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書法の系譜シリーズ1 秦漢簡牘や帛書から王羲之まで楷書(小楷)の変遷を語るシリーズが始まりました!Chinese Calligraphy

書法の系譜シリーズ1 秦漢簡牘や帛書から王羲之まで楷書(小楷)の変遷を語るシリーズが始まりました!

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2021年3月22日

皆さま、こんにちは!

前回は王羲之の小楷、楷書を見てまいったんですけれども。

その時に思ったんですよね!楷書が隷書からそもそも、どういうふうに行ったのか! それに興味を持っちゃっておりまして、

それでこうなったら、もう隷書の最初から、じゃあ楷書が生まれてきたまで具体的に言えば、王羲之の時代まで、

ちょっとKF-Scholaですから、書の系譜、それをもっと端的に言うと、筆意、筆の使い方、その筆法、線ですね!それは!

また線の組み合わせ方、そして字が生まれるわけですから、そういった関係、そういったものを、もう大特集でこんなに集めてきちゃったんですけどね!

ここに出てますものは、全て肉筆で残っているものなんですよ!

つまりその竹簡とか、木簡とか、帛書とここにありますけど、絹に書かれた文字、それで紙がまだ一般的に使われる前ですから、

この頃はまあそれと陶器に書かれた書もあるんですけれども、大体そういった形で残っておりまして見ていきましょうということでして、

先ずここにあるのが、秦の時代、ここが西漢、前漢ですけれども、この睡虎地は湖北省孝感市(雲夢県)なんですよ!

そして馬王堆は湖南省長沙市(芙蓉区)に当たるんですけれども、

それで張家山漢簡は湖北省荊州市(荊州区)に当たるんですね。

それで銀雀山は山東省臨沂市(蘭山区)。王羲之とか、顔真卿の一族が本拠地としていたところですけど、

これで尹湾漢簡は江蘇省連雲港市(東海県)。それで居延新簡は内蒙古地区の額済納旗というんですけど、その所に居延はもう砂漠の方なんですけどありまして、これはもうかなり西のまた北の方かな、

それでこの最後の長沙、五一広場がありますけど、東牌楼とありますけれども、これは湖南省の長沙市にありまして、そう見ていくとこれはすごいことに秦の時代から紀元前220年から前漢ですよ!

それでここで紀元ぐらい、やっと2000年ぐらい前になりました!

それで新という王朝がちょっと入ってから後漢ですもんね!

これで最終的には188年ですから、大体400年なんてちょうど400年分の系譜が分かる、変遷が分かるということで面白いですけれども!

先ずこちらこの2つは大体、篆書と隷書を間じゃないかと、字型的にも、筆法的にも、 篆隷(秦隷)というんですけれども、篆書と隷書の間あたり、それでこのあたりが古隷ですよ。古い隷書と書くんですけどね!

こんな形でころころした感じなんですよ。それでこのあたりが八分でして、もうすごいこれは掠(左払い)、それでこっちは磔(右払い)がすごい強調されて、

そういった形になってきて、これでこの辺りになるともう楷書のぐらいに接続してくるんですが、つながってくるんですけど、

かなり字形的にも近づいてきているんですけれども。 まあ隷書と楷書の間ぐらいの感じになってくるんですけど、少しずつ変遷しているんですよね。

それが面白いから、見ていこうということでして、先ずこういうものを見たときには、結局これは秦の時代の秦隷からいきますよね!

これは起筆がタンと当ててから、本当に抜けるんですね。

このやっぱり少し波の感じの抜け方は、この感じはあるんですね。

それでここでギュッとしてピーッと抜けてるでしょ!

そのある程度強いまま、まあ力が強いまま、この線もそうなんですね。

ここもビューと当ててビューと抜けてますから、 だからこういったものは、先ず横線の基本的な動きを見るんですよね。

それで縦線は結構強い、グッと入れて、ギュとそのまま強いまま抜ければ、大体縦線は強い!

それで横線は、横が漢字は結構画が多いんですよ!縦を画より横の画が多い、年なんかもそうですよね。

だから細くしないとどんどんどんどん膨らんじゃいますから、それで字はある程度真四角に近い形、正方形に近い形に収めようとしているわけですよ!

こういった形で小さいこの部品ですよね! 「亥」はチョチョッと書いてあるし!

だから基本的には、こういった線の引き方は、非常にシンプルな線んですよね!

入れた所はきちっと蔵鋒みたいにして、筆先が入るところもあれば、テンと当ててから、ギューと行く場合もあるんですよね。

そういった筆鋒みられる。ここは横に入って、そこから縦に転回するんですけど、ここで瞬間的に弱めて、縦に行くから、縦は少し細いけですよね!という感じが分かってきて、

ここはこっちに強くいって、こっちは細くして、肥痩と言いますけど、強弱がちゃんとあったりして、

なかなかこの「丁」は中を埋めてるなどが見られるんですけど、

それで馬王堆帛書を見ると、これ有名な《老子》の最初の部分ですけど、

不思議なことに今はこの「也」が付いてないんですけど、「道となすべきは常の道にあらず」とあるんですけど、

ちなみにこの「常」はここに書いてありますけども、今の字に直してしまって、基本的にはこれ「恒(恆)」という字ですよね、心(立心偏)に「亘(亙)」ですけど、

まあ漢の時代の皇帝の諱を避ける意味で返られちゃったということですから、それより前でかなり古いんですけど、これはもうこの秦の時代に近いあたりまでいくんじゃないかなというくらい、

年代的にも20年、30年くらいしか違わないですね! それで見るとここでグワッと入って、そのままやっぱりキープして行っているんですよね。

だからなかなか鋭い線!それでここグーッと入って、ギューとおもむろにいって、ピンと行って、結局いつも言ってますけどね。

この最後の処理の仕方が、こういうそのままの力で抜けるか、もしくはこうみたいピンと行くのは、これ少し曲がってるから、結局は筆の先を整えるんですよね。

それとあとは書いてる人とそのリズム感とか、そういった形で、それでここは少しずつ圧を加えて、ちょっと隷書の波磔ぽいところも、ちょっと生まれてきて、

まあここもありますけど。ここはちょっとそのまま行ってます。これなんかはそのまま入ってますよね!

「也」はこう書いて、下を強くしていますよね。

ここによって、やっぱり安定感を持たせようとしてるわけですね。

それでここすごい縦の線は少し撓んでいるんですよね!

筆が簡の表面についてから圧を加わりながら、こう来ているんですけど、 それからすごい筆の動き方というか、そういった形でそこだけでここが圧倒的にこっちよりも、

左側よりも、右側の方が少し重いようになってますよね!

それでここなんか持ってぎゅっ短いけれども、最後抜けるときに圧を加えてから、少し落ち着かせて、その筆先を整えてから、それで抜けてるんですよね。

ここがすごい鋭いでしょと!一本ここが強かったら、下の方が鋭く書いてあるということで面白いんですけどね。

それでこれはやっぱり横がすごく爽やかというか、細い線で書いてある!

それで縦がここにグーとあって、それで引き締めてる!ここで全体をこう抑えているという感じが非常にしますよ!

四角に収めようとして、書いていることが分かるんですけれども。

それで張家山の漢簡、もう少し後になると、まあ殆ど時代は変わらないけれども、もうあと10年ぐらい(経ちます)!

そうするとすごいこちらは円転といって、その円の丸みを帯びた線が多いんですよ!

ここもそうなんですけどね!ここも入れてからキュッと入れて、簡の端っこだから切れてますけど、終わろうとしてるっていう、ところであるとか、

この人はもう画数が少ないですけど、かなり多いのもありまして、

「爲」とか、「庸」とか、これも面白いことに上の部分は「庚」ですけど、ここには手がやっぱりちゃんとあって、

やっぱり篆書ぽいところもあるんですよね。だけどすごい横線がすごい細いけれども積み上げられてくっついているし、すごくここが凝縮している!

それで下の「用」が空いてますよね。

「用」という字ですけど、この特にここなんかも、「律」ですけど、ここは「聿」ですけど、手を持っているような感じがする軸をすごい象形性がまだあったり、

それでこの場合はすごくここを重くして波磔ぽくなっているところがちょっとあって、

それで縦線をすごくすかっとしているんですよね。

横線ももちろん細く、ここがすごい空間がなかなか面白いいい形してて、元々筆を手で持ってるような長い棒ですから、これはね。

それで「論」はすごいこの最後の抜け方とか、これがなかなかいいでしょう!

何か味があるんですよね!それで横なんかピッピッピッピッとすごい、グワッと入れたら、グーとそのまま行き、こっちでピッといって、すごいここなんかも、そうですけれども。

なかなか鋭いんですよね!これで早く安定して書くようにということは注目されて書かれるんじゃないかなと思うんですよね!

結構こういう太くして、そのまま抜くというタイプ出てくるんですよ!後々の時代にもこの書き方は!

しかも「其」は左側が軽くて右側が重い、やっぱり右の方を重くさせようという意識が働いているんですよね。

だからなかなか面白いんですよ。右の方が下に行っていますしね!「律」も、「論」も!

それで言偏が非常にちっちゃく左上に入っているから安定感を出すという発想がこういうように見られるじゃないかということで、これは抑揚が少しついているということですね。

それで銀雀山の漢簡も貴重なもので「孫子」とは二人(孫武と孫臏)いるんじゃないかと、昔から言われてきたんですよね。

そのまあ同じ系統でその子孫なんですけど、孫武という人のが今伝わっている《孫子》なんですけれども。

この孫臏が書いた兵法書があるんだとずっと言われてきて、本当かという風に言われたけど、

本当でちゃったっていうことですごい意味でも文献学上でも貴重なんですけども、

この孫子(孫臏)が(田斉の)威王に会うと言うんところですけれども、

すごいこれも!見てみますとこういうところも、サート来て、やっぱり子供の形ですから、

隷書の初期の頃は、先ほどもそうですが、まだこの「道」もこれ頭の形「首」とか、 そういった「心」とか、

非常に象形性がまだ残されていて、本当に篆書をやっぱり書いていたと、

この丸みを帯びてるは結局、小篆は結構丸み帯びてますから、それで特にこの点折であとで二画で入れられちゃうところも丸みがあったりして、

だからすごい小篆は丸みがあるんですよ!

こういうところ、そういうのをまだ引き継いでいますよね。

ここは「糸」ですから、これも糸があって、房が垂れるように見えるんですよ!子供も手を上げているし、足がいいでしょう!

ここはやっぱり手は細い、頭があり、それでこっちでちゃんとバランスとってんですよ!これなかなかいいバランス取ってるんです。

それで「見」はもうこっちがすごい強調されて、これからもうちょっと八分に近いんじゃないかなということなんですけどね。

これはちょっと字が潰れちゃってるので見えるところでいきますけど、

これは簡が断裂して、少しヒビが入って、そういった形ですから、ちょっと右上でもあるんですけど、

でもやっぱりこれはすごい「兵」もそうですけど、こっち、さっき「其」にもありますけど、

こちらはずっと軽くて、こっちは重くなってると、その方が安定しますから。

それで横線はスカン、スカンといってますよね!

グワッと入ってヒューと気持ちいい!ここは少しパンと当ててグーと瞬間的に中鋒で書いてるから、

偏っていない!真ん中を一番長い命毛が通ってるから、そのまま抜いても汚くならないんですね!

中鋒なんです!大体!だからこういったところもパーンと行って、ポンと引いても、そのまま綺麗にガサガサになったりしないんですよね!

だからすごい思い切りがいいんです!

それは中鋒で書いてるからなんです! これもそうなんです。グワッと行って、ダーンと行って ますけど、

ピンと抜けているのは中鋒だから!そういうことができる。

これもそうです!こういうところも「王」もそうですけど、パンと当てたら、ギューンと最後までいってるんですね!

線とは基本的に入るところと出るところが大事で送筆は入ったままの勢いで進みますからね!基本的に簡の表面に書いていくわけですから、

そういった形でここもグワンと入って、グーンとやっぱり下を重くして、右下を安定させて、また字は四角ぽい結構ですけれども、

少し扁平になっていうのもありますけどね。

でもこれなんか逆に縦に入ってまして、こっちに行ってますね!まあこれは簡が結構、幅が少ないから、だからこっち行けなかったから、下のほうに行ったんでしょうけどね。

これもそうです。段々後になってくると、この尹湾漢簡は、これからここからはもう100年くらい違いますから、ここからここまでは70年でまあそんなに変わってない!

それでここですごい!だから紀元前100年くらいの時に前漢の時代にこの八分隷が急速に発展したんじゃないかなと!

これはどうしてかといったら、今までは縦に書いていたけど、もうギチギチに書いてるんですよね!

この字間がほとんど空いてないんでね! 沢山の字を沢山書きたいと、できる限りということで字が扁平なってくるんですね。

これけっこう空いてます字間が、ここもそう、これだって、結構これギチギチに入れられたのは、

結局横に扁平になっていっちゃったのは、効率よく書きたかったからじゃないかということなんですよね!

ここに行きますとね。グーと行って、ピンと行って、次のこっち行きますから、ここからここの急に気脈が感じられる!

「東」なんか、これ本当に! だからここでギュッと当てて、結局、人間は右手で書くから、筆を持って、だからこれをグーと当てたら、こっちに行って、こう行くわけですよね。その方が自然なんですよね。

だからこういったここに圧をかけるのが、ここを意外と人間は左に行くのは少し手をもしくは筆を倒さなきゃいけないから、進行方向にこう行ってるから、

だからそれをパンと戻すためにここがキュッと入っているんですよね。これみんなそうですね!

だからこれは掠と言いますけど、こういった形で手偏に「京」と書くんですよね。

すごい空けているでしょうと、ここもそうですグーと行って、その方が左がきれいに整えながら、早く書き、次に行きたいという、その動きが見られてるんですよね!

それでこういったもう完全に篆書だったら水なのに三水「氵」になってると、もう三水「氵」になってますよね!

これはかなり簡略化されて、それでここなんかだってもう完全にこのシューと入ってから、グーと抜けている!これありましたよね!さっきにも、結構少しずつちょこんとみられるところがあったりしましたけれども、

かなり、かなり発達しきてたのは、グーとここに波磔がありますけれどもね。必ず強いところがある!

これすごい極端ですよね!それだけに足がこんな大きいという、しかもこの人の特徴は下のほうに大きくするという、これは「曹」の上はこれだけあるのに「日」の方にものすごく場所を食っているんですよね。

これだってそうです。すごいだからこの横線をどんどんどんどん詰めて詰めて詰めて詰めて凝縮しちゃってます!

もうこれ食編がそれで下の所が拡がっているという!

これなんかすごいですよね!もうどんどん詰めて詰めて、簡の中に字をどんどん書きたいから、あまり下の方に下の方に行きたくないから、どんどん詰めて書いているんですよね。上の方に上の方にそうすれば字間に扁平がありますから、そういう意識が感じられるんですね。

基本的にでも入り方が線そのものは、もう筆法的にはそんなに変わりないんですよ。この縦線の感じだって、この「朔」と似ているでしょうと!

だけれどもやっぱりこういった強調が出てきて、それでここの真ん中ちっちゃいくせにこんなにあって、

それでこれ先ほどここで少し言偏が左に行くとありますね。ここもそうですね!こっちの方が下がグワーンと強く強調していますよね。

ここも下からググンと当たって、これ結構隷書にありますね。八分隷書の石碑に刻まれたものもグッと行ってこっちに行っているんですよね!

引っかけもすごい強調されて、これも横に行った線が、ここもひっかけが強く行ってるとだんだんとひっかけ、あんまり古いものは、ちょっとグニュと行っているけれど、

そのまま行って、引っ掛けるところは、あんまり強調しないけれども、このあたりがちょっと引っ掛けるところを強調してるなという感じがしているんですね。

そういった特徴も少しずつ見られて、かなり謹厳に書かれるんじゃないかと思いますね!

それで居延新簡になると、これ、ここからこれでやっと紀元をまたいで、今からやっと2000年くらい前ですけども、

秦が終わって、もう後漢に行きますね。ここであと入り方も、こう入って、先ほど引っ掛けるところと一緒でグーンと行ってグート、こことここすごい強調されてますね。 重たい!

それでこっち側は小さいと思いきや、この「文」も、こっちがこうきて、空いていたりと、中々これは面白いユニーク!

横線はやっぱり本当に詰めて書いていますね。

この線もグワッと入ったら、引っかけがちょっと強くなって、スーッとこのこういう弧を描いて、一本目がこう上に上がるでしょ!二本目で少し下に沈むでしょ。三本目も完全に下にこういう形で三本の線の角度が違うんですよ!

これ筆の動き方も違うんですよね!これ一本目はまあ普通、二本目は下に重いほうに意識、 三本目は上に行って、最後下の方に行くという、

この「年」もそうなんですけど、全部角度が違っているんですよね! 面白い!これで安定感を真ん中で持たせているという、

「月」もこっちがヒューンと入ったら、こっち強いでしょと、やっぱり右側が強いようにコントラストを左右で与えていると、

これもそうです!ここのところへ行って、ここ下にギュンと重くして、そしてここ重くなってますよね!

これだってこう入って、こういう線でしょ!下の方からグッと上にいって、 それで下で安定させてるという、この辺がすごい調子が乗ってきて、非常に速いでしょ!すごい!

それでこの辺が重いのに「策」から下は、ここも「乙」からこう来て、ここが緩やかですから、これ「卯(う、ぼう)」か、これは全然角度が違う!

「都」はこっちに下がっちゃってる相当!

だから右下がりなんですね!かなり間が空いていて、そういうことで面白いなと!

それで結局ここなんかでこう書いて、ここはやっぱり重い、下がここもそう、ここもそう!

それで少しずつ書いていく人による書き癖がすごい表れているというか、

なかなか横線も鋭いし、いいんですよね!

基本的な線自体の質は、実は見た目大きく変わるから違うのかなと思いきや、意外と蔵鋒気味で入って、テンと当てている部分もありますけど、

それかもしくは強調するもありますけど、こことか、だけれども入って、それで最後抜けるときは、そのまま抜けちゃう、圧を加えたまま抜けちゃうのか、もしくは細くなって抜けるのかとか、

そういったすごく素直ですよ!意外と!

それで最終的にここまでになってきて、ここからまた80年くらいありますからね!

そうするともう鍾繇、こちらあたりなんか、鍾繇ぐらいの感じの楷書と言われている。でもまあ当時の人たちは、皆ずっと隷書を書き続けたという意識なんですけど、実際はこう見てもそうなんですけどね!

ここだって、すごい丸みがある。やっぱり縦はグニュと行って、こっちでこっちに行ったら、回みを帯びて、こうでしょ!

こう、こう、こう、こう、すごいリズムが生じている。

このあたりもそうでしたけど、筆の軽い線と重い線と小さい部分と大きく振る部分とか、横に行くでしょ。

こう書いて、こう書いて、こう行ってるでしょと、ここすごい回るね。

このおもむろな線、それで真ん中がすごい太くして、テンと行って書いていましたり、

こういう所なんて、これもを回る、その筆先がこっちに行くときに、そういった書いた人の特徴がよく表れていて、

ここはグッと強いでしょ。ウーンと行って、そのまま抜けているんですよね。

あと入るところが三角形になって少し楷書ぽいんですよね。

これテンと当てて、下から突き上げるようにして、下に入ってこう書いているでしょうね。

これこれもそうですけど、起筆のところが強くなってきていると、ここはちょっと生まれていましたよね。

ここは意外と起筆が意外とツンと入っていたりとか、そんなに強調しない!

ここでグワンと行っているところもあるけれども、それを少しずつ意識し始めた!

ここなども下から突き上げるようにして入っていますからね。

ギュッとこういったものも感じられたりとか、ここも横の線が意外と普通の感じだけども、

こういってすごい、このトゥという所もクッて入っていくようなリズムが、隷書の八分とか前の時代になると、

結構息が長いんで線を入れたらそのままウーンといくんですけど、もっとスカンスカンというリズムが感じられるっていうこととか、なかなか面白いんですよね。

その書いた人の息づかいが、ここだってすごいうねってるでしょということで感じとか、ここはすごいここも丸みがあって、点折部を丸みがあると早く書けるからというようなことも感じられるじゃないかなぁと思って面白いんですよ。

起筆がやっぱりだいぶ強くなってきて、これで に筆が紙に対して、直角にピッと当たるんじゃなくて、少し傾いて偏鋒ですね! 言ってみれば、直筆からちょっと少し偏るという、偏る鋒と書くんですよね。

ですからちょっと筆の角度もあったり、終筆もおもむろなところがあったりして、なかなか味わいがあって面白いんじゃないかと、

ここになっちゃうと、もう本当はここから、更に70年もう鍾繇に近い本当に《薦李直表》ありましたよね!あれにそっくり!本当にそこで徹底的にもうやりましたけど、

こう入って、この真ん中の線がすごいこの線がテンと当てて、ここがすごい膨れて、ここの軽く触れてから、ギューと少しずつ重くしているような、こういうところが、すごくそっくりです!

もう本当にびっくり!だから行書と楷書の間ぐらいですね。まだ分化してないという感じで 、

こういう動きがあったり、これはすごい圧を加えてくるでしょと、この隷書の波磔はここでもそうだったけれども変化していく、

やっぱり少しずつ楷書ぽくなってるんですよね! それかもしくは行書という所もあったりでして、

非常にこの書いた線がなかなか面白くて、ここは少し波磔ぽいものもあるけれども、最後の抜けるところなんかも少し軽くなっているというか、瞬間的にしてから、ピンと行っているんですよね!

ここもう明らかにここを押さえが重くしてからという意識があるんですけれども、それが少しずつ退化してきているというか、

波磔が少し弱まっていく感じがしているんですよね。ここだってそうですよ!本当はここにギュンとあるはずなんですけれども、ここをギュッと止めることによって、

より早く上げて、これで起筆がすごいやっぱり意識されているっていう、タンと当てていくところも、細くしていますね。

だからこういったものを見ると、その基本的な筆法は直筆中鋒だけど、もう少しずつ筆が傾いたりとか、入れ方がテンと入るところを意識したりとか、

そういうあるところが強調されることによって、少しずつ書風というか、それともう一つは、太い線と細い線、もしくは角ばった線と丸みを帯びた線のそのバランスの関係が、

そういったところで少しずつ変わってきてたんじゃないかなと思います。

今回こういった形で400年をドーンともう駆け足できましたけれど、

こういった形で線を読んでいくことによって、少しずつ筆の使い方などが変わっていくことが分かるんじゃないかなということですね。

私は気づいたところをちょこんちょこんとコメントしただけですけれども、そういった形で皆さまも楽しんでいただければ面白いじゃないかなと思います。

これからはまたこの後も続きをやっていきたい!王羲之までやっていきたいということもありましたり、

またこんなことも考えているんですよね。

行草、特に草書、草書の中でも章草と今章がありますよね。これも見てみたいなぁということもありまして、まあそういったことをやってまいりたいと思いますので。

今後ともよろしくお願い致します。 ありがとうございました。

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