Press "Enter" to skip to content

文字学や金石学の発想は豊かでアプローチとワクワク感を熱く語りました!漢字的獨特性系列 Unique Chinese Characters

漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。

2021年5月28日

皆さま、こんにちは!

KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)

「漢字のユニークさを探究してまいりましょう」というシリーズが続いておりまして、

もう前回は、ものすごい数の文字資料について、

それは特に考古学的な出土したもの、土から出てきたもの、

発掘されたもの、そうした方面で文字資料というもの、

それが、秦漢まで、更に前の一番最初で言えば、殷周とありますが、

そういったところまで、秦漢までずっと見てまいりましたが、

最後のところで、今ここに出ております。

この《殷虛文字類編》がありまして、

この中でこういった辞書編纂や考釈までしてすごい研究がありました!

王國維さん、羅振玉さん、商承祚さんと、近代的な文字学を始めた最初の人たちが、

それでは、どうしてこう言うシステム!

こういう文字をどうまとめたか、何でかに興味がいっちゃったわけですよ(笑)

そこで前からずっと取り上げかったんですが、

そういった文字を考えてきた系譜をずっと見ていきたいと思ってまして、

それは今度は逆にいえば、研究の方に値するわけですよ。

その文字学としての著録という形で、本の形、ブック!

それでまとめてくれているものがありまして、

それを今回見ていこうと、

前回の最後でもう期待させてしまいましたけど、

今回はものすごい数ある!

今回もだ!毎回ですから、もう毎回の大変なことになっておりまして、

だから、やっていこうということで、

今回は著録の研究、その書籍の方、ブックを見てゆこうということで、

こんなものから、先ず行ってみたいと思います。

こちらですけれども、

宋の時代の写本の《説文解字》、徐鍇さんという人が校定したもので「小徐本」と言われてるんですけども、

もうずっと《説文解字》をかなり見てまいりましたけれども、

まあ、この《説文解字》自身は、漢代、後漢の許慎さんがまとめたものですよね。

古文学者という、古い文章を読みたかった人たちが、

先ずはこの漢字はこういう意味で使っているとまとめた辞書を作りまして、

それでそれはもう原本は、もう当時はやはり簡牘だろうと、

竹簡とか、木簡に書かれていたと思われますが、

ずっと、もう伝わって、宋あたりからやはり我々が今みられる様々な古典籍が校訂をされた形で出版されたり、書かれたりして残っているということで見て参りたいですが、

その初期の頃にやはり竹簡とか、木簡で書かれていたとは、罫線があると話も出てまいりましたよね。ここにちゃんとあるんですよね。

だから、こう1本のやっぱり竹簡というイメージですよね。

これで本当に束ねてある!横に並んでるという形であります。

それを踏襲して、こういった形で版本になっていたり、

まあ、これは写本でありますけど、こういった、写本を書くときには、元々こう言う罫線を用意しておいて、

これは言ってみれば、原稿用紙みたいな状態で真ん中にこうあります。折り目がつくところですね。

そこにこういったタイトルが書いてあります。

《繋傳通釋》と書いてありますね!

まあ、《説文解字繋傳》が、本当は正しい呼び方で、「繋傳」と書きます。

それを「釈」、「通釋」、通して解釈したものと書いてありますよね。

ということで、こういった研究でずーっと、これから「文」という字を見て参りたいと、

用意してまいりましたので見たいと思うんですけれども、

ここにちゃんと《説文解字》の書いてある内容、

そこの「臣鍇曰く」から、徐鍇さんが考えたことを、

まあ、今から千年ぐらい前の徐鍇さんの意見が書いてありました。

それでこのお兄さんが校訂した「大徐本」を見ていきたいと思います。

こちらですけれども、

これが宋の時代に刊本として残された徐鍇さんのお兄さん、

徐鉉さんが校訂した大徐本。

先の小は、弟だからということで、

基本的に《説文解字》には、この大徐本と小徐本がありまして、

基本的には、この大徐本の方がかなり流布した。皆が使った!

それはどうしてかと言ったら、宋刊本でも出ていて、これでも残っていますよね。

これはすごい貴重なもので「四部叢刊」で出ておりまして、

もう宋の時代の刊本を復刻したもの、

それから取ってまいりまして、「文」ちゃんとありますと!

やはり徐鉉さんの大徐本は使われた理由は、一つあり、小徐本の場合は このあとに意見をダーッと書いてありますけれども、

しかし、この大徐本の方は、意見はあんまり、「鉉曰く」と書いてある!時どきあるんですけれども、

それがないから、逆に字書としては、《説文解字》の本文を伝えているという意味ですごく使いやすかった。

コンパクトだったということで、多分流布したんじゃないかなということが考えられるということで、

この徐鉉さんが校訂した大徐本がありまして、こういうものが宋刊本だった。宋版だったということで見てまいりました。

そして、こちらですけれども、

こちらは黃侃さんという人ですけれども、

沢山、メモを書きまくった!

こういった《説文解字》が残ってまして、

先ほど見た、宋刊本はものすごく貴重な書物でして、

それで清代の最初ぐらいに汲古閣が、(名前どおり)蔵書がいっぱいあり、貴重な漢籍を宋版を復刻したんですよね。

そういう本があったり、それからまたどんどん孫で版本が作られて行きまして、

この孫星衍という人は、この人もすごい学者だでしたが、

平津館というところで作った《説文解字》を買った黃侃さんが沢山メモを書き入れたとすごい本でして、

ここでこの「文」のところを持ってまいりましたけども、

メモを書いてるんですよ!

それでこの《説文解字》に注釈をいれた形、

コメンタリーをする形で、

言ってみれば、古典の研究は、ギリシア語で書かれたものにおいても、アラビア語で書かれたものにおいても、 そしてサンスクリットで書かれたものでも、ラテン語で書かれたものにおいても、

大体、学者が前にやったものをどんどんどんどんコメンタリーを蓄積していく形で研究が進んできた!

それは伝統的な研究方法なんですよ!

そういった形でやはりユーラシア大陸全体で同じでして、

この《説文解字》においても、やはり昔、漢代の許慎さんがやったものに関して、

注釈を加える形で研究が進んでいるという形で見れて面白いですよね。

研究の歴史という意味で、こういう仕組みだと!

それでscholiaという言い方をするんですよね。

まあ、KF-Scholaというチャンネルを別にやってますけれども、

そうした「註釈」をスコリア(欄外古註 scholia, σχόλιον < 暇 σχολή < ギリシア祖語 *skʰolā́ < 印欧祖語 *sǵʰ-h₃-léh₂)と言うんですよ!それでそれをやる人がscholar(学者)でして、注釈者という意味ですから、

本当に黃侃さん、学者(scholar)がスコリア(scholia)、註釈を書いた「手批」という、そうした面白いものを見てまいりました。

そして次に行きますと、やはり《説文解字》の注釈として有名なのは、

今の黃侃さんより少し前ですけれども、

段玉裁でしょうということで、彼がやはり《説文解字》のこの部分に関してドゥァーッと、ものすごい数、注釈するわけですよね。

ここでは罫線が消えていますが、この註釈は割注と言うんですよね。

割る注、何を割るかといったら、今はこれ縦に罫線が入っていませんが、この大体これが竹簡らと言いましたね。

木簡に対して文字を半分の大きさにして書いた割注といい、

もしくは夾注とも言います。挟むという字で挟む注だから挟み込んだ!

ここにこの「文,錯畫也」であるところに対して、ダーッとものすごい数、註釈しまくっているんですよ!

沢山こういった形で段玉裁が《説文解字》に注を加え、

「段注」というんです。 有名なもうこれいったら、もう「段注」ときけば《説文解字》というくらいです。

まあ、基本的に色んなその古い古典籍には沢山の注があります(段玉裁も《詩経》にも註釈を書いています)。歴史的に蓄えられてきて、

それでそのたかが三文字のことに関しても、沢山その研究が蓄積されて面白いじゃないかと、

それで次のところの文章には、ここに関してバーッと書き、次のこの部分に関しても、バーッとまたしていまして、

割注(夾注)という形で段玉裁の《説文解字註》を見てまいりました。

そしてこちらですが、今度は、吳大澂さんもすごい学者でして、

《説文古籀補》は何だと言ったら、 彼は何をやったか、

もうタイトル《説文古籀補》を見れば、歴然としております!

これは《説文解字》にある「文」という、今出している、ここに関しては、篆書、小篆に関して、

「古籀」とは、前回やりました戦国時代の古い文字ですよ。

秦が始皇帝が統一をして、小篆にする前の文字という、

この「古文」とは、基本的には、戦国時代に色んな国で使われた。

この「籀文」とは、戦国時代の秦国で秦が統一をする前に使ってた文字ですから、「古籀」といいますが、

でも、この分け方はアバウトすぎて、今はもっと精密に分かりましたから、この用語は使わないですけれども、そういう意味なんですよ。

まあ、言ってみれば、戦国文字としてで考えていただければ、

それかもしくはこの中には、殷周の金文も含んでいる。

この中にも見れば、中身を見れば、そうですけれども(「籀文」は《史籀篇》を書いたとされる西周の宣王に仕えた太史籀に由来するとされ、)そうした形で殷周戦国の文字として考えられ、それで補った。

つまり、これのタイトルを読んで字の如く、この《説文解字》にあります見出しの字を「親字」と言いますね。親の字と言います。

それに関して、これだけの色んな金文にある文字、字形がこれがありますよということで始めたわけでして、

つまり、これは何かといったら、(近代的な)文字学(金石学)が始まったってことです!

どうしてかというと、この小篆までしか、今までは分からなかった!

ところが、大量に金文が、清の時代に発掘されましたということで、

その小篆になる前の字の形はどうだったか、探究が始まったわけですよ。

ここで!だから、これは(以上のように題名から難点がありますが、先行の研究として)すごく貴重な文献だということで、

それで彼はすごかったのは、「毛公鼎」にある「文」はすごい長い銘文(知られている限り最も長くて497字)ですけれども、

これは、もう《説文》の小篆、「説文小篆」と言いまして、《説文解字》で使われている篆書、「説文篆文」といいます。

それでかなりこれは近いわけですよね!これはこれもまあ近いです。点は中にあるけれども、

結構これを字形が違うのがあり、もう全部「文」と読めたのは、勿論その金文の一つ一つの文字のそのコンテクストの中でこの文字は「文」と使われていると当てをつけられるけれども、

実は彼がこういうことができたのには理由が後ほど、またそれも話したいですけども、

こういった形で始まったということ見えてまいれたと思います。

そして、ここでありますのが、丁佛言の《說文古籀補補》

また更に「補」に「補」が付いていまして、もう一つ、つまり吳大澂が《説文古籀補》で漏らした字を丁佛言という人が、

《説文解字》 の註釈、《説文解字詁林》、もうその註釈を沢山貼り付けて編集したりしましたが、

吳大澂が《説文古籀補》で漏らした金文を更に補い、こんなのがあると、更に発掘もされたりして、

しかも、古鉨もありますと、

これ実は前回に出しました!まさにあの古鉨(齊鉨「右遂文𡭴信鉨」)から取っていますね!

こういった古鉨も彼は加えてます!

あと、貨幣も前回に沢山みましたよね!

だから、吳大澂は金文が主に来源だった。

こうした貨幣や陶文を見ましたけど、陶器にあったもの、あとは璽印、古鉨とか、印章、

こういったものでも、補っていてかなり色んな文字を更に見つけてきておりますと!

あと、石刻、石に刻まれたものに関してもありますから、

本当にこういう資料があるんだよとどんどん補ってます丁佛言でした!

そして、また、強運開という人が《說文古籀三補》、今度は「補補補」で、まあサンタクロースじゃないですけど、

もう三補まできて、本当にまた補ったんですよ!

「文」に関して、それでかつ、呉大徴はただ文字を集めただけだったんですよ!

ずーっと文字が羅列されている。

それに関して色々意見を彼は述べた!莊述祖さんは《說文古籀疏證》で意見を述べることも、著録の中で行われて見れてまいりましてね。

少しこれは遡って、先ほどの二補、三補の「補補補」まで行っちゃったけれども、それより前で呉大徴の方から、直にこちらにいったということでありました。

そして、こちらで出てきますのは、かなり今度は時代が飛びますが、

これはどうしてたかと言いますと、

先ほど、私こんなことを話しました。

「文」という字の中には、全然「文」ぽくない、篆書(小篆、隷書、楷書)とは、字形がかなり違う「文」があったと!

それを吳大澂さんが読めた理由は、

実はもう一つの系統がありまして、

前回しました楚簡にありましたよね!

簡牘に書かれた文字!

そうした文字が簡牘も断発的に結構出土してるんですよ!

有名な話では、孔子の旧宅の壁を壊したら、その中から古い竹簡に書かれた儒教の経典(古文尚書など)がいっぱい出てきた話があったり、

あとはもっとそれは漢の時代の話でしたけれども、

もっと後の晋の時代、西晋の時代と杜預さんという人、前に出てきましたけど、

そのぐらいの時代に「汲冢書」と言うんですけども(河南汲郡の魏の安釐王か襄王の墓から)、ものすごい数の竹簡が出たりしてるんですよ。

それで出土した当時の本物はもうなくなってしまってるけど、

有名なところでは、《竹書紀年》とか、竹簡に書かれた歴史書(《逸周書》)とか、《穆天子伝》、小説の元祖という文献が出て、

もう一生懸命、当時の学者が校閲して、一つ一つこの文字はこうと研究したんですよ。

そうして古文(当時は「科斗文」「蝌蚪文」と呼びましたオタマジャクシのような文字)が、やはりそういった知識が伝わってきたんですよ!

それで宋代にやはりこの郭忠恕さんは、どちらかといったら、画家として有名かもしれません!

彼が残した書いた画が残ってますよ!すごく貴重でやはり宋の時代の宋画はもう貴重です!

それで残ってまして、郭忠恕は実は文字学にも興味があり、《汗簡》(前々回に「汗簡」もやりましたのでご覧下さい)という形で「文」を探してみるとありました!

こんな形の「文」もあることを言ってくれてたり、この古文をまとめた《汗簡》に続いて、

今度は夏竦さんが、《古文四聲韻》として、

今度は音でまとめて、更に補ってるんですよ(当時は《説文解字》も大徐本や小徐本など原型に近い形ではなく、李燾が原本の部首ではなく韻書に合うように並び変えた《説文五音韻譜》が流布していたことに対応して、)「文」という字に関しても、こんな字形もあるとか言い、

そういった古文の知識がずっと伝わっていまして、

この中である古い《尚書》とか、《老子》など、《孝経》であるとか、

古い竹簡(や石刻)に書いてあったこんな字もあったよと報告して、

これも宋の時代の学者がしたことでした!

そして、杜從古さんも《集篆古文韻海》と言いまして、

更にこういったものが、全部「文」だよ床の中で説明してるんですよ。

それを見ますと、先ほど吳大澂が書いた中にも、この字形の「文」がありましたよね!

だから、彼はこういった、宋の時代に学者が考えて、こうした著録の中で報告をしている「文」という文字、

これもそうかもしれません!これを知ってたから読めたという部分があるんですよね!

だから、出土文献として、こちらは伝世文献に当たりますよね!

ずっと伝えてきた知識を統合して読むことができるんです!

伝承古文と言われてきたんですけど、

伝いえられてきた古文、これ、結構、変な形の字が多くて、ちょっと怪しい、変だいう噂もあったけれども、

実は最近、楚簡も発見され、それを読むときにも、こうした知識は(手がかりとして)重要で本当に俄かに注目をを浴びているんですよ!

まあ、字形は私が前回お話した通り、搨摹と言って、模写に模写を重ねてるから結構、訛っているところはあるんですよね。

だから、本当に同時代の資料ではないですが、

こういう字形があるよと分かるすごいいい資料だと、評価が最近は少し上がってきてるんですよね。

それで次に行ってみたいと思います!

そしてこちらですけれども、

もう現代にパーンって行っちゃったんですよね!

ちょっと趣向を変えて、

ここからはどういうことをお話したいかといいますと、

季旭昇さんは有名な台湾の文字学者ですね。

彼は《説文解字》に全部に注釈を加えていたりもして、すごいいい人ですけどね。

彼は面白いことをもう一個やってまして、 甲骨文が発見されたということで、

それを先ほど著録のような形でダーとやるんではなくて、

文字同士の形がどのような、この文字に対して、この部品を加えると、こういう形になるとか、変化を被るかどうかで、

こういった「孳乳表」とありますけども、

これはどういうことかといったら、

文字のその字型に関しての系譜ですよ!

これ、これに更にこれを加えて、こうなる!

これが何かを加えると、こうなるという導き方で「文」に関してみますよ。

この文という形、これだけあった!三つ少なくとも!

それに対して、ここに関して、下にこういう口を付けると、こういう形になるとか、

中にこういう足をつけちゃったとか、

あと、下にこの山か日みたいなものをつけたとか。

それか、もしくはこちら側にまた違う部品をつけたとか、

また下側につけたとか、こちらは左側に付けたとか、

右側に付けた。上側に付けた。

ひっくり返したとか、

そうした一つの文字を変形をさせることによって説明をしようと!

そうした整理の仕方をしているんですよね!

これはすごく《説文解字》でずっと今の人達はあの(部首)の体系の中ではめ込んできたけど(現在の古文字の字書も殆どそれを踏襲していますが)、

発想の転換というか面白いことなんですよね!

ということで、この甲骨文の字根を研究したと!

まあ、語根を言ってきましたね!ずっとあるroot(radix)に関して、また色々(形態素morphemeを)くっつけて、どんどん(言葉を)派生していくのと同じですよ!

字根、文字も同じだと、部品をくっつければ、どんどん発展してゆく(ここでも言語と文字の双対性のアナロジーが現れていまして)、

それを記述した面白い研究と思って出してきました!

そして、この結果、この「文」という字は、こうなんじゃないのと、色んな意見も書いてあって、

それで色んな良い意見をまとめてくれてもいるんですよ!

ということで、すごくこれも貴重ないい研究でして、

そして、こちらは今度は中国の大陸の方ですけど、

黃德寬さんもすごい人で《古文字譜系疏證》の「譜系」という言葉は「系譜」ということですよ!

KF-Ars Sinicaの系譜(KF)!

これは中国語では逆なんですけどね(笑)

この文というものに関して、今度は「通時的(diachronique)」といいますが、

時代ごとに古いものからずっと並べるわけですよ!(この漢字のユニークさを探究するシリーズの初回動画と同じ発想です。)

それによって、どんどん来れば来るほど、新しくなっていく形で、

この文字をまとめたということで、すごくこれも面白い!

きちんと時代ごとに変遷を見ていけるという研究もありまして、

更にこちら「文」が続いてますよね!

それで彼はこの後に意見を書いているんです。

その全体をそうして見て行くと、これはこうじゃないのとあったり、あとはどういう文脈の中で出てるかをきちんと記述している!

すごくこれもいい研究ですよね!

すごく文字の大量にある資料をまとめてこうという、一つの良いアイディアと思いました(先ほどの季旭昇:《甲骨文字根研究》は同じ時代の派生関係を著した共時的synchroniqueな研究、黃德寬:《古文字譜系疏證》は時代を通して流れを見た通時的diachroniqueな研究でした)。

そしてこちらは、何琳儀:《戰國古文字典:戰國文字聲系》ですが、

先ほど黃德寬のご師匠にあたる何琳儀さん、この人が前回お話しました戦国時代の文字、

戦国文字を五系統に分域して説明したということありましたよね!

戦国時代の文字の系統を立てたこの文献の中で体系化されました!

もう本当に良い研究を行いました(こちらも共時的な研究ですね)。

まあ、但し、最近どんどん新しい戦国時代の文献(文字資料)がどんどんどんどん出てるから、

もっと後を継いで、それを増補していかなきゃいけない事はありますけれども、

こういった形で言ってみれば、

一つのヴィジョンを示したという意味で、中の文字のデータが、新しいか、まだ最新ではないとか、そういうことじゃなくて、

こういった戦国時代は、こういう系統の文字があるんですよと指摘した!

それをまとめたそういうシステムを作ったという意味ですごい研究だと思います。

そして、こちら、董蓮池さん、この人は《説文解字考正》と言いまして、ここに「文」がありますけれども、

《説文解字》にある文字をきちっと「文」の所には注釈いっぱい加えてないけれど
も、

こちらを見て頂ければ、新しい資料に基づいて、色々と分析してるんですよ!

それでここにこう書いてあるのは間違いじゃないかとか、

許慎さんが書いたことが合ってるか間違っているかを一つ一つ考えていき正した。

もう題名を読んで字のごとくですよね。

こういう研究がありまして、彼はもう一個面白いことがあって、 董蓮池:《説文部首形義新證》と言いまして、

《説文解字》に挙げられている「部首」、文という部首(文部)があるんですよね!

「文部」の中にはあんまり文字はないんですよね。三文字ぐらい(「文」も入れて四文字)しかなかったかな、

ですが、きちんとその「文」に関して分析をしまして、

だから、先ほどこの「文」であまり書かなかったかもしれない。

こちらできちんと色々と考えて意見を述べてますからということで、

この人の体ところに入れ墨(文身)の形ではないかという、

この「心」みたいな、こういうマークあるんだよとか、色々、

文字をまとめて分析して考えてくれていて、

全部、今までの知識を体系化させていこうと進んでいまして、

文字学に関係する色んな資料があり、それに関して、どういう意見なのか、もしくはそれをどう体系化をさせていくのかを見たんですね。

駆け足でありましたけれども、

面白い研究を、私が面白いと感じた研究を取り上げてきました。

一体、今ので色んな方向性、研究する掘り下げ方は見えてきましたが、

例えば、《説文解字》の体系は部首という分類で全部まとめられていまして、ここに「部首形義」とありますが、

でも、それだけではなく、甲骨金文が見つかってくると、そこで文字の関係性ですよね。

それで系統図(孳乳表)を作ったりとか、

戦国時代の文字は色んな種類があったとか、

色んな方向性から文字の成り立ちを分析したアプローチの方法があり、

一つ一つに関して、一番その中で「金字塔」と言いますが、

もう本当にランドマークとなる研究を少し取り上げてまいりましたが、

ちょっと、私思ったんですよね!

文字の音にも、結構、興味を持って我々はやってますよね。

それに関しても、少し面白い資料があるから、ちょっと見たいということで、こんなものを見てみましょう!

余廼永:《新校互註宋本廣韻》とありますけれども、

この《廣韻》という書物は、本当に大切ですよね!

言ってみれば、隋唐の時代に中古漢語と、もうこれはもう漢字ができた、それが固まった秦漢よりも、

もうずーっと後になるんですね!やはり字音は表記するのは難しい! それを体系化しておりまして《廣韻》がありますけども。

この澤存堂というところが、宋本を張さん(浙江海鹽縣の張士俊)という人がいまして、重刊(「ちょうかん」、「じゅうかん」は慣用読み)したということで要するに復刻したということですよね。

それでここの中にも、やはり「文」もあるんですよね!

それで「文」の音が、この赤で書いてあるんです!

本当にここに彼(余迺永さん)が全部ちゃんと注釈を加えたり、

ここにあったり、今の学者が復元した中古音を書いてくれたりしているので、少し出したんですけども。

宋版もちょっと出してみたいなということで、ちょっと見ておりますけどね。

そういったものを先ほどの《説文解字》でも同じでしたけれども、

やっぱりすごく貴重なものでして、またすごく稀覯本と言います!

もう滅多に見れない(稀覯な)本でしたから、手に入れた人は喜んで復刻したということで、こちらに戻ってみたいと思いますけれども。

それでここにちょっと気になってしまいまして、

何でこういう「文」という音が、m-とここにもありますね。-iuənと書いてありますね。

これは何故なのか、少し見てみたいと思います。

こちらが言語学者、高本漢(Bernhard Karlgren)というスウェーデン人ですけれども、

この人が中古漢語の音を、今いった《廣韻》、もしくはそれが編纂される前の時代の《切韻》という音韻体系がどういう音を表わしていたか、実際にアルファベットで書き、

漢字はもうアルファベットで書きようがなかったから、大変だったんですよね。

だけれども、実際に発音できる形で音を当ててゆく、

それはどうだったのかを考えていく!

それをやりまして、現代の言語学に近づいてきますが、

彼はどういう作戦を採ったかというと、

ものすごい数の現代の看護の方言たちを「文」に関して、もうずっと「文」できていますから、

それをダァーッと全部で集めたわけですよ!とにかく当時集められる限り!これは今からもう100年前の研究ですよ!

本当にその中でこれだけありますけれども、「高麗」と書いてあるのは、これは朝鮮語にいった漢字の音、

これはmonといいます、これは日本語の呉音です!それでbunは漢音なんです。

というわけで、(漢字のユニークさを探究するシリーズ)一番最初の動画でまた見て頂ければと思うんですけど、

そこでやりましたよね!「文書(ぶんしょ)」と言う場合と、「文書(もんじょ)」という両方の読み方がありまして、

やはり結構、この日本語の音と朝鮮語に行った音とか、あとは「安南」は越南語、

それと「廣州」は、今でいう粤語、広東語、それで客家語とか、

この上の方にある南の方言や古い時代に外国語に借用された音には、

結構古い音が残っていて、

一番筆頭にあるんですけど、

そうして彼はこれだけの地図にある色んな地点の方言を集めました!

本当にそれで日本、朝鮮、越南、海外のものも含めて、

それと後は南の方のこのあたりの今言ったこの辺りが、かなりやっぱり古い音を残してくれてきた!

北はかなり古い音から変わりました!

それはどうしたかで言ったら、もう色んな事があって、色んな民族が入ってきて、無茶苦茶になったんですよ!

とにかく、音韻的に動揺が発生して(特に声調体系がめちゃくちゃになり)、もう宋元まで来て、もうモンゴルまで来ちゃったっていう!

これで清は満州族が入ってきた!もうすごいです!北は漢語の中は動揺が起こった!

だけれども、南の方の音は、もしくは外国に行ったものは残ってたということで、

そういう音を当てたりして、まあ、今の感じ(中國社會科學院編:《中國漢語方言圖》)で行きますと、こんな感じで現代では、

越南にいったもの、日本にいったもの、朝鮮にいったもの、

それに関して、あとこの南のこの方言ですね!

長江よりも南の方では、かなり古い音は残っている!

それでこちらの北は、かなりこれはもう音が変わっちゃってると見でまいれまして、

このあたりの南の方言は、古い漢語の音を表しているから、中古漢語、隋や唐の時代の音を考えるには、素晴らしい音の資料になります!

こういった音韻学に入ってきたというけれども、

これも大事でこのカールグレンさんがやってくれたが故に、

更にそれを今現代はどんどんどんどん精密に訂正していったと!

ここから上古漢語に更に遡る形で復元もできると!

その出発点だと!結構、彼がした方法は、音韻体系を全てに関して、色んな方言がありますが、厳密に行わず、全部とにかく集めてきた!

この中でうーんこれだなと拾っていったら、

う~ん、m, mだろうとmを当てたりしていましたけれども、

ちなみにこの日本語の漢音のbun(のb)は、長安で非鼻音化(denasalization)と言いますけども、

nとか、mが、dとか、bになっちゃうんですよ!

要するに m が b に変わっちゃったのは、唐の時代の長安に起きた方言を日本人が触れて、そのまま持って帰ってきちゃったとからでして、

当時の長安方言でbunになり、馬も中古漢語ma(正確にはmˠaX, mæXで上声)、漢音でbaになり、 m が b になるということであります。ちゃんとこれは説明がつくことでして、

これはもうこのカールグレンさんが発表した直ぐ後にマスペロさんが指摘して(Henri Maspero (1920). Le dialecte de Tch'ang-ngan sous les T'ang, Bulletin de l'École française d'Extrême-Orient 20.2: 1–124.)、これは対音資料といい、別の音が分かっている、例えばチベット語とか、サンスクリットの仏教の経典などでは、

どうも7-8世紀にかけて、 m だったものが b に当てられてるぞと言い、

当時の長安ではそういう変化が起きたと、

それでかつそれが日本人が持って帰ってきちゃったから、

もう、みんなその読み方になっているということで説明がつくということで(閩語でも同じく起きておりますが、)ちょっとお話しておきましたが、音韻学で危ないんですよ!言語学に行ってきちゃったんですよ!

文字学やってたのにということでありますから、

ちょっとこちらで、今度はこの《廣韻》の中のこの文章のところにダーッと書いてあるのは、何かとちょっと見ていきたいと思うんですよね!

こちらに《玉篇》という字書がありまして、

梁の顧野王という、有名な初唐の書家の虞世南のご師匠として有名ですが、やはり「文」を持ってきたんですけれども、

こういう風に書いている、ここの非常にもう当時あった文字、かなりの数の文字に《説文解字》よりも字数を増やして、

これで字が増えたんですけれども、

これでそこに意味をパンパンパンパンと書いてくれて、

本当はこれでものすごい長かったらしいんですよ。 彼は注釈を加えて、この字はこうでああだこうだと書いてあったけれども、

宋の時代にかなり圧縮しちゃったと!

ただ意味(字義)のところだけを抜き出しちゃった!それで抜粋版だけがどうも伝わったらしくて、

本当のこの《玉篇》は写本でちょっと断簡といってその残本と言って、残されたものでしか残されてないんですけども、

本当はこの後に沢山の色んなことが書いてあったんですよ!

ということでありますけれども。 それを沢山の文字を網羅的に説明をしてくれていたから、

《廣韻》を編纂した人は、この《玉篇》の解説なんかを引用してきて書いたんだと、

これは大事なことで意味が違うと音(反切)が違うものが結構あるんですよ!

だから、それをきちっと分別させるためには、

こういったきちんと意味も重要だと音と結びついてということでありました!

そして、これが有名な康熙字典ですけれども、

この辞書でやはり「文」のところを持ってきましたけれども、

これは何をやったかといったら、

歴代の清の時代までにあった重要な辞書たちを、もう「文」に関して、全て網羅的に収録して、ダァーと一つの文字に関して、これを見れば、大体今までの、今見てきたその《玉篇》も全部含んでいるんですよ!《説文解字》も含んでいます!

それで《玉篇》《釋名》とか、すごいですよ!

それに有名な四書五経の引用とか、

その注釈などの形で、これを見ればいいというくらい良い辞書を作り、

これは漢文を読む上では重宝される辞典でありますね。

ということで、これはどちらかと言えば、文字学というより、訓詁学とか、あとは反切がここに書いてありますから、音韻学、

先ほどの《廣韻》より前の《唐韻》とか、これは(本当は)《説文解字》に書いてある反切、そこでは言いませんでしたけど(それを引いていてきて)書いてあるんですよ!古いのが!

それが集約され、音韻学、若しくは訓詁学の方でありましたけれども、

こういうことも、すごく大事でありまして、

字形があったら、そこには字音と字義がありますから、少しだけここだけは見てまいりました。

そして一つちょっと前回の補遺(supplement)になりますが、

これは甲骨文に関しても、ものすごい釈文をもうダーッとしたすごい研究がありまして、

一番から全部ずっと上の甲骨に刻してある字を並べて、

それで隷定といいますが、今の楷書に直して全部読んでくれてまして、

これは漏らしてはならぬという、こ陳年福さんの《殷墟甲骨文摹釋全編》で搨摹の摹ですよね。「摹釋」臨摹して解釈までしてくれている!

それを全てやっちゃったっていうことで、これを見れば、大体この文字がこう読まれると分かり、

これでも全部正しいとは限らず、どんどんの文字学者が、こちらの読み方がいいと提案しながら、どんどんを読んでいきますが、

最後にこんなもの見ていたいと思うんですよ!

ここにありますのが、もう本当に私が紹介してきたものも含みますが、

そういった甲骨文に関して、

この《甲骨文合集》と《殷周金文集成》は前回見ましたよね。

これに関しても、《殷周金文集成》の後にそこに収録されなかった。

つまり、新しく発見されたもの、新しく出土したものなど漏れたものが補われて出ています!

もう本当にそれも含めて、それ全部書いたらダーッといっぱいになってしまうから。

もう一番最初だけにしておりますけど、

それでこれに対しては、本当にまた二十、三十とあるわけですよ(《新収殷周青銅器銘文曁器影匯編》、《近出殷周金文集録》、《近出殷周金文集録二編》などなど)!

《甲骨文合集》に関しても、新しくまた発掘をして、そこでまたその拓本や写真が出てますと(《小屯南地甲骨》、《殷墟花園庄東地甲骨》、《甲骨綴合集》、《甲骨拼合集》、《殷契拾掇》など)!沢山この後に発掘されたもの、収録されていなくて漏れたものが沢山ありますと!

まあ、少なくとも知ってる限りでも、これに関しても、金文に関しても、何十とある!

それで甲骨文にも何十とあります!

それで代表して一つづつ書いといたということ、まあ断っておりますけれども。

それでこの後にありますが、私がよく使う字書、一つ一つを見てまいりました!

本当にこれらに関して、殷周、そして戦国、それで秦漢まで大体、文字の字形が分かりまして、色んなこういったものもありまして、本当に見てまいりましたということで、

もう近年、結構またどんどん、どんどん、色んな整理が進んで、どんどん、こういう字書は、どんどん新しいもので、より字釈といい、この文字は今までこう読まれていたけれども、新しくはこうであるとか、

最新の研究結果を含めて、どんどん、どんどん、改訂されている!

もうここはホットな分野だということでありますから、

そういった形で、まあ今までで一番ある程度、最新のものを選んでまいりまして、

先ほどはどちらかと言えば、辞書の方でしたが、今度こちらは、中文書と言いますが、中国、台湾、香港など、漢語を使ってる地域でどのような研究をしたのかまとめてくれていまして、

先ほどお話ししました、丁佛言:《說文解字詁林》は、もう全部その注釈をブヮーと貼って集めまくる!

金文に関しても、周法高さんが《金文詁林》でしまして、そして甲骨文字に関しても、于省吾さんという人は、すごいんですよ!本当に《甲骨文字詁林》でやりましたと、

そして、文字学でもうすごい裘錫圭さんの《文字學槪要》は名著ですよ!本当にもう色んな知識が、もうそれ一冊を読めば、大体、文字学で行っている考え方なり、歴史なりが詰まっている本で大事でしたり!

何琳儀さんの《戰國文字通論》も本当名著! 本当に素晴らしく、

あとは面白いところでは、一般的にものすごく知られるのは《字源》という、李學勤さんもすごくいい研究者でして、

先ほど申し上げた季旭昇:《說文新證》も良い本でよく参照され、

これ董蓮池:《説文解字考正》は、先ほど見ました!

唐蘭さんのこの《中國文字學》が、文字学をやり始めた、本当にここでちょっと新しい方で増訂本と新しく出された本で、その年で出た本ですが、(本当は1934年頃に書かれた本でして、)これが先駆者ですよね!

劉釗さんの《古文字構形學》もすごくいい本で、黃德寬:《古文字譜系疏證》は、先ほどみました!こちらも、そうですね!陳夢家さんという人もすごい(先駆的な)研究を行った!《中國文字學》もすごくいい本です!

古典的名著でどっちかといったら、まあ、裘錫圭さんの《文字學槪要》の中に全部(そうした発想が)含まれてはいるんですよね。こういったことも全てということもありますが、

もう最近出た中では、すごく面白いのは、甲骨文字の字形や字根の研究は、季旭昇:《甲骨字根研究》がありましたが、台湾の方でしたけど、

こちらの郭仕超さんは、大陸の中国で《甲骨文字形演變研究》もいい研究ですよね!本当に新しいことであったりして、

それでもう去年に出た《漢語古文字學概論》、もうこの方、彭裕商さんもすごい!この本もいい本だということですね。

本当にここですごく読むと良い本を挙げておきました!

といった形で、最後のまとめとしては、

文字学を今回もう本当に全部やってたら、もう長くなってしょうがない!

もう既に長くなって申し訳ないくらいですけれども、

本当にそれらを全部まとめていきまして、

文字学を考えていくには、どうしたらいいかを字書なり、

概論全てを体系的に見たり、そういったもので、今回はどっちかといったら、

文字学をする時には、どのような著録、どのような書籍を手掛かりにすればいいか、資料的な面と研究の蓄積という面と、二つの面で、最後のページでも、二つに分かれてましたよね!

まさにそういった形で見てまいれたと思うんですよ!

ですから、もうやはり、本当に文字学に入ってきたなという感じで、

もう今はど真ん中に来てますよ!本当に今回もそうですけど!

こういった研究に私は全部目を通して、前の人はこういったと考えた上で研究は、

やはり昔の人が言ったものを、どんどん、更に良くして、更に真実に近づきたい!更に分かってなかったことを解明したい!更に楽しく見ていきたいという熱意と情熱だと!そこをダダダーンとするためには、

それらを網羅的に先ず理解してなきゃいけないんじゃないかということですね。

今までやってきたもの全部もう消化して、新たな世界が開かれていく、

それだけやはり歴史のある分野ですから、

ものすごい数の先人たちが、一生懸命考えてなしてきた分野と思って、

本当に奥深いなと幅広いなと思っておりました!

こうして、今回は文字学という一つの学問体系が、どうなっているのかを含めて、それは二つの意味で見れてこれたと思うんですよ。

一つ目は文字資料自体の変わっていくこと、

それも変遷の系譜でありましたよね!

本当に文字自体が変わっていくという系譜、

それとそれを研究していく人たちが、ある研究をしたら、これに対して研究がまた出てきて、そうした点と点の繋がり、その関係性が少しずつ分かってくというようなワクワク感の系譜でありました!

こういう二つの意味で系譜!全部ひっくりまとめて、今回は見てまいれたことは、

文字学というのは、もうやはりKF-Ars Sinica(系譜で見る中華文化)ですから、

その資料を見てこれた!それは当時の人の資料だし、その研究であれば、その原論文なり、原書、最もプリミティブな形の残っているものを見てこれた!

それであったり、もう一つは、資料も同時代のもの、本当に当時のものを見てこれた!

その二つなんですよ!

まあ、前回の動画がどちらかというと資料の方、

今回は研究の活動!人間の研究活動!

そうした人間味のある内容だったと思っておりまして、

そういう位置付けですから、

前回とは姉妹編として、何回でもお楽しみ頂けると嬉しいです。

本当にもう沢山詰め込んでおりますから、

見るごとに何かもっともっと楽しんでいけるじゃないかなと思い、

そういうこと、そういう残されていく内容を作りたい!

ただ見て楽しかったで終わってしまうじゃない、

何回見ても振り返っても面白い内容で作りたいことを一生懸命やっておりますので、

今後とも何卒、KF-Ars Sinicaをよろしくお願い致します。

ですから、チャンネル登録などして頂いたり、

いいね👍ボタンを押して頂けると、直ぐに見るようになるみたいですね。お気に入り(favorite)に入ってということで、

何とぞ、応援よろしくお願い申し上げます。

今回も大変、文字学の歴史、資料で盛り上がりました。ありがとうございました。

どうも失礼致します。

Follow me!

PAGE TOP