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ヴェルサイユ楽派からザクセンの音楽家たちへ 序曲と組曲の伝統

Pierre Patel (1668). Le Château de Versailles.

音楽を愛する皆さまと共に第4回を迎えられました。今回も第一資料となる楽譜資料に基づき、フランス様式の序曲と後続する舞曲を併せた組曲にの伝統、バロック音楽の構造や発想の系譜をたどります。

フランス王国で確立した序曲(ouverture)は、荘厳(lentement)に始まり、附点リズムやシュライファー音型で華やぎ、快活(vite)なフーガで駆け抜けたあと、荘厳なコーダに帰る三部構成です。直接の起源は、ルイ14世を教育したマザラン枢機卿が、1653年に催した〈夜のバレ〉において、ルイジ・ロッシやカヴァッリ、カンプフォールやランベールらが共作した音楽のうち、リュリが担当したとされる序曲です。

フランス様式の序曲は、シャルパンティエ・コラッス・マレ・ドラランド・カンプラ・デトッシューらが継ぎ、ムファットやステッファーニが欧州全土に伝え、イングランド(パーセルやクッサーら)、神聖ローマ帝国(フックスやフィッシャーら)、ザクセンの音楽家(ゼレンカ・テレマン・グラウプナー・ヘンデルら)に到ります。大バッハは再従兄ベルンハルトの影響で管弦楽曲、〈パルティータ 第4番〉や〈ゴールドベルク変奏曲〉など鍵盤楽曲、ヴァイスはリュート曲を作りました。イタリア様式のシンフォニアは次回です。

(フランス様式の序曲は18世紀終わりにブルボン朝の絶対王政が揺らぎ、演奏の機会が少なくなり、急速に忘れられました。ラモーの序曲たちはHippolyte et Aricie(1733年・RCT 43)やCastor et Pollux(1737年・RCT 32)などはフランス様式ですが、ヴォルテールと組んだLe temple de la gloire(1745年・RCT 59)は次世代の前期古典派、Zaïs(1748年・RCT 60)はナポリ楽派のシンフォニアに近いため含めませんでした。)

17-18世紀の欧州全土のフランス様式の序曲により、初期・中期・盛期・晩期バロック音楽の構成、主旋律と通奏低音のモノディ様式、対旋律やオブリガート、リズム音型や和声や終止を概観して、バロック音楽を俯瞰します。

フレンドリーな仲間ときれいな会場で最高の音楽を聴きます。お友達をお誘いの上、お気軽にいらして下さい。またお会いする日が楽しみです。

L’Histoire de l’ouverture ou de la suite d’orchestre
ヴェルサイユ楽派からザクセンの音楽家たちへ
―序曲(ouverture)と組曲(suite)の伝統―

2021年7月4日(動画追補)

カンプフォール(1653年)Jean de Cambefort [1605-1661] Le Ballet. Royal de La Nuit. Ouverture

リュリ(1676/86年)Jean-Baptiste Lully [1632-1687] Atys (LWV 53) & Armide (LWV 71)

シャルパンティエ(1684/94年)Marc-Antoine Charpentier [1643-1704] Actéon (H. 481) & Médée (H. 491)

コラッス(1687年)Pascal Collasse [1649-1709] Achille et Polyxène (LWV 74)

ムファット(1698年)Georg Muffat [1653-1704] Florilegium Secundum. Fasciculus II. Laeta Poesis

ステッファーニ(1689/91年)Agostino Steffani [1655-1728] Henrico Leone & Orlando generoso

マレ(1706/09年)Marin Marais [1656-1728] Alcyone & Sémélé

ドラランド(1703年)Michel-Richard Delalande [1657-1726] Suite n°5 en sol bémol majeur (S. 159)

パーセル(1681/92年)Henry Purcell [1659-1695] Ouverture in G minor (Z. 770) & The Fairy Queen (Z. 629)

カンプラ(1699/1702年)André Campra [1660-1744] Le Carnaval de Venise & Tancrède

クッサー(1700年)Johann Sigismund Kusser [1660-1727] Suite Nr. 5 in Es-Dur (Festin des Muses)

フックス(1701年)Johann Joseph Fux [1660-1741] Ouverture in g-moll (K.355)

シュミーラー(1698年)Johann Abraham Schmierer [1661-1719] Suite Nr. 4 in d-moll (Zodiaci musici)

フィッシャー(1695年)Johann Caspar Ferdinand Fischer [c. 1670-1746] Ouverture Nr. 6 in F-Dur (Opus 1)

デトッシュー(1712/21年)André Cardinal Destouches [1672-1749] Callirhoé & Les élémens

J.B.バッハ(1730年頃)Johann Bernhard Bach [1676-1749] Ouverture-Suite Nr. 3 in e-moll

ゼレンカ(1723年)Jan Dismas Zelenka [1679-1745] Ouverture à 7 Concertanti in F-Dur (ZWV 188)

テレマン(1723年)Georg Philipp Telemann [1681-1767] Ouverture-Suite in C-Dur (TWV 55:C3)

グラウプナー(1732-34年)Christoph Graupner [1683-1760] Ouverture in G-Dur (GWV 466)

ヘンデル(1740年頃)Georg Friedrich Händel [1685-1759] Ouverture Es-Dur (HWV 336) D-Dur (HWV 424)

大バッハ(1725/28/33/42年)Johann Sebastian Bach [1685-1750] Ouverture Nr. 4 in D-Dur (BWV 1069)

Partita Nr. 4 in D-Dur (BWV 828)

Ouverture nach Französischer Art (BWV 831)

Goldberg-Variationen (BWV 988) Variatio 16

ヴァイス(1725年)Silvius Leopold Weiß [1687-1750] Ouverture für Laute in B-Dur (WeissSW 4/31.2)

2017年6月9日

「ヴェルサイユ楽派からザクセンの音楽家たちへ」にいらして下さり、また、ご参加がかなわない方もお言葉かけ下さり、ありがとうございました。今回はいつも楽しみにして下さる方が、参加がかなわず、平日の夜しか会場がお取りできないこと、ご迷惑をおかけいたしました。樋口先生、中川先生、津谷さん、神澤さん、Facebookをなさらないお二方が六名いらして下さりました。また、林さんは直前に体調が優れなくなり、ご参加がかないませんでしたが、ノートパソコンをお貸しくださりました。津谷さんは直前まで未定でしたが、サロンをご心配なさり、当日に思い立ち駆けつけて下さり、皆さまをおもてなし下さり、会場に入りましたとき、完成したコーディネートに感激しました。本当に助けられました。中川先生は大阪からお越しくださり、美味しい御菓子をお土産に頂きまして、皆さまにお出しできました。神澤さんもご多忙なところ、数日前からお考え下さり、ご参加くださりました。皆さまに感謝しきれないほど感謝しております。

パソコンの操作が不慣れで皆さんに向かいお話しする間に譜めくりできず、楽譜と音源が同期せず、説明が分かりにくいことがありましたが、樋口先生から楽譜をスクロールしなくても、特徴ある部分を抜粋して予めお見せすれば十分であるとアドヴァイスいただき、楽譜の画像に加工して、実際に通過するときに目に入り耳で確かめられますように致します。

今まで学んできたことを共有できる機会が嬉しくて濃厚になりましたこと、ご参加がかなわなかった方もいらっしゃりますことから、皆さまのお役に立つかと思い、長文になりましたが、昨日の要点を整理いたしました。

昨日は初めに初期ルネサンスのデュファイから、平行和声(フォーブルドン)、オケゲムがカノン(模倣技法)、定旋律の要素を散りばめる方法などにより声部を増やす方法、また、音程を積み上げた和音に三声、和音に流れを重んじた和声に旋律を加えて四声が必要になり、四声楽曲がブルゴーニュ=フランドル楽派で標準となりましたこと、ジョスカンが縦の音程を響かせながら(ホモフォニー)と横の旋律を積み上げる(ポリフォニー)を用い、そうした多声歌曲がリュートで伴奏や演奏されると和音の音をずらして弾くようになり、ビウエラではナルバエスのような旋律を生み出した変奏技法が発達して、歌曲の旋律も長い音が細かい音の粒で飾り立てるディミニュションでリズムや音型が生み出されたこと、また、多声歌曲などを原型や旋律の断片を声部に散りばめて、パロディミサが生まれて声部も増え、ヴェネツィアで音響効果のため、合唱のグループを作り、位相をずらした複合唱様式が生まれ、パレストリーナらが好んで用い、ジョバンニ・ガブリエリらのグループの対比技法(コンチェルタート)の起源となり、シュッツらは片方のグループを器楽に置き換え、楽器や声部の数で音色を代えるようになりました。教会音楽でオルガン、世俗音楽でリュートなど、旋律に対する伴奏が四声のうち下三声をシステム化した通奏低音の起源となり、一本の音の連なりで書かれた通奏低音の上に和音の積まれるシステムが確立しました。カッチーニやダウランドらが、リュート歌曲でモノディ様式を発達させ、声楽から器楽に応用され、また、サラバンドやシャコンヌなど長い音による低音主題に和音を積み上げ、分散させ旋律を生み、変奏する技法も生まれ、フランスの軍楽隊(エキュリー)に奉職したフィリドールの管楽曲に和声を充実する平行なオブリガート声部を見ました。バロック音楽の基礎となる技法として、以上をダイジェストにお話ししました。

ルイ14世の宮廷にイタリア出身のマゼラン枢機卿がカヴァッリらのオペラを紹介しましたが、声楽だけでは満足されず、①カンベフォールらが〈夜のバレー〉(1653年)で舞踏を散りばめましたこと、また、序曲の符点音符、舞曲のリズムや旋律の区切り(アーティキュレーション)の起源として、当時の舞踏譜と音楽が対応する視点に触れました。フランス王室の制度として、室内楽(シャンブル)の奏者は五声に分かれましたが、旋律と通奏低音の二本で書かれることも多く、任意に中間の三声を加え、②リュリの〈アティス〉(1676年・LWV 53)ではそうして演奏されました。楽譜にない音程の跳躍を埋めたシュライファー音型(ティラータ)による任意の装飾がされ、リュリは(ルネサンスのムジカ・フィクタに近い)旋律を臨時記号で色付けする発想で増減音程を用い、序曲に三拍子系の中間部(フガート)を取り入れられました。ルイ・クープランのプレリュードなど、当時の鍵盤音楽とも構成が対応していました。

③シャルパンティエの〈メデー〉(1694年・H. 491)の序曲では符点リズムでありながら順次進行するなめらかな旋律が流れ、声部の関係が平行和声によるため優雅に聴こえ、パストラールのようでした。そして、旋律の始まりや終わりに臨時記号を置き、繊細な色付けがされますように配慮されていました。フガートでも反行が少なくて平行に進むため円滑で清々しいです。続く、快活な通奏低音で歌われるレシや合唱ではカリッシミらしいやわらかい器楽と弦楽や高声部と低声部の対比が見事でした。一方、④コラッスの〈アシルとポリクセーヌ〉(1687年・LWV 74)の序曲はリュリの右腕らしく、細切れな符点リズムと跳躍音程により、不協和音もカオスに混ざりながら音の塊が降り揺れているようでした。

フランスを離れ、リュリやコレルリと面識が持ちました⑤ムファットの〈詞華集(Florilegium)第二巻 第二部〉(1698 年)の序曲は跳躍に美しいなめらかな旋律が続き、和声に配慮された跡が見られました。特に符点音符に通常の音符が連なるモチーフを順次進行で上下して色んな音から初め、ゼクエンツをなして盛り上がりを生みました。フガートでは三拍子のリズムに六つの八分音符の長短あるリズム音型を散りばめながら流れ、聴く人に心地よくリズムに乗る感覚をもたらし、ゼクエンツが順次進行して徐々にクライマックスを達した途端に荘厳な二拍子のテンポに戻されるなど、リズムの効果もよく考えらていました。また、序曲をチェンバロ独奏に編曲した初期の作風を残しました。

⑥ステッファーニの〈気前のよいオルランド〉(1691年)の序曲はヴィオール合奏のように渋く、経過和声を考慮して旋律断片を反行形などが、各声部に絶妙に散りばめられ、色んな声部から同じ音型が聴こえてくる体験が積み重なり、符点リズムと通常リズムを縦に同期させ、係留により多様な経過和声が生じるため、何度も思索を繰り返すように聴こえました。フガートでは快活に各声部が滑り出したと思いきや、長いペダル低音が利き、旋律の流れに強い引き締めが働き、内に秘めた情感が立ち現われるように聴こえます。ゼクエンツが効果的に用いられ、懐古的な叙情を深めてゆきました。

フランスに戻り、⑦マレの〈アルシオーヌ〉(1706年)では、符点リズムを伴う順次音程の上行とその鏡像の下行を交替させ、特に八分音符が長い連なりで沈滞するように聴こえ、最後に和音に解消してサラバンドらしく、ヴィオールのための組曲でもよく見られる特徴が見られました。フガートでは通奏低音が活発に動き、跳躍しながら下降して、ヴィオールの名手らしく、弓が弦の上を跳ねている様子が浮かばれ、がっしりとした低音から生み出される豊かな響きが印象的でした。

⑧ドラランドの〈王の晩餐のためのサンフォニー 組曲 第5番〉(1703 年・S. 159)は題名通り、ルイ14世の食卓の音楽としてオペラ・バレーなど歌劇から器楽を抜粋したコレクションからです。特に序曲にエール・ガヴォット・メヌエット・シャコンヌなど舞曲や時に声楽が続き、管弦序曲の元祖となり、リュート組曲のよう調性を揃えて演奏されました。食卓の音楽 (Tafelmusik)とも発想が似ており、穏やかで美しい流れの曲が並んでおります。

⑨パーセルの〈序曲 ト長調〉(1681年・Z. 770)はドラランドの作とともに組曲形式の管弦楽曲として最初期の例です。また、ホモフォニーを主体とする書法により、四拍を配置して、符点リズムをところどころに施した過程が見られます。フガートでは三拍子で和音を配列して、旋律が浮き立つような工夫が見られ、特に八分音符と四分音符の密度を変えて、リズムの変化を調整して、ヘミオラの効果を与えました。透明な和声が美しく特徴が現れていました。

⑩カンプラの〈ヴェニスの謝肉祭〉(1699年)の序曲では、長い音を強い拍で鳴らして音の厚みを生み出し、弱拍で細かな経過和声を加えています。フガートでは例えば符点音符に三つ八分音符が続くような特徴的なリズムを色んな声部に散りばて、音空間に立体性を与えました。全ての声部が休まず旋律が続き、分厚い響きの中に浮かんでいる感覚になります。荘厳な開始部に戻り、曲を閉じる終わりに一瞬だけ臨時記号が付き、絶妙な響きにするところにも工夫が見られます。

⑪クッサーの〈組曲 第五番 変ホ長調〉(1700 年・Festin des Muses)はリュリを踏まえながら、彼らしいひねりがあり、例えば八分音符2つに符点リズムが続いてシンコペーションするおどろおどろしいリズムが、楽譜に表記されない細かいブレスのような小休止を生み、独特な感覚になります。そして、各声部が本当にてんでばらばらなリズムを刻んでおり、縦が合わないため、複雑な経過和声が生じています。終結部の手前では奇妙な転調により変化が付けられます。フガートで旋律を重ねて進むようですが、各声部で刻むリズムの強拍・弱拍をちぐはぐにして、アシンクロな効果を楽しみます。

ウィーン宮廷で奉職した⑫フックスの〈序曲 ト短調〉(1701 年・K.355)はホモフォニーな書法により、ト短調の表情を用いて、ゼクエンツで何度も確かめあうように進み、独特な情緒を深めております。順次進行の旋律が声楽のようで特に通奏低音の基盤に協和音程を積み上げて作曲されがっしりとしています。細かい音型を散りばめて、経過音を巧みに使い、手堅い作曲に思います。フックスには聴けば聴くほど味わいが深まる作を多く残しました。また、⑭フィッシャーの〈序曲 第6番 ヘ長調〉(1695 年・Opus 1)も美しく安らぎに満ち、特に短い帰結部でセブンスがチャーミングです。デトッシューの〈カリロエ〉(1712年)は細かいリズムが躍動して気持ちよいですが、時間の都合で割愛いたしました。

中部ドイツに移り、大バッハの再従兄⑯ヨハン・ベルンハルト・バッハの組曲形式の〈序曲 第3番 ホ短調〉(1730 年頃)は四声の弦楽のために書かれますが、符点リズムとそれに伴う細かい拍を取ると、長い二分音符が小節に二つ並び、縦が美しく揃うホモフォニーの基本構造が見られ、四声体のコラールを基礎として作曲されていると感じられました。つまり、長い音で構成されてゆるやかな順次進行する旋律に和声が付けられ、各々の二分音符を符点音符にして、経過和声を処理したことが、二分音符がところどころに残されており分かります。序曲の特徴として符点が付いておりますが、フランスの躍動するリズムとは異なる情緒が感じられます。フガートは細かな特徴を生かした音型を重ねた緻密な作曲です。通奏低音が突然やみ、高音部の三声だけになり、軽重の大意がなされます。帰結部では短調の和声に一瞬だけ長調のコードを通過して、短三度の連続に長三度が埋め込まれ、緊張した中に安らぎをもたらすところも絶妙でした。

⑰ゼレンカの〈序曲 ヘ長調〉(1723 年・ZWV 188)はいきなりシュライファー音型で幕開けますが、フランスの序曲にはなく型破りです。そもそも跳躍音程を埋める装飾でしたが、ゼレンカは作品のモチーフとして使用しました。大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉(1742年・BWV 988)の後半を幕開ける第16変奏と面白いほど一致して、ゼレンカのこの作品をドレスデンで知ったかもしれません。バロック音楽の爛熟期に当たり、音型が豊かになり、リズムの密と疎対比、上声と下声の重と軽の対比、独奏と合奏が交替するコンチェルトも加味されます。フガートでも管楽器と弦楽器が対話したり、平行和声でオブリガート声部として強調したり、反行形で経過和声を使い、何度も転調を重ねながらゼクエンツを繰り出して、荘厳な開始部に戻りますが、ゼクエンツで回想するようになり、アダージョで速度を落として、別れを惜しむように短調に一瞬転じて主調で終わり、多様な組み合わせを楽しんでいるようです。フランスでは長くても数分でした序曲が長時間化して、舞踏らしさが薄れて、音楽の作品となりました。⑱テレマンの〈序曲 ハ長調〉《ハンブルクの潮の満ち干》(1723 年・TWV 55:C3)は有名な作品で通奏低音が退化してホモフォニーに接近した作風を見るに留めました。

⑲グラウプナーの〈序曲 ト長調〉(1732-34 年・GWV 466)は弦楽器と管楽器の群は縦にリズムがまとまり組となり、特に弦楽器では通奏低音と兼ね合い、リズムの細かさや反行型を用いて細かく調整して経過和声を考慮してゼクエンツを形成しております。弦楽器の群に管楽器の群が華やかさを添えたり、対話がなされたり、様々なパターンが試みられます。同じリズムを繰り返して、聴いている人を拍子の繰り返しに引きこみますが、突然、長い音が現れ意外性をもたらします。フガートで爽快に弦楽器が走りだし、徐々に管楽器や通奏低音が追いかけ、音量が上がると弦楽器のリズムが細かくなり、次はリズムの多様性のため三拍子やジーグらしい形も用い、細かい走句を気持ちよく駆け抜け、今まで出てきたリズムのパターンを複雑に組み合わせたクライマックスに近づくと、管楽器や打楽器が更に押すといきなり声部が減り、開始部に戻ります。常にパルスを刻み、リズムや音型、和声や音量が変わり惹きこまれます。⑳ヘンデルの〈序曲 変ホ長調〉(1740 年頃・HWV 336)はホモフォニーを主体として途中で合奏と独奏のコンチェルトを応用されることに留めました。

㉑大バッハのカンタータ〈私たちの口は笑いで満たされ〉(1725年・BWV 110)の序曲は、〈管弦楽組曲 第4番〉(1731年・BWV 1069)の初稿の間奏に合唱を挿入した構造を持ちますから、先ずは管弦楽組曲のスコアで三つの四声による群に分け、通奏低音が付けられた構造を見て、金管楽器・木管楽器・弦楽器に分かれ、バッハが四声からなるグループ内に旋律を想定して和声を充実させ、経過音を調整して組み上げ、グループ間が連携するよう、金管の和音の塊が降り注ぎ、木管がやわらかく受け、弦楽器に渡すように配置して、適切な速度で演奏されると声部の受け渡しが聴こえました。また、グループ間かグループ内で鳴らしたり休んだりして音量を調節したり、合奏と独奏を対比するコンチェルトから取り入れた技法も使われて、高音部と低音部の軽重や管楽器と弦楽器の音色により会話をなして声部の間にも対比を生みました。フガートには合唱が挿入され、器楽とリズムを統一するため、符点リズムや三連符が続出して、機敏ですがきちんと発声することが要求され、難易度の高さを感じました。合唱では器楽と同じく声部の対比が使われていました。㉒ヴァイスの〈リュートのための序曲〉(1725 年・WeissSW 4/31.2)などは機会がありましたら扱いたいと思います。

樋口先生から最後にご指摘がございました、コラールの用法に付いてですが、大バッハの弟子アグリコーラ(Johann Friedrich Agricola, 1720-1774)が証言した、通奏低音から純正な四声部を通じて、コラール書法を教えていたことを踏まえておりました。キルンベルガー次男エマヌエルが編集して出版した四巻(BWV 250-438)に当たると思われます。ルター派がラテン語聖歌やドイツ語民謡などを転用(contrafactum)もしくは新作して豊かにしたコラール(Choräle)の旋律により、四声体に和声づけられるホモフォニックな書法であり、バロック期に通奏低音が加えられた経緯を存じておりまして、ドイツで序曲の性格が変わり、音符の操作で二分音符にバスや通奏低音が細かく動くコラールに符点リズムや装飾を付けて作られたよう、特にヨハン・ベルンハルト・バッハの序曲に感じました。但し、大バッハのカンタータは序曲の器楽的なリズムを合唱で実現しようと、高度な発声を要求しているように思われ、人間の声を楽器のように用いていることから、作曲のプロセスでコラールから発想された可能性は低く、そちらは合唱とするのが正しいです。

序曲といいましても、符点音符やシュライファー音型を持ちながら三部型式であるという緩い基本条件により、フランスの舞踏を伴奏した初期から、欧州の各地に伝搬してゆきながら、ポリフォニックやホモフォニック、コンチェルトの対比などによる声部関係の工夫など、様々な試行錯誤が重ねられて、多様になりましたことが分かりました。

皆さまから温かいお言葉かけやお気持ちを頂きまして、音楽を通じて素敵なご縁を頂きまして、本当に感激しております。音楽を初めとする人類の文化に興味があり、真剣に掘り下げ、熱烈に知りゆきたいです。作品の分析に留まらず、構造の理解を通じて、作者の発想をたどり、人間の思考に還元されると思うからこそ、昨日のような、方法をとりました。また、知識として蓄えることではなく、実際に演奏するとき、鑑賞するとき、直接に関係してくることだと思います。音楽を演奏するにも、楽譜を音にする練習してつなげれば成功することではなく、作者の意図がどこにあり、作者の意図をいかにとらえて、作者の意図を表現できるかが大切しているからです。今後とも試行錯誤を重ね、手を変え品を変え、文化の学び方などを工夫しながら、音楽を演奏される方にも、音楽を愛聴される方にも、おもしろくお話ができ、お役に立てたら嬉しいです。音楽を愛する仲間が増えることを至上の楽しみとしております。サロンは隔月で開催してまいりましたが、諸般の都合により、九月あたりの開催となりそうです。また、お会いできます日まで、お元気にお過ごし下さい。

2017年5月15日

ゲオルク・ムファットは、フランス・サヴォワ地方のメジェーヴで生まれ、1663-69年にパリでリュリに学び、1671年にアルザス、1674年にウィーン、1677年にプラハに移り、1678年にザルツブルクでビーバーと会い、1680年にはイタリアでパスクィーニにフレスコバルディから伝統あるオルガンを学び、ローマでコレッリに会い、彼の家で新作の合奏協奏曲を演奏しました。1690年から晩年はパッサウ司教の宮廷楽長でした。

〈ムファットのリュリ解釈〉

Georg Muffat [1653-1704] Florilegium Secundum.

2017年5月23日

ジャン=フィリップ・ラモーによるZaïs(1748年・RCT 60)の序曲は、イタリア様式(特にナポリ楽派)のシンフォニアに近く、符点リズムやシュライファー音型は少なく、十六分音符の走句や同音連打の音型により、マンハイム楽派を先取りするクレッシェンドや打ち上げ花火(分散和音の急激な上昇)が見られ、半音進行や二度進行などのバロックの特徴は薄まり、ドミナント(五度進行)やサブドミナント(四度進行)を主体とする古典派の和声に近いですね。以上からラモーが書いた後期の序曲はシンフォニア特集のときにします。それにしても、旧派(リュリ)と新派(ラモー)の流れが論争を起こしながら併存していた18世紀中頃はおもしろい時代でしたね。

ラモーは《自然の諸原理に還元された和声論(Traité de l'harmonie réduite à ses principes naturels)》(1722年)、《和声の生成(Génération harmonique)》(1737年)、《和声原理の証明(Démonstration du principe de l'harmonie)》(1750年)、《音楽実践の規範(Code de musique pratique)》(1760年)などにより、根音上の三和音や転回形を基礎として、カデンツの形成などを記述して、転調を含んだ和声理論に大きく貢献しました。百科自書派の科学者ダランベールの《ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎(Élémens de musique, théorique et pratique, suivant les principes de m. Rameau)》(1759年)も名著です。

優雅なインドの国々 Les Indes galantes (1736年・RCT 44)
ナヴァールの姫君 La Princesse de Navarre(1745年・RCT 54)
栄光の殿堂 Le Temple de la Gloire(1745年・RCT 59)
詩神ポリムニー Les Fêtes de Polymnie(1745年・RCT 39)

2017年6月2日

マルカントワーヌ・シャルパンティエの〈メデー(Médée)〉(1693年・H. 491)の序曲

ルイ14世を熱烈に褒めたたえるレシ(叙唱)にコール(合唱)が続きこれでもかと押してきます。

国王は大いにご満悦したと思われます。台本はフランス文学史上最高の悲劇作家とされるピエール・コルネイユの弟トマによります。兄ピエールも1635年に同じ主題で台本を書きました。

フフランス語で「力(puissance)」、「知(intelligence)」、「存在(présence)、「法律(lois)」、「賞賛(exploits)」・「王(rois)」が韻を踏みまして、大意は以下のようです。

音楽については音楽だけに立ち入りたい方針により、敢えて音楽の構造ばかりお話ししておりましたけれども、時には当時の事情や歌詞の内容をお伝えすることもおもしろそうですね。

Louis est triomphant, tout cède à sa puissance,
ルイは勝利者で全てが彼の力に圧倒された
La Victoire en tous lieux, fait révérer ses lois.
勝利の女神は全地で彼の法律を称えるよう
Pour la voir avec nous toujours d’intelligence,
あの方の知性を常に目の当たりにするがため
Rendons-lui des honneurs dignes de sa présence.
あの方の存在に敬意を表そう
Rendons-lui des honneurs dignes des grands exploits
偉大なる功績に敬意を表そう
Qui consacrent le Nom du plus puissant des rois.
それらが最強の王の名とする

Médée, tragédie mise en musique par Monsieur Charpentier 1694 Christophe Ballard
UN CHEF D’HABITANTS, DE BERGERS HEROÏQUES & de Pastres

Louis XIV 1661 Charles Le Brun
Louis XIV 1701 Hyacinthe Rigaud

2017年6月5日

ジャン=バティスト・リュリによる王のバレー〈愛の勝利 (Le Triomphe de l'amour)〉(1681年・LWV 59)のエールにより、アポロンの入場(Entrée d'Apollon)を王が踊りました。

ルイ14世は1662年に舞踊アカデミーを設置しました。ピエール・ボーシャンとラウール=オージェ・フイエが舞踏譜(Chorégraphie)を考案したことにより、宮廷舞踊を復原できます。

貴重な舞踏譜により、楽譜にある符点リズムやシュライファー音型が舞踏の動作と対応して、音型の起源や舞曲の性格が分かります。明々後日は様々な角度から楽しめるように致します。

宮廷楽団に聖歌隊(Chapelle)・軍楽隊(Écurie)があり、室内楽(Chambre)はDessus・Haute[-contre]・Taille・Quinte [Basse-taille]・Basse[-contre]と五声の弦楽器によりました。

○ Jean-Baptiste Lully (1681). Le Triomphe de l'amour, ballet royal, mis en musique, Paris: Christophe Ballard: 188-190.

○ Raoul-Auger Feuillet (1700). Recueil de danses, composées par M. Feuillet. Entrée d´Apollon: 60-66.

2017年6月6日

こんばんは。明後日はアカデミー向丘の1階の学習室で午後7時からです。午後6時にいらしたらお話しできます。

会場を土日に予約することができず、平日の夜にせざるを得ず、ご不便をおかけ致しまして申し訳ございません。

しかし、17-18世紀のフランスで確立した序曲が、欧州に普及した流れをたどり親しみを持てますように努めます。

欧州の各地から集めた当時の楽譜により、音楽を聴きますが、楽譜に親しみがない方も語りをお楽しみ頂けます。

音楽をその場で楽しむだけではなく、皆さまの音楽をより楽しんで頂けますような意義ある集まりとしたいです。

会場費や準備費、集まりで使います備品のため、最低限の御代だけ頂きますが、今後とも非営利で開催いたします。

音楽を愛する仲間が増えますことを願っております。初めてお聴きになる方、いつもお世話になる方、大歓迎です!

お友達をお誘いの上、楽しみにいらして下さい。非公開グループですが、ご遠慮なくお友達をご招待くださいませ。

ヤン・ディスマス・ゼレンカの序曲 ヘ長調 Ouverture à 7 Concertanti in F-Dur(1723年・ZWV 188)です。

ボヘミアに生まれ、ドレスデンに移り、リズムや和声法で創意工夫に富んだ素敵な作品がたくさん書きました。

2017年6月7日

こんばんは。明日に皆さまとお会いできますことが楽しみです。音楽を愛する仲間を増えることが喜びです。今回もかなり熱いレクチャーになり、西洋音楽の歴史を追跡しながら重要な事項が頻出します。

バロック音楽の基礎であるモノディ様式、即ち、主旋律に和声進行をシステム化した通奏低音から、オブリガート声部の充填、複合唱様式から発達したコンチェルタートの対比、カノン・フーガなど対位法の技法を駆使して、四声体のモテットやコラールを装着して、カンタータにまでなる充実した管弦楽法(オーケストレゼーション)を体験できる貴重な機会です。

そして、旋律の作り方として、即興や装飾の習慣によるディミュニエーションから、リズムや音型が生まれ、和声や転調をするゼクエンツが生まれるプロセスも明らかになります。また、フランス宮廷の趣向に合わせて音楽劇(オペラ)にバレーやダンスを取り入れた様式から、管弦楽曲だけを演奏した習慣により、組曲形式の序曲が発達した経緯も明らかになります。

西洋音楽を基本構造や演奏習慣を理解でき、17-18世紀のバロック音楽、ひいては、フランスの宮廷音楽だけに留まらず、信頼できる資料により、音楽家の思考様式、作曲のプロセスを明らかにしながら進めてまいり、音楽への理解が深まり、実際にご演奏やご鑑賞なさるとき、音楽が語りかけてくる感激が得られるようになり、音楽を接するときお役に立つ重要な機会です。

例えば、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの降誕節カンタータ第110番「私たちの口は笑いで満たされ(Unser Mund sei voll Lachens)」(1725年・BWV 110)の序曲(Ouverture)は、管弦楽序曲 第4番の初稿(BWV 1069a)の間奏(フガート)を合唱(コラール)にして、フルートのオブリガート声部を加えた構造から、大バッハの作曲プロセスを復原できます。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの〈管弦楽組曲 第4番 ニ長調〉(1731年・BWV 1069)

音楽系譜学という発想により音楽史を関係性により横断的に構築する試みの一環です。

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