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モーツァルト ドイツ語歌曲 リート「孤独に寄せて」Mozart Einsamkeit „Sei du mein Trost”, KV 391

モーツァルトのドイツ語歌曲 リート「孤独に寄せて」Mozart Einsamkeit „Sei du mein Trost”, KV 391(1782年)についてお話ししました。

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2021年2月22日

皆さま、こんにちは!

最近沢山モーツァルトが出ておりますけれども、もう本当にもうどんどんどんどん、すごい作品、それをたくさんたくさん、やってまいっておりますけれども。

思ったんですよね。最初KF-Schola、これやろうって言った時にですね。まあ日々に感じたこと、

例えばモーツァルトの音楽を聴いて、ここいいね。あそこもいいねというのをやろうと思ったんですけどね。

結局せっかく皆さまに見て頂いているということですから、内容がないものを出したら、それは皆さんに失礼なんじゃないかと、折角時間を使って見て頂いているし、期待をしていただいてると思うんですけどね。

だからどんどん自分の中でもうやろうと思った曲なんですけど、またモーツァルトは結構長く楽譜を見たり聴いたりしてまいりましたけれども、それでももう一回真剣にそれをみて、やっぱりもう一度スコアだなんかも見たりして、まあ結局すごく時間がかかったりして、もうやっぱりどうお伝えすればいいかなと考えていたりすると、結構大変なんですけどね。

なんという話もしてしまいましたけどね。

最近それと字幕もすごくつけてまして、すごい字幕を大事にしておりましてね。本当にもうこういうことも言いたかったな、ああいう事も言いたかったな、ここはこういう言い方をすればもっと良かったなとか、常に考えましてね。

あとでそれをまた追記という形で出来る訳ですから、動画と一緒にねもう字幕も一つの大事な情報だと思っていまして、一生懸命やってましたね。それで友人と、この和声進行はどうなっているんだとか、議論してるんですよ。

それでその結果をまた字幕に反映させたりとかもしておりましたりしますのでね。また前見ていただいた動画も、また観ていただくとですね。ちょっと変わっていいかも知れません字幕なんかも(笑)ということで、本当にもうただ作ったら、もう終わりという感じではなくてね。

やっぱりすごいその作品なんかを見ても一生懸命見て、どうなってるのかなぁっていうのを、また考える機会があるのかなと思って私もやってますからね。

どうか皆さま見捨てないで下さいと(笑)ということで、まぁ半分冗談ですけど。という形で今日はね思ったんですよね。

モーツァルトの作品でも素晴らしいというのは、みんなはもうこれは傑作だなという作品とあんまり日の目の当たらない作品があって、だけども、私の中のモーツァルトに考えとしてはですね。

意外とちっちゃいもうあんまりのかの人は注目したい作品の中にはねすごいことがあったりするんですよ以外にね。

その素顔というか、真実の姿というか、何ていうこともないような感じのところにもあるということでね。この作品を今回見てまいりたいと思うんですよね。

ケッヘル番号で言うと391、第1版では、それで340 b になってまして、これちょっと自筆譜があるにも変わらず。1780年にザルツブルクにまだいった時に書いたものじゃないかっていう説とウィーンに出てから書いたんじゃないかとか。この時期にモーツァルトは大きな、言ってみれば、生まれ故郷を飛び出して、ウイーンに行きましたけれども。その本当には微妙なところでこの曲書かれてましてね。

これ自体はモーツァルト自身が自発的に作曲したのかどうかっていうよりも、やっぱり何か小説にある詩に(音楽を)付けてほしいということで依頼されて書いた可能性もあるという作品ですね。

そういうこともあって、その詩自体が、この孤独(Einsamkeit)について(笑)、と書いてありますけどね。すごいでロマン的というか、ドイツですごい表現が強烈ですよ(笑)

それでねすごい表現が過激です(笑)

ということで、まああんまりこの詩自体も多感様式(Empfindsamer Stil)といって、当時結構流行ったらしいんですけれども、そういった形でありますから、もうすごい傑作という後期のモーツァルトのリートと比べて、あんまりこれ演奏される機会もなかったりするんですよね。

だけどすごいこの作品が音楽的に見ると面白いところがあってですね。まあ自筆譜があって、これすごく見にくいということで、まあ楽譜とケッヘルのカタログの方で見て参りたいと思うんですよね。

それでケッヘルのカタログではこう書いてありますよね。このgカウ府ははもうこれしかないんですけどね。本当に短い!自筆譜でもそうでしたが。

そうするといきなりこの作品は基本的に♭が2つ個付いてるって言うことは、変ロ長調と短調とすればト短調ですよ。それで最初のところの始まりは、これはいきなり強烈ですよ!これすごい!

ドーンと減七が鳴っているんですよ。この下のところ!これは鍵盤楽器(Klavier)でチェンバロかフォルテピアノか、当時はまあこの響きはピアノだと思うんですけどでも。クラヴィコードは卓上でちっちゃいですから、それで歌って楽しめるということもあったんでしょうけれども。だからそんなに複雑なこの下も動きはないんですよ。

要するに伴奏の部分でこの歌う方もそんなにこれ難しくないんです。職業的な歌手な歌手でなければ、歌えない内容じゃない。だからあんまりこれを好んで芸術性が高いと音楽性が高いってことで録音はされていないですけど。

面白いことがあって、そのいきなり減七が鳴るわけです!ターンと来るわけなんですよね。それで次はこれ、これは数えますとどうなってますか。これは長六度になってますね。それで一段上がってますよね。それで更にその音程が次に開く、そうするとこれminor 7th(短七度)になってるから、これすごい音程で響きは強烈です。結構だから詩の内容が強烈だから、モーツァルトはそうしたんでしょうけどね。

そしたらここでこれはminor 3rd(短三度)かな。そうですね。それでこの元の調も変ロ長調の主音がドーンと来ているんですけれども、最初のところは分かんない長調か短調かも分かんないですよ。

だってこれソからきてるし、そうするとト短調ぽいだけどやっぱり変ロ長調なんですよね 。それでこの上のブロックノコードもこれに合わせて書いてますけどね。それでやっぱりこの音程を聴かせたいんだと分かる。それで次のところに流れて三度がこうやってね連続してますよね。

上でここで結局ドミナントにいってますから、それで和音を一旦きて、それで更にトニックですけれど、主音に落ちていますね。これ低い所でこれオクターブ下がってますねという感じでなるんですけどね。すごいねこの三度の動きこの並行的に動くところ、これなんかも意外とモーツァルトはこの後

これがウィーンの最初の頃かザルツブルクの最後の頃かどちらにしても一、二年の話でその後のウィーンでは結構こういうピアノ曲の中でも、ピアノの曲の中でも、よくこういった動きはされてるんですけどね。

これすごく一段ずつ上がってて、それは旋律に合わせて、もしくはこれに合わせて旋律を書いたんでしょうけどね。それでそう考えてみますと、例えばこの音でヒュー ッと、つまり最初の強烈な音からは少しおおと要するに甘い音が鳴って、それで、またちょっと強烈、うんって音になって、これに行くわけですね。

まあある程度綺麗な和音に行くわけでね。今は象徴的にこちらもまたこの右手の方には出てきて、それが上に乗降するような形でいってるんですよね。

それでここからも、これをずっと引き継いでいて、ここのところですごいびっくりしちゃうのが、まあこれオクターブ8度ですね。今度ここは五度が鳴ってるんですよ。しかも五度、空虚五度と言って、間の三度の音が抜けてるんですよね。結構これは何と言いますか、やっぱり孤独感というか、その歌詞に関係して退廃的な感じの音が鳴ってるんですよね。

そういう表現も、これなんかシューベルトとか、シューマンに似た雰囲気、空気感があるんですよ!このリートには!だからモーツァルトのれこは侮れないですよ!

もうなかなか前衛的ということで面白いじゃないかなと思って、だから持ってきたっていうんですよね。

それでしかもこの上にこの音を伴ってて、すごいこの音はすごい響きは不思議ですよということでね。期待をさせておきますけどね

そこから、今度はここからどんどん上のほうに進んでここで下がって、半音ずつ上がって、何かすごい少しヒンヒンヒンとちょっと上がっていくんですよね。不思議な高揚感があるんです。ここの所のここで引き継がれてる。これも不思議な高揚感というかねそれが表現されてたりしてね。なかなか面白いんじゃないかと言えるんですよね。

これで鳴ってきて、それでここからは歌となぞるわけですね。まあここもなぞってましたけどね。ここのところなぞる。こちらでそれでここのところまで少しずつ行って、

最後そこのところは導音みたいんですけどやっぱりなんか不思議な高揚感があって、それで最後この下のところがで少し動きが出てきますね。それで最後その伴奏の方が、少し動きの中は二声ぽいなという、ここの上が、下に行って、こっちが今度に二声がこっちに引きずられてる感じにしてね。これでこのように動くと。

これはクラヴィーアで写されていますけど、なんか合唱を下の子の伴奏に移したみたいなみたいな感じもしないでもないんですよね。まあ当時ドイツではよくもう中世ぐらいから結構そういう歌い方してたみたいですね。

四人くらいとか、それでコラールなんか、これはプロテスタントの方でバッハなんかもやったコラールもそういったカンツィオナール書法(kantionalsatz)とか言ったかな。

それで例えばシュッツはイタリアに行って勉強しましたけど、ドイツに帰ってきて、結構そういったは作品を書いていたりしますね。ドイツ語で歌うそういった伝統も考えてると、この下のクラヴィーアの動きとか、この並行的に動いているも、そういった事も考えられる。そういう伝統を加味してるんじゃないかと、まあモーツァルトの場所はカトリック圏でしたし、南ドイツでしたよね。まあでも結構南ドイツのニュレンベルクとかもあの当たりもすごい歌、そういったドイツ語で歌う伝統がありましたからね。

中世の頃から。だからそういったことも加味して考えるんじゃないかなとそういった歴史に照らしてもで感じて、この動きだけなら分かりませんけど、大体四声体なってますからね。これは四個の音が鳴ってますからね。

大体ちょっとお休みしているけれどもね、三個か四個ぐらいはなってるんですよね。いつもね

だからそういう私はじゃないかと思って、こういった導音でmusica fictaと言いましたよね。ルネサンス期から当時はこの臨時記号が出てきて(半音上げ下げで)導音を形成するんですよね。リーディングノート

それもそういった合唱を感じしました。まあ最後はまあ本当に綺麗なコードで機能和声的にはなってるんですけどね。これなんかは最後に下るようにして下の音でそれに合わせてその上の音が動いてると形をとっているので。

まあそういったことは考察して言えるんじゃないかといいことで、やっぱり背景とある伝統なんかも、面白いんじゃないかということなんですね。

それでこの曲はこの歌手(Rita Streich)で聞いてみましょうということで本当にドイツリートなどをいっぱい歌ってる。この名盤がありますけれども、それでドイツグラモフォンでドイツで出ているものと、この同じ会社でこの録音されたものをアメリカのデッカで発売したっていう方、同じ内容のものがこういったジャケットも面白いかと両方出しておきました。

それでは実際に楽譜を見ながら聞いてみましょう!いきますね!(演奏指示は「悲しく、しかし冷静に」Traurig, doch gelassenで落ち着いた中に感情の細かな昂ぶりと鎮まりがある繊細な歌曲です。)

すごいですよね!ここ響きが!(一オクターブ下がる伴奏と三度の平行順次下降により)安定感があったし。Sei du mein Trost, verschwie'ne Traurigkeit!(私の慰めであれ、秘められた悲しみよ!

(もう一度伴奏の一オクターブの下降があり、有節形式の歌曲の句の切れ目に十六分音符のブレスが入り、)合わせますね!Ich flieh' zu dir mit so viel Wunden,(私は多くの傷を抱き、あなたの許へ逃げてゆく)

(伴奏の平行三度の順次上行が歌の旋律を先取りして、)ちょっと上がって高揚感がある!ここすごいドミナントで緊張感がある!Nie klag' ich Glücklichen mein Leid(幸せな人たちに苦しみを訴えたりはしまい)

うん、面白い今(の歌の旋律の上行に合わせてから急激に下に沈み込んでゆく伴奏が情感の昂ぶりと鎮まりを自然に表現しています)!

(最後の四分休符の小休止は有名な「すみれ Das Veilchen」KV 476の最後と同じように使われております。)So schweigt ein Kranker bei Gesunden.(病人は健康な人の前で沈黙しているよう)

これは二番目の歌詞!(伴奏部分に注目してカーソルを合わせて響きに注目しております。)O Einsamkeit! wie sanft erquickst du mich,(おお、孤独よ!なんと優しく私を奮い立たせるのか)

(歌の旋律に合わせて順次で)上がっていますね!Wenn meine Kräfte früh ermatten!(私はかくも早く衰えてゆく!)

(静かな情熱が)すごいです!この音(空虚五度)やっぱり!Mit heisser Sehnsucht such' ich dich(烈しい憧れを抱き、私はあなたを求める。)

タンタンタン、この低い方への意識を持ち(昂ぶる感動を受け止めて鎮まり)ますよね!すごいやっぱりこの導音(で弱い終止感を与えて休符と共に節の切れ目を表しています)!So sucht ein Wand'rer, matt, den Schatten.(旅人疲れ果て日蔭を求めるよう。)

(第四番目の歌詞)今度は(歌の)旋律をいってみましょう!なかなかいいですよね。ここの(十字架こうして行くときの響きの)変わり方!O daß dein Reiz, geliebte Einsamkeit!(おお、汝の魅力、愛しき孤独よ!)

(少し上に上がり昂ぶると思えば、desで落ちて、また少し昂ぶります。)Mir oft das Bild des Grabes brächte:(墓の眺めをいつも私にもたらすよう)

それでピアノ(伴奏)が出てきて(、歌の旋律を先取りして、ドミナントにいき)すごい緊張感がある。おもしろい(Abendsの単語の中で五度の急激な下降とfとpの指示があり、旋律の跳躍と強弱の対比で全体の中で最も感情が昂ぶるといきなり、ふっと我に返り落ち着く瞬間を見事に表しています👏 So lockt des Abends Dunkelheit(そして夕暮れに闇が招き寄せる)

(その高揚感をピアノが)受け止めていました!(伴奏にフォルテfとピアノpの強弱指示がありますが、あまり強調せずに演奏されていました。基本としてモーツァルトの強弱表示は繊細で大きな流れの中でその部分を「少し」際立たせてほしい意味であることが多いですね。)

(そこから旋律がやわらかくなり、終結へと向かいます。)Zur tiefen Ruhe schöner Nächte.(美しき夜の深い安らぎへと)

という感じでしたけどね。なかなか小品だから、そういう風に聞いている見ますとね。

もう本当にこれはすごい良い作曲ですよ!これだけ見ても空気感がモーツァルトの一般的に思われてる、彼がよく書くような感じとはちょっと違ったりしてよりロマン派の音楽に近い、(そのロマン派よりも)もっと時代を先取りしている(モダンな)感じがして、逆にすごい私はこの作曲は小品ながら「愛すべき作曲、作品なんじゃないか」と思いました🥰(自然な流れでより人間の感情に迫真しており、「モーツァルトの音楽はヒューマン」という所以だと思います。感情が昂ぶると冷静な人間でも声が少し大きくなるのが自然で最後のポーズも大事なことを言いたいことの前に、少し間を空けて相手の注目を引き付けてから話すことが音楽で表されていました。)

という感じでこういった普通はやっぱりあんまり注目されない作品をね取り上げてみようということで、時々やってみようということ、なかなかこれをと響の持続性も面白かったんじゃないかなと!

もう一つのことを考えてみますよねやっぱりちょっと1780年くらいからやっぱり モーツァルトらしさというか、普通のその今まで書いてきた音楽はある程度美しいし素晴らしいんだけれども。

独自性と言うがそのユニークさを追求していくところで、まあ晩年には行き過ぎちゃって、もう転調しまくっちゃったりで、もうリズムが豊かすぎちゃうとか、もう普通の人はついてこれないくらいの音楽にみんな困っちゃったとなりましたよね。前衛的すぎましたね。モーツァルト!

もうその感じは始まる感じで、そのやっぱりこれは もうフォルテピアノをモーツァルトが使って、そういった響きなどの影響とから、そういった3度のこの連続性とか、こういったものなんかも、その響きが持続していく空気感は、やっぱりチェンバロとかクラヴィコードではきついですね。すごい音が瞬間的に減衰しちゃうから、という事も考えないんじゃないかなとか色んなことはねこれ一つでも言えるということでね。

今後とも小さな気づきは大事ですから、本当にそういうのも、また皆さんとシェアできるようなビデオ作ってまいりたいと思います。

これからも皆さんと小さなモーツァルトを見つけてまいりたいと思います!ありがとうございました!

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