王羲之と同時期の肉筆資料《楼蘭残紙》の書法をまたまた熱く語りました!一緒に楽しんでまいりましょう!
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2021年3月13日
皆さま、こんにちは!
今まで王羲之から始まって、鍾繇とか、陸機など、少し前の時代にいったりしておりましたけれども、
本当にその中でも出てきた楼蘭残紙にちょっと頭が入っちゃいまして、
それをちょっと見ていきたいと思って、急遽ちょっと楼蘭残紙やってみようと思いまして、
こんなものを出してしまいました!
ということで、私がこのシリーズで考えていること、すごいこだわりがありまして、
全部肉筆で書かれた墨蹟で書を考えていきたい!
やっぱり法帖になっちゃうと、もう相当もう元々のものを石に転写する時点でも、それで今度また刷るでしょう!
そうするとそんなが何度も何度も複製繰り返してるから、かなり細かい本当に一番知りたい起筆とか、終筆とか、その線の中での微妙な変化 そういうのは、
もうみんな削ぎ落とされてしまうということで、もうこの肉筆にものすごいこだわりを持って行っておりますけれども、
今回楼蘭残紙はなかなかこれ面白くてですね!
これは結局、王義之と同時代ぐらい、陸機から王羲之くらいの間ぐらいの晉の時代、もうかなりの最近の方なんですけど、そちらの方でかなりの数、
砂漠の中から、紙がもう不必要だったということで大体、文章を書き損じちゃって、捨てちゃったりとかして、そこでドドドと書いておいたけども、
まあ下書きみたいな形で、もっと綺麗に聖書したものを相手にパンと送ったんでしょうけれども、
そういったものが結構残っているんですから、 二つの意味で面白くて、
肉筆であるというのは、まあそれはまあ大前提ですけども、下書きみたいなものが一番面白くて、
その一番その人が書いてる自然な筆法、筆意がよく出てるんですよね。
それでちょっと見ていきたいと思っているんですけども、
今回で結構あるんですよ。この楼蘭残紙、それでもう私の中でそのこれを2枚を選んできた理由が、
まあ一番面白いのは、この濟逞さんという、この人が書いてるんです。
それでここに名前がありますよね。白(もう)して、報ずると書いていると(濟逞白報)、
それと面白いのか王羲之と同じような白(もう)すとか、報ずる、奈何(いかん)とか、
そういう言葉は結構王羲之の尺牘の中でも出ておりましたけれども、
そういうものがよく出ていて、同時代の先ず書式 こういった尺牘の書式も兼ね備えているということもあるんですけども、
同じ濟逞さんが、同じなのに全然違う筆意でまあやっぱり同筆だな(同じ人が書いた)と分かるんですよ。
だけれども、本当に書いてくれて、こっちはすごい太いんですよね。だけど結構やっぱり同じような太いんだけれども、その中に字のその作り方というか、微妙なところがすごくにしていたし、
この「濟」もこれ全然太さでこのさんずいが違う、こっちは軽快だけれども、こっちが結構太いですね。ギュッ、ギュッ、ギュッと行ってますよね。
だけれども、この「濟」の下のこの角度の感じなんかは、やっぱり似ているんですよね。
両方とも、こっちの方が鋭いけれども、多分同筆じゃないかなと思えるんです。
だけれども、面白いことに同じ人でも、これだけやっぱり違うような風に書けるということなんです。
もちろん人だって、どの人だってそういった色んな状況とかに応じて、早く書くときは、まあ薄かったとき、濃かったときによっても違うし、
その条件がちょっと違うから、紙もちょっと沁みやすいものと、書きやすいものと、沁みにくいものと、書きにくいものも色々ありますから、
その中で出てくるんですけども、面白いのが、やっぱり当時の人は入った瞬間にすごい、もう沈むんですよね。沈み込む、紙の方にブワンとくるんですよね。
すごいブワンとこっちはすごい軽快なんだけれども、瞬発力が強い!ものすごく、
つまりドロドロ、ノロノロ、ギュッー、フニューと書いているのではないんですよ!
パンッ、テンッ、スパッという感じでスパッ、スパッと書いているんですね。
だからこのリズム感が中々あり、このすごい形がいいんですよね。この人ならなかなかですごいモダンだなと思って見てるんですけど。
特にこっちの右側なんか、これ両方でも、同じこのスウェーデンのヘディン(Sven Anders Hedin, 1865-1952)という人は、西域を探検して、たくさん砂漠から発掘してきたものをヨーロッパに送って行って、スウェーデン国立人類博物館に所蔵されてるんですけども、
セットでこういった形で見ていくとなかなか、本当にこの一個一個の線が鋭いんですよ!
これは間違いなく、紙というよりか、簡牘、木簡、竹簡とか、木の板の上に書いてた!
そういう人が書いてた筆意だなぁと思うんですよね!
というのは 出てきましたよね!陸機の《平復帖》でも、例えばこういう引っ掛けるところ、こういうところもそうですね。
キューと行って、キュイーンと入ってるし、それでこの特にこういうところで「可」でこう来て受けるところとか、 この「口」からこうきて、ピンと行くところ、こっち受けている!
この受けるところの感じとか、すごい似て、それでたわむと言いましたね。
当時の人の要するに木簡、竹簡、簡牘に書いていたような人たちは、すごい縦の線がたわむんですよ!すごくすごくこれがいいんですよね!それはなかなか味があるんですけど、
それが特に長い線で見られる!それとあとこれで全員ピン、ピンとすごい途中で、その方向が変わったりしたりして、
これなかなかこういう表現は、結構もっと古い時代の例えば、そうですね。
やっぱり漢の時代から、木簡、簡牘の中によく出てくる表現でここもすごいするんだけど、下を太くするとか、
まだこれは隷書のやっぱり最後の波磔の影響あるわけですよね!
というわけでなかなかここの切り替えしがいいんですよ!
これすごく王羲之みたい!かなりこの濟逞さんは、なかなかこの人が鋭い!
これは「為」ですよね!これは、これはすごいですよ!回りこの前動き線の変化!
この中でも全然違う!すごい!それで陸機の《平復帖》にもありますけど、この筆が割れた感じ、それも面白いしね。
それでピンと行って、筆の返し方、もう返るとこう割れるんですよね!
大体筆がねじれるから、陸機もよくそうところがありました。
あと渇筆になってくると割れやすいんですよね。それを楽しんでいる感じがする!うーんこれなんか見るとですね!
それでこっち見ると図太くて、結構大体、楼蘭残紙でこういう書風が多いんですよね!この図太い書き出してとか!
もしかしたらこれ違う人が書いてから、またそこに書いたかもしれない。
このこの部分は違う人でああじゃあ紙がもったいないからとバンバンともらってやったかもわかんないけども、
何だかよ言ったら、ここで誰かさんが書いていたものを、ここから濟逞がやっぱり相当形が近いですよね。
だからこういうものがあったら一人の人が書いたかどうか分からないですよね。
それでこれなんかもう同筆じゃないかなと、私は思います。
ここはちょっと太い、それでありますけれども、
こんな感じでなかなかこっちは少しは行書ぽいんですよね!この最後のところもすごい太いままバンと抜けてますから。
こっちすごい綺麗に筆の先を整えるために跳ねていますから、
この跳ねというのは、最後跳ねたり、この最後でこの切り返し、違う方向にいくのは、装飾の意味じゃない、これもそう!
基本的にこの当時は、そういうよりかは、筆をやっぱり整える!
つまりいちいちここでまた整えるよりも、線を書いて終わりのところで筆(の特に鋒)を綺麗に整えれば、
次の線に入り、次の字に入るとき、綺麗に入れる!早く書けるわけですから、
こういう人達とは、そんな装飾がどうしたとか、何とかとか、書法がどうしたとかによりも、
実務上書きやすく、かつ、美しく見えるのがいいんです!やっぱりその作為がないんですよ!
作為がある書はなかなか、やっぱりここでこうやって、やっぱなんていう見えちゃうけど、
そうじゃないこういう表現とは、偶々こういう方法をとれば、次の線に入るときに非常にこの素敵な意味で筆の先が綺麗に整うと、
そういう理由で使っていると、私は考えております。
それで本当に濟逞さんは入りが鋭いですね!漢簡の中でもこういう太いような筆に墨をたっぷり染み込ましてグワグワと書く場合と結構鋭い人もいる、
それは当時にも色んな書き癖の人がいましたから 色んな書風もあるし、地域でも違っただろうし、
まあ簡牘が出てくる場所が大体は、湖南省とか、そういう水が多い所と、こういった砂漠みたいなところに偏っているんですけれども、
そういった形で見ていくと、地域性なんかも違うし、やはり個性でも違うけれども、
でもすごくこういった「想」でツンと跳ねるところも、これも、ここできたエネルギーをこっちに切り返し時にトゥンと跳ねた方が、筆が瞬間的に(筆の先が)まとまるんですよ。
それでこの線に入れる!大体その線に入るところは、トゥンといくんです。
つまり筆の先が整った状態でその紙に入るとき、微妙に瞬間的に押し付けるんですよね。
(すると筆の先の偏りがなくなり)すごくそこで中鋒なして、それで線をピンピンと帰ってくるんですよね。
大体そういう書き方をしております。だからこれなどを見ると入るところがすごくやっぱり繊細ですよね!
シューと筆が瞬間に入って、そこからシヒュンと行ってきているんですよね。
そこのところがヒュンとくるところ、速度が上がると言うよりかは、 紙に対する抵抗を感じながら、すごい紙に食い込むような線ですごく、
これは唐の時代に褚遂良という書家が書の極意としたのが、棒きれで砂の上に文字を書くみたいな(錐画砂)、そういう鋭さがすごいあるんですよね。
それはもう簡牘を書いていたぐらいの時代にその方が筆力はあったので、
紙が主流になっちゃうと、もうみんなどんどん筆力が落ちちゃって 、紙は沁みるから結構書きやすいから、
そういうことでなかなかここはグニュンと入って、ウーンと太くして、パーンと抜けて、
最後は本当に瞬間的に(筆先が真ん中を通る)中鋒だから、(紙から筆が)きれいに抜ける!
つまりどこかがグシャグチャに汚くならない、 ピンと抜けている、この鋭さはみんな当時はそういうふうに書いたから、
本当にこの当時の書を学ぶこと、考察して、どうやって書いていたかを知ることは、ものすごい書を書く上ですごい重要じゃないかと、私は思ってるんですね。
まあ昔の人は王羲之ぐらいのところで、そういったちょっとだけ伝世法帖として伝わっていましたけれども、
今は結構こういう出土文献、出土資料で色々分かってきていますから、 こういう沢山の当時のこういった肉筆を見たほうがより、
後の時代のやっぱり宋より後の人が書いたものよりを研究するより、
書法の一番のコア、エッセンス、一番の本質の部分を直ぐに理解していくために近いんじゃないかと、私は思ってまして!
それでこういうものを研究しているんですね。そういう主題があるんですよ!
だからこの入る線をもう今までリアルタイムに言ってまいりましたが、今日はまあ一個一個の字を全部やるというか、面白い線をパンパンと見て、
ここなんかもタート来て、最後のところでここまで太いんです、ここで受けるじゃないですか、それで受けたら、
少しずつ筆圧を一定、ここで圧がかかってきて、それ一定させて、最後どこでキュンとこっち行きたいという意識が働いて行ってるんですよ。
もう綺麗に最後も割れないで、それが! これは先ほど申し上げたみたいに漢簡とか、簡牘の表現に近い!
非常になかなかこれも鋭いところもあって、すごいんですよね!
この人はもう付かず離れずの付き方(不即不離)も、もう見事じゃないか!
この「白」という字を一つ見ただけでモダンなんですけど、
それだし、この「苦」のスパンスパンときて、本当に包丁でものが切れるような、切れの良さ!
ものすごい切れが良くてもう感激!これもそうなんですね!王羲之でもこうパンパンと来て、ブォーンと太くして、瞬間的にバッと筆圧を加えて、瞬間的にここでパンと抜く、
それができるのは結局どうしてかというと、瞬間的にパンと当たった瞬間に筆がきちんときれいに中鋒になってますので瞬間に抜く瞬間には、
もうあんまり言うとよくないんだけど、というのはわざとらしくなっちゃうから。少しまとめると気持ちでちょっと捩りが入るんでしょうね。
そうするとピッとまとまるわけですね。要するにバーンと紙に打ち込まれちゃうと、 筆鋒が開くんですよね!それで開いて、その開いたままだと、
要するにここみたいに割れた状態になっちゃうから、
これはこれで面白い表現になっているんだけれども、あんまり割れていると良くない、
それで行った時には、いちいち墨を付けて、もう一回直すよりも、ピンとここでちょっと捩っちゃって直しちゃうという、 瞬間的にそういうこと!
これもキュイーンと行って、ここでちょっと引っ掛けたら、こうじゃないんですよ!
こういう動き回りの動きがある。ここなんか特に表れています。この人の特徴!
これキュウィンときてる!すごいこの線がキュウィンという感じ!ここもですよね!
これ結構いいですよ!なかなかモダンなんですよ! 縦のところにキュウィンときたら、最後この人はどうもこうきたら、普通はこうなんですが、こうきたらピンと行くんですね!
縦の線がこれもそうだった。これもそうだった。すごいこれはこの人の特徴!
この濟逞の特徴でありますから、なかなかこれもキュイーンと入ったら、ここが太いでしょ!
それでここがチュンってきて、ここが鋭い!
要するに画数が多くなってくるから、真ん中が太くして全体を締めてると、そういう仕組みです!
ここも横の線はみんなでこう書いている!この人はみんなそうです。
それでこうして、こうして、こうでしょう、ということで、
この一つひとつの線をもう皆さま私のその感じ方が少しずつ伝わっていると思いますけれども。
そういう感じでずっと一つ一つの字を簡単に見て見ますと、このこの人の面白いところ、テンと行った、
次のところに筆脈のその空中線である部分が、普通は点を打ったら、空中に行ってこうなんだけど、少し触れてるから分かりやすいわけですよ!凄いですよ!
このブワーンと行って、ここは割れているんですよね!筆の先がピンッといって、こっちもブワンと割れているから、ちょっとここはあれ(中鋒でない)ですよね。
だけどここでピンと直しちゃって、ここでグンと割れちゃったから、ああと思って、ピンとちょっと蔵鋒と言いますけど、筆が入るとき、行きたい方から、逆にバンと当てて、こっち側に先ず左にグンと当ててから、
そうすれば瞬間的に筆の先が戻るんですよ。つまり割れちゃたから戻した!
だからいちいち墨の方にいき、墨をつけて、墨を取って、なんだかんだとやると、めんどくさいから、
もうここで筆先を直したんですよね!これでこういう風に書いて、ギュンと来て、それでここでちょっと下にこう書いていくんですけれども、
「濟」、そこの入り方の「口」がついていないのがいいんですよね!ここが空いてる!
すごいこういうところも、そうだったんですけど、この人の特徴で!
ここピンと行って、こっちでしょ!まあ全部これ右上がり、これ右下がり、これ真ん中、水平に近い!
それで縦です!本当にこれすごいんですよね! 見事じゃないかと思っていて、それで下のこことの兼ね合いでここちょっと空いてて、この字「逞」も本当にいいんですよね!
それでこの「白」が小さいでしょ!それでここが大きい、大きい、ボリュームがあって、ここで締めてる!
ここはすごい鋭い!こっちがおもむろですごい!見事!
拍手👏ということでもう書き出しは滑り出しがいいんじゃないかと、
そこできてピーンと、ここは大里偏がピピンと来て、キュイーンとキュン、キュンときてすごいんですよね。
この人の特徴、ここでパンと入ってる!それでここはよく王羲之がこういう方法を使います。
ここの所でこっちにつまりここからこうきちゃうんじゃなくて、それかもしくは、こうきちゃうんじゃなくて、
こっち側にまあ、あんまり言い過ぎると、わざとらしくなっちゃうけれども、こういった瞬間にこっち側に戻って、こう来ているんですよね。
つまりこうこうという感じで、こうこうでそういうところなど、先ほどもありましたけど、
ここね!「姑」は「女」に「古」ですけれども、いいですよね!中がつぶれていてね!
もう全部交わってるような感じで、それでここが大きいでしょうと!
それでこれは「素」かな、これは糸偏だから、下が略されちゃってすごいですよ!
ここ本当に接近して、丸っこく書いて、それでこっちは鋭く書いて、丸っこい、それで最後ピンとここはすごい密になり、このあたりが疏になってますね!
それで「無」なんかも、ピンピンピン、ピンピンピン、ピンときて、ポーン、タンタンタンですよね。すごいやっぱり切れが良い!
それで「患」も本当に線が綺麗なんです!この人は!
だから面白い!本当に筆路がはっきりしていて、それでここヒュンと行って、ピュン、ピュンと行って、ここで同じ特徴がありまして、
これが先ほど申し上げたようにプンと来て、 このすごい、ちょっと円筆ぽいところと方筆ぽいところ、丸みがあるところと硬いところが一緒に混じって、
ここがパンと回っているでしょ!それでキュイーンと来て、こっちね!これもすごい特徴でありますけれども、
この人偏に対して下に下がり、人偏のここの空間からスタートしているところがいいですね!一本出てるから、すごい字が引き締まって見える!
これとこれの角度は違うし、微妙にその線の太さも違うし!それで「悟」も面白いですよ!
普通こちらのにこっちか下がって来て、こっちで上でこっちにした方に後の方がですね。下に来ていると、これも先ほど申し上げたように上はおもむろで中はすごく込み合わないように(工夫されています。)
それで「至」ヒューンと、この入り方がいいんですよね!この入り、本当に素晴らしい!
この入りと違う、ここはなかなか理想的な入り方! 王羲之はこういう入りを好みまして、テンテンと来て、ピンピンと来て、ポンでしょ!
ここをこう書いて、縦を書いて、この横横ですね!はっきりそれも分かる!これグーッときてるから、折れたところで筆が割れて、それでキュイーンととてきてるんですね!
それで次は「禍」かな、ウィーン、ウィーン、ピンピンピンときていって、ピン、ピーとつないで微妙なこの人の特徴ですよね。ここもそうでした!
ピッと来て、ピッピッと来て、ここのところ、ここが空いているのがなかなか、つぶれた感じがいい!おもしろい!
わざとこういう形でやろうというのではなく、天然の自然の味わいというか、字形の取り方、なかなか、これは見事! 拍手👏
それでこの「難」も足のところをちっちゃくした上にこの「隹」のこっちがピーンと伸ばして、これ鳥の足なんですけど長い!
それで鳥の頭でしょ!ここの所が鋭い!すごい見事!
太さと細さのバランスが見事です!それで「遠」、上がピンと思ったら、中がヒューンと圧縮して、こっちの下まで来てないのが、いいんですよね!
このこれだが少しでた感じになってて、こっちで上手く抑えてるっていう、この部品をこっちが、ちっちゃくて、頭がそれでこっちが、下がこっちが、この人の特徴、右下が物凄い、
まあ当時はみんなそうなんですけど、基本的に!それでこれは「凶」ですか、「メ」を書いてこうですからね!
これも線の面白さ!横の線は、小楷と言いますね。楷書みたいにものすごいきちっと積み上げて、美しく積み上げられて、
最後のこの大胆さが見事!それでこれ「益」かな、それでこう来て、最後に「皿」のピンピッといいんですよ!あんまり出さなかった!
意外とこう言う字形の取り方は、王羲之にも通じるところがあって、
それで「以」は点点点ですね。ここで詰まって、こっち来ていいますから、こう空けてますね。いいですよね!
普通つけて書きたいんですよね!「感」でしょ!それで「切」でしょ!
それでここは「念」かな!ちょっと最後がつぶれちゃっているんですよね!それであんまりきれいに心が書けていないんだけれども、紙がここで切れちゃうから!ウーンと来て、「心」がウーンと詰まっています!
それで「追」かな、それで「惟」は面白い!先ほどの立心偏「忄」とは違う、
これはもともと篆書のね。これは言ってみれば、私の頭の中にすごい一杯字が入ってて、これでこれ見ると秦の時代の人の秦簡にある篆書と隷書の間っぽい秦隷で「心」というんですけれども、
ここのところ、これは1本棒があるのは、心臓から垂れた血管に当たるんでしたけども、
その小篆に近い形じゃないかなと思える!この「心」の上の部分でこの部分が「心」ですからね!それで一本出てるという、古風なところもあるんです!
それでこれ違う、また「隹」が来て、こっちはあんまり長くしない!
今度はこの中がすごい詰まってる!
こっちはすごい脚が長いという、おもしろさがあるんですよね!
「剝」かな、これはここで扁平にしてあって、こっち近づけてそれでこっちに倒れてきてくれて、最後にツンと面白いとお話ししましたけれども、
このやっぱり偏より旁がぐんと下がってるんですよね!
そういう字形の取り方は、陸機にも結構ありましたよね!
結構この当時の人の特徴なんですよ!
それでやっぱり隷書はある程度、下の方でこう安定させる、そういうまだ造形美の発想の名残が残っているんですよね。
これなんか面白いのが「截」は横に行かないで、縦にやっちゃったっていう、
本当にまた「隹」が出てくるんですけど、これを基準にして、こっちが出来てるんじゃないか!
こう先ず行くわけだから、そういったら、普通はこうあって、こっちにやりたいのに、縦にビンときちゃって面白い!なんかヒョロンという感じでなっている!
それで「不」でしょ!それは「不」は半分行書ぽいとなりますが、そこでここがキュンでしょ!それでこの画が違って、ここが大きくして、これは一つの単体字だから、
それで受けてそれを受けるところ、こう受けたらこっちに行って、こうなんですよね!
その線の中に連続的に変化している!
それで「為」、これもこれ素晴らしい字だと思いました!
見事!天才的なその字型のバランス感覚!こう来て、こっちに来たら、この中をすごく振っていくんですよね!
それでここで留めて、四個の点がこうなるわけですけど、
これまた違う「心」立心偏、これとまた
これ「懷」かな、こっちからすればですけど、
「懷」ですから、ここがすごいつぶれて、こっちがスススッと入ってる!面白い!
それで「奈」でこの人はさっきでもそうでしたけれども、こっちを強調しますよね。それで少し軽くして、こっちで丸くします。
これでこっち点点も見事!この「何」とは違うんですよね。
また点があって離れてて、篆書から言えば、金文だとこうですからね。
ですけど、そういった形でなかなか、本当に見事だと!
速度感とそのゆったりしたところ緩急がはっきりして、
線が美しかった!この人はということでして、まあこっちを見ると、少し拾って見てみますよ!
同じでもこうやってやっぱり同筆じゃないかと、これ、
この画の入り方が似てる!それでここ太いんですよね!
だからちょっと違うように見えるけれども、
この結構というか、その基本的な「白」形のいつもこれでよく出てくる。白(もう)すという字だから書きなれた字ですけれどもね。
これすごい似てます!やっぱりここのところが鋭いし、これ「日」に「曠」はこれ明るいとか、そういう意味ですけど、
それで「遂」ここところが、面白いと申し上げましたよね!
ここはどっちかといえば、王羲之の《蘭亭序》みたいに見えるんですよ!
《蘭亭序》、この「人」なんか本当に王羲之ぽいんですよ。
ものすごくだからこれあと少しスタイリッシュだな。ああ現代的だなぁ、モダンだなという感じ!
これ《蘭亭序》にすごい似ている部分があるんですよね。
もちろんこれあんまり字型は良くないんです。だからまあちょっとそういった感じでこっちはすごい真面目に見ましたけど、左側は少しさらさらっといいところを見ながらコメントとしたんですけど、
これなんかギュンと行って、グーンと来て、キュッ、キュッ、キュッ、キュッと「伏」ですけどね。
これ「伏想」」はこれよく王羲之の尺牘の中ににも出てくる字です!
それでこれ(春日和適)なかなか春の日が温かくていい感じだなという感じでして、そういう手紙ですけれども、なんかのびやかじゃないかと、本当にここの所からきてますよね!
ですひらそこも本当にここのところ詰まってて、ここは爽やかっていう、
まあこの人の特徴でなかなかこういうもの似てる通じる部分があるんですけど、
「御」の行人偏も点の向きと、あと右下にどんどんどんどん下がってくるというところ、面白いんじゃないかと。
これで「其」は縦のグァンと当たって、ギュンと来ている線の真ん中の変化!
それでその右から下へのこの線の動き方、トゥン、トゥンといきますけど、これもなかなか面白い!
そしてこの「宜」、これもいいでしょうと!この回り方本当に良かった!充実してます!
本当に線の動きが本当に自然でして、もうとにかく言える事は この東晉とか、西晉、晉の時代の書は、ものすごく筆の動き、言ってみれば、筆を自由に動かしてあげたいという、
その動きやすいよいうに動かしたいという、筆の制御していくではなく、筆のその動きに沿ったような素直な書法であるから、
私はすごいいいと思ってまして! それでこうしたものを研究することによって、より線が美しくなり、自然になるんじゃないかと思って、今回よく見てまいりました!
もうこの後も皆さま、お気に召したら、楽しんで観ていただければと思います。
今回もありがとうございました!とても晉の人と仲良くなりました!有意義でございました!失礼いたします!