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モーツァルト フィガロの結婚 Mozart "Le nozze di Figaro" Recitativo ed Aria, KV 492

モーツァルトのフィガロの結婚 Le nozze di Figaro, KV 492(1786年)についてお話ししました。

モーツァルトの音楽とイタリア語の歌詞を聞いてゆくことにより、
音楽と言葉の関わりがより深く感じられました。

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Porgi Amor qualche ristoro | al mio duolo a' miei sospiri
愛の神さまよ、お与え下さい。幾ばくかの癒しを、私の苦しみに私の溜息に

O mi rendi il mio tesoro | O mi lascia almen morir!
もしくは私の大切な人を私に返して下さい。もしくは私を死なせて下さい。

Giunse alfin il momento che godrò senz'affanno in braccio all'idol mio.
ようやく私の憧れの人の胸の中で悩みなく楽しめる時が来た。

Timide cure, uscite dal mio petto, a turbar non venite il mio diletto!
恥じらいの心よ、私の胸から出よ!私の喜びを乱しに来ないで。

Oh, come par che all'amoroso foco | l'amenità del loco, la terra e il ciel risponda, come la notte i furti miei seconda!
ああ、愛の炎のようだわ。ここの所の快適さ、大地と天空が応じてくれる夜が、私のはかりごとに従ってくれるようだわ。

Deh, vieni, non tardar, oh gioia bella,
おお、来てください、遅れないでください、すてきな喜びよ。

vieni ove amore per goder t'appella,
来てください、愛が楽しみのために、あなたを呼ぶところへ。

finché non splende in ciel notturna face,
夜空の輝きがなくなるまでに

Qui mormora il ruscel, qui scherza l'aura,
ここで小川はつぶやき、ここでそよ風がたわむれている

che col dolce sussurro il cor ristaura,
その優しいささやきで、この心はよみがえる

qui ridono i fioretti e l'erba è fresca,
ここで花たちは笑い、ここで草は鮮やかである

ai piaceri d'amor qui tutto adesca.
愛の喜びへ、ここでは全てが誘いかけてくる

Vieni, ben mio, tra queste piante ascose,
来てください、私の愛する人よ、これら隠れた草の間へ

ti vo' la fronte incoronar di rose.
あなたの額にバラの冠をかぶせてあげましょう

2021年2月15日

皆さま、こんにちは!

今日はまたモーツァルトの声楽曲を取り上げたいと、ここに書いてありますけれども、

フィガロの結婚(Le nozze di Figaro)と、もう一番有名な作品ですけれども、

そのオペラの中から、美しいアリアを二曲持ってきまして、取り上げてみましょうということで始まります。

ところで、もうこれ見ていきなりですが、まあ、オペラは結局音楽の劇、喜劇(COMEDIA PER MUSICA)ですが、もうMが一つしかないと!これは何だとイタリア語を普通を書いてますと、やはりちょっとスペルが変だなと、これMが一つしかない!今だったら二つ書くんですよね。

それで結局このフィガロの結婚の台本を書いたロレンツォ・ダ・ポンテも中々面白い人で、モーツァルトと同じくらいユニーク、個性的、超個性的な人でして、ヨーロッパ中でもめごとを起こしまくって、

最後はアメリカまで行っちゃう、かなり波乱万丈で破天荒でおもしろいんですけれども。

彼がいたヴェネツィアの方言だと、こういうスペルとか、結構見ていると同じイタリア語でも少し、まあ、時代にも違えば、その地域も違うとで、微妙に少しスペリングが違うと、綴りが違うということでね。

まあ、それはありますが、まあこれはフランスのボーマルシェという人が書いた《セビリアの理髪師》から翻訳したものですね(TRATTA DAL DRANCESE)。四幕(IN QUATTRO ATTI)でこれは宮廷の劇場で(NEL TEATRO DE CORTE)1786年に(L'ANNI 1786)

これ(DA RAPPRESENTARSI)は発表とか、上演されたことですね。ウイーンで(IN VIENNA)、本当の当時のリフレットなんです。表紙でこんなものまで見つけて持ってきまして、

それでここにやってみようと、二つのアリアを持ってきまして、伯爵夫人(LA CONTESSA)が歌うものとスザンナ(SUSANNA)のアリアですが、まあ、いつものケッヘルカタログを見てみましょうか。

これですが、ここに492番とケッヘル書いてありまして、フィガロの結婚ということで、今日やってみますのは、どこにありますか!?ええと、もう有名なアリアばかり書いてありますけれども、ああ、ありましたね!

このPorgi, amorと、もう一つ、このGiunse il momentoですね。これです(と草稿の段階の方を指してしまいましたが、正しくは上のGiunse alfin il momentoです。草稿はalfinがないです)。

これを二曲やってみようと、どうしてかと言いまししたら、まあ美しいというのもあるんですけれども、

この次のページにありますが、このビドゥ・サヤン Bidu Sayãoという、オペラ歌手がいまして、

もう結構、古い人ですけれども、なかなかチャーミング(笑)で、私はこうした古いヨーロッパの声楽家の78回転のシェラック(通称SPレコード)などがありますが、LPレコードよりも前で古い第二次世界大戦より前ぐらいに使われてた録音されていた、

ものすごい数のオペラ歌手、声楽家たちの声を集めまくりまして、私は聴いておりましたが、そういった中で、まあ今回はモーツァルトですから、これはLPですが、もう本当に初期でコロンビアがLPを発明しましたと言われますが、なかなか面白いじゃないかということで美しいジャケットですね。

それでこんな方ですが。このビドゥ・サヤン Bidu Sayãoという、この人はブラジルで生まれ、有名なジャン・ド・レシュケJean de Reszkeという、

オペラ歌手がヨーロッパにいまして、その人に習い、その人自身の声はメイプルソン・シリンダーという、

アメリカでメトロポリタン歌劇場で隠し録りされちゃったという、シリンダーでして、もうエジソン式のレコードで沢山残っていまして、その中でも聴くことができますが、

この人はその人に習って、戦中戦後ぐらいの時期に1940から50年代、アメリカで結構活躍しまして有名でして、

それでトスカニーニという有名な指揮者とかなり親しかったりして、あとはブルーノ・ワルターという、もう二人とも超大物ですが、指揮者ともよくメトロポリタンで共演しまして、非常に有名なオペラ歌手で沢山いた中でなかなかラブリーですから聴いてみましょうということでいきましょうね!

それでモーツァルトの自筆譜も残されていまして、これは面白いことに《フィガロの結婚》の前半部分、第一、第二幕はこのベルリンにありまして、

戦中に疎開させた時にポーランドの方にいったものが、行方不明になり、最近クラクフの図書館で見つかり揃ったと、二幕ずつ、別の場所(ベルリンとクラクフ)にありますが、

その中でこれは最初の二幕目の一番最初の今から聴いて行こうとする、Porgi, amorの自筆譜ですけれども、

なかなかこれも楽しいんですけど、見ると、インクの音色が違うから、どこを先に書き入れて、どのように作曲したか分かったり、結構自筆譜は面白いんですが、

まあ、基本的にこの上はバイオリンでこの次がヴィオラと書いてあり、この間にクラリネット、これはホルン、これはファゴット、それでこれはCONTESSAとイタリア語で伯爵夫人、最後にBASSOと書いてありますね。

BASSIかな、複数形で書いてあり、実はモーツァルトはこの上の弦楽器のパートがあり、この間の管楽器は、オブリガートみたいに装飾的な意味で、今は逆に上に書いてあるんですよね。

管楽器は上に書いてある。こうした感じで、ここの弦楽器に管楽器が動き、こうして、モーツァルトが考えて発想して、こちらに填め込んだと分かり、歌が最後に入り、上から来て、こう来ますが、歌が入ってきまして、音楽が進んでくるように書いて、途中で間奏みたいな形で美しい旋律が出てきてして、

そうしてモーツァルトが発想して、先ず、この大事なのが、この歌の旋律ですが、それに対して、オーケストラかどうオーケストレーションするのかも見て取れるんですけれども、

まあ、実際聴いていく上では、基本的にはこの楽譜をベーレンライターの《新モーツァルト全集》で見ましょうと!

この曲もなかなか面白いのは、やっはり、オペラはイタリア語でしょということでね。やはり、イタリア語はこうしたアリアによく合うのが、例えば、一つ目感じられるのは、Porgi, amor(愛の神さまよ、お与え下さい)ありますけれども。

こうした二つの単語があり、ここで同じモーツァルトは短い、これは付点で長い、それで短いPor、gi a、morと(音節を分解)されて(音が)振ってあります。

だから、こういった音の連声と言いますが、まあ、サンスクリットでは連声saṃdhiといい、フランス語でもよく前の単語と後の単語がくっつくこと、結構よくロマンス語ではありますが、

それで結局フランスでも、オペラはありまして、スペイン語でもzarzueraがあり、ドイツ語だとsingspielと、sing、歌って、spiel、踊るということで、まあ、そうした単語がありますけれども、くっつけちゃったと。

それでありますが、やはりイタリア語が合うことは、中々この例えば、duoloと、これは苦しみとか、そういう単語でこれ見ますと、ラテン語は、元々 dolorですが、最初のところoがuoになり、二重母音化しているということでね。

まあ、フランス語だと結局、これはイタリア語のduoloはdolorから来たdolusの奪格のdoloから来て、それが二重母音化した。フランス語の場合はラテン語dolorの対格のdoloremから来て、それでdoloremがdouleurですから、フランス語では、そうですが、前も後も二重母音化していますね。

まあ、英語だとフランス語経由で入ったでしょうけれども、dolourという単語がありますが、最初のところがoで後が二重母音化して、イタリア語では逆でrが最後に残されて、スペイン語は結構古風で、ラテン語のまま同じでdolorと残っていますが、

殆ど皆、ロマンス語だから、そういうことで、この違う話に行きましたが、このduoloも、歌詞の振り方al mio duolo♪となっていますね。duolo♪と母音が沢山あると美しく滑らかに作れ、

やはり、イタリア語は非常に向いてるということで話しすぎましたが、じゃあ、実際に聴いてみます、まあ実際に聴いていく時には、管弦楽法とその歌の旋律の作り方とか、そうした所見てまいりましょうね。

もう、実際に行きましょう!ここから(伯爵の愛が冷めて、夫人がショックを受けて、愛する人が戻らないなら、死んじゃうというアリア Porgi, amor)

オクターブによる音の塊が鳴って、それでテヌートになり、美しい旋律が流れてきますね。これは歌の旋律の冒頭の部分ですが、なかなか、いいですね!

それで管楽器が三度でターンと鳴りまして、オクターブ上がります。分散和音で、ここも管楽器クラリネット。

それでここのトリルもいいですよね。

それで美しいこの三度の甘美な音、それでここは第二ヴァイオリンだけが、ああ、第一ヴァイオリンもそうですが、(半拍ずらしの)面白いリズムを刻んでいます。

ここホルンが鳴ってますね。それでここは美しくクラリネット

それでクラリネットがファゴットに受け渡す、こう受け渡す。ホルン→クラリネット→ファゴット

それで揃いますけれども、

ここから(伯爵夫人が)入ってきて、giaになっていますね。
Porgi Amor
愛の神さまよ、お与え下さい。

中々これもいいね,上のヴァイオリン!おお(イネガル唱法が)いいですね。
qualche ristoro
幾ばくかの癒しを

ここですね。ここ下がってくるんです。順次下降。おお、二重母音!
al mio duolo
私の苦しみに

ここもいいですね。mieiもすごい母音が多いから、溜息sospiriがタランとなってますね。
a' miei sospiri
私の溜息に

(ホルンが鳴ってから)美しいクラリネットは人の声に近いから合いますよね!

Oと高いところから入ってきて、こうした長い滑らかな順次下降をします。
O mi rendi il mio tesoro
もしくは私の大切な人を私に返して下さい。

クラリネットにファゴットがこだまのように鳴っていますね!

Oと高いところから入りますから、(前の対句と同じ旋律を成して、語尾の音程が微妙に異なります。)
O mi lascia almen morir!
もしくは私を死なせて下さい。

しかも、ここから一個ずつ感情の爆発!
O mi lascia almen morir!
もしくは私を死なせて下さい。

うん、ここから少しパラフレーズ化されていまして動いてますね。ヴァイオリンがよく合わせて、
Porgi Amor, qualche ristoro al mio duolo a' miei sospiri
愛の神さまよ、私の苦しみと私の溜息に幾ばくかの癒しをお与え下さい。

高く上がりますね。パーンと上がって、
O mi rendi il mio tesoro
もしくは私の大切な人を私に返して下さい。

それでここですごいlasciaが、やはりモーツァルトは、動詞をよく動かすんです。(管楽器の響きが良いです。)
O mi lascia almen morir!
もしくは私を死なせて下さい。

ここ(morir)が先取りして入ってきますね!(イタリア語rendereは古典ラテン語reddere、 lasciareはlaxareに当たり、morireが標準イタリア語で古典ラテン語と同じです。)

ウォーンと上がり、(mio tesoroに下がります。)
O mi rendi il mio tesoro
もしくは私の大切な人を私に返して下さい。

(私をmiを跳躍下降で際立たせています。)
O mi lascia almen morir!
もしくは私を死なせて下さい。

それで主音に戻ってますから、それで余韻をここのところで(管楽器を中心に与えています。)

こうして、すごく美しいアリアでしたけれども、面白いモーツァルトの後期の管弦楽法の特徴としては、こういった上がっていき、どんどん上がって、ウァーンと上がって、ここで面白いことにこの主音から、結局シの音から、ラ♭の音まで来ているから、ここの所で不安定な短7度(minor 7th)ですよね。

それでもう来てますね。そこから旋律がパパパパーンて前に歌ってきたものを(回想するように)パラフレーズして、パンパンパンと同じ等間隔で置いてましたけどね。

それで不安定な非常に突き上げてくる激情をここの所で受け止めてましたし、

これから感じたのは、 溜息(sospiri)でファゴットがこう下がり、その溜息の音型で、やはり、それを表現しているらしいと、音楽が、管弦楽の方が非常に言葉に対して反応していましたね。単なる音楽を聴くだけではなくて、歌詞と対応させて見てみるとなかなか面白いですね。

それと、このところ(O mi rendi il mio tesoro)は、私の大切な人を返してと書いてあり、とても高いところから入ってくる時は、五度上から入り、主音に戻るような旋律でしたね。

そうした不安定なドミナントから、トニックに行く形で旋律を作るとか、ある場所のところは、私(mio)を(高い音に行き)とても強調していたり、同じ旋律を同じ歌詞の部分に旋律を書くとき、

その強調する部分を何回もモーツァルトは変えて書いたと観察して分かりますね。(al mio duoloの下行、a' miei sospirの溜息の音型、Oの前の跳躍音程の不均一なビドゥ・サヤンの歌い方も印象的でした。) モーツァルトはなかなか細いんですよ(笑)

ですから、こうしたことも見れてこれて、この伯爵夫人だから、そんなに強烈さというか、ドカンと来るより、非常に上品にまとまっていましたけれども、

要するに、旋律自体が上下が激しくなく、非常に滑らかな進行が多く、あるレンジ(音域)の中で動いていますが、一回だけここで爆発!それでminor 7th(短七度)で全体をパッと見ると考えられるということで美しいアリアでしたけれども、

もう、次のこれは全く同じ人、ビドゥ・サヤンが歌う、違う役柄スザンナですから、更に若々しいという感じでありますが、これも美しいですが面白い(アリアでフィガロをからかうように歌われ、スザンナのいたずら心と機知が表現されます)。

ここに書かれているのが、レチタティーヴォ(recitativo)は、英語reciteで同じでして、歌うでも、朗誦と中世ぐらいから、例えば、聖書をミサの時に節をつけて歌うことに関係していて、ラテン語recitareから来ていまして、

結局、一番イタリア語が旋律、発音、母音と子音の関係、どこにアクセントがあるかは、非常に音楽とぴったんこで好例で、次はアリアが来て、先ほどのはカヴァティーナ(cavatina)という、少し(小規模で)アリアとは異なるジャンルでしたが、

今度はレジタティーボとアリアで基本的にレジタティーボは、もうチェンバロとか、それでもしくはオルガンとかで分散和音がトゥルルンと付き、こういった旋律が来ますが、この場合はオーケストラで中々これも珍しいため、そうするとオーケストレーションされると、これもモーツァルトはすごい微妙な感情をよく移していることですから、

実際に聞きながら、見ていこうじゃないかといってみましょう!

(トリルがスザンナの機知を表現していて)美しいですよね!

Giunse alfin il momento che godrò senz'affanno in braccio all'idol mio.
ようやく私の憧れの人の胸の中で悩みなく楽しめる時が来た。

ここ(affanno)で落ちてきた所で(伴奏)を合わせていて(伴奏が)すごい簡潔!

いいですね!第二ヴァイオリンが爽やか。

Timide cureの音がaugumented fifth(増五度)ですごいですよ!それで少し心の揺らぎが表現されています。
Timide cure, uscite dal mio petto, a turbar non venite il mio diletto!
恥じらいの心よ、私の胸から出よ!私の喜びを乱しに来ないで。

それでここで少し調性が揺らぎ、(ハ長調の)平行調かなイ短調に行ってたんです。

(Oh come parの語尾の強調半音低く、)ここなんかもう一段下がって、ちょっと ♭系の変ロ長調ぽくなってますよね。
Oh, come par che all'amoroso foco
ああ、愛の炎のようだわ。

(focoは標準イタリア語fuocoですがlocoと韻を踏み、)
l'amenità del loco, la terra e il ciel risponda,
ここの所の快適さ、大地と天空が応じてくれる

ここで少しずつ上がり、おお!ここでかなり変ロ長調ぽい、ヘ長調と変ロ長調で揺れていましたが、
come la notte i furti miei seconda!
夜が私のはかりごとに従ってくれるようだわ。

(詳しくは、第17小節でイ短調のIII7をヘ長調のV7に置き換え、第21小節でヘ長調を経て、第22小節で変ロ長調のV7、第23小節の四拍目でヘ長調V7となり、第24小節で導音からヘ長調の主和音に解決して完全終止を形成して、)ここで来ますよね。

まあ、へ長調の次にアリアに上手くつないでいましたよね。

ピッチカートで叙情的でありますね。マンドリンみたいです。ここファゴット、オーボエ、フルートへの受け渡し最高です!

やはり、モーツァルト、やはりこうした動詞vieniで跳躍していますね。
Deh, vieni, non tardar, oh gioia bella,
おお、来てください、遅れないでください、すてきな喜びよ。

おお!なかなか(振り方が絶妙で)いい!vieni ove、amoreの語感が良いですよね!
vieni ove amore per goder t'appella,
来てください、愛が楽しみのために、あなたを呼ぶところへ。

oveはラテン語のubiから来ていますけれども文学的(な表現)です。(また、finché nonにおいて、nonの強調があります。)
finché non splende in ciel notturna face,
夜空の輝きがなくなるまでに

ここは分散和音的(な旋律です。)
finché l'aria è ancor bruna e il mondo tace.
空がまだ薄暗く、世の中が静かなまでに

ファゴット、オーボエ、フルートが美しい!

ずっとここはピッチカート!
Qui mormora il ruscel, qui scherza l'aura,
ここで小川はつぶやき、ここでそよ風がたわむれている

(scherzaも)すごい分散和音的に上がっています。(管楽器がscherza l'auraの戯れを表現しています。)

che col dolce sussurro il cor ristaura,
その優しいささやきで、この心はよみがえる

qui ridono i fioretti e l'erba è fresca,
ここで花たちは笑い、ここで草は鮮やかである

付点の節回しがなかなか、新鮮な(fresca)という感じが、管楽器で出ていました!(誘惑adescaが、跳ねるpizzicatoでなく、滑らかなcoll’ arcoです。)
ai piaceri d'amor qui tutto adesca.
愛の喜びへ、ここでは全てが誘いかけてくる

ここ、来てというvieni、来て~という感じがしました(笑)
Vieni, ben mio, tra queste piante ascose,
来てください、私の愛する人よ、これら隠れた草の間へ

いいですね!ここ愛する人よ ben mioとか、あなた~とそうした(呼びかけの)意味でこの導音はチャーミングでしたね!

vieniは間隔が長く、ファゴット、オーボエが受け渡しました。

ここのところ(ti vo' laで順次上行してfronteの付点リズムが印象的です!)
ti vo' la fronte incoronar di rose.
あなたの額にバラの冠をかぶせてあげましょう

incoronarは一個ずつ上がって(強調されて)ますね。

(トニックに行き、更に進み、)一番高いところまで上がり、di roseから段階的に下がって、

おお!ここで(ドミナントが来て)未解決なまま...

もう一回、この音(トニック)から始めました。一度上げて、更に間隔が短くなりました。
incoronar di rose
バラの冠をかぶせてあげましょう

ここの管楽器が良かったですね!(そしてもう一度オクターブ下から上行をしました。)
incoronar di rose
バラの冠をかぶせてあげましょう

ここは情感がたっぷりでして、

ここ!入り方が低音がいいですね!なかなかいい!安定感、安心感がありました!それで最後のrose薔薇の芳香が漂う感じで管楽器が装飾していたということでして、

なかなかモーツァルトのこの管弦学法は、本当にエレガントで非常にグレイスフルですが、細かいその歌詞に対して、その味付けというか、その背景バックグラウンドの情景をある時は、それを予感させたり、その歌の旋律の意味、もしくはその情感など、歌っているスザンナの心情を上手く音で補助していて、

そもそもそれ自体がもう表現になっていまして、本当にモーツァルトはすごく細いんじゃないか、ヒューマンなオーケストラ(笑)ですから、それがやはり、モーツァルトの音楽の魅力ではないかということを感じたと思うんですよね。

だから、こうした意味で作品を見たとき、やはり、音楽と歌っている内容を理解しながらすごく味わいが高まるではと、そもそもそのために音楽を書いているわけですから、私はもうラテン語をしましたから、もう何をみても語源の解析みたいになってしまいますけれども、

結構(言語の構造が)似てるんですけど、結構単語の使い方、例えば、faceとありましたよね。えっと、どこにありますか、Die vieniの中にありましたね。

ああ、これ!これは、今はでこれはイタリア語だとfaと思いますが、ラテン語のfacere「作る」という意味から来て、factoryやmanufactureとか、英語の単語と語源が一緒ですから、

それで大体この(ヴェネツィア方言)goder、(標準イタリア語)godere、今は「e」が付きますが、ラテン語のgaudare「喜ぶ」から来ていまして、逆にgaudareのauがoに二重母音が一個の母音になり、逆の方のパターンがありますね。

それで例えば、それぞれきちんと詩の韻律が合うよう、韻を踏むよう、ancorはancoraだから、aが終わりに付くはずですが、これは「また」とか、「まだ」という意味ですよね。(またヴェネツィア方言incoronarは標準イタリア語incoronareです。)

そのように見ると、先にvieni oveのところも導音があり、チャーミングですけれどもね。来るvieniでしょ!

それに対して、この場所とか、ラテン語のubiだからoveはそこからきていますから、場所(を示すマーカー)ですけれども、

そことか、中々歌詞も沢山おもしろいところ沢山ありまして、

それらを今回もアリア、美しい声を聞きながら、

もう、今回は音楽というより、イタリア語のレッスンみたいになりましたが、でも、言葉がとても大切で音楽はそれを本当に表現したり、その背景を際立たせて、モーツァルトは非常に繊細にったことが分かったと思うんですよね。

今回はもうイタリア語でラヴレターを書けちゃうくらいの勢いで分析をしましたが、古風で文学的なイタリア語でして、まあ、ヴァネツィア方言ぽかったから、あまりおすすめはできませんけれども(笑)まあペトラルカのソネットまでは古さが行きませんけれども(笑)

まあ、今こうしたシリーズをしていまして、字幕をすごく大事にして付けてまして、(原語のイタリア語の味わいを残して翻訳しておりました。)

ですから、音楽と一緒に字幕が出ますから、そちらも一緒に楽しんで頂ければと思います。

今回はモーツァルトの後期の管弦楽法、もうフィガロの結婚は1786年!

(1791年に)亡くなるまであと5年ですから、もう最後のところの最高の作品の一部ですから、

もう、どんどん音の数が減っていき、間合いが絶妙になり、もう楽器の特性がよく生かされていたと分かりました。

今後ともモーツァルトのシリーズ続いていきますので、何卒よろしくお願い致します。

(ありがとうございました。Grazie mille ! Arrivederla!)

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