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恭賀新禧「庚子」

恭賀新禧!感謝一年來您的關照。謹祝全家人都萬事如意、健康長壽、笑口常開、天倫永享、歡樂遠長、後福無疆。(在日文的賀年片中一般用「謹賀新年」就致以問候,這個祝福成語相當於中文賀詞「恭賀新年」或「新年快樂」。)

我們能夠進行探究漢字的字源與演變,經過綜合這些方法:首先,根據文字學,追根溯源於甲骨文、金文、陶文、簡牘、貨幣、璽印等就確認字形的演變。其次,根據音韻學,按照先秦韻文與漢藏語系的比較才推定上古漢語音的字音;還有按照歷代韻書與漢語方言的比較才推定中古漢語的字音。再次,根據語法學,按照在先秦兩漢的古籍中可見的例證才確認字義。

「庚」gēng:東漢·許慎據小篆字形就進行分析的《說文解字》以「庚」為會意字,用雙手「廾」摘取草木上的果實「干」的線描,然而錯了。某一種說法講解甲骨文與商金文是吊鐘或鉦鼓與提繩的線描。雖然商金文〈萬庚爵〉(《殷周金文集成》8050)與〈子庚父觚〉(《殷周金文集成》7138)的字形好像樂器一様,還有不能完美地說明的一些字形。其實能夠推斷與「唐」táng與「康」kāng两個字(特別上面)的組件相同,雖然韻母(反切下字ang)相同,但是語音有些不同。尤其,鄭張-潘體系與白一平-沙加爾體系的上古漢語擬音是「庚」*kraːŋ, *kˤraŋ、「唐」*ɡl'aːŋ, *r̥ˤaŋ, [N-]rˤaŋ, [N].rˤaŋ、「康」*kʰlaːŋ, *[kʰ]ˤaŋ, k-r̥ˤaŋ, r̥ˤaŋ(韻母aːŋ, ˤaŋ)。「庸」yōng < 上古漢語 *loŋ, *loŋ含著聲符「用」yòng < *loŋs, *loŋ-s。在商契文「庚子」(《甲骨文合集》37986)與金文〈羊父庚鼎〉(《集成》1627)中,「庚」是雙手「廾」持握杵「干」的情形。幷且,在商契文「庚子卜」(《合集》536)與金文〈子父庚爵〉(《集成》8584)中有随著杵「丫」的簡體字。「庸」是由在下方附加的某種器物「凡」*bom, *[b]rom(「盤」*baːn, *[b]ˤan的本字)構成的。然後,在商金文〈作册般黿〉(《新收殷周青銅器銘文暨器影彙編》1553)中「庸」随著「凡」,在西周晚期金文〈訇簋〉(《集成》4321)中「凡」反被替換為「用」,尤其伴随著義符「爿」或「土」的「牅」或「墉」字意味著高牆。另外,在商契文「丙戌卜:貞康祖丁丁具牢、羊、牛。兹用」(《合集》35986)與金文〈康丁器〉(《集成》10537)的「康」字描繪出稻殼從脫穀機落下來的。尤其,伴随著義符「禾」或「米」的「穅」或「糠」字意味著稻皮。總之,這種字族應該表示用杵夯地或者脫穀的情形。〈父庚爵〉(《集成》7948)與〈庚戈斝〉(《集成》9187)的「庚」字特別描繪出細長的棍子。在《詩經·小雅》當中寫道:「東有啟明,西有長庚」的一句用於星名「參宿」。在《左傳·哀公十三年》當中寫道:「若登首山以呼曰庚癸乎,則諾」的一段用於方位「西方」。在《禮記·檀公下》當中寫道:「請庚之」的一句用於動詞「償付」。

「子」zǐ:在甲骨文或商金文中為地支字用畫出了幼兒的別體字。這個字的構成是「囟」(腦門)、「巛」(頭髪)、「儿」(兩腳)。籀文「𢀇」剩下了這個字形,「腦」nǎo(「𡿺」部分)的組件相同。在商金文中有由腦袋與兩臂構成了的簡體字「子」。古文「㜽」相當於籀文和篆文中間的字形。 「子」主要用於地支與時辰(約當晚上十一點到一點)、子女與子孫(如:妻子、嗣子)、鳥獸與果實(如:獅子、種子)、稱呼與美稱(如:莊子、君子)、古籍分類(《隋書·經籍志》按四部分類「經史子集」)、古代爵位(《禮記·王制》「王者之制祿爵,公侯伯子男,凡五等」)、人稱代詞(同:「爾」或「汝」,如:《韓非子·難勢》「以子之矛陷子之楯何如」)、指小後綴(桌子、粽子、輩子、曲子)。特別被用於歌曲或詩詞標題,例如:《敦煌古譜》(後唐長興四年、933年)的工尺譜抄本(伯字 3808 背面)的〈急曲子〉、〈慢曲子〉、〈心事子〉、〈水鼓子〉,還有《新撰樂譜》(日本·康保三年、967年)的〈河曲子〉(《仁智要錄》作〈歌曲子〉)、〈酒胡子〉(《教坊記》作〈醉公子〉)、〈小娘子〉(《教坊記》作〈紅娘子〉)、〈安弓子〉(《教坊記》作〈安公子〉)、張祜的五言絶句〈何滿子〉、溫庭筠的七首小令〈南歌子〉。

我堅信的是,如上所述,按照各種觀點的例證才能迫近歷史事實,因為累積起來這樣的經驗才洞察力會更加發達,而且會感到歡歡喜喜的人生!因此,隨我探究心的喜好,就衷心希望增廣見聞、積累經驗、深入人生。敬請賜教。

追記:「干」gān的鄭張-潘體系與白一平-沙加爾體系的上古漢語擬音*kaːn, *kˤar與「庚」*kraːŋ, *kˤraŋ非常相似就韻母相似的。在商代甲骨上「庚」(《合集》28089、35259)與「康」(《合集》 18350)的左右組件用筆分開寫起來。雖然「庚」(《合集》18931、22994)的未刻橫畫留下來,但是中心線貫穿著!尤其,明擺著是陝西岐山鳳雛村出土周原甲骨文(編號 H.11.1)當中見到一雙手扶著細長的棍子的「唐」。〈𠬞鼎〉(《集成》1091)當中見到雙手「廾(𠬞)」。

另外,關於「旅」字,雖然在〈斿皿鼎〉(《集成》1174)、〈亞若癸𣪕〉(《集成》3713)、「旅觚」(《集成》6542)、「旅爵」(《集成》7423)當中見到一個人拿著個旗幟,在「旅爵」(《集成》7426)與〈旅父癸爵〉(《集成》8683)當中單方面地拿著這個旗幟,但是在〈廣作父己𣪕〉(《集成》3611)、〈旅父乙卣〉(《集成》5061)、〈旅父辛卣〉(《集成》5090)、〈旅父乙觚〉(《集成》7225)當中見到兩個人扶著個旗幟就描繪出左右三個手。〈幸旅觥〉(《集成》9259)當中見到一雙手和這旗幟遠一點。

還有在〈旅尊〉(《集成》5579)、〈旅觚〉(《集成》7000)、〈旅父辛觚〉(《集成》7245)當中見到一雙手被省略了為兩條,就相當於「唐」(《合集》952)、「庸」(《合集》18804)、「庸」(《合集》18804)的省略方法。在〈𠛙旅爵〉(《集成》8179)與〈幸旅父己爵〉(《集成》8931)當中一雙手被省略了為一條,還相當於〈幸父庚鼎〉(《集成》1626)、〈父庚觚〉(《集成》6816)、〈父庚𣪕〉(《殷墟新出土》234)、〈唐鼓爵〉(《通鑑》8476)當中十字交叉而這個交點鼓起來的形態。

順便一提,雖然在甲骨文的「子」中有相當於籀文「𢀇」與古文「㜽」的字形,但是相似於小篆「子」的甲骨文是「巳」。商金文中這字形被用不是為了地支,而是人名。李學勤主編:《字源》當中的字形演變表把甲骨文的「子」和「巳」混同了!

新春愉快!新的一年衷心祝福闔家平安祥和美滿😊

明けましておめでとうございます 謹んで新年のご祝詞を申し上げます
皆さまが素敵な一年をお過ごしになられますようにお祈り申し上げます
何とぞご交誼のほど宜しくお願い申し上げます ありがとうございます

漢字の字源と変遷は、甲骨文字・金文・陶文・簡牘・貨幣・璽印などまで遡及して字形の変遷を確認する文字学的方法、また先秦韻文や漢藏語族を比較して推定される上古漢語、歴代韻書や漢語方言を比較して推定される中古漢語などの字音を確認する音韻学的方法、また先秦両漢の古典文献に見える用例から字義を確認する語法学的方法を総合して探究できます。

「庚」gēng、コウ:後漢の許慎(58-147)が小篆の字形により分析した《説文解字》では「庚」を会意文字として、二つの手「廾」が草木の果実「干」を摘み取る線描としますが間違えです。一説には、甲骨文字や殷代金文は釣鐘もしくは鉦鼓と吊り縄の線描と解釈します。殷代金文〈萬庚爵〉(《殷周金文集成》8050)や〈子庚父觚〉(《集成》7138)の字形は楽器のようですがいくらか説明のつかない字形があります。実は「唐」táng、トウや「康」kāng、コウの二字(特に上部)と同じ構成要素を持ち、韻母(反切下字 ang)は同じですが、語音は少し違います。更に鄭張-潘体系とBaxter-Sagart体系による上古漢語の再構は「庚」*kraːŋ, *kˤraŋ、「唐」*ɡl'aːŋ, *r̥ˤaŋ, [N-]rˤaŋ, [N].rˤaŋ、「康」*kʰlaːŋ, *[kʰ]ˤaŋ, k-r̥ˤaŋ, r̥ˤaŋ(韻母aːŋ, ˤaŋ)です。「庸」yōng < 上古漢語 *loŋ, *loŋの音符は「用」yòngヨウ < *loŋs, *loŋ-sです。更に殷代契文「庚子」(《甲骨文合集》37986)や金文〈羊父庚鼎〉(《集成》1627)において、「庚」は両手「廾」で杵「干」を握るさまです。殷代契文「庚子卜」(《合集》536)や金文〈子父庚爵〉(《集成》8584)に杵「丫」を伴う簡体字があります。「庸」は下に器物「凡」*bom, *[b]rom(「盤」*baːn, *[b]ˤanの本字)を加えて構成されます。それから、殷代金文〈作冊般黿〉(《新收殷周青銅器銘文曁器影彙編》1553)において、「庸」は「凡」に従いますが、西周晩期金文〈訇簋〉(《集成》4321)において、「凡」は「用」に置き換わり、更に意符「爿」「土」を伴う「牅」「墉」は高い塀を意味します。別の観点から殷代契文「丙戌卜,貞康祖丁丁具牢、羊、牛。兹用」(《合集》35986)や金文〈康丁器〉(《集成》10537)において、「康」字は脱穀機から籾殻が下に落ちて来る様を描き、更に意符「禾」「米」を伴う「穅」「糠」は籾の皮を意味します。故にこの字族は杵を用いて地搗きや脱穀をするさまと考えられます。特に〈父庚爵〉(《集成》7948)や〈庚戈斝〉(《集成》9187)の「庚」字は細長い棒を描いています。《詩経·小雅》に「東有啟明,西有長庚(東に啓明有り、西に長庚有り)」とあり、星名「参宿」を示します。《春秋左伝·哀公十三年》に「若登首山以呼曰庚癸乎,則諾(若[なんじ]首山に登りて以て呼べ。庚癸と曰わば、則ち諾せよ)」とあり、方角「西方」を指します。また《礼記·檀公下》に「請庚之」とあり、動詞「償付」として用いられます。

「子」zǐ、シ:甲骨文字や殷代金文では、十二支では幼児を描いた別体字を用いました。この字は「囟」(泉門)、「巛」(頭髪)、「儿」(両足)で構成されます。籀文「𢀇」はこの字形を継いで「腦」nǎo、ノウ(特に「𡿺」の部分)と構成要素が同じです。殷代金文に脳袋と両肘で構成される簡体字「子」があります。古文「㜽」は籀文と篆文の中間的字形です。「子」は主に十二支や時刻(午後十一時から午前一時に相当)、子女や子孫(例:妻子、嗣子)、鳥獣や果実(例:獅子、種子)、呼称や美称(例:荘子、君子)、古籍の分類(《隋書·經籍志》の四部分類「經史子集」)、古代の爵位(《礼記·王制》「王者之制祿爵,公侯伯子男,凡五等」)、人称代名詞(「爾」または「汝」に同じ,例:《韓非子·難勢》「以子之矛陷子之楯何如」)、接小辞(桌子、粽子、輩子、曲子)。特に歌曲や詩詞の標題,例:《敦煌古譜》(後唐長興四年、933年)の工尺譜写本,即ちPelliot 3808 背面)の〈急曲子〉、〈慢曲子〉、〈心事子〉、〈水鼓子〉、また《新撰楽譜》(日本康保三年、967年)の〈河曲子〉(《仁智要錄》作〈歌曲子〉)、〈酒胡子〉(《教坊記》作〈醉公子〉)、〈小娘子〉(《教坊記》作〈紅娘子〉)、〈安弓子〉(教坊記》作〈安公子〉)、張祜の五言絶句〈何滿子〉、溫庭筠の七首小令〈南歌子〉に用いられます。

以上のように様々な観点から例証して歴史的事実にせまる経験の積み重ねにより洞察力が発達して生きる喜びが得られると信じております。本年も探究心が赴くままに、見聞を増やして、経験を重ねて、人生を深めてまいりたく存じます。今後とも何とぞご教示のほど宜しくお願い申し上げます。

追記:「干」gānの鄭張-潘体系とBaxter-Sagart体系による上古漢語再構*kaːn, *kˤarは「庚」*kraːŋ, *kˤraŋに近く韻母も似ています。「庚」(《合集》28089、35259)や「康」(《合集》18350)は殷代に甲骨に書かれた筆蹟で左右が別に書かれています。「庚」(《合集》18931、22994)は横画を後から刻り残していますが、真ん中の線は貫かれています。更に陝西岐山鳳雛村出土周原甲骨文(編号 H.11.1)の「唐」は明らかに手で棒を支持するように書かれています。両手の形「廾(𠬞)」は「𠬞鼎」(《集成》1091)などに見られます。

また、「旅」は〈斿皿鼎〉(《集成》1174)、〈亞若癸𣪕〉(《集成》3713)、〈旅觚〉(《集成》6542)、 〈旅爵〉(《集成》7423)では一人が旗を持ち、〈旅爵〉(《集成》7426)や〈旅父癸爵〉(《集成》8683)は片方から旗を持ちますが、〈廣作父己𣪕〉(《集成》3611)、〈旅父乙卣〉(《集成》5061)、〈旅父辛卣〉(《集成》5090)、〈旅父乙觚〉(《集成》7225)は両方の人が旗を支えて三本の手が左右から描かれます。〈幸旅觥〉(《集成》9259)は手が少し離れています。
更に〈旅尊〉(《集成》5579)、〈旅觚〉(《集成》7000)、〈旅父辛觚〉(《集成》7245)は手が二本に略され、「唐」(《合集》952)、「庸」(《合集》18804)、「庸」(《合集》18804)の省略法にあたります。〈𠛙旅爵〉(《集成》8179)や〈幸旅父己爵〉(《集成》8931)では一本の手に略され、〈幸父庚鼎〉(《集成》1626)、〈父庚觚〉(《集成》6816)、〈父庚𣪕〉(《殷墟新出土》234)、〈唐鼓爵〉(《通鑑》8476)の十字に交差して交点が膨らんでいる形に当たります。

また、「子」は甲骨文で後の籀文「𢀇」や古文「㜽」の形が見えますが、小篆「子」に近い形の甲骨文は「巳」です。殷代金文でも十二支ではなく人名の「子」は用いられました。李学勤主編:《字源》の字形変遷表では甲骨文の「子」「巳」を混同しています。

春節おめでとうございます!皆さまのご健勝を心よりお祈り申し上げます😊

《甲骨文合集》+《殷周金文集成》+《新收殷周青銅器銘文曁器影彙編》1553頁
《敦煌古譜》琵琶譜(伯希和字 3808 背面)〈慢曲子·心事子〉
《仁智要錄》樂筝譜(日本宮內廳書陵部藏):〈河曲子(歌曲子)〉

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