ユニークな漢字の先祖!約三千年前の甲骨金文を馬馬虎虎な感じで語りました!漢語(言語)と漢字(文字)についてもおしゃべりしております。字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。
2021年4月2日
皆さま、こんにちは!
前回まで文字に対して沢山語ってまいりましたけれども、
今回からはここに出ておりますように字形をやっていこうと、甲骨文から漢字の世界の旅が始まりますけれども。
ちょっと前回お話したここの所がポイントとパパンと要約してやっていきたいと思いますが、
そもそも、この「漢字のユニークさを探究」するシリーズが始まったのは、我々が普段使ってる漢字、当たり前の所に感激しちゃうという所から始まってますが、
改見て行くと行くと、当たり前すぎる所が、ものすごくユニークだった!ということは、ちょっとずつ伝わってきたと思うんですけども。
そのユニークさを伝えていくときに感じているのが、一つできる限り、これからも続けてゆきたい、専門用語(term)、それらをもう中学生でも分かる、日常会話の言葉で徹底的にお話していきたいですのでお付き合い下さればと思います。
それで先ず、字形に関して、「文字」という言葉がありましたよね。
「文」とは「文」の方、最初の方は象形された形、もう、ものを象ったそのものの形!
それで「字」とは、それらを部品をくっつけ合わせる、合成した形、それで生まれてきた「字」という言葉そのもの(*zlɯs, *mə-dzə(ʔ)-s)は、生まれて来したものという意味(漢蔵祖語 *m-dza-kでチベット語བཙའ་བ, btsa' baやビルマ語သား, sa:に関係がある「生む」「生まれる」「生まれた」、「子」*ʔslɯʔ, *[ts]əʔ, tsəʔと関係がある概念)ですから、
それで文字の進化とか、 文化の系譜が分かってきて、それでその文字がどんどん変化していったとき、
最終的に秦代に小篆ができて、それはもう戦国時代までに沢山使われた字が整理された形でして、
まあ、覇者となった秦国の大篆が基礎となっていますが、そういった形で大篆に対して小篆、
まあ古代ローマの政治家で大カトー(Marcus Porcius Cato Censorius, 紀元前234-149年)と小カトー(Marcus Porcius Cato Uticensis, 紀元前95-46年)と言いますけどね。
カトー(加藤!?)さんが二人いるからしょうがないと!まあ、最初の方が大きい(major)、次は小さい(minor)として、大篆、小篆と名をつけた!まあ、同じようなニュアンス(笑)という漢字ですけれども。
まあ、秦というと、まあ大体、西方で言えば、古代ローマぐらいの時代ですから、少し関係があるんじゃないかな(笑)
それでもう一つ字義ということでその中で「訓詁」という話をしましたね
それはそもそも「訓」とは、訓読みとか言いますけど、これは「訓ずる」とは、意味を理解する解釈するという意味なんですよ。
それでこの「詁」の方は、言偏が付いてるに「古」だから、昔の言葉という意味なんですよね。
古語、昔に使われていた言葉、それを今語、今の言葉で解釈していくということ、
まあ日本語ではよく「訓読み」と言われる、あれは意味なんですね!その漢字の意味を大和言葉で訓じているという、
もう一つ、「音読み」というと音なんですね!それは中古漢語、隋とか、唐の時代あたりから頻繁に日本と交流したから、その漢字の音を学んで持って帰ってきた音読みですけれども。
まあ前回はもう言葉の羽が飛んでいきましたけれども、
最初、文様とか、文身から、文化、文明、そして最後は、文人とか、文雅とか、そういったもうグレイスフル、エレガンスにまでいきました!
最初はもう本当に原始的な所から始まってバーンといったそれはすごかったんですけど!
それは漢字の意味の中にどんどん蓄積していって、漢字が多義になって、字義が転義していきましたね!
転じてもう沢山なっていった!
それでそれらを日本人は学んだわけですけど、昔中国から持ってきてね!それで訓読み!
それと音読みに関してですが、これは音韻、漢字には音があり、これは漢語の音ですよ!それは日本語とは全く違う別体系の言語ですよね!
それでその中で伝統的に漢字の音を最初の部分と終わりの部分で半分にぶった切って記述した!全てを定義しました韻書がありましてね! それは反切という方法で書いてありましたが、それはその前半部分が「音」「声母」、本意で後半部分が「韻」「韻母」といいます!
韻を踏むから「韻母」なんですよね! 漢字の音は研究が昔から始まって、そういった韻書ができた理由は、美しい詩を作りたかった!そういうことなんです!
韻で全部整理してある体系立てられた本があれば、あ!この韻とこの韻が上手く踏んでくれるから、これを使おうかと、結局なるわけですよ!
非常にシステマイズされて(系統だてられて)、そういった定型の詩ができて、
それは詩とか、漢代には賦がありましたけれども、
だから、そうした形で文化とか芸術に関係していたと!本当は学問として、どんどん調べてたかったということではなかったんですよ!
本当に詩賦、詩を作ること、 それと書画篆刻、それは字形に関係してきて、その魅力的な文字でやっていきたいと!
そういった(文人たちの)芸術の中で字型や音韻なんか、詩を作ると言えば、結局、意味も大事ですから。
結局全部3つは詩を作る、書画、篆刻、それらの芸術ともう密接な関係がある! これは単なる学問的な興味だけじゃない!本当に意味のある探究だと、もう力説してしまいました!
これから、我々がやっていきたいのは、字形ですけど、一つ大事な事ありまして、この間、もう実は沢山こんな方言がありますが、
これらは言語学者が、もう一生懸命、もう辺鄙な山の中まで入っていき、これはどういう何ですかと質問攻め!もう質問しまくり、もう一つ一つ調べてくれた!
そういったものすごい膨大なデータがありまして、それがあるからこそ、我々が考えていけますから、もうそれらを調べてくださった先人たち、言語学者たちに感謝するということでね!
今回からずっとやってきますのも、もうものすごい数の、要するに甲骨文や金文から使われた漢字を見ていく、今もう画面にあるから、皆さんもこれ何なんだと気になってしょうがないかもしれませんけれども、
全てこういったものは文物をずっと伝えてくれたり、見つけてきてくれたということでね。
探究は一人だけじゃできない! もうすごい数の人の努力と知恵の結晶に支えられていることを、先ず身に染みて感じると思うんですね。
それがKF-Ars Sinicaです!中華文化を系譜で辿る!そういうことで、先ず今私申し上げた詩賦と書画と篆刻て言いましたよね!
まあ、音韻学や訓詁学は、もっと後にやりたいと思いますけれども、
書画篆刻などが、本当に漢字というものを知っていくことにより、ものすごく本当に感じられることが分かりますから、その話がこれからシリーズでずっといくと、少し期待させてしまいました(笑)
もう先ず「文字は生きてるんだ」ということ!これは「気韻生動」ということでしたけど、
これは元々画論から来ていると!
昔から中国では書と画、これは密接に関係あると思ってるわけですね!結局両方とも筆で書く描くわけですから、
だから、書画や篆刻の極意は結局は線!線が命です!それを読み解いていく!その線と会話する! そういった線が語りかけてくる!
そういった感覚をこれからやっていきたいと思うんですよ!というのは、結局、漢字のユニークさの中で、もうすごく線的な骨格構造や部分の強調があると話しましたけど、
細い線の動きと流れもあると!それがもう本当に書画や篆刻の極意じゃないかと思うんですよね!
ですから、本当に書画とは、結局、筆やもしくは印の刀で書きますから、線で描かれている!
だから、我々はこれからやろうとすることは、「漢字と友達になりたい!」ということなんです!
というのは、こういったもう最初の今知られている最初の所から使ってる時に、もうその時、その時の当時の人と同じように漢字とか、その表現を体ともう反応しちゃうという!そういうことなんですよ!
本当に筆法とか、もう刻法とか、筆の使い方、刀の使い方などとか、作品作りにおいても、まあ、結局それらを見る目がなければ作れないわけですから、作品をその見る目を養いたい気持ちから始まりましたが、
だから、それはまだ外から漢字を見てるんですよ!
じゃなくて、最後は「漢字と友達になっちゃう」という、どういうことかと言いますと、もう外から見るんじゃない!中から湧き上がる共感を強く感じて、一体感!それが大事じゃないかな!これが本当に漢字の...
漢字だけではなく、もう芸術でも、何でもそうです!もう、極意じゃないかと思っております!人生の極意かもしれない! それこそ人生が豊かになりますよね!
というわけでKF-Ars Sinicaは、人生を豊かにしたいという気持ちからやっております。
それから始まりまして、先ずここにある、これは何だと言いましたら、もう漢字や文字の形を見ていこうと言ったら、
一番最初の状態では、じゃあ、どうやって象形をしたのか、形を象ったのか、それを見ていきたいなと思って用意して参りました!
馬と虎がいる!これどうしてだと、これは今現代の中国語で馬と虎と言ったら、馬馬虎虎(mǎmahǔhu)とは、大ざっぱとか、適当とかいう意味ですよ!まあこれはジョークですよ!
馬と虎を持ってきた理由として、本当の理由は、やはりもう象形文字といえば、馬とか虎が、もう象形文字の中の象形文字だろうと、
偶々、私、沢山の甲骨文の拓本を見ていますけれども、この中で印象深かったのが「虎」と「馬」
更にこの玉、中国はもう本当にもう漢字ができるよりもずっと前から、良渚文化(長江文明、紀元前3500-2200年頃)と言いますけど、玉が好きだった!ものすごく好きだった!
そういった中で(殷の)虎と馬が玉であるんですよ!それを見ると、本物の生きてる馬(や虎)とは漢字はデフォルメされてるんですよね!
これで表現されている!生きているものの形を象るのは、どの文化圏おいても、芸術の起源ではありますけれども、
中国ではもう最初から、この例えば馬を見れば、これ目が強調されている!ものすごい!それで尻尾、それと鬣(たてがみ)や耳もある!これで口や足ということで、
こういった形で実際に生きている馬より、線的ではあるんですよ!非常に面積はあるけど、結構狭い!
それで、こういった部分が、足とか、これは突起した部分とか、本物の馬はこんな目してないですよ!
だけれども、これひっくり返見て頂く頂くと、「臣」という漢字がありますよね!あれはこれ180度回転すれば、これもそうですが、反時計回りにして頂ければ、「臣」も「目」という字もそうですね!
だから、すごいこういった部品が文字と同じように対応してあると!これはすごいびっくりした!
それで、この馬の尻尾の模様も付け方も非常に似ていて面白い!
玉で作られたものと文字で象られたものが似ている!私はすごくびっくりしました!
意外と文字の形ばかり調べてしまいますが、実は当時のこうした美術品との関係は非常に面白くて、一つ当時の人がそういった動物をどう目で見てたのかが分かるということでして、
ここにあるのが、金文でも、この間、私は「族徽(ぞくちょう)」と間違えましたが、「族徽(ぞくき)」ですね。安徽省の「徴」ですが、ある一つのまとまりのトーテムみたいな、そういったシンボルとして、こういった動物がありまして、動物以外にもあるんですよ!
それで金文でも、文字の中で出て来る金文よりも、こちらの族徽が、まだかなり元の動物の形に近い形で残ってるんです!
この玉で作られた馬や文字と中間くらいの様子ですね。こう見るとかなり特徴が、ここは耳かな、これはありますね!
非常に似通ってる!この鬣の感じも、すごい似ている!これ本当にびっくりしています!
あと文様との間を見ると、もう一つ、それはもうこの辺りまできますと、文字になりますね。
どんどんどんどん、私はこの並べ方は少しずつ簡略化が進んでいく、逆に言えば、この面積が減ってるんですよね。
最初は面積があるんですね。 面積がどんどん減って、ぺっちゃんこになって、最後は最後一本の線になっている!
ここが一本の線になっている! ということが分かる!
ここもそうでそれもう一本の線ですよね!
こうなっちゃったら、もうこれ馬だと一回聞けば分かりますが、初めてこれを見た人に「これ何だ?」と聞いたら、絶対馬とは見えない!
それぐらい抽象化されるんですよ!
抽象度がどんどん高まっていくように配列しておりまして、こちらですね!
それでこの甲骨の中でも特徴がありまして、文字の中でも出てこなくて、何故か知りませんが、一つの拓本を見れば、文字としてよいのか、「虎」だけ一つだけポンと出てくる!
それで見るとこの網網さんのところで、丁度、ど体の模様が良く線で表されている。
それで面白いのが、個々の部分ですね!やはり耳でしょうね!全部共通していますよ!それで見えていると!
それで尻尾ですよね!
面白いことが、もう一つ、この手の形が、人の手の形でもう「又」もそうだったり、結構この手はいっぱい出て来るんですよ!
甲骨文の時代から、この甲骨文の程度、非常にも、同じ様式化されているというか、
同じ形で手は、もっと本数があってもいいのに、こうなって、一番上の外と中と骨のこの部分で、こういう形で線になってることも、面白いんですよね!
この手も人間の体として、この形で出てきます!
金文すから、こういった形になりますが、
本当にこう形で人の手が略されることもありまして、
だから、逆に言えば、 虎だろうが、人だろうが、この抽象化のされ方が一緒だということで、
非常に面白くて、この網だってどんどんどんどん減っている!
そうするとどんどん、これがこちらみたいに線的になり、ぺっちゃんこになっていくと、どんどん文字に近づくわけです!
もう、これは文字として使われている!これは族徽、シンボルマークとして使ってる!これは戯刻という遊びで刻されたけれども、
ものすごく、これ見て感じるのは、耳があって、耳はいいですが、これ相当これ抽象化されていますよね!
口でしょうね。ここはこれに対応すると見れば、それで目はここは目はあまり強調されないけども、目が大きい!
もう、頭の面積がなくなり、目しかないという、
それでここの首の線が一本だけ!これよく見ればすごいですよ!こんなそれでこうなって、こうなって、それで下にこの毛のところが「糸」という字の房の一番最後の下のふわふわになり、ほぐれちゃってる感じ、そういうところと同じ表現なんですよ!
つまり、これは沢山の毛があるものは、こうして抽象化されると、
これ馬の尻尾でも、糸の端っこのほぐれでも、同じように、筆という字もそうですが、これもこういう形でなる!
これすごい抽象化のされ方としては、非常にシステマテック(系統だてられているん)だと!
象形文字、ああ動物の形を象った(原始的方法)というふうに思いきや、 かなり(高度で)システマティック(系統だてられているん)だと!
象り方がもうその本物に実体物と!
まあ、族徽といえば、図象ですね!文字といえば符号ですね!
そういった本当に鬣も三本に抽象化されていて、こういったことが、まだここはちゃんと体はある!
でも、足がもう一本になってるという、それでどんどん進んでいくと、これがまあこれはまだ近いかな!
これで脚がこうなる場合がある!
まあ、これはほとんど似ている!
だけど、ここまで来ちゃうと、もう本当に線になっちゃって、馬か分からないぐらいですね!
それでちなみに今「馬」と書くので横にピンピンと三本出ているのは、この鬣のこの部分ですよね!
下の「灬」のうちの一本はここで「灬」の部分が、今でいう楷書にも、相当その後で色んなことが起きるから、かなり大雑把に言えば、ということで、ちゃんと字型構造は、この我々の楷書にまで引き継がれていると言えるんですけども、「虎」に関してもそうですが、
そういった形で先ず線で象られるときには、結構これは強烈に抽象化されていくときに特徴があると!
これでいえば、人間の眼で大きいものが「臣」という形になったり、これなどは我々が使う「目」という字がそうですよね!これは反時計回りに九十度傾ければ「目」ですから!
ということで、本当に人間だろうが、動物だろうが、物体だろうが、同じような形は、同じような形で、抽象化される、線的になることが分かって来れたと思います。
ですから、これからずっと見ていく、この線のちょっとした今度この動き方、この流れ、これは漢字は究極的に線的になりますから、ちょっとした流れが変わっただけで、全然そういう風に見えなくなりますから、こういったものを見たり、
実際に自分でじゃあ篆刻とかを作る!書で書くとなった時には、もうこの本当のこういった動物より、かなりデフォルメされた形、このどういう仕組みでデフォルメされてるのかが、もう身に染みて分かっていないと、
元の甲骨文や金文とは、もう全然違うものになりますから、
本当に線の細い流れが、これだけ抽象化されているが故に重要になってきていると言えると思います。
それでちなみにいつも「文字と言語は違う」ということを話してましたけども、
言語の方から言うと、一つ上手く峻別しておく、区別しておくことが大切ですから、申し上げたいと思うんですけどね。
この我々は「馬(うま uma)」と言いますけど、これを「虎(とら tra)」と言いますけど、
この馬は、上古漢語では*mraːʔ, *mˤraʔと発音したんですよ!
それでしかも、それがチベット語 རྨང, rmang、ビルマ語 မြင်း, mrang:など、全部まとめると、漢蔵祖語までゆき、*k-m-raŋ ~ s-raŋから来ているわけですけど。
まあ、日本人はかなり古い時代にその漢語の音に接触して、もう和語、大和言葉みたいになってしまってるけど、馬(うま、uma)はやっぱりこの*mraːʔ, *mˤraʔからmmaというところから来てるんですよ!
しかも、この虎もそうなんですよね!元々馬と虎は日本にいなかったんですよね!だから昔の日本人は知らなかった!
それでこの「虎」の上古漢語は*qʰlaː, *qʰˤraʔという音なんですね。それでビルマ語ကျား, kya:、彝語、中国の四川省の南の方にある言葉ではꆿ, latと、もう前の子音も落っこちていまして、
それでこれは、元々、オーストロアジア語族(南亜語族、モン・クメール語派やベト・ムオン語派の先祖)から来ていて、もう中国の南の方にいた語族で*klaʔという音だったらしいですね。
そこから漢語として昔に外来語として入ったという説があって、何か似ていると!(タイ語 ขลา, klǎaにも借用され、更に古楚語の於菟 *qaː daːも音写です。)結局、(日本語の虎、とら traも)上古漢語「虎」*qʰlaː, *qʰˤraʔから来ていると感じました!
昔から馬に関しては、かなり古い中国語からとは言われていましたが、(ちなみに「馬」の上古漢語*mraːʔ, *mˤraʔは、イラン語派*xárahから借用して、漢蔵祖語 *k-m-raŋ ~ s-raŋは語尾ʔ/ŋが異なりますが借用された可能性があります。「車」*kʰlja, *t.qʰAは、イラン語派 *ćakrámかトカラ語*kuk(ä)leから借用とされ、究極に印欧祖語*kʷékʷlosにまで遡り、英語のwheelと同語源です)、そういった形で楽しく文字と言語をやって参りたいと思います!
甲骨文で金文でこの動物はどう象られたか、お話しましたけども、気づいたことがあるんですよ!
やはり、甲骨文とはここにもう出てますけど、これは玳瑁(タイマイ)の、(即ち)亀の甲羅、もしくは甲骨の骨ですから、
そういったある程度柔らかい表面に、この殷墟、殷の人たちが住んでいた場所、滅亡した時に首都だったところ!
そこで玉や青銅の刀が出てきちゃったと!刻刀、刀で刻んでいたと!これは今の篆刻の刀、印刀と似ているんです!非常に似ている!
まあ、これはもうめちゃくちゃシンプルだから、そんな変わりようがないんでしょうけれども似ていて、
それで見ますと刻してある!でも、私が先ほどぞとかこれからも見ていくのは、基本的には拓本、この甲骨の上に紙を貼って、ポンポンポンポンとそれで墨で写し取ったもの、それを見るんですよ!見やすいですから、白黒で反転して字が白く浮き上がってきますからですが、
本当はこういう形で刻ってあると見えるんですよ!だからこうした甲骨の拓本を沢山見ていき、漢字とお友達になれるんですけれども、
そこでちょっと一つ見てみたいですが、ここでは面白いことにこういっあ甲骨は、占いに使われたんですね!
その占いの内容、記録や結果などが刻まれているんですけども、
不思議はことにここのところで刻んであるものを見ると、
まあ、どっちでもいいですが、まあこっちでいきましょうか!(せっかく)実物があるから!
まあ、ここに私はその釈文といって、今の漢字にどういう風に書いてあるか、楷書に変えて直したんですけど、
それを見ますと、「辛酉」は干支で「辛酉に卜う」と書いてありますけど、
「𡧊(賓)」は占った人の名前ですね! 「𡧊(賓)」という人が占った!
「貞(*teŋ, *treŋ)」は鼎(*kleːŋʔ, *tˤeŋʔ、鼎の語源は漢蔵語の甕 *m/ʔ-dik/ŋ)という青銅器の形から来て、その音を借りて書いていますね。(貞の語源は同じく鼎の字を借りた「眞(*ʔljin, *ti[n])」とも関係があり、真実と同じ意味のチベット語 བདེན, bden、ロロ=ビルマ語 *dzyaŋ、クキ=チン語 *ɗik ⪤ ɗiŋ、涼山彝語 ʥɿ³³、ナガ語 *C̬-jiːŋ、劍川白語tsɛ̃⁵⁵ 、ジンポー語 te̱ŋ³¹と関係して、真実を定めることから、貞めるから占いという流れが考えられます)。 これは占った人の名前!
それでその後にこの三文字「𠔉(券)各化」に関しては、ちょっと今の漢字にこれ直していいか微妙なところがあるんですよ。
もう一つ言いたいことは、甲骨文の時代に使われていて、ある程度、今の漢字では部品は似ているけれども、後の時代に漢字に引き継がなかった字形も結構あるんですよ!
つまり、子孫が絶えちゃったから、そういう場合はどういう風に隷定といいますが、隷書に直すとは、今で言う楷書で今で我々の文字に直すとことなんです、平たく言えば!
そうした時に直しにくい字もあるんですよ!
でも、この字「𢦏」は「災」は分かりますから、これ見ると、こちら側の文章とこちら側の文章で、これ見てみますとそうですよね!
この赤字で書かれた所は、この「弗」という字は、これ「なかれ」ですよね!
その字はこれとこれですね!この二字「弗其」ですね。
それで反語のように書いてあるんですよ!
こっちは「災いがあるのか、ないのか」とたずねている!
必ず甲骨にはあるんです。すごく私がこれ選んできたのは壊れてないんです!
一枚でちゃんと残ってた!
甲骨はもう脆いから、殆どは出てきた時にはバラバラなんです!
なのにこれきれいに残っていて分かるんですけど、すごく良い標本として持って参った!
それで見ると、必ずだいたい、この半分で左右対称にして、しかも字形も反転してる場合があるんですよ!
要するにこっち側とこっち側で鏡に映して、ちょうどという感じで見ると、
こっち側とこっち側で内容的にも逆のことを書いてある!
言ってみれば、シェイクスピアの「to be or not to be」みたいな 「あるのか、ないのか」ですよね。反語的に書いてありまして、面白いんですよね!
それで私はこれ面白いから、しつこく言います!
文字の形と言語というのは、言語を書いていて、この文字はだけれども違う!
「語源と字源は違うということ」でして、この「弗」は面白くてちょっと調べちゃったら、上古音では*pɯd, *p[u]t, putというんですけど、これは不可能の「不」は*pɯ, pɯʔ, pɯ', *pəなんですよね!それに t がついただけじゃないかと(*-ɯd, *-utは能動態を示す接尾辞です。)!
それでかつ否認の「否」*pɯʔ, *pəʔは声門破裂音(glottal stop)で喉の元で止める「ʔ」が付いていて、非常の「非」も否定しますよね。 非常とは常じゃない(常に非ず)ですね!*pɯl, *pəjとl, jが付いて(唯, 惟*ɢʷi, *ɢʷijを含み、それをpで否定と解析され)、
全部 pの音が付いている!その最後の語尾の接尾辞(suffix)が違うだけで全部、語源的には一緒だと!
これらの漢字は全部、上古漢語では同じ言葉から派生して作られた単語じゃないかと!
もう一つ「亡」は*maŋ, *maŋというんですよ!これで「無」*ma, *maですね!これで「毋」 、「母」みたいな字、あれは「母」から借りてきた字で*ma, *moです!それでしかも「勿」*mɯd, *mut、それで今度は未定の「未」*mɯds, *mət-sですよ!
としていくと、「勿れ」でも、「莫れ」という「莫」は*maːg, *mˁakでそれを見ると全部 m で始まり、今いったこの普通の場合は p であり、m系(m-type)と p系(p-type)がある!
古い上古漢語にはmで始まるものと p で始まるものが二つあるんですよね!
面白いことに p で始まるこの「弗」*pɯd, *p[u]t, putの場合は、原始タイ語*ɓawᴮ, boːᴮ, miːᴬと関係があるんじゃないかと、
要するに南の語族の方に関係してるかと!?
これで m の方は、例えばチベット語མ, ma、མི, mi、མེད, med、ビルマ語မ, ma.で同じですよ!今の中国語で「何ですか?」とは、「嗎」maとつけますが、あれはみんなmですよ!
それでしかも、もうどんどん盛り上がっちゃっていますが、「甚麽(什么)」shénmeと今の中国語で「何ですか?」の「麽(么)」meもそう!否定辞からきた疑問詞!
疑問する時には、(日本語でも、英語でも、何語でも、)「じゃないか?」といいますよね。それで「甚麽(什么)」shénmeは、今の中国語で「何ですか?」、 広東語で「冇」mou5は「有(ある)」の中の二本線を抜いて、「冇(ない)」という変な漢字を作っちゃっいましたが、
少なくとも、その m型は皆やはり漢蔵祖語maで、それに接尾辞(suffix)がくっついている形ということで、
この否定辞だけを見るだけでも、文法的な機能を書くことができたことは、つまり当時に近かったような発音で音を当てて仮借した!
それの一つのすごい良い例でして、それで今私が申し上げた漢字の字源について、長くなりますから、少しずつおいおい出てきた時に、皆さんお興味を持ったら調べて頂きたいと思いますが、
そういった形で全然違う漢字が当てられてるんですよ!(全部違う形を)象ったものをということで、
言語と文字とは、特にこういった文法的な否定辞は象形字は難しいですよ!それなら音を借りてきちゃえというとき、色んなところから借りてきたんですよね!全部違う(笑)
この「弗」は縄でものを縛る形と言われるんですね。縄で「己(紀、記)」という字がありますけど、その部品が入ってるから!
それで棒が二本縦にあって、ちょっと話が行き過ぎましたけども。
本当に何回も私は申し上げたい!「文字と言語は同じように使われてはいますが、そういったくっ付かず、離れずという関係がある」と見てこれました。(いつもご覧下さりまして、ありがとうございます。今後とも何とぞKF-Ars Sinicaをよろしくお願い申し上げます。)
2021年4月6日
馬や虎の訓読みも、そもそもは過去に伝来してきた音かもしれない、というお話とっても面白いですね。 文字というのは言われてみれば、情報を記録・伝達するための道具としての役割と、芸術という価値の2つを併せ持っているわけなんですね。文字を発明した当時の人はそれそのものの芸術としての意味合いが強かったんでしょうかね。 毎回濃密な動画をありがとうございます。スキマ時間に頭がパンクしそうになりながら(笑)すこしずつみさせていただいています!
いつもお楽しみ下さり、ありがとうございます。はい、大和言葉にも、色んな基層があり、最近の研究(Alexander Vovin 2014)では、日本語の馬(うまさん🐴)や虎(とらさん🐯)はタイ=カダイ語族にも関連して借用されたらしいとまで議論されたり、日本語族Japonicは中国南部でオーストリック大語族Austricなどの言語と接触していたようでして、山東半島→遼東半島まで北上して、朝鮮半島を経由して、九州に移住したルート、中国沿岸から日本に航海したルートが想定されており、最先端の知見に基づいて発言しておりました(そのためタイ・カダイ語族への借用も字幕に少し書きこんでおきました)。文字を発明したとき、芸術として考えていたかは分かりませんが(また「芸術」という概念が生じたのは近代西欧社会ですが、レトロスペクティブに例えばエーゲ海のキクラデス文明の遺品をキュービズムのような芸術作品として感じられるという意味合いで見てみますと)、甲骨金文などの文字が、単なる符号ではなく、ものすごく生き生きとして、細かい線の流れまで考えて表されていることから、文字に強い思い入れがあり、殷周では限られた人たちがきちんと伝承してきた技術であることが、字形の訛りが少なく伝えられてきたことから感じております!春秋・戦国時代になると、一般化してきて、字形が訛り、文字の使い方も多様になりましたことが分かりますね。 https://www.academia.edu/7869241/Out_of_Southern_China