漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。
2021年4月9日
皆さま、こんにちは!
「漢字のユニークさを探究していこう」というシリーズ、KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)で続いておりますけれども、
前回はここにある甲骨文を見ましたよね!
それで否定辞「弗」、これどういう事なんだという所から始まってしまいましたけれども、
そこから炸裂しましたけれども!
この漢字のユニークさ、この当たり前の所に感激していったというところ始まって、
もうずーっと言ってきております。
漢語と漢字、それは言語と文字の関係、ずーっと主題でした!
それでその中で一つ考えがございまして、
やっぱり語り口が物事をしゃべるのに大事ですよね!
実はこれ、めちゃくちゃ色んな概念が出てきて、こんなのもあった、あんなのもあったと、
それをできる限り、整理した形で分かりやすく、親しみやすく意義のある内容を話したいと心がけておりまして、
もうものすごい用意をしてるんです。それと議論を重ねて、どうしたらもっと良くなるのかなと一生懸命やってますので、どうか楽しんでいただければと思います。
もうすっごい熱意を持って作っております。
それで漢字の世界で、もう脳みそが開いてきたと思いますんですね。今回もやってまいりましょう!
ということで、もう本当に長たらしい説明をするより、 やはりキャッチフレーズみたいに、この概念はこうですよ!と、
そう言う表現を考えたり、そこから一つの世界、歴史観、人生観なんかも、もう言い表せちゃう、見れて来れちゃう、
そういう工夫をしておりまして、毎回もうKF-Ars Sinicaでは、もう語りの芸術を目指したい!ということなんですよ!
もう俳諧、俳句みたいに、もう切り詰められた表現から広がっていく世界観!
そういう言語や文字の窓から眺めた世界を歴史、人類を見ていきたいと思います!
というような形で、もうやっておりますが、もう最初から盛り上がっちゃったら大変だということで内容にゆきたいと思いますが、
この前回は否定辞、ものすごい入っていったし、もう一つ、この甲骨から、こういったものを用意してきて、
色々一つ一つの字を見てまいりましたけど、
思ったんですよ!一つ!
この「學」という字をもうちょっと語りたかった!と思って、そんなものを用意してしまったんですよ!
前回は上古漢語と甲骨金文、こういった言語、文字それらの関係性を見ていきましたけれども、
もっともっとちょっと、ここは掘り下げるべき内容だと思ったんですよ!
というのは、これやはり文字は言語を書いているもので、それを切っても、切っても、切っても、切り離せない、
字形だけ見て、これがどうだ、なんだ、かんだというだけじゃ、片手落ちだと思ったわけですよ!
それで私、こんなものを持ってきたんですけど、 先ずどこから話していきましょうかねと言いますと、
この「學」、「学ぶ」、鄭張尚芳という学者が再構した上古音、
そしてこちらがバクスター(William Baxter)とサガール(Laurent Sagart)が再構した上古音ですけれども、
まあ、こちらのBaxter-Sagartを見ていこうと!何故かと言いますと、これを見て分かるんですよね。
Baxter-Sagartの研究は、鄭張尚芳の研究より10年ほど新しいわけですから、
言葉が分解されて、もっとはっきり分かったということで、こっちを見ていきたいと思うんですけど。
今回は少し趣向を変えて、言葉、その方から見ていきたいんですよ!
じゃあ、この「學」*ɡruːɡ, *m-kˤrukという音がどこから来たのか、
これを私調べました!そうすると結局、大量の漢蔵語族、もう上古漢語より、前の先祖の時代でもっと色んな言語に別れる前はどうだったか、
漢蔵祖語*krukという音が、もう沢山の言語を分析して見えてくると!
それでそれは結局、「覚醒する」とか、「起き上がる」とか、あとは「乱れる」とか、
そういった言葉でして、 実際この「覺」に今ありまして、先に見てしまいましたけど、
この「攪」*kruːʔ, *kˤruʔも、手偏がついて、こういう形で「學」*ɡruːɡ, *m-kˤrukと似たような部品「𦥯」を含んでおりますが、
それで実際、このチベット語 དཀྲོག, dkrogでも、「起き上がる」、「寝ていて起きる」、
それで西夏語 kioで「駆動する」、「動く」だから、「起きて動く」という言葉に関係するということですけど、
語根*kˤrukという部分は、これ「覚える」!そういう言葉、上古漢語に関係してるかと!
まあ、この上の部分「𦥯」が一緒で楷書「學」「覺」でも同じ部分「𦥯」を含んでいると分かりますが、
そこでもう一つ、見えてくるわけですよ!
もう一つ、この漢字そのものの字源、何を象ったものか、その部品がどこから来たのか、考えていきたいと!
今、私が言ったことは、音から行く、これは結局、言語から行くこと、
もう一つは形から行くこと、文字から行くこと、
そうしますと、この字源を調べたら、「六」と関係あるかと!
これ見て下さいと!「覺」*kruːɡ, *kˤruk、「六」*ruɡ, *k.ruk、殆ど音が一緒だと!
それでここはまた別の「六」は、また全然違う語源*d-k-ruk から来てるわけですよ!
これはもう色んな言語がありましてね!
ものすごい数の先に申し上げました大量の漢蔵語族に遡る言語を集め、
それで最後の音は*k.rukと言いましたが、まあちょっと一つ後で見てみたいと思いますが、
私が今頭の中で描いていることは、こういうことなんですよ!
つまり、この今、一つしか出していなかった漢蔵祖語 *k.rukという音を出して来るためには、
こんなにものすごい数のもう中国の南部から、もう東南アジアの方とか、チベット、インドとか、もういっぱい分かれちゃって、
もう少数民族が山の中にいっぱいいるんです!
そこの音を全部、拾ってくると、その拾ってきた中で、もう私は書ききれない!
もう、数百もあるんですから!もう、更にその下にはまた方言がものすごくありまして、
まあ、漢語の方言は、ここに書き出しましたけれども、漢語は結構長く記録が残されていて、色々と資料が豊富ですが、
これだけの全部、またその先祖を遡っていって、
更にそこをまた先祖をあみだくじみたいに遡るわけですよ!(画面の訂正:原始緬語 *C-krokᴸ → *kʰ-rjuʔ、克欽語 *k-ru → *k-rukでした。)
それでこの上古漢語「六」*ruɡ, *k.rukという音は、結局、下のこの漢語の様々な言語(官話、晉語、吳語、徽語、贛語、湘語、閩語、客語、粤語)の音の比較から、
また、こちらの沢山あります漢蔵語族の他の言語のどんどん先祖を遡り、これだけの言語が分かりました!
最後にこの漢蔵祖語に遡ったこの音と下の方からと上の方から*ruɡ, *k.rukという音が分かると!
まあ、この中の下の方からは、「l」と「r」が変わってしまいますが(Axel Schuessler (1974). R and L in Archaic Chinese, Journal of Chinese Linguistics 2(2): 186–199)。中古漢語からそうなりますが、
「l」もしくは 「r」の音(声母と「uk」という韻母)しか分からないんですよ!
上の方の漢蔵語系が分かりまして、そこでちょっと面白いものがありますので行ってみますね!
こちらですけれども、今私は申し上げた沢山、左側にありましたのが、
ものすごい数の漢蔵語族の言語で、ここまではあみだくじのように先祖に遡っていって分かりますと(これらの分岐はそれらの民族がどのように分岐したことにもよく対応します)!
それで今度、漢語の今の方言は、ここですよね!
本当に中国語はここ!
ここの言語をまたすると、ちょうどこの辺りが上古漢語(Old Chinese)ですよ!
ですから、この辺りが、中古漢語(Middle Chinese)、
ここを上から来る、それと下から上がるので分かったじゃないかなと考えられます!
先ほどの表を作るために用いた参考文献として、資料をここに全部書き出しておきました!ということで、本論に戻ってみたいと思います。
今のは、もう全部「六」でした!色んな原稿でだから明らかにこの起き上がるとは違う語源と分かるんですよ!
意外と数字は、もうどの少数民族でも、どこの場所でも、全てあるから、そうして比較しやすいため、今みたいな表が出てきましたが、
じゃあ、本当かどうか見てみたいなもんですよ!
こちらなんですけども、これが「學」!
甲骨文!それで金文の一番最初の方で、字形を分析する時は、もう一番最初のオリジナルな形で見た方が良いです。
どんどん字が訛って変わってしまう前に、字形が少し変わってしまう前に見ていこうということで、
一番オリジナルな形で行きますと、これ、この部品とこの部品が付いている!
大体、こした甲骨金文の初期の頃を見ていくときに大事なことは、
大量の字型の変化があるものを持ってくるわけですよ!
それで、その中で同じ部品が、その共通して存在している部品がどこか、先ず特定することが大事です!
そうすると、この部品これ「六」を全部含んでるんですよ!
下のしかし上の部分は✖だったり、✖の数が増えたり、 ✖がちょっと伸びたり、✖じゃなくて、何か逆V字になっていたり、手が付いていたり、✖に手が付いていたり、手の中の✖が増えていたり、全部違うわけですね!
ところが、この下のところでこの部品とこの部品の関係性を見ていったとき、
実は、今申し上げた「六」も、初期の頃はこの逆V字で書いていた。
それであるときから家「宀」みたいになっちゃって、
なんだか足が増えて、数字を書くとき、逆V字だと見分けが付かないから、特徴的な部品をつけ、文字を書き分ける工夫したと思われますが、
同じような変化が「學」の甲骨文にも出ていると、
これは字形から言っても、そうだろうと!
まあ、別の言い方をすると、 今この音を言ってきましたけれども、
言語の方から、そうするとこの部分「六」は結局音を表わしている!
この「六」のこの部品は音を伴い、「覺」*kruːɡ, *k.rukという音を書きたいとき、この部分を出したと、
だから、これは声符といい、声の符と、まあ音符とも言いますね。音の符です!
だから、実はこの「學」は、皆この建物、学校の建物という字源の解説がよくされますが、それは違うんだと!
これ音を示しているに過ぎないと言えてこれたと思うんですよ(確かに後には西周から金文で建物「宀」と子供「子」に訛りました)!
それでこの上にある今度このマークは何だと!?
この部品は、今言った、声符に対して、意符と言いますが、 それを意味を書き分ける、
これだけ書いたら、数字の「六」と区別がつかないですから、
これは「學」だよと「六」という音は借りているけれども、「学ぶ」と言いたいときには、
この上にこのマークを付けているんですよね!
これを見るとこの✖✖があるでしょ!この横にありますけれども、
これは易の「爻(こう)」と言い、易の筮竹、竹冠に巫女の「巫」と書きますが、これは易の占いで使う竹籤ですよね!占いで使う!
もしくは算筹、計算に使う道具、棒を象ったかと、二つ考えられ、
それを(左右から二つの)手で持ってるでしょという形を付けてますよね!
だから、別にこの✖だけでも(更に違う形でも)、「六」さえあれば、別に良かったけれども、
手で持ってるのもご丁寧に付けて頂きまして分かりやすく、
それで更に子供まで付いています!
ここまで来ちゃうと家だと思っている!「字」がありますよね!
というのは、家の中に子供がいる「字」、文字の「字」、
これと一緒に結局、家「宀」みたいにどんどん訛りました!
ここは西周初期から行き、西周中期、西周晩期、どんどん時代が下っている!
それで「學」は最後、子供「子」と上「𦥯」だけにりました!
どっかにいっちゃった!声符がどっかにいっちゃいました!(厳密には、「𦥯」の中の「宀」に「六」が訛った形で残されます。)
更にこれ鞭「攴(攵)」がついて形になり、
このもう一つの「斆」のこれ「攴(攵)」は鞭の形ですが、
この部分「攴(攵)」、こっちで言いますと、この部分「攴(攵)」、
それで「斆(おしえる)」という字になり、鞭でパシンと叩いて教えた意符が付いていることが、見てこれだと思うんですよね!
実はここでこの文字と文字で微妙に、要するにこれは「學(学ぶ)」、こちら「斆(教える)」と音を見ると、
「學(学ぶ)」の方は*ɡruːɡ, *m-kˤruk、「斆(教える)」の方は*ɡruːɡs, *m-kˤruk-s、最後にsがついている!
これは何だと!?さっきこの「覺」*kruːɡ, *kˤrukから「學」*ɡruːɡ, *m-kˤrukにm がついてる!
これは何だと!?これをこっちが気になるわけですよ!
というのは、どうしてかと、もうわたくしこう思っちゃったんですよ!
「覚える」という意味、「学ぶ」という意味、これは全然違うじゃないかと!
何でだということなんですよ!
これはすごい!今の疑問はすごい上古漢語の世界への始まりです!
というのは、この「覺」*kruːɡ, *kˤrukは間違いない!この漢蔵祖語の古いところが来ている!
これは元々起き上がるという意味でしたが、「覚醒する」意味で、何かをパーンと「認識する」、「そう思う」!
まあ、今でも中国語で「覺得(juéde)」という言い方があり、「我覺得(wǒ juéde)」は、英語でI thinkですよ!「私はこう思う」という、
だから、(ふと)思われるとか、そういう受動的なことですけれども、
今度こっち「學」に行くと、「学ぶ」はかなり能動的ですよ!自分から進んですることです!
だから、接頭辞(prefix)の*m- が付いて、受動から能動に変化させると(Baxter-SagartのOld Chineseでは*m1a-に分類されます)!
それでかつ更に最後に*ɡruːɡs, *m-kˤruk-sと付いているのは、どうしてかといったら、
今度は「斆(教える)」!「學(学ぶ)」と「斆(教える)」は逆になっている!
何が逆になってるかと言ったら、
伝える人とそれを受け取る人が逆転している!
これは立場が逆転している!
その情報が流れる方向が転換されているではないか!
これが*-s の接尾辞(suffix)が、そう見えるということで、
つまり。この「覺(覚える)」から、「學(学ぶ)」から、「斆(教えられていく)」、 この動き方を非常にシステマティック(系統だっている)じゃないか!
ものすごくびっくりしてるんですよ!上古漢語はものすごい論理的!
あるマーカー(形態素)を付けると、意味が能動から受動になったり(*m1a-)、方向が転換したり(*-s3)、非常に(面白い)!
じゃあ、本当かと!? 他の例で見ていったら、
まあ、この「聞」が 上古*mɯn, *mu[n]( > 中古 mɨun > 粤語 man4, 官話 wén)でしょ!
それでこれが「問」になると上古*mɯns, *C.mu[n]-s(> 中古 mɨunH > 粤語 man6, 官話 wèn)で後についている!
これは「聞く」と「問う」とは、結局は逆の方向ですね(語源は当シリーズ初回動画をご参照下さい)!
聞くとは、向こうから音が聞こえてくる!問うとは、こちらから、どうしてだと、聞きに行く!逆になってます!
それでしかもよく「売買」という言葉がありますよね! 「売り買い」
これは 「買」が上古 *mreːʔ, *mˤrajʔ(> 中古 mˠɛH > 粤語 maai5, 官話 mài)、 「賣」は上古 *mreːs, *mˤrajʔ-s( > 中古 mˠɛX > 粤語 maai6, 官話 mǎi)!sが付いていると!
何でかと言ったら、「売り買い」は逆とはっきりしていて、分かりやすいですよね(「賣」の小篆「𧷓」は「出」が「買」に付きます)!
ものが移動する売り買いは、逆で買う側から見れば向こうから来るし、売る側から言えば、出ていくという、
そういうことで非常に面白いと(語源はタイ=カダイ祖語 *(m)baḷiが、漢蔵祖語*g/m/s-layに借用され、チベット語 རྗེ, rje、ビルマ語 လှယ်, hlai、 カレン語 *breᴬ、ジンポー語 mərī と関係があります)!
それでこの「売買」という単語にしても、
これ今は同じような音ですが、本当は s がついて、ちゃんと逆転して、
その動きが逆になって分かっていたと!
しかもよく「授受」という言葉がありますよね!
これは「授ける」と「受ける」も逆なんですよ!
もうはっきりしてますよ!これもう本当に先ほどより、どんどん、どんどん、はっきりしてくる!
「授ける」と「受ける」が違うとは、もう説明不要というくらい、物の移動が逆になってると分かります!
だから、この*-s suffixは、本当にこの「受」*djuʔ, *[d]uʔ、それに対して「授」*djus, *[d]uʔ-sで本当だと!もうびっくりです!
これらの全ての機能は完全に同じ、そういった授受関係、立場や方向の逆転がはっきりしている!
極めてシステミカル(系統だっている)!
同じ発想に基づいて語が形成されている!
ものすごいことです!これは本当にもうびっくりして衝撃でして、本当にこの概念が全部つながってきたと噴火しております!
それでそこから見ると、このもう一つ面白いことがありまして、
先ず最初、漢蔵祖語で「起きる」、上古漢語で「覚える」、そして更に「学ぶ」、それで「教える」といきましたけど、
もうすごいこのつながった、その意味のつながりが見えてきたんですよ!
本当にこの接頭辞と接尾辞を介して、言葉が、どんどん色んな概念が豊かになってきている!なるほどということが分かってゆきますが、
一つここで言いたいのは、実は言語学者は、こうしたことを一つ一つ確定していくのは、意外とこの*-s suffixは、結構前から気づいて人がいて(André-Georges Haudricourt (1954). Comment reconstruire le chinois ar chaïque, Word 10, 351–364.)、
この後ろの部分(韻母)の方が色んな韻を踏んで分かりやすく、こうと想定しやすいですが、前(声母)は大変なんですよね!
それでこういった大量の例を大量に持ってきて、帰納的にこれらを特定されていきました!
今でまだ分からない接頭辞(prefix)や接尾辞(suffix)が沢山ありまして、
これはものすごい最先端なんですけれども!
本当に今もう最新の知見を言語に関して、上古漢語に関して、今お話していますが、(Laurent Sagart & William H. Baxter (2014). Old Chinese: A New Reconstruction, Oxford: Oxford University Press.)。
もう本当にすごいですよ!私、感激しちゃったんです!
ですけれども、実はこの音*-s suffixとか、ここで最後にglottal stop(声門破裂音、聲門塞音)と喉の奥でグッと止め(て破裂させ)る音*-ʔ suffixがありますけれども、
この*-s suffixの方がここに書いてありますよね!去勢と!これ!
中国語には声調があると! 要するにパーンと落ちるんですよね!
ā(a˥ 55、陰平)から、à(a˥˩ 51、去声)と落ちる!そういった形にもっと後の時代になると変化していったと!
要するに子音が(声調に)変化していった!
この同じ情報(*-s suffixの形態素)が、この「学ぶ」と「教える」と、その方向逆転する情報(形態素)が、ちゃんと話し手から、聴き手に伝えるような形になっていきまして、
*-s suffixは去声の起源となりました!
だから、本当にこういった形で面白いと!
もう一つはglottal stop(声門破裂音、聲門塞音)の方*-ʔ suffixは上声といい上がる起源と言われてまして、面白い!
去勢と上声の起源が見えてきたんじゃないかと(中古漢語では去声H、上声Xに対応しますが、北方官話では元代に混乱して、全てはきちんとは対応しません。)!
それは最後のsuffixと関係あると分かってきて面白かったです!
この調子でいきますよ!
今度その「斆(教える)」という字には、非常に字形的に言っても、本当に似てる!
これ似てますよと!これ「學(学ぶ)」でした!まあ厳密に言えば、「斆(教える)」自体のこの鞭「攴(攵)」が付き、教えるですが、
ですが、字書(《新金文編》や《新甲骨文編》)の中では、一緒に混ぜられたりがありますが(甲骨金文ではそこまで区別して書かれず)、
まあ、両方「斆」「教」とも、これ「教える」になりますが、先ほど、接尾辞suffix により、
これ同じ部品持つ「爻(こう)」がありまして見たいと思います!
そうすると、先ほどともう同じ仕組みをもう一回復習しますね。
一つ、字形が近くて、言葉の意味も近い、字義も近い!
しかも、これ見ると、学ぶ、教える、こちらを見ても良いですが、この語根だけを見れば、
「覺」*kruːɡ, *kˤruk、「交」*kreːw, *[k]ˤraw、この子音「kˤr」 も含み似て、一つ面白いことですが、語源自体を見るとこの部分を見ると、
混ぜるという言葉に関係してるんじゃないかな!?
しかも、それが漢蔵祖語 *ryawにどんどんどんどん遡り、これも全部「混ぜる」という意味で漢蔵祖語から分かれたビルマ語 ရော, rau:、ジンポー語 kəyau、ヤオ語 *klaau3など、少数民族の言葉と似てると!
それで見てこれていますが、
じゃあ、何で「爻」の部分と「教える」と「混ぜる」は結構違うかと、
一つもう一つ、この場合は面白いことに、字源にも結構関係してきますが、こちらを見ると*kreːw, *[k]ˤrawがついてるけれども、何か(「爻」*ɢraːw, *N-kˤrawに)接頭辞 prefix *N-が付いて、これは何だと!?
そうすると*N- prefix で自動詞的にされていると!
これは要するに「交わる」、この「爻」は、そうですよ!これ「交わる」ですよね!(字形も)交わっている!
「爻」は交わるという意味、こちら「交」は「混ぜる」は他動詞なんですよ!
「何とかを混ぜる」と言い、混ぜる時には、混ぜる対象がありますね!
「混ざる」は自動詞です!そのものが混ざってるわけですから!
ということで、 他動詞と自動詞の交換ができるじゃないか!この指標(接頭辞 prefix *N-の形態素)が見えてきている!
だけど、じゃあ分かったと!「混ぜる」(他動詞)、「混ざる」(自動詞)は分かった!これは分かる!かなり近い!
「教える」と関係!?何でだと!?どうして関係するのか、「教える」と言いますと、
「爻」は結局、易で竹籤が交わり、開いたり(⚋)、閉じたり(⚊)、開いている、交わっているとなりますよね。
それを二(⚊、⚋)の三乗をすれば八卦(☰、☱、☲、☳、☴、☵、☶、☷)ができますが、
だから、こういった関係性を見ていくと、やはり、もう《易経》を知っている人が見れば、もう「爻(こう)」だと!
「易」以外に印象がない、こっち「交」は本当に「交わる」や「交ぜる」などの意味がありますよ!
だけれども、これはどうも易に関係して、占いをする人、易者が占った結果などを人に伝えるという意味ではないかと!?
それで教えるへと意味が転じたと思えてきています。
それはどうしてかと言いますと、 今度は「教」*kraːw, *s.[k]ˤraw、最初に *s- prefix がついてる!これ何だ!?と言うと。
これは言語学において、結合価(valency)といいますが(分子化学である原子がどのようなイオンになる原子価になぞらえて、原子を動詞にアナロジーしています。)
どうしてかというと、さっき言ったように、先ず「混ざる」は自動詞で基本的には、何を混ぜるかなど、目的語はないんですよ!
それで「混ぜる」場合は、何を混ぜるか、目的語がある!
その目的語を更に増やしたい!それは結合価(valency)と言いますけど、
目的語として取れる補語の数が増える!
そうすると、まあ勿論、他動詞化するわけですね!
他動詞で更にまたもっと目的語が増える!
もっとはっきり言えば、「何を」「誰に」「教える」になりまして、(補語が)二つある!(「何を」混ぜるから、「誰に」が)増えて、
ああ、なるほど!おお!そういうことか!またまたちょっと感激しちゃってるけれども!
そういうことで見ると、やはり「易」の内容、八卦はこの「爻(⚊、⚋)」から始まり、八卦が生まれ、また六十四卦が出てきますから、
「易」の色んな占いの結果が出てきますけれども、
そういった「ことを伝える」、「情報を伝える」から、「教える」と転じたと見えてきてるわけなんですよ!
更にこちらも同じ字ですが、最後にやはり*-s suffixが付いている!
これは何だ!?といったら、先ほどじゃあ教えて立場が逆転するのか!?
ところが、これは用例を見ていくと分かりますが、
基本的にこの教えるという字を動詞として使う場合と名詞として使う場合がありまして、
日本語でも、「教え」という名詞、もしくは「教える」という動詞でも使えますよね!
これ*-s suffixが付いているもの、基本的には先ほど申し上げた方向転換より、動詞を名詞化(*-s1)したり、逆に名詞を動詞化(*-s2)したり、
そうした動詞と名詞の交換関係でよく出てくる*-s suffix!
基本的に(方向転換 *-s3より)そちらの方が多いんです!
本当に例がもう沢山ある!
それで言語学者がこれらを認定してくる!
これはそういう動詞を名詞化するのかな!
名詞の動詞化はかなり多いんです!
だから、これはやはり名詞化されてるかな(実際に同じ漢字が、名詞でも、動詞でも用いられる例はものすごい数あります)!
私がこの字形を見ていった時も、少し調べてみたんですよね!
一つ面白いことがありまして、郭店楚簡がありますけども、(同じ場所で出土した)違う文献があるんですよ!
それを見ると、《唐虞之道》と、《老子·甲本》の古い形も出ていて、《語叢》と色んな言葉について書いてる内容でもあるんですけど、
これ《老子·甲本》では「不言之𡥉(敎)」だから、「𡥉(敎)え」という名詞で使われていまして、
それで《唐虞之道》がありますが、「唐虞」とは、陶唐氏の「尭」、有虞氏の「舜」で聖人の政治を説いたもので儒家が大事にする極めて偉い、昔には王さまがいたと書いたわけですけれども、
その彼らがやったのは、こんなことだという、
これはちょっと面白くて、読み方が二つできまして、
「教」という言葉(漢字)には、こうした使い方があるんですね。
「誰々さんに何とかをさせる」という、使役としての使い方ですね!
しかも、動詞としてじゃなくて、助動詞として、
それは「~をして~とかせしむ」と文語的に読み下されますが、日本人はその漢文を見たら、まあ、中国人は文言文と言いますが、
古典漢語ではそれを見るとちょっと複雑でこの s の中には、さっき言った、方向転換以外にも使役のような意味を持たせたり、
そういった形でも*-s suffixの意味があって、それは方向転換の意味でも使われている可能性もあるとも言えたり、
結構、この辺りの言葉の使い方が微妙でして、
先ほど申し上げたた名詞化かな、方向転換かなと微妙所ですが、
研究をもっとして、意味的な用例と併せて考える必要がありますが、
今でもこの「~をして~せしむ」という(使役の)使い方では、
閩南語という古い福建省にある上古漢語から分かれた古い方言がありまして、漢語の中では、古風なこうした意味でもまだ残されています。
でも、基本的にはもう後の時代にそうした意味が廃れて、古典漢語でしかこういう意味はないけれども、
だから、これ「𢼂(敎)民孝也」は「民をして孝せしむ」、要するに本当に先祖を大事にさせる(父母に仕えさせる)、
これ「親事祖廟」は自ら祖廟と言えば、先祖を祀った廟ですよね!「事」は「仕える」ですから、「民にそういった先祖たちを大事にしろ」と言っているんじゃないか、
もしくは「民に孝を教える」、やはり「孝」は「先祖(や両親)を大事にする」意味ですが、
これは動詞として「教える」という意味か、
「誰々に何とかさせる」という助動詞かでも、
結構(解釈が)微妙なところがあるんですよ(《唐虞之道》「親事祖廟,𢼂(敎)民孝也」は、伝世文献の《禮記·祭統》「修宗廟,敬祀事,教民追孝也」に近く、「民に追孝せしむるなり」が自然です)! ですから、こういう意味として読んだ時にも色々あって面白いですけれども。
まあ、それでこっち、《語叢·一》「或敎者也」「敎學其也」では名詞で使われています。
「敎學」しかも面白いことにここに元の字がありますけれども。
「學」と「教」が点々「二」が付いて、同じ部品を持ってるから、
二重で両方の字を兼ねた「合文」と言いますが、二つの文字をくっつけ合わせて書いちゃったということもあり、
まあ「學」「敎」はやはり似たような意味を持ってる、部品も持っていて、こうした書かれ方をして名詞でしょうね!
「敎學」とは「教え」という意味で名詞と見えてこれたんですけども!
そうすると、この*-s suffixには役割がいくつかありますが、結構見てみると、中身としては、本当に微妙なところでありまして、
使役としてみれば、これはやはり、方向転換としても見れて、
「教える」は、こっちから向こうにガーンといく、それを逆転させて、(向こうからこっちに来て、)「相手に何とかさせる」にいく!
それでもう一つ見てみると面白いことに、これ「效」は習うという意味ですよ!
それでこれは皆さんもう分かりますね!
私が今ここで説明しなくても、今まで私が *m- prefixと*-s suffixについても語りましたから、応用問題ですよね!もう分かると思いますが、
接頭辞*-m prefixは能動にさせる、何をと言ったら、先ず語根*kˤrawからいきましょう! この部分が同じで(語根を青色、接頭辞、接尾辞を黄色で)ハイライトしましたが、
じゃあ「交」*kreːw, *[k]ˤrawからいきますと、これ(接頭辞 *m1a- )で能動化している!
しかも、この場合の接尾辞 *-s3 は、やはり方向性を変えるんじゃないかと!
まあ、これは「教える」だから「效らう」は逆転して、(教えると習うという)意味(立場)が入れ替わっている!
それでしかも《説文解字》「敎,上所施,下所效也」の中でも、教えるとは「上から施す」、それで效うとは「下が效う」と、上下で逆転しています!
だから、逆転の意味を理解して説明していますから、許慎さん偉いです(笑)
《廣雅》とは、《説文解字》は字書、こちらは義書といい、意味について語りますが、
《廣雅·釋詁三》「教,效也」で「教える」とは「效う」と二つとも関係させて書かれていますから、こういった形で全体がまとまりました!
ここで「敎」という字の字形の方を見ていこうと!
かなり私ブワーンと語りましたから、意味の方で盛り上がりましたが、
そうすると、結局この部品「爻」がありまして、「子」を鞭でバシンと叩いている形!
上のこの「爻」の部分は「學」の時と同じで一本になっている場合もあり、
これでちなみにこ「五」と「六」があり、あれと思われたかもしれませんが、
この「五」も古い形は✖で後に(上下に)二本を加え、区別するために「六」が二本をこう加えたようですね!
「五」もともと「✖」という、これを見るとこれは「五」みたいで✖が一つですが、それでこっちが二つで三つのもありますけれども、
まあ、この「爻」は二の三乗で八ですから、三つあるとなると分からないけれども。
それで字形を見てみますと、二つになっているものもありますが、
大体こういう形で子供「子」と鞭「攴(攵)」でできている!
これで「子」がなく、実際この「爻」だけで鞭「攴(攵)」だけ、
この部分「又」は実際に手ですよね!ずっと言ってまいりましたけど。
これは手「又」でここの上に棒があり、鞭「攴(攵)」ですよね!
棒でポンポンと叩いている様子かも知れませんけれども。
それでこっちになると、この✖の部分が二本のクロス✖がハイブリッドして、一つになって、もう子供「子」だけで、こちらの鞭「攴(攵)」がないとか、
これはまあみんな揃ってるけど、✖がすごい、これはワッフルの(焼き目の)形みたいですよね(笑)
クロスでこれが一緒にハイブリッドしている!
大体、まあ元の字形を全部引き継いでいて、子供「子」は略されてる場合もありますけれども。
まあ、西周晩期の散氏盤においても、まあ、大体そうでして、字形もみんなちゃんと✖✖、「教」に関して言えば見ましたね!
この字源のところ、この「爻」*ɢraːw, *N-kˤrawが声符で子供さん「子」やこの鞭「攴(攵)」は意符とも見れてこれました!
もう全部結びつきました!字形的な分析でいったもの、今のようにちゃんと声符と意符があり、
その今度は音が内容に関しても、きちんと全部、接頭辞(prefix)と接尾辞(suffix)、
もっと平たい言い方すれば、もう語根(radix)があれば、最初もう前にくっつけるのか、後に何かをくっつける!マーカーを付けて意味がどんどん変わっていったことを見れてこれたと思うんですよ!
本当にもうびっくりしました!
こんなに上古漢語はシステマティック!
今回はそういった、もう衝撃的を受けましtので、ここだけを膨らませてしまいました!
本当に「学ぶ」「教える」ところから、ちょっと私が気になっているのが、もう一回最後に言いますけれども、
この「教える」と「学ぶ」で、まあその中では、この「混ぜる」や「覚える」から、「學」「教」と結びついてますけれども。
よく見ると、この部分の子音がやはり似てるんですよね!
*kr, *kˤrの部分をちょっと考えると、「覺」も、元々「撹乱」と混ぜこぜ、「撹拌する」と混ぜる、やはり混ぜるという意味があり、
それでこの「攪」*kruːʔ, *kˤruʔだから、このkを抜いた部分ですよ!
だから、逆に言えば、もっともっといけば、この「覺」も、「攪」だから、「混ぜる」「交わる」と、更に細かく分析すれば、
*kr, *kˤrはやはり混ぜるという意味ある可能性があると、私は見ております(実際に漢蔵祖語のレベルで語彙が派生されていたという事です)!
もっと上では(古くは)この部分とこの部分と(初めの)「k」に何らかの意味があり、
こことここでもっと上(漢蔵祖語)で関係していたかということも含め、あるんじゃないかなとも少し見ながら、
「かき回す」だから、 だから結局、寝てた状態から起きるとは、そういうことだということで面白いことなんですけどね。
今はこうにやってますけれども、もっと細かく、言語を分析していくと見えてくる世界が、まだありますから、
言語を分析していく、言語学においても、もっと時間が経つほど、色んな研究が進むと、色んな用例の変化、他の言語との関係から行くと、
もっと追究ができてゆき、
最後にそう言った将来性のあるお話して終わりたいですが、
もう今回も大変、上古漢語の語彙の生成、語根から語彙がどうできるかで盛り上がりましたが、
こういう好奇心、探究心を剥き出しして(笑)、今後ともやっていきたいと思います!
ですから、KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)を何とぞ宜しくお願いします!
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もう本当にこの感激をできる限り、多くの方と共有したいと続けてまいりたいたいと思います!ありがとうございました!