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2021年2月11日
皆さま、こんにちは!
今回はユニーク自体の面白さ、その内容に含まれる意味合いを、どんどん深く、掘り下げてみたいと思うんですよね。
この間はunique、uniquenessという言葉を、客観的に言葉がどのような意味を持ってるか、
歴史的に歴史言語学のような形で、言語の変遷とその最小単位(形態素morpheme)から、どういう意味かを見ましたが、
まあ、それはある意味、一つの客観性、もしくはその外的に見たユニークさでありましたが、
今度は内的にみたユニークさと、どういうことかと言えば、もうユニークな人は、どんなかとか、
ユニークなもの、ユニークな発想、ユニークな作品などが、どういうことか、見ていきたいと思うんですよ。
ところでユニークとは、基本的に人間性とか、人格でして、ユニークさとは、人間らしらと、非常に感じられますね。
それはユニークという言葉自体の意味が、ヨーロッパでは、大体ルネサンス、ヒューマニティ、パーソナリティなどが、大事にされてきてましたから、
そもそも、パーソナリティとか、ラテン語 personaという言葉は、(エトルリア語 φersuなど印欧語族の先住民族を取り入れた)ギリシア語の「仮面」πρόσωπονから来ているらしいと、
社会における役割とか、劇における役割から来て、社会における役割とかに行きましたが、
それでこのヒューマニティ humanitasは、humus「土」(印欧祖語*dʰǵʰomós < *dʰéǵʰōm)から来ているらしいと、やはり、「人」homoから行きましたが、
結局、「ユニーク」とは、「人間」、「人生観」とか思うわけでして、
また「価値観」、「歴史観」、「世界観」など、見方ではないかと、
つまり、「人間」だと、「人間」について話していたということでして、
結局ユニークな作品や研究は、ユニークな人がしますから、
もう結局人間が作っていまして、そうした物を見るときのその観点とか、そのパースペクティブ(perspectivus)ですけれども、
結局「見る」specereですから、それを「見方」とか、「生き方」とか、「感じ方」、「考え方」などが、ユニークだということですが、
では、元々どうどうかと、 そもそも、「ユニーク」uniqueと、「ユニークさ」uniquenessとは、やはり、「破天荒」、「異端的」、「異端児」などの意味を持つと思っていますね。
それで、更にそれが「破天荒」で「異端児」とは、「開拓する」と、新しいものを作り出してしまう、見つけてしまう、それで「先駆者」になり、そうしてユニークさとは冒険だと!その冒険とは、挑戦だと!
挑戦していく、もう、その他の人達がしていること、普通に考えていることではない、自分の思ったこと、感じたことを信じて、ドンといく、
それがユニークさですから、勇敢さとか、果敢さなどがあり、
やはり、他の人と違うことをしてゆこうとは、相当かなりこれは勇敢です!恐れ知らずでして、やはり、その他の人がしていることを一緒に真似ることは、結構、安定志向ですよね。
でも、そのユニークさとは、やはり、その新しいとこに行くわけですから、何がそこにあるか分からない状態で手探りで試行錯誤をするわけですから、これは相当、勇敢ですよ!
リスクをものとしないというか、リスクとか、スリル感を楽しむような、それがやはりユニークさだと、つながってくると思ったんですよね。
これで基本的に、その破天荒という言葉は、元々、慣例を破ると言う、宋の時代に書かれた古籍(《北夢瑣言》)の中にある地方(荊州)では、ずっと科挙に受かるような人がいなかったが、ある時に合格者が出て、前例を覆したということから、「破天荒」という言葉が出ましたが、
結局、それは「空前絶後」という言葉がありますよね。
これ前にも後にも出ないんじゃないかという「前無古人,後無來者」もそういう意味ですね。
「昔にもいなかった、後にも出てこないんじゃないか」という意味でしたり、そういった他のものと隔絶されたということが、
やはりユニークという言葉とか、そうしたユニークな人とかにはあると感じますよね。
それでそれはどうしてかと言ったら、先ほど冒険だとか、挑戦だと言いましたけれども、
それはユニークな人は、探究をボンとしていく、バイタリティがあり、ここに書いてある生命力、パコンときたバイタリティ(vitalitas)、結局これ(vita)は生命という意味ですが、
英語 biologyなど、ギリシア語 βίοτοςも生命という意味でスラヴ語 животъ, jīvitáという意味ですから、
更に強烈なその生命力、衝動 impulseがでました!
それにより、色んなものを知りたいとか、色んなことやりたいという気持ちが炸裂する噴火するよう形でして、
それがやはりユニークの特徴と思っているわけです。
しかも、それは「求知欲」とか、これは「好奇心」とか、英語 curiosity、ラテン語curiositasですけれども、
ですから、それとか、これ(cura)は、まあ「感知する」とか、そうした「ものに気を配る」とか、色んなところにアンテナを張っていることでして、色んなものにもう反応しちゃう「好奇心」、「探究心」
inquireとは、結局これは「探していく」、「探っていく」という、どんどんのパーンと何かに興味を持ったら、そこに突き進んでいくことですけれども、
その駆動(pello)するパッションや力は、生命力(vitalitas)や衝動(impulsus)であり、
基本的にこれはその人のパーソナリティであり、本当に生得的なものと思うんですよね。
それでしかも、ここで考えて行った時に、探究を考えていったら、英語 investigation、ラテン語 investigatioですが、
元々これは歩いて行くとか、そこに「よじ登っていく」意味の印欧祖語*steygʰ-から来ていて、
それは「探検」です。先ほど、申し上げた冒険などの言葉ですが、
そんな中には、外的な探究と内的な探究があると思うんですよね。
というのは、基本的に explorationは、どんどん新しい世界に探検していくとか、もう知らない所に未知の場所にバンバン行って色んなものを見たり、知見を沢山集める探究です。
ex-は、結局で「外に」出てゆきますから、ラテン語 plorareは、英語 flowと元々同じ印欧祖語*pleh₃(w)- 「流れてどんどん行く」というイメージですよね。探検!
結局そこから、内的な探究がありまして、そこを見てみますと、
結局inquiratioやquestionという言葉は、何かに疑問を持ち、そこにどんどんどんどん深く入っていく、
そうした意味の言葉なんと分かってくるんですよね。
だから、どんどんその言葉を見ていくと、一つ一つの意味が見えてきて、どんどん細かいところが分かっていく、ある事がある所を深く掘り下げていく、
結局、我々の探求には、沢山の材料を集めて、沢山これもあれも知りたいと思うと、そうして集めた中で、これはどうかなと検討して、深く思考していく、深く内省していくような探究があると感じておりました。
しかも、そのユニークには、もう一つその「天才性」と書いていますが、
その「天才性」とは、何だと言ったら、元々この部分 geni は、結局ラテン語「生まれる」gignereに近い、ギリシア語 γίγνομαιとか、サンスクリット jánatiは「生まれ」という意味ですから、生得的なものですよね。
「天才性」とは元々、「天賦」とか、「天から与えられた」とか、元々「天賦之才」とか、元々これ「生得的に持つ」とか、「天稟」と言いますが、天からもう来たと、人間がそれを作り出したことではないものとか。
それで「天才性」とは、結局「ユニーク」、よく「天才」という言葉が使われますが、私思ったんですよね。
何かを見るときに、少し「天才性」とは、少し言葉がかなりの部分は関係はして、それを指し示していますが、
やはり、更に「ユニーク」という方が、自然かと思ったんですよね。
「天才」というと、本当にもう何でもできちゃうみたいな感じに取られていますが、何でもできちゃうこと、能力が高いことと、やはりユニークなことができるかは、また、別の問題であるから、
その「ユニークさ」と呼ぶ方が、なかなか人間味がある感じがしまして、私は好きでして、面白いというか、
それでそれはやはり独創性ですから、ユニークとは、結局ユニークは、その他の人と、やはり違うことをするとか、チャレンジすることです。
だから、やはり、「独創性」とは、結局、独創性 ingenuitasという言葉を書いてあり、これもやはり「天才性」と同じ語根 gignereを持ちますから、
結局そういうことですが、やはり、この訳語が悪いんでしょうね。漢語「天才」よりgeniusの方が、更に自然で人間味がある感じがしますが、
それでそこから出てきて、やはり「独創性」とは、その人の個性ですよね。それが出ているいうことで、
それがどんどんやはり、独創性が社会でどんどんどん来て、やはり良い事がありますね。
色んなアイディアが社会にあることは、多様性につながりますね。diversity、diversitasと書いてありますけれども。
社会ではとても「独創性」は大切じゃないかと!
それはもう一つ考えてみましたら、「独創性」とは、結局別の観点から見ますと、「斬新性」じゃないかと!
新しいものを斬り込んでいく、まあ、これ「斬」は元々切るという字ですが、本当は違う字「嶄」を使っていまして、「山」が付いていて、副詞的に「新」を修飾する言葉で「斬り込んでいく」となりましたが、本当はそうですけれども。
「新」を強める詞(の音を借りて書いた字)でしたが、
このnovitas, novus, new「新しい」ということは、やはり、本当に新しいことをするためには、常識にこだわらないことも、ユニークの大事な要素と思ってまして、
それは常識に捉われないことは、意外性ですよね。
お!というような「意表を突く」とか言いますが、「意外性」があるわけです。
だから、もう想定できないことをやりだすということ。
それでは、基本的にどうして、そうなるのかですよね。
結局ユニークな人は、感受性が豊かなと思うんですよね。
基本的にものを見たとき、その一つの見方で満足せず、
色んな所からインスピレーションで、その沢山のアイディアを引き出してくることです。
だから、本当にユニークなことは、結局そこら辺に転がってることですが、他の人が誰も感じなかったことを感じてしてしまうと、
それがユニークであると思ってまして、これでユニークな人はセンシティブと非常に思いました。
結局、それはアイディアを大事して、アイディア ἰδέαという言葉自体が印欧祖語*weyd-から来ていますが、「見る」「感じる」「知る」など知覚に関係するような語根を持ちまして、
結局その思考は、人間が何か考えるためには、やはり感じることが、
先ず大事でして、感じなければ、考えが生まれてきませんから、結局一つアイディアで面白いことは、
どちらかというと、映像的な思考でして、つまり言語の思考ですと、言語に束縛されて考えてしまいますが、
私が好きなのは映像で考える、ビジュアルに考えることです!
だから、そうした脳内にイメージがビジュアルで見えてきて、そのビジュアルで、一つ一つの概念を結合させて考えていく、
まあ、最終的には人に説明するとか、表現するためには、ダイアグラムなど、色んな絵で説明するとか、言語化はしなければならない部分は多いですけれども、
でも、考えている最中は、言語に束縛されない映像の思考は大事でして、それは結局、感受性につながりゆきますが、
もう一つの感受性とは、「驚嘆」「驚き」「感激」などの部分ですよね。
それは、結局、センシティブで感受性がないと新鮮な驚嘆も生まれてきませんが、
本当に皆が見過ごしている所などに驚嘆を感じて、そこに興味を持って突き進んでいく、
それもやはり、ユニークの一つの大きな行動の根源にあると思っておりました。
更にそれは別の言い方をすれば、「洞察力」があることですね。「洞察する」とは、物事の表面的なことである意味でなく、内的な本当の仕組みやそれ自体が、なぜそうたりえているか、パーンと理解をしてゆく部分ですよね。
それがやはり洞察になりまして、 ラテン語intuition, intuitusと書いてありますけれども、
結局、そうすると構造が見えてくれば、構成力があることになり、また構造をうまく利用して、それもまた自分の創作などに役に立たせたりできますから、
それも大事な要素でして、元々、理論 θεωρία, theoria、theorem、theoryと言いますが、定理 theoremも語源は一緒でして、理論 θεωρία, theoriaは「見る」とか、もともと「観照する」とか、
やはりどちらかと「見る」ことに関係しますね。何かをパーンと観ずる、そこから観るという、漢字「観」も、普通に「見」は、意識して見ることですが、「観」はパーンと観えてくるような、相手が話しかけてくるような感覚を感じますね。
それは閃きとか、もしくは発想のパーンとくるスパーク、煌きですよね。
それは「観照」という面白い深さのある言葉でして、
本当に人間らしさを感じておりますが、
結局それを構成するためには、その物事を考えるときには、これとこれは全く普通の人は思ってない、あるものとあるもの、全然関係なさそうなものは、実は構造が一緒じゃないかとか、
この部分については似ているとか、そうした他のものを考えるときにアナロジーで考えると、
これはなかなか発想が、もう普通の常識的な部分を跳躍できる大事な人間の頭の中で起こる機能、
人間の素晴らしい能力、人類が持っている能力でして、そのアナロジーで連想がパパバーンと発想がスパークのようにピンピンとつながりがきて、
おお!面白いとそこで驚嘆が生まれましたり、全部ここに書き出しましたことがつながってくるんですけれども、
こうした形ですから、もう物事を捉える時に、普通の人は、皆一つ一つのことにあまりにもこだわりすぎてしまうと、
本当に人間(人生)の時間は少なくて、本当にそれにかける情熱も限られていますから、
その中で色んなことをしようとした時には、ものをその背景にある構造を分かってしまえば、
どの部分が本当に大事な部分か、根幹stemの部分でどの部分が、枝葉末節か分かるから、
それが洞察ですけれども、そうして、色んなことに通じた人たち、今まで歴史上にいますけれども、
ここに書いてあるpolymathとか、ユニバーサルな人たちは、
そうした人たちは、そうした思考考回路していたからこそ、他の人から見れば、何ででこんなことも、こんなことも全部できるのか、すごいなと思いますけど、
基本的には、そう捉えていた世界観がやはり、その観点が違うと思いました。
それでしかも、その本当にユニークとは、やはり、「純粋さ」、その何かに対する強烈なパッションなど、「強烈性」もありますが、「純粋性」、「純真性」など、ラテン語purus、サンスクリット पूत, pūtáは「清められた」という意味ですが、
本当にpureでして、「純真無邪」、「天真爛漫」と書いてありますけれども、
ユニークとは、 雑念が入ってくると、他の物に束縛されてしまいますが、そうじゃない!これだとしたら、パンとある興味を持ったことなどに全力投球でボカンと、
電流が電線の中を流れ過ぎて、電流で電線が溶けちゃうぐらいの強烈な瞬間的なバーンと加速器で素粒子がぶつかり合うぐらいのエネルギーで、もうあることに当たるという部分があり、
普通の人はある程度リミッターがありますが、ユニークな人は、もう外れているというか、もうパコンといきますから、ブレイクスルーをできるとも、考えられるということです。
大体、今回、私が感じているユニークな人の特徴を色々とお話しして、
努めて誰々さんと歴史上の人名などを出さずに、非常にその一つの特徴として、私は逆に話して参りましたが、
本当に思うのが、ユニークさが、もう本当にもう閉塞していた社会は、ある意味その均一になりますから、
そこでやはりユニークで本当にピョンと出たような人が出てくると、社会は、また大きな相転移を起こして、すごい良い方向に行けたりしますから、
ユニークさとは、単なる個人的な資質とか、個人的な問題ではなく、
社会でも大事にしなくてはならないと、やはりユニークさを大事にした社会には、多様性があり、色んなアイディアが出て来て、何か問題をした時でも、ある方法がダメでも、別の方から解決できたり、
そうした社会の機転が利き、人間も社会も大きく人類全体が、非常に面白く生きていけて、
人生観に関係してきますから、ユニークは、もう本当に大事だとお話してこれたと思います。
それで私自身も本当にユニークな人たちを研究することが、一番面白いんじゃないかと、
私も本当に注目しておりまして、
まあ、もともと、皆さまから、よく小さい頃から、私がユニークだと言われるから、
まあ、私自身は普通にしていて、別にユニークにしているつもりはないですが、 「ユニークだ」ということで。
ここに出てきた言葉で「破天荒」、「好奇心」、「探究心」など、 「斬新さ」とか、(「型破り」とか、)そういうことですよね。
本当に「センシティブ」、「ピュア」などは、非常に確かに感じておりまして、
やはり、そうしたことを一つ一つ考えていく、深く探求していくということは、面白いですから、
これから、KF-Scholaでは、実際の歴史上に現れたユニークな人を探求していけるシリーズができたらと、今考えております。
それでモーツァルトは始まっておりますが、
やはり、ユニークでして、その一つの一例ではありますが、
そうしたユニークな人が、もう本当に社会でどういう関係をしたか、
歴史上にどういう役割を果たしたか、
他の人たちとどういう関係をしたか、
その人自身の中では、どういうことだっか、
ユニークな人の頭の中はどうなっているのか、そうしたことを、
多角的に色んな方向から、様々な資料を駆使して考えていきたいと思います。
今回もどうもありがとうございました。