いつもありがとうございます。書画は描かれた対象そのものをただ見るではなく、書画を通じて描いた人や接する人の心を味わえる奥深さや面白さがございますね。
八大山人の《安晩帖》(1694年)は中国書画の屈指の名品です。最晩年作で動物が人間の機敏な心を語り、温かさや安らぎに満ちており、ユニークな世界をなしています。
八大山人はかわいい犬を描きながら、賛ですさまじいことを書きました。《維摩経》で不二法門は事実を分析して表現する言葉(二元論)を超えた根源を指します。
山岡鉄舟(1836-1888)は和歌「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」で富士と不二をかけまして、善悪や生死は表裏一体とを詠いました。
子犬が一心に眠る姿は、八大山人そのものが描かれました、と受け止められます。明末清初の戦乱に満ちた世の中に住みながら、無垢の安心を示しているようです。
書はこだわりなく深く鋭い線が良寛さま(1758-1831)のようですね。八大山人は明朝の皇室の末裔ですが、若い頃に清朝になり悲嘆にくれて、禅寺で出家しました。
王義之(303-361)の〈蘭亭叙〉(353年)に対して八大山人の行書〈臨河敘〉(1699年)は全く原型を留めていません(笑)文は《世説新語·企羨》劉孝標注によります。
八大山人の書画は、まあ肩の力を抜いて、小さな喜びを味わいながら、生きていることを楽しんで下さいねと語りかけてくるようですね。ありがとうございました。
• 劭長衡(1637-1704):《八大山人傳》(1688年頃)
八大山人者,故前明宗室,爲諸生,世居南昌。弱冠遭變,棄家遁奉新山中,剃發爲僧。不數年,豎拂稱宗師。住山二十年,從學者常百余人。臨川令胡君亦堂聞其名,延之官舍。年余,竟忽忽不自得,遂發狂疾,忽大笑,忽痛哭竟日。一夕,裂其浮屠服,焚之,走還會城。獨自徜徉市肆間,常戴布帽,曳長領袍,履穿踵決,拂袖翩跹行。市中兒隨觀嘩笑,人莫識也。其侄某識之,留止其家。久之疾良已。山人工書法,行楷學大令、魯公,能自成家;狂草頗怪偉。亦喜畫水墨芭蕉、怪石、花竹及蘆雁、汀鳧,翛然無畫家町畦。人得之,爭藏弆以爲重。飲酒不能盡二升,然喜飲。貧士或市人屠沽邀山人飲,輙往;往飲,輙醉。醉後墨瀋淋漓,亦不甚愛惜。數往來城外僧舍,雛僧爭嬲之索畫;至牽袂捉衿,山人不拒也。士友或饋遺之,亦不辭。然貴顯人欲以數金易一石,不可得;或持綾絹至,直受之曰:“吾以作襪材。”以故貴顯人求山人書畫,乃反從貧士、山僧、屠沽兒購之。一日,忽大書“啞”字署其門,自是對人不交一言,然善笑而喜飲益甚。或招之飲,則縮項撫掌,笑聲啞啞然。又喜爲藏鈎拇陣之戲,賭酒勝則笑啞啞,數負則拳勝者背,笑愈啞啞不可止,醉則往往欷歔泣下。予客南昌,雅慕山人,屬北竺澹公期山人就寺相見,至日大風雨,予意山人必不出,頃之,澹公持寸箚曰:“山人侵早已至。”予驚喜趣乎筍輿,冒雨行相見,握手熟視大笑。夜宿寺中剪燭談,山人癢不自禁,輙作手語勢。已乃索筆書幾上相酬答,燭見跋不倦。贊曰:世多知山人,然竟無知山人者。山人胸次汩浡郁結,別有不能自解之故,如巨石窒泉,如濕絮之遏火,無可如何,乃忽狂忽喑,隱約玩世,而或者目之曰狂士、曰高人,淺之乎知山人也!哀哉! 予與八大山人宿寺中,夜漏下,雨勢益怒,簷溜潺潺,疾風撼窗扉,四面竹樹怒號,如空山虎豹,聲淒絶,幾不成寐。假令山人遇方鳳、謝翱、呉思齊輩,又當相扶攜慟哭至失聲,愧予非其人也。
• 王古宇:《八大山人論集》(臺北:國立編譯館中華叢書編審委員會,1984 年)
• 王朝聞主編:《八大山人全集》(南昌:江西美術出版社,2000年)

紙本墨畫淡彩 31.7×27.5㎝ 京都・泉屋博屋館 清·康煕33年(1694年)
林公不二門 林公不二の門
出入王與許 王と許を出入さす
如公法華疏 公の法華疏の如く
象喩者籠虎 喩え象する者は籠の虎







