日本人どなたも耳にしたことがある輝かしき金印「漢委奴國王」の続編です。前回は、印章の役割や金印の本体についてでしたが、今回はいよいよ本丸、金印の文字造形の美しさです。
金印はわたしたちが日常に用います楷書体とは全く異なる篆書体(印篆)ですため、一見して曲がったり歪んだりした線の連続にしか見えません。しかしとりわけこの金印は、それぞれの文字の字源、文字の配置、文字の線質などを綿密に考慮して作られた芸術作品でして、新鮮な発見にあふれております。ぜひこの金印を通して、漢人の考えや思い、篆刻の美しさが少しでも伝わりましたら幸いです。
毎週新作を更新予定です。こちらの再生リストに動画が掲載されてゆきます。
https://youtube.com/playlist?list=PLR4KTvD1TuxfB3b2c69WppwGho7SEzBse
※日本語の字幕を表示するスクリプトをご用意しました。
専門用語や細かい訂正などは字幕でご確認下さいませ。
2020年12月18日
前回の動画では、漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)と
例えば、他の似た印を比較しましたけれども、また別の観点から、今回は似た印がありまして、
この印、二つ今画面上に出ている、一つ目これが似ている特徴。このセンチメートル、mm で書いてありました尺寸ですね。
この印の大きさ23ミリ×23ミリ×21ミリ 、23ミリ×23ミリ×22ミリ。
最後は高さだから別に高さの部分は1ミリくらいはいいんですけど、大事なのは、この印面の23×23が同じであると。
これが漢の時代の一尺(一寸のいい間違えですが十進法ですので10分の1です)。23.0なんとかとかか、細かいところはあれですけれども。
きちんと守られているということが一つ大事なことでして、
それで、こっちは亀。亀紐(きちゅう)。亀の形で、こっちは蛇。
しかし、今度はもう一個似てるとは、何が似てるかというと、
この亀の足のところのこの粒のちっちゃい斑点がありまして、
この斑点、この斑点とですね。
こちらの漢委奴国王の斑点。
殆ど足のところの位置の斑点の付き方など、もうほぼ一緒で、
これは実は両方とも同じ工房で作られたという説が非常に有力でして、
もうが殆ど殆ど決定的な証拠になるということが考えられてまして(仮に同じ工房でなくても、漢代には多種多様な印章の制作方法があり)、
それでこの印自体は、下に綟綬(れいじゅ)、こっちは紫綬(しじゅ)と書いてあるのは、
これは綬(じゅ)とは、今度はここの真ん中のですね。
この穴も似てるんですけども、ここに紐が元々付いてたんですよ。
その紐の材質、ああ、材質じゃない。色。
その色は、言ってみれば、この綟(れい)という字は緑みたいな色でして、こちらは紫ですよね。
それでこれは結局こういう『後漢書』とか、 歴史書に書かれている説明からとってきたことです。
そして、こちら側の廣陵王印(廣陵王璽(こうりょうおうじ)の言い間違えで画面も誤記でした。申し訳ございません。)は、中国の江蘇省で出て、その漢の時代のお墓から出て(考古学的発掘で出た残土から発見され、)
実際、誰が、この廣陵王とは誰だったかも、この《後漢書》の中で、
西暦58年に光武帝の第九子の廣陵王の劉荊(りゅうけい)と読むのかな、「劉」は、漢の時代の皇帝の正室(帝室)の姓です。
漢の時代の姓で貴族、皇帝につながる人たちは、この姓でしたけども一緒でして、
もう一つはこの印を与えた年が1年しか違わないと。
紀元後57年と58年ですから、今から約1970年前くらいですけれども、
約、西暦、紀元、紀元後ちょっと経ったくらいですよね。
まあ、ヨーロッパだったらローマ帝国(ネロ帝やセネカの時代)の頃ですけれども。それで殆ども同じ形で作られていて、
同じ形と、でも殆どこれで、同じ工房で作られたと言えるんじゃないかと、言えるわけですという話です(同じ工房でないとしても、同じ規格で作られて、印式が非常に酷似しています)。
次の画面には四つありますけど、これはすごく大事で、昔まで篆刻を学ぼうとした時、印について知りたかった時は、現物の写真はなかなか出せなかったんですよ。
複製技術がないから、この捺された印影だけでよくみんな研究したんですけど。
最近はもうこう、すごい、ものすごい、高精細の写真、印面の写真が見えるわけですから。
非常にこういった比較がしやすく、
でも、やはり本当に印を勉強したり語るには、この本物の印面がやはり大事になってくると言うことですけど、そのこれは反転されていますから、まあ、押されたものも一緒に役に立つということ。
二つの特徴を見ると面白いことが分かるんですけども、
この漢印は非常にこの規則的に作られているとよく説明されるんですよ。もう非常にもうきちっと作ってると。
つまり、もうそれぞれの文字が、もう緻密に組み合わされて、
大体こっちの印は1/4にきちんと入ってると。
でも、これだけ本当は23mm、23mm角だからもっと小さい。この、まあ、今はこの画面上では、大体倍ぐらいに拡大されていますが、
それでこことここ、大体23ミリぐらいになってます。
それで、これだけ見ると、一つ感じることは、その、線そのも後のの太さ、
太い線と細い線がやはり結構きちんとあり、この時の印は横の線が結構太い。
ここもそうですが、それで縦はまあここはあれにしても、
特にこのどこの線が特にこれ印を見て、今感じたこと、一番大事なことなんですけれども、印を見た瞬間にもう細かい事を見る場合と、その全体から見える印象の二つは、音楽でもそうですが、
何か細かいあの一個の楽句があり、全体でそのストーリーとしてみたとき、どうかという両方が、結構大事で、まず印においても、
まあ、絵画でもそうですが、パッと見た時には、この「漢委奴国王」の印文の真ん中の「委」という字は「禾」に女があるんですけど、これがすごい強いんです。
それで下は以外とここは赤があり、これは線が細いですね。それでここも赤が多いと、それで実際こちらの印「廣陵王璽」の場合は、この三つが密でここは疏になりまして、
ここが非常に赤が多いと、その見たときの全体の調和の関係をどのような形で保っているか、先ず念頭において見まして、もう一つはパッと大きく、引いてみた時に、この印を見たときには。大体篆書は、隷書ぐらい、
漢字の書体においては、我々が使ってる漢字は楷書を使いますが、まあそれが 活字になったりしますが、基本的な文字の骨格は、楷書を使っていまして、我々使っている楷書はは、
大体7度ぐらい上がってるんですよ!要するに左側右に7度ぐらい上がるんです。しかしながら、これよく見ると、結構、右肩下がりなんです。
大体、大きくパッと見ると、それで結構、篆書の時代は、結構右肩が下がって置くことによって安定感を保つ、
保ち方が、よくされていることも、ぱっと見た時に感じますね。
それでこういった印面と元のこういった印影と印面を見比べたときにすごく面白いことは、
これを実際、上の印面を捺すと、今ちょっとこれあんまり、上と下で
大きさはちょっと違いますけれども、印泥という、要するに朱肉みたいなもの、朱と油を混ぜて、要するに非常に粘着性の高いゲルみたいなものを印の表面にくっつけますから、
実際に捺したときには、これより線が細くなりまして、この白文においては、だからあの細くなってしまう。
でも、元々の印は、かなり先ほど前の動画でもお話ししたよう、真ん中の線が非常に深く刻られていて、封泥が中に入って、粘土が中に入ってくるから、盛り上がるためですが、
そういうことも言えるし、こっちは印泥を捺した時に赤が入っていますから、奥まで見てはいないけれども。
でも、かなりこれ深く刻されていると考えられますから、大体、篆刻するとき、もう普通は今あの表面に印泥をつけて捺しますから、浅くなる場合がありますが、やはり結構深く刻ることでシャキッときれいに流れる線が刻れると、そうした発見もすごいあったり。
もう一つは、こちらの構え「國」の左側のここはちょっとで凹んでるとは、これは金の材質上、やはり、金って結構柔らかい金属だから、何かの拍子にぶつかり、ここがぐにゃってなってるんですよ。
それがこうした味わいというか、線がきちっと繋がっていない、歪んでいて、ここも壊れてるんですよね。今もやはり、金属が凹んでいますから、こういった形に出ていて、こういうのも結構面白い味わいだったりして。まあ、これは比較的この印は壊れでもいないんですよ。
非常に綺麗な原型をよく保って、大切にされてきたことが分かりますが。結構2000年も土に埋まってると壊れて、こちらもたまたまお墓の中にずっとあったから、
でも、ここはぺっこんと凹んでますね。ここが凹んでるから、「王」の起筆がちょっと、ぐにゃってなっているのも、味わいとしてよく篆刻をするとき、
その枠とちょっとつくっついているようなこうしたところ、あとは線と線の間のこの、これはでもよく見るとあのを捺したときに、これを捺す人が、
印泥がここには付いていなくて、ここは壊れているように見えないからなど、色んな発見がありますから、印面と実際の印影も、やはり見比べて研究すると面白いところがあるということで、それを実際に今はこれは「廣陵王印」はたまたま同じ、失礼しました。「廣陵王璽」は、璽は印と同じでもっとこれは身分の高い人たちの印のことを璽と言いましたが、
この例はたまたま線質も似ているということで出してきて、例えば「王」の起筆のところは、角が楔型みたいにすごく尖っていますね。
真四角にこのそれですごい強い線が強く見えて、要するに人間がこういう線を見たときには、
起筆と言いますけど、一番最初と最後がすごく強く、ここも実際ここをこう刻ってあると、線がすごい強く見えるんですね。
だから、こういった形で作られていると、この「委」のここも角が立ち作られると、まあ、そういった発見もあったりして面白いんですけども。
次は今度ここではちょっと比較のところから少し中身の見方にまで入って少しさわりも言いましたけど、次のスライドでもっと詳しく見て行きたいと思いますので、「廣陵王璽」はこのあたりではお別れしたいと思います。
じゃあ、行きましょう。ここが実はね、本丸になってくるんですけれども、
もう、今までの解説は、この印そのものについての話。形とか周りのその紐とかを話しでしたが、
最終的になぜこういうものに我々が興味を持っちゃったとかいうのは、やhありこの篆刻をやろうとしたときに篆書を先ず学ばなきゃいけないんですけど、その篆書を学ぶ、次にはその篆書を印の印面の中できちっと何らかの規則に基づいてきれいに配置しなければならないとき、
篆刻という芸術は、意外とみんな思ってる以上に最近の芸術でして、
印というもの自体は、こういったように漢の時代にも使われたし、その後も「三国志」の三国でも使われて、次の北朝・南朝、北魏とか、そういった北朝・南朝ぐらいまで使われていて、隋の手前ぐらいまでは、やはり
まだ紙と簡とかを使ってた古い時代の交代期で印章は、それ以降の時代でも使われ続けましたが、実際に印を遊びで、遊びといっても、文人たちの余芸(余技)してやり始めた人がいて、その人たちは社会上で普通に使われ続けていた印じゃなくて、本当に趣味としての、
尚古思想といい、中国人は古いものをすごい尊ぶ考え方があり、その時に漢印を研究しろとか、それより前の時代のものを
印を研究して、我々はまたこれをやったこうっていう、漢の人たちの気持ちを継いでっていうムーブメントが起きて、それは大体明の終わりから、清の初めぐらい(四百年ほど前)ですけども。彼らはその時に古い印をまあ当時これはまだ出てませんけれども、沢山漢印が出始めてきて、
その前にも出てたんですけども、注目し始めてきて、研究するという時にこういった印を非常に学ぶときに良い方法として、見ることは一番、鑑賞が大事ですが、やはり鑑賞するだけだと、細かい所が本当に見れているか微妙だから、実際に「摹刻」をして、書で言えば「臨書」をして、古い素晴らしい人たちが書いた素晴らしい字を学ぶため、実際に自分の手で写す作業しますけれども、それと同じ発想でその皆がこの古い印をコピーする。
自分で作りました!ところが、明とか清あたりから篆刻を始めたとき、皆石を使いましたから、青田石とか、寿山石という、柔らかい、印刀というあの刀で切れるような軟らかい石に作るから、実際この漢印は、当時は金属でも、まあ金とか、銀とか、銅とかを鋳造して作られていたり、もしくは玉を切って作ってたわけだから。
材質は元々違いますが、やはりこれと同じようにいきたいと、
学び始めたという、その流れで私もすごく、
文字自体がなぜこういった我々が使ってる漢字はこういう漢字(感じとかけた冗談)かとか、そういったものに興味がありまして、
こういった印に興味を以て、だったら、もうやるしかないじゃないかと、実際印を作ってみようということで趣味で楽しみで、それと
もう一つはその歴史とか、そうした漢字自体や言語に興味を持ち、こう言った印を見始めたんですね。
それで、そういった中で見た時には、昔の人たちの、じゃあ、何を見るかって言ったら、この印面が読み取れることは、すごく色んなことが読み取れるのであって、
こういった印を見た時に、見た瞬間に、パッとですね。これを遠目から見ると、
きれいにまあ五文字が並んでるなあ、という印象くらいしかないでしょうが、よく見るとしてこれだけ大きく拡大してみると、
先ず、「漢」という字を見たときに受ける印象は、非常にこの水の流れるのが一番長い線がありますが、それでこっちにちょっと太くて横に1本ずつあります。
元々このさんずい(氵)は、我々は一番上のこの三本だけを点々で略して、隷書の時代からこの後ちょっと後の、今話している印が作られたくらいの時代からどんどん簡略化されて、点点点になりますが、
本当は水が流れているという。川の水が流れているという象形でした。それでそういった風に見た時に一番上がよく肥えていて、この真ん中が少し膨らんできゅっと左に行ってくれる。これはやっぱり水が流れて、石に当たって渦が出てるみたいなさまが、すごいよく出るし。この流れもすごい。
あの漢字とは、意外と直線の集まりで曲線を表現するという非常に面白い。パッと見た時には、ぐにゃっと曲がってるに見えますが、実はね、これは直線を重ねて、あの全体で曲線に見えまして、これを見ると、ここまで行って、ここまで行ってぐっと左に行くと、
三つのこの短い線一本だけ見ても。三つの線の集まりによって作られることも分かりますし、
その何より、この一番上の方はすごく白っぽく見えて、下のほうがサーッと水が流れてて気持ちよく流れて、もう下の方はシュッと行ってるから、結局下の方の赤が多いということは、
線自体が細くなってると、すごい爽快感がある、すっきりする。もしここを下まで全部上と同じ太さで全部やってしまったら、もう全部
真っ白けっけで、圧迫感が凄く感じられるんですよね。でも、それはすごく軽減されてて、非常に下のこの線というのがもうすっきりしている。でも、この「火」の方も、もうこっちから、本当は上の部分から行かなければいけないですが、下の方で六本の線がかなりありますが、
この六本の線は全て方向が間違ってるんですよね。線の動きとか流れがありまして、本当に水が流れてるし、
こっちも動きがあるということで、この「火」の方は、こっちは右と左で、この右側、真ん中の線で対称には作られてないですよね。実はよく見ると非対称でこちらの線は、少し内側に入ってから、もう一回、内側は、つまり右側に入ってから、左のほうに外側に出ていく。
こっちは右から入ってきて、少し真ん中の線に接近して、最後外に行くと、意外に本当に細い線の流れや動きがあり、それがなかなか面白いと、それでこの真ん中の前にしても、上の部分の線は、これは結局、右から左のほうに少しね、真ん中がよりかはこっちにずれていて、下は逆に左から右とずれている。「火」がちょっとね。左にくにゃっとちょっとあのチャーミングですよね。
これは非常に動いてるという、それで下の股の分かれる所が、すごく真っ白になり、ここが最後は強い線で、やはりこの下の右下、まあ四隅は、非常にやはり大事だから、すごくここがやはりすごくきちんと作られるわけですよね。そのように見えるし、この中で見れば、この上の部分と下の部分で言えば、上の部分すごい肥えて白いんですけど、こっちは爽快感がある。何故そういうことかというと、もっと後ろから、
要するに遠くから見ると、この印がここの右下の部分は、すごく赤い印象を受ける。上がすごく強い印象を受ける、というのはこの「王」との対称性を考えて、多分この辺りを
要するに軽く作ったんだろうと、この「王」の所がなかなかこの他の字というのは、非常に複雑な字ですが、この「王」だけがすごいシンプルだから、
ここの明るい赤いその部分は、どう処理したいのかといった時には、大体こういった線一本一本と、この文字と文字の関係性のことを見たときに、真ん中の所で対称に割ると、こことここが対応するように作ると良いですよね。
それでこうした文字の時には、真ん中の文字が、非常にこれ強く作ってあり、下は比較的強く作ってあるけれども、やはり結構赤みがある。
こっちは結構肥えちゃってる!下は大分、大体この印を作った人は、上のこの上半部分をすごく強く作って、下が少し赤みがあって、
だから上と下の対照関係も考えていまして、こっちの左右対称関係も考えていまして設計をしていることが、考えられるわけですよね。それでかつ、今度、文字の作り方でこれ「女」が二つあるんですね。
一つ目はここ委員会の「委」の下の部分、「禾」の下の女でと後はこっちは奴隷の「奴」という字で女編に「又」ですが、今ここの違うように作られていまして、この線のとは、このお尻の所が、こちらはブニョンと非常に肥えて、非常にお尻が大きい。
こっちはお尻小さくて、どうしてかというと、これは結局こっちとこっち上は、上下で下の方に女性が圧縮されてるから、非常に全体的に言えば、身長がブニャッと上から押しつぶされているように、むっちりと作られて、
こちらはスッキリしてますね。女性でも非常に痩せてスマートな感じで、それでここも空いてて、ここは大体、元々、本当はこの印だけを話そうとしていましたが、実はこの篆書の作り方が面白くて、実は次に考えているのは、字源とこの文字の元々の形が何を意味してたのかと、印のその文字も説明をいつかしようと思っていたんですけども、
まあ、簡単に言ってしまうと、これは女性が手を組んで、こちらは膝をついてこっち足ですよね。それで下はここは踵といった形ですから、結局この「又」と組み合わせるために、こちら結構足こっちまで入り込んでますよね。
だから偏と旁でうまく上と下で何て言いますか、
良い例として、ブロックが組み合わさるようにきちんと作られていると、これは一つ文字を作る上で大事なよく「挪譲」とか言うんですけども、線が長いか短かいとき、偏と旁をうまく組み合わせたり、もしくは文字同士をうまく組み合わせる処理が上手くなされていて、それでこの部分は、大体「又」という字でして、
それでここに点が一個ありますけれども、これは「手」の意味をしているわけですけども、それがすごくあの大きく伸ばされてすね。上手くこっちとこっちで合わされられていて、
それで次のこの「國」という字を見たときにも、
普通だったら均等に配してもいいところを、やっぱり赤のところを結構残していたり、まあここはちょっと壊れて先ほど話したみたいに壊れ、ここで見ると分かりやすいですね。こことここで見ると壊れてるから、
まあ、無視するとして、作った人の意図ではないから。こう見た時には、上の方の構えより下のほうがちょっと肥えてますよね。
それで左上もやっぱり肥えているということで、こっちとこっちとこっちとこっちの対応関係も考えて、これ全部完全に真四角に作ったら、面白くないから、それでしかもこの上の右側の文字が、もうなぜかこの上の禾偏(禾のいい間違え)がものすごい右左に張ってるので、上手くちょっと「國」のところまで侵食してきて上手く組み合わせることでにより、
完全にこの印面を全部縦に割り、長方形に入れると、文字同士の関連性が失われるから、この文字同士の関連性を与えるためには、ある文字は相手の方に入ってゆき、それでこっちはちょっと遠慮して、こっち側、下側は上手くこの「手」のところに女性の手のところに合わさるように上手く組み合わせるように作り、実はこの全体の印面がきちんと協調してゆき、それで面白いことに「漢」は非常に元々縦長ですが本当はこれ半分ぐらいの大きさでここに入れて良かったんですよね。
例えば「漢」のこっちこの字が、こっちに来るわけですよね
「委(倭)」の「奴」の「國」「王」「印」として作っても良かったですが、何故この人がここに「漢」をガバーンと置いて来たのかというと、
「漢」王朝が偉いと言いたかったのかもしれないけれども、まあそれは冗談ですけれど、やはりこれは、こう考えたと思うんですよ。この印を作った人は、
やはり真ん中にこの「委(倭)」と「奴」を持ってくれば、すごく処理しやすかった。やはりここに「漢」が「委(倭)」「奴」「國」「王」来てここに「印」だと、ここ「王」でここすっからかんで空いちゃうし、どうしてもうまくいかない。
やはり上を上手く重い字に揃えたとしたら、やはり「漢」を長くした方がいいかなと、
まあ、実際私が印を何か作ろうとしたときにも。「印」という文字を入れれば、六文字にできるけれども、五文字でしようとすると、こういった字同士のそのどこに字が来れば、これよく見ると、
もう一個の観点からいえば、この辺りの朱白のそのバランスと、この辺りはすごく対応している、この何と言いますか。
対角線上の対応関係もよく考えられていて、こっちは逆に肥えていて、ここはすっきりして、だから密疏になってるんですよね。
ここは大体同じくらいだから、これで大体これを見ると、この真ん中を見ても密疏になってるから、全体的にどの方向から、文字全体を考えてもすごく調和がとれて上手くこういう形で作られていると分かることと、
もう一つは、実際にこの印面上を見ていくと、かなりこれ太く、先ほどお話したように封泥上に捺されて、
実際この中にメリメリっと粘土が入ってきて、字が盛り上がってくれないといけないから、これを奥まですごいよく強く作られていますけれども、こういったように見たときに、このですね
「女」の細かい所の足のところの作り方を見ても、こちらの印影上じゃ、絶対わかんないことなんですけども、ここ少し鑿の跡が残ってたり、
ここも鑿の跡が残ってるから、ここをググググと刻って、ここも縦の女性が足のところの曲がるところもグーッと鑿が当たってるんですよね。ここも鑿が角のところの足が折れ曲がるところも、
端っこがギュッといっているし、こういった印面を実際に見ると、すごい最後の足のところの踵が、捺すとすごくきれいに足のその踵みたいに見える。
これもきちんとここを作って、もう細いんです。印というのはもうすごい小さい世界ですけれども、実はちゃんと元々
象形文字として漢字は、やはり特徴として、アルファベットと違うのは、元々象形文字でしたよね。(アルファベットも元はカナン文字などは象形文字でしたが、漢字は象形文字らしさをよく残しているという意味です。)
その文字のその元々の女性の足も、すごくこういう鑿で丁寧に作ってありまして、おお、なかなかいい仕事をしているなと思うわけなんですよ。だから
この「国」も、すごくここは「戈」の形をしていますが、今度は全部この文字そのものが、何から来ているのかを見ていきたいですが、それはすごく篆書を作る、つまり印の上でこう言った文字を描く時にすごく大事なことで、元々この文字が何の形をしていたのかは、これを作った人はやはり知っていて、これ何かはすごいお茶目な感じで曲がり方が、すごくチャーミングに作ってあるし、人が何か踊ってるみたいなに感じに見えるし、
そういっの遊び心がね。結構この印面にも出てたりして、漢印には結構多くあって、そういう味わいというか楽しみっていう、もう一見見た感じでは何か無表情に見えるように見えるのですけれども
実はよく見ると、味がすごく全体的にあるというのが、それがやはりこうした漢印の面白さじゃないかなと。
まあ、一見パッと見て、ああ、これすごいなぁ、圧倒的な表現だなというのは、意外と一個の場所だけが強調されてて、何と言いますか、あとは意外とすっからかんだったりするんですよ。
こういったものは、もういくら見ても色んな発見があり、飽きて来ないということで、これを実際に摹刻といって石の上にやろうとすると、同じものを作ろう、こしらえてやろうとすると、できないんですよね。
やはり、それを見たときに元の印と違いを見るんですけど、やっぱり元の印というのはすごく、元の漢字自体の象形文字として、何を象ってたのかをすごくよく表していると、例えば「王」はこれ大体真ん中ぐらいになりますけれども、ここの下の所は、やっぱり元々これは、斧(鉞:まさかり)の形をしていたから、すごくこの下はすごく強く作られていて、そういった(斧の刃の)名残りがあるなど、上の部分が二本が少しよりも下がすごく、
それはまあこの右上と左下のところの対応を考えて、下を防ぐために強く作ったということも考えられるけれども、
元々の字源に則しても、これは理に適って作られていると、しかも面白いのが、これよく見ると、一本目の線は、こちらの長さ、左側の長さ、一番上の「王」の一番上の左の長さ、右の長さが違うんですよ、これ、
すごく、それでこっちもそうです。真ん中も
それで、しかも真ん中は、こっちは真ん中まで平行に来たら、下にさがっちゃってるんですよね。
だから、すごく平行にそのまま作っていない。もし平行に作ってしまうと、赤がすごく大きく空きすぎて、こことここがあまり同じ位になると、右と左と同じくらいになるとつまらないから、少し下に下げて、少しこの三本の線も実はこれ傾きや太さが全部違ってるんですよね。
それでしかも「王」自体のこの線、真ん中の線は若干ですね。やっぱり右に寄ってすごく、
それでしかもこっちは一番出てて、こちらはちょっと中に入って、一番下が一番右に入っているから、
本当に少しずつこの始まり、線の起筆の始まりも、右にだんだんとトントンと入っていくように作って、こっちは真ん中が女性のここのちょうど手のところに入り込むから、すごいこれ真ん中が長くてこっちよりもよく出てるんですよね。
それでそういった見方もすると、すごいよく文字自体の配置の関係で、線の長さや文字の関係、文字は大体一本線が出ていると、その大きさが、ここが一本ちょっと出てるだけで、非常に大きく見えますね。
もう一つはこの「王」の方が画数があまりも少ない、大体普通楷書で書くとしたら、我々使う文字としたら、
画数が少ない文字は、小さくなるはずなんですが、これ「女」と「又」があるよりも、これでかく作ったんですよね。すごくね。
だからこれもなかなか面白い。うん、これ普通はこれ同じするか、こっちの方を大きくしちゃう、そうじゃないんですよ。
ここはすごく、だからやはり、この空きは、やはり面白いというか、全部真っ白けでしたら、本当に息苦しくなっちゃうから、
この空けてあると!そういった発見もあって、この「國」もかなりこれ下げちゃって、これ中の方が、本当はいっぱい詰まってる、「口」と「一」が入ってるのに、ここを空けるために上の曲がった部分を太くして下げてくれているから、ここが空いているんですよね。
だから、すごくそういった関係もよく考慮して作られているという発見もあると。
まあ、これをずっと話して続けると、まあ、この後もずっといってしまいますけれども、まあ一旦こういったような、色んな印面上でもパッと見ただけでも、これだけの色んな発見があるということですね。
それでもう一つ今大事な概念が出てきて、 漢字はやはり象形文字だった。元の形というのをよく知っていると、より文字が生きて、もう生き生きと、もう楽しく、しかもチャーミングでユーモアにあふれた文字造形ができると、私はこの印の研究するのも面白いけれども、更にこの文字自身のあの構成を篆法とよくいうんですkれども、
よく「篆法が間違ってる」とか、「篆法が適う」とは、「篆法」、篆書を作る時の作り方はすごく大事で、それは字源を理解する、文字が元々何を象っていたのか理解することでよく表れるということで、次はそういったような動画を作ってみたいなと思っておりまして、今回はこの印面上での話を「漢委奴國王」そのもの本丸をお話しましたけれども。
まだまだ話し足りない事はありますけれども。こういった今みたいな観点を持ちながら見てゆけるということですから、もしご興味ある方は、この後もこの印面をじっくり2時間でも、3時間でも、楽しんで頂いて、そうすれば色んな印が面白くなってきますので、
宜しくお願いしますということです。それで今後とも、沢山画面作ってまいりますので、
チャンネル登録の方をくださると、私のお話は面白いともし感じて頂いたら、
もういいね👍まで下さると、本当にやる気が出てきて、もっとしゃべりたくなってしまうので、何とぞ宜しくお願い致します。
どうもありがとうございました。今回はちょっと話しすぎましたが、ありがとうございました。
ご清聴を頂いてまして感謝しております。