漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。
2021年10月15日
皆さま、こんにちは!
懐かしい画面が出ております。
KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)で漢字のユニークさを探究しようというシリーズが、
もう半年以上も続いておりまして、
最初にこの画面から始まりましたよね!
「文」を漢字のあらゆる書体で見て盛り上がりましたけれども。
文字学について、今までかなり入り込んでまいりまして、
いや~ものすごく毎回が濃密で長かった(笑)ですけれども。
こんな画面もありましたよね。
漢字には字形、字音、字義とありまして、
文字学、音韻学、訓詁学とお話しましたけれども、
今回は、こちらの真ん中の訓詁学に行ってみましょうということでして、
こんな画面がありますので行ってみたいと思います。
今出ております、
この訓詁学の「訓詁」ですけれども、
その歴史や方法を考えてみたいと思ったんですよ。
実は今まで既に秦漢より前の殷周春秋戦国時代の文字や文章が出てきて、
既に訓詁をしていたんです!
今までは文字学でしたけれども、「文字」の語源を取り上げましたけれども。
今回は訓詁学ですから、この訓詁の語源も考えてみたいということです。
そもそも「訓」*qʰuns, *l̥u[n]-sですけれども、
「訓示」とか、「教え諭す」という意味を持っておりますね。
「訓示」そのものを意味しておりますけれども。
漢蔵祖語*s-kul から来ている可能性がありまして、
ここにチベット語「奨める」སྐུལ་བ, skul baがありまして、(言語の数が少ないため、再構の強度は少し低めですが、)
「導く」「説く」「諭す」という意味がありまして、
《說文》「說敎也」[鍇曰:訓者,順其意以訓之也」にも書いてあり、《字彙》「導也」にも書いてあります。
そして、最後に接尾辞(*-s suffix)が付いていまして、
方向転換がされるんじゃないかということです。
逆に言えば、馴れ初めの「馴」*sɢljun, *sə.lu[n]とか、
循環の「循」*ljun, *sə.lu[n]とか、
恭順の「順」*ɢljuns, *Cə.lu[n]-sも「従う」「添う」という意味が導かれるわけですよ。
だから、それらは関係している可能性が高い!同じ語源から来ている同じ語源から派生されるということですけれども。
今度この「詁」の方を考えて見ましたら、
これも気になってしまいますね。
やはり、大事な部分は、「古」*kaːʔ, *kˤaʔ > kuoXという、こちらの旁の方ですよ。
まあ、小篆や隷書、我々が使う楷書まできておりますけれども。
そのように考えられまして、
それで「古」*kaːʔ, *kˤaʔ > kuoXは、やはり、これは二回前に出てきたんですよね。
「老」で見ていきましたとき、漢蔵祖語*r-gaが語源でありました。
そして、 故人の「故」*kaːs, *kˤaʔ-s > kuoHという字もありますよね。
あれも「古」*kaːʔ, *kˤaʔ > kuoXに対して「故」*kaːs, *kˤaʔ-s > kuoHですから、*-s suffixで声調が違いますが、
これチベット語རྒ, rgaがも同じではないかと!
སྐུལ་བ, skul baに関しても、རྒ, rgaに関しても、チベット語と漢蔵祖語は、殆ど近くて変わってないということですけれども。
このやはり、「詁」には、《説文》「詁,訓故言也」にも書いてあるから、
昔の言葉、古語という意味に特化したわけだから、
意符「言」が付いています。
だから、《爾雅》にも「釋詁」という篇がありますけれども、
それは古い言葉を解釈するという意味でして、
古語を今語で解釈する。
古い言葉を今の言葉で解釈することになったんですよ。
どうしてそんな意味になったかと言いましたら、
「詁」というのは、今言ったように古い言葉を訓ずると言うことですけれども、
「訓」自体が、意味を解釈するという意味はなかったですよ!導くということはあったけれども。
そうなるとどういうことかと、私は考えていくと、
《詩經·大雅·烝民》「古訓是式,威儀是力(古訓に是れ式(のっと)り、威儀に是れ力(つと)む)」にそういった熟語「古訓」が出てくるわけですよね。
「古訓」は「訓詁」のように「言」という字がいうという字は付いてませんけれども。
それで逆になってますけれども、
やはり、注釈で「古,故也」となっていて、「訓,道也」と注釈にありますね。
「古訓は先王の遺典なり」とありますけれども。
ですから、「古訓」という言葉は、昔の人たちが残してくれた教えを今の人たちが学びとるという意味がありまして、
先王の遺典を深く学ぶ、経学といいますが、
この経です。
経学を支える基礎学問なになったわけですよ。
じゃあ、この経学は何だというと、
今、この遺典も何だということになってくるわけですよね。
その内容をはっきりここに書いてあるんですよ。
五經、四書、三禮、三傳とございますけれども、
これらが今まで伝えられてきた「先王の遺典」の内容なんですよ。
古くから伝えられてきた「古典」と言いますね。
今まで頻繁に引用してまいりましたから、
まあ、おなじみだと思うんですよ。
これらを探求した古文学者たち、
前巻の古文学者、前漢·董仲舒さんは、
諸子百家ではなくて、儒学だと主張して、
これらの経典をすごく深く読み始めて、
特に《春秋》に注を書いたりしまして、
新·劉歆さんは、やはり、六書という発想などで出てきましたよ!
許慎さんや鄭玄さんとここにありますけれども。
その彼らも系統を組んでおりまして、
《周礼》《儀礼》《礼記》に注を書きましたけれども、
あとは、班固、服虔、應劭、孫炎、杜預、郭璞さんたち、
ものすごい大学者たちですけれども、
素晴らしい注釈や著書を残してくれましましたから、
ですから、狭義では訓詁というと、こうして経書と言いますけれども、
こうしたを解釈することであり、
広義には、儒学だけではなくて、
古文(昔の人が書いた文章)、古典の漢語を解釈するという意味で私も使ってきたんですよね。
文言文、古文というのは、
先秦両漢の文章ですけれども。
もちろん、儒家以外の諸子百家、班固さんの《漢書·藝文志·諸子略序》の中にありますけれども。
漢籍目録が伝わっていますが、
思いつく限り、挙げてみましたら、
例えば、 道家では、私の好きな老子・莊子、列子・文子、鶡冠子・關尹子がおりますけれども。
その他は、鬻子・計倪子・於陵子・子華子などがありまして、
あと、墨家の墨子は有名ですけれども、兼愛や非攻、平等に愛し合おう、戦争を止めようと言い出したり、
彼らはもう工学(メカニックス)や光学(オプティックス)、
幾何学とか、論理学も考えて残してくれていまして、
あと、名家の公孫龍子・尹文子・鄧析子がおりますけれども、
論理学(ロジック)とか、言語学の特に意味論(セマンティックス)を考えたりしていまして、
白馬論という、「白い馬は馬じゃないんじゃないか」(白馬非馬)とか、
指物論と言いまして、「これを指すものは、指にあらず」(指之非指)みたいな、
そういう詭弁みたいな言葉の論理(ロジック)を考えていたり、
法家の人たちは、韓非子とか、管子とか、慎子とかは、
法哲学や社会学、統治論や行政論を考えましたよね。
それに、縦横家(しょうおうか)と言いまして、
「縦横」と書きますけれども。
あちらこちらに行っていたからでしょうけど、
鬼谷子・蘇子、闕子・蒯子などの遊説家と言うんですね。
あちこちで遊説して演説した!
外交論とか、同盟論で「合従連衡」 と言いますけれども、
そういった発想で出したりとか、
雑家と言いますが、淮南子とか、尸子とか、百科全書とか、博物学誌のような知の組織化をした書物も残されています。
《淮南子·原道》という篇や《尸子·佚文》は、逸聞として今ない部分ですが、引用されて伝えられた文章がありまして、
「宇宙」という言葉の出典「上下四方曰宇,往來古今曰宙」とされていますね。
「宇」は空間、「宙」は時間で時空だとかいてある。そうした言葉「宇宙」の出典であったりするわけですよ!
そして、兵家という人たちは、呉孫子(孫武)・斉孫子(孫臏)がいますけれども、
孫子には昔は二通りあったと!
それでそれが銀雀山というところで(両方とも)出てきて、やはりあったんだと!
片方しかずっと伝わってなかったんですけども、
有名な孫武さんの方の《孫子》ということであったり、
呉子と尉繚子など、そういった沢山のすごい思想ですよね!
先秦、秦より前の時代のそういった哲学書に加えて、
やはり、医学書とか、数学書、歴史書などにも、(ものすごく興味がありまして、)
医学書には、《黄帝内経(こうていだいけい)》とか、《敝昔醫論(へんじゃくいろん)》とか、
それはまた最近、四川成都のお墓から出てきちゃったんですけれども!
《神農本草経》とか、《傷寒雑病論》とか、
これらは薬学に近いですよね。
数学書には、《周髀算経》とか、《九章算術》 とか、
もう、漢の時代までの数学は、結構すごいですよ!
まあ、先秦両漢と言いますけれども、
そのあたりまで上古漢語の時期でありますけれども、
まあ、歴史書にも、私、大変興味がありまして、
《竹書紀年》、《逸周書》、《春秋》、《國語》、《戰國策》、《世本》、《史記》もありますけれども、
かなりこれらが好きで全部私読みましたよ!
それでそれによりまして、三皇五帝、夏殷周朝、
そして、春秋戦国、秦漢と来ますけれども、
歴代の王朝の歴史が分かるんですよ!
また、出土文献で、今まで見られなかった貴重な文献も、沢山ザクザクと発見されておりますから面白い!
もうホットですね!
大切なことは、歴史書にしても、古代から、最近まで清代まで、
伝統的な発想からすれば、そもそも史書を継承すること自体が、先祖の祭祀をすることを通じて、権力の正統性につながってきて、
西洋で発達した歴史学とは異なり、
単なる資料としてデータとして、こういった文献を扱うのではなく、
史書や祭祀の継承が、実際の統治や社会を構成する論理であったり、
根幹をなしていたということです!
文人とは、今見ております、
訓詁に通じていて、聖人たちの言葉を読解できる。読み解ける。
だから、本当に文人はずっと伝統的に尊敬を受けていたのではないかと!
ただ、文章や詩作、筆が立つということではなく、
また、該博であったり、学識があるというだけではなくて、
そういう意味だったんです。
やはり、歴史の研究において、ただ資料として事実の情報だけをこうした文献から抽出してくるのではなくて、
そうした背景にある意味づけや、当時の人たちの思いや考えを汲み取りたいと思っておりまして、
学術性とか、客観性を追求することは必須ですけれども、
その先にある人間性、主観性に共感してゆくこと、同化してゆくことも同じくらい大切なことではないかと考えておりましてね。
イブン=ハルドゥーン(أبو زيد عبد الرحمن بن محمد بن خلدون الحضرمي Abū Zayd ‘Abd ar-Raḥmān ibn Muḥammad ibn Khaldūn al-Ḥaḍramī, 1332-1406)の書いた《歴史書(كتاب العبر Kitāb al-ʿibar)》は人間性に着眼して、社会を深く考察して、バランスをすごくとっておりましたよね。
ですから、私は一次史料を縦横無尽に組み合わせて、
古代中国の歴史、社会、文化、言語、学術、思想を知るだけでなくて、
漢語の古い形、上古漢語を知りたいプロジェクトだけでもなくて、
最後はやはり訓詁、古文から今文、文言文から白話文、古典語から現代語、
昔の言葉から今の言葉に橋渡しをして、
古の人たちが何を思い、何を考えてきたかを知りたい!
そういうことから、人類の知的財産、
古代中国の書籍にものすごい興味があり、探究をしてきたんですよ。
訓詁は古の人たち、先人とのふれあいではないかと思いました。
そこで思ったんですよね。
以上のような高邁な精神で文化が伝えられてきましたけれども、
まあ、時代が経るごとに形骸化していっちゃったんです。
昔のこの言葉は、この意味を持つということ、
ただ、それだけ知って、覚えて、集めて、知のコレクションするような形になってしまって、
まあ、それが学習ではあるけれども、
それは探求ではないんですよね。
今まで昔の人たちがしてきたことを、ただ焼き直しているだけになっているからですね。
決められた世界の中で堂々巡りを起こして、
その世界に特有な思考や発想のに捉われてしまって、
そこからはやはり、外に出られない、何も新しいものが生まれてこないんですよ。
確かにまあ、そうして、次の世代に文化を伝承をしてきてくれたことはありがたいですけれども、
正統性やとか、伝統に縛られすぎてしまうと、創造性とか、適応力が薄れてしまうんですよね。
探求は外から自己を見ることが大事だと思って、
それだから探求の流れとしては、今まで考えられてきたことを、
先ず本当にそうなのかと疑問を持ったり、
また、そのものが更に何からできているのかということを追求すること、
それ自体が目的であり、方法でもありますし、
まあ、探求は、だから、学習も包含してるんですよ。
最後は本質を知りえるわけだから。
例えば、どうしてこの言葉がこの意味を持つのか、
どうしてこの概念が、この意味を成し得たのか、と知りたと疑問が湧いてきて、
そして、どうしたら、それを理解できるかと、限られた資料を巧みに組み合わせて理解をしてゆくわけですけれども、
それこそが、探究の営みではないかと。
前回までしてまいりましたけれども。
文字と文字、言葉と言葉の関係性をあらゆる手を尽くして確認することは必須ですけれども、
清代の考証学者の方がたが、
出土文献を除いて、まあ、殆ど調べ尽くしちゃったというくらい、お膳立てをしていてくれたんですよね。
しかしながら、それらは、漢語の内部での考えでしたから、
究極では、漢語の外部から見てみたいと私は思ったわけですよ。
それで漢蔵祖語まで遡って、今まで誰もたどり着けなかった深みまで知りたい。
何でこの文字は、この意味足り得ているか、
何でこの言葉はこの文章で使われているかと、
まあ、こうした学習をはるかに超えた、探究の深みと広がり、
そこから言語と文字に迫りたい、
知りたいと挑んでるわけなんですよ。
ですから、自分がやってることにも疑問を持っちゃって、
私はどうしてそんなことに辿り着いたかと言いますと、
ギリシア哲学でアリストテレスが探究するとき、《形而上学(Τὰ μετὰ τὰ φυσικά > Metaphysica)》第八巻(1042a14)に書いてあるんですよね。
ギリシア語「それが何であるのか(τὸ τί ἦν εἶναι)」と言いますけれども、
そういう風に問うたわけですよ。
それでそれを継承したイスラム哲学ではイブン=スィーナー(أبو علي الحسين بن عبد الله ابن سينا Abū ʿAlī al-Ḥusain ibn ʿAbd Allāh ibn Sīnā > Avicenna, 980-1037)が、
アラビア語「それは何だ(مَا هُوَ mā huwa)」と言いますけれども、
それを抽象名詞化して、そうした「性質」(يَّة -iyya)の接尾辞を付けましたら、女性名詞になって、「本質」(مَاهِيَّة māhiyya > essentia)という言葉でラテン語essentiaと言いますが、(英語で)essenceをなして、
本質は存在(وُجُود wujūd > existentia)と言いますけれども、(ラテン語で)existentia、(英語で)existanceですね。
それらは異なる概念だと!
つまり、存在というのは、アラビア語で「それは有るか(هَلْ هُوَ hal huwa)」、
それがあるか、ないか、 それを認識しているか、していないか、知っているか、知らないかという、
これはオンかオフの問題ですよ。
それ自体は何であるのかを知りたいということは、
問いかけの深さが違うんですよね。
まあ、それをただ認識するっていうのが学習ですけれども、
それ自体が何かであることを解明するのは探求だと思うんですよ。
もちろん探求して行けば、どんどん、どんどん、学習したことにはなるんですよね。
それを認識するわけだから、それどころか、その認識がものすごい深いレベルに達してゆくわけですよ。
だから、探求は学習を包含をしておりますけれども、
本質と存在、探究と学習は違うことを言いたかったんですよ。
それはどういう事かと言いましたら、
漢字の殻がものすごく硬いんですよね。
どういうことかと言ったら、
どうしてもその漢字が書いている言葉、音節(syllable)よりも、
更に小さい単位、形態素(morpheme)と言っていましたけれども、形態素(morpheme)までばらばらにして、
究極では、その言葉が、何を意味しているのかということに辿り着きたいということになってきたわけですよ。
言ってみれば、物理学者が原子核まで来ていて、
その中は更にどうなっているのかと、それは(長い間)分からなかったけれども、
やはり、今までたどり着けなかった所までより深く知りたいという探究により、
現代物理学はハドロン(クオークやグルオン)、弦模型やDブレーンまで行きましたけれども。
それからブレイクスルーしました。
それとやはり同じでして、何故この文字は、この意味たりえているのか、
何故この言葉はこの文章で使われているか、
そういう学習の次元をはるかに超えた探究の次元から見てみたいと、いつも考えてるわけですよ。
どういうやり方があるのかとずっと考えている!
そうしたら、漢蔵祖語は、やはりものすごい威力がありまして、
もうその文字の発音や意味が語源や語根がこうだよっていうことを知るというレベルじゃない!
そもそもの来源をその言葉の源を見つけることによって、
言葉の形態素は、人間の遺伝子みたいですけれども、
もう、言葉自体が言葉の源と意味の核を証明をしてくれていると、
まあ、それを語源と語源と言ってましたけれども。
最初の所からパーンと開かれてくる言語の世界、
そして、今までただ、文字と文字を組み合わせて、パズルみたいにして、これはこういう意味だと言い換えるようなことをして、
文言文、古文を読んでこられたわけですけども、中身はどうか分からなくても、
本当にそう言った言い換えるだけの読み方をはるかに越えて、
古文、文言文、上古漢語が、生々しい言葉として蘇ってきて、
秦漢より更に古い昔の人たちが語りかけてくるんじゃないかっていうくらい感じられできてるわけですね。
もう、言語のルネサンスが起きているじゃないか(笑)
実は上古漢語の文言文でも、先秦の本物の文章は少なくて、
夥しい量の上古漢語より、もうそれが廃れたというより変わってしまった後の時代に、文言文の規範で書かれた文章が多いですよ。
古典語の文法を用いてですね。
それでそれはラテン語でも、古代ローマではなくて、
それからもず~っと使われ続けて、最近まで、行政とか、学問の世界でも、
全部、ラテン語を用いて書かれていましたから、夥しく残っているのです。
私はラテン語でラテン語で読み書きをしますから、
まあ、実は極めて微々たる貢献しているかも知れません(笑)というのは、冗談ですけれども。
特に古典言語とは、ある所で書き言葉として規範が与えられて、
形態論や意味論、構文論や文法論などが認識されて、
先ず、オペレーションシステム(OS)が整備されて、その上で色んなアプリケーション動くわけですよ。
そして、データとして、新しい概念に対して、造語をして、
古い概念を組み合わせて、言葉を作ってしまうとか、外来語を音写して、音を借りちゃって、それでそのまま取り入れたりして、
実は言語とはやはり音声なんです!
文章を見ると音を介さずに意味が分かるんですけれども、
それはそのように訓練したから、そうするともう文書見れば、パッと意味が見て分かっちゃうけれども、
本来は、文字は音声を書いていまして、
音声が言語として聞かれて、
言葉が識別されて、意味が分かるんですよね。
また、古い文章は音が分かったとしても、今と文字や言葉の使い方や当てられ方が異なるから、
ちゃんと解釈して、吟味しなきゃいけないんですよね。
そこでここに説義と書いてありますけれども、
どういう意味だと!?説義とは文章の意味を解釈する方法ですよね。
大きく分けて四つありましてね。
以形索義(形を以て義を索む)と、形訓と言いますね。
それで因聲求義(声に因みて義を求む)と、声訓と言いますね。
そして、依義推義(義に依りて、義を推しはかる)ということ、これは義訓ですよ!
これまでは、文字のところで出てまいりました!
もう、意味は分かると思います。
その通りです。
漢字は字形、字音、字義で意味を探ることだと、察しが子が付くと思うんですよね。
それで最後にあるのが、文脈で意味を知ることなんですね。
據境證義(境に拠りて、義を証する)とありますね。
即ち、漢字や漢語の言葉の意味は、それ自体ではなくて、
先ず、熟語くらいの大きさ、そして、文章くらいの大きさのまとまりで意味が決まるということです。
思ったんですよね。
私は中国語でも読み書きをしますけれども、よく考えてみると、漢語で書くと、今まで一度も誤解がなく伝わるんですよ。
これはどうしてか、不思議ですよね。
そもそも漢語そのものが、物事をはっきりとディフィニティブに伝えられる言語なんじゃないかと思いました。
日本語では結構、誤解を生みやすいんですよね。
省略が激しくて、ある言葉の意味の範囲がものすごく広くて、
文章の中で使われている環境に依存していたりして、
それで同じ言葉でも意味の含みがあって解釈の幅が広いです。
そうすると誤解が生じるんです!
まあ、漢語も別の言葉が同じ音に混ざり合って、多義になり過ぎてという、
しかも、それが漢字に当てられて、もう分からない。分けられないくらいぐしゃぐしゃになっているということが沢山ありました。
それで意思疎通が難しかったかもしれませんけども、
そこで昔の人たちは、熟語を作ったり、
文字の意味を定めたりして、
私たちの人体の毛細血管みたいに、ものすごい過密なネットワークを作っていましたね。
漢語と漢字の分析から、今までいろいろとみてきて分かってきましたね。
そうした、ものすごい絡み合いが、漢語や漢字という一つの言語体系に発達して、
ものすごい強力な造語能力を発揮する根源だと!
今まで当シリーズで文字学の方でも、もう、かなりこういうことが分かってきましたけれども。
それをご覧いただきたいと思うんですけども。
そこで考えてみましたら、言葉で言語でコミュニケーションする時に相手により分かりやすく伝えるためには、二つの作戦が取られてきたことに気づいたんですよね。
一つは、論証や説明をすることですよ。
それでもう一つは、言葉の意味をきちんと定義して、固定して、整備をして、その規格から大きく逸脱しないように言葉を使うということなんですよ。
結構、人間の様々な社会で、色んな言語や文化がありますけれども、
特に漢語はやはり、言語と文字の規範化が、ものすごい厳密ですよ。
それで秦漢からなされてきているじゃないかと思ったんですね。
今ここに出ておりますけれども、
当時に字書や義書が生まれたことは、
ここに《爾雅》でこの間に転注の大特集のときに論証で引きました「宮」「室」がありますけれども。
そして、次のページに《廣雅》の「釋宮」がありますけれども。
こうした義書があることから、
もう漢代の時点でそれより前に書かれた文献が、やはり、正確に読めなくなっていたということなんですね。
先ほどの《爾雅》は、漢代でこの《廣雅》は少し時代が下がった魏ではあります。
ですから、漢字はもう隷書から、2000年間、同じ系統の文字を使っていますね。
ずっと我々まで小篆で文字統一して、隷書になり、もう殆ど字形の字型の骨格は変わらないです。
だから、意識されにくいことがありまして、
中国人にとっても、文言文は、古典語は、もう既に全く別の言語なんですよ。
ラテン語からロマンス諸語(イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、カタルーニャ語、ルーマニア語)などに分かれましたが、
それらの言語は既に別の言語ですよ。
そして、上古漢語、中古漢語、現代漢語は、もう全く別の言語ですから、
古い漢語は、もう今の漢語を話す人が、解釈することは、もう翻訳に等しい!
翻訳とは、やはり、思った以上に大変なんですよ。
ただ、単語を差し替えればいい問題じゃないんですよ。
今の人が辞書を引いて、ある言葉から別の言葉へ、
簡単に翻訳ができるのは、今ここに出ています義書が一つの例ですけれども、先人たちが一生懸命に解釈をして、その結果をまとめてくれていたからでして、
こういうことは一つ、大事な事になってきてるんですよね。
そこでちょっと思い出されるのが、今日は色んな例が縦横無尽に自由にいっぱい出ていますけれども。
昔に9世紀頃のアッバース朝のバグダットで、例えば、フナイン・イブン=イスハーク(أبو زيد حنين بن إسحاق العبادي ’Abū Zayd Ḥunayn ibn ’Isḥāq al-‘Ibādī > Johannitius, 808-873)やサービト・イブン=クッラ(أبو الحسن ثابت بن قرة بن مروان الصابئ الحراني Abu l-Ḥasan Ṯābit ibn Qurra ibn Marwān aṣ-Ṣābiʾ al-Ḥarrānī / Thebit, 826-901)という人たちが、
ギリシア語、シリア語、パフラヴィー語、サンスクリットなどから、 アラビア語へ翻訳して、知識を移転して集約しようとしたとき、
もう、最初に翻訳した人たちは大変でしたよ。
もう、言葉の構造が全く違う、それで辞書もない!訳例もないわけですから!
彼らは文章を翻訳をしようとしたときには、
先ず言葉そのものを考えるところから始めたわけですよ。
まあ、これは極端な例ですけれども、
(一つ)前に通時性と共時性と出てきましたけれども、時代性と地域性が違えば、違うほど言語は遠くなりますから、意思疎通は難しくなるんですよね。
ですから、昔の言葉を今の言葉でどう表すかを考えなければならないですよ。
つまり、意味を深く理解して、解釈をする必要があるんですね。
漢語から日本語でも、例えば、源順さんという人が、《倭名類聚抄》という辞書を作りました。
これは単なる字書ではなくて、これは立派な訓詁ですよ!
文言文を当時の古典の漢語を当時の日本語、漢語を大和言葉で訓じたわけですから、
訓読みとは、そういうことなんです。訓詁の訓と同じです。
そのおかげで、日本人は文言文、古典の漢語を結構、楽に読めるんですよ。
ですから、今まで私は色んな漢語の例を音読みで漢語のまま、
それと、訓読みで和語で日本語で伝えてきましたけれども、
二つの作戦がありまして、音読みというのは、もう外来語として、発音に伴って、意味も継いでしまうんですよね。
それと訓読みのように、翻訳先の言語に既にあった言葉で当てることができまして、
例えば、「思考」という言葉がありますね。
「思う」「考える」みたいに私よくこういう説明で話してきましたけれども。
これ今、最初に言ったのは、音読みで言って、
次は訓読みでして、
最初は漢語で次は日本語で言っていまして、
それでこうした祖先たちが見つけてきた答えなんですよ!
ですから、文言文を見たときに直ぐに読み下すことができるのです。
もう、その例がちゃんとあるから、もう既に対応関係を作ってくださってるからです。
それでマティソフ教授のSTEDTやBaxter-Sagartは、漢蔵語族や上古漢語を英語に訓じているんですけれども、
日本人はやはり余りにも、中国と関わりが長くて深いため、
自分たちの言語をもう訓として、 もう日本語の一部になっておりますけれども、
それ以外の言語というと、翻訳みたいに感じてしまうけれども、
実はしていることは同じなんだということでして、
昔にそれがなされて、もう皆が慣れちゃってるだけの問題であって、
昔の中国人も昔と今の言葉で翻訳、読み替えをしていたということですね。
漢語の場合は、厄介なことがありまして、
漢字は、音節よりも、細かい音、音素を書いていないんですよ。
ですから、厳密にいうと、今ここに出ているような、これらが義書と言われるのは、
漢字で書くしかないため、紛らわしいですが、
ここにいっぱい「舎」に対して、一つ一つの文字が書いてありますね。
文字に文字を当てて書いているように見えるんですよね。
実はこれらは言葉を書いておりまして、
それが他の言葉と関連づけられて、義書には、ここに出ているように一文字が多いんですけれども。
実は二文字、三文字、四文字くらいの熟語も載せられています。
この間(転注の大特集)、「老」のところで結構盛り上がったときにも、二文字以上(の言葉)がありました。
そして、最後のこの一字の意味を持ちえますよということを示してるわけです。
この「也」の直前の一つ、それであとは点で区切られているということです。
今度は文字の子の字書は、《玉篇》などを字典と言いますけれども、
漢字一文字に対して、どういう意味があるかを書き出していて、
まあ、それをずっと発展させたのは、《康煕字典》など、最近では《中華字海》というのもありますけれども。
それらは一文字について、ずらーっと意味を集めてきて列挙していますけれども、
実は少なくとも熟語の中でその文字が使われたときの意味なんですよ。
実際に二字以上の熟語で説明がなされていることが多いですよね。
「文字」の「字」とか、そうした「文字」という言葉の中で使われたときの「字」と私は言いたいわけですね。
もっと長たらしく言えば!
先ずはやはり、一番小さな単位では、熟語、二字熟語がありますよね。
それでそれが慣用されて、一つの言葉(ことば)と日本語で言いますけれども、
中国語では「語」yǔとか、それと「詞」cíと言いますけれども、
「語」yǔと「詞」cíは、(日本語でいう)「単語」、(中国語で「単詞」dāncíといいますが、)
実はそれがある概念に当てられて特化して使われているんですよ!
ですから、印欧語や漢蔵語では、語根と接辞でものすごい数の言葉を生み出していましたけれども、
漢語では、もう少し大きく、音節単位の言葉(「詞」cí)を更に組み合わせて、
(日本語で言う)複合語、中国語では複合詞(fùhécí)(もしくは合成詞héchéngcí)が作られて、
それが表現したい概念に当てられてゆき、
慣用されると熟語として定着して、
一つの概念のパッケージになって、
それがあたかもその概念そのものであるかのように意味を持ちえて、振る舞うわけですね。
ですから、文字単位にそれを分解しても、
今、言った「文字」という、「訓詁」ともありましたけれども、
「文」「字」「訓」「詁」のようにバラバラにしても、
実は分解される前の意味は持たないんですよ。
それは概念と概念を連結して、
新たな概念を生み出すということではなくて、
新たな概念をくっつけた言葉にあてがわれるからなんですよ。
もう、今では、慣用化されて意識すらされていませんけれども。
特に分かりやすい例としては、中国語で成語(chéngyǔ)と言われますけれども。
日本語で三字熟語、四字熟語といわれる言葉がありますね。
それらは、三字、四字などに特殊な状況の全体を当てて、
慣用句(イディオム)のパッケージを作るわけですよ。
先ほどの概念のパッケージより、
もっと大きなまとまりのパッケージになりますよね。
ですから、その慣用句、成語(chéngyǔ)には、出典があるわけでして、
そうした背景を知らないと言葉を分析しても、意味が絶対に分かりません。
例えば、「推敲」という言葉がありますよね。
「推敲」する。これは日本語にも中国語でもあります。
「推敲(tuīqiāo)」と言いますね。
これは「推す」「敲く」という二つの文字です。
(「推」「敲」には、)どこにも文章を練り上げるという意味はないです。
これは「推す」「敲く」だけですから、ドアを「推す」「敲く」しか、意味がないですから。
でも、「推敲」に「文章を練り上げる」という意味があるのは、
これは、賈島さんと韓愈さんという人が、唐代の人物が、出会った物語がありまして、
即ち、故事がありまして、故事成語をなしているからなんですよ。
まあ、今のような成語は、 最も極端な例ですけどね。
一般としてある言葉や文字の並びがあるときに、
それで言葉の意味や概、形態素と言いますけれども、
それらを合成して作りますけれども。
ただ、言葉や概念が存在しているのではなくて、
実際にある事物や事象などにその言葉が充てられる。
そして、初めてその言葉が意味を持ちまして、機能するんじゃないかとそういうことを言いたかったわけですよ。
ですから、先ずは、一音節の言葉、それは一文字の漢字に当たりますけども、
そこに色んな意味があり、それらが組み合わさり、
更に意味を生じて、 次は複合語、複合詞の単位になって、
更に次は文章の単位が生じてきますよね。
実はそれらは明確にそう分けられないんですよ。
例えば、「読書」という言葉がありますよね。
これは立派な文ですよね。「書を読む」だから。
それで「日蝕」という言葉がありますけれども、これもそうですね。「日蝕す」ですから。
そうして、最小単位の二字熟語ですら、本来は文じゃないかと!
非常に簡単な言葉を組み合わせて、複雑な概念が成り立ちまして、
それが実際の事物や事象、思考や感情、具体的、抽象的に問わず、
どんどんどんどん当てられて行ったんですよ。
ですから、例えば「思考」で行きますよ!
「思慮」という言葉もあるし、
「思案」という言葉もあるし、
「思念」という言葉もあるし、
それに「思料」という言葉もありますよね。
「思惟」という言葉もありますよね。
似たような言葉でも、微妙に意味が異なります。
言葉の意味やニュアンスは、やはり、慣用された結果じゃないかと!
基本的に言うと、今まで見せしたところで出てきましたね。
(転注の)「考」で「思考」と「思慮」は、「考慮」という言葉もありますけれども、
(「考」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔと「慮」*ras, *[r]a-s < 漢蔵祖語*(g/k)raŋと同じ語源だった!
ということは、それは分化したというのは、やはり、それは、それ自体が分化していったわけじゃなくて、
その使い分けが、自然に後の人たちがしていったということですね。
そして、同じ漢字の熟語でも、中国と日本で微妙にニュアンスが、微妙じゃないか、かなり違うことも多くありますよ。
また、そうした地域の違いだけでなくて、昔の言葉と今の言葉でもそうですよね。
例えば、面白い例が、中国人が「単純」という言葉を使うんですよね。
「単純(dānchún)」と言いますね。これで人を評しますよ!
あの人は単純な人だと!
でも、日本人は単純な人と聞いたら、騙されやすい人とか、あんまり良い意味はなくて、けなしているようなニュアンスを感じて、怒り出すかもしれないです(笑)
でも、中国人は単純という人とは、純粋な人、ピュアな人という、非常に肯定的なニュアンスで褒めてるわけですよ。
そうした違いが生じるのは、やはり言葉の意味だけではなく、
それが使われてきた環境によって、何に当てられていったかが、微妙に異なるからですよね。
大きくは違わないんですよ! 「単純」という言葉の両方(二つの文字)の意味は、「純粋な」「混じりけのない」というニュートラルな意味だった。
だけれども、中国語は良い方に行き、日本語は悪い方に行ったという結果なんですね。
ですから、ここで分かることは、語源は意味を完全に決定しないことです。
今まで結構、色々と語源からこういう意味が導けるとお話してまいりましたけれども、
実はそれで導かれることは分かるんですよ。
でも、それでは、その言葉がどのように使われるかは、
やはり、最後は人間の判断に委ねられていて、言葉が使われるうちに意味が変わってくるんですよね。
だから、過去の言葉から、現在の言葉へとどう変遷してきたかは、
もう検証していけば、どういう文脈の中で使われているか、ニュアンスで使われているかと分かるんですけれども、
将来にどうなるかは予測できないんですよ。
人間の発想や行動というのは、先行きが見えないです(笑)
実は、思いもよらない、言葉の取り違えとか、誤認や誤解から、
もしくは誤用や誤記、間違えから、新しい文化や新しい意味が生まれてくることが多いんですよね。
それは、言葉の意味が変わるのではなくて、厳密に言えば、人間がその言葉を定義付けていて、
その共通認識が、その言葉の意味範囲であって、
それが時代や地域で異なるからなんですね。
普通はその言葉そのものが意味を持つと錯覚されやすいですけれども、
実は言葉そのものに意味があるわけではなくて、
人間がそれを使い続けていく中で結構、恣意的に決めているということでありまして、
また、言語とは、その言葉が発せられたコンテキスト、文脈の中で文意の中で、
更に大きく言えば、社会とか、環境とか、歴史とか、伝統など、
その人たち、個人や集団が経験してきた、
色んな事象、色んな事件によって、同じ人ですら、どんどん変わっていくんですよね。
ですから、人により、場により、その同じ言葉が、ものすごい幅を持っていて、
ある言葉を機械的に、これはこういう意味だと解釈できないんですよ。
でも、どうして、完全に同じようには伝わらなくても、
人間がコミュニケーションはできるのかなと考えてみたんですね。
すると、やはり言葉単位、文脈単位、段落単位、書物単位など、
どんどん大きくなってきますよね。
更に抽象化された概念は、 前後の文脈をかなり広く、
場合によっては、その人の置かれた環境の中や思考の流れの中においてまで考慮して、
その言葉はどういう意味で使われているかが分かるんですよね。
特にユニークで独創的な人は、すごく言葉の使い方は、
同じ言葉使ってでも、結構意味違うことが多いです。
だから、ちゃんと伝わらない方が多いです。
言葉に対して、(普通の意味とは、)違う意味を与えて使っちゃってるから。
だから、新しい意味が言葉に生まれていくということは、実はそういうことですよ。
ですから、具体的な事物よりも、抽象的な概念であればあるほど、
解釈の幅というのは大きくなるんですよね。
不思議なのは、それにも関わらず、ある言葉がそこで使われているとき、
何がその言葉の広い意味から、意味を限定して、 きちんと話した人、書いた人の意図が読み取れるのかと、今(問うていることは)そういうことですよね。
まあ、大きな背景や環境と言ったら極端ですけども、
少なくとも、コンテキスト、その文章単位で前後の言葉との関係性や論理の整合性、
逆に言葉そのものの形態素、
まあ、話した人や書いた人が、気づいていないかもしれませんけれども、
昔から伝えられてきたりして、皆がぼんやりと共通で持っている、無意識にも、ある言葉に対するイメージとか、概念がありまして、
それに基づいて、自分の思考を表わすとき、
概念をつないで言葉を紡いでいきますけれども。
そう考えれば、ものすごい、一番でかい所、もう極大と、ものすごい小さい所、極小。
極大と極小の一致、マクロコスモスとミクロコスモスが、やはり、言語の世界にも、あるじゃないかと、今、考えてきておりますよ。
やはり、それは、物理学でも、原子核、素粒子、弦模型など、
ものすごい小さなミクロな所から見ることと、
これはアインシュタインの重力場で宇宙論にいきますね。
コスモロジー、ドカンと大きな宇宙から見ること、
中間に人間が生きているようなような感じにイメージが近いじゃないかな。
もう、その言葉そのものを分割して、 どうにもいかないところまで行く所、
即ち、ものすごい小さな形態素と言いますけれども。
それと、ものすごい大きな、ある言語を用いて書かれた全ての文章というような、
双方から、挟み撃ちで解釈できるということなんですね。
何かもう、今の話は、どんどん、フェルナン・ソシュールの(《一般言語学講義》において、)言語活動の考察にラングとパロールとありましたね。
ウィトゲンシュタインの後期哲学における「言語ゲーム」という、《青色本》や《哲学探究》という本がありますけれども。
そんな中に出てくるな話に近くなってきていると思います(笑)
私は色んなアイディアで理解をしようと試みて、探究しておりましてね。
でも、それは言語の本質ですよ!
やはり、それに気づくことが訓詁の要点なんですよね。
また、訓詁に戻ってきた感じがしますけれども。
また、辞書に書いてある楚の世界だけで運用されると陳腐になってしまいますけれども。
人間はでどんどん新しい発想や発見をして、
新しい事物や事象を見つけてゆく生き物ですから、
そうしたときに言葉がどんどん、どんどん、それに対応していくという柔軟性があるわけですね。
それに気づくことにより、言語を用いて創造を炸裂して生きてゆけるんじゃないかなと。
そういうしたことを実際にこんなものを見ていきたいと用意してまいりました。
「文」*mɯn, *mə[n]の文字を主題としておりました!
この「文」の語源を考えて行こうとしたとき、
本当に一番、小さい単位から、
更に小さくいきたいとやってきたわけですね。
それのために上古漢語の音、鄭張尚芳さんだと「文」*mɯn、
Baxter-Sagartさんだと「文」*mə[n]と(再構が)出てきておりますけれども。
これから始まって、語源は何だったのかなと、「文字」の回でやりました(のでそちらを下さいませ)。
体にできたアザとか、コブとかのような模様を意味してたんじゃないかということでしたが、
漢蔵祖語*r/s-mya-nの特にmya-nの所で私が提案をしましたけども、
シュスラーさん(Axel Schussler (2007). ABC Etymological Dictionary of Old Chinese.)は、
「墨」*mlɯːɡ, *C.mˤəkとか、「黑」*hmlɯːɡ, *m̥ˤək、「煤」*mɯː, *mˤə(彝緬祖語* ʔ-mu²)を名詞化して、(接尾辞 -nと付けて)「文」mɯn, *mə[n]にしているじゃないかと!
それは究極的には、漢蔵祖語「黒」*s-ma(ŋ/k)に行きますけれども、
漢蔵語の別の言語を見ると「暗い」と「深い」という意味しかないのと、
やはり、墨、インクに偏りすぎて、模様とか、文身とか、字や絵を描くような、
筆記具がある前からありそうな概念は、どう説明するのかというような所でちょっと疑問がありまして、考え直したんですね。
それで私は漢蔵祖語*r/s-mya-n、皮膚の上にある模様(瘤や痣)ではないかと、
それでそれは入れ墨(文身)を象ったという「文」の字源や本義に適うんじゃないかとお話しましたけれども、
私はそのときにちらっと言いましたけれども。
漢蔵祖語*r-ma-tの語根maですけれども、
「傷ついた」とか、(特に)「皮膚についた傷」とか、「引っかく」とか、「しるし」という意味がありまして、
特にビルマ語မှတ်, hmatで「記録する」という意味もあるんですよね。
だから、漢蔵祖語*r/s-mya-nのmya-nは、本義二.文身に行くのかな。
そして、漢蔵祖語r-ma-tの語根maに名詞化-nで「文」*mɯn, *mə[n]になるという発想で行くと、
「傷ついた」とか、「引っかいた」とか、「しるし」とか、「記録」と言えば、
本義一.文様か、もしくは引っかき傷という所から、本義二.文身、入れ墨にも混ざりこんだかもしれないですから、
どちらにしても、もしかしたら両方とも正しくて、
文飾、文様、最初はもう本当にプリミティブですよ!
もう文様とか、文身とか、目に見える所から、文字という所に行って、
それがまとまって、文章になり、
それがまとまって、文書ができ、
更に まとまり文庫、文物と来て、
まあ、文物と言えば、文化を物質的に伝えるという文化財、
もう、ここ(転義四)まで来ると、もう文化や文明と来ると、概念的になって、抽象性が高まりますよ。
文徳とか、文雅と言いましたら、
人間性になってきていますよ!
これは優雅とか、雅とか、上品という意味まで行きまして、
これは文人とか、読書人などを言っていると思いますけれども、すごいですよ!
これは本当に文身から、雅な人まで行きましたという、
やはり、文化は、文字とか、言語とか、文物とか、書物に下支えされているんじゃないかと。
ちゃんと、例をきちんと出してまして、
先秦両漢から引っ張ってきています。その意味でちゃんと使ってます。
面白いのが、この《詩經·小雅·六月》「織文鳥章,白旆央央」の中では、これ「文」と「章」ですから、
どうも文は布にある模様とか、「文(あや)」という意味なんじゃないかな。
そして、《說苑·反質》「雕文刻鏤」は、
まさにこの漢蔵祖語*r-ma-tのmaで「引っかく」とか、彫刻するの「雕」ですから、「刻」ですから、そして「鏤」も、
そうするとこれらは同じ言葉で「引っかく」という意味を持っているないかと面白い言葉の使い方で前後の文字との関係性で(意味を特定して)読めたわけです。
ということで、行ってみたいと思うんですけれども。
「文字」(という意味)であります「文」は意外と少なくて、
《國語·晉語八》「夫文,『蟲』、『皿』為『蠱』,吾是以云。」を見ると、もうこの「蟲(虫)」という字は声符でしょ。
そして、「皿」という意符をつけて、こんな形声字「蠱」を作っちゃったということですね。
そのことを言ってるから、この「文」は文字と考えられるだろうと、
もう《漢書·劉歆傳》「分文析字」なんて、「文」を分解して、「字」は「析」して、 これは文字を分析するとか。
《後漢書·張衡傳》「飾以篆文」には、「篆文」、篆書、小篆、大篆が出てきて面白いんですけれども。
《後漢書·禰衡傳》「衡攬筆而作,文無加點,辭采甚麗」は「文」は、何にも変えようがないというくらいすごいだと。
「文辭」と来ていますけれども、(文章が)美しいという、そういうことですよ!
(文章を)褒めてる(また、「文筆」も「文」は韻文、「筆」は散文を意味して文学を意味しました)!
そして、《說文解字·序》「言必遵修舊文而不穿鑿」に行きましたら、
今度は、昔の文献、これも難しいんですけどね。
昔の「文章」か、まあ、「文献」ぐらいまで来ているだろうと、
結構、ここのところは、微妙な所でありまして、(文脈から、昔の文章や文献、即ち、学問に通じているということですから、)
どちらに入るかは、難しい所なんですよ。
《國語·周語上》「有不祀則修言,有不享則修文」で見ましても、 これは「言」と「文」ですから、
一つ一つの本とか、文章ではなくて、もっと(大きく)言う、「学問」みたい、「文学」とか、そういうことですよね。 結構、大きい!
というような形であったりとか、
最後、《論語·雍也》「質勝文則野,文勝質則史。文質彬彬,然後君子」というところでまできちゃってるわけですよ!
この錯畫から、文身から!
これは中華文化らしいなと思うんですよね!
これは孫家庭の《書譜》、私は臨書したことがありまして、
草書で書いてあるんですけれども。 思い出しました!
「質勝文則野,文勝質則史。文質彬彬,然後君子」を引いていました。
これは有名な《論語·雍也》ですけれども。
今度はこっちを見ていくんですけど、この漢字で書いてある概念の下にラテン語で書いてあるんですよ!
これは西洋の根源的な概念ですけれども、
それを見ましたら、「文様」とは、signumですよね。英語signですよね。
これは完全に異なる語源なんですよ!
印欧祖語*sek-は「切る」という所から来ています。
そして、「文身」compunctioは、入れ墨とは、点々点々と入れるから、だから、点をいっぱい入れたから(「共」con- +「點」pungō)ということを言ってるでしょとか、
この「文字」は scriptum、ラテン語ですが、英語だとscriptは、もう「書く」scrībō(古典ギリシア語σκάριφοςと同系)でして、更に前は印欧祖語*(s)kreybʰ-で「ひっかく」という意味で言っていました。
更にこの「文章」とは、littera、英語litteratureとか、literacy < literatusと言いますが、
これは文字を書くタブレットから来てるんじゃないかと!
ちょっと、これは語源が色々な説の内の一つにあります(古ラテン語leiteraからギリシア語διφθέραが推定されます)。
そして、「文書」はdocumentum、英語documentは、
文章は「教える」doceōに「媒体」-mentum、情報を伝える媒体というところからでして、
更に「文化」は、(ラテン語)cultura、英語cultureは、本当に「耕す」colōから入っていますよ!
印欧祖語*kʷel-では、「動く」とかですから、
漢語においては、「文」から発展していく似た概念で発想されていく!どんどん繋いでゆける、連想できる概念だとしても、
別の言語では、全く異なる捉え方をされているということなんですよ。
これはすごいことですよ!
これはわれわれとしては、 もう当たり前の意味の広がりでも、
別の文化、別の言語では、別のつながりで言葉が形成されて理解されているということなんですね。
はっきりしてます!
ところでこれらの意味で使われている文例を挙げておきましたけれども、
先ほど、お話したように、やはりどっちに入るのかが難しいんですよ!
すごく字典でも、よく分類されていますが、こうした意味によって、
解釈によって、やはり、どちらに入るかは、微妙なところがあります。
これはすごく、やはり大事なことでして、
やはり、意味は一義的に決まらないで、両方のニュアンスがあるということがあって、
そして、語義はスペクトラムのようにここから、ずっと連続性をなしています。
少しずつ、少しずつ、勿論、いきなり、この文様とか、文身から、文化、文明は飛び過ぎていますけれども、
少しずつ、右から左になるように私は並べてあるんですけども(即ち、初出の文献はその言葉がそれ以降に存在したことは証明できますが、それ以前に存在していないことは、証明できないため、意味を重視して配列しました。)
だから、私も言葉を選ぶときに、その言葉が持つ、全体の意味を考えて、最も近いものを選ぶわけですよ。
それでである言葉とある言葉があって、困ったなあと思ったときには、語源までちょっとゆっくり考えて、何語でもそうですけれども、
それで大体に2つ以上のつながりがあることもよくあります。ある言葉を使うとき、それが一番しっくりくるという意味でして、
しかも、ここに先ほどピョンと飛ばしちゃったのは、
後に取っておきたかったかったからですよね。
《易經·乾》「天下文明」やと書いてありますよね。
こちら《說苑·指武》「文化不改」と先秦両漢の漢籍には見えるんですけども。
それらは今の意味ではないんですね!
天下を聖人の文徳で照らしていくというような、
ここに「文德」とありますよね。
それで「文治武功」とよく言いますけれども。
「文」政治と「武」軍事を意味していて、
それで、この《国語》を見ましたら、やはり「武」と「文」を対比して考えられていまして、
軍事とか、刑罰とか、そういうことでなくて、
文化とか、統治をするという。
まあ、暴力的にガーンと行くのではなくて、理性的にしようという思想ですよね。
今、私たちが使っている「文化」はここには(字面としては)出てはいますけれども、
西洋の先に言った、ラテン語cultura、英語cultureに後に、しかも、ほんの最近に当てられたものですから、
訓詁をするときは、同じ言葉でも、別の概念に当てられていることがあるため、
今の言葉の意味で考えてしまって、昔の言葉を解釈して、早合点しちゃいけないんじゃないかと。
まあ、やはり、近い概念で当てて使われてますよね。
だから、さらに混同とか、誤解が起こりやすいんですよ。
結構、そこは気を付けた方がいいことでありまして、
ちょっと面白いことがありまして、 この《莊子·逍遙游》「越人斷髮文身」にあります。「逍遙游」なかなか、これはいい文章の中に「越人が断髪文身」とありますけれども、
これはすごく面白いので、こんなもの見てみたいと思うんですよ。
晉·郭象さんが、注釈をして、
唐·陸德明さんが、音や義を書いて訓詁してくれた。
今のテーマです。
《南華真經》は《莊子》です。
それでここに「越人斷髪文身」と出てきておりますけれども。
こうした文章や文脈の中で使われている言葉の意味が分かるんですよね。
「断髪」で髪の毛のことを短く刈っているでしょ。
そして、「文身」と体の入れ墨ということで、
非常にその伝えている内容は対になってて近い。
対比されて登場するということでありましてね(また、「宋人」と「越人」の違いが、対比されて登場しておりまして、(殷の遺民が西周の初めに河南商丘に建てた)宋の国の人がm(殷の人たちが用いていた)章甫の冠を買い、越に行ったが、越の人たちは、ざんぎり頭に入れ墨をしていたため、これを用いることはなかったというお話です)。
今度は同じ晉·郭象さんが註釈したものに対して、
唐·成玄英(608-669)さんが、疏(そ)と書いてありますが、
この「注疏」と言いますけれども、「疏」とは、「注」に更に「注」を加えて、更に詳しく説明したものですよ。
このようにして、《荘子》のテクストと古典に「注」をして、
更に「疏」を書くということが、訓詁学者の大切な仕事の一つでして、
それがあるからこそ、古典を読むことができるという、もう本当にありがたいということして、
それから、こちらは、范祥雍さんが批校と書いてありますね。
清代の学者ですけれども、「批」は批判版を作ること(critical)して、「校」は校正(revise)した!
そして注釈(commentary)を残した。
まあ、欄外の注釈(scholia < σχόλιον)って言うんですよね。
まあ、それをする人が学者(scholar)でして、
KF-Scholaがありますけれども(笑)
まあ、それは註釈して、議論(σχολή)をして、注釈してという、
訓詁学と考証学など、学問の伝統が融合していることが分かるんですね。
非常に面白くて、それでちゃんと標点といって、点を打っています。
どこで切れ目があるのか、そういうふうに読んでますね。
そして、こちら!
今までは、《荘子》という伝世文献でしたけれども、
先ほどにも、出しておきました上海博物館にあります楚簡、《孔子詩論》という出土文献です。
もう出てきちゃった出土文献!
郭店楚簡があった湖北省の郭店楚簡があった郭店からでたんじゃないかと考えられておりますけれども。
楚の地域の楚の文字ですけれども。
今は本当に先秦の戦国時代の実物を見ることができるんですね。
なかなかいいことが書いてありますから出してしまいました。
ここに「孔子曰く」から書いてありますよね。
まあこの「詩」と言えば、釈文を見て頂いても良いですが、
やはり、《詩経》ですよね。
これで面白いことに「詩」と「楽」、
こちらでいうと「詩」と「楽」 が出ておりますから、
先ほどありました経書の中の、これは《楽》と言えば、やはり《詩経》に対して、《楽経》かもしれません(前後の文章が簡牘が断裂して分からないため、文脈からの判断ができないために難しいですが、「詩」「楽」「文」と来ているとしたら、普通に「音楽」という意味でも良いとも思えます)。
そして「孔子曰:詩亡(無)隱志,樂亡(無)隱情,文亡(無)隱意。」はどういう意味かといったら、 心(志、情、意)と来ていますから、
まぁ、詩に書いてあることは、楽経に書いてあることは、もしかしたら音楽とも取れるかもしれないですが、
ここで更に「文」は文章でして、それらには隠された意図がない、気持ちがそのまま出ている!
だから、素直で誠意があっていい!というような《詩経》を賞賛している内容だということで、
次のこちらも同じ《孔子詩論》ですけれども。
同じ文献の中で違う場所で「文」が出てきている!
まあ、見て見ましたら、この部分「后稷之見貴也,則以文武之惪(德)也。」です!
ここ「后稷(こうしょく)の見、貴しなり」で文書が切れる標点をちゃんと打ってくれてます。
「則ち、以て」、「文」が出てきました!「文武の惪(德)なり。」 と読めるわけですけれども。
私はこの楚簡を臨書していますから、結構この文字は馴染み深いんですよね。だから、読めちゃうんですけども。
これでも、やはり「文」と、やはり、「武」が対比されて用いられてますよね。
しかも、「德」、「文徳」という熟語が先に出てましたね!
だから、そういったもう先秦時代から発想があったんだと!結びついてだんだとすごいことだと思います!
本当に面白い現物で見てこれたんじゃないかと!この興奮のままに、次のページいきますよ!
今まででものすごいことが分かってきましたけれども。
言葉の意味の広がりはダイナミックでして、
本義から転義して、多義になるという発想には、
人類に共通の特徴があるんじゃないかと分かったんですね。
それはどの言語でも、どの時代でも、どの地域でも、
具体的な事物や事象から始まっていき、抽象的な概念や思考を著わしていくように広がっていくことです。
一般的には、字義が、本義から転義をして多義になるとき、
引伸、引き伸ばされて、類推(analogy < analogia)でアナロジカルに広がり、
それを分析(analysis)するのが、語源学(etymology < etymologia)じゃないかと!
実は私が強調したいことは、それは言葉の上から説明しているだけでして、
一般的には、こう言われますけど、
先ほど述べましたように、実は言葉自体がどんどん転義をするというのは、正しくなくて、
本来は実際、人間が生きている中で新しい概念が生じて、それに対して言語が対応する形で、
今までにある言葉を組み合わせて、「それ」、新しい概念、「それ」としか言いようがないですから、言葉はないから、「それ」を説明しようとしたんですね。
ここは大事なことですよ!
言語が勝手にアメーバのように変わるんじゃなくて、
人間が言語を柔軟に用いて使ってきたということですよね。
ちょっと思うんですけど。これはやはりアイシュタインの相対性理論がありますけれども、
(相対性とは)何を意味していたのか!?
元々、何かを見ようとしたときに座標がガチャンと決まってて、それでその中でやってゆこうということじゃないんだと!
もう、あらゆるところで、見方が一つ一つ違うんだと!
それでそれによって、ものを見てるんだと!それと同じじゃないかと!
つまり、言語とか、文字とか、その世界においても、
人間一人一人が、その言語、文字が持っている普遍的なこういう意味だろうという、堅い意味の核ではなくて、すごく自由にそれ(言葉)に対して思っている。
それで一人一人が結構(思い思いに)異なる使い方をしている。
それでその中で辞書や言語の変化などは、
これはこの大きなムーブメントとして、まとまってきて、最大公約数というか、それを取る中で合意されてきているだけではないかと!
つまり、絶対的にこの辞書に書いてあることが正しくて、これだということでは言葉はないです。
それは分かることが、ある外国語なり、もちろん日本語でも、そうですけれども、
何か分からない単語が出てきて、じゃあ、辞書を引いたとき、
その辞書に書いてある意味で解決しないことは、結構、多いんですよ。
それはどういうことかといったら、その字書でちゃんとこういう意味だと決まってる使い方から、結構ずれて皆が言葉を使っていまして、
そうすると、しょうがない、もうその言葉は、辞書を引いても、もう解決しない分からない。
そうしたら、しょうがないから、前後の文脈でその言葉は分からない言葉が、何を意味しているのかと推察しながら、
もちろん辞書に書いてある意味は、ある程度は参照しますよ。
その使った人は、ある程度、今までの使い方の中で何らかの関わりを以て、その言葉が使われているわけだから。
だけれども、結構、言葉は自由だと!
だから、先ほど物理学で言う、相対性理論は、まあ、観測系といいますけれども、一つ一つが違うんだと!
それと同じで、それが一人一人の人間は、言葉に対して全然、違うインスピレーション、それとイメージ持っていまして、そういうことを感じる(繊細さが)大事じゃないかなと思っておりました。
ところで、先ほど、文人と出てきましたよね。あと文徳、聖人の文徳が天下を照らすという思想が《易経》にありましたけれども、
もうそれは更に金文でも、もう昔の人たちの祖先が理想化されて、文人とあるんですよね。しかも、前文人、これは昔の文人でしょ!
これで面白いことに《尚書》をあんまり、《書》は、私は引きたくなくて、引いてこなかったのは、
これは漢代に誰かさんが作っちゃったじゃないかと、そういう疑惑があって(清代の閻若璩さんの《尚書古文疏証》など)、
今に伝わってる《尚書》はということがありますから、あんまり私は引いてきませんでしたが、
これを引いたのは、本当に同じ金文に似たような言葉の使い方、並びが出てくる!
〈追簋〉「用亯(享)孝于(於)前文人。」と《尚書·文侯之命》「追孝於前文人。」で殆ど一緒で本当にびっくりしてしまう!意味もそうでしょ!
それで注「使追孝於前文德之人」があって、「昔の文德の人(を祭祀する)」と付いていますから、もうびっくりしちゃって、
もう、両方、文献資料と出土資料でなぞってるなーということで出してきたり、
それに先ほど、天文と人文とありましたけれども(文化と文明と混同してしまいましたが、人文が文芸や文化という意味で使われるという含みを持たせて話していまして)、
これは、ここが、やはり出典、《周易·賁·彖》と《左傳·昭公二十八年》ですけれども、
今の使っている意味とは、やはり、違いますよ!
やはり、どこまでいっても、中華文化においては、祖先を祭祀する、継承する、政治や統治という流れの中で繰り返して出てきてはいるんですけれども。
(「經緯」に対応して「文」)は縦糸と横糸という意味があると私は「文」で先ほどちょこっと言いましたけれども、
まあ、前に文字のところでも出てきました《釋名·釋言語》「文者,會集眾綵以成錦繡」の中には、「文とは綵」という、織物も意味しているということでして、
そこからアナロジカルに縦糸と横糸に当たっていると思うんですけれども、
これがastronomiaに当てられちゃった!
ギリシア語で「星」astro- < ἄστρονの決まりnomia < νόμοςですけれども、
語源は、天体の法則という意味です。
それで「人文」というと、やはり《周易·賁·彖》「觀乎人文,以化成天下」ではそういう意味じゃないですよ!
本当にやはり「天下」は世間という意味でして、
だから、統治とか、そういうシステムを言ってるわけですよ。
だけど、そこからアナロジカルにやはり、これも人文(artes humaniores)と書いてありますけれども、
今は「文芸」という意味を持ってますよね。だから、人類の文芸ですよね。これはありましたね!
そういった形であるとか、文明、文化も、もっと詳しく言うと、civilization < civilizatioは、都市化とか(「都市」civitas)、<「市民」civisとか、そういう所から来ていまして(究極には印欧祖語ḱéy-wo-s <「住む」ḱey-ですが、)
都市化である「文明」に意味に当てちゃったわけですよ!
全然、言葉の意味が違う!
「文化(cultura)」が先ほど出てきましたけれども。
「耕す」colō から入った!(全然言葉の意味が)違う!
そして、今、人文(artes humaniores)がありましたけれども。
KF-Ars Sinicaが、ここに出てきちゃった(笑)
ars、芸術とか、技術という意味ですよ(元は印欧祖語h₂ér-ti-sで「つながる」h₂er-が語源です)!
そして、 Sinicaは中国のということですよ!
だから、KFは「系譜」、日本語(Kei-Fu [ke̞ː ɸɯ̟ᵝ])でarsは芸術とか、まあ、「文化(cultura)」と、もうちょっと広い意味で使ってますけれども、Sinicaは中国、「系譜でたどる中華文化」ですけれども。
そこで思ったわけですよ!
Sinicaの語源とは、何だと!?
今度はラテン語ですよ!
これで英語Chinaの語源は何だと!
これに興味がいきまして、調べました!
そうすると、最初の頃にやはりこれも面白いことに、違う2通りが考えられて、厳密に言うと3通り出てくるんですけれども。
絹(sericum < σηρικός)という、絹の国(Serica < Σηρική)ということでして、
まあ、シルクロードということを言いますけれども、絹織物がずっと(漢代からローマ帝国まで伝わりまして、)先に「文」で「綵(あやぎぬ)」で伝わっていくわけですよ。
これでセレスの国(Seres < Σῆρες)とか、ギリシャ語で、これらがあったんじゃないかと!
まあ、ギリシャ、ローマの時代は、絹の国という意味でした。
それともう一つ、「秦」ですよね。
上古漢語「秦」*zin, *[dz]i[n] > 中古漢語 d͡ziɪnでして、
もう一つ「晋」と日本語だと区別がつかないですけれども。
始皇帝の秦と西晋、東晉の王羲之とかの時代の「晋」*ʔsins, *tsi[n]-s > t͡siɪnHでして、
どっちかと思ったんですよ!
考えていくと、ガンダーラ語𐨕𐨁𐨣, cinaなど、中国と当時に接した、この辺りから仏教が伝わってますから。
ガンダーラ語で𐨕𐨁𐨣, cinaといい、サンスクリット चीन, cīnaに入って、
それで中世ペルシア語(パフラヴィ語)𐭰𐭩𐭭, čīnとか、 現代ペルシア語 چین, činも、そうですけれども。
それでヒンディ語चीन, cīnにも入って、サンスクリットचीनस्थान, cīnasthānaでして、それが「震旦」「旃丹」という、仏教経典の方が入ってきて、
それを訳したときに漢訳したときに「震旦」「旃丹」などと音写をしたわけですけれども。
ヒンディ語चीन, cīnから、ポルトガル語Chinaにゴアとか行きましたから、 大航海時代にもうかなり後になりまけれども。
ポルトガル語Chinaから、ヨーロッパの言語に入って、英語Chinaとか、フランス語chinoisとかに入りましたけれども。
そう考えると、やはり、私は思ったのは、最初のところで見る。
このガンダーラ語 𐨕𐨁𐨣, cina、それと上古漢語と中古漢語に移行する当たりで見ると、
どうも、やはり「秦」*zin, *[dz]i[n] > d͡ziɪnは濁音ですよ。これ「晉」*ʔsins, *tsi[n]-s > t͡siɪnH、こちらの方が正しい可能性がある!
つまり、始皇帝の秦じゃない 。
東晋、西晋の晋!
始皇帝の秦は違う!
しかも、西域と接触した年代から考えても、可能性が高いんじゃないかと、私は考えました!
ということでKF-Ars Sinicaまで出てきてしまいましたけれども。
最後に訓詁学について、今までずーっとやってまいりましたから、
訓詁に関してすごく、
私が学ばせて頂いた名著が良書がございますのでシェアしてみたいなと行ってみたいと思います。
ここに、いっぱい並んでいますけれども。
私は大体、中国語の本しか、読まないんですよ!文字学でも、訓詁学でも、音韻学でも、もちろん西洋の研究も見ますので、英語とか、フランス語とかもありますよ!
それでここ30年くらいで、すごい良い本がたくさん出てまして、読んできたわけですけれども。
この辺りはすごく、皆よく書いてありますね。
本当にすごく参考になると思います。
訓詁とは、どういうものかと!
それでこういった本の全体を見ながら、どういうことが、エッセンスなのかと私の中でまとめてゆき、
細かいことがいっぱい書いてありますから。本当にこういう本の方ですごく見ていただけると面白いじゃないかなと思いまして、
そういうのも含めて、今日ずっと語れてこれたと思うんですよ。
それで次に行ってみますよ!
今ここに出ておりますのは、義書!
ある文字もしくは言葉が持つ意味をちゃんとまとめて伝えてきてくれた!
それは漢代とか、ちょっと下って、魏の辺りまであります。
《爾雅》《廣雅》《方言》《釋名》などがありますけれども。
先ほど前に出てきたものは、言ってみれば、解説したものとか、二次資料、三次資料になりますけれども。
ここに載せられているのは、一次資料でございまして、
なかなかそれぞれに校訂本が出てますから、最近も出ています。
一番便利なのが、これは清代の疏、注釈が、全部一緒になっているから、
これが一冊あれば、まあ、電話帳みたいに見れるじゃないかなと思って面白いんですけど。
あと一つ《小爾雅》がありますね。これは《孔叢子》という叢書の中に入っていて、来歴がわかんないということもあったりして、難しいところがありまして、
それと《玉篇》も出てますよね。どちらかと言えば、字書なんですよ。文字の字書ですけれども、多分に字義を説明してくれているという意味でを入れておきました。
そして、こちらですけれども、上古漢語の文法は、一般的には、伝世文献、
そして、甲骨金文とか、この辺りに少し見えていると思いますけれども。
出土資料から再構成して、どうなってのかと研究したりした専門書ですから、
大分いい本がいっぱい出てますから、シェアしたいと思って、
それと参考文献ということで、最後にちょっとお話して、
それで虚詞とここにあることが大事でして、
文法を意味する言葉に関して、まとめてくれた非常に良いですから、
ですから、文法要素が分かれば、後は実詞という、事物や事象を示した言葉がどんどん付いておけば、言語が使えるようになっていく、読めるようになっていくんじゃないかということで、すごくいい本がいっぱいありましたから、シェアをさせていただきました。
そうした形で今回は、訓詁から、どんどん発展していって、
何で人間は言語を使って、思ったこと、考えたことを伝えられるのかということから始まったりして、
色んな所に行って、色んな観点から、しゃべっちゃったという感じですけれども。
まあ、一つ一つの細かい解釈でちょっと今日も解釈をしてやりましたけれども。
とんでもない!もう、いくらでも出てきちゃうから、(KF-Ars Sinicaのチャンネルで)どの程度までやればいいのか、難しいとこですけれども。
まあ、これからも、色々と出てくると思いますから、
何かおもしろい所があったら、またそれでこれはどう読めるのかを考えたりしていきたいと思うので、
次はずっと音ということをすごく大事にしてました字音。
それをどうやって理解するのかと、
上古漢語、中古漢語を残っている資料から、もしくは今、話されている言葉から、どうやって当てていくのかという、
もう本当に楽しい知の営みじゃないかと!
それまでやっていきたいと思いますので、是非ともKF-Ars Sinicaを宜しくお願い致します。
今回も本当に長くなってしまいましたけれども、
ありがとうございました。失礼を致します。