Ernst Joachim Scheffler (1749). Der Markt in Leipzig. „Das Rathhaus, und der grosse Marckt mit den darbey befindlichen gebäuden.”
大バッハの〈アリアと種々の変奏〉《ゴールドベルク変奏曲》(BWV 988)は1741年秋にライプツィヒのミカエル祭見本市で世に送り出されました。
音楽を愛する皆さまと共に第5回を迎えられました。今回は大バッハの〈アリアと種々の変奏〉《ゴールドベルク変奏曲》(1741年・BWV 988)のアリア・第7・9・13・16変奏を弾き語ります。低音主題で示される和声進行に従いながら、フーガやカノンを構成して変化を与え、序曲や舞曲などによる様々な音型や様式を用い、作曲技法の標本箱を世に出しました。
アリア サラバンドにノートルダム楽派のオルガヌム、ブルゴーニュ宮廷のバスダンス、ヴァージナル楽派の変奏(ground)、カプスベルガーのRomanesca(1604年・Libro primo d'intavolatura di chitarrone)やルイ・クープランの(1658年・F-Pn Rés.Vm7 675, 48v)など、類似した基本低音主題によるパーセルのA Ground in Gamut(1680年代・Z. 645)・ブクステフーデのAria mit 32 Variationen über Bergamasca „La Capricciosa“(1690年頃・BuxWV 250)・ヘンデルのChaconne mit 21/62 Variationen(1733年・HWV 435/442)との関わりをみます。
第7変奏 ジーグにウィリアム・バードのA Galliards Gygge(1591年・My Lady Nevells Booke)・プレトリウスのGaillarde(1612年・Terpsichore)・老ゴーティエのGigue. La Poste(1638年・CLFVGa 63)・シャンボニエールのGigue. La Vilageoise(1647年・Livre premier)・デュフォーのGigue. La Sauterelle(1670年・CLFDuf N°148)・リュリのRoland(1685年・LWV 65)よりGigue à deux(舞踏譜1709年・Recueil de danses composées par M. Feuillet)・ヴィオールによるマラン・マレのGigue. La précieuse(1725年・Pièces de viole V)や大バッハの〈無伴奏チェロ組曲 第5番〉Gigue(1723年・BWV 1011)との関わりをみます。
第9変奏 三度のカノンに中世カノン(rota, chase, caccia)と固執低音(pes)、例えば〈夏は来たりぬ(Sumer is icumen in)〉(1261年・GB-Lbl Harley 978, 11v)、《トゥルネーのミサ》(1349年・B-Tc 476, 32v)、ピカードのSanctus(1421年・GB-Lbl Add. MS 57950 (Old Hall Manuscript), 100v)、ボード・コルディエ(1398年・F-CH MS 564 (Codex Chantilly), 12r)、デュファイの四声ミサ曲Missa Se la face ay pale(1451年)やオケゲムの三声ロンドー Prenez sur moi(1469-73年)、ゼレンカの《9のカノン》(1721年・ZWV 191)、大バッハの《14のカノン》(1748年・BWV 1087)やカノン変奏曲Vom Himmel hoch(1747年・BWV 769)との関わり、正置・転回、正像・鏡像、反行・逆行、単純・多重、拡大・縮小の操作などをみます。
第13変奏 ディミニュションにルイス・デ・ナルバエスのDiferencias sobre Guárdame las Vacas(1538年・El libro sesto del delphín)、フランス宮廷歌曲(air de cour)としてアントワーヌ・ボエセのN'esperez plus mes yeux(1642年・9ème Livre d'Airs de Cour à 4 et 5 parties)、クリストファー・シンプソンのPrelude・Ground(1659年・Division Viol)、大バッハの無伴奏チェロ組曲第4番Prélude(1723年・BWV 1010)など、単旋律(stile monodico)で長い音価を短く分割して、リズムや旋律線を変奏する縮小技法(diminution)、ドメニコ・スカルラッティの後期鍵盤ソナタ(1756年・Parma XIII 21・K.474/L.203/P.502)との臨時記号による旋律に対する情感の色付けをみます。
第16変奏 フランス様式の序曲にジャン=バティスト・リュリのCadmus et Hermione(1679年・LWV 49)の五声弦楽器による序曲とジャン=アンリ・ダングルベールによる鍵盤楽器用編曲(1689年・Pièces de clavecin)、ヤン・ディスマス・ゼレンカの〈七声協奏様式による序曲〉(1723年・ZWV 188)、シルヴィウス・レオポルト・ヴァイスの〈リュートによる序曲〉(1725年・WeissSW 4/31.2)など、信頼できる楽譜資料に基づき、大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉に対して、アイディアの起源や伝統や様式の発達などを俯瞰して系譜をたどり、大バッハの思考様式・作品構造・作曲過程に迫り、細かい解釈の鍵を一つずつ明らかにします。
通常のその作品だけを掘り下げる視点とは異なり、今までの集大成として、西洋古典音楽の伝統、バロック音楽の歴史を参照して、大バッハの作曲過程や思考様式に接することができます。
一つのことを掘り下げるより、あらゆる面から一つのことを捉えてゆく方が、実は一つのことも深く知り、あらゆることにも接することができ、体験が豊かになり、本質が見えてくることから、文化を関連をたどり把握することを大切にしております。
今回が最後のサロンになると思います。フレンドリーな仲間ときれいな会場で最高の音楽を聴きます。お友達をお誘いの上、お気軽にいらして下さい。お会いする日が楽しみです。
Johann Sebastian Bach: Aria mit Verschiedenen Veränderungen „Goldberg-Variationen”
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「アリアと種々の変奏」 通称「ゴールドベルク変奏曲」(1741年・BWV 988)
―大バッハのゴールドベルク変奏曲にみる古典音楽の伝統―
☆アリア サラバンド Aria
ノートルダム楽派のオルガヌム レオニヌス Leoninus [c.1125-1201] 二声オルガヌム Haec Dies(1170年頃・I-Fl MS Pluteus 29.1, 108r-109r)
ブルゴーニュ宮廷のバスダンス Barcelonne(1430年頃・B-Br 9085, 16v)・Arrogamer [Arragonier](1460年頃・D-Mbs Mus. MS 3725 (Buxheimer Orgelbuch), 65r)
オケゲム Johannes Ockeghem [c.1410-1497] 三声ロンドー〈恋の相手を変えたなら、私の心は卑しいものとなるでしょう(D'un autre amer mon cuer s'abesseroit)〉(1461-65年・D-W Cod. Guelf. 287 Extrav., 33v-34r)
アテニャン Pierre Attaingnant [1494-1552] Basse danse 'La Magdalena'(1530年・Dixhuit basses dances)
ウィリアム・バード William Byrd [1543-1623] Hughe Ashtons Grownde(1591年・My Lady Nevells Booke)
カプスペルガー Giovanni Girolamo Kapsperger [1580-1651] Romanesca(1604年・Libro primo d'intavolatura di chitarrone)
ルイ・クープラン Louis Couperin [1626-1661] Chaconne(1658年・F-Pn Rés.Vm7 675, 48v)
パーセル Henry Purcell [1659-1695] A Ground in Gamut(1680年代・Z. 645)
ブクステフーデ Dieterich Buxtehude [1637-1707] Aria mit 32 Variationen über Bergamasca „La Capricciosa“(1690年頃・BuxWV 250)
ヘンデル Georg Friedrich Händel [1685-1759] Chaconne mit 21/62 Variationen(1733年・HWV 435/442)
①第7変奏 ジーグ Variatio 7. a 1 ô vero 2 Clav. al tempo di Giga
ウィリアム・バード William Byrd [1543-1623] A Galliards Gygge(1591年・My Lady Nevells Booke)
ミヒャエル・プレトリウス Michael Praetorius [1571-1621] Gaillarde(1612年・Terpsichore)
老ゴーティエ Ennemond Gaultier [c.1575-1651] Gigue. La Poste(1638年・CLFVGa N°63)
シャンボニエール Jacques Champion de Chambonnières [1602-1672] Gigue. La Vilageoise(1647年・Livre premier)
デュフォー François Dufault [1604-1672] Gigue. La Sauterelle(1670年・CLFDuf N°148)
リュリ Jean-Baptiste Lully [1632-1687] Roland(1685年・LWV 65)よりGigue à deux(舞踏譜1709年・Recueil de danses composées par M. Feuillet)
マラン・マレ Marin Marais [1656-1728] Gigue. La précieuse(1725年・Pièces de viole V)
大バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750] 〈無伴奏チェロ組曲 第5番〉Gigue(1723年・BWV 1011)
②第9変奏 三度のカノン Variatio 9. Canone alla Terza. a 1 Clav.
中世カノン(rota・chase・caccia)と固執低音(pes)〈夏は来たりぬ(Sumer is icumen in)〉(1261年・GB-Lbl Harley 978, 11v)
トゥルネーのミサ Missa Tornacensis(1349年・B-Tc 476, 32v)とピカード Pycard ミサ曲断章 Sanctus(1421年・GB-Lbl Add. MS 57950 (Old Hall Manuscript), 100v)
ボード・コルディエ Baude Cordier 三声ロンドー〈コンパスを使って私は書かれた(Tout par compas suy composés)〉(1398年・F-CH MS 564 (Codex Chantilly), 12r)
デュファイ Guillaume Dufay [1397-1474] 四声ミサ曲〈私の顔が青ざめているのは(Missa Se la face ay pale)〉Sanctus. Pleni sunt(1451年)
オケゲム Johannes Ockeghem [c.1410-1497] 三声ロンドー〈あなたの恋は私を手本にするとよい(Prenez sur moi vostre exemple amoureux)〉(1469-73年)
ゼレンカ Jan Dismas Zelenka [1679-1745] 9のカノン(1721年・ZWV 191)
大バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750] 《フーガの技法》(1742年・BWV 1080)、《14のカノン》(1748年・BWV 1087)、カノン変奏曲Canonische Veränderungen über: Vom Himmel hoch(1747年・BWV 769)
③第13変奏 ディミニュション Variatio 13. a 2 Clav.
ルイス・デ・ナルバエス Luis de Narváez [fl. 1526-1549] Diferencias sobre Guárdame las Vacas(1538年・El libro sesto del delphín)
フランス宮廷歌曲air de courとしてアントワーヌ・ボエセ Antoine Boësset [1587-1643] N'esperez plus mes yeux(1642年・9ème Livre d'Airs de Cour à 4 et 5 parties)
クリストファー・シンプソン Christopher Simpson [c.1605年-1669] Prelude・Ground(1659年・Division Violist)
大バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750] 《無伴奏チェロ組曲 第4番》Prélude(1723年・BWV 1010)
ドメニコ・スカルラッティ Domenico Scarlatti [1685-1757] 後期鍵盤ソナタ(1756年・Parma XIII 21・K.474/L.203/P.502)
④第16変奏 フランス様式の序曲 Variatio 16. Ouverture. a 1 Clav.
リュリ Jean-Baptiste Lully [1632-1687] 五声弦楽器による序曲 Cadmus et Hermione(1679年・LWV 49)とダングルベール Jean-Henri d'Anglebert [1629-1691]による鍵盤楽器用編曲(1689年・Pièces de clavecin)
ゼレンカ Jan Dismas Zelenka [1679-1745] 〈七声協奏様式による序曲〉(1723年・ZWV 188)
ヴァイス Silvius Leopold Weiß [1687-1750] 〈リュートによる序曲〉(1725年・WeissSW 4/31.2)
大バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750] 〈パルティータ 第4番〉Ouverture(1728年・BWV 828)や〈フランス様式による序曲〉(1735年・BWV 831)
2017年9月1日
皆さま、昨日はお忙しい所、お越しくださりまして、ありがとうございました。心より感謝しており、感激しております。
いつものように翌日まるまる使い、音楽会でお話したことを文章で振り返りたいですが、実は一昨日から日本書道家連盟が主催する日書家展の会期でして、明日は授賞式に出席して、土日は友人が遠方からみえるため、三連続して忙しくなり、今日はお出しできませんが、空いた時間に書き進めまして、月曜日に仕上げたいと思いますのでお待ちください。
書道にご興味をお持ちですから、入場無料で会期は8月30日から9月4日まで、時間は10時から17時(最終日15時まで)で桜木町が最寄り駅の横浜市民ギャラリーにて開催中ですのでいらして下さい。陶淵明の五言古詩〈飮酒 其九〉を二尺×八尺に楷書で八十字を書きました。
皆さまに御礼だけは先にお伝えしたいと朝起きしました。音楽と同じように歴史を学びながら、色んな表現を取り入れつつ、書道も精進しております。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
メッセージなどお気遣いなく下さいませ!皆さまのお声を聴くことが励みになります。皆さまも良い一日をお過ごし下さい。
大バッハのカノン変奏曲 Kanonische Veränderungen über „Vom Himmel hoch“(1747年・BWV 769)
2017年9月5日
「大バッハのゴールドベルク変奏曲にみる古典音楽の伝統」にいらして下さり、また、ご参加がかなわない方もお言葉かけ下さり、ありがとうございました。津谷さんが一時間以上前から会場でお手伝い下さり、林さんのご主人までお仕事をお休みになり、ご送迎やコンピューターをお貸し下さり、中村さんは音響装置やプロジェクターのケーブルの配線などを下さり、皆さんもお手伝い下さり、心より感謝申し上げます。先日から忙しくてまとめが遅くなりました。
初めにノートルダム楽派(アルス・アンティクヮ)のペロタン作とされる二声オルガヌム Haes dies(1170年頃・I-Fl MS Pluteus 29.1, 108r-109r)にグレゴリオ聖歌を引き延した低音に対してメリスマの装飾による低音主題に対する華麗対位法の起源をみました。次にアルス・ノーヴァの三声モテット O Maria, maris stella/Veritatem(D-W Cod. Guelf. 1099 Helmst. (W2), 125r-126r)では、グレゴリオ聖歌 Veritatemを引き延した低音にリズミカルで活発な最上声と低音のつなぎとしてモテット声部を加え、更に定量音楽技法(Ars cantus mensurabilis)を集成したケルンのフランコ作とされる三声モテット J'ai mis/Je n'en puis/Puerorum(F-MOf H 196, 275v-277r)でも、グレゴリオ聖歌 Puerorumを引き延した低音により、リズミカルな発音のフランス語のシャンソンJ'ai misを最上声、モテット声部に別のシャンソンJe n'en puisを置き、(聖歌を引き延した)低音主題を基礎として、シャンソンを多声化する方法を確立しました。
オーストリア大公家のマーガレット(Marguerite d'Autriche, 1480-1530)が所有したバスダンス写本(1430年頃・B-Br 9085, 16v)にある〈バルセロナ風(Barcelonne)〉では低音主題だけが書かれ、それを管楽器で演奏した上に華麗対位法(contrapunctus floridus)による弦楽器で上声を即興して展開するバスダンス(低音で示される舞曲)が確立しました。アキテーヌ楽派やノートルダム楽派のメリスマ・オルガヌムの発想が器楽に適用されたとも理解でき、ブックスハイム・オルガン写本にありデュファイ作とされる〈アラゴン風(Arrogamer [Arragonier])〉(1460年・D-Mbs Mus. MS 3725, 65r)では最上声が黒色定量記譜法で書かれ、下二声がタブラチュアで書かれ低音主題を展開しますが、第21小節の低音部は空白(vacat)と書かれており、旋律が弧を描くように優雅に上下行したり長音価が現れ、確かにデュファイやオケゲムのブルゴーニュ型シャンソンらしい、低音主題から通模倣様式に過渡にある構成です。オケゲムの三声ロンドー〈恋の相手を変えたなら、私の心は卑しいものとなるでしょう〉D'un autre amer mon cuer s'abesseroit(1461-65年・D-W Cod. Guelf. 287 Extrav., 33v-34r)は器楽による演奏では、旋律法やリズムなどがシャンソンとバスダンスは構造が類似していると感じられました。盛期ルネサンスに出版されたアテニャンのバスダンス La Magdalena(1530年・Dixhuit basses dances)は、ジョスカンのホモフォニーを伴うポリフォニーの書法により、音価が長く動きがなめらかになり、反復(recoupe)では低音主題に従い変奏がなされました。リュートなどの独奏や弦楽合奏(consort)で演奏されたバスダンスを鍵盤楽曲にしたウィリアム・バードのHughe Ashtons Grownde(1591年・My Lady Nevells Booke)が長音価に細かい装飾を伴う旋律法を継いだ主題に三和音や転回形を多用して、旋律を細かく分割した変奏が続きました。後期ルネサンスに低音主題の上に三和音が構成され、通奏低音の発想と結合して、和声進行として認識され、特有の低音主題が和声進行を規定するように拡大されました。カプスペルガーのロマネスカ(1604年・Libro primo d'intavolatura di chitarrone)は変奏(partita)を伴い、和声コードを保持して旋律やリズムを変奏されていました。ルイ・クープランのシャコンヌ(1658年・F-Pn Rés.Vm7 675, 48v)では三和音や転回形から構成される主題と反復(couplet)を交互にするロンドー形式で上二声を通奏低音上に構成したり、左右で対話したり、ゼクエンツを反復したり、四声らしくしたり、細かいリズムで順次下降する旋律を際立たせ、変奏の方法を色々と試みられ、機知が感じられました。
〈ゴールドベルク変奏曲〉のヘクサコルド低音主題(G-E-F-D-C-B-C-D-Gamut)を紹介して、パーセルのA Ground in Gamut(1680年代・Z. 645)で最もシンプルに通奏低音をリアリゼーションするように低音が展開されました。ヘンデルのシャコンヌ(1733年・HWV 435/442)も同じ主題により、特に色んなリズムパターンが試みられていました。そして、ブクステフーデの〈アリアと32の変奏〉(1690年頃・BuxWV 250)の低音主題 (ベルガマスク)La Capricciosaは民謡Kraut und Rüben(D-D-E-E-D-E-D-C-B-A-G)でして、〈ゴールドベルク変奏曲〉と同じ32の変奏で構成され、大バッハも第30変奏(クオドリベット)でその主題を用いたことから、構成に多大な影響を与えたことをお話しました。〈ゴールドベルク変奏曲〉のアリア(サラバンド)の基本低音配列とその和声付けを確認しました。初めから第4小節まではパーセルと同じく基本型ですが、第6小節は完全四下の旋律を置き、第7小節では符点リズム化したり、低音部に動きを与え二声にして、第9小節から旋律を三度下に移して分散和音を用い、第13小節から主題の音型を細かく分割して十六分音符で流麗な順次進行していました。複縦線を越え、第17小節から後半部になり、初めの主題の旋律とその音型を七度下、基本低音は完全五度下で再現して、第7小節から一貫して低音に内声をオブリガートに伴い二声化されて進み、第19小節から完全五度上の旋律を移し別音型で分割して進み、第22小節から低音部の内声が流麗になり、第23小節は内声を高音部が移され、低音部は基本低音を旋律化して単声になり、第25小節でまた主題の旋律が三度下に移され、冒頭に再帰しました。第27小節からは持続音を内声に用いて四声にして、第28小節からは低音が基本和音と順次進行する優雅な流れ、上二声に支えされ徐々に第31小節の二声に向かい、第32小節で静かに終えます。大バッハはわずか32小節を基本低音配列に従い、多様なリズム音型や和声付けの分散やオブリガート声部の内声により、ホモフォニックとポリフォニックの交替をして、一小節たりとも単調に陥らないように工夫していました。
第7変奏はジーグのテンポで(Al Tempo di Giga)とあり、ジーグの歴史をたどりました。初めにウィリアム・バードのA Galliards Gygge(1591年・My Lady Nevells Booke)やミヒャエル・プレトリウスのGaillarde(1612年・Terpsichore)は割愛して、ルイ14世時代にフランス王室室内楽団が五声(dessus, haute-contre, tailles, quintes, basses)で舞曲を演奏していたことから、シャンボニエールのGigue. La Vilageoise(1647年・Livre premier)では、クラヴサンでも違う声部に現れる音型の特徴が模倣されてゼクエンツを形成して、再現部(reprise)では見事に模倣が徹底され、臨時記号が増やして転調を繰り返し、主調に戻り曲を終える構成も踏襲していました。フランソワ・デュフォーのGigue. La Sauterelle(1670年・CLFDuf N°148)では快活な三拍子に乗せて符点リズムの特徴がよく出ていました。また、リュリのRoland(1685年・LWV 65)よりGigue à deux(舞踏譜1709年・Recueil de danses composées par M. Feuillet)では、ジーグのリズムが舞踏の所作に見事に対応して、舞曲は舞踏の所作を規定する音楽であるからこそ、舞曲を演奏するときは、記譜どおりではなく、音楽と振り付けの対応をイメージすることが大切でした。マラン・マレのGigue. La précieuse(1725年・Pièces de viole V)は、和声が流麗になり、符点リズムと順次進行音型が交替したり、八分音符・休符・休符のリズムなどがチャーミングになり、舞踏と音楽の充実が両立して洗練されました。大バッハの第7変奏でもフランスの舞踏音楽の構成を踏襲しており、特に符点音符と残りは音符が分割される通りの整数比ではなく、旋律が上昇か下降か同度か、華麗か沈滞かなどにより、音楽家のセンスで自然に調整する必要をお話しました。フランスの舞踏に通じてこそ、舞曲を自然に解釈でき、歴史を体験しながらセンスを高めることが大切でした。楽譜だけでは音楽の細部はイメージできないからです。また、和声外音は短めに弾くと、リズムが強調されて舞踏音楽らしくなりました。
大バッハは旋律の構成法も踏襲しており、振付をすれば舞踏もできるほどです。また、左右が模倣するよう書かれており、フランスで特に外声(dessus, basses)の奏者が六人、内声(haute-contre, tailles, quintes)が四人ずつでして、マラン・マレのヴィオール音楽でもヴィオールと通奏低音の二声で構成され、それらを鍵盤に移した結果と考えられます。リズムの構成法もシュライファー音型と符点リズムが結合して音楽を推進させ、特に複縦線を越えた後半部(reprice)の第17小節から完全五度上に旋律が移され、第20小節からはフランス音楽と同じく臨時記号が増やして転調が繰り返され、第22小節ではセブンス(F♮とG)が鳴り印象を深め、第24小節では一旦小休止するようなアーティキュレーションは、舞踏が穏やかになる瞬間に当たり、主調を見つけると最後まで一気にひた走り、第29小節からチャーミングな順次進行による急速な上昇や符点リズムの急速な下降を対比させ、第31小節の特徴ある12度(DからF)の跳躍で熱烈な印象を与えられる愛すべき舞曲であることをお話しました。以上より、音楽史をたどりセンスを高めてゆき、音楽があるべき姿をきちんと踏まえながら、先人の音楽で体験したことを踏まえて、音楽を解釈する方法が強力に使えました。
第9変奏は三度のカノンであり、カノンの歴史をたどりました。中世カノン(rota, chase, caccia)と呼ばれ、固執低音(pes)を伴い、ノートルダム楽派の影響から始まり、〈夏は来たりぬ(Sumer is icumen in)〉(1261年・GB-Lbl Harley 978, 11v)は快活な四声カノンが二声の固執低音に支えられます。旋律を特徴ある音型で始めカノンが作ることが大切でした。《トゥルネーのミサ》(1349年・B-Tc 476, 32v)に三声(triprex)のカノンで書かれたSanctusがあり、「聖なるかな(Sanctus)」を三回繰り返すとき、同じ音型を完全五度上、更に完全四度上、即ち下からオクターブ上で歌い、複雑な経過音が生じ神秘的な雰囲気に聴こえました。旋律の上行が激しく、穏やかな下降で漂い、対比をなしていました。ピカードのミサ曲断章 Sanctus(1421年・GB-Lbl Add. MS 57950 (Old Hall Manuscript), 100v)は聖歌に近い順次進行で上下行して進む旋律で三声のカノンを構成して、聖歌を引き延した固執低音に支えられましたが、非常に美しい和音が満たされるように設計され、イングランドのリオネル・パワーやダンスタブルを予感させるほど、協和音程を主体として安定していました。ボード・コルディエの三声ロンドー〈コンパスを使って私は書かれた(Tout par compas suy composés)〉(1398年・F-CH MS 564 (Codex Chantilly), 12r)は楽譜が円形に書かれ、外側に書かれた旋律を最高声部(superinus)に対旋律(contra)が付いてゆくように歌い、内側に低音部(tenor)が書かれて下から支えておりました。快活な下降音型の主題から始まり、メンスーラ記号(拍子)が変わり、リズムが符点化や三連符になり、複雑に発展して、主題に再帰するアルス・スブティリオル期の凝った作りでした。そして、和音の根音を取りつつ、和声の進行が意識されていました。デュファイの四声ミサ曲〈私の顔が青ざめているのは(Missa Se la face ay pale)〉(1451年)のSanctusで特に「汝(主)の栄光は天と地に満ち Pleni sunt caeli et terra gloria Tua.」では、天(caeli)と地(terra)の対比により、Pleniから旋律が徐々に似て来て、特にGloriaで最高声部(supranus)と最低声部(contratenor bassus)が二声のフーガをなしました。「誉むべきかな、主の御名によりて来たる者(Benedictus qui venit in nomine Domini.)」では、in nomineの部分で最高声部(supranus)と高い対旋律(contratenor altus)が二声のフーガをなしていました。オケゲムの三声ロンドー〈あなたの恋は私を手本にするとよい(Prenez sur moi vostre exemple amoureux)〉(1469-73年)は歌詞の内容に合わせてカノンが使われ、音楽技法を歌詞に合わせて使い、音画技法に先行して表現意欲を感じました。ジョスカンやオブレヒトはフーガを作品の中核に据えて通模倣様式を確立して、ラリューやゴンベールは複雑な経過和声で細密に和声進行を描きました。
大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉のカノンが三の倍数に配置され、同度から9度まで上昇することは、ゼレンカの《9つのカノン》(1721年・ZWV 191)が9度から同度に下降することに影響されたことが推察されます。第9変奏は鍵盤楽器では離散的に演奏されやすく、縦の響きが主体になりやすいですが、音と拍の強弱を一致させ、旋律が流れるように演奏すると、低音主題からリアリゼーションされた上で二声のカノンがきれいに聴こえることから、上二声のカノンを弾き、低音主題をラフに付け、最後は低音で旋律の流れるようにすると把握しやすいことをお話しました。実際にバッハは先ずは低音主題配列に従う旋律(dux)を作り、三度下に模倣する旋律(comes)を置き、カノンを構成して、上二声のリズムが動くところは軽く付け、第1小節の後半は第2小節の後半を思わせたり、第2小節のように上の旋律に平行に動かしたり、第3小節の終わりに合わせ、八分音符で動くところ、十六分音符を細かく動かして、第4小節で最上声に継ぎ、カノンが複雑になると持続低音にしたり、第5小節では最上声のリズムを強調するため、低音を平行に付けたり、第6小節からは息の長い16分音符による低音の流れにして、上二声が徐々に穏やか終えてゆく流れを際だたせました。第9小節で低音に旋律が構成されると第10小節で完全四度上に模倣され、第9小節の上声で主題に近い旋律を完全五度上に構成して、第10小節で三度下に模倣して二重主題をなし、第11小節で普通は禁則ですが平行な動きを連続させ、特徴的なリズムを際立たせ、第12小節では追いかけてゆく旋律によりゼクエンツや複雑なリズムを構成して、低音を簡素にしました。第13小節の後半では内声に♮があり短三度 E-G-Cと短調に転じますが、第14小節でニ長調を経由して主調に戻り、第15小節で順次進行でオクターブを上下行して終わりに向かいました。〈ゴールドベルク変奏曲〉の主題アリアは32小節でしたが、第9変奏は半分の16小節で和声進行の展開が早いです。カノンを構成する内、高い方は外声になり、三度下の低い方はオブリガート声部になり、低音は通奏低音という、トリオ・ソナタの構造とも解釈でき、ヴェックマンやブクステフーデが得意としたオルガンのコラール前奏曲におけるカノンの構成にも影響されています。
第13変奏はエールであり、音価を分割(divide)して縮小(diminuate)する技法(division, diminuation)を考察しました。ナルバエスのDiferencias sobre Guárdame las Vacas(1538年・El libro sesto del delphín)は器楽による変奏曲(diferencias, variations)の走りですが、第一変奏の分散和音(arpeggio)だけではなく、特に第2・4変奏では四分音符を十六音符に四分割され流麗です。第3変奏ではしゃっくり音型(hoquetus)になり、大バッハの第20変奏のようでした。フランス宮廷歌曲(air de cour)でも器楽の技法が声楽にも影響してアントワーヌ・ボエセのN'esperez plus mes yeux(1642年・9ème Livre d'Airs de Cour à 4 et 5 parties)ではメルセンヌの《宇宙の調和(Harmonie universelle)》(1636年)により、ムリニエ(Étienne Moulinié, c.1600-1669)やバシリー(Bénigne de Bacilly, 1621-1690)らのリズムの分割や符点化された変奏も記録されました。特に器楽による変奏を解説したクリストファー・シンプソンのPreludeやGround(1659年・Division Violist)は、大バッハの無伴奏チェロ組曲第4番(1723年・BWV 1010)のアルペジオ前奏曲で時どきセブンスを伴いながら情感を深めてゆきました。また、基本低音(Ground bass)から音程差の振幅を作り、分割(division)される様々な音程関による実例がありました。大バッハは低音主題を通奏低音として再現しながら、上声を単旋律で美しく飾るモノディ様式により、特に前打音が拍頭にあり、優雅な旋律を際立たせました。第1小節で主題の旋律を奏でると第2小節で三度上、第3小節で四度上に置き、第4小節で別の旋律で受け、第5小節で三度上に置き、第6小節で順次下降して移され、第7小節で角のあるリズムで場面を変え、第8小節で四度順次下降して分散和音を奏でる音型を経て、第9小節ではシンコペーションを与えるため細かな三十二分音符をタイで結びました。第10小節で二度上に再現され、第11小節では独特のスラーとスタッカートによる音型を三度下に3つ繰り返し、第12小節に係留され、トリル付きA音に沈み込むと直ぐにG音まで順次音程で上がり、即ち七度(A-G)の音程が生まれ、サラバンドらしく情感を漂わせながら、直ぐ次の拍頭にあるA音に順次進行して解決して、先ほどの音価の分割のようA-G-F-E-F-A-F音がD音と交互に演奏され、ED間とDC間で七度となり、特に最後のCには♮が付き、次の拍頭のB音に順次進行して解決して、次は二度下で前の小節を再現しました。第15小節では拍頭のC♯-E-G音に対してリズムや装飾が与えられ、徐々に速度を落として、第16小節で弾むような音型で特にB♭-C♯-Gと響き、短三度と増四度(合わせて短六度)と不思議な響きを経て優雅に終えます。複縦線を越え第17小節で完全五度上に主題の旋律が再現され、第18・19小節も続いて二度上・三度下に旋律が移り、徐々に曲の終わりまで緩やかに下降します。第19小節を前の小節と同じ音から始め、短音階により翳りを帯びて美しく、第21小節で分割しますが、前半と対照して持続低音をE音に置き、D♯-E-A-B-C-D♮-C-Bと順次上行して、次の小節では逆にC-B-A-E-D♯-E-Aと順次下降して、情感の高まりと落ち着きを生みます。また、弱拍の低音部が分厚く、シンコペーションして、第23小節から拍頭のD♯-B-Aを核音として、前半とは対照的に上に旋律を生みながら下降して、第24小節でその流れを受け、小節の三拍目にあるE-B-G音に吸収して終止らしくなりますが、旋律がつながり、第25小節で二拍・三拍目で前打音を伴い下降して情感を深め、第26小節で二度下に再現して、第27小節では同じく旋律にスラーが付き、低音部で弱拍が強調されて、シンコペーションします。第28小節では美しい旋律を引き継ぎ、第29小節のゼクエンツで順次上昇(B-C-D)と順次下降(G-D♯-D)する流れを兼ね、第30小節では逆に下降(E-D-C♯)して、三拍目で♯と♭が同居して、フランス音楽らしさが感じられます。第31小節でオクターブを跳躍して、第32小節に弾みながら沈み込むようにブレーキがかけられ優雅に幕を閉じます。〈ゴールドベルク変奏曲〉は一貫して32小節または半分の16小節に低音主題を当てがい、通奏低音を展開して旋律を紡ぎ、同じ小節では別の変奏でも同じ和声の進行を与えます。主題のアリアで和声付けを考察しましたから、変奏ではその変形を考察します。特に音価の分け方、旋律の紡ぎ方、臨時記号の使い方など、ドメニコ・スカルラッティの〈ソナタ 変ホ長調〉(1756年・Parma XIII 21・K.474/L.203/P.502)に似て、後期バロックの和声付けによりチェンバロの音色を活かされました。
第16変奏で後半部をフランス様式の序曲で幕開けました。先ずルイ14世の宮廷で確立したリュリの五声弦楽器による序曲 Cadmus et Hermione(1679年・LWV 49)を聴きました。当時の序曲は先ほどのジーグと同じく、外声部(dessus・basses)の旋律を複雑に散りばめた内声部(haute-contre, tailles, quintes)が細かくリズムを刻み蠕動運動しながら、複雑な経過和声を伴いながら華麗に演奏されました。中間部(通常の三部構成と異なり再帰しない二部構成なので後半部)のフガートでは八分音符が六つ連なる音型を伴い、符点リズムを交え、濃淡を描き、安定して進みます。ダングルベールによる鍵盤楽器用編曲(1689年・Pièces de clavecin)では、初めの四和音と低音部に一つで五声の弦楽合奏と示されますが、テンポが緩やかになり、特徴ある音型が左右に散りばめられ、終止の前に臨時記号が付き、転調も強調されます。八分音符六つのモチーフを左右に散りばめ、編曲する際に鍵盤上で弾ける範囲で特に強く聴こえる旋律を散りばめました。また、ゼレンカの〈七声協奏様式による序曲〉(1723年・ZWV 188)は五和音で始まるとシュライファー音型で上昇して、符点リズムで下降しますが、大バッハはこの作品をドレスデンで知り、第16変奏で採用したと考えられます。大バッハは低音主題16小節分に従い、三倍に拡大した48小節により、ヴァイスの〈リュート序曲〉(1725年・WeissSW 4/31.2)なども知り得て、流麗な和声進行も取り入れています。また、〈パルティータ 第4番〉の序曲(1728年・BWV 828)や〈フランス様式による序曲〉(1735年・BWV 831)などの経験も踏まえ、リズムのモチーフや左右の対比や緩急や粗密の変化やジーグらしい三拍子に乗せてフガートが進みます。第1小節は四つの音G-B-D-Gで構成され、五声が暗示されG音からシュライファー音型でオクターブ上昇して、三度ずつ符点リズムで下降すると、第2小節では左右を反転して、完全四度下のDから同じ音型で応答して、右手には旋律を流れ、第3小節でまた特徴ある符点リズムを奏で即座に次の第4小節で左手が反応します。第5小節の小節内で下降音型をストレットして、第6小節で左右が下降して上声がF音に跳ね上がり、第7小節の和音に吸収され、シュライファー音型で右手が下がり、左手の低音に移して、分散和音で一気に上昇して、第8小節では十六分音符で一つ一つの音を際立たせ、左手から上昇して右手に引き継ぎ、第9小節でも駆け上がるエネルギーが左右で重奏する力強い符点リズムに吸収されます。第10小節でリズムのモチーフを再現しながら、左右が掛け合い、第11小節の後半でG♯-B-D♮の三和音に吸収され、第12小節ではより伸びやかなシュライファー音型の左手と重奏される右手を組み合わせて密度を薄め、第13小節のD♯-F-A-Cのセブンスで味わいを出しています。第14小節は細かいリズム音型を同じ小節の中で三度もゼクエンツを形成して、一気に密度を高めて引き締めています。第15小節で終結につなぎにより、第16小節では初めは四和音で先頭のシュライファー音型と符点リズムのモチーフを再現するか、繰り返しでは次のフガートの主題音型が提示されます。複縦線を越えて、第17小節で①四分音符・十六分音符3つの構造と②八分音符3つのジーグのリズムを取り入れ、第18小節から特に②で三拍を強調しながら、リュリの時代からお決まりの③十六分音符6つの組を繰り返します。第19小節では左手に下降しながら、右手では主題のリズムを刻み、また、④係留音を使い持続して内声を充填して三声らしくなり、以上の三つの要素を上中下のどこに配置するか交換しながら進みます。更に第23小節では右手の上が④係留して、下が③の要素、左手の上が②、下が①で四声になり、第24小節では最上声が③、下三つは②になり、第25小節は③④③の三声、第26小節は③④②の三声、第27小節は③④③の三声、第28小節で最上声に十六分音符2つ・符点四分音符・三十二音符二つの新しい音型を入れ、第29小節から特に左手の低音部が以上の音型を取り入れながら動きを与え、右手の上二声は線的に動きます。第31小節で先ほどの八分音符・符点四分音符・三十二音符二つの新しい音型が変形され現れ、第24小節で次の小節まで持続低音が優雅に響き、特に第35小節で先の音型が最上声に出て、左手は下降しながら、特に②③のリズムで低音が滑らかに動きながら重心を下に落としてゆき、フランスの宮廷音楽ではヴィオールの声部に対応します。低音主題に合わせバスがうねるようにゼクエンツを形成して加速して進み、第46小節で急に②の終止形でブレーキがかかり、第46小節で曲を閉じます。大バッハは常に固定された基本低音主題をリアリゼーションする和声進行に基づき、旋律や和声の音程、音型とリズム、分散や持続する音、声部の数など限られた基本的な要素を組み合わせ、一小節たりとも単調にならないよう、細部を彫刻して、複雑な経過和声を生むように設計されます。大バッハは若い頃、ツェレのブルンスヴィック=リューネブルク公の宮廷楽団でフランスの宮廷音楽を体験したり、晩年まで大家の作品を深く研究して、自作が後世に伝わることも意識したことから、通奏低音を数字譜ではなくリアリゼーションした形にしたり、装飾音など細部まで楽譜に記しました。
音楽の作品は細かな要素を構成して、大家の作品は全体で破綻なく融合させています。先行する音楽とその影響を確実な楽譜などの資料に基づき、詳細に追跡して意義を体験すると、楽譜上の音のまとまりの視覚とリズムや和声の感覚がより深まり、楽譜から生きた音楽をイメージする訓練になります。楽譜の音のまとまりが視覚から入り、音楽とつながる感覚を養い、楽譜を見ると自然な拍の長さや強さ、旋律における流れや切れ、和音における音の強さや入りが導けます。また、音の高さ、強さ、長さの変位が連なりとして音楽をイメージしますが、音楽のイメージを言語で伝えるには、言葉を択び同時に通訳する必要があり大変です。文章では複雑ですが、実はシンプルに音のイメージの連なりで音楽が捉えられます。
田村先生から最後に頂きました幾つかのご質問に現時点で過眼した資料を基にお答えしますと、聖俗の対比(宗教音楽と世俗音楽)がいつからされたかというご質問ですが、基本として音楽をどんな目的で使うかという問題であり、既に中世に北フランスでノートルダム楽派が隆盛した頃、アル=アンダルスのイスラム宮廷文化が流入した影響から、南フランスのアキテーヌ・リムーザン・プロヴァンス、北スペインのカタルーニャ・アラゴン・ガリシアでは吟遊詩人(troubadour)、ジャウフレ・リュデル、ベルナルト・デ・ヴェンタドルン、ギラウト・デ・ボルネーユ、アルナウト・ダニエルらが活動して世俗歌曲の旋律が教会音楽の聖歌を記譜したネウマ譜で残されました。聖歌の註釈(tropus)とイスラム詩形(jarcha)が結合して、ガリシアで頌歌(cantiga)やカスティーリャで民謡(villancico)となり、13世紀に賢王アルフォンソ10世が編纂した《聖母マリア頌歌集(Cantigas de Santa María)》では世俗音楽の抒情歌の音楽や歌詞を援用されました。《ボイエルン歌集(Carmina Burana)》は、中世大学で高い教育を受け、欧州各地を放浪したゴリアルドが、ラテン語や中高ドイツ語・古フランス語・古イタリア語などで替え歌を楽しみ、聖俗が混淆して風刺を繰り広げました。ドイツ語圏で抒情詩人(Minnesänger)、北フランスの吟遊詩人(trouvère)に影響を与え、14世紀にペトルス・デ・クルーチェやフィリップ・ド・ヴィトリらが、ノートルダム楽派が宗教音楽で探究した多声書法により、ラテン語の聖歌とフランス語の歌曲を結合したモテット(motetus:フランス語「言葉」motが語源)を作曲して、世俗音楽と宗教音楽は密接な関係にあり、相互に補完し刺激を与えながら発達したのが実情です。また、器楽と声楽の区別なく記譜されましたら、音の高さと長さと強さに帰着しますから、先日は特に多くの時代や地域で貫かれた根幹を明らかにするため、敢えて個々の時代や地域の特徴に立ち入らず、音楽の変遷を作曲された観点や音楽の構造で追跡しました。古代・中世・ルネサンス・バロック時代における様式や地域の特徴を考察するため、徹底して歴史・社会・慣習・文化・言語・哲学・文芸・芸術などを掘り下げることも可能ですが、敢えて音楽の構造に集中して、その伝統と変遷、着想と継承の系譜を追跡して、大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉の楽譜を解釈するかという、イスラム哲学や中世西洋哲学で確立されたスコラ学の研究方法によりある論題(articulus)に対して先人の関係する資料を持ち寄り、本質を見極めてゆきました。現在の常識を持ち込まず、当時の常識で捉えられるように訓練できます。聖俗(宗教音楽と世俗音楽)の区別も当時はさほど意識されず、デュファイが宮廷愛の歌をミサ曲の基礎に据え、音の高さと長さに抽象化されて音楽の構造として機能しました。日常でも書き言葉と話し言葉、相手により言葉を使い分ける感覚に近く、音楽家が表現の方法を使い分けたと考える方が自然です。
低音主題(ground bass)がどの時点から変奏をまとめる作品に統一感を与える鍵とされたかというご質問ですが、音楽を伝える資料は楽譜と楽理を説明した書物、舞曲には舞踏譜などですが、現存する資料からうかがえる状況証拠から中世・ルネサンス・初期バロックを通して、記譜された歌曲と舞曲は似た構造を持ち、似た変遷をして、特に舞曲ではリズムを規定する特徴的な主題の旋律や音型が大切でした。また、舞踏が続く間はフレーズや低音主題を繰り返すことから、自然と変化を求め、器楽らしい装飾や変奏の技法が発達したことが実情に思われます。舞踏から音楽へと変わる境についてのご質問ですが、ルネサンス音楽でもリュートやビウエラ・ヴィオール・鍵盤楽器では、舞曲や歌曲を主題とする変奏曲、例えばビウエラでナルバエスの変奏曲(diferencias)やリュートでデュフォの舞曲群(danses)があり、リズムや旋律線の複雑性から、実際に歌うより踊るより、音楽として聴いて楽しまれていたと作品の内容から感じられます。また、同時代に実際に舞踏の音楽として機能した舞曲もあり、どの時点より、踊るためか、聴くためか、どの目的かによると思います。低音主題が統一感を持たせる考えには、前提要件として音楽作品という概念がありますが、当時は変奏が即興でなされ、色んなヴァリエーションを書きとめたという逆の見方が自然です。大バッハの場合は、組曲の中の配列も、組曲を6つにまとめ調性の配列にもこだわりましたが、同時代のマラン・マレはこだわりがなく、大バッハやコレルリは後世に残すという意識が強く、作品の統一感を意識して、出版の順序にもこだわり、大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉は、低音主題を定め、変奏技法をまとめたことは確かです。中世音楽でもリオネル・パワー、ダンスタブル、アルノルド・ド・ランタン、デュファイらがテノール声部に定旋律(cantus firmus)を置くか、冒頭の音型を揃えるか、モテットやシャンソンの旋律を散りばめて、多声構造を取り入れ、Kyrie・Gloria・Credo・Sanctus・Agnusに統一感を与えた循環ミサを作りましたが、実務上は統一感を持たせる必要はないですが、ミサ全体を音楽作品として作られました。システム化すると作曲しやすい側面もあり、統一感を意図したかは分かりません。リュートの調弦を変えずに舞曲を演奏するため、同調の舞曲がまとまり組曲になり、統一感を持たせる機能となりました。歴史はグラデーションのように変遷したといえます。中世から音楽の構造が重視され、記譜され作品となり、西洋人の組織化して構築する思考の特徴がみられます。完成した建物から建築した工法を推定するよう、完成した音楽から作曲した過程を発見することは、細かい部分を考察するとある程度は見え、個々に意図を考察することが大切です。大バッハの場合は《平均律クラヴィーア曲集》、《フーガの技法》、〈ミサ曲 ロ短調〉などを組織化して、教育を目的として、伝承を意識していました。〈ゴールドベルク変奏曲〉の原題《アリアと種々の変奏(Aria mit verschiedenen Veränderungen)》や作品の構造からも、低音主題を定め、変奏技法を体系化したことは間違えないです。そもそも、変奏(variation)は即興(improvisation)ですから、楽譜に記された記録は特殊でして、大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉やスカルラッティの〈鍵盤ソナタ〉などは後期バロックの即興技法をうかがう貴重な記録です。完成した作品からではなく、作曲する過程と逆の観点から、作曲過程をシステム化することにより、作曲しやすい実務の側面が大きいようです。自分の思考を相手に伝達するとき、構文に則り文章を書くと、論理が明瞭になり見通しがすっきりとします。均整が取れた文章が名文とされたよう、統一感ある作品が遺されたと考えられます。組織化による統一は、カオスの状態から論理を構築して、構文や様式を発達させる人間の思考に根差していると思います。
また、ルネサンス音楽・バロック音楽は、当時から編曲としてではなく、声楽を器楽でそのまま演奏され、記譜されたら音の高さと長さと強さに抽象化され、声楽と器楽、世俗音楽と宗教音楽など区別を越え、融通して演奏されました。先日は固執低音もしくは低音主題に基づく舞曲の展開方法、即ち変奏技法という一般化された系譜を追跡しまして、田村先生がご質問された舞曲の特徴は入り込みませんでしたが、ルネサンスのバスダンスからバロックのオスティナートバスまで一貫して、低音主題に基づき舞曲が演奏されましたが、中世では低音主題に華麗な旋律を展開して、ルネサンス音楽では低音主題を最低声部やテノールに置いて通模倣様式が応用され、バロック音楽ではモノディ様式が適用され、低音主題が通奏低音に当てがわれ和声進行を与えました。フォリア(folia:i—V—i—VII—III—VII—i-V—i)、ロマネスカ(romanesca:III—VII—i—V—III—VII—i-V—i)、ベルガマスカ(bergamasca:I—IV—V—I—I—IV—V—I)などは特有の低音主題(即ち和声進行)で区別されました。更にシャコンヌ(chaconne)、パッサカーユ(passacalle)、サラバンド(sarabande)は特定の主題による即興から、自由な主題による変奏になりました。〈ゴールドベルク変奏曲〉のアリアはヘキサコルド(六つの順次下降)による低音主題配列によります。デュファイは定旋律(cantus firmus)をテノールに配置して多声音楽を作りましたが、ジョスカンは「私を放っといて(Lascia fare mi)」の母音(a-o-a-e-i)から定旋律(la sol fa re mi)を作る遊び(soggetto cavato)などで自由な旋律に基づき一般化しています。面白いことに宗教音楽と世俗音楽、声楽と器楽は遠いものではなく、音楽の構造をお互いに貸し借りして共存しながら発達しました。ある技法が蓄積されたとき、やがて一般化されて様式になり、マンネリ化すると蓄積されてきた技法が、一般化されて様式が変遷しました。
大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉に感じることは、建物を作るときに礎石が必要なよう、音楽を作るときは何らかの指標が必要なことです。実際に作曲された過程を考察すれば、大バッハも低音主題を用意して、和声を分割して旋律として、色んな変奏を生み出し、通奏低音を基礎とする作曲方針を取り入れ、低音主題を通奏低音としてジーグ・カノン・エール・フランス序曲など様式を用いて、特色ある変奏を生み出し、ゼレンカのようにカノンの模倣音程を並べてゆくうち、低音主題で統一する意志が働き、一つの作品の構想が育てられたと考えることが自然です。本を書くとき、先ずお題を決め、文章を書く方法、逆に書き溜めてきた文章をまとめてゆく方法がありますが、普通は忙しい合間にためた作品をまとめる方が作りやすいです。モダンジャズでも和声コードからアドリブで展開するシステムが確立されましたが、チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンなど、天才たちも何らかの核から創造をなしました。ブルースやスウィング時代の旋律を素材として、縦の和声を横の旋律に流すシステムを見つけて流麗な即興をしました。ビバップへの過渡でバロック音楽の通奏低音を快速にしたようなベースで示される主音に対して、三度の積み上げによる基本和音を分散して、流麗な旋律を構成するとき、二度の順次下降か七度の跳躍上行により、主音(トニック)に対して五度(ドミナント)と四度(サブドミナント)を行き来する方法をレスター・ヤングやコールマン・ホーキンスが見つけたよう、バロック音楽で二度進行の経過和声でドミナントやサブドミナントを行き来しました。カプルベルガーやシャルル・ムートンらリューティストはセブンスを多用しましたが、ビバップを開拓したチャーリー・クリスティアンやグラント・グリーンはギタリストでした。主音の上に旋律を紡ぎ、和声の流れに敏感でした。音が縦に積まれたコードから音が横に流れるリニアを生む考え方は、バロック時代のリュート・ヴィオール・鍵盤楽器で多いです。ブルーノートやビバップスケールを主体とする音構造で対斜(cross-relation)を利用して、和音を分散させる旋律の中で和音の分散が拍の上で聴こえるように工夫しました。また、四拍進行で分散和音を作るとき、バロック音楽では主音から上昇することが多いですが、モダンジャズでは下降が多く、七度→五度→三度→主音を四拍に当たり流れがよく、八度から降るか上がるとコードに従いすぎ、七度へ上がると不安定に終わるため、不安定な七度から安定した主音に下り、緊張から解決のルーティーンを生み、スリリングになりました。チャーリー・クリスティアンやディジー・ガレスピーらが取り入れたセブンスコードの分散による和声の旋律化を用いればチャーリー・パーカーらのビバップになり、音構造を教会旋法に拡大すればマイルス・デイヴィスらのモードジャズ、代理和声を使い転調の経路を増やせばコルトレーン・チェンジズになります。盛期ルネサンスに確立した変奏曲の構文、主題を示してから変奏のパターンを連ねる基本構造は、ユニゾン(主題)にアドリブ(即興)を連ねて、楽器を受け渡す、モダンジャズの構造にも踏襲されます。西洋音楽の和声構造や楽曲構造を発展させた形態といえます。
歴史には試みが積み重なり、解釈を大きく転換して、新しい世界に飛翔する瞬間があり、時代や様式の過渡期の音楽家は、蓄積されてきた技法を身に付け、新しい様式を構築して、次の世代に提供しました。同時代の資料、オリジナルか準じた資料により、そうした現場に立ち会えます。音楽を聴く上でも音源だけではなく、楽譜にそれもなるべく作曲者に近い手稿譜や当時の印刷譜には曲の並び方や細かな書き方などに多くの情報があります。また、作曲者の意図と演奏者の解釈を分別するには楽譜と音楽を対応させ、作曲者が記譜した音型を視覚で捉え、演奏者が表現した音楽を聴覚で捉え、両者の対応のバラエティーを自らに学び続けてレパートリーを増す体験が積み重なり、楽譜を見た瞬間に音楽をイメージするようになります。歴史は事実誤認や拡大解釈で発展した一面もあり、バロック音楽は当時の楽器や奏法によるべきという意見もありますが、いかなる楽器の選択や解釈の方針でも、最終的に自然な音楽性、即ち音楽に作者の意図へ見識の深さが現れ、演奏で表現されているかが大切になります。音楽家の個性や方針により、同じフレーズやリズムでも細かな強弱や長短のバランスなどパラメータにより大きく異なる結果になります。大バッハの意図は楽譜で伝わる以上、作曲者のコンセプトを核として、演奏者の個性が認識され、音楽を両者の共作となり、様々な解釈により様々な側面を聴けます。
ヨハン・セバスティアン・バッハの〈ゴールドベルク変奏曲(Goldberg-Variationen)〉(1741年・BWV 988)の録音として、ランドフスカ(1933年・His Master’s Voice DB-4908~13、1945年・RCA LM-1080)はフレージングに学ぶところがあり、テューレック(1945年・Allegro ALG-3033、1957年・His Master’s Voice ALP-1548~49、1978年・Columbia M2-35900など)はバロック音楽をピアノで演奏する研究から、アーティキュレーションへの工夫が感じられ、後年にチェンバロ演奏にも取り組みました。カークパトリック(1952年・Haydn Society HSLP-9035、1958年・Archiv 198-020)は師ランドフスカと同じくモダン楽器により、多様な装飾や解釈を発見して、楽譜を校訂して貢献をしました。レオンハルト(1953年・Vanguard BG-536、1965年・Telefunken SAWT-9474、1976年・Deutsche Harmonia Mundi 1C 065-99 710)は当時の楽器により奏法を発見を進めてイネガル奏法により不均一の調和を実現しました。アールグリム(1954年・Philips A-00267~68-L、1965年・Belvédère ELY-06107)もモダン楽器により旋律の掛け合いや歌い回しが工夫され、イエルク・デムス(1955年・Westminster WL-5241)は抑揚を控え、節度を保ちながら、美しい音色で飽きさせず、グールド(1955年・Columbia ML-5060、1981年・Columbia IM 37779など)はパルスの連続の中で彼が反応した部分が示され、晩年の録音では音色にこだわりました。ジェームス・フリスキン(1956年・Vanguard BG-558)は縦の和声感やリズムの角がやわらかく、横の声楽的な流れを重視して、特に第9変奏では内声が聴こえて対位法的な処理が見事です。ワイゼンベルク(1967年・EMI 2C-165-11644~45)はレシェティツキーの美しい音色を紡ぐ打鍵に通じた師シュナーベルを思わせます。ユーディナ(1968年・Μелодия Д-23881~84)は声部により音色を変え、強弱の拍が鮮やかでリズムが明瞭ながら繊細に歌います。ケンプ(1969年・Deutsche Grammophon 139-455)は装飾を排して旋律の流れと和声の響きを控えめに描きました。アレクサンドラ・ユトレヒト(1960年代・Muza SXL-0674)は美しい音色を活かし優れた演奏をしました。ブランディーヌ・ヴェルレ(1978年・Philips 6769 750、1992年・Astrée E 8745)のPhilips盤は快速でイネガル奏法が強いですが、Astrée盤では流麗になりました。ソコロフ(1982年・Μелодия С10 18851 005)は実況録音で繊細ながら強い打鍵が爆発して鮮烈です。スコット・ロス(1985年・Erato 3984 2097202、1988年・EMI Pathé Marconi 7 49058 1)も前者は旋律の入り方など瞬間に機知が聴ける実況録音です。マリア・ティーポー(1986年・La Voix de son maître 2704381)はピアニスティックな流麗に徹して、特に縦の響きが横に漂い、和声の色彩感が豊かで耽美的な世界を描き出しました。
原典となる資料やそれに準じる資料を組み立て事実に迫りました。音楽では完成された作品の楽譜を通して、作曲の過程を知り、音楽の要点を捉え、細部まで意義を深め、表現することができます。カークパトリックやレオンハルトらが鍵盤楽器、ミヒャエル・シェファーやユングヘーネルらがリュートやビウエラを再現して奏法を研究して、ボーシャン=フイエ方式による舞踏譜の解読と実演などから音楽を考察したように生きた姿を見つけます。楽譜に書かれた音楽は概形であり、縦に和音が音を揃えて書かれていても、実際はイネガルに演奏され複雑な経過和声が生まれます。音の長短や拍の強弱は、記譜通り整数比ではなく、場所により異なり、複雑さが生まれます。先人の作品を参照しながら書かれた理由を考え、先人の演奏を参照しながら弾かれた理由を考え、細部から全体へ音楽の着想をまとめてゆくと意義が深まります。多くの事実に通じると観点が多くなり、多くの資料に通じると認識が深まり、資料に矛盾しない推論が可能になり、事実や本質に近づきます。演奏でもあらゆる個性や解釈に通じると、経験が豊かになりアイディアを見つけやすくなります。何度も試行して、多くの資料や事実を見つけ、今まで気づかない観点が見つかり、文化の伝統と個性の特長が明瞭になり、当時の観点から当時を把握しやすくなります。大バッハを初めとする歴史上の大家たちも先人に当たる豊かな音楽の伝統と遺産に接して、彼らの演奏や作品の質を高めましたから、大家たちと同じ道をたどり、音楽を深めてまいりたいです。
大バッハの〈ゴールドベルク変奏曲〉に到達する歴史と以降の発展、音楽など文化を深めるために有効な方法についてまとめてみました。長文をお読み下さり、ありがとうございます。皆さまもお元気にお過ごし下さい。
チャーリー・パーカーのChasin' the bird(1947年5月8日・ニューヨークHarry Smith Studios・Savoy [3421-4] 977)もトランペットとアルトサックスでカノンをなしてベースに支えられます。
中世のカノン(chase)も低音で支えられました。マイルスのトランペット、パーカーのアルトサックス、バド・パウエルのピアノ、トミー・ポッターのベース、マックス・ローチのドラムによる豪華メンバーです!和声コードが小節毎に当てられ、即興が展開されます。
コールマン・ホーキンスとチャーリー・パーカーがBalladeを吹いてからCelebrityになる動画(1950年10月・ニューヨーク・Verve MGV 8002)です。ピアノはハンク・ジョーンズ、ドラムはバディー・リッチです。
チャーリー・パーカーのCheryl(1953年6月14日・ボストンHi-Hat Club・Phoenix Jazz LP 10)では和声を分散せて音価を分割して旋律を生み出した変奏の技法がモダンジャズでも実現されています。
チャーリー・パーカーのBillie's Bounce(1945年11月26日・ニューヨークWOR Studios, Broadway・Savoy 573)ではマイルス・デイヴィスがトランペット、ディジー・ガレスピーがピアノを弾いています。
レッド・ガーランドによるBillie's Bounce(1957年12月13日・ニュージャージーRudy Van Gelder Studio, Hackensack・Pristige PRLP 7229)ではジョン・コルトレーンのテノール・サックスのソロを聴けます。音価が細分化され、速度感あるベースに乗せ、転調した感覚を伴わず、コードを変化させます。コルトレーンは五度圏上の長三度循環(B♭→G♭→D やB→G→E♭など)や代理和声(ii→V→I)を導入して3トニックシステムを確立しました。
2017年8月23日
《アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳》第2巻(1725年・D-B Mus.ms. Bach P 225)に書き込まれました。
2017年8月27日
変奏曲の歴史~中世から後期バロックまで
こんばんは。次の木曜日に二時間で前史から全てご紹介すると大変なことになりますから、ヴィオール・ビウエラ・リュート・鍵盤楽器(オルガン・チェンバロ・ヴァージナル・クラヴィコードなど)などによる即興曲や変奏曲の歴史だけでも一冊の本が書けてしまいますが、思いつくままに書き連ねてみます。舞曲で踊りが続いている間に同じ旋律を繰り返す必要があり、音楽の変化を求めて発達したといえます。
中世末期から14世紀のアルス・スブティリオルに由来する《ロバートブリッジ手稿》(GB-Lbl Add. MS 28550)やトスカーナ地方に由来する《ロンドン手稿》(GB-Lbl Add. MS 29987)の例えばエスタンピーやサルタレッロ、15世紀にブルゴーニュ宮廷に固執低音による舞曲(basse dance)があり、1529年にピエール・アテニャンが出版した《タブラチュア譜集》はリュートで演奏される舞曲の低音主題の変奏(recoupe)を含みます。
固執低音(basso ostinato)による即興曲は、バロック音楽では、イベリアのフォリア(folia)やファンダンゴ(fandango)、イタリアのロマネスカ(romanesca)やベルガマスカ(bergamasca)、フランスのシャコンヌ(chaconne)やパッサカーユ(passacalle)などになりました。フランスでは変奏部分をクープレ(couplet)といいました。また、サラバンド(sarabande)も低音主題による変奏形式の舞曲でドゥブール(double)も変奏による繰り返し部です。
優雅で穏やかな旋律によるパッサメッツォ(passamezzo)やアリアと変奏(aria variata)になり、フランスのドゥブール(double)に当たる変奏をイタリアでヴァリアツィオーネ(variazione)といいました。変奏曲(partita)も例えばフレスコバルディは舞曲や歌曲に基づく変奏曲、シャイトやベームはコラール主題による変奏曲として使われました。舞曲(dance)を同じ調による組曲(suite)と別の意味でもフローベルガーやヴェックマンらが使いました。
声楽曲に基づく変奏は、15世紀の《ファエンツァ手稿》(I-FZc 117)でも聖歌やモテットを器楽に編曲するとき、装飾を豊かにして変奏(alternatim)されています。例えばKyrie Cunctipotens genitorなどです。《ブックスハイム・オルガン曲集(Buxheimer Orgelbuch)》ではブルゴーニュ・シャンソンをオルガン編曲した作があり、例えばデュファイのSe la face a paleでは装飾的変奏(dimunition)されます。
コンラート・パウマンの《オルガン技法の基礎(Fundamentum organisandi)》(1452年)やジョゼッフォ・ツァルリーノの《ハルモニア教程(Le institutioni harmoniche)》(1558年)では、装飾旋律(Kolor)による華麗対位法(contrapunctus floridus)が解説され、ディエゴ・オルティスの《装飾論ならびに変奏論(Trattado de glosas sobre clausulas y otros generos de puntos)》(1553年)に発展しました。
ビウエラによるナルバエスやオルガンによるカベソンの変奏曲(diferencias)は、イタリアのトラバチやフレスコバルディ、北ヨーロッパのウィリアム・バードやオランド・ギボンスらのヴァージナル音楽(1611年・Partheniaや1625年頃・Fitzwilliam Virginal Bookなど多数)やスウェーリンクやシャイデマンらのオルガン音楽になり、北ドイツ・オルガン楽派(Norddeutsche Orgelschule)という伝統になりました。
また、フランスで宮廷歌謡(air de cour)で縮小技法(diminuition)、イタリアで特に追加歌曲(arie di baule)で華麗装飾(coloratura)が盛んになり、器楽の細かな装飾変奏(division)などの(例えばクリストファー・シンプソンのヴィオール)が声楽に移入され、即興で旋律そのものを高度に装飾した一種の変奏もみられました。和声構造を変化させず、即興で歌手が旋律を装飾して技巧を競いました。
声楽から器楽への編曲と舞曲から発達した変奏があり、ノートルダム楽派のオルガヌム・クラウズラ・モテット・ペスから発達した器楽に影響され低音の主題に音程を積み上げる方法(variata, partita)、鍵盤楽器の奏法による長い音価を細かく装飾する方法(alternatim, diminuition)、リュートなど弦楽器の奏法による和音を分散して旋律を生み出す方法(style brisé, arpeggio)などに分かれます。
大バッハには例えば真偽か疑わしい〈サラバンドと変奏〉(BWV 990)もありますが、〈ゴールドベルク変奏曲〉(BWV 988)では確かに伝統の変奏様式に従い、サラバンドのアリアから抽出した基本低音主題(Fundamental-Noten)を通奏低音(General-bass)に据え、作曲する様式(例えば舞曲・序曲・トッカータ・トリオソナタ・カノン・フーガ)などを定め、変奏というよりも、作曲するという姿勢で貫かれています。
門人アグリコラ(Johann Friedrich Agricola, 1720-1774)は「最晩年に大バッハが通奏低音の規則をよく説明してから、通奏低音で与えられる幾つかの音を用い、純正な四声部の楽曲を書かせた」と証言(1774年・Allgemeine Deutsche Bibliothek XXII)しており、明らかに通奏低音を足がかりとして音程やそれらを積み重ね、和声を考えながら作曲をした思考様式やプロセスが伺われます。
後期バロックにラモーの和声やヴェルクマイスターの転調などの理論が完成して、実用でハイニヒェンの通奏低音から作曲を展開する手法が《作曲における通奏低音(Der General-bass in der Composition)》(1728年)で確立されており、大バッハも参照していました。以上から大バッハが用いた「変奏曲」は語義通り、基本低音から色々な種類の作曲を展開できる見本を提示したという特色があります。
音楽史上の概念だけを文章で書きつらねると無味乾燥ですが、文章を書きながら頭の中で鳴り響いている音楽の見本を聴けるように致しますのでお楽しみください。
• Howard Ferguson (1975). Keyboard Interpretation from the 14th to the 19th Century, London: Oxford University Press.
• Ian Woodfield (1984). The Early History of the Viol, Cambridge: Cambridge University Press.
• Alexander Silbiger (1995). Keyboard Music Before 1700, Studies in Musical Genres and Repertories, New York: Schirmer Books.
• Douglas Alton Smith (2002). A History of the Lute from Antiquity to the Renaissance, Boston: Lute Society of America.
• Margaret M. McGowan (2008). Dance in the Renaissance, New Haven: Yale University Press.
• Timothy J. McGee (2013). Medieval Instrumental Dances, Bloomington: Indiana University Press.
Conrad Paumann: Fundamentum organisandi(1452年・D-B MS Mus. 40613 (Lochamer-Liederbuch), 46v-47r)
ロバートブリッジ手稿 Robertsbridge Codex: Estampie retrove(1325年頃・フランス・GB-Lbl Add. MS 28550)
ロンドン手稿 London Manuscript: Istampitta Gaetta(14世紀・トスカーナ・GB-Lbl Add. MS 29987)
ファエンツァ手稿 Codex Faenza: Kyrie Cunctipotens genitor Deus(15世紀・ラヴェンナ・I-FZc 117)
ギヨーム・デュファイ Guillame Dufay [1397-1474]: Se la face ay pale(1470年頃・バイエルン・Buxheimer Orgelbuch)
コンラート・パウマン Conrad Paumann [1404-1473]: Fundamentum Organisandi(1452年・ニュルンベルク・Lochamer-Liederbuch)
ディエゴ・オルティス Diego Ortiz [c.1510-c.1570]: Passamezzo moderno(1533年・Trattado de Glosas)
ウィリアム・バード William Byrd [1543-1643]: Hughe Ashtons Grownde(1591年・My Ladye Nevells Booke)
オルランド・ギボンズ Orlando Gibbons [1583-1625]: The Queenes Command (1612年・Parthenia)
クリストファー・シンプソン Christopher Simpson [c.1605-1669]: Division ground(1659年・The Division Viol)
ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク Jan Pieterszoon Sweelinck [1562-1621]: Mein junges Leben hat ein End(SwWV 324)
ハインリヒ・シャイデマン Heinrich Scheidemann [c.1595-1663]: Ballett & Variatio(WV 111)
ベルナルド・パスクィーニ Bernardo Pasquini [1637-1710]: Partite di Bergamasca(1702年・Sonata per gravicembalo)
ジャック・ガロ Jacques Gallot [c.1625-1696]: Les Folies d'Espagne(1670年・Pièces de Luth)
マラン・マレ Marin Marais [1656-1728]: Couplets de folies(1702年・Pièces de viole, Livre II)
ドメニコ・スカルラッティ Domenico Scarlatti [1685-1757]: Fandango en modo dorico(Fandango del SigR Escarlate)
メルヒオール・シルト Melchior Schildt [1592-1667]: Paduana Lachrymae [John Dowland](1642年・DK-Kk mu 6610.2631)
ヨハン・パッヘルベル Johann Pachelbel [1653-1706]: Ciacona e Aria(1699年・Hexachordum Apollinis)
ザムエル・シャイト Samuel Scheidt [1587-1653]: Choralvariation „Allein Gott und der Höh sei Ehr“(SSWV 559)
ゲオルク・ベーム Georg Böhm [1661-1733]: Choralpartita „Ach wie nichtig, ach wie flüchtig“(RUS-KA MS 15839)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750]: Sarabande con partite(1705年頃?・BWV 990)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach [1685-1750]: Passacaglia(1710年頃・BWV 582)
2017年8月30日
こんばんは。明日の午後7時から始めますが、午後6時からいらしたらお部屋でお話しできますことがとても楽しみです。今回はゴールドベルク変奏曲のアリア・第7・9・13・16変奏について、作曲技法やアイディアの起源となるバッハの先人たちの実作と併せて作品の構造や作曲の過程を把握しようと試みます。
即ち、アリアのサラバンドに対して、ノートルダム楽派のオルガヌム、ブルゴーニュ宮廷のバスダンス、ヴァージナル楽派のグラウンド、リューティスト(カプスベルガー)やクラヴサン楽派(ルイ・クープラン)など、ゴールドベルク変奏曲と似た低音主題によるパーセルやヘンデルのシャコンヌやブクステフーデの変奏曲などです。
また、第7変奏のジーグに対して、ウィリアム・バードのガイヤルド・ジーグ、ミヒャエル・プレトリウスのテルプシコーレ、フランスの老ゴーティエやフランソワ・デュフォー、クラヴサン楽派のシャンボニエールなど、リュリのオペラと舞踏譜、ヴィオールによるマラン・マレや大バッハの無伴奏チェロ組曲のジーグなどです。
第9変奏のカノンに対して、中世カノン(rota, chase, caccia)と固執低音(pes)、〈夏は来たりぬ〉、《トゥルネーのミサ》、ピカードの〈サンクトゥス〉、ボード・コルディエ、デュファイ、オケゲムなど、ゼレンカやバッハのカノン、特にカノン変奏曲Vom Himmel hoch(1747年・BWV 769)との構造や作曲過程の類似などです。
第13変奏のアリアに対して、ナルバエスの変奏曲(diferencias)、クリストファー・シンプソンの変奏曲(division)など、長い音価を短く分割して、リズムや旋律線を生み出す縮小技法(diminution)をみます。特に《ヴィオール奏者の変奏(The Division Violist)》(1659年)のヴィオール演奏は、バッハの無伴奏チェロ組曲のようで興味深いです。
第16変奏のフランス様式の序曲に対して、リュリの五声弦楽器によるオペラ序曲をダングルベールが鍵盤編曲した実例、大バッハがドレスデンで接触した可能性があるゼレンカの〈七声コンチェルタントによる序曲〉(1723年・ZWV 188)との類似、ヴァイスの〈リュートによる序曲〉(1725年・WeissSW 4/31)などです。
今まで通り、音楽の思考様式や作曲過程が継承されてきた軌跡をたどりながら、大バッハの作曲の手がかりや構成の広がりに対する理解を深める作戦で突き進みます。それから、ゴールドベルク変奏曲の本曲では、それらを踏まえて細かい解釈の鍵、例えば和声方・リズム・アーティキュレーションなどに迫るつもりです。
皆さまいつもお忙しい所、ありがとうございます。明日も何卒よろしくお願い申し上げます。
クリストファー・シンプソンの《ヴィオール奏者の変奏(The Division Violist)》(1659年)〈前奏曲 ニ長調(Prelude in D-Major)〉