Press "Enter" to skip to content

六書の「転注」とは何かが見えてきました!実例を基に論証をしてまいります。漢字的獨特性系列 Unique Chinese Characters

漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。

2021年10月2日

皆さま、こんにちは!

KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)で、漢字のユニークさを探求してまいりましょうというシリーズが続いておりまして、

前回まで《説文解字》の序文を見てまいりましたけれども。

ここに今出ておりますけれども。

簡潔すぎて、もう、今まで指事、象形、形声、会意と来ましたけれども。

四つかなり理解に苦労しながら、この文章を一生懸命頑張ってまいりましたね。

それで今回はこの転注が、もう2000年近く、もう諸説が紛糾状態でして、

もう今までどうしようもない、分からない。

ここに書いてある説明、字例、難しい!ということで、大変な問題なのですけれども、

今までこのように六書を取り上げてまいりまして、

転注だけ分からないですと、どうしようもない!

匙を投げてしまうのは、やはり、情けないなぁと思いましてね。

これを頑張りたいと思ったわけですよ!

それで今まで得てきた知見をもうフル活用して、挑戦していきたいと言う、今回は、

今回もか挑戦の動画になってまいりました!

そして、多分、転注とは、これを指してるんじゃないか!

これであろうということにたどり着いたんですよ。

ですから、転注の問題に解決をつけてとどめを刺せたかもしれないと(笑)

それを披露してみたいということで動画を作りました。

これは、もう本当に大変な問題だというのは、

2000年近く学者たちが、もう一生懸命、《説文解字》が書かれてから、

転注、最初の頃はある程度ちゃんと伝わってたかもしれないですけれども、

何を意味してるのかが、もう分かんなくなっちゃって、

もう文章「轉注。轉注者,建類一首,同意相受,考、老是也。」が本当に簡単すぎるから、これしか、八字(四字+四字)しか書いていなくて、字例も二個しかないから、

それでもう大変なんですよ!

これはやはり思ったんですけれども、

フェルマーの最終定理とか、ポアンカレ予想がありますけれども、

数学の上でも非常に表現が簡単なんですよ。

だけれども、すごく証明するのが難しい!

それに何か似ていると思って、

だから、本当にそれが証明されるということは、もう本当に歴史的な事件なわけですよ!

人間の知性が挑戦したという意味でね。

それにやはり匹敵するのではというくらい、

私は何か盛り上がってきちゃったんですよ(笑)

だから、密かにご期待いただければと思います。

というのは、まぁ半分冗談はありますけれども。

実はKF-Ars Sinicaの姉妹チャンネルが
ありまして、

KF-Schola(探究の探究)!

そこで最近ちょっと面白いトピックについて考えた動画を出していたんですね。

それはどういうことかと言うと、

一つ一つ、先秦、秦より前の時代の殷周戦国の文字資料とか、字書、義書、韻書などなど、

先秦、秦より前の文字(漢字)が言語(漢語)にどのように使われていたのか、

その用法に関する詳細な記録、ありとあらゆるそうした文字情報を活用した上で、

漢蔵祖語と漢語全体、またそれに関係している周りに住んでた周辺の語族と言葉のやりとりをしていた。

そこの言語情報まで射程に入れて、言語学とか、文字学とか、あらゆる知見をフル活用して、漢字がどのように用いられたか、確認してある定理を証明したんですよね。

それは何かと言いますと、漢字の用例はものすごい多種多様であるんですけども、

少数の原理を複雑に組み合わせて、

漢字の表記システム、根本構造に関する一つの仮説(conjecture)を思いついちゃったわけですね。

まあ、ジョークで中西予想(Nakanishi conjecture)みたいに名付けられましたけれども。

この予想・仮説(conjecture)を自分でまぁ論証して解決しちゃったっていうか、そういう動画を出したわけですよ。

それでそこで証明された定理を用いて、 転注の問題も自然に解決してたのではないかと思ったんですよね。

何故なら、漢字の表記システムが確立した殷周戦国時代、

先秦両漢、秦より前、二つの漢より前、(東漢の)許慎さんが《説文解字》を書くより前の、文字表記システム全体を把握すれば、

六書の問題とは、それらの内、何らかを表現しているため、自然と解決するんじゃないかと思ったんですね。

それで六書のうち、今まで四つは見てまいりました。

二つずつ分割して動画を作りましたけれども、

文字の構造に関してだったんですね。

どうも、この最後の二つは、転注と仮借については、漢字の構造ではなくて、運用に関してのルール(規則)じゃないかと!

それを清代の考証学者の戴震さんが(四体二用説を)考えたわけですね。

それで私が漢字の表記システムの起源とか変遷、どのように生まれて受け継がれてきたかを見ていきたいと思ったんですよ。

これでもともと漢字のユニークさを探求するというシリーズでは、

言語と文字のデュアリティ(双対性)をモットーとしておりましたね。

それは言語と文字の関係を明確に認識することなんですよ。

それは、どういうことかというと、伝統的には、漢字には、 字形(形)、字音(音)、字義(意味)があるとされていて、

文字学、音韻学、訓詁学として研究されてきましたけれども、

それを言語と文字の写像の関係で捉え直して結合して考えていこうと!

おお!?何だ!?どういう意味だと言いますとね。

字形と字音の対応は文字なんですよ。

形と音の多様なんですよ。

そして、字音と字義の対応は言語の問題なんですよ。

音と意味(の対応)だからです。

即ち、文字とは、形を持っていて、それを見た瞬間に音がきますよね。

そして、言語とは、音声を持ち、それを聞いた瞬間に意味が分かりますよね。

実際、今もう私もそうして話してますよね。そして画面で文字を出してますね。

だから、書く人は、逆なんですよ!

書きたい事、伝えたいこと、意味があって、

それを言語にして、音声にして、そして文字にしてるんですよ!

そういう仕組みなんですよ!

つまり、私がここで今こんな当たり前のことを強調して話していたことは、どうしたかと言いますとね。

一般的に漢字を見ると意味が分かっちゃうんですよね。我々はぱんとね(笑)

ところが、それは間に音声、言語が存在して、言葉が存在してあったということをすごく強調して言いたかったんですよ。

だから、こういう話をしたんですけれども。

思ったんですよね。

確かに人類は最初に記憶の補助として、絵文字(ピクトグラム)で直感的にものの形を描いたかもしれません!

それで人類が使い始めてから、絵文字から文字へと発展した!

そういう中には三つの例があるじゃないかなとちょっと思ったんですよね。

(紀元前4000年頃の)シュメール人が使った絵文字(ウルク文字)と言いますね。

あとは、エジプト人が使った神聖文字(ヒエログリフ)と言いますけれども、その最初期の形(ゲルゼー文化)。

もしくは古代中国人達が使った我々が今しております漢字のうち最古層の象形字 それと、まあ指示字。

これらが当たるじゃないかと思ったわけなんですよね。

それで、昔の人は考えたんですよね。

実は形は意味と直結してなくて、音と形が結びついていることに気付いた。

そして、描かれた形状が、絵文字に抽象化されて、更に文字になったんですね。

実は人間の言語というのは、概念と音声がありますけれども、

具体的に象ることができない抽象的な言葉が殆どを占めているんですよ。

それなら、具体的に象りやすくて、既ににある文字の音と同じであるか、

既にある文字の音と似ているから、それを使って書いてしまえという作戦を先人たちは取ったんですよね。

それによって、絵文字から、メソポタミアの楔形文字やエジプトの神聖文字になって、

また、それらからアルファベットも生まれてきているんですよ。

つまり、メソポタミアの楔形文字からは、アルファベット的な楔形文字が生まれて、ウガリット文字(紀元前1500年頃)と言いますけれども。

そして、アルファベットの起源となった原シナイ文字(紀元前2000年)と言いますけれども、それは、エジプトの神聖文字ヒエログリフから来ているわけなんですね。

その時にアルファベット(alphabet < ギリシア語の最初の二つの文字ἄλφαとβήτα)というのは、厳密に言えば、アブジャト(abjad < アラビア語で「最初の四文字」حُرُوف أَبْجَدِيَّة ḥurūf ʾabjadiyya)と言うんですよね。(フェニキア文字やアラビア文字など)子音だけを書いていた。

最初は音素文字本当にもう徹底していて、 もう文字には意味なんてないんですよ!

ある文字は、ある音、正確に言うとある字素はある音素しか示さないというところまで来たんですよ。

また、われわれの日本語を書いた平仮名とか、片仮名、ギリシア語の線文字Bなどを音節文字と言いますけど、

それは音素よりもうちょっと広い、いくつか音のまとまりになった音節ですけれども。

中間には、アブギダ(abugida < ゲエズ文字最初の四文字「አቡጊዳ ' b g d」)という、音素音節文字という、(インドのブラーフミー文字やカローシュティー文字など)本当に両方の特徴あるのはありますけれども(子音文字に母音の情報を伴うように発展しました)。

でも、最初は具体的な形や言葉と意味に結びついてたのが、どんどんどんどん抽象化されて、音だけが抽出されて、

字と音のつながりが明確に認識されて、 初めて文字は音声の符号となったと言えるわけですよね。

だから、実は漢字は、その中間ぐらいなんですよ。発酵の度合いが(笑)

まあ、緑茶があって、紅茶がありますけれども、我々も飲みますす。ティータイム(笑)それで間ぐらい烏龍茶があるんですよね。

だいたい言語と文字の関係をみたとき、最初に言った絵文字とは、表意文字(ideogram) 、

そして次の言葉を書いているじゃないかというのは、表語文字(logogram)、

そしてもう音だけが抽出された表音文字(phonogram)なんですよ!

だがら、言ってみれば、それら(表意文字→表語文字→表音文字)は、緑茶→烏龍茶→紅茶みたいに文字が発酵したというアナロジーをちょっと考えちゃったということなんですね。まぁ、ジョークですが、今、解説しちゃった(笑)

まあ、それはあれですけれども。

漢字には、ここにありますね。

象形字と指示字がありますけれども。

それらは直感的な文字といえば、絵文字に近いわけですよ。

しかし、また別の見方をすると、

文字が音声を書くことが認識されてきて、形声字や仮借字が生まれたんじゃないかと。

それらは非常に音声的な文字です!

漢字とは、一般的には、普通は表語文字、言葉を書くと言うんですけれども、

実は語、言葉、形態素を書いているわけじゃなくて、厳密には、文字は発音されて読みますから、実は音を書いているという見方もできるわけですよ。

そういった表音性が確かにあります。

その証拠として、漢字を用いて、地名や人名を音写できるんですよ。

それが漢語であっても、外国語であっても、何でも音を書ける。

例えば、《説文解字》が書かれた頃には、もう既に「敦煌(墩煌、燉煌)」(*doːn ɡʷaːŋ, *tˤur [ɢ]ʷˤaŋ)という地名がありますよね。西域の方に、本当はあれは漢語じゃないですよ! druvanaという、イラン語群バクトリア語(また、もう少し後のソグド語δrwʾʾn)でこれは税金を徴税する城市という意味だった!

しかも、プトレマイオスの《地理誌(Γεωγραφικὴ ὑφήγησις / Geographia, IV. 16)》に、Θροάνα Throánaとギリシャ語でも書いてあるという、

そういう地名だから、完全に漢字は当時から音を書いている(また、KF-Scholaでは、トカラ語B「蜜/𧖅」*mliɡ, *mitやモンゴル語「酪」*ɡ·raːɡ, *[Cə.rˤak]も取り上げました)!

そのことに昔の人が気づいて、音が近いから、 借りて書いて、字音と字形の関係を構築してきたんですよね。

もちろん、今言った(バクトリア語druvanaを)「敦煌(墩煌、燉煌)」(*doːn ɡʷaːŋ, *tˤur [ɢ]ʷˤaŋ)と当てるのは、これはもう少し後で漢字の成立(がして、)もう殆ど固まったぐらいの時にされたわけですけれども、

漢字がどんどん、どんどん、色んな言語に当てられて、新たに音と形が結び付けられていったと!

これは仮借や通仮の方法、

それ(音写)と根底的に(字音を借りて、言葉を書くという)発想がいているということを今話してるんですよ!

だから、仮借とは、《説文解字》では、もともと文字がない言葉を書きたいとき、 既にある文字で音が近いか似ている文字を借りてきて書いてしまえと、

そういう作戦だったわけですよね。

そして、通仮という、通るに仮りると書く、これは元々、文字があるけれども、画数が多い、書くのが面倒だとか、

そういった理由で仮借と同じ発想で音が近いか似ている文字で借りて書いたものなんですよ。

更に今いった外国の人名、地名、言葉それを書く、それは音写と言いますね。

音で写す!それも漢字がしております。

ということになりますとね。

漢字という表記体系はもともと表意性を持っている。特に指示字、象形字です。

そして、表語性を持っている。形声字(の意符)、会意字です。

そして表音性を持っている。それは形声字(の音符)、仮借字も、そういうことだから、

漢字はこういう体系ですとはっきり言えないんですよね。全て持ってる!

かなり面白いですよ!これは本当にユニークですよ!

だから、実は言語と文字のユニークな関わり合いについて、KF-Schola(探究の探究)の方のチャンネルですけれども、

中西予想(笑)を論証しようという企画において、

漢字は多義であるけれども、実は一つの字が多義であるというのは、

もちろんその字が結び付けられた言葉の中で意味を拡大した。

よく言う、転義とか、引伸と言いますけれども、意味が転じた!意味を引っ張り出してきた! ということあるけれども、

それでは説明がつかないぐらい、余りにも意味がかけ離れ過ぎている概念が、一つの文字で書き表されていて、

一つの文字が持つ意味の中にあって、 これはもしかしたら、全く異なる語源を持つ言葉が、一つの文字で書き表されているんじゃないかと気づいたわけですよね。

じゃあ、それを論証するためには、どうしたらいいかと言うと、

(その文字が書き表した言葉の)語源まで遡って見ていきたい。

確かめていきたいということだったんですよね。

そして、言語と文字の関係からすれば、もちろん、ものすごい数の言葉にある文字が結び付けられていて、

言語と文字の多対一の写像ではないかと気づいたんですね。

それはどうしてかというと、仮借や通仮を激しくして、ものすごい数の言葉を文字で書けるようになったんですけれども。

あまりにも一つの字に結びつけられた言葉や概念が多すぎてしまったため、

音が同じだから借りてきた。

音を形にした部分。声符と言いますけれども、

それに直観的に区別をするマーカー、

意符を加えて形声字を構成した!

こちら、この説明はそういうことなんですね。

でも、それでも完全に区別しきれなくて、元の字に残留したりとか。

また、意符が違う(けれども、声符が同じだ)から、通用してしまうとか(漢字の偏旁で旁は同じで偏が異なるけれども、どちらを書いても正しいような「印紐」「印鈕」などの現象)。

今でもその名残がいっぱいありまして続いているんですよ。

しかも、複雑なのは、逆に同じ語源であるのに、異なる字源の文字が結び付けられている。

つまり、言語と文字の一対多の写像ではないかと気づいたんですね。

そして、そのある言葉を書きたいとき、別の声符が当てられると、同じ語源、同じ言葉でも、(見かけ上)別の文字になってしまう。

また、語源が同じでも、意味が分化して、少し形を変えたり、飾り(飾符)を加えて分化したり、文字がそうやって(言葉に)対応することもあるんですよ。

言葉の意味の違いを文字が書き分けたいということですね。

でないと、(ある文字がどの言葉を書いているのか、)分かんなくなっちゃう、(書き表された言葉が混同されて)ぐちゃぐちゃになっちゃうから。

また、意味が近いから、ある文字を訓読のように、訓読というのは、その漢字の意味を違う字で(その場合は、)違う言葉で読み替えてしまう。

まあ、言い換えですよね。言ってみれば、そういう現象が起きていて、

それでその読み替えられた言葉の音が、(読み替え前の文字と読み替え先の文字と)全然意味でしか関係がなかったのに、

その文字に充てられてしまうという現象が起きるわけですから、

同義換読とか、義通換読と言うんですよ。

同じ意味で読み替える。意味が通るから読み替える(現象)も研究されてるんですね。

そして更にある文字と別の文字の字形が似ていたり、字形が壊れたりして、

書いているときに字形が混ざり合ったりして、同化して、混同されちゃったということも起こりうるんですよ。

漢字は、線で形を描いた非常にユニークな文字ですけれども、

線で形を描くと、具体的な形が抽象的な線に簡略化されてしまい、どうしても、やっぱり似てしまうんですよね!

例えば、 三日月の「月」がありますよね。

あのお月様はもともと三日月の形🌙だった。肉月がありますよね。肉の塊🍖を書いてたんですよ!

それらが混じっちゃった!

両方とも「月」になってしまった。

そのことによって、結構、字源が分からなくなってしまった漢字もあるんですよね。

もう余りにも線的に抽象化され過ぎてしまって、 元は何を描いたのか。諸説が紛糾してということがありうるから、

先秦、秦より前のもちろん、漢より前の殷周戦国時代に文字が使用された状況というのは、ものすごく複雑でして、

秦と漢でやはり整理がされてきて、 今でもすごい複雑な絡み合いをしていて、

もう多対多!今言ったことがもう、更に組み合わされすぎてめちゃくちゃです!もつれ合っているんです!

それを沢山の資料を駆使して、出土文献、甲骨金文、戦国文字、伝世文献、

特に(漢代の古文学者たちや後世の訓詁学者たちが編纂した)字書、義書、韻書などの文字記録を駆使して、

漢字同士の結びつきを確かめていって、

異なる言葉でも、音が同じか似ているから、同じ形の字が与えられたことを証明するには、

同じ形の字を与えられたものをあらゆる資料で文字同士のつながりを確かめて、

異なる言葉とは、語源が異なるか、これは漢語の外部で起きた分化ですね。

それは漢語の内部では証明できません!

だから、特に漢蔵祖語などの漢語(が成立する)以前の外側(先祖の言語の形)から見たいということになってたんですよね。

現代的な言語学や語源学、意味論や形態論で分析して、

語源とか語根を特定して証明できるんじゃないかという、このアイディアがピカってきたんですよ。

それでKF-Scholaのチャンネルの方でもう五時間近く話して、

本当は九時間以上も話していたんですけれども、

それを編集しましてシュイーンとして、それで五本に分けて出したんですよね。

当時の人たちはどう考えて、どう言語を用いて、どう文字を用いたのか、

当時の人たちの頭の中、発想と思考を、私はやはり知りたかったんです。

言語と文字のデュアリティ、漢字という表記体系の運用において、

実際に何か起きてたのかと、それ全体を中西予想と言いましたが、 予想(conjecture)じゃなくて、

もう大量の実例に基づいて、論証ができてきて、

もう事実として捉えていいんじゃないかというところまで、かなり確証を持ってこれたわけなんですよ!

もう言葉と言葉、言葉と文字、文字と文字は、ものすごい複雑な絡み合い、

コネクションがダイナミック! 概念がもう炸裂!ビックバーン! になってましたけれどもね。

本当に少ない要素でそれらを説明し尽くしたい。

それはやはり、非常に現代物理学に近い発想でして、ニュートン!

三つの運動に関する法則から、導いたように、三つの漢字に関する法則から、 全てを導きたいという挑戦だったんですよね。

ですから、言語に文字が使われるときに三つの点、字形、字音、字義が同じか、似ているという、類似性でお互いにつながりが生まれて、

漢字という体系の中で関係性が構築されていて、

説明できるんじゃないかと発見して、

また、それを実例に即して論証した!

そういうことはたんじゃないと思いました!

漢字という文字の表記体系、システムにおいて、複雑な構造ものすごくめちゃくちゃなことが起きているのを少ない原理で説明したいと、

今新しい言葉を思いつきましたけれども。

字形が似ていてつながる形通という、形が通る、形が似ている通る!

字音が似ていてつながる音通、音が通る。

字義が似ていてつながる義通、義が通る!

あとの二つは使われてきました!

だから、形通も同じように考えられると思います。

とにかく文字を言語に適用していく上で融通がものすごく利いたんじゃないかと、

文字の関係はダイナミックだったということをお話してきたんですね。

今回はそれを踏まえて、転注とはどういうことか挑戦していきたいということになってきているんですよ。

そして、今この前置きでものすごい大切な理解の道具を導入しておきました。

先ずは、《説文解字》の序文。

転注の説明、 そして個々の字例!

「考」と「老」を見ていきたいということでこんなものを用意してきたんですね。

ここに「老」と「考」がありますけれども。

それぞれ、遡れるだけ、古い上古漢語の再構「老」は分からない子音(Baxter-Sagartの再構のC.)ですけれども、ruːʔ, *C.rˤuʔ

それとまたその語源がどうか、

どこからこの言葉は来ているんだ!?

漢蔵祖語s-raw、(g/k)raŋ

こういうふうに書いておきました。

そしてどういう漢字と結びつくのか。

この「老」と「考」をここに書いておきました。

ということで分析しておいたんですけれども。

それらは今話した3つのうちどれかの理由でつながりが生まれているんですよ。

つまり、この「老」*ruːʔ, *C.rˤuʔという字を見ますと、

まあ、(Baxter-Sagartの再構は)分からない子音ですから、

(鄭張尚芳の再構かBaxter-Sagartの再構の語根の部分)*ruːʔ, *rˤuʔでいきますとね。

元々この語源を調べていった時に、漢蔵祖語*s-rawは何を意味してるかっていうと「壊れる」とか、「衰える」という意味なんですよ。

「老朽化」という言葉がありますけれども。

「衰える」「朽ちる」、これはやはり語源的に両方とも一緒ではないかと考えたわけですね。

それともう一つ文献上でも証明ができて、《釋名·釋長幼》「老,朽也」の中でちゃんと、ちゃんとこの二字は結びつけられているんです。

だから、「朽ちる」という概念、それと「衰える」という概念は非常に近い!

だって、この元々の語源が同じで書き分けている!

じゃあ、何で書き分けているかと言うと、

この「朽」の方は少し伏線を打っておきますよ。

「考」の字の下の部分「丂」と同じ部品を含んでいる。同じ声符「丂」*kʰluːʔ, *C.qʰˤuʔを持ちます。

そして、 この「老」というのには、もう一つやはり語源が考えられて、

漢蔵祖語*r-ga、これは「古い」という意味なんですよ!

その語源も(「老」に)流れ込んでいる可能性はある!

それはそのまま「古」*kaːʔ, *kˤaʔ、「故」*kaːs, *kˤaʔ-s にも関係している。

これも「古い」という意味です(故人の「故」)。

そしてもう一個この「耇」*koːʔ, *[kˤ(r)oʔ]もそうじゃないかと、

まあ、ここを見ると「耇」は、漢蔵祖語r-gaとkˤ(r)oʔ、g >kは関係して、 それで r は逆に書いてありますが、

これはよくある音位転換という音声学でメタテシス(metathesis)と言いますけど、

子音の配列が逆になるという、

だから、子音の配列から関係性を示唆される(もしくは漢蔵祖語のr-は接頭辞で上古漢語は接中辞であり、語根ga > koからの派生の形態素であります)!

つまり、ある文字(に厳密に言えば結び付けられている言葉)の語源は、

今言ったように一義的には、これだと決められないんですよ!

「老」には少なくとも二通りが考えられるじゃないかと!

これらの発音とか意味が近い概念が混ざり合って、一つ文字に対応づけられていると、言えるんじゃないかと見てこれましたね!

そして、こちらの「考える」は「考」、

「攷える(かんがえる)」でして、語源を頑張って調べたんですけれども、

これは「考/攷」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔという音で上古漢語からスタートして、

そうしますと、どうも漢蔵祖語*(g/k)raŋじゃないかと!?

は「量る」という意味があります!「数える」という意味があります!

それで見ると、チベット語བགྲང, bgrangとビルマ語ခြင်, hkrang、

これらはチベット語བགྲང, bgrangのb-は接頭辞、ビルマ語ခြင်, hkrang、hは一つの子音だと、

そう来ると、やはり、これらはどうも「量(はかる)」*raŋ, *[r]aŋと一致した子音ますよ!

そして、この「慮(おもんばかる)」*ras, *[r]a-sという言葉がありますね。

ここを含んでる!語根ra、ああ、多分これ語源がこれらに関係する!

そうすると ra に行くと、ここから行くと*g-, k-は接頭辞だろう!

そして ngは何だ!?これは到格の接尾辞(terminative suffix)!

そうするとraの部分が語根じゃないかという考察になってきた!

そして、この「考/攷」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔになんで関係るかというと、

今度は大事なことが、再建された祖語だけじゃなくて、

それの根拠となるあらゆる言語、

そこから出ないんじゃないかという、その仮説でこれを導き出しているんですから、

そのあらゆる言語の本当の音です。発音です。意味です。

言ってみれば、子音と母音の配列や言葉の意味まで射程に入れて、考慮してこそ(今出ている「考慮」にかけたジョーク)、

漢語の語源も総合的に考えられていくんじゃないかと思ってまして、

そうすると、このタニ祖語*krɯ、ヌス語xɹɯ³¹、もっとこちらの方が擦れる音、

これは「考/攷」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔでしょ。この音はそっくりなんですよね!

だから、これが語源じゃないかと、そのように色んなルートから考えております。

そして、おもしろいことがもう一つあって、

こちらのルートから考えて、「量(はかる)」*raŋ, *[r]aŋとか、「慮(おもんばかる)」*ras, *[r]a-sからも行きましたよ!

チベット語བགྲང, bgrang、ビルマ語ခြင်, hkrangから(みて良く対応が取れていました。)

ところが、上古漢語には「考慮」という言葉があるんですよ!

「考慮する」、こういう言葉を我々も使っている!面白いですよ!

熟語が出てきて、という伏線も用意しておいているんですけれども(笑)

そこで見ておりますと、今度「老」*ruːʔ, *C.rˤuʔと「考/攷」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔをよく見ると、この子音 r̥ の下に丸r̥がついてる!

これ何だと言うと、Baxter-Sagartさんたちが再構したもので、有声歯茎ふるえ音[r]と無声歯茎ふるえ音[r̥]で声帯が震えるか震えないかで細かい違いなんですけれども、音がよく似ている!

だから、この「老」*ruːʔ, *C.rˤuʔと「考/攷」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔは、もともと同じ字だった可能性があるんじゃないかと!

今の楷書で見たとしても、字形も似ています。

そして、小篆で見ても似ている部品があると思ったんですね!

今度は字形の方を見ていたいと思うんですけれども。

「老」とは明らかにこれ甲骨文ですけれども。

老人が杖をついた形をしていまして、髪の毛がもっさもさ(笑)

一般的に甲骨文で「人」というのは、この(真ん中の)部分ですね。

それで髪が付いていて、杖を手に持っている形をしていまして、

「考」の方は、甲骨文の時代には、これを共用していました。

両方あったんじゃないか。

そして、西周初期ぐらいになっていると分化をして、どういうふうに変わったかというと、

この部分が声符「丂」じゃないかと杖っぽいんだけども。

やはり、これとこれは、何か違う部品が付いてる。ここに!

それで声符「丂」をつけて、音が明確に表せされたんじゃないかと。

つまり、解釈が変わる!

「老」は完全に象形している!

ところが「考」は形声字でどうしたかというと、

この頭の部分があって、

この部分が意符「老」でこの部分が声符「丂」です。

だから、これは分化じゃないかと思ったわけですね!

そこでちょっと文字が分化したというのは、どういうことかを見ていきたいと、

こちらにも用意して書いてあるんですけど。

もともと分化とこの文字がありますけども、

「又」はよく使う!これは楷書、小篆、甲骨、金文とありますけれども。

これを見ますと音が、やはり元々全部似てるんですよね。

だから、全部これらは音が似ていたから、 仮借をされて使われた。

だから、それぞれ文字が変形をされて、分化をしていく例として面白くて、

元々これらの字は、全て基になる形が良く似ていて、元は字源からすると、「又」は手の形。

しかも、右手みたいに見えるんですよね 。

だから「右」が元々の字だったんじゃないかと!

ところが、この言葉、今「右」とは、これ全部、漢蔵祖語まで遡って、私は全部、語源はこれではないかと特定して書いておきましたけれども、

全部語源が違いますよね。

ということは、それぞれ全く違う言葉だったということですね。

でも、音が似ていた!皆似ているということで書いた時に、

先ず本当はこれは「右」を書いてた!

ところが「又」という方でも使われたり、あとは「有」という方に音が似ていたため、仮借されて使われちゃったから、

今度はこれ「又」の方に特化して、それで「右」の方はここに飾符と言うんですけれども、飾り、もしくは羨符も言うんですけれども、

「口」みたいなものをつけて、

もしくは、この子は「有」という字として使った場合には、このお肉、先ほどできましたけれども、伏線を打っておきましたけれども、

お肉「月」をつけて、肉月で区別して別れたんじゃないかと!これを分化字と言うんですよね。

更に面白い現象があって、これは何でこの例を持ってきたかというと!

私がこの友達の「友」という字も、全然言葉の起源は違うけれども、

(「又」を)二倍にしてんじゃないか!そうするとじゃあ両方とも、音を表した両声字と声符「又」+声符「又」できちゃってるというやり方もある!

だから、分化させるためにもういろんな方法をとって分化させちゃってるという面白い例ではないかと思って持ってきました!

即ち、異なる語源の言葉でも、音を当てて書いていて、書けてしまえばいいんですけれども、

やはり、異なる言葉なんです!

だから、それぞれ異なる意味を持っていて、書き分けなきゃいけない!

だから、字形上にも差異を生じて役割を明確にしていたんじゃないかと。

更にここで言ってゆけるのは、「史」「吏」「事」は、全部これらも少なくとも、これは三本の語源が考えられて、

少なくともと言ったのは、更に違う言葉に借りて使われれば、また増えるわけですけども、

ある程度、特徴のある意味で分けて、語源を特定した案を書いておきましたけれども、

実はこれ字形もほらやはり似てる。凄く似てるわけですけども。

やはり、お互いに混線し合っちゃってて、実際は「事」も「仕える」という意味とか「使う」という意味があり、(音も似ていて、その音を書いており、)そうするとどうなのかなという、真ん中「吏」は(「事」とも意味を共有するということです。)

まあ、言ってしまえば、最初のこの語源 *b-rəyという部分に関して言うと、これ「描く」とか、「書く」とか、「数える」ですよね。

二つ目のこの語源*la-k 、「取る」とか、「引き受ける」。

それで三つ目*r-dzas は「事」という意味です。

本当にだけれども「事」という字は、何か「仕える」という意味も持ってしまっているようなというのは、

はっきりと言って、そうしてある文字は ものすごく使われてゆく中で混同が起きていって、

逆に言えば、最後の二つ「吏」「事」は、もう意味が近くてぐしゃぐしゃして、文字の当てられ方が非常にもうめちゃくちゃなんですよね。

まあ、字形の類似性は、分化をしていったから、当たり前なんですよね。

字形も意味でも混同が起きてしまって、

実際には、考えている以上に本当に事態は複雑なんですよ!

ということを認識した上で「老」と「考」をちょっと考えてみたいなと戻ってきましたけれども。

「老」の方は、杖「丨」がやはりそのまま変化しているような。でも、なんかここについているような。

まあ、これは杖「丨」らしいけれども、これは結構難しい匙「匕」の形みたいにも見える!

実際この「老」の下の部分は匙「匕」の形ですね。

後でどんどんどんどん小篆でも、そうですけれども、字形が壊れた。

杖「丨」から匙「匕」にみたいなちゃって、

それで「老」と「考」がやはり似てきちゃって、字形の混同がしてきたと言うというのは、

元々これは声符「丂」*kʰluːʔ, *C.qʰˤuʔで、この声符だったんじゃないかということでしたけれども、

金文を見ると、ここでみますよ!西周といっても、初期から中期ぐらいでも、もう既に分かんないですよ! これ!

混同されてしまっている!

当時からもう書き間違えられる事とか、よくあったんじゃないか、混ぜ合わされちゃったんじゃないか。

だから、これらの例を見ると、もうよく分かると思うんですよ。

それで今度は「老」と「考」 の字義、意味を考えたいと思ってはおりまして、

そうすると「老」と「考」の意味は、明らかに違いますよね。

我々が今これらの文字を使うときに「老」は「老いる」「老いた」とかいう意味で使い、「考」は「考える」という意味で使いますよね。

でも、本当はこの「考」は、特に違う意味だったんですよ!全てをここに書いてないんですけども、

今まで「老」と「考」がどう使われてきたのか。

歴代の辞書で私は全部調べてみたんですよ。

それでああ「老」の方は、そんなに大きな問題はない。

そんなに大きくは広がらない。

「老いた」とか、「古い」とかぐらいだけれども、それはもういいました語源からもそうです。

だけれども。「考」の方は厄介だった!

特にこれ、元々は、これは「お父さん」、「死んだ父」という意味でよく使われた。その例として言えるのは、

これ《殷周金文集成》の中にある追簋(4222)の中でも、

「祖考」という言葉は熟語でもありますし、 実際にも出てきています。

「祖考」は「祖父」と「父」という意味なんです!

しかも、《爾雅·釋親》「父爲考」、《釋名·釋喪制》「父死曰考」も引きましたけれども、そう書いてあります。

だから、これらが元の意味と考えられるとすれば、

先ほど意符「老」が付いてます!

これ当たり前のことですね。しっくりきますよね!

でも、「考える」は考えたら、おかしいですよ(笑)

「老い」とか、「父」から、「考える」は、どうしても意味を引っ張り出せない。

先ほどここに書いておりましたのは、

実は厳密にいえば、

この語源は「考える」という意味で使われた時の「考」(即ち、漢語における「考える」という言葉)の語源と言うべきなんです。

「考」も別の意味で(別の言葉に対して)使われた時の語源ではないです。

というのは、「老い」とか、「お父さん」という元の意味での方は、

むしろ、こちら、「老」側の漢蔵祖語s-rawかr-gaと考えられる。

つまり、これらを語源とする言葉を当てたなったと当てた「考」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔに当てて使われたと考えられる。

何故かといったら、「年老いた」という方から、「父さん」とか、「死んだ父」はつながりますよね。

まあ、普通の「父」は、また別の語源で別の文字「父」ですよね。

それでそれは漢蔵祖語pa, baから来ていて、今の中国語で「お父さん」を「爸爸(bàba)」といいますけれども(「爸」praːs, baʔ, [baʔ], [N-p(r)aʔ]も語源が同じ言葉に別の声符「巴」praː, *pˤraを充てた漢字)。

「お父さん」は(漢蔵祖語で)「男」とか、「父」です。元々そういう意味は持っている。もしくは「彼(三人称)」という意味持った言語がありますから、

だから、それはいいんですけども、実は「お父さん」という意味と「祖考」の意味での「考」と「思考」という意味での「考」で使われたのは仮借です。

やはり、しかも古くは別の(意符「攵」を付けた)仮借字「攷」が使われていた。

同じ声符「丂」*kʰluːʔ, *C.qʰˤuʔを持っているんですよね。「攷」は鞭「攵」が付いている。元々「撃つ」という意味なんですよね。

だから、今「考える」として使ってしまう、この「考」も、実は「撃つ」という意味が注ぎ込まれてるんですよ。

おや、転注の注ぐですよねという伏線も用意しておきますけれども。

また、当シリーズ「漢字のユニークさの探究」で前に取り上げました。

教育の「教」とか、あと「斆」という、学校「學」に(意符として)鞭「攵」をつけた形「斆」、この字の形にものすごい近い形の漢字がありますけれども、

それも元々これが打つという意味だったけれども、

「考」として使われやすかった一つの理由であるかもしれないと考えました(即ち、近い概念の文字がお互いに影響をし合い、字形、特に意符が決定される上で作用した可能性もあることです。)

それで実際に見てゆこうとすると、この《詩經·唐風》「子有鐘鼓,弗鼓弗考」の中にある詩の中では、

ここを見ると、これは「これはあなたは鐘とか、鼓を持っている。撃たないでくれ、叩かないでくれ」という意味で、この注釈に実際「考は擊なり」、「撃つ」という意味で書いてありますよね。

これで私はちょっと語源を調べて見たんですよ。

そうしたら、この漢蔵祖語g-ranこれから「考/攷」kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔにいった!

もう一つ、証明できるのは、語源が違うといいますね。

「考える」の方は漢蔵祖語(g/k)raŋですよね!これ見るとgranだから、(子音と母音の配列に)ものすごい類似性がある!

既に漢蔵祖語の時代でも、発音が似ていると思い当たるんですけども、

これは「敵」とか、「戦い」とか、「喧嘩」とか、「口論」という意味ですよね。

「戦う」「撃つ」でこの語源から行くと「叩く」という方向が、ちょっとに今(意味の発展として)考えていけるんですよね。「叩」*kʰoːʔ, *kʰˤ(r)oʔ, kʰˤ(r)oʔ-sという感じも、今書いてもありませんけれども、

日本語でも「叩く」というときに使う「叩」*kʰoːʔ, *kʰˤ(r)oʔ, kʰˤ(r)oʔ-sだから、「考/攷」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔと非常に似ていて、手偏「手」に声符「口」*kʰoːʔ, *kʰˤ(r)oʔも「扣」*kʰoːʔ, kʰoːs, *[kʰˤ(r)oʔ, kʰˤ(r)oʔ-s]もです。

もっとすごいのは、推敲するの「敲」、(声符)「高」*kaːw, *Cə.[k]ˤawに(意符として)鞭「攵」を加えたものも、「敲」*kʰraːw, kʰraːws, *[Cə.kʰˤaw, Cə.kʰˤaws]と読みますよね。

あれも全部、同語源と考えられる(即ち、異なる声符が語源が同じか言葉に充てられた)。

それでしかも、漢蔵祖語*g-raːl ⪤ *g-ran ⪤ rayに近い形の言葉で漢語でも残っているのは、「攻」koːŋ, kuːŋ, kˤoŋ、これも語根に ng(-ŋは到格の接尾辞)でしょ!

これもやはり同じ語源でしょう。

特に「攻撃」という言葉がありますから、だから、敵を叩きのめす、打ちのめす。それが攻撃ですよ!

本当にすごく合理性は高く考えられてきて、

しかも、もう一つ、ビックリしちゃうことは、「考」には、「成る」という意味がある(《釋名·釋喪制》「考,成也」)!

この「成る」という意味は何なんだろうか、私はまた考えていっちゃった!

そうすると語源をやはり特定していくと、これはマティソフ教授は漢蔵祖語を再建してなかったですけれども、

もう少し後の時代のレベル、クキ=チン語kruanやタニ語kamとか、もう一杯、言語データベースから見てきて、これらは「仕事」という意味なんですけれども、これは似ていて、

やはりすごく子音と母音の配列が似ていること、意味も「仕事」という意味です!

しかも、この工具の「工」*koːŋ, *kˤoŋの字源は、工具の象形と言われてるんですけれども。

「仕事をする」という意味がありますよね。

それと「仕事」の「成果」という意味になってくると、「功」*koːŋ, *kˤoŋは結局「手柄」という意味があります。

よりそれを強調して、「功」に意符「力」を加えている。 実現されるためにこちらに力を加えたみたいな意味かも分からない。

実現したという意味で「成功」という言葉があります!

《釋名·釋喪制》「考,成也」に書いてあるところからスタートしていきましたけれども、

やはり、これもつながってくる!

実は我々が使う熟語とは、意味が近いとか、発音が近いものを並べられていることが多くて、雙聲や畳韻と言うんですよね。

音の語呂がいい!

この「祖考」もそうだし、お爺さん、お父さん、「祖考」だってそうですし。

「祖考」の「考」とか、「考慮」の「考」、これも「考える、慮る」、攻撃の「攻」、 「攻める、叩く」とか、工具の「工」。

今こう私が話したように、祖考の「考」、考慮の「考」、攻撃の「攻」、工具の「工」と伝えるように、

文字(言葉)がもつ広い意味から特定して伝えるために熟語が発達したと思ってるわけなんですよ!

あまりにも、一つの字に多くの意味が与えられ過ぎたら、区別できない。

だから、意味を特定して区別して伝えるために熟語が生まれたんじゃないかと(実際に後期上古漢語から、単音節から複音節の単語が増殖しました)!

そして、今までこの「考」という文字が有する意味の中に少なくとも四本の別の流れが注ぎ込まれるとお話してきましたけれども、

文字の上でやはり区別をする必要も生じてきている。

それで出てきた一つの発想が、意符を加えることはありますね。

でも、「父さん」から「考」が分かっていました。

非常に「老い」から「お父さん」にいったであろうと(引伸できます)。

でも、今「考える」という意味で使われていて、意符が機能しなくなっちゃった!

意符「老」と「考える」という言葉との一致していない!

だから、もともと声符がこの「丂」であれば、意符を「心」にしても良かったんです。

意符「心」を付けても、立心偏「心(忄)」にこの声符「丂」でも良かったわけですよ!

「思考する」という言葉もありますよね。 熟語で「思う、考える」、心の働きだから別に意符が「心」でも良かった。

今までそういった例で使う人は主流にならなかっただけの話ではあるんですよ。

また、別の声符を使って書いても良かったんですよ(しかし、歴史はそうにはならなかったです)。

だから、今言ったみたいですね。

我々はもう生まれた時から、漢字の体系があって、漢字の用例があって、漢字の用法があって、 既に慣例としてある字例で生きているわけですよね。

それにやはりとらわれちゃいけない!

やはり「考」という字にも、相当色んな使われ方があった。

そのメカニズムを今ずっと話してまいりましたけれども、

「考える」は、やはり鞭「攵」を付けた「撃つ」という「攷」の「攷える」。

もともとそれでも使われてたんですけども駆逐して、

この「老」を加えた「考える」が選ばれて使われたのも、

これも慣例から合意が生まれただけの話ではあるんですよね。

(言葉の)音を書いているという意味では、

意符がどうであれ、やはり声符が大事ですよね。音はだから命だから。

だから、意符が鞭「攵」と老人「老」と違っても、

確かに声符「丂」が同じであることは、そうなんですよ。

まあ、老人が賢いから「考える」というふうに使われやすかった可能性は指摘できて、

実際、結構、昔の学者も「老」の方から導き出したかったり、

「考える」だから、老人は賢い知恵を持っているから、「考える」じゃないかなんて言う説明する人もいけれども、

私はこれは言葉を書いたという方が、 漢字のあらゆる他のシステムからいっても、基本的にそのようなあんまりこじつけみたいな説明は良くない!

でも、私がいつも考えているのは、先ほどある意味が、この意味しかないと一義性があるわけではなく、

そういった色んな(条件で)それは完全な理由ではないにしても、

「老」という部品として持つ、意符として持つ形が「考える」になっていったのには、

後の人がそう誤解しようが、何をしようが、そういうのも選択的に使われていく理由(の一つ)ではありますね。

うん、でも究極的にそうだと思っていないですが。

ただ、この声符で(言葉の音を)書いたんだろうということ、

それでその「お父さん」という意味をあんまり「お父さん」という意味で使われなくなったから、

だから、じゃあ「考える」にしたという、母屋を取っちゃったみたいなものですよ。

そういう風になった。

だから、文字とは、言葉の使い方とか、当て方っていう、単純じゃなくて、人間の慣習で(いかようにでも)自然に拡張されてゆくものであるということが言えるじゃないかということになってきましたね。

それで、今のことが分かってくると、すごい面白いことで、

《説文解字》そのものの意味。どうしてこんなものが、許慎さんが、漢代に書いたのかと、それも何か分かってきちゃった!

どうしてたかといったら、漢代に《説文解字》などの字書とか義書が出現してきたのは、

形成された合意、今は言ったみたいにこの字は、大体こういう意味で使おうということを記録をしておいて、

規範を与えたいという、一つの意識の表れじゃないかと考えたわけですね。

文字を言葉に充てるということは、 ルールに沿いさえすれば、かなり自由度が高かった。

ところがそれでやってしまったら、(余りにも複雑になり過ぎて、)全然分かんなくなっちゃう!

何を書いているのか、「考」だっていっぱいあったから区別できない(KF-Scholaでは、更に激しかった「各」「格」を取り上げましたのでご覧下さい) !

一つの作戦は熟語を作ることだった、

もう一つの作戦は意符を付けることだった。

またもう一つの作戦は分化をすることだった。

などなど、文脈の中でも理解できるかもしれないとかあります。

だけれども、やはり、ある程度、その文字の意味は決めようということ、

これも一つの作戦なんですよ!

という形でちょっと見ていきたいと思うんですけどね。

これが《説文解字》の小徐本ですよね!

この「老」に関係する概念として、近いものをやはり集めたというのは、かなり字書を編纂する上で合理性はありますよ。

使いやすいということで、それを見ると九文字ぐらいあるんですよね。

でも、逆に言えば、それしかないということで面白いんですけども。

それでもう一つ大徐本でも見ますよ。

こちらでもそうですけども。

小篆で全部書いてありますね。

それで今見てるのは、これが「考」ですよね。

それでこれが「老」ですよね。

だから、これを見たときに感じる事があるんですよ。

部首法とは、今の言い方をすれば、

意符で文字を整理してるから、

「老」を意符とする文字は、「老いる」ことに関係するものがグルーピングして集められている(から使いやすいです)。

それで今度ここで見てみるのは、

「老」はどのように説明されているかに 興味を持ってしまったんですね。

そうすると「老」は七十歳を意味していると言うんですよね。

それでちょっとこんなものを見てみたいと思うんですよ。

また、興味を持っちゃった(笑)

《爾雅》は、今度は義書と言われますけども、

義書と何か、意味がまとめて書かれている。

今度は先ほどの《説文解字》も意味だけれども、

それはある程度、部首という形で(字形に着目して)同じ部品あれは、字書だから、

字形でそれはまた意味にもつながるけれども書いてありました。

今度はもう本当に理由は何であれ、意味が似ている漢字(当時としては言葉)をグルーピングして書いてきた。

そう見ますと、ここ見てますよ。

ここから、ここの部分ですよね。ここまで。

それで全て上に書いてあるこの概念は「黃髮」とか、「齯齒」とか、「鮐背」とか、「耇老」は、

これ全部「壽」という概念に結びつくんですよと言ったんですよ。

だから、この「壽」という言葉、「ことぶき」という言葉で、全ての意味をまとめてくれている。

それで私はここに書いておいたのが それぞれの語源をちょっと注釈して置いておきました。

そうすると、色々な字があるんですが、この今でいうのは、「考」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔありますね。

これはやはり、先ほども、「老」で既に申し上げている「耇/耈」*koːʔ, *[kˤ(r)oʔ]は、漢蔵祖語「古い」*r-gaから来ている。

それでこの「考/攷」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔの場合は、私はここに✖を付けた。

どうしてかというと、これは「考える/攷える」という意味の「考」ですから、

我々は今は「考える」と読んでしまうけれども、この時(祖考の「考」)は「老」*ruːʔ, *C.rˤuʔから入った。

この「老朽」の方と同じ漢蔵祖語*s-rawから入っているだろうということで✖をわざと付けた。

まあ、ここにも*s-rawと書こうとおもったけれども、✖を付けたのは、違うよと語源こうじゃないよ(と強調しました)。

それとあと「壽」を見ると、

更にこの「長い」もそうですよね。

やはり、「長い」という意味の語源*(d/t)uŋが入ってるんですよ。

だから、今言った事をまとめてくると、どういうことかというと、

ここにある最後の「耇老,壽也」ここに注目して見てみましょうね。

そうすると何を意味しているか。「長壽」という単語があります。

我々(がよく使いますね。)ここにありますね。

やはり、「壽」とは、「長い」から入ってるんですよ。漢蔵祖語*(d/t)uŋからです。

だから、同じ「年寄り」という概念も、

「朽ちる」からいく場合「老」*ruːʔ, *C.rˤuʔ、

もしくは「古い」から行く場合
「耇/耈」*koːʔ, *[kˤ(r)oʔ]、

それと「考」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔは両方混じってじゃないかなという、私が言ってた。

もう一つは「長い」という方から行っている「壽」*djuʔ, *[N-t]uʔ、「耋」*diːɡ, *[dˤit]がありまして、

つまり、同じ「年寄り」という概念を「朽ちる」から、「古いから」、「長い」という別の観点から説明をしているということなんですよ。

実は人間がある概念を言葉で表現をしたいというときには、

色んな観点から説明をして、言葉を構成してるんですよ。

これは人間が言語を新しい概念に当てていくときの基本ですよ。

やはり、どんな言語でも漢蔵語以外でもそうです。

例えば、私が最近はまっているアラビア語(笑)

ヘブライ語はセム語族ですけど、両方ともにもかかわらず、

「書物」というものを言いたい時には、 ヘブライ語だとヘブライ語では「読み上げる」の語根(ס־פ־ר s-f-r)から「本」(סֵפֶר séfer)に入ってるんですよ。

ところが、アラビア語では「書き付ける」の語根(ك ت ب k-t-b)から「本」(كِتَاب‎ kitāb)と言うんですよ。

つまり、「書物」という概念は、「読み上げる」こと 、「書き付ける」という別の側面から説明されてるわけですね。

ところが、もう我々はもうその言葉ができてしまうと、

もう辞書的に「本=これ」みたいな今あるような、こういう仕組みで全部、結びつけて、

それで固定される意味が、それでもう慣用化してしまっているけれども、

本来は言語というのは、こういうものなんですよね。

だから、言語というのは、ある概念をいろんな角度から説明して、語彙を豊かにしてきていまして、

別の語源であっても、意味が同じになるという。もしくは、近づくということはありうるんです。

逆に言えば、これらの漢字(言葉)は、ある時にはある条件においては、

最後に書いてある、文字(言葉)と意味が重なるということです。

だから、「耇老は壽也」は、必ずしもイコール(=)ではないと!

意味の範囲が重なるということであって、

もし、イコール(=)だったら、二つの言葉や文字は要らないんですよ。

言葉や文字には、それぞれ語源や字源があって、

意味の広がりスコープがあって、

ある言葉とある言葉、ある文字とある文字が、

前後の文脈とか熟語の中で組み合わされたり、

ある条件で、ある言葉やある文字は、ある意味と解釈されるわけですね。

だから、 今出てきたこのちょっと「耇老」にちょっと興味を持ってしまいまして、

あと、もう一つここにも出てきまして、更に注釈の方に見ると面白いので、

それも私がここに書いておいたんですけどね。

「壽考」という言葉も出てきました。

しかも、「老」も出てきた!「考」も出てきた!我々が今見てる二字です。

こんなところで出逢っちゃった(笑)

それで見ますと、《詩經·大雅》の中を調べるとやはり、

「周王壽考」と書いてあるんですよ!

だから、そういうことで、あっちでも見つけて、こっちでも見つけて、注釈の中でも出てきて、《詩》の中でも出てきて、

どんどん繋がってる一つの今やっていることというのは、

文字と文字の関係を辿っていっている!

それで非常に今は「老」という概念でいろいろと膨らましているんです。

それはとても面白いんです!これが言葉というのは、もう不思議ですということで、

こちら見ますと、もっと激しくて、もう「老いる」について、

もう全部当時に感じていたことを書いて記録してくれていた。ありがたい!ということで見ていきたいと思うんですけれども。

これはすごいですよ!皆さっき言った《説文解字》にあった文字も、かなり出ていて、

赤で出しているところがすごい私が面白いなと思った所ですけども。

更にここには「耋」*diːɡ, *[dˤit]という字があって、

《爾雅·釋言》「耋,老也」とあったり、

しかも、この「耋」というのが 、

《公羊傳·宣王十一年》「使帥一二耋老而綏焉」の中での註「六十稱耋,七十稱老」を見ましたら、また面白いことを見つけちゃって、

先ほど見た《説文解字》では、七十が「老」だったんですよ。八十が「耋」だったんですよ。

だけれども、更に言うと、実は小徐本の方では、徐鍇さんは八十が「耆」じゃないかとか、

また違う単語で言ってはいましたけれども、

基本的に《説文解字》では、今言ったみたいに、八十を「老」にしてるんですけど(《説文解字》「七十曰老」「八十曰耋」(鍇曰:八十曰耆)」「年九十曰𦽡(鍇曰:亦作耄)」)。

あと《禮記·曲禮上》「六十曰耆,指使;七十曰老,而傅;八十曰耋,九十曰耄,百年曰期頤」とか、《釋名·釋長幼》「六十曰耆;耆,指也」「七十曰耄」「八十曰耋」「九十曰鮐背」「百年曰期頤」とか、他の辞書も全部調べて見たんですよ。そうすると大体、皆八十が「耋」ですよね。

《公羊傳·宣王十一年》の註だけは、六十と書いてある!

それで何でか、そうしてみた時に多分、

私は「八十」と「六十」は、字形がすごい似ていて、誤写をした可能性があり、書き誤った!

転写をして書物が伝えられていく中で似た字が書き誤られてしまう。

結構、歴史書の中で数字が誤っちゃうこと多いんですよ!

似た漢字「十」と「七」とか。

だから、この「六十」はやはり「耋」ではなくて、「八十」が正しいとか、《公羊傳·宣王十一年》の註は誤りなんじゃないかと思った。

もう一つ別の観点から見ると、「耆耋」(キテツ、qí dié)という、 今出できましたよね。

「老」の下に更にらに「日」を書く、「老」にこの「至」を書いたもの。

それが《禮記·射義》「幼壯孝母,耆耋好禮」[鄭玄注:耆、耋皆老也])の中にも出てきて、

それと「耄耋」(ボウテツ、mào dié)という、 それは曹操という人の詩《對酒》「人耄耋,皆得以壽終」の中で出てきますけれども、

七十が「耄」、八十が「耋」という順番であれば、その熟語を作った時に六十+八十「耆耋」、七十+八十「耄耋」の順番で来るのが、自然ですよ!

そうするとやはり八十は「耋」じゃないかというふうに思いました。

《方言·第一》「眉、棃、耋、鮐,老也。東齊曰眉,燕代之北鄙曰棃,宋衛兗豫之內曰耋,秦晉之郊,陳兗之會曰耇鮐。」でも見ると、当時でも元々こんな何十歳に何が当たられたかと言っても、結構、恣意性が高いという部分もありますね。

だから、どれが正しいか、もう分かんない部分もあって、こういう例はありますけれども、

それは言えるのは、やはり《方言》の中で色んな地方で、やはり同じ事を言うのでも、実はこれらは何十、何十じゃなくて、

「老」はあるところでは、こうだよ、あるところでは、こうだよと、

全然 「耋」で言う地域「宋衛兗豫之內」と「耇」で言う地域「陳兗之會」で見てきた。

それらは全然違う場所で言ってると書いてくれてるんですよ!

だから、それも後でこれを何十歳に当てようということで、

ある程度、合意がなされたんじゃないかということが、言えるじゃないなと!

私が今ここで言いたかったのは、

人間が文字なり、言葉をある概念に充てる時には、

結構 「老いる」という概念であれば、

年上の何歳であろうが、非常にこの当て方が恣意的なんですよ。

だけれども、それは後に整理をされていく中で、これが正しい使い方みたいになっていくわけです。

だから、それをすごく私は言いたかったんですよ。

実例を見ながら、すごいこれだけ見るだけでも、ただこれだけ書いてあるんですけれども、 色んなことが読み取れて面白いんですよ。

言語とは、こういうもものだと、そういうことを言いたかったから、ちょっと長くなってしまったんですけども、

ちょっと戻ってみたいと思いますよ。

そんなわけで大分「老」と「考」で盛り上がってまいりましたけれども。

今まで見てきたことというのは、

元々「老,考也」「考,老也」とこういう《説文解字》で互注のように書いてるのは、おかしいんですよ!

《説文解字》は字書だから、義書じゃないから、

ある一つの、しかも、今は使われない変わった意味で、変な意味のことで書いてあることも、結構あるんですよ。もうよく見るとこれ以外のことに含めて、もう何千字もありまして、

それとあと《説文解字》には、どうも互訓が多い、

互訓とは、互注とも言いますけれども、 お互いの字を注し合う!

実際にこれです(笑)

だから、そうであったとしても、

今言った理屈で「老人」を「考人」と言えないんですよ!

「老人」は意味わかるけど「考人」はよく分かんないですよ。

「老人」は高齢者ですよね。

だけど、「考人」!?「考える人」、哲学者か、ロダンかみたいな(笑) そんな言葉はもう分かんない。

それはどうしてかって言ったら、

今では「考える」というこの字「考」は、「考える」というふう皆が考えている(笑)凄い事になっちゃった(笑)

「老いる」という意味の合意がないから、相手がそう解釈してくれないだけなんですよ。

だから、ある言葉がそれに当てられたある漢字が持つ、範囲のスコープの問題であって、

そのある一部分が重なれば、その条件によって転用できる。

だから、今見てきた《説文解字》は、字書だから、形でグルーピングして、もちろん形は意味にもつながってはいく、

音を介して、だから、部首法という形で整理をして載せているんですよ。

だけれども、《爾雅》《釋名》《方言》《廣雅》などは、義書だから、

意味でグルーピングしていた。

字形も近いし、字音も近いし、字義も近いために通じ合う。

混同が起きた可能性があって、

それでお互いに同じ意味として使われてしまった。

文字の類似性と関係性が見えてきたんじゃないかと思うんですよね。

そこでちょっとそれをちょっと深めてみたいなと思って、

また、私は面白い例を義書である《爾雅·釋宮》「宮謂之室,室謂之宮。」の中で見つけちゃってね~びっくりしちゃう!

《爾雅·釋宮》「『宮』は之を『室』と謂う,『室』は之を『宮』と謂う。」これ同じ状態になってますよ!

この《説文解字》「老は考なり。考は老なり。」と同じ状態になってますよね!

同じものを見つけた!

そうすると、今度これを分析しに行くんですよね!

どういうことかというと、「宮」とは、今、我々はもうこれは大体「宮殿」の宮、「宮廷」の宮として理解してます。

そして、この室は、室内とか、室外とか、部屋という意味で理解します!

ところが、両方とも文字は部屋という意味しかなかったんですよ(《說文解字》「宮,室也」、特に宗廟としても《詩經·大雅·雲漢》「不殄禋祀,自郊徂宮」)。

ところが、秦の始皇帝が宮殿にこの「宮」を使ったが故にその意味が固まった(《史記·秦始皇本紀》「作宮阿旁,故天下謂之阿房宮」)。

もちろんその前にも使用例を見るとありましたよ。戦国時代にもこれが宮殿という意味で使っていることがありました(《戰國策·趙策》「以衛王宮」)。

でも、それは文脈上、そう読めるのであって、

厳密に言えば、(コアな意味は)部屋という意味であった所から来ています!

これを調べると、漢蔵祖語k-y(i/u)mから行くと、やはりこれ似てますよね。殆ど子音の配列が二つとも似ています(漢蔵祖語k-y(i/u)m > 上古漢語「宮」*k(r)uŋで特にSTEDTのyはBaxter-Sagartのrはj, lで近く、mとŋも完全に対応します)。

だから、本当にこれが語源だと思われる!

意味も子音と母音も似ている!

音が似ている!

そして、「室」も面白いことに、前に「水」という単語、私もう何かやったんですよ!

徹底的に水だ!水だ! 「水」の再構はなかなか難しいんだと!復元、上古漢語の音が分からないんだと言って、やったことがありました!

数回前にこのシリーズを見ますと、この「水」の語源は漢蔵祖語*tsyuじゃないかと言った。

その時にこれを見たときにびっくりしちゃったのは、

「室」とこの(漢蔵祖語と)Baxter-Sagart(の再構)とそれで私はこうじゃないか「水」はこうじゃないかと言ったことを赤で書いておいたんですよね。

それで基本的にはいつも鄭張尚芳とBaxter-Sagart(の再構)を書いてあるんですよ。全部、二つの系統の再構音を特に上古漢語に書いていますが、

最後にこれ赤で書いたのは、その時に「水」はやはり、どうもこのBaxter-Sagart(が天下り式に導入した)*s.tはちょっと分からないなと言って、

何でこんな(過程をして)再構したのだろうか、

絶対この閩祖語tšyi Bと中古漢語ɕˠiuɪXと漢蔵祖語tsyuはこうだろうとその時に言った。それから挟み撃ちをすれば、*ts で何で s.t で逆になっちゃうんだろうか!?

先ほど子音が逆になるということ言いましたけれども、音位転換(メタテシス)(笑)

まあ、それではあるかもしれないけどでも、

閩祖語tšyi Bと中古漢語ɕˠiuɪXと漢蔵祖語tsyuを見るとすごく最初の子音が一緒なんですよ!

そうすると語源もすごい似てるということは、お互いにこの時に「水」*qʰʷljilʔ, *s.turʔ, tsju/iʔ の時には、「室」hliɡ, *s.ti[t], *tsitは想定はしてなかったけども、

ここでまた何か(音韻上の)関係性がずっと音素だけで見て、

「水」と「部屋」は全然意味が違いますけど音韻対応もしてるから、

やはり(私が特定した漢蔵祖語tsyuとts(y)a、私が推定した上古漢語の再構「水」tsju/iʔ と「室」tsitは合っているんじゃないか)という風にちょっと面白いなあと、 ちょっとずれちゃったのでありますけれども、

そのように語源をすごく真剣に特定をしていきまして、

最後(韻尾)にこの*-tがありますけど、だからこれはやはり名詞化の接尾辞ではないか!

上古漢語「室」tsitに対して、漢蔵祖語ts(y)aの最後に t はついてないということで非常に似た漢蔵祖語と上古漢語の対応する子音を見つけたわけでありますけれども、

ここで何を言いたかったかというと、

この言葉*ts(y)aは、「土地」とか、そういう意味なんですよ。

そこから「部屋」と言うのはちょっと不思議ではあるけれども、

まあ、ホームグラウンドとかよく言うぐらいだから、

やはり「家」とか、「土地」はすごく結びつきは強い可能性はあると(《說文》や《釋名》に「室,實也」とあるが、「實」とは上古漢語の再構が異なり誤りです)。

まあ、他にも直接的に部屋という概念の色んな子音の対応を見たけれども、 「土地」から、「部屋」とは、結構、導けるのかなという部分はあるということは言っておきたいありますけれども(特に「室」に「家」という意味《詩經·邶風·北門》「室人交遍謫我」があり、「墓」という意味《詩經·唐風·葛生》「百歲之後,歸於其室。」もあります)。

でも、いいんです。

少なくとも、(ここで言いたいことは、「室」の語源が何であれ、)これら二つは全然、語源が違う言葉の内容も違う、

だけれども、意味が一緒になるということはあり得る!

それはどうしてかと言ったら、ある状況、ある条件、ある文脈、ある熟語、ある時代ある地方に於いて、ある言葉やある文字が、ある意味を持ち、相互に入れ替えができる時には、理由と条件があったわけです。

先ほど申し上げたように字形、字音、字義が似ているかということではないかと言うんですよね。

意味が廃れたものも含めると、我々がずっと見てきたように、「考」でも特にそうでしたけども。

思った以上に漢字はものすごく多義でして、

他の字にもどんどんどんどん意味が注がれて、乗り移るんですよね。

注がれて、転注の「注」(笑)

ぴょんぴょんぴょんぴょんと別の言い方をすれば、飛び石みたいにある文字とある文字とつながっていっちゃうというか、

そのネットワークを今見てきた!一つ一つを論証しながら、ほら、この字とこの字はつながっている。

この字とこの字同士がつながっている。

その理由を考えてきた。

そうすると字音が似ている。

意味が似ているというまとまりが見えてきて、

今グルーピングはちょっと見えてきて、ネットワークも見えてきてはおりますけれども。

次はまた別の観点から見ていきたいなと思って、

次のページに行ってみたいなと思うんですよ。

今までは色んな実際の何が起きていたのかということをいっぱい証拠を並べ立てて、

もうこうだ、ああだ、こうだった、ああだったと、ある文字とある文字が関係し合うには、

どういう理由があるのかを一つ一つつなげてきたんですよね。

これでもっと言うと、それと文字と言語の関係性、

もっと言うと、言語自体を人間がどう運用しているのかとか、

更に言うと、もう言語、文字の体系を全部、人間がどう使ってきていたのかという、

実際の例を基にそれを仕組み、

プロセス、メカニズム(笑)

それを見てまいりましたけれども。

今度は、先ず許慎さんが書いた《説文解字》の叙にある、転注の説明を見まして、そこを起点として、

昔の人たちが転注をどう捉えたかを考えてみたいと思うんですよ。

戴震さんが言った「四體二用」というのは、これも説明しましたよね。

もう一番最初に四つは漢字の構成、二つは漢字の運用ということ。

そういう発想を言いました。

それで江聲さんは《六書說》「轉注統於意,轉注者,轉其意也。假借統於聲,假借者,循聲而借也」は、仮借で音を借りて、転注は意味を転じると言ったわけですね。

だから、仮借は音に関係するんじゃないか。

転注は意味に関係するんじゃないか。

仮借は字音、転注は字義に関係するんじゃないかということを話したわけですよ。

ここまではもう既に出てきたんですよ。

問題はこの「建類一首」、それで「同意相受」わけであるけれども、

「建類一首」が何なのか、これ大問題ですよね。何を言ってるのか!?

そうすると三つ、基本的に今まで色んな学者が考えできた説がなってくる。

集約されてくる。

それはどういうことかというと、形転説に形に関係して転じるのではないかという説。

そう読んで字の如く。

形については、私が話してたのは、字形の類似とか、分化したり、混同したりでしたけれども、

最も早く宋の徐鍇さんが言っていたことは、やはり部首に限って話してますね。

部首とは、今の言い方、捉え方をすれば、意符が同じ時のグループですから。

意味が似ているか、同じになるというのが、当たり前なんですよ。

ちなみに部首でなくても、意符は異なっていても、

声符が同じであれば、同じ語源で同じ言葉を書いていたという条件では、

意味は似ていることは、あり得ますよね。

だから、形転説にも、そこだけではない部分もあるんですけどね。

すると、音天説と言うと、今度は音を転じる説、

音が似ているから、仮借とか通仮をして意味が同じになるというのも、

これは当たり前なんですよ。

同じ言葉を同じか、近い音の違う形の声符で書いたからなんです。

それで張有さんが、声訓ということを言っていまして、

ここで、これはどういうことかと言うと、音が似てるから、ある文字がある文字で注釈されるということ、

音が似てるから意味が似てるんだ。

それが転注だと言っている。

更に章炳麟さんは、一歩進めて、語基という言葉を出してきているんですよね。

今の言葉で言えば、語根が同じことをまあ、基本的に音を中心に考えている。

そして、最後に義転説という、これでありますけれども、

意味が似ているから転じるという、

戴震さんとで段玉裁さんですけれども、

彼らはやはり義書を研究して、先ほど私が言ったような《爾雅》がありました。

そういった意味のグルーピングをした書物をよく研究したり、

もちろん《説文解字》もよく研究した。

韻書も研究しましたけれども。

その中で感じたことを言ってんじゃないかなと。

戴震さんはお互いに違う言葉があっても、意味が似ているから言い換えられる。交換し合えるということを言ってるわけですよね。

それで昔の言葉で今の言葉の違いもあったりすると言ってたりして、

それで段玉裁さんは、もうもっと一般化して、転注はもう互訓だと、互いに意味が同じだと、だから転注するんだと、

そこまでもう非常に一般化しておりますけれども。

最近は同義換読という話をかなり最初の方にしましたけれども、

先秦の楚簡で例えば「少ない」と「小さい」とか、結構、似た概念なんですよ。

それらが意味が近いから、似たような発音としてなってしまったんじゃないかという事例が研究されてきていて、

元々は違う発音だった可能性があるのにも関わらずみたいな(「少」*hmjewʔ, *[s.t]ewʔ > ɕiᴇuX、「小」*smewʔ, *[s]ewʔ > siᴇuX、s→ɕは口蓋化)。

今は日本語でも、われわれでも同じ語源の大和言葉を違う漢字で書き分ける事が多いですね。

例えば、動詞「かく」という言葉は、日本語の一つのその「かく」には、色んな漢字「書く」「描く」「画く」「掻く」が当てられてますよね(だから、元は漢語では別の言葉でしたが、日本語の「かく」という同じ言葉に当てられたことにより、全てが関わりを持つようになり、そのように「かく」と読むようになりました。既に中国でも義書などで意味の近いまとまりとして捉えられていて、それが和訓の起源の一つともなりました)。

だから、そういう言い換えというのは、結構あり得る。非常に分かりやすい。

先秦でもそうして、別の字が意味が似ているから、もともと違う音だったはずなのに違う音を持ってしまった。

基本的に私が言ってきたのは、ある文字はある発音と結び付けられている。

つまり、そこは硬いのかと思いきや。

そういった常識すら覆すという、もちろんそれ(ある文字はある言葉に対応付けられたため、ある字音を持つこと)は大前提ですよ。

だけれども、そういうことも、起きているんですね。

実際すごい文字の使われ方は、融通が利きすぎて、もう滅茶苦茶ということなんですね。

何らかの関係性があれば、大体、結びつけられちゃう。

ところで、私は先ず《説文解字》にある字例を調べて、

じゃあ、この段玉裁さんが言った互訓をちょっと見ていったんですよね。

ものすごい数あるんですよ!

これ本当に互訓が、例えば、「音」は「声」、「声」は「音」だとか、

語源も違うし、字音も違いますね。

字源も違って字形も違いますね。

だけれども、字義は非常に似ているから、お互いに互訓している。

これは純粋に意味だけが一緒だから結び付けられた。

ところが、「老」と「考」が転注の字例として挙げられているのは、すごいなと思って見事だなと思ったんですよ!

というのは、ものすごい数の互訓のペアが《説文解字》の中にはありますけれども、

「音声」という熟語はあって、「音」と「声」は、非常に似ているから、

「音は声なり」「声は音なり」と書いてあるんですよ。

でも、それらの字の語源が違えば、字音が違うし、字源が違えば、字形も違うん ですよ。

この二つは、だけれども、意味だけは似ている。

同じだということで互訓の例ではありますけれども。

この中では挙げる例としては不適だったんじゃないかと。

何故ならば、今まで見てきたように「老」と「考」は元は同じ字で声符を加えて、分化をして、字形が似ていました。当たり前です。

また、字音も似ていました(「老」*ruːʔ, *C.rˤuʔと「考」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔ)

また、字義も似ていました(《説文》「老,考也。考,老也」)。

それでこういうことがあるわけですよ。

KF-Scholaの動画で《爾雅》《方言》《釋名》《廣雅》やその註釈を徹底的に調べて導き出したことは、

ここに義訓+形訓+聲訓と書いてありますように、

義書とは、意味が似ている義訓が可能なものをつなげるのは当たり前なんですよ。

ですけれども、実は字形が似ているから、形訓、

字音が似ているから、声訓のつながりも書かれていたということを見ていったんですよね。

それはどういうことかと言えば、

形が似ているから、意味が似てくる。

音が似てるから、意味が似てくるというのは当たり前ですよ。

だけど、純粋に意味だけ似ている同士もあるんですよ。

それは本当に狭い意味での義訓ですよね。

だけれども、やはりその中には、実は形の理由と声の理由も全て混じっていると(即ち、広義の意味での「義訓」には、形訓や声訓も入っていて、それらが義書に収録されていました)!

義書は字義が似ている義訓をつなげのは当たり前だけれども、

実は字形が似ているから形訓ができる。

字音が似ているから声訓ができるというつながりも書かれていたという事を論証しました。

そして、そこで分かったことは、文字と文字の結びつきのネットワークには、

三つの関係性、字形、字音、字義を構築する条件があって、

意味のスコープが重なって、相互に意味を共有してるんじゃないかと。

形が似てるから、混ざり合うとか、

音が似ているから、書き換えられるとか、

義が似ているから読み替えられるとか、

それらを総括している可能性がある。

そう見てくるとですね。

「建類一首」とは、ある文字とある別の文字の関係性を保証する重なりを意味していて、

類似性を意味していて、

実は今までの学者が言ってきた三つの説とも含んでいるんじゃないかと感じたんですよ。

私はここで「語義相い転ずる(語義相轉)」と書いたのは、それを全部含んでいる。

その義を転じる理由は含んでいて、

その理由とは「類」、その理由とは「類形音義」と書いてあるのが、

これは形が似ているじゃないか、音が似ているじゃないか。意味が似ているじゃないか、複合的に重ねられることもあると言いましたけども、

「義が合い転じる」というのは、形・音・義(の内どれか)が類するからと私が書いたんです。

その結果、今言った、全ての三つの説が形轉説+音轉説+義轉説で全部含んでいる、

かつ、形で通じる。音が通じる。意味が通じる。

今言ってきました。

だから、形で訓ずる。声で訓ずる。義で訓ずると書いたわけですね。

だから、当たり前だと、全部同じ事を言ってると!

許慎さんが《説文解字》の叙で書いた六書の定義では、

仮借はもともと字がなかったけど、

言葉を書きたいときに、音を借りて、字を当てた。

(その言葉に)新しく字を作ったという意味合いも含めて、

あるから除かれるんですね(即ち、狭義での仮借と転注は重ならない)。

それは文字がない言葉に対して、文字を適用する規則だからです。

でも、転注は文字と文字の間にある関係性を示してるんじゃないかと考えたんです。

それで、関係性というのが、大事なのは、「相受(相い受く)」と書いてありますね。

「相受(相い受く)」とは二つ以上の何らかでなければ、相い受かないですよね。

出し手と受け手がないと相い受かないからです。

そういうことで「相い受く」となると、非常にこれは関係性を指している言葉です。

一字では(相い受か)ない。

でも、(建類一首の)「一」とは何かというと、最終的には類似性ですよね。

先ほど言った形と音と義とそうなってくる!

すごい面白い自然に見えてきた。

そうすると、ここで最後に全てを総括して、

私たちは今見てきた実際に言語に文字を使う上で起きたことをまとめてみたいと思うんですけれども。

どうして漢字と言う文字体系が、システムが、形成されて運用されるときに起こることを思いつく限りをお話したかというと、

許慎さんが言うこの転注すらも、それの内のどれかを意味してるんじゃないかと考えたからなんですね。

今までの説とは、それぞれある部分では正しかったんですよ。

だって、(私の説は)全部いいとこどりしちゃってるもん(笑)

しかしながら 、二つの意味で問題があったことに気づいたんですね。

一つ目は、決定的な論証ができなかったことなんですよ。

つまり、ある程度の証拠を挙げてきて、こうなんじゃないのと言っても、

反論の余地があるからお互い、これらは定説を見なかったわけなんですね。

それともう一つは、《説文解字》の説明の解釈にこだわりすぎて、

これは何だ、これは何だと、これらの言葉上の解釈にこだわりすぎて、

実際に漢字の表記体系で起きていることを、彼は書いたという、

つまり、実際に漢字の表記体系で起きていることを考えるという、大きな事実を見逃していたんじゃないかと。

そういう視点がなかったんじゃないかとそれら(転注に関する色んな説)を見て、私は思ったんですよ。

これはよく、仏教の経典でも、「群盲評象(群盲象を評す)」と言いますけれど、《大般涅槃経(Maha-apari-nibbaana Suttanta)》の中にある(笑)

ある事について。色んなことを言う人がいるけれども。

それを象に譬えて、大きな象の全体が見えない人が、

その脚の部分とか、

その耳の部分とか、

その皮の部分とか、

一つの小さい部分を触って、

こうだ、ああだ、とお互いに全然違うことを言い合ってるということではないかと感じて、

それは、実際に漢字の表記システムの上で(漢字が成立した)当時にどういうことが起きていたかということに興味持ち、

どうして、そういう意味を持つようになったかと考えた人は、

本当に少なかったんじゃないかと、

それはしょうがないんですよね。

ブラックボックスみたいで中で起きていることを、何が起きているのか知らないけれども、外からどうなっているのか、こうなっているのかと、

その現象だけを見て、 議論をされてきてしまったけれども、それは考える材料がやはり足りなかったから仕方ないんですよ。

というのは、当時の学者は、最善を非常に尽くしてきて、逆に言えば、皆、真実の一部は言い当てたんですよ。

今はすごい時代でして、私は先秦の、秦より前の《説文解字》を書いた許慎さんが生きていた漢より前の、

実際の出土資料や漢蔵語族などの強力な分析の道具を使うことができたんですよ。

だから、本当に文字学者や言語学者ですが一生懸命やってきた。

これで一生懸命考えたりしてきたことも使えるわけですよ。

だから、実際に漢字がどのような表記システムを構築して、どのような運用されてきたかをあらゆる手を尽くして解明して、今できる限り、証拠を全部見て論証がされることから、

私が今述べたことが、転注を指していることであろうと、

実は中西予想にも関係していて、漢字が多義である理由は、字形、字音、字義が、ありとあらゆる要素によって、

字形が似ていて混同するとか、

意符が同じだから似た意味を持つとか、

発音が同じか近いから、声符を借りで書いてしまうとか、

意味が近いから読み替えてしまうとか、

それも全部、三つのここにありますよね。

「類形音義」にもう形・音・義と来てますけど、

三つの類似によって、ある文字と別の文字が結び付けられ、

同じ意味を相い受けて、

同じ意味を相い受けて、これは結びつける、相い受ける。

そして、乗り移っていく、先ほど飛び石みたいにピョンピョンいくというお話しましたけれども、

別の言い方をすれば、

転じて注がれるとは、そうなんですよ。

だから、代わって変化して、そこに流れ込む。

ある文字がどんどん意味を蓄積していくということが、転注じゃないかと。

そうすると、ある文字から、ある文字へ転じて注がれるという「転注」の名前にもしっくりきて、

「建類一首」は意味の範囲のスコープがある類似性において一つだから。

ある文字とある文字が、同じ意味を共有するということ、

そのまま、何のひねりも無理もなく、

名前「転注」も、説明の内容「建類一首,同意相受」も、(もちろん字例「考」「老」も、)

素直にすんなり理解できんじゃないかと思ったんですね。

だから、これは最終的に言ってしまうと、

言語の本質というのは、概念と概念の連結なんですよ。

文字にそれがどうなっていくかと言いましたら、

漢字は言葉の発音や意味を書くために概念を指し示すようになりましたから、

文字と文字のネットワークを形成すること、

今言いましたそれが転注じゃないか。

それで互いにつながる相い受ける。

それは文字と文字の関わりを豊かにしていって、複雑に組み合わせるわけですね。

それが漢語の概念を内的に強固にして、

お互いに結びついて、そして造語能力が高い。

ある新しい概念ができたら、熟語の話もでてきましたよね。

ボンボンくっつけ合わせる。

しかも、一つの漢字の中でも沢山の意味を注ぎこめる。かつ、それ自体はまた更にくっつけ合う、

更に文章書くとは、更にそれをくっ付け合うとものすごいんですよ!

複雑な概念を書き表すことができます!

だから、現代でも、われわれ日本人がものすごい数の漢語を使ってますけれども、

それは漢語がものすごく造語能力が高い。

あらゆる概念がその後にも、漢の時代にも、《説文解字》を書いた許慎さんより後の時代にも、

ずっといろんな社会をやってくると、色んなことがでてきて、

全部対応できて、表記できている!これはすごいですよ!

それは中国人だけじゃなくて、私たち日本人も利用させて頂いてる!

だから、今言っていることをすごいことでして、

この転注は、紀元前の中国がもしくは紀元直後ぐらいのそれを書いた許慎さんの《説文解字》の問題じゃなくて、

これは現代でも、我々が使ってる漢語、漢字、それ自体の本当に土台じゃないかと!

すごいですよ!本当に感激てるんですよ!

我々はそれを利用させて頂いている。

ものすごいありがたいんじゃないかなと!

ものすごい感激しちゃって、盛り上がった!

本当にすごいことなんじゃないかと思っております。

私は最も大切しているのは、

《説文解字》の転注がどうかというよりも、

もっと大きな問題、実際に漢字がどのような表記システムでどのような運用されてきたか。

私は先秦の殷とか、周とか、戦国時代に実際に使われていた甲骨金文や戦国文字などの文字資料、

また漢蔵祖語や関係言語の借用関係など、言語資料をフル活用して、

《説文解字》の説明に関して、昔の人たちの解釈も調べました。

色々もっといっぱい見たんだけれども、整理しました。

両方から事実の積み重ねで思考して論証してこれたじゃないかと、

言語と文字の関係の本質にぐんぐん迫れていけたんじゃないか。

今回もかなり、毎回ですけど、もう本当に良いものを作りたいと一生懸命しているんですよね。

だから、今回も本当に盛り上がれてきたと思います。

そういうことでして、

今回の転注とは、ものすごく激しい(笑)

どうしてかと言いますと、誰も、これがどういう意味なのか、今までわからなかった。

まあ、こう言ってみれば、

フェルマーの最終定理とか、

ポアンカレ予想と言いますけど、

そういう難題というのは、人類にものすごい探究意欲を湧かせんじゃないかと思っておりまして、

難題を解きたい。あきらめない。

それによってより探求意欲が吹き出しておりまして、

本当に今回それの一つの面白い例になったんじゃないかなと思っております。

ですから、今後とも、この探求意欲の炸裂と噴火をできるかぎり動画に入れて、届けたい。 残したい。

そして、今までたくさん引用してきました。言及しておりました。

KF-Scholaに出してまいりました漢字の表記システムの探究の動画も見て頂きたいですし、

今後ともKF-Ars Sinicaの色んなことについて、

探究して参りたいと思いますので、

どうか見ていただいて応援していただけると嬉しいです。

本当に今回もブオーンといきましたけれども。

お付き合い下さいまして、 ありがとうございました。

失礼いたします。

Follow me!

PAGE TOP