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「長」「張」は果たして同じ語源か!?漢蔵語族からみた上古漢語と漢字です!漢字的獨特性系列 Unique Chinese Characters

漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。

2021年5月7日

皆さま、こんにちは!

漢字のユニークさを探究しよう!というシリーズが続いておりますけれども。

前回はものすごく、「𡵂」「𢼸」「微」「美」という字と、我々が使ってる「微(わず)か」と「美しい」と違う漢字が同じように使われていたと、我々が使ってるのとは異なる使い方を文献、音韻として、言葉として、文字として見たりしておりましたけれども。

実は我々がこう言うことに興味を持っているのは、

やはり、当時の人たちがどうやってこういう言葉を使っていたのか、

それが知りたいということなんですよね!

それは究極では、人間がどのように世界に触れて、それで表現をしているかを言葉を通して知りたいという、

究極的な好奇心とか、探究心から、続けておりまして、

前回、見ましたように、我々が用いている文字は、もしくは言葉は、

それがそう当時も用いられていたかと言えば、そうではないこと!

それは文字だけじゃなくて、言葉も語源もあり、字源もありということで、

その変化を見ていくと面白くて、

その変化の連続において、現代まで我々が使っている言葉まで引き継がれてると見てまいりましたよね。

ですから、思ってる以上に見ていくと、長い年月で少しずつ小さい変化がしていく中で、

それで言葉から、他の言葉が派生したりとか、意味が転じたりとかしていたりですけれども、

ドラスティックにバーンと変わる時もありまして、

それはそれなりの理由があってということで、きちんと一つ一つを見ていくことで理解ができるではないかとしてまいりましたけれども、

思ったんですよ!前回、私一つ字幕をつけていたとき、

「美」を説明した時にこの甲骨文、それと金文を見ましたけれども。

ちょっと思ったことがあって、

「美」にも、実は髪の上に沢山の飾りがついた形、羊のような形が、

甲骨文においても、金文においてもありまして、

それで実はこれは違う「髦」*maːw, *[C.mˤaw]という文字として、髪の毛が多い意味ですよね(訓読みは「たれがみ」「さげがみ」で《儀禮‧既夕禮》「馬不齊髦」[鄭玄(じょうげん)注:齊,翦也。今文髦為毛。]として出てきます)!

そういった漢字で「もう」ですね!

「毛」*maːw, *maːws, *C.mˤaw系と同じ聲符を持ってますから、そう読んでる学者もおりまして、

有名な李学勤(《〈古韻通曉〉簡評》,《中國社會科學》1991年第3期)と文字学以外にも、とても広く深く知っていた碩学の学者がおり、

その方でしたりとか、今はすごく文字学ですごい有名な劉釗(《小臣墻刻辭新釋》,復旦學報(社會科學版)1, 4–11)という学者がおり、

彼らも皆そういう風に読みましたが、

でも、やはり非常に甲骨文でいくつか断片の文章(《甲骨文合集》28091「危白(伯)髦」、28088「危方髦」、36481「小臣墙比伐,擒危髦」)でちょこっと出て来て、

しかも、それが人名で出て来たりするから、

もっと言うと、危険の「危」という、名前が付いていた諸侯「白(伯)」がいて、

その中にいる人の名前「髦」として出てるんですよね!

何回か出て来るということで、その文字が字形的な類推からいう、

その字型の後の時代に漢字で「美」に使っている、我々が使っている「美」は、戦国時代ですら、我々が見てきたように、この「美しい」という意味でこの「美」は使ってないです(厳密に言えば中山王方壺「因載所美」と善いという意味で使用され)、

これらを見ますと「𡵂(𢼸)」、そうでありましたから、

我々が使っている「美」は小篆でこの形だけれども、

これが甲骨文で会ったこの文字と、

果たして同じものが継承されたものかは、実は意外と甲骨金文の時代はこういう形でも、金文ではこういう形でも、

名前で使われていたり、固有名詞で使われたりするから、

それは実は意外とそんな簡単に結びつくものではないということで、

大体我々が使ってるような文字の使い方が分かるのは、

こういった楚簡ぐらいから、戦国時代でも、もう後ぐらいか、もしくは金文でも、そうですけど、同じような文章しか出てこないから、

意外と(文章の中で)使われてない漢字は、本当に果たして、それが我々が今使っている時のご先祖かすら、

微妙なところがあることを一つお話ししておかなければならなくて、

それは面白いことなんですよね!一つ驚きではありますが、

簡単にこの文字の甲骨文の形は、金文はこうと言いますが、本当に突き詰めて考えれば、意外と危険な部分が一つありましてお話しました!

しかも、この間もチランとお話しましたけど、

この「美」*mriʔ, *[m]rəjʔという言葉の音と「髦」*maːw, *[C.mˤaw]の音が、非常に近いので髪の毛という意味があるもの、

もう更に究極的に言えば、これらは皆、髪の毛ぽいものを持ってて、

それは髪飾りが美しいから、「美しい」みたい、会意的に人の頭の上に紙飾りがついいるから、美しい、羊が大きいから、良いとか、美しいとか、

会意的に導くことが、果たして、本当に全てそうなのか(正しいのか)もありまして、言葉(漢蔵祖語)で見ると、少ない「微」*mwəy、美しい「美」*mway、「毛」*mulですから、皆、mの子音を持ちます!

鄭張尚芳の方の再構(*mɯl)だと、殆どこれ、この母音(ɯ/u)が違うだけで一緒とこの間にちょっとお話していましたけれども。

それでしかもここの西夏語の髪の毛(mej)と、この微妙の「微」のBaxter-Sagartの方(*məj)も一緒でして、

だから、仮借をした可能性はあると一つお話でおきたいですよ!

それともう一つ、ここで字幕を付けていて感じたことがありまして、

それは今いった音と関係してきますが、

この微妙の「微」*məjと発音してましたが、[j] は、実はこれIPA(国際音標)ですから、

もう全ての言語でも、この音の出てくる、口なり、音を出すときの器官の使い方をした時には、この音が出ますと、はっきりしている!

それを全部分類して、この文字はこれと定義してあるんですよね。

それでそれを見たとき、この[j]は、実は英語でいう、例えば、(アルファベットの)jay /d͡ʒeɪ/という文字、もしくはjudge /d͡ʒʌd͡ʒ/という言葉も日本語にも外来語「ジャッジ」になっていますが、

その発音で濁った破裂した音[d͡ʒ]ですが、[j]はそうじゃない!

このIPAでは、今いった音[d͡ʒ]は有声後部歯茎破擦音(voiced palato-alveolar affricate consonant / Consonne affriquée palato-alvéolaire voisée)という名前で口の使い方を一つ一つ定義してるんですよね。

そういう音だったんですけれども、

でも実はこれは[j]という音は、こういった今出したような[j]はイーという硬口蓋接近音(voiced palatal approximant consonant / La consonne spirante palatale voisée)なんです。

口の硬い口蓋に舌を接近させ、舌がちょっと上がり、舌の前部か、中間部に上がり、肺から出てきた空気が摩擦を受ける音なんですね!

だから子音なんですよ!

その母音と子音もあり、その母音とは、基本的には、口の中でどこにも、肺から来た空気がぶつかったりしないで、そのまま抜けていく、

もしくは自然な形で出した中で、何も阻害されず、口から出ていくまで、空気が何も起きないで出てくる「あ」 a [ä̝]、「い」 i [ɪ̟]、「う」 u [ɯ̹̽]、「え」 e [e̞]、「お」 o [o̞͑]は、皆そういう音は母音ですけれども、

子音は口の中で何かしら細くしたり、舌を上げたり、 くっつけたり、破裂させたり、色んなことをして、口の中で音を調えていますよね!(音を調える点を調音点と言います。)

[j]はヘブライ語のアルファベットでヨッド(י)があり、子音ですよね!

それで英語でyear /jɪə/とか、you /juː/とか、英語ではy /j/と書かれ、

もうすごい言語において、例えば、アルファベットが使われているとき、もうその言語に合わせるときに、

皆、違う音に同じアルファベットを書いたが故に、ものすごい混乱が起きたわけですよ!

全然違う音が、その同じアルファベットになっていて、

だから、もうそれを整理しなきゃいけないですが、

実はもう一つ面白いことがありまして、

国際音標(IPA)にも[y]もあるんですよ!(円唇前舌狭)母音(close front rounded vowel / La voyelle fermée antérieure arrondie)です!

これは中国語で「雨」yǔ /y²¹⁴/などの音で、唇がウの形をして丸めていてイと発音されて非常に面白い!イとウの間ぐらいの音でありまして、

まあ、中国語(の拼音)では「u」の上に点々をつけるウムラウト「ü」で書かれますが、

まあ、これは円唇前舌狭母音(close front rounded vowel / La voyelle fermée antérieure arrondie)と言うんですけど、

そう全部一つ一つ口の使い方を定義していて、

また、それでIPAでは[y]も違う音をまた表現されています(更に硬口蓋接近音 [j]とは、異なる有声硬口蓋摩擦音 [ʝ]もあり、ややこしいです)!

これは私色々普通にこれは*məjと発音してましたが、*mwəyと発音してましたが、この「y」は、これは、そうじゃないんですよ!

IPAで言う[j]にあたる(英語圏の転写で)「y」ですから、

実は漢蔵祖語のデータ、私はSTEDT(The Sino-Tibetan Etymological Dictionary and Thesaurus)という、

この漢蔵語族の色んな言語を集めたデータベースから、そのまま私は転記してきました。

特にこの西夏語の「j」は、漢蔵祖語「y」に近くて、IPAの[j]に当たり、

しかも、中(mawi、moi)に「i」もあり、 母音ぽく書かれてあり、

ものすごく、この書き方は皆、不統一でバラバラですよ!

どうしてかと言ったら、STEDT(The Sino-Tibetan Etymological Dictionary and Thesaurus)という、漢蔵語族の言語を集めたデータベースを作ってくださったジェームズ・マティソフ教授(James Alan Matisoff)が、

彼はその大量の言語資料は、言語学者がそれぞれ別の流儀でそれを用意してきたから、

同じアルファベットが同じ音が出ているかどうかは違う!

そうではないということなんですよ!

だから、別の言い方をすれば、このデータ、一つ一つのアルファベットを比較言語学をしようとしたとき、同列に扱えないことですね!

もし比較をするなら、その表記をされたものを全て統一させなければならない!

言ってみれば、単位が違うようなことでして、同じ長さを比較するなら、メートルとマイルとヤードと尺とか、色んな単位がありますが、

それらを全部揃えて、比較しなければいけないけれども、

全部実はこれはばらばらだけれども、私は元々のデータベースにあった音(の表記)を尊重して変に変えちゃうと、また複雑になるから、

そういった形で置いておりますから、非常に実は音を比較していこうとしたとき、

本当は全部をIPAに統一して頂けると嬉しいですけど。

非常にそういった困難もあったりして、

実は漢蔵語族の研究は、やはり最近に始まり(Paul King Benedict (1972). Sino-Tibetan: A Conspectus, Cambridge: Cambridge University Press.)、そういった意味でも、基礎的な基礎のことですよね!

本当に元のデータがどう表記されるかは、大事なことですけれども、

それがまだ統一を見てないことも含めて、結構困難がありますね。

基本的に印欧語族(Indo-European)は、もう200年以上の研究史がありますから、語源なども、全部もう調べ尽くされていて、

もう宝物はそんなに残ってないんですけど、

漢蔵語族(Sino-Tibetan)はものすごいホット!

もう、最近にそういったものすごい数は少数民族の言語を集めてくれた言語学者たちがおりまして、

山の中に入ってゆき、集めたデータの統一はまだ取れていませんから、

本当に分からないことが沢山あり、探究のしがいがあると思ってるんですよ!非常に面白い!

もう燃えてます!探究の気持ちが!ということでありますけど!

だから、そういった本当に基礎的な部分にも困難があり、

まあ、私はある程度この発音を伝えたい時にアルファベットで書いてありますけれども、あと字幕にもちゃんと書いていますが、

それをそのまま伝えたいと思って発音しまいましたが、どちらかといえば、これは(IPA通りに)*məjと発音するのがいい!

だから、これ漢蔵祖語*mwəyにも、漢蔵語族のその他の言葉にもかなり当たっていまして、ビルマ語မွေ့, mweでも、美しい方でいえば、漢蔵祖語*mwayという発音ですね!それでmaːyですから、moy、ミゾ語 mawi、ジンポー語moiですから、

殆どこれらの音は皆きちんと対応しています。表記が違う流儀でされているから、こんなですけれども、

まあ、基本的には、だからマティソフ教授はアメリカ人ですから、

英語だと「y」ですから、基本的にはこれはyear, /jɪə/とか、you, /juː/と発音するわけですが、「j」はもう[d͡ʒ]になっちゃってるんですよね!

例えば、英語だと(「私」は)I /aɪ/ですが、 ラテン語で「私」 ego, /ˈe.ɡoː/ ですよね。

まあ、ギリシャ語 ἐγώ /e.ɡɔ̌ː/ でインド=ヨーロッパ語族の一番最初の形(印欧祖語)*éǵh₂から来ていて、ヒッタイト語 𒌑𒊌 /ūk/、サンスクリット अहम्, ahám /ˈɐ.ɦɐm/、アヴェスター語 /azə/、古スラヴ語 ⰰⰸⱏ /azŭ/、リトアニア語 aš /ɐʂ/、アルメニア語 ես, es /jɛs/、ゴート語 𐌹𐌺 /ik/、古ノルド語ᛖᚲ /ek/、古英語 iċ /it͡ʃ/, ih /ix/, iċċ [iç]、(古高ドイツ語 ih /ix/から、)ドイツ語 ich /ɪç/ですね!

だから、古英語iċ /it͡ʃ/, ih /ix/, iċċ [iç]から、子音が落ちて、現代英語では「I」になってるんですよね!

それでラテン語の方から見れば、古典ラテン語 ego /ˈe.ɡoː/ [ˈɛɡoː]から、俗ラテン語、口語のラテン語*eo, /ˈe.o/ [ˈi̯ɔ](古典ラテン語の「行く」と同じ)になりまして、

それでイタリア語 io, /ˈi.o/ [ˈiːo]に引き継がれて、スペイン語 yo, /ˈʝo/ [ˈɟ͡ʝo]、もしくはある方言では、yo, /ˈʒo/ [ˈʒo]もありまして、

「y」と「j」はそもそもそれは結構近いところがありまして、まあポルトガル語 eu, /ew/ [ˈew]でして、

それで問題がフランス語 je, /ʒə/ [ʒə]で「i」が濁音的に「j」になり、

英語でも「j」と読むのは、基本的に英語は、これフランス語から結構借用した言葉が多く、この「j」ということがありますが、

それで古フランス語でje, jo, jeo, jou, geと書かれている場合があり、もう多分、古フランス語の時点では濁っていたと分かるんですよね。

それで中世フランス語の写本がie, jeで書いていて、更に複雑になってくるのが写本においては、

中世フランス語でも、中世英語でも、私は中世の写本などに興味があり、見ましたけれども、

トランスクリプションで「i」を「y」と書くこともよくあるんです。

だから、そうみると、「j」と「i」と「y」は、基本的に西洋言語の中では、非常に近く、それに音も変わりやすいということもあって、

そういった意味を含んでいる!

この結局アルファベットで表記していることは、これラテン・アルファベットで表記してますから、

ヨーロッパの言語の特性を引き継いだんですね!

この「j」とか、「i」とか、「y」を使った時には、

だから、面白いことに、ラテン語egoから出た、俗ラテン語*eo、イタリア語ioは「i」、スペイン語yoは「y」、フランス語jeは「j」となり、

イタリア、スペイン、フランスで「i」、「y」、「j」で来ていますが、

それでしかもスペイン語のyoは「ヨ」と言いますが、「ジョ」という方言もあったりして、もう複雑であります!

そういった言語の状況もあり、それを借りて、漢語とは関係ないかもしれないけれども、この文字、アルファベットで表記したときには、

そういったヨーロッパの言語の中に起きた音韻的な問題をはらんでいることは、これは意外と落とし穴です!弱点!

面白いことに漢語だけ研究していくと、そこには気づきにくいですが、

私は結構インド=ヨーロッパ語族に興味があり、むしろそちらの比較言語学の方が、結構ずっと長くやっておりましたから、

だから、そういったことに気づき、「j」「y」「i」の対立は、非常にヨーロッパにおける言語の特性を反映してるとお話しておきました。

といった形で、この発音記号に関しても、もう一つ一つの使い方、全部きちっと定義をして、全て統一をしなきゃいけないと!

まあ、先ほど申し上げたヨーロッパの言語においても、正書法(orthography)できちんと規格化、ルール作りをしましたが、

これらのデータも、そうしたルールを作り、同じ尺度でより厳密に比較できますから、学問の基盤にとても興味を持ちまして、

だから、もう本当に単なるこの(音の)書き方がどうこうというより、更に本質的な内容を含んでいるということでして、

その面白い何かを考えていく一つの基盤として、もう一つお話がありますから行ってみますね!

こちらの「長」に関して、私一つ面白いことを感じたんですよ!

実は六書という、漢字を構成する時のルールは、《説文解字》の序文に書いてありますが、

それのスライド作り、資料作りをしていましたとき、

それで《説文解字》の中に仮借(かしゃ、かしゃく)と言いましたが、

(ある漢字の)音を借りて(言葉を)表現すること、

それは別の言い方をすれば、全く違う語源の言葉で、偶々、音が近い、同じは意外と少ないんですけども、

近い音があり、文字で表記するときに音だけを抽出して、その文字を使うことですから、例として「長」と「令」が挙がっていたんですよね!

それは私少し調べていたときに一つ気づいたんですよ!

前回この「長」に関して、「張」という字と関係付けて話してきたんですよ!

Baxter-Sagartの*traŋの子音と母音の配列が同じですから、同根だということで考えてたんですよね!

私それで調べてみたら、漢蔵語族の沢山の言語を集めて、こういう形だっやじゃないかなと再構築したものがあり、

それを見たら、「長」という言葉と、こちら「張」、張る、膨らむとか、成長するとか、そういった意味の単語が違う語でよく似ている!

こっちは *(d/t)uŋ、こっちは*(d/t)aŋ、d/tはかなり近い子音ですが、

ただ、母音が「u」と「a」で違うだけですよ!

だから、もしかしたら漢蔵語族のもうご先祖さまの漢蔵祖語の状態を再構した中でみますと、これだけ似てますから、

更にいけば、究極的に言えば、語源が一緒かもしれないですね。

母音が違うわけでして、しかも子音の配列は一緒ですから。

だから、そう見えるとしても、そもそも、もう既に漢蔵祖語の段階で二つの概念は二つの別の言葉として表されていた!

それがずっと後まで引き継がれたなら、やはりそういう意味では、別の流れで上古漢語に至っていることです!

まあ、大体理論的には、この漢蔵祖語は、今から6000年くらい前に分かれ、これらのクキ=チン語、カルビ語、ジンポー語、レプチャ語、チベット語、ビルマ語などの言語と分かれた!

それらを全部集めて、漢蔵祖語は6000年前はこういう形だったと!

それで上古漢語は、漢字ができた頃は、3000年ぐらい前からまあ2000年くらい前というスパンですから、

(漢蔵祖語の6000年前から、上古漢語の3000年前まで、)3000年ぐらいあるわけですね!

まあ、言ってみれば、我々の今生きている21世紀からすれば、

この上古漢語は、漢蔵祖語と3000年ずつ丁度真ん中あたりと考えて頂ければと思います!丁度中間ポイントですが、

そう見ますと、 二つの系統があり、結局、音は似ていますが、「長」と「張」は再構した音でよく見てみますと、二つの見方ができまして、

「長」から見たら、伝統的には「長」という文字には、二つの意味があるとされていまして、

しかも、今の中国語でも「長い」という意味で使うときはchángなんですよ!

そして、成長する、「長ずる」という意味の同じ文字「長」を使った時は、zhǎngと発音するんですよ!

ということで、今の中国語でも、二つの言葉をしっかり読み分け、ずっと違う言葉として続いているんですよね!

しかも、それは勿論、中古漢語でもそうです(「長い」ɖɨɐŋ、「長ずる」ʈɨɐŋX、長いから派生した「多い」ɖɨɐŋHと三つあります)!

上古漢語が3,000年前から、我々の時代まで、唐代と中古漢語は、今度はその中で半分ぐらいで間ぐらい!

今から1500年くらい前とですけれども、中間点!

それでもはっきりと違う言葉になってますね!

でも、面白いことにこれらは何か似ている!

(声母(ɖとʈ)に前は違いますけど、)この韻母(ɨɐŋ)の後の部分が一緒です!

それで最初の子音だけが、しかも、ɖとʈは(同じそり舌破裂音で)似ていて、非常にそういう音ですが、そう見てみますと、

この「長」には、二行に分けました!意味的にも、音韻的にもはっきり違い、しかも語源も違うと私は言いました!

それで一つ見ると、こちら側の長ずる方、成長する方の「長」を見ますと、

この鄭張尚芳の復元した音*taŋʔは、張るという意味でしたから、本当に漢蔵祖語でも、最後に声門破裂音(声門塞音、glottal stop、[ʔ])が付いた形になってますよね!

こっちBaxter-Sagartの方で見ても、明らかに同じ語根(traŋ)から派生させてますよね!

それでこちらもちゃんと(声門塞音、glottal stop、[ʔ])が付いてますから、同じような形で派生させてます!

これはいいんですよ!

ところが見ると二つの系統があると言いましたが、

こちらを見るとBaxter-Sagartは、明らかにもう一個の方の「長ずる」の方と同じ語根(traŋ)の前のところ*Cə-[N]-に分からない子音*Cə-が付いていて、しかも [N]-が自信がない括弧([])が付いてる(笑)

だから、この復元はちょっと、ちょっとじゃないか! 相当、自信ない復元になって、復元と言えないほどの形になっておりまして、

しかし、彼らは明らかにこの語根(traŋ)の部分が、こっちと一緒でこの「張る」と「成長する」*traŋʔ、長いは同語源と考えていますが、

私は思ったんです!これ漢蔵祖語のこの時点でも、違う単語で明らかに違う言葉でしたり、

しかもm中古漢語でも、現代漢語でも、そうですから、それはかなり似てはいますが、しかもこれがちょっと曲者なのは、

本当に先ほど申し上げたように漢蔵祖語においても、母音(uかa)が違うだけですね!

uかaかが少し違うだけであとは一緒!そうすれば、それがずっと引き継がれていれば、

結局、上古漢語において、この復元はどれほど信頼できるか分かりませんけれども、

一緒になっちゃうわけですし、その後の結果の中古漢語でも、そうなっちゃうし、こういった、

だから、元々かなり似てるのはあるんですよ!

でも、逆に考えれば、《説文解字》は、これを仮借と言っていて、「長」という字は仮借だと!

やはり、意味が相当、「長い」と「成長する」は違いますよ!

成長するから、長くなるとか、ピンと張るから、長くなるとか、膨れ上がるから、長くなるとか、膨張するから、大きくなる、長くなるというような導き方は、

結構この我々はもう同じ漢字「長」を使う結果があるから、

もう慣れ切っていて、この2つはもう同じ漢字で表されるから、似てるって言われれば、そうかもしれないと思いますが、

よく考えると相当これは違う!引伸と言いますが、言葉が転じて、意味が変化したと考える、

つまり、同じ語源から、同じ語根から、これらの概念が導かれたとするには、少し無理があると考えると、元々違う系統の言葉からでしたね!

ということは、これは仮借という一つ《説文解字》の序文も一理あると思ったんですよね!

ということでしたら、 鄭張尚芳は同じ語源だと認識して復元したかどうかは分かりませんが、

というのは、まあ簡単に見れば、中古漢語ɖɨɐŋでd、ʈɨɐŋでtと対応している感じで、(中古漢語と構築した上古漢語は)そんなに違わなく、

しかも、中古漢語の音はɖɨɐŋとdaŋ、ʈɨɐŋとtaŋはそんなに違わないから、

こちらから、まあシンプルに行ったかもしれないですが、

でも、バクスタ=サガールの復元の中には、一つの思想が含まれていて、

この言葉「長い」は、明らかにこの「長ずる」という、この膨れるとか、あと、これらの単語と同語源だという主張してますよね!

だけど、ちょっと自信がないpreinitialに自信のないprefixが付いていて、

まあ、復元と言っていいか分かりませんが(実質的には語根が同じとしか表現されていませんから、)

でも、これに関して、少し疑問が生じてくるわけですよ!

だって、元々違う語源としても考えられるから、Baxter-Sagartの同根であるという考え方とは、この二つの事実は鋭く対立しますね!

そう考えると再考する余地があると(即ち、何でも形態論的な議論で再構するには限界があることです。)

それでしかもあながち《説文解字》の序文に書いてある仮借、別語源の言葉から否定できないことになりまして、私少し思いました!

ここで一つ言えることはありまして、Baxter-Sagartが、何を材料に再構しているかと言うと、

彼らはこの中古漢語は勿論、更にそこから遡りましたが、

彼らは、結構中国の南の方におりました沢山の周辺の漢蔵語族とは違う言語、タイ=カダイ語族、オーストロアジア語族、ミャオ=ヤオ語族、あとはオーストロネシア語族などとの、借用関係を研究したりとか(特に上古漢語からそれらの言語への借用語彙)、

あとは福建省に沢山の方言をは閩語と言いますが、

それらを全部先祖に遡りました閩祖語(Proto-Min)の音韻データを基に復元してるんですよ!

まあ、言ってみれば、この漢語族(Sinitic)の中の言語の中に閉じこもった中で内的再構と言いますが、内的に比較して再構したんですよね。

だけれども、私が今したツッコミは、この漢蔵語族の上ですから、

漢語族の中に閉じこもらないで、外からツッコミを入れている!

これは外的再構という、外から見た!

要するに漢語族の中に閉じこもった閉鎖型では無く、

外からのツッコミを入れる!

というのは、明らかにBaxter-Sagartも、我々はその上古漢語が漢蔵語族に属していると認めるとはっきり言っているんですよ。

でも、彼らはあまり漢蔵語族の方の考察はしてないで再構していまして(単発的な比較はしていますが、)

ということで、今言ったことをより分かりやすいものを一つ面白いものを用意しましたので見てみたいと思います。

こういうことになるんですよね。

先ほども私は申し上げた、この漢蔵語族(Sino-Tibetan)には、漢語族(Sinitic)と蔵緬語族(Tibeto-Burman)と書いてありますよね。

これはチベット語系とビルマ語系がTibeto-Burmanとありますね。

それらの言語から成り立っていると。

じゃあ、何でやはり漢語族だけが、ポーンと出ちゃってるかというと、

この図を見てみますと、面白いことにここが、もう本当に下の最後のもうこの小さいところが漢語族(Sinitic languages)ですよ!

あとのこの言葉がこんなにあるんですよね!

それを全部集めてまとめてどんどんあみだくじのように遡って行ったとき、

ここまで行ったのが、6000年前の漢蔵祖語(Proto-Sino-Tibetan)なんですよね!

だから、つまり、Baxter-Sagartは、漢語の資料を主に上古漢語を再構いたしましたから、漢語族の中で議論を進めました!

ところが私は、これだけの数の言語もあり、それで上から見たとき、この時点で既に「長い(長さ)」という意味のもの、long(やlength)と、「長ずる(長ける)」という、growth とか、tenseとか、(strongとか、tightとか、firmとか、hardとか、)

そういった単語は、既に違ったということでありますから、そのようにこっちから突っ込みを入れました!

左側から上から、これは言ってみれば、タイムラインで言えば、私が先ほど申し上げた6000年前(の漢蔵祖語)から、それで上古漢語は大体2000から3000年前あたり、 それで中古漢語は、大体このあたり1500年ぐらい!この辺りかな!それで宋代くらいまで1000年くらい!

だから、Baxter-Sagartの世界は、この辺りと、当時、上古漢語の時代に接触した中国の南の方にいた色んな言語と比較して、借用関係を調べた中の範囲でしたが、

私は上から更に他のこれだけの地域にもっと前に分かれた人たちの言葉を含めて考えたいと、外からツッコミ入れてるんですよね!

ここの中は内的な問題ですよ!ここは漢語族の問題です! 漢語の問題です!

ところが違う、こっちから少し突っ込みを入れてみたと!

だから、こういった形で見ていきますと、

この上古漢語はやはり漢蔵語族に属しているから、

そちら側から突っ込み、研究もやはり相当必要なんじゃないかと!

それでところがこのこちら側の研究は、まだ先ほど申し上げた通り、

音の表記も統一性が取れていないなど、非常に新しい学問ですよね!

だから、今のところは、発展性がいっぱいあり、分からないことがいっぱいありますから、手堅くするには少しまだ時間がかかる部分もあり、

だからこそ、面白いんですよね!未整備だからこそ、面白い!

自分たちで何か見つける宝物が残っている可能性がありますから、非常に熱いんですけど!

そこ(漢蔵語族)の中から見ていったとき、この(上古漢語の)復元も、本当に精度が高まるんじゃないかとすごく思ってまして、

今回話してきたことが、まとまってきたと思いますが、

そういった意味で二つの意味で、元々データその沢山!ものすごい少数民族が中国の南におりまして、

まあ中国の本当にもう漢語がものすごい大きいな言語で、勿論沢山しゃべっている人がいっぱいいますから。

また歴史が長いから、ものすごい大きな言語という、そういう印象はありますよ!

だから、漢語の中だけでも成立するぐらいの大きな世界はあることは間違いない!

これを見ても、ここに点々で赤だけで書いてありますけど、

もうちょっといい大きい図を見ますね。

こういうことですよ!漢語族(Sinitic)!

ここのところは全部、やはり漢語だから、皆、殷とか、周とか、本当に小さいもう集団だったんですよ!

ところがどんどんと広がり、どんどん春秋戦国時代になり、秦の始皇帝ぐらいには、もうこんなになり、全部が漢語族(Sinitic)で平野は全部漢語でもう埋め尽くされちゃったから、山の方にみんな逃げた!

そういった少数民族はみんな山の中に暮らしてますよ!

みんな平野は漢語族に取れちゃった!

だから、こちらの方の言語は、元々漢蔵祖語の一緒の所から、皆分かれて行ったんじゃないかと、

だから、KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)の一つ面白いことは、言語はやはり人間なんです!

やはり、人間が喋ってるから、言語の関係性があり、人間がそれだけ移動したり、 またそれだけ支配を広げたり、言語も広がってるという、

それは明らかな勢力図で分かりますが、

そういった形で私が常に見てるのは、学問上の言語の構築は、当時の人間はどういう言葉を話していたかという興味から始まり大事ですが、

それだけじゃなくて、こういった実際に生きている人たちを私は感じながら、実は一つずつのビルマ語ではとか、チベット語ではとか、(話しておりまして、)

ビルマ語(Burmish)と彝語(Loloish)、この二つは非常に近くて似ているんですよね。この場所はここですから、これはもう本当にもっと近いところから別れましたが、

そうした民族の歴史も含め、私は身に染みて感じながら語っています!

実はそれでチベット語はBodishの中に入りますね。

まあ、それでヒマラヤや本当にこちらのネパールまで行ってます!あとはインドの北まで行ってます!カシミール地方に近いところまで!

もう本当にまあこの辺りにも沢山いたんでしょうね!

しかし、インド=ヨーロッパ族のサンスクリットが、こちらを取ってきたから、このあたりがフロンティアですよね!漢蔵語族(Sino-Tibetan)と印欧語族(Indo-European)のせめぎ合いの所でありますが、

だから、分断されてこちらが飛び地みたい!でも少なくとも、こちらまでバーンと広がったことも間違いなく、

それで別の先ほど申し上げたタイ=カダイ語族などは、要するに本当はこの間にいた中国の南あたりから、漢語族(Sinitic)に押しやられて、

こちらまできているということがあって、

それでそういったこの流れ、一つ一つの民族のどこにいたのかも含めて、そこでどういう歴史があったのか、どういう営みがあったのかを含めて、この言語見ると非常によく分かりまして面白いということ、

この漢蔵語族のこれらの言語、実際にはこういうところでこういう人たちが使っているということは、非常に印象深いんですよね!

だから、こういった文化、言語というもの、歴史、社会も全部、その言語の中に含まれていて、

だから、これらにも興味を持っていて、実は上古漢語を再構するだけではなく、そうした方面からの興味も含め、お話できてきたと思います!

今回、振り返ってみますと、一つ目は、ここでこうした色んなデータを集めてきたときに不統一が生じるため、

そういったものを全部きちんと規格化することを含めて、

非常に大事と感じてこれたりとか、

もう一つ、この「長」*daŋ, *Cə-[N]-traŋ > ɖɨɐŋと「長」*taŋʔ, *traŋʔ > ʈɨɐŋXが同じ漢字になりまして、同じような発音になりましたが、

これらが実は違った(語根、語源ではないか)ということ、

これに気づいたのは、こういった漢語族の中で、内的に再構されたものを、外から見て、外的に突っ込みを入れましたが、

基本的にこういった比較言語学、もしくは、歴史言語学とも言いますけれども、

そこで用いる比較の手法は、非常に弱いポイントがあるんですよ。

それは何かというと、今我々が接することのできる色んな言語が、色んなその先祖から分かれてきて、同じ先祖じゃないかと考えられる所から分かれた言語がありますが、

それらを全部集めても、本当にその先祖の最初の状態に行けるかといえば、行けない場合があるんですよね!

それどうしてかと言ったら、ある単語がある時期に全部違う単語に置き変わっちゃった可能性がありまして、

そうすると後の言語で出力された今喋られている言語は、全部その影響を受けてたら、もう分からない!その先祖との間に絶たれていまして、

更に貸し借りしていて、借用関係を同じルーツでは、同じ発音してるから、後の時代に借りたのに同じルーツと誤認する可能性もあり、

それとか、ここでも感じたことですけど、

こういった言葉を導くことで同じ語根から、 接頭辞とか接尾辞とか、そういったものをくっつけて言葉を派生していくという方法でも、

人間の言語は意外とかなり規則に沿わない場合がかなり多いですよ!

だから、理論的に突き詰めて構築していくものが、全て本当の真実なる言語の姿かどうかは、

当時喋られていた、使われた言葉かどうかは、保証できないですね!

もうとんでもない驚きの理由で変わるにはそれなりの理由があり、

口伝えでずっと伝わってきて、もう理由が分からないことも多く、

そういった驚きの理由で変わっちゃうことも多くあるから、

そういった理論的には、絶対推測できない理由を知る資料はないわけですから、色んな意味で比較をする方法で構築されたものには、

構築しやすい場合としにくい場合があり、

その再現された言葉の強度の問題があり、再構築の強さ!

どれぐらい信頼でき、自信を持ち再構したと言えるか、

本当にバクスターさんとサガールさんは、非常に正直だから、声母の部分はちゃんと分かんないと書いていたり、

しかも、大括弧をつけて、この[N]は自信が持てないと言っていて、

ということは、語根がこれであるよというだけであり、

殆ど実質上、これを再構築できてないに近い状態でありますから、

だから、非常に難しい部分があったりする場合は、

そういった外的に別の方向から、ツッコミを入れたり、漢蔵祖語の方から入れたりできることが面白いということです。

それはどうしてかといったら、我々はできる限り、当時の人を知りたい、

そこから始まったわけですよね。

だから、できる限り当時の言葉に近づきたいですよ!

そういった意味で、できる限りじゃあ近づくためには、どうしたらいいかといったら、

もう、あらゆる手を使って、攻めてゆくしか手がないわけですよ。その問題に関して切り込んでいくしかないわけだから、

そういった時には、もう先ほど出てまいりましたけれども、

データベースがすごい大事で、ものすごい数の言語を、ものすごい小さい方言に至るまで、網羅するような形で調べて、

それで一つの原因においても、殆どその言語を使われてる、語彙とか、文法とか、要素とか、文章の組み立て方とか、

ものすごい量の単語だけでも、大変なのに、その文章の組み立て方まで、文章全体でしょうという、全部データベース化しなきゃいけない!

そうするとものすごい数のそういった言語の使われ方も、

音のデータと、意味のデータと、文書の中で、その使い方のデータ、

それらをデータベース化すれば、それが全部生きてくる!切り込んでいくための考える材料になります!

いっぱい材料があればあるほど、精密になっていくということで面白いんじゃないかと!

そういうことも興味があります!

本当にだからこうした意味で言語学は、もう本当に人間と密接に関係があり、ものすごい面白くて、盛り上がってきておりますから、

我々だけの問題じゃなくて、これはもう本当にものすごい人を巻き込んで、皆でやんなきゃいけない大変な話になってまいりましたけれども。

もう面白いじゃないかということですから、

今後ともKF-Ars Sinicaでもう興味を持った問題を少し、今回もそうでしたけども、

小さな気づきから、そこをゆっくり考えると、ものすごい世界が見えてきて、ものすごい問題が見えてきて、

最後はもう本当にどうしていったらいいかも分かってきて、

本当に面白いじゃないかと思って、

今後ともKF-Ars Sinicaで、漢字の面白さ、漢語の面白さを続けてまいりたいですので、何とぞ宜しくお願いします!

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今回もありがとうございました!

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