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音楽系譜学とKFアーカイブ(Musicogenealogia et KF-Archive)

2012年6月6日[6月27日・2013年5月27日・11月1日改訂]

全ての学芸は人間が存在して意味をなします。物事を深く広く追求するには、人間同士の関係を反映する系譜を遡りつつ、その背景を追求することが近道です。東洋に古来よりある系譜という発想を西洋の研究に導入すると、個人の業績からは見えない真実に迫れます。歴史や文化は小さな変化の積み重ねが大きな変化となったものです。

我々は先人から人間の形質が遺伝しており、同じく人間の精神も伝承しています。微小な変化を積分する確率過程をとる自然の構造と同様に人類の文化を理解する手法が系譜です。

物事の本性を発見するには、全体と部分を同時に追求して、物事の背景を考慮します。人間は自分の視点でのみ物事を理解します。それ故に、一つの知的活動の枠組を提示するには、一つの活用方法の実例を提示する必要があります。

そこで系譜という手法で音楽の発展や人間を理解する「音楽系譜学(musicogenealogia)」が提案されます。音楽は文化や時代に拠らず、人間と共に存在してきました。音楽は風土と人格を明確に体現しています。

人間の存在と共に根源的であり、民族固有の精神構造を端的に示しており、師弟関係が端的に表れてきます。情報は複製して他人に譲渡しても減りません。情報は使われてこそ、却って価値を増します。

文化を系譜で整理する発想は、遺伝の原理に支えられます。文化情報は遺伝情報と同じく複製を繰り返して発展します。断絶してしまった系統もありますが、古典に固定された失われた伝統や芸術の記録から復元して伺い知れます。

偉大な芸術は感情や理論に拠らず、人間の感性に真直ぐ働きかけてきます。簡素な表現で深淵な感情を表現するものが最上です。古典に潜んでいる美を引き出して、分かち合うことは、知性と感性が調和した人間らしい営みです。

人生は精神の根源への終わりなき探究です。古典を徹底的に追求して、初めて自然と新境地が現出します。個性という対象を追求しても決して個性を得られません。文化活動とは、古典に宿る静謐な感動を味わい、人間の根源へと復帰して、人類で共有して地球を幸福で満たすことです。先人の精神と交流してこそ、我々の生命の存在を直視できます。

古典は様々な視点を提供して、現代の問題を解決する原動力となり、人間の精神的支柱ともなります。古典を味わう過程で主体的な精神活動を要して、知らずの内に、感性が高まり、意志が強まり、楽しみながら情操が深まります。

我々は生まれながら天才ですから、天才の素質を遮らなければ、天才であり続けられます。教育の目的を知識の伝授から、知識を見つける方法の伝授へと転換して、幼年から晩年に至るまで経験を重ねるだけで、創造の元手となる型を破り、型を生んでいく素晴らしい人生となります。人間の本質を究めていくと、新たな世界にも直ぐに本質を見抜けます。

人間が知識を獲得する過程は、演繹と類推に大きく分けられます。演繹は仮定から推論により結論を導きますが、厳密な推論は仮定から外に出られません。一方、類推(ἀναλογία)は、既知の経験を適用して、未知の知識を獲得します。

古代ギリシア哲学の先人を徹底的に研究かつ整理して、哲学体系を構築したアリストテレスは《形而上学》で「普遍的な類推で異なる物事は同じとなる(Ἂν καθόλου λέγῃ τιϛ καὶ κατ᾽ ἀναλογίαν, ταὐτὰ πάντων.)」(1070a30)と記しました。

天才の思考は、未知の事象に遭遇で既知の経験を辿り、最適な類推を導き出します。人間は新奇な概念や発想を旧知の概念で理解するだけです。演繹と類推が補完して、知的な活動が調和します。

人類の文化は、類推で発見された新概念が、論理で旧概念と同様に説明されて、万人が理解できる形となり、それが普及するというサイクルを繰り返すことにより、自己成長により、豊かになりました。

天才が新しい境地を開拓するとき、類推の働きが端的に閃きとして現れます。天才が出現した背景を追求することで、天才の境地を多角的かつ合理的に理解できます。

天才の思考を身に付けるには、先人の思考の瞬間や発見の感激が生々しく固定される古典に接する他にありません。天才は、既成の基準で評価したり、既成の観点で理解できないです。

新しい類推の関係を追求するからこそ、今まで見えなかった真実が、浮き上がって見えてきます。対象は同じでも、対象から得られるものは、演繹や類推の軌跡により大きく異なります。

古典には、新しい類推の関係が見出されて、既成の概念を克服して、行き詰まりを打開してきた実例が蓄積しています。

全ては心に始まり心へと還ります。全ての人間の活動は、人間の精神へ帰着します。文化は人間の精神の本質を端的に示します。現代の社会問題は尽く、人間の根源である精神への軽視に始まり、欲望の根源である物質への執着に拠ります。

先人の思考には類推が多く見られ、それらを記録として遺してきました。古典を解釈する類推の訓練を繰り返すことにより、他人の事が自分の事として捉えられて、他人への興味が増して、人間への思い遣りが生じて、人格が磨かれていきます。古典を追求することは、人格を陶冶することです。人間には行動とその動機となる感情が存在します。

外から見ると、知識を収集している事実は同じでも、内から見ると、目的や意義を異にします。知識から知恵へと昇華するため、単に知識として知るのではなく、他人の経験を自身の教訓とするとき、類推が働きます。

古典の莫大な蓄積があっても、論理とは本質で異なる類推の訓練が必要です。知恵と知識の違いは明らかです。知識は事実を知っている状態であり、知恵は教訓を引き出した状態です。

前者は知識を得るのみですが、後者は教訓を得ることができます。つまり、類推という理解の過程を経て、幅広い経験と推察により、複雑な事象を単純な本質へと純化する精神活動を以て、先人の行動規範が自分の行動規範に還元されます。

学芸に留まらず、同じことは広く社会でも大きな役割を担います。古典に遺された創造の根源に通暁した賢人は、先人の経験によって解決する道を切り拓き、創造的な人生を送りました。

古典は先人の試行錯誤の蓄積です。アーカイブ(ἀρχεῖον)は行政(ἀρχή)を語根に持ち、古代ギリシアで古典は精神活動の規範とされていました。一単語にも思考が端的に表れてきます。古典から何を引き出せるかは見識で決まります。

エンペドクレスが「賢人を見分けるには、賢人であるべきである(σοφὸν γὰρ εἶναι δεῖ τὸν ἐπιγνωσόμενον τὸν σοφόν.)」(Diog. IX. 18. 20 = Diels-Kranz 11. A. 1)と語りましたよう、他人の感性を分かるには、それと同等の感性を要します。

天才が天才たる所以を知ることから多くを学べます。個性とは業績の全体とされがちですが、先行する業績が存在してこそ、個性が発揮できます。先史時代にモーツァルトやアインシュタインが生まれても業績を残せません。系譜を遡りゆき、先行する業績を見つけ出して、彼等の業績を差し引くと、個性が浮き彫りとなり、天才への理解を深められます。

個人に帰属する着想の源泉は個人に帰属しません。物事の核心に迫るには、常に大局と局所から、物事の意義を捉え、遠くから眺めつつ、近くから取り組むのが最も理に適います。文化の価値が顧みられない今こそ、文化の価値が高まります。

創造の瞬間を知ってこそ、創造の瞬間を迎えられます。古典は公平な審美の基準となります。万人が評価して歴史の激動を生き抜いてきたからです。

例えば、指揮者が楽団員に指示するとき、構想と演奏との相違点を端的に指摘する必要がありますが、様々な角度から体験を重ねなければ、予め具体的な構想を持てません。故に演奏者が作曲者の確固たる精神の枠組を聴衆へ端的に示すためには、古典音楽の作品や演奏を深く探究する必要があります。

音楽は瞬間の芸術です。古代から現代まで変遷の軌跡を遡ると、楽譜は音高や音価を示せますが、ニュアンスやアゴーギクを記せず、音楽の覚書であることが分かります。

雅楽の孔名譜、声明の博士譜、古代のネウマ譜、中世の四線譜から発達した近世・近代・現代の五線譜に至るまで、楽譜が不完全だからこそ、音楽家が新解釈を施して個性を生み出せます。

楽譜通りに正しく演奏をしても、聴衆の感銘を心の底から起こさなければ意味をなさず、音楽は演奏技術を誇示するためではなく、人間感情を共有するために存在するからです。

音楽家は音そのもので全てを伝えます。人間は音高を単体として捉えず、無音や音高へ移行をする差分に感情を聴き取ります。楽譜を解釈して演奏する行為は作品の再創造です。全ての芸術作品には作者が存在しますから、作者の精神に分け入る幅広い経験を積み、解釈の素として、相手の真意を機敏に感知する感性を高める探究をするのみです。

上質な演奏に耳を傾けて、説得力ある演奏が可能になります。書道における古典の臨書、日常における豊かな経験で問題の解決ができることに等しいです。音楽は感情の深部に容易に到達します。

《呂氏春秋·大楽》に「音楽の由来する所は遠し、度量に於いて生じ、太一に於いて本づく(音楽之所由来者遠矣、生於度量、本於太一)」「天下太平に、万物安寧にして、皆その上に化して、楽乃ち成るべし(天下太平、萬物安寧、皆化其上、樂乃可成)」と記されています。

古代中国において、音楽は大国を安定させる役割を担い、平穏な精神の鍛錬にもなり、人類の平和の実現に古典や音楽を用いることが考えられていたことが分かります。

国力は経済財だけでなく、文化財の蓄積に依存します。人間の精神活動を直接に反映するからです。国際平和は各国の文化への深い理解で自然に達成されます。自国の文化や歴史を深い理解してこそ、外国の文化や歴史を深く理解できます。

古典を追求すると、人間の本源に遡り、現代は多岐に分化していった世界の文化や歴史は、人間の本源において、同じであることが確かめられます。人間の本源を理解すると、様々の文化を人間という見地から、自由に容易に理解できるようになります。古典は不要なものを削ぎ落として、人間の本質を余すことなく伝えます。

人間も学芸も積年により削ぎ落として純化されて輝き出します。知識を蓄積するではなく、知識を経験することこそが探究です。《老子·四十八章》に「学を為せば日に益し、道を為せば日に損す。之を損して又損し、以て無為に至る。無為にして為さざる無し(爲學日益、爲道日損。損之又損、以至於無爲。無爲而無不爲)」と記されます。

人間の本質が時間と世代を経て凝縮した古典に対する造詣や歴史に対する認識により、言動や行動に強い説得力を帯びてきます。事実に基づくからです。人生や歴史に数多く持ち上がる試練に耐え抜いた強靭さが崇高さとなります。

音楽に対する感性は、直接に人格を示します。本質を体現した音楽は、軽薄な精神をはねつけ、強靭な精神を有する人間を欲します。少ない音符で豊かな感情を表現する音楽の精髄です。先人の精神と交流して、初めて音楽が完成します。

ですから、古典を賛美しても、排斥しても、先人から学べません。物事に陶酔して主観的に論じることもなく、傍観して客観的に論じることもなく、先人の精神や真意に迫ります。先人が置かれた状況、作品が生まれた背景を踏まえ、人間として共感して、先人や自分が存在する意義を見い出せます。人間の精神を繰り返し発見してゆく営みの全体が探究です。

古典は千年を経ても不変の価値を有します。今までもこれからも社会が変遷しても、人間の本質や感情は変わりません。人間の本質を余すところなく伝える古典は、人間社会の精神安定に寄与します。激動の世の中で人間が自信を持ち生きていく大きな指針となります。人間の本質が凝縮した古典を収集して、アーカイブとして伝承することも探究の一つです。

先人の遺産に多く接して、音楽・歴史・政治・哲学・科学・文学とあらゆる観点から物事を探究する経験を積み重ねて、創造が自然に湧き出します。音楽家の系譜で大局が分かり、音楽家の作品目録で局所も分かるアーカイブを構築することは自然な発想です。楽譜と同じく録音も大切です。先人の音楽は、音楽家、研究家、愛好家にとり等しく意義があります。

例えば、《源氏物語》でも、雅楽が重要な役割を担います。第四十七帖 総角に「もみぢを薄く濃くかざして、海仙楽といふものを吹きて、おのおの心ゆきたるけしきなるに、宮は、あふみのうみのここちして、をちかた人のうらみいかにとのみ、御心そらなり」と書かれております。同じ曲に対して全く違う立場により、全く違う心境が感じられまして、人物の個性に陰影を与えています。「海青楽」(《教訓抄》六)は、大戸清上が仁明天皇の神泉苑行幸(《続日本後紀》836年)のときに作曲されましたが、実際に源博雅《新撰楽譜》(966年)などの古楽譜で伝わり、演奏をすることができます。

《発心集》巻六・七に清貧で風雅だった永秀法師が紹介されます。朝から晩まで笛を吹いてやまない彼に遠戚の領主が望みを訊ねると、金銭を望むのかと思いきや、漢竹の笛を望んだことから、風流で高邁な人格に感心して、生活物資も送ると楽人を呼び集め管絃を楽しみ、生活物資が底をつくと、また一人で笛を吹き、笛の修行を重ねて、稀代の名手になりました。目先の利益を求めず、芸道に打ち込みました。日本人の精神は芸道に端的に表れています。

また、敗者として没落した古老が往時を偲ばせながら語る謡曲「景清」は、異例の展開で人間の心に潜む複雑な感情を端的に眼前に示しており、究極に至るまで洗練されています。能楽は伝統芸能に王朝文化や仏教思想を取り入れ、精神的支柱を強固にして確立しました。このように一作品には一文化が凝縮されます。

作品自体も重要ですが、社会背景を加味することで、格段と得られるものが多くなります。平安時代に楽制改革で古代歌舞が国風化され、神楽・唐楽・高麗楽へと整理され、古典音楽の源流となりました。仏教の伝来と共に声明も本朝に伝来しました。平安貴族の文化が鎌倉武士に引き継がれ、室町時代に雅楽と声明の影響下で能狂言や琵琶楽が発達しました。

検校制度の確立や江戸幕府の成立で筝曲や地歌や浄瑠璃が隆盛して、義太夫節や総合芸術として歌舞伎が隆盛しました。

古典音楽は、様式関係というマクロな視点からも、師弟関係というミクロな視点からも、相互関連をして発達しました。音楽の形式の分化が進み、相互の交流が皆無ですが、起源に遡ると同一の起源に辿り付きます。能楽で観世・宝生・金春・金剛・喜多流とシテ方の流派は、猿楽を集大成した観世の近辺へと同一の起源に帰着します。

系譜という観点で合理的・客観的に音楽史を探究できます。系譜を遡りゆくことにより、音楽家同士の関係が解明され、意外な人物や概念が、甚大な影響を与えたり、重要な役割を演じていた事例も多く見つかります。

音楽系譜学(musico-genealogia)は、作曲家の創造の瞬間を体験でき、作品が希少で大きな流れの中で忘れ去られたとしても、師匠から弟子へと地下水脈のように伝承されてきた過程において、重要な役割を演じる音楽家を発見できます。

古代ギリシア・ユダヤ音楽の影響下のコプト・シリア・ビザンツ聖歌が西方に伝達して、古代の諸聖歌が融合して、アンブロジオ聖歌、ベネヴェント聖歌、モザラベ聖歌、ガリア聖歌、ローマ聖歌が発達しました。

また、ローマ教皇グレゴリオ一世が派遣したブリトン島から、戦乱で混乱したヨーロッパの文化の復興に貢献したヨークのアルクインやアイルランドのエリウゲナら、学者を大陸に輩出して、カロリング朝ルネサンスをなしました。

9世紀頃に古ローマ聖歌やガリア聖歌やケルト聖歌が統合されて、「グレゴリオ聖歌」が形成されました。10世紀にアルプス以北でガリア聖歌の一定の影響下で多声音楽が始まり、11世紀にフランスのアキテーヌ地方のオルガヌムは、12世紀にノートルダム楽派に伝わり、レオニヌスやぺロティヌスはモード・リズムを導入しました。また、当時はイスラム世界から大量に学術や文学など、文化を形成する根底となる知識や発想が、ヨーロッパに移入されました。

13世紀にイスラム文化と接触した南欧で器楽が開拓され、世俗音楽が教会音楽に影響して、伴奏形式により和声が発達しました。14世紀にフランスでマショーら、イタリアでランディーニらが、旋律を甘美にしてリズムも複雑にして、15世紀に百年戦争が終結して、欧州全土で文化交流して、ブルゴーニュ楽派が栄えました。

デュファイはイギリスの協和音程や循環ミサ形式、フランスの定型反復リズムや多声音楽書法、イタリアの世俗音楽の甘美な旋律やフォーブルドンを導入して、中世の雰囲気を漂わせる終始和音と決別して、宗教音楽の主題に世俗音楽を使用して、係留音で和声に立体感を付与して、横の旋律と縦の和声を織物のように調和させました。

ブルゴーニュ学派の音楽は、フランドル楽派に継承され、西洋音楽らしい和声構造、多声音楽、記譜方式が発達しました。実用音楽から発展して人間感情がより豊かになり、ジョスカンの作風がルネサンス音楽の規範とされました。

16世紀にフランドルが政情不安定となり、アグリコラはスペイン、イザークはオーストリア、ヴィラールトはイタリア、ラッソはドイツへ移住して、多声音楽が各地で独自に発展しました。

イタリアでは、パレストリーナらのローマ楽派やガブリエリらのヴェネツィア楽派が隆盛しました。スペインでは、カベソンらが器楽やビクトリアなどが声楽を開拓しました。フランスでは、シャンソンなど宮廷歌曲やリュートやヴィオールが発達しました。イギリスでは、中世から細々と続いた伝統からバードやギボンズらを輩出しました。オランダでは、スウェーリンクらが鍵盤楽曲を発達させました。ドイツでは、コラールやオルガン音楽が発達しました。

多声音楽の地域性が確立して、バロック時代を通じて良好に保たれました。音楽家の系譜も時代や地域ごとに明瞭に辿れるようになります。パレストリーナはルネサンス音楽の極致を究めた巨匠です。先人が発展させた厳格な対位法に明晰な音楽で純度の高い和声を連ね、瞬間に清浄な空気になります。音楽に高い精神性を与えて、独特の境地を切り開きました。

17世紀にバロック音楽は地域性を示します。モンテヴェルディ・フレスコバルディ・コレッリ・アルビノーニ・ヴィヴァルディ・スカルラッティらのイタリア音楽は感情の火花が飛び散り、ダングルベール・リュリ・シャルパンティエ・ドラランド・大クープラン・ラモーらによるフランス音楽は独特で壮麗です。ギボンス・パーセルらのイギリス音楽は温雅であり、シュッツ・フローベルガー・ブクステフーデ・パッフェルベル・テレマン・大バッハらのドイツ音楽は重厚です。

大バッハはリューネブルクでベームに師事して、ブクステフーデらの峻厳な幻想性とパッフェルベルらの温厚な安定性を調和させ、ドイツのコラールの伝統、フランスの洗練された書法、イタリアの最新書法も導入しまして、晩年に至るまで、音楽史を実例で独学して、自らの個性へ昇華しました。

バッハは「系譜」を重要視して、沢山の弟子を育成して、後世に大きな影響を持ちました。子息C.P.E.バッハらのベルリン楽派と続き、タルティーニやペルゴレージらの最先端音楽は、シュターミッツ一族などのマンハイム楽派に取り込まれ、多くの音楽家が活動しました。

17世紀に交通の発達により交流が進み、各地の要素を吸収して、古典派音楽がイタリアやドイツを中心として、汎欧州的な様式として確立されました。大バッハとテレマンらに師事したミュッテルは、音楽史上で極めて重要です。現存する作品は少ないですが、バロック様式にするオルガン作品やトリオ・ソナタから、ギャラント様式のチェンバロ協奏曲、ウィーン様式を洗練させたモーツァルトやハイドンの晩年を思わせる静謐なクラヴィーア作品と多岐にわたります。

モーツァルトは、幼児期から欧州中に多く旅をして、ドイツの緻密な書法、フランスの機知ある書法、イギリスの安定した書法、イタリアの最新な書法、マンハイム楽派の洗練した書法、ウィーン楽派の情緒ある書法などを身に付けて、晩年のバッハやヘンデルなどの研究により風格を加えました。実例から学び取り、個性をなしました。時系列に全作品を聴くと、時代や場所に相応の影響が感じられ、一人の音楽家の作風が、音楽史の様式の発達と一致することに驚きます。

19世紀の生き証人のシリンダー録音・レコード・ピアノロールで伝わる演奏は現代の音楽家に大きな示唆を与えます。フランスのショパンの孫弟子、ドイツのクララ・シューマンの弟子、オーストリアのレシェティツキーの弟子、イギリスのマッセイの弟子、リストやブゾーニの弟子などピアニストを知ることができます。

また、フランスのマルトー、ベルギーのイザイ、スペインのサラサーテ、ドイツのヨアヒム、オーストリアのロゼ、ルーマニアのエネスコ、ハンガリーのフバイ、ロシアのアウアーなどのヴァイオリニストを知ることもできます。

更にニキシュ・ヴァインガルトナー・トスカニーニ・ワルター・シューリヒト・フルトヴェングラーなどの指揮者、カペー弦楽四重奏団などの室内楽、カザルスのチェロ、シュヴァイツァーのオルガン演奏などを知ることができます。

ブラームス・サン=サーンス・グリーグ・フォーレ・エルガー・マーラー・アルベニス・ドビュッシー・R.シュトラウス・スクリャービンなどの近現代の音楽家の自作自演を知ることもできます。

音楽を知ることは、人類を知ることです。いかなる時代や文化にも固有の音楽が存在します。

系譜で整理する方法は、人類の文化の全般に応用できます。一人の人間の創造活動ではなく、一つの系譜による社会運動であるからです。自然科学も人間の観測による情報を人間の理論で記述したものです。

哲学や科学の分野に展開すると、古代中国・インド・ギリシアから中世イスラムやルネサンスから近代までの系譜が立ち上がり、特に中世イスラム科学が独創的な業績を上げたことが分かります。

学芸の主題は人間の追求です。西洋音楽の歴史は人間感情の直接表現の軌跡です。デュファイは感情表現を試みて、音楽語法を発達させ、モーツァルトは純粋なウィットと複雑な人間感情が調和して、知性と感性が調和した極致です。

ウィットは型を優雅に破り生まれます。自己を表現しなくても、人間は生存しているだけで一つの世界をなします。人間に莫大な可能性があることに気付き、新鮮な感動が湧き起こります。

音楽が人間そのものを体現するという大前提を守ります。技巧は精神を体現する道具ですから、精神が明瞭になれば、技巧がそれに伴います。音楽は奏者と聴衆がいて初めて成り立ち、古代から現代まで人間を結びつける役割を果たしてきたことは変わりなく、人間が存在する限り、これからも変わりません。

KFアーカイブは無機的な知識の蓄積ではなく、人間的な知恵を集積して活用します。人間も情報も集まって価値を持ちます。古典を守り、先人を敬い、文化を育てる強い意志を有する人々が結集して、古典に宿る精神の豊かな蓄積を共有して、将来に文化を継承する後継者を育成して、現代社会に山積した問題に果敢に取り組みます。

KFアーカイブは歴史を雄弁に語る第一資料を整理して構築して、教育活動・研究活動・執筆活動・演奏活動に役立てます。人間の文化を極める人は、古来より尊敬を受けてきました。文化の継承は、人類の責務です。一人の人間がどんな境地に達するかを楽しみにしながら、感性を高め続けて暮らせる精神活動・知的活動に活力を与えることを主眼とします。

現状で最上の電子保存形式で両者を広く社会に公開して後世へ伝承するため、極上の資料を厳選して、筆写譜・出版譜は原本・初版、音源は初出盤で出来る限り収集します。

資料に付随する情報も明記して、研究の補助となるように配慮します。最上の状態で提供することが、インターネット上で展開するデジタルアーカイブの使命です。レコードは磁気テープや電子データに較べて、保存に向いた媒体です。

所蔵者が生涯をかけて収集した貴重なレコードなどの音楽資料が、所蔵者の逝去後に散逸する危機があります。また、世界中の図書館には、貴重な資料が手付かずで残されます。

KFアーカイブは、貴重な資料の目録を作成して、系譜で整理された電子アーカイブに登録して、社会に公開する重要な任務を進めてまいります。収集活動は多岐に亘り、関係機関と協調して、貴重資料を収集してまいります所存です。

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