モーツァルトの即興性が感じられました幻想曲 ニ短調 Fantasie in d-moll, KV 397/385g(1782年)を歴史からたどりました。
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2021年3月9日
皆さま、こんにちは!今日またモーツァルトやっていきましょうという事ですね!
今日は、モーツァルトの幻想曲 ニ短調!
まあこれは断片として終わっちゃってるんですけども、まあ1782年頃にウィーンに出てきた頃に書かれたといわれる作品なんですけれど、ここに出てる、この人は誰だということでね!
私はロシア・ピアニズムが面白いということで、それをよく聴いて味わって楽しんでおりますけれど
マリア・ユーディナ(Мария Юдина, 1899-1970)という、もうバッハとか、もうベートーベンとか、まあそういった方面とか、もう現代曲もいっぱいバリバリ弾いたりでありますれれども、非常にモーツァルトも面白いといことでね。
いやモーツァルトのソナタは、もうめちゃくちゃ強烈なドカンという感じで演奏しているんですけれども、それである楽章はものすごく早く弾き飛ばしたり、もうかなり変わっているんですけれども、個性的、ユニークなピアニストですよね。まあ後でお楽しみいただけると思うのですけれども。
ここでこの人が弾いた幻想曲はすごいおもしろいということでして、後でちょっと聴いてみたいなぁと思うんですよね。それでいつものケッヘルカタログをちょっと見てみましょうね。
こちらなんですけど、ちゃんと幻想曲、鍵盤楽器のためにと書いてありますけれどもね。
しかも自筆譜もなくなってしまっていて、でもモーツァルトが亡くなって結構経った1804年にウィーンのアルタリアから出たとありますけどもね。
それでここでちょっと思ったんですよね!このファンタジー、この幻想曲はどこから来たんだと、ちょっともうダイジェストで見ていけたらと、こんな資料を用意してしまいました!
こちらなんですけど、おっと!もう中世まで遡りますけど、まあ中世でも「中世の秋」、最後の方でして、 こちらは一番古いオルガンのために書かれた前奏曲でして、
実は先ほどのファンタジーやこのプレリュード、これは非常に近いものでして、元々こういったオルガンの下の低音に対して、上がもう右手の方でトゥルルルルーンと、ものすごく細かく、
これはディヴィジョンとか、もしくはディミニュションと言いますけど、こういった楽器では、ある音から始まって、トゥルトゥルトゥルーンとすごいたくさんの間な音をに入れて、
細かく分割できるdivisionとか、もしくはdivide(分割)からきてますから、その分割するということなんですね。この下の音に関して、上が動いていくという抽象的な音楽ですね!
何らかの歌とか、踊りとかではない、器楽、それの初期の頃の感じでして、これはプレアンブルム(Praeambulum)という、ドイツのアダム・イーレボルク(Adam Ileborgh)の修道士が書いた一番古い1448年、
この辺りまでオルガンの前奏曲は遡れるということで面白いんですよね。
しかも元々このプレリュード(Prelude)、プレリュディウム(Praeludium)は、ludusはラテン語で演奏ですから、英語のplayですから、それでかつプレアンブルム(Praeambulum)のambulare、これはラテン語で歩くとかそういう意味ですから、
まあやって行く前にちょっと指慣らしという意味とか、もしくはオルガン自体を性能を検査するとか、そういった意味でも使われたんじゃないかという曲なんですよ!
だから非常に複雑にもう鍵盤が動くかなと確かめながら弾かれたプレリュードなんですよね。
ブックスハイマー・オルガン曲集(Buxheimer-Orgelbuch)、これは綺麗に清書されてますよね。 それでこれ(232番)は、Praeambulum sup Cでして、もしくはinとin Cとも言うし、superでこれに関し、Cに関してのPraeambulumだということで書いてあるんですけどね。
こういう形でだいたい下はあんまり動かないからか、もしくはこの音を基礎に上は動いていくわけですね。
ディミニュション(分割変奏)するわけですね。だからこういう非常に複雑に動いている上が、だから下のところは、非常に簡単に書いてあると、
下はタブラチュア(tablatura)、 文字で(音名を)書いてある、文字譜書いてありますけれども、このブックスハイマー・オルガン曲集は1460年くらいか、少し後ぐらいですね。
その中にはコンラート・パウマン(Conrad Paumann)という人が書いた、この人はドイツ人でオルガンの名手でしたが、
オルガン演奏の基礎(Fundamentum Organisandi)という本があるんですよ!それは1452年だから、これよりちょっと後、同じ時期ですけれども!
そこでもそういったコロール(color)とか言われましたが、それは色(color)というのは、当時細かく分割された音符に関しては色が付いていたということで、非常に細かく分割されてこういった装飾することをcoloristaとか、そこからcoloraturaの語源かもわかりませんけれどもね。
そういった形でもう複雑に動いて、(器楽作品では分割変奏により)こういった演奏技巧が披露されていたことが分かります。
そしてこちらなんですけども、少し時代が飛びますけれども、
ハンス・コッター (Hans Kotter, c.1485 - 1541)という人が(1513-14年に)作ったのが、一番初めにファンタジアという名前が出てくる作品でして、ここにファンタジアと、書いてありますね!しかもinでしょ!それでut、これはdo, Cのことです。
それでJohann Kotterとあります。HansとJohannは同じですけれども。
この作品もすごい古い作品でして、なかなかおもしろい!
それでイングランドにおいては、このファンタジア(fantasia)はファンシー(fancy)という形でちょっと(当時の)綴り(Fansye)がおもしろいですけれどもね。
まあ今の綴りはfancyですね。こんな感じで当時マリナー曲集(Mulliner Book, 1570年頃)という、もう当時、ヴァージナル(virginal)の音楽、チェンバロの小型版みたいな卓上でもできたりして、 そういったものが大流行をして、イングランド、オランダあたりとか、
それでこの作品はマルカントニオ・カバッツォニ(Marc'Antonio Cavazzoni)という人が書いたSalve virgoの旋律を元にして発展させていくと、
だいたいこのファンタジア(fantasia, phantasia)という言葉は「幻想曲」と訳されちゃうけど、元々はギリシア語(φαντασία)ですけどね。
創意するとか、工夫するとか、そういったもっと楽想が豊かな、そういった作品に使われて、非常にしかも抽象的な何かの旋律がパッと出てくる、ダンスがパーンではないから、
だから先ほどプレリュード(prelude)とか、プレリュディウム(Praeludium)とか、プレアンブルム(Praeambulum)と近いですね。
それでしかもこういった弾くものからすれば、トッカータ(Toccata)もありまして、もうトッカータも、これはイタリア語の触るtoccareですよね。
だからちょっと弾いてみますというとこから始めてるし、 これでスペインにおけるカベソン(Antonio de Cabezón, 1510-1566)とかは、
ティエント(tiento)がありますが、スペイン語で試すtentarという意味ですから、
やっぱりそのもうそれと同じような意味から始まったんじゃないかと、
あと調律とか、調弦とかを確認をするために結構ファンタシア(fantasía)とか、ティエント(tiento)とかは、スペインにおいてはビウエラにおいて、
イタリアではリュートとか、もしくはフランスにおいてはヴィオールなんかでも、そういった楽器でも使われたりとか、あとテオルボもそうですね。
それで後の時代になるとヴァイオリンとか、フルートでも(弾かれました。)
そういったまあ基本的に今私が見ているのはモーツァルトの幻想曲は鍵盤楽器のためですから、 鍵盤楽器といえば、オルガンとか、チェンバロとか、スピネットとか、クラヴィコードといった楽器でも使われていて、
まあ当時はいちいち自分で調弦をやってましたから、そういった調弦を確かめるという意味でも、非常に和音とかが多かったり、 あとは鍵盤がもうすごく動くようなもので、
あと和音と転調が多かったり、あとアルペジオ(分散和音)とか、そういった特徴もあるんですよ!
それはそういった元に使われていた理由からということでして、ルネサンス期になるとこういった本当にマリナー曲集(Mulliner Book)とか、フィッツウィリアム曲集(Fitzwilliam Book)とか、パーセニア(Parthenia)とか、非常にたくさんのイングランドでは、ルネサンス時代には、もういっぱいあったんです!
もうチューダー朝の終わり当たりから大流行しまして、 なんかこのファンタジアは基本的にだから色んな楽想をどんどん出てくるんですよ!
一個のことに縛られないで即興的にまあ後の時代即興曲(impromptu)、ショパンの即興曲とか言いますけども、これは色んな楽想がバーッと出てくる即興(improvisation)
結局即興みたいなもんですね!じゃあそれらが楽譜が書き留められたということも考えられるんじゃないかと、そういうすると非常に面白いんですけどね!
ジョン・マンディ(John Munday, c.1555 - 1630)は、もう天気がコロコロ変わる。いい天気、ああ雷が来た、何とかとそういった天気みたいになぞらえて、ファンタジアで展開して、
激しいところ、穏やかなところとか、激しいところ、そういったこともやってたりして面白いんですけども、
あとはウィリアム・バード(William Byrd, 1543-1623)とか、 私も好きなのオーランド・ギボンズ(Orlando Gibbons, 1583-1625)とか、
そういう人もいっぱい書いてその音楽が北ドイツとか、オランダとかあたり、当時はロンドンからバルト海までハンザ同盟があって、商人がすごく行き来していましたから、
だからイギリスでしょ、オランダでしょ、フランドルでしょ、それと北欧の例えばスウェーデンとか、デンマークとか、北ドイツとか、あとはロシアの西の方とか、
かなりのバルト海のリトアニアとかもそうですし、あそこはねそういった文化圏でしたから、
ドイツで言えば、例えばリューベックとか、ハンブルクとか、北の方の都市はそういった影響がありまして、
それでそれとイングランドの影響、しかもその前のところでは、スペインのカベソンはイングランドに行ったらしくて、そうした影響でヨーロッパ国際的にいっぱい鍵盤音楽も発達していって、
そこから特にこの一番有名なスウェーリンク(Jan Pieterszoon Sweelinck, 1562-1621)はすごい重要人物でして、イングランドの人とも結構スウェーリンクは関わっていまして、
それでその人が沢山のドイツ人たちに教えて、シャイデマン(Heinrich Scheidemann, c.1595-1663)とか、シャイト(Samuel Scheidt, 1587-1653)とか、スウェーデン人のデューベン(Andreas Düben, 1597-1622)とか、
本当に北のハンザ都市とか言いますけれども大活躍して、それでそこから例えばリューベックのトゥンダー(Franz Tunder, 1614-1667)とか、ハンブルクのヴェックマン(Matthias Weckmann, 1616-1674)とか、デンマーク人のブクステフーデ(Dieterich Buxtehude, 1637-1707)とか、ブルーンス(Nicolaus Bruhns, 1665-1697)とか、あとはラインケン(Johann Adam Reincken, 1643-1722)とか、ゲオルク・ベーム(Georg Böhm, 1661-1733)とか、
この辺りまで来ると、もう本当にバッハに近いわけですけど、それから結局バッハにいきますけれども。
そういった形で北ドイツ・オルガン楽派(Norddeutsche Orgelschule)といいますが(この用語は実は正しくなくて、イングランド、オランダ、デンマーク、スウェーデン、北ドイツのハンザ都市に非常に広範囲に分布して)、もうすごかった!
もうこれも絶対やりたい!北ドイツ・オルガン楽派(Norddeutsche Orgelschule)、それらのファンタジアはすごい!
それでしかももう一つねこれには面白いことがありまして、やっぱり結局オルガンの性能検査のようなそういったところで名人が呼ばれるんですよ。オルガンができて、弾いてもらって、それでオルガンを弾き倒す!それで検査して、
だから低音がグングンと下から突き上げてきたり、あとはもう持続低音(orgelpunkt)がずっとブーンと来て、だからもう転調しまくっちゃうとか、
本当にこれ見よがしに行ってまして、本当にすごかったんですよ!
それでもう一つイタリアの方でも発達した、ルネサンス末期ぐらいから、幻想様式(stylus fantasticus)は、
もともとはそういった今さっき申し上げたようなファンタジアというのは、どんどんの楽想が出てくるというんですけど、
その後の時代になると半音階(chromatica)がどんどん出てくるような音楽はファンタジアというイメージができました。元は違うんだけれども、
フローベルガー(Johann Jakob Froberger, 1616-1667)とか、初期の頃の人も、結構全音階(diatonica)で書いてます(ヘキサコルド・ファンタジア Fantasia sopra ut, re, mi, fa, sol, la, FbWV 201)。もちろんスウェーリンクもそうです(Fantasia sopra ut, re, mi, fa, sol, la, SwWV 263)。
だけどその後に半音階が強烈になってきて、もうブクステフーデとか、ブルーンスとかはめちゃくちゃですよ! 本当にラインケンとか、まあバッハもそうですけど、
オルガン、そういった形で発達してきましたが、このスウェーリンクのペダルもすごい動いちゃっているということでして、当時はこういった文字譜(tablatura)で書いてたんですよね。
基本的に今はオルガンは三段譜表で三段(右手・左手・脚鍵)で書くんですけど、ちょっと見てみますよ!
こういった形でバッハも本当に初期の頃(リューネブルクで)ゲオルク・ベームに習ったんじゃないかなと言われていて、
最近そういった文字譜(tablatura)の中に書いてあったりして、ああやっぱりそうなんだと分かったのですが、
そのベームの師匠はラインケンとかですけれども、当時はこういった形で全部バッハの若い頃ぐらいまでは文字譜(tablatura)で書いていたと!
北ドイツのオルガンは本当にまあこういう風に五線譜で書いてくれると動きが解りやすいんだけど、これは対位法的な動きになってくると厳しいですよね!
一目瞭然という感じじゃないから、丹念によく見れば分かるんですけどね!
という形でまあ後の時代なると三段譜表で書かれて行きました。(当時はオルガン曲のみならず、カンタータなどまで、全て文字譜で書かれておりました。)
これは二段譜表でチェンバロのためですからですが、三段譜表になってこれはこれはバッハの半音階的幻想曲(fantasia chromatica)、スウェーリンクにも、半音階的幻想曲(fantasia chromatica)があるんですよね。
かなりバッハなるともうすごい激しいですね!これは面白いんですけどね!
こういった形で幻想曲(fantasia)も、そういうところが出てきてるんだと、ちょっとさらりとお話できたと思うんですけどね!
面白いことにバッハでもそうですけども、例えば即興には2つのタイプがあるんですよね。
どういうことかというと、バッハにもゴールドベルク変奏曲(Goldberg-Variationen, BWV 988)というバッハの名曲がありますけど、
あれみたいにそのきちんと決められたバス、裏返して言えば、和声進行ですよね。
だから決められた中で上の音楽は、もうほとんど作曲に近い形で作るか、もしくは元々あるものを装飾を得るような変奏はよく北ドイツオルガン楽派でもやりましたし、
それはフローベルガーや例えばイタリアのフレスコバルディなどもやってますけれども、
そういった形でイングランドでは例えば低音主題(ground bass)とか言いまして、イタリア語では固執低音(basso ostinato)て言いますけども、
そういったものを変奏曲みたいな形(variata, variatio)と言います(バッハのイタリア風のアリアと変奏 Aria variata alla maniera italiana, BWV 989など)。
もしくはpartitaとも当時は言ったんですね。一個一個の節に分けられていた(バッハのパルティータ「喜び迎えん、慈しみ深きイエスよ」Partite diverse sopra: Sei gegrüßet, Jesu gütig, BWV 768など)。
そういった形で舞曲でCiccona/ChaconneやPassacaglia/Passacailleなど、(舞踏に必要な)舞曲を何度も繰り返して同じことやってるとつまらないから、
変奏をどんどんどんどんしていっちゃうということだったり、
あとはフォリア(folia)とか、ロマネスカ(romanesca)と言いますけど、元々ある歌の旋律のバスコード、和声進行を使って、それを変奏していって、色々装飾を加えるかがあるんですけども、
基本的にもう一つはこのファンタジアとか、プレリュードとは、もうかなりもっと自由なんですよね!どんどん楽想がもう本当に無限大みたいに広がります。
まあある程度プレリュードやファンタジアは、その地域やその時代においては、その類型というか、パターンはあるんですけども、
そういった形でしかも何とかのファンタジアという形で先ほどありましたし、有名な例ではラインケンはコラールで《バビロンの流れ》という有名なもの(Choralphantasie: An Wasserflüssen Babylon)がありますけれども。
もう長大なんですけど、そういうコラールを変奏するようなものもありますけどね。(バッハにもChoralphantasie: An Wasserflüssen Babylon bach, BWV 653があり、1720年にハンブルクで老ラインケンの前で披露したと伝えられています。)
まあかなり自由なんですよ!ファンタジアというのは楽想がどんどん出てくる。(ルネサンス末期にはcanzonaがあり、それは既存の旋律に基づいて即興がなされ、ricercareがあり、それはより自由に即興がなされました。もう少し後にはcapriccioも自由な楽想が連なる曲種として出てきました。)
だから即興二つの意味があって、元々あるものを即興して変奏してゆくもの、本当に即興というこういったこと(ファンタジア)!
この間見たモーツァルトのヴァリエーション(variation)はまあ元々あった旋律に対して、
それで今回は本人のそのインスピレーションに基づいて、面白いじゃないかなと思うんですよね!
それでこちらでは、プレリュードとフーガと書いてありますけども、
バッハは先ほども申し上げたよう、プレリュードにはアルペジオと書いてありますよね。
《平均律クラヴィーア曲集》第2巻の中にあるプレリュードとフーガですけれども、
それでこの曲となる元敷となった曲(BWV 872a, D-B Mus.ms. Bach P 430)は、実はあって初稿とか言いますが、しかも調も違うんですね。ハ長調なんですよね。Cのプレリュードはすごい伝統的ですね。
先ほど見たバッハから、もう300年前からずっとやってるような形から、彼は転調してるんですけどね。
これを作る時に平均律に入れようかなと思ったとき、でもじゃあこの調が空いてるから、これを転調して、じゃあ使っちゃうかと、
リアリゼーションした形でこれを変えて、あとの部分(フガートな後半部)は非常似てるんですけどね。
こういった形でこういったプレリュードもあって、こういったファンタジアに近いような形で盛り上がっていくという、
アルペジオの部分とフガートな部分がであり終わってますよね。まぁちょっとこれこちらにありますから、ちょっと聴いて見ましょう!
実はこの《平均律クラヴィーア曲集》のプレリュードはモーツァルトも知ってたんじゃないかということでして、
こんな手紙がありまして、モーツァルトがウィーンに出てきた頃の1782年に実際この今我々の主題の音ファンタジアが作られた(とされる)年なんですけど、
このスヴィーテン男爵が何回も出てきますよね。もうこれ第3作目になりますか、
最初はもうジーグKV 574で、それもバッハとの出会いのところでも出ましたし、ヘンデルの編曲KV 591でも、序曲のところでスヴィーテン男爵が何曲もヘンデルの大曲の編曲をお願いしたということで、
それで何回も出てきて音楽上の関わりで大事な人ですけど、そこでモーツァルトはお父さんに報告しているんですね。
ここからになりますね。ich gehe、(私は)行くと書いてありますけれども、12時にスヴィーテン男爵の家に行くんだということで書いてあって、それでしかもスヴィーテン男爵の綴りがちょっと違うんですよね。
それでそこではここですかね?
まあモーツァルトの字がなかなかこれ走り書きすぎる!
それでここがヘンデルと書いてありますね。ここにバッハと書いてありまして、ここではヘンデルとバッハ以外は演奏されないということ!
モーツァルトがそれに触発されてコレクションと書いてありますけれども、もうバッハのフーガ、
セバスティアンと、セバスチャンと書いてありますよね。エマヌエルと、カール・フィリップ・エマヌエルと、長男のフリーデマンのを集めていますと、
お父さんに報告してるということでして、非常に当時モーツァルトはバッハとヘンデルにはまりましたいうことでして、
ちょっとじゃあこちらに戻って聴いてみたいと思うんですね。
このモーツァルトの曲を間違えなく知っていました。 (この幻想曲と同じ1782年に)《平均律クラヴィーア曲集》から、もしくはオルガンのトリオ・ソナタを弦楽のために編曲(KV 404aとKV505)しているんですよね。
だから間違いなく、この曲はモーツァルトは知っていたということで、(フェインベルク Самуил Фейнберг, 1890-1962の伝説的な録音で)ちょっと聴いて見ましょう!いきますね!
(右手のアルペジオの情感の漂いの色彩の変化が左手に支えられて)いいですね!
うん、(左手で奏でられる内声の連打が)高い方に行った!ふわーん!
低音の動きが良いんですよ!(フェインベルクは和音の響きの味わいに従い自在に速度を揺らがして、音量を変えて、演奏しています。)
ここから(快活な)フガート!
また(主題モチーフが)出てくる!
おお!(徐々に音の長さが狭まり、滑らかな音型となり、最後を駆け上がるように盛り上げてきます!)
という感じですごいですよね!
それで面白いのが、このアルペジオ(分散和音)の下のところで、すごい内声が一つ入り、動きが見事だったし、
それでこの下の音でこれが根音(root)でもう全体の雰囲気を決めていてがっしりしてるんですね。聴こえることにより、
その上のアルペジオでも動いてるんですけど、ここも実はよく聞いてみると、何か二声ぽく聞こえるんですよね。
だから全体で四声ぽくなっちゃっている!先ほどの初稿の中でもちろんこれはいてるはもっと長い音符ですよね。音価が長い音符で書いてありますけれども、
まあある程度、こういうふうにブロックコードと思いきや、バッハはそれをこんな形で本当に四声が本当に流れているように見事にプレリュードにしてしたと思うんですよ!
それで面白いことにモーツァルトがよく使う、こういったもっと今よりも遅い形ですけど、それで幻想曲にも出てくるんですけど、
こういった音の使い方がバッハの影響がすごくあるんじゃないかなと思って、
特にこのプレリュードの影響が本当にすごい見られるということで、ちょっと紹介してしまいました!
そういった形で今日の本題のこの幻想曲にやってまいりましたけれども!
本当にこの曲はここはアルペジオになって、ここはもちろんファンタジアとは、結局はこういった非常にアルペジオ、分散和音的な動き、それでモーツァルトのはちょっとこれ長いんですよね!
最初は段々と細くなっていくんですね。細かくなっていったら、ウーンとこういう感じになり、モーツァルトはこういった楽想をどんどんその長いものを少し短くして、
もうさらに凝縮されて、これで本当に解き放たれるような感じで書いてると!それでバーンとなって締めてから。
ここの下のところがすごく先ほどのバッハのプレリュードに似ていました!
それでその上がこれは非常にホモフォニックなんですが、(バッハのプレリュードと)なんかテイストに似たところが感じられるということですね!
小休止して、ポンと休止するところが出てきて、その本当に止まるところ、間合いが大事なんですけど、それでここからは少しずつ出てきて 、
これはホ短調でしょうけれども、それでここからどんどんバスが強くなって、それで線的に上が鳴ると、
今度は下がこの三度でこういう風にパパンとくっついてくるのは、結構モーツァルトの鍵盤楽曲によくでてくる!(そのため調を確立しないように聞こえて、不思議な雰囲気を漂わせます。)
この三度が並行的に動いて、こう行ったら、また戻ってきたりとかして、それでどんどんどん、
また最初の楽想が移調された形で最初のきて、それでパンといきなり来まして、それでまた移調された形でこれがまた出てきますよね。
これはニ短調かな、さっきはホ短調ぽかったので、それでニ短調ぽくなり、それで同じような流れでスッともっとすごいのが出てきて、
それでまた一番最初に戻り、こちらと同じすよね。
それでしかもテンポの最初に同じときたら、ここすごい明るくなっちゃう、アレグレットが来て、これも先ほど でいえば の部分は抽象的というか、
和声、コードがもう美しく聴かせるところから、最後はすごい速いフガートと同じような形に早くなんですね。
これもすごいんですよ!それで最後までブーンと駆けていって、最後がもうカデンツァみたいになって、
まあモーツァルトのいつもの感じでトゥルルルルーンとなって、それでもう一回、落ち着いたところでここで切れちゃってですよ!カデンツァが終わって、トゥルルルルーンときたら、パシーンと切れちゃって、とても不思議なんですよね。
最後のここは属七で終わってるんですね。だからまあこの後また続く、れもそんなに長くない。
モーツァルトは変奏曲などでも、このカデンツァがトゥルルルルーンといったら、最後はもう閉じる雰囲気で進みますから、
それで最後は誰かさんが補筆して、もともとあったここの部品を付けているんですよね。移調した形ですね。
これでトゥルルルルーンもここにあるし、最後はパンで割るという感じで、まあ見事にちゃんと完成させてくれているんですよね。
ちょっと聴いていきたいと思うんですよね。
それでモーツァルトのこちらも未完成肖像画を置いてきました!
非常に生きた時のモーツァルトの顔に近いんじゃないなと言われていることですけど。
と言った形で作られている曲ということで実際じゃあ(マリア・ユーディナМария Юдина, 1899-1970の演奏を)聞いてまいりましょう!
ここはニ短調(で始まります!)
ここはドゥーンと鳴る!
すごいですね!まあこれは色んな和音を46とかの和音だったりとか、それで短くなった!
(低音の)ここが一段ずつ下がってますよね!ドゥーン(と低い音を鳴らして引き締めてから次の節に移ります。)
これはドミナント上からこっちに来たかな!これが出て来ました!
それで一段上がった(順次上行をした)!(同じ連打音の間隔をイネガル奏法で不均一に演奏されるところが面白いです。)
ここの休止!これはしゃっくり音型見たいになっています。結構モーツァルトは好きなんですよね。
これから強くホ短調を思わせる!バスが強い、半音ずつ下がっている!(一つ一つのバスの強さが帰られて徐々に早く大きくなり盛り上げてふっとぬく解釈もなかなかおもしろいです。)
こっち(右手)は少し上昇して
ニ短調ぽかった!(ここから細かい右手の音型が飛び跳ねてゆきます!そして左手の伴奏の付け方は先ほどのバッハのプレリュードに似た考え方で非常に縮約された形です。)
ここがしゃっくり音型になって盛り上げています!
最初の所が出てきた(しゃっくり音型ですが煽り立てるように左右で交互に演奏されておもしろい解釈です)!
(最初の主題が)戻ってきた!
ここはイ短調ぽいかな!
ホ短調ぽいのかな!
おお!すごい!
最後はドルルルルーンと行きました!
それで(Tempo primoでテンポが初めに戻り、曲想が)すごい変わって、二短調ぽいかな!
これは先ほどと同じ形が思い出したかように出てきました!(楽節の最後がバッハのオルガン曲を思わせます。)
今度ここ押してきました。それでこの流れがあって、(いきなりものすごくテンポを上げたところがおもしろいですね。)
ここのところがすごい二声みたいに動いて、(低音がブロック和音になり、)
そうすると盛り上がって、それを受け止めて、こういうすごい!ここ(一番低い音が鳴り、)そこから入り加速して、(最後が少し緩やかに高い音に行き、初めのモチーフが出ます。)
ニ短調ぽいのかな!(アッチャッカトゥーラのような打楽器的な部分も見事に音楽を推していくように演奏されています。)
この休符がいいんですよね!空いているんです!
ここ(左手の和音)が遅れてくる!
これ良いですね!ガーンと来て、マリア・ユーディナらしい!
ここ、すごかった!すごい思わせぶり、
また自問自答しているように(同じフレーズを少し語尾を変えて繰り返して、)ここ(のシュライファー音型)は何故か弾かないんですよ!
いきなりここへきちゃう!忘れちゃったなという感じですけど、(意図して)弾かなかったかもしれない!
ここから来ましたね!ニ長調!(もう一度繰り返します!短いフレーズが上に飛翔するように出てきて右手が二声ぽく、左手がまた二声ぽくなる書法もバッハらしいです。)
(いつものモーツァルトの)やんちゃな感じがする!(最後の右手から左手に引き継がれるところがユーディナのリタルダントする解釈ともあいまり、非常に味わいがあるように演奏されています。しかも真珠が転がるような美しい音です。)
アルベルティバスみたいです!(右手の高い音への飛び跳ね方がモーツァルトらしいです。)
(次の節に行く前に和音で引き締めていて見事です。)
うーん、すごい!
ここのところの和音が面白かったですけれどもね。属七だったけれども一つ音が抜けている!
(ユーディナは和音の連打を打楽器のようにまくしたてるように演奏してから、二度目を優しく弾いて、次の旋律的な部分に入るため、非常に好対照をなしています。)
ここまでがモーツァルトが書いていて、ここから追加された部分です。
うーん、こんな感じで盛り上がりましてきましたけれども、なかなか最後の終わり方もトルーンという感じで終わって面白い!すごくいいですよ!
いや、この補筆が嫌だといって、最初のまだドゥワーンとした感じのところに戻って考える人もいますけども、
やっぱりモーツァルトの例えば不協和音のカルテットKV 465でもそうでしたけど、
まあすごいカオスだけど、最後はトゥルーンといつもの感じで終えていくのが、モーツァルトらしいから、これでまあいーかと思ってます!
それとマリア・ユーディナは結構この音を弾かなかったり、楽譜を改変してるんですけど、
とにかくこのマリア・ユーディナはトゥーンときて、ガーンといくところが、結構いいんですよね!
マリア・ユーディナとは、結構バッハとか、ベートーヴェンの名手でしたから、モーツァルトだと結構ゴツゴツしてソナタを弾くんだけれども、
でもすごくこのファンタジアに合ってました!モーツァルト自身がそのバッハを意識して書いたと言われている作品ですから、戻ってみますね!
だからマリア・ユーディナは非常によくやってると思いますよ!すごく良かったと思う!
それであんまりリサイタルの録音で音質も良くなかったけれども(Monopole MONO003では1947年とありますが、Vista Vera VVCD00178では1951年10月6日にモスクワ音楽院の演奏会とされます。第15-19小節で別の声もかすかに混じります)。
今まで色んな演奏で聴いてきましたが、結構きれいにまとめるピアニストが多いですよね。このファンタジアを全体的にモーツァルトは典雅だということですが、
それよりも無骨にババーンとやってくれたのがすごく良かったと思いました!
今回もこんな感じで上がってまいりますけど、また今後もモーツァルトをたくさんやってまいりたいと思います!
今回もありがとうございました!