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王羲之《蘭亭序》、鍾繇《墓田帖》、尺牘の搨模本について、静かながら熱いです!Wáng Xīzhī, Chinese Calligraphy

王羲之シリーズが始まりました! 尺牘(手紙)の搨模本(敷き写し)の一覧、《蘭亭序》諸本を比較しておしゃべりしました。

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2021年2月21日

皆さま、こんにちは!

今回は(王羲之のシリーズが)四回目にあたりますけどね

まず最初は王羲之が書いたこういったものですねいうちょっとコメントしながら、イントロダクションしましたけどね。前々回ではまたこの王羲之の「羲」という字がどうなんだとか、ちょっと前の時代の話にいってしまったり、

それからこの間は王羲之の資料が、どんなものがあるのかということをダイジェストでお話しましたけどね。

今回からは実際に法帖を見ていく上でのちょっとポイントなど、私が感じていることをシェアできたらいいなと思って、さっそく始めてみましょう。

こちらなんですけど、この間に最後の数行のところがありましたね。

書蹟の搨模本、臨摹本、これは上に置いて敷き写したもの、これは横に置いて書き写したことですが、どちらかといったら、この搨模本の方がもっとオリジナルに近いわけですね。

どんなに上手い人が臨書したと言ってもね。やっぱりちょっと違いますからね。もう原帖とはもう本当に。

人の手の動きというのは、もう王羲之ですら同じものは書けませんから。

ですから本人だって書けませんという理由ありますけれども、基本的にこの《蘭亭序》というのは有名なのは、当時太宗皇帝がこの《蘭亭序》が欲しくてたまらなくて、もう手に入れしちゃったら、もう一杯コピーを作っちゃったと、その時に色んな虞世南とか、この馮承素(ふうしょうそ)と読むのかな。

虞世南は臨書の臨と書いてありますね。それで褚遂良も、歐陽詢も有名な書家ですけれども、太宗皇帝の家臣で臨書したものですけどね。

これだけは敷いて写されたんじゃないかっていうふうに言われいるんです。昔からね。でもその敷いて写したものもさらにその前が本物だったのか分かりませんけど、まあそれを言い出しちゃったら、まあ困っちゃうわけですけれどもね 。

もう《蘭亭序》はちょっと違うバージョン、だから人によって書き癖があるから違うバージョンあるということで見てきたですよね。

一番この《蘭亭序》の中で私がこれはなかなかやっぱり近いんじゃないかなと、王羲之の同時代の書蹟、もしくは王羲之の他の法帖を見ても、書いた感じとからいえば、虞世南と歐陽詢が臨書したものが結構、原帖の趣を伝えるんじゃないかなと思っていたりしてですね。

それでこの《黃庭經》(「こうていけい」がより正しい読み方)とか、この《孝女曹娥誄辭卷》と書いてありますよね。このようなお手紙とは違う、王羲之の作品はお手紙が殆どだと申し上げましたよね。こっいは後はそうなんですけれどもね。

この《黃庭經》《孝女曹娥碑》は小楷、楷書、小さい楷書で書いてありますし、これは当時使っていた経典を王羲之が書いたものですからねと言われているものですからね。

そういったもの唐時代の写本、もしくは宋時代の写本。そういったものもあるんですけどね。まあ多くは殆どはこの搨本、双鉤填墨で写されたものは、これだけあるんですよね。全部私は集めてきて、全部列挙しました。それでかつここに摹本これもあるんですけれども、まあ微妙に人によって、これはちょっと搨本じゃないかとか、本当に全部を顕微鏡で調べれば分かるんでしょうけれどもね。

今までよく考えると、これらはばらばらな場所に合って、統一的に同じようにその科学的にものすごく細かく分析されたっていうことはないから、本当はやったほうがいいんですよね。こんなに大事なものなんだから、もうやってくださいと、もうYouTube で見て頂いて、やって頂ければと思うんですけど。というのは冗談ですけど。

それであるんですけどね。それでこういったもの、じゃあこれから、一番これ搨本が大事、principal、secondaryということで、それに次ぐということで、これらを見ていこうということでして、

まあ大きく見れば、この故宮、北京と台北にある故宮、それと中国の地方の博物館があるんですね。まあでも遼寧省も天津も北京の故宮博物院に近いんでしょうけどね。そういったところとか、あとは日本が結構待ってるんですよね。これはもう唐の時代に入ってきたもの、もう遣唐使が持ってきてくれた。それがずっと伝わっていたものが日本にありまして、それでここのグループはみんなそうなんです。

だから日本は結構大事なすごい ものを持ってるんですよ。すごいですよ。全て最近見つかりましたものもありました。この二行真ん中の二行目(妹至帖や大報帖)はそうなんですけどね。

それでこの前の三行、ここはずっと中国にあったんですね。そういったものが伝わっているということです。

あとはまあここからは唐ぐらいの後かんという摹本がありますから、これも大事でこの最初の三行、まあこの中の2行はアメリカの Princetonにいったものもありますれど、あとは日本を持ってますよね。これであとはちょっと微妙になってくるという、真偽のほどが微妙になってくるところもありますけどね。

それとこの敦煌の唐あたりから、そのよりちょっと後ぐらい、それより前の時代のもありますけれども、もう大量に敦煌の石窟、洞窟から、もういっぱい出てきたっていう中にも王羲之の法帖を当時、唐の人が写したものが方があるんですよね。

これは《十七帖》の中にあるんですけれども、そういったものがあり、これはロシアにいっちゃったものもありまして、また羅振玉が持ったもので、これもそこからかなとかいうものがあったりして。それで最後のこの行はちょっと微妙かなと、言ってみれば、もうちょっと後時代が下る宋の時代かもっと後の時代か分かんないなんてという微妙な(ものがあります。)

まあこの順番で右かいって、どんどん(信頼性が落ちて)きてしまうので、まあとにかくここのグループなんです。搨本のグループ、ここを見てこうということなんですけどね。

それでこういった全部カタログにしていれば、頭の中で整理がつくわけですけど、実際に見ていこうということで、これから!それで偽物があって、これらは結構な場所に入ってるんですよね。だけどちょっと怪しいんじゃないかなということでね。見ていきたいと思います。

ところで、このように《蘭亭序》には沢山のバリエーションがありまして、もうここらあたりを見ただけでも、最初の「永和九年,歳在癸丑」と、そこの有名な部分ですけどね(訂正:張金界奴本と神龍半印本の所蔵は台北ではなく北京の故宮博物院です)。

二行だけ出してきましたけど、これ見るとこれもツッコミどころがたくさんあってですね。もう本当にね少しずつ違う(笑)ということで私が先ほど申し上げた。この虞世南が臨書したものとちょっとこれはちょっと墨が薄いんですけどね

これとこの定武本といわれる欧陽詢が書いたものをそれを石に刻んで拓を取れるようにした、この2つがやっぱり一番いいんじゃないかなと思うんですけれども、でも問題があって、こっちは墨が薄い。こっちはちょっとやっぱりそのうまく原石、元の拓を取る前のその石がもうあっちこっちいっちゃったりして大変であんまりいい状態の拓本がなかったりしてね。

まあ宋拓といって、宋の時代のものが一番やっぱり古いんですね。古ければ古いほどいいんですね。拓本ははどんどんの悪くなって劣化してきますからね。採りまくったりして、あとは石が傷ついちゃったり、傷つけられたりしてと、言われますけどね。そういうけでまあこの中であればですね。

この虞世南とよく学ばれているのは、この当時の敷き写しされたじゃないかという本ですけどね。

これは結構ね鋭いですけどね。実際にこういったね線の入り方などは線が鋭くて、他の王羲之が書いたものをみると、本当にこんなこんなスッカーンスッカーンと本当に細いところはヒーンといって、書いたのかどうかっていうところもありますけどね。

だからまあでも筆の機能からすれば、素直ですからね。《蘭亭序》は書いてるので、もうちょっとここがピンとか、トンとはねているところも合ったりして、露鋒(筆鋒の先)が出てますからね。このちょっと入りがちょっときつい。

言ってみれば、エッジがきついですけど、結構こちらの方がまろやかなんですけど、その鋒がやっぱり当時に書かれていた 書には近いじゃなかないと私は思ってるんですよね。

それとあとこれなども褚遂良が絹に書いたんじゃないかなと言われてたりしますけどね。これもなかなか面白いんですけどね。こういった形で書いていたりしてね。

でもよく見るとこの例えばこの「陰」という字のここの最後の部分、これは結構肥えていて、一回強く止めてから、引き技抜いてる。これはそのままギューンと抜けてますよね。これはもう本当にもう素直もうスーカと入ってそのままいってますね。

一番だからこの中で素直なものと言ったらねやっぱりコレなんですよね。

うん、これは何かちょっと何か、もっと後の時代に書いたんだろうなあという風に感じる。それは何でかといったら入ってきて止めて、おもむろに引き抜いている。こっちはすごい素直に抜け行っている。

これはもうすごい入り方が細くてギュンといってますからね。すごくね。それでこのなかなか同じ絹の本でも、もう一本あったりして、これもどうなんだということで古いんじゃないかといわれているんですけども、これも肉筆で書いてあって唐なのかな、宋なのかなと言われているものでありますから、出しておいたんですけどね。

まあそういった形で細かいとこ見ても、特にね書いていく中で微妙なバランスのとり方が難しい字があるん ですよね。そういうところはどうなってるのかっていうのが一番

まあすごく書きやすい字と本当にバランスとるのが絶妙な字があって、その絶妙な字の方が難しいわけですからね。

臨書をするときにも、そういう所ですごい表れているし。これなんか見ても以外でこれ簡単だね画数の少ない字なんか見るとですね。

これとこれなどを見ますとね。もうすぐ安定感があってこの字

やっぱり時代が下るんじゃないかなと、こちらもすごく真四角ぽいですよ。こっちはもちゃんとこっちは出てますよね。だから全然違いますよね。これはね。

まあ程度こっちは同じになっていて、それでどっちかといったら、これも結構扁平でスキッと見えますけどね。

なかなか趣きがありすよ。古い趣きは一番ありまして、この張金界奴本というね。この本、これが一番いいんじゃないかと私はね感じでいるんですけれども、

やっぱりそれを見ても、そういう感じがしますすごく。それでこの山もすごくこれ穏やかですよね。こっちは開いてますよね。キュッキュッキュと少しいかっている。

肩とかですね。こういうところもすごいね。ピンピン、ツンツンしてる感じがしますが、こちらはすごく本当に筆の入り方、当たり方、紙との当たり方もねすごく本当に内に秘めた強さみたいなものを感じて

外にピンピン、ピンピン、出ていないんですよ。なかなか趣きがありますよ。ここなんか「會稽山」の「會」などもここですごく、そのままピンと抜けてます。しかも最後はもう本当に垂露といい、隷書の縦画みたいな感じで抜けてるんですよね。隷意みたいのがある。これはもう本当に全然ずれで要するに折れてこっちにいくんですけどね。

これもある程度ある。これが結構ここ重いですよね。これは少しね。これすごい綺麗に最後まとまって抜けている。これこっち下にきてやっぱり、欧陽詢というのは、結構中は頭をちょっとつぼめて、縦にそれで(字形を)取る。こっちもっと膨らんでいれば、要するにこっち側に膨れますからね。

もう少し字がゆったりするんですけど、キュッと縦に《九成宮(醴泉銘)》なども、意外と楷書などでも、そういう傾向ありますよね。

虞世南の《孔子廟堂碑》などはすごくゆったりしてるんですね。欧陽詢はキュッとあるところをこういった狭めることによって、言ってみれば、いい方をすれば、スタイリッシュで、悪い方をすれば、少し窮屈であります。こっちはゆったりとしているんですね。

穏やかすごくという所で結構よく見るとね色んな違いがあるんですよ。

もう本当にでこれなんかもうすごいね本当に横画がちっちゃくなっちゃって、それで縦が強い、だからすごい縦っぽく見えるんです。すごいね。真四角に近いですよね。すごいにゆったりしている。これはまあ間ぐらいになっている。これ、これ。これはね長すぎ(笑)

これはちょっとあれですけれども、結構長いかなという感じとかでもう。すごいここは何となくゆったりしているすごく、そこのいき方もうすごい、ここはすごく黒々して一本線だけど、ちゃんといってますけどね。見える!

そういうところは角度は横に入ってますね。やっぱりちょっと横張りですね。こっちはね少し下から上にズンと突き上げていますよね。これは結構角度は平に近いんですよね。

これなんかはトンと入ったらちょっと上にねキュッとねちょっとこういう動きがあるように感じる。

まあ、まあ、普通に、でもちょっといってますね。やっぱりねもう本当に細いんですけどね。

それで「九」なんかだって本当にこれはもうここ横画をすごく強くとっている。それでこっちぎゅっといってる。

これなにかはすごいね。まあ拓本だから痩せちゃうんですけどね。まあ単純に比較できないんですけれども、これなんかすごい本当に横にこうギューンと強いですよ。ここにギューンといってますよね。

まあこれはそんな大きく違いはないと思うんですけどね。当たりがすごいこうきてたりでいくところがすごい出てますよね。これはすごいギューッと入って、どっちかといえば、王羲之の他の晩年になった書を見てもこういう入り方の方が、

こういう風に当たってグンと入るよりもねすごい多いです。やっぱりその方が。とかこれの「歳」などもこの点の打ち方がこっち側にちょんちょんといってますけどね。

これはちょんといって、ちょっとこっちにきて受けているとかね。ちょっと違うんですよ。それでこれまでこっち にすごい右から左にギュンといっているから、ちょっと強く見え、これよく見るとこういうちょっと強調して言いますと、縦がちょっと弧を描いている。だから丸みがある。こっちはちょっとグーンときて、しかも右へとねすごい倒れてますよね。すごく倒れている。

それでここなども「歳」のところもギュギュとここでつぼめて、下が安定感があって面白い

この上のこの「歳」の上の部分が入って、こっちに寄っている。これは真ん中にきてますよね。

これはちょっと(法帖の状態が悪くて)分かんない。「在」とかも本当にこうきて、「在」にいってああってて書いたような感じで詰まってる。ここ

それでここは「在」がどっしりして、それでここなどは早く書いてますよねすごく細い。これで次の「丑」に来てますよね。

だからこれしかも横格もこれちょっと下に下がってますよね 。それでちょっと上がりっぱなしにいってますよね。

それで「暮」という字はこれちょっと見にくいんですけどね。これなんかもう「日」のところがガッシリしていて、それであとはね早いんですよね。

これもここのところとこの縦の「日」の線の太さの違いここ1本入って、それでこことここ(左右)が違うんですよね。ここは同じぐらいですね。大体王羲之の他の法帖を見ると、

ここまで強烈に違う表現、対比表現をしてないもう少ししてないことはないけど微妙なところなんですね。

だからすごい意図的にはっきり見せているというのが分かりますね。これね。これなどもそうですけども、こっちふっくらしている。それでこの「之」という字もそうですけどね。

すごいこれどっちかといったら、ちょっと平らに近いですよ。隷書にやっぱり近い。

こっちは結構上がってます。それでしかもこっちにこう戻してね。これもここで結構ギュッという、そのまま筆がいってるから、返って入ってます。これは一回ギュッといって少し開いてから、少し早く速度が上がってるのが線を見ると分かるんですよ。

これなんかも下の隷書で言うと波磔、波法これは違いますよね。これずっとそこからずっと太いままでいき続けてるけど、これは結構最後のところで隷書みたいな波磔でやってますよね。

この「初」という字だってやっぱりこれは相当右上がりしてますね。それで下がっている。それでこっちでなんかバランスを撮っているような感じがします。こっちはこうなんですが、ちょっとずれてる。それで右の方へ行って、不思議なバランスですね。この一字だけだとちょっとアレですけどもね。

他の次の字の「會稽山」の「會」もね。ああ「會稽山」じゃないか。これは「會」という意味か。そでの「會」が入り込んでいることでバランスをとっているので面白い。

それで「于」でしょ。それで書いてある。この「于」だとこの違いますよね少しね。ここ特にこの終わり所でちょっとぎゅって止めて、こっちに来てるとか、これなんかはねもう本当に自然ですよね。横に一回きてここで折れて方向の向きをグッときてからここで変えているんですよね。これもそうですね。こっちはもっと普通なんて言いますか、本当に穏やかでこれだってこっち向勢と言うんですけどね。

失礼しました。こっちは背勢といって、背中みたいにこの凹凸レンズとていうかこうこういう流れでこう作ってるんですよね。こっちはこうキュと入ってるしこっちは、こう書いて有するに少し丸みがあるわけですね。

それで違う。それでここのところも先ほど申し上げたような「春」と「暮」(の「日」)ると同じ、こういう風に少し丸みがあるわけですよね。こっち細くてこっちは太い、そんなに大きく区別はない。

それで中の線もすごい肥えてますよね。ですからふっくらとしている。

ですから王羲之の双鉤填墨の法帖から見れば、これもやっぱりそれに近いはこっちの書き方とはんかなかしてないっていうね。

これなんかもそうなんですけどね。線がすごいねなんかもう、こういったら、こういってねすごい動きが激しい。こっちはすごいそのままいってますよね。素直ですよね。ここにきて動ちょっと分かんないけど、印が捺してあるからベタベタ捺すんですよね。

乾隆帝、三希堂、いっぱい捺しまくってますけれどもね(笑)それで見ますとね。「山」だってこっちはもう先ほど申し上げたようにすごい穏やか!

こっちはすごいピンピンピンと筆路がはっきりしてるんですね。こっちは中に隠れている。これなんか見ると、本当にこれが面白いのは、それでこうきてウッときて、こっちに来て、こっちは短い、こっちはウッといって、これここが近いけですけどね。すごい細部の表現がスゴイ、これはドラスティックですよ!これやっぱりこの辺が太いのでこう受けようとして、そういう意識が感じられる。

こっちはすごい自然、もうそういうのもなく淡々と書いてる感じ。

これもそうですよね。本当にそれで見てみますとね。まあ「之」という字は《蘭亭序》にいっぱいで出てくるんでですよね。「之」はすごいねなかなか違う方向とか、長さとかで書いてあるんですよね。面白い。やっぱりすごく近くて横はすごく水平に近いですよ。

下に行ってこっちに折れていますね。こうこっちですね。面白い。こうきたら、こっち側にはねてこれがまあ以外とこっ位の方が普通だったりするから、こっちはすごいもう筆のばねの動きに合わせてね書いてるような感じ。それに乗りながらね。

それでこれなんかも「蘭」という字でもすごくこっちいかって張ってる感じだけど、こっちはねすごい全体的になんかヒョロンとした感じでこの最後の画でおおという感じで戻そうとする、そういう意識が見られます。

それですごく真ん中の点などもしっかり打ってる。こっちはすごく細いですよね。真ん中の線も中の「柬」という字、こうもそうですし、これもすごいに右上がりが強いですすごく。それでこっちはすごい横に張っている。

どっちかと言ったら、やっぱり唐の時代に向かえば向かうほど、後の時代になっていくと、右上がりすごく強くなってくるんですよね。

だからやっぱり少し後の人が入ってるんだなぁと思うんですけどね。

これなんか見てもすごく筆が入って、もう本当に筆がゆったりしてる。運筆が。こっちはすごい本当にリズミカルに書いてます。

だからすごい線が細い所もストンストン、スキーンといってますね。

こっちはすごい横画は安定して穏やか。お淑やか。それでこちら側も本当に面白いのが横張りですよね。結構これはどちらかというと禾編が結構高くてこの中に入ってるけどね。こっちは逆に下がってます。こちらはね。

まあ右下の方がどんどん下がっていくというのはどちらかというと隷意があって隷書に近いんですけどね。

この禾編、楷書になると、こっちよりも上に上げてくるんですよね。偏より旁りをという傾向がありますからね。やっぱりこれもそうかなとか思ったりね。

これだってすごい横に入っていくところ繊細に扱って、これはこういうような当たり方と違って、パンと入るんじゃなくて、スーっと入っていって、横にギューンといって、それで書いてますよね。

だからそういうところも見てもすごい整合性というか、そういう王羲之の他の法帖の書きぶりからすれば、細かいその筆の当たりとか、紙の当たりとかあとはその線の向き、次に行くところはどこなのかっていうこと、これが一番、当時に近いのかな。

これはねこれで確かにすごいリズミカルで表現意欲がある感じがするから、
すごい学ぶ人も多いし、これはこれですごいなかなか見応えはあるんですけどね。

まあそれと当時のその王羲之の時代に使ってその筆法、用筆がどうかというのは、その作品の良し悪しと別にそういう意味でありますからね。

こういう話をしてまいりますけど、まぁそんな形で見てお話しておりますけどね。まあこんな形でこの《蘭亭序に》絡んで面白い話がありましてね。

それで鍾繇、王羲之がすごい好きだった鍾繇の《墓田帖》というのがありますけどね。

ここに見てみますとこの例えば先ほど申し上げた中で虞世南と歐陽詢が書いた《蘭亭序》。それでそこから字を採って来て比べたというすごいおもしろくて、まあこの2つは法帖だから少し線は硬くなってるんですよね

という部分があるんですけれども、ちょっと表情はやっぱりそがれちゃいますね。こういうふうに拓本になってるから、それを反転させて私が持ってきたわけですから。

それでみますと結構、この《蘭亭序》hがすごい傾きがきて、こっち来て、それで近い、それでここ空いてんですよね。結構。それでこれも左右の長さが違うこれは大体一緒位になっている。それとこれは近いかなという感じですごいこのところまで詰まってて、 ここはすごいおおらかなんですよね。

これでこれなんかは結構、均等に配して下まで、それでしかもこの偏より旁は下に下がっていたりしてありますけどね。

それでここが面白いのがこの変が少し空いていて、あんまり長くしなかったなっていうね。

まあ飛んじゃったのかもしれませんけれどもね。でもかなりこれは真ん中から衣が右に寄っちゃっているんですよね。これは逆に入っていますけれども、そういった細かいこととかね。

それでこれは「情」という字は、今度こっちはこうでしょ。今度はこう逆になってる傾きが違う、それでこっちはこうでギュッとなっている。ここが太い!それでこういうふうに青はありますけどね。

面白いのが普通月の方が縦に長くなるはずなのにここが大きいんですよね。下に縮こまったように書かれていて、それでバランスが取れている!これすごいですよね。

このバランス感覚というか、驚いていますよ!これは本当にこれを頭でっかちなくせにこれ全部で下が寸詰まりみたいに見えない!不思議なことによくみるとそうなんですよね。全体のバランス言うと、これは絶妙だと思った んですね!

これなんかウーンと来て少し太くなって、ここなどはすごい軽くなっていて、やっぱり上が大きいんですよね。それで下がちょっとね入ってますけどね。どっちかと言ったら、すごい見たときにこれは一番絶妙という感じがしますね。

これは横に入ってねこの辺が空いてると言えば、ちょっと空いてますね。そういう感じありますけれども、それでこの字はここにあるんですけど、面白いことにたまたま似た字があったものですからね。比較ができたということでこの字はここですからね。この字はどこにありますかね。この中で、えっと、ここにありましたね!

ですけどもこの虞世南と言われてるここはもう大きい、ボーンと大きい、それでこっちもこの辺が空いてる!それで動いて上側はもうこんなに大きくボーンときて、「臣」がここにきて、上にここに入り込んでこkが空いてるのになんかここあんまりそう感じさせない。不思議なことにすごく字一つで三つのこの部品がほんとにのびのびとちゃんとあってですね。

ここ見たらここ中に「貝」のところですけれども。入り込んでいる。ここを書いたら上から来てるんですね。すごいですよね。これね。これも。

この「賢」はこうちょっと短くてかなり上に上げて、こに書いて、基本的にここを空けると言うのは、よく楷書を書くときにも、そういう手法ありますけどね。「臣」という字の左上がここ空いてますね。これギュッとなってこっちは右上がりでこう書いてありますよね。それで不思議ことにこれ右下がりに書いてありますね。少しね。

それでここを見ると左右で言えば、あんまりこれは酷く差がない。それでこっちは結構ギュッと強くして、それでこっちはちょっと線が飛んでかもしれませんね。法帖に問題があったということで

法帖が怪我をしていたということで飛んでますけれども、それでここなどもそうです。やっぱりこれはすごくドシッっとしておりますけどね。この「也」などもこの全部角度違うんですね。ここ全部三本横はギュッと強くて、それで空け方もすごいいですよね。

ここのバランスこの関係も、ここの出方のバランス、こっちは意外と狭いんですよね。普通がもうちょっとここは長い、それで面白いなあと思ってこのを作り方、こっちではあんまり出してない。

これはもうある程度普通なんですよ。こことここがちょっと出てますよね。それで均等に当分的に入っている。それでここもまあここまで来ていたかもしれないけど、ありますけどね。これはすごく明るいですよね。すごくに字の中のその空間が、ここはやっぱり狭いですよね。これはこっち一番真ん中のこれが出てますけどねという形で見れてこれまして、

一つ一つの字の作り方と線の表情とかを一個一個読み取るとき、こういった大きくすると、なかなか見えてきて、面白いじゃないかということで、こういうことを見ていくんですよ。本当にうーん、そうするとそれを実際に自分で臨書で書くときに、そういった今観察したようなことを。

結局先ず観察しないとこういったものを書けないということですね。まあ色々お話がいつも膨らんで、もっとしゃべりたいことがありますけど、まあこの辺りにしておきたいなと思って、それでこういった形でね。

まあここも意外とねこういった法帖として残っているものには、印が押されていたり、ここに停雲館とは法帖の名前ですからね。此の本を使ってたり、墨池堂も博古堂本を用いていて、両本がいいんだとかね。面白いそういう見た人のコメンタリーが題跋という形で書かれてあるんですけど

まあ、こういった形で一つの法帖についても、語りだすと長いのでね。これからは少しずつ一つの法帖を見ていけたらいいと思います。今回もありがとうございました。

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