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探究の探究 an investigation on investigation

KF-Schola / 探究の探究の新しいチャンネルが誕生しました!初回は大特集「探究の探究(inquisitio inquisitionis)」、即ち、古今東西の人類がしてきた探究そのものを探究します。

探究と哲学、書籍と学問、言語と系譜、思考と推論、創造と類推などを内省して、
私たち人間が日々に物事を探求したり、如何にして探究して思考して創造するか、
新しいことごとに挑んで試してゆく、手法や観点を見つけてゆくことができます。
長編ですがお楽しみ下さりましたら幸いです。字幕がございます。ご覧ください。

KF-Schola / 探究の探究では、頻繁に新作を更新する予定ですので登録下さいませ!
https://www.youtube.com/channel/UCFO5Akv8rd0CO4lahUGn6jg

姉妹チャンネル KF-Ars Sinica / 系譜でたどる中華文化 もエキサイティングです!
https://www.youtube.com/channel/UCVcCcF62H09v8Yk3mkU8ojg

Publius Terentius Afer, Ἑαυτοντιμωρούμενος 77
« Homo sum, humani nihil a me alienum puto. »
私は人である。人に関係することで、私に関係がないものはない。

Aristoteles, Analytica Posteriora II. 3 [90a36]
« πάντα τὰ ζητούμενα μέσου ζήτησίς ἐστι. »
全ての探求は、中項の探求である。

Aristoteles, Analytica Posteriora II. 4 [91a14]
« συλλογισμὸς τὶ κατὰ τινὸς δείκνυσι διὰ τοῦ μέσου. »
推論とは、何かに就いて、何かがあると、中項を通じて証明することである。

Aristoteles, Physica I. 1 [184a10]
« Ἐπειδὴ τὸ εἰδέναι καὶ τὸ ἐπίστασθαι συμβαίνει περὶ πά-σας τὰς μεθόδους, ὧν εἰσὶν ἀρχαὶ ἢ αἴτια ἢ στοιχεῖα, ἐκ τοῦ ταῦτα γνωρίζειν, δῆλον ὅτι καὶ τῆς περὶ φύσεως ἐπιστήμης πειρατέον διορίσασθαι πρῶτον τὰ περὶ τὰς ἀρχάς. »
自然に関する学問に於いても、先ず第一に我々が努めるべきことは、それの諸原理に関する諸事項を確定することである。

Aristoteles, Metaphysica I. 1 [980a21]
« Πάντες ἄνθρωποι τοῦ εἰδέναι ὀρέγονται φύσει. »
全ての人は、生まれながらにして知ることを欲す。

Aristoteles, Metaphysica I. [982b12]
« διὰ γὰρ τὸ θαυμάζειν οἱ ἄνθρωποι καὶ νῦν καὶ τὸ πρῶτον ἤρξαντο φιλοσοφεῖν, ἐξ ἀρχῆς μὲν τὰ πρόχειρα τῶν ἀτόπων θαυμάσαντες, εἶτα κατὰ μικρὸν οὕτω προϊόντες καὶ περὶ τῶν μειζόνων διαπορήσαντες. »
そのように驚嘆することから、人間は今日と同じく最初から哲学し始めた。しかしながら、その起源は、ごく身近な不思議な事物に驚嘆の念を抱くことから、次第に少しづつ進んでいき、遥かに大きな事象に疑念を抱くようになった。

Aristoteles, Metaphysica XII. 8 [1072b25]
« θεωρία τὸ ἥδιστον καὶ ἄριστον. »
観照は、最も快であり、最も善である。

Aristoteles, Metaphysica XII. 9 [1074b34]
« νόησις νοήσεως νόησις »
思惟の思惟の思惟

【KF-Schola】探究の探究 an investigation on investigation

une enquête sur enquête : inquisitio inquisitionis

インデックス

0:03:08 探究の探究 An investigation on investigation
0:05:52 知識と智慧 Knowledge and Wisdom
0:06:55 好奇心と探求心 Curiosity and Inquiring mind
0:07:24 探究は何故から A quest begins with why
0:08:59 系譜の構造 The structure of genealogy
0:10:09 スコラとは On Schola
0:13:49 実事求是 Seek truth from facts
0:16:39 探究手法の抽出 Extracting inquiry methods
0:23:03 考証学 Evidential scholarship
0:25:44 発想と思考 Ideas and thoughts
0:26:55 スコラ学 Scholasticism
0:28:49 治学方法 Investigation methods
0:30:23 議論 On argument
0:32:04 学問は人間の活動に還元される Scholarship is derived from human activities
0:34:12 書物 On Text
0:38:54 人類の言語 Human language
0:43:46 学問スタイルと創造性の高まり Research style and elation of creativity
0:45:43 哲学の起源 The Origin of philosophy
0:49:35 語源から核となる意味が分かる Semantic research with etymological analysis
0:50:33 哲学は探究 Philosophy is sustained by inquiring mind
0:51:59 人が何かを知るとは How we can perceive?
0:53:28 哲学史と科学史 Historical survey of philosophy and science
1:29:54 推論規則、創造過程、思考様式 Inference rule, Creative process, and Thought pattern
1:31:18 論証 On demonstration
1:36:12 誤謬 On Fallacy
1:37:49 推論 On Inferences
1:40:27 語彙の生成 On Generation of vocabulary
1:42:10 思考や言語は概念の結合と操作 Thoughts and languages manipulate various concepts
1:43:47 演繹 On Deduction
1:45:45 帰納 On Induction
1:46:53 例証 On Adduction
1:47:45 還元 On Abduction
1:49:06 推論規則の語源分析 Etymological analysis of the Inference rules
1:49:57 演繹 On Deduction
1:58:28 帰納 On Induction
2:03:39 例証 On Adduction
2:06:25 還元 On Abduction
2:09:44 引用 On Citation
2:10:54 論証の帰結 A Summary of the Inference rules
2:11:44 創造の根幹 The basis of creation
2:15:24 人間が理解するとは How we can comprehend?
2:16:08 探究の道具 Research tools
2:18:01 賢人 On Insightful persons
2:20:51 講義の極意 On Effective presentations
2:21:21 古代哲学の面白さ On Significance of ancient philosophy
2:23:58 全ての人間は探究を好む Our tendency to explore
2:25:23 人間は究極には探究する Finally we are going to explore
2:26:21 古典を通して学べること Learning through the classics
2:28:54 体系化 On Systematization
2:32:33 古典言語 Classical languages
2:34:14 分解と合成 Analysis and Synthesis
2:37:05 言語と思考 Language and Thought
2:38:05 公理と定理 Axiom and Theorem
2:40:32 類推が創造の源泉である Analogy is the source of creation
2:47:54 実証主義、関係主義、構造主義 Positivism, Relationalism, Structuralism
2:52:35 系譜学と語源学 Genealogy and Etymology
2:56:22 哲学史と科学史のまとめ A Summary of history of philosophy and science
2:58:22 ダイアグラム Diagram
3:06:01 原典の大切さ On Importance of the original text
3:07:56 結論 KF-Schola Conclusion

2021年1月16日

皆さま、こんにちは。

今回ですね。初めてこのKF-Scholaを始めることになってしまいましてね。

もうまあ、今までは、Ars Sinicaという方で中華文化をやってまいったんですけども。

そちらの方、結構手が込んでいるといいますか。(友人が)撮ったビデオを編集してくれたりとか、色んなことをしてくれていてですね。

一つの作品として、動画の作品としてですね。それを YouTube で皆さまとシェアしようということでしたけれども。

思ったんですよね。そこで何か、沢山のビデオを作ろうとすると、結構手がかかって時間かかっちゃうっていうことで、もうこれ困りましたと。

もう、この感じで行くと、私もいっぱいしゃべりたいことが、もう沢山ありすぎまして、

このまま計算しましたら、150年か、200年か、300年くらいになっちゃうと、このペースでいきますとね。

ですから、もうしょうがないと、今回このKF-Scholaという、一つの姉妹チャンネルを用意して、

そこでまた日々の色々と探求をしている中で感じた事などを、もっとラフな感じで、もう編集なしで、皆さまと共有したいと始めることになりました。

それで編集がないわけですから、結局逆に普段のもっと、まあいつももかなり、いつもの感じでやってるんですが、もっと和やかというか、更に日常的な考え方を、そのままもうお届けしちゃうと楽しんで頂けると思います。

それで、最初にじゃあもう何をやるのかと、もうやりたいことが、沢山あるんですよね。

でも、よく少し私、頭の中で考えたら、先ず一つ、KF-Schola(系譜スコラ)と名前を付けたと。

そのScholaとは、どういう意味かと、それと系譜(KF)はもう少しづつちょこちょこっと、KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)の方で観ていただければ、そちらで系譜とはKFだとお話はしているのですけれども。

物事をタイムラインで見ていくとか、歴史的な流れで見ていく意味とは、皆さまうすうすと気づいていただけていると思うのですけれども。

Scholaの方をお話ししようと思ったら、どんどん膨れ上がっていって、わあ困ったなと思って、もうしゃべりた過ぎて困ったということでですね。

ちょっと頭の中でよく考えてまとめてみますね。 最初に「探求の探求(an investigation on investigation / inquisitio inquisitionis)」ということです。

結局、物事を我々が何かを探求しようとしたら、もう何でもいいですが、もうどの分野でも構わない、物理学だっていいし、科学の中ですね。物理学だっていいし、言語学だっていいし、もうどの文化だって構わないんですよ。

それで、どの地域のもの、例えば、どの歴史や時代のもの、それでも構わないですが、 何かしのものを理解をしたいとき、それはどういう方法で挑んでいくのかと、 何か問題が起きてきたら、問題を見つけたら、

それに対して、答えを見つけていいかなければならないですが、その時にどうしていくか、それを一番最初におしゃべりすることが、一番大切な事だとと思いまして、

それで私自身が、じゃあどういう風に考えてやってきたのかを含めて、お話してみたいと思います。

そのところで私は、そもそも色んな例えば歴史とかに興味持ったのは、元々こういう物事を探求しようとした時には先人たち、昔の人たちがいます。

それで昔の人たちが、色んなことを探求してきたということを、先ずは理解をしていくことですね。

それで歴史に行くんですけれども。そこで普通は歴史を学ぶとき、例えば「何かの分野を学ぶ」って言ったとき、知識を得るという意味が、

まあ普通の意味で使う「学ぶ」ことだと思うんですね。一般社会で一般的に使われている「学ぶ」という言葉はですね。

でも、私はちょっと考えまして、ちょっと何度も今までも言ってまいりましたけれども、そもそもこのKF(系譜)シリーズとは、

これは知識を皆さんと共有するという、何か学んだ事を知識を共有するということ、それよりも私はもっと大事なことがあると思っています。

それはどういうことかというと、結局そのどうやって知識を得られるかです。一言で言ってしまうと、 つまりどう探究するのかですね。別の先ほど言った言葉に置き換えるとですね。

どういう風にしたら、知識を得られるのか、これは言ってみれば、これよく言われてることが、 普通の学びのときには、知識を得るだけでも、更にそれを超えた、まあ(古典)ギリシャ語でメタ(μετὰ-, meta-)と言いますが、

メタ知識(meta-knowledge)と英語で言いますけど、結局A はAですとか、Bは Bですという、何とかは何とかという知識ではなくて、そもそもどういう風にしたらいいかは、まあ、智慧(wisdom)みたいなものですね。

知識(knowledge)と智慧(wisdom)は少し意味合いが違いますよね。知識とは、個々の一つ一つに対して知ってることや、事実を認定して、それを頭の中に貯蓄しておくと、記憶しておくということ、これが知識ですよね。

でも、そうじゃないと!元を探求しようと思ったら、これはねもう方法論だと、つまりメソドロジー(méthodologie, μεθοδολογία)と、どうやったらできるかなんです。ということで、

ものを探究してゆこうとした時には、先ず一つ考えられることは、先ず好奇心がなければいけないです。探求心がなければ始まらないんですよ。

というのは、我々の日常に色んな事がありますけれども、まあ、こういうのは当たり前だろうと決めつけたら、もうそれはただ暗記事項というか、知識をこれはこうとだけを知識として得て終わってしまいますけれども。

そもそも「それが何故そうたりえてるのか」、「何でそうなっているのか」ということですね。どうして、Why !?やWhat !?に対して、もっと知りたいという気持ちがないと中々探求にはいかないと気づきました。

それで結局、私自身がね。かなりやはりこう言う感じになってるのは、

思ったんですよね!私自身は何を見ても結局「何でこうなってんだ」と、「何でこれはこうでなくてはならないのか」と、「何でこうじゃいけないんだ」とか、あとは「何でこれはこう言うんだ」とか、

それを分析すれば、結局語源とか、言葉の歴史に行き、 結局我々が今色んな社会で色んなことが起きていますが、その起きていることとは、全て過去に何かしらが、誰かしら、何処かしら、何時か、何かしら決めた人がいたり、

そこで取り決めがあったから、それが慣習として残され、我々が今使う言葉、制度、社会制度も、何でもそうですが、あるということで、結局はそれで歴史に行くんですよ。

ということで遡ってゆくんですね。だから、それを頭の中で上手く整理するとすると、今我々が使っている言葉は、元々何だったかずっと遡りゆくと、

その系譜になり、また別の言葉にどんどん別れたものがあれば、それが言ってみれば、家族の関係と一緒で網目のような構造になるんですね。

一つの知識と知識がですね。 言ってみれば、ノード(node)とノード(node)が、一つの観点、点と点がつながり、線になって、網みたいになって、どんどん張り巡らされていく構造になりますが、

結局その探究とは、何かというと、まあ、言ってしまえば、それを一つずつ辿ってゆくことですよね。そういうことも考えられて、まあ、ちょっと前置けなくなってしまいましたが、

皆さま、ここに色んな言葉がいっぱい書いてありますが、まあ私の中でも話をしていくとき、系統だてで話すため、まあ一行目から一つ一つ、お話をしていけば、皆さまに綺麗にスッキリと伝わると思い、用意してまいりました。ということで少しずつ見てまいりたいと思うんですよね。

最初に一行目に系譜の KFのマークがあり、KとFが合字(ligature)、二つの文字を一つに押し込めたKとFですが、これは少し後でお話するとして、

先ずスコラ(Schola)とは何だと、そこから始まりますね。そこから少しお話したいと思いますが、

何でこういう名前をつけたかと言いますと、色んなアイディアを考えましたが、やはりこのスコラが一番ぴったり、しっくりきたというのは、

これは古典ギリシャ語でσχολήと言うんですね。σχολήとは何だと言うと、「暇」だと、「暇な時間」ですよね。

結局、学問の探究とか哲学などは、最初に始めた人達は、後でちょっとお話していこうと思いますが、

時間が暇だったと、その時に広場に人がみんな集まってきて議論し始めたと、おしゃべりし始めたと言ったとき、

まあ普通だったら結局、世間話したり、人の噂話したりをしますが、たまたま最初にギリシア人が始めた時は、何で万物の根源(ἀρχή)はどうなっているかとか、そういう何か話が始まったと。

これは普通のお話とそのお話の大きな違いはすごいことは、

我々がこうやって今生きてるけど、何で生きてるんだとか、そういう何でという疑問をぶつけ合い始めたんだと、そこから始まってきていまして、

それとあとは今Scholaという言葉は、このSchool、英語の学校などの語源にもなり、何かそういう、何かちょっと難しいではとか、そうしたイメージを持たれてしまうかもしれないですが、

いや、これは私が使った理由は、暇な時間にもう肩の力を抜いて、もう楽しく物事を興味を持ったことをやってみようという、

そういう気持ちを込めて、最初のギリシア人たちが広場でやり始めたことと同じようなことをやりますと、この名前を付けました。

それでちなみにこのσχολήという言葉はインド=ヨーロッパ語族(印欧語族)でギリシア語もそうですが、(ヘレニック語派)*skʰolāとそんなに音が違わなくはないですが、印欧祖語というもっと古い時代には、これはギリシア祖語(ヘレニック祖語、線文字Bで書かれた時代の)ギリシア語の更にアルカイックな姿で更に遡ると、

*sǵʰ-h₃-léh₂で三つの要素(形態素)から成り立ち、結局*seǵʰ-は「持っている」などの意味で、そこから「余分な時間」などの意味になりました。

ということで言葉もずっと遡るとこうした印欧祖語までいくということですね。まあ、これは四方山話だったんですけども、書いておきましたと。

それでそうする時でも、結局大事にしていることがありまして、もう無数に何だかんだ、あんなこんだしゃべったらしょうがないということでして、

じゃあ、何をしたいのかと言いますとね。この「実事求是」ということは、事実に基づいて、真実を知りたいと、結局「探究」というのはそういうことですよ。 「求是」といは、結局、「是」とは、これは何でこうなってるのかを求めることです。「実事」これで事実に即してですよね。

だから結局、色んなこれを知りたいと思った時には、その材料を先ず集めてきますが、その材料は正しいものでなければ、変な結論が出てしまいますから、正しくないものが混じっていたらですね。

先ずは信頼できる材料を基に考えることですね。これは《漢書》に書いてありますが、もう2000年前に中国の劉徳という、

劉は漢代の貴族で皇帝に血筋がつながる人という意味ですけれども、この王さまが非常に古いことがすごく好きで学問が好きで、「実事求是」を大事にしてたと歴史に書いてあって、昔からそういう人がいたんだなと思って、中々仲間を見つけたという感じで嬉しくて、ここで書いたんですけれども。

それで結局そうしたモットー(実事求是)を大事にして、清朝と今から400年くらい前ぐらいから、中国でも黄宗羲とか、顧炎武とか、(考証)学者が、色んな中国の古い文化をもっと知りたいと始めましたけれども。

私はこういったことも見たときには、もう個々の誰々さんがどういうものを探求したのかという事、 まあ、黄宗羲は結構社会制度などに興味があったし、顧炎武は音韻学、古い中国語の音がどうしているかなどに興味を持って、それでそこから出てきた錢大昕とか、江聲とか、戴震とか、

段玉裁とは文字学で《説文解字》、古い字書に註釈する形で、色んな文字学に興味を持って、何でこの漢字は、こうした形しているのかに興味を持って、どういう意味があるのかとか、彼も音が何なのかですね。文字自体に興味持った人とか、まあそういうことでしたけれども。

彼らを見たときに一つ一つの今お話したいのは、そうした業績をしゃべりたいわけではないんです。

というのは、先ほどお話したように、結局どのように彼らが探求したのかを、今回抽出してきましたということですね。

基本的に彼らは該古博聞と言いますが、博識でして、英語ではpolymathと言いますけど、πολύςはギリシア語で沢山という意味ですね(印欧祖語*polh₁ús < *pleh₁-「満たす」でサンスクリットपिपर्ति, piparti、ラテン語plūsや英語plentyやfill < *fullazと同語源)。μανθάνω は知識とか、そういった知見などが、もういっぱいあるという人たち(印欧祖語*meHndʰ- < *men-「学ぶ」 + *dʰeh₁-「置く」でサンスクリットमेधा, medhā́「知性」と同語源)。

結局彼らはものすごい物知りでしたと、簡単な言い方をすればですね。でも、基本的に皆やはり物知りだからすごいなと言いますけれども、

実は物知りであると言うのは、意外とずっと学問的なものをやっていけば、沢山知識というのは得られるけれども、

私がすごいと思ったのは、彼らが取った方法論ですよね。それでちょっとそこを私が色々彼らの書いた本を見たり、その学問スタイルというのをちょっと抽出してきましたら、こういうことであったわけですよ。

先ず一つ目、彼らはものすごい物知りだったということ、資料探求を先ず始めるんですよね。dataと書いてありますは、ラテン語 dataはこれはdatumから来ていて、datumとは「与えられたもの」という意味なんですよね(動詞dō「与える」の完了分詞で印欧祖語*dédeh₃ti < *deh₃-に遡ります)。

つまり、ものを考えるには、何かしらのデータがなければ、与えられた前提がなければ、考えられないわけですから、先ず信頼に足る資料をものすごい集めてきたんです。彼らは集められる限り集めたと、それで沢山の知見が集まってくるとですね。

今度はそれをanalysisと書いてありますが、比較して分析したと、物事をやはり理解しようとしたときには、

沢山の知識があった時には、ある例えば歴史書には、こちらにはこう書いてある、別の歴史書に同じことでも、別のことが書いてある、と言うとぶつかることがあるなど、同じであるなど、同じなのか、違うのかとかですね 。

そうすると今度はぶつかった場合は、何故そうなっているのかなど、言ってみれば、沢山の材料があればあるほど突っ込みどころが沢山ありまして、

そうした分析をしていくこと、これで沢山分析をしていけば、色んな資料と資料の関係性というのが見えてきて、

今度ここに書いたのは、仮説を提示すると書いてありまして、例えばある歴史的な事件があったとして、それに対してこういう資料もある、ああいう資料もある、こういうのもある、ああいうのもあると、全部先ずは見て、

先ずは一番大事なことは、普段何か物を見るときに皆人間は、こうであって欲しい、こうでなきゃいけないとか、これそういう何て言いますかね。

preoccupationと言いますが、これは日本語でいうと...まあ英語の今の言葉の場合はpre-とは、その元々と、「前に」という意味でoccupationは「囚われたもの」だから(ラテン語occupō < ob- +‎ capiō < 印欧祖語*kh₂pyéti < *keh₂p-「つかむ」)、言ってみれば、先入観ですね。先入観があると、

それでものを見るときに先入観があると、もう自分の先入観に即してものを見てしまうから、(正しくものを見ることができず)良くないですから、

とにかくデータを集められだけ集めて、フラットに見るということですね。

もう、そこに何かしらの自分がこうあって欲しいと言うのは抜きにして、そのデータに書いてあるそのものをありのままに、先ず見るということです。

それでそれを沢山していきますと、ああ、これがやっぱり真実ではないかと、色々とおぼろげながらにも見えてきて、それでそれが仮説ということに自動的になってきますね。

hypothesisと英語で書いてある。 hypo(古典ギリシア語ὑπό < 印欧祖語*upóでサンスクリット उप, upa、ラテン語sub、ゴート語𐌿𐍆, uf、ドイツ語obと同語源)は「仮に(上に)」という意味だから、結局thesis(古典ギリシア語θεσις < 印欧祖語*dʰéh₁tisでサンスクリットधीति, dhītíと同語源)は「置かれた」(古典ギリシア語τίθημι、印欧祖語*dʰé-dʰeh₁-ti < *dʰeh₁-でサンスクリット दधाति, dadhāti、ラテン語faciō、古英語dōnと同語源)という意味だから、それでは少しそれを考えておきましょうということですね。

でも、それはやはり沢山のデータを見た中で何かしらの仮説、こうかというようなアイディアが出てきますが、それがやはりそうだと言い切れないわけですよ。 何でかと言ったら、自分の中ではある程度確信に変わってきても、結局人に説明しなきゃならないですよね。

そう言って見てみますと、結局じゃ何で私はこういう仮説を立てたのかということ、こういったこれまで集めてきた資料、その分析した結果でどう分析してきたのかを全て人に見せなくてはならないこと、それが論証ですよね。

論証と言うと、日本語では難しいように聞こえますが、これわざわざラテン語で書いておきまして、英語も殆ど変わらないですが、このdēmōnstrātiōは、結局英語で言うとdemonstrationですよ(dēmōnstrō < dē- +‎ mōnstrō < moneō +‎ -trum < 印欧祖語 *monéyeti < *men-「考える」が語源です)。

結局、言ってみれば、テレビショッピングでも、この商品がすごい、この包丁よく切れますと、デモンストレーションして売りますね。

でも、それは結局見せるんですね。それと同じで結局、皆さんが、ああこれ包丁は切れる、ああいいなぁ、欲しいなぁ、と思わなきゃ、お金出して買わないということと一緒でして、

このアイディア、折角このアイディア、沢山のデータを分析して、資料を集めてデーターを分析して出たアイディアをですね。

それがやはりこうだと、皆さんに思ってもらわなければ、認められないですね。人に見せるデモンストレーション、やはり論証しなくてはなりません。

元々、日本語で言うと論証は、論で証明するとか、難しい言葉を使いますが、本当の言葉では、後でも出てきますが、ギリシア語でも、ラテン語でも、

論理学の最初の時点では、本当に日常会話で使うような単語で、それがその分野でだんだん専門用語になりましたけれども、

元々、全部言葉自体は本当に馴染みやすい、分かりやすい言葉で説明してくれていることで見てまいりました。

それでそういった時にですね。私はねこう思ったんですよ。

結局清代の先ほど言った考証学家、もしくは考拠学家、何か根拠に従って調べたいと、彼らが今から400年位前から始めたのは、私いろいろ興味持って見ますと、実はこれみんな中国学として見ますと、中国の中だけでみんな考えるから、結局、中国の中で出てきたムーブメントと言うんですけれども、

実は明の時代の終わり位から、まあちょうど日本でも、西の側からたくさん宣教師が来ましたよね。日本にも16世紀、1500年代の中盤ぐらいに、中国にもいっぱい来まして、

だから、やはりこれもヨーロッパからのそうした影響ですよね。学問的な学風などの影響でこういうものが始まったと、だから言ってみれば、これは中国の中で始まった彼らは全員中国人の生粋の中国人で今で言うと清の人ですから清朝人。この最初の所は、明の最後に生まれましたが、

それでまあこれは好きな顧炎武は、結局清になる時に明から清になるときに、彼は明は漢民族の王朝で清は満州族の王朝でしたから、

それはヤダヤダと、黃宗羲と顧炎武はレジスタンス運動して、結構なかなか気骨がある人でなかなか面白いんですけれども、特に顧炎武は、私結構好きだからちょっと話それてしまいますが、

まあ。Schola(学問Scholaと学者Scholarをかけた冗談)から少し逸れてもいいかなとお話ししましたが、彼はなかなかそういった気骨のあるタイプだから、やはり逆にこうしたものすごい厳密に物事を分析していくような一つの学派を立てられましたが、

それはもう一つ彼らの知性や能力だけではなく、やっぱり西側からのヨーロッパからの影響もあり、学風が伝わってきた可能性は大きいかと。

例えば明の時代に宮廷に出入りしたマテオ・リッチ(Matteo Ricci)というイタリア人、中国名で利瑪竇、マテオ・リッチはユークリッドの幾何学の《原論》、有名な幾何学の有名な本を中国語に翻訳していたり、

かなり、この明の終わりぐらいから、ヨーロッパの学問がかなり中国にも入ってきて、 そうした影響からこうした学問のスタイル自体も伝わったかと。

基本的に面白いことは、私はこれからずっと話していこうと思いますが、そこでも出てくることですが、

その文化とか、分野とか、その時代とか、地域とかにおいて、特有の言葉の使い方も、特有の文化も、習慣も、それぞれがありますが、

基本的に人間の発想とか考え方は、一つはすごくやはり、これ自体は、どの文化においても、分野においても、通底していまして、

こういった思考スタイルそのものは、容易に国境や宗教も関係ない、人種も関係ないということで伝わるんですね。

それは人間のやはり認知システムが、そうだからではないかと、私は思っていますが、これからちょっと話てゆきたいと思っていますが、

少し期待をさせてしまいましたということですね。私は今度はそういったことを見ていった時には、

更に遡ったこのScholaと丁度出てきてますけどれども、このσχολαστικός, scholasticusは、結局その西洋の中世の時代に修道院とか、まあその当時はもうカトリック教会が非常に強くて、西方社会ではですね。

もう、教会や修道院で行われた学問ですが、それでたまたまそうでしたけれども、それで普通の研究していこうというときには、皆こういった一つ一つの業績がどうだったか、何とかと細かいところに入っていきやすいですが、

私はそうした歴史を見るとかも、面白いことは本の論理構成とか、論理構造と言いますか、その人が、どのような所に興味を持ち、先ず始まってきて、そこからどんどん論を進めるんですね。

その本の書き方とか、本がどのように受け継がれたのかとか、そうした仕組み自体そのもの構造、私はそういった学問の構造自体に興味がいきまして、

もう細かいことをどんどん追求してゆけば、やはり時間が、もう一生の時間が限られ、もう知りたいことは沢山ありますが、時間が足りないですから、

私自身がこうしたことに興味を持っているのも、最後は自分自身とか、今皆さまにビデオを作り、KF-Scholaを始めたのは、皆さまとこれを共有すれば、すごく物事を探求する時には、有利かつ便利だということで、

自分自身や皆さんが何かを考えていくとき、探究していくときに、すごい何か役に立つことを知りたいということで、私は始めたんですね。

それで見ていったときには、ここに書いてありますが、治学方法はこれ学問を修める方法ですよね。

つまり、言ってみれば、このスコラ哲学とよく言いますが、中世のスコラ哲学、まあこれは先ほどσχολήから来て、この言葉と語根が一緒ですが、

キリスト教の(世界では、)中世の神学という分野がありまして、ラテン語theologyと言い、ギリシア語θεολογίαという分野のことばかり、直ぐに中世というと神学、哲学も神学と結びついてしまいますが、私はちょっとそこは一旦置いておきまして、これはどうしてかというとですね。

その彼らがそれを追求するときに、どういう方法を使ったのか、それに興味がありまして、別に私は神学とかそのものに対して、それはそれで一つ面白いですが、今お話ししたいわけではないです。

そうすると、もう簡単に言ってしまうと、彼らはこれと基本的に同じで、先ほど申し上げた清の時代の中国人たちの、資料を沢山集めて分析して、何かしらの論を構成して、意見を構成して、仮説を立てて、それでそれを論証すると、本当にこの同じシステムで(学問の探究を)していましたが、

それで特に彼らのところで特色があったものは、例えば、何かの一行の問題が出てきたとき、これは何でこうなのかと言った時には、それに関係する資料とドカーと、もうあちこちから、

昔の人たちが書いた本などから、全部引用してきて、先ずはその資料集を一つ作りますね。それでその中で先ほど申し上げたように、こちらではこういう意見を出している。こちらでは反対意見を出している。それではこれはどうなんだ、どちらがいいのか、どちらを取るんだとか言ったとき、

じゃあ、もっとその意見の内容を分析して、ああ私はこっちの方をAさんが言っている方がいいねと採用するとか、そうしたargūmentum、議論をするわけですね(arguō +‎ -mentum < *h₂érǵus < *h₂erǵ-「白」でヒッタイト語𒄯𒆠𒅖, ḫarkišやサンスクリットअर्जुन, árjuna、「明らか」「明るくする」から来ていまして、ラテン語dēclārō 「明白にする」や漢語「明白」など、明らかにすると白という概念は人類に共通なつながりを持ちます。)

そういう時に、だから言ってみれば、もう質問が頭の中でパーンて出てきた、これ何でこうなっているのかと、何でと言うのは、このクエスション(question)ですよね。

ラテン語quaestiō、questionが出て、ラテン語respōnsaは、回答、応答とか、レスポンス、結局これは答える、だから質問に対して答えるんですよ。

そうして、ものすごく大きく単純化して、そういうことを考えられ、

もうここはあまり、あれだった(直ぐに過ぎた)のは、もう本当に今、先ほど話したことと同じスタイルで考えていたからです。

そう言うともう一つ私が申し上げましたが、学問において、例えばその何かしらの問題が生じた時に、沢山の意見をじゃあ集めてくると言いましたね。

その意見を集めてくるとしたら、それではその意見はどのように集めてくるのかですよね。

何でまた結局何でどうしてですが、そう考えたら、私は興味を持ったことがありまして、これはまあよく書誌学的なとか、本に関係する学問ですけれども、結局は最終的に全ての学問は人間がいて初めて成り立つんですね。

皆よくもう議論などが先行していってしまうけれども、 最終的にはもう人間の活動に全部還元されると、全て行き着くということで考えてみますとね。

当時やはりエティエンヌ・ジルソン(Étienne Gilson)という人が、中世時代の哲学について歴史を書きましたが、その中で彼が言ってたことは、もうそれはやはりそうだと思うのは、彼は西洋の中世について、スコラ哲学の時代、スコラ学の時代、

中世と言うと今から、 まあ中世は外と長いんですが、色んな説はありますが、まあ、日本で言えば、奈良時代ぐらい、中国では唐ぐらいの時代、8-10世紀から、ヨーロッパ全体がキリスト教の修道院ができてある程度安定してきた、一つの社会秩序が出来てきた時にやっと学問ができて始まり、

そこから、大体中世の終わりは、これも難しいですが、私も頭の中で時代で区切るのは、あまり好きじゃないんですが、何故なら、物事もっとspectrum(連続体)といいますが、徐々に変わって、次の時代に行くんですよね。

いきなりバーンと変わるわけじゃないですが、まあ基本的には、近代の前で16世紀ぐらいということ、 まあそれでも少し行き過ぎかな、14-15世紀ぐらいかなということで。

だから、(中世は)結構長くて、数百年ありますが、その時代にされていたこと、基本的には当時は印刷がないですから、本は人の手で写されていまして、結局これは大変ですが、でもそれが一つを仕事として、皆修道院の中で図書室の中で筆写室と言いますけれども、

書写室(scriptorium)で書いていたんですよね。先ずだからその本を書いて複製することをしなければ、先ずはその知識も広がらないと。

だから、やはり文字はやはり一つのものすごい武器ですね。何故なら、文字がないと、遠くの人とか、昔のとか、時代的にも、距離的にも、地域的にも、そうした遠くに情報は伝わらないですから、すごい大事なことですね。

書写者(scriptor)、はラテン語だとscriptorですが、scriptは文字とか、そうした「ものを書く」という、もともと「ひっかく」という意味です(ラテン語scriptum < scrībō < 印欧祖語*(s)kreybʰ-でギリシア語σκάριφοςと同語源)。まあ、日本語の「かく」という言葉も、「ひっかく」、背中を掻くと、文字を書くと同じ言葉ですよね。もともと漢字は違いますが。

まあそういうことですが、面白いことにそうした言葉ですけれども。

先ずは文字を使ってそうした本などを作らなゃいけない。

その次、「匯編」は「編集する」という意味で英語でもそのまま同じで結局、英語読みすれば、匯編者(compilator)と言ったら、compileと英語でありますが、「編集する」という意味ですよね(ラテン語compīlō < con- +‎ pīlō < pīla +‎ -ō「固める」 < イタリック祖語 *peilāが語源)。

それでcompilatorと金毘羅さんみたいですけれどもね。ラテン語では(笑)

結局これは英語と全く同じですけれども、結局本が集まってきたら、それを管理しなければならないと、司書(librarian)みたいな図書管理をした人たちが本をきちんと系統だてて整理しまして、

次にはそういった本に対して注釈する。これは英語にもあり、コメンテーター(commentator)だから、コメント書く、結局これは昔は同じですが、

今と違うところは、今は何か新しい業績などを論文や著書をポンと書いて、自分の意見を書きますけれども。

昔の人の学問スタイルは面白いことに、中国でも西洋でも同じですが、不思議なことに一致して、もうユーラシア全土で一致してるんですけれども、

これはインドでも、あとはチベットでも、どこでも、ギリシャでもそうでした。イスラム世界、アラビア語、ペルシア語で書かれた学問その人たちも皆そうでしたが、ユーラシア大陸全部で日本もそうでしたが、

基本的に学問するとは、昔の人の例えばすごい業績がありまして、その業績を修正する形か、もしくはそこに付け加える形で、学問は進んできました。

基本的にいきなりある人がどんなに天才的な人間が出てきても、その土台となるそのバックボーンがなければ、学問はできないんですよね。

ということで、そうした註釈を書くとはすごい、今言ってみれば、コメントするとは、本の解説のように何かに対して批評するような認識ですが、そうではないと!かなり学問として、積極的な意味で自分の意見を表明する時には、必ず注釈の中で表明されていました。

それはすごい一個面白いことでして、まあ今、少し出ましたけれども、私がちょっとScholaだから、少しは逸れてもいいかなと、そのことについて考えたんですけれども(scholaもラテン語scholium、ギリシア語σχόλιον < σχολήから来ていて、学者scholarは註釈scholiumを書く人という意味でした)。

基本的に私が色んなこうした資料を沢山探求してゆこうとしたときには、沢山の先ず、先ほど、本に触れなきゃいけないと申し上げたけれども、

本は結局、文字で伝えられたと、遠くとか昔のアイデアが伝わって来ていまして、結局それは言語を文字で書いてありまして、その言語からすると、基本的私はこう思ったんですよね。

もう、かなり前ですけど、昔だから何十年以上前ですけど、もうもっとか20年近く前ですけど、やはり学問しようとしたときには、やはり言語ができないといけないんですよね。

それで今もそうですが、ある一つの自分の母国語しかできない人よりも、もう沢山言語ができた方が、間違いなく、情報収集能力が高まります。

日本語、英語をできれば、それだけで使ってる人たち、中国語もできれば、更にそれだけの情報にアクセスでき、それに触れることができますね。

しかも、違う言語であれば、違う文化であり、違う土地である、違う時代でありますから、ものすごい全く違う発想とか、それらも摂取でき、触れて自分の中に染み込ませられますから、

私はすごい先ず言語に興味持ちました、それで二つの意味で言語に興味を持ちました。先ほど申し上げたみたいに、ある言語のこの言葉はなどこから来てるのかと、どんどん古い言語に遡りますが、

そうした意味、その言語の構造自体に興味を持ち、言語、言語そのものが好きで興味を持ちましたけれども、

もう一つはその情報を収集する武器ですよね。もうすごい強烈な武器です!これでよく考えると、先ず日本語から行きますよ、東から行きますよ!

我々の今住んでいる日本の日本語は昔の大体漢字から万葉仮名ができ、その8世紀位から、それより少し前から、沢山の典籍、書籍がありますが、

それとあと中国語、漢語、これはもう文言文、今でいう日本で漢文とか、それらを読めれば、相当な長い時代の色んな意見を聞けましたり、

次はいくと漢語と近いのは、チベット語も古典言語と言いますね。まあ今でも使われている言葉でもありますけれども。

かなり古い時代からインドから文字を導入して、かなり残っていまして、特に仏教ので大乗仏教の典籍が、仏教哲学もいっぱい残っていまして、

あとはインドでサンスクリットとパーリ語ですね。サンスクリットはインドの古い時代からヴェーダ語の時代から、もう紀元前の2000年あたりから、もうかなり長い期間、最初は口伝でしたが、意外と文字は後からですが、

古い言葉が残されていて、サンスクリット語、もしくはサンスクリットは古い言葉でものすごい数の資料が残されていまして、

それとあとは上座部仏教と、インドでは仏教はお釈迦さまが生まれたのに消えてしまいましたが、その南の方に行きまして、

このスリランカとか、南インドの方から、スリランカとか、ミャンマーとか、タイとかまでバーっと広がりまして、

サンスクリット語から、プラークリットと言いますが、言葉がどんどん口語化され、更にパーリ語などの言葉になり、それらの言葉も大事でして、

次に言うとペルシャ語(やアヴェスタ語)とか、あとはアラビア語は中世のイスラム哲学、もうものすごい科学、イスラム科学、もう現代の科学のご先祖さまでしたり、

更にはギリシア語は、ギリシア哲学も大事ですし、あとはラテン語とか、それで近代のヨーロッパではかなり学術が進みましたから、例えばドイツ語とか、フランス語とか、英語とか、沢山お話してる人が多いスペイン語とか、あとはロシア語などもそうですけれども、

そうした大体言語ができれば、もう殆どユーラシア大陸で起きた色んなことは、ほぼもう抑えられると、つまり網に引っかかってくるということで、

私はかなり言語に興味があり、今挙げたような言語に興味を持ちましたが、そうして言語の方に行きましたが、結局、昔の人は註釈を書いて学問をして、

更に最後は著作者はもうそのままですよね。英語ですとauthorと言いますが、auctor、ラテン語agōは「行う」という意味ですから、もう遂に自分の考えで本を書いちゃうことですね(auctorの語源はagōではなく、augeō ‎+ -torで*h₂owg-éye-ti < *h₂ewg-「育てる」です。古典ギリシア語αὐξάνω、サンスクリットउक्षति, ukṣáti、アヴェスタ語uxšiieitī、ペルシア語 وخشیدن, vaxšīdan、ゴート語𐍅𐌰𐌷𐍃𐌾𐌰𐌽, wahsjan、ドイツ語wachsenと同語源)。

これからいくとどんどん創造性が高まってきますね。最初は本を書いて写して、それをコンパイルする集めてくる、纏める、次はコメントを書く、それに対して意見を表明する。最後は自分で意見をもう全部出すと、どんどん創造性が高まり、表明する人のアイディアが下に行くほど強くなります。

でも、このやはり最初のこれはやはり、面白いことに、最後著作者として名をはせた人もこういった 前の段階を経てきて、何故なら、学問をする時には、沢山の事を知らなければならない時には、本を昔の人は本を沢山書き写して、その中で読んでたんですよね。

これで今度はそれをまとめることができ、そうすると、その順番に即してどんどん創造性が高まる。これはすごいことを言ってると思うんですよ。

というのは、人間が例えば物事を考えて、意見を表明しようとするときには、当てずっぽうに何にも土台がない上ではできず、こういった昔の人の意見を聞いてから、どんどん自分の意見がはっきりしてくることですね。

一つの良いシステムとステップになりまして、 だからすごいそういう意味で面白いと思い、これは単なる中世はこうだったではなく、人間の基本的な発想とか、考え方の根本に即しています。

まあ、こうした役割は、自然にできてきたと思うんですよね。一番やはり自然に来てくることは、人間の考える思考に非常に沿っていると言えますね。

これで大体ここまで来ましたが、そういった中で少し話が変わりますが、

哲学とよくみんな言いますが、この「哲学」という言葉、よく哲学の中身を皆、考える仕事だと分かっていても、

意外と私の友人に質問すると、「哲学とは何か教えてくれ」と訊いても、はっきりした言葉で中々語れる人たちは少ないと思いまして、

私自身も例えば何かをしようというとき、自分がしていること人に分かりやすく説明することは、相当自分が分かっていなければできませんね。

それで私はその中で思ったのが、一番そういったもの、その根本的な発想と言いますか、概念ですよね。その概念を説明しようとした時にはですね。

一番良いのは、「哲学」という言葉は、西洋からやって来て、日本人が勝手に漢語で当てましたね。

先ず元の言葉で分析をします。しかも、英語でphylosophyと言いますが、イギリス人やアメリカ人にphylosophyについて説明してくれと言っても、

これがどういう言葉なのかと意外と皆、何か語感とか、その言葉の何か聴いた感じなどで、ああ哲学はこんなものかとアバウトに思っているけれども、

本当の意味でじゃあこれを分かるためには、もっともっと分析しなくてはならなくて、こういうことですよね。

ギリシャ語でこの言葉(φιλοσοφία)を見ると、このφιλοの部分とσοφίαからなりまして、このφίλοςは「友愛」とか、「友達」のような「親近感がわく」ような愛し方ですよね。それでこの言葉は印欧祖語、先ほどありましたが、もっと古い時代では*bʰil-o-sでしたが、大体、友達などに対する「親しみ」という意味でした。

「愛する」と言っても。更にギリシア語σοφόςは何かと言えば、「知恵」などの意味ですよね。だから、結局、印欧祖語(*seh₁p-)に遡りますが、ラテン語sapio。homo sapiens、我々人間、知性とか、そうした人間の思考、「知性」などの意味、今申し上げたようなことが、核となる言葉ですね。

結局これは知識とか、知恵とかを「愛すること」だと、それに対して非常に親密感を持った言葉でPhilosophia, φιλοσοφίαの本当の意味ですね。

それで考えてみますと、ここにギリシア語で書いてありますが、これ「εὖ μάλα πολλῶν ἵστορας φιλοσόφους ἄνδρας εἶναι.」は、ヘラクレイトスという、アリストテレスより、更に前の今から2500年、2600年ほど前の中国で言うと丁度、諸子百家が出た戦国時代から、2600年くらい前。

そのぐらいギリシアのエフェソスという町、ギリシアのペロポネソス半島にいた哲学者ですけれども、彼が言うには、ここにφιλοσόφουςと書いてありますが、この言葉はある意味「哲学」と言わず、要するにこうなんですよ。

言葉とは、最初は「知を愛する」という意味で φιλοσοφίαと名前を付けましたが、最後に権威化されていき、一つの専門用語みたいになりますね。

だから、本当の核となる考え方を知りたい時には、どんどん歴史を遡って起源にまで行くといいわけです。

だから、彼らはヘラクレイトスなどは、後でちょっと見ていきましたが、彼らは本当に哲学を最初始めた人たちは、こうした「知を愛する人間」は、色んな事に対して興味を持ち、もうありとあらゆる事を探求していかなきゃいけない」とギリシア語で書いてありますが、

そういう意味だから、結局そのφιλοσόφουςとφιλοσοφίαと哲学と探求はセットなんですよ!

だから、何でかと言えば、色んなことを知りたくて、知と言いますが、更にもっと起源から言うとね。「知る」という認知活動ですが、人間が何かを新たに知識を得るとは、認知活動です。

それに対して快感を覚えてる人たちですよね。探究が好きだったんです。結局。ですから、そうした意味で哲学とは結局、探究と関係してきていることが分かってきたと思います。

それで私は一つ面白いことを思いまして、例えば「科学」という言葉がありますね。Scientia、このScienceという言葉は、元々ラテン語のscere、scioとは「私が知る」、しかも「私が味わう」とか、そういう意味があります。scioという言葉は「認知する」ということですね。

人間が、例えば五感で舌で味を感じる、目で何かを見る、耳で何かを聞く、そうした何かしら「外から情報を得る」という意味ですね。これはscio、この言葉を更に遡ると*skey-という言葉は「分割する」という意味ですよ。

それでこれはどういう意味かと、昔の人たちは、ものを知るとは、何かしらのある部分を切り出して、そこをパッと認識する意味でした。それでこの言葉は、secoはラテン語で区切るという意味ですよね。英語でも今でもセクション(section)という言葉があり、「区切られた」という意味ですね。ですから、セグメント(segment)も区切られた領域、区域という意味ですね。

だから、語根*sek-は区切るという意味で区切るとは結局、認知するという意味ですよね。これは面白いことで仏教哲学でもそうでした。何かしらを認知するとは、結局その全体性の中から、どこかを切り出してくる意味だと、

人間が何かを知るとといえば 、A はA、AとBとCとDとEと色々ぐちゃぐちゃにあったとき、Aだけをパッと見たとは、そこだけを区切っているという考え方ですね。人間が認知するとは、こういう言葉から来ていることですね。

そのサイエンスは面白いことに味わうということ、哲学のフィロソフィアは、結局、何て言うんですか、知を愛してるということ。非常にこれは人間らしい所が来ていると分かってきたと思うんですよね。

そこで私は考えたんです。結局この最終的には、哲学と科学は、基本的に自然哲学という、哲学とは、ものすごいφιλοσοφός(知を愛する)から。

もう知に関係するものは、全部興味があったんですよ。どんなことも、もう全てのことに関して、ものすごい汎用性の高い言葉でしたが、そのうち自然の仕組みはどうなのかに興味を持った一派が科学になっていきまして、

そうした眼で見ていったときにちょっと面白いことがありまして、ちょっと見てみたいと思うんですよね。ものすごい圧縮度合いでギリシアから、現代物理学までちょっと見たいと思うんですね。

それは何を目論んでるかというと、最初にちょっとポイントを、皆さまと共有しておきたいと思うんですよね。こうしたことを言いたいわけです。私は今からこうしたパンパンパンパンといきますけれども、

その中で最初に始まってから、そうした学問が形成されてどんどん現在まで来ていると、そのどこで何が起きて大きな意味ですね。

もう少しずつ現代に近づいてくるのかと、そうしたことをちょっと見てみたいなと思いますということでして、一ついくんですけれども。

元々だから、先ほど申し上げたここ(Schola)にまた戻ってきますが、σχολήと暇な時間に哲学を始めた人たちは、誰だったんだと言いますと、

タレス(Θαλῆς, Thales)ですよね。これはミレトスといって、まあギリシアとあとトルコの方にはね。当時はエーゲ海の方はかなり温かく、それで皆なかなか暇な時間に日光浴しながら広場に集まってきてお話したことから、

タレスという人は面白いことにこのエジプトとか、バビロニアとか、当時、ギリシア人は、意外と今からすると、ものすごい哲学とかで先進的な人だと思われていますが、ローマ人よりも更に前でしたし、しかし、タレス自身がフェニキア人だったという説がありまして、

フェニキア人というのは、結局地中海をあっちこっち全体的にあとは、こんな話もあり、エジプトの王から命令されて、アフリカのほぼ全部を一周して、四年くらいかかってきてから戻ってきたとか、

かなり海洋民族であちらこちらで通商してたんですよ。商売をやっていて、タレスもあちらこちらエジプトに行ったり、バビロニア、メソポタミア文明の更に昔からあった所に行った時に、そうした知識を得て、

彼は思ったんですけれども。でも、元々エジプトやバビロニア人たちは、ずっと文明があったけれども、彼らは例えば幾何学などをしたとしても、

これギリシャ語でγεωμετρία、英語でgeometryと言いますけれども、ギリシア語でこれ「土地」(γεω- < γαῖα < γῆ < *δᾶ)を「測る」(-μετρία < μετρία < μέτρον < 印欧祖語*meh₁- + -trom)という意味ですが、

geo, γεωは「土地」ですから、geologyと言ったら地学、geographyと言ったら地図、そういう地誌などですね。metrios, μέτριοςは「測る」だから、我々が使うメートルのメートルもそうで「測る」という意味ですから、

結局「土地を測る」、幾何学(γεωμετρία)はそういうことだった。でも、それが学問になり、幾何学と学問になった!

それは大きく違うところが、ギリシャ人たちは、結局そういった知識を、今度は何でに興味がいき、それでみんなギリシャ人たちが色んな人たちが、このタレスが初めて、その「何で」に切り込んだと口を揃えて言います。

だから、最初にアリストテレスに至っては、タレスという人間が最初に出てきたときに言ってみれば、普通だったら何と言いますか、

ある知識があったら、それを沢山得て賢人になるみたいな、賢いみたいな(ことが言われていますが)、それともう一つは他の人たちは結構、ギリシアの七賢人と言って色んな説がありますが、

他の人たちはみんな政治などで独裁者みたいな人(僭主)で実利的なものに興味ありましたが、タレス一人だけは、

こういった「何で」を突き詰めたと言うので、ものすごい賢い人間だったと後の人たち、アリストテレスなども言ってるんですよね。

だから、本当に哲学が始まった所では、Why !?から始まっていると。しかもその「何で」という、プラトンとか、アリストテレスが言うには、

哲学とは、結局、その探究をして、その快感ですよね。楽しいと、ギリシア語θαυμάζεινと言ってましたけれども、驚き、驚嘆!その何かの組みを知った時とかの快感!それをものすごい得た人たちということ、

それがないと、結局そういうものに向かないですよね。その快感、そういうこと、それはすごい大事にされているんですよね。

先ほど申し上げたヘラクレイトス(Ἡράκλειτος, Heraclitus,)、最初にそのことを始めると(タレスの)弟子にもアナクシマンドロス(Ἀναξίμανδρος, Anaximander)など、沢山いますけれども、

そこから始まり、ギリシア世界の植民都市はイタリアのエトナとか、南のシチリアとか、地中海全体にギリシア人が住んでいた所にパーッと広がり、

そこで色んなところで学問活動(探究)が始まりましたね。だから、私はここに「創始」と書いたんですね!創って始めたということ。

最初はだからそうした本当に個人の興味とか、そこから最初のインパルス、ポンと押されたんですよね。

最初の刺激が与えられ、そこから始まっていき、どんどん色んな哲学者が、もう、あちらこちらでいっぱい出てきまして、そうするとある程度経っていくと、当時はアテネがやっぱり学問都市ですごい人が集まったし、お金も集まるし、そうすると学問をやる余裕が出てきて、学問をするところを作ったわけですね。

プラトン(Πλάτων, Plato)やアリストテレス(Ἀριστοτέλης, Aristoteles)が、元々師弟関係でしたけれども、

それで今でいうアカデメイア(Ἀκαδημεια)とリュケイオン(Λύκειον)という所を作り、活動していましたけれども。それが今でいうアカデミー(Academy)とかの語源ですが。あとはフランス語でリセ(lycée)とそれは中学校(高校の言い間違い)とかいう意味ですが、リュケイオン(Λύκειον)から来ています。

彼らが始めた学園の名前から取っていて、皆、本当にそれが基礎になっていまして、西洋人も皆、私達の最初の元祖だと認めてるわけです。

それで彼らが初めて、そうするとかなり知識が溜まってくると、この間に吹っ飛んでいますが、この間には沢山なんと言いますかね。言論に長けたような、言ってみれば、遊説家(ゆうぜいか)が色んな説をこうなんだ。ああなんだという色んな人(ソフィストたち)が沢山出てきまして、そういうのをまとめて行った時にある所で、

このアリストテレスは沢山の知識を今度は体系化させ、一つの(体系にして、)最初の人たちは本当にシンプルとアリストテレスも書いていますが、

シンプルな興味で万物は何からできてるのかなど、しかもその答えが、水だとか、火だとか、ものすごく簡単なシンプルな所から始まっていますが、色んな人が色んな説を言い出してくるとですね。

今度はこの説と説の間の関係はどうなっているのかとか、そういった体系化をされてゆき、ある程度の知識がまとまってきて、彼らはそういうことをしまして、 自分たち考えるネタにしたり、まあ考えて考えていく資料として、もうちょっと真面目な言い方をすれば。ネタといったら、あれですね。

資料として、考えたりしていたのですが、それを見ると、一つの哲学という土台が築かれたという、

今度はそういった形で知識がまとめられて、アリストテレスの著作など、プラトンも家にありますけれども、全集として残ってる彼らの著作を見れば、非常に系統だった、あるその問題に関しての先人たちに意見が整理され、かつその中から自分の意見を表明して、一つのすごい学術著作として、

個人の思いつきじゃなくて、その論証も大事で、あとで少し見ていきますけど、そういうとも大事にされたりしてきてるし、

そこから次に行くと、更にユークリッド(Εὐκλείδης , Euclides)とか、例えば、アルキメデス(Ἀρχιμήδης, Archimedes)とか、そうした人たちは、そうしたものを、ユークリッドの方は、更に高度に知識をもっと簡単な原理から、今まで皆さんが見つけてきた、色んなアイデアを説明したいという、

更に抽象的に構造を持たせたい組織化(systemize)、システム(ギリシア語「共に立つ」σύστημα)にしていくんです。それで今度アルキメデスの方は、今度はそれを色んな知識を今度は実用的に使ったりして、色々と応用していくとか、そういった方に行くんですね。

だから、私はここで「構建」と書いたのは、哲学の仕組みをパラダイム(ギリシア語で様式παράδειγμα)と言いますが、一つその哲学という考え方をまとめて、それでさらにそれを組織化していくということですよね。

それで今度はそれに対して、これは日付が書いていないですが、大体この人はもう結構(時間が)飛んでいまして、この間は、ギリシアからローマに覇権が渡り、ローマ人は意外とあまり(思弁的な)哲学を重視するより、土木など直ぐに使える(実利的な)知識などをすごい大事にしていて、

それと後はストア派とか別のこれに今出てくる人たちは、ものすごい抽象的な思考を極めてた人間たちでして、更に哲学でも違う派の方を、ストア派(のキケロ、セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス)など、どちらかというと、道徳、人間の道徳津はどうなのかとか、そういった方の研究に行ったから、少し飛んじゃってるんですよ。

言ってみれば、もうここまで来れば、相当色んな分野に関して思考でき、

そうすると次に対してとか、シンプレキウス(Σιμπλίκιος, Simplicius)とか、ピロポノス(Φιλόπονος , Philoponus)とか、もうヘレニズムの時代もそれも終わりの方になり、紀元後ですが、ここからここまですごい飛んでいます。1000年は飛んでいないけれど、800年ぐらいは飛んでいるかな。

それでも、その間もずっときちんとプラトンやアリストテレスの学園、リュケイオンやアカデメイアも、ずっときちんと師弟関係で続いて、彼らの著作も、ずっと伝わり続けてはきているんですけれども。

そこで大きくドラスティックに変わってくるのは、今度はこのピロポノスという人は、アリストテレスの著作に対して、自分で実際に物が落ちる、落体の実験など、実験をして、ほら、アリストテレスが言うのは、ちょっと違うとか、そうしたツッコミを入れ、註釈(Scholia)の中で書いていたり、

このシンプレキオスは、更にギリシア哲学の色んな知識をもっとそれから色んな発展したことを詰め込んだり、あと色んなもっと書いてある内容を膨らませたりする方向でいった人(註釈者 scholiasta)ですけれども。

まあ、そういった形で註釈をしてゆく(σχόλιον)ということ、そうするとここでまた、今度はイスラム科学の時代になりますが、ここもちゃんとギリシアから(シリアやペルシアを経て)ちゃんと伝わっていまして、

この時代には何が起きたかというとですね。やはり、イスラム(王朝)がどんどん勢力を広げていき、ウマイヤ朝とか、その後のアッバース朝ですごい、中近東の世界全体がパーンと大きな帝国ができて強くなったとき、バグダットとか、そこ(「知恵の館」)で学問をやっていこうと、全てギリシアの知識とか、またインドの方の本を全部アラビア語に訳させたんですよね。

それで今度アラビアの方に知識が移入されていき、その中では、ここで続いていたこの人たちは、ペルシアにも行き、ギリシアの地中海世界から強い場所が変わってくるんですね。気候変動なのか、もしくは政治的な勢力図なのか、理由は色々ありますが、まあ、今回の探求とはあれだから、少ししか言わないですが、それまで入ると、もうどんどん話が膨らみ過ぎますから。

まあ、そう言ったところにしておき、それもすごい面白くて、私も興味を持っていますが、そういった意味でどんどん中心地が変わってはいますが、

でも、きちんとこの思考の仕方は継いでいて、アルハゼン、アル=ハイサム(الهيثم, Alhazenus)という人は、ものすごい大事でして、私が考えてるのは、近代科学が実証科学とここに書いてありますね。

漢字で「実証」とこの前のこの人たちは、まあ、そうしてなかったわけでもないし、このピロポノスという人は、実験もしていたけれども。

基本的には思弁的と言いますが、「思弁」頭で考えて色々哲学やっていて、言ってみれば、万物は何かって言った時でも、うん、こうなんじゃないの、ああなんじゃないのと、頭の中でそのイメージして、今で言えば、思考実験と言いますが、それで色々と物事を考えていたけれども。

違うと、実際に実験をして、アル=ハイサムという人は、 光学、光、opticsと英語で言いますが、光、その分野を実験しまして、色々レンズとか、そういったものを組み合わせて、それで実証するということですね。

彼が書いた本(光学の書 كتاب المناظر‎, De Aspectibus / Perspectiva)はものすごい、その後にも、もうニュートンも読んでいたぐらいだから(、影響を与えました)。そこまでニュートンは後で出てきますが、ここはすごいことに、彼が書いた本は6, 700年ぐらい(生き延びたほど)、きちんともうすごい実験をしてね。きちんと近代科学の最初の一手を打った人なんですよ。

それでアル=ビールーニー(البيروني, Alberonius)という人はまた面白い人でして、サンスクリットもでき、インドの方にも興味あり 、彼は色んなことに通じ、先ほどpolymathと言いましたけれどもね。ものすごい学識でした!

それでこの当時のそのイスラム科学者は結局で文字を書くことができた人達は、ものすごいやはり知性的な人間だったから、ものすごい色んな分野に関しても興味があったんですよね。それで今の人から言えば、当時は専門分野がと言っても、専門性が低かったから、一人の人間が色んなことを極めることできたなんて言われていますが、

当時でも、ものすごい知識が沢山あり、彼らが書いたものを見たら、ちょっと超人的ですよね。一人の人間がこんなに探究できるのかと言うぐらい、すごいですよ!やはり、ものすごい分野においてですから、そうした意味で、

アル=ビールーニーはこうした博学的な、言ってみれば、これはやはりの先ほどに申し上げた資料を徹底的に沢山めちゃくちゃ色んなところで集めまくり、それを分析してゆく気風を作って、まあ、基本的にアリストテレスもそういう所があるんですけども、

でも、この時代はやはり当時イスラム世界が、ものすごい商業とか、商売も上手かったし、ものすごい豊かだったから、そういうことができたんですよね。本などももうすごかったみたいですよ。やはり豊かだったということで、こうした文化が(発展しました。)

アル=ハイサムはマルムーク朝(ファーティマ朝のいい間違え)のエジプト(のアレクサンドリア)でこの人(アル=ビールーニー)はペルシアとか、もともとインドに近い方とか、バグダットとか、ダマスカスなど、今の(イラクと)シリアですかね。あの辺りも学問都市として、すごかったんですけども、(非常に広い範囲が繋がったことも大きな利となりました。)

これで今度はイブン=スィーナー(ابن سينا, Avicenna)が出てきますが、アヴィセンナとこのくらいまできますと、彼は医者でしたが、もう哲学も色んなものを徹底的に組織化して大成していくと、知識を体系化して、

もう百科字書的なこの本を読めば、もう全部分かるというほど、きちんとした業績を打ち立てたと。しかも、彼が書いた本で面白いのは、《治癒の書(کتاب الشفاء‎, Kitāb al-Shifāʾ / Sufficientia)を書きましたが、それはどういう意味かと、知恵とかを渇望する人間がそれを読むともう癒されるとか、

かなり彼もものすごいやはり、知に対する愛着、フィロソフォス(哲学者 φιλόσοφος, فَيْلَسُوف, faylasūf, philosophus)だったということ。相当探求まで愛してたことが分かるんですよね。本のタイトルの付け方からしても。

それでこのイブン=ルシュド(ابن رشد, Averroes)、ラテン語ではアヴェロエス。イブン=ルシュド、この人はもうすごいんです!

コルドバとか今のスペイン(のアンダルシア)までイスラムの勢力がありましたから、当時は西から東までイスラム世界は相当な範囲でしたから、

それで彼はアリストテレスの注釈を全部書いてやると言いまして、ものすごい数の注釈と著作を残したんですね。

それでこれなどは、ここのところでイスラムから、中世のヨーロッパに行きまして、名前を見れば分かると思うんですよ。ここでは今なにが起きたのかと12世紀ぐらいで何が起きたかというとですね。

例えば、先ほど申し上げたみたいにイブン=ルシュドとか、アヴェンパケと(ラテン語で)言いますけど、イブン=バーッジャ(بن باجة, Avempace)、彼らはアンダルシアの方で哲学をしましたが、もう西洋の近いところまで、きていたわけですから、

西洋人たちがスペインの南ぐらいに行けば、そうしたイスラムの科学を学べることに気付いたんですよね。

そこで、アラブの世界とその西洋の世界の境界点、私すごい興味持ってるのは、探求していくと最高なのはある文化とある文化との間で、どのようにトランスミット(transmit)、知識とか、知恵とか、思考とか、思想とかが移されたかが面白くて、

それで特にここ面白いのが、もうイスラム教徒たちから、キリスト教徒たちへ、何がトランスミット(transmit)されたのか、移されたか、それがものすごく面白くて、これを見てみますと、

このところは丁度12世紀には辺境の地帯でも、そのシチリアはすごくて、ユダヤ人とキリスト教とイスラム教徒が同居して一緒にいまして、

それで中近東ではギリシア(特にビザンツ帝国)もそうでして、アンダルシア、スペイン、そこで何が起きたかというと、ものすごい数のアラビア語で書かれた著作、その前のギリシャ語で書かれたものも、アラビア語に移され、更にアラビア語から移されて、ラテン語に行くんですけれども。

そのすごい数の著作がドカンと西洋の12世紀に衝撃的に入ってきて、大体「12世紀ルネサンス」と最近言うんですよ。

中世は結局暗黒時代と言われていますが、とんでもない、中世ほど面白い時代はなかったですから、我々の近代科学の元祖、その人たちは、もう皆、イスラムの方から学んだんです。結局それはイスラムから、更にはギリシア、直接ギリシア語から訳されたものもありまして、

もう一つは、当時ビザンティン帝国が少し弱くなってきていたから、 西側の人の方に学者が亡命してきたりとか接触がありまして、ギリシアとアラビアの東から衝撃的な学問が押し寄せてきたということですね。

そこで西洋に入ってアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus)とか、このウイリアム・オッカム(William of Ockham) 、オッカムは有名な哲学者でした。こういう人たちは結局全てほぼアラビア人たちが書いたアラビア語で。ところでここには問題があるんですよね。

今アラビア語で書かれたアラビア科学とか、アラビア哲学とか、イスラム哲学とか、イスラム科学とか言いますが、結局この中で起きてきたこと、実はイスラム哲学とか、イスラム科学の中ではすごく面白いことは、

当時のイスラム世界では、キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、イスラム教徒もいて、皆自由にやっていたんですよ。

特にそれでその中で皆、医者などは不思議なことにネストリウス派のキリスト教徒教徒(フナイン・イブン=イスハーク(حنين بن إسحاق, Johannitius)など)が多くて、その人たちがギリシア語もでき、アラビア語に訳して、あとはシリア人が、このまあ少し時代が戻りますが、8世紀ぐらいの時に大量にギリシアからイスラムの方に入ってきた時は、

もうシリア人たちが、ものすごい翻訳をしたりして、彼らはギリシャ語もできて、その間のところにいた人たちは、シリア語は結局セム語だから、アラビア語に近い言葉でした!

だから、お互いの中継地点にいた人たちは、その両方の言葉を自由に使えた人たちでトランスミット(transmit)していたんですね。

イスラム科学と言いますが、イスラム教徒だけでない、非常に当時そこの世界に、一番いいのは「イスラム世界の科学(哲学)」が一番良い呼び方ですね。まあ、政権的にはそうだったから。 政治的にはということです。

キリスト教の時代のところで、例えばユダヤ人が肩身を狭い思いをしていたより、こちら(イスラム世界)の方が、他の宗教に寛容だったんですよね。だから、学問的にも発展したということでして、

それでそこから今度はキリスト教の世界に入るわけですね。12世紀か、13世紀ですけども、彼らは今度は論理学(logica)などを徹底的にしたり、

あとは有名なのは、ウィリアム・オッカムで有名なのは、 あれです。オッカムの剃刀(Occam's razor)と言いますが、剃刀で物事を思考をできる限り突き詰めて、短い言葉でああだこうだ、ああだこうだ、学問をやるときには、修飾語とかは職後とかは必要ないということ。

彼が言ったことはすごい面白いことで少し調べてみたら、「オッカムの剃刀」は、彼が言った言葉じゃないと。まあ、彼はそうした論理思考、そうした思考スタイルが好きでしたが、違うと言われていますが、色々彼の著作を沢山調べましたら、やはりペトルス・ロンバルドゥス(Petrus Lombardus)という人、哲学者がいたんですよね。

その人の本に書いた註釈の中で「必要以上のものを定立してものを考えるべきでない」と書いてあるから(Quaestiones et decisiones in quattuor libros Sententiarum Petri Lombardi i, Distinctio 27, Quaestio 2 « Numquam ponenda est pluralitas sine necessitate. »)。 やはり、OKじゃないかな。オッカムはOKということで(笑)彼はやはり、その言葉を言ったらしいんですね。

それでドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus)という人が、Scotusはスコットランドの人という意味でスコットランドの人のデュンス(Dunsはスコットランドの地名で現在のBerwickshire)さんがよく紹介してはっきり書いていました( Commentaria oxoniensia i, Distinctio 3, Quaestio 6, Scholium 5 « Pluralitas non est ponenda, nisi ubi est necessitas. »)。

やはりウィリアム・オブ・オッカムは、やはり彼はやってましたと(Summa Totius Logicae i. 12 « Frustra fit per plura quod potest fieri per pauciora. »)!

それで出来る限り物事をシンプライズ(単純化するsimplize)ことは、すごい大事なことなんですよ。単なるオッカムの剃刀(Occam's razor)だと、思考をスッキリさせて物事を書くということではなく、

それ以上に当時は言葉よりも、言葉に対しても意味(semantica)ですよね。もうものすごい大事だと思ったわけですよ。

一個一個の言葉を徹底的に分析して、大体この人たちの哲学者たちの思考スタイルは、徹底的に先人たちの言葉を分析するんです。先ほど私が言ったみたいに、一つの言葉をものすごい細かく分析して、もう切り刻んでですね。

そうして、一つ一つの細かい最小要素にまで切り刻み、本当の意味を理解したいという学問スタイルでしたから、その言葉はものすごい大事でして、

言葉を沢山書くべきじゃない、色んなことを定立するべきでない、概念を定立するべきではないとは、一つモデル化(modelize)ということですよね。

物事を考えた時に、ああだこうだではなく、そのモデル、仕組みがどうななのか、もっとシンプルに物事を見ていくという。

これ物理学などでも、すごい中核的な言葉(アイディア)でして、ものが動くときだって、何が動いたとして、リンゴが動こうが、落ちてこようが、消しゴムが落ちてこようが、ダンベルが落ちてきてもいいわけですよ。鉄の塊だっていいし、何が落ちてこようがいいんです。

それは何が落ちてくるかではなく、質量があるものが落ちてくることを分析するわけですね。そういう意味で結局モデル化をするわけですね。

それでその中で共通するものは、質量がある、重さがあると、ものが落ちるということで、そうした物事の単純化というか、そうした起源というか、そのご先祖様であると考えられて、

トーマス・ブラッドワーディン(Thomas Bradwardine)という人は、オックスフォードのマートン・カレッジ(Merton College, Oxford)、これもとんでもない人たちでして、オックスフォード大学の計算家(Oxford caluculators)という、オックスフォードの計算ばかりしている人たちと、

何やったかというと、14世紀くらいにもう何でもかんでも数値化して、ものを考えてやっていくんだというようなことでして、

そういう発想になった人もいて、当時は結構色んなぶっとんだアイディアが沢山あり、その中で彼らはマートン規則(Merton rule)といい、物理学における運動の基本的な法則を見つけて、これはなかなか面白いんですよね。

そういった意味で私は「拡張」と書いたんですね。応用、拡張。結局そのアイディアを定性化から定量化したわけです。 定量化の「量」とは、quantitasとラテン語で言いますが、ものの量に彼らは興味を持ちました!

何でもかんでも、量で測る。今でも、何でもかんでも、数値化したがる人がいますよね。それみたいに、何でもやっちゃったと。そういう人たちが、中世にはもういて、なかなかぶっ飛んだ人もいました。

それでジャン・ビュリダン(Jean Buridan)という人は、結局まあ今私ねもう当時の物理学者はもうすごい数いるから、ああ物理学者というか、哲学者はものすごい数いるから、物理学に関係するところ、私ちょっと物理学にちょっと興味あったものですから、物理学に関係する人だけを少し挙げてきて、特に私は物理学に今興味を持ってやってることは、

物理学は一番やはりものすごい原理的なんです。原理的(principalis)、何故なら、社会科学は、結構色んなパラメーターがある中で、物事が動いて、人間の色んなこともあり、もうあっちこっちでちょっとしたことが動いても違う結果になり、歴史も社会もそうですけれども、

物理学はすごいシビアですよね。どうしてシビアかというと、物事をそうして仮説を立て、論証しますが、それが自然に合ってなければ、どんなに権威のある人間が建てた議論でも、自然をきちんと説明できなければ駄目だと、

だから、人間側には要するに決定権がない。自然を研究しますから、物理学はシビアです。だから、一番人間は挑んでいく、一生懸命それを理解したいから頑張りますから、一番物理学が強いと。

まあ、科学は大体そうですけれども、自然科学はみんなそうですが、一番シビアです。

社会科学はやがり、自然科学から後の時代に出てきますが、この時代(古代や中世)にも、やはり同じ人が社会的なことも考えていまして、

だけど、やはり物理学と論理学はやはりシビアということで、そこを見ていくんです。彼らは論理学もよくやってましたけれども、

それでジャン・ビュリダンは、インペトゥス(impetus)という議論を考え、それは最終的には要する物が動くときには、そこに何かパーンと注入され、それで動かされてるという考え方をして、その最終的には運動量とか、エネルギーとか、そういう発想に行く、そのもっと前の(原形ですが、)まあその発想自体は、更に前のアラビア人たちが考えたもの(مَيْل, mayl)を受けているんです。

だから、こういう拡張と、前にやってきた人たちのもっともっと色々と思考を深めたから、この時代にはものすごい数の物理学者、哲学者がいて、もうね百花繚乱でした。

だけれども、こういう人たち挙げてきましたけど、一つそこから出て来るところで、近代的になっていくと、その間に何が起きたかと言うと、ルネサンスが起きて、そうすると沢山の実験道具を作れるようになったんですね。

実際それで測定する機械とかが、作れるようになった社会的な背景もあり、これまではもうやはり相当思弁的でしたところから、まあ、アル=ハイサムは光学はレンズなどを組み合わせて、結構それはアラビアの世界では、イスラムの世界では、ものすごいやはり工業、ものを作る手工業などが発達したから、それらを手に入れてきて実験できましたが、

最終的にこういう時代は、やはり、思弁的にする方が、やはり優勢でしたが、そこから実験などをして物事を決めていこうとか、

それとあとは天文観測などをして、それはイスラムの人たちも、相当やることをやりまして、ギリシア人たちもしてきた天文学ですが、そのまた更にあちこちから集めてきたものを、更に圧縮してゆこうという形になって、

ニュートン(Isaac Newton)が書いた本ちょっと後でチラッと見ますが、この後でちょっと話したいですが、結局ニュートンはこのユークリッドなどが、幾何学でした仕組み、本の書き方ですよね。

原理を設定して、定義をして、そこから全部のことを小さい少ない数の原理から全部それを組み合わせて思考して、全部を説明しようとするスタイル、考え方をしましたが、

それでかつそのアラビア人たちがした、色んな結果や中世のヨーロッパ人たちがした、色んなアイディアの中から選択して、このアイデアはいけるな。これはちょっとぶっ飛んでいるなとですね。

じゃあ、それを何で選択していたかというと、実際に実験をしてそれを説明できるか、重視して初めて体系立てで行きまして、

それでライプニッツ(Gottfried Leibniz)は、更にすごいのは、天文学の知識がずっとギリシアからありました、バビロニアも、その前から。タレスの前から話しましたね。エジプトやバビロニアの時代から、幾何学も土地を測量する意味で、天文学も色んな暦なども作りました。それでイスラムやギリシアの人たちも、数学もあり、昔からこの人たちもしていました。

それとあとは物体の運動とか、自然哲学とか、その全部の事を統一してちょっと考えてみようと、それ全部に共通するることは、ものが動くことかということですね。

簡単に言えば、じゃあ天文学は天体が動くし、これで幾何学的に彼らは証明したし、それで数学的に流率法(De Methodis Serierum et Fluxionum)と彼らは言いましたが、微分方程式(differentialis)や積分形式(calculus)。

彼らは積分形式で最初は書きまして、それでそうした数学で全てのエッセンス、いいところを取って、上手く武器として自分の学問体系をなしたと、

それでライプニッツも二人とも、そした大陸とこちらはドイツ人とイギリス人としまして、

それでそこから、今度そういった形で学問の物理学としての形式が整いましたら、今度は当時まあ少し専門な話になりますから、あれですけれども、

ニュートン何かやったのは、かなり幾何学的な面積を求めるなどの方法で証明していたものをですね。もっと方程式を美しくしてゆこうと書き換えちゃうんですよね。全部もっとラグランジアン(Lagrangian)という、普遍的な量(や座標)を基に数学的に書き換えちゃいまして、

そのマックスウェル(James Clerk Maxwell)も、そうですが、彼は今度は電磁気学で当時めちゃくちゃな数のファラデの法則とか、アンペールの法則とか、もういっぱい、オームの法則とか、(ガウスの法則とか、)あとはエルステッドなどがした色んな実験の結果が、大量に結果が出てきて困っちゃったということで、

それを数学的に結局それをニュートンがやったことと同じように発想としては、更に遡ればこのユークリッドがしたように、もう本当に少ない数の方程式だけで、全てを説明できるように頑張ろうという仕組みで(マクスウェル方程式などからゲージ場理論を)なしたわけですよね。

これで最終的にはこれで「定量」と書きましたね。それで数学的に美しい形にフォルムを整えた。

最後「芸術」と書いてあるのは、何だと物理学の話してきたのに何だと怒られちゃうかもしれませんけども。

結局、アインシュタイン Albert Einstein とか、ディラック Paul Dirac とか、(ウィッテン Edward Witten とか)は、最後はもっともっと抽象化していきまして、最後は物理学とは、物質とか物とかが動いてることを全部方程式に書くんです。方程式とは結局こういうある量から、このある量と比例関係にありますという、プロポーション(proportion)、関係を方程式で表す。

言ってみれば、質量がこれだけあれば、あの速度はこうなりますよとか(ニュートンの運動方程式)、その比例関係で物事を書いてきましたが、その方程式をもう最終的には美しくしゃおうと、ものすごい抽象的な(数学の)世界で美を求めたということで。段々とこう来てくると。

面白いことにガーッとずっとしゃべり続けましたけれども。最初に始まったのは、だから本当にシンプルな問いから始まり、段々とこういった色んな手法を人間が手に出てくることから、どんどん抽象的な方向にも進んでゆき、

それでかつ、それがもっと少ない原理で全て説明したいという方向に行ってると分かるんですけれども、

じゃあ、何でこうなったのかということ、もう簡単にスパンと、これだけで、もうタレスの時代は、紀元前500(年頃)とすると、2500年前から現代まで、スパンとものすごい速度でしたが、そうした形で当時一番強烈に思考を発揮した人たちの名前を出してきて、更に好きな人が沢山いますが、

まあこんな感じでしたが、じゃあこの人たちがその色々な発想に至ったとき、ここに書いてある人たちは、もう天才的な人たちですよ!今から言っても、もう何でこんなことを思いついたんだというくらいスゴイ人たち!

この人たち頭の中で何が起きてたかということ、ここからがちょっと本論になっていきますが、お話していてみたいと思うんですよ。

それでここに思考方式と書いてあります。私は思ったんですね!こういった色んな人間が出てきて、色んなことを考えましたと。ここだけでも、もう物理学まで、自然哲学から、物理学、自然科学まで行くだけでも、これだけ大量のものすごいことがあったと!

でも、最終的に人間の頭の中では、ものを考えるとき、どうなっているのかですよね。

それに私は興味を持ちました!それはどういうことかと言いますと、結局は人間は、自分のアイディアがここで出しましたよね。

最初は資料沢山集める。分析する。ある程度こうなっていると仮説が見えてきて論証すると。

論証がすごい面白くて、これに着目して、人間の思考方式や探求する時に、どのようにこのポイントに気を付けるのか、そもそもどのように探求しているのかが分かってくると思うと私は考えたんですね。

だから、少しここを見ていこうとなりました。それで論証とは、基本的にこれはギリシャ語でἀπόδειξιςと言いますが、この部分ἀπό- + δειξιςは、結局「見せる」という意味と言いましたが(ἀποδείκνμι +‎ -σις < ἀπο- +‎ δείκνυμι < 印欧祖語*deyḱ- 「見せる」+‎ -néwti 動詞化の接尾辞でサンスクリットदिशति, diśáti「指し示す」や-नोति, -nóti動詞化の接尾辞と同語源)、

このラテン語だと、もう分かりやすいと、 demonstratio、デモンストレーションする。論証とは、元々人に見せるものだと、自分のアイディアをお見せしなきゃいけないということですよ。

例えば、ある人が何かを思ったとき、私こういう考えに至った。こういう考えを持っていますというとき、その結論だけを言われたらですね。

他の人がその結論を聞いて、ああそうだね。あの僕もそう思うよという人は問題ないですよ。

ところが「え、分からない」と、「何であなたはこう思ったんだ」と、その部分ですよね。じゃあ、何で分かんないかと言いましたら、

結局その人が何故、そのアイディアまで辿り着いたのか、そのプロセスが分からないんですよ。その過程が分からないということは、

人に論証するとは、よく数学の論文も、物理学の論文も、普段のこともそうでしたり、私も気をつけること、 例えば私がKF-Ars Sinicaの方でも、色んな事を話しますが、その時に気を付けていることがありまして、

もう聴いてる人は、そのことに関しての前提知識や何やらは全て何も知らないという人に対して話しなければいけないと思っているんですね。

というのは、そういう風にすれば、結局聞いた人は、全ての材料を私から提供されて、全て私がどう考え、こういう結論に至ったのかを聞ければ、「ああなるほどな」と、ああこうか、ああこの人はこういう仕組みで考えてゆくということが分かれば、非常に安心して、ああなるほど、結論に至ったのは、それはそりゃそうだよと、

結局よくみんな論理がめちゃくちゃ強くて、論理至上主義のような論理さえ合ってれば、全部正しいと思われてたりもしますが、

実は論理とは結局、ギリシアの時代、そのアリストテレスよりちょっと前、この辺りで沢山、ゴルギアスとか、詭弁家(遊説家)という、おしゃべりに長けた人たちがいましたが、

基本として、ギリシアのアリストテレスやプラトンがした論証は、今もそうですけれども、論証というのは、相手に対してそのものが合ってるかどうかではなく、見せるものでありまして、

それを自分の考えたことを、いい言い方をすれば、相手にご説明する、悪い言い方をすれば、正当化することですね。結局はそういうことです。

だから、論理自体が合ってるとか、間違ってるかとか、そういうことではなく、まあ基本的に私が論理が合ってると違ってるという時は、そう言ってみれば、二つの意味がありまして、後でちょっと見ていきたいと思いますが、

例えば、ある人が考えた意見を聞いた時に、その人が間違えるとすれば、人間が間違えるとすれば、二つの所で間違える、と私は感じたわけです。

即ち、一つ目はその元々の前提となったデータが間違ってた。全然それがへんちょこりんなデータを使い、その人の中で結論に達したと、間違えた結論に、まぐれで当たることもありますが、間違えた結論に行きやすいですね。

それともう一つは推論過程の分析していく中でへんてこりんな分析をしたことですね。それは言ってみれば、ここで後で話していきたいと思いますが、

あるデータがあり、そこを考えたときに、その結論がへんちょこりんな結論を出しちゃったとは、何でこんなこと考えるだとなった時は、 全然その跳躍していたり、データから全然読み取れないことを言い出したり、

もしくは全然データの読み込みが足りないとか、そういう意味で間違えがおきます。あとはもう日常でもよくあることは、例えば誰誰さんが言ったからとか(権威論証 argumentum ab auctoritate)、また、皆そう思ってるから正しいとか(衆人論証 argumentum ad populum)。それらは間違いでして、詭弁(σοφισμός)と言われまして、あと英語でfalse(ラテン語でfalsus)と言いますが、間違い、誤謬です。間違えという事です。

そういうものを自分自身も気を付けます。何でかといいますと、誤謬、間違えを言いまくる人は、誰も信用されないからです。結局だから信用してもらう人になるためには、きちんとした根拠から、きちんとした結論を出して、それを全て正直に見せればよいのです。そうすれば相手は信頼するわけです。ということで、ちょっと考えていきたいと思うんですけれども、

私が例えば物事を考えるときは、基本的に思ったことですが、更にじゃあ論証の中を見ていくと、先ほど何でこう考えて、こう考えて、こうだから、こうなって、こうなって、こうなってと、全部見せるのが論証と見ましたが、

基本的に物事は、概念が結合してできていると、私は思ったんですよね!

言語を分析しても、先ほどそうでしたよね。ある一つの言葉も、小さい概念が付いて、更に意味を限定するか、「愛する」だけなら、何を愛するの分からないですが、それに対して、「知恵を愛する」、だからフィロソフィア(哲学 φιλοσοφία)になるとか、更に限定していくなど、

物事を伝えるためには、更に言葉をより分かりやすく、言ってみれば、 アバウトじゃなくて、はっきりさせていく、そういったときも(統辞論でも)、

物事とは、人間が言語を用いるとは、そうですが、主語と述語を付け、修飾語でそこに副詞句、何とか、それは結局で人間の言語は、概念、ある概念、

例えば、今私言いました「ある概念があります」では、「ある」という概念と、「概念」という概念と、「あります」という動詞と、結局人間の言語とは、究極的に言えば、全て一つ一つの言葉の単位で一つ一つの意味を持ち、概念があるんですよ(以上は統辞論syntaxからの考察でした)。

それをくっつけて、その人の意見などをどんどん付けてゆき、例えば、もっと言えば、私が言いたかったのは、

まあ普通だったフィロソフィアと言えば、今、もう一個の概念になっていますね。しかし、更にそれを分割できると、最初の人はしかもそう「知を愛する人間」はという意味で(φιλοσόφουςを)使っていて、「哲学」という意味では使ってなかったですが、

でも、いつか一個の概念なりまして、一つの言葉の中にも、もう分析すれば、言ってみれば、英語では語根(root, radix)と言いますが、

(語の)根っこになるもの。要するにその詞を形成するための、本当にちっちゃい単位(形態素 morphème)があるんですよ。(統語論morphologyの観点から、)それがくっ付き、一個の詞が生まれますけれども、

もっともっと分ければ、実は(φιλοσοφίαの接尾辞)-ίαのところ、まあ、そこまで分析して書きませんでしたが、これは(動詞を)名詞化、概念化するとか、 もう一つの言葉は大体、面白いことにギリシャ語とか、ラテン語とか、サンクリットなど、先ほど申し上げました古典の言葉は、学問に向いていて、学問に向くようにそうなり、まあ鶏が先か卵が先かはありますが、

そうなった当然の成り行きと思うのが、この言葉たちは、ものすごい造語能力(造詞能力)、 詞を造る能力、造は造る、造語能力、詞は単語ですね。単語を作る能力が高いと!

つまり、新しいアイディアが出てきても、今まであったアイディアとアイディアをくっ付け合わせれば、大体なんでも新しい詞を作れることです。

それは結局、概念を結合して、人間の言葉を分析すると面白いことに、一つの単語の中にも、概念が(いくつも)あり、しかもインド=ヨーロッパ語族(印欧語族)、ギリシャ語、ラテン語、サンスクリット、英語、またスラブ語、ロシア語など、英語はゲルマン語ですが、

その言葉は動詞の後ろ(語尾)を変化させ、それによって「私が行く」とか、「あなたが行く」とか、名詞にも格があり、全部変えると、そのもの「に」とか、「へ」、日本語で言えば「と」、あとは「で」とか、

日本語もそう考えれば、そうです(しかし、日本語は膠着語ですから動詞そのものが活用しているわけではありません)。ある名詞に助詞を付ければ「どこどこで」とか、そうした場所をイメージさせて示すことができるし。

そういった意味で言語とは、結局、どこまでいっても、やはり概念と概念を結合させていると考えた方が自然だということ。

それは元々人間の頭の中が、どの言語もそうで、まあ、言語の中には色んな分類の方法がありますが、かなり言語を愛してきた私が感じたことは、

どの言語も全てこうした概念が結合されてできていて、それでしかも文章ぐらいで見ると、更に難しい言葉で統辞法(syntax)と言いますが、 まあ簡単な言い方をすれば、統辞法(syntax)とは、文章を作る方法ですよね。文章の作り方ですよね。そういうものを見ても、

生成文法(generative grammar)と言いますが、概念のいじり方、 操作によって、文法も生じてきて、

これで数理邏輯(mathematical logic)と中国語で書きましたが、日本語で言う数理論理学は、もうめちゃくちゃ強烈で、ある符号と符号を入れ替えたりするだけで何でもかんでも証明してゆこうという、もうかなりこれは強烈ですが、人工言語と言いますね(6世紀のインドの哲学者Bhāviveka 清辯が《中觀心論 Madhyamakahṛdaya-karika》で初めて論理式を用いました)。

プログラミングと同じです。結局コンピューターのプログラムと同じで。コンピューターのプログラムも、人間な思考(を電気的なアルゴリズムに写したもの)です。結局それが電子的になっただけでして、

自然言語も人工言語もみんな最終的には、自然言語とは、普通にしゃべっている言葉、人工言語とは、コンピュータープログラムとか、こういう数理論理学で使う論理記号でして、あとはもう数式なんかもそうでしたり(初めて数式を用いたのは15世紀のグラナダ王国のal-Qalaṣādīです)、

全部最後までいってしまえば、もう全て科学におけるものも、文学におけるものも、全て概念が結合されて作られているということです。

そうすると、じゃあ結論の仕方が何かという問題がありまして、論証する中でどういう概念の操作により、自分の言いたいことを証明していくのかといったとき、私はもうびっくりしちゃうのは、もうここで言いましたけれども、アリストテレス何かがもうね。全部もうちゃんと書いているということですね。

ちょっと説明してゆきたいと思うんですけれども、基本的に人間の思考というのは、演繹的な思考というのは、これはどういうことかと言いますと、

あることを言いたい時には、何かしらを証明したい時には、もっと一般的なこういう原則があるということを持ってきて、こういう結論に至るというようなですね。

一番ものすごい有名なのが、ギリシア時代から有名なのが(Sextus Empiricus, Pyrrhoneion Hypotyposeon, ii. 164)、ソクラテスが必ず死ぬという(命題) ソクラテスが人間である(Σωκράτης ἄνθροωπος)ということで、人間は必ず死ぬ(πᾶς ἄνθροωπος ζῷον)から、ソクラテスが必ず死ぬ(Σωκράτης ἄρα ζῷον)みたいなことですよね。

結局だから、あることを証明したいときには、そのグループの中にそれが含まれているから、こういう結論に至るという。

結局ある大前提があって、その中で小前提があって、結論に行くような三段論法(συλλογισμός, syllogismus)とよく言いますけれども、そういった方法で証明していくということ。

だけど、これも結構問題点がありまして、裏話をしてしまうと、大前提も小前提も持ってきたものが違えば、へんちょこりんな前提を持ってきたら、へんちょこりんな結論に至っちゃうんですよね。

だから、完璧な論証というのはなくて、これも今のも結局人に説明してインパクトを与えるために使ってるということでして、

帰納法とは、結局よく言われるのは、前々に前例があったから、次にこうなるんじゃないかという推測の方法ですよね。

こうこうあるものが来て、あるもの来て、あるもの来て、あるものが来たら、また次もそれが来るんじゃないかとか、そうした今まで起きたことを全部、簡単な言い方をすれば、そのパターンを認識して、じゃあこのパターンに法ればこうなるよね、みたいなね。そう言った思考スタイルですよね。

だから、言ってみれば、ある言語ではこういう、ある言語でこういう、ある言語でこういう、ある言語でこういう、こういう、こういうこと全部を持ち込んできて、全部見てみると、ああ、じゃあ、元々はこうだったではとか、

そういう、あとここでは、こうなるではとか、そうした沢山の例を持ってきて、その中で物事を考えてゆくと、じゃあこうだと予測する方法でしたり。

その次の例証は、例を挙げて証明するわけですね。だから、何かしら証明したいことがあれば、ああ、これもこうなっている、これもこうなっていると言うことで、更に具体的な例を挙げて証明してゆく。

まあ、一番普通の例では、例えば、ある言葉の使い方を見た時に、あるこの言葉はこの文脈の中では、こういう意味で使われるという、似たような文脈を沢山持ってくれば、ああ、つまり、これもこういう風に解釈できると、

基本には、だから人間は帰納的に考えますね。先ほど見たように、これは、こう、こう、こう、こう、こうときたら、それはこうだと、前例に即して物事を考えることですけれども。

これで最後、還元とは、これは沢山、何か、結局だからデータを大量に集めてきた時に、どう見るかですね。還元法と言うと、やはり色んな点でバラバラなデータがバーッとあったとき、こういう仕組みで裏では、こう動いているという考えれば、全部がうまく説明できるという発想でいくんですよね。

だから、結局は人間はそのデータをどのような見方をして、そこから関係性とか、論理的な関係性とか、その仕組みを発見していくかですけれども。

まあ、そこで私は面白いことに、じゃあ、ここもこの言葉を沢山、先ほど説明したようにギリシア語とアラビア語とラテン語で書いたんですね。

この番号は、アリストテレスの書いた《分析論前書(Ἀναλυτικὰ Πρότερα, Analytica Priora)》、中国語だと《分析前篇》ですが、ギリシア語でἈναλυτικὰ Πρότεραと書いてありますが、

分析、物事を分析するときに、どうしたらいいのかという前と後の本、これは前と後の本で一巻目、二巻目みたいな意味だから、まあ、これはあれですが、前の方よいう意味ですけども。ちょっと見たいと思うんですね。

それでこれ何を見るかですけども、先程言った言葉を先ほどみたいに私は全部、全て分解しましたと。

結局これ今言ったの私分かりませんと、自分で説明しといて、こんなことを言ったら、皆がっくりきちゃうというか、椅子から転げ落ちちゃうかもしれませんけれども。

今の説明ではイメージが浮かばないと、まあ、最終的には、辞書を引けば、ある程度の説明は書いてありますが、それだとちょっと面白くないから、

全部この元々の言葉の起源から、全部分解して見ておこうと、資料をちょっと用意してまいりまして、それでそういう見てまいりますと、

この演繹、ギリシア語でσυλλογισμόςと書いてありますが、じゃあこの言葉もともと何から来ているんだと言ったら、

このσυλλογίζομαιから来ていまして、動詞「演繹する」ですが、こちらは名詞「演繹」になってますね。

中国語「演繹」は、日本語の動詞「演繹する」という意味でも、名詞「演繹」でも、両方(同じ形)を使いますが(「繹」は糸を引っ張り出すという意味で「演」は状態の変化を意味します)。ギリシア語は先ほどのように動詞形と名詞形で最後のところで(形態素が付いて)違いますが、

このσυν-という部分が、交響曲(symphony)とか、合成する(synthesize)とか、結局これ統合する(synthesis)とか、全部「一緒に」という意味ですよね。一緒、同じ、同じ、一緒。

それでまあ最終的には印欧祖語*som-から来て、サンスクリットのsam-、古ペルシア語のham-と一緒でも、(ギリシア語に由来する単語では)syn-, sym-とよく英語でも言いますけれども。

それでλογίζομαιの部分は、結局λόγος「言葉」という意味ですよね。言葉から始まり、「理性」とか、「理法」とか、「道理」という意味でして、その言葉が面白いことに更に分解するとギリシア語λέγω「言う」になります。

それでラテン語のlegoは、これは読むなどの意味ですが、それではどういう意味だったかと、元々というと、(印欧祖語の)*leǵ-は集めるという意味でした。それでトカラ語ではläk-、全部*leǵ-、この語根を持つものは、「集めてくる」から「言う」となりました。

だから、先ほど私が申し上げた「言葉」は結局そのある人が何かを主張する時には、言葉を集めて、くっ付けて、概念を連結させて、相手に投げますね。私も沢山言葉使って一生懸命で語りますが、これは結局私が言いたいことを、言葉を組み合わせて、皆さまに流して伝えていますね。それでそのことで意見が相手に伝わるという意味ですけども。

それでそうみますと、これは結局その言葉( λόγος)と同じくあるようにと、そういう論理(λόγος)が同じくしているようにと、

だから、結局先ほど言ったみたいに大前提と小前提とは同じ構造、 ソクラテスが人間である(Σωκράτης ἄνθροωπος)ということ、人間が(必ず)死ぬ(πᾶς ἄνθροωπος ζῷον)ということ、ソクラテスが(必ず)死ぬ(Σωκράτης ἄρα ζῷον)というような。

言ってみればソクラテスは人間である(Σωκράτης ἄνθροωπος)は、ソクラテスと人間の概念が結び付けられてますよね。

だから。人間というその大きな集団の中にソクラテスがいるんですね。これで人間という大きな枠の中には、日本人もいるし、ギリシア人もいますが、

それでその次を考えてみると、人間は必ず死ぬ(πᾶς ἄνθροωπος ζῷον)という、人間と死ぬという運命にあるという考えが結びついていますね。

それで結局最後は、ソクラテスが人間、人間は死ぬとね。人間を介して、ソクラテスが(必ず)死ぬ(Σωκράτης ἄρα ζῷον)と結びつけてますよね。 ピンピンピンと飛び石みたいにいきまして、それで証明してますよね。

だから、結局それは同じくしてる(συν-)わけで理(λόγος)を同じくするものを並べて証明しているということ(συλλογισμός)を言っていますね。

それでアラビア語のقِيَاس, qiyāsはどこから来たかといいますと、これも面白いことで、結局は哲学用語になり、論理学用語になりましたが、

元々このセム語というのは結局、アラビア語は、セム語族の言葉でこの三個の子音を介して、これが語根になっていますね。

インド=ヨーロッパ語族は、さっき言ったみたいに、ここが語根で‎ λογίζομαι、λόγος、λέγω、*leǵ-、ここの部分、ああ、*leǵ-、そこに引き継いでいる、ああ、ここが語根だと。

でも、アラビア語の場合は(三つの子音)ق ي س‎, q-y-sの間に母音をつけて、iとかaとか、母音がついて、詞をどんどんを作ったり、 あとは前に前置詞的にくっつけて、後ろとか(に接尾辞を付けて)言葉を作り出しました。

だから、この(三つの子音の)並びがあれば、似たような意味が、例えばقَاسَ, qāsa、これは比較するという意味です。qとyがaに同化していますけれども、sがありますよね。

だから、結局これは比較するという言葉と同じ語根でして、結局これはギリシャ人のこの言葉(演繹συλλογισμός)を訳そうとしたとき、アラビア人たちは、自分はこれ元々法律用語でして、

面白いことにイスラム哲学においては、イスラム法学があり、法律学から、例えば前にあった何かしらの事件があり、その判例がありますね。判例がありましたら、新しい事件が起きてきたら、結局的にはこういう判決が出ると、結局さっきのソクラテス(は必ず死ぬの三段論法)と似ていますよね。

元々もう昔の判例がありますと、これはもう本当に前提としてありますということ、それ何かしらの今何か考えていることがありますと、結果的にはこういう判決なりますと。

まあ、今事件があります。判決があります。もう結局、قِيَاس, qiyāsとは、法律用語でして、比較する前の判例と比較して似てるものから、ああじゃあこの判決はこれくらい行くと、

そうじゃないと皆納得しないですよ!だって、いきなり、まあ、今日はもう気分が向いていないから、二倍ぐらいの刑にしておこうと言ったら、社会の人は皆怒りますよね。

だから、前にあった判例、また、法源と言いますね。法律の源と言いますが、要するに聖典であるコーランなどに書いてある色んな規則、こういうことやっちゃいけないとか、こういうことをやりなさいとか、

そういうことから類推して、要するにこのぐらいのこういうことやったら、このぐらいの刑と決めてたということで。

結局、古い法律用語から始まり、結局裁判とかこれは論証ですよ。結局だからこれ(演繹 συλλογισμός)に近かったから言葉を当てたということ、

それで、これ(deductio)はラテン語はまた違う側面から説明していて、deducoとは、何だと!?これはde-ね外(~から)で印欧祖語だと*deh₁になりますが、ギリシア語 δήでは接続詞「何とかだからみたいな」とかで使われる言葉に当たりますが、

こちらを見れば外(~から)、これはducereとは、引っ張り出すという意味ですよね。例えば、education という言葉は、英語でありますが、教育すると意味を皆暗記してますが、educationも、ex-+ducereなんですよ。(~から)外に引っ張り出すと、能力を張り出すから教育になりまして、

結局、deducoは、deducereは、外に引っ張り出してくるから、先ほど言ったみたいにもっと大前提のところから、あるその特殊な事情の時を見たときに、そこから引っ張り出してきて証明するという、証明過程のプロセスに着目して、この言葉を当てたんですよね。

だから、ギリシア語と、アラビア語と、ラテン語は、同じ演繹という言葉に関しても、全然やはり違う、同じ概念なのに違う言語になると、違う側面から、その言葉とか、訳語を見つけ出してきたと、面白いですね。これは一つ、全く違う発想でこの詞はなっていると!

それで今度こっち何かというと、次は帰納法はἐπαγωγήとギリシア語で書いてありますが、これ何だと!?結局ἐπαγωは更に動詞「私は何々する」という(一人称の)形で、先の名詞形、動詞形(と同じです。)

それでἐπι-は「近い」という意味から来ていると、これは面白いことに、古ペルシア語apiy、サンスクリットápi、ラテン語ob、英語byは「近い」という意味で全部語源が一緒です。元々、英語とラテン語とサンスクリット語とペルシア語。

結局この印欧祖語(*h₁epi)から出てますが、ギリシア語ですから。こうした「近い」という意味で(英語で)byも「近い」。元々この意味は隣接したという意味の前置詞ですから。

それで「行為」ἄγωでἐπι-とἄγωがくっ付いてἐπάγωということで結局この行為のagoは「動かす」とか、「推進させる」という意味ですね。

リーダーはギリシア語でἀγόςでやはり皆を引っ張ってゆくから、サンスクリットでajáの同じく「リーダー」ですけれども。

だから、結局隣接したところから、何と言いますかね。(推論が)近くで行われるから、ある現象がパンパンパンパンとあったら、ああこれに似てる近いところから、こうなんじゃないのと、そういう側面から、これはもう説明していると、この名前を付けました。

元々まあギリシャ人が最初に付けたんですよね。これは先ほど見たアリストテレスが付けました。

それでこれ見ると今度はاِسْتِقْرَاء, istiqrāʾとアラビア語で書いてありまして、ق ر ء, q-r-ʾとは、ハムザ(ء, ʾ)は喉の奥の方で出す音(声門閉鎖音[ʔ])ですが、三個の子音が、これは元々「調査する」とか、「見る」とか、「読む」とか、 قَرَأَ, qaraʾaと同じ子音を持ち、母音は違うけど。それで最初に接頭辞اِسْتِ, istが付いていますが、

これでこの言葉自体は、しかも、ヘブライも同じだから、結局これはセム語でして、ヘブライ語(ק־ר־א‎, q-r-ʾ)、アラビア語(ق ر ء, q-r-ʾ)、シリア語(ܩ-ܪ-ܐ, q-r-ʾ)は、全て同じ語系ですから、元々同じ子音(q-r-ʾ)を持ちます。文字は違いますけれどね。

アルファベットに直してしまえば、同じ(q-r-ʾ)で「読む」とか、(ヘブライ語で) קָרָא, qaráʾ、נִקְרָא, nikráも色んなものを細かく(読むことです。)

私昔ヘブライ語も、アラビア語も、(シリア語も、アラム語も、フェニキア語も、アッカド語も、セム語族に)少し興味があり、やったことがありますけど、「細かく読む」というよく使う言葉です。

これでシリア語でも、これ(経典)は読まれるものだから、ܩܪܝܢܐ‎, qeryānaという、それでしかもこれالْقُرْآن, al-qurʾān、(アラビア語の)コーランも、これも読むからきていまして、結局全部これ同じ子音を持っていますね。

結局この帰納とは、アラビア人たちはこう考えたんですよね。

大量に調べると、調べた結果やはり、こういう理屈であれば、こういうパターンがあるから、こうではというところから持ってきてるから、

大量のデータを集めてきて、ああこうなってるから、こうなんじゃないのと、新しいこれも今までの経験則からいえば、こんではないのかと、説得力があるだろみたいな、そういう意味だと言うこと。

それでinducoは、ラテン語はinductio。まあ、これは、先ほどから言えば、引っ張るですから、ここは全部ラテン語の場合はduc-が付いていますが、

inducoは「帰納する」ですが、そうしたら中に引っ張るんだと、今度はギリシア語ἐν、英語のinも(ラテン語inと)同じ(印欧祖語*h₁én)から来て、結局ギリシア語もラテン語もゲルマンの英語も同じ、in、中に引っ張ること、

だから、結局グループがあったら、その中に新しいこいつも一緒だと引っ張ってきまして、そういう発想で論証法について名前を付けました。

それで今度は例証法、παράδειγμαは何だと!?今度はπαραδείκνυμιと動詞で結局παρα-は「近い」という意味でして、更に古い印欧祖語だと*preh₂-、しかも梵語(サンスクリット)purā́、ラテン語prae-、pre-~とかがあり、

英語の接頭辞でラテン語系の言葉では、だからこれも「接近」した「近い」という意味であり、

それでこの後ろの部分、動詞の部分δείκνυμιは「何かを示す」とか、結局近いものを持ってきて示すんですよ。(印欧祖語*deyḱに遡り、サンスクリットdiśátiは「示す」、ラテン語dicoは「言う」、古英語tæcanは英語teachの古形で「教える」という意味で同じ意味を共有します。) だから、例証ですね!例を近いものをそのある証明したものに近いものを持ってきて、ああこれもこうなってるから、こうだぞと示す方法でこういう名前を付けました。

それでアラビア語でこれ見ると、مِثَال, miṯālは、結局(三つの子音が)م ث ل, m-ṯ-lでしょ。これがمَثَلَ‎, maṯala、これは「近い」、「似てる」という意味ですよね。それでمِثْل‎, miṯlは、「類似」、結局これらは皆「似てる」という言葉から来ているのかと、似ているものを持ってくれば。証明できますからね。ということで、ああ。その言葉から来ているんだと。

それでヘブライ語の場合は。(三文字子音の)ṯの部分がshになっていますが、מ־שׁ־ל, m-sh-l、מָשָׁל, mashálは、結局、「比喩」とか、これもやはり「例示」、「例を示す」、「例える」とかです。

だから。これとこれと同じだよねみたいな近いもので(指し示して)、そうすれば相手は納得するわけですよ。ああ知ってるよと、ああこれと同じなんだと、これもそうなんだよねと納得してくれるますから、それでそれを示すということですよね。

adducoとラテン語では、これ(adductio)は名詞で-tio(の接尾辞)をつければ、英語では-tionですよね。最後にnが付いていますけれども。

それでadducoでad-は、英語atと同じで「対して」ですよ。だから、結局その示したいものに対して、持ってくること、引っ張ってくる。ああ、こういうものを証明したいから、それに証明したいものにああこれを持ってくる。

だから、例を持ってきますね。そうした側面から表現しました。

それで還元法、最後のἀπαγωγή、ἐπαγωγήに対して、ἀπαγωγή、これは結局、ἀπάγωはἀπό-と(ἄγωからなり、)最後の後ろのところは同じ行為とお話しましから書かなかったけれども。

最初の前置詞の部分、ἀπό-の部分は、印欧祖語*h₂epóからきて、ヒッタイト語āppa、サンスクリットápa、ラテン語ab、これは「~から(from)」とか、英語of 、全部これab、of、ápa、āppa、全部似てるんですよね。

全部同じ「~から」派生して、ああ、ofだ、ああ、そうかと、皆さんラテン語より、英語の方が一番身近と思いますから、それで「~から」ですよね。

だから、結局その何かの現象があったら、その現象から見られることは、こうだよね、更に仕組みとしては、こういうことがあるから、こういう現象が起きるという証明の仕方ですね。

だから、これ結局、還元と言いますが、そこから行為とは、思考行為(推論)のことを意味して、これは「考える」という行為の中の物は、この帰納のもの、ἐπαγωγήのもの、(還元のもの、)ἀπαγωγήでも、そうだと思われますが、そのように説明していました。

それでしかも、アラビア語、اِحْتِمَال, iḥtimālは、(三つの子音が)ح م ل‎, ḥ-m-lだから、「運んでくる」という言葉と関係して、これはやはり思考過程(推論)を意味してると、考えているこの現象が、これだけ起きていて、その中から持ってくると、こういうことが言えるということころから、名前を付けたんでしょうね。

それでabducoは結局これは、向かう、これ(ab-)は結局先に見ました。結局どこで見たかな。ここかここでみました!結局ab-とἀπό-の部分(接頭辞)は、ギリシア語と同じです。

結局そうすると、そこから見られることは、こうだということを引っ張ってくると、結論を引っ張ってくる意味でこうなんだというシステムです。

大体印欧語は、ギリシア語とラテン語に関して言えば、結局すごく前置詞をよく使い、英語もまあそうですが、印欧語ですから。

それで前置詞を使い、物の移動とか、そのやりとりの関係をすごいイメージして言語に反映されていますね。だから、英語を学ぶ時でも、特に英語には沢山前置詞がありますが、全部にイメージでアメリカ人も、イギリス人も、そう考えて、そう言葉を選んで使いますが。そうギリシア人も、ローマ人も、そういう思考で考えていたということです。

それで先ほど言ったみたいに、ここにBekkerの何番と書いてありまして、こうした私が説明したことは、もう私が日本語でワーッて話したことは、アリストテレスはこの本の中で書いてくれていまして、

まあ、これはもうお話しましたから、これはいいんですけども、更にこの番号は何なんだと!24b18とは、古典を引用する時は、必ずベッカーさんが作ったアリストテレスの本を沢山集めてまとめてくれた全て写本を全て移し替えて、Bekkerさんが1831年に出した本に出してくれているんです。

それでページ数と a (左)と b(右) で何行目まで示して書かれていて、これが本当のアリストテレスの哲学が、こういう形で出版されていたと、それで全部指定された場所できちんと書いてあるんだと見てこれました。

結局だから人間はそう考えたとき、もうこれは難しい言葉で沢山分析して考えましたが、結局は大量にデータがあったら似てるものを持ってきて、それを証明したいものに理由付けをして、相手に見せることが論証です。

これ、全部四項目を一つ一つ細かいところまで見ましたが、結局、帰納法と例証法はとても似ていて、少し違いますが、基本的には人間はあることを考えたときには、データをどうみるか、どう使うかでして、少し違いますが、

結局は似たものを持ってきたり、それと前提としては、こうなってるから、その中で動いているものは、こうだとか、それも似たもので示されます。

だから、ここで分かってくることは、面白いことは、言語もそうでしたが、新しい概念を見つけたとして、もう全て 古い概念を組み合わせれば、新しい概念は理解できますから、

例えば、何て言いますか、サイエンスというアイデアが出てきたら、「味わう」、「知覚する」という言葉(scio)から、言葉(Scientia)を作り、

これはフィロソフィも、最初にやり始めた人たちは、「知を愛した」から、言葉を作りました。だから、今まである概念を組み合わせれば、新しいことをやり始めた時に名前を付けられますから、だから私は、

KF-Scholaも、そうですが、やはり色んな言葉を知り、色んな概念に興味持ちますと、新しいものを理解する時も、ものすごい有利です。

色んなこと知っていると、知っているほど、ああ、前にもこういうことがあった、これに似ているとか、そうすると、似てる部分と似てない部分があるんですよね。

つまり、新しいことは、ほぼ似ているけれども、新しい部分が、少しでもあるから、新しいと!

それで実際ここで色んな天才的な人が現れてきて、もう殆ど95%から98%ぐらいは、前にやった人の業績です。

その中で、ここは少しおかしいとか、違うなどと言い、大幅に書き換えても、アインシュタインが、例えば相対性理論を発見したと見つけたと言っても、これは全部ニュートンさんとか、既にそうしたアイデアを更に前の中世の人たちが、時空(時間と空間)などの概念は用意していてくれたから、

その解釈を少し変更して、 要するに新しい(ことを考えましたが)、でも逆に言えば、人間は元がなければ何も考えられないですよね。

だから、そもそも我々は言語を使っていますから、 元々先祖から伝わってきた言葉を使い、また新しい思考活動をしていますから、

結局はこの論証方式(推論規則)を見て、私が思ったことは、結局新しいもの見つけるとは、相当古い色んなものを知ってる。

例えば、バッハもそうですが、彼はもうすごい素晴らしい音楽を沢山書きましたが、モーツァルトもそうですが、もうすごい私は思ったことは、芸術においても、書でいえば、王羲之も、顔真卿も、そうですけれども。こうしたものすごい創造的だと、普段天才的だと、普通思われてる人たちは、

それ業績はものすごい過去の色んなことを知り、彼らほど、新しいことをやりだした人ほど、過去のこと、色んなことに精通した人はいないです。

大体過去の色んなことでもう忘れ去られちゃったものをもう一回、そこからインスパイアされて、また使ったりしているんですよね。

だから、逆に言えば、マンネリズムになるのは、今現在の考え方とか、 今現在の考え方だけで動こうとするから、もう駄目になりますが、

逆に言えば、過去から持ってきら、意外と時代が変わってるから、古いものは、また新しく感じられたりして、面白かったりして。

だから、人間とは、すごい慣れたもので上手くいかないときは、色んなまた別のところから発想して考えてやってみようとか、そういうことですよね。

だから、結局論証するとは、何かと言ったら、新しいことを人に説明するときも、結局やはり過去のこと(を用いて)説明すると一番人に伝わります。

何故なら、人間はやっぱり何かを理解しようとした時には、その理解をするとは、その中の構造とか、そういうものを認識しようとしてるんですね。

それでそう言って考えたときには、一番馴染みがあるもので言ってくれれば、ああ、あれと一緒かと、結局それは例証ですね。ああ知ってるよと、そうすれば相手は、とても納得してくれやすいと、

あとは、この演繹で言えば、大前提でああ、こういう前提があると言えば、そうだよね。それはそうだよと、人は納得してくれます。

だから、思考方式とは、結局は論証と言いましたが、探求する上でも、結局古いもの見たときも、その新しいものを見たときも、何でもそうです。

今まである自分の頭の中の色んな蓄積により、それに対してぶつかってゆきます。それで結局この探求とは、どういうことかといったら、結局、自分が今持ってる道具を使って、色んなことを探り当てるんです。

だから、新しい宝探しをしようとしたら、金属探知機があれば、そうした道具があれば、コインが遺跡に落ちていたら、ピピピピと反応しやすいです。

もう何にも道具もなく、もうあちこち掘ってたら、駄目だ(見つからない)ということで、 だから、何かをやるときは、結局すごい道具が大事でして、その中で私は見ているんですけれども。

例えば、どこだったかな。これか!ここですごいアリストテレスが、トピカという、結局オルガノン( Όργανον, Organum)という、アリストテレスの論理学の一番最初の著作の所(Corpus Aristotelicum)にあるのは、

全部、結局、論理学とは、物事を探求する時の彼も言う「道具」だと。オルガノンという言葉自体がこれ道具という意味なんですよ。

結局だからその中にあったことで言うと、人間は結局、何かを人に...(アリストテレスの原典を読んでいます。)あ、ここですね。 ここか、ここで言ってますね(Metaphysica II. 3, Bekker 994b32)。

それで人間が、例えば、人に何かを説明したい時には、結局、馴染みやすいというか、結局、相手が知ってることで説明をしてやれば、相手は一番分かりやすいと書いてるんですね。

それで面白いことにここ(De Memoria et Reminiscentia I, Bekker 449b6)を見ると面白いのは、これは記憶、思い出すとか、想起するとか、英語でも、reminiscenceと言いますけれども、

ここで言っていることは、 記憶に特化した人間とは、大体鈍いんですと、この想起する。何かをパンと思い浮かぶ、色んなことを見たときに、ああこういうのもあった、ああいうのもあったなど、

だからm一個のことを何か見たときにmそれが入ってきたときm一を聞いて十を知るとうな、これもありました。こんなのもありました。あんなのもありましたという方がね。どんどん話も膨らんで面白い人間でもあり、

それでそういった意味で結局、そういう人の方が、敏捷で聡しい。要するに、賢いんだと言ってるんですね。

だから、言ってみれば、アリストテレスが言うには、今なんかみんな勉強しようとすると、物ばっかり覚えるんです。沢山、あーだこーだ、だからこれはもう知識ばかり覚える。でも、それは鈍いと、そういうことをやってる場合は、とはっきりと言われちゃってるんですよ(笑)

要するに、知識ばかり沢山、貯めてもしょうがないと、それよりも、パンパンパンパンと何かを見たときに、色んな事を想起する、思いつく人の方がパンパンパンパンと賢いんだと!

しかも、これはオルガノンの中の一篇で《分析論後書》の方ですけれども(Analytica Posteriora I. 34, Bekker 89b10)。ここで言っているのは、結局こういうことなんですよ。

賢い人とは、頭脳の明晰な人間とは、結局何かを見た時に、直ぐにその原因をパンパンと思い至ると、先に言った還元ἀπαγωγήですよね。

色んな知識が沢山あるとき、こういう現象もある。ああいう現象もあるとき、元はこうだったのかという原因をピピピンと思いつく人間は、頭脳明晰な人間であると、きちんと書いてありまして面白いですね。

そうそうそう。結局ここに書いてあることは、今見てみますね(Metaphysica II. 3, Bekker 994b32)。 結局人間が人にものを説明しようとした時は、相手がよく知ってるもの、相手に馴染みやすいもので説明してあげると、講義をするときには一番、相手に心に響くと、書いてあるんです。

これはどういうことかと、私がよく言ってきたのは、KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)でもそうでしたが、こういうことだったんですよ。

結局中学生で分かる言葉は、日常会話で使っている言葉ですね。今も気を付けていますが、全て専門用語が出てきたら、日常会話で使っている言葉で全て徹底的に解釈して、相手に伝えれば、中学生が聞いても分かります。

だから、意外とこの昔の哲学、アリストテレスの言葉の使い方もものすごくて、日常生活で使っている言葉ぐらいで、相当高度な哲学をしました。

皆もう専門用語ばっかりで(難しいん)じゃないかと思いきや、逆に私がギリシア哲学に興味持ちましたのは、ものすごいシンプルというか、その非常に素直な言葉で日常生活の言葉で色んなものを考えてたからでして、逆に古代の人の方が更にすごい面白い、根源的と思っていますね。

どんどんどんどん専門化が進んで行くと、もう専門用語ばかりで分かんなくなりまして、やはり当時の古代哲学の面白さは、本当に人間の思考とか、どう考えたかを、本当に分かりやすい言葉ではっきり説明しています。

ここに書いてあるのは、こういうことです。《トピカ》(Topica VIII. 9, Bekker 160b15)で書いてあるのは。

相手が例えば反論してくるのは、論理に欠陥があるわけですね。論理に欠陥があるとは、相手が結局納得できない状況とは、曖昧な部分があるとか、論理が間違ってるとか、色んな理由がありますよ。

先に言ったみたいに誤謬と言い、エラーがあるということ、それは結局、相手に主張する前に自分の中でもう決定的に攻撃するわけです。

要するに。相手に説明して、私が言ってみれば、相手に言う前に自分の頭の中で今自分がなした結論なり、思考過程は全てにおいて、例えばデータが合っているのかどうかとか、

それでこの論証がかなり正しいのかどうか、かなりあやふやなのか、あとはかなり硬いのかをですね。もうずーっと頭の中で考えて、

結局、相手に話すときは、確実なことだけ、話そうということですね。

これは大事なことで探求する中でも、結局できる限りものは、明瞭な状態で曖昧な部分がない、

結局だから、ここも関係してきまして、本当に中学生が分かるくらい、本当に日常会話だけで使うだけの言葉だけで、全て頭の中で考えたものをきちんと相手に話せるかどうかまでしまして、

その中の論理構成、話の流れが、全て明瞭にされた上で行うと書かれ、

それでああ、これ(Metaphysica I. 1, 980a21)は面白いですよね。これは全ての人間が、もうしょうがないと、もう知ることが、自然に知ることが好きなんだと書いてある。

探求が人間は基本的には何かを知りたいことでして、

しかも、ここ(Protrepticus, Ross 27)に書いてあるのは、笑っちゃうのが、結局沢山、哲学という言葉がでてきますね。「哲学」がここにも、ここにもありますよね。結局こういうことを言っているんですよ。

これはアリストテレスが、まだプラトンと一緒にやっていた頃、結構若いころに書いた本と言われていて、哲学とは何かについて書いた本でして、

これは何が書いてあるかと言いますと、今で言うと、結局哲学が嫌いだという人が、当時いたらしいですね。まあ、今までいますけれども。

でも、基本的に哲学とは、要するに嫌いだと言うなら、何故、嫌いなのかを探求しなきゃいけないということ。

それで何故、嫌いなのかを探求すると、結局、何故、嫌いなのか、何故を探求していかなければならない。

そうすると、それ自体が、もう哲学になっていると、結局人間はどちらにしても哲学をやらざるを得ないと言ってるんですね。かなり笑っちゃうけど。

それで結局人間は最終的には、やはり探求するんです。結局だから相手に例えば何かを説明しようとした時には、はっきり理由もきちっと分かった上で話なきゃいけないんですよね。

でなければ、相手は分かってくれない。相手は納得してくれない。同意してくれないですから、

だから、結局、同意、相手に対して伝えたときに、相手がそれをすごいうーんそうだなと思えるようなことをするには、

結局、探求して 徹底的に自分自身が発信者が分かってないと駄目ですね。

だから、人間はもう結局哲学するんだと、しかも、人間とは、本質的には、もう知りたいんだと、だから、結局これ見たときに私は思いました。

これは形而上学(Metaphysica)の一番最初に書かれていますが、

アリストテレスの面白いのは、結局こういうことですね。もう最初のところで面白いこと言ったんですよ!この結局大きな意味でね。

この形而上学をするときに沢山この後にものすごい理論的に色々組み立てていきますが、

それで例えば、私がKF-Ars Sinicaの中で一個の問題について説明しようしたとき、もう徹底的に分析して、細かい要素に切り分けて、全ての資料をお見せしてお話しするようにしているんですね。

それはどうしてかと言いましたら、これはアリストテレスのこういった形而上学とか、こういった書き方をですね。私は学んだんです。

私がこの本から学んだことは、アリストテレスから学んだことは、普通の人はこうですね。例えば、アリストテレスを研究している人は、アリストテレスが何を考えて、その一つ一つの事物、言葉の使い方とか、一つ一つの分析をして考えて、ああ、こういう思考過程だと、それ自体を研究しますが、

私は見方が違うと!彼は何を以てこうした本を興味を以て書き、何を言いたいんだについて、私はもっとざっくり見るんですね。

その仕組み、そうすると彼はこの本を書いた時は、形而上学、ものすごい自分が言いたいことを言う時に、沢山の音細かい要素に切り分けて、

もう一つ一つ説明して、最後にまとめますと、こういうなるんですよという、言い方をしてるんです。これはすごい説得力があるんですよ。

結局、結論だけパーンと言われちゃうと、読んでる人分からないんですよね。何でこう考えた考えたのかということ、

それをアリストテレスはデモンストレーション、証明と言いますが、デモしてちゃんと見せてくれてると!

だから、彼の本はすごい面白かった。それで相当説得力がありました。だから、何千年もやはり揺るがなかった。

でも、ただし今の科学といえば違うところは、当時知られていた知識の中で彼の言った言説はほぼ完璧だったわけです。

でも、今の人は今知っている知識から言えば、合わない部分もあります。

だから、大事なことは、こうした古い古典を見るときには、その内容より、意外と思考回路とか、思考過程をしてみて、本の作り方を見た方が、学ぶべきものは多いんと思ってね。

それでちょっと違う観点から、ものを見ていくのが面白いですから、KF-Scholaでちょっと話したかったんです。

それでここまできましたよね。体系化ときましたけれども、

結局このアリストテレスの論理学も、ユークリッドの幾何学、簡単な公理から全部を説明したいと(いう試みでした)。

また、パーニニ(Pāṇini)という人が書いた《八篇文典(Aṣṭādhyāyī)》という結局パーニニは、インド人でサンスクリットに文法に書いたんですよ。

それをはもう本当に全部規則が沢山羅列され、それを全部使えばコンピュータープログラムのように全ての言葉や文の作り方ができると、

パーニニは、めちゃくちゃ頭が良かっあと、普通文法を書くとすると、こう書きますよね。

例えば、何かを文法、英語の文法でも、何語の文法でも、日本語でも、こういう規則ある、こういう規則ある、こういう規則ある、こういう規則あると、沢山書きまくります!

でも、書きまくると、結局何が起きるかと言いますと、ただ、沢山知識だけが羅列されてどうしょうもない、取り留めが付かないですから、

彼は何をやったかというと、逆の発想なんですよ。沢山の現象が起きますが、要するに文法は、言語を人間が使った時に、その時にどういう現象が起きるかどうかを説明しますね。

文法は説明しようとした時には、根本的なその仕組みをこのような単語を出した時に先に見ましたよう、動詞から名詞にするときには(ギリシア語では)-ίαを付けました。ラテン語では-tioをつけて動詞が名詞になった。

そうした一つ一つの細かい分割した要素を全部羅列して書いたんですよ。

それは当時インドでは、紙がないから、貝葉というんですけどね。まあ、これで見ましょう!

これがパーニニ(Pāṇini)の八篇(Aṣṭādhyāyī)、अष्ट, aṣṭáは英語のeightと一緒ですね(印欧祖語*oḱtṓwに遡り、アヴェスタ語ašta、ペルシア語 هشت‎, hašt、古典ギリシア語ὀκτώ、ラテン語octō、古アイルランド語 ocht、ゴート語𐌰𐌷𐍄𐌰𐌿, ahtau、スラヴ語ⱁⱄⰿⱐ, osmĭ、リトアニア語aštuonì、トカラ語*óktä)。こうした貝葉で書いていたんですね。

結局だからこういうもので書くとやはりあまり沢山書けないから、節約して書かなければいけない。

もっと前はパニーニの時代は多分もしかしたら、口伝で伝えられたかもしれない。お釈迦さま(ブッタ)の言葉も、皆、詩文(偈頌)にして、口伝で伝えられ、あるところで文字化されて、全部こうした本にありましてね。

口伝で伝わったものを結集といい仏典を結集したと、それと一緒でインドでは、ずっと口伝えでいったときには、あんまり細かいことをああだこうだ言ったら、皆覚えられない、

だから、大事なことだけをエッセンスをそれでまとめたと、それでここに書いてあることはもうめちゃくちゃ、

これはグランタ文字といいまして、またズレちゃいますが、サンスクリットを書くとき、南インドの方の文字で、まあ普通に使っているのは、北インドのデヴァナーガリ文字を使いますけれども。

実は結構私こちらの文字が好きで、例えば、これが1804年にこの人(Paulinus S. Bartholomaeo)がラテン語で書いたサンスクリットの文法書ですが、グランタ文字でaはこうと書いてあり、南インドで使われました。

ですけど、まあ基本的に私が言いたかったのは、このパーニニは結局、今でもそうですけれども、インド人は結局頭がすごく良かったんですよね。

それでもう一個はサンスクリットとは、結局で先の(複数の要素を縦に積み重ねて表記するグランタ)文字の体系を見ても、そうでしたね。

先のインド=ヨーロッパ言語でも、そうでしたね。サンスクリット語の単語は、結局3から5ぐらいの要素(形態素)を組み合わせて、長い単語を生んでいます。

だから、結局先にお話したように語根に分けられるんですね。分割してラテン語とギリシア語もそうでしたよね。

まあ、古い言語になればなるほど、もう一つ言えることは、すごい文法ががっしりして、それでどんどん後になってくるとぶっ壊れてくるんですよね。

言語はどんどん使っていくうちにどんどん簡単になってきて、音も流れて短くなります(先ほどのサンスクリットaṣṭáはパーリ語aṭṭhaになります)。

それでそう見ると、サンスクリット、ギリシア語、ラテン語は、かなり古い言語ですね。だから文法がものすごくシステマテック、コンピュータープログラムみたいに完璧になっているんです!

でも、どんどん使うと人間が使うと、やはり、英語とか後の言語ですと、なかなか難しい所ですが、言語自体のそのシステムも影響して、

あと許慎の《説文解字》ですね。Ars Sinicaの方でよく出てきましたが、これは我々が使ってる部首法といい、あの部首、漢字を偏と旁に分け、部首で整理して、漢字を体系的に説明したわけですね。

結局こういった人たちは、皆大量の知識、大量の漢字を説明しようとした時には、部首に分けて、それで全部分類して、ああこれは糸偏だと糸と関係するとか、水偏だと水に関係するとか、そうしたカテゴライズして、全部のそうした大量の現象を少ない要素で説明したいと体系を生むのです。

その分解と言ってきましたἀνάλυσιςです。ἀνάλυσις, analysisとσύνθεσις, synthesis、分解と合成だと、物事とは、言語もそうですが、先ほど見ましたように、概念が結合されて作られていますから、結合された概念は一つ一つの要素に分解するわけですね。

このギリシア語のἀνάλυσιςは、ἀνά-が完璧に、分ける(λυσις)で resolutioのsolutio、solve、solutionとか、solは「分ける」という意味ですね。結局、re-は強意だから、結局溶解する、物質を水の中に溶かすことをsolutionといい、「溶ける」とか、「バラバラになる」という意味ですけれども。

だから。結局物事を(バラバラに分けるという意味です。)だから、今私はこの言語を単語を理解したいときには、分解して考えましたね。何でも分解してゆくと、どんどん根本要素が、要するに分かってきて、その結合から、ああ、この言葉や何々はこういう意味だと分かってきまして、

それで結局は全部は、今度は再構成しなくてはならないです。学問全体や言葉全体などですね。それでそのσύνθεσιςで、σύν-は先に見ました「一緒」、「合わせる」とか、θεσιςは「置く」ギリシア語ですね。英語でもthesisは、学術論文でこの言葉から来ましたが、一緒に置くから「合成」ですよね。

英語compositioは、今composerというと「作曲家」を言いますが、com-は「一緒」、σύν-と同じく「一緒に置く」、positioは「置く」ですよね。結局、音を一緒に置くだから、composerですね。モーツァルトは、音を楽譜の上で置く、日本語で「作曲家」となりましたが、元々これは「(並べて)置く人」という意味ですよね。

だから、結局合わせる、分割した要素の音を並べれば、音楽が構成されるという発想は、やはり西欧の(芸術や学術は、)ギリシア語とかラテン語から、結局こういう「分解」と「合成」で物事を理解しています。

基本的に先ほど見たみたいに言語学的にも、言葉自体がそうでしたが、このインド=ヨーロッパ語族は、ギリシャ語も、ラテン語も(同じです)。

だから、結局言語にやはり、人間は引きずられて、ものを思考が考えられると、日本人はあまりこれは得意でなく、やはり日本語は相当違う発想で言葉を使いますね。

だから、やはり違う言葉を学ぶと、色んな我々自分の文化と違う発想とか、仕組みで物を考えることができまして、

これは結局、先にお話したのは、もうギリシア(世界のアレクサンドリア)でパッポス(Πάππος, Pappus)という人が、先ほどのユークリッドに対して書きました。パッポスは、有名な「パップスの定理」が、幾何学でありますが、幾何学を研究した人でして、

ἀνάλυσιςとσύνθεσιςについて、私が今日本語でバーッと説明したことは、もうこの人は紀元後少し後、もう2000年も前にきちんと考えていたと面白い!

それで結局そうすると、分解したところによると、分解をどんどんしてゆくと公理、ἀξίωμα, axioma、axiomと英語で言いますよね。

結局これは措定するという意味、何かを想定するとは、要するに、何か構造をバーって作ろうとしたとき、最初にこれを考えておこうという意味です。

それが公理という意味で、何か公理というとすごい何かあれ(仰々しい)ですけれども。

本当にギリシャ語とか、ラテン語とか、本当に当時の学問やった人たちは、身近な言葉で付けた、ああ置いておこうと、元々考えておこうと。

そこからtheoremになり、θεώρημα, theorema(観察するθεωρέω、見るθέαが語根)。定理を導く、沢山の根本要素から、沢山の現象を証明してゆき、

これとこれはこうこれを組み合わせれば、こうだから、こうだ、こうだと、ユークリッドの幾何学は中学校とかで少し習い、分かると思いますが、

本当に線とは何か、点とは何かとか、そうした定義から始まって、それでこれは線はこうしよう、こういうところでは、交わらないとか、何とかだからとか、 本当に基本的なもうこれだけは認めようというところから始めて、

それをどんどんどんどん組み合わせていって、定理を沢山導いていくというシステムで考えたと。

結局これは「分解」と「合成」からなり、ユークリッドは、そこまで自分の本の中で書きませんが、でも《与件(Δεδομένα, Data)》は、先ほどのdataと同じで「与えられたもの」という意味でして、何をじゃあ想定すれば、この仕組みを理解できるのか、よく分析した本がありましたが、

もっと後の人は、ああこれは結局、彼の頭の中では、物事を幾何学の色んな定理がありますが、色んな事を分解して、細かいところに分解して、それを組み立てるようにして、一つの体系を作ってるんだ。

ということは、結局体系化をするとは、人間が例えば沢山の知識を大量に集めてきて、それをまとめていくとは、結局は基本的にこれだけは認めようというルールを作っておき、その中でそれを動かしていけば、全部が生まれてくるという発想を彼らは取ったと、ああ、それもすごい発想だと!

それともう一つ面白いのが、例えば、ここに書いてある拡張、何かものがあった時には、そこの中の体系だけでは、もう足りなくなってきたら、

今度は、新しいものを見つけたときも同じですけれども、どんどん概念を拡張してくるんです。

その拡張の仕方は類推すると、先ほど、新しいものでも証明する時も、例を似たようなものを集めてきて、人に説明するとお話しましたが、まあそこから出てるかもしれないですが、

ἀναλογία, analogiaというと、英語で言うとanalogyですね。私はこれすごい大事にしていまして、何故なら、結局、先ほどアリストテレスも言ってましたけれども、普通どこでも、何か学校でも勉強するというと、知識ばかり覚えてテストで書くだけ、その中で沢山覚えられた人間が強いという、テストで良い点取れて、皆から褒められるシステムになっています。

ものすごく簡単に言ってしまえばですが、基本的には本当はそれだけでは、それをどんどん突き詰めていくと危険があり、結局、今ある知識とか、今あるそのパラダイムの中、その発想の中では、それは上手くいきますが、 新しいものができたら、それでは対応できないんですよね。

何故かといったら、本当に新しいものだから、今まで覚えたことと合わないから、そうすると、もう右往左往してしまいますよね。もうどうしようもなく、途方に暮れます。それは困ったと、

しかし、もう昔からこういう賢人たちがやってきた発想は大体アナロジーです!結局アナロジーとは、ἀνα-が、「~の上に」という意味でλογίαは先に見ましたλογία < λόγος < λέγω < *leǵ-は「言う」「道理」「理法」ですね。

この上でだから結局そのシステムの今まであった発想と近いところでポンと一つのアイディアを出してくることですよね。

アナロジーとは、結局新しいものを見つけたときとか、自分が新しいものを見てゆこうとした時には、結局昔にあったもので、それを理解したり、見つけたりすることですから、やはり、できれば大量のデータがあったほうが、

結局新しいものにも適用できます。ただデータがあるだけ持ってるだけでは、宝の持ち腐れですけど。

その中のデータの中も、徹底的に分析して、一生懸命その仕組みを分かれば、新しいものが出てきても、ああ、そうか一緒だとなり、

これで昔の例えばインド人は、《正理経(Nyāya-sūtra)》と書いてありますね。ニヤーヤ学派というんですけれども。

面白いことにインド人の論理学は、アリストテレスの演繹(συλλογισμός, syllogism)の中だったのですけれども、

(それに対して)インド人はどちらかというと、アナロジカルに例証で証明する方を好んだらしいんですよね。

それでここ(Nyāya-sūtra1.1.6)に書いてあること(prasiddhasādharmyāt sādhyasādhanam upamānam.)は、結局証明するときは、例を持ってきて、それとこれは似てると証明できるとサンスクリットで書いてあります。

そうするとこれは、インド人はそうした発想と言えて、文化的には少しね違いがありますが、

でも、アリストテレスとか、すごいギリシャ人たちやアラビア人たちも、皆やはりすごい新しいものが生まれてくる。面白いことに人間が新しい文化が生みだす瞬間は、結局どういうことかというとですね。

間違えで言葉を使ったり、例えば、間違えるにしても、大きなめちゃくちゃな間違いはせず、少し意味がちょっと違うように使われて、新しい意味を言葉を獲得したりですね。

それというのは、それとかあとは、先ほどの言葉の名前の付け方もそうでしたが、ここにあるから何回も出てきていますけれども。

こうした新しい発想があった時には、今まであった近いアイディアから、新しい言葉を作るわけです。

これはアナロジーですよね。先ほどは言いませんでしたが。

というのは、古い、「味わう」とか、「知る」とか、「知覚する」とか、「認知する」とか、そうした言葉(seco)から、ああ、やはりサイエンスとは、やはり「知る」という意味でして、「科学」とは、全然違いますが、

これ(近代に)漢語で当てたとき、全然このインド=ヨーロッパ語族の言葉と漢語が違いますから、当時の人が一生懸命考え、全然違う風に変換されて、もう「科学」といえばあれです(ニュアンスが違います)けれども、

元々は「知る」という意味だったとか、そうした新しい哲学やり始めた人たちは、言葉を作ったと、それは今まであった「知」という言葉と「愛する」から、フィロソフィア(Philosophia, φιλοσοφία)だと。

これはアナロジーですよね。全部結局は新しい発想とかが生まれた時に名前を付けたり、新しい発想自体が生まれるのも、

言葉の意味を少し変えて使ったり、中国では文字学で例えば、つかむというところ(丑)から、紐といって、つまみになったり、つまみのヒモになったりとか、そうした似たような概念から、ポンポンポンポンとどんどん拡張されていき、漢字はものすごい多義で多くの意味があります。

一つの漢字には、色んな意味があるとは、元々あったコアのイメージから似たようなイメージにどんどん拡張されたアナロジーでした。

言葉の人間の使い方も、新しいものを見つけるときにも、このアナロジーは、もう何回も連呼してますけれども、ものすごく大切だということ、

どちらかというと、私もこのアナロジーを訓練していまいて、常にだから色んなものを見たとき、ただそのことを知識として得るという学びではなく、

ああこういうのもあったな、先にアリストテレスも言ってました、何かを見た時にパンパンパンパンと色んなものを想起して、思いついた。 ああだこうと、ここに似ているなど、そういう発想を沢山出してくる訓練です。

逆に沢山覚えてばっかりでしたら、何でもかんでも、暗記すると解決すると思ってしまいますが、でもところか、そうは問屋が卸さないということで、世の中にはものすごい難しいことばかりあります。

今はもう世の中がドラスティックに変わっていますから、そうした時代においては、古い知識を覚えること自体が、どうしようもないと対応できなくなってきていまして、アナロジーの時代が来たということで話しております。

それでここまで来て、実証主義と先ほどに全部を話しましたね。これ結局最後ここで資料を探求していき、資料を比較して、それで理論を考えますが、これを説明するためには、これを考えると言いましたが、結局はこの言葉で言えば還元法ですよね。

先に述べた資料を大量に集めて分析した中でこうした仮説が得られるとは、還元法のことです。先にはこちらで出てくるから、言いませんでしたが、

それで相手に説明する時には、その仮説も例証をしたり、これも、これもあるから、だからこういった仮説は成り立つという説明をしたり、

それで結局、仮説を見つける時には、大量の資料から、法則性を見つけることは、結局、帰納法ですよね。帰納をしているんですね。

それと演繹とは、結局ここで説明しようとした時には、まあこれも、そうですよ。仮説に、先ほどアリストテレスが言っていましたね。

人に説明する論証する以前に自分のところで徹底的にこの仮説が合っているかどうか攻撃しなさいと。徹底的にそれでも耐えたものを相手に投げなさいということです。

だから、結局その中でそうした時、実証主義とは、結局これは、今まで中世まで思弁的な哲学をして来ましたが、そこから実証科学になり、切り開いたのが、アル=ハイサムでしたが、

結局この仮説を説明が上手くいくか、いかないかとは、自分の中で考える時にも、人にも(伝える時も、)それで自然が証明できるかが(大切でして)、物理学で言えば、どんなに立派な学者が言っても、自然がそうなってなければ、その理論は捨てられることと同じですから、

結局本当の現実に合ってるかどうかですね。この仮説がそれでそれらを証明しておこうと、

後はこれも大分説明して、もう今までのを組み合わせれば分かりますね。

関係主義とは、結局物事を先にもう結構前でしたけれども言いましたね。ノードとノードみたい、点と点を結んで線とか、網みたいになり、知識とか知恵が体系になってるいきますけれども、

体系化してゆく、細かい個々の知識を全部網目のように組み合わせる、結局この分解と合成の状態のところでは、

合成していくときには、モノとモノの関係性を考察して、それをくっつけて、これはここに行くな、これはここに行くなと、全体を構成しますから、

結局、物事は、関係性で成り立っていると、ある知識だけが、あるものだけが、独立して存在しているのではなく、違うものと関係していますから、

結局それを分解すれば、一つ一つの要素に行くんですよね。それで合成すれば、網目みたいに関係してくると、

そうした物事の捉え方で考えていき、全体が関係づけられ、全部個々の要素が、全て綺麗に並んでいくのが体系化ですから、

そうして、構造主義というのは、もうこれもさっき言ったような構造ですね。関係させていったら、構造になっていく、全体の体系、構造。

ものを見た時に普通は、やはり一つ一つの知識に対して反応しすぎますから、そうした訓練をしています。

しかし、結局は沢山の知識を集め、資料データを集めて分析(analyze)したら、何を分析するかと言いましたら、結局構造を理解していきます。ある資料とある資料の関係性、ある資料に書いてあること、これとこれの関係など、結局、関係、関係、関係、その構造、それを理解するんですよね。

だから、ものとは、単体ではなく、大量に集めることにより、全体でそれを俯瞰して見たときに、その中でどういう構造をとるか、どういう関係性があるのか、それを分析して、

そうして世の中を知りたいとは、構造主義(Structuralismus) 、ストラクチャ(structura, structure)ですね。構造物みたいな、建築物みたいですよね。結局小さい部品がくっ付いて、全体ができているという、

それでそのくっつけ方がその関係性(relation)ですから、

そのように見ていくとですね。最終的には系譜学、まあこれ中国語で逆の「譜系学」になりますが、

系譜学 (genealogy) は、結局、関係主義、関係性で構造です。言ってみれば、ある言葉ではこうだった、それがどんどん、ゲルマン語でこう変化した、ギリシア語ではこう変化した。ラテン語ではこう変化したとかですね。

ある更に先祖の状態から、一つ一つ別れて行った時に、それぞれが変わっていくとかこと、結局これは構造ですよね。言語でも、学問でも、ある人が結局はこれ有名な人しか挙げてきませんでしたが、本当に、私の興味あるから超マニアックといいますか、レアな哲学者も全部調べてみましたら、

もうやはり学問も相当これはそうでして、思ったんですよ。

やはりこれは師弟関係がとても強いと、特に昔は何でかと言いますと、その本を読んで高度な推論こうした論証や推論や思考をできるというのは、

相当これは特殊だと、そういうことが世界にあるということ自体がですね。そういう人に会わなければ分からないぐらいですからね。すごい特殊だと、そういう伝統だということですからね。

ですから師匠から弟子にやはり伝えられてゆくと。 もしくはこういったは、先ほど言いました本で残るから結構、五十年経った後に昔の人がこんなものを書いていて、それに触発されて、そこからまた研究が進んだとか、

必ず関係性、何かの思考があり、 先人が考えたことに対して、またそれに対して応答する。このquestionに対して、responseするような、

そうして学問が成り立ちますから、結局、師弟関係など、もう一つ面白い事は音楽においても、近代のバイオリニストがピアニストもそうですね。

面白いことに驚いたことは、昔は今みたいにピコピコとインターネットで情報を集められないですから、楽譜一つを見つけてくるにも、レパートリーも、師匠と共通性があり、全然師匠と違うことをやりだすことは皆無です。

やはり、それは今の人から考えれば、やはり昔の人は、人との関わり合いの範囲とは、インターネットもなく、それでもすごかったですが、昔の人は沢山その分足で稼ぎましたが、

それでもやはり、人と人との関係の中で学問は、全部学問とか、こういう芸術もそうですが、全部人と人の関係で伝わってくるものですよ。

結局こういった思考だけが、何んか抽象的にあるわけでなく、人間の頭の中にそのデバイスが中にありまして、考えたきちんと装填されています。

だから、すごい人間関係を分析すると、すごく学問の流れとか、社会の構造とか、それも全部やはり関係性、昔の前にあった言語もそうでしたね。

それで言語の場合でも、先ほどからずっと見てまいりました。分析して、この語源学(etymology)という、中国語では詞を使いますが、これも日本語でも詞(ことば)と読みますが、言葉(詞)の源を調べるんですよね。

そうして、こうした探究する方法(methodology)は、ギリシア語でやはり方法という、英語ではmannerとか、そういう意味ですけれども、

方法を系譜だと!最後にこっちに行き、最終的にKFも説明されます。

そして結局、今はずっと話してきたことが、私の頭の中でよく考えると 、

偶々、今は物理学の歴史をめちゃくちゃダイジェストにここに書いてある名前だけじゃなくて、本当は違ういっぱいいるんですけど。 ざっくり過ぎましたけれども見ながら、

そこの一つ一つで何が起きたのかということを見てまいりましたが、全部それをまとめてみますと、

結局は人間は探究をしようとした時には、その方法論がありますが、

そうすると結局はここに書いたことに尽きますが、大量にデータが集めてきた方が有利で、その分析をする、それでこうなっているかと考える。それでもっとはっきりさせていく論証していくと、

ここでダメだったら、仮説がダメだったら、もう一回戻るんですね。資料のところを分析とか、ここのところですね。もっと資料が足りないのか、もしくは分析が足りないのかと戻ります。

それでああ行けそうだなというとき、論証をして、皆に発表すると、そういう仕組みだと。基本的になっていますね。

私がずっと哲学とか、言語学とが、科学とか、歴史とか、中華文化に関しても、考証学にしても、どんな学問においても、

基本的に人間はこう考えているとですね。ぱらぱらと見れてこれました。

アリストテレスの原典も見ましたし、この一つ一つの言葉を見た時も、このように分析して、まあ頭の中にあることを書き出してきまして、それでこうした原典も見ましたし、それでちょっと面白いものが、最後にありまして、

これがユークリッドが書いた本が、本というものが、どう伝えられてきたかということ、それでギリシアの原典もあり、これはピタゴラスの定理をちょうど証明している部分ですが、有名な図案もあります。

これは、アル=トゥースィー(الطوسي, al-Tusi)という、天才的な学者がいて、彼はペルシアの人だでして、まあアラビア科学とか、イスラム哲学とか、彼は天文学や哲学も研究しましたけれども。

こうしたアラビア人も面白いですね。昔の本はこう書いてあったら、註釈などは外に書きました。これも同じシステムでここに書いてあります。

基本的にはこうした本の作り方自体も、学問のスタイルを反映していて、ここに註釈が書いてある。ああ同じだということも言えて、

それでこれが私たちが見てきた、人間の思考様式を見てきた、オルガノンの一番最初のこの《分析論前書》、アリストテレス(の著作)もこうして伝えられてきて、ここに註釈を書くため、このページはキレイですよね。注釈が目結構書いてありまして、こうしていたり、これできちんと書いてありまして、こうして伝えられてきましたし。

これがオックスフォードのマートン・カレッジ(Merton College, Oxford)の計算家(calculator)の言葉からきているという。

やはり、こう書いて計算して、中世の人もこうして、幾何学的にものや文章で書かれ、ダイヤグラムもとても大事でして、

ダイヤグラムがここにも書いてありますよね。ダイアグラムで図示してものを考え、全てこういう思考スタイルでした。

私もこれ結構好きなんです。思考スタイル。やはり、物を見た時には、構造見た時には。言葉だけだと、もういっぱいですから、言葉になってきてしまうから 、やはりこういった図で書いてゆくと、すごい頭の中が整理がつき、昔の人もこうしていたと見てこれていますし。

それでこれがニュートンの有名な運動の公理(Axiomata sive leges motus)が書いてある。ここに公理(axiomata)ありましたね。

それで動く(motus)、法則(leges)だから、物体が動く法則の公理ですよ、ということでね。

有名な第一法則(Lex I)、第二法則(Lex 2)が書いてあります。そこから全部を導き出したと、これは1686年ぐらいにニュートンがやりました。

それでこれも、今度は先ほど人工言語と言いましたけれども、私がこの本に興味を持ちましたのは、

いきなり1+1が何で2になるんだと。そういうことです!私の発想は、何でなんだと、どんどん行きまして、1+1が何で2になるかに興味を持ちまして、

そうしたらしょうがないと、これ読んで、それをずーっと色んな定義をして、いっぱい定義して、色んなでずっと定理をこうして、これも最終的には、強烈なのは、全部、論理記号の操作において、全部、変形して、

数学で言えば、あれですよね。結局、式変形をして、どんどん変えて、

それでやっていくと、もう全部記号論理学、もう記号でしまして、最後は1+1が2であることが、ああ、ここで証明されるんだというまで379ページを使ってるという(笑)

やはり、普通の人はやらないけれども、百万人に一人くらいは、こういうことに興味を持って、何でなんだと、ここまで行っちゃうと、少し特殊ですけれども、いいんじゃないかと、彼ら(Alfred North WhiteheadとBertrand Russell)は、数学の構造を探究をしたわけです。

この先は色んなことをしまして、ブルバギ(Nicolas Bourbaki)という人たちは、もうこれを更に全部、スペクトル論など、微分方程式と積分方程式は、何でこうなのかと全部(公理から)導こうとした連中も出てきて、

それでディラックの場合は、もうアイディアが、結局方程式の美しさを求めて、それで結局そう考えていった人で、結構好きなんですよね。

結構こういった昔の人がやった生の資料を見ながら、結構面白いですね。これはディラック方程式を導く論文ですけれども。

それで《説文解字》の場合は、ユークリッドと同じように、こうした部首で漢字のこれは篆書でして、我々の漢和辞典の部首法が来ていまして、「八」とこれは楷書で書いてありますが、「半」とか、「口」とか、

それでこれ篆書(小篆)ですが、全部部首でこの目録を立て、漢字を全て(体系的に)説明しようと、すごい体系化のやり方をしたなとか、

それでこれが註釈を加えることによって、学問をしたという一つの例でもありますしね。これ《説文解字註》、段玉裁、有名な考証学者がやりましたと。

これが先ほどの《説文解字》の一の部分に《説文解字》の文章が書かれていて、註釈小さい半分の割註というんですね。割る註、一行を半分に割ってますよね。

小さい文字で全部これ注釈、これ「始」に対して、これだけ、これ全部小さく註釈を書いてるということです。

これの註釈の書き方が面白いことにやはり先ほど申し上げたように前の前の人たちは、使い方を言葉の使い方を全部これに関係するものを全部集めてきて、ここに詰め込んであるんですよ。

それでこうじゃないかじゃないかと分析して、結局この学問スタイルは結局、西洋のものと中国の学者も結局、同じなんですよね。人間は面白い。

これは本当に古今東西、同じようにしていたと思ったりとかですね。

それでこれは顧炎武が古い音はどうなんだと《詩経》という韻を踏んだ文章で分解して、これはどうなっているのかと、それを説明していますけれども、

それで江聲《尚書集注音疏》が強烈なのは、全部篆書で書きました!註を全部小篆で書いてありまして、

それはさておいて、彼は《尚書》、中国でものすごい儒教の文化で科挙の中で暗記させられ、ものすごい権威のあり、日本でも元号をこれから取りましたよね。

平成も元号をこの本から取りましたけれども、この本は実は偽作された本だと、証明するために生涯の大半を2, 30年かけて、もう色んな証拠を集めて、

まあ、内的にその本の中で使われている言葉の使われ方とか、色んな証拠を集めて来て、それで論証していったんですね。

それでびっくりしたのは、これを全部篆書で書いて、楷書じゃないという事なんですけれども。

それはさておいて、こうした学問的な著作において、こうした生の物を見ていくと、教科書に書いてあることは、もう洗練されすぎていますね。

本当に最初にした人たちがどういう発想でこういった学問を行ったとか、それは全部で消されてしまっています。

結局結論だけ書いてある教科書は、私はつまらないと!それは本当にミニマムとしてはいいかも知れません。

その中の学問とか、その知識としてはですが、私は本当に大事にしているのは、こうした原典で本がそもそも校訂本のみならず、こうした元の写本の状態など、

これだけ見るだけでも、ああ当時の人はこうして学問をしていて、色んな思いもよらないところに真実が隠されているという、

そういうことで、私はこういうものを大事にして、それで全部集めてくるんですよ。この分野において、一番最高のものです。

それとあと皆さまにお伝えしたいと感じているのは、この最高のその分野において、著作を見た方がいいんですよ。結局ものすごい数のもう人間生きてる時間が短いくらい、もうすごい数のボリュームがありますから、

全部なんて見てられないといった時には、もうすごい業績、業績と私が言うのは、新しい何かを見つけた人たちの原典の論文や著作などを見ますと、

本当にそれは益することが大きく、ものすごい色んなことを学べます。

こういった興味で、だからKF-Scholaをこれからも、我々が思ってることは、こういうことです。全部まとめてみますと、もう皆さんにも今で力説してまいりましたから、お分かりかと思いますけれども、

まとめてみますと。こうした本当の原典、原文を分析、あとはこうした本当の原典を皆さまと共有しながら、この人たちはどういう思考で考えたのか、その部分をちょっと、これからも取り上げてゆきたく、

私自身もそれに興味があって生きてきたみたいですから、今後ともやってまいりたいと思っております。

今回はもうKF-Scholaが始まるということで、ものすごく張り切り過ぎまして、

もう二、三時間ぐらい、どのくらい、三時間以上おしゃべりしましたが、

まあ、最長で八時間ぐらい喋り続けたことがあり、まだまだいけますが、

もうこの辺りで締めたいと思います。もう多分全て言いたい事はいい尽くせたと思います。個々のことはこれから一つ一つ見てまいり、

皆さまとシェア、この探求の喜び、今回は「探求の探求(an investigation on investigation)」について、

本当にこれからもこういったことを続けてまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。 本当にもう長い時間、ありがとうございました。

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