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王羲之の尺牘《寒切帖》で搨本と拓本を徹底的に見比べて臨書の要点も見えてきます!Wáng Xīzhī, Chinese Calligraphy

王羲之シリーズが始まりました! 王羲之の尺牘《寒切帖》で搨本と拓本を徹底的に見比べて臨書のコツについておしゃべりしました。

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2021年2月23日

皆さま、こんにちは!王羲之のシリーズも続々撮れてまいりましたけれども!

今回はですね。前回はもう本当に《蘭亭序》という、もう一番王羲之の中で有名で皆さんがもう名前も知ってるというねないようなものをもうたくさん実はバージョンがあって、それを見ていたっていうことがありましたけれどもね。今回はもう一つ王羲之の尺牘、お手紙、それをちょっとね見比べながら、

双鈎塡墨(の搨模)と法帖、それがどれくらい違うのかっていうことをちょっと徹底的に見ていきたいということでこんなものを用意してまいりました!

こちらなんですけれども、王羲之の《寒切帖》という法帖でして、もう1枚の紙で相手方にお手紙として送られたものですけど、日にちが書いてあって、王羲之のことで色々書を得たとか、何日にあなたから手紙を貰ったとかであって、それで要するにごきげんどうかとか、そう言った通信をしてるわけですね。

最近寒くなってきたけどという、皆さんお元気かという内容で自分自身がちょっと最近食べてない(からあまり元気がない)ねとか、そういうことを書いてある消息でして、本当にお手紙を消息と言いますけれど、その通りのこと書いてましたけどね。

この中でこの法帖を私が選んできたのは、なかなか美しいと私がこういった法帖、尺牘、そういうものを見るときにすごく大事にするのは結局やっぱり書というのは筆を使い方んですよね。

そうすると線がやっぱりその中で筆圧とか、筆速、もしくは筆管の角度、筆がどのくらいの角度なのか、それとあと筆鋒の位置というのが一番大事でねこれは命毛(筆の一番長い毛の先)がどこを常に通ってるのかっていうことなんですよね。

その命毛の動きが紙の上で、もし紙からその筆が離れたとしても、空中でつながっていて、もう一つまた次に着地して、まあ次の字、例えば、横画を書いて、縦画を書く(時の空中でのつながり)とか、この「十」とかもそうですよね。

その中でも必ずその王羲之の書と、もう最初から最後まで本当に連続している。もうずっともうあっちこっちいって、こっちこっち入ったりしてないんですよね。全部言ってみれば、この文字なんかこう来て、こうきちっときれいに次の字のところにやっぱり入ってるわけなんですよ。

だからねそういったところですよね。これは「八」なんだけれども、ここに当たってここに着地して、または行って、「八」だから(左右の画を)こう書くわけですからね。これでまた(次の字)「日」ところに入ってくる何とも言えないこのつながり!

こういったところがずっとああ一番離れた所は、最終的には一番命毛だけが(紙に触れたまま)残って、離れて、また命毛から入って来てという、すごい美しいその入りですね。紙との接触の仕方が、もう王羲之というのは、命毛、もう筆の一番先端の長いところが、一本の先まで神経が通っている。そういうところが本当に素晴らしいと思っています。

それと大きく観たときに濃淡の変化とか全体の構成それも美しいということでね。本当にすごいですよ!

これはもう何となく書いているように見えるんですけど、それがすごいということで見ていき たいと思うんですけれども。

ところが問題があって、私がなぜこの双鈎塡墨、もう籠文字で尺牘の上に紙を置いてトレーシングペーパーみたいにして中を埋めて、それを全て複製してくれたという、それにこだわるか、と言いますとね。

これとこれ見ただけでも、全然雰囲気が違うと思うんですよね。第一もうこの入り方が一画目のところから、もうこれトンて入って、斜めに入ってから、右にぐいーんと いくようにしてるけど、これなんかもう瞬間的に筆の先のところが出てないんですよ。

これいってみれば丸っこいんですよと言うのは、蔵鋒(筆の先が蔵れる)と言い、(露鋒、筆の先が露わのように)筆の先がやっぱり出ているとちょっときついんですよね。こういうところ!

これなども本当にニュッと入って、本当に綺麗に入ってるんですよね。そういうところがやっぱり王羲之のすごい古意、古い意と書くんですけれどもね。

もう古風なところですごいそういうところが私がいいと思ってるんですよ!

こっちだとちょっとやっぱり硬いんですよね。ちょっとね。だからこういったね今回は二つ、この法帖、これ本物の敷き写しと法帖。

こちらは拓本で採られたものが、どれくらい違うかということをちょっと今日は見てまいりたいと思いますということで、こんなものを用意しちゃったんですよね。

これ見るとすごいことに最初のもう数文字、「十一月二十七日、羲之報ずる」ということでね

びっくりするのは、ここまで拡大すれば、私が今申し上げたこと分かると思うんですよ。

というのは、ここの入り、ここはトンと入ってる。言ってみれば、これはよく書の発展史の上でこの王羲之の時代は微妙なちょうど間でして、篆隷(秦代や漢代の篆書と隷書)からね我々の使う、唐代の楷書とかいくとこまで、

これで要するに本当に当時はまだ髪も出始めたというかね本当にもう普及し始めたということで結構簡牘、

木簡、竹簡なども使ってたり、併用していましたから、ですからかなり筆力は当時の人は強かったですよね。かなりねこれで紙に書いたとしてもかなり!

それで見てみますと、ここのところが、これはグニャッといって、すごい太いですよね。それで筆の鋒がプワッと瞬間的に開いて、もうここはすごい肥えている。

なのにこれ(拓本は)すごい骨格しか見えてないですよ!それでここ、ここだってなぜかこっち(左を)通ってるし

要するに筆鋒、筆の先は中鋒(真ん中を通っているん)じゃないんですよ。こっちはかなり中鋒に近いと思うんですよ。

こっちれをずーっと縦にきて、こっちはちょっと膨らんでいるです。ちょっと筆は右側に傾いたと思うんですよ。縦の線を書くときに!

しかしながらここまででないと、それでしかもここなどは一回止まってから、こういってますよね。間違いない!

これは入った瞬間にもう筆が動いてるんですよ!要するに動いて、しかも圧が加わっているんんです。少しずつ、それで抜けてるわけですよね。それでまた圧を(かけています)ね。要するに筆をぎゅーっと沈ませている、紙に、こっちも、こっちもそう!

だからすごい線が膨らんで肥えておりますよね。すごくね!それで法帖なんかこれは露鋒といってピンピン出てる。紙に対して並行的に入った瞬間からず同じぐらいキープしながら、これで最後までいって、それで止めている。これ(双鈎塡墨)は入った瞬間にきゅっと紙に筆が本当に沈み込んでいって、それでまた抜けていくんですよ。だからその変化が連続的で一回も止まっていないんですよ。

要するに入った瞬間にいっていってるわけ、瞬間的にね。ですからすごいもう筆法自体が(搨本と拓本の両方では)違う。

だからすごい埋まっていて、「十」はなかなかこれ味わいありますよ!こりゃすごく平凡ですよ!こっちの方がやっぱりねすごい温かみがある。

それで「一」にしてだって、これはここからグーッときたら、こうきてね。グッと受けて、それで受けてからズーッとちょっと圧を加えながら、右上にいって、またこっちに帰るんですけどね。

これは止まってポーンと言って、こっち行って、更にちょっと止まってこういってますよ。すごくだからね全然違うんですよ!

それでいってれば滑らかさが、絶対こっちの方が、美しいしここから入って来ていくんですよ。結構ここもおもむろにグチっていっているんですよね。もう早くスパンじゃないんですよね。意外と王羲之は遅筆かもしれない。遅い筆がね。

おもむろ、それで「月」という字は、ここもなかなか回り方というか、本当にこのカーブがすごい温かみある。下もここを閉じてる!

「月」の下が、これ空いてる!ここ!それでしかも骨しかない。(本当は)ここがすごく埋まってるんですよね。この中、月の点がこれはっきり見えてますよね。

だからこれとこれ全然違うんですよということ!本当に王羲之の本当の敷き写しは間違え無く、綺麗にこの形はで採ってくれていると思うんですよ。だからほんと味わいがある。

ここなども入り方がパンって瞬間的にって、グワーンと紙にパンときてるですよ。だから瞬間的に(筆の先の)鋒が開くというか、でもちゃんとこっちに行くときには、中鋒でやっぱりある程度で真ん中を通ってますよ。これ

これはトーンと入って、こういって、送筆して止まってるというかね。だから絶対これは晋の人の書いた、要するに王羲之の時代、晋人の書ではないと思うんです。私はもっと後の人が何か、これだったのか、もしくはまた更にコピーのコピーかもしれない。それを石の上に刻んだということが考えられる。

これは本当にしかも扁平ですよ。開いてないし、こんなにここ!すごくいいんですよ!「廿」の形もここが閉じていかないとね。まあ金文(や小篆)だとこうでしたしね。うん

それでここの下のところこうですけどね。グンとあってね。グーッと本当に右側に行った時に起こし方が、それでいきすぎたと少し起こしているんですね。これもいいですよね。

一本線の中に変化があるんですよ!しかもそれが不自然じゃない、本当に瞬間的に王羲之がグーンときて、ああこっちかみたいな、そういうのはすごくよく分かって面白いし、それでこっちはちょっとチョントきたんですね。

これちょっと本当に筆をこう来たら、今度こっちから入っていれば、ある程度、進行方向に対して、逆側に筆の管が倒れてる方が線が強いわけですよね。何故かと言ったら、バネのように筆を支えて、要するに筆鋒が後からついてくるものだから、線を書いていくときにね。

そうじゃないと先に通っちゃうと、筆が腹が別の所を通っちゃって、筆鋒に乗っかってこないんですよね。筆の先の命毛のところにその筆の重さなり、まああんまりわざわざ力をなんてやないけれども、本当に絶妙なところですけどね。

だからねこういった形になって、ここなども本当にいいですよね。角度が違って。こっちは向勢です。こっちは背勢ぽくなって、逆になっている。こうこうでこうきてこうだから。丸みがあってすごくいいんですよね。これはね

「七」だって、ここがパンとここに近い!ここ結構沁みていますけどね。ブワンと沁みて、ウォンと来て、少し線がそこがスタートしていきますよね。グゥンと当てたら、結構ここにシュッと入って来て、少し命毛から入って来て、ここちょっと(剥れて)欠けている。それで上にいって、それで上にいったら、ウッと書いたら、このところでキュッと、これ
縦を書いて横にいってんですよね。瞬間的にね。ブンといって、ポンと!

そのいってみれば瞬間的なそのひらめきというか、ポン、ポンといってますが、これは普通にこういっているんですよ。「七」を(楷書で)普通に書くみたいね。我々がもう唐くらいの書法でね。これもね本当にすごい、本当になかなかね。それでこっちはあまり長くしなかったがいいっていう、こっちが長く出ているから、こっちでバランスがとれてるんです。この二字でなかなかいいでしょうっていうね(笑)感じがしますよね!

だから本当にこちらなんか、もう全然違うでしょと、これもう全然!それで下の方でなんとかこの上を開けちゃって、下でアンバランスにしてるというのが露わですよ。だけどこれねチョンと当てて、プンといって、ここを空けているんですよね。これ素晴らしいなと思って私(笑)ここを空いているということは、ものすごく広く感じられる。篆刻でもよく角を撃辺といって壊すんですよね。

要するにここに角があると区切られちゃってる。ここがなくしちゃってるから、本当にこの字が明るくて広く見えるんですね。もうすごいなーと思って!

これは平凡です!それでしかもここでグンと来て、それで点!これもすごいなと思って、これも先ほど話したように同じ仕組みで少しずつ強い、強い、強い、強いと来たから、画数が少ないから、小さく書いて、見てよという感じで書いていますね。これはね!だから短くポン、ポン、ポン、ポン、とすごいもう軽快なんだけど瞬間的にバンとね。

要するに中鋒からグンいっているから、瞬間的な瞬発性が早いんですよね。(瞬間的に蔵鋒をなして紙に筆が落ちた瞬間、落筆から直ぐに動くことです。)

こっちは普通の線を引いています、最初からドロドロという感じで(鈍いです。)こっち(本当)は違うんですよ!すごいリズムが感じられるという、マウス🖱が揺れちゃいましたけど(笑)

そういう感じで「羲」という字なんかも、ここから入って、ギュンととやる瞬間に入ったらもう、ピンとこっちいこうという意識でこれ羊の頭と言いましたね。

テンときて、こっちで受けて、トンとゴンと受けている紙の瞬間的に上からポンと入って受けて、こっちに行くんですよね。そこからその紙に入ったその
インパルスをそのまま引き継いでそれパンとこっち来て、その(線の)引き方が美しい!何故なぜ(線の)引き方が美しいかと言うと、きちっともう中鋒に近い形でもう筆の先の命毛がきちっと後ろについてきているから、パンと引っ張っても変な線にならないという、本当にこれすごいですよ!

こっちは逆にちょっとグーンと直してから、ちょっとウーンと持ってきてる感じがする。これすごい瞬発性が高いから、筆力ある人間がこういう線が引けるんですよね。そのスカッとしているし、

それでここで受けるでしょ!受けたら下にきてる感じする。一回クンときて、それでこっち側に来てる。こちらでも厳密に言えば、少しこうだから、筆をちょっと私の頭の中でイメージしてね。

この筆がきて、こう受けたとしたら、ちょっと右上に行こうかなという意識がありながら、横に入ってるんですよ。だから結局右上に上がっていますけれどもね。それでこっちに持ってきている。

という感じでなかなかこれもすごい、ここも少しチョンと筆の先で軽くやった後にここを空けてるんですよね。なかなかこれもすごいじゃないかと、こっちは普通に線を引いてます。まあもしくはここはもともと線があったかもしれないですね。ここね。

ここは右上にピンといったらここに入ってきてクッとね。ここちょっと飛んじゃってますね。元々スレちゃってるのかな。もう古い法帖だから、もう多分唐の時代ににこれを双鈎塡墨やった瞬間には、もうここはハゲちゃってたかもしれないですから。だからまあここはチュンとてある。でもこれ横に入ってますよね。これね。

これは横にいってるようには見えないなと、こう書いたら、チュンときて、それでこっちを書く、意外と王羲之は小さい点の集まりみたいなもので草書を書いているという、ここもそうですよね。点の集まりみたいでね。ここもそうだった点の集まりみたい。

意外とそういう所があるんですよ。それでここをクッと来るでしょ。この点みたいでしょ。

それでこっちプンと入ってきて、ここすごく軽い、そうきて、ここはすごい重い、こっちは剥げているかもわからないけれど、

それでこっちに反してくると、今度はこうきているんですよね。ここね。ちょっとマウスが行き過ぎましたけれどもね。もう勢い余って(笑9

うーん!だからすごいここのところは重心が下にある感じがして、すごいね安定感がありますよ!羊さんの頭に対して我のところね。

それで最後の点々の最後のところでしょということで、ここもすごくきちんと書かれていて美しいということが言えると思うんですよ。それでここで点をこういうふうに次にいくんですけれどもね。ここはすごい近い、パン、パンときてます。もう。もう次の「之」という字の点に入ってます。それでここから受けて右上にこう来ているでしょ。

それである程度スカーンと言ってますよね。これね。受けてポンとすごいここを膨らんでいるでしょ。ここの点から線を次のところ、ここは結局

実はここ今我々線を引いてますけど、篆書(や隷書)の上ではこうだったから、ここはつなぎの線だったんですよね。もともとね。だけど今はもう「之」という字を我々が書くときには、この字は横の線として、一画だけどここは繋ぎだったんですよね。

だからプンと言っているでしょ。それで返してる。それでそれもさっきのこっちと同じでギュンと降りたら、こっちギュンといって、ここに行った瞬間にウンと思って、こっちに行ってますね。ちょっとね!これね平凡ですよ。こういって、こういって、そのまま。これ簡単でしょ意外と書くとしたら。これはすごい中の絶妙なもう命毛の紙の接触がすごいんですよ!本当に!

繊細さそれでここでギューッとおもむろにいって、ここまで一本を書いて、ちょっと下にいって、もう一本(に移り変わり、)要するにここは一本の線じゃないと、これは一本の線で入って膨らんで受けてますよね。これは一本の線じゃないですよ。これ!

命毛で入ってきてウウンとちょっと上がったら、ちょっと待ったと言って、下の方に行ってグーンと、こっちの方に抜けてますよ。命毛がね筆がねというのが分かるんですよ。すごい線がもう連続的に複雑に動いている、それで最後のところこれは全く違うでしょ!これは何で同じも法帖なんだと(笑)

(違い過ぎて)これまいりましたと(笑)全然違う形も線もこんなスカスカじゃないし。それでここなんかは「報」という字はここグンと行くでしょう!それで縦などはここに強く入ってきて、強くはいって、

ウーと縦に入って抜けてこっちに来るんですけれども、ここをすごい沁みさせてね。まあこうきている通常はこうこうですけどね

これだとこうこう、こういう感じで書いている。これそのままでし、これ

だから全然これよく見ると本当に拡大してみると、こう受けて、こう入ってますからね。

だから受け方がこう来て、一回こうきて、こう行ってますというのがわかりますよね。だから本当に沁みていますしね。

だから本当にこの法帖ではこう入るでしょ!

そしたらこっちにいってますよ。本当にそれでこっちでおもむろにするから、全体のバランスというか、意外とこれ「羲之」が全体から見れば、これ黒々として「羲之」はこの辺からどんどん墨をつけて書くわけですから、どんどん墨はなくなってくる

それでここまで書いて、まあこれでちょっと墨をつけたかなっていう感じですよね。だからそういった濃淡が自然なんですね!作為的じゃないんですよ!本当に!だからこれ見ただけでも、もう本当に右側に行って、勢い、当てる、こっちくる。こうこうというリズム、こうこうという、

言ってみれば、トン、トン、トン、グーンときて、こうきて、こうきて、こう~とやる。すごくパルスみたいにしてやる。要するに線をおもむろにグーって引く部分とパンッ、パンッというリズムが同じ字の中で使われてるという。

これは線的にはずっとグーッとグーグーグーグーといってるから、そんなにリズムがないんですよね。これはありありとそうものが書いた蹟からわかる!書蹟から分かるということで、すごい筆意からその筆を持って書いてる瞬間というか、王羲之が書いていた瞬間の心の動き、ここでああこうでこうかというような、そういう動きがよく分かるということでねやっぱり全然違うでしょうと!

もう突っ込みどころありすぎということで、もう大きくしました!更にこちらまあ今こちらで申し上げたことだから、もう皆様これ見て頂ければ、もうそのことでお分かりだと思いますけどね!

王羲之はここに強く黒々とさせ、そういうところはやっぱり強く入っているから、瞬間的に筆を紙に打ち付け、それでその強さをキープしたままここまでウーン、グーンと持ってきているんですね。プン、プンと来ているんですよね。ここもすごい強い入りが、それらがここまで大きくすれば、もう全然違うでしょということで出してきました!(御覧下さりまして、ありがとうございました。長くなり過ぎましたので分割しました続編は次回をご期待下さい。)

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