「各」「格」について、甲骨金文、楚簡や帛書、歴代の字書などを言語と文字の関わりから捉え直してまいりました。編集チームがハイライトを付けましたので装いを新たに話が追いやすくなりました。お楽しみ下さりましたら幸いです。縱談語言學、音韻學、訓詁學、文字學,長達一個小時左右了!
KF-Schola / 探究の探究では、頻繁に新作を更新する予定ですので登録下さいませ!https://www.youtube.com/channel/UCFO5Akv8rd0CO4lahUGn6jg
最近Twitterで編集の裏話や新作の動画の告知を始めました。フォロー下さいませ!https://twitter.com/KF_ArSin
姉妹チャンネル KF-Ars Sinica / 系譜でたどる中華文化 もエキサイティングです!https://www.youtube.com/channel/UCVcCcF62H09v8Yk3mkU8ojg
2021年6月26日
そして、今まで言語に関して、ものすごい色んな構造は、どうなってるかとか、
それが漢語においては、文字とどう関わるのかという、概論的にその全体を大きく見通せる発想として見てまいりましたけれども。
ここからは、実際に本論に行ってみたいと思うんですけど、
先ずは、前の動画で致しました中から、
これでまた新しく、どこが改訂されたかについて、
ちょっとお話してみたいと思います。
一つ目、この「各」という字と「丯」という字が付いているこの形の「𠲱」が加えられたということ、
これは、後で大事で出てくるんですけれども、検討したいと思っているんですけれども、
それを加えましたということ。
それとこの「丯」という左の部分についている意符というより、
何か声符らしくも振る舞っていて、この音は*kreːds, *[kˤet]ですけど、
結構、音も近いということで、
まあ、そう考えると、この「格」*klaːɡ, kraːɡ, *kˤrakとありますよう、両方とも音(声符)ぽいという感じもあって、
それでしかも、それが後で「戟(丯+戈)」*kraɡ, *[k]rakという戈がありますけど、
それとも、どうも関係してくるんじゃないかということで、ちょっと加えておいたこと、
もう一つは、この切るという漢蔵祖語*(m/b)rakから出ている部分がありますけど、
この金偏に「各」がついた形「鉻」、もしくは「各」に「刀」がついた形「㓢」は切るという意味でありますから、
これは関係してくるとここに入れたり、
それとあとは、こちらの手偏に「各」の場合「挌」は、攻撃の「撃」だから、
こっちの漢蔵祖語*g-raːl ⪤ *g-ran ⪤ *rayに関係している!
ここから来たんじゃないか、ということで加えました!
それとこちらの「畫」*ɡʷreːɡ, *ɡʷˤrekに関して、どこを変えたかと言いますと、
この「斠」*kroːɡ, *[C.kˤrok]という字がありますけれども、もしくはBaxter-Sagartの復元はないですが、(鄭張尚芳の再構や反切)が似たような字から、*[C.kˤrok]という形で考えるんじゃないかなと、
「斠」はやはり考えると意味があるんですよ。
やはり、だから、語源的には「量る」とか、「計画する」という、
漢蔵祖語*(g/k)raŋと関係ありそうということで置いておきましたということ、
それと一番大きな変化が、
格範とか、格律とか、法律とか、決まりとか、規範とか、
もしくは、格調とか、格韻という、品格とか、人格とか、
そういった言葉は、もしかしたら、この漢蔵祖語*(g/k)raŋ「量る」から行っていなくて、
更にもう一つ語源を提案できるんじゃないかとこれ一番大きい変更ですよね。
漢蔵祖語*ŋra-k/ŋは、威儀を調えるとかそういう意味でして、後で見てみたいと思うんですけれども、
この語源は、まだ分かってなかったんです。
色々儀式の「儀」「宜」*ŋral, *ŋ(r)ajとか、「義」*ŋrals, *ŋ(r)aj-sの元の字など、
これは両方とも、祭祀に関係する言葉で儀式の「儀」ですね。
これだったり、議論の「議」*ŋrals, *ŋ(r)aj-s、もしくは「額」*ŋɡraːɡ, *[C.ŋˤrak]とか、
それらは全部、やはりどうも、「会う」という意味の漢蔵祖語*ŋra-k/ŋに行くんじゃないかと特定して頑張ったんですよ!
結構、今まで語源が分かってませんでしたから。
「儀式をする」ことは、元は「会う」からきていて、「会合」などから来た言葉じゃないかと、言葉の方から行きますよ!
それで語源が、今まで分からなかったけれども、そうじゃないかと、ちょっと頑張りまして、特定したということで、
それをちょっと加えておいたということ、
こちらを読みますと、「枷」*ɡal, kraːl, *[kˤaj]という字がありますけど、
これは「ものをかけておく」という、「枷」*ɡal, kraːl, *[kˤaj]、Baxter-Sagartでは、これも再構してませんでしたけれども、似たような字から類推して、
ということで、音はやはり近いんですけれども、
それは、引っ掛けて置くことから、足枷の「枷」という字ですよね。
だから、これは「邪魔をする」とか、「縛り付ける」と、「妨げる」という、両方の意味を持っていて、
「枷」という字には、 「引っ掛けて置く」という、
まあ、この木偏が下に付いた形で、架線の「架」は「引っ掛けて置く」というような意味ですよね。
それとこちらの「枷」は、どっちかとで言ったら、
足枷とかの「枷」で「妨げる」とか、「邪魔をする」という意味の方であって、
面白いことに、この二つは漢蔵祖語の段階でも、
この接頭辞がついて、声門閉鎖音(glottal stop)「*ʔ-」か「*N-」がついて、
これから派生されている可能性があると、この間にお話しましたけれども、
この「枷」*ɡal, kraːl, *[kˤaj]には、両方のどうも意味はこっちにも含まれていて、
中々、面白いじゃないかということで入れておきました!
それとこの「縛り付ける」とか、「結わえ付ける」というところで、
この「閣」*klaːɡ, *C.kˤakという文字は、天守閣の「閣」、
建物という意味になったけれども、扉を止めておくという意味だと《説文》「閣,所以止扉也」に書いてあるから、
これは「結わえ付ける」から来ている可能性があるから、こう加えておいたんですよね。
そうしたことで、また色んなことをやはり見つけていたりして、
面白くて、もう一つ加えた!
これも大きな変更点!
正確の「確」*kʰroːwɢ, *[k]ʰˤrawkという字は、
今まではどうも最後の所に置いといて、微妙だった一つだけ浮いていた感じがしたんですよ。
だから、これは明らかに「確」*kʰroːwɢ, *[k]ʰˤrawkという字に関係して、
「覺」*kruːɡ, *kˤrukも、まあこれも攪乱の「攪」*kruːʔ, *kˤruʔとも読みますけれども、
日本語の漢字音でも、かなり音が一緒でして、
「覺」*kruːɡ, *kˤrukですよ!
これはKF-Ars Sinicaの方でやりましたよ!
徹底的に「敎」*kraːw, *s.[k]ˤrawと「學」*ɡruːɡ, *m-kˤrukと、
その「覺」*kruːɡ, *kˤrukと関係していて、どうも、「正しくさせる」とか、あとは「過ちを正す」という、教育的な意味合いがあるんですよね。
しかも、《方言》「格,正也」の中でも、この「格」と「正す」という意味だと書いてあって、
そこでそうじゃないかということで加えておきました。
あとは、もう一つ面白いコメンタリーであるのは、
これは前回に話しませんでしたけれども、
「各」は足が入ってくる形「夂」で「格」という意味になったいうことですけど、
足が出てゆく形「止」がありまして、
それは「出」という甲骨金文になってると!
これ逆になってると!出てゆく形もあるということで、
「各」は「格」だから、到着するという意味ですね。
今度は逆に出発するという方は、逆の足の向きになって、象形されているということもあって出てゆく!
だから、そういった意味で言えば、枠の下のこの部分「凵」は、やっぱり部屋とか、穴とかの中に入ってくるという、
その中に入ってきています!
それが逆に出てゆく方は、「出」でありますから、
「出」はその上の方の部分は、これの足が逆になった形ですね。
これは出てくる形をしているから、
下の方の枠「凵」みたいにあるものは、この下の枠「凵」が残ってるんじゃないかということでありました。
ということで、字形が訛る前には、甲骨金文でこんな話で、かなり近い方が足跡が入ってゆくのか、出てゆくのかだけだったということで見てまいりました。
こちら、金文の「格」、「王が格る」で、もう「格る」場所、目的語の前に「于(於)いて」を付けて示してありましたけど、
甲骨文でも、とても似たような用法がありまして、
こんなものを用意してまいりました。
これを見ますと「王」が「各」、この字が実際にありますよね。
「于(於)いて」がやはり実際に一緒に使われてますし、
それと、結構この甲骨文を見たときに、
これは何て読んだらいいのか、難しい部分があって、
これ私、結構一生懸命で頑張って読んだんですけれども、
こういった釈文はどんどん研究が進むごとに改訂されていくわけですけども、
それでちょっと最新の研究を読みながら、
どう読めるのかを考えながら見たんですけれども、
この「勺」はどうも難しくて、
これは「勺(礿)」も「伐」も、やはり、殷の時代にしていた祭(まつりごと)、祭名と考えられる。
祭祀の名前じゃないかと言われてて、
「大乙」は先祖の名前じゃないかと、
面白いことは、一つ共通点「于(於)」がセットになって、甲骨文にも出てきている形があるじゃないかと!
だから、これのようなことを祭名、
祭りをするという意味で、その「大乙」という人を祀るという意味において「する」ということで、
この「各」を使っていると、
それをお祭りをするに「格」という意味で、そう読めるのが、
まあ、一番合理的かな。
それで「不冓(遘)雨」は、その時に「雨に遭わないかどうか」、
「雨が降るのかどうか」ですよね。
それで「そうだった」ということで、
「不雨」、「雨が降らなかった」と書いてあるんですよね。
ここに書いてある文章にオーバーラッピングして近くて、
本当にもう、この同じ形が出てきているということで、
こちらは「往く」という字であるんですよね。
本当にここにありますけれども、面白い!
こちらは「各(格)る」で、こちらは「往く」で、
その次に先祖の名前らしき「大丁」とここにありますけど、
こちらは「大乙」でしたたけど、
これでこの「勺(礿)」が出てきて、
「勺(礿)」が出てきて、
「伐」が出てきて、
「伐」が出てきているということで、
非常に似たような文例があったということで出してまいりました。
もう一つ、こうした先秦の文献で忘れてならないのは、
楚簡とか、帛書と言いますけれども、
楚の文字が結構、書いたものが伝わってまして、
それは面白いことに、やはり、こうした文章の中で漢字が使われているんですよ!
甲骨金文は、どうも同じような文章が出てきたり、
短い文章だったり、
中々その漢字の使われ方が、
人名とか、地名とかが、多かったりして、
どうも意味との関係は探りにくいということで、
こういった楚簡や帛書の文章を分析することによって、
その文脈の中でこの文字が、どのように使われているか、読めるんですよね。
それをちょっと見ていきたいと思うんですけど、
ここで見ますと、長沙子彈庫の戦国時代の楚帛書《甲篇》「是襄天踐,是各(格)參化。」では、「参化に各(格)る」という意味で、
しかも、この「各」が本当に初文の形と同じような形で出てる。
つまり、木偏が付いていなくても、「各る」という意味で使っているということは考えられる。
それで、郭店楚簡《老子·乙本》「天道員(圓)員(圓),各復其堇(根)。」で、これは今も伝わってる文章なんですよ!
この当たりがちょっと違っていたりするけども(宋本「夫物芸芸」、馬王堆帛書甲本「天物雲雲」)、
今の文書と合わせて考えることができて、
そうするとこの部分で「各」がありますから、
これ!これは本当に「各復」と一緒に組み合わせて、
この二つ「各復」で「それぞれ」という意味で使われてますね。
すごいなぁと思っておりまして、
それで次に清華楚簡《繋年》という歴史書の中にも、最近出てきて、びっくりしちゃった!
これでも、やはり「各々」で使われている!
それで字形だけ出してきましたけど、
この郭店楚簡《老子·乙本》と同じような形で使われまして、
それで清華楚簡《尹至》「湯曰:各(格)」という、
また、別の歴史書においては、(殷王朝を開いた)「湯王」が「伊尹」に言った「各(格)」と呼びかけている。
これは伝世文献でもありまして、
《尚書·大禹謨》の中でも「帝曰:格」と呼びかけている!
それはこういった木偏が付いた「格」なんですよ。
こっちは付いていない形で出てきましたね。
《尚書·湯誓》の中でも、「王曰:格」ですよね。
やはり帝王が、その家臣に向かって呼びかけるような、間投詞みたいに使われてるけど、
まあ、言ってれば、come onみたいな!
comeも「各(格)」ですけれども。
まあ、「近う寄れ」みたいな意味から、多分そこから、相手に呼びかけるような間投詞になったと考えられ、
次は「女(汝)の何とか」と文章がつながっていますよね!
だから、相手に呼びかけの時の間投詞「各(格)」でありまして、
伝世文献では木偏が付いてるよとか、
そして、こちらの郭店楚簡《緇衣》「君子言又(有)勿(物),行又(有)𢓜(格)」という文献がありますけども、
これは《禮記》の中でも、伝世文献でも同じ文章が伝わってまして、
「君子の言は有物、行は有格」と書いてあって、
これはよく有名な言葉でして、「君子の言ったことは、意味があること」、「内容があること」だと、
それで「行いは非常に格調高いものであること」、
要するに対句で書いてあるんですよ。
この「格」は格調が高いとか、
先ほどお話しましたけど、
「儀式など」などからいったと思い立った、一つの理由ですけれども、
格調が高く、威儀が調っているとか、
そうした意味なんです。
実際に使われている文字を見ると、
この部分が行人偏がついて、下にこの足がついてますから、
之繞「辶」みたいな形なんですよね。
それでしかもこの部分がかなり壊れたような形「丯」で「各」が出てきているということで、
これは何かなと考えてみたいと思っていて、
もう一つ、こんなものを用意したんですよ。
この上博楚簡《緇衣》「執我㦴(仇)㦴(仇)」の別の部分ですけれども、
この部分で実際に「㦴」にこの武器の「戈」に「各」が付いてる形「㦴」で出てきている!
非常に面白い事に、この「㦴」は、こちらにありますけれども、
武器のようなものを意味している部品(意符)「丯」が付いていまして、
つまり、この部品がありまして、これは「丯」*kreːds, *[kˤet]と読んでる武器で「辶+丯」が書いてある。
それでかつ、この武器「㦴」で「各」と「戈」を合わせると、
今は「戟」は「𠦝」と「戈」で「戟」と書いていますが、
当時、その文字は、これ「丯(各)」とこれ「戈」を合わせた形で書かれていることが、金文や楚簡では多くて、
それで音をみてゆくと、この部分「戈」*koːl, *kʷˤajですよね!
だから、ちょっと違う!
それで「戟」*kraɡ, *[k]rakですから、「各」*klaːɡ, *kˤakの音と関係してくるという可能性が、非常に高いんですけども、
ここでは「仇」*ɡu, *ɡuと伝世文献ではありまして、(出土文献の「㦴」*kraɡ, *[k]rakが)通仮しちゃってるんですよ!
結構、音が違うんですよね。
それなのに関係しているということで、非常に面白いですけれども、
隣の上博楚簡の同じ《緇衣》の別の部分「略而行之」では、
この部品「丯」が今度入ったところですよね。
それでしかも足跡ぽいのは、こんな感じ「丯」で訛っちゃっていて、
それで足「夊」ぽい感じでも「略」を書いてあるんです。
それで「略」は、《説文解字》「略,經略土地也」にも、「土地を経略する」、
要するに、「耕したり」、「営んでいく」という意味で書いてあるんですけど、
やはり「土」があるのは、それを思い出させる!
それで字形と字義から見たとき、《説文解字》が説明している字義と(楚簡の)字形は一致してるんですけど、
今度は上博楚簡《弟子問》の別の所「...者,可略而告也」を見ると、「略」はこんな形で書いてあるんですよね。
本当に複雑!今度は郭店楚簡《緇衣》と近いかもしれない!
これはすごい近い!
それでこれが何でこんなになってるのかなと、私は興味を持って、
この「丯」の部分「可略而告」は、「丯」*kreːds, *[kˤet]と「略」*ɡ·raɡ, *[r]akですよね。
ということで見ると、この「戟」という武器を書くとき、この文字「丯」(の音)を借りてきて、
「戈」とくっついているということもありますしたり、
「各」*klaːɡ, *kˤakと「丯」*kreːds, *[kˤet]とは元々、音も近かったし、
しかも、ここにある「各」を見ますと、
この線がピューンと伸びているんですよ!
それでここに点が打ってあり、点点点と来ると、
この三本でこれは間ぐらい(の形で少し)引っ掛けて、
これは「各」なのか、「丯」なのか、微妙なところがあって、
こちらは「口」が無くなっちゃってるけれども、
これでこちらもそうだし、
字形も、字音も、近い!
その二つ「各」と「丯」は全然違う字源ではあるんですよね。
ということで、「丯」という文字と、点点点とあって、こういう文字と、
それと「各」が混ざってるという、非常に複雑な状況を呈していて、
ちなみに「可略而告」の意味は、こっちの「略」は面白いことに、
《淮南子·本經訓》「其言略而循理[註]略,約要也。」の中にも、「略して」とこの「而」がついた形で「要」という意味があるから、
この文章から言えば、
本当に「青(精)智(知)は、要を行う」という、
「要」、もう「重要なことだけを行う」という意味があるじゃないか、
それでここにも、また同じ形で出てきてますから、
ここは、前の部分でも壊れて無くなっちゃってるんですよね。
だから、文脈の中では分からないけれども、
まあ、これは「重要なことだけを告げる」という意味で読めるんですよね。
そういった形で、今お話したことは、この「丯」*kreːds, *[kˤet]と「各」*klaːɡ, *kˤakでして、
この「戟」*kraɡ, *[k]rakという字が、元々、この部品「丯」*kreːds, *[kˤet]とこの部品「各」*klaːɡ, *kˤak(を声符として)ですね!
それと、この「戈」という部品(を意符として)、
まあ、この中にも残っていますね。これで書かれた!
つまり、「戟」のこれ「𠦝」とこれ「戈 」、この部分「𠦝/倝/榦」*kaːn, *[k]ˤar-s」が変更されてた形で「丯」*kreːds, *[kˤet]に従う形が多かった!
それは音が近い!「丯」*kreːds, *[kˤet]と「戟」*kraɡ, *[k]rakでして、
しかも、複雑だったことが、
この「各」は、今、私たちは見ている、この「各」とこの形「丯」でして、
これはもしかしたら、「戟」*kraɡ, *[k]rakと関係した可能性がある!
そうしたことも考えられて、
これらの今見た二つの声符が絡んでる!
この「丯」*kreːds, *[kˤet]という字、
それと「各」*klaːɡ, *kˤakという字、
各々、我々が見ている「各」*klaːɡ, *kˤakと、
それと「戟」*kraɡ, *[k]rakという字と、
この形の「各」に「戈」が付いてる形「㦴」!
これらが全部ぐじゃぐじゃに混じってた可能性がある。
音が近い字形も壊れて近いしということで、
本当に分かりにくいということでして、
ちなみに私はこっちでこの「丯」*kreːds, *[kˤet]にしちゃった!
こちらで書いてる、これに関しても、そうですから、
今ではちゃんと「𢓜(格)」と読ませていているのは、
「路」と「𢓜」が衝突をしないために、
要するにぶつかり合って同じならないために、
このように書いた可能性はあるということで、
一つ見ていけたと思うんですよね!
しかも、本当にもう、こういった《汗簡》とか、《古文四聲韻》とか、《集篆古文韻海》に書いてある、
こういった文字(伝承古文)で結構、近い字があるんですよ!
ものすごく「㦴」もありました!
本当にこれとこれが同じだと!
「格」と読んである!
すごい!
しかも、これなども、これは多分、行人偏 「彳」のこの部分が壊れて、
こうなってんだろうなと考えられるとか、
そういった結構、昔の辞書にもありまして、
それで上博楚簡の中の別の字で見ると、
また、紛らわしいことがありまして、
後で出てくるんですけど、
《爾雅》という辞書においては、
この「格」が「陞」に結びつけられるんですよね。
《方言》という辞書でも、「登」と「格」が結び付けられているんですよ。
それは、これを見たら「降」いう字もそうですけど、
あと、「陞」もそうなんですけど、
この字形とこの字形は、ものすごい混同しやすくて、
特にここが大郷偏「阝」ぽく見えるし、
それでここで下に足がついている場合があって、
要するに誤記をして、
他の字形と混同した可能性もあるということで、
めちゃくちゃだと!
戦国時代のこの文字の使われ方は、非常に色んな字が混ざり込んでるということで見れてこれたと思うんですけど、
今、挙げたようなこういった古文、
伝承古文と言いますけども、伝世文献でずっと伝えられてきた。
こういった字書、《汗簡》とか、《古文四聲韻》とか、《集篆古文韻海》など、
本当に宋代から、古文の知識が伝わってきて、
それらはこういった楚簡にある文字があった当時、
簡牘の文字が出土したりして、
今までは変な文字だと言われていたんですけど、
こういった楚簡が出てくることによって、
なるほど!これかと!俄かに注目を浴びているということで、
こうしたこれからは、文字学と金石学の先人たちの研究を見ながら、
私が思い立ったと言いますか、
「各」と「格」、この「各々」という「各」と「格る」という「格」、
「各」「格」この中には、色んな語源から流れ込んでじゃないかという予想(conjecture)、
それが本当にそうなっているのかを検証してコメントして参りたいと思いますということで、
こんなものを見てみましょうね。
《汗簡》がありました!ここから取ってきました!
そして、こちらでは、今度はこの「戈」の中にありますよね。
それでここに「格」が出ていて、
ここにも出てきている!
おお!なるほど!ということでありましたり、
こちらの《古文四聲韻》の「格」は、
この中にちゃんとありますね。
《集篆古文韻海》にも、「格」がありますよね。
ここにも「格」がありまして、
これだけ集めてきて、ここにもあると!
それで「格」、行人偏「彳」の本当に「格」という字がくっついた形「𢓜」もあり、
あとはこれからいっぱい見てゆこうとするんですけど、
手偏がついたような形「挌」は、鞭「攴」の形なんですよね。
それでそういった、こういった形で隷定「𢼛」されているものとか、
同じような部品が付いた「各」ですね。
これはこっちで隷定「頟」されたけど、
今で「額」という字ですよね。
というのは、諧声系列が一緒に並べられて、
古文で伝えられてきということで見て、
面白かったんじゃないかと、
今、引用した部分は、この部分でしたね。
すごく楚簡の中でも、こういった形が現れてきていたということで、
俄かに注目を集めておりました古文の字書を見ました!
そして、これはすごい面白い!
本当に王國維さん、羅振玉さん、商承祚さんたちが、
殷虛文字、甲骨文の字書《殷虛文字類編》を作ったということで、
そこを見てみますと、
ちゃんと私、全部これから出てくるのは、
ここにある文章をちゃんと活字化して置いておきましたけれども、
この「各」という字を先ず小篆、説文小篆でありますけれども、
そこから、こういった甲骨文に結びつけて、
ちゃんと先ほどみました字形がありますよね。
それでここに書いてあることで大切なことは、
《説文解字》ではウーンと色々なことが書いてあって、
ということで、「案」から、「案ずるに」から、自分の意見が書いてあるわけですよ!
「各」は足の形「夂」を象形したものであって、
それが外からに入ってくる。
「口」の中か、この枠「凵」の中に入ってくる形をしているから、
だから、「来る」とか、「各」という字は、「到る」の本字(初文)と書いてあるんですよね。
本の字だったということで、これは正しい見解ですね!
私が先ほど見た、字型の分析で見たところ、正しい見解に達してたと見えてこれたと思います。
そして、吳大澂の《説文古籀補》でいきますと、
金石学で近代的な文字学につながりまして、
元の金文で見てゆこうという字書ですけど、
どうも、彼が解読した金文の中で使われている「各」は、
ここに全部結び付けられておりまして、
一つ面白いことがあって、
こちらは先に見ましたね。
足「夊」が付いてるし、人偏がある場合「佫」がある。行人偏がある場合「𢓜」がある。
之繞「辶」になっている形「辶+各」に足が更に付いている場合がある。
それは「動く」、「歩く」と関係ありまして、そうですけれども。
この「客」という形でも、「各」として使われているということで、
これも関係していると特定されていますね。
次は木偏の「格」の方なんですね。
それでそう見てみると、
これらは、面白いことに「呂」に従う形もあることも発見していて、
これは前に「呂」*ɡ·raʔ, *[r]aʔと音が近いから、
「呂」*ɡ·raʔ, *[r]aʔで声符が違う形で書かれたというお話しましたけれども、
ちゃんと呉大澂さんは見つけてまして、
それはどうしてかと言ったら、
同じ銘文の中で違う書き方をされているから、
同じような文章でいっぱいある中で、
ああ、別の所ではこう書いてある!
これとこれは同じ意味で使ってる、異なる形だということで、
この「呂」*ɡ·raʔ, *[r]aʔを声符としましたと!
これもちゃんと彼は特定しましたということで見れました。
そして、こちらの《說文古籀三補》の方では、
強運開さんは、更に先ほどの吳大澂さんの研究を補って、
結構、長く意見が書いてある中には、
この文字は《説文解字》にはないけれども、
《揚子方言》という中にありまして、
行人偏に「各」という形「𢓜」であるもの、
もしくはこの形であるものが「格」と出ているから、
これは、しかも「来」という意味でも使っていると言っていて、
文献的な注釈も加えて、この字をやはり「至る」とか、「来る」と関係あると、あとは《集韻》も引いていまして、
それで証明して書いてんですよね(また続く部分では金文の「𢓜」、古鉨の「佫」について検討されています)。
そういった感じで、もっと、もっと、色んな使い方を発見しているわけですよ!
そして、《説文解字》をよく言いましたけども、
これは徐鍇さんが校訂したという小徐本ですけれども、
これは四部叢刊初集とありますけど、
四部叢刊は民国の初期に商務印書館という印刷局があって、
そこで素晴らしい本、
善本と言うんですけど、
もう古い時代の貴重なものを影印と言うんですけど、
ファクシミリを作ったんですよ!
版本学とか、目録学とか、校勘学とか、もしくは校讎学といいますけども、
そういった本の版本には、どういうものがあるのかとか、
それを目録を作ったりとか、
本の内容に書いてあるものが、
この漢字は正しいかどうかとか、
そういうのを研究する校勘、もしくは校讎というんですけども、
そういった中での基礎文献になっておりまして、
先ほども、古文の字書なども、宋版と言いましたけれども、
貴重なやはり宋代に遡るくらいのこちらは写本ですけれども、
そういった、できる限り、この書籍では、一番古い形で残っている形をずっと、こだわりがありまして、見ていこうということでありますけど、
《説文解字》小徐本では、「各」がここにありますよね。
ここでは異なる言葉は、《説文解字》の元の文章がありまして、
そこを見ると、足跡と関係させたことは良かったんですよ、
この上の部分「夂」が、
しかしながら、「止」と「之」という字は、
それも確かに足跡「止」が付いた形であったり、
足跡の形「止」をしていて、いいんですけど、
そこから、この「相聞かない」ということ、
「止まる」ところから、「人の話を聞かない」というところから、
「それぞれの意見が全然違う」と「異辭」を説明してしているけれども、
これはやはりこじつけじゃないかと!
許慎さんの説明は、強引府会じゃないかと考えられますし、
それで彼は「言葉で聞かない」だから、
この「各」のこの部分「口」と分析してしまったけれども、
先ほど甲骨文で見ましたように、
若しくは金分の初期の形でも、そうでしたけれども、
元々、甲骨文では特にこの形は「凵」だったんですね。
それが「口」に訛っちゃったんですよね!
だから、それは許慎さんは知らなかったから誤ったんですよ!
こう言うことで、
それは文字学の方で訂正されました!
それで面白いのが、ここで徐鍇さんの意見が書いてあり、
「臣鍇曰」から書いてあるんですけども、
この足跡のこの形「夂」はずっと見ますと、
人の躓(つま先)ですよね。
やはり、足と関係して、
これ「夂」もそうなんですけども、
それらと関係してると特定していて、
やはり、この上の部分のこの足跡の部分「夂」が、
「之」に従う会意字ではないかと書いてあり、
これはなかなか良い意見で面白い!
実は「止」という字が、足跡の形をしていて、上を向いた形、
「各」は逆に下がっていました「夂」よね。
中に入ってくるような。
「止」に更に一本棒あるのが「之」ですよね。
それは甲骨金文の形はそうなんですよ。
だから、この分析は良かった!
今の考えからいっても、すごい正しい!
それで、ここに書いてある最後には、古い反切が書いてありまして、
これで音を表していたんですよね。
なかなか、これは貴重な資料でありますしね!
これで次に言ってみますよ。
同じく徐鍇さんの小徐本で、
今度は木偏が付いた「格」で見ると、
木の枝として書いてある!
これは《説文解字》に書いてある文章ですよね。
それでこの後が面白いんですよね。
徐鍇さんは「臣鍇」から、この木の枝が「格」という意味であるということから、
この庾信さんの実際にこの「格」という字を枝として使われている。この形で引用してきてるんですよね!
私が前に証明した中でも、
これは実際に引いた文章でありましたよね。
だから、これについては、もう説明はちゃんとできているということで、
この中でちゃんと出てきているということで見ていけたと思います。
そして、こちらが今度は、大徐本と言いまして、
先ほどの徐鍇さんのお兄さんの徐鉉さんが校訂したものなんですよ!
これで「各」を見てみますよ!
それでちょっと気づいちゃたことがありましてね!
「辝」の字がちょっと先は「辭」と違ったけど(「辭」がどうして「辝」と「台(以)」に従うかは、KF-Ars Sinicaの文字について語りました動画をご参照くださいませ)きちっと今の形になっていて、
かなり文字を細かいところまで、正しく校訂したわけですよね。
それでちゃんと私はきちっとここに出しました!
これで見てみますと、
やはり、先ほど言った許慎さんの説ですよね。
やはり、これは誤りでありまして、
こちらでは、(大徐本の)反切「古洛切」がやはり先ほど(小徐本の)「振莫反」と少し異なっているんですよ。
面白いことに《廣韻》という韻書がありますけれども、
そこでは「落」と書いてありまして、こっちは「洛」で書いてあるけれども、
どちらかというと《廣韻》「古落切」に近いから、
先ほどの徐鍇さんが校訂した《説文解字》の小徐本は、
更に古い形の半切「振莫反」で音を表していて、
しかもm「反」と書いてあった!
こちらは「切」の方になってるから、
今の表記に近くなっていると面白いんですね。
それでこの音からすれば、
この中古漢語の音から入って、
更にどんどん今度は上古漢語まで遡って考えていけますけれども、
ここでこの「異なる辭」と「各」と書いてあったんですけども、
これは一つ面白いことが言えてまして、
前に証明していた中で、最後に附記(supplement)として話したこと、
「各」という字の中には、一つ漢蔵祖語*g-raːl ⪤ *g-ran ⪤ *rayという言葉が入っていて、
それは「戦う」という意味で「攻撃」の「撃」から考えてましたけれども、
ちなみにビルマ語ရန်, ranの中で派生した中では「口論する」という意味があるんですよ!
だから、もしかしたら、この言葉がそれぞれ異なるとは、
もしかしたら、関係あるか、
もしくはこの「各々」という意味で、そもそも、それぞれ違うという所から、
この「異なる辭」を説明できる可能性もあります。
でも、面白いのは、やはり漢蔵祖語から派生した別の言語でも、
「闘う」の方から、「口論」という方に行きまして、
ビルマ語で特にそうだったということは、一つ面白いじゃないかなあと!
でも、その場合ちょっと考えると、一つ難点があって、
ビルマ語ရန်, ranで*-g/kが付いてない形になっていますね。
だから、「各」*klaːɡ, *kˤakと付いているのは、
こちらを説明しようとしたときには、
やはり「各々(それぞれ)」の方からいった可能性がありますね。
この今の段階で考えられるのでは、最善だと思いますと附記しておきたいと思います。
そして、この「格」に対しても、そうですけど、
基本的に大徐本は、先ほどの小徐本には、徐鍇さんの意見がバーっと書いてあったけど、
大徐本はもう《説文解字》の古くから書いてあった内容だけをできる限り正確に表していて、
時どき、徐鉉さんの意見は入ってくるんですけども、
あんまり注釈がダーといかないで、
非常にちゃんと《説文解字》の元にあった形をそのまま出したい気持ちで来てるから、
すごくこの大徐本の方が、その結構その後によく字書として使われたということはありますよね。
それで私のこだわりで、これも宋の時代に出された貴重な宋刊本で見えてくれたと思います。
そして、こちらは(清代末期から中華民国の)黃侃さんが、コメンタリーをびっしり書いていて、
それを見てみますと、面白いことに、
この「各」という所に関して、
これ自体は宋本ではなくて、
清代の孫星衍さんが、
もう宋本が貴重だったから、
それを復刻して作った!
それにコメンタリーを加えてあるんですけども、
まあ、よく私が調べたら、孫星衍さんの元々の刻本を見にいったんですよ。
結構、違っていて、
その中(孫星衍刻本)でも、もしかしたら版がいっぱいあったかもしれないという、 複雑な出版状況はありますけれども、
まあ、それはさておいて、
この黃侃さんはその《説文解字》にいっぱい自分の意見をびっしり書いていて、
この「各」に関しても、そうだし、
こちらの「格」に関しても、いっぱい書いていて面白い、
こういったものも、資料として面白くて見てきたり、
やはり今お話したように、
その今まであった《説文解字》の本文に対して、
徐鍇さんも、徐鉉さんも、そして黃侃さんもやってましたけども、
皆、大体、基本的には、こういった《説文解字》の本文に、コメンタリーの形で自分の意見を言うような形で研究が進んでいるんですよね。
その中で一番ものすごい徹底的にしました中で、今でもよく使われる段玉裁の《説文解字注》がありますけれども、
これを見ますと、先ず「各」の所を見ますよ!
ありました!
ちょっと「詞」が変な形「䛐」になって、
この横に書けばいいのに、
我々が今、楷書で「言」という字と「司」を右側と左側に書くのに、
こちらは上と下で書いちゃって、
いや、面白い、変な字「䛐」を使っていますけれども、
その間のところにいっぱい言っているんですよ!
でも、必ずしも、彼の書いた注釈が正しいとは言えないんですけど、
でも、この中で言えるのは、
「各」はやはり人の足「夂」と関係あるんじゃないかと、
それで「脛」というような意見を言ってるんですよね。
その中でここの所に書いてありますよね。
この「各」の部分は、脛の部分、人の両脛を象ったと言ってるけど、
これはやはり当時は、甲骨金文を知らなかったから、
段玉裁さんはこう考えちゃってますけど、
今ではちゃんと足が反対になった形「夂」と分かっていて、
でも、その脚に関係して、「至る」とか、「止まる」と關係させて考えていることは正しいんですよね!
それでもっと面白いところが、
最後に「義が反する」ということがあって、
「至る」とか、「止まる」か、
それが反対の義(意味)が、先ほど言ったみたいに、
この「至る」と「来る」とか、
「向こうに行く」か、「こっちに来る」か、
そういう意味で方向性が逆の意味があるという感想「義相反而相成也」を漏らしているんですが、
まあ、これは今の形態論的な話で言えば、
接尾辞*-s suffixを最後につけて、方向が逆になる。
「敎える」*kraːw, *s.[k]ˤrawと「學ぶ」*ɡruːɡ, *m-kˤrukとか、あとは「賣る」*mreːs, *mˤrajʔ-sとか、「買う」*mreːʔ, *mˤrajʔとか、
これはよく、今はその接尾辞(suffix)を付けることで方向が逆になることはあるんですよね。
そういうことを段玉裁は、その意味上で気付いてたっていうことは面白い。
そして、もう一つ「各」で言うと、
ここにバーっていっぱい注釈を書いてますけれども、
それから拾ってみて、面白いことは、
木が長いところが、「格」で枝という意味だったから、
枝が「格」の本義と言っているんですね。
ここの文章でここにありますね。
それでそこから引っ張り出してきて、
引伸をして意味を引っ張り出して、
「長く伸びていく」から、「格る」じゃないかと、
だから、そういった「枝」を本義としてしまい、
それでそこから意味が引き伸ばして、
「枝が伸びる」から「格る」としていますけれども、
この意見は間違っていることが分かりますね。
何故かといったら、私が閃いた、「これは一つ一つ、全然違う語源から来たじゃないか」と、
これは「枝」という漢蔵祖語*s-ka(:)kから、ストレートに説明がつきましたよ!
この間やりましたよね!
それでそのことから言えば、
これは間違っていると!
段玉裁の註はすごい権威のある《説文解字》の注釈ですが、
権威のある《説文解字》の許慎さんの意見にも、
段玉裁さんの意見にもやはり、
当時の文字学の方でも、そうだった!
それと形態論的な言語学の方の視点がなかったから、
やはり、漢語の中だけでつじつまを合わせようとしていたから、
結構こうした伝統的に説明された中には、間違いもあるということで、
読んでいく時には、どの部分が合っていて、どうも間違ってるのかが、
その新しい研究を重ねてゆくと分かるということは、
面白いんじゃないかということで、
その線でどんどん行ってみたいと思うんですね。
(動画が長くなりましたため、いくつかに分割をいたしました。ここまでご覧下さりまして、ありがとうございました。)