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王羲之の人となりや生きざま、思いや考えなどが伝わる資料とはなどお話しました。Wáng Xīzhī, Chinese Calligraphy

王羲之シリーズが始まりました! 伝世法帖についておしゃべりしてまいります!

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2021年2月18日

皆さま、こんにちは!

今回は王羲之シリーズ、第三作目になりましたけどね!

前回は王羲之のこの字源がどうなっているのか、特にこの「羲」、更にはこの「羊」と「我」と下の部分ですね。これなんだと見てまいりましたけどね。

文字学や音韻学まで出てきちゃっておりましたけどね。そういった形でまああるもの見たときでも、あっちこっちに興味がいってしまってるとあるんですけどね。でも物を見る時には色々と多角的に見ることができて、それも一つずつ面白いんじゃないかということは、お話として伝わったんじゃないかと思うんですよね。

それで今回はこの王羲之、これからこういった王羲之などを見て行こうとしたときに、じゃあ実際にどうそのものを見ていったらいいのかと、そういうことを考えていきますと、一つ大事なことがありまして、

どういった資料などに基づいて、その物事を突き詰めていこう、探求したいという、そういった対象に向かえるのかどうか、ということをやってみたいと思うんですよ。

それで見てみましょう!今回この表を出してきたんですけど、基本的に要するに歴史上の人物というのは、やはり記録が残ってて、我々は今知ることできるんですね。

だからそういった記録が、先ずどういう記録はあるのかと全部を抑えてしまえば、大体物事を探求しようとしてきやその全体像というか、王羲之を知りたいなら、やっぱりその王羲之のデータがどこにあるのかということを知りたいんですよね。

それで先ずそれを知る事から始まってそれを分析するんですけども。

まずこの文献などを調べる文献学ということで、(英語で)Phylologyと言いますね。これはラテン語で書いてありますけどね。

それはまあ今は比較言語学とか、基本的に歴史言語学ということで比較歴史言語学とも合わせていますけどもね。

基本的に文献を研究していった学者は結局その言語の分析の方に行ったから、この言葉は今はもう言語学の意味になってしまったんですけども。

このね書誌学というbibliographyと、ギリシア語でβιβλίον, bibliomは本ですからね。それを学問しちゃったという(笑)そういう学問では、基本的に校勘学と色んな写本が伝わってたりして、その王羲之においてわはあとで出てきますけどね。

ある同じ法帖に対して色んなバージョンがあるんですよ!いろんなバージョンがあって、それでまあ基本的には一番古いものというオリジナルの形がいいというふうには言われますけれどもね。どんどん情報は劣化していってしまいますからね。

ですからオリジナルに遡ろるのがいいということはあるんですけど、まぁちょっと後の時代に出たものでも、その前に失われちゃったもっと重要な資料があったこともありますし、簡単にはいかないんですけどね。

そういうもので考証して考えなきゃいけないということでこういった文本鑑別というのは、鑑別するということなんですね。どれがね一番優れてるのか。

ですからこれ斠勘、これは校讎、校勘、これらは突き合わせるという意味なんですけどね。突き合わせて考えるということでね。そういうものはその原典で考証、考える、その来歴と来源と偽物か本物か、弁偽ということで、そういうことを考えているんですよ

それで王羲之の資料にはですね。まあ基本的に彼が歴史に名前が残ったのは、書人として名前が残りましたね。本当は王羲之はそういうつもりなかったんだと思うんですけどね。

まぁ当時から結構書の名手だってことはいわれていたから、それを意識してたんでしょうけどね。基本的には貴族とか、官僚とか、そういった政治に携わっていた人だってことなんですよね。

ですからそういった生涯なんかが、文献資料に残ってて、それでやっぱり一番大事なのは、これも先ほど申し上げた一次資料、これがねプライマリー・ソースが大事なんですよ。それに対してね研究とか、また孫引きとか、そういった引いたものがあって、それは二次資料って言いますけどね。

やっぱりできる限り原点の資料に当たりたいということで、よくちょっと私の中で王羲之の資料にはどのようなものがあるかって考えてみると、やっぱりお手紙ですよね。本人が書いたものそれも法帖という形でその書、書の蹟として伝わっているものと、もう内容しかわからないものと、ありますけどね。

記録が残ってないもの。それでそれが法帖は拓本という形だったり、敷き写しということをお話しましたけれどもね。

それと後は歴史書という形で彼の生涯っていうのが書いてあって、それをちょっと後でちょと見ますけど ね。

それとあとは彼が書いた文学作品などが残っている。蘭亭詩とか、それと彼が書いた書論、書について論じたもの、本物かどうか、ちょっとこれ分かんないけれども、彼の名前で伝わっているものがあります。

それと題跋のは、後の人が王羲之のそれを研究した。これはどうなんだこうなんだという意見を(法帖の前後に)書いてたりするっていうことで、彼の
残っているものがどんなものなのかとか、先行研究とか、そういうことなんです。

大体ここに挙げたことが資料のオリジン、その来源だということでして、王羲之はその一番有名な蘭亭序ですね。まぁ蘭亭詩というものに書いた序(叙)があるんですけどね。臨河叙ともいわれるんですけれどもね。これもまた問題があってね。

ちょっと見てみたいと思うんですけど、ちょっと後でね。これで用筆賦という、もうこれも賦というのは文学作品の様式で彼は書いたんじゃないかっていう意味で名前が伝わっているものがあるんですけれども、まあ彼の書いた文章

これは《右軍集》とこれ《全晉文》と当時の色んな他の人なども集めてやって、王羲之のの交友関係があった人たちも、名前が謝安とか出てましたけどね。そういったものも載っていたりしてるんですね。

あとは《文選》とか、《詩紀》とか、これらは結構後の時代に編纂されて、そういった形で(伝えられております。)

これで面白いことに王羲之の先生というのは女性で衛鑠という名前で《近奉帖》という王羲之について、これ(逸少)は王羲之のね字で載ってるんですよね。私の弟子がすごい真書といって、楷書が、小楷が上手だっていうことでね。うん、なかなかいいよと書いていると本当に筆もすごく強いと、

それで人より優れていると字体もなかなか優美じゃないかと、強さとねその美しさが、兼ね備えているみたいなね。まあこれも法帖だから本物かどうかは微妙で分かんないですよね。

ですからそういった形で残ってたりね。《世説新語》とは、当時の人の逸話、故事とか、故實、逸聞、逸事と書いてありますね。anecdoteと英語で言いますけどね。これは面白い!

王羲之の人となりが結構書いてあってね。面白いのが、この人が、王羲之を評して言ったというねこれ逸少は王羲之の字は、なかなか清らかで貴いと感じていたいうことであったりとか、これで王羲之は非常に本当に爽やかな人間だという痛快さとていうお話しましたよね。そういう風格があるんですよね。これ世の中に流されないというか、なかなか見どころがある人じゃないかと褒めてる。

それとかこれも今先ほど 申し上げたものをさらに挙げてますけどね。これ(清鑒貴要)、なかなか本当に爽やかで清らかな人だったという、そういうことが伝わってるわけなんですよね。

それでさらに王羲之というのはなかなか気骨がある人間だっていうことも書いてある。やっぱりそれは書にもやっぱり感じたことと、なかなかこういうものを見ると符合してるなという風に実感しているんですけどね。

それで房玄齡、これはもう唐の時代になってしまいますよね。褚遂良、ここに出ている人は碑を書きましたけどね。房玄齡碑と楷書でね。

《晉書》太宗皇帝がもう家臣の彼らに命じて作らせて、王羲之傳の所に自分で讃(誉めた称える文)を加えちゃっあと言う、そういう感じで王羲之に入れ込んでいたということでありますけれども。

それで褚遂良はその鑑定をして、全てね王羲之の(法帖)記録で何行でどんぐらい書いてあるかとか、内容も全部記録してくれてるから、もうそれで失われちゃったものもカタログとして残っている。モーツァルトのケッヘルカタログみたいな。

王羲之のカタログがあると、これ大事なんです。カタログ、書目、これとこういったこの人も唐の人ですけど、張彦遠《右軍書記》を書いていましてね。

それでこれら(朱長文《墨池編》)はもうちょっと後の(宋の時代ですけれども。)この彼(王羲之)の書論などを集めてくれていますね。陳思《書苑菁華》もそうですしね。

陶弘景の《真誥》とか、《太平御覧》とかは、こういったものは、どちらずとそのデータとして、何年に生まれたとか、そういうものも書いていてくれていて、《資治通鑑》にも出てくるしもちろん、《太平御覧》もすごい、これは宋の時代に出ました歴史書と類書と言いますけども、宋より前の時代のすごい大事な情報源です。

それで最近はもうこういった王羲之の全書翰を全部集めて研究しているという本もありますので。

そういったものが資料として使えるんだということをそれで基本的にこういった資料はできる限り、このKF-Scholaをやってますけどね

こういった系譜を考えて系統を考えるといった時には、そうすると基本的には同時代の資料

それが結構大事なわけでありまして、先ほど言った一次資料、プライマリー・ソースですからね。

こういったあとちょっと王興之墓誌など、後でちょっとみたいと思いますけれども、王羲之の一族まあこれをこの方は王羲之のいとこだった 。そういう人とか、李柏尺牘稿とか、樓蘭殘紙、これは当時の王羲之と同時代ぐらいの人は書いた書蹟ですね。敦煌寫經もうそれからちょっと後もありますけど、

そういったものと合わせて考えること、彼の書いた書を同時代の書蹟とね。突き合わせて考えること。

つまり王羲之の魅力とか、王羲之のユニークさを知るためには、当時の一般的な書というもの、もしくは周りにいた人が書いたものとか、そういったものと、それを見ていくそくことですね。

似てる部分って似てない部分があってそれをはっきり認識するということなんですね。それを比較すると浮かび上がってくるんじゃないかなと、王羲之のそのじゃあ他の人の名前は消えてしまって王羲之はなんで残ったんだっていうね。

そういうユニークさが分かってくるんじゃないかという事でこちらは面白くて、サンドイッチ作戦と名前を付けちゃったんですよね。もうこれは昔に私が思いついたというんですけれども、ものを考える時には、基本的にそういう、まあ王羲之をやろうとしたら、王羲之ばっかりを掘り返す。モーツァルトをやったら、モーツァルトばっかり掘り返すんじゃなくて。

基本的にはそのものの対して深く理解するためには、その背景となるその系譜、系統、こういったものを理解すること(が必要でして、)結局、王羲之が非常に高く評価した鍾繇とか、王羲之のちょっと前の西晉の陸機、この人も結構文学の方で名をはせていますね。

それでその人のたまたま《平復帖》が残ってたということでなかなか古いものが残ってて貴重なんですけどね。

ですからこういったものと古いこれは王羲之より前の人たちが書いたものとそれで王獻之とか、王徽之、これは子供ですね。

王羲之の子どもで《萬歲通天帖》と書いてあるこの唐の時代にそういったの王一族の書蹟を写し取った、敷き写し、雙鉤填墨していたものがあるんですよね。

それでそれもなかなか貴重な資料でして、王珣《伯遠帖》、これは肉筆の資料です。そういった王一族のもうちょっと後になるのかな、王羲之の甥くらいの世代になるんですけどね。

そういったもの、それでこれはもう後になってくる王獻之の教え子さん、羊欣とか、それでこういった人はもう後ですよ。

もうそれで王僧虔、この人も書論を書いていたりするんですね。この(《萬歲通天帖》)中にも入っているんですけれどもね。王一族の智永ですね。王羲之の子孫が書いた《千字文》、これも肉筆が日本に使ってますからね。

それで後は欧陽詢、虞世南、褚遂良などが書いた《蘭亭序》は超有名!孫過庭と陸柬之、この人たちも、もう王羲之の伝統を引き継いだ人たちという、その伝統の流れを汲んだ人たち。

そういったものをみると、これは結局王羲之の後の人たち、王羲之より前の人たちはこのあたりはもう同時代でもう完全な同時代

そういったねものなどを見ていくと、王羲之が挟み撃ちで分かるじゃないか、サンドイッチみたいに王羲之が肉だとすると、これからパンで挟んじゃうという。だからサンドイッチ作戦とこれ(三明治)は中国語でサンドイッチを漢字で当ててんですけれどもね。

そういうことも言えますしね。それで書蹟を見てみますとね。(英語で)calligraphy。

まぁ結局こういった故宮博物院が作った《王羲之王獻之書法全集》とか西泠印社《王羲之書法全集》など、こういった全集、そういうものをが来源になるんですけれども。

そこでねこの結局書蹟には三種類あり、まあもっと細かく分かれば四種類あり、完全な肉筆はもう一個しかないです。オリジナルですからね。それで王羲之の場合はもうそれはもうないんですけど、もう今は伝わってません。これは消えてしまった。

それで王羲之の一番いいじゃあそれに近かったものは敷き写しなんです。搨本、搨模本、雙鉤填墨と言いましてね。籠文字をして中を塗りつぶすという、

なかなか芸が細かいんですけれよね。本当に毛の一本一本くらいまでやって、かなり時間がかかりますけれどもね、。それは唐の時代によく宮廷で作られました。

それでこの摹本というのは臨書ですよね。平たく言ってしまえばね。それでそれもうね唐の時代から結構やってます。もうたくさん残ってて、それでこの間の例えば搨模本というのは、要するに籠文字でとって、その中はまあある程度臨書で書いて埋めたみたいな。完全な雙鉤填墨じゃないけど、やっぱりそこの後の籠文字をとってから、中を埋めるのが結構大変だから、

そこをもう臨書みたいにしちゃったという微妙な間のもありますけれどもね。だから二と三はまあ写した本ということでね。

やっぱりでもこの籠文字でとった方が、一番見て臨書したものよりも、完全に位置とか、その線の太さなんかも一致しますからね。

だからこれが一番今は王羲之の中では基礎となってくるんじゃないかということで、これをこれから見ていきたいと

それと拓本はそういった宋の時代でもうちょっと前ぐらいからあるんですけれども。唐の時代ぐらいからもう結構拓本で碑を取ったりすることもありますけど、法帖などはこの《淳化閣帖》とか、宋の時代からでている《十七帖》とか、王羲之の書が集められた集字聖教序とか、興福寺斷碑とか、これも結構この有名な二つ以外にもいくつかあるんですけれどもね。

そういったもの拓本からもそれは字形しかわかんないんですけどね。そのもう本当にコピーにコピーですからという理由でね。

まぁ一番王羲之を知りたいんだったら
やっぱりこの本当に雙鉤填墨で結構日本に素晴らしいものが伝わってるんですけどもね

これでいこうということで見ていきたいということで大体これで全部、全体的に伝わった王羲之の資料というのが(分かりました。)じゃあ実際ちょっとみてみましょう。

例えばこういったもう全部漢文で書いてありますからね。古文、文言文で書いてありますが、この《晉書》の列傳が必ず史書にはありますからね。

そこで王羲之のそのバイオグラフィー、人生が経歴が書いてあるわけですよ。それで結構面白いのがやっぱり少し大きくなった時にはあんまり喋れなかったみたいですね。

それでしかも気骨があるという。それでもう書がやっぱり巧みだという。隷書というのは今で言う、楷書と隷書の過渡期にあった書体、もう大きく含んでるんでしょうけれどもね。もうなかなかこのすごいということですよ。昔と今に比べてもというこということで書いてあって、まあここ(飄若浮雲)はちょっと表現が飄々としているとか、

それで(矯若驚龍は)なかなかドーンとくるような面白さがあるとか、深さがあるとか、書いてありますけど、やっぱりその人間性みたいなものを感じさせると書いてありますよ。

面白いのが彼がここにも引かれちゃうくらい面白かったのが、郄鑒という人が、この人が自分の娘の結婚相手に王羲之の家に使者をよこして、誰がいいのかを選んできて欲しいと言ったら、他の人たち(王羲之の兄弟たち)はみんなすごいもうシャキンとしていっているんだけど、一人王羲之だけが、

ベッドの上で腹を出して食べていたという(笑)、我関せずやという感じでね。それを見た使者から聞いた郄鑒がおおその人が面白いじゃないかとお婿さんが決まっちゃったという、有名な東床坦腹という故事がありますけれどもね。

そういったちょっと面白いエピソードがあったりして、これでそこで見てみますと王羲之はやっぱりユニークだったということですけどね。

中国人というのは、結局そういう何か他の人にねくっついて行かないっていうか、そういったねちょっと一人ポンと出てるような、そういう人を結構おもしろがるという、そういう(傾向があります。)

だから結局歴史に残るというのは、普通の人の普通な行動というのは残らないわけでして、こういうちょっと面白い行動なんかが逸話として、いっぱい書いてあったりして、歴史書は面白いんですけどね。そういう意味でね。

なかなかヒューマンなところがあるということです。そういうことで結構中国人は伝統的にそのウィットとか、
まあヨーロッパの言葉を使うと、それとかユーモアなんかが結構あって、そういった話が結構よく伝わっているんですよ。

例えば王羲之と同じ時代にいた顧愷之という人がいますけど。その人なんかは、笋(サトウキビでした)かなんかをもう普通だったら美味しい所から食べるのになかなかね彼は違うところから、味が薄いところから食べていくということでね。他の人が何でそうなんだって聞いたらね。

いや、段々とその美味しいところに近づいて、その境地に入っていくとくるというような話(漸入佳境)をしたわけでね。普通の人とは違うけれども、その人にはその人なりの考えがあるというか、それがおもしろいということで記録されちゃった(笑)そんな話が私は好きでね。

歴史書を読むと大きな事件とかよりも、そういうほうが面白いんですね。人間味あるというか。ということでちょっと横道に逸れてしまいましたけどね。

王羲之には中には先ほど申し上げたように書論が彼の名前で伝わっていて、やっぱり私がお話したみたい王羲之の書というのは、なかなかすごいパパーンて来るよりも、もっと安定感とか、そのすごいピシャときてるんですよ。

全体としてもしっかりシャキンときている。それはやっぱり彼自身もそういうことを言ってますよね。

淡々とした中にも変化がある(夫書字貴平正安穩)と、そういったものが書いてあるんですよね。

これでやっぱり筆の使い方、用筆が大事(先須用筆)であって、それでそういった細かい注意ですよね。

そういうことを書いてくれてたりして、それで面白いところに私が赤くして(強調しておきましたが)、他のところも面白いんですけど、おおというところにちょっと赤くやってみたんですけれどもね。

他のとこも大事ですけど、これでここで見てみますよね。

例えばお話したみたいにずっと結局王羲之の書をやろうとしたら王羲之のその時代の楷書とか、行書とか、草書、今でいうそればっかりやるんですけれども、実は篆隷(篆籀は小篆の篆文と大篆の籀文)とか、

一個前でみましたよね。字型の変化でしたけれども、その用筆その筆の使い方、筆の持ち方、筆の動かし方、執筆法と言いますね。執筆と用筆

そういった筆法、筆の法、それがすごい大事で王羲之自身も八分というこれは隷書、それで篆隷を書いていますね。こういった話が出てきてるんですよね。

それで縦画はすごい深い森、失礼しました深い林にポーンと高い木がポッと立ってるようなストーンと来るということですよね(豎牽如深林之喬木)。

それで曲がったところは鋼の言ってみれば曲がった鉤

これは鋼が曲がった鉤みたいにギッと強いわけで、その点折と言いますが、屈折点がね(屈折如鋼鈎)。

それとか書いてあるわけなんですよ。尖ったところがシャキンとしてるということ(上尖如枯稈)でして、そういいう話(下細若針芒は下側は針のように鋭いなど)

それであとはこれはもう鳥がストーンと落ちてくるくらいの勢い(飛鳥空墜)だとか書いてますよ!水がシュワーッとか(流水激來)、そういうことで表現してましてね!やっぱり書は強さと勢いと、あと細かい変化とか重要点が書いてあるんですけど、なかなかこういったのは表現がアナロジーで書いてあるから、想像しながら読まなきゃならないんですけどね。

それでもう一つその《蘭亭序》もこの有名な文章が書蹟として伝わっていますね。でも実はその《世説新語》にひかれている逸話で引かれているところでは、王羲之がその臨河敘という、蘭亭序と書いてないしね。しかもこの序・叙の字も違うし。

この中では大分は一緒、これ赤にしたのは、今度これは要するに違う部分、異同がある部分、違う部分をもう一つ一つ選んでよく見てみたら、後のところなんてもうほとんど真っ赤っかでここしか残っていない(笑)

ということでかなりこれ(臨河敘は)短いんですよね。それでしかも最後のところにちょっと會稽にみんな集まった人の数とか、それとあとは杯がその流れて来て、曲水の宴ってその水を庭に引いてきて、杯を流して次の人の所に流れてくる前に詩を作らないと

(その盃に盛られた酒を)飲まなければいけなくなっちゃうという、そういう罰ゲームみたいなものがあって、そういうことで書いてあるんですよ。

それでこの人生観みたいな王羲之が述べたと言われる人生観の所がごっそりとなくなって、このもう少し客観的な説明になってるんですねということでして、まあ序だからこの序文はちょっと私的な感情が入りすぎたから削除をして、こう書いたのかというのはありますけどね。

最初な入りのところは残したんですけど、こう見ると、だから蘭亭序は偽物じゃないかみたいな、こういったもう話も出てますけどね。まあ基本的にこれ草稿だから、

有名な顔真卿の《祭姪文稿》なんかも、稿だから、もう書き直したところがグチュグチュと潰したところもあるくらいでもう忘れちゃった文字ヲポンと入れたりとか、そういったこともありますからね。

だからそういう意味でその実はその草稿のほうが面白いんですけどね。書いた人の気脈があって、あんまりその本当に普段の状態が現れるわるから面白いんですけど、ということでまあ次に行ってみましょう!

という感じでその《蘭亭序》の《蘭亭詩》を見ますとね。これもなかなか面白くて、この王羲之の詠んだ詩が載っているんですよ。

それで有名な部分がこの赤で出したんですけどね。なかなか使っている言葉が意外と直感的すごくねもう普通中国のその古典語、文語、これは文言と言いますけどね。もしくは古文と言いますけどね。結構ねなんか慣用句とか、もしくはもうみんなが知ってるクリシェと言いますけどね。故事成語なんかをいっぱい使う。

だけれども王羲之はそんな使わないで結構素直にね思った言葉をパンパンと(使い、)しかもイマジネーションが雄大だなと感じるのが、まあ蘭亭序のどころにも出てきましたけれども、この(仰視碧天際)、仰ぎて視る、碧天の際とか、

それで(俯瞰淥水濱)俯して瞰る、淥水(ろくすい)の濱(ひん)かな

要するにもう空を仰いだら、もう本当に青い空の果て先まで見えてるんじゃないかとか、もう宇宙の際まで見えちゃうんじゃないかということ、

それで下を見れば水が、これ(淥)は緑という字の糸偏を書けば緑ですからね。青々としているということで書いていて、なかなかイマジネーションが、そのものを見たときの雄大さというか、王羲之のスケールが現れるんじゃないかと感じるわけですね。

読んで読んですごくそれをこれ(寥闃無涯觀)は何ですか、寥闃(りょうぜき)と言いますよね。として、涯觀なくと言えると、

そして(寓目理自陳)目をこれ(遊目騁懷)も《蘭亭序》の中で出てきますね。目をね寄せるとかありました!そうすると理が自らの陳ぶということで、おおなかなかその《蘭亭序》で出てくるような雰囲気がこの中にも現れてるんじゃないかと感じて、すごくものを見たときにそこからその自然の営みが見えてくるということ、それが現れてくる、しかりと表れてくるみたいに書いてあるわけですよ。

それですごいことにそこからいきなりこれ(大矣造化功)、大いなるかなというか、これは感嘆詞!造化の功ということで自然のその動きがすごいじゃないかという、天地の動き、万物の動きが流転するようなことが書いてあったりして、おお!

これ(萬殊莫不均)も《蘭亭序》(趣舍萬殊,靜躁不同)に出てきたと思うんですよ。これ萬殊も均しからざるなしということでね。これはまあ荘子とか、老荘思想を当時は玄学と言いましたけどね。

荘子なんかに近いすごいスケール感というか、ちょっと荘子なんか王羲之が好きだったんじゃないかな。愛読していたんじゃないかなと思うんですよ。

こういった表現なりこの感じ方すごいねそれを親しさを感じますよね。そういった形で非常に王羲之のスケール感がこれ一行、二行を見ただけで感じられるんじゃないかと、

まあ基本的に私はもうこういうものを見たら、本当に中国語のまま、バンバンと読んじゃうですけどね。この漢字見ればもう書き下すなど、戻ったりすると面倒くさいから、もうパンパンとこれを見れば意味わかるんですよ。

パッパッと慣れてくれば、句点も打ってありますね。句というかこれは韻文だから、きちっと句切れがはっきりしてるから、なかなかそれも分かりやすいしね。

そういった詩を結構、王羲之は書いているんですけれどもね。なかなかこれ(《答許詢詩》)とか、水とか、竹とか、林とか、そういった自然を結構愛していたと王羲之は言えるんじゃないかっていうことでね。

そこでやっぱりなんか思索にふけるというか、そういったね姿が詩の中に出てるんですよね。

それでしかも《用筆賦》と言いますけどね。昔から今に至るまで、もう鍾繇といましたよね。黃綺というこの人はねちょっとあんまり作品は伝わりませんけれども(陶淵明《飲酒詩》に夏黃公と綺里季と出てきまして、)張芝いましたと、用筆が神妙ということでね。

賦曰くとずぅーっとここに続いていくんですけれども、まあこの形式は漢代に流行った形式でまあ司馬相如とかが有名ですけどね(《美人賦》《子虚賦》《上林賦》《長門賦》など)

それでそういった人たちが作ったものに即してやっていますから、なかなかこれは文学的ですけれども。まあ言ってみれば、表現が面白いですけれどもね。

結構私が気に入ったところ(如花亂飛,遙空舞雪)はですね。この花が乱れ散って飛ぶが如く、それでもう遥かの空に雪が舞っていると、なかなかいいんじゃないかと、

まあこれなどを見たらもうタンタン、タンタンと読むんですけどね。これ今(の中国語)だったら、これは、如花亂飛(rú huā luàn fēi)、それで遙空舞雪(yáo kōng wǔ xuě)と、まあこれは二声になっちゃうかな三声が、次が三声だから、

ということで、こういう風に読めますけれどもね。当時の発音は中古音だから違いますけれども、今の北方の官話はだったらこんな感じになっちゃって、今の中国人はそのように読みますからね。

まあ大体この句の切れ目が大体わかれば、パパパパと四、四、四できて、六、六とか、そういうこの賦の形式に従ってますからという感じでありました。

そして次に出てきたのが、これはまあちょっとおまけという感じなんですけどね。王羲之の顔としてよく出てくるんですけどもね。

でもまあ明はもう王羲之が亡くなってから、1000年以上もあとまでしかさかのぼらないから、もう1700年なんてもう最近ですよね。もうこれはモーツァルトが生まれる13年前ですか、もう最近ですよ。

だから千年も経っているから、本物かは分かんないけど、何で出てこないんだと言われるとあれですから、ちょっとオマケをしておきましたけれども。

そしてこれが房玄齢らが編纂した《晉書》でこの後4巻なんかねもう神の子だよね呉士鑑は清代の考証学家でこういった本や歴史書を校勘してくれています。

《晉書斠注》と校勘して注釈してくれてるんですけどね。それを持ってきたんですよね。

というふうに書いてあるから、基本的にこれは私は全部引用した時には句点を打って、標点がありますけどね。(こちらには)ないんですよ。

まあでもこういう助字、也(なり、や)、これで文の切れ目っていうのは分かりますね。ここのところでここで切れるなと、それを読めば結構ね慣れ慣れていくわけですね。分かるということで出してきました

先ほどみましたねこの辺りにあります!

それとこれも先ほどチャランと出てきましたけれども、これも衛鑠夫人ということで《近奉帖》とこれは《淳化閣帖》ですから、本物か分からないですけれどもね、これ自体はね。でもやっぱり王羲之の小楷に近いところがありますよね。

それでここに書いてあるんですよね。弟子がいますと先ほど選んだなかに書いてあるんですけどね。こういったものもあったりね。

それとこれは王興之であとはこれは珍しい漢字でこれは王仚之と読むらしいんですけれどもね。

これで2人とも王羲之のいとこに当たる人ですね。もう同時期ですよね。王羲之が生きてる時でこれはちょっと後で王羲之よりちょっと長生きしたのかな。

こっちの方がいとこでも(世代が)ずれてるからということでね。王羲之がまだ生きていた時に作られたものですよね。こういった面白い。

もうこれは爨宝子碑(大亨4年、義熙元年、405年)というのがありますけど、この時代ぐらいかなもっと南なんですけどね。それにも似てますけど、当時の銘石の書というかこの書は全然ちがいましたね。一個前の紙に書かれた文字とは法帖とはですね。

こっちは結構筆意がハッキリしててなかなかこれも面白いんですけどね。

こっちはきちっと刻んでますよね。こっちはちょっと実際に書いたものをそのまま刻したような感じでね。もっと肉質に近いような感じでなかなか面白いんですけどね。線質が見えてますからね。(その他に王彬子や王丹虎の墓誌も象山王氏家族墓地(江蘇省南京市鼓楼区幕府山西南)で発見されています。)

そういった形でこういった資料でもう当時の資料でも分かってくるんじゃないかということで、なかなか今回はいろんな資料をチャランとご紹介しながら、ちょっと戻ってみてみますね。これ、これもみましたし、こんな感じでいってまいりました。

今回こういった形でしたけれども、これからは、まあ実際に書の方で興味があるとすれば、この書蹟ですよね。

どういう書を書いたのかということをどんどんやっていきたいと思います。もうこういうことはすごい大事なことで先ず土台となるねその枠組みを今回は皆さまにご紹介できたんじゃないかと思います。

今回もどうもありがとうございました。感謝しております。

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