Press "Enter" to skip to content

「ふで」の語源は上古漢語から!?殷周秦漢までの文字学について語りました。漢字的獨特性系列 Unique Chinese Characters

漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。

2021年5月14日

皆さま、こんにちは!

KF-Ars Sinicaで「漢字のユニークさの探求」、大盛り上がしていまして!

もう今まで漢字その文字自身の音が分からなかったんですよ!

だけれども、もう最近は沢山の文献的、もしくは少数民族の言語が調査されて、それが分かってきて、

ブラックボックスみたいな漢字の中が覗き見できるような感じになってきたりワクワクして、

ものすごい話がそちらの方で膨らみましたが、

今回は話題転換します!

そういうことで、今回の切り口は、ここにある筆を見ていきましょうと!

殷と周の時代の甲骨金文が残されていて、そこから秦と漢の時代まで、

秦の始皇帝が文字統一をして、小篆、そして、漢の時代に隷書になっていくという、

それが我々の使っている文字の元祖、

そこまで漢字とは、基本的には、線的な構造があると、もう一番最初の回で申し上げましたが、

それがじゃあ何故そうかを見ていきたいと用意してまいりました。

この殷の時代の甲骨文が出ておりますが、

「聿」の中でやはりこれは「手」ですが、手で軸があり、大体、毛がいっぱいあるものは、こういった三本になってるんですよね!

前に見ました馬の尻尾なども、三になっていて、毛がいっぱいまとまったり、糸がいっぱいまとまったものは、こういった形に象形されて、かなり規則的になりますが、

これは筆を表していると考えられるわけですね。

それはどうしたかといったら、「伊尹」という、史書にも出てくるんですけど、

司馬遷の《史記》や古本の《竹書紀年》という歴史書の中にも出て来る、「伊尹」という人と言われていて、

それで当時この下がない棒だけの「尹」とも「聿」が通用してたということでありまして、

まあ、「君」という字がありますけど、「君」の場合はこの下に「口」をくっつけると「君」という字になりますけど、楷書でもこの部分に含んでますけれども、一緒ですけれども、

それでも、この筆の場合「聿」、杖の場合「尹」、一本棒の場合があって、

それが両方とも通用したということですが、

ここにこうあるから「聿」でその下を見ますと、この下に何か書いたような形をしているという、

これはここに書いてあります。「畫」という、漢字の線を一画、二画と言いますよね。

まあ、その筆で書かれた線ですが、

それともう一つの説があり、この部分の形は、コンパスみたいなものを意味して、規範の「規」という字の初文とも言われますが、

どちらにしても、これ「聿」など、筆記用具ですよね!

そういったものがちゃんと甲骨文の中にも出てくることで見れてこれて、

それともう一つのルートでも考えられます。

筆が実物がやはり腐りやすいから、毛と木で出来た軸だから!

だけれども、それらが無くなってしまっても、筆で書かれた線も残ってるわけですね。

そうすると、こういった線は、本当に今、我々が使っているような筆とほぼ同じ形であったと、この線を見ると分かるわけですよ!

特に私は甲骨金文などを臨書して、実際に見てこういう拓などを見て書くわけですけども、今の筆で無理なく書けるわけですよ!

これ「戊」*mus, *m(r)uʔ-s(漢蔵祖語*mwa(n/t)、彝語mɯ²¹、白語mio³⁵、アンガミ語merü、マオ語marü、リャンメイ語 mari、ゼメ語 mreu)は、戈の形でここに刃が付き、この武器の形をしていること、

これはよくお見かけしますけれども、

この線、これもすごいことにこの線一本で柄の所ですけど、手で持つところ!

それでこの刃のところにつながる部分でしょ!

刃でしょ!すごいよく表されているんです!

本当によく綺麗にすごいんですよ!

線の動きだけで微妙なカーブでちゃんと!

これよく考えたら、これ一画、二画、三画でちょっとここは太くなってる!四画、それしかないのにすごいですよね!

これはちゃんと象形したものが分かるぐらい、きちんと整っているということで、

もうちょっとびっくりしているですけれども!

「申」*hlin, *l̥i[n]は、「雷」の初文で「電」*l'iːns, *lˤi[n]-s(苗瑶祖語 *liŋ、チェパン語 प्‍लीङ्‌हसा, pliŋh‑)とか、「神」*hlin, *Cə.li[n](漢蔵祖語*m-hla、チェパン語 ग्‍लीङ्‌ह, gliŋh)も、この部品を含みますが、

「雷」の稲妻(の象形)の形と言われている!

ここのカーブ、すごいよく表されて、本当にこれすごいですよ!

それでこれは甲骨文だと、結構やがり直線的になっちゃうんですよね!

骨に刻んだときに刃物でグイッといきますから、

だけれども、筆で書くとこうキュンとなって、ここでまたキュイーンと回っている!

本当にきれいに曲線がすごいですよ!

ここはちょっとこういうところは曲がっていたかもしれないけれども、

結構、直線的になっちゃう!

ここのカーブすごくいいですよ!

ここが直線的なのは、骨に刻むからしょうがない特性がありますが、

結構、漢字は意外とこういった曲線はくにゃくにゃじゃないんですよ!

やはり、曲がっているとはいえ、直線の集合として、曲線を描くことは、コツとしてよくあるんですよね!

それで見てみますと、これはたまたま骨の上に甲骨文を彫る前の下書きみたいにこういった墨や朱で書かれて残っているんですよ!

それでそれがあって、そこをきれいに私はして、ここを拡大して持ってきたんです
けれども。

やはり、この陶器の破片も残りやすいということで。

墨で書かれた墨書陶片!そのまま漢字を読んでそのままありますと! これすごいですよ!

これはもうグワッと入っていっているという。

それで入ったところは接触してから、ここは真ん中が肥えて、圧がかかって、

それで抜けてるとか、

ここの角度は3本線だって、ちょっと違うんですよね!開いてるでしょ。

それですごいのが、筆を使った時にこっちがこっち側がある程度、直線になって、こっちが膨れているように書いてある!

こっち側、今度はこっちの外側があえて、直線で、こっちは膨らんでることは、

圧を加え方を微妙に調整することによって、右側、左側、どちらに膨らませるかまでちゃんと制御している!

それでこれはちょうど真ん中ですよね。

中鋒的に筆の先の長い毛が真ん中を通っています!

それでこっちは少し右側に膨らんでる!

こっちは左に膨らんでいる!

それで「祀」*ljɯʔ, *s-[ɢ]əʔ(漢蔵祖語 *s-g-luːm)は廟があり、テーブル(祭壇)のようなものを表わして、示偏の「示」*ɢljils, *s-ɡijʔ-sは意味していて、テーブルの上に一本、ここでは物が描かれてないですが、

後にこう一本は物がここに置いてある形だから、

これはすごくよく表されている!

これはテーブルの足ですよね!三脚かな(笑)

すごいですよね!

それでこちら側「巳」*ljɯʔ, *s-[ɢ]əʔが、二つの説があって胎児の形とちょっと壊れているから、

こちらにも同じ字が上まで残されていますが、

これは胎児の形でして、蛇の形「虺」*hŋlulʔ, *[r̥]u[j]ʔ, r̥u[j]ʔ(漢蔵祖語*s-b/m-ruːl、タマン祖語 *ᴬlʰu、クキ=チン祖語 *ruul、ナガ祖語 *ph-rə、タンクル語*ruul、チベット語 ru⁵³、チェパン語 ru、緬甸語 mrwe、カレン語 *rowᴮ)という説もありますが、

やはり、胎児の「胎」*l̥ʰɯː, *l̥ˤəと、上古漢語で再構された音(「蛇」の方はrで「胎」の方はl̥)が近いわけですから、

多分そちらと思ってるんですけど。

あと、「包」*pruː, *pˤuの中にこの部品が入ってますよね!

だから、字音から、字形から類推して、そう思いますけれども、

これを見ますと、すごい折れて、こうなっているでしょ。

これもこちらが大きく見えますよね。

こうきて折れて、ピョンていって、その行き方も、本当に筆でやっぱり書かれてるんですよ!

我々が使ってる筆と、殆ど違わないもので。

それでこちらは、陶文といい、今度は陶器が乾く前に箆で書かれた面白い。

その線の肥え方とか、これ見ていただければ、殆ど一致してるんです!

面白いということで見てこれたと思います。

ここでは甲骨文、甲骨の上に書かれたもの、それと陶器の上に書かれたもの、それは墨で書かれたもの、そして箆で書かれたということで、

それらの文字をちょっと見てみましたけれども、

今度は金文、金属に鋳込まれた文字を見てみたいと思います。

こちらですが、殷代の青銅器が伝わってまして、

金属の表面にへっこむ形で鋳込まれています。

それに紙を張り、凹んだ部分が、墨が乗らないから、拓を取ったとき、白黒逆転してるんですよ。

私は文字をよくみせるため、全部白と黒を反転させ、綺麗にしましたということで、

こういった形で持ってきたのですが、

先ほどの甲骨文と同じように牛の大腿骨などの長い骨に刻まれ、

先ずびっくりすることは、金文に刻された中で残されたものと甲骨に刻されたものは、特に先ほど見た甲骨とは異なり、筆で描いたものを彫刻するような形で刻したと、

骨に刻むにしても、先ほど見たよう、もう一刀彫みたいにストーンと行かず、結構肥えたところがきちっとなってる。

これは筆で書いた跡を忠実に刻したためと考えられて、

特に筆で書かれた墨書き、朱書きが少ないから、

これらも補足資料として、筆で書いた線として見れて面白いなと思って見ているんですよ。

殆ど先ほど見たように、細かくちょっと見ましたよね。

こちらが膨らんでるとか、同じことがあり、こういう下が膨らんでいるでしょとか、これは真ん中が膨らんでいるとか、

そして線を見た瞬間に私はもうこういったものを臨書するときも、

どのくらいの圧がかかり、どちら側が膨らんで、どのぐらいの筆の角度だったか、見た時にぱっと分かるんですよね。

これを見たときに、まあ基本的には、真ん中から、どちらに偏ってるかですけど、

そういった線の微妙な変化、こっちは中鋒といい、真ん中を通っている!

これは、下側が膨らんでいることが分かってくるんですよ。

これは角度が全部違うし、ここは水平に近い。それでちょっと右上がりになっていると。

実はこういった線の角度などもあり、これは間違いなく、人間は右手で書きますから、少し右上がりになるんですよね!

それは筆を使った時に自然です。

だから、そういった意味でも、やはり、筆で書かれた文字を刻したものと分かり、すごい面白くて、

例えば、面白いのが、宰丰骨刻辭《甲骨文合集》補11299と小臣邑斝《殷周金文集成》9249に「易」*leɡ, *lek、「王が賜う」がありまして、

貝偏を付ければ「賜」*sleːɡs, *s-lek-s(漢蔵祖語 *l/rey、チン祖語 *lay ⪤ hlay、ロロ=ビルマ祖語 *ʔ-lay²、ビルマ語 လဲ, lai:、彝語 ꆦ, ɬo³³、タンクル語 *lo、カレン語 lâi、「移」*lal, *lajと関係)と同じの字があるため、ちょっと比べてみますと、

これはすごい太くて、筆で書いてずんぐりしてますよね。

こういった書風もあったという。

これは逆に線がものすごくスッキリしてる!

ものすごいスッキリしてる!一本一本がそれでここはもう伸びやかで気持ちいいくらいで、

この角度、カーブは気持ちいい、素敵!

筆で書いたとすごく分かる。

ここがちょっと肥えていて、長い線はスカッとしている!

それで点点点は、器から水がこぼれ落ちて器から注がれる形ですよね。

点点点は水がチャーと流れている形ですよね!

大体そういったものが多いとき、三本に象形されますけれども、

実際に文字として象る時には、かなり先ほどの毛は三本になるとか、一緒で多数のものは、大体三つになり、ということで見ますと、

すごいやはり筆で書いたことが分かり、「六」も同じく、こっちはスカーンとして、「祀」は先ほど見ましたこの「示」に「巳」という字、

「祀」で「六祀」は六年という意味でして、周祭といって、祭りをしていくサイクルが一年毎で、それが六回ということで六年ですが、

まあ、これ見ると、すごいここ、ずんぐりしていると!

こちらは開いているんですね!すごく線的にスカンしている!

かなりこれは後々の小篆みたいで、秦の時代の篆書みたいにスカーンとして空いてる!

これはすごくずんぐりして、中があって、

それでこれはすごく筆の圧がかかって抜けてる時に、また圧が弱くなって、

真ん中が太くなってまして、筆を実際に動かしてみると分かり、

この角度もやはり筆で書かれた思われ、こういうところなど、漢字は線の流れが大事です!この点もそうです!手で持って持ち上げている形をしていて、角度がすごく素敵だと思いまして、

それでこちらの金文(宰椃角《殷周金文集成》9105)とこちら(小臣艅尊《殷周金文集成》5990)は、結構肥えているんです。

筆でここを埋めた輪郭線を書いた形で「王」が色んな所で出てきますから、「王」を一つ一つ見て行けば、面白いんですよね。

そういった形で殷の時代の金文を見ましたが、

これはもうちょっと後、殷を滅ぼした周ですよね。もう本当に最初の頃の時代で見ますと、

おお!これもすごいスカッとした、先に見た右側で見た右(小臣邑斝《殷周金文集成》9249)の書風、こちら(叔夨方鼎《新收殷周青銅器銘文暨器影匯編》915)は同じ時期に荘重で重い線がすごく線が肥えてどっしりしている形もあり、

これはよく見ると、入るところ見て下さいよと、

これまた「易」が出てきました!「王が賜う」がこれよく出てくる!

これ「王」がここは王の鉞の刃が強調されていますが、

ここに入るところが触れてから、

間の線を引きながら、それで出るところが細くなってるんですよ!

これ筆でやはり書いた線!

これもそうですね! 縦にすごくよく特徴がある!縦の線がこういう割とスカッとしたこちらを見ると分かりやすいです! 曲線のカーブの仕方を見ると逆にその線のところは勿論ここは入りが細く入ってますよ!

でも、結構これは少し蔵鋒という一回筆をグインとして、結構(書く面に)入れ込んで、太いままぐーっと引いているといることが分かって、

本当に書風がやはり当時もあって面白いということで見てこれているんですけれども、

ちなみにこちらの金文(德方鼎《殷周金文集成》2661、上海博物館所蔵)は最初に周の王朝を開いたという成王が「成周」(河南洛陽附近)と書いてありますね!

それで祭祀を催した記録で《詩經·周頌·清廟》「於穆清廟,肅雍顯相。 濟濟多士,秉文之德。對越在天,駿奔走在廟。不顯不承,無射於人斯」という詩の中にも出てきて、 その情景が描かれていまして、

ものすごい文献資料とも符合して貴重すごく面白くて、

それでそこにある註(毛傳:「祀文王也。周公既成洛邑,朝諸侯,率以祀文王焉」、鄭箋:「成洛邑,居攝五年時」)から、

これは即位してから、五年の時にした一つの一大行事で国家の威信をかけたことが分かり、すごい歴史的な資料としても価値がありますが、

金文の文献的な価値という、その中に書いてある、この内容に関しても全部、実は全てきちんと釈文を置いておきましたということで、

こちら(叔夨方鼎《新收殷周青銅器銘文暨器影匯編》915、山西省考古研究所所蔵)は、武王の子供の晉国という戦国時代に続いていく、晉國を最初に封ぜられた唐叔虞(叔夨)という人でして、

有名な周の王さまになるお兄さん(後の成王)が、弟に桐の葉っぱをあげて、これであなたを封ずると、おままごとみたいな遊びをしてたら、

君子になる人はそんな遊びで国を封ずると言ったらだめだと、

本当に封ぜなきゃいけないという逸話も伝わっていまして、

そう言った面白い故事成語「桐葉封弟」tóng yè fēng dìという話もあり、面白いんですけれども(《呂氏春秋·重言》「成王與唐叔虞燕居,援梧葉以為圭,而授唐叔虞曰:餘以此封女。」)。

ちょっと今回は筆で書かれた文字で我々が見てきたのは、

こうした甲骨金文、もしくは陶片に箆、もしくは筆で書かれた線を見て、

やはり、状況証拠から、筆は存在したすごく感じてこれました。

ということで、次に言ってみたいと思うんですよ。

今度は文字や言葉から見ていきたいと思うんですよ。

先ずこれは本当に金文に鋳込まれた文字、

こちら「聿(筆)」*[N.]rut, [m-]rut が甲骨文で見ました先ほどの手の形、

そして、もう一つ「畫」*ɡʷˤrekという字がありましたけど、

これで先ほど申し上げたように画を描いているような形「乂」(「刈」に関係する鐮刀にも類似)という考え方と、

これはコンパスみたいな物(規)という、それを象った規格の「規」*kʷeと、ここに書いてある説があります!

それともう一つこちらは下に書いてある。

これは「周」*tjɯw, *tiwという字ですよね。

それ「周」は「口」を付けた形ですが、その初文の形を取ってる!

これは田んぼに点々があるのは、農作物が(整然と)植えられているという説と、もう一つの説がありまして、「王(玉)」もしくは、「形」と同じように三本「彡」を付け、「周」*tjɯw, *tiwは、刻するという彫刻の「琱/彫/雕」*tɯːw, *tˤiw」という字と音が同じでして、

「周」*tjɯw, *tiwと「琱/彫/雕」*tɯːw, *tˤiw」と同じですね。

それでかつ、この形を見ますと「玉」に彫刻をした形ということで、

そういう考え方もありますが、筆で書くこと「聿」、玉を刻ること「周」を組み合わせて「畫」、会意的に描くと考えられて、

こちらのほうが正しいかもしれません!

ということで、先ず、「筆」という言葉から見ていきたいと思うんですよね。

「聿」*b·lud, *[m-]rutと再構されていますけれども、

これ私が一生懸命調べたんですよ!

そうしたら、どうもこれは「掃く」という言葉に関係ある!これらの漢蔵語*g-s-y(w)at(クキ=チン祖語 *hriat、メイティ語 bruɟəと関係)から来た、これらの言語では、皆、「掃く」という意味を持っていて、

筆とは使うときにブラシでスイープしている(掃いている)んですよね!

しかも、二つに分け、この下はこちら漢蔵祖語 *k/p-y(w)ak(チベット語 འཕགས. phyag、タニ祖語 *pək、チェパン語 pʰekと関係)では、皆、「箒(掃帚)」という意味を持ち(漢語「拂」*pʰ[u]tとも関係して)、

多分これが語源じゃないかなと!

子音が対応しているということ、

それと意味が対応しているということを含めて考えられて、

筆とはやはりブラシで履くんだと!

それで線を書くんだと毛のまとまりで掃く、それで線を書くという考え方で名付けられた道具だと、

それとこちら筆で書かれた線、漢字の線自体は「畫(画)」と言いますよね。

画数とか言いますから、*ɡʷˤrekという音なんですよね。

金文、金文では、これらの文字ですけれども、びっくりしたことに、

これは計画をする「畫(画)」という、 この字ですけど、

それとあとは「格」は格子の「格」、

本当に網目という意味で、あと「企」*kʰeʔ, kʰeʔ-sも、そう解釈され、語源的にも、字源的にも、計画をするという意味があるということは、

こういったもので書くことでプランを立てるという、 そういった漢字の部品にも使われているということですごく面白いんじゃないかと!

その筆の機能をよく表しているんじゃないかなということを含めて考えられると、

それは漢蔵祖語*(g/k)raŋの子孫からしても、チベット語 བགྲང, bgrang、ビルマ語 ခြင်, hkrang、その他の漢蔵語(カーリン語 ʾkhran-ne、クキ=チン語*hriʔ、ヌス語 xɹɯ³¹)でも「計画する」「量る」「測る」という意味、measureですから、測る道具「規」を意味してるとも捉えられて、

まあ、音的にもそうですが、そうした形で「図る」、「計画する」、そういった言葉と文字が一致してすごいと思って見てるんですよね!

そしてもう一つ、「冊」*tsʰrekという字がありますよね。

一冊、二冊など、本などを数えます。我々もこの「冊」を使います。

これを見ると、これらは文字は何を意味してるかと!?

あと、もう一つ「典」*tɯːnʔ, *tˤə[r]ʔという字がこちらにありますが、

結局、縦に竹をパカーンと割って、簡牘、もう長い板に文字を書いたわけですよね。

それでこういった形をしていまして、

それでこの中にあるこれなんだと言ったら、

紐で何個も簡を縛って、それで巻物にするんですよね。

だから、結局、後の時代に紙に置き換えられて、巻物になったのは、結局これはこの簡を束ねたものを巻いていたから、

だから一巻、二巻と本を数えるのも、そうですけど、巻物だからということでありますから、

これはそれを表わしているんじゃないかと!

それで「冊」*sʰreːɡ, *tsʰrekはどこから来たか頑張ったんですよ!

私、一生懸命、頑張ったら、これは「分ける」とか、「割れる」とか、漢蔵祖語*dzi(k/ŋ)からではないかと、

漢蔵語族(クキ=チン祖語*tsikや「斥」*ŋ̊ʰjaːɡ, *tʰAk)も、そうした意味もありますが、

それでしかも「dz」という子音が付いていまして、

それでその中で「竹」*tuɡ, *trukも、「破竹」とパカーンと割れるんですよね。鉈を入れると気持ちよく、繊維が縦に行っていて、パカーンと割れる!

それを意味したところから、「竹」*tuɡ, *trukも子音的の関係もあり、ここ(dz, ts, tʰ, tsʰ)はちょっと対応していて、「tr」で微妙ですが、

でも、びっくりしたことでありまして、これらのチベット語 འཐག, 'thag、ビルマ語 သပ်, sap、アチャン語 ʂap⁵⁵、彝語ꍤ, tʂha²¹、ナシ語 khə³³、プミ語 tɕhɛ⁵⁵、ジヌア語 tɕhɛ³³、アザ語 ʦʰa²² ɕɛ̠⁴⁵、これらは全部こうした子音(th, s, ʂ, tʂh, kh, tɕh, tɕh, ʦʰ)を持っているんですよ!

これらは少数民族の言葉をまとめて、ジェームス・マティソフ教授がSTEDT(Sino-Tibetan Etymological Dictionary and Thesaurus)という漢蔵語族のデータベースで漢蔵祖語はこうじゃないかといってなかった!

でも、私は今全部これ読んだのは、これだけの全部、竹がパカーンと割れる。まあ、ここに「拆」*tŋ̊ʰraːɡ, *qʰˤakがありますが、これは「分ける」という意味を持っている言葉でパカーンと割れる!

これもそう!排斥の「斥」*ŋ̊ʰjaːɡ, *tʰAkも、「割れる(引き離す)」という意味を持ち、これらの音、言葉はみんな「割れる」だけじゃなくて、「竹が割れる」とか、アザ語ʦʰa²² ɕɛ̠⁴は「柵」*sʰraːɡ, sʰreːɡ, sraːns, *[tsʰ(ˤ)rek]とか、竹の長い割られた後の長い板ですよ!

そういうものを意味している!

だから、これらの言葉は、「竹が割れる」は、ものすごい具体的ですよ!

だから、子音(th, s, ʂ, tʂh, kh, tɕh, tɕh, ʦʰ)がこれだけ対応してるから、これだと、私が考えておりました!

これは一つの提案ですが、こうした(音韻的phoneticと意味的semanticな対応で語源を)調べていき、

「冊」*sʰreːɡ, *tsʰrek]と「柵」*sʰraːɡ, sʰreːɡ, sraːns, *[tsʰ(ˤ)rek]も、Baxter-Sagartは再構しませんが、 中古漢語「柵」t͡ʃʰˠiæk̚, t͡ʃʰˠɛk̚の「冊」t͡ʃʰˠɛk̚ から、殆どこれと同じで括弧付きで置いておきまして、

結局は語源的には一緒だということが言えて、

そういった、これですよ、実際これが割れて棒になってる!

柵のように使える形、竹の表面はちょっとコーティングされ、油があるから、それを火にちょっと炙ってから(字を)書いたんですよね。

それを汗簡と言いますが、竹を火にあぶって、汗をかかせて、「殺青」と言いますが(劉向《別錄》「殺青者,以火炙簡令汗,取其青易書,復不蠹,謂之殺青,亦謂汗簡。」)、それで書写材料に使いました!

その時にこの言葉「冊」*sʰreːɡ, *tsʰrekを使いました!

それでこれらの言語では、実際に文字を持ちませんから、

そういう簡牘、本を作るための材料としては使われず、そういったもので実際は柵などでありますけども。

この「典」*tɯːnʔ, *tˤə[r]ʔという字をみますと面白い!ちょっと調べましたら、漢蔵祖語*s-tyaŋから来てる!結局、「持ち上げる」とか、「上げる」を意味していた漢蔵祖語から来ていました!

それでチベット語 སྟེང, steng、カレン祖語 *thaŋᴮも、「上」*djaŋs, *daŋʔ-sとか、「登」*tɯːŋ, *tˤəŋとか、頂上の「頂」*teːŋʔ, *tˤeŋʔとか、これ「顛」*tiːn, *tˤi[n]は山の頂(巔峰)という意味ですが、「承」*ɡljɯŋ, *[m-t]əŋ、「丞」*ɡljɯŋ, *m-təŋと手偏が付いた「拯」*kljɯŋʔ, *təŋʔ、蒸気の「烝」*kljɯŋ, *təŋも、立ち上るという意味を持ってる!

それで私は、これを見たとき、 「冊」を両手「廾」で持ち上げている形をしてる!これも、これもそう!

それで甲骨文では、実はこの左がなかった場合「冊」+「又」とか、これだけで片手「又」だけで持っているタイプもあったり、

もしくは、金文では、手がないんですよ!

でも、何でかと言ったら、私ちょっと気になっちゃって、これは二本、ここにある!

ここ!二本付いている!これは付いてない!これに対してこれがついてる!何なんだと!?

音韻の方から行き、「上」と語源が同じだと言いましたね!

それでこの「上」の甲骨金文はこういう形をしているんですよ!

これ!だから、これは声符「上」、そのこちら側のこれの形に対して、言葉の概念、意味を(示している。)

要するに言葉と音は一致して、声符として加えているとちょっと面白い!(従来の説では飾符で刻まれたとされますが、言語的な情報が含まれているという新しい提案です。)

その今度は言葉の方から見たとき、音韻の方が見たらとき、その字形が面白いため、結局はこれは「上げている」こと、本を大事にしている、

「典」はすごく大事な本という意味ですよ!

これで歴史書でも「典冊(典策)」と言いますが(「策」*sʰreːɡ, *tsʰrekも「冊」*sʰreːɡ, *tsʰrek]と完全に上古漢語のBaxter-Sagartの再構が一致して同じ言葉を別の声符で書き、《春秋左傳·定公四年》「備物、典策、官司、彝器。」[楊伯峻注:典策謂典籍簡冊。」、《尚書·周書·多士》「惟爾知,惟殷先人有冊有典,殷革夏命。」と文献とも一致して)、要するに歴史などの記録を「典冊(典策)」といいますが、

これを二つ合わせて熟語として、やはり文字で記録を残す、そうした残されたものであり、すごく大事なことなんですよ!

歴史を残してゆく上でこうした書写材料は大事なんですよ!

ということで見ていくと、じゃあ、実際にこうした、竹を割った竹簡、木を割った木簡など、書写材料に書かれた文字は残っていないんですよ。

腐りやすいですからですが、面白いことがあって、最近ここは発見された刻辭牛骨がありまして(河南省安陽大司空村出土H37:2,《考古》二〇一八年第三期)、

甲骨文として、占いの結果(占辞や験辞)や占いの内容(前辞や命辞)を刻したものを甲骨に刻したもの以外に、先ほど見たに刻辞という形で筆で書いたものを骨に刻してありますね。

今度はこれはこうやって、罫線が入ってるんですよね!

こういった罫線の中に文字が入っている状態で、これを見ると(卜占ではなく)記録なんですよね!

そういったものを本当に表していて、

つまり、これから見てわかることは、

その罫線は、こちら(鄂君啓節(安徽省壽縣邱家花園出土,《楚系彩版》10頁)もそうですが、もう少し後の時代と言っても、(殷から)600年も後(の楚)です。

このうっすらとよく金で罫線が引かれています!

これは結局こういった簡の一本一本の簡牘がきちっと紐で結わえられていて、巻物みたいにくるくるくるんと巻かれたと申し上げましたが、

それを広げた時に一本一本の板ベラとその間のところが、罫線の由来じゃないかと!

しかも、ここでこれも竹の節が違い、竹が金属で模されている。

本当にこれすごい!(銭湯にあるような)足もみみたい、足の裏を刺激する竹のあれですよ!それを金属で表している!

まあ、足もみというのは冗談ですけど、そういった形でありますから、

罫線が引っ張ってある!

それでよく見ると、そういったことでちょっと戻ってみますよ!

この金文もそう、漢字は右から左に縦に書いていきますよね。

それでこれはすごく縦にビーンと伸びて、ガーンと言ってますね!

これすごく、ここには、やはり簡牘の見えない板ベラが見えんじゃないかと、そうした形で書かれていることが分かり、

これらにも反映していると見れてこれるんですよ!

そういった形でこの殷や周の時代に罫線がありました!

そして、それから600年くらい経った戦国時代の楚文字ですけれども、

竹にちゃんと罫線があると見れてこれて、

やっと、殷と周の金文も見れてこれましたが、

少しここでその時代の楚のお墓から出てきた筆を見てみます。

こういった形で我々が今見ることできる一番古い筆も出しました!

すごいですよ!これ実物が伝わっていて、これで書いたのですから、筆套とあり、一緒にケースまで伝わっています!

「包山筆」(湖北省荊門市包山二號楚墓)は戦国時代の今から2400年くらい前の楚、南の方の筆ですが、

今度これは秦の時代で「天水筆」(甘肅省天水市放馬灘一號秦墓)は甘肅省はかなり西の方、砂漠の方ですね。

少しこの鋒の毛が短くなってるんですよ!

更にこちらの「臨沂筆」(山東省臨沂市金雀山漢墓)は真ん中ぐらいかな、それで東の方かな。それで山東省!

漢の時代のものを見ましたら、かなり毛が短くなり、どんどんで毛が短くなってるんですよ!

この筆がそれじゃあどうしてかも面白いことで、今度こんな角度から見てみたいものがあるので行ってみましょう。

この戦国時代の筆の実物「包山筆」が出てきた!

先ほどの一番古い筆で書かれた実際の同じ時代はこんな感じなんですよね。

《清華大学楚簡·尹至》(訂正:「湯盟誓及尹,茲乃柔大縈。」の最後「榮」→「縈」)は、湯王、殷王朝を開いた王さまについて書いてありまして(《尚書》の逸編で非常に貴重で先ほどの伊尹も登場して)、

その歴史書の中でこの線が、ものすごくカーブが緩やかでグィーンときているんですよ!

こうした線、その一本の線でピーンと直線的ではなく、

微妙に緩やかでして、何故なら(筆の先の)鋒が長いため書いたときに、毛が付いてくるまで、少し時間がかかるから、線を引っ張っていきながら、毛がそちら(書いていく)の方向に行きますから、

曲がるところは、クインと少し筆が立ちまして、

それから、また当てて、そうしたところは入れ直しているから、ここなどすごく上手いですが、

こうした線が、すごいなだらかで滑らかですよね!

それでこれは少しそれより前ですが、

しかも、これは楚の文字でしたが、こちらは晉の国で、先ほど金文で出てきました最初の諸侯に封ぜられた子孫ですね。

その晉国で使われた文字ですが、

圭《侯馬盟書》を見ますと、やはり結構《溫縣盟書》は、特にまあこれは二つの書風は異なるけれども、線のカーブが緩やかで長いですよね!

本当に筆の構造とこの書かれた線は似ていて、

《子彈庫楚帛書·乙篇》「乃命山川四海,寮(陽)⽓百(豁)⽓。」は絹に書かれた楚の文字で、非常に私は綺麗に文字を取り出してきまして、

「乃」*nɯːʔ, *nˤə(ŋ)ʔ, nˤə > nʌiXが「の」(平仮名の字源)が二つ出てきて、こちらは結構長い、こちらは結構ずんぐりした漢字ですから、

こちらはちょっとずんぐりしてるから、多分こちらよりは短い、 もう少し(筆の先の)鋒が短いもので書かれたと、線を見ると分かります。

ですけれども、更にこの後になってくると、線が短くなってまいりまして、

秦のこれ(秦駰玉版)は統一する前(秦惠文王の時代)、100年くらい前で、これ(秦詔版、秦王政二十六年,前221年)が始皇帝の時代、本当に小篆はこの時代ですよ!

これでその時代に実際、本当に筆で書かれた文字(里耶秦簡、秦始皇三十三年、前214年)は、大分、詔を記した板より、更に書いた感じがしますけれども。

やはり、線がポキポキしてるんですよね。一つ一つの線がストン、ストン、ストン、ストンと書かれている!非常に直線的でポキポキた感じになって、

殆ど元のこの辺りは、やはり小篆は、まだ元の象形された形が残され、

それで秦が統一する更に前のもの(大篆)は、秦の文字はずんぐりしていますが、これとそんなに変わりないですが、二つの系統があって、こういった縦長でシャキンとした小篆としての規範を整えたものと、

実際書いていた文字は、秦駰玉版と里耶秦簡は、そんなに系統的に(変わらず)、これも結構ポキポキしています!

だから、本当にそういったから、それで少しずつ時代が経ること、また、地域性もあり、

秦の人たちは本当に文字を沢山書くために、

もうこういった筆の鋒が短くして、早く書ける、

象形された形から速記をしていく符号化をして、

漢字が元々線の流れが大事で、一番最初がそうでしたよね!

私は言いましたよね。線のカーブが微妙に揺れていて、

元の何を象形したか分かるくらい精密だったところから、

もう符号化されていく、文字が本当にもう字源なんて関係ないですよ!

別にもうこの言葉の音をかければ十分、官僚は忙しく書きましたから、

更にそれを推し進めて、秦は短かったんですけれども、秦の制度を引き継いだ漢でも、こういった形で竹簡と木簡は、基本的な構造は変わりません!何故なら、竹もしくは木をパカーンと割ればできますから!

それで紐で結わえてあり、もう殷の時代から、殆どこれはもう変わらないと考えられることですけれども、

字形もそうでしたし、これを巻物にして巻いたと話しましたけど、

これ(居延新簡、肩水金關西漢簡EJT21:2~10))は実物でして、

やはり、砂漠の方で居延という、もう本当に北西でこちらは絹のに書いたもの(敦煌懸泉置西漢帛書信扎)、これは隷書になってますよね!

もう、完全に先ほどから、更に符号化が進んでて、もうこれになっちゃうと我々が使っている楷書と殆ど変わらないわけですよ!

もうこれを後は同じ字形構造を引き継いで我々の文字になってる!

漢字を読める人であれば、殆どこれ読めます!という形で、

隷書になったとき、二つの大事なことがありまして、

元々我々がやってきました「文字」と「言語」に関して話してきました。

そういった時にある言葉を書く時に、もう色んな声符の部品で書いていって、

もう戦国時代はめちゃくちゃですよ!

それを秦漢で整理されて、古い典籍には、色んな文字の使われ方をしていたから、

当時の学者たちが「隷定」といいますが、隷書に直した。

もしくは「古文」、古い文字を「今文」、今の文字に直したことは、

もう一番、最初(の回)にお話をしましたけど、

もう一つ字形的にも「隷変」と言うんですよ。隷書に変化しちゃった!

つまり、もう関係ないと、先ほどの秦の時代にポキポキとなって、

更に筆で書きやすいように符号化して、全部、線を均一化しちゃった!

もう直線になり、篆書で丸みを帯びた所は(点折を)二画でピン、ピンと直線化して、相当、文字が効率よく、ものすごい数が書けます!

もう殆ど言語を表わす符号ですよ!

そういった形になって、ここまで来た!

だからこそ、文字学とは、基本的に字源などを考えるんですよね。

それとあとはどういった言葉の使い方ということですが、

それはもう象形性が高くなければ、文字学にならない。

もう符号化されてしまったことに関しては、

我々が使っている文字と同じだから。

実は文字学とは、殷周の時代から残っている甲骨金文から、ずっとこの秦と漢の時代にここで、もう隷書である意味、我々の文字ですから、

そこまでが文字学の研究の範囲、秦と漢の時代に隷変を起こした、隷定された文字はもう、我々の文字と殆ど変わりないから、

もう規格化されているから、だからそういった所までが文字学の範囲であり、

何故なら、我々と違う漢字の使い方をしてるから、それより前の時代は、そういった規格化される前だから、

そのことを考えていくのが、文字学だと!

文字学の一つの範囲、範疇、スコープは、殷周から秦漢まででして、

しかも、《説文解字》は、後漢の時代に許慎さんが、もうその時代には、逆にいえばそれだけの知識をまとめたということは、

もしくは《爾雅》(や劉熙《釋名》)という辞書があり、それより前の時代にこういう漢字はこう使うんだぞと全てまとめたということは、

逆に言えば知識が失われるのを防いでいて、

もうそこで知識を失われるのを危ぶんで作ったんじゃないかと、

逆に逆説的に考えられるということで、

そこまで文字を考えていこうと、今回、殷と周から最後の秦と漢まで、

秦と漢と言ったら、もう今から大体2000年前だけれども、もう紀元ぐらいの時ですけれども、

私からすると最後だみたいな!

もう子孫だということでありまして!

そこからあとは、最近ちょっと宣伝になりますが、

KF-Scholaで筆をどうやって持ってて書くのかとか、

あとは、王羲之の書法なり、それからは書の話になってくるわけです。

筆の使い方とか、どういう線が出せるかとか、

そうした用筆の話を楽しんで頂ければと思いますが、

文字学とはここで大体接続されますが、その後は違ってきていまして、

今回は筆に着目をしまして、

もう最初にこの甲骨やそれに刻されたもの、書かれたもの、

それと陶片とか、陶器に書かれた、

これはまあ乾く前に箆で書かれた。

そして金文でも、筆意と言いますね。

この筆で書かれた跡やタッチが残っているということで、

筆が当時から使われていたことを間接的にもう見てまいれました!

ここでも、殷から周に行くときに、やはり青銅器の製造、もしくはこうした文字を書くこと、それを鋳込むことも、ちゃんと伝えられたことも見れて、それが続いておりますよね!

そして、ここで筆がどういう文字でどういう言葉だったのか、それは概念だったのか、使い方、用法だったのかということ、

その中でこの罫線があることも面白かった!これは竹簡なりに書かれたという、

そういった縦のラインですね!

やっぱり竹簡に書く時の書きやすさ、

やっぱり線が引いてあると!

我々が漢字を書くときに、

右から左に行が移り、同じ行の中では、上から下に行く、

この書き方は簡牘に筆で書かれたことにより、

そうすれば(人間は縦線を引くのが手の構造から得意であるから、)筆でキュイーンと、本当に気持ちよく書ける。 すごい!

しかもこの罫線 は、(馬王堆帛書や敦煌)写経の罫線にも引き継がれ、更に我々の便箋などでも、罫線が縦に入れられて引き継がれ、縦のラインがしっかりして書きやすいためと面白く見れてこれました!

それはもう既に殷の時代にありました「冊」のこの縦の板に書かれたということで面白かったですし、

そして、実際の筆を見て、おお、なるほど!驚いたことは、少しずつ筆の毛が短くなっていく!もう一つ「削除」という、書いた文字を消すことは、竹簡、木簡に書いた文字を間違えた時にナイフで表面を削り、

それによって、もう一回再利用をしたり、間違えた字を消したりして書いていました名残りから「削除」が来ていました!

ということで、硯も見えていますが、石の上で磨り、面白いですが、

今度はこちらに注目して、

筆の穂の長さが短くなってきたと、毛の長さが短くなってきたことが、

字の形や書く時の速さにどう影響したのか見ていこうと用意しまして、

最初の頃は長いから、だからフィヨーンと書いているときに毛が付いてくるまで時間がかかっていましたが、どんどん、早く書きたいと少し意味が変化してきて、ポキポキと線になって直線化しく規格化されて、

そこから更に書体も変化して、更に最後は符号みたいになり、隷書でこういった形になってしまった!

それはものすごく早く書けて、リズムが生まれる!筆で書いたリズムで書いて行けるから、一つ一つを波磔といい、最後に重くして、それがリズムを整えて、それは速く書くためにポンポンピンとテンポが良く、そこからこの隷書から楷書が出て、

我々のもう殆どの字形と構造が同じで読めるということでしたり、

この書体はもうと早書きしていった方から、 草書、草化するという、

草書化した間ぐらいが行書ということで、

我々の草書、行書、楷書という、全ての書体が、ここから出てるということで見えて来れまして、この辺りが、文字学の下限、最後でした!

殷から、周から来て、 秦とか漢は、もう子孫であるという、最後でも2000年前ですよね。とんでもない古い昔でしたけれども。

最後に一つでオマケがありまして、面白いことをもう一つ見ていきたいと思うんですけども。

こちらで筆を出した時に、先ず《説文解字》の中に面白いことがあり、

この楚で「聿」*b·lud, *[m-]rut、吳で「不律」*pɯ rud, *pə [r]ut、燕で「弗」*pɯd, *putで、これはたまたまスイープする「拂」という字の手偏を付ければ、これで結局、語源的には、先ほど見たように近いと!

この「弗」はまた宣伝になりますが、否定辞のとき、「掃く」に関係して取り上げましたよ!もう本当に覚えてる!

燕で「弗」*pɯd, *put、更に秦で「筆」*prud, *p.[r]utが、竹の軸が付き、竹冠をつけて、大体音は似ていますが、

つまり、言語でこれだけ言ってた言葉を書くときに、これだけバラエティがありましたと、

《説文解字》は何故か詳しく面白く書いていて、

最後に我々が日本語で「筆(ふで)」という言葉を話しますよね!

私がいっぱい今回もう連呼しました。「筆(ふで)」「筆(ふで)」「筆(ふで)」と、

「筆(ふで)」は見ると、「弗」*pɯd, *putで「p」は他の(の方言)でも、「筆」*prud, *p.[r]utと「r」が入りましたが、

我々の「筆(ふで)」という言葉を発音した時には、実は一つ面白いことがあり、

日本語で「筆(ふで)」hudeの「h」の音、もしくは、例えば「膝(ひざ)」hizaという言葉がありましたね。

「膝」は古い時代の日本語(日琉祖語)で「h」は「p」でして音韻的に対応があり、「p」が「h」になりました!日本語で変化を被りました!

「膝」*piNsaから、pi₁zaになって、ピザみたいになり(笑)、それから「膝(ひざ)」hizaになりました。

「鼻(はな)」hanaも、*‾pʰanaから、‾panaになり、hanaになりました。

「p」と「h」は対応して、 これは何で分かるかと言ったら、

古い形で首里方言や宮古方言など(の内的再構)で、日本語と琉球語はもっと分かれる前2000年くらい前が分かり、

そのときの言葉(ぼ再構)は、首里方言と言って、沖縄の琉球の言葉では[ɸana]とか、宮古島の方言で[pana]でした!

「p」だから、我々が「鼻(はな)」hanaと「h」で言うのは、宮古方言[pana]で「p」ということで(内的)再建、再構築できてきます!

そう考えていると、この「p」が「h」になるのは、当然そうで更にじゃあ「t」が「d」もやはり対応しまして、

更に最後に「e」がついている!

最後の母音はこういった「put」とか、「t」とか、これは漢語で入声といいますが、「p」「t」「k」とか、

最後これで終わるのは発音しにくいから、例えば「七」を「しち」とか、「しつ」と言いますが、

「七」は漢蔵祖語 *s-ni-sから、上古漢語 *sn̥ʰid(鄭張尚芳), *[tsʰ]i[t](Baxter-Sagart)を経て、更に中古漢語 t͡sʰiɪt̚ を日本人が聞いた時、発音できない。

最後に入声で「t」で終わる「しち」 shichi /ɕi̥t͡ɕi/や「しつ」shitsu /ɕit͡sɨᵝ/は、母音「i」「u」が付いてます(現代漢語の北方官話 qī /tɕʰi⁵⁵/など、北方では入声が消失して、南方では閩語 chhit /tɕʰit³²/、客語 cid1 /tsʰit¹/、粤語 cat1 /tsʰɐt⁵⁵/を保存しています。)

だから、最後にこの「*put」と終わったとき、「t」が「d」に濁音化して、更に母音「e」が付くのも、

音韻的に言えば、他の方から攻めていくと自然ですね!

そうしたことで「筆(ふで)」hudeという言葉も語源は、古い時代に上古漢語「弗」*pɯd, *putから、弥生時代の遺跡から、こうした硯と殆どで形の近いものは出ていまして、

筆は腐っちゃって無くなっても、硯は石だから残されて、

もう、間近なくか文字は(弥生時代に日本列島に伝わり、)もうそれらの遺跡は金印が出た福岡県の辺り、日本海沿岸の朝鮮半島は中国と接していた場所(福岡県福岡市博多区比恵、糸島市三雲井原、中原、福筑前町薬師ノ上、島根県松江市田和山など)でも出てるんですよね!

だから、かなり古い時代に「筆(ふで)」という言葉は、上古漢語から借りて、日本語に外来語として入り、「ふで」まで来ていて、

後の時代に色々と言う人がいるんですよね!

「筆(ふで)」という言葉は「ふみて」という「文を手で書く」から来てるとか、

語源の解説しては、 ちょっとこじつけと(思いました)!

まあ、確かに10世紀末(934年)の《和名類聚抄》という、漢和辞典がありますが、その中に「筆」という言葉は、「布美天(ふみて)」と万葉仮名で書かれてまして、

一世紀ほど経った11世紀末(1081-1100年)の《類聚名義抄》(観智院本)では、片仮名で「フミデ」「フムデ」「フテ」と書いてあり、元々は「文手(ふみて)」で「筆(ふで)」という考え方もあるんですよ!

ですけれども、それよりも更に2, 300年前(746-753年頃)の《萬葉集》16.3885の歌に「御筆」という形で「 真墨乃鏡(ますみのかがみ)」「御弓之弓波受(みゆみのゆはず)」「御筆波夜斯(みふでのはやし)」「御箱皮爾(みはこのかわに)と出てくるんですけれども、

もう一つ「御筆(みふで)」ではなく、「御筆(みふみて)」という説もあり、萬葉仮名だから、どちらも読めてしまいますが、

やはり、リズムから言えば、「御筆波夜斯(みふでのはやし)」の方が、「何々の何々」、しかも、三文字の三文字、三音節の三音節で(テンポよく)きてますから、

リズムが合うんじゃないかとを含めて、「ふで」「ふみて」「ふんで」など少しバラエティがあったと考えた方が良いですが(「不律」pə rut > pəmut > pumiteなども考えられ、)

それにしても、音韻的に純粋に行くと、「筆」の語源は上古漢語 *putということは、すごいことですよね!

もう、本当に衝撃的ということで面白いんじゃないかなとで見てまいれたと思います。

こういった形で今回はもう「筆」に関して、もうものすごく語りました!盛り上がりましたけれども。

こういった一つのトピックに関しても、もう色んな資料を駆使して見て行こうという試みも行って参りたいと思います!

系譜で考える中華文化(KF-Ars Sinica)ですからということで、どうかチャンネル登録ともう、いいね👍、高評価をいただければ嬉しいです!

やはりコメントなどもいただいたりすると嬉しいですよ!本当にやる気が出ますよ!本当にもっといいものを作りたいという、

ですから、どうかよろしくお願い致します。ありがとうございました!

Follow me!

PAGE TOP