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上古漢語の音を当てていくとき、パズルのような、ワクワク感を語りました。漢字的獨特性系列 Unique Chinese Characters【有字幕說明 / Subtitled Commentary】

漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。

2021年11月19日

皆さま、こんにちは。

KF-Ars Sinica、系譜でたどる中華文化の漢字のユニークさを探求するシリーズも、

音韻ということで、漢語のユニークさを探求ということが、 続いておりますけれども。

前回は韻書に集められた、反切と韻図にまとめられた例字などによって、

また、最後は今生きている現代漢語の方言や外国に移入された古音、 古い音などを集めることによりまして、

中古漢語の姿が浮かび上がってくる!

中古漢語の声母と韻母が分かってくるというお話でしたけれども。

私はいつも感じていることがございまして、

一般として、音韻学では、韻書の反切や韻図の配列など、

その解釈の細節に入り込んで行きすぎるきらいがあるじゃないかと思いまして、

やはり、伝統的な音韻学には、致命的な弱点がありまして、

音素文字のアルファベットで書かれていないから、反切、字母、声母、韻母などにおいても、

やはり、一つの字音の塊、即ち、音節かその半分までしか分析ができず、

というのは、声母と韻母ぐらいですね。

伝統的な学問や資料の範疇では、解決できない問題も沢山ありますから、

韻書や韻図など、古典的な資料は参考にはしますけれども。

別のアプローチが必要だということなんですよね。

先に実際に話されていた音を知るためには、

西洋の言語学、特に印欧言語の分析で発達した、比較再構をしなければならないことでしたけれども。

アメリカ人の言語話者ジェリー・ノーマン(Jerry Lee Norman, 1936-2012)さんは、

漢語の方言の中でも、特に閩語に注目しまして、

閩祖語(Proto-Min)を純粋に比較言語学の手法で再構しましたけれども、

同じように伝統的な音韻学の理論ではなくて、

やはり、現代に生き残っている子孫たち、

漢語のそれぞれの方言を実際に比較再構して、

中古漢語やひいては、上古漢語などに遡りまして、理解してゆく方法が最も確実なんですよね(Jerry L. Norman; W. South Coblin (1995). A New Approach to Chinese Historical Linguistics, Journal of the American Oriental Society 115 (4): 576–584.)。

また、漢蔵語族にも、射程範囲を広げて、

漢蔵祖語からも降りてくる、

前にお話ししましたけれども。

サンドウィッチ作戦が大切ではないか!

即ち、漢蔵祖語、上から挟む。

中古漢語、下からは挟む。

パンで挟んだお肉みたいな。

それが上古漢語。

もうあらゆる観点から対象に迫りたいというのが、私の立場でして、

ひいては、KF-Schola、KF-Ars Sinicaですから、

今回は上古漢語、次回は漢蔵祖語などと溯りまして、

比較再構をするにはどうした方法があるのかと楽しんでまいりたいと思います。

そこで出てきますのが、中国語で「結構主義」と、

まぁ、結構なことが書いてありますけれども(笑)

日本語では「構造主義」による言語学ですよね。

まあ、フランス語でここに書いてありますけれども。

英語でstructualismによる言語学(structural linguistics)ですけれども。

今まで私がしてきたことですけれども、

これは細かい要素そのものに着目するのではなくて、

要素と要素の関係を考察して、

全体のシステムや(もっと楽しく)メカニズムを知りたいということでして、

音韻学のイントロアクションで出てきましたけれども、

ボードゥアン・ド・クルトネさんやフェルディナン・ド・ソシュールなどが始めたんですよね。

それで歴時性と共時性と、

それも前に訓詁学の最後のところでちらりと出しましたけれども。

まあ、ギリシア語でこれはdiachroniqueとsynchroniqueと、

別の(δια-)と共の(σύν-)ということで、時(χρόνος)ということで、

そのままじゃないかということですけれども。

言語には、漢蔵祖語、上古漢語、中古漢語、現代漢語など、

時間の流れ、歴時性、通時態がありまして、

日本語ではそう言いますけれども。

また、現代漢語の様々な方言など、地域の違い、共時性、共時態と言いまして、

実はKF-Ars Sinica、系譜でたどる中華文化ですから、強調したいことですけれども。

系譜の上で歴時性とは、世代に当たるわけですよ。

そして、共時性とは、親族に当たるわけですよ。

まあ、平たい言い方をすれば、

縦のつながり、横のつながりに当たりまして、

それらの全体で構造が見えてくるというアスペクト、ヴィジョンが現れていくんですよね。

ですから、私は両方を分けないで、一つに統合した「言語系譜学」を提唱したいと思いますよ(笑)

ということで、勝手に新しい言葉を作っちゃいましたけれども。

中国語でこちらに書いてありますけれども。

逆の並びが一般的でして、「言語」→「語言」、

そして、「系譜」→「譜系」で逆だと、

天邪鬼だということですけれども。

同じ意味ですけれども。

ギリシア語でglottogenealogiaとして、

γλῶττα > glottaは舌、言語、 それでγενεάλογία > genealogiaは系譜学です。

まあ、ラテン語linguaも舌、言語ですから、linguogenealogiaも考えてみましたけれども。

まあ、英語でpolyglot(πολύ- + γλωττος)と言いますけれども。

あとは、multilingual(multi- + lingua)、両方とも多言語ですけれども。

まあ、今このページにあるように似てますけれども。

もう、フランス語も出てくる。

英語も出てくる。

ギリシア語も出てくる。

ラテン語も出てくる。

上古漢語が出てくる。

中古漢語が出てくる。

近古漢語が出てくる。

現代漢語が出てくる。

もう、現代漢語の方言もたくさんありまして、

ああ、これが、polyglot、multilingualですけれども(笑)

どうも英語には、二つの言い方がありまして、

ギリシア語系とラテン語系なんですよ。

面白いということで語源に興味を持っちゃったわけですよ。

先ず、ラテン語の「舌」lingua、これはKF-Scholaでやりましたよ。

本当に懐かしい!

そちらで見ていただけたらと思いますけれども。

印欧祖語*dn̥ǵʰwéh₂sに遡れまして、

英語tongueは(ゴート語𐍄𐌿𐌲𐌲𐍉 tuggōや古ノルド語tungaと同じく)ゲルマン祖語*tungǭと同じ語源と分かりますけれども。

まあ、ロシア語язы́к jazýkですから、(古教会スラヴ語ⱗⰸⱏⰹⰽⱏ językŭと同じく、また、リトアニア語liežùvisや古プロシア語insuwisと併せて)バルト=スラヴ祖語*inźūˀkas、

サンスクリットjihvā /d͡ʑiɦ.ʋɑ́ː/は、(古ペルシア語 𐏃𐏀𐎠 h-z-a /hazāna/やアヴェスタ語hizuuāと併せて)インド=イラン祖語*ȷ́iȷ́ʰwáHでして、殆ど変わりないですけれども。

ラテン語lingua /ˈlin.ɡʷa/は、イタリック祖語でlがdに行くんだという話でKF-Scholaで出てきましたけれども。(オスク語𐌚𐌀𐌍𐌂𐌖𐌀 fanguaと併せて)イタリック祖語*denɣwāなんです。

そして、ケルト祖語tangʷāss(古アイルランド語tengaeや中世ウェールズ語 tauaut)、トカラ祖語käntwo(A方言käntu、B方言kantwo)など、

まあ、これはdとtとkは関係していると、子音の対応が見えて来れますけれども。

それで他の語族は、印欧祖語*dn̥ǵʰwéh₂sにいきますけれども。

どうも、ギリシア語glotta、 まあ、声門閉鎖音glottal stop [ʔ]という音が音声学でよく出てきましたけれども。

まあ、ギリシア語glottaは、”It's Greek to me”ということでして、

英語のイディオムで「もう、さっぱり分からん!》という意味(のジョーク)ですけれども。

シェイクスピアが使ったのかな。

語源が、もうさっぱりわからんということでして、

まあ、イオニア方言γλῶσσα、アッティカ方言γλῶττᾰ、σとτ、sとtで子音が対応しますけれども、

それらギリシア語の方言をまとめて、更にトーナメント方式で上がりましたら、ヘレニック祖語*glóťťāに遡りますけれども。

どうも、現代アルバニア語gjuhë /ɡljuxə/、アルバニア祖語*gluxā < *gulsā < * gl̥so-とどんどん古くに遡りましていきますけれども。

共に仲間外れなんですよね。

そして、気づいたことがありまして、

ギリシア語の語源は、今まで印欧祖語「点」*glōgʰsとされてきましたけれども。

どうも、アルバニア語と子音の配列と「声」という意味が極めて似ておりまして、

アルメニア祖語*gluxā < *gulsā < * gl̥so-から遡りますのが、印欧祖語*gols-o-ではないかと、

これは、バルト=スラヴ祖語*galsásにも対応するんじゃないかと、

リトアニア語gal̃sasでは、殆ど印欧祖語*gols-o-の段階から変わっていませんでして同じだと、

そして、古スラヴ語ⰳⰾⰰⱄⱏ glasŭ(チェコ語hlas、ポーランド語głos)は「声」ですけれども、

声門閉鎖音glottalも、元々はギリシア語「喉」γλωττίςから来てるわけでして、

こちらも、アッティカ方言ではγλωσσίςですが、ττとσσ、ttとssできていますけれども。

「舌」というより、「喉」から来ている可能性があるんじゃないかと!

しかも、ゲルマン祖語kalzōnąは、印欧祖語gols-o-から出ていまして、

(古ノルド語kalla)「呼ぶ」とか、「叫ぶ」なんですよね。

それで古英語ceallian /ˈt͡ʃæ͜ɑl.li.ɑn/ [ˈt͡ʃæ͜ɑɫ.ɫi.ɑn]、そして、現代英語call「呼ぶ」も語源が一緒でして、

やはり、どうも声とか、言葉に関係している(オランダ語kallenは「話す」にもなりました)!

まあ、ギリシア語γλῶττᾰ(ヘレニック祖語glóťťā)、現代アルバニア語gjuhë /ɡljuxə/(アルバニア祖語gluxā < *gulsā < * gl̥so-)と、どんどん、古い形にいくわけですけれども、

それらの語源はやはり、印欧祖語「声」*gols-o-ではないかと考えられていることですけども。

ちなみにttの子音の重なりが気になっちゃいまして、

アナトリア語派のヒッタイト語「舌」lalas、

ルウィ語で「舌」lal(i)-、

「言語」lalatt(i)-でtの子音が重なっておりますけれども、

リュディア語lalê-などから、

アナトリア祖語lala-, lali-でして、これは印欧祖語leh₂-まで遡りまして、

サンスクリットrā́yati /ɾɑ́ː.jɐ.t̪i/は、印欧祖語*léh₂-ye-ti < *leh₂-と同じく「吠える」という意味ですけれども。

ギリシア語λαλέω /la.lé.ɔː/ < *l̥h₂-lo-は、「おしゃべりする」という意味ですよ!

そして、ラテン語lallo < leh₂-lo-、ドイツ語lallenなど「呟く」と関係するということでして(また、リトアニア語lótiやロシア語ла́ять < バルト=スラヴ祖語lā́ˀtei、そして、アルバニア語leh < アルバニア祖語*lajaの「吠える」とも同根でして)、

言語や舌に関する言葉も少なくとも3つの別の語源が印欧祖語からありまして、

まあ、大分、脱線してしまいましたが、

実は新しいアイディアが思いついた!名前を付けたい!命名をしたい!というときに結構ここまでこだわりまして、語源まで遡りまして考えるということは大事なことですよ。

こちらで見てみましたら、

「言語系譜学」という言葉を作りたいとき、

glotto < γλῶττα、genea < γενεά、logia < λογίαということでして、

全てギリシア語に揃えたわけですよ!

まあ、前に音楽musicaの歴史も(同じように系譜で)理解ができるということで、

音楽系譜学musicogenealogiaを提唱しましたけれども。

まあ、ラテン語「音楽」musicaも、ギリシア語「ミューズ神」μουσικήだから、ギリシア語musico < μουσική、ギリシア語genea < γενεά、ギリシア語logia < λογίαで来ているんですよ。

いいということでして、その姉妹編ということで仲良くしていただけると嬉しいです!というのは冗談ですけれども(笑)

生物の分類taxonomia、これもギリシア語「順序」taxo- < τάξις、「法則」-nomy < νόμοςで言語の分類とありますけれども。

こうした言語の変化は、生物の進化と同じく、

古生物学paléontologieのような言語学linguistiqueということでして、フランス語で書いてありますけれども、

やはり、今、生きている生物は、昔にある先祖から分かれたんじゃないかということですよね。

だから、非常に言語と似ているじゃないかと面白いなと見てこれましたけれども。

ところで今まで古い漢語の音を知るためには、

厳密に言えば、音素を特定する方法ですけれども、

音素は相対的で音価は絶対的でして、

中国語「音位」は音素、音価を書く「音標」、

すごく、音韻学(phonologia)と音声学(phonetica)、

中国語で書いてありますけども、

それら、音韻学(phonologia)と音声学(phonetica)、音素(phoneme)と音価(phone)の違いをお話をしてまいりましたけれども。

それは、物理学においても、

理論である法則がある方程式で書かれているとき、

それはある物理量が、別の物理量とこうした関係があるよという主張でして、

その結びつくときの値は、結合定数と言いますけれども、

それは実験をして観測をして測定しなければならないんですよ。

だから、理論物理学と実験物理学は、両輪のように結びついているのと同じく、

音韻論は、音の関わり同士が、相対的に示されていて、

絶対的に古い言葉がどう発音するかは、

今、生きている子孫の言葉の絶対的にこれだという音を集めてきて知るしかないんです。

ですから、古くに滅びた、もしくは、変わり果てた言葉を知るには、

今生きている子孫たちの言葉を比較、対照して、

厳密に言うと、比較分析とは、音韻論や形態論を比較するんですよね。

それで対照分析とは、統辞論や文法論を比べまして、

まあ、今中国語で書いてありますけれども。

前回に中国語「形態音位学」、日本語「形態統語論」(morphonologia)、

もしくは、中国語「形態詞法学」、日本語「形態統辞論」(morphosyntax)ということでして、

語根(radix)に接辞(affix)が付く、

そして、新しい言葉が生まれてゆく、

まあ、接頭辞(prefix)、接中辞(infix)、接尾辞(suffix)ですけれども。

語根からの言葉の派生の過程なども分かってくるんですよね。

そして、前回は前回はこちらにありますように、現代漢語の方言や外国の字音から、中古漢語を構築するという、遡りますということでして、比較再構を見てまいりましたけれども。

実はもう既に上古漢語の段階でも方言があったこと、

先秦の《春秋左伝》の中にも、

楚の人は、「乳」(*njoʔ, *noʔ)を「㝅」(* kloːɡ, * [k]ˤok)と言い、

そして、「虎(*qʰlaːʔ, *qʰˤraʔ)」を「於菟(*qaː daː, *[ʔ]ˤa [l̥ˤa])」と言うとありまして、

「虎(*qʰlaːʔ, *qʰˤraʔ)」の場合は、「於菟(*qaː daː, *[ʔ]ˤa [l̥ˤa])」の二つの字を合わせると「虎(*qʰlaːʔ, *qʰˤraʔ)」となりまして、

どうも、 これは「合声」という話で前回に出てきましたけれども。

動物の名前にやはり多いんじゃないか!二文字で一文字の音を表しておりまして、

ということでして、名前「㝅於菟(こくおと)」(* kloːɡ qaː daː, * [k]ˤok [ʔ]ˤa [l̥ˤa])を付けたと書いてありますけれども。

また、《戰國策》にも「以鼠為璞(鼠を以って璞はくと為す)」という故事成語がありまして、

鄭の人は加工していない「玉」、

原石(あらたま)を「璞」*pʰroːɡ, *[pʰˤrok]、

周の人は「鼠」*hljaʔ, *[l̥]aʔの干していない生の肉を「樸」*pʰroːɡ, *pʰˤrokと言い、

ああ、同じ音(*pʰroːɡ, *pʰˤrok)ですけれども、声符「菐」(*boːɡ, puɡ, *[bˤok], [pˤok])が同じだから、

それを取り違えたという面白い話がありますけれども。

つまり、宝石の原石「樸」*pʰroːɡ, *pʰˤrokと鼠の生の肉「樸」*pʰroːɡ, *pʰˤrokを取り違えたという、

音*pʰroːɡ, *pʰˤrokは一緒だけれども、全然違う物になっちゃったという面白い話が記録されておりますけれども。

また、漢代の揚雄さんが書いた《方言》の冒頭のところに「黨」「暁」「哲」は「知」なりと、

全部「知」という言葉だけれども、こんなに場所によって違うということが記録されていますよね。

それでこちらを見てみたいと思うんですけれども。

貴重な宋本と清代に戴震さんが、郭璞さん、

あ!今の「璞」がたまたま出てきました。これは人の名前ですけれども。

郭璞さんの註釈に対して、更に註釈を加えた疏證がありますけれども、

楚では「黨(とう)」*taːŋ, *tˤaŋʔ、もしくは、「曉(ぎょう)」*hŋeːwʔ, *qʰˤewʔ、

「通暁」という言葉がありますけれども、

知り尽くしているという意味で「暁」も知っているという意味であると書いてありますけれども、「知」*ʔl'e, *treはですから、音が違うんですよ!

だから、郭璞さんがここで註で書いてありますように「朗」*raːŋʔ, *k.rˤaŋʔは、(明朗という言葉がありますよう、)「明」*mraŋ, *mraŋ(*m- prefixが付いた形)でして、

「明らしめる」とか、「明らかにする」とか、やはり、「知る」という意味になりますよね。

本当に意味的につながっている(義通)じゃないかと!

そして、斉や宋の間では、 「哲」*ʔl'ed, *tr[e]t、「之(知)を謂いて、哲という」と書いてありますけれども、「哲学」という言葉がありますけれども。

やはり、「知」*ʔl'e, *treに関係していまして、

「知」*ʔl'e, *treは、「哲」*ʔl'ed, *tr[e]tと全然、字形が違いますよ!

声符が違います!

しかし、音は同じか、近い、

これは元は同じ言葉を書いていたのではないかという関わりが見えているんですよ(*-t nominalizing suffix名詞化の接尾辞)!

これこそ、まさに上古漢語の音を推定する根拠となりえるわけなんですよ。

しかも、これこそ、まさにKF-Ars Sinicaのモットーである「言語と文字のデュアリティ」なんですよね!

おお!二千年前にこうして、言語に文字が出られていたのかということで震えが来ておりますけれども(笑)

それで次にこちらに行きますけれども。

実際に上古漢語にアプローチするには、どういうアイディアがあるか、

今のような、言語と文字の関わり合いについて、

私が今まで知り得た限り、

もう、色んな研究方法の実例から抽出していきましたら、

これらになったんですよ!

先ずは、音で注する方法、

音注と声訓、

直音(読若)、反切(反語)とありますよね。

直音と反切はやりました!

もう、音韻学で何度も、

また、許慎さんの《説文解字》や劉熙さんの《釋名》は「声訓」、

鄭玄さんも前にありました「合声」という方法で注を書いていましたね。

特に反切は、後期上古漢語の時代の服虔さん、應劭さん、孫炎さんなどが用いましたね。

こちらに出ておりますけれども、これらの本で(使いましたが、書籍としては散逸して残されておらず、)

そして、古注の反切が陸德明さんの《經典釋文》に載せられて伝えられているんですけども。

そうしたことは、もう見てまいりましたので、

音韻学のイントロダクションの回から、

もう何度も何度も取り上げてまいりましたので(そちらをご覧下されば)良いと思うんですけれども

また、古くから音韻学の重要な方法では、

前に出てきた連字、もしくは、駢字、「駢」は並べる、「連」は連なるという意味ですね。

字を連ねる、字を並べる。

重畳、雙聲、畳韻、合韻と出てまいりまして、

そして、先ほどチラッと出てきました鄭玄さんがと言いましたのは「合声」も「合韻」に近いお話でして、

前回の中古漢語の場所でも出てまいりましたけれども。

特にこうした熟語の分析によって、

声母が同じグループ、韻母が同じグループを調べていくこともできますけれども。

また、それらを声紐と韻部と言いますけれども、

こちらにあります。

声母が同じグループ(声紐)、

韻母が同じグループ(韻部)、

韻を踏んでいる字を集めて、

グルーピングする方法がとられたんですね。

おお!ということで、これはね宋代の鄭庠さんが始めまして、

どういうことかと言いましたら、

《詩経》の〈黍離〉は、黍(キビ)がおい茂った、

昔の都の寂れたさまを詠んだ詩ですけれども。

交互に二つの脚韻を踏んでいる交韻がございまして、

「離」*rel, *[r]ajと「靡」*mral, *m(r)aj、

そして、「苗」*mrew, *m(r)aw、「搖」*lew, *lawと、

ちゃんと韻を踏んでますよね。

しかもですよ!

「苗」*mrew, *m(r)awと「靡」*mral, *m(r)ajは、

こちらを見ていただければ、声母mrと更に(韻母の一部)a まで一緒だ!すごいですよね!

こことここは韻母が一緒でして、こことここは声母が一緒でして、なかなか凝ってる!

よく見ましたら、「離」*rel, *[r]ajと「靡」*mral, *m(r)ajは、

最初にmがあるかないかだけでして、

しかも、「苗」*mrew, *m(r)aw、「搖」*lew, *lawは、

韻母*-awが一緒ですけれども。

そして、次の行では、「知」と「不知」が対比されていて、

本当に「對仗」と対句になってるんですよね。

本当に「謂我」が同じでしょ!対照構造あるんですよね。

そして、韻は、やはり、ここにハイライトしておきましたけれども。

「憂」*qu, *ʔ(r)uと「求」*ɡu, *ɡu、

そして、「天」*qʰl'iːn, *l̥ˤi[n]と「人」*njin, *ni[ŋ]ということで踏んでますけれども。

特に「天」と「人」は、Baxter-Sagartは*-ŋにしてるんですよね。

それで鄭張尚芳さんや中古漢語では*-nになっていますよ。

まあ、今の日本語でも、人間の「人」はnです。

それで、n と ng の対立はあると言いましたよね。

だけれども、Baxter-Sagartは、-inと-iŋの場合は通用して、韻を踏むということで議論しておりました(Baxter-Sagart 2014: 211)。

そして、語気助詞「哉」*ʔslɯː, *[ts]ˤəが、ここに虚字が付いていますから、特に虚字韻と言うんですよね。

それで《楚辭》を見てみましたら、

〈國殤〉という、屈原さんが戦死した若者の戦いぶりを描いて弔った詩ですけれども。

ここの韻をみましたら、ここに虚字が出て来るでしょ!

語気助詞「兮」*ɢeː, *ɡˤeです。

この「甲」*kraːb, *[k]ˤr[a]pと「接」*ʔseb, *[ts][a]p、

「雲」*ɢun, *[ɢ]ʷə[n]と「先」*sɯːn, *sˤərで、Baxter-Sagartはrにしていますが、rとnは、やはり、方言差、もしくは、時代差がありまして、同じでとしているんですよ(Baxter-Sagart 2014: 260)。

ですから、「先」*sɯːn, *sˤər→*sˤənですよ。

「雲」*ɢun, *[ɢ]ʷə[n]と「先」*sɯːn, *sˤənで韻を踏むということでして、

語気助詞「兮」*ɢeː, *ɡˤeがありますから、

まあ、これは「騒体」と言いまして、

屈原さんの〈離騷〉のスタイルと言われているんですけれども。

そういうことでして、

清代の音韻学者の江有誥さんが《詩經韻讀》《楚辭韻讀》という名著を著わしまして、

また、王力さんも同じ題名で書きましたけれども。

こうした清代の考証学者たちは、特に当時に知られていた《詩経》や《楚辞》など、

最も古い詩たちの押韻字を調べまして、グルーピングしたわけですよ。

そして、こちらを見てみたいと思うんですけれども。

今見ました《詩経》の宋刻本の四部叢刊初編に復刻がありまして、

私はもう凝っちゃっている(笑)

それと《楚辞》の元刻本の古逸叢書で復刻がありましたけれども出てくるわけですよ!

といった感じでちょっとコーヒーブレイクを入れまして、

こちらに行ってみますよ。

こちらは私が、上古漢語の聲紐と韻部、声母と韻母のグルーピングを調べた、清代の考証学者たちを調べ上げて、リストアップしてまいりましたけれども。

いや~これはすごい大物学者たちが並んでおりますよ!

顧炎武から始まりまして、

戴震さんでしょ。

段玉裁さんでしょ。

王念孫さん、江有誥さんとおりますけれども。

こちらに最後の章炳麟さん、黄侃さんたちにより、

清代の音韻学の成果が集大成されたんですよ!

これが学問の系譜じゃないかいうことですけれども。

しかしながら、清代の音韻学では、この文字とこの文字は、同じ声母や韻母を持つグループという所までは、まとめていてくれましたけれども、

具体的な音は分からなかったのですよ!

先ほど申し上げました総体的には結びつきが分かった!

ところが絶対的にこの文字はこう発音するというところが分からなかった!

ですから、高本漢さん、誰だこれは!?

カールグレンが、 近代的な言語学でアルファベットや国際音声記号で中古漢語を再構して、

それから、上古漢語を再構にチャレンジをしまして、たたき台を作ったわけなんですけれども。

そして、こちらは李葆嘉さんの《清代古聲紐學》ですけれども、

この本、私が気に入っちゃって、紹介してしまいましたけれども。

ああ!前回の手(《指掌図》)があります!

割と韻母、韻部、

漢字の音の後の部分は、詩賦の韻を先ほど見てまいりましたように調べて分かりましたけれども。

今でもそうなんですけれども、

どうも、声母、声紐、頭の部分は結構大変でして、

今までも、宋代の呉棫さん(《韻補》《書稗傳》)とか、

明代の陳第さん(《讀詩拙言》《毛詩古音考》)などは、

古くは音が違ったということにうすうす気づいた人たちがいましたけれども、

ちなみに呉棫さんは泉州、陳第さんは福州ですから、

二人とも、福建で閩語を話されていた地域にいた人たちなんですよね。

だから、古今や南北で音が違うことに気づいたのではないかと思ったんです。

清代の考証学者たちが、その線で考えてゆきまして、

ここから実証していくという段階に入ってきたわけですけれども。

一生懸命に調べ上げてくれまして、

先ずは、顧炎武(《音學五書·古音表》)さんの考え方、

前に三十六字母をしましたけれども。

唇音、唇の音には、重い、軽いがあるとありましたが、

古くは軽唇音はなかったと(古無輕唇)看破しましたり、

李光地(《音韻闡微》《等韻辨疑》)さんは、閩語や粤語など、南方の方言と北方の方言、

官話や雅言と言われた言葉ですね。

どうも異なるんじゃないかということから類推して、

南北でも、古今でも、音が異なるということを確信しまして、

これはまさに先ほどの共時性と通時性に相当する概念でして、

こちらに雅音歸並とありますけれども、

今の言い方をすれば、古くはある子音と別の子音が同じだったことに気づきまして、

弟子の徐用錫(《字學音韻辯》)さんは、

中古漢語から上古漢語の音に遡る方法を考えまして、

古くは舌上音がなかったと(古無舌上)看破しまして、

そうした結果を吸収して、

錢大昕(《十駕齋養新錄·卷五》《潛研堂文集·卷十五》)さんは、

超大物ですが、彼も呉語、贛語、湘語などの方言に古い音が残されるかもしれないと考えて、

文献上で異文や異体、

仮借や通仮で書かれている部分、

違う字で入れ替わっているという、そうした証拠をかき集めてきて、緻密に論証をしたんですよ。

そして、古くは牙音(軟口蓋で調音される音)がなかったと(古無牙音)看破しまして、

喉音と一緒だったんじゃないかと言いまして、

また、こちらに互通合用とありますが、

李元(《音切譜》)さんが、古聲互通だと!

即ち、古くはある音と別の音が通じ合っていたと考えて、

現代的な言い方をすれば、子音の音韻対応ですね。

そして、夏燮(《述均》)さんが、古聲合用だと!

即ち、古くは牙音と喉音、

舌頭音や舌上音など、

近い調音部位の両方の音が使われていたんじゃないかと考えて、

前に子音も母音もストライクゾーンが広くて、

微妙に調音が異なりましても、

音が近ければちゃんと言葉が認識されて伝わる、

通じるというお話をしましたけれども、

そういうふうに考えた人たちもおりましたということでして、

晩唐から五代の《韻鏡》では、三十六字母がありましたけれども、

古くは同じ音が重ねて書かれていましたね。

ところが、南宋の《指掌図》がもう一枚出てきたとき、横に並べて書かれていたんですよ。

ですから、唐代の人たちは、古くは音が同じか分かれていたことを知っていて、

宋代にはもう別の音としてきちんと認識されていたことが分かるのです。

ですから、それは中古漢語でのお話ですけれども、

更に遡りました上古漢語ではなおさらですよね。

実は彼らの時代は上古漢語という概念、

中古漢語という概念は確立されていなくて、

古音ということで結構一色単にされていて、

今でいう中古漢語の三十六字母などを基準に上古漢語を考えていたという、

まあ、遡るという意味では、間違いではないんですけども。

考えられ知多というきらいがございますけれども。

でも、今お話していることは、大変なことでして、

今までは清代に韻部、韻母は調べられていたけれども、

声紐、声母はあまり調べられていないと言われてきましたが、

結構、当時から古音(文献の音)や方音(方言の音)にも、興味を持っていた人たちがいて、調べてきてくれていたということが伝わりましたかと思います

こうして得られた結果がこちらですけれども、

王力さんは、三十二聲紐から、俟母を後に増やして、三十三聲紐と言いましたけれども。

董同龢さん(《上古音韻表稿》)が、どうも、反り舌音は、上古音系になかったんじゃないかと言って除いて、

そして、李方桂さん(《上古音研究》)が、やはり、次にあるrから、後に(音がくっ付いて)反り舌が生じたと考えまして、

ですから、実際に王力さん、鄭張尚芳さん、Baxter-Sagartさんの結果(再構)と対応しておきましたが、こちらで分かることは、

王力さんは一つの声紐に一つの子音、

まあ、二重調音がありますが、それは一つの音として考えてますけれども。

現在では複合した子音として、

更に細かく分析されて、rが入っていますよね。

[ ɖ͡ʐ]は反り舌でしたが、鄭張尚芳さんは[zr]、Baxter-Sagartさんたちは更に分析して、[d͡zr]が混ざって、(一つの反り舌の音に)入ったんじゃないかと!

いくつかのシーンが連結して、再構されていることが分かるんですよ!

更に最近では、形態音韻論(morphosyntax)で語根や接辞まで分析して考えてゆくところまで来ていますから、

ちなみにまぁ、これは清代の終わりまでの結果をまとめた声紐、声母のリストですけれども。

今では一対一で対応していませんから、

鄭張尚芳とBaxter-Sagartの再構はこの例字に限って、

参考として書いておきました。

実は同じ当時に分けられていたものでも、後でもっとはっきり分かって、分別されたりしているわけですよ!

ですから、声紐に関しては、再構するのは難しくて問題がかなり今でもあるんですよ!

未解決でここはどうなっているのかという部分で学者で意見が分かれますけれども、

研究の歴史を最新の研究で再評価していると今ここでしていると考えていただければと思います。

そして、韻部は、王力さんは戦国時代に侵部から冬部が分かれたということで、

ここに二十九部で()で一つだけありますけれども。

三十部にすることもありますが、

問題なく、諸家の意見は結構きれいに対応していまして、

まあ、最近では六つの母音、六母音説が主流ですけれども。

一段目にあるのは、陰聲韻、母音で全部終わった韻ですよ。

それで二段目は入聲韻ということで、塞音-p, -t, -kで終わってますよね。

そして、三段目が陽聲韻(鼻音-m, -n, -ŋ)できていますね!

ですから、こうして、三つとも、大きく再構の結果は違うはないということでして、

先ほどの画面に戻ってみますよ!

そうして、上古漢語の声母と韻母を調べられてきた過程に話がゆきましたけれども。

また、こちらにある別の手法としては、

諧声とは、形声字で同じ声符を持つ文字ですけれども。

これも、文字学で結構やりましたけれども。

文字構形を声符と意符と飾符などに分析をしまして、

諧聲系列とそのグループが、平たく言えば、文字の形から、この部分が音を書いている、この部分は意味を与えていると直ぐに分かるんですよね。

それで「書」を見てみましたら、

こちらを見ましたら、

声符「者」、そして、意符「聿」が付いているんですよね。

今度は「者」の字源は、今まで不明とされてきましたが、

また、馬鈴薯とか、甘藷とか、じゃがいもとか、さつまいもとか、

両方「薯」「藷」とも同じ「者」を声符として入ってますね。

だから、これは「芋」の象形ではないかともいわれていていたり、

それで仮借をされて「者」などに使われたため、

草冠を付けたりして、 本来の字が、諧聲系列の中に残されているとも考えられてきましたけれども。

私は甲骨金文の形と上古漢語の音で調べましたら、

どうも、これは、キビ「黍」*hljaʔ, *s-tʰaʔである可能性が高いんじゃないかと。

「黍」は今ここには出ていませんが、

上の部分が垂れている形「禾」がありますが、

でも、異体として、甲骨金文を見てみましたら、

「者」に近い形もあったんですよ。

しかも、この点点は実った部分ということでして、

「黍」にもあるんですよね。

特にあと「香」という字に近くて、

「黍」に「甘」を加えてできていますが、

更に蔗糖の「蔗」*tAk-s、サトウキビも、別の声符で書かれていますけれども。

ちなみに「黍」の語源は、

私、調べてみましたら、

やはり、これは、漢蔵祖語*g/s-rwaである可能性がありまして、

クキ=チン語*hraa、

ボド=ガロ語thaですが、

「者」tAʔや「書」s-taにちかいですよ!

それで「者」の周原甲骨文は、結構珍しいですね!

普通、甲骨文というと、殷墟の甲骨文ですよね。

西周時代の甲骨文では、上の部分が黍「𣏔」を手「又」で持っているんじゃないかという字形でして、

殷代や西周の金文でも、飾符「口」が下に加えられて、同じ形でありまして、殆ど変わらない!

それでこの飾符を飾りでよく「口」を付けるとよく言われますけれども、私は思ったんですよ!

ただの飾りではなく、字を区別したり、

仮借をして詞を書いたという意味とも取れるんですよね。

そして、「口」は言葉を書いているという意味だと言いたいんじゃないかと。

最初は声符「者」だけで文脈から、

「書」と読める字が書かれていたということがあるんですよ!

これ「書」と読みなさいと、この意符「聿」は付いていないですが、

それで後に意符の筆「聿」が付いて構成されていますから、

形声字であることが分かるんですけれども。

これは面白いと!形声字の成立過程が分かるというか、

最初は言葉の音を書きたかった!バンと仮借して当てちゃったけれども、これは「者」と区別がつかない!

だから、意符「聿」を加えたっていうシナリオが見えてくるわけなんですけれども。

《説文解字》に「聿」に従い、「者」が音だと(「从聿者聲」)書いてありますけれども。

今の言い方をすれば、「書」*s-taという字は、

声符「者」*tAʔに対して、

意符「聿」ですから、

今は更に声符「者」の分析をいたしましたね。

「者」は声符「黍」と甲骨文では手「又」という字ですが、金文では飾符「口」からなると、私は思いまして、

やはり、この「書」*s-taの音で分かることは、

最初に*s- prefixが付いていまして、

諧声系列の文字を形態音韻論で分析をすると、

更に語根と接辞が明確になりまして、

語根はこのtaの部分だと、

諧声系列の文字は、

接辞などを無視して、

語根の音が近い同じ音の文字を仮借して、

言葉に当てていきましたことが分かるんですよね。

鄭張尚芳さんの諧声系列のリストは、

中古漢語から遡るなどして、

ものすごい数がありますけれども、

Baxter-Sagartさんたちは、かなり慎重で分からないものを再構していなかったり、

自信がない部分を括弧[]を付けて、

ここにあるように示してくれていますよね。

ちなみに《説文解字》の「書」*hlja, *s-taは、「箸」*das, *[d]ak-sなりと、典型的な声訓で書かれていますけれども。

同じ声符のもので言っていまして、

「書」*hlja, *s-taの語源を考えてみましたら、

こちら書いてきました。

どうも、漢蔵祖語「置く」*s-ta-tである可能性がありまして、「配置する」でして、

これでチベット語སྟད་པ stad-pa /*stad.pa/、

ビルマ語ထား hta: /tʰá/、

ジンポー語dá

羌語stɑで上古漢語「書」*hlja, *s-taと同じじゃないかということですけれども。

それで思ったのが、

「著作」の「著」*taɡ, daɡ, *tak, m-takとか、「署名」の「署」*djas, *m-taʔ-sなどの音にはtaとありますよね。

それとあといろいろと(接辞により)修飾が加わっているんですよ。

だけれども、これらは、やはり、STEDTでは漢蔵祖語「置く」*s-ta-tから来ているということでして、

同源ということされてますけれども。

まあ、今でも文章を書くことを「著作」、

名前を書くことを「署名」と言いますけれども、

子音の配列と語義の内容から、

この部分taが語根でして、「書」*hlja, *s-taは*s- prefixでしょ!

そして、「著」*taɡ, daɡ, *tak, m-takは、 infix、-k suffixとか、

今度は「署」*djas, *m-taʔ-sは、m- prefix、そして、-ʔ suffix、*-s suffixが接辞でして、

同じ語源taから派生されたと考えるのが自然なんですね。

ちなみに同じ声符を持つ、「もろもろ」の「諸」*tja, *taや「都」*taː, *tˤaは、中国語では、「も」とかいう言葉で使われますが、

「たくさん」「多い」など、これらは漢蔵祖語「大きい」*ta-yからきていて、

別語源と考えなれますけれども。

実はものすごい数の諧声系列の文字がありまして、

言葉に文字を当てたとき、似ているから、一緒になりましたけれども、

裏返せば、殆どは仮借をして、ここでありましたように別の言葉を書いているためにやはり語源は異なるんですよ!

そして、諧声系列を調べてくれた先行研究として、

朱駿声さんの《説文通訓定聲》や何琳儀さんの《戰國古文字典》などがありますよね。

こちらを見てみたいと思います。

こうして朱駿聲さんは、

ずらずらと、

ここに「者」があります。「諸」もあります。「書」もあります。

次に《説文解字》「書」に声訓で加えられていた「箸」がありますね。

「楮」もありますね。

「都」もありますね。

「暑」もありますね。

「署」もありました。

褚遂良(596-658)もいますよ(笑)

「褚」は、中国人の姓、漢姓ですけれども(本来「褚」は「兵卒」や「装衣」を意味しました)。

それに「奢」もあります。

甘藷の芋の「藷」がありますよ!

まあ、調べるとサトウキビの「蔗」と合わせた「藷蔗」という熟語がありまして、

やはり、「黍」と「芋」は(農作物として)何か似ているみたいないうことはあるんですけれども。

「藷蔗」という熟語がありますから。

ああ、とにかくこうして、「儲」もありますね。

いっぱいずらずらとものすごい数の《説文解字》にあります同じ聲符「者」を持つ字を集めてきて、グルーピングして註釈したすごい研究がありますけれども。

そして、文字学者の何琳儀さんが戦国文字で同じことをしていますが、

これは手作り感があっていいのですよね(笑)好きなんですよね(笑)

きれいに書いてあります。

こちらも、ものすごい数の出土した先秦の文字が並んでおりますけれども、

まあ、語源は違うとはいえども、

同じ声符として持つというのは、

上古漢語において、音が同じか近かったということが分かりまして、

今見ていた「書」がありますね。

ですから、上古漢語の音を当ててゆくには、根拠となりうるわけですね。

それで戻ってみますよ。

実は清代までの研究は、伝世文献の特に古くに成立した書籍にある文字を議論してきましたけれども、

最近になりまして、ものすごい事件がおきたわけでして、

実際に先秦両漢の甲骨金文や戦国文字、

簡牘や帛書などの出土資料が出てきまして、

当時の実物で研究ができるようになりましてから、

ものすごい、飛躍的に研究が進みまして、

これは本当に画期的ですよ!

実は今まで清代の考証学者たちが、伝世文献でしてきた手法が、

本物の上古漢語が使われていた当時の一次資料(primary source)で応用できたわけですね。

即ち、ある文字が異なる文字、

異文や異体と先ほどに出てきましたけれども、

仮借や通仮を調べてゆくんですよ。

それによって、ある文字とある文字は音が似ているか近いとか、

義が似ているか近いとか、

形が似ているか近いとか、

KF-ScholaでNakanishi conjectureの論証で細かい所まで取り上げましたよう、

また、《説文解字》の六書の「転注」は、何を意味しているのか、

文字と文字の関係、文字と文字のつながりがあって、

取り換え可能であることでしたけれども。

当時は思いもよらない字が通じ合っていたことが分かって、

現物が出てきたわけですから、

文字同士のつながり、ネットワークはダイナミックだったということが分かりまして、

それでお互いに網目のように文字と文字の関係、

言語と文字の関係を張り巡らしまして、

上古漢語の音を再構する手がかりとしてゆけるわけなんですよ!

それで見てみましたら、

今は「書」できていますから、

先ほどの金文も「者」が仮借されて、

意符「聿」が付いて、形声字になりましたね。

ここで一つ大切なことがありまして、

今は当たり前の文字の使い方が、当たり前だと思い込みやすいですけれども。

実はそれはたまたま歴史がそうなったからでして、

別に他の音が近い声符で書かれても良かったんですよね。

実際にここでそうでしたし、

これは違う音で当てています。

それで当たり前に使う字を基準に考えてしまいまして、

その他の書き方、特に先秦、秦より前の古文字を見てしまいがちですですけども、

実はその時はその書き方が当たり前でしたのでして、

今とは違うから、通仮だと、仮借だというのは、

後の時代にそう決められたという、

それを引き継いでいる我々の結果
から、そう言ってるだけであって、

先ほどの「書」も元は「者」を仮借して、

後に現代の使い方が定着したんですよね。

まあ、当時は漢より前には、「漢字」という概念すらなくて、「文字」でして、

秦より前は、「文字」の回で見ましたけれども、「字」という言葉は、「文字」を意味していなくて、

甲骨金文の「文」と呼ばれていましたけれども、

今話したように「文字」という言葉すら、そういうことですから、

言語に文字の当て方は、ものすごい、いろいろと異なる習慣に拠っていたことが分かるんですよ。

ですから、出土した資料が、われわれの漢字に対する先入観や固定観念をぶち壊してくれるということで一次資料(primary source)として、

ものすごくありがたい存在なんですよね。

当時は声符の選び方、意符の選び方も、

今とはかなり異なりましたことが分かります。

でも、ある程度の基準はありまして、

やりたい放題でもなかったんですよ。

やはり文字は言語を書いていて、コンセンサスがなければ伝わりませんから、

それらには、時期と地域により傾向がありまして、(先ほど通時態と共時態とやりましたよね。)

古文字に見慣れていると規則があることが分かるんですよ。

そういうわけで「書」を見てみましたら、

郭店楚簡と上博楚簡でみましたら、

儒家がものすごく大切にする「詩」、《詩経》と「書」、《書経》、

それと「禮」と「樂」が並列して、

「詩」「書」「禮」「樂」、

「詩」「書」「禮」「樂」と同じ並びで出てきていますけれども。

本当に対応していますけれども。

先ず、驚くのは、

「詩」の書き方は、

まあ、この「寺」*ljɯs, *s-[d]əʔ-sという字は、

実は声符「止」という字ですね。

「𡳿/之」*tjɯ, *təという字になりますけれども、

それに意符「又」ですから。

こちらは、手「又」が上に来ているか、

下に来ているかということで、

ちょっとした違いや飾符「口」がここにあったりして、

これで「寺」に当たりますから、

まあ、声符は同じですけれども。

意符の選び方が異なりまして、

こちらは「日」がついてますよ!

それで今でいう「時」になっていいます。

それで、ぶったまげたのは、 《説文解字》で「書」は「箸」と書いてありますよね。

これは声訓と言いましたけれども。

音が一緒だから訓じていまして、

楚簡の上で本当にそう書かれていました!

ということで許慎さんはでたらめじゃなかったという、

今はこれ「箸」という意味で使ってますよね。

確かに竹簡でしょ!

これは竹簡とは竹の上に文字を書くんですよ!

だから、竹が意符で付いていても、おかしくないんですよね。

そう考えましたら、すごいですよね。

やはり《説文解字》は単なる字書ではなく、

こうした経書と言いますね。

《詩経》もその一つですよね。

それらを読むために編纂された字書ですから、

こうして、先秦の時代のある言葉に対して、

ある文字の使われ方をみてゆきまして、

音が同じだから書いているということを当ててゆけましたけれども、

実際に発見されている例を全て集めてくれたのは、こちらにあります。

王輝さんの《古文字通假字典》(「書」は108-109頁)とか、

劉信芳さんの《楚簡帛通假彙釋》(「書」は119-120頁)がありますけれども(また、王海根《古代漢語通假字大字典》や白於藍《簡帛古書通假字大系》等も便利でして)、

これらを引いてみたら、

今お話した例が書いてありまして、というよりも、 私はこうして調べて、今ここでこうした例を披露しているわけですよね。

そうして、きちんと原本に当たって、

それは楚簡の図版に当たって持ってきているわけなんですよ。

このように一次資料(primary source)を披露してわけなんですよ。

こうした例はものすごくあるんですね。

今は一個しか出しませんけれども。本当にすごいんですよ。

ですから、今までのお話をまとめてしまいましたら、

文字と文字のつながりでネットワークをつくりまして、論証していきましたけども。

これは内的なんですよ。中で見ていった話なんですよ!内側のお話でして、

それから、最後のこの二つは外的、外側から見た話でして、

外の言語から考察をすることなんですよ!

この「訳語」や「音写」とは、

読んで字の如く、 外国の固有名詞、地名や人名に当てて書いた文字を分析しますということです。

これは特に声母の子音の特定にものすごい威力を発揮するんですよ。

これも枚挙に暇がないほどありますけれども、

有名な例は李方桂(1971: 13-14)さんが論じている《漢書·西域傳·安息国》にある「烏弋山離(*qaː lɯɡ sreːn rel, *ʔˤa lək s-ŋrar [r]aj > Ἀλεξάνδρεια)」とギリシア語で今書いてありますけれども。

それを当てた漢字なんじゃないかということでして、

これ読むと「烏」ʔˤa、「弋」lək、「山」s-ŋrar( > s-ŋran)、「離」[r]ajと当てているんじゃないかということでして、

これはエジプトのアレクサンドリア(Ἀλεξάνδρεια)ではなくて、

アレキサンドロス大王は、もうペルシアやインドまで、

もうギリシアのペロポネソス半島から、バーンと(遠征して)行きましたから、

こちらはアフガニスタンにありましたアレクサンドリア(Ἀλεξάνδρεια)でしたけれども。

ちなみにこの「安息」*qaːn slɯɡ, *[ʔ]ˤa[n] səkも、

やはり、音写でして、

ペルシアのパルティアのことですが、

王朝を開いたアルサケス(𐭀𐭓𐭔𐭊 Aršak > Ἀρσάκης)の音写です。まあ、これ、ギリシャ語(Ἀρσάκης)の名前であるわけです。

当時のペルシア語(𐭀𐭓𐭔𐭊 Aršak)ですけれども、その音写「安息」*qaːn slɯɡ, *[ʔ]ˤa[n] səkということです。

しかも、この語源は、ペルシア語でどうも、「英雄(aršan)」ですよ。

人の名前ですから、そして、安息香という香料から抽出された安息香酸という化合物の名前でありますけれども。

Baxter-Sagartが論じていまして(Baxter-Sagart 2014: 263)、 「安」*[ʔ]ˤa[n]の上古音はnで終わりますが、

ところが、ペルシア語(𐭀𐭓𐭔𐭊 Aršak)のrに当ててあるんですよ。

これは殆ど「安息」*[ʔ]ˤa[r] səkと読めば当たりますから、

それでnと rが通じたことが、子音の対応から分かるんですよ。

また、もう一つ持ってきちゃった!

同じく西域電の大秦国とは、ローマ帝国の事ですね。

それでそこに書いてあることが、「安敦」*qaːn tuːn, *[ʔ]ˤa[n] tˤurも出てくるんですよ。

これ誰だと!?これは上古漢語「安敦」*[ʔ]ˤa[n] tˤurでn と r が通用するから、

「安敦」*[ʔ]ˤa[n] tˤunさんということでして、 これはAntonius(笑)

ということで音写でして、

ギリシア語Ἄντων(Plutarchus, vita Antonii 4. 36. 60)でして、

どうもこれはローマ人の名前、ラテン語の語尾-iusはなくて、

ギリシア語(Ἄντων)の音写をしたらしく、

ラテン語の語尾-iusの部分には漢字が当てられていませんでして、

n と r が対応してるんですけれども。

やはり、今度はこれ逆でして、先は n で r を書いていましたが、 こちらは r で n を書いている!おお!

ということでして、 Antoniusが気になっちゃうわけですよ!

Antonius、(英語)Anthony、(イタリア語)Antonio、フランス語Antoineさんは、誰なんだということでして、

この年号が紀元166年ですよ!本当に今から1900年くらい前でして、

その頃のローマ皇帝(大秦王)はマルクス・アウレリウス・アントニウスMarcus Aurelius Antoninusじゃないかと!

私、彼の《自省録(Τὰ εἰς ἑαυτόν)》という、自伝というか、日記みたいなものがあるんです。

それをギリシア語で読んだことがありますよ!

それのアントニウスじゃないかということで何人か、ローマ皇帝にはAntoniusがおりましたけれども。

ですから、ローマ帝国から、漢王朝まで、シルクロード、絹の道で遠路はるばる西から駱駝や馬で来たという、

それで象牙とか、犀角や玳瑁を献上したと書いてあるわけですよ!

これはすごいですよね!

おお!という歴史的な重みを感じながら、

また、ここで今出てきましたのは、

ものすごいですよ!ユーラシア大陸全体のラテン語、ギリシア語、ペルシア語、バクトリア語など、西域の言葉でしたけれども、

KF-Ars Sinicaで「酪」ə.rˤakは、馬乳酒の突厥語ayranからきた蒙古語ayiragでして、上古漢語「酪」ə.rˤakだろうとか、

そして、「蜜」mitは印欧語médʰuからきたトカラ語B方言(亀茲語)mītから借りたとやりましたね(許全勝 Quansheng Xu (2016). 說 “蜜” On Mì ‘Honey’, Bulletin of Chinese Linguistics 9 (2): 242-249.)!

これらもやはり音写ですよ!

外国語を文字で書いているから、

上古漢語の音を当てていく時には、ものすごい威力を発揮しているということで、

ものすごく盛り上がってきてますけれども。

今度は次「借詞」は外来語ですよね!

それとあとは音を当てて「対音」、周辺語族、

上古漢語を話していた人たちと近くに住んでいた周辺の語族たちですよね。

タイ=カダイ語族、

オーストロアジア語族

ミャオ=ヤオ語族

オーストロネシア語族ということでありますけれども、

先ほど出てきました同じ声符を持つ諧声系列の「もろもろ」の「諸」*tja, *ta、

それで「都」*taː, *tˤaは、今でも「も」という意味がありますけれども。

そして、「庶」*hljaɡs, *s-tak-s、

そして、「多」*ʔl'aːl, *[t.l]ˤajということで、

「みんな」とか、「すべて」という意味がありまして。

それと「多い」とか、「いっぱい」という意味もありまして、

漢蔵祖語「大きい」*ta-yが語源ではないかと考えられまして、

チベット語「大きい」ཆེ che /*t͡ɕʰe/ > /tɕhẽ⁵⁵/とか、

ビルマ語「とても」တယ် tai /tɛ̀/と関係がありますけれども。

どうも、こちらの上古漢語「大」*daːds, *lˤat-sや「太」*tʰaːds, *l̥ˤa[t]-s、

「泰」*tʰaːds, *l̥ˤa[t]-sは無声化されてますけれども、

これらはどうも今では意味も発音も近いですけれども、

どうもこちらは、

タイ祖語*ʰlaːjᴬから来ているじゃないかと、

今のタイ語หลาย lǎai /laːj˩˩˦/、

壯語laiでして、

リー語*hləːyということで、

南方の周辺語族の言語と関係があるのではないかと思われまして、

これは 「甚だしい」とか、「大きい」とか、そういう意味ですよ!

特に面白いことが、こちらの「奢」*hljaː, *s.tʰAは、先ほど諧声系列「者」で出てきましたけれども。

鄭張尚芳さんは*hlで再構しているんですよ。L-Typeだと考えています。

でも、Baxter-Sagartは、tでT-Typeで再構されていまして、

しかも、Baxter-Sagartさんの「多」はt.lできていて、

これはどちらんだということで議論が続いてまして、

まあ、上古漢語の再構や語源を調べるのは、

思いの外、結構、大変なことだということは伝わると思いますが、

私が大まかに分類してみましたら、

前の行はT-Typeで後の行はL-Typeだということですけれども。

《老子》「去甚,去奢,去泰」は、今はこう書いてありますけれども。

どうも、前漢の上古漢語を話していた頃の馬王堆帛書甲本「去甚,去大,去楮」と書いてあるんですよ。

これは違う木偏だと、声符は同じですけれども。

それで乙本「去甚,去大,去諸」では、「大」はいいけれども、こちらが「諸」になっているということですね!

異なる文字、これこそまさに異文で書かれていまして、

これも清代からある分析の方法ですけれども、

「大」「泰」「奢」「楮」「諸」が、「甚」*ɡljumʔ, *[t.ɢ][ə]mʔという意味と並列されてきてますから、

「甚」*ɡljumʔ, *[t.ɢ][ə]mʔの場合は、漢蔵祖語*l-(t/d)yamから来てんじゃないかということでありますけれども。語源は違います!

馬王堆帛書は前漢ではL-typeの「大」lˤat-sが、T-typeの「奢」s.tʰAに書き換えられまして、ここに見ていただければ、

意味が近いから通用したか、lとtの合流が後になっていってしまうというお話は何回か出てきましたよね。

その後に書き換えられた可能性がありますから、

こちらの伝世文献は後で文字が書き変えられる可能性がありますから、

上古漢語の時代には、この文字が使われていたという保証はないから、注意が必要なんです。

やはり、この簡牘、帛書、楚簡など、漢代とか、それより更に遡る秦代、戦国のそうした現物が出てきたのはすごいことですよ。

そういう意味で文字が変えられないから、一度、 土の中に埋まってしまったらということで、

そうして、上古漢語の語源を探りながら、

漢蔵祖語だけでなく、

周辺語系と貸し借りをしていたことも、

上古漢語の音を当ててゆくとき、有益な情報をもたらして、

考える材料となることが分かりましたけれども。

まあ、語源の探究は間違えると再構の結果に大きく影響を及ぼしますから、

慎重に調べてゆかなくてはならないですけれども。

音韻学のイントロダクションの回で大盛り上がりましたが、

特に声調の起源(tono-genesis)でも、

これらの語族とものすごく関係してきましたね。

皆これらは声調言語ですから、

タイ=カダイ語族、オーストロアジア語族、ミャオ=ヤオ語族ですから、

そうした意味でも、対照研究というのは、 比較研究というのは、すごい役に出すということでして、

今ここまで、上古漢語を再構する色んなアイディアやアスペクト、

観点や手法をダイジェストに語ってまいれましたけれども。

ここまで苦労して、上古漢語を再構して、何になるんだ!?と言われてしまいましたら、

まあ、KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)ですから、

前回の中古漢語でも、同じ問いかけをしましたよね。

中古漢語を復元にして何になるんだとねいうことでしたけども、

やはり、当時の音で当時の詩や文を読める楽しみがあるんじゃないかと叫びましたけれども。

そのときと同じく、今回も御多分にもれず、こちらを見てまいりましょう。

美しい鉄線篆で「《文選》李善注六十卷」と書かれていますけれども。

それで隷書で宋代の淳熙という年号のときに出された本を清代(嘉慶十四年・1809年)に胡克家さんという方が復刻したという意味です。

これは書かれてますけれども、

こちら見てみますよ。

先ずは張衡さんの〈西京賦〉とありますけれども。

張衡さんは、渾天儀や地震計を作ったり、円周率を計算したりして、

科学史や数学史の上でも登場するユニークな文人ですけれども、

詩賦にも巧みで〈帰田賦〉は有名ですよね。

こちらは〈二京賦〉ということですけれども。

その中で洛陽を「東京賦」、長安を「西京賦」で詠い上げましたけれども、

こちらとこちらの韻を見てみたいということで持ってまいりました。

そして、更に時代を遡りまして、

《詩経》の小雅より〈楚茨(そし)〉という詩がありますけれども。

こちらはお祭りの情景を詠った詩ですけれども。

全てがこちらの四つずつできれいに脚韻をしておりまして、

こちらにいきますよ。

ちゃんと綺麗に並べて書いてありましたけれども。

「執爨踖踖」で釜でご飯を炊いている擬態語でして、

こちらは、「踖踖」*[tsAk] [tsAk]ですけれども、まあ、ホクホクという感じの擬態語で重畳していますよね!

しかも、「為俎孔碩」は、俎板に立派な料理が並んでいて、

「或燔或炙」は肉を焼いたり、焙ったり、

「君婦莫莫」は、婦人たちはモクモクと仕事をしていると、

「莫莫」*mˤak mˤakも擬態語で重畳ですけれども、

これらは全て韻を踏んでいまして、

本当にビックリしちゃって、

もう、こちらに脚韻の音を鄭張尚芳さんとBaxter-Sagartさんの上古漢語の再構で全て書いておきましたけれども。

先ずはこのシリーズは、ずっと「文」で来ていますから、

まあ、張衡さんの〈西京賦〉から行きましょうということでして、

こちらを見てゆくわけですけれども。

こちらは文部*ənの韻でして、 ここを見ますと全部なってますよね。

こちらから、行きますね!

「倫」*[r]u[n]

「文」*mə[n]

「群」*[ɡ]ur > [ɡ]un

「雲」*[ɢ]ʷə[n]

ということで全部、

韻を踏んでいますと、

先ほどにもお話しましたrとnの対応がきちんとありますね!

Baxter-Sagartさんの方は、一般的の r としていますけれども、

まあ、鄭張尚芳さんの方は、最初から n で中古漢語もnでして、

まあ、私たちの日本語でも、「ぐん(gun)」と言いますから、

まあ、中古漢語から来ていますけれども。

こちらを見ましたら、鐸部(たく)*akの韻でして、

「斥」*tʰAk

「壑」*qʰˤak

「獲」*m-qʷˤrak

ということで、これは全部ちゃんと韻を踏んでますよね。

やはり、《詩経》の〈楚茨〉も同じく、鐸部*akの韻でして、

これは全部が韻を踏みます。

行きますよ!

「踖」*[tsAk]

「碩」*[d]Ak

「炙」*tAk

「莫」*mˤak

「庶」*s-tak

「客」*kʰˤrak

「錯」*[tsʰ]ˤak

「度」*[d]ˤak

「獲」*m-qʷˤrak

「格」*kˤrak

「福」*pək

「酢」*[dzˤak]

ということで、楽しい感じになってまいりましたけれども。

これは韻を踏むと面白いです!

やはり、調子ができます!

本当にもう一つ、アンコールということで、

こちら《詩経》の魏風より〈伐檀〉ですが、

「檀を伐る」は、樵(きこり)が官僚を働きもしないくせに税を取り立てやがって、ふざけんなと怒っている歌ですが、

こちらを見てみますよ。

これも韻を踏んでいまして、これだとちゃんと並んでないから、

私がこうした形で綺麗にまとめました続きもありますけれども。

こちら、これはなかなかすごい!

上の部分の長さが違うんですけども、

韻を踏む字をこのように持って参りましたら、

まあ、最後から二番目の字に来ているということで、

特にこの最後のこちら立派な人間、君子は無駄飯を食わないではないかと主張しているところは、

これ!芸が細かくて、

この「兮」の前の「餐」「食」「飧」は、三つ食事に関係する別の字が並んでいますけれども。

そして、三段に分かれていて、

本当に対称構造が見られます!

もともと、これには、旋律がついていて、

音楽で一番目の歌詞、二番目の歌詞、三番目の歌詞ということでしたかもしれません。

実は《詩経》は文学作品として読まれていますが、

本来は旋律がありまして、

もう今は伝わってないんですけれども、

音楽の歌詞として考えられておりまして、

先ほどの〈雅〉は宮廷の音楽でして、

それでこちらの〈風〉は魏国の民謡でして、

そして〈頌〉もありますよね。これは、先祖を祀るとき、先祖の遺徳を称える歌でしたから、

音楽なわけですよ!

これ本当は!

更に芸が細かいのは、この最後から二番目で全部が押韻してますね。

それでここに虚字「兮」がありまして、

虚字がありまして、虚字韻となってますけれども、

まあ、ここだけはちょっと違いますよね。

しかも、すごいのが、三段構造の一段目は、元部*anで韻を踏みます。

二段目は、職部*əkで韻を踏みます。

三段目は文部*ənで韻を踏みます。

ということですから、

ものすごい韻が見事だということ選んでまいりましたけれども。見てみますよ!

先ず、元部*anでして、

行きますよ!ここ!

「檀」*[dan]

「干」*kˤar > kˤan

「漣」*[r]a[n]

「廛」*[d]ra[n]

「貆」*qʷʰar > qʷʰan

「餐」*[tsʰˤar] > [tsʰˤan]

ということでして、

韻を踏んでますよね!

そして、職部əkに切り替わりまして、əkで韻を踏みますけれども、

「輻」*pək

「側」*[ts]rək

「直」*N-tək

「億」*ʔ(r)ək

「特」*[d]ˤək

「食」*mə-lək

ということでして、

更に文部ənに切り替わりまして、ənで韻を踏みますけれども、

「輪」*[r]u[n]

「漘」*sə.dur > sə.dun

「淪」*[run]

「囷」*kʰrun

「鶉」*[d]ur > [d]un

「飧」*[s]ˤu[r] > [s]ˤu[n]

ということで、

陽声韻n、入声韻k、陽声韻nでお見事!

楽しめたと思いますということで、

《詩経》や《文選》ににありました、上古漢語の時代の詩を楽しんでまいれましたけれども、戻ってみたいと思います。

今回、大事にしてまいりましたことがありまして、

やはり、同時代の資料、一次資料(primary source)に基づいて、

上古漢語を再構をすることが大切でして、

もう、色んな観点から突っ込みを入れて考えてみるということだったわけなんですよ。

それでどんどんブラッシュアップしてゆけるんじゃないかということでして、

研究とは、基本的に上古漢語を再構するという、

今見ております音韻学でも、言語学でも、歴史学でも、物理学でも、

色んな新しい観点から、多角的に分析をして、総合的に判断をして、

真実に迫りゆく楽しさではないかと思います。

それでやはり、その時その時で大学者たちが最大限の努力をしてきたことが分かり、

それでわれわれに知見をもたらしてきてくれていたということでして、

敬意を表したいと思いますということでありましたし、

今回は上古漢語の音をどう推定して再構するかということに関しても、

ものすごく色んな資料や観点、証拠や手法、

アスペクトとメソドロジーをサーヴェイとレヴューできたんじゃないかと、

アイディア満載だったと思います!

今までは、現代漢語、中古漢語、上古漢語と来ましたけれども。

次回は更に漢蔵祖語まで遡りまして、

どのような世界が見えてくるのかということに行ってみたいと思います。

もう、今回は、上古漢語と一つとっても、

今回ももう大盛り上がりでしたけれども、

ご覧くださいましてありがとうございました。

失礼を致します。

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