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新チャンネル【KF-Ars Sinica】で始まりました!輝かしき金印「漢委奴國王」シリーズ Glorious Golden Seal

日本人どなたも耳にしたことがある金印「漢委奴國王」の特集を始めました。

初回は、印の使われ方(封泥)や印の大きさ(尺寸)、組み紐(印綬)を通した持ち手(印紐)の蛇の装飾「蛇紐(だちゅう)」など、古印を鑑賞する観点をお話ししながら、実物を確認しながら愛でてまいります。

江戸時代から議論が絶えない漢から倭に授けられた金印について、
本物なのか、偽物なのか(笑)、ご視聴下さりましたら幸いです!

封泥に捺すために深く刻される点は本物である可能性を示唆します。
江戸時代(清代中期)に封泥の用途が知られていなかったからです。

毎週新作を更新予定です。こちらの再生リストに動画が掲載されてゆきます。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLR4KTvD1TuxfB3b2c69WppwGho7SEzBse

※日本語の字幕を表示するスクリプトをご用意しました。
 専門用語や細かい訂正などは字幕でご確認下さいませ。

KF-Ars Sinicaとは...

「KF」は系譜、「Ars Sinica」はラテン語で中国の文化芸術、を意味します。

これから書画・篆刻・言語・歴史を中心に中国の文化や漢字の意味に関して、
皆様と和やかなお話を共有してまいります。

制作活動の励みとなりますので、「チャンネル登録」を何とぞよろしくお願い申し上げます。

2020年12月11日

初めまして!中西泰裕と申します。

今回初めてYouTubeに動画をアップするということで、

今、篆刻・書など、中国の文化に関して色々と動画を作ろうという話になりましてね。

それで初めて何をやろうかなと思いましたら、

一番、もう、日本国で全員が、学校でも習うという、

もう、誰もが知ってるものから、

やはり、一番で皆さんも、親近感が持たれるということですね。

この大体約今から2000年前の金印、

この一番有名な 「漢委奴國王(かんのなのわのこくおう)」という、金印をお話してみようということで、

初めていくということになりました。

ところで、この金印が、現物の印自体のそのものの形は、

まあよく知られています。

でも、篆刻においてはよく、この画面の左下の赤で出ているような、

これを印影、印の影と書くんですけどね。

これは印泥という、まあ言ってみれば、

平たく言えば、朱肉に印を捺して、紙に捺したもの。

それがよく篆刻の世界では、

皆これをよく見たり、研究したりしますけれども、

実はこの上にあるこの本物の印面と言います。

印の面。

それでこの表面の状態がどうなっているか、

この拡大写真と右側にある二つ。

これは紐と言いますけれども。

この紐の形など、それら全てを見て、

全体を見て、一つの印としての鑑賞ができるということでして、

今、四つの画像が出ておりますというお話。

それで先ず今、今日お話ししますのは、

一つ目。この印には、もう江戸時代に発見されてから、

もしくは、その世の中に出たと、

「発見」という言葉を今使いたくなかったのは、

元々知られていたものが出たと!

出土したではなく、

もともと知られてたものが、

学者(亀井南冥など)がこういうものがあると出したという説が二つありまして、

まあ、考古学的に発掘されてたものではないため、

今このように話しましたが、

この印自体が、そうした発見の経緯から、

ちょっと怪しいんじゃないかと疑う人たちがいて、

それでその疑う人たちは、

これ偽物だと、江戸時代に誰かが作ったんじゃないかと、

こんな珍しいようなものが、いきなり出てくるわけないだろうと言う人もいまして、

そういった場合には、鑑定しなければいけないんですね。

それでその鑑定をするときに何をポイントを指してみるのかという、

実際にこの印を鑑賞しながら話していこうという、心づもりであります。

今お話しした中で二つ左側に印面と印影がありますが、

これは、当時の漢の時代には、紙に紙は、まだ発明されてから全然経ってない頃でして、

紙のために使っていたわけではないと、

実はこの印は、今篆刻をみんな勉強する人たちは、皆、紙に捺すから、

もう、印影ということで、この赤い印を捺した跡を議論しますけれども。

実は紙がなかった時代にどう印が使われたかを説明しようと思います。

それでこの新しいスライド中に右側に「検」という道具があり、

実はこの印はこの一番右側の下にあるこの竹でできた籠ですが、

この竹の籠の中央部分に縄がありまして、

十字に交差したところにちっちゃいものが置いてあると、

それを拡大したものが、一番上のこの検という道具でして、

これは荷物を開けられないように封するわけです。

輸送中に中身を改竄されないよう、

もしくは、文章を、当時は竹簡という、

長い木や竹の板に文字を書いて、

紙がなかったわけで、その板を紐で結わえて、

それで並べた後で冊という、

本を数えるとき、一冊、二冊という「冊」という漢字がありますけど、「冊」の漢字の形通り、

縦のところ四本は竹簡を意味していて、

横の二本を書きますね。あ、失礼しました一本でした。

一本あれは紐を意味していました(実際の簡牘は上下に二本の紐で結わえられました)。

そして、荷物を封をする時にこの検という道具、

木でできた板の中に縄が交互に交差されて入って、

その交差した真ん中に粘土を置いて、

その上に先ほどの金印なり、銅印なり、玉印なり、

金や銅や玉でできた印をぐっと捺して跡をつけるわけですね。

それは誰が封をしたかが分かるように文字が書いてあるんですよね。

それで左側にあるように、これは戦国時代の一番上の古鉨と言いますが、

この「鉨」の文字は、まあ後の時代に「印」という言葉になりましたけれども。

それでこの「左司馬聞竘信鉨」と書いてある。

それでこの人が捺したと証明されて、

それでこの真ん中の画像は三つとも(東京国立博物館蔵)、

縄の痕がちゃんと残されていて、

それで一番左が印面を押し当てた痕ですよね。

それで一番右のこれが、その印面の押し当てた部分の拓本といい、

紙を張って上からポンポンと叩いて、模様を出すようなやり方で作られています。

真ん中は少し後の時代で秦の時代、

始皇帝の時代、もしくは二世皇帝の時代、

始皇帝の子供の時代の「皇帝信璽」で(前漢の初期まで下るかもしれませんが、)

結構これは珍しい封泥、非常に格の高い人、格の高いというか、一番上の人が捺したものでして、

一番下が「漢委奴國王」と同じ時代の前漢ぐらいかな、少し前になると思われますが、

これはもう何と言いますか、

ほぼ同時代の封泥で、

こういった形で印が使われていたこと、

だから、先ほどのように、今戻りますね。

こうした印の表面は凹っこんでいると、

その中に泥が入ってくるから、

粘土が入ってくるから、

白文といいますが、

この文字が白いですね。

これには意味があって、

先ほどみたいに紙の上に捺すという意図は全く無かったんですね。

ですから、こういった形になっていることでして、

もう一個大切なことは、

我々が例えば摹刻といいますが、

こうした古い印を石の上にもう一回これをレプリカを作る。

まあ簡単な言い方をすれば、

同じようにできれば、そういう学び方があるんですけども。

そういったときには、この線の中を非常に浅く刻ったとしても、

印面が深かろうが、浅かろうが、

それを捺した時にはそれは出ませんけれども。

実際、当時の印はかなりこれ真ん中の線が通ってて、

きちっと通っていて、深く刻られていて、

それはやはり、泥がちゃんと土が中に入って、

文字が浮き出るように作られているということが、

先ず一つ大事な事になりますね。

質問をしてもいいですか。

はい。

さっきのなんだっけ。

「検」。「検」。

「検」というのは竹簡を入れると言ってましたけど。

はい。

竹簡を入れて、実際に何をするものですか、

輸送するものですか、

それとも保管をするものですか。

つまり、ここのそうだね。

もう一つそこは詳しく話したほうがいいね。

この「検」という道具は、ここに書いてありますけれども。

この中に竹簡や木簡やもしくは、

当時は帛(はく)といって絹に書いた。

まあ、紙と同じような使い方できますけど、

そういった封をしたい文章を中に入れて、

この上に蓋をして、結わえて、

もしくは、こうした「行李」と言いますけれども。

この竹とか、木とか、藤とかで編まれた籠、

籠そのものが開けられないように結わい付けて、

ここの真ん中で封をしてしまうと。

ここだけにただ泥を入れて、

封をしちゃうと輸送中にこわれてしまいますね。

だから、こうした木の硬い道具で封泥自体がきちっと保たれるように使われたということです。

質問を僕もしていい?

はい、どうぞ、どうぞ。

それは公文書を割と偉い人が輸送するために使ったのか、

それとも割と私的な個人間の輸送、お手紙とかにも使われたの?

これは印を調べると分かるけれども。

今私たち話しているのは、この東漢官印、

官、官、官、官吏、公務員の印ですが、

私印というのもありますね。

「張何何」とか、「王何何」とか、

個人名の印もあるんですよ。

だから、私的にも、公的にも、

この封のやり方は印を使って、

官印と私印と言いますけども、

私の印か、官職名の付いた印か、両方使われました。

それでかなり戦国時代は結構、官印が多かったけれども、

私印も結構ありましたけれども(発見されている古鉨の八割は私印、二割ほどが官印)、

やはり、もう秦や漢ぐらいの時代になると、かなりのもう一般の人たちも、皆この方法で封をして、

かなりの数の私印も見つかっています。

竹簡自体は私事にも使われました?

これは説明は難しいと使われたかどうか!?

だけれども、私が知る限り、

戦国時代の竹簡というのは、殆ど残っていないんですよ。

お墓に入られて、たまたま残ったものしか残っていない。

だけれども、まあ、先ず間違いなく、

個人的な文章にも使われていたのは、

もう少し後の今我々が話しているこの「漢委奴國王」の時代の後漢、

中国でいうと東漢、もしくは前漢ぐらいでも、

敦煌とか、ゴビ砂漠とか、乾燥した方で漢の時代はあそこまで勢力がいって、

あそこから、兵士が直接に実家に送ろうとした文書とか。

個人名で個人宛に出したような木簡とか竹漢も、

まあ、竹簡はあそこでは(あまり)出てないか。

でも、木簡や木牘、個人の名刺も作り、

木牘という名刺カードみたいなものもありましたから、

結構もう秦より後になると、

もう相当な数の人が文字を読み書きして、

官吏だったら個人的にも、

といっても識字率などは、

どの程度が分かりませんけれども、

かなり特権階級、

官吏とか教養ある人間にしか、

文字は書けなかったけれども、

でも、私的にも使われました。

そして、この印を見るときに、

この紐の様子も面白いということですね。

この紐というものが、非常に大事であるというのは、

このつまみの部分かと、思いきや、

全て西漢ぐらいの時代になりますと、

制度上もはっきり、文章には、文書と言いますか、歴史書にも、史書にも(《後漢書·輿服志》註引《漢官儀》など)

このぐらいの格クラスの人だったら、このくらいの紐を使いなさいとか。

この材質で印を作りなさいと、全て規定されていましたので、

この紐が大事になってくると、

この「漢委奴國王」に関しての紐は「蛇紐」、蛇の形してますよね。

これが頭で蛇ですよね。とぐろを巻いたね。蛇の形をしていると!

ところが、次のページに行きますけれども。

この紐を見た時に非常に面白い点があって、

元々、この紐は、こういった駱駝のような。

駱駝紐もしくは駝紐といいますが、

駱駝の形をした紐があり、

この駱駝の紐の頭をチョン切って落として、

こっちで見れば分かりますが、こ

っちでは頭チョン切られて、ギロチンして、

この下の部分とこの形が、非常によく似てるんです。

だから、元々とこの印は、

駱駝紐で作ってたものを改造して作ったという説があり、

それで真ん中の空いている穴の感じも同じだということで、

私はこれは見つけてきた故宮博物院にある、

匈奴という、もしくは、

烏桓と匈奴は、殆ど漢からみたら同じような民族で、西域の方(また特に烏桓は北方)にいた民族だから。

結局、遊牧民族だから、駱駝紐とか、そういった紐で作り、

それで南の方にも、もう一つ、

「滇王之印」も、最近発掘されていて、

今は出していませんけれども、

やはり、とぐろを巻いた蛇で、

そちらは結構、印の全体にとぐろ巻いてるんですけれども、

明らかにこの蛇は、ちょっと違和感があるのは、

やはり、この駱駝紐は改造して作っちゃったと!

何かしらの理由で元々、駱駝紐を作ろうとしたものを、

「うわぁ、必要だ!」ということで、一気にもう「早く作れ!」ということで改造しちゃったのか知りませんけれども。

そうした形で頭をこしらえて、

蛇らしい斑模様を付け加えて、

蛇らしく仕上げたんです。

これがすごい大事なことは、

もし、漢印、この金印を漢印を偽造しようとしたときには、

こんな発想では偽造は、普通しませんと。

もっと何らかの紐でヘビの紐で作るなら、

ヘビの形で作っちゃったはずですが、

駱駝の紐があって、しかも、その駱駝の紐の形を殆ど同じような形でここまで偽造するというのは、

当時300年前に知られていた知識では、殆ど難しいということで、

紐の観点からいっても、

この漢印、金印は本当に現物に本物であることを支持していると言えるわけですね。

それともう一つ大事なことは、

この一辺の長さは、

大体これ23mm、23mmとは、

一番最初のスライドに書いておきましたけれども、

大体この一辺の長さは、当時の漢の時代、

実は前漢、日本でいうと前漢、中国では西の漢と書きますけれども、

前漢と金、ああ失礼しました、新(新莽)を挟んで、

この金印が作られた。後漢その辺りからは、

新から後は大体23ミリぐらいが1尺だったと、

大体この印にはちゃんと規定があって、

この23ミリで全部殆ど一緒に作られるということで、

その面からも、この印はあの本物で矛盾がないということが言えます。

大体今お話ししたことが全てこの印の形、

自体についてのお話が終わりになりますね。

質問!

はい。

蛇の形にしたとは、

例えば1つの観点として、その日本には駱駝がいなかったから、

だから、そういう日本、倭の国の人へ渡すものとして、

敢えて駱駝でない動物を選んだという可能性とか、

ああ!それ喋ってなかったね。

この紐に関して、何故じゃあ西域(と北方)の方が駱駝紐でして、

南やその当時の「倭」、今の日本は中国から見て東にありますけれども、

その方向により、象られた動物なり、紐の形が異なるというのは、

やはり、中華思想があって、

北狄・南蛮・東夷・西戎があり、

その時には、南蛮・東夷は熱帯地域ですから、

湿度が高くて、こういう蛇などがいっぱい生息していて、

民族を表す象徴として選ばれただろうし、

その西とか北の方は、

烏桓とか、匈奴などの民族は、やはり遊牧民族だから、

駱駝であるとか、あと羊などで作られたことが考えられますね。

今回の動画では、一つ目「封泥」という概念ですね。

当時、印は紙に捺されていたわけではなくて、

荷物を封する、もしくは、文章を封緘するための粘土の上に捺された使われ方をしたということ、

もう一つは「紐の形」の方。

この紐とは、「漢委奴國王」の金印は、

蛇の蛇紐で作られていると。

そして、もう一つは西(と北)の方の匈奴や烏桓という民族に与えられた印は、

こうした駱駝など、遊牧民族を思わせる紐がありましたこと、

その二つは大きくお伝えできたと思います。

そして、印の中には勿論、

当時、漢王朝の中でよく使われた印もあり、

その印とこの「漢委奴國王」の印、

同じような金印が、最近沢山発掘されていますが、

その中で一番この時代的にも近くて、

また、金という材質も近い印を見ていこうと思いますので、宜しくお願い致します。

今回もちょっと初めてでしたから、上手くしゃべれているかどうか分かりませんが、

まあ、いつもこんな感じですけどね(笑)

皆さんにお伝えすると言うことは、

中々これは難しいことで、

友達に話しているようにしゃべり方をしているかもしれませんけれども。

でも、こういった印などは、

中々ざっくばらんに話せる機会は、少ないということで、

楽しく見て頂ければと思います。

今後とも非常に興味を持った印とか、書とか、

もしくは、更に文化とか、言語とか、

様々なことに関して、興味を持ったことをシェアーしておしゃべりしたいと、

こういった気軽な感じでおしゃべりしますので、

今後ともお願いします。

動画の下の方にチャンネルを登録するとか、

いいね👍ボタンがありますから、

もしよろしければ押していただけると、

今後ともあの熱意を以てお話しますので、

何とぞ宜しくお願い致します。

今回ご清聴くださりまして、ありがとうございました。

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