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ドメニコ・スカルラッティとマリア・バルバラ王妃のポルトガル・スペイン宮廷音楽①

Jacopo Amiconi, Joseph Flipart (1751). La Familia de Fernando VI.
スカルラッティやファリネッリがいた頃のスペイン宮廷です。

皆さま、お元気でしたか。ごぶさたしておりました。音楽サロンのご要望を頂き、第6回はドメニコ・スカルラッティを取り上げることにしました。昨年は没後260周年、今年は生誕333周年です。鍵盤ソナタを選定するため、昨年から600曲近くの鍵盤ソナタの楽譜を見ながら聴き、チェンバロやフォルテピアノによる演奏、クララ・ハスキル、カスリーン・ロング、マルセル・メイエ、マリア・ティーポーなど偉大なピアニストたちのレコードも聴きました。イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・フランス語・ドイツ語・英語の資料を集めました。彼以前や同時代の音楽がどう影響して、彼自身の作風がどう変遷して、彼の作品がヨーロッパ全土にどう伝播して、彼のアイディアがどう影響を与えたかを考察して、ドメニコ・スカルラッティの先進性や独創性を明確にするように努めてまいりました。

ドメニコ・スカルラッティの作品は、カークパトリック番号付き555曲にイタリアやイベリアで新発見の数十曲を加え、600曲ほど伝わり、15年かけて何十週も聴きましたが、今だに飽きることなく、作曲のコツ、演奏の習慣、作風の変遷など得ることが多いです。今回も楽譜資料と演奏習慣から、作品の構造を把握して、実際に作品を演奏して、思考の詳細まで理解するように努めました。作曲家の発想や演奏家の工夫に気づくことが、音楽のおもしろさにつながるからです。スカルラッティの鍵盤音楽には、当時のあらゆる様式が登場しますが、イタリア語の動詞「鳴る(suonare)」を語根とする名詞「鳴り物(sonata)」と控えめに題されますが、豊かな楽想・旋律・和声・リズムなど、チャーミングなアイディアの宝庫です。数分に凝縮した簡潔さは天才音楽家が数々の経験や研鑽を積み重ねて行き着いた極致です。

ドメニコ・スカルラッティの鍵盤ソナタは「18世紀のロック」です。クラッシック音楽のイメージを破壊するパッションとインパクトがあります。スカルラッティの先進性や独創性は、和音の転回(inversion)により、通奏低音や根音から自由になり、予測されやすい低音の流れによらず、次の展開をさとられない瞬時の転調などに感じられます。鍵盤で実験を繰り返し、既成の概念を壊し始め、聴覚を楽しませるユニークな音楽を作り続け、創造力と構想力を発揮したことは驚くに値します。

スカルラッティの魅力は少ない音で豊かな響きを生んだことです。音楽をモデルにして転調のルートや多様なリズムなどを示した二十年以上の講義記録であり、記譜されにくい即興手法、多様なリズムや音型も知ることができます。前衛的な手法でも、作品を構成するとき、伝統的な枠組みに従い、見せ場で使うなど、受け入れやすく工夫されています。スカルラッティは教会・宮廷・民衆のあらゆる音楽を体験して大きなスケールに基づき、斬新な実験を重ねた天才でした。新しい手法を生み続け、郷愁を漂わせた温雅な響きで情感を表すに到り、音楽の日記となり、愛すべき作品を生みました。

スカルラッティは天真爛漫で自由奔放で天才的な音楽家であり、創造的な開拓者です。私の趣味は固定観念や既成概念を破壊する発想や手法を見つけ、フレッシュな観点からハイセンスな世界を楽しむことですが、彼の作品はチャーミングな装飾音やスリリングなコードの選び方など、音楽のアイディアの宝庫です。今回の音楽サロンはかなり斬新でユニークな音楽体験となり、クラシック音楽へのイメージが大きく覆されると思います。お楽しみにいらして下さい。

Domenico Scarlatti & Maria Bárbara de Bragança
ドメニコ・スカルラッティとマリア・バルバラ王妃の
ポルトガル・スペイン宮廷音楽

天才音楽家ドメニコ・スカルラッティの鍵盤ソナタは「18世紀のロック」です。型破りな楽想・旋律・和声・リズムなど、チャーミングなアイディアの宝庫です。ポルトガル王女でスペイン王妃バルバラへの二十年以上にわたる音楽講義記録です。当時のあらゆる様式のモデル、即興のプラン、旋律のライン、転調のルートが示され、簡潔な筆致による温雅な情感は、豊かな経験や研鑽を積み重ねて行き着いた極致です。優雅でハイセンスなコードがダイナミックなリズムに乗せて次から次へと繰り出され、クラッシック音楽のイメージを根底から破壊するパッションとインパクトがあります。先進性と創造性が炸裂する斬新でユニークな音楽体験をお楽しみにいらして下さい!

2021年7月4日(動画増補)

〈シンフォニア イ長調(Sinfonia à 4)〉Grave – Presto – Adagio – Allegressimo. Presto(1710年代・F-Pn Rés. 2634)

〈マニフィカート ニ短調(Magnificat à 4 [e continuo])〉(1714-19年頃・D-Müs Santini Hs. 3959)

〈カンタータ(Cantata. Che vidi oh ciel, che vidi)〉Aria. Se nube oscura(1729年頃・A-Wn Mus.Hs.17664 Nr. 5)

〈サルヴェ・レジーナ イ長調(Salve Regina)〉(1756年・I-Nc 22-4-2; I-Bc Kk 95; D-B Mus.ms. Winterfeld 13)

〈ソナタ ホ長調〉K.28/L.373/P.84(1738年・3/8・Presto・Essercizi)
Alicia de Larrocha (1961); Edward Parmentier (1994)

〈ソナタ 二長調〉K.29/L.461/P.85(1738年・C・Presto・Essercizi)
Nina Milkina (1958)

〈ソナタ 二短調〉K.32/L.423/P.14(1739年・3/8・Aria・Roseingrave)
Jeanne Bovet (1976)

〈ソナタ ニ長調〉K.45/L.265/P.230(1742年・12/8・Allegro・Venezia XIV)
Kathleen Long (1951)

〈ソナタ ホ長調〉K.46/L.25/P.179(1742年・₵・Presto・Venezia XIV)
Vladimir Horowitz (1946)

〈ソナタ ニ長調〉K.119/L.415/P.217(1749年・3/8・Allegro・Venezia XV)
Marcelle Meyer (1954)

〈ソナタ ト長調〉K.146/L.349/P.106(1750年頃・3/8・―・Fitzwilliam)
Vladimir Horowitz (1964)

〈ソナタ 変ホ長調〉K.193/L.142/P.254(1752年・3/8・―・Venezia II)
Clara Haskil (1950)

〈ソナタ ホ長調〉K.215/L.323/P.281(1753年・3/4・―・Venezia III)
Jacqueline Ogeil (2007)

〈ソナタ ホ短調〉K.233/L.467/P.497(1753年・3/8・Allegro・Venezia III)
Soulima Stravinsky (1949)

〈ソナタ 変ロ長調〉K.249/L.39/P.424(1753年・3/8・Allegro・Venezia IV)
Scott Ross (1984-85)

〈ソナタ ニ短調〉K.294/L.67/P.470(1753年・3/4・Andante・Venezia V)
Irina Zahharenkova (2012)

〈ソナタ イ長調〉K.322/L.483/P.360(1753年・₵・Allegro・Venezia VI)
Arturo Benedetti Michelangeli (1952)

〈ソナタ ホ短調〉K.394/L.275/P.349(1754年・₵・Allegro・Venezia VIII)
Maria Tipo (1987)

〈ソナタ ト長調〉K.454/L.184/P.423(1756年・3/4・Andante spiritoso・Venezia XI)
Maria Tipo (1987)

〈ソナタ 変ホ長調〉K.474/L.203/P.502(1756年・3/4・Andante è cantabile・Venezia XI)
Marcelle Meyer (1955)

〈ソナタ ハ長調〉K.515/L.255/P.417(1757年・3/4・Allegro・Venezia XIII)
Clara Haskil (1950)

〈ソナタ 変ロ長調〉K.550/L.S42/P.554(1757年・₵・Allegretto・Parma XV)
Scott Ross (1984-85)

2017年4月21日

皆さま、昨日もお忙しいところ、お友達といらして下さり、ありがとうございました。おかげさまで和やかな雰囲気で楽しいサロンとなりました。林さんはコンピューターをお貸し下さり、会場のセッティングや皆さまとのコミュニケーションなど、初回から津谷さんとお助け下さり、金井さんは楽譜を音楽と同期するよう、進んでご協力くださり、本当に助かりました。総勢13名でした。皆さまの会費は昨日の会場をお借りしたり、資料を海外から取り寄せ、御茶菓子のご用意をしたり、コンピュータやプロジェクタを購入するため大切に使います。お片付けのお手伝いまでありがとうございました。今回はいつもいらして下さる方、楽しみにして下さりました方が、ご体調やお仕事のご都合でご参加かなわず、温かいご声援をお寄せ下さり、ありがとうございました。音楽を愛する全ての皆さまへ感謝を申し上げます。

スカルラッティを体験する瞬間に何を感じるか、演奏する瞬間に何を感じるか、音楽と向き合う過程や方法をお見せしたいと荒削りながらアドリブなスタイルで致しました。特に音楽を初めとして地球の人類の文化を愛しており、素敵な作品を通じて、人類の思考様式や発想過程を明晰に知り、人間に触れることを楽しみとして、現代に活かして創造する手がかりとなるように生きております。音楽家や研究家の方に対して敬意を懐きまして、何かしら役に立ちましたら光栄に存じます。先行研究の蓄積が重要であり、探求の根底を支えています。音楽は人類の文化であり、文化は人的な交流により、地域性や時代性を形成して、実際に作品に反映されますから、楽譜のフレーズレベル、更にはある音がそこに置かれているミクロなレベル(音楽サロンでは二時間で濃縮せざるを得ないですが、)今回はミクロとマクロを調和させ、スカルラッティを中心に師弟関係や人間関係の系譜にフォーカスして、彼が接しえた音楽・様式・発想・体験を洗い出し、今まで体験してきた楽譜資料とサウンドを頭の中で検索エンジンを働かせ、スカルラッティのある作品の楽譜を前にして、彼のアイディアや作曲プロセスを探ろうと努めました。特にスカルラッティの音楽は、過去の音楽史が経験してきた旋法感・調性感・和声感が混然一体となり、鍵盤ソナタに教会音楽、宮廷音楽、大衆音楽、民族音楽などの豊かな経験が投入されモデル化されており、皆さまにお話する発想が多くてやりがいがありました。

完璧な講義を計画した通りに卒なくすることではなく、私が日ごろからしていること、頭の中で起きていること、音楽が語りかけてくること、瞬間の気づきや楽しみなど、皆さんの前でそのプロセスをまるまるそのままお見せしたいことから、細かい事まで分析して資料を作製いたしましたが、実際に音楽を聴きながら、楽譜を流しながら、皆さんの前でアドリブでコメントしてゆくスタイルとなりました。文化を追究するにあたり、知性と感性の調和を大切にしており、昨日のよう体験しながら追求してまいり、感覚で体験したことを論理で構築する訓練をしており、音楽でコミュニケーションをする感性が高まり続けている実感を伴います。伝統的な対位法や和声法などの限界をアイディアで突破したスカルラッティは、バロック音楽のモノディー様式や通奏低音から出発して、試行錯誤を即興演奏のように繰り返し、チャーリー・パーカーやコルトレーンが発見した極意に既に300年前に達しており、しかも流れの中でさりげなく飛んでもないアイディアを使い、和声コードを三つの変形の操作に公理化した新リーマン理論(Neo-Riemannian theory)など、モダンジャズの音楽家が西洋音楽の歴史や民族音楽などを探求して到達したアイディアと同等であることは驚きを禁じ得ません。

スカルラッティがシンフォニア、室内楽曲、教会作品、オペラ、室内カンタータ、セレナータなどを生み出したイタリア時代やポルトガル時代から始めました。幕開けとしてふさわしい①〈シンフォニア イ長調(Sinfonia à 4)〉(1710年代・F-Pn Rés. 2634)は器楽の四パートで書かれ、実際にパートを見たとき、スカルラッティがどこから手を付けて作り出したかを考え、特に通奏低音上に協和音程を重ねるか、旋律を模倣しずらして置くことにより、声部を増やせました。Graveはホモフォニックで前者であり、Prestoはフガートで後者であり、完全音程で模倣して、五度圏を発達させ、Adagioで和音の転回で優しい響きになり、Allegressimo. Prestoが続き、和声進行の基本構造を守り、音価を完全分割(三分割)と不完全分割(二分割)しや計量記譜法の名残から三拍子系と二拍子系を合成してリズムが記譜されました。また、カルダーラ(Antonio Caldara, 1670-1736)の〈シンフォニア(Sinfonia "La Serenissima")〉を例にレグレンツィ(Giovanni Legrenzi, 1626-1690)が構想したヴェネツィアの音楽がオーストリアに伝わり、ウィーン古典派の土台となり、小規模な弦楽合奏のシンフォニアは弦楽四重奏曲の母体となり、弦楽パートをオーボエやトランペットなど管楽パートに置き換えたり、フガートにしたり、模倣してなぞり、ティンパニーなど打楽器も通奏低音をなぞり、華やかで広がりのあるサウンドにして、交響曲の母体となるオーケストリゼションになりました。音楽はiPS細胞のように基本からどのようにも発展できました。指揮法や作曲法に興味があり、オーケストレーションと楽器の使用法と旋律の構成法を取り上げました。

次に教会音楽家として、パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina, 1525-1594)の〈マニフィカート(Magnificat octo tonum I)〉(1591年)を例に古様式(stile antico)の伝統を考察しました。ヴィチェンティーノ(Nicolà Vicentino, 1511-1575)の《現代の実践における古代の音楽(L' antica musica ridotta alle moderna prattica)》(1555年)のMadonna, il poco dolceはエンハーモニックに転調するマドリガーレでアルキチェンバロ(archicembalo)で演奏され、マレンツィオ(Luca Marenzio, 1553-1599)らは半音進行や音画技法を実験して、O voi che sospirate(1581年)は五度圏を一周する転調を楽しめました。理論実践の両面で試行錯誤を重ね、旋法(modal)から調性(tonal)に移り、和声を発見した伝統がありました。パレストリーナは第一旋法(ドリア旋法)でスカルラッティはニ短調(ルネサンス的に言えばD上に移高されたエオリア旋法)のマニフィカートでしたが、和声進行が加味され、「歓喜する(Et exsultavit)」で昂揚したり、音楽と言葉を一致させ、ニ短調から同主調のニ長調に転調したり、声部の対比技法も活用されていました。スペインのゲレーロ(Francisco Guerrero, 1528-1599)の多声化されたビリャンシーコは長短音階やホモフォニックな構造を持ち、ポルトガルのドゥアルテ・ローボ(Duarte Lôbo, c.1565-1646)は声部間の応答で広大な音空間を描きました。中世・ルネサンス・バロック期における対位法と和声法の変遷に興味があり取り上げました。

バロック音楽の基本構造やスカルラッティの作曲手法を網羅するよう、オペラやカンタータを構成するレジタティーヴォとアリアを考察して、スペイン宮廷にも招聘されたボローニャのメタスタージオ(Pietro Metastasio, 1698-1782)の台本による③〈室内カンタータ(Cantata. Che vidi oh ciel, che vidi)〉(1729年頃・A-Wn Mus.Hs.17664 Nr. 5)のレジタティーボPriva del caro beneを聴き、モノディ様式の発展を検討して、カッチーニ(Giulio Caccini, c.1545-1618)の〈麗しのアマリッリ(Amarilli mia bella)〉(1601年・Le nuove musiche)を聴き、四声体が三和音を動かして和声進行する最小単位となり、旋律に与えられる通奏低音は下三声を和声コード化して、ダウランド(John Dowland, 1563-1626)のリュート伴奏のタブラチュア(1611年)では通奏低音が三つか四つの音を持ち、モノディ様式が声楽から器楽に適用した演奏を聴きました。スカルラッティに到るまで世紀をかけて旋律構成・和声進行・リズム法なども豊かになりました。スカルラッティのレジタティーボは次のアリアに連続できるよう、ヴァイオリンのオブリガート声部を協和音程で途中から加えて、華やかに盛り立てられ、アリア〈暗雲(Se nube oscura)〉もその構造を受け継ぎ、オブリガート声部はロンバルドリズム、通奏低音は連打音になり、ソプラノパートは旋律の上下の跳躍が激しく、オブリガート声部と対話していました。父アレッサンドロ(Alessandro Scarlatti, 1660-1725)らの様式を受け継ぎ、緩徐楽章(Adagio)になると三連符の流麗な旋律、前期古典派の和声が顕著でドミナント上や長三度上から上行して、和音を転回して長六度を漂いながらエクスタシーに達する美しいパッセージが現れていました。ペルゴレージ(Giovanni Battista Pergolesi, 1710-1736)やモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)が愛したパッセージでもあり、ナポリ楽派の先進的な書法を感じました。カデンツァでは変ロ長調からニ短調に転じ、前半(Allegro moderato)に再帰するリトルネロ形式でした。ナポリ楽派と前期古典派からマンハイム楽派やウィーン古典派への変遷に興味があり取り上げました。

次にオペラと宗教曲を融合した様式として、スカルラッティの最後の作品④〈元后あわれみの母(Salve regina)〉(1756年・I-Nc 22-4-2; I-Bc Kk 95; D-B Mus. ms. Winterfeld 13)を予定していましたが、ザクセン人のハッセ(Johann Adolph Hasse, 1699-1783)(1744年・MülH 169/9・A-Wn SA.67.D.79)に変更しました。ハッセの音楽はスペイン宮廷でも愛され、ポルポラの弟子ファリネッリ(Carlo Broschi, 1705-1782)がスペイン国王フェリペ六世(Felipe V, 1683-1746)の寝室で歌うアリアは、ハッセの〈アルタセルセ(Artaserse)〉(1730年)の〈青白い太陽(Pallido il sole)〉と〈実に甘美なこの抱擁(Per quel dolce amplesso)〉でした。ハッセはグラウン(Carl Heinrich Graun, 1704- 1759)がいたドレスデンで活躍して、ウィーンでモーツァルト親子と面会しています。オーケストラによる和音と符点音符の動機、ホモフォニックな連打音型の伴奏、オーケストラの序奏とソプラノパートの掛け合い、声楽におけるニ長調の長三度上から初め完全五度上から三度ずつ下降して、最高音の達する一つ前の音を導音化する旋律の構成法など、前期古典派の特徴がありました。後期バロック音楽の基本構造や作曲発想を明確にしてから、鍵盤ソナタに応用することにしました。

先ず、⑤〈ソナタ ホ長調〉(1738年・K.28/L.373/P.84)をアヴィソン(Charles Avison, 1709-1770)が編曲(1744年・Twelve Concerto's in Seven Parts)した〈協奏曲第11番(Concerto XI)〉の第二楽章(Allegro)を聴き、鍵盤音楽との対応関係をしるため、原曲の楽譜を見ながらオーケストラを聴きました。最初期のソナタは管弦楽曲など、既成の様式を鍵盤に転写して手の交差など技巧を凝らして創作したことが分かり、合奏協奏曲(concerto grosso)と鍵盤ソナタ(Sonate per strumento a tastiera)の対応関係を考察しました。スカルラッティは《チェンバロ練習曲集(Essercizi per Gravicembalo)》(1738年)で親友ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685-1759)の〈合奏協奏曲(concerto grosso)〉(Opus 6・HWV 319-324)の主題を借りました。鍵盤楽器は音域が広くて、オーケストラの楽器群を写せて、ヴェネツィア楽派の分割合唱(cori spezzati)に発するコンチェルタート様式(stile concertato)やボローニャ楽派で発達した大集団(ripieno)と小集団(concertino)の対比、ヴァイオリンの旋律やオーケストラの応答があり、シンコペーションでビートを生む所は細切れに書かれ、ティラータにより音楽を押し出す伴奏も写されていました。二本の平行に動く旋律は、鍵盤上では交互に演奏する音型で書かれていました。スカルラッティはクリストフォリ(Bartolomeo Cristofori, 1655-1731)が開発したフォルテピアノをリスボンの宮廷に導入して、マリア・バルバラ王女の教育に当たりました。Scott Ross (1984-85)のチェンバロ演奏とEdward Parmentier (1994)のフォルテピアノ演奏を聴くと、フォルテピアノ(gravicembalo col piano e forte)が19世紀に確立した強弱法ではなく、オーケストラ声部の増減や対比を想定していました。⑥〈ソナタ 二長調〉(1738年・K.29/L.461/P.85)のアヴィソン編曲の〈協奏曲第6番(Concerto VI)〉の第二楽章(con furia)を聴き、トバイアス・マッセイ(Tobias Matthay, 1858-1945)門下のピアニストNina Milkina (1958)を聴きました。イングランドではスカルラッティ愛好家(Scarlattian)が世紀をまたいで受け継がれていました。期待通り、合奏協奏曲の最終楽章のよう、オーケストラの合奏(tutti)とヴァイオリンの独奏(solo)が明瞭に対比され、ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi, 1678-1741)の独奏協奏曲に近づいています。同じ和音を連打する伴奏音型(vamp)は、ハッセの作品でも見られたオーケストラの連打伴奏をコンデンススコアにしたことが分かり、激しくなると細切れな左右の手の連打音や三連符に写されていました。管弦楽曲と対応させ、鍵盤楽曲に限定せず、スカルラッティが想定したインスピレーションを楽譜を通して把握しました。次は⑦〈ソナタ 二短調〉(1739年・K.32/L.423/P.14)をアイルランドの音楽家ロージングレイヴ(Thomas Roseingrave, 1691-1766)が出版した作品からでした。先ずはAriaと書かれ、カヴァリエーリ(Emilio de' Cavalieri, c.1550-1602)の〈幕間曲(Intermedio)〉(1592年)を編曲したガルシ・ダ・パルマ(Santino Garsi, 1542-1604)のリュート曲〈大公のアリア(Aria del Gran Duca)〉(1620年・Dusiacki Lute Book)を聴きましたが関連が弱く、特にコレルリの〈ヴァイオリン・ソナタ〉のサラバンド(1700年・Opus 5/7)とは、三拍子系で調性も同じで旋律が沈み込みにある導音、陰影を生んだ転回形や七の和音の使い方など、関連が強いことが分かりました。ナポリ楽派のラルゴ風アリアにも関係すると考えられます。Jeanne Bovet (1976)のピアノ演奏で聴くと和声感覚ははっきりとしました。

パソコンが突然再起動するトラブルに見舞われましたが、楽譜や音源にアクセスできるようになるまで五分ほど、音楽への向き合い方などをお伝えしました。大量の楽譜や音源などの資料を収集して、音楽家の師弟関係や交友関係により、音楽史を系譜で構成して、音楽体験を総動員して、頭の中の検索エンジンにより、関係性や相違性を考察して、実例から音楽の歴史や構造をマクロでもミクロな視点でも理解しながら、体験と探求を重ねることです。音楽に向き合いリアルなサウンドを体験する発想や方法をお伝えして、昨日のプログラムを構成した仕組みをお話しできました。

⑧〈ソナタ ニ長調〉(1742年・K.45/L.265/P.230)からヴェネツィア写本やパルマ写本を校訂したHeugel版を用いました。先ず楽譜から、通奏低音上の分割変奏(division・diminution)を感じました。コレルリの〈ソナタ ヘ長調〉(1700年・Opus 5/4)の原譜とロンドンでヘンデルに学んだスウェーデンの音楽家ルーミン(Johan Helmich Roman, 1694-1758)が筆写(1715-21年)したマシュー・デュバーグ(Matthew Dubourg, 1703-1767)の〈変奏(variante)〉を聴き、長音価を分割して旋律のラインを形成する手法を確認して、コレルリの原譜でも、八分音符や三連符で特にヘミオラまで用いられ、デュバーグの変奏は一気に上昇したり下降したり音域が広く、跳躍進行を好もました。スカルラッティのソナタに戻り、シンプルな通奏低音に分割して旋律を生み出したことを明らかにしました。第13小節でイ短調になり、左手が短七度を構成して長六度(短三度の転回)へ向かいフリギア終止ぎみになり、右手にオクターブを重ね、係留して浮遊感を生み、左手が強力な順次下降でシンコペーションを伴い、第31小節からでニ短調に転じ、左手に増六または減七の和音が現れ、シンプルな和声進行に飽き足らず、新しい響きを実験する試みを感じました。フリギア終止(iv6→V)は大バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)の〈ブランデンブルク協奏曲 第3番(Brandenburgische-Konzert Nr. 3)〉(1721年・BWV 1048)の緩徐楽章にあり、Kathleen Long (1951)のピアノ演奏を聴き、瞬間の響きを耳で確かめながら、楽譜の上でどのように書かれているかを関連づけました。⑨〈ソナタ ホ長調〉(1742年・K.46/L.25/P.179)では快速(Presto)で分割変奏されたパッセージが繰り出されてゆき、終止感がある導音や浮遊感がある係留音をはさみ、インテンポに進んだおもしろい効果があり、第44小節には旋法感があり、第116小節から半音進行するオクターブと強力なバスでシンコペーションしていました。また、Vladimir Horowitz (1946)は打楽器のような和音の使用でアクセントが付けられ、ピアノは打楽器だと表明したバルトーク(Béla Bartók, 1881-1945)による演奏でK.427/L.286/P.286(1755年)を聴きました。更に打楽器的な和音の使用法を発展させ、ガスパリーニ(Francesco Gasparini, 1668-1727)の《チェンバロの実践的和声(L'Armonico Pratico al Cimbalo)》(1708年)で説明した経過不協和音(acciaccatura)を聴き、不協和音を縦に積み重ねた並べたトーン・クラスターの例として、スカルラッティの作品中、最も強烈な〈ソナタ イ短調〉(1752年・K.175/L.429/P.136)を聴きました。また、パンクラス・ロワイエ(Joseph-Nicolas-Pancrace Royer, c.1705-1755)の〈めまい(Le Vertigo)〉(1746年)やカウエル(Henry Cowell, 1897-1965)のThree Irish Legends(1922年)などを体験して、⑩〈ソナタ ニ長調〉(1749年・K.119/L.415/P.217)を聴きました。冒頭から打楽器的な和音の用法が見られ、協和音程を主体としており、第36小節から連打伴奏(vamp)が激しくなり、徐々に不協和度が増して強烈になり、クライマックスを迎えてから徐々に緊張が緩和され、濃淡や起伏を生み、やわらかい話をしてからきつい本題を切り出し、終わりにはユーモアで包み込み終わるように音楽に強烈なアイディアを組み込んでいるため、現代音楽のような晦渋さがなく、耳に受け入れやすくされていました。旋律のラインやリズムの反復の中で用い、リゲティ(György Ligeti, 1923-2006)のミクロポリフォニーのよう凝縮した声部に聴こえました。⑪〈ソナタ ト長調〉(1750年頃・K.146/L.349/P.106)は1772年に鍵盤音楽の愛好家フィッツウィリアム卿(Richard FitzWilliam, 1745-1816)がマドリッドで収集したソナタで音楽にも慣性があり、トリルが来ると次には旋律が生まれると思いきや、期待を大きく裏切り、分散和音の急激な下降で終止するため意外性があり、アクセルと踏むと急にブレーキがかかり、リズムのパルスが続くと考えていると事で止まり、聴き手をあっと驚かせる演奏効果を追究しています。Vladimir Horowitz (1964)の俊敏な演奏では特に鮮やかでした。

次に⑫〈ソナタ 変ホ長調〉(1752年・K.193/L.142/P.254)で和声コードや転調ルートが探究され、特に音階を上昇と下降で臨時記号を変えて旋律の流れを整え、三連符を主体としながら、イレギュラーなリズムで変化を楽しんでいました。Clara Haskil (1950)の演奏は強弱法と緩急法が、リズムや連打伴奏と組み合わされ、ドライブ感があり抜群のセンスでした。特にソナタを四分の一ずつ見ると①主題を提示して、関係調に転調して、②ヴァンプが主体として左右のリズムの食い違い、係留してずらしたり、転調も激しくして、③ヴァンプで流れを生みながら、小節ごとに転調を繰り返して、古典的な機能和声から離脱してモダンジャズで発展したポピュラー和声のよう、不安定なセブンスを用いてコードを連続し推進させました。快活な三拍子のリズムに臨時記号を多用した絶妙な転調で陰影と調性感が薄まり旋法感に移る、不思議な浮遊感を醸しました。新リーマン理論(Neo-Riemannian theory)で同主変形(Parallel transformation:長主和音の三度を半音下げる短調化と短主和音の三度を半音上げる長調化、平行変形(Relative transformation:長主和音の五度を上げる、短主和音の根音を下げる全音進行)、導音変形(Leading-tone transaformation:長主和音の根音を下げる、短主和音の五度を上げる半音進行)を組み合わせ、和音を自由に変形して、和声が浮動する発想に到りました。即興では和声音と経過音、コードと旋律線が大切になり、チャーリー・パーカー(Charlie Parker, 1920-1955)の和声コードに即興ラインを発見する手法と同等な発想に到達しました。スカルラッティは今ある響きに少し音を変えて連続させました。特に〈ソナタ 嬰ヘ長調〉(1753年・K.319/L.35/P.303)は#6つの嬰ヘ長調で始まり、#7つの嬰ハ長調と♭5つの変ニ長調を中心に転調して、後半で八音階(octatonic)を用い、#6つの嬰ヘ長調・嬰ニ短調から、♭3つのハ短調・変ホ長調、調号なしのイ短調、#3つの嬰ヘ長調を経由して、三全音(増四度)先の#6つの嬰ニ短調、調号なしのイ短調と短三度循環により、五度圏をぐるりと正方形を描いてめぐり、三全音置換(Tritone substitution)のようなモダンな響きをなしていました。また、⑬〈ソナタ ホ長調〉(1753年・K.215/L.323/P.281)でチャーミングな装飾の付いた優雅な旋律、係留を用いた優美な分散和音から大きく変わり、♯4つの嬰ハ短調になり厳しく響き、強烈な不協和音で驚かせ、♯7つの嬰イ短調に到り、♯6つの嬰ニ短調とエンハーモニックな♭6つの変ホ短調に到り、第50小節から♭4つのヘ短調を経由して、第54小節で♭5つの変ニ長調とエンハーモニックな#7つの嬰ハ長調に転調して、第56小節で♯6つの嬰ヘ長調を経由して、第58小節で♯5つのロ長調に転調して、第64小節で短三度転調で♯2つのロ短調、第65小節で♯1つのホ短調を経由して、第66小節から調号なしのイ短調になり、♯1つのホ短調を思わせ、第75小節で五度圏で三角形をなすコルトレーンの長三度転調(Coltrane changes)をして主調♯4つのホ長調のドミナントに戻りました。Jacqueline Ogeil (2007)のフォルテピアノで聴き、スカルラッティが遠隔調への転調を紛れ込ませていたことに驚きました。

スペインの民族音楽のEを主音とするエオリア旋法に対して第三音が長三度なすフリギアン・ドミナント音階(Phrygian dominant scale)とアンダルシア終止(iv→♭III→♭II→I)の下行終止(Am-G-F-E)を聴きました。インドの旋法(rāga)で北部のヒンドゥスターニー音楽でヒジャズ・バイラフ(Hijaz/Bhairav・Basant mukhāri)、南部のカルナータカ音楽でヴァクラーバーラナム(Vakuḷābharaṇam)に起源を求められ、モード・ジャズでマイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926-1991)やビル・エヴァンス(Bill Evans, 1929-1980)が〈ナルディス(Nardis)〉(1958年・Portrait of Cannonball)、バルトークの〈ミクロコスモス 第1巻 第34番〉(1926年・Sz. 10・ BB 105)を聴きました。⑭〈ソナタ ホ短調〉(1753年・K.233/L.467/P.497)では完全一致しませんが、モーダルな音響をIrina Zahharenkova (2012)のピアノ演奏で体験しました。また、⑮〈ソナタ 変ロ長調〉(1753年・K.249/L.39/P.424)では経過不協和音(acciaccatura)を和音に取り入れた強烈なサウンドや〈ソナタ ハ長調〉(1753年・K.255/L.439/P.226)と同じく「オクターブ(oytabado)」「キジバト(tortorilla)」を意味するポルトガルの舞曲を取り入れ、Scott Ross (1984-85)のチェンバロでは効果が絶大でした。⑯〈ソナタ ニ短調〉(1753年・K.294/L.67/P.470)でいきなり減七が出て、幻想的な雰囲気でドリア旋法とイオニア旋法(長音階)を混ぜ、ポルトガルの愁いと哀しみ(saudade)を思わせる独特で浮遊していました。♭1つのニ短調から♯2つの同主調のニ長調に調号を変え、♭が♮でキャンセルされてドリア旋法になり、Irina Zahharenkova (2012)のピアノ演奏でロマン派の作品のようでした。⑰〈ソナタ イ長調〉(1753年・K.322/L.483/P.360)をギターとカスタネットの演奏を聴き、開放弦で感情の抑揚して、旋律のリズム音型の濃淡が出ていました。⑱〈ソナタ ホ短調〉(1754年・K.394/L.275/P.349)は情緒に満ちた旋律や浮遊する独特な音響になり、後半はリストの演奏会用練習曲〈ため息(Un Sospiro)〉(1849年・S.144.3)などを思わせる噴水が湧き上がるような華麗な分散和音で増四度や空虚五度などで音程に揺らぎが生まれていました。アンダルシアのセギティーリャの例として、ホセ・デ・ネブラ(José de Nebra, 1702-1768)のサルスエラ〈トラキアのイフィゲニア(Iphigenia en Tracia)〉(1747年)における〈彼女は消えて、見ている(Ya se fue, y de mirarla)〉や〈ソナタ ロ短調〉(1754年・K.376/L.34/P.246)のカスタネットや舞踏を伴う演奏を聴き、⑲〈ソナタ ト長調〉(1756年・K.454/L.184/P.423)の特有なリズムパターンを確認して、カスタネットの模倣やオクターブの重ねた中を二声が平行して動き優雅に聴こえ、対斜(半音食い違い)や三全音(増四度)が瞬間に現れました。Maria Tipo (1987)の演奏は利発で機知に富んでいました。⑳〈ソナタ 変ホ長調〉(1756年・K.474/L.203/P.502)で最晩年の円熟した簡素な書法になり、今まで試みてきた技法を思うままに使いこなして、細かいニュアンスに富み、感情の揺れ動きが表現され、自問自答するよう同じフレーズの中で緊張と弛緩を繰り返して、人生を追憶する風情が感じられました。特にMarcelle Meyer (1955)によるピアノ演奏が素敵でした。最後の二曲は時間切れでしたが、㉑〈ソナタ ハ長調〉(1757年・K.515/L.255/P.417)はチャーミングな下降音型や左右の交差、三連符による流麗な旋律などスカルラッティの魅力が満載でClara Haskil (1950)で聴くつもりでした。また、㉒〈ソナタ 変ロ長調〉(1757年・K.550/L.S42/P.554)は味わい深い主題が左右で模倣したり、平行三度・六度・八度や鏡像による反行などがチャーミングな響きを生みます。

「スカルラッティはバロックの音楽家ではない。スカルラッティはスカルラッティです」と冗談に皆さん大笑いして下さりましたが、正に彼の人生観や音楽家としての豊かな経験は稀有でした。スカルラッティが誕生したナポリ、修行したヴェネツィア、活動したローマなどを訪れたことがあり、スペインとポルトガルをサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼を完遂してから長旅を続け、スカルラッティとマリア・バルバラ王妃が生きていたイベリア半島の土地を経験しまして、特にスカルラッティの音楽を聴くと大地に根差した風情や情景を感じます。「18世紀のロック」というキャッチフレーズも冗談でしたが、不協和音を縦に積み上げた激しい響きを意味するだけでなく、ヴァチカンのジュリア礼拝堂の楽長まで昇進した真面な音楽家でしたが、ポルトガル王室と関係してから人生が変わり、マリア・バルバラに音楽を教えることになり、スペイン王室に嫁いでからも従い、イベリア半島各地の宮廷音楽・民族音楽を豊富に体験して、鍵盤ソナタであらゆる発想を試行錯誤しましたこと全体を意味しています。偶然に偶然が重なり、後世に語り継がれる人生が生まれ、人類の歴史となる過程を体験できることはエキサイティングです。「ロック」とは通常の優等生を超えた破天荒な生き方、型破りな考え方などから、信じられないことを何でもやってのけ痛快であり、結果として驚愕のサウンドが誕生したことを意味します。実に驚くに値する人生を送りましたことが、愛すべき性格を音楽からも感じられます。ラディカルな作品、チャレンジャブルな人生、エキサイティングな体験、チャーミングな性格など、スカルラッティの魅力が満載でマリア・バルバラと音楽を楽しんでいた日々が感じられます。人間には様々な経歴や背景がありますが、音楽に正面から対峙するに於いては、音楽から作者の考えや思いを感じられるかそうでないか、弾けるかそうでないかしかなく、体験を重ねて心が豊かになり、人生が充実することを大切に考えております。一つのパッセージや一つの音の置き方に関しても、色んなアイディアを想定して突きつめてゆけば、際限がありませんが、音楽サロンの二時間ではアイディアの輪郭すらもお伝えできず、何とも名残惜しいですが、作曲技法や演奏解釈などミクロな視点、西洋音楽や文化活動などマクロな視点が調和して、皆さんと音楽の感激を共有する時間を持てましたことは、本当に幸せな思い出となりました。今後とも試行錯誤を繰り返して、古代から現代まで本物の作品に触れながら、音楽の体験を深めてまいり、色んな音楽を色んな観点から感じながら、素敵で意義があると感じる企画を考えてまいります。皆さまもお元気にお過ごし下さいませ。

〈ソナタ 変ホ長調〉K.474/L.203/P.502(1756年・3/4・Andante è cantabile・Venezia XI, 21)

2018年4月1日

ドメニコ・スカルラッティのユーモア


桜もきれいに咲きまして、新年度になりましたが、皆さま如何お過ごしですか。 ドメニコ・スカルラッティの作品は、前衛的で高度で強烈な表現やを繰り出したとしても、必ず始まりと終わりに親しみやすく、チャーミングな楽想や音型や旋律が現れ、アイディアの構想を活かしながらまとまり、音楽を愛する人が受け入れやすく工夫され、音楽芸術でも日常会話でもユーモアが、面白さや奥深さになることをしみじみと感じております。

スカルラッティは愛すべき変人で1725年にパリのポルトガル大使館に現れ、旅行費を貸してくれ、国王に仕える身分だから問題ないと主張して外交官を驚かしたり、晩年に賭博で大金をすり、女王に助けられたり、熱しやすくあっけらかんとした性格でした。人生の折り返しとなる1719年(34歳)にマリア・バルバラに会い、特に1738年(52歳)に練習曲集を上梓してから、1757年(71歳)に亡くなるまで驚異的に創造力が炸裂しました。

人は親しみあることに安らぎを覚えますが、それだけでは、何かしらの工夫が必要なため、スカルラッティはチャーミングに聞く人の心をつかみ、ヴァンプ伴奏で音楽の流れを生み出し、次から次へと新しいアイディアを繰り出してゆき、彼の世界に引きこんでいます。彼の性格は愛すべきと優雅な品行がヘンデルの証言で伝えられ、スカルラッティの音楽から人となりや話し方が感じられるところが、音楽のおもしろさと感じております。

スカルラッティのソナタは、限られた食材で限りない味わいを生み出してゆく料理のよう、限られた音型や転調で限りない組み合わせから、新感覚の音体験を見つけ出すことが、音楽の創作であることを示しています。〈ソナタ 変ロ長調〉(1753年・K.253)は前半がチャーミングなトリルで音楽を推進させ、トランペットらしき音が放たれますが、後半で急に深みのある響きの中で移り変わりを体験するような斬新な感覚を生み出しています。

楽譜ではシンプルながら広がりのあるサウンドに驚かされます。前半のトランペットが呼応する所では、F音でオクターブを重ねただけで音空間に遠近を生み出し、また、後半のB→As→G→F→Es→D→C→Bと下降する根音の流れにオクターブかセブンスを一つ添えるだけですが、和声を構成する長三度・短三度・完全五度などの音を頭の中で聴かせる錯覚を生み転調しながら、シンフォニアのような深みのある響きとなります。

スカルラッティは経験が豊かで手に余るくらいのアイディアを持ち合わせ、作曲と言うより余裕を以て即興のように繰り広げたように感じられます。懐の広さと経験の豊かさ、人間的な温かさと優雅さが現れ、音楽展開が息を付かせないほど、目まぐるしく変化しながら、全体として破綻が見られず、シンプルに構成される能力が感じられ、スカルラッティとマリア・バルバラはかなり頭が切れ者たちで機知に富んでいたことを偲ばせます。

鍵盤ソナタは即興と作曲と演奏が一つであることを示しております。面白いアイディアをひらめいても、初めから終りまでこだわり続けることなく、ゼクエンツを繰り出すと、突然パターンを裏切るような、意外な転調や突飛な音型などをパルスに乗せ、絶妙なタイミングとバランスで繰り出し、スリリングでエキサイティングな響きや揺らぎを音楽に生み出しており、明らかにスカルラッティの独創性と天才性として受け止められます。

今回も音楽に込められた思考や発想をできるだけ明確にしながら、皆さまと共有できますよう、今月は音楽資料をより深めてまいりたいと思います。皆さまとお久しぶりにお会いできますこと、楽しみにしております。お元気にお過ごし下さいませ。

2018年4月6日

ドメニコ・スカルラッティと鍵盤楽器やヨーロッパの宮廷音楽とイベリア半島の民族舞踏

皆さま、今回も長文を失礼いたします。資料や楽譜を読み込みながら用意をしておりました。古楽器の特性については、専門書が大量にあり、研究が進んでいますが、民族音楽にも探索の範囲を拡大したり、実際に演奏して音響の効果を確めたり、スカルラッティが楽器の特長や音域をフル活用して、スケールが大きな音楽の創作に作用したことを感じました。

チャールズ・バーニー(Charles Burney, 1726-1814)が「現代音楽の生き証人(a living history of modern music)」と敬愛したフランス王国・スペイン帝国・ポルトガル王国・イタリア半島・オスマン帝国・神聖ローマ帝国を渡り歩いたスカルラッティの侍医(Alexandre-Louis L'Augier, 1719-1774)による証言(1774年・The Present State of Music in Germany, The Netherlands, and United Provinces 第1巻248-49頁)で「スカルラッティの作品には荷物運び、騾馬追い、一般民衆が口ずさんだ民謡の旋律を模倣した楽想が数多く見受けられる(There are many passages in Scarlatti’s pieces, in which he imitated the melody of tunes sung by carriers, muleteers, and common people.)」とあり、チェンバロの音響効果や特性を十分に生かし切ることを大切にしていたスカルラッティの言葉が続きます。

スカルラッティは、ポルトガル時代(1719-29年)に少なくとも二度パリを訪れ、大クープラン(François Couperin, 1668- 1733)やラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683-1764)らの作品を出版したボワヴァン(Madame Boivin, 1704-1776)で5巻出版(1742年)したり、フランスのクラヴサン楽派との交流がありました。チェンバロに機械化したリュートの側面があり、特にフランスのクラヴサン楽派で顕著でブリゼ奏法(style brisé)で和音を絶妙にずらし、和声音(根音や積み上げられた音程)や経過音(前打音や装飾音などの非和声音)を活用して、ストップを使わなければ、強弱変化が付けにくいチェンバロで遠近効果を達成しています。特にヴィオールやリュートの影響から鍵盤楽器で係留が大切とされ、イネガル奏法(notes inégales)で音の長さをふぞろいにして、フレージングで音楽に味わいと趣きを与えます。また、属和音(V)の前に置かれた増六を目安にナポリの六(N6)、七の和音に似たドイツの六(Gr6+)、五度を抜いて三度と増六を強調したイタリアの六(It6+)、不協和の二度を含み、ドミナントの音を先取して係留を構成して、緊張から解決するフランスの六(Fr6+)があります。(国名と関係なく、欧州で用いられました。)不協和が強いほど、協和音程に解決したとき、気持ちよさが倍増します。#と♭がダブルでカデンツに現れ、暗めの和音がきたとき、増六の可能性が高いです。六の和音はフリギア終止の下行導音に対応して旋法音楽の伝統にも即しています。スカルラッティの音楽はナポリ人の気質にポルトガル人の哀愁にスペイン人の情熱が加わり、豊かな情感を示しています。イベリア半島(カスティーリャ・アンダルシア・アラゴン・ポルトガル)の民族音楽と結び付き、リズムや旋法性の面で影響を受け、彼が愛した三連符のリズムは、南イタリアのタランテラなどに見られ、絶妙な和声のグラデーションは、ポルトガルの愁いや哀しみ(saudade)やドリア旋法+イオニア旋法(長音階)、激しい情熱を帯びたリズムは、スペインのフリギア旋法+エオリア旋法(短音階)に影響されます。音楽は歴史や文化、気候や風土と強く結びつき、音楽に人生観が感じられます。

スカルラッティはイベリア半島(スペインやポルトガル)の民族音楽と通じるチェンバロのパルス感覚を発見しました。鍵盤を「押す」とか(慣用表現として使いますが)「弾く」という感覚より、大クープランが用いたフランス語「触れる(toucher)」の方が近いです。モダンピアノの重力奏法は、押すというより、触れると沈むため、音が湧き上がるように出ます。特にチェンバロは音が出る、音が消える瞬間に対する鋭い感性を要して演奏が難しく、音が現れる瞬間の立ち上がりに趣きがあり、コンマ数秒の感覚ですが、音が出る瞬間に美しさがあり、細部まで明瞭に表現できます。プレクトラムで弦を引っ掻く瞬間の速度などを調整して、倍音を絶妙にコントロールするからです。また、ピアノの響きの感覚を突きつめると、深い所では音に対する鋭い感じ方としては同じように受け止められます。実際に音楽は楽譜で音符が黒く書いてある音そのものより、音がないところから出るまで、音が出ているときから次の音まで、音が出ているところから消えるまで、その変化の仕方にはるかに情報量が多く、音楽性となるからです。音が組み合わさり旋律や和音が生まれ、楽節や和声の関わりも生じて、楽譜上でシンプルでも組み合わせ方は多種類となり、無限に近い組み合わせがあります。音楽は書かれた音そのものより、音と音、音と無、無と無に関わる感覚が大切になり、チェンバロは音が発せられるまでの絶妙な間合いが極意でスコット・ロス(Scott Ross, 1951-1989)はパルジオンと呼び、彼のレッスンの映像で瞬間の響きを大切にしました。ブランディーヌ・ヴェルレ(Blandine Verlet, 1942-)を古い録音から順に体験してゆくと徐々に瞬間の響きのパルスと旋律の流れのラインが調和を目指して、音楽性が増してゆくことが分かります。スカルラッティはスペインの宮廷音楽、特にホセ・デ・ネブラ(José de Nebra, 1702-1768)のサルスエラや一般民衆の民族音楽から、特にセビリアの街中でアンダルシアのセギティーリャ(seguidilla)を体験して、旋律や拍感を模倣するにとどまらず、音楽の生命に直に作用しています。伝統の技法では考えられない大胆な転調やリズム感、チェンバロをギターがかき鳴らしたり、特に同時不協和音(acciaccatura)の響きを好み、音や響きそのものに革新をもたらしたからです。

ローマにてコレルリ(Arcangelo Corelli, 1653-1713)とパスクイーニ(Bernardo Pasquini, 1637-1710)に学び、スカルラッティの師匠にあたるガスパリーニ(Francesco Gasparini, 1668-1727)は、1708年にヴェネツィアで出版した《チェンバロの実践的和声(L'Armonico Pratico al Cimbalo)》で経過不協和音(acciaccatura)を説明しています。イタリア語の「押しつぶす(acciaccare)」に由来して和音が歪んだように聞こえて爽快な音響になる技法です。特に「寄りかかる(appoggiare)」に由来する前打音(appoggiatura)や父アレッサンドロ(Alessandro Scarlatti, 1660-1725)が創始したシチリアーナなどのリズムから発想され、ドミナントを転回する前に経過不協和音をはさみ、スカルラッティは大胆にも間隔を短くするか和音に取り込み、瞬間に不協和音が炸裂する斬新で爽快な響きを生みました。装飾音も旋律を飾るだけでなく、本質的に和音を際だたせ、和声の流れやリズムの動きを決定する重要な要素と分かります。また彼はオクターブを重ねた中にオブリガート声部を動かして、係留による和音の転回による優雅な響きを好み、前打音や不協和な経過音をスパイスのように使い、シンコペーションを伴う強烈な低音の流れで音楽を引き締め、ビートを生みました。スカルラッティの鍵盤ソナタはイタリアで広く用いられたヴァロッティの調律法に近い調律によると思われます。鍵盤ソナタの殆どは#や♭が数個の調で構成され、長三度が美しく響きますが、五度圏を循環するような転調を経過するとき、遠い調に飛ぶと三度にうなりが生じ、劇的で混沌とした響きとなり、主調に戻るとき、爽快に感じられるからです。

スカルラッティの鍵盤ソナタは、撥弦楽器のチェンバロによる音響効果を狙うものが多いですが、フォルテピアノによる強弱効果やコンチェルタートの遠近感覚、リストやショパン、ドビュッシーやラヴェルのような和声感覚もあり、モダンピアノで演奏されると濃厚になります。クラヴィコードのような繊細で多彩な表現、オルガンのために音栓も指定される鍵盤ソナタもあります。当時はチェンバロ・クラヴィコード・オルガンは通用され、スカルラッティが具体的な鍵盤音楽のみならず、抽象的に作曲技法を探求した面もあり、コンチェルトやシンフォニアなど器楽曲、ポリフォニーやモノディ様式の声楽曲をモデル化されたり、シューマンやブラームスに一世紀も先行して、チェンバロでオーケストラを表現したパノラマ効果も感じられます。聴いた音をそのまま受け取りますことは十分でなく、彼が接したイタリア半島やイベリア半島の民族舞踏など、ギターやリュートの伴奏やカスタネットやトランペットの音型などを模して、音楽の世界に幅広さと奥深さがあります。バロック期の音楽は楽器指定が自由で音楽の構造(音程関係・和声進行・経過和音)など、抽象的に構築され、自由度が高くて魅力があります。実際に西洋音楽は。音楽を音高と音価に還元して記譜され、音の関わり、響きの移りかわりを感じながら演奏することが大切とされます。古楽器からモダンまで色んな試みがされると面白いです。文化は誤解から新しい発想が誕生した結果往来の側面もあり、再解釈により発展したり、普遍性を獲得してきたからです。誤解は推奨されませんが、偶然が新しい文化を生んできた面も確かにあります。ルネサンスの鍵盤音楽はヴァージナル、バロックの鍵盤音楽はチェンバロのみに限るより、色んな楽器により、色んな挑戦をすることは、新しい音楽を生み出して、意義を受けて表現をすること、新しい楽器で新しい感覚を求めてゆく、両面で世界が拓けてきます。

それでは、皆さまと今月20日にお会いできますことを楽しみにしております。当日の午前まで資料を読み込み続けて、面白い体験ができますよう、出来る限りの準備をして心がけたいと思います。お忙しくされていたり、遠くにいらして、駆けつけることがかなわない方もいつも温かいお言葉かけ、ありがとうございます。お元気にお過ごし下さいませ。

スカルラッティの作品にみられる民族舞踏
イタリア南部tarantella(K. 142, 172, 262, 269, 278, 413)
ヴェネツィアbarcarola(K. 429)
ポルトガルoytabado(K. 249, 255)
ポルトガルfandango(K. 252, Fandango del SigR Escarlate)
アラゴンjota(K. 54, 56, 159, 209, 397)
カスティーリャbulería(K. 334, 525)
アンダルシアseguidilla(K. 239, 454)
アンダルシアsaeta(K. 414, 420, 443, 470, 472)
組曲[saeta(K. 490)・seguidilla(K. 491)・bulería(K. 492)]
イベリア半島folia(K. 145)
カタルーニャ地方(K. 202)
レオン地方(K. 450)

• Francesco Gasparini (1708). L'Armonico Pratico al Cimbalo, Venezia: Antonio Bortoli
• David Sutherland (1995). Domenico Scarlatti and the Florentine Piano, Early Music 23/2, 243-55.
• João Pedro d'Alvarenga (1997/98). Domenico Scarlatti, o período português, Revista Portuguesa de Musicologia 7-8: 95-132.
• Nancy Lee Harper (2002). The Iberian elements in the Scarlatti sonatas, Piano Journal 67: 15-22.

セギティーリャ(Seguidilla)はスペイン語の「続き(seguida)」に由来する舞踏でアンダルシアに発祥してギター伴奏にカスタネットを打ち鳴らして踊られました。

Marcos Téllez Villar (c.1790). Campanelas de las seguidillas boleras

増六の和音(Augmented Sixth Chords)
スパリーニの経過不協和音(acciaccatura)

ホセ・デ・ネブラ(José de Nebra, 1702-1768)のIphigenia en Tracia(1747年)Overture(ナポリ様式によるシンフォニア) 

ホセ・デ・ネブラ(José de Nebra, 1702-1768)のIphigenia en Tracia(1747年)Seguidillas “Ya se fue, y de mirarla”(セギティーリャ)

〈ソナタ ロ短調〉(1754年・K.376/L.34/P.246・Venezia VIII)Seguidilla(アンダルシアのセギティーリャ)

〈ソナタ ニ長調〉(1756年・K.492/L.14/P.443・Venezia XII) Fandango(ポルトガルのファンダンゴ)BBCの番組(1985年・Domenico Scarlatti - His Music and His World) 後半

2018年4月11日

皆さま、こんばんは。文化の源から考えることはおもしろく、横断的に音楽の構造について起源を探ることができます。文化は歴史や社会と結びつき、過去に接触した文化の個性が、特に根底で強い影響を保ち続けるからです。アンダルシア地方は特に710年にウマイヤ朝が侵入して、翌年に西ゴート王国を滅亡させ、756年に後ウマイヤ朝がコルドバを首都として誕生して、1031年に滅亡してタイファ時代になり、1110年にムラービト朝がセビリアを拠点にイベリア南部を統治して、1232年にナスル朝がグラナダを中心に統治して、1492年にカスティーリャ王国がアルハンブラ宮殿を制圧するまで800年弱も関係して、イスラム宮廷の文化水準は、キリスト教国をはるかに凌駕しており、西欧文化に学芸で影響を与え、トレド翻訳学派(Escuela de Traductores de Toledo)がアラビア語で書かれた学術書をラテン語に大量に翻訳して「12世紀ルネサンス」を起こし、イスラム世界のマドラサ(مَدْرَسَة madrasa)が中世大学(Studium generale)の成立を促しました。西欧文化の特長と考えられているロマンスの文化も、アンダルシアのイスラム宮廷文芸からヨーロッパに北上してゆき、南欧(troubadour)、北仏(trouvère)、南独(Minnesang)の吟遊詩人などに影響したことによります。イベリア半島では特に民族音楽で舞踏や歌謡とその様式で文化の痕跡を残し、旋法もその一つと考えられます。

スペインの民族音楽の特長とされる音階は、Eを主音とするフリギアン・ドミナント音階(Phrygian dominant scale)でAを主音とする和声的短音階(harmonic minor scale)の完全五度上(A-E)に当たります。中世のフリギア旋法は(E-F-G-A-H-C-D)のスケールで第三音が短三度をなし、終始音Eで導音Fを持ちますが、フリギアン・ドミナントは第三音が長三度をなし、エオリア旋法のようAに対し導音G#を持ち合わせ、下行終止(Am-G-F-E)をとても好みます。ルネサンス期にティンクトリス(Johannes Tinctoris, c.1435-1511)が、終止音(E音)に次いで副終止音(A音)が重要とされると記述しています。スペインの無伴奏合唱による多声音楽、ビウエラ・オルガン・ヴィオールなどの器楽、特にモラーレス(Cristóbal de Morales, c. 1500-1553)・ミラン(Luis de Milán, 1507-1561)・カベソン(Antonio de Cabezón, 1510-1566)・オルティス(Diego Ortiz, c.1510-c.1570)・ゲレーロ(Francisco Guerrero, 1528-1599)・ビクトリア(Tomás Luis de Victoria, 1548-1611)などが代理和音を好み、感情の表出を表現したことは、民族音楽の旋法組織がフリギア旋法に近く、エオリア旋法(自然的短音階)の属音Eと一致して完全五度の関係を有したことも一つに考えられます。旋法の起源は、古代インドの旋法、中近東のイスラム音楽、アンダルシア音楽などが考えられます。

古代ギリシア音楽と中世ペルシア音楽を調和したアッバース朝バグダートの音楽がアル=マウスィリー(أبو إسحاق إبراهيم الموصلي‎ Abū Isḥāq Ibrāhīm al-Mawṣilī, 767-850)門下のズィルヤーブ(أبو الحسن علي بن نافع Abū l-Ḥasan ʿAlī b. Nāfiʿ / زرياب Ziryāb, 789-857)らが、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン二世(عبد الرحمن بن الحكم ʿAbd ar-Raḥman ibn al-Ḥakam, 792-852)‎の宮廷に伝えました。彼はウード(عُود ʿūd)を四弦から五弦へ拡張して、リュート(luth)の原型に改良しました。アル=アンダルスの音楽は現在、マグリブ古典音楽(北アフリカのモロッコ・リビア・アルジェリア・チュニジア)に伝承され、中世アラビア音楽の旋法体系(نَوْبَة nawba)でアラビア語で場所を意味するマーカム(مَقَام maqām)に相当するタブゥ(طَبْع ṭabʿ)です。アル=キンディ(أبو يوسف يعقوب بن إسحاق الصبّاح الكندي‎ Abu Yūsuf Yaʻqūb ibn ʼIsḥāq aṣ-Ṣabbāḥ al-Kindī > Alkindus, 801-873)の《旋律の構成(صناعة لتّأليفا خبر في رسالة Risāla fī ḫubr tāʼlīf al-alḥān)》(GB-Lbl Oriental 2361)にて、アリストクセノス(Ἀριστόξενος > Aristoxenus)の《ハルモニア原論(Ἁρμονικῶν στοιχείων > عناصر الانسجام ʿunṣur al-insijām > Elementa harmonica)》(V-CVbav graecus 191)など、ギリシア音楽理論を紹介して、アル=ファーラービー(أبو نصر محمد الفارابي Abū Naṣr Muḥammad al-Fārābī > Alpharabius, 872-951)の《音楽大全(الكبير الموسيقى كتاب Kitāb al-mūsīqī al-kabīr)》(E-Mn Res. 241)、イブン=スィーナー(أبو علي الحسين بن عبد الله ابن سينا Abū ʿAlī al-Ḥusain ibn ʿAbd Allāh ibn Sīnā > Avicenna, 980-1037)の《治癒の書(کتاب الشفاء‎ Kitāb al-shifāʾ > Sufficientia)》、アル=ウルマウィー(صفی الدین اورموی Ṣafī al-Dīn al-Urmawī, 1216-1294)の《旋法の書(الأدواركتاب Kitāb al-Adwār)》などの音楽理論を継承して、また、音楽は計量(وَزْن wazn)に相当するミーザーン(مِيزَان mīzān)で指定されました。アル=ファラヒーディー(أبو عبد الرحمن الخليل بن أحمد الفراهيدي Abū ʿAbd ar-Raḥmān al-Ḫalīl ibn Aḥmad al-Farāhīdī, 718-786)がギリシア韻律(προσῳδίᾱ)を継承して大成した韻律学(اَلْعَرُوض‎ al-ʿarūḍ)における韻律の規則(بَهَار bahār)と対応して、短音節「∪」(子音+短母音)と長音節「―」(子音+長母音/子音+短母音+子音)を援用して、音楽のリズムを構成しました。

フリギアン・ドミナント音階の起源は、インドの古典旋法(Sampūrṇa rāga)で北部のヒンドゥスターニー音楽でヒジャズ・バイラフ(Hijaz/Bhairav・Basant mukhāri)、南部のカルナータカ音楽でヴァクラーバーラナム(Vakuḷābharaṇam)に近く、七番目の導音を半音下げれば、同じになります。地名に由来するヒジャーズ(اَلْـحِـجَـاز‎ مقام / Ḥijāz maqām・D-Eb-F#-G)とナハーワンド(نهاوند مقام Nahāvand maqām・C-D-Eb-F)のテトラコルドの音核(γένος > جِنْس jins)が合成され、バヤーティ(بياتي مقام Bayātī maqām・D-Eq-F-G)の核音も内部に有する、ヒジャーズ=ナハヴァンド・マーカム(D-Es-Fis-G-A-B-C)となり、フリギアン・ドミナント音階に他なりません!スカルラッティはスペインやポルトガルの民族音楽の旋法を移高したり、和音を付けてモチーフとして用いました。モード・ジャズでマイルス・デイヴィス(Miles Davis, 1926-1991)やビル・エヴァンス(Bill Evans, 1929-1980)がNardis(1958年・Portrait of Cannonball)で用い、スカルラッティの鍵盤ソナタと似た哀愁が漂うサウンドです。

長文にお付き合い下さり、ありがとうございます。音楽にしても、哲学にしても、対象だけ追究するのではなく、文化の背景となる思考を探り、当時の歴史の変遷や社会の状況など、大域を把えてから、局所に向かいます。そうした過程そのものを楽しむことが、人類の文化を味わうことになると感じるこの頃です。皆さまもお元気に楽しくお過ごし下さい。

イスラム教徒とキリスト教徒のリュート合奏 Cantigas de Santa Maria 120
(1284年・E-E MS B.I.2 (Códice E1))

AlfoAlfonso X El Sabio: Cantigas de Santa Maria 120. Quantos me creveren loarán [E-E MS T.I.1 (Códice T)]

Martim Codax: Cantiga d'amigo. Ondas do mare [US-NYpm M. 979 (Pergaminho Vindel)]

2018年4月16日

皆さま、こんばんは。初めていらっしゃる方もご安心いただけますよう、音楽サロンを始めた動機、毎回の雰囲気などが伝わりますように書いてみることにしました。

先ず、音楽を初めとする人類の文化を愛し、長期にわたり高度に発達した文化や伝統をどのようにして体験して理解するか、試行錯誤し続けてまいりまして、人間の発想や思考に触れながら、気づきを深めてゆき、文化を伝える当時の信頼できる資料を大量に収集しまして、体系づけて整理する必要が生じました。資料(fontes)はラテン語で「泉」を意味して、情報や発想の源泉となり、実際に一次資料と向き合い、今まで注目されてこなかった新しい観点に気づけます。特に師弟関係や交友関係、発想や様式を関連づけて、音楽史を把握してゆき、楽譜の音符一つのレベルでも、深い影響しあう実例を見つけてゆきました。例えば、スカルラッティは父アレッサンドロに学んだハッセと関わり、スペイン宮廷でもハッセの音楽は愛され、ハッセはウィーンでモーツァルトにも影響を与えました。ハッセの中期作品Salve Regina ト長調(1744年・MülH 169/9)は、マンハイム楽派を越え、ウィーン古典派(ハイドンら)の和声感覚にかなり近づきます。こうして、資料で事実を確認、関連させた総体に意義を発見、当時の状況を把握して、既成概念など常識を破壊してゆく快感を味わい続けてまいりました。今までは好奇心や探求心に突き動かされ、自分で自分を教えていましたが、一昨年に林恵子さんがご共感くださり、音楽サロンを年末のクリスマスに実現でき、林さんは会場手配やパソコンなど、津谷美樹子さんは会場のセッティングをお助けくださり、温かい雰囲気で第6回を迎えることができ、心から感謝しております。

音楽サロンの目的は、チャーミングな傑作たちの瞬間にあるおもしろさをエキサイティングに共有するため、色んな資料を駆使して、明確に把握してゆくことです。音楽家・専門家・愛好家と色んな立場の方々が、音楽のおもしろさを共有して楽しみながら、気づきを重ねて深まりますよう、試行錯誤を重ねてまいりました。音楽を味わい楽しみ学ぶとき、楽譜を読み、楽器を弾くか、演奏を聴きながら、瞬間の気づきを重ねており、皆さまの前で実際に瞬間の感激が伝わりますよう、楽譜を読みながらコメントしまして、楽譜を読めなくても響きをたどり、スカルラッティの天才性や創造性や先進性や音楽性やおもしろさが伝わりますよう努めます。余裕のため、楽譜の小節ごとに作曲や演奏の要点を明確に言語化した数十倍くらいの資料を作製しますが、実際にはアドリブで瞬間の気づきをお伝えします。スピーカーで音楽を聴き、プロジェクターで楽譜を写し、耳から入る音と目から入る形を結び、音楽表現や演奏効果など、瞬間の気づきをコメントしてゆきます。

最近、特に気になる観点として、経過和音や代理和音など、音階や旋法など基本構造への気づきがあり、スカルラッティのサウンドの特長をそれらに感じます。例えば、K.394(1754年)は臨時記号を噛ませて(ムジカ・フィクタ)導音を生み、弱進行や係留音を用いることで和声の幅を拡げ、モダンな響きが生まれます。和声にモーダルな音階を導入して、味わいや揺らぎを与える発想は、フォーレやメシアンたちの近現代音楽、マイルスやコルトレーンのサウンドの先駆をなします。しかし、チェンバロの響きにだまされないよう、音を聴いて終わりではなく、スカルラッティの頭の中で想定していたモデルや響きの広がりを感じるようにしております。スカルラッティがマリア・バルバラと遊びながら生み出したソナタたちは、作品として聴いて楽しむというより、実際に弾いている本人の楽しみのために作られています。例えば、K.299(1753年)はチャーミングに下降して始まり、モーダルな味わいや反転したリズムをはさみ、最大19度も高速に跳躍し演奏者の快感をくすぐります。

また、スカルラッティの鍵盤音楽はあらゆる様式の特長や斬新な音響効果を追究して、スケールを拡大して、鍵盤音楽の限界を突破して、創造された軌跡です。以上からある音楽家を追究するにも、その音楽家が体験したあらゆる音楽を把握したり、音楽家が作曲したあらゆる様式の音楽を調べることが大切になります。演奏することで気づきが深まることから、実際にピアノで弾き、音の響きを細かい所まで辿り、音符のまとまりに意味を感じ、面白さを確めながら準備しております。

しかし、楽譜が読める方、楽器が弾ける方もそうでない方も、同じ音楽を楽しめるように共有できて、初めて音楽によるコミュニケーションが成り立つと考えており、楽しく意義のある企画にするべく、試行錯誤を繰り返します。当日は音楽を聴き、楽譜を見て、コメントをしながら疾走して二時間があっという間に過ぎ去ります。今後は地球の人類のありとあらゆる音楽、雅楽など世界の音楽たち、また、数十年かけて西洋音楽の歴史を色んな切り口で伝統や系譜を知りたいと思います。

音楽を愛する仲間と音楽家・研究家・愛好家の垣根を超えて、皆さまが突っ込みを入れて下さりましたら盛り上がり、意義がある集まりとなりそうでわくわくします。特にスカルラッティの音楽を聴くと、実際に踏破したスペインやポルトガルを思い出し、リスボンの下町やアランフェスの宮殿が頭に蘇りまして、味わい深く聴こえます。素敵な音楽を通して、親睦を深められましたら幸いです。お友達をお声かけ下さり、お楽しみにいらして下さい。金曜日にお会いできますこと楽しみにしております。前回に林さんがお撮り下さりましたお写真です。スピーカーから音楽が出てきて、スクリーンに楽譜が写しだされ、私がレーザーポインターで指しながらコメントします。

ハッセ(Johann Adolph Hasse, 1699-1783)の〈元后あわれみの母 ト長調(Salve Regina)〉(1744年・MülH 169/9・A-Wn SA.67.D.79)

ハッセ(Johann Adolph Hasse, 1699-1783)の〈ソナタ 第2番 ト長調〉(1758年・Opus 7・Fatte per la Real Delfina di Francia, London: John Walsh)

スカルラッティ(Domenico Scarlatti, 1685-1757)の〈元后あわれみの母 イ長調(Salve Regina)〉(1756年・I-Nc 22-4-2; I-Bc Kk 95; D-B Mus. ms. Winterfeld 13)

スカルラッティ(Domenico Scarlatti, 1685-1757)の〈ソナタ ニ長調〉K.299/L.210/P.268(1753年・Venezia VI)

スカルラッティと同じく対構成(二楽章制)でハイドンの初期ソナタに近いですね。スカルラッティもハッセも三楽章制の鍵盤ソナタを作りました。 

2018年4月19日

皆さま、こんばんは。明日いらして下さる方も、ご都合にかなわない方も、温かいお言葉かけ、ありがとうございました。明日は予定通りにお待ちしております。お気軽にお越し下さいませ。お友達をお連れ下さると仲間が増えて嬉しいです。

今月は特にスカルラッティの楽譜とにらめっこしながら、作曲のアイディアや転調のルートなどを要点をまとめて資料を作りましたが、明日はリアルタイムに楽しく聴きながら、皆さんに語りかけるようにお話します。また、面白いところで突っ込みを入れて下さると盛り上がりそうでわくわくします。それでは、皆さまとお会いできますこと、心より楽しみしております。

スカルラッティの鍵盤ソナタは、転調が美しく、情感が豊かですね。〈ソナタ 嬰ヘ長調〉K.319/L.35/P.303(1753年・Venezia VI)では、#6つの嬰ヘ長調で始まり、#7つの嬰ハ長調と♭5つの変ニ長調を中心に転調して、後半で八音階(octatonic)を用い、#6つの嬰ヘ長調・嬰ニ短調から、♭3つのハ短調・変ホ長調、調号なしのイ短調、#3つの嬰ヘ長調を経由して、三全音(増四度)先の#6つの嬰ニ短調、調号なしのイ短調と短三度循環により、五度圏をぐるりと正方形を描いてめぐる驚くべきソナタです。特にピアノで弾かれるとモダンに聴こえます。

スカルラッティ自身が《チェンバロ練習曲集(Essercizi per gravicembalo)》(1738年4月21日)で力説しました「才気に溢れる芸術の戯れ(lo scherzo ingegnoso dell’Arte)」を楽しんでまいりましょう!!

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