書法の系譜シリーズ5 王羲之と時代が近い西晋簡牘や楼蘭残紙に残された尺牘(手紙)はよく似ていました!
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2021年4月10日
皆さま、こんにちは!
王羲之のシリーズ、小楷、草書の中でも、章草と今草について、系譜を見てまいりましたけれども、
その書体の変遷という意味で様々な出土資料、簡牘や帛書や残紙といったもの、
それらで線を読んでいくような形で見てまいりましたけれども。
思ったんですよね!
王羲之のこういった 《姨母帖》とか、《寒切帖》とか、《孔侍中帖》とか、《初月帖》といった。
こういった有名な法帖がありますけれども。
これらは双鉤填墨で残って、王羲之が書いた筆蹟に近いような形で、それが複製されて残されているんですけれども。
それで書法を見たときに二つの観点から、出土資料とやっぱりこれも併せて検討できるじゃないかなと思ったんですよね。
というのは、一つ目はその線質の変化ですよね。線質、筆法、筆の使い方とか、
あとは行の揺れ方とか、そういったものも関係が結構あるんじゃないかと思って、こういった資料を持って参ったんですけどね。
今回ここで見るものは、新疆の海頭古城晉簡はかなりもう中国の西側の方ですよね。
これは日本にあるんですけど、《西域考古圖譜·下卷·史料》という、これ大谷探検隊が、もう西の方に行って発掘してきたものなんですけども、
有名なのは李柏尺牘稿がありますけれども、
簡牘はそんな量はたくさんないんですけど、いくつかあって、その中から撮ってきたものと、
もう一つはこれ楼蘭残紙ですよね。 その中でも、ちゃんと「勸報」と書いてるから《勸報帖》と言われていたりするものを持って参ったんですけども。
これで見ていくと、本当にすごいそっくりなんですよね。驚くべきほどに似てますよね。
それでこの起筆はこのようにグンと当てて、縦は扁平でねここはグワンと当てた後、右上の方にグイーンといくような感じでそれで水平に行くんですけど、
このグンと当ててから、右上に行くような感じとか、
ここもすごいそっくりだし、ここもそうですけど、 そういったものとか、この「月」の肥え方!
ここでグンと当てて、これはもう蔵鋒みたいに 強く入っている!
その簡牘の表面にグンと当たって、筆が立って、それでグンと引いて、おもむろに引いてちゃんと抜けてるような、
すごいそっくりですよ。この同じように引いてる王羲之も!
それでここもキュッと行ったら、これ瞬間的に下の方に当ててクッといき、
草書とは転回点がすごい瞬間的に行くと言いましたね。そこでグーとおもむろに引いているんですけど、ここもそうなんですよね。
最後でこう行ってますけど、こっちはチャンと跳ねているのが面白いんですけども。
すごい筆意、線質が似ているんじゃないかということで、
こういったでガーンと入るところ、ここが弱く当たってから、グーと強くするもの、グンと当たって、ピンて抜けるものか。
そぷいった線があって構成されていて、ここはスーと書いてきますね。
これはもう小楷の発展でも、写経の中でもありましたよね!似ているんですけどね。
王羲之は《姨母帖》という、結構若い頃に書いたんじゃないかなと言われてるんですね。
これはもうみんなグンと当てたら、グググググと線を引いているんですよ!。ここもグググググとずっと圧をかけたまま。
これはある程度、グンと当てたらピンと行っているから、早書きなんですけど。
こちらはグググググと本当にグググググと線を引いてますよ!これもだから撓んで筆がちょっと、
これよく外拓、内擫と言うんですけど、難しい言い方をすると、
ずっと私は筆が自分より向こう側に食べるんだとか言いましたよね。これで線を引いているところより、筆の先の紡錘型の形をして、
特に命毛がばねのように働くようにするためには、その線とは逆方向に筆管が少し倒れて、
基本的には、自分の向こう側に倒れて、かつ左側に倒れる方が内擫と言うんですけど、
「擫」は親指(で抑える笛の穴)という意味なんですけどね。
それで右側に倒れるのが外拓といい、そういった言い方をするんですね。難しい言い方では!
あんまり専門用語のような言い方はしないで避けて来たんですよね。
もう、言ってみれば、筆の倒れ方、筆管の倒れ方という、もう分かりやすい直感的な話をしてきましたけれども、
ここは内擫みたいにグググと向こう側に筆管が倒れてから行っているんですよ。
だからこう少しに沈んだから行って、縦もここが撓むと言ったのは、結局これは内擫なんですよね。
ずっと縦は真っすぐじゃなくて、ちょっとこうグッと入ってから、こう行くと話しましたよね。
これが特にグンといって、グンといってますよね!
もうこの縦はすごい!そういう筆法がみられて、本当に王羲之はここでツンとスッと当てたらグググググと行ってますよね。
これ斜め45度に入れて、そのまま行ってないんですよ!
瞬間的にこれ中鋒になってるんですよ。
斜め45度に入れて、そのまま引こうとする書き方をすると、弱くなっちゃう、つまり筆の先のばねを上手く生かし切れない。
そこが緩んだまま進んじゃうと、そういうことは紙との圧力が弱いわけですよね。
そこに入り方が打ち込み方が弱いわけだから、線が弱くなっちゃう。(紙の)表面にしか墨が浸透しない!
だけど、瞬間的に中鋒になれば、もう紙に、紙背に達すると言います。
紙の背まで行く。裏側まで達すると強い線になるわけですね。
それと線が偏らないですね!だから、もう真ん中を通っている!ここでガンと当たっていっている!
これよく見ると真ん中が行っているんですよ。
周りがここが細いということは、ここは中鋒で完全にこの線は書いているという、
ここは早くパンと抜けてるんじゃないんですよ。
これはグググググと行って少し。ここのところは少しだけ行く時にこの線のところに周りに染み入る前に通過しただけであって、そんなに線が浮いてないんですよ。これは!
という感じだったり、ここはグングンと点みたいにして草書は書くと申し上げましたね。
だからこういった線もすごいきれいに抜けているでしょ。 結構速い!だけれども、きれいに抜けていくことは、これは中鋒で書いてることなんですよね。
王羲之は基本的にこの筆法もそうなんですけど。
こういうふうに見えちゃうと《寒切帖》や《孔侍中帖》は、結構後なんじゃないかなって言われるんですよね。
これらを見ると基本的に《姨母帖》やこの晉簡はすごい、ここにちゃんと簡の幅がありますから、幅が狭い。
だからこの《姨母帖》は紙に書いてあるけど、簡牘に書いているな感じですけど、
まあここは王羲之はもうちょっと晩年近い所と言われてますけれども、
すごいやっぱりこれは本当に古意と行って、 もう簡牘に書いていた頃の味わいがあるということで、
すごいこの楼蘭残紙もそうですけど、紙に書いてた初期の頃の人は簡牘の筆法で書いてくれているということで、
ここもグンと入って、グーでしょ!すごい似てるんですよね。 こういった形だったんじゃないかなともともと、
それでここはテンと当ててから、瞬間的にガーンと、ここでもう中鋒になってから、 グーッとネジくるようにして、
捻ってこっちに行くんですよね。だから、すごい圧が加わって、
それでここはタッタッタと行ってますよね。
だからここのところでグググと抑えていって、細いから下のここでグーとしてますよね。
ということで、こういった書き方は、非常に楼蘭残紙と近いところがあって、
このガンと入って、ここもそうですけど、感じられるということで、ここでガンと言っていますからね!
だからかなり本当に細くいっていますから、ここでガンと行って、これで下へガンと抜けている!
かなりここも本当にグッグッグッと当てて、グイーン、グッと当てて、ここで折れて、グッグッとやっぱり草書はみましたように非常に点のようにして書いていると!
もうどんどん速く書くために、線長くしたないと、
だからどっちから言ったら、これは隷意があるんですよね。
結構よく王羲之の若書きだという言い方するけど、すごくこれはこれで簡牘の味わいがあります!すごく!
そういう発展していくという発想より、そういう変遷していく、その使う筆法が変わってくるんですよね。
どっちがいいとか、悪いとかじゃなくて、これはこれですごいなかなか古めかしい味わいがあっていいじゃないか!
線がすごい強いです!すごく一本一本!ものすごく!
それであんまり、肥痩がないんですよね!
これすごいある!これも結構あるんだけど、これはすごい肥痩は少ない!
だから筆によるということもあるんですけど、
ばねのようにすごい線がもう均一に行けるような線を使うと、こういう書風になりますから、
基本的にそういうとこもあったりして、なんかパンって瞬発力があって、結構硬い筆ですよね!
そういうこともあったりしますから、柔かい毛を使えば、もう少しマイルドになりますからね!
それでっぷりと進むからないますよね!といった潤筆に!
だからそういったこともあるんですけど。
やっぱり昔が硬い筆を使っていたのは、それは簡牘に木の板とか、竹の板に書くわけですから、
それに対してすごく強く入るためには、それなりのやっぱり筆も弾力性が強くなかったら書けませんからね!
そういった事もあると思うんですけれども。
紙は柔らかいからに表面がむしろ破けちゃうという、あんまり強い筆でしたら。
それで本当に筆の毛の質によっても変わってくるし、そういったこともあると思うんですよ。
だけどこうなんかも、ガンと当てて、ググググと来て、ここがすごい重たくなってますよね。
それで下からガーンと当てて、ここから来てるから、それでここでグーと来て、これグーッ強くして、グーと行って、キャンと切返しでここで抜けてると面白い!
普通だったらこうなのにこっちに抜けている!
それでこう入ってきて、こうこうという感じですごい入り方が、もう毛の一本が触れるところから、グイーンとここもそうです!
これ王羲之は非常に繊細なところなんですよね。
それでここの折れるところは、ガンと当たって、ここは当たった瞬間強いから。
そしてここがが少し走って早く来て、ウンとまたここで当たるから、強くなって、おもむろにグイーンと、
ここで!ここがあまり軽いと全体が閉まらないから引き締めです!
ということで、そういった発想、右下はやっぱり強くするという発想あるんですよ!ここにもやっぱり!
王羲之、ここもそうですけど!
そういった形であったりとか、この「十」とか、この「七」はすごい近いですよね!
ここでグンと当たって、グンといく、ここがすごい埋まっているでしょ!
これでここはその紙と筆が振れる、本当に一本のところから、これマウスで隠してしまいましたけれども、
ここがグンと立てて、それでここもそうです!
グンと当てて、瞬間的に中鋒になって、こっちにガンといくんですよ!
それでグイン、グイン、グイン、グイン、グインといって、キーンとここが強いわけですね!
そうしたらここに入って、ここの入り方は面白い!こう入ったら、こっちに宛ててグーンと言ってみれば、
筆の傾きが右前にガンと行っているんですよね!
そこからここに入ってくるという、今度はこっち側に行きたいという考えがあるわけですから!
それでここでグンと強くなって、パッといって抜けたら、ここでクインクインクインという風に書くわけですからね!
すごいですよね!ここがすごく!点みたいにして草書を書くという特徴があると申し上げましたけれども、
そういった特徴があったりして、面白いということなんですよね!
だから結局的に言うと、これも含めて、そうですけれども!
ここが偏だと、やっぱり簡牘に書くために詰め詰めて書きたかったから、もう沢山の字を書くためには扁平になったんですね。
これ、もう、これみると扁平ですよね!
だからそういった布置に関係してきて、布置とは文字の置き方ですね!
それで字間があまりない!少しずつここが縦長になってますから!
こういった形で私が申し上げたように簡牘の時代は横の線の非常に横張りだし、
その後になってくると、どんどん縦のラインの時間発展というか、その筆が進んでいくような。ターターターとそれが行くから、
縦長にまた少しなっていくという、まあ本当は基本的には、篆書は縦長だったんですよね!
それやっぱり簡牘に書くという意味でどんどん扁平なったんだけど、
また縦長に鳴ってきているということが言えて、面白いんじゃないかなと思ってるんですけどね。
それでこれを見ましたけど、今度はここで面白いのは、行の揺れ方なんですよね。
だから結局こう見たら、こう入ってきて、こう来たら、ここまではちょっとこうなって、
それでこの「正月」と書くのは、「初月」て書いた!
これは王羲之の一族の中に「正」という、「正月」と書くところがこうなっちゃったのは、諱、自分の一族、祖先の名前とか、皇帝の名前とかをこういって避けるんですよね。
それで「正月」だから、最初の月と書いてあれば意味が分かるからという形で諱を避けて書いたと思うんですけど、
これを避諱というんですけど、 諱を避ける!
それで書いてありましたね!
ここでこうグググと行って、ここで線が揺れているんですよね!これいいんですよね!
こう来て、こう来て、こう来て、こう来ているという、ここもそうなんですけど、
このいびつな感じでここが膨らんでいるというのが、面白いという、そういう味わいがあって、王羲之の面白さの一つなんですけど。
そういった形で縦のラインも、線も非常に変化があって、
まあ、簡牘の時代にありましたよね。結構長いで「年」などを足をバーンと長く出して、変化をもたらして面白いっていうのもありましたけど、
それですごくこういった長い線が張り出していて、 字の行にやっぱり左右に振幅を与える!
一つの字も揺れてるんですけど、
だから緩急があるんですね。ここがバーとおもむろにきたら、こっちシューときて、こういったことで紙面をやっぱり有効に活用した布置になっているなと思って、
揺れている!面白い!こうきて、こうきて、まあ、ある程度、もう真っ直ぐになってるんで、
またこうだから、全体に言えば、こういう感じ、凸レンズ、凹レンズみたいな、そういった感じでこっちはこうなんですよね。
ここまでこう来て、こう来て、またこう書いて、それでまたこう書いて、
こう、こう、こう、こう、それでしかも連綿しているんですよね!2,2,2、2 で!これ面白い!なかなか面白い!すごいですよ!ここも2で連綿してる!
そういうリズム感!こう、こう、こう、こう書いて、これも配置が面白いんですけど、
これなんかで繋がってないけど、この二字で鳴っているでしょ!
それでこうこうでしょ。それでこうこう、ここなんか、「思想」がここでこうちゃって、ここまでこれでそれで「懷」からこうで
またこうでこういう面白いんですよね。二字ずつぐらいの動き、二、三字ですけど、これは三字ですから、
ここ二、三字のまとまりで続けていくという、すごく似てます!
すごく本当に似ている!これは!
だから一行目と二行目がそれにつられて、右に倒れたり、字の大小も結構激しくなったりして、これだってすごいですよね!
「九月十七日」がものすごく大きくて、あとはこんな「懐」なんて、ものすごいこれ画数が多いんですよね!
なのに「初」だって、こんなにちっちゃくなって、特にねこの辺は早いでしょ!これ! こんなに違うということで面白いということで面白いです!
それで特にこの辺は早いでしょ!
ここでこの辺で墨を付けて、グーとやって、グーと引いている!
「山」がウニューン、ウニューンと来て、やっぱり点みたいに書いてあるけどすごい!
もうオーバーリアクションみんな感じて、ガンと当てて、ここすごいでしょ!
ここで細くなって、ここでグイーンと行って、またここでこの上あたりで密度が濃い!
タンと行って、タッ、タッ、タッと来ているんですよね!
それでしかもここは「之」でしょ!ここはグーンといって、グンと入って、ここで太く下から、シャーンと来て、パーとここで当てて、転回点が下が強いでしょ!
ここは、こう、こうということで、この 「羲之報」の「報」も面白いんですよね!
まあこの字も「報」なんですけど、こっちはかなり行書ぽいというか、
それで「報」のこっち側こうなってますけど!
これこっちはこういう!
これは「近」だと思うんですね!これ之繞だから!これはすごいです!
ガンと当ててここはすごく早い!
ここでギューンと行って、一字の中でそのリズムが違って、
ガン、グッ、グッ、グッと当てて、グン、グッ、グッ、グッという風になっていますよね!
ここはすごい面白い!先ほどもこれ之繞が出てきましたけれども、
ここでここは今度はバーともう墨をいっぱいつけて、でっぷりやっています!やっぱりここすごく、
この線なんか、真ん中が本当に細くなって、サンドイッチみたいにして、
ガーンときてここ短くなってる。
これは結構当てて長いという感じで持ってきて、
それで「之」でしょ! それで「書」でしょ!それで「停」じゃないかな!これ!人偏に「亭」だから!
というのが分かって、縦線が結構太くなってるところとかがあったりして、
すごい一つ一つのそれで千の質もなかなか似ているじゃないかと!
楼蘭残紙と本当にびっくりします!
当時の書法は近い!王羲之のどっちか出たら、もう簡牘に書いていた、その強い筆力で紙に当たってるような感じがしているんですよね!
本当に! だって強いところはバーンと強いです!これガーンと当てて、それでグイーンと来て、グッ、グッ、グッ、グッとここでグワンとやって、グッと!
このバンと点みたいな返りは、これ王羲之にも結構ありますよ!
この「山」のここだって、そうでしたけど、ここなんかも結構あります!これ!
ここもそうですね!
本当にここでグイッてきて、グイーンとやるような!これもここではすごく細くきてますけど、結構、王羲之にもありまして、
それで感じるのは、結構でここでは王羲之はでっぷりやって、かなり楼蘭残紙に近いですけど、
こういった入りですよね。入るところがすごい繊細になってるんですよね。
だから最初はもうゴンと当てて、本当に丸っこかった。
この起筆のところが、やっぱりこんな感じですけど、
よりこういった《孔侍中帖》など、この入りのところ、
入り方のセンシティヴな部分が、ここもそうこっちから来て、ここでグワンと入っていて、瞬間的に中鋒をなしてる!これすごいんですよ!
こういう細かいところがやっぱり王羲之らしいなぁと思って、すごい洗練されてるんですよね!
だから一つの線の美しさがより凝縮しているような形でしえて、ある程度こちらがででっぷり書いてますから、
まあある程度これはその字の崩れ方やその行の揺れ方も楼蘭残紙に似ているけれども、
《孔侍中帖》は名品ですよね!この《寒切帖》もいい!この二つはなかなかいいと!
繊細で入りと思って見ておりますけれども、
そういった起筆の関係と線の中での変化とそれで折れるところと、曲がるところ、回るところ、あとは最後出るところの処理!
ここも全部違うんですから、ここでグイーンと来て、でっぷりいって、
こっちはカンと当てて、こう来てとか、そういうところも面白いんですよ!
という感じで語ってまいりましたけれど、本当にこれも見てるといくら語っても、飽きが来ないぐらい、色んな発見があるので、
本当に線の変化というもの面白いという感じでありましたけど、
まあ草書は結局もう線が命でありますからね!もちろん楷書もそうですけれども!
その中での変化と、それと結局線が決まってくれば、形も大体それに伴い関係してくるわけですよ!
線質と形はやっぱり密接な関係がある!
「月」一つを見ても、全部「月」が実はあって、この中にあるんですけど、それで「十」みたいな字があるでしょうと!非常に「廿」と「十」と!
そういうことで全部で取って似たような子があれば観察しやすい!
しかも比較しやすい、考察しやすいことで持ってきてるんですけど!
すごいですよ!この立ってる感じ!ここは似ている!これは立っている。
これとこれは非常に似ている!でも、この太さが違う!それでこれは立ってる感じ!
この感じはすごい似てるということで色んな特徴があって、
王羲之はその場その場によって、もう全然違う「月」を書いていたりして、本当に同じ人が書いてなかっていうくらい、変化が書の中にあるのが面白いことなんじゃないかなと思っておりますけれど。
もう 「三」だってグーンてこっちに出してきちゃってるでしょ!
それで「二」はトゥントゥンとなっていたり、本当にコンパクトにまとまっていたりとか。
それで「一」はここでグワーンときてから長く伸ばしているところとか、
それで左右のバランスも相当わざとずらしてる。
こっちが長い。それでこっちは今度は右側が長い逆になってましたね!
こういったその不均一性、草書のアンバランスのバランスというのが、
今度は線を構成していく、今度はその字、全体は生まれていく、その字の雰囲気、更にはその字と字の関係性の流れ方、
全体の雰囲気をどんどん草書は表現力として関係して来ていいんじゃないかなと見えて面白いんですけどね。どんどん盛り上がってきましたけれどもね。
皆さんをそういった形で色んな観点から、角度から、見て楽しんでいただけるんじゃないかなと思って、こんなビデオ作りました!
今回もありがとうございました!
これから今度は王羲之の法帖をいろいろ見て行きたいと思います。
もう今まで色々、筆意、筆法、結構、線質、布置などなど、色々と見てこれたと思いますので、今後とも続けて参りたいなと思います。今回もありがとうございました。