筆の持ち方、用い方の補遺、「各」「格」から発見!仮借は衝撃でした!今までの認識を覆す、漢字の使い方、漢語の表し方が見えてきました。縱談語言學、音韻學、訓詁學、文字學,長達一個小時左右了!
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2021年5月15日
皆さま、こんにちは!
前回はもう本当に筆に関して、もう一時間以上語ってしまいまして、本当にすごかったですけれどもね。
それは筆を使って文字を書く上で、一本の動画でこれだけを見て頂ければ、
もう私がいつも書いているときに注意しているポイントの本当に核心だけ、
もう何度も色々な例を含めながら、お話ししてまいれたと思いますから、
どうか、ものすごい濃縮して、一生懸命、その一本の動画に中に入れましたので、
それを見ていただければ、そして筆を持ちながら、ここにありますように、この図にありますように、
字を書いていただければ、できるじゃないか!というところまで、一生懸命やってましたので、
どうか何回も楽しんでいただいて、色々と試していただけたらと思っております。
そこで私はこの撥鐙法の五文字の秘訣(five tips)がありましたけれども。
これらの五つの文字の中で、比較的これ「擫/按」は押すという意味だったり、これ「押/壓」も押すという意味だった!
それでこれが「鉤」の形だった!
それでこれ「格」が「遮る」とか、「限る」とか、言いましたよね!
そして、これら「抵/輔」は「助ける」とかいう意味だった!
ということで、分かるんですけども、一つやっぱり、この「格」という字は、
日本語では訓読みで「至る」という、到達する、到着する、そういうことで使うのに、
何でこれが「遮る」なのか、「限る」なのかということで、
勿論、漢字はこう伝統的にこう使われてきて、そういう意味がありますと言っちゃったら、もうそれまでだけれけども、
やっぱりKF-Scholaは、本当にどうしてかと考えたいんですよ!
ただ、教科書的に辞書にはこう書いてあると、この意味はこうだとか暗記しちゃったら、言語として、文字としては使えるかもしれないけれども、
それをより何故そうなのかと掘り下げたかったんです!
そういう気持ちが湧いてしまいまして、
それでこんなものを用意してしまいましたので見てまいりたいと思います。
こちらにあるのは、うわっ~ものすごい情報がドバ~ときましたけれども、
もう衝撃が走ってしまったんですよ!
今回はその私が漢字を色々と見てきた中で、ものすごい衝撃がありまして、
それを共有したいという気持ちになっちゃって、
もうとんでもない話になってきましたので、
これからちょっと楽しんでいただければと思うんですよね。
それはどういうことかといいますと、
先ず、何でじゃあこれ「格」が「いたる」になったかを見ていきたいと思うんですよ。
一つ考えられること、それは形、もともと何を象形したのかですよね。
それで今ここに持ってきたんですけど、
この「各」という字の木偏を取ったこの形は「いたる」という部品、
これ「夂 」は足!人の足跡!
最初期の商と書いてある、殷の時代の金文と甲骨文で見ますと、
足がこの中に入ってくるんですよ!
結局、部屋の中に足がに入ってくる!
結局これは「いたる」ということですよね。
それが分かる!本当にその様をちゃんと象形してますよ!ということで、
本当にこれが「いたる」という字が生まれた字源だということは分かる!
ところが、少しずつ西周初期になってくると、
こういった形でちょっと足のピヨーンというところが、
それで小指でしょ、親指ですよ!
これ本当に伸びちゃって、訛っちゃっている!
我々が書く「各」いう字、冗談みたいになっちゃったけど、
我々が書く「各」いう字にこれは近いかもしれない!
これはまあ小篆から出て、そこから更に楷書に入ってますよね。
これ訛っているんですね!
大分それとあとはやっぱり「いたる」は歩くと関係するから、
行人偏(彳)とこれはそうです!
結局ここの部分にまた一つ足「止」をつけているんですよ!
つまり、これが訛っちゃって、もうどんどん壊れてしまったから、
もう一つ付けてる!
そういうことよくあるんですよね。他の漢字でも!
例えば「燃」という字がありますよね。
自然の「然」の方に使われちゃったから、
もう一つ「火」をつけちゃった!
でも、本当は点々点々の下の連火(灬)は、連火だから「火」ですよね!
それで更に「火」をつけた!
それと同じでまた足「夂 」を付けて、また足「止」をつけたというのは、結構よくある!
それはどうしてかというと、もう一つ考えるのは、
仮借をするんですよね。
つまり、本当は火で燃えるものが 、「然」という字だったのに、
それが「然り」とか、「然れど」という字で、音が同じで、意味が違う、(語源も)全然違う、そういったものに転用されちゃった!
だから、本家のものが、更にこうやってくっつけなきゃ、分かんなくなっちゃったということで、
それではどういうことかといったら、
ここを今回見ていくと、この「格」という字は、
我々はこれを「いたる」と読むんですよね。
だけれども、この「各」という字は、これは「各々」という意味ですね。
そういった意味で「各」が使われちゃったんですよ!
だから、しょうがない!本当は歩いていく姿にこういった形で、もう一個歩く足「辵(辶)」に従うと書いてありますけど、
足「止」つけちゃったり、行人偏「彳」を付けたり、ああ、行くという意味の「格」なんだな、歩くという意味での「格」なんだなと明示されたり、
もしくはたまたま、本当に初期の金文の方で見ると、木偏が付いたこれが、「格」になっちゃったと!
「木」の部品が付いてる! これは意符と言いますね。こちら「各」が声符ですね!
元々これが初文といい、本当の形だった!
であるのに本家が他の意味にとられちゃって押しやられちゃった!
本当の意味の方(格る)がこっちに「各々」の方に取られてしまいましたということで、
こういう漢字でかなり訛って、「木」が二本「林」になっていたり「𠵂」とかありますけれども、
それがもう一つ分かることは、
こういうものがあるんですよ!
初期の殷とか、周の時代の金文の中で、
ここ「王各(格)」が、「王さまがいたる」「くる」とか、「入ってきた」とか、そういう意味でありまして、その中で使われている!
ここ(宰椃角《集成》9105)が「王各」で使われてますよ!
それでここ(宰獸簋《新收》663)の中では、ここに同じく「王各」ありますね!
それともう一つこちら(師嫠簋《集成》4324)では、
ここ「王周に才(在)り、各(格)る」、それで「于(於)いて」だから、どこに「大(太)室」、大きな部屋に来たというということでありまして、
この件(宰椃角《集成》9105)に関しては、2つの読み方があって、
例えば「王がいたる」、この「王がいたる」に「宰」までが入るのか、
つまり、目的語が、それこの標点は、もうこの下に入ってくるんじゃないかという考え方もある!
つまり、目的語がないから、でも、これ自体は、私が(そうしたように)伝統的にここで切られているのは、「王が来た」と自動詞で目的語がない状態で読む可能性もあって(《爾雅·釋詁》にも、「來る」と「格る」が「至る」と同じ意味であることが書かれています。その場合は文字の上では同じですが、言語では自動化される接頭辞*N-などが付く可能性があります)、
それで「宰椃」、これは人の名前だと!
だから「宰椃角」、こういう名前で青銅器の名前が付いていますが、
もし、これ「宰」が王が来た場所だったら、この青銅器の名前すらも「椃角」という名前をつけなきゃいけなかった!
つまりこれは固有名詞(人の名前)じゃないということになると、
結構この字釈といって、解釈が難しいところがあるんですが(甲骨文で「宰」は職官名と地名の両方で使われており、人名とするとその人の職官を意味)、
それは何で言えるかと言ったら、
「王が格る」大きな部屋「太室」で、目的語の前に賓語と言いますけど、目的語の前に大きな部屋「太室」という前に「于(於)いて」が入っている場合と入ってなくても、両方ともちゃんと至った場所を示していると!
まあ結構、古典籍では、「いたる」ときには、この「於」が入ってることが多いんですけど、 ということで、戻ってみるんですけれども。
そういった形で初期の金文で生じてきた時には、この「各」と「格」は仮借をするということ!
音が通じてるから、転用できちゃったということ。
先ずは今、仮借の話をいたしました!
これはすごく大事な概念でして、
それで私が、先ほど衝撃を受けたことをお話していきたいと思います。
ここから今のことはすごい大事でして、
この文字を運用してゆく上で、音が近いから借りちゃうことは、キーポイントなんですよ!
そこで見ていった時に分かったと!
この「格」という字の中に、沢山の意味があるんですよ!
熟語を作れますよね!
元々伝統的な見方を先ずお話しますよ!
その中ではこの「格」とは、木編がやはりついていて、木の枝を意味している言葉だったと!
それが本義といい、本当の意味の言葉だったというわけです!
その漢字の一番最初の意味が色々変わっていく、転じていく、元の概念だったと言うんですよ。
それでそこから例えば格闘するの「格」というのは、戦うという意味での「格」とか、
あとは格子の「格」とか、これは一つ一つ縦と横が揃ったという意味ですよね。
これとか、格的は「的」という意味ですね。
それとか、規範という意味の格ですよね。
「格律」というと、これは法則する意味を持っております。
それと格調(格が高い)というクラスという意味がありますね。
それと更に「格阻」というと、私が先ほどその筆法の説明の中に話した「格礙」もそうなんですよ!これは遮るという意味なんですよ!
更にこの「格限」というと、「限る」!こういう意味なんですよね。
それでこの「格正」と「格非」とは、それを戒めるとか、それを「戒める」とか、「正す/糺す」という意味なんですよね。
これらの熟語の中に入ってるの中には、意味が全く違う「格」で使われると!
伝統的には、これらの意味は全て、枝から説明しようとするわけです!
つまり、本義から転義した、転じたと説明している。
例えば、有名な段玉裁が《説文解字》の註でいうのは、
この枝がぶにょーんと伸びていくから、「いたる」という説明をしてるんですよ。
つまり(本義の)「枝」から何とかして、その他の意味を(引伸や転義という形で)説明したいと!(段玉裁《說文解字注》「木長皃者、格之本義。引伸之長必有所至」)
ところが、ここからが衝撃なことですけれども!
一つ、私の大きな見方がありまして、
それはKF-Scholaの見方ですけども。
当時の文字を使った、最初に言語にアダプトして、言語に合わせで使った人たちは、どういう発想したのか!?
その方から私は見てるわけなんです。
その視点が、先ず一つあって、それともう一つは、
何故こんなに全然違う意味、これらの「戦う」とか、例えば、「決まり」とか、「遮る」とか、「区切る」、「限る」、
こんな全然違う言葉を全部「枝」から説明するのは、あと「至る」もそうだし、それが一番最初(の初文で本義)だったと、
かなり厳しいですよ!これは本当に!
ちょっとこじつけいっぽいんじゃないかとすごい疑問を持ったたんです。
ところが、そこで一つ、先ほど申し上げた「仮借」ということ、
これはもしかしたら、全然違う言葉であって、それらはたまたま上古漢語の時代に、というのは、漢字がどんどん元の象形された形から、ものすごい数の概念を書き記していく、
そういったときに何が起きたのかと考えると、
もしかしたら、これらは全然違う語源であって、 全然違う言葉であって、
それらがたまたま発音が同じということは、結構珍しいんですけども、似ているということも含めて、
音が似ているから、もう借りちゃったのではないかと考えたんですよ!
じゃあそれを今度は証明するためには、どう証明すればいいかと、私は思ったわけですよ!
そこで最近、20世紀から、21世紀にかけて、
漢蔵語族といって、もう、上古漢語から、漢語、今でいう中国語、それらの先祖は元々、同じところが分かれたじゃないかと、6000年くらい前じゃないかというところまで分かってきている、沢山の少数民族の言語がありまして、
それらを全部集めていくと、多分6000年前はこういう言葉は、ここから全部発生したんじゃないかということを、言語学的に、これは「比較」という方法をとるんですけど、母音とか子音、発音をずっと比較していく、
それは歴史比較言語学とか、比較言語学(comperative linguistics)とか、歴史言語学(historical linguistics)と言いますけれども、
そういった形で見ていきたいと考えていくわけですよ。
そういった今度はデータを利用すれば、分かっていくんじゃないかということで、
私は一生懸命、ここで調べてみたんですよ!
本当にこの今、私が言った、もしかしたらこれらは全部、全然違う言葉から来て、
例えば、「枝が伸びていくから至る」なんていう説明は、全然違う語源のものに関して、そんな説明はナンセンスじゃないかということ、そう思った!
その閃きから始まる!
これをどうにかそうなのかと見ていきたい!
じゃあ先ずどこから行きましょうかと言ったら、
もうやっぱり、この「各」でしょと!最初の「各」!
じゃあ、これは「各々」という意味で、何故じゃあ「各」になったかというと、
これは上古漢語で*klaːɡ, *kˤak(*鄭張尚芳, *Baxter-Sagartと表記)と発音していたと、バクスター=サガールさんは再構しました!
それを見ると、どうも私が色々調べていくと、
この「持ち上げる」、「上げる」とか、パーンと、それを一つ選び出すみたいな、
あとは「気づく」とか、そういった言葉を含んでいて、
意識に上がってくるという意味の*kyiという漢蔵祖語から、それらは羌語 tsi³³とか、緬語 khyîがビルマ語でも、そうなんですよね。
そこから、彝語では「持ち上げる」という意味になり(更に彝緬*ka、彝語ꈁ, kha³³; ꈀ, kha³⁴では全てとなり、皆という意味に来て、)
漢語で「舉」*klaʔ, *kaʔもありますね(「列挙」「枚挙」などの熟語には、一つずつ並べてゆくというニュアンスがあります)! これ漢語でも「持ち上げる」とか、一つ一つを取り上げるというところからいくと、「各々」という意味にはなるわけですよ!
これ本当に語源は一緒だった!
こちらは「各」*klaːɡ, *kˤak!だから、結局、最後に*-kが付いたのは接尾辞(suffix)と考えられ、
そういうことで説明がつくんじゃないかと!
それで今度は、この「各」という字でも、実際に今、我々が見てきた「いたる」という意味、この「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakの初文の形の方「各」に入れておきましたけど、
これはどうもやっぱり漢蔵祖語 *grwatは、旅をするとか、どこかの目的地まで行くとか、
そういう言葉で全部きている!
それはチベット語 འགྲོ་བ།, 'gro ba、སྐྱོད, skyod、また(上古漢語)「越」*ɢʷad, *[ɢ]ʷatという言葉とか、
あとは「歳」*sqʰʷads, *sqʰʷad, s-qʷʰat-sという字は、歳月が過ぎていく形で、それでこの同じ子音を持っていて、
これらは結び付けられますよ!
語源が一緒だという可能性が高いと!
それと一緒で、これはやっぱり「いたる」とか、「進んでいく」という意味、
時間が進むから、これは「越」は「行く」から、
それでこれから来ている可能性がある!
ということは、語源が全然違うわけですよ!
更に路面、道路の「路」がありますね!
これを見ますと、漢蔵祖語とは違う周辺の南亜語族(オーストロアジア語族でベト・ムオン語派、モン・クメール語派の祖形*kraʔ)から借りたんじゃないかと、
これでそれはベトナム祖語 kraːʔなども来ているんじゃないかと、今のベトナム語 sá、ムオン語khá、ワ語kraʔ、
やはりこれは上古漢語「路」*ɡ·raːɡs, *Cə.rˤak-s(*鄭張尚芳, *Baxter-Sagart)と、こちら(Baxter-Sagartの再構)は分からない子音「Cə」だけれども、鄭張尚芳(の再構)を見るとɡ·raːɡs 、これやっぱりこれの音だということで借りたんじゃないかと!
全然、語源が違う!南亜祖語 kraʔ(道)、漢蔵祖語grwat(どこかへ行く)、(漢蔵祖語 *kyi(取り上げる) 、でも、やっぱり全部「k」もしくは「g」の子音を持ってるんですよ!それで「r」も持ってる!
これとこれは一緒でかなり音は近いんですよね!
元の形でも、だからやっぱり全然違う言葉が、こうやって(文字を表記するときに音を)借りたじゃないかと!
これは「いたる」が、元々これと結び付けられた(即ち、初文「各」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakですが、全く別の語源の音が近い言葉に表記を与えようとしたとき、仮借をして初文がそちらに取られました)! こういうふうに完全にこの字形と字源と一致いたしました!
「いたる」という意味で見ると、この《爾雅·釋詁》「迄,臻,極,到,赴,來,弔,艐,格,戾,懷,摧,詹,至也。」の中には、この文字入ってますよね!
この「格」という字が入っていて、「至」という意味だよと、
その意味をグルーピングしてまとめた《爾雅》という、英語でthesaurusと言います同義語辞典がありますよ!
その中にあると!やっぱりそうだと!
それで「來(くる)」とか、やっぱり「到/至/格(いたる)」もありますよ!本当に「赴(おもむく)」もありますよね!
これらはやっぱりこれ動くんですよ!足で動いて行くという意味があるんですよ!みんなこれは「何とか迄」という字「迄」も、これ「至る」という意味はあります!「何とか迄」だからということで、
そういったこの子は、全部結び付けられておりまして、
《詩經·大雅·抑》(「神之格思」の)中でも、ちゃんとそのように注釈(毛傳「格,至也」)で、この「格」は「至」と書いてある!
それで伝世文献と言いまして、先ほど見た金文(出土文献)でもそうだった!
この金文でも、そうだった!
だけれども、やっぱりきちっと伝世文献でも、そう伝えてきています!
宋の時代に蘇軾も使いました! この詩〈賀時宰啓〉「歡聲格於九天,乖氣消於萬匯。」の中で見れたし、
あとはこの《禮記·大學》「致知在格物,物格而後知至。」の中に入ってくる「格物致知」という有名な成語がありますけれども。
それもやっぱり「いたる」という、本当に「真理に到る」という意味で使ってるんですよね!
ということで、ちゃんと文献的にも、こういう意味で使っている言葉があると分かってきまして、
それから今回、言ってました「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakという字には「r」が入っただけだと!
本当にここにありましたけれども!
これを調べた!じゃあ、今と同じように行きますと、語源が違うんじゃないかと!?
私はやっぱり見つけちゃった!
この言葉(漢蔵祖語*s-ka(:)k)は本当にビックリしちゃった!branchとか、crotchという意味があるんですよ! 「枝」ですよ!本当ですよ!うぁ~と衝撃です!
本当にということで、全部これらのビルマ語 အခက်, a.hkak、彝語ꇪ, ko⁵⁵でも、そう「枝」ですから、
更に遡って構築していくと、彝緬祖語(ロロ=ビルマ祖語)ʔ-gakᴸになって、更に行くと、漢蔵祖語s-ka(:)kだけども、
他のタニ祖語 *ɦak、ミゾ語 kaːk、チェパン語 ghakでも、皆「枝」だった!
ああ、やっぱりそうか!漢語でもこれは枝か!おおということで同じ衝撃が走った!
ということを考えてしまうと、むしろこの「枝」で木偏をつけたというのは、
単なるこの「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakという音、「各」*klaːɡ, *kˤak、これのs-は接頭辞(prefix)だから、もう語根(radix)からいえば、漢蔵祖語ka(:)k、上古漢語*kˤakですから、
音を借りただけだと!
本当にそれでかなり漢蔵祖語で行くと「r」が入ってないから、
この「」は間違えなく、もしかしたら要するに接中辞(infix)の可能性がある!
だから語根から言えば、やっぱり*kˤakなんだと!
もう本当だと! だからこれを伝統的に本義と言ったのは、
後から漢字の使い方を見たとき、この木偏が付いてるから、「枝」が本義だろうと勝手に決めちゃったけど、その前提は崩れてしまった!
つまり、これは仮借をされているだけで、木偏だから木に関係すると枝だと意符「木」をくっ付けた。
仮借をされた!こっちは意符で、こっちは声符、こちらで見ますと、意符、こちらは声符という、
ああ、もう典型的な形声文字の作り方だということ。
もう一つこれは今、私が申し上げたことを傍証することが、
これ「梠」*raʔ, *[raʔ]も、「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakという字で使ってる!
じゃあこれは何でかと言ったら、「呂」*ɡ·raʔ, *[r]aʔとありますよね。
《呂氏春秋》の呂、風呂の呂、 ここの音「呂」*ɡ·raʔ, *[r]aʔ、この場合は「k」がないけれども、
「呂」*ɡ·raʔ, *[r]aʔの音を借りて書いちゃってるということ、
やっぱりこれも音を当てているんですけど、
また違う字を当てられちゃっているということで、
本当にちなみに「枝」と言う、上古漢語もしくは「支」、支線というとやっぱり枝と同じですよ!
この本当に枝が分かれていくのと同じ、支線の「支」は*kje, *keなんですよ!
これからやっぱり来たなと、しかし最後のこの*-kは接尾辞的で落ちてしまいない、ここには付いてないということで、
もっと言うと漢蔵祖語*s-ka(:)kのうち、この「ka」の部分が語根かもしれない。
Baxter-Sagartは「s」はハイフンで分析されて、これは接頭辞となってるけれども、
「格」と「枝」も関係してるんじゃないかと!語根を分析そうということが分かってきて、
やっぱり実際に《説文解字》ではここで「格」という字を説明するとき、 《説文解字》「格,木長皃」でも、木の枝が長くなって伸びていったものだと書いちゃってるから、
《説文解字》のやはり権威は大きくて、
あとで文字を考える人たちは、もうみんなこれが本義だと信じ込んでしまったんですよ!
ところが私は今やってることは、漢蔵祖語から見たとき、この《説文解字》の権威がもう落っこちちゃった(笑)
つまり、この説明に関しては間違いだと、私申し上げました!
でも、まあこれはちょっと許慎さんの肩を持つと、
その時にやっぱりこれは「枝」という意味で使っていれば、
《説文解字》では、許慎さんはそういうつもりはなかった。
つまり、この「格」は今は「枝」という意味で使っているという言うだけで、
別に字書(辞書)だから、先ほど言ったようにこの「格」という文字が「至」という意味で使ってるよという《爾雅·釋詁》と同じで《説文解字》では、この「格」は「枝」という字で使っているよねと、ただ行っただけなんですよ(「格」の本義は「枝」とは、言っていないんです)。
ところがこれがずっと本義だとなっちゃった!《説文解字》に書いているからだと。
それはちょっと許慎さんの意図とは違ったかもしれないことはあります!
だから、それで、その中では、もうこの《系傳》という、これは宋代に《説文解字》を校訂した徐鉉(916-992)がいて、その弟の徐鍇(921-975)が書いた解説の中《系傳》「亦謂樹高長枝為格」でも、そう書いてあり、やはり「枝」になっちゃっています。
それで有名な司馬相如〈上林賦〉「夭嬌枝格,偃蹇杪顛」でも、本当にちょっとKF-Scholaだから言いますけども、
こういった文学者の大文学の賦という文学でも、こういうふうに出ている!
ああ、間違えない!これ「枝」と「格」が並んでる!
ああ、これは「枝」 という意味で使ってる!
司馬遷《史記·律書》「角者,言萬物皆有枝格如角也。」まで出てきました!
もう本当にこの中でも、やはり、「枝格」という熟語で使ってますね!
枝という意味で使っている!枝が突き出たところという意味です!これは!
それでしかも北周·庾信さんという、おおこれも本当に有名な文学者の書いた〈小園賦〉「草樹混淆,枝格相交。」の中でも、「枝」で使ってます!
「枝が相い交わる」という意味で、枝がもう絡み合ってるという意味で使ってるなと!
草樹、草と樹木が混ざり合って、そして枝と枝が交わってると使ってますということで、
だけど、ちゃんと漢蔵祖語s-ka(:)kから、「枝(格)」klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakも導けた!
おおとちょっと期待してくるわけですよ!
今回これを見ると、例えば、この形声文字と話しましたけど、
これ「各」に別の部品「田」が付いてる!これ「略」*ɡ·raɡ, *[r]akもやはり、さっき「呂」*ɡ·raʔ, *[r]aʔという字と通仮していた。
つまり、通仮とは、音が近いから、こういう形で*raʔを書き表せたということでして、
今度は、最初の「k」がない、「各」*klaːɡ, *kˤakじゃなくて、略*ɡ·raɡ, *[r]akになっている!
ああ、なるほど!これぐらい音が違っても、伝統的にも、形声文字として、ああ、これは仮借できたと分かるわけですよ!
だけれども、「k」が抜けちゃっていて、やはり*k-, m-, b-などとは、まあ、接頭辞として分析して考えてしまえば、
無くたって良いということで*rakの部分で続けられる!
じゃあ、ちょっと期待してくるわけです!
びっくりしちゃった!私、今この略奪の「略」*ɡ·raɡ, *[r]akは元々、「略する」という、省略の「略」という字がありますね。
「略利」、「略約」などは、省略の「略」という意味なんですよ!
この言葉は漢蔵祖語 *(m/b)rakは、「切る」という意味があるんですよ!
ビルマ語မြက်, mrakも、ジンポー語mjàʔも、そうです!
こちらも漢蔵祖語hakもそうです!これも、ボド語 hak、タンクル語kakでも、
皆これは「切る」という意味で、これはどちらかというと、「(鋭利な刃物で)傷をつける」という意味でした!
こっちは「切る」という意味だった!
もしかしたら語源的には一緒の可能性がある!更にある語根から導かれて、同じ概念だから、「切る」とか、「傷つける」とか、
更にこれは漢語で言うと「刻」*kʰɯːɡ, *[kʰ]ˤək、篆刻の「刻」、これは「刻みつける」という意味を持ってます!
「刻」は刻む!
「刻」*kʰɯːɡ, *[kʰ]ˤək、これもそうだ!
全然この漢字の形は違うけど、おお、これは同じ語源じゃないかと、
同じ子音の並びじゃないかと、母音はちょっと違うけれども、
うぁおと本当にびっくりした!
それぐらい音が似てるんだと!
おお、そうか、これもそうだ!
うぉ~と興奮してくるわけですよ!
それで実際に見ると、この《詩經·周頌·載芟》「有略其耜,倜載南畝。」の中で、
おお、ここだと出てきて、これはどっちかといったら、この「刻みつける」とは、「鋭利な刃物で刻みつける」という意味であって、ここに関していえば、その「耜(すき)がものすごく尖がっている」という意味なんですよ! それで出てくる!
刃物と関係する鋭利なものだということで、《文心雕龍·物色》「略語則闕,詳説則繁。」の中では、これも有名な文学理論でして、
本当にもうすごい漢籍と言いますけど、漢語で書かれた、すごい文章ばっかり引用してきています。
本当にそれらをもう理解していこうと!
また新しいアプローチで行くんですけれども。
これは「言葉を略している」、要するに「省略してる」、「割愛している」という意味だ!
おお、なるほど!言葉を略したら、則ち「闕」は欠けるという意味持っています!
そう書いているのか!
しかも、どうして私はこちらまで引用したかというと、今度は逆のことが、反語的に書いてある!
言葉を切り詰めた。今度は詳しく述べた、説明した。則ち、「繁」は煩わしいと、
言葉を切り詰め過ぎると、何かもの足りないし、しゃべりすぎるとうるさいよねという意味ですよ!この文章は、そういうことになってる!
ああ、なるほど、 切り詰めるという意味で使ってる!
更にここから今度ここ!
もう一つ、これ「略」は略奪という言葉で使えますよね!
この言葉!先ほど話した「省略する」と「略奪する」は、もう絶対に結びつかない(即ち意味のつながりがない、引伸、転義で考えるには無理がある)!
やっぱり違う語源なんですよ!
今度は漢蔵祖語 *ʔ-m-(p)rawkから来てて、かなりハイフン「-」がくっついてるから、
ああ、この部分だろうなと!
語根(radix)は(p)rawk(かrawk)になると、この部分は語根から派生するマーカー(接頭辞prefix)だからということで見ると、
ああ、大体クキ=チン祖語 *m-ru:k、ミゾ祖語 *rù-I, rûuk-IIで、「m」はハイフン「-」で区切られてるから分かってきた。
これは形態論(morphology)と言いますが、今は言葉の成り立ちを分解してるんですよ!
実際は「rawk」の部分が語根だろうと!
それで実際にこのクキ=チン祖語で「ru:k」、ミゾ祖語で「rûuk」の部分だと、ああ、なるほど!
それでこの掠奪の「掠」*ɡ·raŋs, ɡ·raɡ, *[C.raŋ-s](*鄭張尚芳, *Baxter-Sagart)ですけど。
Baxter-Sagartで括弧であるのは、再構されてなかったけど、同じこの部品を持っているからすると、彼らは*C.raŋ-sで再構するだろうかとことで括弧をつけていると、
私ちょっと説明をしておきます。
「raŋ」でrangが付いて、クキ=チン祖語で「ru:k」、ミゾ祖語で「rûuk」で、ああ、この部分だろうなと!
それで見ると「略」*ɡ·raɡ, *[r]akでは、「g」が出ている!
もしくは、こっち見れば、Baxter-Sagartでは*[r]ak!
ああ、これは語源が一緒だと!こっちだと!
だから、音が近いから、「g」と「k」だけで借りちゃったと!
ああ、これが語源だろうなと!
漢蔵祖語*ʔ-m-(p)rawkは「掠め取る」、「盗む」という意味です。
ああ、そうか!これらのクキ=チン祖語*m-ru:k、ミゾ祖語 *rù-I, rûuk-IIでも、全部盗むという意味です。
「掠め取る」、「掠める」!
おお、なるほど!それでちなみにタイ語の方にも入ったらしくて、*C̬.lakᴰにいってるんですよね!
ということで同じ語源だと分かって!
それは結局で武力でバーンとやるという意味があって、
格闘の「格」と関係する可能性があると私は思ったわけですよ!
《逸周書·武稱》「窮寇不格」の中で見るとこれは「戦い」でバンバン相手をやると意味なんですよ!
二つともこの《詩經·魯頌·泮水》「在泮獻馘」もそう!それでここに注釈(鄭箋「馘謂所格者之左耳。」)がありますね。
こっちで出てきたのか!ということが分かって、
この「寇」も掠め取るという意味ですね!
盗賊という意味がありますね!元が攻めてきたことを「元寇」と言いますけど、この「寇」にもそう言った意味がありますということで、
本当にそうしたことも分かってきて、もう明晰に分かってくる。
更にこの「畫」*ɡʷreːɡ, *ɡʷˤrekは、漢字の一画、二画と一緒であったり、もしくは計画の「画」と関係してる言葉ですよ!
じゃあ、今ので言うと、どうなのかと調べた!
そうしたら、漢蔵祖語*(g/k)raŋに思い至りました!
これは「図る」、「measure」とか、「count」という意味なんですよ!
ああ、なるほどなと!これチベット語བགྲང, bgrang、緬甸語 ခြင်, hkrangでも、他(カーリン語 ʾkhran-ne、タニ祖語 *krɯ、ヌス語 xɹɯ³¹、フォア語 kʰo³³)も全部そうなんですけれども。
そういった意味で見ると、例えば「量」*raŋ, *[r]aŋという字がありますよね!
これ「量る」と読みますよね!「量」は「量り」!
「量」*raŋ, *[r]aŋは、ああ!やっぱりɡʷˤの部分、前の部分はやはりハイフンで区切るべき(「畫」ɡʷ-reːɡ, *ɡʷˤ-rek)で、
やっぱり語根はここ(rek)なのかなと分かります。それとあとは「慮」*ras, *[r]a-sで、
更に言ってしまえば、この「ŋ」の「ng」が付いていて、やはりこれも接尾辞(*-ŋ)ですよね!
本当に漢蔵祖語の時代にあった「慮」*ras, *[r]a-sで接尾辞(suffux)で「s」がついている!こっちもハイフンを付けなきゃいけないんじゃないかと!バクスター=サガール(Baxter-Sagart 2014)の分析では、ここまで細かく分析していませんけれども、
この漢蔵祖語*(g/k)raŋから見たとき、形態論的にこれは今少し見てみますと、
これは上古漢語を復元したバクスタ=サガールという学者がやった音を出してますけども、
そこでは今までハイフンがついてない!
だけれども、上古漢語から更に3000年遡った漢蔵祖語を研究したマティソフ教授は、*-ŋは、やっぱり更に接尾辞(suffix)の可能性がある(Matisoff 2003)、
語根から派生する問うことで言うと、この「ra」の部分が語根でここはハイフンが入るべきで、
ああ、なるほどな!「*-s」で接尾辞(suffix)が付いているなと分かり、
「ra」の部分だと、だけれども、これ見ると「畫」*ɡʷreːɡ, *ɡʷˤrekで、*-kもそう(接尾辞suffix)かもしれない!
それで前の部分(接頭辞 prefix)もそうで、この部分が語根(root)であとはくっついたものだと、
言葉を派生させるためにという風に理解されてきて、
最後に音を見ると「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakとか、「各」*klaːɡ, *kˤakとか、「略」*ɡ·raɡ, *[r]akで本当に近いわけですよ!
もうびっくりしている!これも一致してるということで見てみますよ!
今度は実際に漢語の中での意味をこれは、格子をきちっと区切られたという意味を持ってますよね!
本当にもう縦と横がきちんと、言ってみれば、長安の網目の碁盤状の区画みたいに、
そういった格子、そういった概念は出てきますよ!
本当にそれで杜甫もすごい文学者で、杜甫の〈潼關吏〉「連雲列戰格,飛鳥不能逾」の中でも出てきますと、
これでおお、沈括《夢溪筆談》「窗格上有火燃處」も、本当にすごい!ここでも出て来る!
その中でもやっぱりこれは窓の枠、窓枠として出て来る!
ああ、なるほどなと思って、
これで今度は「的」という意味でもあって、
それもやっぱり出てくる(派生できる)! だから間違いない!同じ語源じゃないかと!
これは双六という意味があって、双六とか、碁盤の目が合って、その中で双六とか、そういったゲーム!
それを見ても、《淮南子·兵略》「夫射,儀度不得,則格的不中。」の中でも、的という意味で、それでここはここまで引いてきたのは、
弓で射たものが、的に当たらないと書いてある!
更にここで見ると《漢書·吾丘壽王傳》註「格五棋行簺法」の中でも、
この「棋」は、囲碁のことだから、碁盤ということです!
更にこの「格范」「格律」は規格化させる、きちっと「図る」、そこから一つの規範を作る。
つまり、ルールを作る。そういう意味の方に行く!
これが明らかに言葉から派生できる!
「格律」はやはり法則という意味で、規範の「範(范)」を使いますよね!同じ意味で「車」を書いても、「氵」でもということでして(中国では「范」、日本では「範」)、
規範という意味がある!
この《禮記·緇衣》「言有物而行有格也。」の中でも規範と(いう意味で)、更に《舊唐書·刑法志》「武德二年,頒新格五十三條。」、つまり法律の中でこの武徳二年(619年)にこの五十三条の新しい法律を施行したと書いてある!
法律という意味で使っている「格」だ!なるほど!
次の「格調」もやっぱりそこからいくんですよ!
クラス、更にクラスという意味になる!
格調が高いとは、まあ、英語でaristocraticといいますが、aristo, ἄριστοςが高い、cratic, κράτοςは位(ルール)ですから、
だいたいクラスは「格(ルール)」という意味を持っている!
そういう意味で「格韻」もそうなんですよね!
「風格」という意味なんです!
風格の「格」もそうです! 品格とか、人格もそうですが、そこまで来るとかなり抽象的だけれども、
やっぱりこのクラスというところからきていて、
韓愈《畫記》「明年,出京師至河陽,與二三客論畫品格,因出而觀之。」を見ますと、これはすごい古文運動を唐の時代にした韓愈ですよ!
その中でも、やっぱり、品格という言葉が初めて出てきて、おお、なるほどと!
もう一つ、こうやって引用したのを見ていく大事なことが、ポイントがありまして、
古い時代に使われている、まあ、文献上で確認できないからないとは言えないけど、
古い時代に存在が確認できるものは、ある程度、そちらが元(本義)で後でどんどん派生(転義)して、
もっと、もっと言葉が、唐の時代になったぐらいで見えるものは、あそこからいった(後に転じた)可能性があるんじゃないかとも、
まあそれには完全には一致できないんですけどね!
要するに(文献の上で)ないからといって、そこの時代なかったと証明はならないから、
(文献で)あった証明にはなるけれども、文献上でということがありますけど、
実際上「格子」は結構、簡単な言葉だけど、
唐の杜甫ぐらいで確認できる、だから何処の時代で確認できるかは、結構大事であって、
言葉の派生を見たときに、どの言葉から、どういう風に、いつ頃いったのか(転じたのか)、その言葉が転義したのかを考えられることがあるんですけども、
ここで更に来ました!我々が「遮る」、「限る」、そういう意味で使ってた!
先ほど元々、筆法を説明したい!その中で出てきた、
遂に本題というか、今までのはもう一つの世界観を言いましたけれども。
本当にここでは見えてこれた!
今度はじゃあ今までの考え方を応用してみましょうと!
この「格」は「隔」*kreːɡ, *[k]ˤrekと関係があるんじゃないかということで、字(の声符「鬲」*ɡ·reːɡ, *k.rˤekと)全然違うけど、
これもそうだったけれども、これは半分、形声字としては、同じ声符を持っていた!
でも、この「隔」も「格」も違う!
ところがこっち見ると音は「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrak、「隔」*kreːɡ, *[k]ˤrekと近いんですよ!皆、見て頂ければ、ということで見ると、
この語源*ʔ/N-g(r)akを見たら、これ最初にハイフン「-」で区切られているのは、接頭辞でもう(語根は)g(r)akなんですよ!
これはどういう意味かといったら、「block」とか、「obstruct」、邪魔するという意味なんですよ!
これの言葉をなるほど!
チベット語 འགོགས་པ, 'gogs paでも、(テディム語khaːk¹でも)、これは邪魔をするという意味にだった!
それで漢語の中で見ると、この「礙」*ŋɯːs, *[ŋ(r)ə-s]もそうですよね!
でも、この「rə」の部分じゃないかと、この部分がここにあるじゃないかと、
それでしかも「護」*ɢʷraːɡs, *[ɢ]ʷˤak-sは同じ語源から来たんじゃないかと!
まあ、多分これは、この部分(*[ɢ]ʷˤak)が語根で、その邪魔をしてくるものに関して、方向転換させて、逆に邪魔の反対は守るだから導き出した!
よくこの接尾辞-s は方向転換で「売り買い」「売買」でも、接尾辞-s をつけて、(モノの移動の方向を)逆にしたとか、
それと同じ理屈で「邪魔をする」の逆は「守る」ということで派生しただろうと説明が付きます!
これで見ますと、この「格阻」「格礙」は、これが「邪魔をする」ということで、
この《史記·孫臏傳》「形格勢禁,則自為解耳」の中でちゃんとこれは邪魔をするという意味で使ってます!
本当に孫臏は有名な孫子(孫武)の子孫で昔、「孫子の兵法」と「孫臏の兵法」のは、二本あるんじゃないかと言われいて、
実際、銀雀山という場所で竹簡が出て、漢の時代の写本が出て、二本あったということでかなり注目されたんですけれども。
そういった形で見ると、《漢書·梁孝王傳》「袁盎有所關説,大後議格。」でも、
邪魔をするという意味で出てくる!
お、なるほどなと!それでもう一つ、この「限る」とか、「区切る」を見たら、*grakは、やはり「ひっつける」とか、「くっつける」とか、そういう意味を持っている!
それでそこから「絡」*ɡ·raːɡ, *[rak]という言葉と一緒じゃないかと、
これはああやっぱり最初の「*g-」が落っこちているんですよね!
やっぱり「*g-」は何らかの接頭辞(prefix)の可能性があるじゃないかと!
大体、今まで見てきても、*rakで「r」から始まりましたのがありましたね。
それでこれ「韄」*ɢʷraːɡs, *[ɢʷˤak-s]は、実際これは(「護」*ɢʷraːɡs, *[ɢ]ʷˤak-sと)同じ声符「蒦」を持ってるし、
この核を持ってますし、
これは襷みたいな革を付けた紐で肩からつり下げたみたいな、
くっつけるから来ています。
やっぱりこれはバクスタ=サガールは再構していないけれども、
この同じこの部品を持っているところから言えば、まあ結局こっちからもってきたら、鄭張尚芳で同じだから、
結局、推測して、彼らは復元していないけど、これはかなりレアな感じですからね。
だけれども、(諧声系列から推測して)こうなっている!
しかしこっちは先ほどお話したのとは違う語源で、この部分、同じ声符「蒦」が当てられていると!
多分これは「引っ付ける」という語根*grakから来ているじゃないかということで、
これを見ると、「限る」という方で難しいところがあって、
これらの語源「限る」はもしかしたら、じゃあこれらのその法律とかから行った可能性も否定できない!
もしくは今、私が話してることは仮説ですよ!
私が言った(同じ文字「格」の中にも)これだけの違う語源が(「格」という字に結び付けられて)あるんじゃないかと!
もしかしたら、更に別の語源がある可能性も否定できないということでありますけれども。
まあ、ちょっと考えると言えば、その「限る」とか、「区切る」とかそういうものは、
ここのところ、ちょうど「結びつける」、「結わえつける」、要するに「束縛する」から始まって、
「束縛する」の方の意味から、「限る」に行った可能性もあるということで、
もしくはこっちの法律、法則の方「格」から、「限る」に行ったかもしれない。
これ《資治通鑑·唐高宗總章二年》「人有格限未至,而能試文三篇,謂之宏詞。」も宋の時代の有名な歴史書ですよ!その中でも、唐の時代の歴史を書いた中でやっぱりこの「限る」という、この熟語「格限」で出ています!
そしてこの「格於成例」、前に出来た前例、前例として、昔の例に「縛り付けられている」という意味ですから、
この言葉「格於成例」は今の中国語で「成語(chéngyǔ)」と言いますけど、
これは日本語で四字熟語ですよね!
この言葉「格於成例」はは「昔の事に縛り付けられて、新しいことを考えられない」という意味の言葉ですから、
「縛り付ける」から行く可能性はある!
だから、この「正しくさせる」、もしくは「過ちをただす」も、
こういった法則とか、法律の方から、行きにくいから、やっぱり、この「縛り付ける」から、正しい方にシュンと縛り付けるという方で考えれば、
まあここにちょっと入れたんですけど、
これは《書經·冏命》「繩愆糾謬,格其非心。」の中に出てくる中で、《孟子·離婁上》「惟大人能格君心之非。」の中でも、「ただす」ということ出てくるんですけれども。
まあ、これは「すごい人間は君子の過ちを正すことができる」という意味ですよ!
この文章はということでありますから。
全体的に見て、今まで見てきたのは、「各(格)」という文字に関して、
もう字源は何だったのか、それと語源はなんだったのかということが、ものすごく大事でしてね。
もうこういった形でこの「各(格)」という文字に関して、
字型、字音、字義、それは文脈の中でどのように使われていたのか、ものすごいもう素晴らしい文章をもう選んでくるのも大変だったんですけれども、
一つ一つ、それを全部まとめて凝縮してしまいまして、もうすごい大変なことになっちゃてしまいまして、長くなってしまいましたけれども、
実はここでやりたかったことは、
一つの「各(格)」という文字の中に関しても、
ものすごく 漢字を初めて使い始めの人たちは、同じ音だったから、仮借をして、
仮借をして、音を借りて、転用して、その文字をもういっぱい色んな言葉に当てまくって、
こんなに一つの流れ(文字)に関して、もう1、2、3、4、5、6、7、8、9つも、ものすごい数のストリーム(流れ)が一つの湖(文字)に流れ込んでいくみたいな形で、
この「各(格)」という漢字に結びつけられたということで衝撃的だったと思うんですよ!
それで全部、何でこれだけ「各(格)」という熟語があって、それは意味が一つ一つ違って、それらを全部網羅したかといいますと、
そういった、もしかしたら、これらの言葉は違う語源で一つ一つ違った流れが、一つに合流してしまったんじゃないかという、
この「各(格)」という字にそういう、その後の時代に、もうその中にもう混ざり込んでしまったが故に、
ある「各(格)」という、同じ文字の中に、ある元の言葉があって、そこの中で派生(転義、引伸などを)したんじゃないかという説明がされてきたけれども、
それは違うじゃないかということ、
それを証明しようとした時には、もう全ての「各(格)」の使い方を網羅して、
全部に対して同じシンプルな「仮借」をしたという、(一つの考え方により、)このことに関して、それを語源まで遡って、 そして全て説明できれば成功するんじゃないかと、
このインスピレーションを受けた。この仮説(conjecture)は、やっぱり最初に漢字を使い始めた人たちは、こういった概念に沢山、音を借りて当てはめていって、どんどん沢山書ける言葉を増やしていったんじゃないかということを見れてこれた!
やっぱりそうなっていたんじゃないかと!
これらを見ていきまして思いました!
ということで、今回は漢字には、字音、字義、字形がありますけれども、
全てを見てこれだと思います!
これらは音韻学、訓詁学、文字學と、全然違う分野で、まあお互いに関係はし合っているけれども、
研究されてきたものが、全部統一的に言語学の中で、
更にこの比較言語学、歴史言語学で分かってきた6000年前の形から、上からも突っ込んだ!
しかも、まあ中古漢語については、あまり(今回は)言わなかったけれども、
下から上がってきた上古漢語、もう、「サンドウィッチ作戦」、過去と現在から挟みこんで見れてこれたということも含めて、
色んなアイデア(探究手法)が含まれていまして見れてこれて、
ここでこういった沢山の文字を見ますと、
もう本当に漢字のイメージ!今まであったイメージ!この漢字はこういう意味があるって言うだけが分かってきたブラックボックスみたいになっていて、
その中に意味がどこから来たかも分からないものが、全部一緒になっていて、
これらはこういう意味ですよ。漢字の中にありますよと言われても、やっぱり本当なのか!? と思い、
こうやったが故に最終的に漢字のイメージがぶっ壊れて、吹き飛んで!
漢字が炸裂しまして、それでこういった漢語で書かれた漢文、昔の文章を理解するときにも、
ものすごい鮮烈と言いますか、鮮やかに分かり、もう本当にびっくりしたんですよ!
もう本当にびっくりしたというわけで、
ものすごく話してしまいましたけれども、
最後に筆に戻りたい思いますけども、
ここで「さえぎる」という言葉と「くっつける」「結わえつける」という言葉が、
ここをよく見ると、最初に接頭辞が付いただけで、
ʔ/N-g(r)ak(さえぎる)、grak(くっつける)同じでこの2つは、もしかしたら、この接頭辞(*ʔ/N-)を付けて発生させたかもしれないと、
「さえぎる」と「結わえつける」、「結びつける」、「縛り付ける」という言葉ということがありますから、
これを見てみますよ!
これ見たときに「格」でした!
「貼」という字が、この鄧散木は(撥鐙五字訣で薬指に)当ててるんですよ!
だから、ここに(藥)指を「くっ付けている」「貼り付ける」という意味でも、
この指の効果、薬指が書いてあります。
これがこれに当たります。
そうするとこれは二つ(の解釈が)考えられて、
その「格」は「遮る」、つまり筆が動かないように固定させる。
「結わえつける」。そっちの方から見ても、かなりこうした筆と指の関係で、指の使い方がすごくよく表されている漢字じゃないかなということも見てこれました!
今回はその筆の五文字のうちの一文字「格」から、ものすごいことになって、
もう語りまくってしまいましたけれども、
ちょっとぶっ飛んでしまいましたけれども!
本当に!だけれども、漢字とか、漢語に対するイメージが吹きとぶような、衝撃的な色んな発見もあって、
本当にシェアしたかったということで、こんなに頑張ってしまいました!
ここまでご覧下さりまして、
本当に感謝しております。
ありがとうございました、と終えたいところでしたが、
一つ気づいたことがありまして、
画面を細かく改訂いたしました!
この「戦う」という言葉が、
この「掠める」という言葉と、
少しやはり違うんですよね。
それで確認をしましたら、
もしかしたら、漢蔵祖語において、*g-raːl ⪤ *g-ran ⪤ *ray、
これらに関係するかと!
これらは「戦う」とか、「争う」という意味ですけれども、
そこから派生した可能性があるということで、
それで注釈もきちんと引用しまして、
この《逸周書·武稱》「窮寇不格」[注:格,鬥也]の方では、この「格」という字は「鬥(戦)う」ことだと、ちゃんとあるんですよね!
しかも、この《詩經·魯頌·泮水》「在泮獻馘」[箋:馘謂所格者之左耳。]の中で、馘(首切り)という、首を刎ねることは、どういうことかと書いてあって、
「馘」は殺すという意味で、敵を殺して、左の耳を取ることだと書いてあるんですよ。
ですから、これらの「戦う」は、こちらの漢蔵祖語*g-raːl ⪤ *g-ran ⪤ *rayからきた可能性があって、
そうすると、この語源とは違った、もう一本、こちらで見れるんじゃないかなということですね。
そうなりましたら、少なくとも、9本ではなくて、10本も別の語源から言葉が来ているという可能性があって、
更に「各」*klaːɡ, *kˤak、「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakには、諧声系列の漢字が、ものすごい数ありますから、ものすごいことになっているんですよ!
例えば、「落」*ɡ·raːɡ, *kə.rˤakという、これ「各」にさんずい「氵」をつけて、更に草冠「艸」が付いた形、(k/g)la-k/y/tから来て、やはり漢蔵祖語で「落ちる」という意味で「露」ɡ·raːɡs, *p.rˤak-s」という言葉、
もしくは「下」*ɡraːʔ, ɡraːs, *ɡˤraʔ, m-ɡˤraʔ-s、「下がる」とか、「下にいく」ことも、(音も、意も)非常に近いわけですよね。
同語源じゃないかと!
それでこの声符「各」*klaːɡ, *kˤakを借りたんじゃないかと!
それでかつ「額」*ŋɡraːɡ, *C.ŋˤrakという言葉もありますけれども、音が近くて、 これもs-ŋa-kから来ていると、漢蔵祖語でそちらは「顔」という意味で「顏」ŋraːn, *C.ŋˤrarとか、
更に「彥」*ŋrans, *ŋrar-sという字がありますけれども、
美しい顔という意味ですが、
そういった言葉にまで、音(「各」*klaːɡ, *kˤakが声符)として、使われていると、
そういった形で同じ様に探して頂ければと思います。
そうすると、ものすごい数、全てそれぞれに関しては、別の語源であって、
この同じ声符「各」*klaːɡ, *kˤakで音を表していると分かります。
こうして、私は少しでも事実に近づきたいということで 、
答えが分からない中で答えを見つけていくと、これが探究ですから!
気づいたことがありましたら、動画をアップする前でしたら、
更に考えを固めて(広げてゆく)ためにこうして補遺(supplement)を入れたいと思いますので、
こうした分からないことが分かりたいということ(の知的興奮) !
もう直ぐに気づいたことをシェアしたいよと!アイディアマンでありたいということで、KF-Schola、今後とも何とぞよろしくお願い致します。
補遺(supplement)もしてしまいました! ありがとうございました!