漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。
2021年6月4日
皆さま、こんにちは。
「漢字のユニークさを探求しましょう」というシリーズが続いておりますけれども。
前回は沢山の著録をどういう形で、今までの人たちが文字学を研究してきたか、見てまいりましたけれども。
やはり、漢代の許慎さんがいたしました《説文解字》の影響が強いなということをすごく感じたんですよね。
それでやはり漢字を考えていく上では、
それが良い考えであるか、
もしくは問題がある部分があるかであろうとも、
やはり《説文解字》の体系、文字をどういうふうに理解したのかを考えることは、
どちらにしても大切なことであると思いまして、
前回は《説文解字》にこの徐鍇さんの小徐本、
そして
この徐鉉さんの大徐本がありまして見ました。珍しい宋刊本です。
今回は一番最初の部分を持ってまいりました。
そして段玉裁の「段註」ですね。これも見ましたり、
それに呉大澂の《説文古籀補》であるとか、
これは古文や籀文で実際問題、彼が使ったものは、
今でいう殷周金文や戦国文字などで補ったもので見てまいりました。
莊述祖さんの《説文古籀疏證》と意見を書いてあると《説文解字》については、そういったことを概略で見て参ったんですけれども。
今回はこちら大体、我々の漢籍は宋辺りまで遡るとい話したんですけど、
実は《説文解字》においては、唐の時代の写本が残ってまして、
こういった木部の残巻とか、あとは口部の断簡も残ってる!
切られてるということで、一部残っているということで、
これはすごく貴重なものでして、両方とも日本にあるんですけれども。
木部残巻の方は、清代に莫友芝さんという人が清代の有名な学者が持ってて、それから日本に渡ってきたということで唐代の写本とありますから、中国大陸で書かれたものですけれども、
こちらの口部断簡は、唐写とあるんですけど。
実は日本で遣唐使などがもたらした《説文解字》の本を日本で写したと考えられていて、
まあ、篆法が微妙で篆書の書き方がフニャフニャだったりしますけど、
これらはどちらにしても、宋代の徐鍇さんや徐鉉さんより、
小徐本、大徐本よりも古い形が分かるということで、版本学上、貴重ということ見てまいりましたが、
もう一つすごい面白いことがありまして、
先ほど見てまいりました小徐本、大徐本などの《説文解字》は秦代の刻石、石に刻まれた文字にあった小篆、
それは玉筯篆、玉の箸のように最初から最後まで太い線で一律に書いてある書風でしたが、
こちらを見ると針みたいにピーンと脚がすごく長い!サーッとすっきりして、線でサーッと書いたんですね。
パンと入れたら最後のところが先細ってますね。
これは懸針篆と言うんですよね。針を懸かけたような篆書と書くわけですけども。
本当にそういった形でありまして、面白いものがあるのでちょっと見てみたいと思うんですけど、
こちらですが、今申し上げた懸針篆。
漢字で書いてあります。玉筯篆とは対になる全く違う書風という、懸針篆は意外と古いんですよ。
それはどうしてかと言いますと、
この中山王サク方壺、四角い壺に刻されていた。
これはもう戦国時代に遡りまして、そこでは既にこういった形で本当にスラーとして本当に線質がそっくりで似ていて、
こういった書風がもう当時からあって、足がスラリと長くてものすごく縦長ですよね!
当時はこれはやはり鋳造をしていたけれども、
結構、鏨と鑿で青銅器の上に刻されたように感じるんですよね。
つまり、最初のところが細くて、真ん中が太ってて最後は細くなる。
そういった非常に鑿と鏨で書いたような線に感じられて、
それの影響があるかと思ったり、
それで三国時代の六面私印と言い、
これも珍しいものでして、故宮博物院にあるんですけど。
六つの面に全てに印面があり使えて、それを全部捺したものが、
これは漢より後、三国時代の印で本当に線がスターンとなって、
先ほど木部がありましたから、木がもう脚長なんですよ!ものすごく!
そうすると印面の上がものすごく密で下が疎になってますよね。上が白っぽい、下が赤っぽいってことですよね。
中々スタイリッシュに感じて、線が先に行くほど細くなり、先細りしておりますし、
更に少し時代が経ちました西晋の金印がありまして、
それを見ますと懸針篆ですよ!
最初が細く始まるところより、四角にバンと始まって、最後がシュッと抜けているような形でして、
特にこの「成」の頭でそうですけど、
そういった形もあり、もう面白いんですよ! だからピンという感じでちょっと戻ってみますよ。
今見ました懸針篆たちとそっくりですよね。
《説文解字》の古い写本がありますよ!
それは違う書体に書かれてましたよと、
これは更に唐代の李陽冰が校訂して、全部また字形を変えたり、
この文字で書いてある中も校訂するより前の状態の古い姿が分かるということで面白かったと思うんですよね。
それでそこでそもそも《説文解字》というタイトルが気になっちゃったんですよ!
どうしてこういうタイトル「文を説き、字を解く」にしたかですよね。
そう聞いたら「字」は分解しようがあって、
「文」が分解しようがないという感じに取られるんですよね。
だから、先ず「文字」とは、何かをちょっと考えたいということで、
《説文解字》の終わりに付けられた「敍(許敍)」があるんですよね。
許慎さんが書いた自分で書いた、この本はどういうものなのかです。
それを引いてまいったんですけども、
そこを見ますと「蒼頡の初めて書を作り」とありますね。
その時に字を作ろうとした時には、
「蓋し、類に依り形に象る」と書いてありますね。
もしくは「類に依り象形する」と 「故に之を文と謂う」と書いてあるんですけれども。
「其の後に形聲相い益す、即ち之を字と謂う」と書いてありますね。
これを考えてみますと、「文」が最初に出て、その後に「字」ができたと書いてあるんですよね。
だから「文」ができてから、「字」ができたと順序がはっきりと示されている。
もう一つ感じることは、「書」の中に「文」があるんだと!
それでそこから「字」が生まれたとは、「書」の内容が「文」や「字」と読み取れるんですね。
これでこの「類に依り」のところが引っかかっちゃったんですよ私。
「類」とは何だと?!
いきなり「類」という言葉を使い出すから、何を指してるのかさっぱり分かんないんですよ。
これで段玉裁の段註がありますが、(「依類象形」は指事と象形であり、)この「依類」が指事というんですが、
「類に依る」と「指示」という内容が結びつかないんですね。
しかも、それからどうして「指事象形」と書かなかったんだと思うわけですよ。
突っ込みが入っちゃうんですよ。
それで「類」について、少し考え直さなきゃいけないなと思って、
一般的には、この「類」という言葉は、種類の類とか、類似の類とか、類比の類とか、類推の類とか、
まあ、日本語に訳しますと類(たぐい)という意味ですよね。
カテゴリーとか、グループとか、スコープとか、パターンとか、もしくは、タイプとか、そういう意味で「類」という言葉は、
どうもそれらに考えても、「それに依る」とは、どういうことか分かんないですよね。
だから、基本的にこういった文言、古典の漢語で書かれた古文、古典の文章において、
我々が当たり前に使ってる意味で漢字が使われてない事って結構多いんですよ。
そこで少しでも、やはり引っかかるときは、小学生でも知ってる漢字でも、やはりザーッと今この「類」という言葉が、どういう意味で使われたか調べてみたいとしてみたんですよね。
そうすると見つけたんですよね!
《禮記·學記》「知類通達【註】知事義之比也」)という言葉があり、「類を知る」とあるんですね。 これで「通達」、達する。通るという意味ですよね。
更にもう一つ先ほどは《禮記·學記》でしたけど、《禮記·緇衣》「則義不壹,行無類也」という別の篇の所では、
注釈に「類は比式(類謂比式)」とあり、二つを今まとめると、
事理は、理(ことわり)とか、法則とか、ルールという意味があるんじゃないかということで、
もしくは、《禮記·曲禮》「諸侯旣塟見天子曰:類見」のまた別の部分で、やはり註釈の中で「類は象であり似せる(代父受國。類,猶象也)」という意味もあると書かれ、似せるという意味なんですね。
まとめてみると、この文章は、あるガイドラインに則って、
もしくはアナロジカルに形を象ること、
「漢字のユニークさを探究するシリーズ」の第一作でやりましたが、
文字とは、象ろうとしたとき、非常にやはり規則性があるんですよ。
文字の世界に「写像」とよく数学である世界からある世界へマッピングする 時には、実物を文字の世界に投影する時には、
文字の中では、全て形が線的になります!
そしてもしくは部分の強調などをするということ。
ある部分をここと示したりするマークを付けたりするような、
ガイドラインに沿って、しかも、沢山毛があるものは「馬」のしっぽでしたし、「聿(筆)」でも、三本になったりするんですね。
かなり規則性があると!そういうことを言うと感じたんですよね。
まあ、もしくは「似せる」ことを強調して、「象形」だけで良かったところ、「依類」を加えることにより、「似せる」ことを言いたかったかも分からないということですが、
文意からすると、私はガイドラインに沿っての方が、やはり(漢字の象形をする特徴から)しっくりくると、
こういった文章を一つとっても、意外としっかり一つ一つ理解してこうするとすると、
ちょっとでも引っかかることがあると、考え出すと、本当にすごい大変なんですよ!
訓詁学と言いますけど、古い文書をどうしてこう読むかも、
もう色んな経験則でこういう使われ方をしたという事を集めてきたり、
あとは音韻的にいったり、もしくは字型的にいったりして、大変だったということで一つ感じていただけると思うんですけれども。
この「形聲相い益す」も、これも問題があり、
段玉裁はここを「形聲」と「会意」と言うんですよね。
「相い益す」を「会意」に当てるのは、彼の頭の中では、漢字の造字法の「象形」とか、「指事」とか、「会意」とか、「形聲」が予めあり、
それにはめ込んだということで、
やはり元の文章、そのものを読むことの方が大事と思っておりました。
だから、基本的には、「形声でかなり数が増えた」という意味ですよね。
それで取る方が自然と思っておりました。
実は「文者,物象之本」と書いてある部分は、
小徐本、大徐本では抜けていて、段玉裁の註で補われてるんですよ。
それを少し本当か!?と見てみたいと思うんですよ。
こちらが小徐本ですけれども、
「許敍」の部分ですけれども。
こちら、今の文章ですけども。
いきなり、ここのところで「字」が終わった次に「文」とは何たらではなくて、
「字者」から入って、(「文者,物象之本」が)抜けてしまっています!
もう一つ見てみますよ!
この大徐本でもない!
これはどうしてかと思ったわけですよ!?
それで次のこれを見ますと、
こちらの段玉裁さんの註、
今の部分を見ますと、「字」の後に「文者,物象之本」と書いてある!
彼は《春秋左傳·宣公十五年》の《正義》という、
唐代に太宗皇帝の勅命で孔穎達が註釈をした中で《説文解字》のまさにこの部分が引用されていまして、
そこから補ったと書いてあるんですよね!
すごいですよ!本当によく見つけてきたなということで。
そこで一つ思ったんですよね!
この大徐本の宋刊本で見ますと、
ここで伏羲氏ともう本当に伝説的なところから始めて、
次に神農氏がどうこうと言って、
それで黄帝の史官が出てきて、もう本当に中国の歴史というより、物語のような伝承の所から始まり、ずーっと書いてあるんですよ。
ところが、ここから、先ほど見た文章、「倉頡の初めて書を作り」のところから、
いきなりここで「字」に関して、「字」とは「何とか也」と、
「何とかは何とかなり」という文章ですごく違和感があるんですよね!
だから、後の人の註釈、夾注、挟み込んだ注や半分にして書いた、
もしくは、割注といい、半分になった註が、許慎さんが書いたこの本文の中に、竄入、紛れ込んだ可能性あると思っておりまして、
まあ、今となっては、それは確かめようはないんですけれども、
まあ、漢の時代のお墓から、この《説文解字]のものすごい古い形の木簡とか、竹簡でも見つかれば面白いんですけど、
ちょっと期待しているんですけれども、
何か違和感があるということで戻ってみましょう。
ここの二行目のお話でしたけれども、
大体、同じ言葉を「なんたらかんたらは文」と、「なんたらかんたらは字」と書いてあって、
今度は主語と述語をひっ繰り返しまして、
「文」「字」「書」を主語にして色々と書いてあったりして、
そこに註釈らしい説明がありますね。
読んでみますと、「文とは物を象るときの本」と書いてある!
それで「字は,孳乳して、寖(ようや)く多きを言うなり」、
もしくはこの「寖多(しんた)」という言葉で一つの熟語で、
まあ、今の中国語でも、「寖多(jìn duō)」と言いますけど、
どんどん増えるという意味で、「孳乳(じにゅう)」という言葉に関しても、
この「寖多(しんた)」という言葉に関しても、両方とも子孫が増えるように文字が増殖したと捉えられるんですね。
そして、この「孳乳(じにゅう)」という言葉は、
ある字形が繁化されていくという、要するに部品をくっつけることで画数が増えて、部品が増えるということをいう、
文字学のターム、専門用語としても、「孳乳(じにゅう)」とという言葉を使うんですよ。
今言ったのは、別の解釈になっちゃうんですよね。
文字自身が増えたか、文字内部に部品が増えたか、
そういった形で、一般的には、普通にこの文書を言えば、増えたという言葉を二つ並べているけれども、
そう増えた事だけにこの「孳乳」と言うことは、
前回にいたしましたのが、「孳乳表」がありましたよね。
ある文字にいっぱい部品をつけていくと、どんどん文字の系列ができると考えた方がいいたということ、
それで字根から増えていくということもありますけれども、
そういう発想で捉えることは、確かに可能です。
そうすれば、別々に、むしろ、ここでそういった字自体が合成されていって、どんどん字数は増えるわけですから、それで増えたと言っているというのは、
「而して」だからそうとも捉えられて、これは結構、合理的な解釈じゃないかなと思いました。
次のところに「竹帛において著される諸の書,書は如なり」とありますが、
「著す」という言葉ですね。「竹帛」もやりましたね!当時は当時は竹簡と帛書(絹の布)に書きましたが、
これでこの「諸」は、総体という意味がありますよね。
「諸」という、また、「諸」がきて、
しかも「書が如なり」と、これものすごく気になることでして、
先ほどの「字」とこちらの「孳」もそうなんですし、同じ発音で書いてある!
そしてこの「著」も、この「諸」もそう、この「書」もそう、「書は如なり」は似ている!
特にこの注釈で「何とかは何とかなり」と、ここに書いてあるような、似た発音で解釈をすることは、声訓というんですけど、
声で訓ずると感じてるんですよ。
そして、この「敍」もそうだったんですけれども、
実はこの敍文の「敍」も、順序の「序」と書きまして、
「序文」というとprefaceと言いますが、
まあ、先ほど段玉裁の註でも述べられ、彼はこの「敍」を使いましたが、
実はこの「敍」は、彼(許慎さん)が書いたものは、一番最初にないんですよ!
ズラッと字書で字を羅列した最後の所についているんですよ!
よくこれは当時ありまして、後書き(postscript)みたいですから、
序論の「序」ではなく、叙述する「敍」にしてあるんですよね。
基本的には両方正しいんですけれども、
「蘭亭序」はよく叙述の「敍」か、順序の「序」かという論争がありますが、
意外と漢字の使い方は結構、自由だったですけれども、
まあ、でも元代の韻書、黄公紹《韻會》「敘,通作序」には、この「敍」は、通作では「序」、要するに序論や順序の「序」は通りて作るとあり、
それで《爾雅·釋詁》「舒,業,順,敘,緒也」の中でも、この「敍」は不思議な事に今これとまた結びついてきたりしますが、
「緒」と同じ意味だよと!しかも、両方とも「如」とか、「書」とか、非常に似ている発音があり、
一つの文章の要旨、要するにabstructだと、
何がこの本の中で言いたいかを要約して書いたことだと、
まあ一般的には、結構に意外とこちらの「敍」の方がよく古いじゃないとか言われていまして、
あるいは、もう一つ(《正字通》「凡書策,舉其綱要。列卷首爲敍,或作序」では、)序文、序論、順序の「序」*ljaʔ, *[sə.l]aʔを使うともありますが、
まあ、こっちでいいかと、私は「敘」「緒」*ljaʔ, *s-m-taʔを選びました。
漢字の使い方は意外と自由だったんですね。昔は本当にそれで段々固定されてきたということでありますけれども。
これ「著」「諸」を見ると同じ部品を持ってます!
かつ、もう一つ申し上げなければいけないことは、
この「書」という字は、実は前にやりました「聿」に「者」という字が付いてるんですが、
全部、諧声系列でよく出てきましたけど、
同じこの「者」という字が(声符として)入ってる形で全部書いてありまして、
発音が似ているものは、結構(語源的に)関係があったりして(「著」*taɡ, daɡ, *tak, m-tak、「諸」*tjaː, tja, *ta、「書(聿+者)」*hlja, *s-ta、「如」*nja, njas, *na)、
この「字は孳乳」の「孳」と来ている!これすごく気になりまして!
特に今、「文字」を考えていますから、
声訓という話が出てきましたけれども。
この「字」*zlɯs, *mə-dzə(ʔ)-sと「孳」*ʔsɯ, zɯs, *[tsə], [N-tsə-s]、「字は孳乳」が気になるわけですよ!本当に!
しかも、今言ったこと同じ事、これとこれには全ての部品が入っている。
この字にも、この字にも、「子」という同じ部品が入っていて、気になってしょうがないということで、
我々は今「文字」を見てますから、
もう、この「字」と「孳」を掘り下げてみようと行ってみましょう。
先ず「文字」という言葉は、意外と新しいんですよ!
初出は《史記·秦始皇本紀》、秦の始皇帝について書いた部分で、 瑯邪台刻石は、よく書をする人には有名で、秦の時代の小篆で泰山刻石と瑯邪台刻石が二つ残され、
もう結構な数は減ってしまいましたが、どんどん風化してしまったりして、
それでその中である文章「一法度衡石丈尺、車同軌,書同文字」で、ちゃんと《史記·秦始皇本紀》の中にも引用されて、文章としてはちゃんと伝わってまして、
秦の始皇帝が文字を統一したという話をずっとしてきましたよね。
そのことが文献上に実際に書いてある部分でそ、れも大事だからちょうど今回ここで話ができるいい機会ですよね。
そこでは、度量衡を先ず単位を統一した。
それで車の轍、車輪の幅を統一したとか、
中国を統一して、そして「書は文字を同じく」と書いてあるんですよね。
「書同文字」と書いてある。
そして、それは実はもう先ほどがいっぱい出てきています《禮記·中庸》「今天下車同軌,書同文,行同倫」の中でも、
これは似たような文章が出てるんですよ!本当に!
だから、そこを意識して、この文章を書かれていると分かるんですけれども、なぞってるんですよ!
そこでその中では「書同文」とあり、「字」は書いてないんですよ!
まあ、意味としては同じですが、ちょっと調べてみたら、
《六韜·龍韜·五音》「古者,三皇之世,虛無之情以制剛彊。無有文字,皆由五行。五行之道,天地自然」は兵法書ですけれども、
昔の時代には文字がなかったと「文字」という言葉が出てくるんです!
ですけど、この《六韜》は結構問題があって、
成立が秦と漢ぐらいということで、
まあ、一応、銀雀山漢簡の中では出てたりするんですけど、
少なくとも、古い文献は二つがあるということでした。
そこで思いました!それでは秦以降に「文字」といわれた概念は、それ以前(戦国時代)に何と言ってたのか、
ちょっと考えてみたいなと思って、
《儀禮·聘禮》「不及百名書于方」の中には、「名書」と出てくる。名前の「名」と「書」で、
注釈「註:名書,文也,今謂之字。疏:名者,卽今之文字也」の中では、「文」だと書かれていて、「今は之を字」というと書いてあるん ですよね!
おお!なるほど、これで「疏(そ)」も更についていて、
「名」は即ち、今の文字と書いてあるから、ああ!なるほどと分かります。
《周禮·秋官·大行人》「諭書名」の中では、
「書名」が出てきて、その註釈「註:書名,書之字也,古曰名」を見ると、
「書名」とは「書の字」であると、
それで「古くは名」といったと実際に言っているんですね。
だから、その「字」は今、新しい言い方、「名」は古い言い方と出てくる。
そうすると今のを全部まとめると、「文」「書」「名」「字」は、全て関係がある文字と分かるんですね。
意味的につながりがある一つのグループをなしていて、
大切なことは、《説文解字》の敍で書かれた「文字」のような、「文」と「字」で使い分けがないですよ。
どちらかといえば、「名」と「文」は古い言い方で「字」は新しい言い方で意味的な違いはなかったと考えられる。
そこでその差がどこで現れたかを考えると、やはり《説文解字》の許敍でテクニカルタームとして、文字を考えていく世界において、「文」と「字」は異なる概念であると、そこで宣言した、定義した、固定をしたと考えられ、
「字」という言葉が、「文字」としての意味として、新しい概念だったからこそ、
昔から言われてきた「文」という言葉との違いを持たせて、「字」に特別な意味を与えることができたと考えられるんですよね。
そこで「文字」について、「文」と「字」について、もともと意味は何かと気になっちゃったわけでして、
我々、今「文字」を見ているわけですから、調べてみたんですよ!
そうしたら、ここに四行がありますけど、
先ず、後漢の劉熙さんが書いた《釋名·釋言語》を見てみましたら、
まあ、面白いのは、この「言語」という言葉が、結構古くて、これはもう《易·頤》「君子以慎言語」にあるんですね!
「君子は以て言語を慎み」とあるから、喋る意味で使われ同じで、よく出てきます《禮記·少儀》「毋身質言語」の中でも、
「言語を質す」とあるから、やはり、この「言語」は古い(言葉)と分かる!
これで実際人がしゃべる言葉として使っていると分かりました!
それを見ますと、ここのところでいきなりパンパンときて、
「文は、衆綵を會集して、以て錦繡を成し」ということでして、
だから、結局「文」とは、その色々な彩を集め、錦や刺繍されたものが成ること、
どうも、これは織物に関係して、
まあ、文彩とか、あと「言葉の彩」という言い方をよくしますけれども、
昔から関連づけられたことが分かるんですね。
ここで面白い同じような対句で出来るんですけれども、
今度は「衆字を會集して、以て辭義を成す」と書いてあるんですよ!
ということは、この字を沢山集めてきて意味をなすということですね。
この言葉の意味と分かって、
「如文繡然也(文繍の如く然るなり)」だから、文は字が集まりまるで織物みたいだということですね。
この場合の「文」はやはり文章の「文」だと考えられる!
何故かというと「字」が集まってできていると言ってるから。
それで更にそこに言語的な意味を伴うと言っていますよね。
だから、文字はただ形だけじゃなく、意味があり、「字」の一つで今でいう「文字」を表していて、
それでこっちの「文」は「文章」を表していると考えられて、
そうした文字が集まることで意味を伴っていくことを織物に合わせて説明して、
ちなみにテキストという言葉がありますよね。
ラテン語「テキスト(textus)」という言葉は、「テクスチャー(texture)」という言葉がありますが、
ラテン語で「織る(texō)」は織るという意味ですよね。だから、面白い!基本的に織物とか、書かれた物を非常に同じく考えている!
四書五経の「經」もありますけど、「經」も縦糸という意味だから、
結構、織物と文を関係があると、
しかも、面白いことに《方言·第十三》の中では「文」が「純」だと言ってる!
これも織り物という意味であったり、服という意味がある。
そして《説文》の中では、「純」を「絲」だと言っている。
それでかつ《爾雅》の中では「純」は「緣」と言っている!
ということで、何か織り物と関係させている「文」ですけれども、
更に《廣雅‧釋詁》の中では、「文」と「字」と「飾」が全部、これ「飾」だから、
要するに「模様」という意味ですよね。
先ほどありました「彩」という、これもこちらを見ますと、「飾」とか、「模様」という意味ですよね。
だから、それらの関係があると当時の人たちは考えました(更に《儀禮·士冠禮》「服纁裳純衣。【註】純衣、緣衣也」、《旣夕》緇純。【註】飾衣曰純」《曲禮》「冠衣不純素【註】純、緣也」とあります。)!
ところが、「文」の語源は何か、遂に特定しましたということで披露したいと思います(今までは、Axel Schussler (2007). ABC Etymological Dictionary of Old Chineseは、「煤」*mɯː, *mˤəに名詞化の接尾辞 *-nとして、「墨」*mlɯːɡ, *C.mˤəkや「黑」*hmlɯːɡ, *m̥ˤək < 漢蔵 *s-ma(ŋ/k)に関わるとされてきました。)
この「文」の上古漢語は*mɯn, *mə[n] で、それはもしかしたら、私は思ったんですよ!
どうも、漢蔵祖語*r/s-mya-nから来てんじゃないかということでして。
じゃあ、この漢蔵祖語*r/s-mya-nは何を意味したかというと、
どうも皮膚の上にできる腫れ物とか、瘤とか、黒子とか、痣とか、はっきりした模様ですね。
そういったものと思ったんですよ。
というのは、《説文解字》においては「文」という字は、
今度はここでは「錯畫」、刻みつけた絵だと書いてあるんですけれども、
文字学者は今は、この言葉「錯畫」で説明されている内容ではなくて、入れ墨(文身)の形を「文」という、
今度は字形の由来、字源は入れ墨(文身)じゃないかと風に考えているんですよ。
非常に面白いことがあり、その中で大体、チベット語སྨེ་བ, sme baも、ビルマ語မှဲ့, hmaiも、タニ祖語*m̥eja、タマン語¹men po、カレン祖語*hmaiでも、そうですけれども。
このナシ語mɯ³³だけは、scar(傷跡)という意味であり、こっちはに関しては、もしかしたら、もう一つ漢蔵祖語で提案でき、「傷」*r-ma-tじゃないか、特にその語根は*maの部分と、以前の否定辞のところで登場しているんです。実はこのお話!
それでこのナシ語だけは、少し微妙なところはあるんですけども、
後の他は皮膚の上にできた模様という意味を持ってるんですよ。
だから、実際に面白いことがあって、
文字学上で疑義がある字源などの問題を言語の方から、
元々の語源はこうだったことと、それを象ったその形を対応付けたわけですから、
それがまあ本義としては一致しなければおかしいですよね!
ということで、文字を象形した元のその言葉の方から来ましたけど、今度、文字の方をちょっと見てみたいと思うんですよ。
それでこれを見ますと、
この「文」という字が、人の体の上にスポットがちゃんと書いてあったり、
あとはこれを心臓のマーク「心」があったり、
スポットがあったりして、
ここにもありますね、
これもマークということで、
これもそうした感じで「文身」という言葉がありますから、
それは入れ墨という意味を持ってるんですけども、
「文」という言葉自体が、「文(かたど)る」という意味があるから、
「身体の表面を文(かたど)る」という言葉で表現しただけかもしれないですが、
だから、それをこの字形と合わせて、文身が元というより、
更に体の表面にある特徴的な文様を意味したかもしれないです。
もう一つ「文様」という意味もありますから。
今その2つが有力だと言われているけれども。
そうすると先に言った漢蔵祖語で私はこうじゃないかと出してきました*r/s-mya-nの*mya-nの部分の意味と結構合いますね!
どちらも含んでいる感じがして面白いと思って、
こういった語源の方から、今度は字源の方に行ってみたりして、
一番、最初の人は何を象ったかを見ていけると思って、
ちょっと戻ってみたいと思うんですけども。
「文」の語源は、これじゃないかと一つの提案がなされましたけれども。
今度は我々が見てまいりました。この「字」。
何でこの「字」が、文字の「字」になったのか!?
WHY!?と思ってしまったんですよ!
何でなんだと!?
元々はここに書いてある通り、《釋名·釋言語》「慈,字也。字,愛物也。」の少し後に出て参って、
ここにある「慈」「字」なりと、これもやはり同じ音を持っています!
それで「字」は「愛物」なりということで、
「字」という言葉は元々「愛する」という言葉と関係ある!びっくりですよね!
しかも、《説文解字》ではこれは「乳」ですよね。
これは子供を育てるとか、そういう意味ですよね。
《廣雅‧釋詁》の中では、ここ見ると、やっぱり「乳」とか、「生」とか、そういった子供と関係している「育」とか、
そういった言葉と同じ意味のグループをなしている!
それで私は漢蔵祖語を考える。これは、結局「字」の上古漢語はBaxter-Sagartの再構 *mə-dzə(ʔ)-sですよ!
この言葉はどこから来たのか、実は漢蔵祖語*m-dza-kの意味は「愛する」という意味なんですよ!
漢蔵祖語でウァーオと完全に一致して、《釋名》はここに書いてあることで一致してますよ!本当にびっくりしちゃった!
《釋名》はきちんと語源を当てるじゃないかと!
しかも、すごいことにこの「字」の上古漢語*zlɯs, *mə-dzə(ʔ)-sの最初の形態論的には漢蔵祖語*m-dza-kと接頭辞*m-がちゃんと当たってますよね!
それでしかも間のdz の子音も完全に対応しているので、
上古漢語*-sと漢蔵祖語*-kですけれども、*-s suffix、この接尾辞はやっぱり一致してて、
この漢蔵祖語の*-kは、上古漢語におけるこの*-s と(同じ機能、動詞↔名詞や方向の転換があり、)関係があるんじゃないかと思ったんですよ。
とんでもないことがあり、「子」という字の部品を持っていて、
子供と関係すると、
子供の「子」はこのBaxter-Sagartの再構では*tsəʔですけど、
これはまた別の漢蔵祖語*tsa-nが提案されて、
この*tsa-nは子供という意味ですよ!
そこでチベット語བཙའ, btsaとビルマ語သား, sa:にも両方とも、先ほどもあり、はっきり分かれている言葉ですが、
更に遡った漢蔵祖語から見ると、この*tsa ⪤ *zaの部分が*dzaと更に上に行くと同語源かは分かりません。
でも、こちらは*zaがありますから、やはり似ていて(そのとき*d/t- + 語根*zaと分析され、)元々の漢蔵祖語のレベルで既に関係あった言葉かもしれません。
これは印欧祖語にもあり、印欧祖語でも、もう既にその時点で、もう、他の意味が近い意味が派生していたということがあるんですよ!
そういう現象がありますから、更に古いレベルで一緒であるかもしれないけれども、
はっきり分けても語源がりまして、それを見ますと、
この子供の「子」*ʔslɯʔ, *tsəʔは、増えるとか、養うとか、 これ「滋」*ʔsɯ, *[ts]əはそうで、「孳」*ʔsɯ, zɯs, *[tsə], [N-tsə-s]も増えるという意味を持っていますが、
これもよく見ると、「子」*ʔslɯʔ, *tsəʔから見ると声門破裂音(glottal stop)*-ʔが最後抜けてるんですよね!
もう一回こっちを見ると、我々がずーっと見てきた。この「孳」*ʔsɯ, zɯs, *[tsə], [N-tsə-s]を今は見ていましたが、
これも、「滋」*ʔsɯ, *[ts]əと同じ、「慈」*zɯ, *[N-ts]ə と「子」は同じ、
もしくは最初に*N-がついて、最後に*-s がついてる。
これはじゃあ何の形態素かと言ったら、
これから、これに行くのは、
結局は *-sを付けるのは、動詞化だと!
動詞にさせて、子供を産むとか、そうした動詞化をさせて、
それでかつこの *N-が状態動詞化されるんですよね。
そうすると「孳」は自然に子どもが増えていく意味の自動詞になるじゃないかということで、増えるという意味は導けましたね。
また、語根から形態論的に導けた!
それでかつ驚いたことに、この「子」と「孳」は漢蔵祖語の段階でも、語源が全く違いますが、
全部音は似ていますが、本当にこれらはかなりつながってきました。
ここで先ほどの「乳」という概念と「育」と「子」もつながってきています!
そこで考えるんですよ。そもそもこの「字」という文字は、どうして文字とか、もしくはそれで書かれた言葉という意味になったのかどうか。
先ず一つこの「字」について考えるとき、
この「字」について、一つ考えるのは 、
子音dzがあり、仮借をしたかということで、
もう一個見つけてきて、漢蔵祖語*r-dzasがありまして、
これは「ことごと」という意味を持ち、チベット語རྫས, rdzas、ビルマ語စာ, caですけれども。
それと関係があるかなと思ったり、
そうすると、確かにこの「辭」「詞」*ljɯ, *sə.ləでつながるかと、
もう一つ、まあちょっと提案しておきたいこともありましたり、
まあ、それはどちらかと言ったら、
歴史や史官の「史」*srɯʔ, *s-rəʔがありますが、
それとも関係があったり、官吏の「吏」*rɯs, *[r]əʔ-sですけれども。
もしくは、「使」*srɯʔ, *s-rəʔとか、
あとは仕事の「事」*zrɯs, *[m-s-]rəʔ-s、仕事の「仕」*zrɯʔ, *[m-s-]rəʔもそうだ!
また、理事の「理」*rɯʔ, *m(ə).rəʔ、理事という言葉もあるくらいですから。
ということで、それらの言葉とも同根とも考えられたりしますけれども、
そっちからいくのか、もしくは違うルートから行ってみようと!
少しその「字」という文字が、殷周戦国時代に使われたのか、ちょっと見てみたいと思って、
こちらですけれども、この「字」という字が、
実はこれは「文字」という意味の「字」ではないというのは明らかですね。
私がずっと言っていますよね。それは後に生じた意味だから!
当時の人はその意味で使ってない!
では、どうやって使ってたのか、ちょっと見てみたいと思いますが、
ところで郭店楚簡《六德》第二十六簡の中である、この字は「字」に見えるんですよ。
ところがこの字は「字」ではないんですよ。
本当に大事なことでして、 《戦国文字編(修訂本)》の中では、「字」の中に入れられていましたが、
私は必ずそういった時に、全て用例「袒免,為宗族也」を見ます。
そうすると、これは「免」という字で使われていると分かるんですよ。
私はきちんとこうしたどの中で使われているか(調べます)!
この文字が、ここで使われてますよね!
それを見ると、「袒免」が冠をかぶるという意味「袒衣免冠」ですね。
「字」ではなくて「免」ですから、これは違う別の字と落とすんですけれども。
そこでこの「字」は、元々どんな意味だったかに入っていきたいと思いますが、
当時この殷の時代には、この干支が結構名前に多くて、
これ「父」でここにありますけれども。 人の名前の前に冠されている。
これ「字」が付いています!
そして、この金文の中では、
西周晩期の善夫梁其簋(《殷周金文集成》4149)の中では、
子供の「子」として使われて、ここが出てきますが、
これ最後に金文の最後の定型句でよく、もう「子孫たちよ、この青銅器を大事にしなさい」と書くんです。
その中で「百字(子)千孫」だから、明らかに子孫という言葉はありますから、我々の「子孫」の「子」です。
これ「子孫」、これ「子」に「糸」がついて、どんどん繁殖していく意味で、先の「孳」という字もありますけど。
それでどんどんつながっていくという意味だから、
子孫の「孫」です。
こっちは子どもになっている。「子々孫々」で、こっちは家冠「宀」がついてる!
これはどうしてかと考えたんですよね!
やはり「字」とは、先ほど見たように子供とつながってましたよね。
かなり近い概念であったと見たとき、
この屋根「宀」が付いているのは、意符ですよね!
そう考えれば、「字」*zlɯs, *mə-dzə(ʔ)-sは形声文字になりますから、
この屋根の部分が意符、「子」*ʔslɯʔ, *tsəʔの部分が声符!
もともと子どもだけでいいのに、屋根がついている!どうしてだ!?
これは家族とか、宗族、家という意味を持っていて、この家冠「宀」は家の意符ですからということで付けたんじゃないかと。
かつ、こちらも、そうでしたけれども、
その人の名前のところに付いている「字」でどちらかといったら、殷代の貴族の人名には、「子~」と付いているんですよ。
これはものすごい大量の甲骨金文にもよく出てくる沢山例がありますが(《甲骨文合集》32780「壬寅貞:子漁亡𡆥」、《殷周金文集成》5542「子漁」などなど)、
今はこれ一つに代表させてますよね。
この屋根の冠「宀」がない形の「子」がいっぱい出てきます!
「子某」でしかも、人の名前、干支みたいな形や固有名詞の名前、もしくは「父」という形で付いた形など、沢山出てくるんですよ。
これは「子」はやっぱり誰から生まれたとかいう意味で、
例えば、よく外国でもありますよね。
メンデルスゾーン(Mendelssohn)とか、子供(sohn)ですね。英語で子(son)ですよね!
あと、エリクセン(Eriksen)とか、エリクソン(Erikson)とか(sohn、sen、sonは子でゲルマン祖語*sunuz、究極では印欧祖語*suHnúsにいきます)、
それから、マクドナルド(McDonalds)とか、マッカーサー(MacArthur)とか、Mc, Macと付くのも、ケルト語 *makʷosで子供という意味ですよね(印欧祖語*meh₂ḱ-まで遡り、育てるという意味です)。
それとか、今度はロシア人でショスタコーヴィチ(Шостакович, Shostakovich)のvichもそうですが、これ-ович, -ovičも「~の子供」ですよね(こちらは接尾辞 -овと-ичが二重に合成された形で属格に由来して「~の」に由来します)。
更にセム系の言葉でいけば、アラビア語では、イブン=シーナ(ابن سینا, ibn-Sina)とか、イブン=バットゥッタ(بن بطوطة, ibn-Battuta)とか、
そして、ヘブライ語で「ベン=~」とか、ベン=イェフダとか、子供という意味ですよね(اِبْن, ibn、בֵּן, bēnはセム祖語*bin-に行き、アッカド語𒉿𒉡, bīnu、アラム語 ܒܪܐ, bərā、フェニキア語 𐤁𐤉𐤍, byn、ウガリット語𐎁𐎐, bnも同根です)。
ですから、アラビア人の名前はものすごく長くて、イブン=~、イブン=~、イブン=~、イブン=~と、自分の先祖の名前をずっと名前の中に並べるから、
ものすごく名前が長く、
それである時に家族のその一族の名字みたいな形になることもあるんですよね。
さっき言ったメンデルスゾーン(Mendelssohn)とショスタコーヴィチ(Шостакович, Shostakovich)もそうです。
まあ、エリクソン(Erikson)とか、エリクセン(Eriksen)もそうですけれども、
スタインウェイ&サーンズ(Steinway & Sons)みたいな感じですよ!
本当にだからやはり家の関係があるんじゃないかと非常にその発想が似ているということで、
この「字」の上に付いた屋根の冠「宀」は、家じゃないかと分かってきて、
もしかしたら、ここから今つながってくるのは、名前という「名」がありましたね。
先ほどこれも「字」という同じようによく「名字」という言い方しますが、「名」と「字」は対になる概念ですよね。
つまり、「名」は本名で「字」は字(あざな)という意味で中国人の伝統的な名前の付け方でして、
それとかあと「子」でもう一つ考えられるのは、
これはSirみたいな敬称とか、「子曰」とかいう(また、「老子」「荘子」「孔子」「墨子」「孫子」「管子」など、)これは敬称ですよね。
(話を戻しまして、)「字」にしても、「子」が付く「字」が結構多いんですよ!
例えば、杜甫の字は「子美」で本名は「甫」ですよね。
「杜」さんは、名は「甫」、字は「子美」ということですね。
やはり《禮記·檀弓》「幼名,冠字[疏:始生三月而加名,故去幼名;年二十,有爲人父之道,朋友等類不可復呼其名,故冠頂加字]」がまた出てきちゃうと、
だから、幼い時に名前がついて、名がついて、
二十歳になると、「字」が付く、
そして、また別の所《禮記·曲禮上》「男子二十,冠而字」「女子許嫁,笄而字」では、男性も冠をつけると「字」、要するに元服みたいな形で成人すると「字」が付いて、
女性は結婚すると簪がついて、「字」が付くと書いてあり、
そういうことで、やはり「名」と「字」は近い!
だから、「名」と「字」がやはりつながってくるんですよ!
今度は「名」の方を考えていくと、「名」とは基本的には、面白いことに具体的な名前、人の名前なりから抽象化されて、
言語の概念と意味になり、名辞とかの「名」ですよね。
それ「名辞」はかなり抽象概念で、ちょっと戻ってみたいと思うんですけども、
ここにあります「名」がありまして、
これは*meŋ, *C.meŋなんですけど、
これの語源を考えると、漢蔵祖語*r-mi(ŋ/n)でして、この意味は名前という意味なんですよ!本当に!まさに!
それでチベット語མིང, ming、ビルマ語အမည်, a.many、タニ祖語*mɯn ~ mrɯŋ、(クキ=チン祖語 *min ⪤ hmin、ナガ祖語 *a-miŋ、)タンクル祖語 *miŋ、タマン祖語 *ᴬʰmin 、カレン祖語 *minᴬでは、皆、名前という意味ですけれども、
特に注目したチベット語མིང, mingでこれ本当に同じですよ!
それでこれはやはり人の名前や物の名前から、
要するに言葉とか、そういうより抽象概念的な意味での「名」という概念持ってるんですよ!
つまり、漢語と同じ、もっともっと抽象化された概念という意味になった!
そこで思い出されるのは、
諸子百家で名家、「名」は論理であり、例えば、言葉そのものを分析して考えた人たちですよ。
一番有名なのが、《公孫龍子》でその「名実論」の中にはいきなり「夫名,實謂也(それ名とは實の謂いなり)」と、
この「名」はかなり抽象概念化された意味でして、言葉とか概念って意味なんですよ!
「名」はある概念、「実」とは、実物や事柄を表して言っているこですよ。
相当これは抽象概念で哲学用語のように使っているんですよ!
言語哲学は彼(公孫龍)がやりまして、鄧析や恵施という人もいて、
結構、先秦時代は、諸子百家の中でも、名家がそれから下火になりましたが、
これでかろうじて今言った《公孫龍子》が残されていますが、
まあ、それをあまり喋りすぎていけないですが、
許慎さんも実は公孫龍の学説を知っていたことが分かるんですよ!
私、思い出しちゃった《淮南子》の中に許註と言って、実は許慎さんは《説文解字》を書いた学者として有名ですけども、
彼は結構、古文学者ですから、色んな古い文章に注釈を加えていまして、
その中に「公孫龍,趙人。好分析詭異之言,以白馬不得合為一物,離而為二也」、公孫龍は趙の人だとか書いてあるから、はっきりと知っていたと分かるんですけれども、
まあ、今言っていました古文学者がしました訓詁学、訓詁、古い言葉は何を意味したのか、
概念が何を指してるのか研究した「名物」という分野があるんですよね。
それは「名物」とは意味が違いますけども。
「名」と「物」を並べていて、「名実論」と言いましたが、「物」は「実」と殆ど意味としては似てまして、具体的な「実物」という言い方がありますから、
「実物」とそれに与えられた「名称」が実際は何に対応したのかと、
この言葉の意味が何なのかという意味ですが、
《爾雅》とか、《釋名》とか、今ここに出てますよね。我々が引いている、これらは、そういう書物なんですよ。
実際この言葉は、何を意味しているのかという。
それでその中でやはり《釋名》の「名」もこれは本当にそういう意味ですよ!
今つながってきた中では、「文」「書」「名」「字」が、全部一緒になってきたんです。
しかも、ここで驚いちゃったことに、ここで私がみましたよね。
先の「文」*mɯn, *mə[n]は漢蔵祖語*r/s-mya-nの部分、*mya-nから来ていたんじゃないかと!
それで名前の方は、今度は「名」*meŋ, *C.meŋの方は、漢蔵祖語*r-mi(ŋ/n)で*miŋの語根から行ったと!
すごい似ているんですよね!漢蔵祖語の段階でも、非常に二つの言葉は、
こちらは一緒だと考えにくい。何故なら*r/s-mya-nから*r-mi(ŋ/n)に行くのは考えにくい。こっち*r-mi(ŋ/n)は名前という意味でして、こっち*r/s-mya-nはさっき言ったような体の表面、皮膚にあった痣などの意味ですから、
これは二つは同語源だった可能性低い!
かなり全然違う概念ですから、たまたま子音の配列が似てるだけだと、
言葉は発音が似ているだけだと思っておりましたけれども、
(漢語族内で)どうもこの「文」*mɯn, *mə[n]の中には、
文字というだけでなくて、言語という意味もあるんですね。
「文言」とか、あと、中国語では、中国語を「中文」と言います。また、日本語を「日文」といったり、
「文」には言語という意味もあり、「文人」も言語などに長けた(「文才」)という意味があったりして、
それでどうもこちらの語源*r-mi(ŋ/n)もこっち「文」*mɯn, *mə[n]にも入り込んでいる可能性も否定できないということがあったり、
あとは金偏を意符として付けた「銘文」と言いますよね。
先ほど見ました金文を銘文と言いますよね。 金属に鋳込まれた文字も「銘」*meːŋ, *mˤeŋですが、「名」*meŋ, *C.meŋに声門音glottal「ˤ」が入りますが、
「銘」*meːŋ, *mˤeŋは、やはり「名前」というより、「文字」を意味してるかと。
そのことから、これらは似ていて、混ざり合っているような感じでして、
もう、漢語の中に入っちゃった中で非常に音が近かったということもあり、
思った以上に非常に複雑じゃないかと思いました。
とにかく、でも、近い概念であることを言ってこれましたね。
これでこの「字」は、この言葉という意味の方の「辞」「詞」*ljɯ, *sə.ləと関係あると考えられていますが、
こっちの方をちょっと調べたら、一つ面白いことがあるんですけど、
「以」*lɯʔ, *ləʔとか、「似」*ljɯʔ, *sə.ləʔという言葉と関係があるじゃないかと、 私は思ったんですね。
実際、これ殆ど発音も一緒なんですよ!
*-ʔが最後に付いているだけという感じで一緒で語源は漢蔵祖語*la-kから来ていて、
*laは、結局取るとか、引きつけるなどの意味で「似」という意味もありまして、
そういったところから、「似せて」から、「言葉」に行った可能性はあるか、もしくは別の語源がこちらには考えられるかでありますが、
じゃあ、この言葉「辭」「詞」*ljɯ, *sə.ləと「似る」が関係しちゃうのかと、
一つ面白いことをちょっと見てみたいと思うんですよ。
この「辭(𤔲)」*ljɯ, *sə.lə、「詞(𧥝、䛐)」*ljɯ, *sə.lə、「嗣(孠)」*ljɯs, *sə.lə-sがありますね。
これを見たときに字形を分解してみますと、この字はこうした形でも書いてあった。
一番この中で面白かったことは、先ほど実は出しておいたんですけど、
《汗簡》 、《古文四聲韻》、《集篆古文韻海》など、宋代の古文の字書があり、
それで一つ面白いのが、この「台」*lɯ, *ləに「司」*slɯ, *s-ləが付いてる形、
これ、この部分は「以」*lɯ, *ləで先ほどのつながってきましたということですが、
これが分からなかった《新金文編》では別のところに書いてありましたが、
私は宋代の古文の字書を見た時にこれあるんですよ!
実際にかなり訛って壊れているんですけど、ここと、ここに、本当に!
だから、この文字はここに実際あるから、「詞」とちゃんと結びつくとある!
結構、字形は壊れていても、金文を解釈するとき、ヒントになりまして面白く、
これは言葉という字とつながり、「以」とつながり、本当に驚くことに部分、実はこれが「以」ですよ!
それでこの「以」の音も非常に似ており、最後に*-sが付き、こちらもそうですが、
それで今度は思った以上に複雑でして、
「辭(𤔲)」*ljɯ, *sə.ləも「言葉」でして、辞書の「辞」ですから、
これは元々は糸を切ったり断っている形で面白いことに、この部分の「司」*slɯ, *s-ləの部分が、この音で声符となる形でして、
基本的に最初はこんな形だったんですよね。
また違う部品を持っていましたが、途中で「司」*slɯ, *s-ləを声符に変え、この音は同じで、
それで見ていくと、この文字の中においても、ここの部分にも入ってるんですけども。
ここがこれで見ると、こっちのこの部分「以(台)」*lɯ, *ləも、こっちのこれ「司」*slɯ, *s-ləもどうも声符ぽいんですよね!
両方近い「以(台)」*lɯ, *ləと「司」*slɯ, *s-ləは(両方が声符として機能する両声字です)!ですから、戦国時代(の文字)はめちゃめちゃなんです!
もう二つこれで音符(声符)があり、ここは「口」でしょう。
「口」に関係してる言葉に関係するための意符じゃないか(もしくは別の字と区別するための飾符)で非常にこちらの意符は「言」になってますよね。
ここも「言」でこっちが結構訛り、こんな形になってると分かり、
ということで、かなりこれらを見ていくと、全部言葉という意味あるし、
こっちは「嗣(孠)」*ljɯs, *sə.lə-s という意味がありますね。
しかも、ここに竹簡が束ねられた「冊」があり、この「嗣」もそうでして、
しかも、「子」になっちゃってる「孠」もある!上の「司」があり、下が「子」になり、この中でも結構あるんですよ!これ殆ど対応してよく似ている(殷代の戍嗣子鼎《殷周金文集成》2708では「嗣」と「子」が合成された合文もあります)。
ここにも「詞(𧥝、䛐)」という「言」になったバージョンがありますよ。
本当に上が「以」になっていることで、この部分が異なっているなど、本当に対応してますよという感じで見ていくと、
これらは音も殆ど近くて、 本当に似ています!
「嗣(孠)」*ljɯs, *sə.lə-sに関して言うと、「嗣ぐ」とは、この冊命という、この簡牘に書いた命令文を読んで任命するような儀式が西周にあり、
「冊」を読んでいる。 これで「司」*slɯ, *s-ləは声符と解釈でき、
その様を象るとされており、「嗣ぐ」という意味になり、
相手に任命するから「嗣ぐ」、しかもこれが「子」となるものは、今度こちらも関係してきて、
先ほど、「子孫」の孫でも、こういった「糸」に「子」が付いていて、「孳(𢀐、𡥝)」*ʔsɯ, zɯs, *[tsə], [N-tsə-s]について、「子(𢀇)」で下に「糸」ですが、
元々この「子」という字が、殷の時代に実はこういう形「𢀇」だった。
それでもう一個あった「子」の形とはっきり区別されていて、「𢀇」はどっちかというと、干支の「子丑寅」の「子(𢀇)」として使われたんですけど、
それでこちらの「子」はどちらかといえば、人名の最初に付く形で使われて区別されていて、後に混ざりましたが、
これは子孫の「孫」のように「子」にここに「糸」が付くタイプと、本当に「𢀇」に「糸」が付いていて、子どもが増えていくっていう、先ほど見た「孳」になったりして、
「子」も入ってきちゃったりして、もうすごいんですよ!
もう本当にかなりこれらの概念もつながってきておりまして、
最終的にはどうなったかと戻ってみてみますよ。
という感じでありますから、
全部「辭」「詞」「字」「孳」も全部繋がり、
ここに並べた概念は、何らかの関わり合いが全てあり、
最終的に見ると、この「子」という字がその文字の「文」ともともと「文」や「書」、もしくは「名」とも言ってたということで、
もう、全部、意味的にもつながりがあり、
この「名」と「字」に関しても、本当に名字のところから抽象化された「字」には、言葉として意味が少し入ってきていることを含めて、
「文字」と配して「文」に対して「字」が付いたとも見えてきたと思います。
この「字」は更にこの言葉とも関係しているということも見ましたね。
全部繋がってきまして、一番最初の画面に行ってみたいと思います。
といった感じで、
この「字」という字を見て来て、
それがやっぱり「文」どうして配されたのか、
そうした少し「言葉」という意味を帯びていること、
それともう一つはここにあるように増えていくという意味を帯びていて、
そういったときに、何故この「字」が言葉「辞」、もしくは「文字」という意味になったかといいますと、ここで出てきたんですよね。
「形声」という言葉に関係するところから「字」でして、「文」はどっちかと言えば、形に何か注目して言ってるんですよね。
「文字」というものを見るときに二つの側面があって、
字形とか形に注目するタイプ「文」、 それとあとは中身に関係する言語の方に注目していうタイプ「字」と、二つあるということ、
それを「文字」で合わせているではと。
しかも、その「字」には増えるという意味もあって、ここに「孳」とありました。
「孳乳」ともつながりましたから、こういった形で何故、「文字」の「字」と「文」とは何かを含めて、「字」とは何かも含めて見えてつながってきました。
それでちなみに《漢書·劉歆傳》の劉歆さんはこれは先ほど言ってきた許慎さんの先輩格で古文学者の祖と言われてますよね。
この中で「分文析字(文を分け、字を析ける」の「文」はやっぱり文章だと思われますね。
先ほどもありました。文章の方で捉える「文」があり、「字」は文字の「字」でしょうという形で、
どっちかが入ったら「文」は逆に文章の方に意味が引き寄せられていき、
それと「字」は文字を今度は新たに意味を担い、それが使われてゆき、
言葉というのは、非常に恣意的でその時にどちらに分化したかによって、
それはもう何故かと言ったら、色んな他の近い言葉なんかと合わせて考えるとこういった形でよく分かってきますが、はっきり概念を分別するときとか、
もしくはこうしたはっきり「文」と「字」で概念をはっきりさせたいとき、
この言葉はこういう意味で使うよと専門用語化したなど、
そういった更に特定の意味を持つことはよくあることでして、
他の言語でも、漢語に限らずということでありましたけれども、
面白いことがあり、今言った「文」と「字」がはっきり別れていると言ったとき、
先ほど、この文章を読むとき、段玉裁さんが、何故この指示に当てたか、象形、指事かは、 やはり彼は《通志》という、もうかなり後の南宋の時代の鄭樵さんが書いた《通志·六書略》と六書を「文字」に宛てている文章があり、
段玉裁の頭の中には、それがあったかもしれないです。
「象形、指事は文」だと、ここに書いてあり、それで「會意、諧聲、轉註は字」だと、それで「形聲は文と字を両方とも兼ねる」と書いてあり、
もうこれは面白いことで、それで私はこう書いたけれども、
これは変じゃないかという人もいて、中々これは議論が絶えないところがあって、
六書がそもそも結構やはり、《説文解字》の敍から出た話ですけれども、
問題が色々あってやりがいがある分野なんですよ。
実はすごくこれでちょっと今のところで言うと、
会意、形声まで来て、轉注はまた問題があり、沢山の学者が、もう喧々諤々ですが、
この仮借は「文」と「字」を兼ねるとは、基本的に「文」はどっちかで言ったら文字の形の方に注目していたのではないか、
「字」の方は文字の意味とかそういった音とか、「名」という字も呼ぶとか、どっちかといえば、言語的な機能を言っているではと、
「文」は図像的な機能、「字」は言語的な機能ということで、
両方を兼ねるとは、そういうことかも知れないです。
これはどっちかといえば、図像的であります。
それとあとはこちらは音とか意味です!
そうすると、仮借とは、音が同じだけで、他の形を借りてくるから、
両方を書いていると思えるのかなとか、(音を形にすると読めて)、
こういうところを考えていくと、ものすごい問題があり、
もうやりがいがあるということで、
次回はこの六書を見ていきたいなと思い、
私がここで言いたいのは、 六書はこうだよとある程度の話をしているのではなく、
《説文解字》の敍に書いてあるところから、議論が出ていて、
それをもう徹底的に一つ一つ見てゆきたいなと思いまして、ちょっと企画を考えついたんですよね。
それでやってみたいと思いますので、
是非ともお楽しみ下さればと思います。
今回は「文字」、「文」と「字」とは、何だと!?
もうものすごく見てまいれたと思います。
本当にもう盛り上がりました!
今後とも、何とぞそういった探求、何でこうなんだ!?という好奇心、探究心の炸裂から始まる、KF-Ars Sinicaを続けて参りたいと思いますので、
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いつでも楽しめると思いますので、何とぞよろしくお願いします。
今回もありがとうございました。