども。

そういった占いの結果を書くときとかに使った、符号を数字と一緒に転用したか、もしくは逆だったかもしれませんけども。

そういったもう本当に原始的な、もう二画ですよね。みんな「五」ならこれ(二本)が増やされてるけど、バッテン(×)も二画だし、「七」だって二画(+)だし、そういった簡単な符号で刻み付けたと解釈するのが一番「五」、「六」、「七」、「八」に関しては自然ではないかと、私思いました。

それで「六」は一番最初の状態はこうだったけど、後でもうこれなんか、もう他の物とちょっと混同してはっきり分かんなくなっちゃうということで、この画が増やされて、「五」も二画増やして、

元々はこの中のこれ(×)だけでしたが、一番自然な発想じゃないかということですね。

それと問題あるのが、この九も、何だと、これは今の形(楷書)と同じだけれども。これ何の形何だと。これは皆、殷の時代の甲骨文字と、この西周の一番最初の青銅器に(鋳込まれた)金文なんですけども。

これも考えて、蛇とか、(肘とか、)色んなことを言う人がいますが、でもすごく思うのが、このSみたいな形してまして、これで一つ言えることは、こちらにありますが、「九」もちょっとこの資料だけだとちょっと字のバラエティが少なすぎるということですね。

こういう分からなくなった時には、沢山の当時の甲骨文字の資料を沢山集めてきて、もう刻み方にちょっと癖がありますから、書き癖がありますから見てみると。

こういう形もある、こういう形もある、こういう形もある。これは我々が使ってる「九」に近い。それでこれもある、これもある、これも、これ何だという考えていくと、

最終的に分かることは、昔の人は結縄といい、縄は縄、結は結ぶ、縄を結んで、色んな数字と概念とか、もう簡単な原始的な概念を表現していて、これ縄の形からじゃないかと、こう考えたわけですね。

しかも、そう考えていくと、ここ真っ直ぐもありますが、こういう風になっていて、これ何だと!?この部分、九の「ノ」のところは、これ何だと思った時には、

糸編「糸」を書きますと下に小さい三つの点点点とか、もしくは糸の下を「小」みたいに書きますね。「糸」という漢字を書いた時も、糸編もそうですが、

糸編は 、元々下がこうなってまして、このタラーンと垂れている、これはこことかここに値するんですけれども、

これは「糸」が糸の房があって、これ二つ房が見え、これは甲骨文字ですが、糸の房があり、その糸の房の端っこがほぐれ、こうなっている状態。ふにゃふにゃとなっている状態ですね。

縄というのも、縄は糸を撚り合わせているから、縄の端っこは、まぁあとは蠟とプシュッと固めてしまい、よく船舶とかで使う縄なんかは、海水が染み込んで膨らんで解けていくと弱くなっちゃうから、端っこを蠟とかプラスチックで固めてしまうけれども、

もともと縄ってこの糸がよれてる状態の一番端っこ、端点、だから、それなんじゃないかなと、 それでもう一度それで考えていくと、

例えば、この「己」という字がありますけれども、「己」という字がありますね。 この字にもある人は、これはやはり縄の形で昔の人は記録をしたから、そんな縄の形を象ったのじゃないかという説があって、

朱駿聲という人が《説文解字》に対して文字のどういう意味なのかとかを注釈した《說文通訓定聲》でこの文字は、元々、「紀」と《日本書紀》とか、歴史書とか、「記」とか、記録という意味で使われる「紀」ですよね。

それで本当の字(本字)dえもともと糸が付いてるけど、この「紀」は昔の時代は、これは糸の形を象ったんだと書いてあるんですね。

だから、それ考えていくと、例えば、記念とか、記録という字で、記が言偏になっている場合がありますが、言偏の中にも、これ(己)が入って、記録の「記」、《古事記》は言偏の「記」を使いますね。

それで《日本書紀》は糸編の方「紀」を使いますね。両方とも同じ記録という意味ですね。

だから、これは元々縄の形を象ったものと感じまして、しかも、その《易·繫辭》という、その易の解釈する註釈がありまして、 そこには昔の人、上古、昔の人は結縄とこう書いてあり、縄を結わえて、それで物事を記録したことで、そうした世の中を治めたと書いてある。

その後に書契とこうした甲骨文を契文といいますが、刻みつけて記録を刻みつけて書いたんだということで。

それで解釈するのが、一番シンプル!これはすごいぐにゃっとなっていて、色んなバラエティありますが、縄を象ったと考えれば、全部とても合理的に考えられると、一つ申し上げておきたいなと思いましてね(先ほど述べましたS字の符号マークという説も捨てがたいです)。

そして、重要なのは、今、「一」、「二」、「三」、「四」、「五」、「六」、「七」、「八」、「九」まで来ました。今度やはり「十」は中が肥えているんですね。

今はこの肥えた部分があり、このブニャッとここが膨らんでるのが、これは「七」と間違えやすいですが、もう明らかに最初の状態では、これが「十」で小篆、篆書だとちょっと短い。今みたいに完全なクロスじゃない。これはどっちかっていうと普通の十字架に近い。それでこっちはギリシャ正教の十字架に近い。その横のクロスの長さがほとんど一緒ですが、元々これは短かったと。

それでこの部分(横の線)は太さの部分を意味していて、「七」はこうだったんですが、どっちかというと、「七」はこういうふうに横にもぶにゃんとなり、こういう形が多いため、

「十」と「七」は似ているけれども、やじゃり十進法で肥えさせて、こういうマークを付けているということです。

今度、問題があって、「百」は何だと!?この形「百」は考えによっては、この「白」という字があり、色の「白」がありますね。

この色の白という字は元々甲骨文字では、こういう状態でしたが、これも色んな事言う、色んな意見があって、

例えば、親指のその爪とその手前のところ(爪半月)という人もいるんですよ。

一番この漢字を考える、字源を考えるときに大事なことは、この先ほど言いました。

この「己」という字で糸偏が付いても、この言偏が付いても、「己」というように色んな偏が付いた時により、 生まれてくる漢字の家族がありますよね。

それを考えたときに、この柏、柏という字は、(旁を)百と書くときも、この白と書くというときもありますけれども。

しかも、この「柏」の言ってみれば、そのどんぐりみたいな形、これじゃないかと、一番その音の関係、当時の音を復元した学者がいまして、鄭張尚芳やBaxter-Sagartという学者が、もう殷の時代とか、周の時代、ものすごい古い時代の漢語ですね。音どういうふうに当時の人たちの発音を復元しましたが、

そうすると「百」*praːɡ, *pˤrak(< 漢蔵祖語*b-r-gya)と発音していて、それで「白」*braːɡ, *bˤrak(< 漢蔵祖語*bawk)だから音が近かった!だから、音を借りてきちゃったんじゃないかと!

でも、借りてきちゃうと、もう、これ「白」と「百」をやはり区別するためには、これ見れば分かりますが、一本これを加えたと、数字でこっちは「百」ということですね。

それがやはり一番、合意的、これとこれを比べれば、本当に一本足されていて説明が付くと!

それで「千」はいうと、これは結局「人」に一本を加えていますね。それでじゃあ今の発想に行けば、

「千」やはり「百」とか「千」は、どうやって表現したらいいかと(数が大きいため)難しくなってきちゃって、

そうすると音を借りてきたんですね。仮借という言い方をして、借りる、音を借りる。

そうすると「千」*sn̥ʰiːn, *s.n̥ˤi[ŋ]と「人」*njin, *ni[ŋ]という発音だから、音が非常に似ていたから、ここに一本加えて、数字だよと加えて、「百」と同じ発想をしてますよね。

「人」はここに一応出しておきましたけれども。一本加えてこれ。これも一本加えた。これで人の形で一本加えた「千」。この部分はこれ一本加え、ここの部分は人じゃないかが合理的だということ。

それで一萬の「萬」は何かというと、もうこれは同じ発想で行きまして、結局当時これサソリの形してますよね。はっきりして見ると。結局それでサソリの形、これを一萬にしている。

今でもこの難しい「萬」はこの形を継いでいまして、この上の部分はハサミでして、そうすると音「萬」*mlans, *C.ma[n]-sと「蠆」*m̥ʰraːds, *mə-r̥ˤa[t]-sがやはりこれもすごく近くて、

それで音を借りてきて、ああここもよく見ると、これ一本ちっちゃいけど、数字として使われるとき、サソリちゃんにここに一本棒が入っていて同じですね。

まあ、こっちは刻み忘れたのか、まあなくてもこれで一萬と分かりましたから、アレですけど。

そういう形で数字に音が似てるから、転用したんだということ、それでじゃあどうして「四」はこんな形かですよね。 当時は実は結構で戦国時代か、春秋時代ぐらいまでは、「四」はもう四本「亖」でした。

しかし、ある時にこれ違うと、全然形が「四」も、これが出てきた頃の登場した頃の「四」を見ると鼻の形をしていて、鼻が二個穴がありまして、この穴があって鼻の形だと、これ!

「四」という音が鼻の音でして、今でも漢字として、今同じ発想ですね。先ほど「白」から「柏」にしてもそうだった。この「己」からこの「紀」という字もそうだった。

点点点で水を付けるとこれ鼻水という意味でこの漢字だから、結局これ鼻と関係して、こういう文字になっちゃったと。

それで何でかというと、やはり「三」とか、「四」とか、もういっぱい、「一」、「二」、「三」までは良かったけど、やはり書き間違いで書き損じたり、やっぱり数を表す時に、やっぱり混同してしょうがなかったから。

「四」はもう違う音が似たものから借りてきちゃおうということで変わっちゃったんじゃないかと。

それで我々でもよく領収書とか書くときには、もっとこんな数だと一方足されちゃったりするから難しい漢字を使いますね。それと同じで書き換えられないようにとかね。

一本はこれ、「三」に一本足して、「四」にして、ごまかしとかきかないように防止して考えたことも考えられますね。

それでもう一個、大事なことは、結局十進法で間違えないと、「十」、「百」、「千」、「萬」まできましたけどもね。もう本当に全部十進法で漢字は体系がなっていて見てこれましたけれども。

ここで今度見ると、結局、当時は「廿」もあり、これ今でも使う、私も書くときに「廿」を使います。これ「廿」に「十」が二本あると。これとこれで、今でもこれ使うし。「廿」という字もあるし。

それで「丗(卅)」という字には、「十」が三本「丗(卅)」になっ てるし。それでここ肥えて、本当に「十」、「十」、「十」がありますね。それでちなみにこの「世」という字、世論(せろん)とか、世論(よろん)の「世」ですね。「世」もこの一本、今一つ下がピンと出て世の中です。やはり、三十で一世代が変わるから世の中という字になったんじゃないかと考えられていたり、一つあるんですけど。

それで「卌」もそう。「五十」はもうくっつけて、当時は「十」と「五」をくっつけて「五十」、「六十」はこれ(十)とこれ(六)をくっつけて、「十」と「六」でくっつけて、「七十」も、「八十」もこう書いていたけれども、もう今はもう別々の字にして書きますけどね。

そういった形で当時は数を間違いなく、十進法で書いていたと、「三千」はもうこれ面白い、三本ここにあると。だから、ある意味これこの解釈をした時には、「一千」としていた時には、一本で二本、三本で加えると、三千になっているということでして、

この一は位取りの一とも考えられるんですね。言ってみれば、今でも中国では(普通に一千と書きますし、)時どき、「千」というとき、日本人は「千百」と書きますが、「一千百」という人いますよね。「一千二百」とか、一をこの上に書くこともありますね。「一千」と一緒でここの一本というのは、一ということ。

ここ先ず一これも一で組み合わさったと、ここで考察できる。

これ「三千」は三本あるからと、「四百」は四本あるからと、「三百」は三本ある。それで「二百」は二本ある、それで「(一)百」は一本だと。そういうことも言えると分かりましてね。

「一」から「一萬」まで、中国語において、漢語において、漢字で数を表すとは、何からもっともっと来ていたのか、ここで全部クリアになったかと思います。とても面白い数の数え方で合理的だったと思います。

ところでこの「九」という数字に関して、さっき糸であったり、綱であるような文字が似てると言ってたわけですが、

これって、要するにさっき他の数字で四とか、百という数字は音が先にあって、似た音を出す文字を借りてきたという感じですけど、というのも結局そういう理由があったりするんですかね。

そこね大事でしたよ。すごく大事なことです。(質問ありがとうございます。)

この九、それで先ほど、これ(九)とこれ(己)は形は似ているんだとお話したと思いますね。それで一本棒もある。それでここは糸のここに似ていると。

でも、この「己」という字、「己」と「九」の音は今は違いますが、上古漢語を見ると、「九」*kuʔと「己」*kɯʔの音が近く、これ(ɯ)は、日本語で九州の「きゅう」という音は、これは国際音標(IPA)という、もう全ての言語の音を書くとき、口の動き方で、九州の「九」と音が一緒ですから、結局この二つの漢字が、非常に音が似通ることも、一つのものすごい説得材料だと、もうこの考え方が「九」にもきちんと踏襲されているということが言えると思うんですよ。

それと今大事なことを忘れていましたのが、「泗」が鼻水 という意味を持つということ、もう一つここにも《詩(詩経)》ですけれども、

その中でも「涕」は涙、鼻水でこれ見ると目から出るものが涙「涕」、鼻から出るものが鼻水「泗」と書いてあるから、ちゃんとやはりちゃんとこういった意味もあるし、

言ってみれば、音(*hljids)も一緒で本当に意味としても、ちゃんとこう調べていくとあって、

それでこの形「四」は鼻と解釈するのが合理的だと、一つの説得材料になりまして、

こうした字源を考えるとき、この音(字音)と意味(字義)と形(字形)を総合的に考えていくと非常に合理的ということですね。

数字について全て「一」から「二」、「三」、「四」、「五」、「六」、「七」、「八」、「九」、「十」、「百」、「千」、「萬」まで、全部見れてこれたと思うんですよね。

それで全体をまとめてみますと、この「一」、「二」、「三」、「四」は、もう簡単に一本ずつつ増えていったということです。

それで「五」、「六」、「七」、「八」のグループは、またこれは符号ということが分かって来れたと。

それで更にこの「十」は、先ほどははっきり言いませんでしたけれども、これはまあ一の十進法ですから、一応まあ縦にして肥やして増えている「十」で肥やしているじゃないかということ。

それで「百」、「千」、「萬」について、それと「四」は戦国時代から、他の字で「百」は「柏」、「千」は「人」、「萬」は「蠆(サソリ)」と、そういった全く違うもので形を象りやすいものを音が似てるから持ってきた(仮借した)と分かったと思うんです。

それで困ったことが、この「九」がなかなか難しくて、そこでちょっと考えてみたら、これは縄じゃないかとできました。それでこの「五」、「六」、「七」、「八」については結局、符号だと申し上げましたけれども、はっきり証拠として面白いものがありますのでちょっと見てみたいと思うんですよね。

これは陶文刻符といいますが、もう殷の時代とか、それよりちょっと前の時代の(文字です。そして)この遺跡(殷代前期の河南省鄭州二里崗遺址)で甲骨文ができる前の状態(の陶文でも)、もう既にこうした陶器には、有機物ではないので腐りにくくて、もうやはり残りやすいんですよね。

それでそこ(陶器)に「五」とか、「七」とか、「十」とか、「廿」とか、「卅」とか、「丗」など符号が刻まれていて、これがやはり漢数字になる前の状況ということで、

こちら(殷墟磨石刻数や周原甲骨卦象)は、今度は八卦と関係あり、この《易》における占いの結果をこのように符号で書いたと言うこと。

それで、しかも、面白いことに、「五」、「六」、「七」、「八」の数字と関係して入っていると見て取れるんですよね。

それでこの金文にも、こうして数が鋳込まれてまして、これは卦画と言いましたが、八卦の卦に の画で登場してきて出しておきました。

それで更にちょっと戻ってみますけれども。

「九」のところも音が似ているということで言いましたけれども、私はこれ考える上で一つ面白いものがありますので見て頂きたいと思うんですよ。

これがもう「九」という数を漢蔵語族(Sino-Tibetan Languages)、もう漢語や、チベット語(蔵語)や、ビルマ語(緬語)や、それから、少数民族の(四川)彝族の彝語とか。 四土語(ナシ語)とか、

こういった西夏語(タングート)という、もうこれは古い言葉でして、もう色んな克倫語(カレン語)、克欽語(カチン語)、色んな中国の南の方、インド(やネパール)の方、ビルマ(や東南アジア)の方にバアーッと広がりました全部の言葉から「九」は何て言うのかと、

この中古漢語(kjuwX、kɨuX)から大体、隋唐や少し前の上古漢語(*kuʔ、*[k]uʔ)、秦漢とかから別れた、色んな言語(漢語の方言)でも、「九」を何ていうかが、全部書いてありますが、官話(普通話)、晉語(太原話)、吳語(蘇州話)、贛語(南昌話)、湘語(長沙話)、閩語(閩南話)、客語(梅縣話)、粤語(廣州話)など、日本語の漢語の読み方、漢音や呉音などの音が全部、表になってありますけれども。

結局この音は、この字形と関係なく、語源として、他の漢蔵語族の沢山の言語の起源(漢蔵祖語*d/s-kəw)から分かれましたから、全部集めてくると「九」*kuʔ, *[k]uʔの音が分かり、また別のルートから、

(歴史比較言語学の手法で)言葉の音が出てきておりますから、そういった違うアイディアを持ってきて、全部考えていけるんですよね。

それでちょっとイメージを膨らませる意味で、こちらですが、

漢蔵語系は全部ものすごい数の言語がありまして、(言語年代学の手法で)それをどんどんどんどん合わせていくと、ここで(何時頃に言語が)別れたと分かりまして、

ここに地図がありますが、更にこっち見ますと、この中国語の範囲、漢語の範囲にも沢山、山の中にいる少数民族の言葉、もしくはチベット語、ビルマ語などなど、

それらは全部寄せ集めて、全部(音韻や文法の体系を)分析をすると、もっと古い時代に別れる前には(新石器時代では)こうだったと音が分かり(再構でき)、(比較歴史言語学の)面白い研究があります。

そういった字形を分析して、字音と、あと意味(字義)が、全部綺麗に結びついていまして、

特にまあ言語は音なんですよね。その音がどうなのかを考えて、

この「九」がものすごく大変、「九」の探求、私がこれを「己」と関係してると縄の形じゃないかと類推したとき、ものすごく大変ですが、

結局、「九」、「九」、「九」、「九」、「九」、「九」と「九」を考え続けまして、もう「九」だと、ある時に分かりまして、それで皆さんに発表できたと思うんですよ。

ですから、今回は簡単に言ってしまうと、「一」、「二」、「三」、「四」のグループ(、これは自明で説明不用でした)、「五」、「六」、「七」、「八」のグループ、これは符号でして、それと「九」の探究、それと「百」、「千」、「萬」の一本は何で棒があるのかということ、

「二」、「三」、「四」とこれ合文と言いますが、合わせる文と書きますが、今では違う漢字で分けて書きますが、当時は一つの文字の中に二つの文字が合体して、それを合文というんですけども。

そういった形でこの棒が由来があったと、「一」が付いて生じてるんじゃないかという知見。

それらを皆様と共有できたと思います。これでもう数字について、もう存分に皆様にお伝えできました。

今回も正月のプラスアルファの更にプラスアルファ、ご覧下さりましてありがとうございましたと。

この「四」、「五」、「六」、「七」の部分には、八卦と《易経》と関係ありましたが、次回の動画にも関係してきますから、どうかご期待はで下されば、本当に嬉しいです。

本当ありがとうございました。これからもこういった素朴な疑問から始まる、沢山の面白い探求、発見、それを皆様と共有してまいりたいと思いますので、どうかKF-Ars Sinicaチャンネル登録を下さると嬉しいです。

どうもお聴き下さりまして、ここまでありがとうございました。

最後までご覧下さりまして、ありがとうございました!中国には二進法の概念が古くからありまして、現在の電子計算機の基礎にまで発想が続いております。来週にこれを続編として公開いたします。

興味のおもむくままに書画・篆刻・文芸など中華文化につきまして、皆さまとこれからもたくさん動画を共有してまいりたいと思います。 KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)チャンネルを今後とも何とぞ宜しくお願い申し上げます。

Follow me!

PAGE TOP