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書法の系譜シリーズ2 三国簡牘や楼蘭残紙から王羲之まで楷書(小楷)の変遷を語るシリーズが続いています!Chinese Calligraphy

書法の系譜シリーズ2 三国簡牘や楼蘭残紙から王羲之まで楷書(小楷)の変遷を語るシリーズが続いています!

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2021年3月24日

皆さま、こんにちは!

前回は楷書の歴史を隷書から、もっと言うと、篆書と隷書の間ぐらい、秦隷(篆隷)から、もう漢の終わりまで大体どういう形で変わってきたのかと見て参ったんですよね。

今回はその続編として、王羲之まで特に古い貴重な肉質の書を駆使して、見ていこうということで、KF-Scholaですから系譜!

書の系譜をちょっと見てまいろうということで、また資料を用意しておりまして、

先ず資料の紹介からなんですけど、こちらは「黃朝名刺」(走馬樓三國吳簡牘J22-2697)は走馬樓、この間にも出てきた湖南省の長沙市(芙蓉区)ですね!

もうあそこも色んなもう簡牘がよく出てまして、もう発掘ラッシュで、もう色んな見つかってきてるんですけど!

そこで出た名刺!これが古いんですよ!本当に木の板に書かれた、木牘と言いますけれども、もしくは木簡に書かれた名刺が残っていまして、

それでこちらはもうこの二つとも漢より少し後の呉の時代、当時三国に分かれてましたから、

それでこちら「朱然木刺」もやっぱりこれも名刺でこれも貴重なものでして、これは安徽省の方で出たんですね!馬鞍山市(雨山区)で朱然さんという、この人は史書(《三国志·呉書》)に出てくる人なんですよ!歴史書にも出てくるちゃんと名前が!

それくらいのすごい身分の高かった人なんですけど、その名刺が出てきちゃったと! 朱然さん、もうびっくりしていまして!

そういったことをこちらは黄朝さんがありまして、それじゃあこちらはまあだいたい同じ時期のでもうすぐ晉なんですけど、この色んな写経がありますけども、これが一番古いんじゃないかなと言われておりまして、

これは敦煌で出て、最終的に今はプリンストン大学の美術館にあるんですけどね。

それでそういった形でものすごい貴重なものです!これも!

ここに索紞ありますけど、この人も歴史書に名前が出てくるんですよ!《晉書·索紞傳》に出てくるんですけど!

まだこの時は呉の時代に書かれたものでしたけれども。

これで多分その人と同一人物じゃないかなと言われたりして、

それでそれも貴重なものですから、それと《諸佛要集經》は、今度は新疆の方の吐魯番(トルファン)で見つかった!もうかなり西の方なんですけど、まあ敦煌もかなり西域の方ですけど、

そういった形でこれも古いものですから、この二本がもう今知られている中で、もう最古の一番古い写経、こっちは《老子》でしょ。こっちが仏典ということで面白いですよね!

それでこちらが楼蘭!これも西域ですよね!こちらは新疆の羅布泊(ロプノーブル)で二つはそうなんですけれども、こっちはもう一つは残紙、紙ですね!

残されているんですけども、これでこれらは結構年代が近いんですけど、これでこれを見てみますと、

この当時は相当、王朝が入れ替えが激しくて、ここを見ますと、これはもうこれ私は(「東」と)間違えてしまって、「西」ですね!(東晉ではなく)西晉の方ですね!これは時代的に言えばですけれども、

晉でこっちは一年違いますけど、それだけしか違わないのに関わらず、こっちは呉なんですね!それでこっちは西晉でもう入り乱れておりましたけれども、

こういった形でこういった資料が残ってますけれども、書法の方から見てまいりますと、

先ずこれはもうやっぱりすごいもう隷書ぽくて扁平になってますよね。

それでこういった形で横がやっぱり強調されて縦が短いから、非常に扁平に見えますけれども、

ここはキューと入って、ウーンと行ってますよね! それでこの間もそうでしたけど、非常にここを小さくして圧縮されちゃってね!この横線は見てくれって言わんばかりに長くなってますし、ここもそうですよね。入るところもそうですよね。

それでこれ左のほうが軽くて、右のほうが重いとものすごい!それで横線がものすごい詰め詰めで書いてあるということでありますけど、

それで特徴はここのやっぱり起筆もがやっぱりすごい意識が入ってますね!それで送筆のところは早くなっていますね! それで終わるところで終筆のところで少し重くしてる形すごいリズミカルに書かれている!

それでもう「朱然木刺」まできちゃうと、これはもう楷書に近いですよ!もう殆ど!だから最古の楷書じゃないかと!大体三世紀の真ん中ぐらいまで行くと言われるんですけど、

もう見事に起筆と間の送筆と終わりの終筆! 始め、真ん中、終わりが、きちんと意識されて書かれているということで、

それでこの点折なんかも、折れるところできちっと、そうなっています。これもすごくそうですね! この特にこの「門」、門構えも殆ど楷書ですよ!

もう間違えないということで、ここがすっごい強調して、これ左右で伸びたからこっちがっていうことでバランスを取ろうという、これもうすごい楷書的な発想ですよね!

そういったことが意識がされておりまして、特に横の入りとか、ここの所ですごく、それで終わるところもピンとちゃんと止めている。すごいです!

撥ねを意識してやってますということで、これはもう楷書だと!間違いないと言えると思うんですよね!

それでこの敦煌の写経では、まぁ前回に隷書ところでみましたけれども、この太くした、まま抜くとなりますね!

それこれすごい色んな至る所でそういう右側のところが、左側すごい軽い!それで右がすごい重いという、この人の書き癖でして、

それで点折がやっぱり意識されてますね! フィーと入ってきたら、ピーと抜けて、基本的に点折は楷書がすごく強く、この角が強くなってるのは、隷書でもう1回入れ直しているからですね。

こちらはここでギュッと入れてから、ここでグニュとこっちに行ってますね!そういった形、ここなんかもそうですけれども、注意されているということが分かるんですけど、

もうこの人が、右の線は軽く入って、重くいく、これリズムなんですね!

それをもうずっと同じリズムで行ってるんですね。どこが太くなるのか、どこが軽くなるのか、そのパターンがちゃんとあるということですよね。

左が軽くて右が重いですね!これすごくね超なってますね!もうほぼ例外なく、当てるところはグニュと行って、グッといくという、

どんなにちっちゃいこういう「月」の真ん中のこんな部品であっても、そういうふうに書いてあるという、

こっち側は敦煌の「燉」ですけど、こういう所は管理でこっちが重いという、右のほうが隷書を右下の方が隷書で重いということですね。

それを早く早く書いていったら、最終的には、当時からもうかなりの数の文字をいっぱい写経のような形でこういった連続して書くから、

同じリズムで美しく書きたいと一貫性があるように書くことが大事になってきてるわけでして、

しかもこれは紙なんですよね!このこれとこれとこれに関して言えば、ここは木簡ですけど、

ですから、そういった形で非常に面白いと!このここ「寅」という字の曲がるところとか、「索」の曲がるところなども、これもそうですね。

ここも本当にここもそうですね。グッとなってバンッとなってますよね。

すごい意識されているんですよ!

これでこちらに行くと、これもそれに近いですね。

左がこの間の隷書もそうでしたけど、左側が軽くて右側が重いということだけれども、見てこの特徴として、すごいところがこの「三」とか、こういう長い線が一番特徴でますよね。

ここにテンと当ててから、ギュインとこうなってるんですよ!

だからすごくここに沿っている!反り方!これがね抑揚が感じられて楷書です!!もう本当に!

それでここなんかも少し丸みがあるんですよね。この人はちょっと一回当ててますけど、これすごくいって入った瞬間に方向転換しようとやってますから、まあこれは行書ぽいとこもあるんですよね!

横を縦も鋭いでしょうと非常に!それで横はすごく安定感がある!

それでこれに左右の軽重、軽い重いがものすごいはっきりしてると言えることでありますよね!

それで面白いことにこっちはすごい右肩下がりで、こういうラインで全部入って、この人は少し右肩上がりの部分があるんですよ!

ここなども少しです!基本的にはまあ 水平に近いところではありますけれども、結構この「寫」も上がっているんですよね!

ここが空いてる!大らかに見えるっていう!これすごい下がってるんです。同じ字だから面白いんですけどね!

ここもそうですから、日付の所だから持ってきたんです。「月」も同じで「年」もそうです!

すごい縦が強くなってきて、ピンとこれはすごい扁平なんですけど、

ということが分かって、なかなか面白いですけど、 もう古い書法が混じっていたりとか、新しいこういう書法が入っていたり、

この間のところが、本当に面白い!過渡期なんですね!ちょうど隷書と楷書のどっちつかずというか、両方のエッセンスが入ってるという、これは面白いんですけれどもね!

それでこちら先ほど申し上げました西晉ですね。 殆どこっちの方が少し三十年前になるんですかね!そうです!

それで見ますとね。この横線、「五」という三本線が本当に似ています!

横の線もすごいテンと当ててそのまま圧を書けて行っているという、すごく本当に本当に効率が良いというか、もう書いてる時の本当にリズムがはっきりしてる!

それでテンと当ててから、弱く当ててからグンと強くなるところもありますよね!

古い楷書には特に感じられる!なかなか味のある特徴でありますけれども。

これはまあ鍾繇や王羲之ぐらいの時代までは、普遍的に見られる!

だけどこれ面白いのが、普通はこれ隷書では、結構右のほうが重かったのに、こっちが重くなって、軽重が考えられて、こっちのほうが若干重くなったんですね。

右ではなくて、だからこれもかなり変わってきてるんですね。少しずつですね!

それですごくここが早いでしょ!すごく!「從」も本当に軽快ですよ!

それとここは何か隷書ぽくやっぱり手偏が右に上がってるという、

それでここ中がすごい詰まってるとありますけど!

これもなかなか特に最初の年が書いてあるところは、 この下は隷書ぽいところもあるんだけど、すごい楷書ですよね!やっぱり楷書に近いんですよね!

そういうところが面白かったりして、だけどこの「女」はすごい隷書ぽいんですよね!上にこれこう引っ掛けて、ここをずっと書いてる!

であったりとか、上の部分がつながってますから、すごいまだ字形的にも古い部分もあるんですよ!

そういった意味で面白いすごく!

それでこの楼蘭のこちら東晉の残紙。こちら西晉の木簡でした!これを見るとすごく驚くべきことにここに入って、ここでこっちが来ていますけど、ここすごい横の線の出方とか、入り方とか洗練されている!

それでここはきちっと当ててるでしょ!それでここからグーンと最後終わってる!

これは先ほどありましたこの朱然さんの名刺のこことかここなんかも、ここも横の線に感じられる!

黄朝さんの方にも感じるんですけども、すごい入って、これは紙ですからね!書いてるのが!本当にそれで沁みて早くて止まるという、

「不」もここですごい書法の違いがあるんですよね!この「任」もなかなか、この最後の終わり方が、ここはやっぱりこの辺りとか、この人のすごい特徴が引き継がれて、これも隷書のところでありましたね。早書きした!

だけれども、これなんか「來」ですけど、 本当にこう書いてから、ここなんかもう楷書に近い!本当に近いです!

それですごい「顧」の「頁」が安定感があるんですよね!

この圧を加えたまま抜けてるから安定感があるんですね!これ!

ここすごい鋭い!こういう風にかけるのは瞬間的にパンと筆鋒が開いてるから、やっぱり書いているときに中鋒なんですよね!

やっぱり線が鋭い!すごく!スーと当ててから、グーと行って、ここでグンと行ったら、もう瞬間的にピンと、もう中鋒だから、本当に筆先が偏らずに下の方にグンと引っ張ってきて、

これを引っ張ってくる中で、もう次のところの方向転換して瞬間的に直しゃってるという! すごいですね!

ここ当てるところも、ピンと当てて、プンと行って、ものすごく強い!この人は筆力がある!ものすごく!

こっちはスカーと行ってますし、こっちはグーンと強く行ってるから、こういうのありましたよね!

これ瞬間的に抜けるとこういうパックマンみたいになっていて、王羲之にも、鍾繇にも、ちょっと見られた!こういった特徴ありましたよね!

だから筆力がすごく強い人が書いた特徴です! だから思いっきりいってるっていう、すごくそれでモダンな感じがする!この残紙を書いた人!

これはもう今から1700年も前ですから!そういった形で見ていくと、少しずつやっぱり楷書の起筆、送筆、終筆が生まれできているのが分かるというか、少しずつ変遷してるんですけど、

この最後の四つは王羲之ですけど、この最後の《孝女曹娥誄辭卷》だけは王羲之かどうか微妙だとも言われているし、

これだけは絹本、絹に書かれた文字ですけれども、あとはこれは三つ法帖ですけれども、

これ見ますと、もう本当に終わりとこの《樂毅論》はちょっと右上がりが強い傾向があるんですね。

まあ《黃庭經》もこのあたりがちょっと強いというのはあるという事はあるんですけれども、

もう本当に筆が振れた瞬間に次に行くというか、そういう筆法なんですよ!あんまり入れたところで止まってると沁みちゃうし書けないけれども、

瞬間にピッときて、グーッと次の方に行くというようにかなりこれ粘りがある! ここもそうやって行っている!」

やっぱこの楼蘭残紙にすごい近い!非常に似ているところがありますよね!ここなんかもそうですし!

やっぱり横線の長いものとかこういう「之」の最後の波磔のような場所に特徴が出てくるんですよ!やっぱりすごく!

だからこういって見ると結構この中も何で後の人がもう複製に複製を重ねてしまっているけれども、だけれども結構もうこういった部分もあったりして、やっぱりそんなに違和感がないことが分かるんですね!

この当時のものとですね!だから結構、我々の思ってる常にまあ資料はやっぱり限られていて、私もこれらを見つけるのは大変でしたけれどもありますけども。

楷書とは、意外と結構古いんだという起源が分かるんですね!それはすごいねこの《樂毅論》に関していえば、筆が当たってから、その圧がかかり方が瞬間的に入ってピンとすごい、

もう撓んで解き放つみたいに線に張りがあるんですよね!すごくどれを見ても本当にそれを感じます!

縦線もスカンとしているし!これ本当にだからすごい筆が生きているというか、かなりこれはバネのような筆の毛がやっぱりすごく固いんじゃないかなと、その方がねバネで瞬発力が出る感じで書いているような感じがしますね。

ここなんか、ビンと当てて、グーンと行ってますよね!

この当てて生き方もなかなか面白いんじゃないかと思ってます!

この《黃庭經》の場合はすごく中庸を行ってるような感じがして、

左払いがスカンと行って、この当時の人と書は、筆の機能にすごく素直であんまり捩ったり曲げたり変な力を加えたりしないでスカーと行ってましたね!一本一本線がすごい強いんです!

これもパンと当ててから、ギューと行っているでしょと!

こっちが少しに沈んでいるんですよ。下にギューンと行って! だから筆がちょっと向こう側に自分の体から逆の方にいっているんですね!

これすごい中鋒で行っているんですね。その直筆のまま行っているんじゃないかなと!

この入るときの沈み方でここで結構分かるんですよ!この辺、これすごい中庸に入ってる感じがしますねという感じで見ていけたりして、

この流し方などはすごい大らかで伸びやかですごいここも接触してるのかなというところから、強くなっててピンといっているんですよね。本当に味がありますよ!

穏やかで線が長く見える!すごいここも伸びやか!すごい歯切れもいいすごくよくて、

それですごいところは、「有」の「月」の点の触れ方は微妙なんですよね!すごいです!

やっぱりそれでこの「黄」も離れて、こっちが触れていて、この点折の所も強い!それで一気に逆三角形みたいな形になって、なかなかいいでしょうということでね!

同じ「有」でもこっちはすごいこっちが左側にツンと行って、こっちは縦の引っかけが強くて、縦の方にこうなって、もともと上は手の形ですよね!

ここ引っかけは意味があるんですよね!ここにこうあったわけだから、篆書で言えば、だからこの引っかけは本当は手の上の部分なんですけど!もうすごい残っているんですね!

だからこの下がお肉の形だったから、肉月は手で持っているの形ということもあって、すごいこの「有」も違うでしょ!

こういう、ここ入ったら、こっちちょっと膨れて、ここは少し丸みを帯びている!

こっちは強く屈折したままいってる!これは逆に左に入ってるという全部書いて、本当に細いんです!と感じられたり、

それで《東方朔畫贊》はなかなか墨を含まして、まあこれ法帖だから太さはこっちが細くなりすぎちゃってるかもしれないけども、これけっこう一番細くなって、これ次ぐらい、これすごい太いけれども、これ法帖によるから、そこのところについては難しいですけど!

なかなか字粒が揃ってて、この字のこの一本が長くなっていたりとか、この「朔」のこっちの関係、こっちはこう入って、こっちはこうやって、縦の線の傾きが違うんですね!

それもうすごい面白かったり、これは起筆を見ると少し丸みを帯びてるから、少し筆先が利くような筆と少し筆先が丸みを帯びているのかなとか、書いたときによって違いますから、すごく蔵鋒気味に見えるという、

ここの折れ方がありましたよね!すごく継いでいると感じられる!

このあたりこれを大きいのにこれすごい「月」が小さくて、本当に面白い!

それで字が縦からずっと来て、少し「原」は右に来て、結構行の揺れがあるんですよ!当時!

まあここは亡くなっちゃっているというのは、あるかもしれないけど、少し飛んじゃってるから!

だけどそれにしても字が少し揺れていたり、大小があったりして、《樂毅論》は少し扁平なんですね!《黄庭経》は少し真四角に近い!

これ(《東方朔畫贊》)は色んな字が縦になったり、その字の大小が横にぐっと長いとかその差が結構あるんですよね!それで構成されていることで面白いというか、

それで終筆のところ、こういうところの流し方が行書ぽい少しあんまりグッと行って、グッと行かないいう、本当に大らかというか、ここは変えているんですけど、全部違うんですよね!

これ面白いところですよね!すごいこれも違うということでね!

この同じような部品のところが微妙に変えてあったりして、そういう芸が細かいと分かってくると!

この《孝女曹娥誄辭卷》は晉賢書、晉の賢い人の書と伝えられてきましたけれど、なかなか、こう見ると、当て方とか、このうねり方とか、意外と古い時代の書法にみられるようなものがあるから、なかなか良いものなんですよね!

だから写経體とか、木簡隷から楷書に行く間のそれに近い呼吸が見られるということで、

起筆の打ち込み方、ここなどは行き方とか、ここでバネのように行くような、このリズムもなかなか見所があって面白いと思ってるんですよ本当に!

この終筆の抜け方もいいし!すごくこの点折の部分も少し細かいところで書いてあったりして、撥ねが鋭いでしょ!

だからすごく見どころあるんですよ!これは!ここは大きく通っているのに「娥」の「我」が下の方に行くことによって、これ右のほうにいかないから、すごい字間が抑えられて面白かったり、

この「女」が扁平なのにこっちが「我」が高くなっていたり、

それでここが強いでしょ!グッと行って、グンとうねっているというのがあったり、ここはちょっとやりすぎですが、

ここは少し入ってから、少し折れていくとか、ここは入ってからこう強く止めるところがありましたよね!

この楼蘭残紙でも、 これは向勢といって、こっちで丸みを帯びているんですね!ここを押さえ方も面白いし、ここに空間があっていいということもあったんですよね!

それでこの最後のところもおもむろに引っ張っていくというか、この人そういう所があるんですよね!

それでこうはグンてきて、こちらにこう行って、こう行ってまして、ここなんかがすごい線自体は、この時代の肉筆の書蹟に近いんじゃないかということで面白いと見れてこれたと思うんですよ!

といった形で小楷と言いますけど、楷書の小さいもの、本当にこれは面白い!

それで楷書はやっぱり本当に規範的に書かれるから、リズムが一定してて、気脈が整っているというか、

行草だと逆にその字形を崩したりしてくるんですけど、逆にその本当に一つの法則性の中で自由さがあるという、非常に一つ一つの字が非常にすごく細かいところに工夫があるという。

大まかなところではリズムが一致してるけど、そういったどんどん整えられていくような美しさというのはあったじゃなかったなと、

しかもこの当時のこの簡牘や残紙や写経もしくは名刺などまで見えてこれて面白かったじゃないかなと思います!

こういった形で線を読む楽しさ、字型のおもしろさというか、そういったものを今回も盛り上がれたと思います!

どうもありがとうございました!

次回は今度は草書の歴史、章草とか今草をまた隷書とかそのあたりから見れたらなと思います!ありがとうございました!

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