Press "Enter" to skip to content

系譜という手法

2014年4月6日[5月27日改訂]

系譜はあらゆる人類の文化に適用される思考の規範です。事物の本質を把握してこそ、事物の実態を理解できます。現代に山積した社会の問題を解決するには、問題の原因を把握して適切に対処します。現代の問題は現代の社会の内のみならず外から考察してこそ、原因と方策が洗い出されて、解決の道筋が見い出されます。物事の起源を知り、存在の意義として本質を捉えます。存在の意義と現状が乖離したところから問題は発生するが故に、原因も方策も自ら現れ出てきます。

系譜の手法は先賢の遺産を構築することができます。アリストテレス(Ἀριστοτέλης >Aristoteles, 384-322 a.C.n.)の論理学は中世イスラム科学に継承されまして、12世紀からヨーロッパに翻訳され、スコラ学(scholasticus)が発達しました。

イスラム世界のイブン=スィーナー(أبو علي الحسين بن عبد الله ابن سينا Abū ʿAlī al-Ḥusain ibn ʿAbd Allāh ibn Sīnā > Avicenna, 980-1037)やヨーロッパのアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, 1193-1280)らが知られます。

一つの主題の考察に多くの関連ある論拠を集積して、結論を導出する堅実な学問の手法です。一つの命題に対して、古今東西の事物を縦横無尽に引用かつ註釈して様々な観点から考察体系を構築することです。

スコラ学は研究の手法かつ思考の規範です。漢学で先人を規範とする方法がございます。書道における臨書も一つです。名品を字形のみならず筆意を書写して追究します。古典には意外な表現が満載です。

系譜の手法は西洋音楽へ援用され、ピアノでショパンの作品を演奏するには、ショパンの語録や門人の記録や19世紀のピアニズムを伝承する名手の演奏記録を詳細に吟味・取捨・選択・統合して、真なる姿に限りなく近づきます。

歴史を伝える生き証人として、パリのショパン門下ドゥコンブ(Émile Decombes, 1829-1912)やマティアス(Georges Mathias, 1826-1910)、フライブルクのシューマン夫人(Clara Schumann, 1819-1896)、ヴァイマールのリスト(Franz Liszt, 1811-1886)、ウィーンのレシェティツキ(Theodor Leschetizky, 1830-1915)、ワルシャワのミハウォフスキ(Aleksander Michałowski, 1851-1938)、モスクワのパブスト(Pavel Pabst, 1854-1897)の門人、プランテ(Francis Planté, 1839-1934)やパハマン(Vladimir de Pachmann, 1848-1933)ら、往年のピアニストが、ピアノロールや録音で演奏を残しました。

先人たちの特質を吟味して、自己に接ぎ木して個性をなせます。個性とは物事の取捨と選択の結果です。いかなる問題についても、一つの問題に対して、多くの観点あらゆる角度から考察してこそ、事物を把握して解決の方法を発見できます。

古代ギリシア末期の6世紀にアレクサンドリアのピロポノス(Φιλόπονος > Philoponus, c.490-c.570)が創始した実験による検証を重視した経験主義は、中世イスラム科学を経由して、ヨーロッパに導入され自然科学を発達させました。

バグダードのアル=ハイサム(أبو علي، الحسن بن الحسن بن الهيثم Abū ʿAlī al-Ḥasan ibn al-Ḥasan ibn al-Haytham > Alhazen, 965-1040)やオックスフォードのロジャー・ベーコン(Roger Bacon, 1214-1294)らが知られます。

実験の結果から理論を仮定して実験で論証します。豊富な情報から帰納的に普遍な理論を構築して、演繹的に様々な局面で導出する帰納(inductio)は内へ(in-)、演繹(deductio)は外へ(de-)引き出す(ducere)を意味します。また、分解(resolutio)と合成(compisitio)により、大きな問題を分割して小さな問題にして、全体の現象を局所の理論に還元します。局所は全体の一つであり、全体は局所の集まりです。普遍は特殊の集合であり、特殊は普遍の一部です。

自然科学は様々な現象の背後に存在する普遍な法則を仮定して実験で証明します。帰納と演繹を抽象化と具体化を自由に往来して、事物を立体的に理解して多角的に把握できます。

ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)は《箴言と省察(Maximen und Reflexionen)》(1833年)で「仮説とは建築前に設置され、建物後に撤去される足場である。足場が作業者になくてはならないが、作業者は足場を建物と思ってはならない(Hypothesen sind Gerüste, die man vor dem Gebäude aufführt und die man abträgt, wenn das Gebäude fertig ist. Sie sind dem Arbeiter unentbehrlich; nur muß er das Gerüste nicht für das Gebäude ansehn.)」と語りました。

仮説を実証した結果として獲得された法則や知見を集積かつ整理して形式体系が構築されます。前提となる定義・公準・公理から定理を導出して、多岐の内容を数少ない前提で整理できます。

エウクレイデス(Εὐκλείδης > Euclidus, c.325-c.265 a.C.n.)の《原論(Στοιχεία > كتاب حل شكوك Kitāb ḥall shukūk > Elementa)》は公理による体系の源流です。幾何学の五つの公準と公理から数々の定理が導出されます。

ニュートン(Isaac Newton, 1642-1727)の《自然哲学の数学的諸原理(Philosophiae Naturalis Principia Mathematica)》(1726年)は、三つの運動法則の公理から、力学現象を説明する定理が導出されます。

ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)の流儀により微積分学を習得したデュ・シャトレ侯爵夫人(Émilie du Châtelet, 1706-1749)がフランス語に翻訳しました。

ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange, 1736-1813)は《解析力学(Mécanique analytique)》(1788-89年)で一般座標系による定式化からゲージ対称性に発展して、現代物理学の基本相互作用の記述に継承されます。

リンネ(Carl von Linné, 1707-1778)が《自然の体系(Systema Naturae)》(1735年)の博物学で確立した分類の手法は、多くの情報を同じ特徴や構造に着目して分類して整理します。鉱物学は化学組成や結晶構造で分類します。

類似性の観点から知識を整理して体系化する手法は、フランス啓蒙時代にディドロ(Denis Diderot, 1713-1784)らが編纂した《百科全書(L'Encyclopédie)》でも活用され、ダランベール(Jean Le Rond d'Alembert, 1717-1783)は序文(Discours préliminaire)に「先ずこれ[諸学問]を探求する際に我々がとるべき手法は、我々の諸知識の系譜と家系という用語が許容されるなら、それらを誕生させた諸原因とそれらを相互に区別する諸特性を吟味することである。即ち、我々の諸概念の起源と生成に至るまで遡ることである(Le premier pas que nous ayons à faire dans cette recherche est d'examiner, qu'on nous permette ce terme, la généalogie et la filiation de nos connaissances, les causes qui ont dû les faire naître et les caractères qui les distinguent; en un mot de remonter jusqu'à l'origine et à la génération de nos idées.)」と記しました。

百科全書派が辞典編纂で活用した概念を系統だてて分類して体系を構築する手法を拡張して、概念を生み出した人間に着目して、学派の系譜や手法の変遷を考察して、体系の全体と要素を把握できます。司馬遷(c.145-86 a.C.n.)の《史記》(紀伝体)や司馬光(1019-1086)の《資治通鑑》(編年体)は正史を編纂する歴史の体系です。《史記》や《漢書》では、本記で事件、列伝で人物が考察されます。《春秋三伝》や《資治通鑑》では、年代の順列で事件が配置されます。

理論化は多くの事例を分析して仮説を立てます。体系化は様々な事例を分類して、体系を構成して事例を整理します。《老子》第48章に「学を為せば日に益し、道を為せば日に損す。之を損し又た損し、以て無為に至る。無為にして為さざる無し(為学日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為)」と記されます。理解とは概念を接続する論理の構造を明確に把握することです。全体を把握して、個別を理解でき、個別を理解して、全体を理解できます。

概念を自由自在に使い、思考を明晰な言語で表現して伝達できます。概念の定義を明確にするには、語源を分析することが近道です。古典は名文の宝庫です。一つの語彙が歴史的変遷で獲得した概念を明確に理解するにも系譜を考察する必要があり、人類が新しい概念を獲得する瞬間には類推を経由します。単語の意味が拡張されるにも類推を経由します。

例えば、インド=ヨーロッパ祖語(*kʷel-)、サンスクリット語(cárati)、ギリシア語(πέλ)、古ラテン語(*quelō)と同源のラテン語(coleo)は「耕す」という意味でした。耕す対象が具体的な畑からより抽象的な心へと類推されて文化(cultura)の概念を獲得しました。キケロ(Marcus Tullius Cicero, 106-43 a.C.n.)は《究極について(De finibus)》 第5章54節で「彼にとって心の豊かさは人の糧となる(amini cultus ille erat ei quasi quidam humanitatis cibus)」と記しました。

理論物理学でマクスウェル(James Clerk Maxwell, 1831-1879)が電磁気学を集成するに力学模型を想定して、対称性に着目して定式化して、ゲージ場の元祖となりました。ディラック(Paul Dirac, 1902-1984)は「数学と物理学の関係(The relation between mathematics and physics)」(Proceedings of the Royal Society (Edinburgh), 59:122)で「物理学者は研究の手段としてシンプルという原則を順守する(The physicist is thus provided with a principle of simplicity, which he can use as an instrument of research.)」から「研究者は自然の基本法則を数式で表現する過程で数学的な美しさに努める必要がある(The research worker, in his efforts to express the fundamental laws of Nature in mathematical form, should strive mainly for mathematical beauty.)」に拡張して、「シンプルの原則」を「数学的な美しさ」に類推しました。

複雑な事物の背景にある単純な仕組を発見します。人間は実在して知覚される具体的な事象から抽象的な概念に類推します。類推(ἀναλογία)は、既知の経験を未知の事象に適用して知識を獲得します。アリストテレスは《形而上学(Τὰ μετὰ τὰ φυσικά > Metaphysica)》第12巻4章(1070a31)で「相違する事物の原因や原理は、一方では相違するが、他方では、即ち普遍的に又は類比的に語られるとき、相違する事物の何れにも同じである(τὰ δ᾽ αἴτια καὶ αἱ ἀρχαὶ ἄλλα ἄλλων ἔστιν ὥς, ἔστι δ᾽ ὡς, ἂν καθόλου λέγῃ τις καὶ κατ᾽ ἀναλογίαν, ταὐτὰ πάντων.)」と記しました。

文学も心の情景を物に譬える類推により情感を言い表します。アリストテレスは、《詩学(Ποιητική > Poetica)》第22章(1457b17)で「類推は、甲に対する乙の関係が、丙に対する丁の関係に類似する場合に成立する。確かに人は乙の代りに丁を語り、丁の代りに乙を語る。善のイデアが他の認識対象に対する関係と太陽が生物に対する関係とは類推だから、善のイデアの代りに太陽という言葉が使われる(τὸ δὲ ἀνάλογον λέγω, ὅταν ὁμοίως ἔχῃ τὸ δεύτερον πρὸς τὸ πρῶτον καὶ τὸ τέταρτον πρὸς τὸ τρίτον: ἐρεῖ γὰρ ἀντὶ τοῦ δευτέρου τὸ τέταρτον ἢ ἀντὶ τοῦ τετάρτου τὸ δεύτερον. καὶ ἐνίοτε προστιθέασιν ἀνθ᾽ οὗ λέγει πρὸς ὅ ἐστι. λέγω δὲ οἷον ὁμοίως ἔχει φιάλη πρὸς Διόνυσον καὶ ἀσπὶς πρὸς Ἄρη: ἐρεῖ τοίνυν τὴν φιάλην ἀσπίδα Διονύσου καὶ τὴν ἀσπίδα φιάλην Ἄρεως.)」と書きまして、プラトン(Πλάτων > Plato, 427-347 a.C.n.)が《国家(Πολιτεία > Politica)》第6巻(502C)で議論した「善のイデア(ἰδέα του ἀγαθοῦ)」に註釈しました。

類推は既存の知見を駆使して新規の構造を発見して知見を拡張して文化を発展する原動力です。記号論理学の手法を言語学に類推したソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)、また、抽象代数学の群論を文化人類学に類推して、婚姻体系を説明したレヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss, 1908-2009)が、発展させた構造主義(Structuralisme)も類推を駆使して、学問の体系を事物が成立する構造に着目して構築されます。

系譜の手法は仏教哲学に於ける唯識の構造に近いです。釈迦(Siddhattha Gotama, 563-483 a.C.n.)は、生老病死の問題に対峙して縁起(因果関係)で事物が成立する基盤から考察しました。《相応部(Saṃyutta-nikāya)》12.37「此あるが故に彼あり。此生じるが故に彼生ず。此なきが故に彼なし。此滅するが故に彼滅す(iti imasmiṃ sati idaṃ hoti, imassuppādā idaṃ uppajjati; imasmiṃ asati idaṃ na hoti, imassa nirodhā idaṃ nirujjhati.)」と記されます。

中観学派は因果関係(此縁性縁起)を相互関係(相依性縁起)に拡張しました。龍樹(Nāgārjuna)は《中論(Mūlamadhyamakakārikā)》第24章18-19頌で「事物が縁起することを空とする。如何なる事物も縁起せず生成した事物でない。如何なる事物も空でない事物はない(yaḥ pratītyasamutpādaḥ śūnyatāṃ tāṃ pracakṣmahe, sā prajñaptir upādāya pratipat saiva madhyamā apratītya samutpanno dharmaḥ kaścin na vidyate, yasmāt tasmād aśūnyo hi dharmaḥ kaścin na vidyate.)」と記しました。

空性(śūnyatā)は自性を欠如すること、事物は独立した存在ではなく、相互に依存する縁起で成立することです。現代物理学の素粒子の相互作用を記述するゲージ場に類似した、事物は個別に存在せず、相互の関係で成立する描像です。

唯識学派の世親は《唯識三十頌(Triṃśikā-vijñaptimātratā)》第20-21頌で「彼彼の遍計に由り、種種の物を遍計す。此の遍計所執の自性は所有無し。依他起の自性は、分別の縁に生ぜらる。円成実は彼が於に、常に前のを遠離せる性なり(由彼彼遍計、遍計種種物。此遍計所執、自性無所有。依他起自性、分別縁所生。円成実於彼、常遠離前性)(yena yena vikalpena yad yad vastu vikalpyate; parikalpita evāsau svabhāvo na sa vidyate. paratantrasvabhāvastu vikalpaḥ pratyayodbhavaḥ; niṣpannastasya pūrveṇa sadā rahitatā tu yā.)」と記しました。

事物を分析して個々を理解する遍計所執性(parikalpita)、事物を関連して全体を把握する依他起性(paratantra)、前記の両者を兼備する円成実性(pariniṣpanna)に三分類されます。

各々の要素を深く考察して(遍計所執性)、かつ、要素と要素の関係性を広く考察して(依他起性)こそ、各々の要素を深く、要素と要素の関係性をありのままに把握(円成実性)できます。

《趙州録》381に「問う、如何なるか是れ万法の源。師云く、棟梁椽柱。云く、学人会せず。師云く、拱斗は叉手せるに会せず(問、如何是万法之源。師云、棟梁椽柱。云、学人不会。師云、拱斗叉手不会)」と記されます。

事物の本性は事物を構築する構造で理解されることが身近な事物を用いて示されます。華厳哲学の論理構造のよう、事物は独立して、そのものだけで存在せず、相互に関連して、関わり合いにより成立するからです。

独立した事物を深く分析して、全体の関連を広く把握できます。《碧巌録》劈頭に「山を隔てて煙を見て、早に是れ火なることを知り、牆を隔てて角を見て、便ち是れ牛なることを知る。挙一明三、目機銖両は、是れ衲僧家の尋常茶飯(隔山見煙、早知是火、隔牆見角、便知是牛。挙一明三、目機銖両、是衲僧家、尋常茶飯)」と記されます。山の向こうに煙を見れば、直ぐに火が燃えていると分かり、垣の向こうに角を見れば、直ぐに牛が歩いていると分かる。一辺を見れば忽ち三辺が明らかになり、天秤の少しの傾けば、たちまち重さが明らかとなることは、朝飯前のことであるとされます。

陳那(Dignāga, c.480-c.540)が大成した因名(hetu vidyā)で頻出する例です。一辺を見ればたちまち三辺を明らかになるとは、一つの命題に対して三つの関係があることです。命題(propositio・p→q)の逆(conversio・q→p)、裏(inversio・¬p→¬q)、対偶(contrapositio・¬q→¬p)で否定(negatio・¬(p→q))で秤の傾きで重さが分かるよう、直感で演繹をして、人間の認識と論理の構造を把握されます。局所的に各々の要素を十分に理解しながら、大域的に要素の関係を完全に理解してこそ、巨視的・微視的視点を往来できます。系譜は関係性に着目して映像で構造を一目で把握する体系です。

系譜は人間から人間へと伝承されていく文化の遺伝を考察して、人間と人間の関係で概念と概念の関係を解明します。人間が存在して初めて概念も意味を持ちえますし、人間が生存して初めて社会も文化も成り立ちます。

人間は自身の教養や経験を判断の基準として事物を評価します。起源を全く異にする文化が接触すると、自分の観点で相手を評価する主観的な把握から、自他の価値観を克服した客観的な把握に移行します。

事物を正確に把握する近道は、事物自体のみならず成立過程を明らかにする系譜を把握することです。

系譜という方法論は物理学の緻密な論理と壮大な体系を把握する経験から自然に編み出されました。歴史学は今から昔へ隔たりある地点から事件を考察して評価しますが、系譜学はある時代とある時代の差分を考察して変遷を辿ります。

歴史学は、昔の事件を時間や距離の離れた今から評価しますから、現代の常識で過去の事物を評価する誤解が入り込みやすいです。逆に系譜学は前の世代と次の世代の差分を考察して、古代から対象に下り、現代から対象に遡る双方から挟み込み、文化の伝承と変遷を考察します。そのことにより、細かい変化に気づくことができます。

解析学のワイエルシュトラス(Karl Weierstraß, 1815-1897)やコーシ(Augustin Cauchy, 1789―1857)によるε-δ 論法のようです。また、アインシュタイン方程式の厳密解である擬リーマン多様体(manifold)を組み合わせて、空間を構成する一般相対性理論では、少しの歪みが積み重なると大きな歪みになります。

歴史背景は事物の存在意義の根源です。人類の文化も前の文化に次の文化が少しずつ付加されて、大きく変遷しました。文化は、先行する遺産に累積して発展しましたから、事物の成立過程の軌跡を辿り、厚みと深みのある知恵となります。

古代ギリシアの思弁的哲学に実験的方法を結合して、イスラム世界の大科学者たちは、自然科学の基礎を構成しました。

アル=バッターニー(أبو عبد الله محمد بن جابر بن سنان الحراني الصابي البتاني Abū ʿAbd Allāh Muḥammad ibn Jābir ibn Sinān al-Raqqī al-Ḥarrānī aṣ-Ṣābiʾ al-Battānī > Albategnius, 850-929)、アル=ハイサム(أبو علي، الحسن بن الحسن بن الهيثم Abū ʿAlī al-Ḥasan ibn al-Ḥasan ibn al-Haytham > Alhazen, 965-1040)、アル=ビールーニー(أبو الريحان محمد بن أحمد البيروني Abū al-Raiḥān Muḥammad ibn Aḥmad al-Bīrūnī > Alberonius, 973-1048)、イブン=バーッジャ(أبو بكر محمد ابن يحيى ابن الصائغ ابن باجّة التُجيبي الاندلسي السرقسطي Abū Bakr Muḥammad ibn Yaḥyā ibn al-Ṣā'igh ibn Bājja al-Tujībī al-Andalusī al-Saraqusṭī > Avempace, 1095-1138)らです。

また、音楽史においては、パレストリーナ様式の特質を理解するため、中世多声音楽からブルゴーニュ=フランドル楽派へ時代を下る方法、古様式(stile antico)として、後世の音楽家が受容した系譜を現代から遡る双方から考察できます。

系譜学の発想が歴史学に取り入れられることにより、現代の価値観が成立した起源や過程を知ることにより、過去の価値観が機能した当時の事情への理解が深まります。社会の問題は現実の問題と人間の認識が乖離して発生します。様々な文化や時代の価値観を正確に把握して、現代の問題を多角的に解決する道筋を発見します。

人類が知見を獲得する過程は時代と文化を問わず不変です。先人の思考過程を我々の研究活動に活用できます。先人が発見をした瞬間を追体験してこそ、我々が発見をする瞬間を迎えられます。

理性とは人間が具備している推論の能力です。既知の知見を未知の領域に適用して、新規の知見を獲得して、文化が豊かになります。論理の構造を映像で瞬時に把握できます。

古典的な系譜学では、縦軸が世代関係、横軸が親族関係ですが、学芸の伝承に類推適用すれば、前者は時間軸や師弟関係、後者は空間軸や交友関係となり、兄弟弟子の比較検討もなされます。

ゲルマン(Murray Gell-Mann, 1929-2019)とロウ(Francis Eugene Low, 1921-2007)が量子場理論に導入した繰り込み群のスケーリングなど、巨視的かつ微視的な視点から同じ構造が見られる自然のフラクタル性質を文化の発展に類推適用して、歴史からみた大域的な視点、個人からみた局所的な視点で変遷過程が観察されます。

一人の音楽家など、大きなオーダーでも、一つの音楽史など、大きなオーダーでも、人類の文化は規則的に変遷します。古代・中世・ルネサンス音楽を経て、各国のバロック音楽、古典派音楽までの歴史を系統的に捉えて、各々の作品の位置や存在の価値が分かります。通史で全体を大きく理解でき、系譜で細かい関係を考察できます。

系譜学は音楽学に限らず、人類の文化や学芸に関する他領域に類推適用でき、新たな学問領域を生み出して探究できます。探求とは事物を深く思惟して、実際に広く行動することです。古代ギリシア哲学と仏教哲学も語り方の切り口が異なりますが、人間の問題を人間で解決して、豊かな心で生きて、人らしく生きることを目的とします。

人は生きながら、深められます。慈悲(mettā, karuṇā)は、パーリ語で友情・同情に由来します。ラテン語(caritas, misericordis)は、親しみの心(carus)・憐れむ(miser)心(cor)に由来します。人は心から始まって心で終わります。

《経集(Sutta-nipata)》150-151に「世の中の至る所で限りなき(慈しみの)心を発します。上下に、左右に、怒りなき、怨みなき、敵のなき(慈しみの心を発します)。立ちつつ、歩みつつ、坐しつつ、臥しつつ、眠らない限り、この心を保ちます。これは世の中で最も貴い在り方です(Mettañ ca sabba lokasmiṃ, mānasaṃ bhāvaye aparimānaṃ; Uddhaṃ adho ca tiriyañ ca, asambādhaṃ averaṃ asapattaṃ. Tiṭṭhañ caraṃ nisinno vā, sayāno vā yāva tassa vigata middho; Etaṃ satiṃ adhiṭṭheyya, brahmametaṃ vihāraṃ idhamāhu.)」と記されます。

探究は誰でもできるからこそ奥が深いです。思惟の深さこそが人生の豊かさ、意志の強さ、探究の鋭さとなります。知識を溜め込まなくても、目標を決め込まなくても、相手の喜びを自分の喜び、相手の悲しみを自分の悲しみに感じるところから、実際に行動に向かい豊かに生きられます。人間が生きている事実を今ここで味わい探究できます。

中世大学(Studium generale)には二つの起源が確認されます。パリ大学は教授の組合(universitas)を起源とします。普遍(καθολικός > catholicus)のラテン語訳(universitas)で宇宙(universe)の語源であり、神学的体系を指しました。

中世社会の要請で聖職者を兼ねた政治家を養成しました。ノートルダム楽派によりモードリズムによる構築的なオルガヌムが作曲されました。一方、ボローニャ大学は学生の仲間(collegium)を起源とします。同僚(colleague)の語源であり、研究したい学生が集まり、教授を雇い、講義を受けました。交易で豊かになりました市民が発展させた自治都市で法律家を必要としていました。人文主義を掲げたペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304-1374)のような学者は、北イタリアの自治都市で誕生しました。実際にトレチェント音楽には世俗作品が多数あり、市民による文化も開花しました。

大学の異なる起源を知り、現代の教育問題に解決の糸口も見つかります。問題の所在を明らかにして根本から解決するには、歴史的変遷を知ることが必須です。現代の教育問題は、大学が創設された当初の知的探求への純粋な情熱が失われ、個人の経歴を保証する手段と化している所から出ています。時代に合せた変遷と共に当初の意義を伝承することも大切です。世阿弥(1363-1443)の《花鏡》奥段に「初心を忘れずば、後心は正しかるべし」と記されます。研究への情熱ある人が誰しも入れる制度を既存の制度と共存することが近道です。制度に融通が利かなくても、人間には融通が利きます。

知りたいからこそ、見つけようとします。知りたい動機があってこそ、知らない課題を見つけます。既知の概念を暗記する学習と未知の概念を発見する学問は全く異なります。知識を大量に記憶しても研究の手法を会得しなければ、未知の問題を解決できません。独創性は古典で伝承されたあらゆる系譜を踏まえて整理されてこそ、次世代の様式を創造する原動力となります。ホラティウス(Quintus Horatius Flaccus, 65-8 a.C.n.)は《抒情詩集(Carmina)》IV. 4. 33で「学問は生来の能力を発展させ、正しき教養は精神を強固にする(doctrina sed vim promovet insitam rectique cultus pectora roborant.)」と記しました。何を生み出すにも、何を編み出すにも、古典を深く知ることにより、奥行きが広くなります。

雅楽は東アジア全域の音楽体系で源博雅(918-980)は《新撰楽譜》、藤原師長(1138-1192)が《三五要録》を編修しました。世阿弥(1363-1443)は禅籍・漢籍・和籍に通じて申楽を能楽に大成しました。褚遂良(597-658)は北派・欧陽詢(557-641)の屹立とした書風と南派・虞世南(558-638)の温雅な書風を統合しました。顔真卿(709-785)は唐代に流行した院体・王羲之(303-361)の書風と古体・籀文の書風を統合して、顔体という剛直な書風を確立しました。

アリストテレスはタレス(Θαλής > Thales, 624-546 a.C.n.)らミレトス学派起源の自然哲学、プロタゴラス(Πρωταγόρας > Protagoras, c.490-c.420 a.C.n.)らソフィスト起源の言語哲学を吟味して古代の哲学を大成しました。

古代ギリシアのアレクサンドリア図書館に古代の知識が集成され、バグダートの知恵の館にギリシア・ペルシア・シリア・インドの文献、トレド翻訳学派はギリシア・イスラム文献を翻訳してスコラ学を構築しました。

アル=ハイサムはギリシア哲学やインド天文学に実験と観測など実証に重きを置いた自然科学の方法論を創始しました。中世の秋に活躍した音楽家デュファイ(Guillaume du Fay, 1397-1474)は、イタリアの明朗な旋律とイギリスの調和した和音、フランスの多声的な書法を見事に熟達してルネサンス音楽の基礎を一代で構築しました。

バロック時代の晩期に活躍した大バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685- 1750)は、イタリア音楽、フランス音楽、ドイツ音楽の長所をを洗練させ、千年近く脈々と伝承されてきた多声音楽を総括しました。

古典には本質が凝縮されています。あらゆる流儀を加味してこそ本質を把握できます。創造は伝統が交差する所に花咲き、古典文献の伝承と研究手法の教授の系譜の交点で発展します。

KFアーカイブの目的は、人間の知恵と強靭な意志で問題に立ち向かうことです。先人が各地で独自に発展させた手法や観点をできるだけ広く、できるだけ多く、集積して、整理して、先人の遺産を継承する最後の子孫である我々が、画一的な先入観や常識的な人生観を克服して、多角的な観点を獲得できます。

古代ギリシア哲学から中世イスラム科学を経由してヨーロッパに伝承したスコラ学、ルネサンスに発達した自然科学、漢字文化圏の直感的に事物の関係を推測する類推、古代インド哲学などの方法を兼備して整理して、事物と事物の関連性で体系を構築する方法が系譜学です。

人類が発見したあらゆる研究の手法を自在に駆使して、未知の問題を発見して解決できます。博学者(πολυμαθής)や万能人(homo universalis)と慕われた賢人は、上述の手法を要所で適切に活用して、あらゆる学問や芸術の本質を統一的に普遍的に把握しました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452-1519)は、科学的方法を土台にアナロジーを多用して様々な事物を統一的処理して把握していました。新しい概念が発見されて文化が開拓された事例を仔細に検討して、先人が思考した過程が追体験され、我々が未知の問題を解決する指針となります。天才の頭脳の構造はシンプルです。

人間は生まれながら天才です。上述の方法を駆使して、誰しもが天才として生きられます。直感的なひらめきの過程を系統的に明確にした研究手法そのものが研究対象かつ教授対象になり広く伝わり、私たち人類が未知の問題を発見して解決する能力を格段に向上できます。学術研究活動の進展に限られず、社会問題解決にも多大な貢献します。

それ故に知識そのものを教授することより、自力で問題を発見して解決する手法、思考の規範といった知恵を教授することが大切です。《菜根譚》前142に「士君子は、貧にして物を済うこと能はざる者なるも、人の痴迷の処に遇いては、一言を出だして之を提醒し、人の急難の処に遇いては、一言を出だして之を解救す。亦た是れ無量の功徳なり(士君子貧、不能済物者。遇人癡迷処、出一言提醒之、遇人急難処、出一言解救之。是無量功徳)」と記されます。

知恵は財産で多くの人に分け続けても無くならず増えていきます。知恵は広まるほど情報の価値を増します。人類は知りえたことを惜しみなく交換することにより、人類の文化や知見が拡張し続けてきました。

現代社会の閉塞感を打開するためには、先入観を打破して人生観を養うことが近道です。各人が思索を深めるにも洞察力を高めることが近道です。個人の研究や発想が人類の知見となり、文化振興が社会運動となります。

人類のいかなる社会も真剣に考えて生きる人に支えられます。そうした、人類の基礎から研究の進展や問題の解決など現実の応用に到るまで、思考様式や発想過程の伝承の系譜の観点から辿ることができます。

人間が生きている素晴らしさを伝えてこそ、文化で心を豊かにして人生を生きられます。

Follow me!

PAGE TOP