陸機《平復帖》の書法を郴州呉簡や楼蘭残紙など同時代の肉筆資料と併せてみてゆきました。お楽しみ下さい!
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2021年3月10日
皆さま、こんにちは!王羲之のシリーズから少し時代を遡りまして、鍾繇や陸機をやって参っておりますシリーズも続いておりますけれども。
前回は陸機の《平復帖》、これどういう意味なんだということに興味をもちまして、前置きという形で始めたら、それが一つの大きな話題になってしまいまして、ビデオが一つできてしまいましたけどね!
今回はまあ実際にこの書法、この筆の使い方なりを見ていきたいと、
この時代のその筆法や書法を味わえたらいいなと思って始めてまいりたいと思います。
この書は陸機が色々と考釈した結果、
まあ亡くなる年に書いたじゃないかなということでして、まあそれが正しいかどうかは、また色んな学者が議論しながら、また決まってくるんでしょうけども、
まあ間違えなく陸機が亡くなった年はこの年、303年ですから!
これで思ったんですよね!鍾繇の時と同じで、この同じ時代の書蹟と組み合わせて見ると
ちょっとこういうものを用意してきて、郴州と言う、蘇仙橋という場所、これ場所で、今の湖南省ですね。
ですから当時はやっぱり呉だったんですね。それで陸機が生まれたより、ちょっと20年くらい早いんですよね。
まあでもその同時代とも言ってもいいでしょということでして、そんなにもう同じ世紀ぐらいだったら、大きくその書法がドカーンと全然違うものにならないということですから、
殆ど一緒に近いということと、ちょっとね亡くなった後ぐらいに楼蘭という場所、これは結構遠いですよ。西域の方の新疆ですから、
楼蘭で出た、そこはまあ砂漠でういうものがすごくよく保存されて腐らずに残って
こっちは逆に湖南省は水が多くて、非常に腐りにくい、井戸の中に落っこちて、それそれがそのままずっと無菌状態になって、酸素と断たれて腐らなかった意味でして、
また全然違う意味で残ってきた二つ、でも同時代で見て行きたいと思いましてね。
こういった資料を持ってきました!
これを見て感じることは、陸機はなかなか、この卒意というか、もうその時の趣きに感興に合わせて、この書簡をこの尺牘を書いているということでして、
かなりこれは親しい人に対して向けて発信された書簡ではないかと考えているんですね。
まあこの間はちょっと、これはまた状況証拠から非常に難しくて、寇克譲(こうこくじょう、Kòu Kèràng)さんの《平復帖考釈》で色々条件証拠からすると、
虞預(ぐよ)という人に対して、陸機が発信されたんじゃないかと、真ん中のところで一番大きく占めてる、楊方さんは同郷人を勧めたんじゃないかという風に考えてますけれども。
まあそれは状況証拠から色々とその後にね実際に確かに虞預という人はどんどん、その人を推してあげたりしている事も含めて、そうだったんじゃないかというか、まあそこは(確定が)非常に難しいところでありますけれどもね。
だけど、結構意味は色んな分からない人名も分かって面白かったんですけどもね。
というわけで、かなり身近な人に出されていたと分かるんですけども、
そう見てみますと、この筆は結構割れても(気にせず、)割れたりしてるんです。
こういうところは、割れたりしても全然意に介せず、こことかもすごい走り書きですごく味があるんですよ。これなかなか!
それで筆が割れちゃっても、もうぐいぐい書いちゃえとすごい強い意志を感じるんですけど、
それと飄逸というか、飄々とした感じもあるんですけれども。
陸機はそういう人だったんじゃないかと想像し得たりして、それで見てみますと、
それともう一つよく言語学ではよくいうことなんですけどね。ラング(langue)とパロール(parole)があり、これはソシュールという人が、
それはどういうことかというと、そのラングとは、その時代、例えば陸機であれば、陸機の時代の文章なり、もしくはその時代の文法なり、そういう時代の手紙の書き方とか、そういう格式、いってみれば様式、そういうものがあるって言うんですけども。
それとパロールとは、個人のその言葉の使い方ちょっと違うんですよね。辞書に載っている言葉の使い方と違い、本人のそのしゃべり方とか、その特徴的な部分、
それもは書法にも当てはまるんじゃないかと、私考えていました!
つまりその同時代の例えばこちらの2つ書蹟がありますけれども、それと含めて考えて、それはどっちかと言ったらラングの方のつまりその時代全体に関係している、もう共通事項として考えられていた筆法なり、書法。
それともう一つは陸機の、そのこれを書いた人の言ってみれば、特徴というか、もっと平たい言い方をすれば癖、そういうことがあるんですよね。
そう見ていくと、これはなかなか飄逸ですけれども、同じ地域の呉のちょっと前の筆蹟にも非常に似ている!
やっぱりその入り方、グンと入って、その抜ける感じの抜け方が、すごい瞬間的にバーンと太くなって、ギュンと 瞬間的に筆がねきれいに整って抜けてるんですよね。美しい!
ここもすごい基本的に中鋒なんですね。ここなんか少し上を通っているでしょうけど、
上を通っているという言い方ちょっと語弊があり、ずーっと書いていくときにウーンと木簡の表面に筆が押さえつけられていく中で、こういう風に太くなって抜けてるわけだから、
本当に上を通って書いているわけではないんですね。かなり当時の人は中鋒に近いですよ。
やっぱりなんでかといったら書けないから、そうじゃないと、もう筆は斜めに45度に入れて書いていないですよ。
何故なら木とか竹は表面がすごいガザガサだから、だから抵抗で書けないんです。それと表面に何かグァグァしているから線がきちっときれいに進めないんですよ。
だからできるんですよ。そういうのというのは!紙でもあんまり綺麗に行かないんですよね。
実はだから線が弱くなっちゃうんだけど、だからこういった形ですごいんですよ!こんな入り方が鍾繇でもありましたよね。もう筆先が触れて、触れて、触れていって、返る所では、筆先がまた入って、
ここから、ここまで来て、一回行って、テンと入れて、こっちを書こうという意識で行っているんですよね。
ここが強いから、すごく、この線に対してというようなことであって、すごい!
あと点の打ち方ですよね。これももう鍾繇でちょっと出てきましたけれども、チュンと入って、スンと抜ける、
その瞬間的な押さえつけ筆圧が強く高まる!ここもそうですよ!もう接触した瞬間にグッと強くなる。
そういうような線と分かるんですよ。
まあ大体こういうことを見ると、そのどのくらいの筆圧と速さとその傾きとというのは筆で書いていると大体想像ができるんですね。頭の中で線を見れば、その結果を見れば、その書いた時の瞬間が(分かります。)
これなどはグンと受けて、 こっちから来て、こっちから受けて、瞬間的に中鋒にさせて、グーンと行っているんでしょ。
それで圧が高いまま抜けているということなんです。だからこういったように圧を高めて、最後を綺麗に整えて抜ける場合と、圧が高いまま抜ける場合と、そういう線があるということ。
これは鍾繇でもそうでした。それでここも下もグッと入って、こういうようにグンと行く、こういう所とか、もしくはこういうところ、その折れ曲がるところ、点折部は、
結局隷書では別々に一画で入れていて、ここ書いてから、また入れ直して、縦を書いてから、横に書いただけど、
だけれども瞬間的に速く書くためには、それやってると遅いから、グッと行って、もう漢の時代から隷書の時代から、もう木簡では、ちゃんとした場合はちゃんと一画を書いたけど、
木簡ではもうグンと行ったら、瞬間的にちょっと筆がねじれるか、もしくはその筆が少し筆圧が弱まって、
それでまた入れ直した瞬間的に高まるんですけど、グンと来る!じゃないと筆の後ろに鋒が付いてこないため、後ろじゃないとかと偏ってしまいますからね。
そうするときれいな美しい線は安定して書けないと、こういった簡牘の上ではですよね。
だからこういったこの点折部はすごい面白いんですよね。
この入った時にギューンとちょっとこちらに来るわけだから、
筆がちょっとここの瞬間だけ角度が変わる。倒れるんですよ。
なぜかといったら、来てた線と違う線の方に行こうとしたとき、その新しい線の方に入るときに、多少の力が必要だから、
そっち側に倒れる。つまりこっち側から、もっと具体的に言えば、引いていって、書いていったら、ここで筆管が右側にちょっと倒れて、こっちに入る用意をして、瞬間的にここだけ、パーンと、まだこっちいくと、
だからこういう結果の線になるということは、ここもそうなんですけどね。
この場合はここ一回抜いたような感じにして、ちょっとこうきた筆管をグーンときたら、ちょっと転回部のところで少し筆管を瞬間的に少し転換させて書いているんですよね。
そうするとこういう線になるんですよね。じゃないとずっとこうきたまま、筆の先がきれいにまとまったりしないまま、次の方に行くと、線が弱くなっちゃう、
だからこういうところとはすごいちゃんと、要するに大体書法でこう書きなさい、ああしなさい、というのは言うけれども、
それは結果論で本当は筆の先の筆鋒が常にきれいにまとまった形で美しくちゃんと線の後ろに付いてこれるような形で、特に折れ曲がるところとか、止まるところとか、入るところは注意で上手くそこを処理しながら書いてくる、その方が自然に書きやすいんですね。
ということなんですよね。言ってしまえば、
もう本質的な部分だけ言ってしまえば!それでこれなんかも、また回って、いいですよと、このこういう角度、要するにこう来ていたベクトルがこう来て、こうして少し縦側になってきて、
それで今度、逆転、こっち側に行ってきたものが、右側に行ってきたものが、こっち側では、逆に左側に行くわけだから、
要するにこういう線を書くときには、正反対の方に行くわけだから、
ここのところは、やっぱり太くなることが、当然のことなんですよね。自然に筆を使えば、筆は紡錘形をしていますから、
だからそういった線なんです。それは強い形でも、弱い形でも、縦線なんかでは、これもよく見ると真っ直ぐじゃないんですよ。
こっちまで来てこっち来てるんですね。 当然でこれはちょっとすごい特徴的と言いますか、そのすごい強調されちるというか、極端なんですけど、
どの線も縦線はそうなってますよ。これ、これもそう! これグッときたら、こっちに筆を倒して、こっちに行こうと、そういう意識で書いてますね。
これはまさにこの線もちょっと弱い状態ですけれども、そんなにグニャンと曲がりはしてないけれども、
縦線のそういう特徴があるということが言えると思うんですよ。
それともう一つは、これは大体隷書の影響でやっぱり鍾繇でもそうしたけども、
この下が一番強いわけですよね。それでこれはこう言う、ちょっとひしゃげた感じで、左から右に少し重ねる感じで、こっち側に来てるんですね!面白い!
(「彥」の)この部分が「文」でしょ。それでここは結局こう来て、こう来て、こっち来たら、
この線がこういうことで、短いわけですよね。それでこれもこっちに行きたいからということで(「彡」の点が二個だけど、点が略されて、こうなってますけど、ここも面白い!
この部分とこの少しずつ太くなっていくところとか、ここはこういくでしょ!ここなんておもむろにここに行って、
これはまあやっぱり隷書の影響ですよね。やっぱりこれは章草は、そこから出てるから!
こうきて、これなんかこうきたら、グニュンとこう来て、やはりちょっとテンと言ったら、こっちギュッと行って、
それで縦は今申し上げたような、こうきて、こうおもむろにきて、こうでしょうと!連続的に変化している!すごいこの「羸」は!
これなんか、もう本当にやっぱり先が効いたような筆ではなく、結構使い古された筆(禿筆)で書いたんじゃないかというのが分かる!
こういうところがシャープに入ってないです!逆にそれがいいんですけどね!
そのピンピン、ピンピン、こうシャープに入りすぎると、露鋒といいますが、そうするとすごいちょっとツンツンしてる感じするから、
これは割とこの楼蘭残紙は横線、ここを見てもそうなんですけど、ここですね。ここなんかも、そうだけど、結構使い古された筆で書いてんじゃないかなと。
それで瞬間的にここですごい!だって細いところから入ってないですよね。
これもそうなんです!この入り方!
ここなんかもそうですね!みんな!
すごいこの《平復帖》の「平」ですけど、本当にすごいここ、なかなかいいですよ!
本当にそれで入ってます。それでこういうところは、(「瘵」という字の)そういう中のところですから、「祭」ですから、これ込み入った場所ですから、
だからこういった形で最後のここチョンとこの返し、これいいですよね!
なかなかここ所が早いから、ここのところで抑えているんですよ!
それで「恐」でしょ!これでもう「心」はこんな(一本線)になっちゃいますけどね。
こっちの「凡」が略されちゃうから、この「工」という部分ですからね。
それ少しずつ、こうなってるんですね(笑)走ります。走って、最後の所で抑えて落ち着いてるっていう、
なかなか沈着ですよね!これ、早いようですがね!
それでこう来て、こうでしょ!ウーンと来て、それで結構、ここも意外とこれ右上がり強いんですよね。
どの字もなんだけれども、この字の特徴は、面白いことに、この「病」なんてもそうですけど、右上がりがものすごく強い、
なのにここが右側のこの高さがものすごくあり、それで左側が短い。
これもそうなんです。右上がりでこっち側にしてる。この辺も空いてて、こちらで下の方にこれは「隹」だから「難」でしょということで、
これ「隹」の下にこういう方に行って、右下に、こっちは(偏旁の)組み合わせ方が面白いんですね。絶妙(笑)
それで「平」という字も、ここ一番上がピーンでしょ!それで点点でしょ!ここに(横線が)二本あるでしょ!でも、こうでしょ。ここに棒を書いて!
それで王羲之も結構、そういうところがありましたけれども、あんまりこうした昔の晉人たちの字は、あまり舌を出さないで上の部分がすごい大きい!それで安定がある!
「平」は普通だったら下が長くて、縦長の字になりがち、
でもこれは章草だから、結局、横に扁平なんですね。
やっぱりすごい縦は抑えられているんですね。なかなかいい!
それでこれもこうきているでしょ。「又」ですよね。これは間違えない。
これで「又」と同じく、これは同じ、この行人偏でしょう、こっちはこう、こっちに出る、左側、こっちは中にか入って、こう出て、こっちは「往」ですね。
これは「往」だから、これなんかも、こう来て、すごいここ走ってますよね!
右はここだけど、これ「居」か、「口」は点点に(草書では)書きますからね。「属」なのか!?
まあどちらにしても、書法上は、ここを上って、ここはおもむろに書いたら、こう早いでしょと、なかなか面白い!
これはここ普通、「初」(の「衤」偏)には、ここに1本あるんですよね。ここにね!
だからこの字もなかなか面白いですけれどもね。
それでこれは 「刀」じゃないか、以外と、この字も何人か違う釈で「初」じゃないという人もいるんですね。この二字(「属」「初」)には少し疑義がある。
まあこれは間違いなく、「病」と読めますね。先ほど申し上げたこっちが高くて、ここが短いでしょ。
こっちで大きくどんどん振ってくるんですよね!
この転回店はこうやったら、こうなっているでしょ!
すごい筆の返りが、もう自然です!こう上がってウーンとやってますからね!
ここ、すごいんですよね! もうこういうものは、筆の先の気持ちになって、(線を)読んでいくんですけどね!
そういった形でこれは「慮」か、これは「心」ですからね。最後の一本!
それでここは点でしょ、「心」がこうきて、これ本当にいいですよね!
なかなかこの辺が早いでしょ!
下のほうが安定感があるという、こっちは今度は右上が軽くて、左下が抑えてますね。
これは「不」でしょ! それで「不」は何回か出てくるんですよね。ここも「不」だったでしょ!あとは「不」が出てくるところは、これも「不」ですよね!それで「不」は何回も出てくる!これもだ!
これも全部違いますよ!これ!この点の角度、置き方、これ一番安定感あるように書いてありますね。
これ少しずつ振っていってますけれども。
それでここは剥げちゃってるけど、「止」じゃないかな、それで「此」でしょ!
「此」もバンと当てて、ここの所ですごく強くして、それでここで一回、こっちに行くために折れるところは、一回、抜くという場合ありましたと申し上げましたね。
それでやってますよね。一回、少し転換させるために筆を動かして、
ウッとこちらで浮かしているけれども、(筆が紙から)離れないでいってんですよね。なかなかいいです!
これは同じ字を踊り字というか、 点点「〻」で「此」でしょ!
それでこれはこうきて、こうでしょう、それでグンときたら、グンと当てて、こっちでピンといってますよね。
なかなかね!こちらが、まあこの「為」はいくつかありましたよね。
ここで、これから、これが、これも、そうです!全部違うように書いている。
こっちは、こっち長い、それでこっち下の方で実際ひらがなの「ゐ」ですよ。
それでこの首が長い、こっちは首が短くて、この扁平ですよね。
それでここのところがクルンというところが、点点点点の略ですけれども、ちっちゃい!
こっちは点点点点がピンとこうなってますね!
大体「心」は何回が出てきましたよね。それでこれも「心」!
「心」とか、点点点点は一本になっちゃうんですよね。すごい短くてチュンとなっている!
もう全部で略して分かっちゃう、分かるわけですよね!もう草書の規範として、
これでこれは「慶」じゃないかという、これも一本下が(心です)。
これも何人かによって字釈が違うんですね。これもなかなか難しい。剥げてると言いましたよね。
もしくは「承」はこうきてこっちがこうなる場合がありますから、こっちにもうちょっと左側に振ってくれても良かった。
この辺がどうなのかというところがありますけどね。
そうすれば「承」の草書だと分かるんですけど、
結構これはめちゃめちゃ簡略化されちゃって、
こっちからこっちの空中の線も、一応 この手がこの二本が篆書でもありますからね。
そこの部分も省略されて残していないとうことで、それで一本、先ほど申し上げたようなこの縦の動き撓んだ感じありますね。
それで点点点で点のように横線を書いてますね。
そうするとすごい縦長に見せてますね。
それでこの字なんかは、結局これはやっぱりこっちが欠けちゃって、この「使」のこっち側(旁)じゃないかと。
こっち側(偏)はもう剥げているんじゃないかと、困っちゃってるということなんですけどね。
だからまああれとしても、ここはなんかはトゥンと入れて、ここを大きく振ってくるでしょ!
ここをちょっとこの辺がすごい入ってて、こっちがかなり詰まっているように見える!
「男」ですよね。「力」の所、面白い!それでこの角度が違うから、これがなかなか見事じゃないかと面白い!
それでこれが「幸」でしょ。 ここのところで入って、クルンと来てる、やっぱりここの転換点はすごいやっぱり入れようと気持ちが、
こうきたらちょっと浮かしてから、ここから線が入ってきて、ウーンときている。
こうきて最初はゆったりなんだけど、早まって、それでこっちに行ってるんですよね。
こうつなぎがこうきて、こうなんですよ!
こうこうじゃないんですよ。普通じゃない!こっち元の線を戻っている!
それでこう来ているという、こうですね。最後に少しを起こしてます。
それで「為」という字ですが、少し剥げていますね。
それで今申し上げた上でさらにここ面白いでしょと!
これここと一緒ですね!「又」ですからね!
今度は縦にピンてきてますよね。すごい縦画が鋭い!
下を抜け方もちょっと剥げているんじゃないかと、すごい鋭い!
それで「又」でしょ、こう来て、ここの出るのが、普通だったら、こっちでこっちの方が低い、こっちもさっき申し上げませんでしたけれども、
普通こっちよりこちらも下に出るんですよね!隷書では!
なのにこっちは右側にいってる!これもそういう傾向ある!すごい面白いんですよ!これはそうなかなかすごい!
こういった楼蘭残紙などに近い入りと、この形の組み方が面白いんですけどね。
それで更にこの字、これはね結局、「失」か、こう、こう、こうで、こうで、こうでこうというのは、こうなりますからね。
足の所のこういう状態が、これでも、本当にこの1本がちょっとないだけで、「去」にも近いし、本当に草書は(判読が)難しい!
まあこれは「失」だと思いますけどね。
それでこの「前」でしょ!「前」は基本的にこうきてこうですが、この「前」はこうきて、ここはちょっと剥げていますが、グンと当てたら、瞬間的にこっちいって、こういって詰まってます!
寸詰まりになっています。「前」は何回か出てきていました。
こっちもそう、これも「前」でした。こうでこうなっていますね。この寸詰まり方がおもしろいですよね!
詰まって、クンときて、これはまたこれあれですよ。「心」がこれは「憂」じゃないかと、これもいくつかの説があって難しいところがあるんですよ。
だってこれだけしかないんです!もうこれこちら「耳」ですので、こっちは違う字に入っちゃっている!
これはなかなか読めない!剥げちゃっていてという部分もありますけども。
だからでもこれ面白いことが言えるのは、こうきて、こうきて、これ結構上がって、こう来て、
全部線の角度が違うところが面白いじゃないかと!
まああんまり剥げちゃってるところは、中々言いにくいんですけどね。
ここもここも「呉」も剥げちゃってるけれども、下のほうがすごい、これと同じで強く受け止めてまして、
それで「子」がこれが右にもっと行ってもいいのにここが空いていて、左にグニュッとちょっとなっているのが面白い。
こっちこっちに行っちゃって、でもいいやと言って、ここけっこう空いてるのが面白いですね!
まあここがちょっと剥げているというのはありますけど、
間違いなくここは剥げてたんですよね。
何でかと言ったら、これだけで「隹」はありえないから、
ここに何かないとバランス取れないですから、これちょっと一字としたちょっと右に行き過ぎていると感じありますからね。
この偏は剥げているのかなと、
それでこれ「楊」でしょ! まあこれもなかなかこうきて、ここ(筆が)割れた感じがいいでしょうと!
こっちをとって、筆がこうグンと行った瞬間に筆がねじれて割れるんですね。
それでそれがこうなって味がある!これこれは「往」でしょ!
これはキュンと引っかけたら、こう言うキュンと引っかけるのは、結構、木簡には多くあるんですよ。
こういうところちょっと出る!こことか、あとはちょっと鋭いところでね。
この楼蘭残紙にも結構あるんですよ!
それでここはちょっとこの中では見られないかもしれないけど、
よくある手法なんです。これこういう引っかけ方。
それでこっち行ってこれすごいですね。やっぱり本当に味がある!これもピュンと言ったら、こっちという!
それで次のここのところは、これはやっぱりこの「初」じゃないかと、
この字と合わせて考えられる。下の点が省略されてますけど、ものすごく強烈に。
まあ普通こうでここは残ってる場合もあるけど、なくて、
それでこっちに行って、すごいこの字は大きく、こっちとこっちでこっちが低いんだけど、
こっちも、まあそうなってるんですけども。
なかなかこの字としてはこっちの方がすごく整っている感じがします。
それで「來」でしょう、この縦の線の先ほどこういう状態があります。
これでこれが「主」か「至」か、ちょっと疑義があって、両方を(考えてみますが、)
一応「至」の方の文意から見て、「来たりて至る」ような、「来る」とか、「至る」とか、そういう意味じゃないかと、
「主」だとちょっと文章が合わないのかなと思ったりしておりましたけども。
これも真ん中線に行く時、これキュンと瞬間的に当てて、グンと行って、点を書いたところから、縦に行っているという、
それでここは最後は割れていて面白い!
それで「吾」ですよね。吾れ、我れ 、「五」を書いて、こうですけど、すごいですよね。
ここのこっちに行った。それでこっちは下からは、要するに上と下で違う向きを向いているのにきちんとバランス取れてると!
「吾」すごい縦に長くていいんですね。
次のこれは「不」でしょ。それは先ほど申し上げましたけど、これが面白いのは、上にブンといって、こっちに来て、ここがすごい!
陸機という人は、転回点の右下のところの返りがすごいおもむろですよね。こういうところとか、これもそうですよね。そうなんです。特徴があるんです。似てますよね。すごく!
次のこの字は「能」ですよね。間違えない。ここですよね。問題が「不能」、こうきてこちらは結局、頭の部分でしょこっちが肉付きの部分でしょ!
それでこっち行って、こう、こう、こうだから、これチョンと飛んじゃっているけど、キュンと当てて、ああここは剥げているか分からないけれども、
それでこう来て、ブワンと戻る。陸機はこういうのありましたよね。
さっきもどっかに一つ、パンと立てて、特に「前」とかありました。そういう筆法がすごい特徴でして、
これは上がって、上でこれが問題でやっぱり、ここは「見」は見えますよね。
少しこれは「相」ですね。「見」、「相見」ということで、
これもなかなかこういう風に見えて面白いということで、
本当にこの木偏の方が大きく、あんまり陸機は木偏とかがあったら、こっちを出さないでキュンと行って、
直ぐに回ってこっちに行くという、 そういう癖があるから、これ他の人がなかなか読めないんですよね。
書き癖があるから。 結構、偏の省略が激しいですよ!ここもそうだったけれども、ここもそうだったし!
普通はもう一画があるんですよ!これは「楊」の場合の「木」はそれでこう、これは普通ですよね!すごい分かりやすい、読みやすい!
これはこう直ぐにちゃってるから、直ぐにいっちゃっているから、まあ「相見」だと思いますけれどもね。相まみえると、
お会いするという漢字だと思うんですよね。
それで「臨」は間違えないですよね。
ここの点の打ち方(笑)外にいくんですよね!
それで「西」、こうきてグンと当てたら、右上にちょっと直ぐにこっちに左下の方に入ろうと来ているんですよ。
グニュン、ストンと行って、ここは早いんです!
この勢いで来た!
それでここはおもむろにここは割れているんですよね。同じようなここのところ!
中々筆は使い古された筆じゃないかと、結構あと墨は薄い淡墨で書いてるなという感じがしますね。
まあ大体どのあたりで墨を付けたかはよく分かって、ここで濃い、ここで薄くなっていって、
これずーっと殆ど墨を付けないで書いてますね。ここまで!
ここで付けてる話題が全く違うし、
その前回のところで徹底的にやりましたけれども。
話題が変わったところでは、墨が本当につけて、そこからまたここまで書いてちょっと考える。
次に何を書こうかなあと、ああそうだと言って書いたんでしょうね。
それでここはずーっと墨を付けないで書いているかもしれない。
ササササと自分の考えたこと、まあこの辺でちょっと付けた、これで付けたかもしれない!
「吾」でね。やっぱり「吾」は自分のことで個々の所と句が違うから、
それで「臨西復」でしょ。「復」きましたよ!これでここのところは、割れてるでしょ!やっぱりここは面白い!
それでこっちは今度また違う!
こっちとこれとこれはそのままピンと行ってる。
これは下へ行って、こう行っている。
これはこうこう行って、少しその角度が違う、
それで「來」でしょう、「來」ここにもありましたね。
今度はこっちがグングングン、パンときて、こっちは狭い!こっちは結構振っていますよね。
それで次の「威」でしょ。
ここも欠けちゃって見えないんですけど、ちょっとね。
こう来て、全部違うんですよね。
この角度、これすごいです。それでここは早い!
こっち分かんないけど、まあでもこうこうだろうなと思う、
「女」のところからきて、こっちのこの線のこっち側も兼ねていると思うので、
それで「儀」でしょ。人偏「亻」こう入ったら、ここが空いていて、なかなか、こっちに行っちゃったから、
こっちこっちに書いてあって、
陸機は結構、偏が終わったら、旁が下にこういくという傾向ありますよね。面白い!その形の取り方!
今度はこっちは同じような偏が続いて、ここも続いてましたけれども、
文章から言えば、 これは言偏に当たるのか!これだと三水(氵)みたいに見えちゃう、普通はそれで「羊」だから間違いなく、そういうふうに読めるんですよね。
「詳」ですね。(「跱」の)足偏だって省略され方がすごい結構激しい!
それでこれは「寺」いうのは、ここのところ面白い、キュッてこの前にあった「為」とか、
この「為」に似ている!キュンとこの「寸」のところも略しが面白い!
それできてますけど、 それでこの上の 「舉」もこっち側とこっち側には篆書だとこういうふうに手が二本あるはず。
この「承」もそうでした。
だけど、殆ど略されて、こういう状態になって、もう中は「未」という字みたいになっていますよね。
それでだけどその文意からすると、これは「舉」と読めるわけですよね。
それで「動」に行くわけで「舉動」じゃないかと読めるんですけど、
ここもなかなかこの楼蘭残紙みたいなその入りとか見えるんですよ。
このすごいテンと行って、シュンと行くような、すごいこういうところとか、
だから本当に当時のこっちは軽くピンピンと行っているんですよね。
それでしかもかなり右下に圧縮されているという、軽くなってる!
これで「為」でしょ。それでここで墨を付けたんですよね。
墨がなくなっちゃったから。
あちゃーということでかなり擦れちゃっている!
「成」ですけれども、それできて、それでその次のところでここで墨を付けて、
これもやっぱり相当、偏が左から右に来ている。それで旁がV字型みたいにこういうようになる特徴はあるんですよね。結構。
陸機の面白かった!ちょっと前の方でそういう箇所ありましたから、
だからもしくはこの辺はある程度縦でこっちが入るっていう、
「レ」みたいな形でこうでこうで結構ありましたね。
これもそうでしたね。これもこっちの場合は逆のほうだったけど、
そういった偏と旁の角度のズレが面白いです!これもなかなかです!
それでここも回るところが、もうあと筆があんまり回るころを見ると、
その速さによっては、その太さは違うのはあるけど、そんなにひどく大きな一本の線の中に変化はないから淡々としてるんですけれども、だから飄々と見えるんだけれども、
だから筆自体はその先がもうツンツンしていない、結構まろやかな筆を使ってるなというふうに感じて、
これなんかもにキュンと入って、グーンと入れ直して、こう瞬間的にこういうエッジをこういうのは点から「自」ですから、
その上の点の部分と、これで点から線に入るところのつながりは自然で、
これは王羲之などにもすごいよくありますけどね。
ここいいですよね!外に行って、最後がぐっと入ってくる。
これも王羲之もよくあった!
そうしてこう来て、要するにここも細かい作業でウーンと、
この部分が「身」でこっちにこうきて、それでこっち「區」ですから、
それで「區」のところはこういうグーンとこの、こっちがグーンとすごい詰まってて、
こっち解放されてるんですよね。
もうすごい自由、こっちはすごい詰まっている、自由!
それでここもいいですよ!これもやっぱりすごい!この横のラインのこういった簡牘に書いてた時代の人の書だなと思う箇所がすごいこの横線!
それで「體」の「骨」ですよね。これ!
それでこっちが「豊」の所に入るわけです。これね!
もう乗ってきちゃった!こっちにウーンと乗ってきて、チャッチャッチャと(書いています)。
要するにあるところでは、ピオンと伸びたら、こっちで閉めるという、こっちで引き締めたら、こっちで自由に動くという、動きで考えられて、
彼はそういうふうに字を構成しますよね!
更に「之」でしょう!これトゥンときて、トゥン、トゥン、バーンてきて、
まあこれはそんなに大きな字にならないはずで画数が少ないから、本当に引き締めていいんですよ。
これウッと入った瞬間、これはちょっと飛んでるかもしれない。もうちょっと長いはずなんですけども、
もういいなかなか出方なんか!これなんかはすごい本当にやっぱり楼蘭残紙のこの辺りとか、
すごい線質が似てますよ!このそういってここでしょ!
キュンと入れたら、クルンと回って来て、この点に行ったら、こう行くんじゃなくて、直線に来ていなくて、バンと打ったら、
ちょっと上に行って、こうなって、こっちにグンと回って、
それでこっちに入ってるんですよ!
それで次にここからここまで繋がっていますよね。点を打って少しずつ振っていくんですね。大きく!
だからここであんまり長くしちゃうと面白くない!
もしくはここはちょっと欠けているから、ここからこの辺りからこうなって、
ここ、でもどちらしても振ってるんですね。
それで真ん中を来て、真ん中ををグーンときたら、
この点はこの線とか、この線とか、最後のところいいですよね!なかなか!
「也」がちょっと欠けちゃってるので(割愛しますが、)
これは「思」も丸くてこっちが直線でいいですよね!
しかもこの渇筆になってきて、どんどんもうここで墨を付けてから、消えてきたりする。
それで「識」はもうすごい渇筆ですよ!
それで上にあげちゃって、ここで相当これは剥げてる。
ここにあるはずの部品が、だから、あんまりこれは字型を論議ができないです。
この部分がちょっと消えてしまっているんですけれどもね。
この字もなかなか渇筆でいいんですけどね。
これ見ると何か不思議なほどに、明清ぐらいの人の雰囲気もあるんですよね!
まあもちろんこれの陸機の《平復帖》も結構後まで伝わって、皆知っていて、そういうものから学んだかもしれないけれども。
結構のこの渇筆の度合いの雰囲気とか、すごい!
意外と王羲之などは分からないけれども、敷き写しになっちゃってるから。
でも当時のは結構、実はやっぱり渇筆表現というのはないんですよ。
結構、皆べたっという感じなんですよ!これすごいんです!渇筆表現が!
だから尺牘でも、これすごいどんどんここから調子に乗って来て、すごいんですね。
この形もここで締めてるでしょ!こっちは空いているんです!
「日」のところを点をこっち行っちゃった!
それでこうきて、こっち側に来ていると、すごいんですよね!
だからこれある人はそのここは剥げてるというのもあり、「夢」と読めるじゃないかという人もいるけど、
これはまあ文意からすると難しい所なんですよね。
しかも前の字が消えてしまっていると、
ここはちょっと読めない!この字は本当に定かでない部分もあるんですけれども。
「之」もみんな違うんですよね!
こっちがこうなっている!
ここの所のこれはちょっとちっちゃくて、
こっちは大きくてこっちに寄っている!
こっちは みたいになっている!
これはこっちに結構太くて、ある程度、中央に書いて、
ここ(「邁」)の「萬」という字の動き、これもいい!
これもギュンと上がって、ウーンとここが空いているんですよ!
ここが見せている。この返り、陸機が好きなんですね。
みんなこの流れがある。
それでここの入り方いいでしょと!ここがこう入っている!
ウーンとくるこの動き素敵だと!
ここ当てているでしょ!この辺から調子に乗ってきた。
もうこの楊くんについて話してる!
それで楊方くんが素晴らしいというので、調子に乗ってきた!非常に、筆に気持ちがこもっている!筆がよく伸びてますよ!
これでこれ「執」でここもいいでしょ!
ここのところは飛んじゃっているんだと思うんですけど、線が剥げちゃってる。
これは「所」、こう来て、こうこうだから、
それで次のところ(「恒」)でしょ!ここもこういう大分、ここら辺(立心偏「忄」)があったんですよね。
「恒」という字のこっち側「亘」だけが残ってる。
だからまあ字形をあんまり、その言えないけども、相当に調子に乗ってきてるというのは分かる!
だから剥げちゃうというのは、結局その表面までしか墨が浸透しなかったから、ちょっと表面がかすれてしまうと もう見えなくなっちゃうんですね。
これ「有」でしょ。これでありましたけど、なかなかいいねと!
それでこれ「宜」でしょ。この空けが、ここを空けているから、すごいやっぱり大らかです!
それでこうきていると!この縦はこうですよね。ありましたよね。結構!
縦のところは、こう降りてきて、引っかけて、それでこうこうなんですけども、
ここのひょろっとした感じですね。それでこっちは揺れているんですよね。
この「月」これもすごい!それでこれでしょ!先ほども申し上げた!
それでここで墨を付けたけど、ここで文書が切れてるから一個!
それでまた最後違う話題になってたと申し上げましたよね。
つまりこの書簡自体は、この最初の三行で一つの意味を成してた、「耳(のみ)」を伸ばして終わっていた。
それでここ楊方の話。それでここまででそれが終わった。
それでまた最後に違う話、これは「閔[鴻]」と読めるんじゃないかと、
最近ねその解明してくれた人がいましたよ。
この「つ」のところがすごい!「門」が本当にここで墨つけて、ここはもうおもむろに!
これすごい王羲之の初期の頃の《姨母帖》などにすごく似てますよ!
こういったもうかなり時代的に近いですから、もう本当に当時のものだなと本当に思う!
それでやっぱりこういうのを見ると筆自体は墨を含んでも、こうだから、すごく筆先は少し鈍くなってる。使い古した筆だと思います。
ここ(「鴻」)はまあ分からないからあれとしても、
でも文章上は閔さんの名前で「鴻」
それで顧栄さん、このところは、もうなかなかいいんですよ。
こっちはこうでしょ!ここトゥン、トゥンといって、ちょっとここが大きくなったから、ここを小さくして、また大きく開いて、ここできている!
ここだけだとこうなのにここが一本出てるから字が大きく見えるというすごいですよ!これ!
それでしかも次は「寇」でしょ。こっちに入るわけで、
ここなんかもすごい、木簡ぽいですよ。これ!あとはこういう、こういうところの線、ピュンと行って、ピュンと書いている!
だから当時の人は紙と木簡を併用してましたから、大体両方を書いていて、よく使ってましたから、
そういった両方の影響はあるわけですよね。紙に書いていた、板に書いてたっていう、
それで「之」がまた出てきたけれども、これはこんなトゥンと行ったら、 ピンとつないでポンと行っているという、
それで更に「際」でしょ。ここは早いわけですよ!これ!
「祭」はもう一個出てきましたよね。ここにありました!これすごい下の所が強かった!
今度はこうきて、こうそれで書いたら、こっちにどんどんを振っていく!うんすごいんですよね!
ここは「月」でしょ!それでここのところで「又」を書いて、ここから「示」に行くんですけど、
「示」のところがチョンチョンと、ここ結構強調してくれていて、陸機がすごいんです!
もう一か所ありますけれども!
これでこれ「聞」先ほど言った「門」と同じ!ここがキュンと言ったら、
こう上げて、こうきてこうでしょうと、これすごい丸くいこうと思ったら結構直線的になって、こう行ってると、すごいんですよね!
しかも「耳」がすごいかなり省略されて、こっちへ行って、こうでしょ!
これがなかなかこれ似てますよね!
この線と!それで最後にここのところへ行くと、「問」はもう本当にここだけで、本当にちょっとこれは飛んじゃっているのかどうか、消えてしまっているのかどうか!
でも、こういう当時のこの言い方、「聞問」はよく尺牘に出てくるから分かるんですよね。
これで「聞問」だろうと読めるんですけど、
要するに常套句ですから、
それ「不」でしょ!「不」もなかなか良い!
ここにも出てきましたけどね。何回まで見ましたけども。全部形が違って、
ここ大きい! それでここは結構小さい、ここは結構倒れて、左側、右に行ってますよね。
それで最後にこの「悉」ですけど、結構これは横に振らないあんまり!
縦にずっと積み重ねてきて、それで結構これは倒れているという感じで、
結構この陸機という人は、この書簡の中でも、一個一個の字を検討して、一字ずつ切ったのは、
実際に本人が書いたのと同じように、そこの言ってみれば、音楽の実況中継じゃないけれども、
もうリアルタイムに実況中継やったわけですけど、そういう風に私は見ていくんですよね。
というのはそれで要するに書いた人は白紙の状態から書くわけですから、
その右から左へ、上から下へ書くわけですから、 段々と書いているときに前に書いたところがあって、次を書いていくわけですね。
前の行を見ながら、次の行を書いていく、全体でバランスを整えて、一枚のその書簡にして書くわけだから、
それを考えていけたと思うんですよね。
今回もなかなかヒートアップしちゃって、最初から最後まで行っちゃいました!
結構語っちゃったと思うんですよ!
という感じで本当に毎回こういうふうに私は結構見てましてね。
内容を含めて、だからやっぱりすごく文章の切れ目では、ちゃんと墨つけて、
本当に書いてある内容と書蹟が一致してると分かったと思います。
そういう楽しみ方、二つ書いてある内容、書の内容、
つまり尺牘としてみる時には、大きく二つがあるんじゃないかということ、
それが全部が見えて、その書いた人の考えが思いが分かるんじゃないかということ、
ちょっとまあ伝われば嬉しいなと思います。・
どうも今回もありがとうございました。
また続けて参りたいと思います。
失礼致します。