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王羲之について漢字の世界を殷周の時代まで探索しまして様々な出会いがありました。Wáng Xīzhī, Chinese Calligraphy

王羲之シリーズが始まりました! 伝世法帖についておしゃべりしてまいります!

その前に王羲之のそれぞれの字源に興味が行きまして、特に「羲」はどのような成り立ちであるか、字形と字音から迫りたいと考えてみました。

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2021年2月16日

皆さま、こんにちは!今回は王羲之、第二作ということでして、

もう王羲之という字の字源は何だと探究していきたいですが、

そこで一つ、前回は、細い字がどう字形の構造を保ちながら、草書に変化して、草書へと簡略化されるか見ていきましたが、

それですごい、本当にもう字形がこれだけ、縦の長さも違いまして、本当に王羲之はもう「王」や「之」の特にこうしたシンプルな字の位置関係とか、長さ、長短の関係とか、角度とか、こう来ている横の線は、本当に「王」は同じ角度に近いですが、こんな形で変わっていったりなど、

また、連綿と言いますが、繋がり方も工夫がものすごいされていて、多彩な変化が見られたと思うんですよね。

それでしかも次の所では、もうこうした頓首とか、尺牘と言いましたが、お手紙の最後のところに書く、

その相手に対して敬意を今の言葉で言えば、「敬具」のような、頭を首を地面に擦りつける挨拶ですが、「頓首」とか、「白す」と、これも相手に対して申し上げるとか、あと「上」という字を書きますね。

申し上げるの「上げる」という字ですが、また、「王羲之は報ずる」とこう(尺牘を書き)始めたり、「王羲之が言す」と、「言う」という字を書いたりとか、

また「再拝」という字を書いたり、「拝する」も、相手に対しての敬意がありますね。

また、「敬問」で相手に対して、敬意を以て、ご機嫌いかがですかとか、そういう言葉で問うことですね。

そうした署名などを見たりしましたけれども、

今回もなかなか盛り上がるんじゃないかということですよね。

これを見ても、本当に面白いのが、もうこの書の表現も大胆でしたね。この間何かも本当に前衛的と言いますか、更に後の唐の賀知章という人が書いた《孝経》や懐素という人が書いた「苦筍帖」など有名な本当に二行しかいですが、

もう中々草書の名品がありますけれども、それに負けずと劣らず、まあ、本物の書蹟はなく、これらは法帖から採ってきましたが、中々これも魅力的でして、面白いじゃないかと、

また、本当に空間の使い方が上手でしたね。本当に字の間の空け方も魅力的でありまして、あとはこのぐっぐっぐっぐと、非常にこの直線的な部分と丸みを帯びた部分と、本当にバランス関係!これなど、王羲之は本当にもう何て言いますか、

シンプルですが、絶妙なんです!本当にだから、パッと見た感じでは、地味だという人もいますが、よくよく見るとすごいんですよ!これもうむしろドカーンと表現がバーンとやってる物には、こういった絶妙の変化は、やはり、これはやはり万人が「これはすごい!」というこを感じるわけでして、

もう本当に物事の中核、本質をいっていると、だから、後の人にも、ものすごく多くの人に影響を与えているわけですよね。

あまり個性が強すぎると、本当にな逆に好き嫌い激しくて、好きな人は好きだが、嫌いな人は嫌いだと、そのようにパカーンと水と油みたいに分かれますが、

しかし、王羲之は中庸に行きまして、しかし、彼自身の結構ユニークな人でして、中々本当に魅力があると思います。

ということで、前置きが長くなってしまいましたが、今回こんなものを用意しまして見ていこうと思うんですよ。

これは王羲之が書いたものでなく、先ず断っておきますが、

何故なら、これらは甲骨文と殷の時代の金文とか、まあこの辺りは、王羲之から、もう1300年、1500年、そんな前ですよね。

それで大篆と書いてあるのは、
戦国時代の秦(国)の文字でした。

それでこれをどんどん整えて、小篆に行くんですよね。まあ、本当に書の歴史、書体の変遷みたいになりましたが、

それで隷書で、まあ基本的には、もう少し後の時代の碑から取りまして、何故なら、「羲」という字はなかなか珍しいから、漢の時代の隷書、八分体とと言いますが、碑文には残されていませんでして、

基本的にはm漢の時代に発達してよく使われた書体で、最初にこれが唐の虞世南と書いてありますが、もう素晴らしい《孔子廟堂碑》には、「王」「羲」「之」ともありましたから、

それらを集めてきたんですよね。集字と言いますが、王羲之を構成しましたけれども、

こうした形で見てみますと面白いことが分かりまして、「王」という字があり、元々Ars Sinicaのチャンネルでも取り上げましたが、

鉞(まさかり)、斧のような形からきてましたよね。それで「之」は足の形ですね。足の指があって、踵ですよね。足のところ、甲があって、足のところ、と足の形をしています。

それで元は「之」という字はこれは「いく」「ゆく」と読みますから、これ音(*tjɯ)が似ていて仮借され、指示代名詞に使われるようになり、「これ」となりましたが、元々は「ゆく」という文字で音が近いから使われましたと説明がつきます。

しかも一つ、ここですが、この足の下に一本棒があるのは、字が小篆までちゃんと構造を引き継いで隷書も結構この略される点々がこうなりますが、

うーんそれで一本最後の下の一本がこう書かれていますが、それで楷書にも引き継がれ、一本棒は元は地面を意味していて、向こうに行くという形で地面から出ていく、地面の一本がこれもそのようにきちんと受け継がれている構造は、

それでこの部分にきちんと受け継がれて構造が、それでここになり、それでこれが点点になり、真ん中に一本あり、それでこっちに来て、こうなりますね。

隷書ともう隷書からは、殆どこの字は、もうみんな読めますよね。ここ(小篆)からは厳しいんですよね。この前は本当に大きいこの間は、時代的にはそんなにないですが、

でも、大量に文字が使われて、秦から漢の時代に、急速に筆で書きやすいようにされたと、前に申し上げましたが、その中でどんどん個性とかが表現できるようになってきました。

この前の時代は、字の構造が重要でやはりその線も非常にシンプルですよ。まあ、そんな中ですごく変化がありますが、どちらかと言えば、象形性が強いから、その元々どういうものを象っていたのかと、別の意味で面白さがあり、ずっと取り上げてまいりました。沢山Ars Sinicaのチャンネルでもうこの前からの時代、小篆、大篆、金文、甲骨と沢山出てきました!本当にもう楽しかったですが、

また、別にここからの時代は、書の書いた肉筆の、人間が書いたという意味で、また別の面白さがあるわけですよ。

もちろん漢字の歴史はずっと連続性はありますが、それだけでも、「王」という字も、こういう形でどんどんどんどん、まあ、それはあんまり大きくは変わっていないですね。本当はこれは鉞(まさかり)、斧の刃でして、これ刃が見えますね。

しかし、「玉」という字と近づいてしまい、小篆においては、もう本当に線にもうなってしまいまして、鉞の下の刃がもう一本の棒になりましたから「玉」ともう本当に見分けかなくなり、この真ん中に来ているのが「玉」ですね。上側にあるのが鉞「王」ですね。

だから、そういった形で驚いたことにここは王羲之より、もう本当にずっと1500年前から、漢字の構造はきちんと受け継がれていると見てこれたと思うんですよ。

そうすると、今度はこの字源を見ていった時に、字源を知りたいとき、結局もうこの前の小篆により前の時代の金文や甲骨文を基礎として、字源を見ていこうと思いまして、

それで次へ行ってみましょう。こうした形になっていますが、これを見ますと、例えば今一番、右の「羲」という字で使われたものが、ここにありますよね。それで「羲」も、本当に甲骨文と金文で使われる用例が少なく、これは少し微妙でして、

まあ、後でちょっと話していきたいですが、本当にこれぐらいしかないですから、これだけで考えていかなければなりません。でも、分かることは、私はずっと、この間は「羊」に「我」に「兮」という部品と言いましたね。

「兮」という部品、「羊」、「我」、「兮」から成り立っていると申し上げましたけれども、何でそうなのかと見ていきたいと思うんですよね。

ここで「羲」という字がありますが、この構造を見ますと、ここのところは、やはり「我」ですよ。「我」という字はやりましたよね。

KF-Ars Sinicaのチャンネルで鋸「錡」の刃が付いた形だと!

それでそれは「戈」という、矛ですね。これは武器で一本刃がついていまして、実は甲骨文はこちらで線的ですが、もっと下に行くとこちらは、ピクトグラム(絵文字)みたいですから、この部品も見てまいりましたけれども。

これ本当に刃物が付いていて、これ(戈乎の合字)は結局これ(戈)に当たりますが、

そうして、「我」とは少し違うという「義」を一応、参考まで置いておきましたが、

「我」という字は結局の鋸「錡」を意味していた!「羊」だったと、基本的に「羲」「義」という字、両方とも日本語の発音は一緒ですが、横にみんなこれ上古音を書いておきましたが、

基本的にこの「羲」という字は犧牲の「犧」という字になっていくわけですし、上古音*hŋral, *ŋ̊(r)ajも全く同じですね。

ですから、これに「羊」を鋸「錡」*ɡral, ɡralʔ, ŋɡralʔ, *C.ɢ(r)aj, m.ɢ(r)ajʔで切るような形で構成されていますね。犧牲ですよね。私かも儀式の「儀」もそうした生け贄を捧げるような儀式を象っていると、

しかも、この「宜」という字は、これもこの字も音が一緒ですよね。

「宜」「儀」*ŋral, *ŋ(r)ajで王羲之の「羲」は*h-のpreinitialが付いて、「羲」「犧」*hŋral, *ŋ̊(r)ajと読みますね。

それで「義」という字は「義」*ŋrals, *ŋ(r)aj-sで最後の*-sがこの接尾辞で(名詞化として)ついてますけれども、

基本的に「宜」「儀」*ŋral, *ŋ(r)aj対して、「羲」「犧」*hŋral, *ŋ̊(r)ajという音ですが、

「宜」「儀」*ŋral, *ŋ(r)ajに対して、*h- が最初についているか、後に*-s が付くのかでして、

同じこれを核(語根radix)としていますね。これでしかも「宜」はこの肉月、肉がその祭壇に捧げられている形ですから、儀式だと先祖を祭るようなお供え物からきて、「儀」*ŋral, *ŋ(r)ajという字もそうですよね。

それで考えてみますと、この王羲之の「羲」「犧」*hŋral, *ŋ̊(r)ajと、普通の「義」*ŋrals, *ŋ(r)aj-sにも、「羊」があり、結局そういった構成になっていますが、

問題があって、「義」*ŋrals, *ŋ(r)aj-sと「羲」*hŋral, *ŋ̊(r)ajとで大きく違うのが、この下にこの部品「兮」が付いてるんですね。

これは何だと!?それがなければ、本当に同じ構造です。

ところがここにこの部品が付いて、、これは何だと!先ほど兮と言いましたこの部品をよく見ると、この部品の形ですよね。この部品の形。これらをちょっと見ていくとですね。

どこにじゃあ該当するのか、それに近いもの、皆、実はこれは「乎」*ɢaː, *ɢˤaと言いますが、それで「兮」*ɢeː, *ɡˤeでしたね。これもよく《詩経》とか《楚辞》で語気助詞として、最後の語尾で出てくるんですよ。

まあ、今の中国語でも、語気助詞が沢山ありますけど、「啊」「啦」などと一緒で語調とか、最後のところの気持ちを整えまして(上古では文字を連続して書いたため、句読点のように句の切れ目を示し)、

それで「丂」*kʰluːʔ, *C.qʰˤuʔと読みますが、「考」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔや「巧」*kʰruːʔ, *[kʰ]ˤruʔなどの字に(声符として)入っている部品ですね。

まあ、その中で見ると、この「丂」は、杖みたいな形に持っていたり、杖みたいな「丂」*kʰluːʔ, *C.qʰˤuʔという字でして、

それと「丏」*meːnʔ, *[mˤen]ʔと読みますが、あまりこの字は使わないですが、「沔水」とか、サンズイを付けて(川の名前で)ありますが、これに近いですよね。この字「羲」*hŋral, *ŋ̊(r)ajのこの部品は非常に近いです。

それで見ていくと、結局この同じ「丏」*meːnʔ, *[mˤen]ʔとが冠の下に入れられ、ウ冠は家の形「宀」で見るとここに入っていますね。それでしかも問題があるのは、

この「丏」*meːnʔ, *[mˤen]ʔという文字に一本ここに棒があるのが、この十二支の最後の亥*ɡɯːʔ, *[ɡ]ˤəʔ、木偏を付けると原子核の「核」*ɡuːd, *[ɡ]ˤ<r>əkなど、言偏を付けると該案の「該」*kɯː, *[k]ˤəという字ですが、

この猪(亥)の形みたいですね。そうして刻されていますが、大体こちらを見ると、甲骨文でも読まれます「万」*mɯːɡ, *[mˤuk]に似ててますよね。数字の「萬」の略体に。

しかし、これを見ると猪(亥)みたいな形で、これもそうですが、少しこれは本当に刻し間違えたか、異体字かはありますが、殆どはこの形ですよね。

これ(金文)を見ると、人が座るような形で「賓」*mpin, *pi[n]は女編を付けると宮廷にいる女性とか、「嬪」*bin, *[bin]という、別嬪さんの「嬪」でして、花嫁などの意味で女偏がついて、人が座る形でして、

人が座っている形は、命令の「令」で「命」も「口」を添えたものですが、まあ「令」の下の部分「卩」と一緒で人が座ってる形をしています。

それでこれは女性が座り、この部品「丏」*meːnʔ, *[mˤen]ʔが付いて、それで脚まで付いていたり、宝貝「貝」*paːds, *pˤa[t]-sが付いているのが受け継がれて、後の時代に「賓」*mpin, *pi[n]になり、主賓とか、お客さんという意味もありますね。

賓客などそういう意味が、まあ、だから(脚が付いていて)来るから、そうかもしれませんが、

この部品で考えると、これは人が座っているんじゃないかと、人の形とも捉えられ、基本的には楷書の中で見るとですね。

この字になりましたが、この「丏」*meːnʔ, *[mˤen]ʔというより、私はずっと「兮」*ɢeː, *ɡˤeと言ってきましたが、

「兮」*ɢeː, *ɡˤeという字は、これ見ると呼「乎」*ɢaː, *ɢˤaという字と似て、本当に何て言いますか、ここで見たときに字型だけではなく、 補助的に考えられるのは音ですよね。

その上古音、漢語の古い音をみると、この「呼」は今これはコと読みますけれど、「乎」*ɢaː, *ɢˤaと書いてあり、「于」*ɢʷa, *ɢʷ(r)a, ɦʷaで「於」*qa, *[ʔ]aとよく金文でよく使われた音でして、「竽」*ɢʷa, *[ɢ]ʷ(r)aは竹で作られた楽器で書いてありますね。「呼」は*qʰaː, *qʰˤaで「於」*qa, *[ʔ]aという音で似ているから、「于」が「於」と使われてましたが、金文では、

そう見てみますと、これは「竽」*ɢʷa, *[ɢ]ʷ(r)aから音を出して、音波が出てるような形で吹き入れて下が曲がるのは、この下の所から吹いて、フォーンと音が出ていたと思われ、

それで「呼」も口偏を付ければ、語気助詞として、その空気がパーンと出るような漢字だから、最後に何とかなんだと語気助詞として語尾に使われるようになったとおも考えられますしね。

そうすると、「兮」*ɢeː, *ɡˤeという音で似てまして、

それで先ほど「考」*kʰluːʔ, *k-r̥ˤuʔ(や「巧」*kʰruːʔ, *[kʰ]ˤruʔ)で杖「丂」*kʰluːʔ, *C.qʰˤuʔと言いましたが、音がちょっと違うんですよね。また「平」*beŋ, *breŋ, m-breŋという字も(形は)似ていますが、(音が異なり、)「方」*paŋ, *C-paŋ, paŋでしたり、それで「丏」*meːnʔ, *[mˤen]ʔと言うんですよね。

と再構されますが、そう見たときmそれでちなみに漢字が、やはりその音が当時に似ていたから、別のものに使われてしまうとか、「於」もそうでしたけれども、「我」も鋸「錡」なのに私になるかといえば、やはり音が似てるから使われて、

もともと「我」*ŋaːlʔ, *ŋˤajʔという字(言葉)は、漢蔵祖語*ŋa-y から来ていて、「汝」*njaʔ, *naʔと上古漢語で似て、ここが「j」ですごくに対応しています!あなた「汝」*njaʔ, *naʔ < *na-ŋとわたし「我」*ŋaːlʔ, *ŋˤajʔ < *ŋa-y は非常に対になり、

どんどん、これはチベット語nga, ང / rang, རངでも、ビルマ語 nga, ငါ / nang, နင်でも似ているわけですよ!西夏語でも、もう古い形を継ぎ、g か jだけが違う、*ngaかnjaですね(漢蔵祖語から見て、子音が入れ替わる音位転換metathesisをしています)。

こうして、「汝」にしても、「我」にしても、別の言語と漢蔵語族から見ても、(古い時代の)上から下にきた時に漢字が出来たときに似ている音の文字を当て、やはり、先ほどの「之」もそうでしたが、

やはり、そうした指示代名詞などは、人称代名詞なども難しいと象形するのが難しいため、(仮借して)使われていました。

それともう一つ私は「羲」を分析していく中で感じたのは、先ほどの方向から、「丏」*meːnʔ, *[mˤen]ʔが似ているんじゃないかから行きましたが、これで思ったのが、この点にこの二つの点は、まあ一応ここには、金文では点は装飾として加えられたと、しかもこれ西周中期ですが、

はっきりここに点が二個あり、中々それで説明が付かない点は何だと思ったりしておりました。

それで見ていますが、そう考えた時に私は今までこれは「羊」と考えられてきたんですけれども、よく甲骨文には、「羊」だけではなく、中国の西の方に「羌」という民族がいまして、

その「羌」を戦争で捕らえてきたりして、殷より西側にいた異民族の「羌」の捕虜を犠牲にして、先祖に捧げる祭祀をしたという記録が(甲骨文で)あるんですよ。

だから、足の所「儿」を見ると、「羌」に似ていると思って、そうしたら、この点は何だと言えば、結構、強烈ですが、鋸「我」で切って、血が出ているとグロテスクですが、「羌」と関係あるんじゃないかなと、私はちょっと思ったんですね。

字形を見ていると、この部分は「丏」という形とは違うと!

でも、元々「丏」という字にも、人という意味があったと言いましたが、先ほど見たこの類推から、これとこれはやはり、甲骨文はかなり省略が激しいですから、金文で見るとこういう形で人が座っていまして、そこに鋸が入ってきて、「羌」であろうが、「姜」であろうが、犠牲に人を捧げるような形でして、

それでちなみに「姜」が、女性の方の足の部分で下に「女」とを書くと「羌」と「姜」は同じ読みをしますが、

「姜」*klaŋ, *C.qaŋは「羌」*kʰlaŋ, *C.qʰaŋの女性ですが、そ生みますと、この言葉は、漢蔵語族の*s-klawŋから来ていて、チベット語のསྐྱོང, skyongは牧畜するなどの意味でして、しかも、「羊」*laŋ, *ɢaŋ、これ入ってますね。(有気・無気のpreinitial)kʰ, kが前にありますが、「羊」が入っていまして、

ですから、「羊」という言葉は、漢蔵語のもっと先祖の漢蔵祖語 *g-ya(k/ŋ)で起こった言葉でチベット語 གཡག, g.yagですが、

結局そういう意味で漢字の構造と音の関係、それでもう一個、会意形声文字(会意兼形声、亦声)と言いますが、会意文字、要するに「羊」を飼っていた遊牧民族だから、「羊」に「女」と「羊」に人の足「儿」を付け、もう一つは音も一緒ですから、

基本に音とその意味はセットですから、言語ではある音にはある意味があるわけですから、セット。

それに漢字が合わせたとき、漢字を使い始めたとき、この民族は羊を放牧してたから、放牧という言葉も含み、

だから、この字を当てたことも考えられ、言ってみれば、「羊」と「羌」と「羲」という字は、非常に似ているという方面から考えると「羲」は(羌)人の犠牲、「義」は「羊」かもしくは「羌」かもしれないと、「羲」「義」の字はもともと「羊」と考えられていたけれども、

「羊」自体はこう羊の頭のところの角で角の形と頭と顔の部分を象徴的に表していますが、

そうして、「義」*ŋrals, *ŋ(r)aj-sも読みますが、もう一つは「善/譱」*ɡjenʔ, *[ɡ]e[n]ʔも「羊」を持ちますが、そうした意味で元はそれらの漢字や概念は似ていたと、私は今の所、そうした新しい知見からも、音の方から言っても、字形の方から言っても説得力あるということでお話してみました。

そうして「羲」の字源をこれだけの甲骨金文、特に私は西周、まあ、下ったとしても晩期ぐらい、西周初期や殷商の時代の古い字型で見てこれて、かつ上古漢語は全て鄭張尚芳が再構した音(附記でBaxter-Sagartが再構していない音は諧声系列や中古漢語から類推して*[]の中に書き入れておきました)。

鄭張尚芳擬音で見てきました!漢蔵語は漢蔵語族(シナ=チベット語族Sino-Tibetan)の研究の方からも見れてこれまして、

そうして王羲之という「羲」という字は、こうした字源と結びつくじゃないかと、

この辺りの小篆や大篆、やはり、古い時代のものを見ると、少し斧みたいな形でかなり変わっていまして、まあ、でも、もう一つ言えるのは、この字は、本当に金文やこの中では、族徽という形で青銅器を使っていた集団の家紋のようなイメージとして使われていて、文章の中で使われないから、

果たして、これが王羲之の「羲」という意味(文字)として使われたか確証は難しいとも、一言申し上げ上げておきたいと思いますが、

基本的にこの字の部品は、上の部分は変わってない、やはり羊とちゃんと分かるけれども、

ここも「我」という部品を持ち、ここもきちんと持っていて、ここでも持ってますね。ちゃんと「我」、

それで最後のこの部品の部分については、結構ちょっと訛って微妙な部分はあるんですけども、

色んな方面から見てこれたと思うんですよ。

こうして、文字を見たときには部品に分けて考える。

それぞれ部品には音と意味があり、それらをくっつけ合わせて、

また新しい概念を表現してきたことが、漢字だと見て取れたと思います。

こうして、王羲之のサインから、話がどんどん膨らみましたけど、

そんな形でこれからは、私の頭の中で、もう王羲之の本当に書いた尺牘がものすごい数伝わってますから、

できる限りそのオリジナルに近かったんじゃないかと、

敷き写しされた、双鈎塡墨という形で籠文字を取って、その中に墨を埋めたという、

元の書かれたものをトレーシングペーパーみたいに写し取られたもの、

それは本当に今伝わっているものは少ない。やはり、なかなか、手間がかかるからですが、

法帖という形ではかなりの数伝わってるんですけど。

ですから、できる限りオリジナルなコピーに近い形の書蹟で王羲之の見ていこうという、

これからシリーズ化してみたいと思います。

それに中々やはり法帖も無視できなくて、

そうした、もう失われてしまった美しい素晴らしいもの(オリジナルや双鈎塡墨)が、はっきり言ってしまえば、

もうこれは皆、殆ど法帖から採ってきたものでして、

本当に一部の若干の皆、双鈎塡墨から採ってきたものですが、

でも、殆どは法帖として残ってますから、

その中で本当に印象深いものも紹介して、

まあ、最終的には王羲之のものとして伝わるもので、偽物は省いて、本物と思われるものは、全部、取り上げたいという、

そういう夢は広がっていきますが、

今後とも、王羲之のシリーズをどうか宜しくお願い致します。

今回もありがとうございました。

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