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漢蔵語族のみならず、印欧語族における比較言語学を楽しんでまいりました。漢字的獨特性系列 Unique Chinese Characters【有字幕說明 / Subtitled Commentary】

漢字のユニークさを探究!新たなシリーズ始まりました!漢字の構造を字形、字義、字音から、漢語の系譜を起源からたどります!字幕もぜひご覧くださいませ!暖かいお言葉かけを下さりましたら、SNSでシェアー下さりましたら、今後の制作の励みになります。KF-Ars Sinica、KF-Scholaと併せて、何卒よろしくお願い申し上げます。

2021年11月26日

皆さま、こんにちは!

KF-Ars Sinica(系譜でたどる中華文化)の漢字のユニークさを探求するシリーズも、

漢語のユニークさを探究するシリーズとなりまして続いておりますけれども。

前回の上古漢語の所でこうして、

言語系譜学(glottogenealogia)という新領域(novel domain)を提唱したいと大盛り上がり致しましたけれども。

通時態と共時態、

まあ、時代性と地域性は、

人間の親族関係をノードとリンク、

点と線による図表(ダイアグラム)で示している系譜と言語の起源と発展も似ているというお話でしたけれども。

こうしたヴィジョンやこうしたパラダイムは、

言語を分析するにも、

文化、音楽、文学、哲学、

科学などなどを把握するにも、

実は有効であるということを力説しておりましたけれども。

今回は漢蔵祖語まで無事に遡ってまいれましたけれども。

一つ面白いものがありますので、

見てみたいと思いまして、

こちらですけれども。

文献学(philologia)、

校勘(校讎)とございますけれども。

校訂版(critical edition)が、

古典の文献でもありまして、

原典版(Urtext Edition)が、

音楽の楽譜にもありますけれども。

基本として古典の原本は、

長い間に人の手で繰り返し書き写されて、

写本として伝えられてきまして、

多分に誤字や脱字、錯簡や竄入と言いますけれども。

ひっくり返っちゃったり、紛れ込んじゃったりしてありまして、

また、編集や要約、

校訂や出版が、

歴史的にもなされたりしまして、

ものすごい数の異なるバージョンのコピーが存在しまして、

それらを徹底的に集め尽くして、

原典はこうだったんじゃないかと再現しようとする、

原典考証や校訂作業を校勘、

もしくは、校讎と言いますけれども、

実は最も大切な作業なんですよね。

KF-ScholaやKF-Ars Sinicaでは、

ものすごく一次資料(primary source)を大切にしておりまして、

それらを突き合わせて対校して、

原典の姿を再構する作業は、

学問のインフラストラクチャ―でして、

基礎に当たる部分でして、

学問の根幹をなしていますということでして、

色々と議論される原典(ソース)そのものだからですけれども。

こちらにラテン語でapparatus criticus /ap.paˈraː.tus ˈkri.ti.kus/と書いてありますけれども、

フランス語では、critique textuelle /kʁi.tik tɛk.stɥɛl/とか、

イタリア語では、critica del testo/ˈkri.ti.ka del ˈtɛ.sto/とか、

英語では、textual criticism /ˈtɛk.stju.əl ˈkɹɪtɪsɪzəm/とか、

ドイツ語では、Textkritik /ˈtɛkst kʁiˌtiːk/と言いまして、

まあ、校訂結果の欄外注記をラテン語でapparatusと言いますけれども。

そして、この字句や誤字があるとかないとか、

そうした細かい差を調べてゆくと、

生物の種が分岐したのと同じように、

写本や刊本が伝えられた系統が分かるんですよね。

しかも、いくつかの写本が校訂されるなどして、

結構、流れが交わっているところがありますよね。

今、見ております直感的なダイアグラム、

系統図(stemma)と言いますね。

それを描くことができるんですよ。

こちらは偽アプレイウス(Pseudo-Apuleius)という人が書いた《本草書(Herbarius)》の写本系統を図示した系統図(stemmatologia)ということでして、

その初期の研究ですけれども。

それぞれの写本の所蔵場所や所蔵番号が書かれておりまして、

点と線、ノードとリンク、

本当にそれで系譜が書かれていますけれども。

stemmaとは、「家系図」を意味する、「系譜」を意味する、ギリシア語στέμμαでして、

stemmatologyとは、こうしたダイアグラムで図示することによって、

言語と言語、概念と概念が、どのように伝わり、

どのように広がったかということが、

一目瞭然で分かるということで面白いです。

こちらに行ってみたいと思うんですけども(ちなみに英語「木の幹」stemは音が近いですが、古英語stemn > ゲルマン祖語stamniz > 印欧祖語「立つ」steh₂-に遡りまして語源は異なります。)。

漢籍にも版本がありまして、

前にも出てきましたけれども。

《荘子》に晋の郭象さんが注を書きまして、

それに更に唐の成玄英さんが、疏を書いた《莊子注疏》を(遵義の)黎さんという方が、

宋代に校刊した本を影印した。

ファクシミリを制作した《古逸叢書》によりますと、

もう、長たらしいですけれども。

古籍の来歴が書かれておりますけれども。

こちらは、晋の郭象さんが、

やはり、註を書きまして、

唐の陸德明さんが、音義と反切を書いて訓詁をしました。

《南華真經》とは《荘子》ですけれども。

その宋本を上海の涵芬樓が影印した《續古逸叢書》によりまして、

こちらは最も良いテキスト、

善本と言いますけれども。

まあ、われわれが見ることのできます《荘子》は、殆どが、

こちらに基づいておりますから、

祖本、オリジナルな本として、極めて重要なテキストなんですよ。

こちらは《四部叢刊初編》に影印された明本ですけれども。

それから時代は下がりますけれども。

特に范祥雍さんが批校して、

欄外に註釈した。

スカラーがスコリアを加えた《南華真經》ですけれども。

《荘子》ですけれども。

やはり、古ければ古いほど原本に近くて良いのですけれども。

比較的新しくても、別の系統の古い状態を伝えられるバージョンがありましたり、

こうした重要なコメントが書き込まれていたりしますから、

色んなテキストを比較対照するといいんですよね。

ということで、こちらですけれども。

こうして、書籍が伝承された系統という、具体例によりまして、

系譜のアスペクトやイメージをお伝えできましたと思いますけれども。

こちらを見ましたら、

実は言語も同じではないかということなんですよ。

実は印欧言語(インド=ヨーロッパ語族の言語)が、

世界の人類の言語の中で最も古くから研究されてきたと言われますけれども、

割と最近のここ200年で徹底的に研究されてきまして、

まあ、タイムスパンがちょっと狂ってちゃって、200年が最近なっちゃったっていうことはありますけれども。

ものすごい数に分岐をしました。

子孫の言語などの系統を縒り合わせてゆきましたら、

アナトリア語派、

インド=イラン語派、

ヘレニック語派、

イタリック語派、

ケルト語派、

ゲルマン語派、

バルト=スラヴ語派、

アルメニア語派、

アルバニア語派、

トカラ語派、

と大きく分けられまして、

それぞれの語派の特長が比較されて研究されてきましたけれども。

そして、印欧言語が共通の祖語からの分岐過程を示した系統図で表されておりますけれども。

これこそまさに系譜(KF)という感じがしてまいりまして、盛り上がっ てまいりましたけれども。

実は系譜と系統は大きく異なるんですよ。

こちらは系統ですけれども。

祖先から分岐する直線で示されておりますよね。

単線的ですよね。

でも、実際は言語の分岐と継承というのは、

そう単純ではなくて、

子孫同士、もしくは別の語族の言語とも接触をして、

言葉の貸し借りをして、

互いに影響を与え合いますから。

子孫同士が通婚関係になる、

結婚してつながるという、

横のつながりなどまで考慮されたダイナミックなヴィジョン、

観点や発想をまとめて、系譜の発想になりますけれども。

即ち、系統とは、ずっとそのまま、もう分かれてゆくだけでありますが、

でも、実際は本当はお互いに分かれたとしても、関わり合っている。

それも全部まとめて系譜だということでありますけども。

こちらの系統図を示したシュライヒャーさん(August Schleicher, 1821-1868)は、最初に共通の祖語、

まあ、祖語(Ursprache /ʔuːɐ̯ˌʃpʁaːxə/)とここに書いてありますが、

こうじゃないかと!共通の祖語を比較再構することにチャレンジした言語学者なんですよね。

パイオニアだということですけれども。

そして、現代では、こんな感じで生物学における種の起源と分岐のように、

印欧言語の分岐が、ノードとリンク、点と線のダイアグラム、

NeighborNetと書いてありますけれども。

それで描き出されておりますけれども。

実は私がある言語の文や語、

文章や単語を見たとき、

音韻論、形態論、統語論、意味論など、

文法の構造、まあ、平たく言えば、言語の仕組みがどうであるかなどを考察するときには、

こうしたマップか頭の中にありまして、

言語同士の関係を常に考慮しながら探究をしているという、

頭の中をパッカーンとお見せしたかったということで、

こうした直感的なダイヤグラムを今出しておりますけれども。

また、このモデルと異なる所は、

やはり、こうした一点からの放出ではなくて、

近い所で後の時代にも、お互いに激しく影響し合いましたから。

まあ、こうした系統図ではなく、実際には人類の言語も地球の規模で絡み合い、

張り巡らされているということで成り立つんですけども。

例えば、フランス語は、

先ず、ケルト語派のガリア語(ゴール語)や、

ゲルマン語派のフランク語(ノルマン語)がありまして、

基層言語(substratum)と言いますが、

そして、イタリック語派の口語のラテン語が、

上層言語(superstratum)として被さりまして、

それらが複合して、

フランス語が形成されているんですけども。

古い時代に混ざり合ったんですけども。

例えば、ラテン語に由来する「人」l'homme (< home, hom < homō, hominem)や、

ギリシア語に由来する「歴史」l'histoire (< historia < ἱστορία)などは、

無音のh(h muet /aʃ mɥɛ/)で冠詞とリエゾン(エリジオン)をしますけれども。

homme /ɔm/、l'homme /l‿ɔm/、histoire /is.twaʁ/、l'histoire /l‿is.twaʁ/という感じですね。

ところが、ゲルマン語に由来する「急ぎ」hâte /ɑt/、la hâte /la ɑt/ (< haste < *hai(f)st < *haifstiz)や

「斧」hache /aʃ/、la hache /la aʃ/ (*happja < *hapjō, *habjō)など、

有音のh(h aspiré /a.ʃ‿as.pi.ʁe/)は、

ゲルマン語派のフランク語や高ドイツ語から、

古い時代(古フランス語、中フランス語)に借用された語彙が多くてですね。

今でも、フランス語の辞書には、

有音のh(h aspiré)には、ダガー(†)やアスタリスク(*)が書かれていて名残りがあるんですよね。

しかも、言語の系統は、原則として、近い場所の言語は、やはり、似ていて、

もし、遠くにあるとすれば、移住や伝播の理由が、考古学的、歴史学的な証拠によって、解明されますために、

地図上の分布と言語の類似性は、やはり、強い相関があるんですよね。

即ち、言語をトーナメント方式に遡るとは、

こうしたイメージで共通の祖語から分かれた子孫たちの言語を縒り合わせてゆきまして、

古い言葉はこうではないかと、

一つずつ推定してゆくことでして、

更に古い言葉が書かれて残されていたりすれば、

言語がどんどん話されてゆきまして、

変わりゆく前、古い地点での状態が、ピンポイントで分かりますから、

大いに参考になりますよね。

ですから、印欧語族において、比較分析や対照分析が発達した理由は、

子孫の言語たちが、ものすごくある上に、

古い言語の記録が、ものすごく豊かに残されていたわけですから、

研究しやすかったわけなんですよ。

ということでして、

次は古い言語が、どう伝えられているかに視点を移してみたいと思いまして、

こんなものを見てみたいと思います。

こちらは、特に古い時代に文字で書かれた印欧語族の言語たちですけれども。

先ず、ヒッタイト語は、トルコのアナトリア半島の真ん中にあるボアズキョイ遺跡(Boğazköy)、

ヒッタイトの首都ハットゥシャ(𒌷𒄩𒀜𒌅𒊭 URUHattuşa)に当たる場所で発掘された紀元前1300年頃かな、

今から3300年近く前の粘土板に刻まれました。

楔形文字で書かれておりますけれども(Gary Beckman; Harry Hoffner (1996). Hittite diplomatic texts, Atlanta: Scholars: 82-88.)。

エジプトの有名なファラオ、ラムセス2世(Ramesses II, 1303-1213)と、

紀元前1274年にカデシュで戦いました、

ヒッタイトの王ムワタリ2世(Muwattalli II, 1295-1272)と、

アナトリア半島の西にあったウィルサ(𒌷𒃾𒇻𒊭 URUwi5-lu-ša)という場所の、

アラクサンドゥAlakšandu(𒀀𒆷𒀝𒊭𒀭𒁺𒍑 Alâkšândûš /Alaksānduš/)という人との条約が刻まれておりまして、

明らかにギリシア人の名前なんですよね。

アレクサンドロス(Ἀλέξανδρος)を思わせます!

場所のウィルサもトロイ(Τροία)の木馬で知られております。

イリオス(Ἴλιος)という名前ではないかとギリシャ語の方で言いましたら、

比定されまして、

極めて重要な外交文書なんですよ!

しかも、アレクサンドロス(Ἀλέξανδρος)の語源は、

ギリシア語「守る」ἀλέξωで印欧祖語*h₂lek-に遡りまして、

サンスクリット「守る」रक्षति rákṣatiと関係がありまして、

lがrに行きますけれども。

また、後半部分の「人」ἀνήρは、

印欧祖語*h₂nḗrに遡りまして、

サンスクリット「人」नर narと関係がありまして、

最初の咽頭音*h₂は落ちましたけれども、

関係しておりまして、

それに名詞化の接尾辞-ος(印欧祖語*-os)が付きまして、

アレクサンドロス(Ἀλέξανδρος)は、「守る人」という意味だということで、

かなり古いギリシャ人の名前でして、

ギリシア語側でもミケーネ語の線文字Bでも、

アレクサンドラ(a-re-ka-sa-da-ra > Ἀλεξάνδρα)と、

まあ、女性形の名前が現れておりまして、

一つ前の上古漢語でも、

アレクサンドロス(Ἀλέξανδρος)大王の名前が付いた都市Ἀλεξάνδρειαを

漢字「烏弋山離」*ʔˤa lək s-ŋran [r]ajで音写していましたけれども。

また、ここで出逢っちゃったという(笑)

ですから、こちらの楔形文字の粘土板は、

ヒッタイト語と古風なギリシア語をも伝えてくれているということで、

二重の意味でものすごく貴重な一次資料なんですよね。

そして、次のトカラ語は、

中国の新疆のキジル石窟で発掘された残巻。

もう半分になって残っている。

ブラーフミー文字で仏教の戒律が書かれた律蔵文献と言いますけれども。

こちらに《大衆部説出世部律(Prātimokṣasūtra)》と書いてありますけれども。

このトカラ語には、A方言とB方言がありまして、

こちらは、B方言の方、

亀茲語(kuśiññe)とも言われますけれども。

その言語で書かれておりまして、

漢訳でも、《摩訶僧祇律大比丘戒本》(大正蔵 22, No.1426)に対応してますけれども。

こちらは割と新しくて8世紀頃、

今から1200年くらい前の紙に書かれた写本の断片ですけれども。

トカラ人たちは、かなり古い時代に印欧祖語の別の語族たちとお別れして、

東に東にどんどん進みまして、

中国の西域までやって来ましたけれども。

トカラ語A方言、

こちらは焉耆語(agnéen)と漢語の文献の方からの名前でも呼ばれますけれども。

(両方を合わせましたら、)紀元前後まで遡ることができる。古い言葉を再構できるんですよね。

実はこれらのヒッタイト語やトカラ語、 割と新しく発見されました。

まあ、100年以上前ですけども、

こちらも印欧語族だと分かりました仲間の言語たちなんですよ。

そして、古くから知られていた、

こちらに行ってみたいですが、

ポンッ!

古ペルシア語ですが、

有名なアケメネス王ダレイオス1世(𐎭𐎠𐎼𐎹𐎺𐎢𐏁 Dārayavaʰuš, c.550-486 a.C.n.)が建立しました、

紀元前6世紀のベヒストゥン碑文ですけれども。

シュピーゲルさん(Friedrich Spiegel, 1820-1905)という、イラン語派、 特にアヴェスタ語などを専門とする学者が磨崖と言いまして、

崖にある大きな碑文を模写して残しておりまして、

楔型文字は、学者がこうして、

碑文や粘土板を模写して、トランスクリプションして、見やすくするという研究の流儀があるんですよ!

これ本当にこうした方が綺麗で見やすいわけですから。

実はイラン語派は色んな文字で書かれてきまして、

古ペルシア語は、こちらの楔形文字、

アヴェスタ語はアヴェスタ文字、

バクトリア語はギリシア文字、

パルティア語はマニ文字、

コータン語はブラーフミー文字やカローシュティー文字、

ソグド語はシリア文字やソグド文字、

中期のペルシア語はパフラヴィ文字、

ホラズム語はホラズム文字、

ブハラ語はヘブライ文字、

現代でしたら、オセット語やタジク語はキリル文字、

クルド語やタリシュ語はラテン文字、

ペルシア語はアラビア文字を改良して用いられましておりまして、

実は言語はどんな文字で書かれていても、

音を書ければばいいんだと!

ペルシア人たちは、結構融通が利いて、

大らかだったということが分かるんですよね(笑)

そして、サンスクリットも、

また、カロシュティ文字やブラーフミー文字から分岐した、

ものすごい数のインドや東南アジアの文字で書かれましたけれども、

まあ、一般的には、北方のデヴァナーガリ文字で書かれますけれども

私の好みは南方のグランタ文字でして、

子音が続くと、縦に重ねて書いたりしまして、

丸くて優しくて、読みやすいすよね。

まあ、こちらは有名な《般若心経(Prajñā-pāramitā-hṛdaya)》ということで、

現存する最古の写本は、日本の法隆寺に伝えられました!

7-8世紀にインドで作られた貝葉と言うんですよね。

こういう形でして、こちらに紐を通す穴がありますけれども。

ブラーフミー文字から派生した、悉曇文字(siddhamātṛkā)で書かれていますけれども。

サンスクリットは古い言葉でもあるにも関らず、

意外と古い写本が残されていませんでして、

パンディタ(paṇḍita)という知識人たちが、

長らく口伝で伝えられてきておりまして、

経典などは韻文、

詩の形であることが多いんですよね。

また、貝葉は椰子の葉っぱに書かれていますから、

高温多湿の場所では腐りやすくて、

ネパールや東南アジアなどでは、

後々の時代の写本ばかりが発見されていまして、

最近では、アフガニスタンやパキスタン、

ネパールやチベットなどでも、

乾燥した所で断片がかなり発見されておりますけれども、

サンスクリット自体が書かれ始めたのは、

意外と新しくて紀元前後でして、

今のこのページは楔形文字と悉曇文字ということでして戻ってみますよ。

そして、こちらの古典ギリシア語は、

ギリシア文字、

アルファベット、

子音と母音の音素を書けた文字で極めて重要でして、

2世紀頃のパピルスで残されていた。

アリストテレスの《政治学(Τα Πολιτικά > Politica)》第4巻292a30-1292b2)の写本なんですよ!

パピルス(πάπυρος > papyrus)は、エジプトのナイルのデルタに生えている

植物の繊維から作られていまして分解しやすくて、 断片ばかり発見されているんですよ。

これもそうですけれども、

典型的なギリシア文字の筆記体で書かれていまして、

エジプトで大量に出土したオクシリンコス・パピルス(Oxyrhynchus Papyri)に当時の書体として、

そっくりなんです。

そして、古ラテン語は、

ローマの真ん中の政治の中心地、官庁街と言ったらいいんですけれども。

フォルム・ロマヌム(Forum Romanum)の神殿に埋められていた「黒い石(Lapis Niger)」という碑文がありまして、

紀元前7-5世紀ぐらいじゃないかと言われている。

かなり古風なラテン語が刻まれていまして、

古いギリシア語やエトルリア語の碑文と同じく、

牛耕式(βουστροφηδόν)という方式でやはり、

古風な書体で書かれていて、

まあ、こう、牛さんが畑を耕すようにこう読んでいくんですけれども。

アルファベットのEの向きが、逆に書かれていますから、

読む方向が分かりますけれども。

古いラテン語の発音を伝えてくれて、貴重だということなんですよね。

そして、こちらの古アイルランド語は、

6世紀中頃(561年頃)に羊皮紙に書かれた写本で《聖コルンバのCathach》でして、

古アイルランド語で「戦い(cathach)」を意味しますけれども。

そこから、古アイルランド語cath < 原アイルランド語ᚉᚐᚈᚈᚒ cattu < ケルト祖語katus < 印欧祖語kéh₃tus < *keh₃- +‎ *-tusまで、分析して遡れますけれども。

まあ、ヒッタイト語「戦闘」𒃰𒁺 kattu-は、古アイルランド語cath(や原アイルランド語ᚉᚐᚈᚈᚒ cattu)と殆ど変わらないと!

古スラヴ語「口論」котора kotoraなどと関係しますけれども、

こちらの写本は、ラテン文字で書かれていますけれども。

ケルト語派は4世紀頃からオガム文字という、

また、複雑な文字で書かれていまして、

本来は大陸に広く分布していて、

ガリア語(古ブレトン語)やケルト=イベリア語などがありましたけれども。

ラテン語やゲルマン語などに駆逐されまして、

アイルランドに逃げ込みまして、

まあ、今でも英語に浸食されていますけれども、

島嶼ケルト語と言われますけれども。

生き残ったんですよ。

そして、こちら、古ノルド語は、

スウェーデンで発見された5-6世紀の石刻ですけれども、

ゲルマン語族は、ルーン文字を用いまして、

最初の文字から、フサルク(ᚠᚢᚦᚨᚱᚲ fuþark)と呼ばれますけれども。

既に4世紀頃からの石碑(Kylver Stone)が、

スカンディナヴィアやイングランドなどでも発見されていまして、

特に4世紀にゴート語が、ギリシア文字を改良して書かれまして、

古風なゲルマン語を伝えていてくれて貴重ですよ。

かなり、こちらも素敵な画像だったので挙げておきました(Oscar Montelius (1905). Om lifvet i Sverige under hednatiden Tradje fullständigt omarbetade upplagen, med 162 figurer.によります。また、バイキングたちのサガなどにも古い言語資料が豊富にありまして、古英語のウェセックス方言で書かれた大量の文書も貴重です)。

そして、こちらの古代教会スラヴ語は、

私は「古スラヴ語(vieux-slave)」と(フランスの慣習で)呼んでいましたけれども。

10世紀の羊皮紙に書かれた祈祷書でして、

ウクライナ国立図書館にあるため、キエフ断片と言われますけれども、

グラゴール文字で書かれていまして、

スラヴ語の古い姿が分かりまして貴重ですけれども。

この古スラヴ語は、南方の方言を基にしたため、

今のブルガリア語やクロアチア語などに近くて、

チェコ語やポーランド語などの西スラヴ語群や

ロシア語やウクライナ語など東スラヴ語群とは、

少しだけ異なりますけれども。

まだ、スラヴ祖語から分かれて間もない頃には、

まあ、お互いに理解ができて通用していました。

7世紀ぐらいから分かれたんじゃないかと言われているから、

300年くらい経っていますけれども。

また、スラヴ語は、バルト語派とも近くて、

バルト=スラヴ語派と言われますけれども、

特にバルト語派の中で古プロシア語やリトアニア語は、

現存最古の文書は、16世紀に書かれていて、かなり時代が下りますけれども。

古い形を伝えてきてくれていて、貴重な言語でして、

言語は話されてのみ、伝えられていきましても、

意外と小さい集団でまとまった時期が長いと、変化しにくいんですよね。

そして、古典アルメニア語は、

5-6世紀の羊皮紙に書かれた、新約聖書の《ヘブライ人への手紙》でして、

アルメニアの首都のエレバン(Երևան)のマテナダラン文庫にある写本ですけれども、

古い時代に文語を確立したため、

それから、お近くにいたペルシア語やギリシア語などから、

大量に言葉を借りて、外来語が多くなりましたけれども、

古い形も分かりまして貴重なんですよね。

また、近くにはアルバニア語派もありますけれども。

現存最古の文書は15世紀に書かれていて、

同じ言語の中にある方言、

トスク方言とゲグ方言などで、祖語を内的再構されて分かるんですよね。

こうして、古い言語たちは、どのような形で伝えられてきたか、

現物の資料、一次資料たちを見れましたけれども。

今度はそれらをどのように分析して、

探究するのかですよね!

言語の歴史を研究した、歴史言語学の歴史と言葉遊びで笑っちゃいますけれども。

歴史言語学の世界を覗いてみたいと思いますので行ってみましょう!

実は、言語同士の類似性に気づいて、

もしかしたら、仲間なんじゃないかと推測を建てた人は、

昔から結構おりまして、

17世紀のオランダ人ボックスホルンさん(Marcus Zuerius van Boxhorn, 1612-1653)は、

サンスクリットやアルメニア語を除いて、

先ほどの殆どの語族の言語が、

どうも近いのではないかということ、

それで共通の祖語、彼はスキタイ人の言葉(Scythian)と呼びましたけれども。

あるんじゃないかということで本に書いていたりしてましたり、

当時にはあまり、多くの人の興味を引かなかったようでして、

一般として言われているのは、

イギリス人のウィリアム・ジョーンズ(William Jones, 1746-1794)さんですけれども、

彼は小さい頃から色んな言語を学んでいまして、

それから、インドのカリカットに赴任して、

サンスクリットを学びまして、

ペルシア語、ゴート語、ケルト語、ラテン語などとそっくりどころか、

サンスクリットは、かなり古風じゃないかと驚きまして、

1786年の公演が、比較言語学の誕生とされてきましたけれども、

本当かよ!?と、私は思って、色々と調べてみると、

最近は言語学史の研究が進みまして、

実は少し前にフランス人のコードゥ(Gaston-Laurent Coeurdoux, 1691–1779)さん、

「柔らかい心」というフランス語の名前ですけれども。

二十年前(1767年)に気づいていまして、

ちゃんと論文まで書いています。

まあ、その人たちに続いて、

シュレーゲル(August Wilhelm von Schlegel, 1767-1845)さんが、

アルメニア語やスラヴ語とも関係がありそうだと考えて、

実は、彼こそが、言葉が何となく似ているというレベルよりも深く、

語彙の構成や文法の構造を比較して、

言語の類似性と相違性を発見する手法の強みを明確に認識したんですよね。

そして、ドイツ語で「言語の内的構造(die inner Structur der Sprachen)」とか、彼は呼びましたけれども、

「比較文法(die vergleichende Grammatik)という言葉を用いまして、

これこそ、比較言語学の誕生ですね!

シュレーゲルさんが、1808年に出版した《インド人の言語と知性について(Ueber die Sprache und Weisheit der Indier)》という書籍で、

考えたことを書いていまして、

これが、比較言語学の記念碑じゃないかということで盛り上がってまいりましたけれども。

また、有名な物理学者トマス・ヤング(Thomas Young, 1773-1829)さん、

まあ、この方も、ユニークな人ですけれども、

1813年にちょっと後ぐらいにインド=ヨーロッパ語(Indo-European)という言葉を使いまして、

今でもドイツ人の学者たちは、

インド=ゲルマン語(Indo-germanisch)という言葉を使うんですけれども(クラプロート(Julius Heinrich Klaproth, 1783-1835)が《Polyglotta Asiatica》で初めて用いました)。

言語の類似性に気づいていた人たちはおりましたけれども。

考えてみましたら、どうも、言語学者には、

科学者や数学者、

鉱物学者や博物学者などが多くて、

今ここにありますように「定律」とは、中国語で「法則」ですけれども、

この言葉「定律」は、漢語でも物理法則にも、使われる言葉ですけれども、

ドイツ語(Gesetz)も使うんですけれども。

19世紀は物理学が快進撃を続けて、

例えば、電磁気学の色んな法則が発見されて、飛躍をした世紀でして、

それとシンクロしていまして、

言語学も物理学と一緒だと!

大量の事実や知識を体系化する手法が、発想の根底にあるんじゃないかと、私は思っているんですよ!

それでマクスウェルが、

ファラデー、アンペールなどの実験、

それとオイラーやガウスさんたちがしました理論で蓄積してきた知見を整理して統合して、

電磁気学を大成したことは、

言語学でも同じことが起きているではないかと感じまして、

言語学が科学になりましたということなんですね。

そもそも、比較をする一番小さな単位は、何かと考えましたら、

やはり、最初の人たちは、言語同士で同じ語源だと思われる、

単語の子音や母音の並びの法則性を発見してゆきまして、

最初に彼らにとって、身近なゲルマン語における子音推移(Lautverschiebung)、

1818年にデンマークのラスムス・ラスク(Rasmus Christian Rask, 1787-1832)が気づいて、

1822年にグリム(Jacob Ludwig Carl Grimm, 1819-1837)さんが発表しまして、

「グリムの法則(Grimmsches Gesetz)」と今は呼ばれてますけれども、

実はこちらもそうですけれども。

実はジーファース(Eduard Sievers)さんが、

前年に発見していたけれども、発表しなかった、

それで今では、ヴェアナーの法則(Vernersches Gesetz)と言われますけれども。

まあ、それらは、今の音声学で言いましたら、

調音の部位や方法が近い子音が変わることなんですけれども。

これらはゲルマン語派で、先ず考察がされてきまして、

ブルーグマンの法則(Brugmannisches Gesetz)は、インド=イラン語派、

そして、ヒルトの法則(Hirtish Gesetz)は、バルト=スラヴ語派になどなど、

最初に身近なゲルマン語族から、更に一般化されてゆきまして、発見が続いていったということなんですね。

これも物理学に似てますよ!

マクスウェル理論というのは、

実は後から分かりましたことは、

U(1)のゲージ対称性の発見でしたけれども、

そこから、ゲージ理論で現代物理学のあらゆる対称性へと一般化されていると言うことがあるんですよね。

非常に面白い!学問の構造が似てるということを感じて盛り上がってますけれども。

面白い例として、

グラスマン(Hermann Günther Graßmann, 1809-1877)さん、

この人は、グラスマン代数、線形代数学の先駆者ですけれども、

やはり、ユニークですね!

インド=イラン語派のサンスクリットとヘレニック語派のギリシア語の対応規則を発見しておりまして、

また、バルトロメ(Christian Bartholomae, 1855-1925)さんは、

印欧祖語とインド=イラン語派の対応規則を発見しておりまして、

例えば、面白い例で行きましたら、

ブッタ! まあ、これは仏教の祖でして、

印欧祖語「目覚める」bʰewdʰ- +‎ 接尾辞-tósで「目覚めた人」、

「悟った人」、

お釈迦様は目覚めちゃった(笑)

まあ、アヴェスタ語bustaとか、

ギリシア語πυστός, pustósとも関係がありますけれども。

印欧祖語*bʰudʰtosから、

サンスクリット語buddhaの子音の対応を見てみましたら、

先ず、頭の子音の有気音[bʰ]が、グラスマンの法則で無気音[b]にされていまして、

次に[dʰt]が連続したとき、

子音が同化して[dd]になっておりまして、

これこそ、まさにバルトロマエの法則ですよ!

こうした対応は、あらゆる段階でも見られまして、

ケルト語派の中でも、

印欧祖語*kʷが、Qケルト語kのままでしたが、

唇音らしさが消えてますね。

そして、Pケルト語でpになっちゃったということでして、

ケルト語には、QタイプとPタイプがあるんだということで分けられたり、

そうしていけるということは、

どういうことかといったら、

これは、ただ、言語の間に対応するということではなくて、

祖語からどんどん言語が分岐していきましたとき、

必ず何らかの変化を起こして、

それぞれの特長が生まれてきたという、

時間の遷移という観点が加わったことでして、

即ち、音韻対応から、音韻推移ということで、

言語の変化における時間軸を発見していったんじゃないかと、

これはものすごい事件ですよ!

そして、1833年にボップ(Franz Bopp, 1833-1852)さんが、

大著《Vergleichende Grammatik des Sanskrit, Zend, Griechischen, Lateinischen, Litthauischen, Altslawischen, Gotischen und Deutschen》を著わしまして、

サンスクリット、アヴェスタ語、ギリシア語、ラテン語、リトアニア語、ゴート語、ゲルマン語(ドイツ語)などを比較して、

音韻対応と比較文法をなしまして、

今でいう音韻論と形態論、

統語論と意味論などの

比較文法の原型(プロトタイプ)を提示しましたけれども。

次の段階では、

そもそも共通の祖先は、

こういう発音をしていたけれども、

それがそれぞれ変わるか、

片方が変わったのではないかという、

アブダクティブな推論にいくんですね。

ということは、比較言語学には3つのブレークスルーがあったんじゃないかと思いまして、

ある音と音が似ているという第一段階、

ある音とある音は、

時を経て変わったんじゃないかという第二段階、

そして、ある音とある音が、

そもそも、ルーツとなる音が伝えられてゆくうちに変わったんじゃないか、分かれたんじゃないかと考える第三段階がありまして、

そこから、祖語の再構(reconstruction)の道が見えてくるんですよ。

即ち、言語の文法の比較や対照の分析から、

言語の構造が明晰に把握されまして、

先ずは対応、

次に推移、

そして再構という、

大きく分けて、三つの理解の段階が深まりまして、

先ほどのシュライヒャーの祖語再構のアイディアにつながりましたり、

青年文法学派と中国語「新語法学派」で書いてありますけれども。

ヘルマン・パウル(Hermann Paul, 1846-1921)さんの《言語史原理(Prinzipien der Sprachgeschichte)》では、

理論的側面をものすごく詳しく論じてくれていましたり、

こちらのブルークマン(Karl Brugmann, 1849-1919)さんとデルブリュック(Berthold Delbrück, 1842-1922)さんの《印歐語比較語法(Grundriss der vergleichenden Grammatik der indogermanischen Sprachen)》では、

実践的側面を書き残してくれました大作ですけれども。

言語の基本構造を比較文法により記述していますということです。

実はこうしたことは、

今は当たり前すぎて、

言語学の教科書には書いてありますけれども、

それが本当に含意するところを深く理解をするためには、

人類がどのように言語を用いてきたか、

また、人類がどのように言語の研究を進めてきたかという、

長い歴史や経緯を知りまして、

身にしみて分かるんじゃないかということを感じているんですよ!

それでこんな話をしてまいりましたけれども。

もう、今はもう、われわれは既に答えを知っていて、

事実として、知識として、接していますけれども、

最初にこういうことを何もない所から、

考えた人たちはものすごいですよ!

それで発見した人たちは、

ものすごい鳥肌が立ちましたでしょうね!

今でもわくわくしていますけれども!

追体験して、まあ、ユーラシア大陸全体まで行きまして、

西はグリーンランドやアイスランドから、

東はインドや中国の西域まで広がりました、

言語の起源が、全部、同じ所から来ているじゃないかということ自体ですね。

今考えてもすごいことですよね。

しかも、それが幻想ではなくて、論証されまして、

言語学を科学たらしめているということも、

これもまた、すごいことでして、

科学は、やはり論証が大切でして、

特に実証によることが、証拠に基づいて、

考察を積み重ねていくということが強みなんですよね。

そうして、言語には系統があるということを、

もう、本当に細かい子音の対応から見えてきましたたことによって、

詳細に系統立てることができまして、

系統学(phylogenetica)と言いますけれども。

生物の種の系統のように言語も捉えることができまして、

系統学と言語学が結びつきましたけれども。

こうした研究が進められた当時の時代背景を考えましたら、

やはり、生物学の進化論も同じ時代に提唱されていて、

物理学、生物学、言語学と分野が違いましても、

アスペクトとアイディアがシンクロしておりまして、

そういった発想からいきましたら、

また、スワデシュ・リスト (Swadesh list)といわれる言語における基礎語彙がありまして、

今ではそれらの類似性と相違性を分析しまして、

言語の変化が生命の進化と似ていて、

対数関数のように放射性物質の半減期を利用した考古学で重宝している、

年代測定と同じ考え方ができまして、

また、地質学や鉱物学でも、岩石の調査で地球の年齢を測定するなどと同じように、

言語の分岐した年代まで、

最近では研究されているんですよ。

それを言語年代学(glotto-chronologia)と言いますけれども、

ギリシア語で言語γλῶττα > glotto-、

年代χρόνος > chrono、

学問-λογία > logiaとそのままですけれども、

こうして得られた結果が、

こちらのグラフでして、

まあ、これを見てみましたら、

今から6000年より少し前に印欧祖語からアナトリア語派やトカラ語派、

また、アルメニア語派が最初に分岐をしまして、

5000-4000年の間にその他の語族が分かれてきていますね。

ここで赤でちょこんちょこんと書かれていましたのが、

先ほど見てきました古典の文献で文字で残されてきた言語なんですよ!

実は「philology」という言い方をしますけれども。

先ほどのような「文献学」が、本来の意味でしたけれども、

どうも今見てきたような経緯から、

特に今では比較言語学を示す言葉になったんですよね。

というのは、実は彼らが調べてきたことは、

表記された言語、古典言語が主でして、

実際に話されて発音されている言語より、

古典言語の方が比重が大きくて、

実際に話されている言葉は、どうなんだということにも興味が行った人が、

先ほど出てきたジーファースさんなどが、

音の変化(Lautwandel)と音の交替(Lautwechsel)を区別しまして(《音声生理学綱要(Grundzüge der Lautphysiologie)》)、

音声学についても、考え始めたりしてきているんですけども。

もう一つ、気づいたことがありまして、

これは後の時代における変化、「通時態」における変化、「共時態」における変化。

つまり、時代の変化、地域の差異なども認識されてきたんですね。

もちろん、ある時に起きた変化が蓄積して、

言語の歴史における変化になるため、

両者は深い関係がありますけれども、

やはり、比較言語学は、19世紀の花形の学問でして、

その後に出てきた構造言語学、

音声学、音韻論、形態論、統語論、意味論などが育ちました母体であることが分かるんですよね。

それを肯定的、批判的に継承して、

その後の言語学のあらゆる流れが生まれてきているということで面白い!

ボードゥアン・ド・クルトネさん、

トルベツコイさん、

ソシュールさんがもう出てきましたけれども。

それにロマーン・ヤーコブソンさん、

バンヴェニストさん、

コセリウさんなどが続きましたけれども、

構造主義言語学において、

音素と音価の違いを発見していった人たちなどなど。

文献に書かれた言語だけでなくて、

実際に話されている言語を分析できるように拡張されてきまして、

言語の音声を文字に落とし込んで、

そこで比較をして論考を進めるんですよね。

即ち、国際音声記号IPAなどの調音部位と調音方法の探究、

音素と音価、

音韻論と音声学など、

概念の違いがきちんと認識されて、成り立つということになりましたけれども。

こうして、比較言語学で分かってきたことは、

言語には歴史があるということでして、

時間の流れと共に共通の祖語から分かれて、

変化をしてゆく、遷移をしてゆくことなんですよ。

しかも、それらの法則を把握することによって、

もう失われてしまって、誰も聞くことできない、

数千年前の祖先たちが用いていた言語が、

こんなだっただろうと推測できまして、

それぞれの地域に移住していき、

それぞれの歴史を経てきて、

それぞれの社会を築いてきて、

それぞれの文化を育て上げてきた子孫たちは、

大きく異なるように見えるけれども、

実は同じ言葉を話していた祖先という同じルーツを持ち、

本当にユーラシア大陸全体の東西にまたがって、

数千年というスケールの大きなお話になってまいりましたけれども。

そこで実際に見てみたいと思いまして、

最も言語の中で基本的な概念は、

やはり、数詞(cardinal numbers)ではないかということで、

こんな表を作ってみたんですよ!

ぱっちょん!

こちらにありますのは、

印欧祖語(インド=ヨーロッパ祖語)、

アナトリア語派(ヒッタイト語)、

インド語派(サンスクリット)、

イラン語派(古ペルシア語)、

ヘレニック語派(古典ギリシア語)、

イタリック語派(古典ラテン語)、

ケルト語派(古アイルランド語)、

ゲルマン語派(ゴート語と古英語)、

バルト語派(リトアニア語)、

スラヴ語派(古スラヴ語)、

アルメニア語派(古典アルメニア語)、

アルバニア語派(古アルバニア語)、

トカラ語(A方言・焉耆語、B方言、龜茲語)ということで並んでありますけれども。

もう、全ての語族で特に古い言葉を選び出しておきましたけれども。

やはり、お互いにものすごくよく似ているんですよね!

音韻対応が非常によく取れておりますけれども、

祖語の段階から、それぞれの言語らしさが、もう既に現れているんですけれども。

実はヒッタイト語は楔形文字の数字で書かれていて、

表意文字だから、実際の発音が分からないか、

あと「四」は語源が違いますため、

括弧の中に同じアナトリア語派のリュキア語で補いましたということでありますけれども。

まあ、こちらでは、言語が少なすぎますから、

別表を特別にご用意いたしました(笑)

フルコースでしかも(笑)

先ずは、印欧祖語「一」*h₁óynosは、

KF-Scholaでユニークさの探究のシリーズで「ユニークとは何か!という形で「一」をやりましたけれども。

「これ」h₁e +「性」-nósだと、

「一」は「これ」だという所から来ていると!

また、括弧付きで印欧祖語*sḗmというのがありますけれども。

どうも、ギリシア語(h)is, εἷςとか、

アルメニア語mi, միとか、

トカラ語*semsは、

別の印欧祖語*sḗmから来ていて、

ヒッタイト語「単一」sani-やラテン語singlus、

サンスクリット「一緒」सम्- sam-やギリシア語「一緒」σύν súnと関係するようですから。

「一緒」とか、「単一」という、ニュアンスがありますよ!

まあ、色んな言語を比較しましたら、

やはり、母音の変化が面白いですね。

アナトリア語派やインド=イラン語派は、古意と思いきや、結構、短い!ヒッタイト語𐏑, *ās、サンスクリットएक ékaで短くなっている!

それに対して、バルト=スラヴ語派(リトアニア語vienas、古スラヴ語ⰵⰴⰺⱀⱏ, jedinŭ)は長いまま残されていまして(チェコ語jedenが正しいです)、

ケルト語派*oinosが一番古い形が来ているという、おもしろいですけれども。

母音は変わりまくるということが分かりますけれども。

そして、アルバニア語派では、njaで最初の部分が落ちちゃっているということでユニークなんですけれども。

次に行ってみますよ。

そして、 「二」*dwóh₁は、

印欧語族に固有の言葉と思われますけれども、

印欧祖語には、単数と複数の間に双数がありまして、

一と二までは数えて、

その他は多数という考え方をするんですよ。

まあ、双数は後で消えちゃった言語が多くて、

単数と複数しかなくなりましたけれども(ゴート語、アイルランド語、リトアニア語、古スラヴ語に後まで残されました)。

それで「離れた」とか、「隔たる」とか、

ギリシア語διά、ラテン語dis-、ゴート語𐌳𐌹𐍃-, dis-など、

こちらの印欧祖語 「二」dwóh₁から派生したdwis-éh₂にも関係があるんじゃないかと考えられますけれども。

これ見てみますと、古ペルシア語𐎭𐎢𐎺, *duvaと古スラヴ語dŭva, ⰴⱏⰲⰰが古い形を継いでいますけれども。

もちろん、ケルト語派*dwauもですが、

それでアルメニア語はdが消えて、

母音になっちゃってるってこと、

ユニークですけれども。

それでゲルマン祖語twaiやトカラ祖語tuwóの段階でdがtになってるっていうことで面白いんですよね。

行ってみますよ。

そして、「三」*tréyesは、

印欧語族に固有と思われますけれども。

殆どちゃんと一致していますよね。

ヒッタイト語𒐈, tēries、

それやもしくは、ギリシア語treîs, τρεῖςとか、

バルト=スラブ語派*tríjes(古スラヴ語ⱅⱃⰺⰵ, trije)が、最も古い形に近いですよね。

古ペルシア語𐏂𐎡, *çi-をみましたら、çになっていて、

アヴェスター語θriはθになっていて、

そして、ソグド語əθrē; šēは、θにもなっていますが、š [ʃ]になっていて、

古典ペルシア語سه, seはsになっていますけれども、かなり面白いですね(サンスクリットत्रि, tríからプラークリットのパーリ語 𑀢𑀺, tiに行くとき、rが落ちて、ヒンディ語तीन, tīnやベンガル語তিন, tinで最後にnが付いています)。

そして、ゲルマン祖語*þrīzでは、þ(ソーン[θ])というおもしろい文字ですけれども、

この文字は元はルーンᚦから来ているんですよね。

英語threeではth、

ドイツ語dreiではdになっていて、有声化されておりまして、面白いんですよ(また、古ノルド語þrírでは、最後のzがrになっています)。

やはり、アルメニア語երեք, erekʿ > երեք, yerekʿは、最初の子音trがどうも落ちちゃって、ユニークということでして、

こちら、

「四」*kʷetwóresです。

アナトリア語派のヒッタイト語𒐼, [meyawes](ルウィ語[māwa])は、全然違うんですよ!

括弧で書いてある別の語源*méh₁-uから来ているんじゃないか、

これは、どうも「少ない」*mey-と関係があるではないかと言われていまして、

ギリシア語の古い形で線文字Bで書かれたミケーネ語me-wi-joとか、

古典ギリシア語μείωνという言葉がありますよ。

それと関係があるんじゃないかと言われていたりしていますけれども。

また、印欧祖語「四」*kʷetwóresに戻りますけれども。

このインド=イラン語派(サンスクリットचत्वारि, catvāri、古ペルシア語𐎨𐏃𐎠𐎼, *čahār)、

スラヴ語派(古スラヴ語ⱍⰵⱅⱏⰻⱃⰵ, četyre)、

アルメニア語派(չորք, čʿorkʿ)、

アルバニア語派(cattere)、

トカラ語派(*śätwḗrä)などはs, cに行っているんですよね。

ゲルマン語派*fedwōrでfに行っています!

ヘレニック語派の(ミケーネ語qe-to-roでしたが、)ギリシア語τέσσαρες, téssaresではtに行っています!

それぞれ近い音で豊かに変わってますよね。

また、ケルト祖語kʷetwaresはかなり印欧祖語kʷetwóresの段階に近いです。

óがaになっているだということでありますけれども。

次のこちらに書いておきました𐌐𐌄𐌕𐌖𐌀𐌓𐌄𐌔, petuaresは、

今のフランスにいた大陸のケルト語、

ガリア語、ゴール語と言われますケルト語は、

*kʷがpに変わりまして、

古ブレトン語も、古ウェールズ語も、petguarでして、

Pケルト語(p-Celtic)ですよね。pに変えちゃっている!

ちなみに別の語派(イタリック語派)ですけれども、

びっくりしちゃったのが、ラテン語quattuorから、

他の(ロマンス語)は来ていますよ。イタリア語quattro、フランス語quatre、オック語catreであるのに、ルーマニア語patruもpに変えています。何か音韻対応が似ているということですね(また、イタリック語派のオスク語𐌐𐌄𐌕𐌕𐌉𐌖𐌓, pettiurやウンブリア語𐌐𐌄𐌕𐌖𐌓, peturでも、pに変えられております)。

このケルト語に戻っみましたら、

イベリア半島のケルト語*kuetuorはちゃんとkのままです。まあ、唇音化[ʷ]が落ちちゃっていますけれどもありまして、

古アイルランド語ceth(a)irでkなんですよね。

だから、こちらはQケルト語(q-Celtic)で変えていないということが分かるんですけれども。

そこから分かることは、

ケルト語の中でkからpに変わっちゃったというのは、

それはどうも、ガリア語、ゴール語で今のフランスに至ケルト人たちで、

古ブレトン語、これはブルターニュ地方、

そして、海を渡ったウェールズでは、ウェールズ語になって、

それもちゃんと引き継いでいるということでして、

大陸で起きた変化が島にも持ち込まれたということが分かるんですよね。

それでアイランド後の方もそのままkのまま行っているQケルト語ということでして、こちら、

「五」*pénkʷeは、

やはり、五本の「指」と関係があると言われていまして、

今でも英語finger /ˈfɪŋɡə/は、

古英語finger /ˈfin.ɡer/と綴りが同じでして、

古高ドイツ語(古フリジア語、古サクソン語)fingerと同じでして、

西ゲルマン祖語*fingrは、古ノルド語fingrと同じでして、

更にゴート語𐍆𐌹𐌲𐌲𐍂𐍃 figgrs、

ゲルマン祖語*fingrazに行きまして、

印欧祖語「指」*penkʷ-ró-sまで行きましたら、

どうも、「五」*pénkʷeと関わりがあるとされておりますけれども。

イタリック語派のラテン語quīnqueやケルト語派のアイルランド語では、qやcに行きまして、ユニークなんですよ!

古ブレトン語pempでしたら、

先ほどのようなpになんですけれども(そして、古ウェールズ語pimpはpでして、また、イタリック語派のオスク語𐌐𐌖𐌌𐌐𐌄, pumpeやウンブリア語𐌐𐌖𐌌𐌐𐌄, pumpeでも、pに変えられており、ポンペイ Pompēiīの語源です)。

やはり、ゲルマン語派の*fimfは、今後はpがfに行っているんですよ。

それでアルメニア語派հինգ, hingでは、pがhに行っているんですよね。

これもユニークですよね。

また、印欧祖語*pénkʷeのkの子音、

真ん中の部分を見てみますと、

先ず、アナトリア語派のヒッタイト語𒐊, pantaではtになっている。

インド=イラン語派のサンスクリットपञ्च, pañcaや古ペルシア語 𐎱𐎴𐎨, *pančaではcになっている。

ギリシア語πέντε, pénteでtですね。

ラテン語quīnqueではq、

ケルト語*kʷenkʷeは同じkʷからきてるんですよね。

そして、ゲルマン語*fimfではf、

そして、バルト語*penkeはk、

まあ、唇音化[ʷ]は落ちていますけれども、う~ん、そのままです。

スラヴ語ⱂⱔⱅⱐ, pętĭでは本当にtに行ってますよ。

アルメニア語հինգ, hingではgにいっていますよね。

そして、アルバニア語pesseでは同化が起きちゃってる!

kがsに行って、そして、前のnはsに引きずられるということがあって、ユニークですけれども。

トカラ語*p'äñśäではś [ɕ]になってますね。

だから、こうやって、かなり、規則的に変わっていくという面白い!

あるところでは、ある部分が変わって、

また、別のところでは、別の所が変わるという。

こういうことで古い形はどうなっていたかということが分かってきたりして、おもしろいんですけれども。こちら、

「六」*s(w)éḱsは、

これはどうも、セム語族*šidṯ-と関係があったり、

アッカド語𒐋 šeššetなど、

フルリ語šeše、エジプト語sjsw、コプトⲥⲟⲟⲩ, soouとか、

コーカサスのカルトヴェリ語族*ekwsと関係あると言われていて、

印欧語族と実は周辺にいた古い時代に、やはり言葉の交換があるんじゃないかということも研究され始めてきて面白いですけれども。

そして、古典ギリシア語ἕξ, (h)exが、(アッティカ方言で)sがhになり、

更に消えて、母音になりまして、おっこっちゃうんですよね。面白い!

そして、アルメニア語վեց, vecʿがsがvになって、結構おもしろい!

アルバニア語giascteがgでして、

しかも、先頭が鼻音化ngされていて、ユニークなんですけれども。

そして、こちらの後の部分のḱを見てみましたら、

サンスクリットषट, ṣátはt(もしくは、षष्, ṣáṣはṣ [ʂ])になっていますよね。

これは結構おなじみですが、

それで古ペルシア語𐎧𐏁𐏁, xšašやバルト語šéšでš [ʃ]になって、

ラテン語sexやケルト語*swexsでxになっていますよね。

ゲルマン語*sehsでhでしょ。

それでスラヴ語ⱎⰵⱄⱅⱐ, šestĭでは、

バルト語*šéšから関係しているわけですけれども、

更にstに行っていますね。

アルメニア語վեց, vecʿでcに行っていますよね。

アルバニア語giascteを見ましたら、やはりc、

そして、トカラ語*ṣaksでkということで、同じように見えて来れていまして、

こちら「七」*septḿ̥ですけれども、

どうも、やはり、セム語族*šabʕ–とか、アッカド語𒐌 sebetで古い形ですが、

フルリ語sitta、エジプト語sfḫw、コプト語ϣⲁϣϥ šašfとか、

コーカサスのカルトヴェリ語族*šwid-などと関係するらしいと、

最近研究されていまして、

先ほどの「六」と同じですけれども、

アナトリア語派(のヒッタイト語𒑂, šipta)は、やはり古い形でして、

イラン語派(の古ペルシア語𐏃𐎳𐎫, *hafta)をみましたら、sがhでしょ!

ソグド語əβt(a)で先ほどギリシア語でみましたように母音になっちゃっていて同化していたり、

ギリシア語ἑπτά, (h)eptaやアルメニア語եաւթն, eawtʿnでここでも落ちていますね。

そして、真ん中の今度は子音を見ますよ 。

pとtの所で、これ見ましたら、

サンスクリットसप्त, saptaから、プラークリットのパーリ語𑀲𑀢𑁆𑀢, sattaに行くとき、先ほど見ましたようにttで子音が重なっていて、同化が起きている!

tに引きずられちゃったということで面白いですけれども。

ペルシア語ではpがfに行っていますね。

ソグド語で両唇音βになっちゃって、

それでケルト語派*sextamはpがxになっていますよね。

ゲルマン語派*sebumではtが消えちゃって、pがbになり、

それでスラヴ語派ⱄⰵⰴⰿⱐ, sedmĭではpが消えて、tがdになり、

ゲルマン語とは違う部分が落ちているという、

子音が落ちるにしても、前の子音か、後の子音かで違います。

それでアルメニア語եաւթն, eawtʿnでpがwになっているというよりかは、

これは子音が落ちちゃった代わりにそこに母音が埋めちゃうということでしたり、

アルバニア語stateでは消えちゃって、

それで特にラテン語septemですけれども、

ロマンス語に行く方を見てみましたら、

イタリア語setteでやはりtに同化していまして、

フランス語septは残されていますよね(実際の発音上は[sɛt]となりpは消えました)。

それでオック語sętやスペイン語siete、

ポルトガル語seteはpが落ちちゃっていますね。

だけれども、ルーマニア語șapteは古風に残っているということでありましたり、

こちらに行ってみますよ。

「八」*oḱtṓ(w)に来ましたけれども、おもしろいことにやはり、

カルトヴェリ語族の「四」*otxo-と関係してるんじゃないかと言われていて、

倍化と言いますけれども、四から八に倍になっている!

どうも、語源的に一緒なんじゃないかとも議論されていたりして、

インド=イラン語派のサンスクリットअष्ट, aṣṭaでは、

印欧祖語*oḱtṓ(w)と比べて見て見ましたら、

ḱが反り舌のṣ [ʂ]になって、

古ペルシア語𐎠𐏁𐎫, *aštaでは、

後部歯茎音のš [ʃ]になって、おもしろい!

バルト語派*aśtōでも、同じことが起きていますよね。

スラヴ語派ⱁⱄⰿⱐ, osmĭではsに行っていますけれども。

ケルト語派*oxtūでx、

ゲルマン語派*ahtōuでhに行ってましたり、

アルメニア語派ութ, owtʿではkが落ちて、owになりまして、

先ほどと同じ理屈で母音で埋めた!代償延長が起きています。

そして、アルバニア語派teteではtになって、

先ほどの「七」と同じく、tの間に母音を挟んでユニークで面白いということでして、

この調子で「九」*h₁néwn̥は、

「新しい」と関係があるじゃないかと言われていまして、

英語new、ラテン語novus、ギリシア語νέος、サンスクリットनव návaは、これらは印欧祖語*néwosに遡りますけれども。

ヒッタイト語𒑆, *ʔnū́nでは、

最初に声門閉鎖音[ʔ]がありまして、

印欧祖語の喉音説(*h₁ > ə, *h₂ > a, *h₃ > o)を支持しておりまして、

これはソシュールさんが予測しまして、

ヒッタイト語[ḫ]が後に発見されて、実証されたんですよ。すごい!

古典ギリシャ語ἐννέα, ennéaの最初の母音のἐ, eですけれども、

こういうところから考えたんですよね。

アルメニア語ինն, innの最初のiもそうですけれども、

やはり、喉音*h₁の名残があるんですよ。

これは母音に行きやすいからということでして、

それでスラヴ語ⰴⰵⰲⱔⱅⱐ, devętĭでは、こちらのnがd に行っているんですよね。

前にもやりましたけど、lはdに行くのと同じでして、

lとnとdは調音部位が近いですよね。

ですから、変わりやすいです。

アルバニア語nandeは最後にdがあり、

現代nëntëだとtがあって、なかなか、ユニークですよね。

これはどこから来たのかといえば、

印欧祖語*h₁néwn̥の無声化されたn [n̥]から、

nd > ntに行っているんでしょうけれども。

なかなか、これは面白いということでユニークでした(また、「六」(n)giaste > gjashtë、「七」state > state、「八」tete > tetëとの関連性から付いたとも考えられます。しかし、それにしても、印欧祖語「六」*septḿ̥も無声化された m [m̥]を含んでおり関連性が伺われます。)

そして、「十」*déḱm̥(t)ですけれども、

「左」*dek’-sと関係していると言われてまして、

ラテン語dexterやギリシア語δεξῐόςなど「左手」から、

更に遡りまして、印欧祖語「取る」*deḱ-からと考えますけれども。

印欧祖語*déḱm̥(t)と比較して見てましたら、

インド=イラン語派のサンスクリットदश, daśaでやはり、kがś [ɕ]になって、

プラークリットのパーリ語𑀤𑀲, dasaでsに行ってますよね。

それで古ペルシア語𐎭𐎰, *daθaでθに行っていまして、

アヴェスタ語dasaやソグド語δas(a)でs、

古典ペルシア語dah, دهでhに行っていますよね。

それでイタリック語派を見てみましたら、ラテン語decemでkがcになっていまして、

子孫のロマンス語では、最後のmが落っこちちゃう!

そして、ゲルマン語派*tehunでdがtに行っていますよね!

そして、真ん中のkがh、mがnに行ってますよね。

ドイツ語zehnでは、zで有声化されてますよ!

オランダ語tienはhが消えちゃって、ゲルマン祖語*tehunに対して、

それで英語tenで落っこちていますけれども。

古ノルド語tíuでは、もう結構、短くなっちゃって、

hとnも落っこちちゃっていて、

バルト=スラヴ語派*deśimtでは、kがś [ɕ]に行っていますよね。

それでアルメニア語派տասն, tasnでは、dがtに行ってまして、

一番最初のなかなかユニークでして、

アルバニア語派ƺieteのこれƺ [ʒʷ]はなんだと!?

ƺ [ʒʷ]は、[ʃ]の有声音[ʒ]されて、更に唇音化[ʷ]された複雑な音でして、

現代ではdhになって書かれていまして、

トカラ語派*dzäkä(n)では、dがdzでどうも有声化されていっているみたいでして、

そこから、A方言śäkやB方言śakでś [ʃ]に行ってますよね。面白い!

まあ、バルト=スラヴ語派(バルト祖語*deśimtや古スラヴ語ⰴⰵⱄⱔⱅⱐ, desętĭ)だけ、最後にtがあるんですよ!

今でもリトアニア語dešimtでも、ロシア語десять, desyat'でも、tがあるんですよね。

それで印欧祖語*déḱm̥(t)にも、括弧でそれが再構に反映されておりますけれども(Matilde Serangeli, Thomas Olander (2020). Dispersals and diversification: linguistic and archaeological perspectives on the early stages of Indo-European, Leiden: E. J. Brill.)。

こういった形で子音の対応を詳しく比較をして、

規則性を発見してゆきまして、

論証がなされてゆけますけれども。

実は今の視点で行きましたことは、

こうしたパズルみたいにして、どんどん、どんどん、言語学者は、こうした子音の対応がどうなんだということを議論して読み解いていくんですよね。

こうした面白さをちょっと数字でやってみたんだということなんですよね。

これはすごい大事なことなんですよ!

実は言語を見て行こうとしたときに、

言葉よりも更に細かい単位において、

類似性を発見してゆくということなんですね。

比較言語学を始めた人たちは、

文字を比べていきましたけれども、

今も言葉で言えば、言葉の単位、

形態素よりも、 小さい音素を細かく比較できたことが、ものすごいことなんですよね。

そもそも、これ、アルファベット、

音素文字で書かれて、それを比較してまいりましたから、という感じで布石を打っておりますけれども。

ものすごくサイエンティフィックにアナリシス、

科学的に分析して楽しんでこれたと思います。

そしてこちらですけれども。

やっと、漢蔵語族に来れましたけれども、

遂に本丸が見えてきましたという感じです(笑)

堀を長く歩きすぎた(笑)

こちらは先ほどの印欧語族と同じような系統図がありますけれども。

今までの比較言語学をアナロジーして、

類推適用して、漢蔵語族にも行ってみようじゃないかということですけれども!

前に比較分析と対照分析とお話をしましたけれども、

一つ気になったことがございまして、

一般には、比較分析とは、

同一の祖語から分かれた同一の語族の内部での子孫同士の比較ですけれども、

対照分析とは、別に同一の祖語から分かれた同一の語族でなくても、

ある言語と別の言語の構造を比較することを指しますけれども、

まあ、一つ前の上古漢語のイントロダクションでお話をしましたよう、

音韻や語彙とは、それぞれの言語や語族に固有ですから、

比較は同一の祖語から分かれた同一の語族の内部での音韻論や形態論の比較ですけれども。

一般化されたとき、統語論や文法論を比較することにやはり重点が置かれることは自然ですよね。

何故なら、別の語族では、ある概念は、全く異なる別の言葉で指し示されますけれども。

そもそも言葉がどのように機能するかという、

より抽象化されたレベルでの言語の構造、

即ち、個々の単語ではなくて、

文法のシステムの同一性と相違性を探究することになるわけなんですよ。

実は今までも同じ漢蔵祖語から分かれた、

漢蔵語族の、こちらにありますけれども、

内部で比較分析をしてきてまいりまして、

特に語源を探るとか、発音を探るとか、

形態論や音韻論でしてまいりまして、おなじみですけれども、

ここからは、印欧語族で得られました比較言語学や形態論、音韻論、統語論、意味論など、

数々の観点や方法を別の語族である、漢蔵語族に当てて試してみようということなんですよ。

驚いたことに人間が言語を用いることは、

印欧語族でも、漢蔵語族でも、別の語族でも、

結構、似ておりまして、 まあ、訓詁の回で語りましたけれども、

人間が言語を用いるとき、ある指し示したい事物や概念に対して、

言葉を当てますけれども、

言葉を作るときも、既にある語根や接辞を組み合わせて、新しい言葉を作りまして、

新しい概念に当てまして、

その言葉を連ねて話したり、書いたりして、

思考や意思を伝達するんですよね。

実際の事物と言語の概念をリンクさせて、

更にそれらの概念を組み合わせて、 実際の世界で起きている現象を言語の世界で構築して説明してゆく、

それが人類の言語なんじゃないかと!

言語とは何かといわれたら、

それに尽きるんじゃないかと思いますけれども。

それによって、思考、発想、知識、技術などを他の人に伝えることができまして、

お互いに交換し合い生きてきたのが、

私たち人間ではないかという話になってくるわけなんですよ。

特に印欧語系の際立った特徴は、

既に祖語の段階から、名詞が曲用(declension)したり、

動詞が活用(conjugation)していまして、

まあ、平たく言えば、 語尾を変化させて、文法機能を持たせていましたから、

語彙の音素の対応だけでなくて、文法の機能の対応も入っているわけですから、

それらの比較も盛んに行われてまいりましたけれども。

漢蔵語族は、殆ど名詞が曲用したり、動詞が活用すること、

それが文法で定義されることはないんですよね。

また、印欧語族では、意外と結構きれいに分岐しておりましたけれども。

漢蔵語族は見ての通り、

狭い範囲でものすごい密集して暮らしていましたから、

語彙や文法などに激しく影響を与え合いまして、

単線的な系統図がここにありますけれども。

事態は本当はもっと複雑だったということでして、

基本となる構造を分析すると6000年ほど前から、

最初に漢語族が分かれまして、

5000-4000年前のこの間のスパンで急激に別れていまして、

そして、こちらにあるように他の方にバーって行ってるんですよ。

それで漢語はかなりこの中国の平野部をドカーンと取りまして、

チベット語はチベット、

ビルマ語はミャンマー、

彝語は中国の四川省、

白語(ペー語)は雲南省、

西夏語(タングート)は青海省、

そして、羌語は四川省や雲南省、

タマン語はネパールやブータンやインド北東のシッキム、

キランティ語はヒマラヤのインドのネパールの境、

タニ語、ボド=ガロ語、コンャック語はインドの東、

カチン語はミャンマー北部、

ピュー語はミャンマー中部、

クキ=チン語、ナガ語、タンクル語はインドとミャンマーの境、

カレン語はミャンマーとタイの境に住んでいますということで、

こちらの地図を見てみますよ。

こんな感じになりますけれども、やはり、漢語はドカンとこちらの平野を取りまして、

他の漢蔵語族を話している少数民族たちは、

中国の山間部とか、

東南アジアやネパールやブータンやインドなどの高地に暮らしていますよね。

ということで、こちら。

マティソフ教授はこんな系統図を描いていまして、

漢蔵語族の中にはこうした言語たちがありますけれども、

まあ、漢蔵語族の分類はまだ論争がありまして、

学者により分類が異なりますから、

印欧語族と同じくノードとリンク、点や線でダイアグラムが描かれていますけれども。

結構こうした分類は一定しないというがあるんですよ。

まだまだ、研究の余地がありますということですけれども(だから、面白いです。)

そして、蔵緬語(Tibeto-Burman)の所はいっぱい書いてありますけれども。今度はこちらの漢語(Chinese)の方をね見てみたいと思います。

それでこちらは、漢語族の内部の関係ですけれども。

地域と方言たちが対応されて書かれていますね。

官話、

呉語、

湘語、

贛語、

閩語、

客語、

粤語、

上古漢語でして、

今まで出てきておなじみではございますけれども。

まあ、本当はこうした簡単な構造ではなくて、

実は特にこの南の閩語や粤語、

また、客家語などには、

基層語(substructum)として、タイ=カダイ語族やオーストロアジア語族など、

前に住んでた人たちの言語の語彙や文法に影響されて、

まあ、先住の言語とミックスしてんじゃないかということが考えられてまして、

漢語の子孫としてみたときには、

こうなっているということで書かれておりますと言うことでありますけれども。

次に行ってみますよ。

そして、漢蔵語族における文字資料ですけれども。

漢語を書いている漢字は、もう本当にものすごい出てきましたよ!

甲骨金文から戦国文字、

秦漢の篆書や隷書などを見てまいりましたから、

古い動画を見て下さいということで、

別言語たちを見てまいりますけれども、

古くから文字で書かれた言語は少ないんですよね。

ピュー語とビルマ語は、1113年のミャゼディ碑文(မြဇေတီ ကျောက်စာ)がございまして、

印欧語族のパーリ語や南亜語族のモン語と一緒に書かれていますから、

まあ、古代エジプトのロゼッタストーンのような、

言語を対応して研究できる貴重な碑文ですけれども。

ピュー語には5世紀頃から記録がありますけれども、

言語自体の理解にかなり難儀しておりまして、

また、ビルマ語はこの碑文が最古の資料でして、

ビルマ文字は割と新しくて、11世紀にモン語の文字をビルマ語にアダプトして用いられましたけれども。

そのモン語の文字は、インドのブラーフミー文字から来ましたから、

(アブギダで)音を書いてるんですよね。

また、11世紀頃からナシ語にもトンパ文字がありまして、

16世紀頃から彝語にも彝文字がありますけれども、

漢字と同じく形態素くらいを書いている表語文字で音素は書いていないんですよ!

そして、チベット文字は古くは7世紀から使われまして、

こちらは8世紀に吐蕃王ティソン・デツェン(ཁྲི་སྲོང་ལྡེ་བཙན Khri srong lde brtsan, 742-798)の時代に、

バ(སྦ་གསལ་སྣང་ sba gsal snang)さんが書いた年代記《巴協(དབའ་བཞེད dba' bzhed)》でして、

10世紀頃の写本でして、かなり丹念に書いてありまして、

もう今と殆ど形も変わりませんから、

難なく読むことができるんですよ。

それで西夏文字は、1190年に刊行された骨勒茂才さんの《番漢合時掌中珠》という字書がありまして、

西夏文字と漢字が併用して書かれているため、

西夏語の解読に貢献しておりますけれども。

ものすごい複雑な構造の文字でして、

こちらも解読にかなり難儀しておりまして、

昔に内蒙古の額済納旗という場所で出土して、

ロシアに持って行かれまして、

そちらで西夏語学が盛んになりましたけれども。

こちらが新たに敦煌の莫高窟から、

なぜか一枚だけ、破れた断片が発見された残巻で貴重なんですよね。

そうして、見てみましたら、

実際に古い音が分かる文字で書かれた、

チベット語やビルマ語ぐらいしかないわけですから。

(漢蔵語族の研究は)結構大変です!

今まで特にチベット語やビルマ語を重視して、(漢語との)比較に用いてきたことが、どうしてかが分かると思います。

音で書いてるってことですね。

そして、漢蔵語族でも、数詞(cardinal numbers)を見てゆきたいと、

こんな資料を作りましたけれども。

漢蔵祖語、

上古漢語、

チベット語、

タマン語、

彝緬語(ロロ=ビルマ語)、

白語(ペー語)、

西夏語(タングート)、

キランティ語、

タニ語、

ボド=ガロ語、

コニャック語、

カチン語、

ピュー語、

クキ=チン語、

ナガ語、

タンクル語、

カレン語などが並んでおりますけれども、

その下にはものすごい数の言語や方言がありますから、

まあ、沢山書くわけにはいきませんから、

表が限られておりますから、

全てアスタリスク(*)が付いております、比較再構された。

遡っていった祖語レベルで比較をしてみようという趣向でして、

数詞に限りまして、先ほどのように音韻の対応を重視して、

類似性が高い順に並べてみまして、

それでこういう順番になっておりますけれども。

「一」と「十」には、二つの語源が考えられますけれども。

まあ、漢蔵語族の中でもよく似てますよね!

すごく、それぞれの祖語の段階でも、

それぞれの特徴も現れておりまして、

それで気づいたことがあるんですよね。

この白語ですけれども、

漢語に近いとか、 あと、マティソフ教授は、ロロ=ビルマ語族(彝緬語系)に近いと考えて、

帰属が明らかでないわけですけれども。

私が見てゆきましたら、どうも、西夏語や、それが帰属する羌語に近いことが、

こうした表を作っていて感じたんですよね。

でも、特に漢蔵語族の内部は、お互いの語彙の借用、言葉の貸し借りがあまりにも激しいため、

分類や系統だてが難しいですから、

言語が分かれながらも、子孫でも交配を繰り返してゆく、

系譜のネットワークのモデルで、私は捉えているんですよね。

独自性もあるけれども、共通性もお互いに常に持ちながら発展してきていう、

そして、子音の対応を見るとgとkとか、

bとpとか、

それとdとtとか、

それとsとtとか、

それとtとl、

それとrとlなど、

調音部位や方法が近い音でかなり規則性があり対応しておりまして、

特に接辞が激しくて、いろいろと前とか、後に付いているわけですよ。

その部分を取り除くと、同じ語根が抽出されるんですよね。

面白いことに印欧言語でも、接辞をよく使いますけれども。

基本の数詞には見られませんでしたけれども、

だけれども、漢蔵語族には、基本の数詞にも、

数にすら、ものすごく接辞が豊かに付けられていまして、不思議でして、

最近に研究がされ始まりましたばかりから、

まだまだ、解明の余地がある所が残っているんですけどね。

そして、漢語の内部の方言たちの表でして、

今までの振り返りということでまとめてみましたけれども。

中古漢語、

北の官話、 晋語、

真ん中の呉語、贛語、湘語、

南の閩語、客語、粤語でして、

日本の呉音と漢音、

朝鮮と越南の字音が並んでおりますけれども。

先ほどの漢蔵語族の言語たちを見てしまうと、

こちらは、比較的最近に分かれたため、

結構きれいに対応していますよね。

ですから、中古漢語の再構はそれほど難しくなくて、

最後の入声が消えたとか、あるものが、これでなくなっている!

特に「十」が面白くて、 反り舌、有声音とか、中古漢語からそのまま行っている呉語とかに(見られますね。)

破擦音など近い音で代わっておりますから、

案外、漢語族、漢語の内部では、

そんなに激しく変わりませんでしたことが分かると思います。

そして、印欧語族と同じく、

漢蔵語族でも、それぞれの数詞を見てゆきたいと思いますけれども。

今ここですることは、漢蔵語族の言語たちから、

特に上古漢語の再構を見てゆこうという趣向ですけれども。

鄭張尚芳さんとBaxter-Sagartさんの上古漢語の再構した音がどう見えて来るのかということですけれども。

「一」*tyak ⪤ *g-t(y)ikとありますが、

どうも、漢蔵祖語には、「一」は二つの語源に遡りまして、

*ʔit ⪤ yat; *katもあるわけなんですよ。

大きく分けてこの二つ!

どうも、鄭張尚芳さんの再構*qliɡは、

メジャーな*g-t(y)ikを語源と考えていまして、

Baxter-Sagartさんのʔi[t]はʔit ⪤ yatで同じだった!

実はこの*ʔit ⪤ yat; *kaはマイナーでして、

カナウリ語のidとか、チェパン語のयात्‌ yatとか、

クキ=チン語*khat ⪤ ʔat ⪤ hatなど、

ビルマ語では普通はこちらတစ် tac /tɪʔ/ですけれども、

ビルマ語အ, ac /ʔɪʔ/もありまして、それくらいしかないんですよ!

また、漢語でもメジャーな方、

*tyak ⪤ *g-t(y)ikからの言葉もありまして、

双子の「雙」の(字形において「隹」が)半分の「隻」は、

ものを数える時の量詞でして、

現代漢語でも動物などを数えますけれども。

日本語では「一隻」の船などという言い方をしますけれども。

上古漢語「隻」*tjaːɡ, *tekとしてありますから、

やはり、この漢蔵祖語*tyak ⪤ *g-t(y)ikから来た言葉と考えられるんですよ。

そして、Baxter-Sagartさんの再構ʔitは、ミャオ=ヤオ祖語ʔɨとも関係させてますけれども、

実はヤオ語(j)ietがありまして、

オーストロアジア語族の佤語*ʔuとか、

オーストロネシア語族*əsa ~ isaとも関係がありそうでして、

むしろ、漢蔵語族の方が借りた可能性もあるんじゃないかと(先ほど見ましたよう殆どの言語は固有語として、別の「一」を用いるからです。)

漢蔵語族でも見てみますと、よく見ると、

トゥチャ語la³⁵とか、

ムル語lɔk¹とか、tとlの対応で説明が付きますけれども、

タニ語kon、ボド=ガロ語sV、タンクル語*si、

メイティ語a-ma(a)、ジンポー語lă⁵⁵ ŋai⁵¹のこの部分ŋai⁵¹とか、

これはイレギュラーなんですよ。

多分語源が違う可能性があるということで言っておきますけれども。

そして、「二」*g/s-ni-sは、殆ど一致しているんですよね。

上古漢語の最後の*-sが中古漢語で去声Hに行っていますね。

ムル語pre²だけはどうも、どうしちゃったのか、

語源が違う可能性があります。

面白いのが、彝緬祖語ʔ-nit ⪤ ni²では、最後が-tで終わりますけれども、

彝祖語s-ni(k)²/ᴸでは、-kに行っていますよね。

そして、今の彝語ꑍ nyipで*-pに変わり、

ナシ語ȵi²¹で消失しているということでして、

接頭辞をみましたら、

やはり、この声門閉鎖音[ʔ]ですが、そして、彝緬祖語ʔ-nit ⪤ ni²と同じく、コニャック語ʔ-niでは、同じ*ʔ-なんですよ!

それでg/s-がʔ-と対応しておりますけれども、

それでナガ語a-ni(t)ではa-になっていますね。

カレン語k-hnejᴬやピュー語kniでは*k-ということで、

まあ、ジンポー語lă⁵⁵ khoŋ⁵¹は、kに行っていますけれども、

かなりイレギュラーでして、しかも、khoŋ⁵¹の最後のところŋが、カレン語k-hnejᴬやピュー語kniとの対応から、

まあ、最後の所は(接尾辞-ŋが)付いちゃったのかなぁと、

でも、この部分が当たるかもしれませんけれども。

まあ、接尾辞-ŋは接辞と考えるのかなということで行ってみましょう。

この「三」*g-sumも、殆ど一致していますよね。

sがtとか、

しかも、その有気音の tʰとか、

h とか、しかも、更にhでも奥のɦもあったりしますけれども。

あとはʃもありますけれども。

どうも、 この上古漢語のどうも、Baxter-Sagartさんの再構*s.rumしたrが気になるんですよ!

彼らが言うには、「四」*s.li[j]-sに影響されて、イレギュラーだと r が入ったと説明されていますけれども(Baxter-Sagart 2014: 75)。

本当かよと思うわけですよ!?

漢蔵語族の他の言語でも、

中古漢語でもないわけですから、

鄭張尚芳さんの再構*suːmの方が自然ですね。

rはyのような感じもいくということではあるけれども。

何かここに入ってるのは気になるわけですよ。

こんな感じで、

そして、「四」b-ləyも、ミャオ=ヤオ祖語pleiと関係があると考えられるんですけれども、

漢蔵語族の他の言語たちを見ていきましたら、

まあ、b-がp-になっていたりとか、

更に有気化されて*phになっていたりとか、

*m-に行くとかありますけれども。

まあ、あとはlとtの対応が見られるけれども、

それはいいとしても、

上古漢語にこれ相当、問題がありまして、

前(当シリーズの六書の会意・形声の特集の回)に「水」の再構でしたような、

最初の子音の固まりなんですよ。

それで「四」も、鄭張尚芳さんはhljidsでして(漢蔵祖語b-ləyとの接続を考えてか、bがhに行くとしていますが、)

それでBaxter-Sagartさんたちの*s.li[j]-sでして、

これ全然違うんですよね!

*s-は何か?特に気になるのが、

私これで見ていて思ったことがありまして、

チベット語བཞི bzhi > ɕi¹³; ʐə³³; sɘmでしたけれども。

ラサ方言、カム方言、アムド方言という、今の大きな方言区が三つありまして、

それを並べて書いておきましたが、現代のチベット語、

それでラサ方言を見ましたら、ɕi¹³ になっているんですよ!

特に古風と言われるアムド方言sɘmで[s]なんですよね。

これはすごいですよ!

ですから、漢蔵祖語*b-ləyから、

古典チベット語*bʑiですよね。བཞི bzhiと文字で書かれております。

それでラサ方言ɕi¹³、

アムド方言sɘmと同じような経緯を漢語でも、古い時代、

上古漢語より前、まあ、少なくとも、中古漢語より前に経た可能性があるんじゃないかなと、

私は思いました。

これはすごい平行して動いていて面白いということを見つけせきちゃったということで行ってみましょう。

「五」l/b-ŋaも、ミャオ=ヤオ祖語prjaと関係があると考えられますけれども、

Baxter-Sagartさんたちも議論していまして(Baxter-Sagart 2014: 128)、

C.ŋˤaʔと分からない子音C.が、最初についちゃっているとしていますけれども。

コニャック祖語*C̬-ŋaᴮでも付いているんですよね。

まあ、古典チベット語*lŋaからアムド方言ɦŋaもなかなか面白い、

lから、奥ɦに入ってます!

だけれども、殆ど他は一致していて、本当に面白いんですよね。

こちらのタニ祖語*ŋoから、

あとはトゥチャ語oŋ⁵⁵には、

逆になっていましたりです。

次に行ってみましょう。

この「六」d-k-rukも、ミャオ=ヤオ祖語krukと関係があると考えられますけれども。

Baxter-Sagartさんたちは、閩祖語lh-から、最初にkがあったと建てました(Baxter-Sagart 2014: 163)!鄭張尚芳さんrugにはありません!

ですけれども、やはり、漢蔵祖語との対応から見ても、これはリーズナブルです。

そして、 こちらの子音を見ていたとき、

白語fv⁴⁴のfは、これは結構ユニークですよね(印欧祖語「四」kʷetwóresから、ゲルマン祖語「四」fedwōrを思わせます)。

彝語ꃘ fut /fu⁵⁵/のfなんですよ。

そして、ヌン語kuŋ⁵⁵の最後にはŋがあるんですよね。

こちらもちょっとイレギュラーで気になりますけれども。

トゥチャ語wo²¹は子音が落ちて、

母音だけになっちゃったということで説明が付きますね(漢蔵祖語「二」*g/s-ni-sから、現代漢語èr /ˀɤɻ⁵¹/などもあります)。

「七」s-ni-sは、漢蔵祖語-s suffixしか書いてませんけれども。

中古漢語tshit /t͡sʰiɪt̚/で入声-tになっていますよね。

彝緬祖語*ʔ-nit ⪤ ši²でも、

tがちゃんと最後にありますよ!

タニ祖語*kV-nɯtをみましたら、やはり t が最後にあります!

メイティ語ta-retもある!ムル語rinit⁴¹もある!コニャック語C̬-nitもある!ナガ語th-ni(t)もある!

そして、ジンポー語să³¹nit³¹もある!カレン語*Ɂnweᴬ/etᴰにもある! ということでして、

ピュー語hni(t·ʔ)ṁには、[t]がありますけれども、こちらの声門閉鎖音[ʔ]の両方があるんですけれども。

クキ=チン語sa-riʔは-ʔに対応付けられていて、

何か(漢語の)入声というところで出てきたような、子音たちが何か最後に並んでますけれども。

彝緬祖語ʔ-nit ⪤ ši²では-tでして、彝祖語C-ʃi(k)²/ᴸは-kにいき、

現代では彝語ꏃ shyp /ʂz̩²¹/で*-pに行くでしょうということで、

先ほどの「二」と同じく対応しますよね。

ですから、マティソフ教授は再構に含めていませんけれども、*-tも認められると思います!

かなり広範囲に見えますから。

それで鄭張尚芳さんの再構*sn̥ʰidは、

漢蔵祖語にかなり近いですね。

無声化[n̥]されますけれども。

Baxter-Sagartさんの再構*[tsʰ]i[t]は、

閩祖語や中古漢語tshit /t͡sʰiɪt̚/との接続を考えていると思いますけれども、これを見てみましたら、

やはり、ナガ祖語と*th-ni(t)をみましたら、頭も似ていて、Baxter-Sagartさんの再構とすごくにていて、面白いんですけれども。

チベット語བདུན bdunは、これはどうも違う語源だと考えられます。

イレギュラーだということでして、

「八」b-r-gyat ⪤ b-g-ryatも、ここは逆に音韻転換していまして、言いにくいから、メタテシスをしておりますけれども。

ミャオ=ヤオ祖語jatと関係があると考えられますけれども。

特に西夏語*·jarやトゥチャ語jie²¹に近いですよね。

それでレプチャ語kakuはイレギュラーですけれども。

今までお話ししてきた子音の対応では、

まあ、説明がつくかな。

これは(漢蔵祖語*gyat > レプチャ語kaku)でg/k、t/kの対応で両方とも k になっちゃったと考えられなくはないけれども、面白いです。

上古漢語*preːd, *pˤretは、特にチベット語brɡʲatやタマン語ᴮbratと結構近い!本当に似ているということなんですよね。

それで行ってみましょう。

そして、「九」*d/s-kəwも、

上古漢語で最後の声門閉鎖音[ʔ]が、中古漢語の上声Xに行きましたけれども、

声調の誕生ということでありましたけれども。

他の言語では、kがgに結構、行ってますよね。

どうも、リンブー語phaŋ、メイティ語maa-panとか、

これらは、イレギュラーでして、両方とも、しかも似ていて、

語源が違うかも分からないですね。

これはということでこちら。

こちらの「十」*ts(y)i(y) ⪤ tsyayも、

二つの語源に遡りまして、

特にgipはミャオ=ヤオ祖語gju̯əpと関係があると考えられますけれども。

先ほど「一」と同じく、どうも漢蔵語族の中で漢語*ɡjub, *t.ɡəpは仲間外れなんですよ!

それで私は一生懸命調べたんです!

そうすると、アッサムのデン語kap ⪤ kyepでも、クキ=チン語の一方言gyipとか、まあ、yがpになっています。

ナガ語の一方言tśipとか、ミキル語kepなどがありましたけれども、

リンブ語gipにもあります!

ビルマ語ကျိပ် kyip /kjei'/は、普通はこちらရှစ် hrac /ʃɪʔ/ を使いますが、ないことはないわけですけれども。

クキ=チン語soomとか、ナガ語th-raとか、タンクル語*raとか、ムル語very³も、別の語源なんですよね。

だけれども、殆どの漢蔵語族で*ts(y)i(y) ⪤ tsyayの方が、皆、メジャーではあるんですよね。

こうして、漢蔵語族の言語たちの全ての数詞をコメントして、丹念に見てこれましたけれども。

漢蔵語族の中における漢語という、

より大きなダイナミックなワンダフルなアスペクトによりまして、

漢語について、その中では分からない、色んな面白い新たな一面を見つけて来れまして、

ものすごくエキサイティングだったと思います。

そうして、こちらを見てみましょう。

こちらに文献を列記して置きましたけれども。

比較言語学の歴史が詰まっておりまして、

もう最初のお話で出てきたシュレーゲルさん、ラスムス・ラスクさん、グリムさんやボップさんたちから、

錚々たるメンバーが並んでおりますけれども、アウグルト・シュライヒャ、クルティウス、 デルブリュック、レーシュキン、ブルーグマン、ソシュール、

ヘルマン・ポール、まあ、この本は、サンスクリットを学ぶ人は、だいたい、今でも使える!

150年前に書かれた本ななのに、

この本で今でもサンスクリットをちゃんと学べるというくらい、すごいんですよこれ!

私はこうした原点に一つずつ当たりまして、

一次資料に基づきまして、学問の歴史を詳しく捉えてゆきたいということで、

まあ、ラテン語、フランス語、ドイツ語、英語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、中国語あたりを読むことができれば、

ヨーロッパの学問の殆どの原典に当たれまして、

そうしたエキサイティングな探求をインターナショナルにメトロポリタンな感じで続けておりますけれども。

まあ、一人一人に言及していったら、大変なことになりましたり、

こちらは印欧語族のお話ですから、

また、別の機会に言語学の歴史というテーマで存分に語りたいという気持ちが湧いてきましたけれども。

次に行ってみますよ。

こうしたそれぞれの言語の文法を学ぶにしても、

専門書で学ぶことによりまして、

極めて論理の堅さや考察の深みを味わいながら身に付けてゆくことができるんですね。

それで次に行ってみますよ。

まあ、ただ、言語を学ぶにしても、おしゃべりをしたいというのではなくて、

言語の構造を深く知りたいというときには、

比較文法の形でその言語だけではなく、

歴史や変遷や構造の共通性と相違性などを見てゆくことがおもしろいんですね。

特に言語の構造や人類の歴史に対する洞察があって面白いという、

書籍を選び出しておきましたけれども。

もうこの数百倍くらいの専門書を楽しんでおりますけれども。選びました!

そして、こちらは漢籍の校勘学、校讎学に関する書籍が並んでおりまして、

そして、こちらは漢語の音韻学や音韻学、漢蔵語族に関する西洋の研究ですけれども、

そして、漢語の音韻学の原典となる資料や、

こちらは漢蔵語族に関する書籍でして、

そして、こちらは音韻学の研究でして、名著ですけれども。

そして、こちらは方言学の研究を書き出しておきました。

まあ、小さな論文などは、ものすごい数がありますけれども、

全体をサーヴェイができるような書籍を選び出して、シェアできたんじゃないかなと思います。

こうした形で文献目録を見まして、こちら。

一番初めの画面に戻ってまいりましたけれども。

「文」がたくさん並んでおりまして、

いや~、本当に懐かしいなと思いますけれども。

われわれの「漢字のユニークさの探究」のシリーズは、こちらから幕を開けましたよね!

初めは文字学を見てまいりまして、

訓詁学はさらりといきましたけれども、

それから、言語はどうして機能するかという、

一般化された問題を見てゆけたんじゃないかなと思いまして、

そして、音韻学では、現代漢語、中古漢語、上古漢語、漢蔵祖語と溯って見て来れましたけれども。

中古漢語から遡る。漢蔵祖語から下るという挟み撃ちをする「サンドウィッチ作戦」で、上古漢語に今回、迫れてくれたんじゃないかなと思いますけれども。

そもそも、最初は漢字のユニークさを探求するというシリーズで始まりましたけれども。

やはり、文字は言語を書いておりまして、

漢語のユニークさの探求になりましたけれども。

今でも文字学や訓詁学でも、

文字と文字を結び付けて、これはこの意味だというパズルのように訓詁されてきましたけれども。

文字は言語を書いておりますから、

その書いていた元の言語を探究して、 漢字が書いている言葉、音節、形態素のレベルより、

更に細かく詳しく分析できると言う、

マイクロスコーピック(微視的)なパラダイムシフト!

つまり、今まで見えてきた大きさよりも、もっと細かく詳しく分かってきたと、

そのために漢語を外から見たいということになりまして、

漢蔵語族の沢山の言語たちに触れてまいりましたことによって、

また、外的にも、内的にも、強固に理解を進めて来られたと思うんですよ。

当シリーズで一貫しておりましたモットーは、 「言語と文字のデュアリティ」でして、

漢語が漢字でどのように書き表されてきたかという、一点にものすごく興味を持ちまして、語って来れたと思います。

特にわたしたちの漢語の言葉、漢字の意味などは、秦漢に大きく決定づけられましたけれども、

それより前の殷周戦国時代の文字たち、もういっぱい並んでますけれども。

それらの使い方を深く見れこれまして、

言語と文字、漢語と漢字のつながりの構造と、その歴史的な変遷が見えてきて、

伝統的な漢語や漢字はこういうものだという固定観念から、自由になりまして迫れてこれたと思うんですよ。

当シリーズで一貫しておりましたスキームは、 アリストテレスの自然学や形而上学のように、ある問題に対して、

過去の研究を振り返りながら、それらの良い所を吸収して、

また、ユークリッドの幾何学や論理学のようにある分野に関して、

過去の知見を積み重ねてありますけれども、

それらの関わりを究明して、体系化をしていったように、

漢語と漢字の関わりを過去の研究を振り返ったり、

色んな事実を関わり合わせて、体系化をさせて、見れて来れたんじゃないかと!

物理学でも、ただこの法則があると理論や実験で確認してゆくのではなくて、

そこに意味を見いだして、そこに洞察をしてゆくことが大事だと、昔から言われてきましたけれども、

言語学でも、ただこの言語と別の言語の音韻や語根が対応するなど、そうした事実を確認するのではなくて、

そこに意味を見いだして、そこに洞察をしてゆくことが大切に感じておりまして、

言語の音韻など細かいレベルに至るまでの類似性と相違性を発見してゆくことによって、

言語同士の関係性が見えてゆき、

ダイナミックなネットワークが立ち上がってきまして、

紀元前の祖先たちが、言語や文字を用いたテクニックやメソドロジーよりも先にある、

どういうフィロソフィ、どういうアイディアでしていたかまで迫れてこれたんじゃないかと!

そして、人類がどう考えてきたか、動いてきたか、暮らしてきたか、生きてきたか、

そうしたことを知りたいということ、またそれに共感をしてゆくこと、

そこから、人生が豊かになりまして開けてくるんじゃないかと思いまして、

そういう思いで漢字のユニークさを探究するシリーズということを続けてまいれましたけれども。

もう、本当にずっと友人が撮影に付き合ってくれまして、

いや~ものすごいモチベーションになってまして良かった!

これも、まあ、今後も付き合わさしてしまうような形で巻き込んで、

巻き込まれてという感じでありますけれども(笑)

本当にそうした面でも、本当に良かったと思いましたよ!この漢字、漢語のユニークさを探究するシリーズ!

そう思えてきて、どんどん今盛り上がっておりますから、

今後とも、人間、文化、言語、探究の歴史を探究してまいりたいと思います。

そうした流れを見ていきまして、考えていきまして、味わってゆくことによって、

私たち人間が、私たち自身に対する理解を更に深めてゆきたいということになりまして、

中華文化からはじけて飛び出してゆきまして、

ユーラシアに行きましたけれども。

言語は人間の発想や思考、社会や文化の基礎の基礎をなしておりまして、最も根源的ですから、

言語学は、人類学、遺伝学、考古学、歴史学、書誌学、文字学、音韻学、訓詁学とありますけれども。

ありとあらゆる分野と横断的に関係してきまして、伝統的な小学と実証的な科学を結合させて、融合させて、

人類の歴史の真実に迫りたいというような、

探究の探究は続いてまいりますから、

どうかご期待くださりましたら幸いです。

今回もご覧くださりましてありがとうございました。

いや~もう本当に漢字のユニークさの探究、

漢語のユニークさの探究を続けてこれて良かったと思います。

今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。

それでは、失礼を致します。

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