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水墨山水

李成:〈茂林遠岫圖〉45.4×141.8cm 遼寧省博物館

いつもありがとうございます。李成(919-967)は唐朝の帝室の末裔であり、祖父の代に南の蘇州から北の青州に移り、晩年に陳州の刺史に招かれて住みました。儒家に生まれ、寒さに切り立つ樹で逆境に打ち勝つ心を表し、淡墨で鈎勒(輪郭)を描き、皴法(ひだ)で埋める描き方を避け、蟹爪(筆線の点折)で枝振りを描き、樹法(樹の描き方)を見いだしました。

李成は峻厳な山岳ではなく、寒林を描くことにより、樹木の生命力に人間の意思力を重ね、中国絵画に新たな局面をもたらして、元の倪瓚(1301-1374)らに影響を与えました。宋代に山水や花鳥などに仮託して情感を描かれましたが、特に神仙の世界とされた山水と正面から対峙して感得した崇高な精神を昇華させた画境に到達していたことは驚くべきことです。

山水は仙境を示しており、幽玄で気宇壮大な遠景を借り、文人・士人の清廉で虚静恬澹な気質を表明して描かれましたから、書画をただ鑑賞するだけではなく、人生観を味わえるのは東洋絵画の醍醐味です。山水画が独立して成立する過程や系譜を追跡するとき、特に近縁関係にある書法や文学などと重ねながら、時代や地域の気風を感じることが大切になります。

顧愷之(344-405)は鉄線描の遒勁な線質で無皴で色彩で陰影を与えました。王羲之(303-361)と同じく、真筆・真蹟はなく、模本・臨本のみで知られます。王維(699-759)は淡墨で輪郭を描き、中墨で陰影を与え、濃墨で淡墨の輪郭を消す破墨山水を描き、青緑山水も伝わります。当時には淡墨で大まかに描き、中墨・濃墨で陰影を与える溌墨山水も生まれました。

清代の沈宗騫:《芥州學畫編·用墨》は、禅宗になぞらえ、南宗(江南)では破墨、北宗(華北)で溌墨がよく用いられたとしました。山水の変が起こり、彩色画から色が抜けてきて水墨画に深まりました。李思訓(653-718)や李昭道(675-758)は美しい彩色の青緑山水を描きましたが、正倉院琵琶捍撥面の〈騎象胡楽図〉は呉道子(704-749)らしく濃淡で表現されます。

黄公望:《写山水訣》31に「画を描くとき、墨の用い方が最も難しく、淡墨をある程度まで重ねたり、焦墨や濃墨で道筋や遠近を画き分け、生紙に多くの墨のにじみや潤いを生み出した。李成は墨を惜しむこと金の如しはこれである(作畫用墨最難。但先用淡墨積。至可觀處。然後用焦墨濃墨。分出畦徑遠近。故在生紙上有許多滋潤處。李成惜墨如金是也)」と記されます。

李成は太行山洪谷に隠棲した荊浩に学びましたが、平遠(水平方向)を好み、樹法は蟹爪により鋭いですが、山岳はなだらかで対照をなしております。〈晴巒蕭寺図〉は雨点皴によります。〈茂林遠岫図巻〉は天才画家レオナルド(Leonardo da Vinci, 1452-1519)の空気遠近法に500年先立ちなされています。そもそもレオナルドは山水画から学んだとも言われます。

郭煕:《林泉高致》の三遠(山の麓から頂きを見る高遠、前から後の山を眺める平遠、山の前から後を覗く深遠)など自由な視点で山水の生気や人間の情緒が描き出され、西洋絵画の点遠近法はとりません。劉道醇:《宋朝名画評》巻2で「李成之筆、近視如千里之遠(近視するも千里の遠の如し)」「范寛之筆、遠望不離坐外(遠望するも坐外を離れず)」と評しました。

荊浩や関同から高遠(垂直方向)を継承した范寛や郭煕に影響を与え、李郭派の蟹爪樹や雲頭皴をなしました。王羲之の十七帖も断筆で表現されるほど点折が厳しいですが、天賦の画才の呉道子(704-749)も狂草で懐素とならんで知られる張旭や賀知章(659-744)に書を学びました。李郭派は雨点皴、江董巨派は披麻皴をよく用い、水墨山水の二大源流となりました。

中国の書画は、個人差はありますが、本質だけが描かれて痛快ですが、特に李成は真正面から樹を描き、寒気や水流に負けずに天を衝くような気韻が充溢して、直筆の強靱な筆線で鋭く折れ曲がる枝に強靱な意志が感じられます。李成の画風は直筆・中鋒の緩みが一切ない筆線で一家を成した顔真卿(709-785)の気質に通じて興味深いです。ありがとうございました。

○ 青木正兒、奧村伊九良譯編:《歴代畫論(麗澤叢書 1)》[王維:《畫學祕譯》、張彦遠:《歴代名畫記》、荊浩:《筆法記》、郭煕:《林泉高致》、敦若虚:《圖畫見聞誌》、韓拙:《山水純全集》、鄧椿:《畫繼》、湯垕:《畫鑒》、黄公望:《寫山水訣》](東京:弘文堂,1942年)
○ 米澤嘉圃:《中國繪畫史研究―山水畫論》(東京:平凡社,1962年)
○ 今關壽麿:《東洋畫論集成》(東京:講談社,1979年)
○ 劉道醇:《宋朝名畫評(中國書畫全書)》(上海:上海辭書出版社,1992年)
○ 島田修二郎:《中國繪畫史研究》8東京:中央公論美術出版社,1993年)
○ 内藤湖南:《支那繪畫史》(東京:筑摩書房,2002年)
○ 潘運吉:《中國歴代畫論選》(長沙:湖南美術出版社,2007年)
○ 盧炘:《潘天壽論藝》(上海:上海書畫出版社,2010年)
○ 鈴木敬:《中國繪畫史》(東京:吉川弘文館,2011年)
○ 王群栗點校:《宣和畫譜(中國藝術文獻叢刊)》(杭州:浙江人民美術出版社,2012年)
○ 竹浪遠:《唐宋山水畫研究》(東京:中央公論美術出版社,2015年)
○ 河野道房:《中國山水畫史研究》(東京:中央公論美術出版社,2018年)

• 張彦遠撰,長廣敏雄譯註:《歴代名畫記(東洋文庫305、311)》(東京:平凡社,1977年)
• 劉道醇:《五代名畫補遺》(北京:中華書局,1985年)
• 韓拙撰,唐寅輯:《韓氏山水純全集》(北京:中華書局,1985年)
• 新藤武弘:《山水畫とは何か》(岡山:福武書店,1989年)
• 小川裕充、弓場紀知:《世界大美術全集 東洋編5》(東京:小學館,1998年)
• 衣若芬:《蘇軾題畫文學研究》(臺北:文津出版社,1999年)
• 趙聲良:《敦煌壁畫風景の研究(敦煌學叢書)》(東京:比較文化研究所,2005年)
• 宇佐美文理:《中國藝術理論史研究》(東京:創文社,2015年)
• 郭煕撰,楊伯點校:《林泉高致》(北京:中華書局,2016年)
• 荊浩撰,王伯敏點校:《筆法記》(北京:人民美術出版社,2016年)
• 郭若虚撰,黄苗子點校:《圖畫見聞志》(北京:人民美術出版社,2016年)
• 鄧椿、莊肅撰,黄苗子點校:《畫繼・畫繼補遺》(北京:人民美術出版社,2016年)
• 黄公望撰,鄧以蟄點校:《寫山水訣》(北京:人民美術出版社,2016年)
• 沈宗騫撰,齊振林點校:《芥舟學畫編》(北京:人民美術出版社,2016年)

• 宋人:《宣和畫譜·卷十一·山水二》(1120年)

李成字咸熙。其先唐之宗室,五季艱難之際,流寓於四方,避地北海,遂為營丘人。父祖以儒學吏事聞於時。家世中衰,至成猶能以儒道自業。善屬文,氣調不凡,而磊落有大志。因才命不偶,遂放意於詩酒之間,又寓興于畫,精妙初非求售,唯以自娯於其間耳。故所畫山林、藪澤、平遠、險易、縈帶、曲折、飛流、危棧、斷橋、絕澗、水石、風雨、晦明、煙雲、雪霧之狀,一皆吐其胸中而寫之筆下。如孟郊之鳴於詩,張顛之狂於草,無適而非此也。筆力因是大進。于時凡稱山水者,必以成為古今第一,至不名而曰李營丘焉。然雖畫家素喜譏評號為善褒貶者,無不斂衽以推之。嘗有顯人孫氏知成善畫得名,故貽書招之。成得書且憤且歎曰:「自古四民不相雜處,吾本儒生,雖游心藝事,然適意而已,奈何使人羈致入戚里賓館,研吮丹粉而與畫史冗人同列乎?此戴逵之所以碎琴也。」卻其使不應。孫忿之,陰以賄厚賂營丘之在仕相知者,冀其宛轉以術取之也。不踰時而果得數圖以歸。未幾成隨郡計赴春官較藝,而孫氏卑辭厚禮復招之,既不獲已,至孫館,成乃見前之所畫,張於謁舍中。成作色振衣而去。其後王公貴戚。皆馳書致幣懇請者不絕於道,而成漫不省也。晚年好遊江湖間。終於淮陽逆旅。子覺以經術知名,踐曆館閣。孫宥嘗為天章閣待制,尹京,故出金帛以購成之所畫甚多,悉歸而藏之。自成歿後名益著,其畫益難得,故學成者皆摹仿成所畫峰巒泉石,至於刻畫圖記名字等,庶幾亂真,可以欺世,然不到處,終為識者辨之。第名之不可揜而使人慕之如是,信公議所同焉。或云又兼善畫龍水,亦奇絕也。但所長在於山水之間,故不稱云。今御府所藏一百五十有九:
重巒春曉圖四,煙嵐春曉圖二,夏山圖二,夏景晴嵐圖二,夏雲出谷圖四,秋山圖三,秋山靜釣圖一,冬晴行旅圖二,秋嶺遙山圖二,山鎖秋風圖二,冬景遙山圖二,密雲待渡圖二,江山密雪圖三,林石雪景圖三,群山雪霽圖三,雪麓早行圖一,雪溪圖二,雪峰圖一,愛景晴嵐圖三,愛景寒林圖三,寒林圖八,寒林獨玩圖一,奇石寒林圖二,巨石寒林圖四,嵐煙晚晴圖三,煙嵐曉景圖七,晴嵐曉景圖八,嵐光清曉圖二,曉嵐平遠圖二,曉景雙峰圖二,闊渚晴峰圖二,曉嵐圖一,晴嵐圖二,晴巒圖二,晴巒平遠圖三,晴巒蕭寺圖二,晴峰霽靄圖二,晴江列岫圖二,橫峰曉霽圖三,峻峰茂林圖一,喬木蕭寺圖一,長山平遠圖二,古木遙岑圖四,霧披遙山圖三,山陰磨溪圖二,髙山圖三,平遠圖一,雙峰圖三,山腰樓觀圖三,讀碑窠石圖二,煙峰行旅圖二,遠浦遙岑圖一,煙波漁艇圖一,江山漁父圖一,亭泉松石圖一,秀峰圖一,平遠窠石圖一,起蟄圖一,大寒林圖四,小寒林圖二,山谷晴嵐圖二,江皋群峰圖三,老筆層峰圖二,群峰灌木圖二,春山早行圖三,春雲出岫圖二。

範寛字中立,華原人也。風儀峭古,進止疏野,性嗜酒,落魄不拘世故,常往來於京洛。喜畫山水,始學李成,既悟,乃歎曰:「前人之法未嘗不近取諸物,吾與其師於人者,未若師諸物也。吾與其師於物者,未若師諸心。」於是舍其舊習,卜居於終南、太華岩隈林麓之間,而覽其雲煙慘淡,風月陰霽,難狀之景,默與神遇,一寄于筆端之間。則千岩萬壑,恍然如行山陰道中,雖盛暑中,凜凜然使人急欲挾纊也。故天下皆稱寛善與山傳神,宜其與關、李並馳方駕也。蔡卞嘗題其畫云:「關中人謂性緩為寛,中立不以名著,以俚語行,故世傳范寛山水。」今御府所藏五十有八:
四聖搜山圖一,春山圖二,春山平遠圖三,春山老筆圖二,夏山圖十,夏峰圖三,夏山煙靄圖三,秋山圖四,秋景山水圖二,煙嵐秋曉圖二,冬景山水圖二,雪景寒林圖一,雪山圖二,雪峰圖二,寒林圖十二,山陰蕭寺圖二,海山圖一,崇山圖三,煉丹圖一。

• 荊浩:《筆法記》

山水之象,気勢相生。故尖曰峰,平曰頂,圓曰巒,相連曰嶺,有穴曰岫,峻壁曰崖,崖間崖下曰岩,路通山中曰谷,不通曰峪,峪中有水曰溪,山夾水曰澗。其上峰巒雖異,其下崗嶺相連,掩映林泉,依稀遠近。夫畫山水,無此象亦非也。有畫流水,下筆多狂,文如断綫,無片浪高低者,亦非也。夫霧雲烟靄,輕重有時,勢或因風,象皆不定,須去其繁章,采其大要。先能知此是非,然后受其筆法。

• 郭煕:《林泉高致》

山水,大物也。人之看者,須遠而觀之,方見得一障山川之形勢氣象。若士女人物,小小之筆,即掌中几上,一展便見,一覧便盡,此看畫之法也。世之篤論,謂山水有可行者,有可望者,有可游者,有可居者。畫凡至此,皆入善品。但可行可望不如可游可居之爲得,何者?觀今山川,地占數百里,可游可居之處十無三四,而必取可居可游之品。君子之所以渇林泉者,正爲佳處故也。故畫者當以此意造,而鑒者又當以此意求之,謂不失本意。畫亦有相法,李成子孫昌盛,其山脚地面皆渾厚闊大,上秀而下豐,人之有後之相也,非必論相兼,理當如此故也。

• 黃公望:《寫山水訣》

近代作畫。多宗董源李成二家。筆法樹石。各不相似。學者當盡心焉。樹要四面倶有干與枝。蓋取其圓潤。樹要有身分、畫家謂之紐子。要折搭得中。樹身各要有發生。樹要偃仰稀密相間。有葉樹枝軟。面後皆有仰枝。
畫石之法。先從淡墨起。可改可救。漸用濃墨者為上。石無十步真。石看三面。用方圓之法。須方多圓少。董源坡腳下多有碎石。乃畫建康山勢。董石謂之麻皮皴。坡腳先向筆畫邊皴起。然後用淡墨破其深凹處。著色不離乎此。石著色要重。董源小山石。謂之礬頭。山中有云氣。此皆金陵山景。皴法要滲軟。下有沙地。用淡墨掃。屈曲為之。再用淡墨破。山論三遠。從下相連不斷。謂之平遠。從近隔開相對。謂之闊遠。從山外遠景。謂之高遠。山水中用筆法。謂之筋骨相連。有筆有墨之分。用描處糊突其筆。謂之有墨。水筆不動描法。謂之有筆。此畫家緊要處。山石樹木皆用此。大概樹要填空。(去聲)小樹大樹。一偃一仰。向背濃淡。各不可相犯。繁處間疏處。須要得中。若畫得純熟。自然筆法出現。畫石之妙。用藤黃水浸入墨筆。自然潤色。不可用多。多則要滯筆。間用螺靑入墨亦妙。呉妝容易入眼。便墨士氣。皮袋中置描筆在內。或於好景處。見樹有怪異。便當模寫記之。分外有發生之意。登樓望空闊處氣韻。看雲採。即是山頭景物。李成郭煕。皆用此法。郭煕畫石如雲。古人云。天開園畫者是也。
山水中惟水口最難畫。遠水無痕。遠人無目。水出高源。自上而下。切不可斷脈。要取活流之源。山頭要折搭轉換。山脈皆順。此活法也。眾峰如相揖遜。萬樹相從。如大軍領卒。森然有不可犯之色。此寫真山之形也。山坡中可以置屋舎。水中可置小艇。從此有生氣。山腰用雲氣。見得山勢高不可測。畫石之法。最要形象不悪。石有三面。或在上。在左側。皆可為面。臨筆之際。殆要取用。 20.山下有水潭謂之瀬。畫此甚存生意。四邉用樹簇之。畫一窠一石。當逸墨撇脫。有士人家風。才多便入畫工之流矣。 或畫山水一幅。先立題目。然後著筆。若無題目。便不成畫。更要記春夏秋冬景色。春則萬物發生。夏則樹木繁冗。秋則永珍粛殺。冬則煙雲黯淡。天色模糊。能畫此者為上矣。李成畫坡腳。須要數層。取其溼厚。米元章論李光丞有後代兒孫昌盛。果出為官者最多。畫亦有風水存焉。松樹不見根。喩君子在野。雑樹喩小人崢嶸之意。夏山欲雨。要帶水筆。山上有石。小塊堆其上。謂之礬頭。用水筆暈開。加淡螺靑。又是一般秀潤。畫不過意思而已。冬景借地為雪。要薄粉暈山頭。
山水之法。在乎臨機應變。先記皴法。不雜佈置。遠近相映。大概與寫字一般。以熟為妙。紙上難畫。絹上礬了好著筆。好用顏色。易入眼。先命題目。此謂之上品。古人作畫。胸次寛闊。佈景自然合古人意趣。畫法盡矣。好絹用水噴溼。石上槌眼匾。然後上幀子。礬法春秋膠礬停。夏日膠多礬少。冬天礬多膠少。著色螺靑拂石上。藤黃入墨。畫樹甚色潤好看。作畫只是個理字最緊要。吳融詩云:良工善得丹靑理。作畫用墨最難。但先用淡墨積。至可觀處。然後用焦墨濃墨。分出畦徑遠近。故在生紙上有許多滋潤處。李成惜墨如金是也。作畫大要,去邪甜俗頼四個字。山水之作,昉自漢唐,古筆遺墨,不復多見。米南宮評品稱董北苑無半點李成、范寬俗氣,一片江南景也。厥後僧巨然、陸道士皆宗其法,陸筆罕見,然筆往往有之,亦有逼於董者。其有學於然者曰:「江貫道用墨輕淡勻潔,林木樹葉,排列珠琲,宋人亦珍之,視然則大有徑庭矣。」作山水者,必以董為師法,如吟詩之學杜也。

皴法:披麻皴[麻皮皴](董源・巨然)、斧劈皴(李唐・馬遠)、雲頭皴(郭熙・王詵)、米點皴(米芾・米友仁)、雨點皴(荆浩・關同・李成・范寛)、折帶皴(倪瓚)、解索皴[牛毛皴](王蒙)

山水画は人類の奇蹟にして至宝ですね!六朝の顧愷之から、北宋の郭熙まで、伝世作品のほぼ全てを置きました。山水画の歴史や系譜をお暇なときにお楽しみ下さいませ。

李成:〈晴巒蕭寺圖〉110.5×55.7cm ネルソン美術館
(傳)李成:〈寒鴉圖卷〉27.1×113.2cm 遼寧省博物館
(傳)李成:〈小寒林圖〉李郭派 39.8×72.4cm 遼寧省博物館
(傳)李成:〈喬松平遠圖〉模本 205.6×126.1cm 澄懷堂文庫
(傳)李成:〈寒林平野圖〉李郭派 137.8×69.2cm 臺北故宮博物院
(傳)李成:〈寒江釣艇圖〉李郭派 170.0x101.9cm 臺北故宮博物院
(傳)李成:〈群峰雪霽圖〉77.3×31.6cm 臺北故宮博物院
(傳)李成:〈寒林圖〉180.0×104.0cm 臺北故宮博物院
(傳)李成:〈讀碑窠石圖〉李郭派 126.3×104.9cm 大阪市立美術館
(傳)李成:〈寒林策驢圖〉李郭派 161.9×100.3 張大千舊藏 メトロポリタン美術館
(傳)顧愷之:〈女史箴圖〉模本 24.8×348.2cm 大英博物館
(傳)顧愷之:〈洛神賦圖〉模本 27.1×572.8cm 北京故宮博物院
(傳)展子虔:〈游春圖〉43.0×80.5cm 北京故宮博物院
(傳)李思訓:〈江帆樓閣圖〉模本 101.9×54.7cm 臺北故宮博物院
李昭道:〈春山行旅圖〉95.5×55.3cm 臺北故宮博物院
李昭道:〈明皇幸蜀圖〉55.9×81.0cm 臺北故宮博物院
(傳)王維:〈江山雪霽圖〉28.4×171.5cm 京都小川家舊藏
(傳)王維:〈輞川圖〉29.4×481.6cm 長崎聖福寺舊藏
敦煌莫高窟 第62窟 北壁西側〈山間禪僧〉隋代
敦煌莫高窟 第103窟 南壁西側〈法華經變化城喩品〉盛唐
琵琶捍撥面〈騎象胡樂圖〉97.0×40.5cm 正倉院
王處直墓 前室北壁〈山水圖〉167.0X220.0㎝ 924年
葉茂臺遼墓〈深山棋會圖〉107×54cm 遼寧省博物館 980年
〈丹楓呦鹿圖〉118.5×64.6cm 臺北故宮博物院
(傳)董源:〈寒林重汀圖〉模本 179.9×115.6cm 黒川古文化研究所
(傳)董源:〈夏景山口待渡圖〉模本 49.8×329.4cm 遼寧省博物館
(傳)董源:〈瀟湘圖〉模本 50.2×141.4cm 北京故宮博物院
董源:〈龍宿郊民圖〉156.0×160.0cm 臺北故宮博物院
董源:〈洞天山堂圖〉183.2×121.2cm 臺北故宮博物院
(傳)董源:〈江隄晚景圖〉179.0×116.5cm 臺北故宮博物院
(傳)董源:〈溪岸圖〉221.0×109.0cm ニューヨーク・メトロポリタン美術館
(傳)巨然:〈層巖叢樹圖〉144.1×55.4cm 臺北故宮博物院
巨然:〈蕭翼賺蘭亭圖〉144×59.6cm 臺北故宮博物院
(傳)巨然:〈萬壑松風圖〉張大千模本 200.7×77.5cm 上海博物館
(傳)巨然:〈溪山蘭若圖〉185.5×57.5cm クリーブランド美術館
(傳)巨然:〈秋山問道圖〉165.2×77.2cm 臺北故宮博物院
(傳)巨然:〈山居圖〉67.5×40.5cm 大阪齊藤家舊藏
(傳)巨然:〈雪圖〉103.6×52.5cm 臺北故宮博物院
(傳)巨然:〈溪山林薮圖〉120.0×60.5 cm 臺北故宮博物院
(傳)巨然:〈秋山圖〉156.2×77.2cm 臺北故宮博物院
(傳)荊浩:〈匡廬圖〉模本 185.8×106.9cm 臺北故宮博物院
(傳)荊浩:〈雪景山水圖〉138.3×75.5cm ネルソン・アトキンズ美術館
(傳)關同:〈秋山晩翠圖〉模本 140.5×57.3cm 臺北故宮博物院
(傳)關同:〈關山行旅圖〉模本 144.4×56.8cm 臺北故宮博物院
(傳)關同:〈山谿待渡圖〉模本 156.6×99.6cm 臺北故宮博物院
范寬:〈谿山行旅圖〉206.3×103.3cm 臺北故宮博物院
山頂部分
范寬:〈秋林飛瀑圖〉160.0×99.5cm 臺北故宮博物院
山頂部分
(傳)范寬:〈臨流獨坐圖〉156.4×106.0cm 臺北故宮博物院
(傳)范寬:〈雪山蕭寺圖〉182.4×108.2cm 臺北故宮博物院
(傳)范寬:〈雪景寒林圖〉193.5×160.3cm 天津博物館
郭熙:〈早春圖〉絹本墨畫淡彩 158.3×108.1cm 臺北故宮博物院 落款「早春壬子年郭煕筆」 1072年
郭熙:〈山莊高逸圖〉188.8×109.1cm 臺北故宮博物院
郭熙:〈關山春雪圖〉197.1×51.2cm 臺北故宮博物院
郭熙:〈寒林圖〉153.0×98.8cm 臺北故宮博物院
(傳)郭熙:〈窠石平遠圖〉模本 120.8×167.7cm 北京故宮博物院
(傳)郭熙:〈樹石平遠圖〉模本 32.4×104.8cm メトロポリタン美術館
郭熙:〈溪山秋霽圖〉35.5×103.2cm フリヤ美術館
郭熙:〈秋山行旅圖〉141.6×97.0cm 米國個人藏
郭熙:〈雙松圖〉155.5×101.5cm 個人藏
郭熙:〈溪山訪友圖〉96.5×46.3 雲南省博物館
郭熙:〈幽谷圖〉模本 167.7×53.6cm 上海博物館
郭熙:〈山村圖〉54.2×109.8cm 南京大學博物館

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