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モーツァルトのオペラ Il sogno di Scipione アリア Ciglio che al sol si gira, KV 126!

モーツァルトのオペラ Il sogno di Scipione アリア Ciglio che al sol si gira, KV 126!

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2021年6月15日

皆さま、こんにちは!

モーツァルトの作品を見ていきましょうというシリーズが続いておりますけれども。

最近はかなりオペラのアリアが多いですよね。

と言いますのは、結構、若い頃のモーツァルトのオペラのアリアは、

あんまり聴かれる機会が少ないんですよね。

やっぱりモーツァルトの晩年、といっても30歳ぐらいですけども、

その辺りで書かれた作品が多くよく聞かれているということですね。

このシリーズでは、基本的にモーツァルトの傑作を聴いてみようということもいたしますけれども、

やはり彼がどういう過程でたどり着いたのかというところに非常に興味がありますから、

10代とか、20代くらいのモーツァルトの作品をたくさん聞いていきたいなと思ってるんです。

時系列にずっと続いてきているんですけれども。

今回はそういったシリーズの中で「シピオーネの夢(Il sogno di Scipione)」と書いてありますよね。

これを聴いて見たいと思うんですけども、

この作品は、1772年にザルツブルクの大司教シュラテンバッハ大司教という、ザルツブルクの非常にモーツァルトに寛大だったと言われている大司教がいたんですけれども、

そういう人が50周年記念!すごいですね!

半世紀も、ということで計画されたんですけども、

実は1771年の12月にいきなり亡くなっててしまって、

それであの有名なモーツァルトの天敵のコロレド大司教が着任したということで、

その祝典のために演奏されたと考えられておりまして、

まあ部分的に良いということを言われてますけどね。

それで序曲を改作した交響曲第50番(KV 161 & 163 [141a])と、

第41番「ジュピター」より後は、結構若い頃に書かれた交響曲ですね。

といいましても、当時はシンフォニア(Sinfonia)と言っていて、

こういったオペラの序曲が、交響曲になっていくという、

交響曲というジャンルはSinfoniaといって、

色んなセレナータみたいなものとか、(ディヴェルティメントとか、)

そういった境目が当時は微妙だったんですね。

一つの独立したジャンルではなかったんですけれども、

この「シピオーネの夢」は、非常に面白い来歴でして、

メタスタージオ、いつもいますけれど、

彼が書いた台本によるんですけれども、

元々シピオーネとは、スキピオですよね。

古代ローマの政治家であり、司令官であったということですけれども、

二人いるんですよね。

有名なスキピオ・アフリカヌス(Publius Cornelius Scipio Africanus Major, 236-183)という、「大スキピオ」の方ですけども、

このスキピオは、その義理の甥っこに当たる、

プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・アエミリアヌス(Publius Cornelius Scipio Africanus Aemilianus, 185-129)という方、「小スキピオ(アエミリアヌス)」と言われるんですけど、

若い方ということで、

先ほど申し上げたおじさんは、

第二次ポエニ戦争でてカルタゴと戦った、

そこで大活躍した大スキピオでして、

当時ハンニバルという有名なカルタゴの大将がおりましたけど、

その人はすごかった!ちょっと見ていたいと思うんですけれども。

彼はローマから見れば、地中海を隔てて対岸、

今のチュニスですけども、カルタゴで生まれて、

今で言うスペイン、イベリア半島の南部あたりまでかなり強かったカルタゴですが、そこで軍隊を指揮して、

今のイベリア半島から、南フランスプロヴァンス地方を通って、マルセイユとかがありますが、

北イタリアのトリノ辺りまで、イタリア半島まで来て、ローマまで来ちゃったという、

ローマ帝国は非常に危険だった!当時は拮抗してだということで、

非常に防戦しまして、その人がスキピオ・アフリカヌスですね。

この人が防戦して、それでまあ何とかカルタゴをやっつけたということで、何とかなったんですけれども、

そこでそのやはり義理の甥子に当たる小スキピオは、この貨幣にありますのが、大スキポオですけど、混同してはいけませんけど、

非常に名前も似ていて、(大スキピオは)スキピオ・アフリカヌスと(小スキピオは)スキピオ・アフリカヌス・アエミリアヌスですから、

非常にややこしいことですが、この小スキピオがカルタゴに近いところ(ヌミディアのマシニッサの宮廷)にいた時に夢を見たということで、

しかもその義理のおじさん(物語ではおじいさん)この人が出てきて、

宇宙から見たローマは小さいちっぽけだみたいなことを語る夢を見たということで、

それをキケロ(Marcus Tullius Cicero, 106-43)が、

ラテン語の散文、特に演説で有名ですけれども、

大体紀元前の50年頃(前54-51年)、今から2060年前ですか!

その頃に書かれた《国家論(De re publica)》という、第六巻の最後のところに「スキピオの夢」とは、

ラテン語だとSomnium Scipionisと言いますけれども、イタリア語ですとこちらIl sogno di Scipioneですね!

そういった形で伝えられてきて、

更にシリウス・イタリクス(Tiberius Catius Asconius Silius Italicus, 26-101)が書いた《プニカ(Punica)》とフェニキアの事ですが、

特にカルタゴのことですけれども、

その第15巻にも書かれていたりして、

それが中世に伝わってよく知られていた!

キケロの《国家論》は散佚をしてしまったけれども、

当時の書籍はパピルスに書かれていまして、

それを古代ローマが滅んだ後、中世に入る頃に羊皮紙に転写されなかった古代の書物はみんな失われてしまいましたけれども、

この「スキピオの夢」は伝えられたということで、ずっとよく知られていた物語でして、

こういった形でメタスタージオが台本を作って、

今言った二人のキケロとシリウス・イタリクスのバージョンを混ぜて、

しかも、イタリア語でといった形で出来ていますけれども。

フェニキア人は非常に地中海でギリシャ人とか、ローマ人が台頭してくる前から貿易していて、

フェニキア文字が、ギリシャから、更にエトルリア通って、ローマに行って、

全部で違う言語なんですよね。

フェニキア語はセム語派ですね。

ギリシャ語は印欧言語のヘレニック語派(ギリシア語派)ですね。

それでエトルリア語は系統不明ですよ!

本当にそれでローマのラテン語はイタリック語派、印欧言語ですよね。

全然違う言語だけれども、

そのフェニキア文字が伝わって、アルファベットとして、

我々ここに沢山書いてある文字、

これはみんなその子孫ですけれども、

更に先ほど申し上げたハンニバルは、

イベリア人たちとも会って、

イベリア人もまた系統不明のバスク語に近いじゃないかと色んな説があります言語です。

その人たちも、そのアルファベット、音で書いて、音素文字だから書けたんですね。

そのフェニキア人が、カルタゴに行く前は、

今のイスラエルあたり、レバノンとか、

その辺りでアラム文字ができて、

それが東に行ったのが、インドの方まで行って、

それがアショーカ王のブラフミ文字です(インドや東南アジアの文字の祖となりました)。

それで更にレパントと言いますけれども、

今でイスラエルやシリアとか、レバノン辺りでは、

ヘブライ文字とか、シリア文字とか、ナバテア文字といい、これはアラブ族だったんですね。

それで更にそれがまた変わっていって、アラビア文字になったり、

東にどんどん行って、ソグド文字でソグド人たちの言語は、ペルシア語派で印欧言語。

そして更にトゥルク系の言語、突厥文字になりまして、

それで更に(テュルク語族の)ウイグル文字とか、(モンゴル語族の)モンゴル文字とか、(ツングース語族の)満州文字まできちゃったんですよね(それらはアルタイ諸語と言います)!

そういった形でアルファベットの起源になって、すごく影響力があったんですね!

もう玉つきのようにして、西から東まで、殆どのユーラシア大陸(の隅々)まで行っているという、本当にすごい!

それでそのフェニキア文字をちょっと見てみたいと思うんですけども。

その前に面白い話がありまして、

そういった古代の文字を18世紀のフランスの考古学者ジャン=ジャック・バルテルミ(Jean-Jacques Barthélemy, 1716-1795)が、

先ず、(セム語派アラム語パルミラ方言を記した)パルミラ文字を非常にヘブライ文字との関係で読むことができた!

そして、ギリシャ文字でも書いてあったから、

それでそれらの知識を組み合わせて、

そんなに難しくなく読めたというのは、

殆ど同じ先祖とから分かれたものですから、

そして更にこちらフェニキア文字(Alphabets phéniciens)も読めた!

更に彼はかなりの数の先ほど見たようなコインですよね。

貨幣を当時はメダルと言ってたんですね。

貨幣の文字を研究して、これでフェニキア文字を読めましたということで、すごいですよね!

これはモーツァルトが生まれるちょっと前の話ということでして(先ほどのパルミラ文字が解読された1754年と混ざり間違えましたが、フェニキア文字が解読された1758年でして、モーツァルトが誕生した1756年は丁度その中間です)、

非常に影響力のある文字でしたということで、

いつものケッヘル・カタログを見てみたいと思います。

ありますね!

「スキピオの夢」と今回聴いていこうとする非常に美しいアリアを探して見ますよ!

ありました!

Ciglio che al sol si gira、太陽に向けられた目という意味ですけど、

楽譜をちょっと見てみたいと思います。

こちらですけれども、シンプル!

ここに歌の旋律がありますけども、

いつも言っております、

弦楽四重奏の形でして、

そして歌があるという形で、

これをフルートなりに取り替えてしまえば、

フルート四重奏曲みたいだということでね。

非常にしかも細かいアーティキュレーションが、こういうところとか、すごい面白いわけですよ。

まあ、これを見て見ると、#が3つ付いてるからイ長調と分かるんですけども。

まあこれをきてみましょうか!

ということで行ってみましょう。

いいでしょ!細かいアーティキュレーション!

ブワーンときました!

ここ通奏低音が連打で押している!

下がってきている。第10小節ここで一緒になって、おお!第一ヴァイオリン!

おお!第二ヴァイオリンが来まして(対話をして)、

一緒になりました!

ここいいですね!

第二ヴァイオリンとヴィオラが非常に動いで優雅!

ここはすごいエネルジェティク!

ね!いい感じになってきた!

歌が入ってきますね!Ciglio che al sol si gira (陽に向けられた目には、)

ここは(通奏低音のパルスで)押している!ヴァイオリンが一緒に沿っている!Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

お!(第29小節でmiraに合わせて、)今度は通奏低音が(動きまして)、ここはパーンと鳴った!Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

ここのヴァイオリン、二重に入ってきて、ものすごくいいですよ!ここの入り方!Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor.(それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

ここで畳みかける!Ciglio che al sol si gira (陽に向けられた目には、)

(第36小節)おお!入ってくる!ナポリ風だ!Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

余韻があっていいんですよね!この後のオーケストラの所!

ここで上がって、ここ(第37小節)でホ長調になっていますよね!Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor.(それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

オーケストラが軽くなっている!

歌がすごい盛り上がってる!

おお!(高音に)抜けていますね!

最高(笑)

(第55小節)畳みかけるように歌い回しです。

滑らかな下降、微妙なこの半音!

ここで間奏がちょっと入ってくるところがいいんですよね。Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor.(それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

(第63小節)ここも(オーケストラが先取りして、歌が追いかけるように)沿って同じ形!

おお!細かい!

間奏!

(第71小節 ロ)短調になりましたね。Ciglio che al sol si gira(陽に向けられた目には、)

ね!すごい情感がたっぷりです!Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

ここでちょっと(繰り返しで)長調ぽくなったでしょ。Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

ここのところはすごいシンプルな(オーケストラの伴奏で)ちょっと加えてますね。Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor.(それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

ちょっとここで(装飾を)加えています!

ここはいい!受けている!

今度は上がった滑らかで優雅!Ciglio che al sol si gira(陽に向けられた目には、)

Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

このgiraとmiraが非常に美しく韻を際立たせていました!

ここでまた一緒に来ているんですね。

細かくなっている!

(第94小節)今みたいなモーツァルトらしい!Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor. (それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

後からついてくる快感!

いいですね!高いところで!

この所で(オーケストラの伴奏の)付け方がいいですね。

応じた!Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor. (それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

いいですね!

細かくなった!

この盛り上がりをヴァイオリンに引き継いでいる!

少し即興的になりましたね!

グーンとくるかな!?

来ました!!

ここでオーケストラが入ってきましたね!

それで前半部分が終わって、真ん中に行くわけですよ!

(第125小節)これは#が1つキャンセルされているから、ニ長調なっているかな。Chi lá del Nil cadente | Vive alle sponde apresso,(遠くにとうとうと流れるナイル川の近くに住んでいるものには、)

がキャンセルされました!

ここいいでしょ!

上に上がった!

ここのところでヴァイオリンが盛り上がりがいいですね!Chi lá del Nil cadente | Vive alle sponde apresso,(遠くにとうとうと流れるナイル川の近くに住んでいるものには、)

ここはちょっと短調ぽい!Lo strepito non sente | del rovinoso umor.(烈しい限りの流れのすさまじいざわめきは聴こえない。)

(第127小節)ここのところはヴァイオリンがぶつかっていたのが微妙で良かったですよね!

(第135小節)短調でしょ!

う~ん!

それで今のところでさっと転調した!

ここは細かいでしょ!(第140小節 順次上行の通奏低音)

ここは空いた!もう一回!Ciglio che al sol si gira(陽に向けられた目には、)

短調ぽい!Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

(第150小節)ここはロ短調ぽいという感じですね!#が2つかな!?Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

あ!もう戻った!Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor. (それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

細かいですね!

この今度はディミニュション(分割変奏)!

おお!ここで鳴っている!

盛り上げて、応じました!Ciglio che al sol si gira(陽に向けられた目には、)

おお!ここは細かく非常に盛り上がった!細かく装飾された。Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

グーンときて、ここでディミニュションしてきて、モーツァルトらしい!Non vede il sol che mira,(その目を向けている陽は見えないけれども、)

丁寧に歌っております!

それで歌を聴いてちょうだいという感じで、もう全てが他のパートがリズムセクションになっていますね。

(優雅な順次進行で)下がってきて、

(第183小節)情感の高まりと鎮静をしていくという、このバランス、モーツァルトの特徴です!

Confuso in quell'istesso | Eccesso di splendor. (それはあまりにも輝きの深みに眩んでしまいます。)

ね!ここでバーンと入って!

ここも変えた!

応じる!

第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、第一ヴァイオリン、ウーンと来て!

カデンツァ!

来ましたね!

良かった!

これで(オーケストラによる)コーダですね。

といった形で、こちらのアリアは、

非常に端正に書かれてまして、

とても当時の様式に忠実じゃないかと思うんですけども。

やはり、モーツァルトは細かいところが、オーケストラと言っても、まあ弦楽四重奏みたいな感じですけれども、

そういった弦楽パートと歌の対話など、

細かい装飾の配列とか、

装飾とその盛り上がったところから、鎮静してくるところとか、

非常にバランスが良くて自然なんですね。

とにかくモーツァルトというのは!

しかし、その中に変化があると分かってきたと思います。

大体やはりモーツァルトの作品は、どこを切り取っても細いと言うことで、

センシティブじゃないかと思いました!

戻ってみますね。

「シピオーネの夢」を楽しんでまいりました。

これからもこういったモーツァルトの面白い作品をあんまり知られてないものも含めて、

どんどん取り上げて行って参りたいと思いますので、

KF-Scholaを何とぞよろしくお願い致します。

今回もありがとうございました。

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