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「漢」を考えてゆき、甲骨文や金文から文化や社会が見えてきて、話がとんでもない所まで発散しました!Glorious Golden Seal

日本人どなたも耳にしたことがある輝かしき金印「漢委奴國王」の続編です。「漢」を考えてゆき、甲骨文や金文から文化や社会が見えてきて、話がとんでもない所まで発散しました!

面白かったことなどのコメントを下さりましたら、また暖かい応援を下さりましたら、更にTwitterやFacebookなどSNSでご紹介を下さりましたら、今後の撮影の励みになります。皆さまと印の楽しみを少しでもシェアーできましたら幸いです。

※日本語の字幕を表示するスクリプトをご用意しました。
 専門用語や細かい訂正などは字幕でご確認下さいませ。

2021年3月5日

皆さま、こんにちは!今回もうこの「漢」!

もう「漢」もずっとものすごい熱意を以て見てまいりましたけれども、今回はもう文化的な意味など考えていこうと、

まあ、ずっとこの「漢」を考えていく中で、大きな問題としてありましたことが、この「漢」の下の部分、「堇(𦰩)」の下の部分など、 「山」と「火」と「土」とどれかというで問題がありましたよね。

それで私は色々考えていく中で、どうしたら、これを解決できるかと、甲骨文では、もう殆ど形がもう同じで困ったなら、じゃあその近くの当時の金文でちょっと考えてみようかと見てまいりましたけれども、

私の頭の中ではもう文字が、いっぱい入ってまして、ある文字を見ると、あ!この文字のこの部分にもあった。この文字の部品!あ、ここにもあったなと、もう連想的に来ますけれども、

これでちょっとで思ったのが、面白いことに「災」という字、これ「𡿧」もそうですが、これ「烖」もそう、これ「灾」もそう、これ「𢦔」も全部の「災」で、まあ今はこの字「災」を使いますよね!

「巛」に「火」と、でもこれ元の形は、これ「𡿧」なんですよ!これ「𡿧」は結局水の水害でジュバーンと水が来ちゃったという形、

これもそう、これもそう、みんな洪水で流されちゃった!これは中に何かありまして、これは何だというとこれも「水」です!

実は我々が見てきましたね!「氵」にあたる一番前は「水」、点点、水の流れもり、これが一本ですが「水」ですよ!甲骨文でも省略されて、この部品、実は今度は音から理解できまして、この部品は、これだけで行くと、こちらは「水」はないバージョン、これだけ行くと、こちらは謹賀新年の(特集の)所で見ましたね!

「新」のここにありましたよね! この斧の形でこれはそうなんですよね! 結局これ「𢦔」は兵災、要するに戦争の災いで、これ「𡿧」は洪水の災い、それで今はそれに合わせています、

これ「灾」は家の中に火がメラメラしている!家の頭に火がついていて火事ですね!うん!火事で燃えちゃって、

それでこれの場合は、「火」にこの部品が付き、元々「在」という字、これは昔の上古音(鄭張―潘, Baxter-Sagart)では、「才」*zlɯː, *[dz]ˤəで、この災害の方は「災(𢦏)」*ʔslɯː, *[ts]ˤəで音が近いから声符(音符)、それでこちらが、何によってという、水害なり、火災なり、(兵災なり、)これもそうですけれども、意符(義符)と言いましたね。

形声文字の必ず音を意味する部分は、大体そこには言語の意味も含まれますが、それに意味として、これは水の災害なのか、火事の災害なのか、戦争の災害なのか、災害の「災」で。これはこんなですね!

近い同じ「火」が家の中にも見てまいりました。これを説明するために行ってきたような「謹賀新年」の特集で分かるんですけどね!

ここ「𢦔」はこれ「烖」は武器「戈」でしたよね!それでしかも「火」までついている!うん! これもそう、ちっちゃい部分が、この「才」が付いてるから、これは音符「才」で武器「戈」ですよ! 結局そうでこの中で「火」がであるんですよね!

この「火」が結局、兵器と「才」が付いてるから、これは戦争の災害でしょうね! それで火とは、結局こういう形でここに見えてるんですよね!山みたいでやはりものすごく似ている!山っぽい!

特にこれはまあ「火」と思いますが、これは「山」、これもそう! これはまあ「火」と分かるけど、これは「山」と似て殆ど分からないですよ!もう区別がつかない!

家の中にあるから、しかも文脈から分かりますが、そうすると「火」は、甲骨文で見てみますと、もう本当にこの甲骨文の「火」、もう「山」と殆ど一緒、でもやはり火の粉があるのもありますね。

それで火炎の「炎」という字は、やはり火の粉が見えて、顔みたいで可愛らしい感じですが、

それで「光」も、やはりの頭を上に松明「火」があり、これも「山」みたいですが、本当に!それでこれちょっと気になりまして、元の拓本を見てみたら、元々は顔みたいにちょっと(火の粉の)点ぽいものがあったんですよ!

ここには(拓本が薄れてしまい)出てなくて綺麗ですが、やはりこういった場合、点はあったのでね!これはやはりこういう感じで、これ顔みたいで火の粉の「火」でありまして、

これ「赤」は、人「大」が「火」の上で怖い、焼かれてるではなく、「火」が「大」という字で(人が手を広げている形は)「大」ですよ!

「大」という字もう今もこの「大」ですよね! この人の形で「大」で手が拡がっている!これそのまま「大」です。

今のまあ大文字焼きはありますけど(笑)まあこれは冗談ですけど、この火が大きい意味で(会意的に)来て、別に人が火の上で燃やされておらず、この漢字を作るとき、上の頭に付けると「光」、こちらに付けると一緒に書きやすいから、ブロックが合うようにして、人の足の下につき刺さった形が書きやすかった、まとめやすかったでしょうね。

「大」という一文字としてみせるため、そういった関係で、これはやはり「火」が「大」で赤いから色になったと、色はやはり難しいと!「黄」も「黒」もそうでしたから具体的なもので代表して、やはり「火」とは「赤」から、この意味になったんですけど、

これはもう「煌」という字が、これ前に言いました一つだけでは、「黄」という字に似ているけれども、これは矢みたいな形もしていて、

これは「堇」という字に似ているし、結構甲骨文の中でも、「矢」も「堇」もごちゃごちゃになっていたと証拠としてもありまして、

それでこれもこれの文字と「黄」に「火」という、それでしかもこれは「文」とも混ざって、今でも「文」をこう書きますから、今、「文」という字で「黄」とも似ているような、

これはう~んという感じで、結構ここの中でも複雑にもう同じような字源がぐちゃぐちゃで使われていて、この中では「堇」の下でました、これ(火の粉の)点があるからではなく、これは「火」ですよね。

でも、この西周中期だから、もしくは飢饉の「饉」の干ばつとかで苦しい(災害)みたいな「火」が加えられたと話をしましたよね。

それでこれはやはり「艱」という字で元々で見るとこの「謹」で人の頭を上に口みたいでこれ「女」でここは人が座っていて、これは人は立っていて、もう全部、太鼓の横にいるものが違うんですよ!

それで同じぐらいの頻度でみんな出てきて、それだけ(甲骨文には異体字が多くありまして、)太鼓「喜」ですね!この部分は太鼓!

太鼓の所に人がいて儀式をしてるように思いましたね!太鼓は礼楽といい、礼、礼制とか言いますが、後に儀式のことを意味して、《礼記》と重要な文献がありますけども。

そういった儀式を書いたものに楽が、音楽ですから!音楽はやはり大事で昔から儀式をする上で雨乞いの儀式とかで音楽を使ってまして、

これは「堇」の右に「鳥」が付いてますよね!今「隹」かもしくは小篆は「鳥」ですが、今は「隹」で書きますね。 「難」という字でこのように見てこれだと思うんですよ。

ですから、ここで「火」と「山」はものすごく似ていて、やはり「火」にはやはり点々がある場合もあることが分かりましたね!

今寄り道しまくり、もう漢字が面白すぎて違う方にいきましたが、

ここでちょっと一つ「山」を考えていく上でこの(前々回に甲骨文では似ている「山」「火」が、金文では異なることを証明しました)殷代の終わりの金文(小子蒚卣《殷周金文集成》5417)では、丁度この我々が見ていた「漢」の部品「堇(𦰩)」が地名として「於(于)」がありますよね!人を遣わした形で地名で「堇」が出てきますけれども、

その直下に光、先ほど見ましたスライドで「光」もありました!ここのところで点々でおじさんの髭みたいに見えますが、「火」を上にして、ここが人が座ってる形をしていますから、篝火(かがり火、松明)を持った意味から、「光」に行ったわけですけれども。

それでここでこの下のちょっとしたところは、「山」と「火」か甲骨文では区別がつかない困りまして、金文を見てみますと、やはり(火には火の粉の)点で区別され、面白い一つの同筆、同じ人が書きまして、それが鋳込まれて金文にその中で一緒に出てきていますから、啟卣(《殷周金文集成》5410)は、比較をしやすい良い資料でした。

この金文の中は、もう少し後の西周でしてすごいことに「山」「山」、更にこの「堇(𦰩)」が近いところにございますね!それでこれは「謹む」という意味で言偏が付いた形の初文ですが、 更に一つ「不」という字を挟んで、楷書にしたときに先ほどの「火」がありますね!

顔みたいに見える「火」があり、ここは「憂」という字に「火」というフォントの漢字が出てこないため、こうした書き方になりましたが、要するに金文で出てきた漢字ですが、あまりその後に使わなくなり、もう今あんまり漢字でフォントとして出せなかったと!大変だと!

でも、この漢字は「火」という部品と「憂」という部品ですから、これは「憂う」という意味で使われてるんであるんですけども。

この部品を見ると、やはり同じ中に「山」と「火」は書き分けられて、「山」もここにあり、すごく資料性が高く、我々がその「山」VS「火」の問題を考見て取れたと取れたと思います!

この間に戻ってまいりましたけど、この部品がありましたが、これを見たときに結局、もう何度も言っている「黄」か「堇(𦰩)」から見れば、この部品は「黄」に近い、それでこの部品から見れば、「堇(𦰩)」に近いと見てとれます。

一個前の動画で色々その音の方から、「黄」より「堇(𦰩)」がこの部品としてしっくり来て、《説文解字》でもそう書いてありましたしね。

それは「堇(𦰩に更に更に「鳥(隹)」が付いた形でしたが、こっちからいったということで、

これも今度は「山」を見ていこうと、上の部品でこの部分は「黒」に似ているお話をしましたね。

このUは「璜」だと!しかも、これ混ざってきて、この王編に「黃」が付いた、U字型の玉の製品、アクセサリーという意味と、

基本的にこのU字型のこのコップに水が入る形は、「品」など、昔は人の口の形 「口」じゃないかともいわれましたが、

これは器物などを表している考えがありますね! ところがこの中で突き出てるから、これはやはり、その「璜」に糸を通した「璜」という玉には穴が左右にちょっと空いてましたから、 糸が通ってる方じゃないかと、

これは突き出てましね。こっちはつながっていて、甲骨文ではどっちもありますが、 これでここの「山」の部分を見てみますと、先ほど見たみたいに「火」にもなんか似ていて、ちょっと「山」は元は象形字ですが、山脈がもう遠くの方に連なってる形ですよね。これ山一つだけではなく、こちらにも、こちらにも二個あって、小学校で三角形で「山」と教えられちゃうけれども、

実際には単純ではなく、「山」はこの山脈、全体で一つの山ではなく、二つ、三つ、四つが繋がってる中を切り取ってきたんですね。

一つの山じゃないと!それでこれを見たときに面白いことがあり、実は結構古い時代に中国で山の形をした青銅器(例えば前113年の金銀象嵌博山炉、河北省満城県陵山中山靖王劉勝墓出土)がありますが、

その山の抽象化の仕方、要するに本当にある山と我々も見てまいりましたけれども、実際ある製品としてみた玉の製品もそうでしたけども、そういったものを漢字と合わせて考えると、

やはり、中国人は山を1つの単体としてドンという風に見ておらず、山脈から抽象化していて、この漢字と相通じていたと言えますが、

これ見てみますと、華山の「華」は、中華の「華」にも関係すると大事な概念ですよね。山の上に羊みたいな、これ羊の角ですよね!これ、この部分はこの顔があるんですね。「羊」がこうでして、しかもこの字「𦍋(咩)」はここに一本部品がついてる!

これは何か羊がメーッと鳴いた声が出てるような形であって、かなり「羊」が付いている!

それでこれが付いてるもの、ないもの、こちらとこちらとありますが、上でそういった形で山と羊が合体しているような形で書いてあり、

ただし、これにはいくつか問題があり、これが本当に華山や中華の「華」か、隷定と言いますが、隷書、今我々が使う楷書に直した時に本当にこういう「華」という字かはありますが、

そのもう少しこれは我々はこれ甲骨文をいっぱい出してきます。ここだけはちょっと新しい時代で侯馬盟書、温県盟書は、もう戦国時代中期中盤ぐらい、ここから500年くらい後に「嶽」という字で「山」の上に点点が付いている形で、「山」に「山」がまた乗っかってる形、日本語では「嶽(たけ)」といいますね。

丘と書いて山と書く字(岳)もありますが、この字もそうでしたし、それとあとこの字はちなみに頭の部分がありますが、これは下のところに「火」か、「山」かもありますが、西周初期ではこうあって、ちょっとこれはどっちかというと使わないですが、

これは「羔(こひつじ)」という意味で「美」は上に飾りが付いて人があって、頭の上に飾りがありますが、「美」はここから来ていますが、

まあ、みんな今でも同じ漢字でも、この上の部品はあるという感じで、まぁちょっとこのことでいってしまいましたけど、

そう考えたときに、私はもう一つこの「堇(𦰩)」という字は、「山」という字と関係していると、先ほど見たよう、旱魃や雨乞いと関係してくると考えたのは、もう一つ根拠があり、甲骨文の資料を見ますと、

ここもこれは「土」とか 、これが「土」ですが、「河」と先ほど見ました「水」とこの部品があり、「河」とここが山の部品ですよね。

それとここにありますね。これ読めますね。ここに出てますから、この文字ここに出てますよね。ですから、「華」と「嶽」、「山」と「岳」この字が同じですが、このグループは、「嶽」か「華」か難しく、両方いう学者はいますが、

ここに出てきて、しかも雨を祈ると書いてありますから、雨乞いをしたと書いてあり、この山でとこの甲骨文はそう読めるんですよね。

これは干支で「卜(うらな)う」、「於(于)て」「山で祈る」「雨」と書いてあるから、雨乞いをしたことが書いてあって、更にすごいこの資料について、甲骨文の資料がありまして、次のページに行きますね!

こういった形でこれはもう殆ど昔、甲骨文は玳瑁の甲の部分、亀の甲羅に刻みこまれていますが、いっぱい色々なことがあり、不思議な事や面白い事に、こうした完全な状態で、これも断片で本当に分からない骨のもうバラバラな部分ときちんと大きい殆ど欠損がなく、まあちょっとありますけど、結構残ってるものでは、

面白いことに、左右で当時文字が反転してるんですよ。左右反転して、前に確か「謹賀新年」の所(特集)で牛耕式でこっちに行き、こっちとS字型に読む碑文でして、こちら右側から左側にいくと文字が反転しているとお話ししましたが、

同じことで、こっち側、こっち側で、これ「若(ごと)く」とか、「若」という字が、これ逆になってますね!

この文字とこの文字逆転してます!この真ん中を左右対称にして、逆にこうやって、もう卜という文字は、これとこれ、本当にもう、まあこれは貞という字、鼎という形ですけど、左右が見えるものは、これは丁度半分に割ったところで左右対称に鏡に映したようになっています。

それで私が今見ようとした時は、この資料の中の内のこの左右で見たとき、こっちでここの部分と、ここと丁度左右対称になった部分を抜きだしてきたんですよ。

大きくそこで見ると、これ「舞」という漢字は、元々「無」という漢字! 私が申し上げてきまして、何回も初文が別の意味で使われちゃうと、今度はそこに部品を加え、また新しく意味をその元あった意味をきちんと際立たせると、

これ元々「舞」と「無」という字は、これ人が踊ってる飾りをつけてる人が、左右の振袖みたいに飾りを付けて踊っている形で否定辞「無」はやはり(象形が)難しい概念で象形文字に作りにくいから、音で借りてきちゃった、仮借して足「舛」を付けて踊る「舞」にしましたが、

これは「無」と読めるでしょうね。「無」「嶽」に雨がある、雨がやっぱり関係してる。こっちは左右で面白いことに、私は反転していると言いますけれども、これはよく反語みたいな言い方がありますよね。

いけるのか、いけないのかとか、あるのか、ないのかとか、そういった反語みたいな形で、この占いをする時、こっちで逆の方と書いてある。

こっちは占う雨がないのか、こっちは雨があるのかということで、しかも、この嶽の前のところに否定辞が付いていますね。

それで今度はこれ雨ともある、こちらない、これは亡くなるという字で左右ある。少なくとも、山で雨乞いをするとか、そういったで概念が関係してんじゃないかと、ここで言えまして、

それでこっちを見ても、雨を祈ると、それで河に雨が降るのかという、祈るというのは分かりますね。水の神様なんじゃないかなと、そうした推測が立ちます。

しかし、ここで祈るのが、雨を祈る対象が、 それとここに嶽、やっぱり山で祈ると書いてあり、この甲骨文を綺麗に直しまして、私がクリーンにして、この文章の所だけを抜き出して、

更に其から始まっていますが、「祈(𠦪)」「年」「於(于)」「山」ですね。嶽が山にやはり雨が降るのかと降って欲しいことを祈ってることが、きちんと甲骨文上で楷書に直しますと、

今の漢字にして、これはそうすると、すごいことに、やはりこれが殷の人たちは、要するに漢語の先祖を使っていたと分かるのは、きちんとこの甲骨文を全部文字化すると、きちんと漢語の今の古文、要するに日本語でいう漢文、中国人は古文とか、文言文の文法を知ってれば読めちゃう!この甲骨文の形さえ分かれば、

だから、この甲骨文をそのままドカンと読みますが、これらを沢山臨書したりして書いていて、甲骨文と金文と友達みたいで読めますが(笑)

そういった形で「山」に対して、「河」に対して、「雨が降るか」と祈っていると言えるから、山の上で玉を佩いた身分の高い人間が祈るなどの儀式をやる事を一つの傍証となるかと見てこれたと思います。

そして、こちらを見ますと、この中国において、ものすごく大切にされている泰山ありますね!これは山東省に関係してるんですよ!

それでもう一つ、これ西嶽、これ「山」「嶽」という字が出てきて、更に華山がありますね!これはすごい二つの泰山と華山とは霊山でして、要するに神聖あらたかな、要するに大事な山でして、

昔から、ここに書いてあることは、これは甲骨文や金文の時代よりもかなり後で《管子》は結局戦国時代(春秋時代)に管仲(前725-645年、管鮑の交わりで有名)が書いた思想書ですね!

封禅と、前々回の時に最後にその皇帝が玉などを身に着けて、すごい大切な儀式をすると話しましたが封禅と言うんです!

これはやはり司馬遷の書いた《史記》にも、封禅書があり、わざわざこれを一つの篇を立ててたくらい大事な概念でして、ここに書いてあることを言いますと、

結局、泰山の上に土を築いて、祭壇となして、それで天を祀ると書いてありまして、天の神様に対して、山の上に登って、貴人が儀式を行うこと、天の功に報いる、それを封と言うと書いてありまして、

それでかつ泰山の下の方をきれいに整地して、地の神様に挨拶する儀式、それを禅というと書いてありまして、その中でやっぱり玉牒の書を書いたりとか、玉がやっぱり大事でして、

それでこの絹の上に黄と書いてありますね。やはりこの黄色も大事な概念でして、それで泰山を祀っていたと書いてありますが、

実際この《泰山刻石》と秦の始皇帝が28年(前219年)に泰山に行き、大事な儀式をして、それを刻んで小篆、始皇帝が李斯という家臣に漢字を全部まとめなさいと命令して作りました小篆の原典資料でものすごく大事でですが、あまり字がきれいに残っていないから、

だから、《説文解字》に載せられているものは更に200年も後ですが、もっともっと後の東漢、《説文解字》と同じぐらい時代で165年で紀元をまたいで300年を足し算しますが、 《西嶽華山廟碑》は隷書ですけど、もうこれは今度やりましょう!

また、この書の歴史も、文字の歴史から、すごい大事ですよね!これも美しい隷書でして、(《爾雅·釋山》には)泰山を東獄となして、華山を西獄となす、と書いてありますから、東と西でもう横綱みたいに大事な山があったと言えると思います!

もう一つこの泰山とは、やはり、東で昔、戦国時代には齊と魯という国があり、そこではやはり黄帝がすごい大事で黄帝も前に実際に金文を出して、黄帝という文字が最初に出てきたのは、ここだといいましたが、齊系金文で出土した実際に文字の字形からも、齊の文字です。

齊ではやはりこの黄帝を大事にして、華山の「華」、中華の「華」ですから、黄帝とか、中国人はもう本当に炎黄の子孫といいますが、炎帝に黄帝の子孫だと称していて、漢民族が漢族はということで、

漢人、中華、華人とも言い、華人は外国に住んでいる中華系の人間という意味はあり、今は意味や使われ方が分化していますが、中国の中華人民共和国、中華民国の中華で大事でして、やはり山ともつながりがあり、玉を大事にする民族でして、文化意義な背景からも、漢字との関係性が全部まとまってきたと思うんですよね!

これはもう少し時代は後になりますが、こうした文献資料などを見ても、本当にこの封禅、この歴史が《管子》にたまたま書いてあり、この封禅をもう古い時代、これが虙羲(伏羲)がも出てきましたね。昔これは易を八卦を虙羲(伏羲)が作ったんじゃないかということでした!

でも、ちょっと漢字が違いまして、「虙」は「伏」になったり、この音が似ているからですが、「羲」は王羲之の「羲」ですが、本当に伝説、神農とは、炎帝は今言いました私、炎黄の子孫といいます、黄帝も泰山を要するに祀ったということ書いてあるんです。

それで顓頊、黄帝からの子孫たち、帝嚳とか、堯と舜、堯舜の世とか、儒家が理想とする本当に伝説的な王たち、平和な時代だったという(「鼓腹撃壌」などの言い伝えがあり)、みんな泰山を祀りまして、

禹は夏王朝、湯は殷王朝を開いた伝説がありますね。周の成王も祀った、周王朝を開いた人だから、皆、天命、天からあなたが天下を治めなさいとインスピレーションを受け、支配権のよりどころにしたという、

今から言ってみれば、こういうのは、天からあなたが天下を治めなさいと言われたなんて、ちょっと突拍子もない話だけれども、

やはり支配をするために、もうあれだけ広い土地を支配するためには、強烈なそうした西洋でも(絶対王政期の)王権神授説がありますが、天から、神様が、あなたは支配しなさいと言ったから、私が王さまをやってると、皆を納得させるために仕掛けが必要だという意味で支配を安定にするには、もうあまり戦争をバンバンやっていたら、全部グチャグチャで武力支配は、意外とそれは長く続かないと、

みんながどっかまた反旗を翻して、グチャグチャになるけれども、 ある程度安定するためには、こういった権力を文化という形でまとめてゆかないと、広い土地を治められないということで、封禅が大事だったと見えてきたと思います!

今回もう「漢」という字から増えていってしまい、もう最後は、この広い中国を治めるため、こんじゃないかまでいってしまいました!

まあ、中々、本当にKF-Ars Sinica、中華文化の話とか、「漢」を核として色々と発展できたと思います!

今後ともこういった形で、もう文字を見たり、資料を見たり、文献資料を見たり、色々と見て、現物の考古的に発掘されたものなど取り上げてまいりたいと思いますので、何とぞよろしくお願い致します!

今回も炸裂し過ぎました! ありがとうございました。

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